仏を彫る
 
                   仏 師 松 本(まつもと)  明 慶(みょうけい)
一九四五年(昭和二○年、京都市生まれ。一七歳のとき、四歳年下の弟の死をきっかけに仏像を彫り始め、一九歳で大佛師・野崎宗慶に弟子入り。以後四三年間仏像彫刻一筋に打ち込む。平安・鎌倉時代の天才仏師、運慶・快慶の流れをくむ「慶派」の継承者。一九九一年(平成三年)、大仏師の称号を受ける。その工房は、松本工房という名称で、京都市西京区大原野の、善峰寺や十輪寺の近辺にある。京都仏像彫刻家協会会長。二○○六年(平成一八年)、京都市上京区に松本明慶佛像彫刻美術館が開館する。同年九月には、NHK制作の『にんげんドキュメント』で「大仏に挑む 平成の仏師・技と心」として、その工房の製作活動が放送された。一九九九年 世界最大級の木造仏・大辨財天完成(鹿児島・最福寺)。二○○二年、真言宗高野山金剛峯寺に惠果阿闍梨尊像を奉納。二○○四年、四国三十三観音霊場第三十二番所・観音正寺に総白壇による丈六仏(大仏)十一面千手観音座像を納める。二○○六年、広島宮島・大願寺に総白壇による不動明王半迦像丈六大佛を納める。二○○七年、西国三十三観音霊場二番和歌山・紀三井寺の総金箔十一面千手観音立像大佛(像高十二メートル)を納める。奈良・長谷寺沖縄別院に長谷観音大佛を納める。
                   ききて 有 本  忠 男
 
有本:  今日は、京都市西京区(にしきょうく)大原野(おおはらの)にお住まいの仏師・松本明慶さんをお訪ね致しました。松本明慶さんは、十九歳の時に、運慶・快慶の流れを汲む京都の仏師野崎宗慶(のざきそうけい)師に師事されました。運慶・快慶、そして師匠の「宗慶」の「慶」を頂きまして、ご自身も「松本明慶」と名乗っていらっしゃいます。毎日仏像を彫り、仏と対座にしていらっしゃるわけですが、仏師として、仏師の目から見た仏の心、あるいは仏像を彫る時のお気持ちなどを伺ってみることに致しました。どうぞよろしくお願い致します。
松本:  こちらこそよろしくお願い致します。
 
有本:  間もなく五十歳の誕生日だそうでございますね。
 
松本:  そうですね。
 
有本:  やはり五十というのは、自分でも意識なさいますか。
 
松本:  かなりしますね。
 
有本:  どんなふうに?
 
松本:  まず仏像彫刻してから、先ず三十三年目にあたるんですよね。それで自分の作品から考えてみて、五十というのは、自分で一つの区切りとして、また新しいステップにしたいなと思っておりますので、今までの集約したものの積み重ねを作りたいということを考えていますけど。
 
有本:  五十歳と言えば、二、三年前かなんか随分大きな仏像に取り組んでいらっしゃるんですって?
 
松本:  そうですね。高さが出来上がると十八メートルの、木造では日本一、世界一大きなものを作っています。
有本:  それはどこのお寺に収めるものですか?
 
松本:  九州の最福寺(さいふくじ)(鹿児島市平川町)というお寺なんです。
 
有本:  まだ完成迄にどのくらい?
 
松本:  あと約二年かかりますね。
 
有本:  私たち、「弁天さん、弁天さん」と申しますけども、もっと具体的に説明して頂くと、
 
松本:  一般の方に一番分かり易いんでしたら、七福神の中の一人として、その中で女性は一人なんです―七福神の中ではね。その弁天さんのもつ富ですね。現世利益が多い仏さんなんですね。だから日本の三大弁天なんかご承知と思うんですけども、竹生島(ちくぶしま)の宝厳寺(ほうごんじ)(滋賀県)、江の島の江島神社(神奈川県)、宮島の厳島(いつくしま)神社(広島県)とありましてね、水とすぐ関係があるところにあるんですね。日本人は、農耕民族ですのでね、水を統治するということは、富を得られることですからね。だからそういう由来からも、言いましても、自分の願いを叶えてくれるというので、非常に昔から信仰が篤かった仏さんですね。それともう一つは、なんか如来さんとか何々になると、なんか確信をもって拝まならんという感じがしますよね。だから物見遊山(ものみゆさん)でそこにお参りしても、まあ少しずつそういう仏教の作法に携わったりとか、仏さんについての知識を得られましてね、先ほどお話した三つのお寺も、ご承知の通り、昔から観光地になっていましてね、そこへ行くことによって何かスタートしましてね、そういうことも非常に大切なんで、どの仏さんにしようかということで、そういう仏さんを一つ選んだわけですけどね。
 
有本:  私たち、大仏と言いますと、奈良東大寺の大仏を思い出すんですけども、奈良の大仏より一回りちょっと小さいという感じでよろしいんですか。
 
松本:  はい。
 
有本:  それにしても凄い大きな仏像ですね。何故またそんな大きな大仏なんですか?
 
松本:  これね、もともと仏さんというのは、「大きさは無限大の大きさがある」とされているわけですよね。でも作るのには、限度がありましてね。だから小さくとも大きく見える仏さん。出来る限り大きいのにこしたことはないわけですよ。だから今製作できる材料で、一番大きなものというと、あれが限度かなという感じは致しますけどね。
 
有本:  勿論明慶さん一人じゃなくて、お弟子さんも何人か取りかかっていらっしゃるわけですよね。
 
松本:  はい。だからそういうスタッフも揃え、材料も揃え、すべての条件が揃わんと、そういう仏像は生まれてこないですね。
 
有本:  ところで、十九歳の時に、いわゆる専門の仏師になろうということで、弟子入りということなんですが、その前も個人的に仏像を彫っていらっしゃった。何故また仏像なんですか?
 
松本:  これね、もともとこういう小細工が好きだったんですけどね。ただ十七の時―僕がちょうど高校の二年の時なんですけどね、弟を亡くして、それで勝手に気が付いたら―もうほんとに勝手という感じです―もう自然な感じで仏像を彫りに向いていたと言うんですかね。
 
有本:  弟さん、病気で?
 
松本:  そうです。
 
有本:  そうしますと、弟さんがまだ病気でお元気な頃は?
 
松本:  全然それなかったですね。ただ自分も十七で、凄く多感な時期ですからね。明くる日から弟は死んでいいへんこと事態の寂しさとか、矛盾とかね―他のお子さんはみんな元気で一緒に居てるのに、明くる日自分の息子みたいな者がいいへんというんですからね。やっぱり小さいくて身体が弱かったから、兄貴というよりは、自分の子どもみたいな感じがしていたんですね。だからこの弟は自分がずっと養っていかないかんし、自分がしっかりせんといかんな、ということは考えていたんですね。だから人一倍、弟でもありますし、自分の一部というんですかね、そういう感じで暮らしていましたから。死に対する矛盾ですよね、それがどうしても理解できなくて、知らんうちにとにかく仏像彫刻していた、と。
 
有本:  そうしますと、病弱であった弟さんが導いてくださった、ということかもわかりませんね。
 
松本:  はい。
 
有本:  まだ十七歳の時ですと、まったく素人で、もう勝手気ままに彫ると言いますか。
 
松本:  そうなんですよ。だからその勝手気ままな方が、逆に自分にとって凄くプラスになったですね。それは何かと言いましたら、先ず彫っている時に、凄く落ち着きましたね。だからその辺にある手当たり次第の木で彫って―まあ何百という数作ったわけですね、十九までにね。
 
有本:  ほぉー! じゃ十九歳の時に、師匠のところに弟子入りする時、この男はやる気がある、根気があるなんていうことを、師匠が見抜いたんでございましょうね。
 
松本:  その時にね、僕がちょうど美術の先生のとこに、その何百体を持っていったわけですよ、昔作ったものをね。その時に、「もうこれは私ではわからへんから、佐和隆研(さわりゅうけん)(元京都市立芸術大学学長)先生に見てもろうてやる」ということで見て頂いたわけですよ。その佐和先生も、「これでプロになれるかどうかわからへんから、野崎宗慶先生に見てもろうてやる」ということで、見て頂いたんです。その時もやっぱり量ですね、作品ではなくて。僕も、どれが先生に気に入られるかわからないから、自分はみな一生懸命作ったんやから、全部持って行ったんですよ。普通の人だと、自分の作った気に入った作品だけ見てもらう。僕は、これだけ作ったということをお見せしたんですね。それが凄く先生に気に入って頂いて、上手い下手というよりは、とにかく「これだけの人間は見たことない」というので、そういう点では、ある意味ではラッキーでしたね。一、二点選んで行ったなら、こんな下手なやつは筋が悪いと言って捨てられたかも知りません。下駄で彫ったり、電柱で彫ったり、その辺にある切れっ端で彫ったりしたんですから。彫るというよりは、亡くなった師匠が、「ようここまでむしっているな」と。「むしっている」というイメージだったらしいですね、先生から僕の作品を見れば。
 
有本:  その下駄だとか、電信柱というのは面白いですね。
 
松本:  まあ材料が、その当時―今も一緒ですけどね―高価ですからね。簡単に市民では買えない材料ですから。昔はやっぱりそれだけゆとりもありませんからね。だからある物で作るというんで。
 
有本:  その弟子入りなさった頃、もう師匠はかなりのご高齢で、ということで、やはり鑿(のみ)の使い方とか、そんなことから教わるわけですか。
 
松本:  そうですね。教えるというものではなくて、職人ですから、見るんですよね。また師匠の使い方、師匠の鑿の入れ方とかを見るんですね。「ここ、こう彫りなさい」ということはまずないんですね。
 
有本:  いわゆる「盗む」というふうなことをよく言いますね。
 
松本:  はい。だからご高齢ですけども、僕の居てはる間は、師匠も鑿振るって、僕と同じ時間座られていたんですね。
 
有本:  まあ亡くなられたわけですけども、今こう振り返って、野崎宗慶師匠から学んだ一番大きなものと言いますと、何でございましょう?
 
松本:  そうですね。その当時はほんとに先生の話しておられることも、理解はできなかったんですけどもね、やっぱりこうやっているうちに、十年二十年経つと、先生の話と言うんですかね、それが少しずつ理解できるんですよね。だから「仏師はこうでないといけない」と言われた意味が、ほんとに何十年してから初めて、師匠の有り難さというんですかね、よくわかりましたね。
 
有本:  そうしますと、ご高齢ですから、技術的なことよりも、口で教えられると言いますかね。
 
松本:  そうですね。師匠はご高齢ですから、耳が悪かったんですよ。だから補聴器掛けておられるんですけども、そのうちにこうやられるから補聴器が落ちちゃうんですね。そうすると、僕の言うことがまったく聞こえなくて、独り言のようにいろんな話をされたんですね。例えば一休禅師のお話とかね。それなんかも、ほんとにそんな話が一休さんにあったんか、というようなお話をね。
 
有本:  例えばどんなお話なんですか?
 
松本:  例えば一休さんのお寺は木津川(きづがわ)の畔にあるんですね。「木津(きづ)」という言葉は、ご承知の通り、木津川の木材陸揚げ港として栄えていたことに由来する(津は港を意味する)んですね。だから船の行き来が非常に盛んなところだったんですね。ある日大阪まで行くのに、頭の非常に切れる船頭さんがおられて、一休さんは頓知が上手いから、「一休さん、私、仏さん見たことないんや。あんたほど偉い坊さんだと見せてくれるやろう」とおっしゃったんですね。一休禅師が、「わかった。すぐ仏さん見せてやろうやないか」という話で、大阪に着くまで、「仏来い≠ニ大声で怒鳴りなさい」と。そうしたらその船頭も、一休さんを負かしてやろうと思って、一生懸命「仏来い!」と大きな声で怒鳴ったんですね。それで大阪に着いて、一休さんが、「仏、来たか」と言われたら、その船頭は、「来た」と言うたんですね。その話を聞いた時も、その時何を言うてはるんかなという感じで、あまり理解できなかったんですよ。そこまでしか師匠は話してくれないんですよね。今となってみたら、「仏を呼ぶ人にこそ、仏が来る」というね。船頭さんは、大きな声で呼ぶことによって、最初は嫌々だったかもわからんし、最後までとにかく呼び続けたから、自分の傍に来たような気がするから、「来た」とおっしゃったらしいですね。そういう面白い話を、一方的に孫に語るように、僕に話してくださったんですね。それがようよう遅い話ですけども、何年もかかりましたね。
 
有本:  その他どんなお話をなさったんですか。
 
松本:  たとえば、僕、若かったですから、やっぱり短気ですから、そのことについても、「人間の心の中には、仏さんの気持ちもあれば、鬼になるような気持ちもある。一日なるべく鬼の気持ちにならんように頑張って、仏の気持ちが勝つようにしなさい」とかね。それから阿弥陀さんについてもよくおっしゃったんですけどね、「汚れがない」そういう清浄というものについても、お話しておられますね。でも僕は少しも理解できませんでしたけどね。
 
有本:  その鬼というのは、私たち毎日の中で怒ったり、ニコニコしたり、鬼となるというのは怒った時の気持ちですね。
 
松本:  そうですね。
 
有本:  良い仏様を彫るためには、ニコニコしていなさいよ。いつも心を安定させておきなさいよ、ということなんでしょうね。
 
松本:  そうでしょうね。でも未だにそれはちょっと難しいですね。
 
有本:  松本さんご自身、仏師として、これが大切だとお考えになられることは?
 
松本:  言葉は変わるんですけども、やっぱり師匠の態度とか、そういうものが勿論基礎にはなっているんですけれども、よく弟子に来る人が、「僕、才能があるかどうか見てくれ」とよく言われるんですけども、その仏師の才能というのは、ほんとは必要ないんですよね。どの社会もそうだと思うんですけども。つまり「やる気」なんですよね。これは簡単なことなんですけど、なかなかできないですね。「やる気」と「根気」なんですよ。仏師にそれさえあれば、一つの仏さん完成させるのには、そう難しくはないんですよ。その中に「儀軌(ぎき)(造仏のための指導書)」と言いまして、仏像について、どうしてもそれを外(はず)すと、その仏像にならないというものがあるわけですね。例えば阿弥陀さんなら、こうして手を結んでおられたり、お釈迦さんなら手をこうしてというのを、逆にして、「これ阿弥陀さんと言え」と言ったって、これは釈迦の印で、阿弥陀さんにはならないわけですね。そういう基本的な決まり事があるんですね。それと自分の今まで磨いてきたものと接して、初めて仏さんというのが成り立っているわけですね。「印相」と呼ぶんですけども、一つの手話みたいなものと思って頂ければ、これでお話されているわけですね。その人のもつ意味を示されているわけですね。だからほんとに仏さん「彫る気」というのは、「空気」の「気」でも、「木材」の「木(き)」でもありますけども、「気」ということが非常に大切なんですよね。すべてにおいて「気配り」なんて、その最たるものですね。やっぱり仏さんを彫る時も、気配りするわけですね。ここにこの顔を、この手をここに彫って、というふうにね。それがだんだん慣れてくると、一本の木を見た時に、〈あ、この木は絶対この仏さんにしなければいかん〉という気持ちになるわけですね。だから工房に入って、観音さんを掘り出しにいっているのに、フッと見た時に、不動さんが座っているなと思った時に、すかさず鉛筆で、「誰にも触るな」と書いておいて、「不動明王」と書いておくわけですよ。それで自分が気持ちのいい時に、初めて不動明王の作品にかかったり、お観音さんにしたり、いろいろなことにするんですけどね。だから工房に入った時に、逆に違う仏さんを引っ張り出す場合もあるわけですよね。そこにどうしてもスペース的に住んでおられるのが見えちゃうわけですね。そうすると、木というのは、なるだけ大きなスペースで作ってあげたいことがあるわけですよ。木というのは、制限がありますからね。木というのは、太さも体積もすべてにおいて制限があるわけですよ。その中で少なくとも一番大きな仏さんを見出してあげたいという。若しくは寄せ木作りで、こういうふうに寄せ木する場合もあるんですけども、一木作りでしたら、かなり制約があるわけですから、その木の中にどういうふうにしたら住むのかなということを、先ず考えますね。それが自然にこう出てくるようにはなるんですけどね。
 
有本:  その「やる気だ」とか、「根気だ」という「気」は、松本さんのお言葉をお借りすると、「心」というふうに置き換えてもよろしいんでしょうか。
 
松本:  はい。
 
有本:  それが仏像を彫る材木の「木(き)」にも通じていると。
 
松本:  はい。
 
有本:  既に三十数年、数に致しますと、どれぐらいお彫りになったんですか?
 
松本:  それよく聞かれるんですけどね、ほんとに自分ではわからないんです、正確な数は。何千体ということは確実ですけども、ちょっとわからないですね。
 
有本:  何かお弟子さんに伺いますと、松本さんも大変厳しい師匠で、しかも夜遅くまでお仕事なさるんですって?
 
松本:  はい。
 
有本:  仕事が趣味みたいなもので。
 
松本:  そうですね。だからうちのアトリエはほんとに閉まっているのはお正月だけなんです、それも朔日(ついたち)だけなんです。
 
有本:  しかし幸せというか、その何千体という仏像に、何百人、何千人、あるいは何万という方が、手を合わせて拝んでいらっしゃるわけでしょう。
 
松本:  そうなんです。だから仏さんって、お顔変わるんですよ。こう言ったら「嘘違うか」と言われるんですけどね。一番最初ね、若い時なんか自分が二十歳代で分担して作りましてね、法要なんかでみんな拝んでくれましてね、自分も拝もうと思うんですけどね、なかなか照れくさいとか、なんか小っ恥ずかしいところがあって、なかなか拝めないんですよね。ところが、その仏像も十年経ち、二十年経つと、ちゃんとした様(さま)になってくれるんですよね。何かがやっぱり補(おぎな)うてくれるんですよね。そういうなんか仏師の未熟なところを仏の力が助けでくれる、というのかね、そういうのは感じましてね。だからこの頃自分の作った仏さんにも手を合わせるようになりましたね。
 
有本:  そうしますと、自分で彫っているんだけれども、自然にというか、「仏様に彫らさせて頂いている」というのかな。
 
松本:  そういう表現ですね、ほんとに。だからその住んでいる木見れば、「勝手にお前、彫れ」と言われているような感じですね。
 
有本:  でも、やはり人間ですから、お顔が、表情が、目鼻立ちがありますから。
 
松本:  そうなんです。どうしてもやっぱり自分の思うようにいかん時も確かにあるんですよ。その時に、ある作家の先生が、「祈るような気持ちで絵を描く」とか、おっしゃっていましたけれども、そういう心境がわかりましてね。どうしても足らんとこは、やっぱり助けを借りてでも彫りたいと思って、ご真言を称えるなり、もう一遍気合い入れ直して、その木とお願いするなり、まあプロですから、どんなにしてでもとにかく作りたいという願望はありましてね。さっきお話したみたいに、「やる気」と「根気」ですよね。絶対に完成さすんだ、と。完成させないと困るんやし、今までの労力もムダになりますから。それで自分が納得するまで触りたいと言うんですかね。
 
有本:  仏様を彫ると同時に、「触る」という感覚ですか?
 
松本:  だからうちの弟子なんかでも、「先生、ここ触っていいですか」というような表現をします、上の方はね。だから言葉の上では、「今日、何彫ったの?」と聞いたって、「ここと、ここ触りました」というようなイメージなんですよ。だから小刀を、みなさんがやられると、肩に力が入って、キュッとやられるでしょう。そうじゃなくて、ほんとに軟らかい餅という感じですね。鰹節じゃないんですね。生肉でという感じで削れるんですね。素人がやると、カッカッと力が入っちゃうんですね。肩にムダな力が入ったら上手くいかないですね。
 
有本:  何でも「肩の力を抜いて」とか言いますけど、しかしなかなかそこまで達するには、道程が厳しいですよね。
 
松本:  はい。それが出来ると、小刀をコントロールというんですかね、それがまあまあなんとかできて、その後さっきのお話したようなことが、自分でできるかできないかですよね。ただ仏さんというのは、自分が見ているだけではダメですからね。仏さんに持つ―僕は、「観の目、写の目」という話をするんですけど―「観の目」つまり観音さんの「観」という、つまり観じる観なんですよね。
 
松本:  写すだけじゃない。仏さんのいいのがあって、これと同じものをこっちへ写したら名人ではないわけですね。そういうのは機械に委せればいいですからね。だからあるがあるの如しに彫るんじゃなくて、あるものもあるように彫るし、その中にないものも彫りたいわけですね。だからこそ人が見られた時に、この仏さんが、ちょっと怒ってはんのと違うかと。自分が、怒ったつもりで彫ったわけじゃないんですよ。今日は澄ましてはるなとか、それはやっぱり拝む人の、つまりご覧になる方の感覚がそこに伝わってくるんですね。
 
有本:  「観の目」というのは、今おっしゃった観世音菩薩とか、観自在とかというような「観」ですが、そうしますと、「心を込めて観る」ということなんでしょうかね。それがそこまでいかないで、写真の写す方に、
 
松本:  写す方だけにとらわれがちなんですよね。そういうことがあって、自分らも作り始めて十五年ぐらいまでは、もう写すばっかしですね。運慶さまに負けたくないとか、どこどこの仏さんと同じのを作りたいとか、ああいう人の腕前になりたいとか、結局そればっかしなんですね。テクニックばっかし欲しいんですよね。
 
有本:  お話を伺っていると、何となくわかるような気が致しますけど、ほんとにその観の境地と言いましょうかね、どうしてもやっぱり写す方の見るの境地にしかきませんね。
 
松本:  だからそれを一番どの仕事にも言えることなんですけどね、仕事として妥協できる場所と、やっぱり仕事として妥協できへん場所を作っていかんとあかんと思うんですよ。仕事なら割り切ってこういうのは止めておこうと思いますけども、でもこれだけいい材料を与えてもらったんだから、この材料の奥に何があるんやと思えば、もう少し手を入れたくなるんですね。だから亡くなった師匠によう言われたんですね、「お前、仕上げ早(はよ)うし過ぎる」って。早(はよ)う作りたいから、どんどんどんどん仕上げしちゃうんですね。今は粗彫(あらぼ)りをもう少し練るんですよ。だから一つの粗彫りして、小さい作品でも一年かかったり、二年かかったりするんですよ。だから仕上げするまでに、これで良しと思うまでに、もの凄く時間が掛かるんですね。昔は、「あ、良い恰好できた。これでもう仕上げや」というふうな感じなんですね。ところが今なんかやと、自分がこういうのを作りたいと思う作品に関しては、やっぱり小さいものでも一年二年かけるんですね。それで自分で、ここまでいったから、今の技術で精一杯やな、という話で―それでも何やっても低いでしょうけども―師匠が言われたみたいに、「そんないい加減なことで、お前、彫ったらあかん」と言われたんが、つい最近わかりましたからね。せっかくいい仏さんがおられるのに、そんないい加減に無茶苦茶にしてしもうたらダメだ。「これは儂の練習材料」とおっしゃいましたね、八十三歳でいて。だから「あ、そうなんか」と。その時は、あんないい木があるのに、自分が彫りたくて、彫りたくて、腹の中で怒っていましたからね。ムツッとしていました。でも今となってみて、自分も二十代の時に求めた木、三十歳求めた時の木で、素晴らしいものがあった時に、やっぱり鑿入れられないですね。その木が残ってきて、今やっと彫った時に、息子からこんなこと言われましたね、「お父さん、若いうちに彫らんでよかったな」って。息子は、ずっと子ども時分から私の作品を見ていますから、今作って始めていいものになったな、ということを感じてくれるみたいですね。それと同じことが、子どもに教えたわけじゃないんだけど、子どもにも伝わっていっていますし、自分もまた師匠から、ぼろくそに言って、取り上げられたものが、なんで取り上げられたんか、というのが、五十近くなってわからないわけですよね。だから仕上げがダァッといくんじゃなしに、ほんとに自分が納得いくまでやって仕上げをするというんですかね。
 
有本:  そうしますと、触る。松本さんご自身、何かこう「仏よ来い」とか、「神よ来い」とか、心で何かおっしゃっていることあるんですか。
 
松本:  基本的に、よく「仏師はどんな気持ちで仏さんを彫るのかな」という話をよく訊かれるんですよ。実はよく格好良く「無心」とか、何とか話をすることもあるんですよ。でもその無心になる前に、やっぱりいろんなことを勉強してからこそ無心になれるんですよ。だからほんとの無心じゃなくて、ほんまはいっぱい心が動いているわけですね。全体の作品の心を動かしておいて、彫っているとこ、一心に見ていると、そういう雑念が全部消えて彫れるわけですね。今までここ上手くいった、こうしようか、ああしようか、ということも、記憶の中にあるんですけども、思い出してやっているわけじゃないんですね。ほんとに釣り師の人が竿立てて、いるかいいへんかわからん魚をジッと待ったるような、あんな感じなんですね。でも実際は、浮き下何寸にしてとか、餌はこれにしてとか、流れはこうのこうのとか言わはるでしょう。そんなんだったら無心じゃないわけですよね。まき餌(え)を撒いておびき寄せたりとか、無心じゃないわけですね。絶対釣ったろうという気があるわけですね。でも竿立てたらすべて忘れられる、というみたいなもんで、いろんなことを思っていても、それを彫ってる最中は何を思っていいへん。だから時間あまり制約されないですね。だから僕は時計を持たないんですよ。
 
有本:  おっしゃるように、ほんとに口で「無心」というふうなことを言うのは簡単ですけれどもね。
松本:  そうです。だから無心になるのが難しいんですよ。そのために、いろんな勉強しておかんことには、不安やとか、知らないことがたくさんあると、無心になれないわけですね。これでいいのかと思ったりしますからね。だから無心になるためには、いっぱい勉強せんと無心にはなれないわけですね。
 
有本:  雑念を逆にいっぱい、
 
松本:  そうです。だからそれが一番仏師の世の中で難しいことでしょうね。ほんとの意味で、いろんなものがあって、それで何もわからずにスッと入っていけるというのが一番いい形だと思いますけどね。
 

 
有本:  まあ人間にも表情がありますように、ほんとに仏像の前で話を伺う幸せに浸っていますけれども、こう右の方から拝む、あるいは左の方からこうお顔を拝見する。微妙にこう表情といいますかね、違いますね。だから例えば先ほどの、怒っている時の気持ちだとか、ニコニコした気持ちでこう拝むと、また表情が変わってまいりますね。
 
松本:  仏師のテクニックの上では、自分の気持ちが反映するような仏像を作らなければダメなんですよね。いわゆるマネキン人形のような仏像では具合悪いわけですね。自分の喜怒哀楽が相手に伝わるような、そういう仏像でなかったら拝めませんよね。だから一生懸命拝んでいる人には、なんか助けてくださるような感じもしますし、何か自分が気まずいことをしたいたら目を合わせられんようなイメージがありましてね。その時にこのお顔で―笑っているわけではなし、澄ましているわけではなし、怒っているわけでもなし―みんな要素を持ったような仏像を作るわけですよね。それでいて、やっぱり品があるお顔でなかったら拝みづらいものがありますからね。
 
有本:  我々が喜怒哀楽があるように、仏像自身にも仏様なんだけれども、喜怒哀楽がある。
 
松本:  だからそのようにいつも仏さんというのは、いつも救う意味だけで接しておられるんですけども、自分の気持ちが入れるような仏さんというのですか、「入我我入(にゅうががにゅう)」いう「仏さんと自分が拝んでいるうちに一体になる」というのが、一番いい拝み方だとおっしゃるみたいに、やっぱり信者さんと仏さんとの関係ですよね。拝んでいて心が和むとか、落ち込んでいる時に助けて頂くとか、自分が何か悪いことした時には、観音やのに叱ってくれるとか、やっぱりそういうふうなイメージに取れるように作っておかなダメなんですよね。一パターンで見えるお顔では、やっぱり話にならんわけですね。そこのところに難しさがあるわけですね。
 
有本:  仏像として完成品ではあるけれども、彫るお気持ちとしては中間を彫るというんですか?
 
松本:  そうです。だからこのお顔一点ではなくて、やっぱりいろんなお顔がその中に要素があるように作っているわけですね、仏師は。だからこういう仏様も、こうして置いていますけども、実際はこれで自分の作品が完成したわけではないですね。後はさっき話したみたいに、百年、二百年という歳月、いろんな方が拝んでいかれて―やっぱりそれは骨董品なんかそうでしょう―使い込まれた方が何かと価値があるような感じがしますでしょう。ああいうみたいなもんで、拝み込まれた仏像と新(さら)の仏さんとではやっぱり仏の意味合いというのは随分違いますね。だから拝み込まれるような仏像を作りたいというのが願いとしてね。
 
有本:  今もお話を伺ってきたんですが、改めてこの仏師から見る「仏心」と言いましょうか、「仏の心」というのは?
 
松本:  それね、少し前にも触れたと思うんですけども、十五年ほど前ですけどね、やっぱり技術ばっかし逐うている時に、やっぱりこれでいいのかという壁に当たりましてね。その時に、「仏教とは何か」と、ほんとに一番先の入り口ぐらいのとこに疑問を感じるんですね。その時に偶然ですけども、ある僧侶にお会いしたんですね。その時に、その人の世話をしながら旅について行ったんですね。三日間ほどお供した時に、「先生、僕、仏心わからへんです」という話をずばりしたんです。「仏教とは何か」という話をね。そうしたら、笑いながら、「簡単なことや。お前、赤ちゃん抱いているお母さん見たことあるやろう」「はい。あります」。そうしたら、「あの視線が仏教とか、仏心とか、それそのものなんだ」と言いはったんですね。で、すかさず私はまた質問したわけですよ。「何ですか?」と言ったら、「あの人、ちょっと歩くようになったら、早う余所の子より立て、立ったら余所の子より早う走れ、走ったら余所の子よりいい学校へ行けというふうに思っている。競争社会で、自分の子は誰よりも早く、誰よりも強くしたいという思う気持ちが湧いてくる。押し退けてもね。だからその一番最初の生まれた初心というのが、仏教に必要なもんで、後のが追々ついてきて、しょうもない仏教になっていくんや」と、こんな感じでお話されたんですよ。〈あ、そういうもんかな〉というのがわかって、はぁ〜という感じですけど、その時はそういう感じだった。そうしますと、また仏さんを彫っていると、またそれにボンボン当たっていくだけでね、〈あ、これやりたいな、これやりたいな〉ということがね。だからほんとに仏教の原点というのは、やっぱり「慈悲(じひ)」ですね。つまり自分の子どもも人の子どもも同じように生まれたらいいんや、と思っていた気持ちがだんだん変化していくわけですね。そういう変化がない原点に還れ、ということですね。
 
有本:  今おっしゃる赤ちゃんを見るお母さんの目、まさにそうですね。しかし子どもが少し大きくなると、おっしゃるように、「余所の子よりも」というふうな欲が母親に出てまいりまして、それはもう仏心ではない、と。
 
松本:  そうです。だからよく拝む時も、そういう例ですね。「何とかお金儲かりますように」「何とかようなりますように」というのは、実際はほんとは仏心ではないですよね。ただ仏の慈悲が大きいから、それを縋(すが)って許されるんですよね。
 
有本:  だから松本さんも、いろんな雑念があったり、いろんなことが頭の中にあるけど、彫ることによって、仏様に触らして頂くことによって、だんだんそういう雑念が消えていくという。
 
松本:  そうですね。
 
有本:  それが仏の心という。
 
松本:  だから仏師は何している時が一番仏師らしいかと言ったら、やはり彫っている時でしょうね。その彫っている時に、やっぱり仏さんを彫るのは、自分がプロの仏師なんだということを自覚して彫るというんですかね。
 
有本:  そういう気持ちでお作りになった仏像に手を合わして、私たちは仏の心に。そうしますと、「私たちと仏像の間の橋渡し」と言いましょうかね。
 
松本:  はい。お経の中でも書かれている言葉があるんですよ。よく「仏さんにお手を触れないで」と書いてあるでしょう。僕らの作品も触れられると困るから、「手を触れないで」と書いてありますけども、実際は触りたいと思うぐらいの仏さんを作らんとダメなんですね。人間は欲の中に、「触るのが欲だ」ということを書いていますからね。だからほんとにこの軟らかい肌に自分も手を触れてみたいし、そういう仏さんを、手に触って、掴まって助けて貰いたいと思う、その触りたいという気持ちが起こるような仏像ですね。ほんとはもともとはそういうものなんです。でも作品が壊れたり汚れたりしますので、だから「撫(な)で仏」があるのは、そういうことですね。そこを撫でれば治るんやとか、頭を撫でれば賢(かし)こうなるんやとかというのは、もともと触れたいということからきているんですよね。日本人だから感じる感性かもわかりませんね。日本人って、生まれて手を合わせたことのないという人いないですね。キリスト教やっていようが、何やっていようが、先ずお葬式へ行けば、必ず手を合わせて合掌しますからね。そういうふうな習慣が子どもの時分からありますから。どっかそこかに仏心というのがあるわけですね。その仏心は、決して僕は、宗教の仏心やとは思わなくて、さっきお話したみたいに、人間の一番根底にある赤ちゃんを見ている目なんですよね。自分のほんとにジッと見れる目、視線なんですね。それが仏心としているだけで、それが仏教であり、キリスト教であり、何の宗派であってもいいと思うんですよ。だから一番根源が、「優しさ」とか、「慈しみ」という、その一番下の心が、私は仏師だから「仏心」と呼んでいるだけで、大きく話したらそういうことですね。
 
有本:  「じゃ仏とは?」と、松本さんにこう問い掛けますと、なんとお答えになりますか?
 
松本:  とっても難しいですよね。仏さんを彫る行為は、ほんとに自分の人生やってきた中でもう半分以上ですからね。だから仏を彫る行為というのは、自分の勿論すべてですよね。だから僕がなんか凄い仏教家というたら、そうではないんですよね。さっき話したみたいに、仏さんというのは、ほんとに一番裸になって、その原点というのは、そういうもんで、で、お彫りする仏像は、なるだけ僕の気持ちの入っていないものを実は作りたいと思っているわけですよね。拝む人の気持ちが伝わっていくのを作りたいと思って、自分はあくまでも脇役におりたいというんですかね、その手助けをするというのかな、そういうのが大体仏師の仕事だと思っているんですね。だから自分が作ったものは、勿論誇りなんですけども、それはなんか作らされたもので、公のものみたいなもんで、自分のある意味の気持ちは勿論込めて作っておりますけども、それ以上の自分の嫌なとことか、いろんな人間臭さなんかは、出来る限り入れたくないというのかね、そういうふうには心掛けては作っていますけどね。それがまあ自分の仏師としての心構えというんですかね。
 
有本:  仏様に表情があるように、私たちは思いますけども、仏様の表情というのは、我々の拝む側にあって、
 
松本:  そうですね。動くわけないんですよね。だから人間の持つ喜怒哀楽ということですね。老いとか死とかね、そういうものに対しての恐怖もありまして、だから仏にも救いが欲しいと思うわけですよね。そこのところで仏さんというのに、「普遍の慈悲」というものを求めるわけですよ。だから生まれてきた自分の子どもが優しい目で母親を見ているという、その目なんですよ、仏さんの目というのは。見守ってくださるというんですかね、それによって、われわれ心を病んでいる人間が、一人でも救われるというのかね。逆に言うたら、仏師という仕事は、お手伝いの仕事をしている、というような解釈されてもこっけうだと思うんですけどね。そのためには、どんな勉強せんならんかというのが、仏師の日々の生活なんですよね。一長一短にそういう作品は、口で言うのは簡単ですけども、なかなか生まれてこないですからね。
 
有本:  我々の日々の生活の中には、喜怒哀楽がある。あるいは今おっしゃった「老・病・死」と言えば、不安であるとか、恐いとか、それを常に流れている気持ちという、
 
松本:  それがやっぱり拝むことによって、平安になると言うんですかね。だからほんとの意味で信心されている方は、彫っている我々よりも、安堵があるという世界ですね。実は余談にもなるんですけど、面白い話があるんですよ。ある席で、あるお寺さんが、「私は、四国のお遍路さんをずっと廻った。二回も行っている。それなのに仏さんは一言も儂に喋ってくれへん」といわはったんですよ。僕が、「先生、仏さん、何で喋るんや」ということで、大勢の前で言ったわけですよ。僕が、そのお寺さんに、「お寺さんは大変正直な方ですね。大抵のお寺さんは、仏さん喋らんのに、仏さんは、こんな言うてはったぞ≠ニ言って、信者さんに話しされるんですよ」という話をした後ね、「でも、お婆ちゃんは、毎日仏さんに手を合わしている人は、ほんとに仏さんや先祖さんへの感謝、いろんな気持ち込めて拝んでおられますよ。一生懸命喋っていらっしゃる。お寺さんは門の外から袈裟脱いで拝めば、そうしたらちょっと来い≠ニ呼ばはるかもわかりませんよ」という話をしたことがあるんですよ。だからその人の姿勢が仏を呼ぶんですね。だから喜怒哀楽の激しさも、自分の苦しみも、自分がより近づくか近づかへんかで、救われるか救われへんか決まるんですね。「そんなら自分次第じゃないか」と言えば、それまでなんですけども、それに行きやすいお手伝いなんですよね。ああいう仏教的な荘厳とか、すべてでもそうなんですよね。ただほんとに年寄りに拝み方聞いたらわかりますけど、先ずどんな環境に生まれても、ご先祖さんに先ず感謝されていますね。「ご先祖さん一等さん」から始まりましてね。だから今の若い人たちに言いたいことは、それが少ないですよね。だからいわば自分勝手なことがし易いですね。「自分と先祖と一体なんや」と思えば、し難いですよね。独身じゃないんですから。そういうことですよね。
 
有本:  そういう揺れる心を仏心は、不動の心。その橋渡しをするお手伝いなんだという。
 
松本:  その一部が出来ればね。
 
有本:  ということで、三十数年たくさん仏像を彫って来られたと思うんですけど、代表作というと、言葉が違うのかもわかりませんが、この仏についてこんなエピソードがあるんだよ、という、ご紹介頂けませんか。
 
松本:  僕は、いつも仏さん彫る時に、精神の中には、「ネクストワン(next one)」ということが好きなんです。好きだけでなくて、それを実行したいと思っているんですよ。だから五十いっても、〈違う形があるんじゃないか。こんな勉強できるんじゃないか〉と考えるんですけどね。でも今済んでみてね、十年前、二十年前の作品を見てみて、さっきお話したみたいに、その時しかできなかったその時の情念みたいなものがありましてね。その中にも僕が生まれて一番初めに丈六仏を作ったお不動さんなんですよ。福王寺(ふくおうじ)というお寺に納めた不動明王があるんですけどね。
 
有本:  それはどこにあるんですか?
 
松本:  広島の可部(かべ)(広島県可部町)というところにあるんですけどね。高野山の別格本山にもなっているんです。中国地方の、昔のお寺さんが、高野山に行けへん人がそこで修行したというお寺なんですけどね。そこのところに不動明王をお納めしたんです。それが僕の一番最初の丈六仏だったんです。だから特別の思い入れというのがありましてね。その大きなものを作る時の不安もありますし、これを作って何年保(も)つのかという不安がありますから―それだけ大きなもの組んだことがありませんからね。そうすると、また自ずとそのことについて日夜考えましてね、どういう具合に木組みしたら保つんかとか、昔の人はどういう具合に木を寄せたんかとかね。寄せ方が悪ければ壊れるわけですから、何で壊れたんかわかれば、その方法でない方法を採ったりしますからね。そういうことで向こうのお山の木で彫らして貰ったわけですね。今、年に一遍は見に行くんですけどね。でもほんとに鎮(ちん)と座っておられるし、やっぱり後も遡って見んと、自分の作った木がどういうふうに動いているかわかりませんからね。自分の生きている限りは、その木の動き方というんですかね―木は暴れるわけですよ。
 
有本:  暴れる?
 
松本:  だから湿度の高い日と低い日では、大きなものですとかなり動いているわけですよね、息していますから。そういう思い出が一番強かったですね。だから上手くできるという前に、先ず大きなものの場合は、形になる前のことが非常に大きなポイントになるんですね。
 
有本:  そういった仏像を、一年に一回、お作りになった場所に見に行かれる。手を合わしている方々の姿をご覧になって、どんなお気持ちがするもんですか?
 
松本:  さっきお話したと思うんですけども、自分が作ったものを、ほんとに昔からあった仏さんよ、という気持で拝まれるようになりましたね。ただこれ自分が作ったというと横柄になってしまいますからね。そうじゃなくて、そのお手伝いをしたに過ぎんのですから、自分も拝む中の一員に入ってもおかしくないというんですかね、自分も拝まして頂く、寄せて貰うというんですかね、そういう感じですね。
 
有本:  その他にどんな仏様がお出でになりますか?
 
松本:  福王寺の不動明王さんをやってから、また大仏になるんですけどね。それを踏まえてもっと大きなものを作ってみたいと思いましてね、同じ広島の廿日市(はつかいち)にある極楽寺(ごくらくじ)というお寺の阿弥陀さんを彫ったんですよ。その阿弥陀さんもまた別の意味で、僕の師匠に当たる―彫刻の方ではないんですけどね―儀軌(ぎき)(造仏のための指導書)や仏教の経典についての師匠に当たる佐和隆研先生の出られたお寺なんですよね。そのお寺が非常にさび付いているわけですよ。電気も通っていませんし―その当時ですけど―道もありませんし、なんとかここにお詣りに来て頂くのにはどういう具合にしたらいいかと思ったら、仏さんを迎えるのが一番いいじゃないかと。もう仏師はそれだけしかありませんから。それならより大きなもので納めたいというので、若いお寺さんと相談して、「十年間、とにかくお金を貯めて社(やしろ)を造ってください、と。そうしたら中身は、僕がなんとかしますから」ということで。だから中身の彫り賃は無償で―先生への恩返しもありましたので―それで作ったんですよ。そして完成した日に、お寺さんの言われた言葉は、「三日間のお詣りで、ここ十年のお詣りの人より多かった」と。それだけ人を集める力があったんですよ。そういうので、現在は、そのお寺の住職も二代目ですけども、住まわれていますし、だからお寺が一つ滅びるのが助かったという。無住で荒れ放題のお寺が、たくさんの人がお詣りになるようになった。それが名物になり、信仰を集めたり、いろんな形で行事が行われている。それも仏さんの持つ力というんですかね、何かに縋りたい、何か普遍のものを信じたいと思うものにお役に立てたというんですかね。そういうそのお寺に対してはエピソードがありますね。だからあのお寺に納めた時に、落慶法要の時には、亡くなったご住職がほんとに涙を流されましたけども、僕は納める時にほんとに涙流しましたね。何で自分みたいな力のないのが、これだけの仏像を作れて、そして何十人いる弟子が、それを担いで山まで上げてくれて、とっても人の力を借りなくてはほんと入れられませんからね、大きなもんですから。お顔だけでも二メートルもあるでしょう。それをみな担いで上げてくれて、ああ、仏様の力というのは凄いな、と感じましたね。だから落慶法要の時は、逆に僕にとっては終わって、オーバーに言えば、他人さんの持ち物ですから、私たちは一切触れませんしね。だから逆に一信者と言うんですかね、拝む方の立場でおりましたけどね。だから感激した場所がちょっと違いますね。僕は納めて立ち上がっていく時に、物作りですから、凄い寒気するほど感激しましたね。
 
有本:  松本さんご自身も、毎年のように外国にいらっしゃる。ほんとに国際化したなというようなことを実感なさることございませんか。
 
松本:  つい最近はローマ法王に、仏さんを献上さして頂いたり、それなんかはこちらにとっては仏像なんですけども、向こうとっては「マリア観音さん」と呼ばれるんですよね。隠れキリシタン(吉利支丹・切支丹)なんか拝んでいたようなもんとか、それとかはまた違う問題なんですけども、仏像だけではないんですよ。仏心について、僕が質問したという高橋成通(高野山の元検校法印。米国で対戦を迎え抑留されていた:昭和五九年没)先生の言なんですけどね、あの方は太平洋戦争中に、十四歳だったとおっしゃっていましたね。それで結局アメリカ軍によって収容所に入れられたわけですね。で、先生が感じられたことは、「我々敵の捕虜なのに温かいお三度食べさせて頂いたという感謝があった」とおっしゃっていましたね。それで二十年終戦を迎えて、一番先に何をしたかったかと言ったら、普通のお寺さんでしたら、拝むお堂を作りたいということでしたんですけども、先生の場合は、ジャズを聞ける音楽堂を拵えた。そこのところで布教活動をしたと。先ずみんなに音楽の面白さを教えて、それから仏教の話を切り出したと。先ず感謝で、自分が地元に何ができるんかと言えば、そういうみなさんが寄って楽しめる場所を作ってあげるのも仏教の仕事なんや、と。高橋さんは北米布教師でかなり上の方でしたけどね。そういう考え方をもっておられる先生もおられましたね。
 
有本:  その高橋さんという方は、戦争中、アメリカ軍の捕虜になったわけですね。
 
松本:  そうです。アメリカ軍で暮らしておられたんですから、アメリカで勿論当然捕虜になりますね。それで捕虜なのに自分らが生活さして頂いたと。何かアメリカに恩返しせないかんというので、お寺を建てずに、音楽堂を建てた。ニューヨークのど真ん中で。その当時で八十席座れる音楽堂をこさえたと、自慢そうに話しておられましたね。それがやっぱり一番最初にお話したような、母親が子どもを見るように、この子はこれからどうなっていくんかなというので、手許に寄せて慈しむというんですかね、そういうことを実践されて、まず教義はこうだとか、拝むのはこうだというのは、二の次だったですね。
 
有本:  確かに革袋を作って、その中に何を入れるかというようなことが問われますよね。ほんとに日本人ですと、建物を建てて、立派なお堂を造って、立派な仏像ということになりますけども、みんなが集まって楽しむところというので建てられたという。
 
松本:  それでこの高橋さんの説明が面白くて、ユニークなんですよ。大日如来というのは、勿論真言宗では中心になる仏像なんですけども、その仏像のことを、その先生は、「これは大宇宙如来さんだ」というふうに、いろんな人に説いて廻ったらしいですね。それは何かというたら、キリスト教も何もない。「大宇宙におられる如来さんなんだから、何宗もないんだと。音楽堂へ来たい人は来て楽しみなさいと。これが仏の功徳や」ということをおっしゃったんですね。それでニューヨークの山の方に行くと、こんな木が生えているというんですね。「その天辺のところに立木仏で大宇宙如来を作ってくれ」とおっしゃったんですよ。僕も一気盛んやから、「先生、行って彫りますよ」という話をしていたんですけども、亡くなってしまわれて、その話は立ち消えになっているんですけども。そういう宗教を超えた何かがありましてね。ただ仏師というのは、決して仏像だけではなくて、そういう意味合いもありまして、ほんとは心の宿るものなら何でもいいわけですね。ただ自分の勉強しているのがたまたま仏像やから。勿論マリアさんも作りますし。その先生から教えてもらったのが、「阿字観(真宗で用いる瞑想法)」の「阿字」という言葉で、「阿字」という解釈がそういうお経の書いたもんや、と聞きましたけどね。この解釈が間違っているかもわかりませんけどね、高橋先生の抑留生活の中から生まれた言葉だと思うんですけどね。
 
有本:  お話を伺っておりますと、仏像を作る道に入ったのは、亡くなった弟さんの、というようなことですが、夢中に下駄だとか電信柱だとか、ありとあらゆるものに彫ったという、そういう意気込みが何十年も続いている、素晴らしいことですね。
 
松本:  これね、もの凄く―これは理解して貰える言葉なんですよ。ただ仏像は、すべて彫れるわけないから努力したいんですよ。これが簡単に、「大日如来はこれ」「お釈迦さんはこれ」というふうにしてできるもんなら、修行して、そうしたらもう簡単な世界ですね。自分がここまでやったって、これだけもいかん世界なんですね。やっておいてあげると、後輩が、またその上に何か積み重ねられる世界なんですよね。だから仏師として生まれたからには、やっぱりやり続けなくちゃダメなんですね。だからそこに素材があれば、許す限り仏像を刻んでしまうわけですね。一つの性(さが)みたいなもんですよ。彫り尽くせへんというのもなかなか厳しいもんなんですよ。そういう「慈悲の顔ってどんなんや?」と言われたって、言葉で勿論表現できませんし、「仏心とは何か」と言ったって、抽象的ですしね。だからこれやという集約する言葉も実際はないんですね。ただ分かり易く、さっきお話したように、「母親が子どもを見つめている目なんだよ」という話ぐらいしかないわけですよ。他の話しすると、逆の角度からも言われ、傷付けられることによって、仏心がなくなりますから、ごく基本的に一番下の「慈しみ」というもんぐらいしか入れないんですよ。それはどこの宗教にも「慈しみ」という言葉は実際あるんですね。それは人間として当然に起こってくる心の一番原点なんですね。動物だって、自分の子どもを護るために食べに来たら闘い挑みますよね。それぐらい命懸けて護りましてね。そういうことは逆に相手に攻撃しているわけですから、ほんとは相手を慈しまんわけです。それ以前の問題なんですね。その子どもに世話している時に、母親の顔自身が、ほんとの仏心やと思いますね。
 
有本:  最初に一休禅師と船頭さんのお話で、「仏というのは求めなきゃ来ないんだよ」というようなことですから、自分の心の中に仏があるのか分かりませんが、なかなかそれに気が付かないのが、我々衆生と言いましょうか、もう一度松本明慶さんのお言葉で、「仏は自分の中にあるんだよ」ということを、強調して頂きたいんですが。
 
松本:  ほんとにその通りなんですよ。だからその中の言葉の中にもあったみたいに、「鬼の心」と「仏の心」を常に自分に持ち合わせているから、師匠の写しになるんですけども、「自分の心の中に仏さんたくさん持ちなさい」と。そうすると、悪行は結局小さくなるじゃないか、というような話をされましたね。だからほんとに「自分の心の中に仏を持ちなさい」ということですね。仏心というのは、何かと言えば、やっぱり個々個人の問題なんですよね。だから仏師はそれのお手伝いをし易いようにするというのが仕事なんですよね。
 
有本:  仏は見えない、ということではなくて、「仏よ来い」と、ほんとに船頭さんに習って、私たちの心の中で、大きな声で叫ばなければいけないのかもわかりませんね。
 
松本:  そうですね。だから「求めれば必ず来るもんだ」ということですね。
 
有本:  ほんとに五十という節目でございますけど、どうぞこれからもお元気で、私たちを救ってくれるような素晴らしい仏様を彫って頂きたいと思います。今日はほんとにお忙しいところ有難うございました。
 
     これは、平成七年六月十一日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである