“源氏物語”と歩む
 
                   東京大学名誉教授 秋 山(あきやま)  虔(けん)
一九四一年、東京生まれ。東京府立第六中学校(現都立新宿高等学校)卒業。東京帝国大学国文科卒業。一九五三年、国士舘短期大学助教授、五四年東洋大学助教授、五七年東京大学文学部助教授、六九年教授。一九八四年定年退官、名誉教授、東京女子大学教授、九三年駒沢女子大学教授、九九年退職。『源氏物語』の研究で知られる。著書に『源氏物語・更級日記』『源氏物語』『王朝女流文学の世界』『源氏物語の女性たち』『源氏物語の論』『平安文学の論』ほか。共編著、校訂など多数。
                   き き て    伊 東  敏 恵
 
ナレーター:  『源氏物語』の研究者秋山虔さん、九十歳。秋山さんは、大学教授を退官した後も、一般の人向けに『源氏物語』の原文を読み解く講座を続けてきました。『源氏物語』の研究を始めておよそ七十年、長大な物語に書かれた一語一語の意味を探り、言葉の奥にある人物の心情に迫っていく講座は、常に高い人気を集めています。
 

 
秋山:  次の奥さんを受け入れるというようなこと、「つれづれとながめたもふ」と。この「つれづれ」という言葉は、よく出てくる言葉でありますけれども、これはどういう語感なのかというと、これは「退屈している」とかというような、そういう言葉に言い換えたら大分ずれてしまいます。何かしなくちゃならない。けれども、それができない。そういういらいらとした気持を内にひそめて、表面はのんびりと何もしないようだけれども、心の世界の中は非常に活発に動いている筈です、「つれづれ」というのは。「つれづれ」だから何もしないんじゃなくて、「つれづれ」であるからこそ自分の思いを書き付けていきたいという。ですから「つれづれ」というのは、決して退屈している、そういう状態ではないと考えて頂きたいと思いますね。
 

 
ナレーター:  秋山さんが手掛けた『源氏物語』の全訳と注釈は、江戸時代の国文学研究の流れをくんだ決定版とされています。さらに一般向けにも数々の本を執筆してきました。『源氏物語』は、帝(みかど)(桐壺帝)の皇子として生まれた光源氏の波乱に充ちた一生の物語です。千年前の平安時代から多くの人々の心を捉え続けています。女性たちとの恋愛歴や権謀術数(けんぼうじゅっすう)渦巻く平安朝の政治の世界。さまざまな階級の人々の生活など、あらゆる人生が交錯する五十四帖(じょう)の壮大な人間ドラマです。もともと短歌などを詠む文学青年だった秋山さんは、大学で国文学を専攻、大学三年の時に敗戦を経験します。これからどう生きるのか。悩みを抱える中で出会った研究対象が、『源氏物語』でした。
 

 
伊東:  秋山さんは、大正十三年のお生まれで、岡山や京都、東京各地で過ごされていると聞きましたけれども、まさに戦争のただ中で学生として学ばれていたと伺いましたが、当時の状況を覚えていらっしゃいますか。
 
秋山:  私は、当時の東京府立第六中学校(現都立新宿高等学校)でしたけども、私が学んだ学校というのは、かなり軍国主義なんですよ。私の性に合わないのね。だから時世に背を向けていたわけですけども、結局一種の脱落者でしょうね、中学生としては。そんなもんですから何とかして自分の自由に勉強できる学校に入りたいというんで、窃かに受験勉強して、そして京都の第三高等学校―三高というんですけども、そこを受験して、まあ合格したんです。それで東京を離れ、親元を離れて、京都に下宿をした。下宿は当時親から月四十五円送ってもらって、それで十分に喫茶店に行ったり、それから本も買えたし、自由にできたわけですよ。ところがだんだん窮迫してきましてね、そういう自由がなくなったと思うんです。つまり学校の方も、第三高等学校というのは、学生の寮が、「自由寮」という名称が付いているほど、自由に勉強できたような、そういう寮があった。ところがだんだん勤労動員だとか、軍事教練だとかというのが強化されて、何か私の居場所がなくなった、という感じがしました。私は、ひたすら背を向けて、もっぱら学校へ行かないで、むしろそこで本を読んだり、散歩したり、それから歌を創ったりしていた。そういうようなことで、現実から逃げていたと言ってもいいと思うんですね。それが私の後悔の種なんです。つまり時代がだんだん戦争に向けて地滑りしていく時代なんですよ。そういう時代に対して、「こうしたい」というふうに立ち向かうということをしないで、むしろ背を向けて逃げていました。そういう自分自身に対する批判というか、そういう気持があったと思うんですよ。それは戦争が起こって、そして惨憺たる敗戦についになってしまった。戦後は、東京は全部焼け野原ですし、そういうところでなんとか生活しなくちゃならないわけです。これからどうしたらいいかというようなことを、随分当時いろんな人が論説を発表していました。その時に一番印象に残ったのは、「日本人の国民性としての植物性」ということを言っているんですよ。つまり「日本人は、自然現象というものに対して主体的に立ち向かって、それを克服して、そして人間としての文化を主体的に建設していくんじゃなくて、むしろ自然の運行というんでしょうか、動きというものに埋没して、流されて、そして生きていた。これからそういうものを訂正して克服しなくちゃならないメンタリティーだという」そういう論説がありました。今後日本人は生まれ変わらなくちゃならないということが盛んに言われていたわけですね。その時に科学精神を培うようにとか、そういうことがありました。勿論民主政治というものが必要だということが言われていましたけども、そういう論説を読んで、結局私が痛切に感じたのは、私自身もこれは自分が生きている現実というものに対して目を向けることなしにただ逃げていたということの情けなさ弱さというものを、これはやっぱり克服して、そして新しく生まれ変わらなくちゃならないという気持になりました。
 

 
ナレーター:  当時秋山さんが、改めて読み返した本があります。明治四十年に出版された『国民性十論』日本文化の伝統を論じたもので、戦時中盛んに読まれました。この中で日本の美意識について、「草木を愛し自然を喜ぶ」という特徴が指摘されています。こうした特徴を表す文化作品の例として挙げられていたのが、『源氏物語』でした。そこで秋山さんも、国文学を志す学生として、『源氏物語』を批判的に研究しようと決意したのです。
 

 
秋山:  『源氏物語』と対決しようという気がしたんですね。つまり『源氏物語』を徹底的に検討して、そして現実と決別すると。そのことによって自分は、これまでの自分から別の人間に生まれ変われるんだったら、そういうシンプルな考えですけども、『源氏』とに挑戦しようという気になったんです。そういうことで『源氏』を卒業材料にしたんです。ところが卒業論文を書くことによって、『源氏』と私との関係が一変しました。
 
伊東:  変わったんですね。
 
秋山:  『源氏』を否定するという姿勢で取り組んでいったつもりなのですが、実際のところは、『源氏』に組み敷かれてしまいました。『源氏』というのは、植物性だとか、なんとかというのは、そんなレッテルを貼れられるようなものでないんであって、「凄まじい人間ドラマだ」ということを実感することができたわけですね。そういうことでもって『源氏』との関係というのが出発したわけでありますけども、そうなりますと『源氏』から離れられないということがありまして、『源氏』についてものを書くようになったんですけども。
 
伊東:  その時何が一番秋山さんの心をグッと掴んだんでしょうか。『源氏物語』の何にとらわれてしまったのか?
 
秋山:  やっぱり人間の生き方というものを、とことんまで追究したということじゃないでしょうか。そういう『源氏』に感動させられたということは確かですよ。
 
 
伊東:  光源氏という男性―主人公の魅力、どこに惹かれたんですか?
 
秋山:  現実には、そんな存在はあり得ないわけですよね。だけど光源氏の心内(しんない)というものを探れば、私は、もうほんとに共感したくなります。しかもこれはどっかで書いたことがあるんですが、阿部秋生(あべあきお)(国文学者。源氏物語研究者。1910-1999)先生と一緒に、この日本古典文学全集の仕事をしたわけですけど、光源氏というのは、社会的な地位、権力、富という全部最高のものを手に入れた、愛情の生活もね。そういう源氏が、「生きてきたということの喜びを表しているような笑顔を見せたことがないね」と、こういうんですよ。
 
伊東:  笑顔を見せたことがない?
 
秋山:  光源氏が。「この世に生きることの喜びというものを見せた、そういう光源氏の笑顔というものは、見ることはできないね」と、こういうんですよ。光源氏は、これは最初の出発点において、母恋というんでしょうか、母親が生き写しだという藤壺(ふじつぼ)(光源氏の父・桐壺帝の后)を慕う。藤壺を母親代わりに慕う。藤壺の方も、素敵な皇子だというんで可愛がる。愛(いとお)しくなって、結局二人とも愛情関係ということで結ばれることになるわけでありますけどね。ところが藤壺は、桐壺帝にとって最愛のお妃だったわけですよ。その人と皇子である光源氏が関係を結ぶ。これはどうしたって許される筈のものではないわけです。もしそれが発覚すれば身の破滅ですよ。ところが、しかも二人の間に子どもができて、終いには帝になるわけでございましょう。ですから罪の子が帝になるということです。現実にはあり得ない歴史を、物語の世界の中で創りあげていったということ。その凄まじい魅力と言いましょうか、そういうものが光源氏の魅力だと、私は思っているんです。そういうふうな行為の選択をした気持というものも一緒に表現しているというのが、紫式部の『源氏』なんですよ。源氏の具体的ないろんな行為があります。それが語られている時に、読者はそこに自分を見ると。というのは、ある場面場面のそういういろんなケースですね、そういうものにおいては、読者は文句なしに同化する、共感させられてしまう。全体的にみると、こんな人間は現実にはあり得ない。だけど光源氏の行為を見ると、そこに自分を見出すと、人生というものは変わっていくんですね。我々の人生もそうなんですよ。昔の親友というものと、やっぱり歳を取ってお互いに闘い合わなくちゃダメだという日が来るわけです。そうすると相手を倒さなければ、自分が生きられないという時が来ると思うんですね。光源氏はそれそれなんです。頭中将(とうのちゅうじょう)と親友なんですけども、頭中将を倒さなければ自分が生きられないというところで生きているということね。そういうことで源氏は、単なる色好みとして女性関係ばっかり追い掛けていたんじゃなくて、いろんな世俗的な関係でもって知恵を絞って、いろんな人間関係を作り上げていって、自分の体勢を建設していくんだと。そういう主人公というものは、これまではなかったと思うんです。それを紫式部は創り上げていったということは、これは大変なことだと思いますね。そのモデルが何だかんだと言われていますけども、藤原道長(ふじわらのみちなが)(娘の彰子を一条天皇の中宮とし、天皇の外戚として絶大な権力をふるった)なんかも当然モデルになっていいと思うんでありますけども、『源氏物語』は単なる男女関係の物語じゃなくて、現実を生きにいって、自分の現実を作り上げていく、そういう逞しい主人公というものを創られている。しかも富―経済力です。それから社会的な名誉、地位ですね。それから女性関係というものを、ありとあらゆる最高の境地というものにみんな到達しているわけですよ。その源氏が、これで満足したかというと、常に出家遁世(しゅっけとんせい)を願っているわけです。というのは、自分が作り上げた栄耀栄華というものの土台が何時崩壊するかということを怖れているもんですから、例えば藤壺との関係が発覚したらどうなるかというものが常に念頭にあるもんですから、常に自分の栄耀栄華というものに疑いをもっているわけですね。ですからそういうものを、自ずから本能のように追求していくと同時に、追求していく自分のそういう歩みというものを怖れているんですね。ですから源氏は、常に自己否定的なものを内に潜めているわけです。そういう主人公を創り上げていったということは、紫式部の偉大な能力だろうと考えていいわけです。
 

 
ナレーター:  千年もの間、読む人の心を掴んできた物語は、如何にして生まれたのか。ここまで長大な物語を、何故書き切ることができたのか。秋山さんの関心は、次第に『源氏物語』を書いた紫式部に向かっていきます。紫式部が、どのような自らの人生を歩み、時代や社会を見詰めていたのか。秋山さんが注目したのは、紫式部の日記でした。
 
秋山:  この本が北氏本(きたしほん)と言うんで、閨中(けいちゅう)の描き絵なんかある貴重本とされているんですけどね。私の研究の源泉と言いますかね。
 

 
ナレーター:  日記が書かれたのは、三十代半ばの一年半前後と推定されています。紫式部自身の人生観や世界観を窺い知ることのできる貴重な資料です。しかし『紫式部日記』の原本は残されておらず、鎌倉時代以降の絵巻や江戸時代の写本を手掛かりとするほかありませんでした。
 

 
秋山:  一生懸命なっていると、自ずから本が集まってくるんですよ。というのは、いろんな人がまた知らせてくれるのね。「どこどこの本屋さんに安く出ていますからどうですか?」と、そんなことで、私はすぐに手にいれるということをやっているうちに、随分関係のこういう写本類が増えてきました。というは、江戸時代の写本というのは、間違いが非常に多いんです。そういうものを直すのには、別の良い本を参考にして直していかなくちゃならないということをやっているわけです。これがそういうことを、北さんという人がやったということを、ここで書いているわけね。そのようにして、今後の校訂というものの作業が進むわけですよね。
 

 
ナレーター:  紫式部は、幼い頃に母を失います。父は、地位は低いものの勝れた漢学者で詩人でもあった藤原為時(ふじわらのためとき)(紫式部の父。平安時代中期の漢学者・詩人)でした。式部は、二十代後半で結婚しますが、娘が二歳頃夫が急死します。『源氏物語』を書き始めたのは、その頃だと言われています。紫式部は、どのようにして『源氏物語』を生み出したのか。式部についての研究を纏めた本の中で、秋山さんはこう書いています。
 
前途に希望のない孤絶の日々のなかで『源氏物語』を創作し、これを話柄として交わりを結ぶ友人を見いだすことによって生きることの悩みや恥を回避しようとしたという。式部は物語の世界をひらくことで新しい人生を歩み起こしたのであった。
 

 
伊東:  紫式部というのは、いろいろ拝見しますと、夫を亡くして、一人娘は授かりましたけども、その夫が亡くなった中で一人娘を育てていく。非常に今は考えても孤独だったんじゃないかなと思うんですけども、その心中を察すると。
 
秋山:  孤独だし、だけどそのまま自分が枯れ死んでいくということに堪えられないそういう生命力というのがやっぱりあったということでしょうね。
 
伊東:  生命力があった?
 
秋山:  ええ。それはああいう源氏の世界を、もう一つの現実を創り上げていって、その世界と一体になって自分が生きていったということ、これは大変な生命力じゃないかしら、紫式部の。
 
伊東:  その生命力というのは、どこから湧いたんでしょうね?
 
秋山:  どこからって? まあそうね、文化の力かね。為時という人がどれほど紫式部に影響力をもったかわかりませんけども、これは『紫式部日記』に出てくる有名な話ですよね。紫式部は、お父さんの学門というものを受け継ぐのに一生懸命なわけですよ。だから「この子が男であったならば、ということを嘆いた」ということを、『紫式部日記』にも書いてありますけどもね。ちょっと男勝りの学力じゃないでしょうか。ですからやたらに司馬遷(しばせん)(中国前漢時代の歴史家)の『史記』、『白氏文集(はくしもんじゅう)』(中国唐の文学者、白居易の詩文集)そういうものをどんどん引用しながら物語を創っていきますね。だから最初の「桐壺」の巻なんかだってそうですよね。『白氏文集』を土台にして書いていくというわけでありますけども、とにかく大変な勉強好きで、宮中から帰って来ると、すぐに書庫に座り込んじゃうわけね。そして本を広げちゃうわけですよ。だから女房たちが、「だから奥様は不幸なんだわ」と、そういうことを言っていた、ということを、『紫式部日記』にも書いてあるわけですけど。
 
伊東:  紫式部の中にあった不安と、まさに「不安の海」というふうに表現され、その数々の不安というのが、そうした紫式部を作り上げたということになるんでしょうかね。
 
秋山:  そう何でも見えてしまっている人なんですよね。しかもそういう時に、何を考えるかというと、自分の家系でしょうね。藤原氏の中でもいろんな系統があります。そうすると、藤原道長(ふじわらのみちなが)まで到達する家系というのがありますね。一方で紫式部の家系というのがあるわけです。だんだん下落していって、道長にとって生殺与奪(せいさつよだつ)の権を握られているような、ほんとの中流層の人間になってしまっている、それが自分たちだ。そういう人たちが、道長家の繁栄というものに対して、「大変おめでとう、お目出度い」と言って讃えているということ。そういう人たちが、紫式部の周辺にもいるわけですよ。そういう世界なんです。何ほどのない人間が、ほんとに悩みなさそうにして片隅の方にいるというようなこともちょっと書いてみたりね、なんかそういうことがあるわけですよ。
 
伊東:  紫式部自身も、早くに産んでくれたお母さんを亡くしたり、夫が結局亡くなったりと、決して幸せではない部分がありますですね。
 
秋山:  ええ。だから紫式部は、『源氏物語』の世界を創るということで生きていると考えていいんじゃないですか。
 

 
ナレーター:  『源氏物語』は、宮中で忽ち評判になります。作者紫式部の才能は、当時の権力者藤原道長(ふじわらのみちなが)の目に留まり、娘中宮(ちゅうぐう)彰子(しょうし)の教育係に抜擢されました。突然始まった華やかな暮らし。しかし嫉妬や羨望が渦巻く中で、式部は別の孤独感を深めていきます。
 

 
秋山:  「私は、人前で私の学力をひけらかしたことなんか一遍もない」ということも書いているわけでありますね。宮中の生活を聞きますと、屏風なんか置いてあります。そこに漢詩が書かれているわけです。それを読めない振りをするわけです。読めて読めて仕方がないんだけども、読めない振りをしているとかね、だから自分の才能を極力隠蔽していたわけです。そんなもんですから、中宮彰子(しょうし)から「あなたのイメージがすっかり変わったわ」と言われているわけですよ。「もっと歌だとか、物語なんかのことをいつも話すのかと思ったら、全然そういうことを言わないじゃないの。別人かと思った」ということを中宮彰子から言われた、ということを『紫式部日記』の中に書いてあるわけです。だから人の前では、ぼんやり虚(うつ)けたような姿勢をいつも保っていた、ということをいうわけですよ。決して自分の学識をひけらかすようなことは慎んでいた、というわけですけども、それだけに周りから気味悪がられたんじゃないですか。だからよく昔から清少納言(せいしょうなごん)という人は、非常に付き合いやすい女性だけど、紫式部というのはちょっと付き合い難いというようなことを言っている人が随分いましたよね。
 
伊東:  それは紫式部という女性が優秀で、しかも『源氏物語』を創り上げてどんどん著名になっていく中でますます孤独になってしまった、というのもあるんでしょうか。
 
秋山:  宮仕えなんかの生活なんかをして、そういうところで濁世間にまみれてしまって、かつての紫式部じゃなくなったんじゃないか、と人から思われているんじゃないかということを、そういうことも書いていますよね。だから非常に自意識が過剰であることは確かですね、この人は。
 

 
ナレーター:  才能のある女性として称賛される一方で、自分の存在は本当に理解され、受け入れられるわけではない。紫式部の日記には、そうした冷静な認識がしばしば登場します。このように素晴らしい方にお仕えしていると、本来の自分の現実を忘れてしまう。これは一体どうしたことでしょう。驚きを表す「かつはあやし」という言葉に紫式部の切実な思いが込められていると、秋山さんは考えました。
 

 
伊東:  『紫式部日記』の中に、紫式部を象徴する言葉と言っていいのか、「かつはあやし」という言葉があるというふうにお聞きしたんですけど、どういうことを象徴している言葉なんでしょうか。
 
秋山:  冒頭のところですね。思いやりのある素敵な中宮さまのところにお仕えしている自分というのは、なんと幸せなんだろう。そういうことはなかなかできるもんじゃないという、そういうことで土御門殿(藤原道長の邸宅)の風情(ふぜい)と中宮賛美の文言が語られているわけですよ。そのように感動する自分に対して、一方でこれはどういうことなんだ、ということをやっぱり思ってしまう。「あやし」という言葉が、これは文脈によって随分強弱があると思うんですけども、「不思議だ」とか、「どうしたんだろう」とかということなんですけども、「これは一体どういうこと!」ってなことで大変な強い意味をもっていると私は思うんです。つまり中宮に仕えていると、女房としてはなかなかそんなことはできないわけですよ。そういう雰囲気の中に自分は感動しているわけね。そういう感動している自分に対して、「かつはあやし」、一方ではそういう気持に対して、「あやし」と思っているということ、「これは一体何?どういうこと?」っていうことですよ。「あやし」というのはね。他のところにもそういう類の表現があるわけですけど。つまり自分はそんなところで感動している資格があるのかという、そこから自分のここに至るまでの歴史というものを辿って、つまり自分の藤原氏ですけども、道長なんかの家系と違ってだんだん下落していく、そういう自分の家系。そしてお父さんは、受領(ずりょう)になっていると。その受領(ずりょう)為時の娘として中宮のところで女房として仕えているという、そういうそれまでの自分の経歴を含めた家の歴史というものが念頭に浮かんでくる。そういうことだろうと、私は思っているんです。そこには内容は語られていませんけど、他のところからも、そのように私は想像するんです。つまりまともな自分の人生じゃなかったと。そういう自分がこういうところにいるということが、「どういうこと?」っていうことで、そういう自分をそのまま容認できないという、そういう気持がここに籠もっているということで、これは『紫式部日記』をずっと一貫して、紫式部のそういうふうな想念というものがずっと底流していると、私は考えているんです。他のところでも同じようなことがあるわけです。「かれも、さこそ、心をやりて遊ぶと見ゆれど、身はいとくるしかんなりと、思ひよそへらる」池の水鳥に共鳴して、のんびりと池に浮かんでいるようだけども、「身はいとくるしかんなり」と。本人は随分苦しいだろうと。水掻きで年中水面下では藻掻いているわけでしょう。
 

 
ナレーター:  恵まれた立場にありながら、女性としての生きずらさや、貴族社会への違和感を抱え続けた紫式部。内面の葛藤を物語へと昇華させたその態度は、秋山さんの戦後の生き方にも示唆を与えてくれた、と言います。
 

 
秋山:  『紫式部日記』に見る紫式部の精神と言いましょうか、紫式部の生き方と言いましょうか、とにかく紫式部の経験というものが、そういう私の姿勢を決めた、と言っていいんじゃないでしょうか。実は私は、戦後どういう生き方をしてきたかということになりますけども、大変辛かったです。民主主義の時代になっても、必ずしも自分の思うように社会はよくならないし、選挙毎に絶望させられてばっかりいましたし、どのようにして私の願うような理想的な社会が到来するのかということで、いつもやきもきしていたような時期があるわけですよ。ですから『紫式部日記』というものでもって、あの厳しさによって、私は現実にどう生きるかという姿勢を常に培っていったと言ってもいいと思うんです。そういうことで、例えばメーデーがあれば、みんなと一緒に行って行列をして歩きましたし、いろいろなそういうことはしました。そのようなことで戦後の非常に荒廃した時代をどう自分は生きていくかということと、そういう私自身が、『紫式部日記』をどう読んだかということも、ほんとに別事ではなかったと感じます。
 

 
ナレーター:  『源氏物語』に登場する女性たちは、みな高い身分の男性との関係によって人生を決められてしまいます。女性として生きることのもどかしさ、それが物語の最大のテーマだと、秋山さんは考えています。光源氏最愛の女性紫の上(むらさきのうえ)。教養も深く、見目麗しく、心優しい女性として描かれています。光源氏との出会いは、紫の上がまだ幼い頃でした。憧れの藤壺(ふじつぼ)とそっくりの容貌をもつ少女を、源氏は一目で気に入り、引き取って育てることにします。その後光源氏は、数々の女性と浮き名を流し、流転の人生を歩みますが、紫の上は、ただ一人寄り添い、愛し続けた女性でした。妻としての地位を築き、これからは穏やかな暮らしが待っていると、紫の上が安心していたその時、突然の苦しみが襲います。光源氏が、藤壺に縁(ゆかり)のある女三の宮(おんなさんのみや)(朱雀院(すざくいん)の第三皇女)との結婚を決めたのです。まだ十代の女三の宮に、紫の上はあっけなく、光源氏の正室(せいしつ)の座を奪われてしまいます。紫の上は、表向きは平静を装いながらも、人知れず苦悩を抱き続けて病に倒れます。俗世に生きる意味を失って出家を懇願しますが、光源氏の許しはついに入られず、人生の終焉(しゅうえん)を迎えるのです。
 

 
秋山:  私は、中宮・女御(にょうご)・更衣(こうい)の女性たちの心内というものを探るのがとても苦しいけれども、楽しいんですね。〈あ、ここに紫式部真髄があるんだな〉ということを感じさせられるもんですから。その紫の上は、源氏にとっては最高の女性なんですよね。その最高の女性である紫の上が、どういう心内を抱いていたか、というようなことを考えると、これは大変興味津々です。そこに紫の上の真髄を見ることができるんですね。これは紫の上が亡くなる直前あたりになると、非常にはっきり出てくるんですけども、源氏はほんとに紫の上というのは最愛の妻です。その妻が出家したいと言っているわけですよ。だけど源氏は、それが許せないわけですよ。つまり最愛の妻を手放すことができないということで、物語の中の文面を見ますと、昨日よりも今日、今日よりも明日と言うんでしょうか、日毎に紫の上の愛情というものが濃くなっていくという、そういう表現がなされているんです。しかれば紫の上はどう思っていたのかとなりますと、大変不安なんです。つまり女三の宮を迎えたというのは、自分と源氏の愛と信頼の歴史というものが、ひっくり返るような事実ですよね。女三の宮がまるで宮中に参内(さんだい)するように、お妃として宮中にするような儀式をもって六条院に輿入れして来た、とこういうわけですよ。そうすると、客観的にどう考えても、紫の上よりは格が上なんです、内親王(ないしんのう)ですから。紫の上は苦しむわけですよ。源氏はそれをどう処置したかというようなことを、そこの問題なんですけども―いろいろ経緯がありますけども―源氏は、女三の宮が、ちょっと紫の上がなんかするのとまったく内容が違うんです、人柄の。そんなものですから女三の宮に対しては絶望するわけですよ。と同時に、紫の上に対する愛情というのが弥増(いやま)すわけね。そのことを紫の上に言って、「あなたは私からこんなに愛されているということを実感して貰いたい。親が箱入り娘のようにして育てていると同じように、私はあなたのことを愛していた」と、こう言っているわけですよ。「ところが女三の宮のようなお人を迎えたことを、あなたは非常に不愉快だったろうけども、女三の宮を迎えることによって、あなたへの愛情というものは、グッと濃くなった」ということを言うんですよ。「あなたはそういう私の気持ちをわかって貰えるだろう」というようなことをこう言うわけです。そうすると紫の上が、どう答えたかということですね。「どなたの目にも、こんな幸せなものはないだろうというふうに見えるだろうけれども、実は私は大変不安なんだ」と、こういうことを言っているわけです。それは、「他の人は最高の幸せ者だろうと思うけども、私はあなたの妻になっていることが、日々の祈りと言いましょうか、これが私の祈りだ」と言っているんですよ。つまり源氏と一緒に愛と信頼を培ってきた歴史は一体どういうことなのか、ということを改めて紫の上は痛感するということでしょうね。つまり源氏の妻として、これから生きていくうえの一つの祈りだ、ということ。そういう祈りという意味は非常に複雑ですけども、そういう紫の上の言葉というものを、源氏はどれだけわかったか。おそらくわかっていないだろうと思いますね。そういうところまでいっているわけですけども、もう少しいきますと、紫の上が自分の苦痛を越えて―これは今大阪大学を卒業した深沢さんという人が、紫の上なんかの晩年の気持というものを忖度(そんたく)して、「菩薩的女人像」というふうに言っている。菩薩になっている。源氏の方は、紫の上が出家したいと言っても許せないほど紫の上に執着しているわけですね。紫の上は、自分がもし死んだら、源氏はどんなに悩むであろうということを考えると、源氏のことが愛おしくなってくるんですね。そういう源氏に対して、労りという気持でもって生きているのが紫の上。ですから、この段階では、紫の上と源氏の精神の画策というものがはっきりしています。紫の上は、菩薩的な人間。源氏をどこまでも現世における女性を執着する男なんですね。そういうところまでいって、そのまま紫の上は消えていくわけでありますけども。
 

 
ナレーター:  寝込んでいた紫の上が、少し身を起こせるようになった日、喜ぶ源氏と和歌を詠み合います。紫の上が詠みます。
 
おくと見る
ほどぞはかなき
ともすれば
風にみだるる
萩のうは露
(紫の上)
 
私がこうして起きているとご覧になっても、それはつかの間のこと、萩の葉に露が宿ったと思う間もなく、ややもすればあっけなく風に乱れ散ってしまうように、すぐ消え果てることでしょう。源氏が返します。
 
ややもせば
消えをあらそふ
露の世に
おくれ先だつ
ほど経(へ)ずもがね
(光源氏)
 
どうかすると、先を争って消える露にも等しいこの世の命ではあるけれど、私たちは、遅れ先だつ身をおかず、一緒に死せるようでありたいものです。失いかけて初めてこの愛が永遠に続くことを、光源氏は願うのでした。しかし祈りの甲斐もなく、紫の上は亡くなります。光源氏を一筋に愛し生き抜いた三十年あまりの生涯でした。
 

 
伊東:  ともすると、光源氏に導かれてきたようにも見える紫の上の人生というのは、秋山さんはどのように見ますか。幸せだったのかどうなのか。
 
秋山:  紫の上ですか? いや、むしろ源氏は紫の上に導かれてくるんじゃない。だけど源氏は、その後「幻」の巻というのがございますけど、紫の上を追憶しながら一年を過ごすんですけども、あの源氏がやがて極楽浄土に往生できるかどうかということになると、私はちょっと疑問に思いますね。紫の上が、いろいろ心配したように、やっぱりどこまでも生臭い人間としてそのまま消えるんじゃないかと思ってね。そういう点で、紫式部のそういう愛情の扱いの問題というのは大変興味深いし、我々に問題を投げ掛けてくると思います。やっぱり『源氏』というのは、これはいろんなことを教えられる一つの宝典であると。古典というものはそういうものなんだろうと思いますけども、決して古くはない。そういうことなんですね。
 

 
ナレーター:  複雑に絡み合う人間の心の糸を物語という形で織り上げた紫式部。第二十五帖の「蛍」という中で、紫式部は、光源氏の口を借りて、自らの物語観を語っています。
 
神代(かみよ)より世にあることを
(しる)しおきけるななり。
日本紀(にほんぎ)などは
ただかたそばぞかし。
これらにこそ道々(みちみち)しく
くはしきことはあらめ。
(第二十五帖「蛍」)
 
神代の時代から物語はあります。こうした物語にこそ公の歴史書には書かれなかった人間の本当の姿が書かれているのです。
 

 
伊東:  『源氏物語』とは、秋山さんにとって、どういう物語だと、言葉で表すとしたら?
 
秋山:  これは『三宝絵(さんぽうえ)』(平安時代中期に成立した仏教説話集。内親王の仏教の入門書として献上された)という、これは仏教の説話集ですけど、「物語といひて女の御心をやるものなり」という定義をしているんです。というのは、ちょうど私どもは子どもの時読んだ『カチカチ山』だとか、『桃太郎』だとか、そういう話がありますよね。『一寸法師』だとか、そういうたわいもない話だったらしいです。それからいくつかの物語の名前を出しているわけですよ。こんなものは、結局人間の罪の意識なんていうものに対しては、まったくなんの役にも立たない、ということを言っているわけです。ですから「三宝(さんぽう)」―仏・法・僧、仏教に帰依する方がやっぱり人間として正面(まとも)だという、そういう本なんですよ、『三宝絵』という本は。『枕草子(まくらのそうし)』も、「つれづれなぐさむもの・碁・すごろく 物語」にして、そういう娯楽ものの中に物語を入れているわけですよ。そういうものが物語として一般的な通念だったと思うんですね。紫式部が物語を書いた時、これは物語という内質が一変したということは確かでしょうね。だけど物語である限り、何を書いてもいいというとこで、新しい物語ができたということが言えるんじゃないでしょうか。やっぱり物語というものが、こんな素晴らしいものであるか、ということを、紫式部によって教えられた。
 
伊東:  紫式部にとっては、何か自分にかかる不安などもって生きてきた。今のように女性が伸びやかに生きていける時代では決してなかったと思うんですけども、そうした中で生きてきた自分の跡を遺してきたんでしょうか。
 
秋山:  そうですね。源氏の世界を創っていくということは、源氏の世界を生きていくということだったと思いますよ、紫式部にとって。
 
伊東:  物語の中で生きていく。
 
秋山:  源氏の世界を紡ぎ出すことが、紫式部の人生だったというふうに言いたいと思うんですね。だから最後はどういう気持で筆を折ったかということを、ちょっと想像すると面白いですね。これは『紫式部日記』の中に言っていることなんだけども、『紫式部日記』を読む限り、紫式部は出家はできない女性だと思いました。
 
伊東:  それは何故ですか?
 
秋山:  というのは、本人は、「私は出家するほかないんだ。道は残されていないんだ」と言っているんですよ。だけど出家したからと言って、「雲に乗らぬほど」というのは、あれは「聖衆来迎図(しょうじゅらいごうず)」というのがありますね。阿弥陀様が雲に乗ってずっと下界に降りてくるという絵がたくさんあるんですよ。だからそういう阿弥陀が迎えに来るまでは自分はこれまで通りに迷いに迷うであろうというんですね、出家してもね。
 
伊東:  出家しても迷うであろうと。
 
秋山:  そう。紫式部は言っているわけです。「だから自分は出家できないんだ」ということを言っているわけですね。迷いに迷って極限まで迷い続けるであろうと。もしやることだったら、物語を書くことでしょうね、紫式部にとっては。出家とはなかなかいけない。で作品の世界で出家というのはさせるけども、自分は出家はできないんだろうというような存在だろうというのが、私の概念の中の紫式部です。
 
伊東:  それはまさに書くことによって生きてきたということですよね。
 
秋山:  ええ。
 
伊東:  秋山さんは、最初は戦争の体験がきっかけとなって、『源氏物語』の研究をしようとされたと。そこからずっと七十年間およそ研究を続けていらっしゃって、どうでしょう、『源氏物語』の存在というのは、秋山さんにとってはどういうものですか?
 
秋山:  やっぱり無惨な敗戦ということにならなかったら、そうですね、源氏に対して知識はあるけれども、それはそういうものなんであって、なんか私とはあまり縁がないだろう。私は、紫式部の経験から学んだということを申しておりましたけれども、やっぱり紫式部というこの女性が、こういう作品を紡ぎ出すことによってしか生きられなかった、そういう誠実な生活というものを想像するんです。この作品を言葉によって紡ぎ出して、そしてその紡ぎ出された作品の世界の人間と一体になってその世界に生きた、ということですよね。ですから、さまざまな生き方を、物語の世界の中で遂行したのが、この紫式部だったということで、こういう希有な人生というものを生きた作者というものは、これは私にとっては、ほんとにどこまでもどこまでも尊敬するというか、敬愛すると言いましょうか、そういう憧れる存在なんです。ですから何度読んでも、源氏というのは、例えばある巻でこういうことがあれば、その次ぎに何が書かれているかということが頭の中に入っていますね。それなら読まないでいいのかというと、そうじゃなくて、やっぱり言葉を一語一語追い掛けていって、そしてまた味わってみたいという、そういう気持を起こさせるのが『源氏物語』なんですね。そのことは、本居宣長(もとおりのりなが)(江戸の国学者。源氏物語の研究書「玉の小櫛」を著す)が言っているんです。「私は、何度弟子たちのために源氏を読んだかわからない。だけど何度でもそれをしたい」。これほど長くないものでも、一層読んだら二度と読む気がしないのが普通だ。だけど源氏の場合は、何度読んでも「初めて読み足らん心地して」という言い方をしていますけども、また読んでみたいと思うと。これは素敵な絵は、何度見ても、また見たいと思いますし、音楽だってそうです。何度でも同じ音楽を耳にしたいという気が起こりますね。それと同じようなことで、『源氏物語』もそうなんです。次ぎに何が起こるかということを知っているんなら読まなくていいだろうということではないんで、読めば読むほどそこにある人間と心というものと共感して、感動するというのが源氏なんですよね。だからこの大作を多くの人が馴染んで貰いたい。そしてこういう作品を古典としてずっと尊重してきた日本人の心の歴史というもの、その歴史の中に自分たちは生かされているんだということを改めて実感。それは日本人としての誇りをやっぱり保つことにもなるんじゃないかなと、こう思っておりますけどね。
 
     これは、平成二十五年九月二十二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである