書は祈りー高僧の書を読む解くー
 
                        書 家 石 川  九 楊(きゅうよう)
一九四五年、福井県生まれ。京都大学法学部卒業。書家・評論家。京都精華大学教授。一九九○年『書の終焉―近代書史論』でサントリー学芸賞、二○○二年『日本書史』で毎日出版文化賞、二○○九年『近代書史』で大佛次郎賞を受賞。著書に「中国書史」「筆触の構造―書くことの現象学」「二重言語国家・日本」「漢字がつくった東アジア」「一日一書」ほか、編著に「書の宇宙」全二四冊、作品集に「自選自註石川九楊作品集」「石川九楊 源氏物語書巻 五十五帖」など多数。
                        ききて 西 橋  正 泰
 
ナレーター: 書家で、京都精華大学教授の石川九楊さんの仕事場の一つが、京都市中京区の街の中にあります。京都大学在学中から学生書壇のリーダーとして活躍した石川さんは、卒業後十年ほどの間、サラリーマン生活をしながら、書のグループを作り、書を書くという忙しい生活を送っていました。三十三歳の時、書一本で身を立てようと決意し、書の塾を開くことで、新しい生活を始めたのです。その後、「書は時代を表現するもの」という広い意味でとらえ、自作・評論・教育と活動の場を広げるとともに、五年前に東京にも仕事の場所を新しく作りましたが、京都での仕事場は二十四年間同じように維持されています。石川さんは此処で後進を指導する傍ら、書の研究を深める仕事を続けています。
 

 
西橋:  石川さんは、福井県のご出身で、ご両親が字を書くことについては非常に厳しかったということですね。
 
石川:  父も母も字にうるさい人でして、特に父は、「字を間違う」ということを非常に「困ったことだ」ということで、字の間違いにはうるさかったですね。母親のほうは、またこれも教育にうるさい人で。(笑い)
 
西橋:  そうですか。
 
石川:  それはうるさかったですね。字を書くことは、ともかく父も母も非常にうるさくて、もう学校にあがる前から字を習いに行かされるという。
 
西橋:  習いに? 塾に?
 
石川:  そうです。
 
西橋:  じゃ、大人に交じって?
 
石川:  そうです。今でもそのシーンを想い出しますけれども。師範学校出たての先生が、近くで─今、不思議だと思うんですが、昭和二十五年位ですから、敗戦後五年位で書道塾というものがずーっとあるわけですね。師範学校出たての先生が主宰する塾に、当時ですから、裸電球一つの二階の部屋に上がっていく。まあ家を借りて出稽古でやっておられるわけですね。そこへ上がっていくと、大人の人たちが居て─我々の子どもの頃はみんな八時位に寝ていましたけどね─その頃八時過ぎても九時頃まで、嫌ともいえず大人たちと一緒に字を書くのですから。
 
西橋:  それは何歳位の時ですか。
 
石川:  五歳位から始めましたですね。
 
西橋:  そうですか。
 
石川:  だから最初のうちはあまりいい思いはありませんね。
 
西橋:  嫌だなあ、と思っていたわけですね。お母さまはコンクールに書を出したりする時は、横に居て、「あと一枚」「もう一枚」とおっしゃったそうですね。
 
石川:  僕は、今自分が長く字を書いてきても、非常に大事な言葉だと思います。要するに、書というのは書いている現場でのある種の偶然性を引き込んでこないといかんですね。だからその偶然性を引き込みながら、よりよい状態に仕上げていくのには、ある程度の線はありますけれども、そこから先にいくのは僅かの差なんですけれども、そこを探し当てるためにもう一枚書く、と。もう子どもですから「嫌だ」「もうこれで大体いいんじゃないか」と思うけれども、「いや、まだここはこうだ」ということで、またそこを書く、と。またそこで、「だけど、ここはこうでしょう」と言われて、「もう一枚」という。それで少しずつ細かに、どこにどういう問題があるか、ということを知るという訓練にもなったと思います。書というのは、そんなものだろうと思いますね。だから「もう一枚」というのは、書にとって非常に大事なことですね。
 
西橋:  お母さまのおっしゃった「もう一枚」という言葉が。
 
石川:  そうです。
 
西橋:  それがつまり今、石川さんがおっしゃった偶然性をある意味では必然性に変えていくというか、
 
石川:  そうですね。だからたまたま出来た時の条件を記憶し、意識の上でもまた身体でも覚えれば、その次は、それが自然にできるようになるということですね。たしか後になって読みましたけれども、斎藤茂吉か誰かが、「書とは偶然との苦しい闘い」という言い方をしていましたですね。
 
西橋:  そして京都大学に進まれて、京都大学時代からもう既成の書壇を離れて活動していらっしゃったんですね。
 
石川:  はい。一番最初に大学へ入って書いたのを、今でも覚えています。高村光太郎の詩を一番最初に書きました。それはわりと高校時代から好きな詩で、高校時代などは、そういうことを書こうなどということは思っていなかったです。書は書で、漢詩を書いたり、和歌を書いたりするものと。
 
西橋:  別の世界だ、と。
 
石川:  それが大学に入って、いざ書きたいとなると、例えば高村光太郎とか、その当時、大学へ入って読みました荒地(あれち)派(『荒地(あれち)』は一九四七―一九四八年まで同人誌として刊行された詩誌)の戦後の詩人たち─吉本隆明(たかあき)(1924-2012)、谷川雁(がん)(1923-1995)、田村隆一(たかいち)(1923-1998)とかの詩に出合うと、そういう言葉が胸に突き刺さってくるわけですね。その時に、じゃ、それを書に書きたいと思って筆を取って、それで今まで習ってきた方法で書くと、それはお習字であったり、書道であったり、書道展の作品になって、その詩の言葉が逃げていくわけですね。だから例えを出せば、吉本隆明の「今日から僕らは泣かない。昨日までのように世界はそんなに美しくなくなったから」と、たしかそうだと思うんですけど、そういうのに若い時代の感性というのは共感するわけですね。その時に、じゃ、「今日から僕ら泣かない。世界がそんなに美しくなくなったから」というのを、どう書けば、どんな形でその書が書として現れてくれば、その言葉と釣り合うか、と。その時に今まで教わってきたものだけではダメだということになったわけですね。そこからそれが、僕が生涯書をやり続ける起点になったと思いますね。何とかそこを解きたい、と。書で何とかそういう時代の言葉を表現したい。それを探し求めてきた旅だと思います。
 
西橋:  石川さんが二十七歳の時にお書きになった、これは書の複写と言 いますか、石川さん二十七歳の大作で、「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」という二・七メートルと三・四メートルとういうほんとに大きな作品ですね。
 
石川:  そうです。これは、イエスが十字架上で、最後に、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と叫んで息を引き取ったという箇所が新約聖書にあります。要するに、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」という原語が、「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」ということです。それが一つのモチーフ(motif:創作の中心思想、主題)になりました。モチーフになったのは、この七十年代ちょい過ぎという時代が何か大きな時代の変わり目である、と。自分にひき付けていけば、その時代というものが、今までと割合と近しい形をもっていた時代がかなり大きく遠ざかっていく、という感触がありまして、その中で「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったんですか」という、そういうモチーフで、聖書から引っ張ってきた言葉とか、自分の言葉とか、いろんなものをコラージュ(collage:画面に新聞・写真などを切り抜いてはりつけ、筆を加えて画面に構成する美術の一手法)して、その時に初めてやってわけですね。この書き方というのは、要するに、筆というのは筆先を使うわけですが、筆先を可能な限り使わないで、いわば鉛筆かボールペンのような硬いタッチの道具に変えたような姿で書き付けていく。とにかく言葉を次々と書き付けていく。そういうふうな形になった時に初めて、「あ、書も生きられる」というふうに、僕は思ったんですね。僕は、「これで書は書いていける」と。だから要するに、オーバーに言えば、書が初めてこの時代の中に足場を見付けたんじゃないかな、という感想はその時ありましたね。これは最初にひな形を作りまして、それで始めたんですが、書きながら─このシーンは未だに覚えていますけれども─「おぉ!おぉ!これだ!」とこう自分でまさに高揚しながら書きました。それを書き始める前までは自分には見えていないんですね。「なんかこんなふうなものだろう」ということは分かりますが、「これだ」という確証がなかったものが、書いていくにしたがって、そこに形が現れてくると、「これだ!これだ!」という形で書き終えた、という記憶は未だにありますね。
 
西橋:  石川さんは中国と日本の書の歴史を纏めていらっしゃるわけですけれども、歴史的に見て、やはり書というのは、その時代その時代を表現しているというふうにお考えになりますか。
 
石川:  そうですね。だから書でも言葉でも同じですけれども、ゼロからスタートするわけじゃないんですね。必ず前の時代に蓄積があって、それを次の時代の人がそれを受け止めて、教わって習って、それで勉強して、そしてそこの中になんかまだ今までのものだけでは盛りきれないものがあって、それでそこに新しい言葉や表現を作っていくという、そういうことの歴史だと思うんですね。ですから必ず優れた書というのは、その時代の中で、今までのものをちょっと─もうそれはわずかだと思いますけど、比喩的に言えば、一ミリ位を今までの時代の水準からグッと抜くと、そういうふうなところで時代というものは自然に表現の中に入り込んでくるものだと思いますね。
 
西橋:  過去に書かれたものを、石川さんがいろいろ分析なさる手法、そこのところをどういうふうになさるのかを教えて頂けますか。
 
石川:  書というと、上手だとか、下手だとか、強いとか、弱いとか、非常に単純に評価されるわけですけれども、そういう単純なものではなくて、非常にミクロな世界です。上手い、下手というそんなマクロな世界ではなくて、もう非常にミクロな世界、そこの接触する接触の仕方と、それから接触したものが、紙と筆とが接触しながら、ずーっと一つの字画を書いていくわけですね。その時の字画の描き方、例えば「一」という字を書く時に、こう(註@)入ってきたものが接触した時、力が徐々に抜けていって、そしてそれで終わる場合もありますね。或いはほとんど触れるように接触(註A)して終わりに向かって力が加わっていく、そういう接触。普通、「起筆」と言いますけど、接触ですね、
 
西橋:  筆を起こすですね。
 
石川:  そうです。「送筆(そうひつ)」、それから「送筆(そうひつ)」
 
西橋:  送る。
 
石川:  はい。それからこの筆が終わって、そして筆が次へいく「終筆(しゅうひつ)」、
 
西橋:  終わりですね。
 
石川:  はい。その三つの「起筆(きひつ)」「送筆(そうひつ)」「終筆(しゅうひつ)」の劇で すね。それがどういうふうに展開されるかというと、一つは「深さ」、例えばこの太く(註B)ても、こういうふうに来ると浅いわけですが。こう突き(註C)立ってきますと細いけれども深いんですね。それは差が見えるんですね。
 
西橋:  なるほど。濃さとか、
 
石川:  そうです。濃さとか。それからこの動きの対応で分かるわけですね。だからこの深さと速度─早さですね。同じ書き方でもスーッと書いたのと、それからゆっくり書いていったのとでは姿が変わってきますね。それでもう一つは進んでいく時の角度ですね。例えば極端に言えば、「一」という字をこう(註D)いうふうに書いた場合と─筆が寝ていますね。いわゆる「腹(はら)」と言いますけど、こっち側─「筆の腹を使う」と言いますが、こういうふうに接触する接触の仕方と、真っ直(註E)ぐに立って、そして穂先が一つの画の真ん中を通るような角度ですね。これで表現が変わってきます。だからそういう深さと速さと角度の劇を読むんですね。
 
西橋:  昔の書から、
 
石川:  そうです。それが非常に複雑な劇なんですけれども、でも、その見方さえ分かれば誰でも非常に容易に分かるというところがあるんですね。何故かというと、一目瞭然ですから。見ればわかる。これは文学でいうと、どういうレトリック(rhetoric:巧みな言辞、言い回し)を使っているかとか、どういう用語をたくさん使っているかとか、とそういう形で分析しないといかんですが、書の場合は一目瞭然ですから。だからそういう面で非常に分かり易いという一面もありますね。手続きはちょっと必要ですけれど。
 
西橋:  そこで、今日は石川さんに、高僧の書を読み解いて頂こうということで、四人の僧─「親鸞」「日蓮」「道元」「良寛」。この四人を石川さんに選んで頂いたんですが、共通性がなんかあるんですか。
 
石川:  僕がある意味でマークしている。非常に興味がある。それぞれその時代の中で非常に重大な役割を果たしたというふうに思う人たちですね。
 
西橋:  まず最初は浄土真宗の開祖・親鸞(しんらん)(1173-1262)の書です。「正像末和讃(しょうぞうまつわさん)」です。親鸞は師・法然の思想を徹底させ、絶対他力や悪人正機(あくにんしょうき)の説を唱えました。弾圧を受けた頃から、非僧非俗となり、市井(しせい)の人々と交わり、そこに真実の心を見出したとされています。こうした生活の中から難解な漢語を噛み砕いて、大衆にもよく分かる漢字仮名混じりの書が生まれました。それが「和讃」で、「七五」「五七」の十二音を一句として、四句で一首となる、和漢混淆(こんこう)の「仏教式讃美歌」と言われています。
石川さん、この書を選ばれたのはどうしてなんですか?
石川:  親鸞には『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』という非常に重要な書もあり ますが、僕は、親鸞の姿というのが、こういう和讃などの漢字片仮名混じりの書き方の中にもっとも現れているような気がしまして、一番相応しいかなという感じがします。
 
西橋:  この中のどの字かを選んで書いて頂けますか。
 
石川:  ちょっとその中の「末法五濁(まっぽうごじょく)ノヨトナリテ」の「末」という字がちょっと特徴的なところを、ポイントになりそうなところをちょっと選んでやってみたいと思います。まあいうと、ちょっとクニャッとしているというか、これが和様の─平安から始まる日本風の書き方というのは何かというと、日本風の書き方と言うのは、要するに横画を書くんですね。こうすると和様(註@)になるんです。これが和様の書き方です。中国式の書き方というのは、こう(註A)なるわけですね。
 
西橋:  日本風のほうがなんか柔らかい感じがしますね。
 
石川:  柔らかい。それは実は平仮名の書き方が漢字の書き方の中に入り込んでいるんです。日本の独特の書き方で、中国にはないんです。この書き方をやはり一部受け継いでいるということが分かる。この画の中を通して、
 
西橋:  親鸞にも?
石川:  そうです。ですからそういう意味で、普通の時代の書き方というものを基盤にしている。そういうものを全然逸らしていない。だから要するに子どもの頃から漢学、漢学一辺倒というような感じではなくて、あくまで和様というものがベースにある、と。そういうものが時々書いているところに出てくるということですね。ところが非常にまた不思議な字があるんですね。「末法五濁(まっぽうごじょく)ノヨトナリテ釈迦ノ遺教カクレシム」と。この片仮名の「ノ」ですね。これは普通にはこういうふうに書くものですが、ところがこれを見て頂いたら起筆のところがピッとこう三角(註A)に立っていまして、こんな角度です。それで、「ノ」がほとんど直線的にいっていますね。だからここで(註@)一回ピシッと一回止まるんですね。止まりながらここを切り裂くように─どうしても強くしようと思うと、角度が入りますけど、こういう感じですね。この厳しく入り込んできて、キュッと書く中で、何か感じられるところがおありでしょう。これが何か親鸞のなにがしかのことを物語っている、と。ピシッと入ってスーッと。普通はもっとこう和様だったらグニャッと。
 
西橋:  カーブがあって、
石川:  そうです。ところがそうじゃなくてピシッといくことの中に、要するに日本的だけでは済まない何か厳しさが書を通して窃(ひそ)かに漏らされているわけですね。
次ぎに「ノ」の次の「遺」を、これもまた非常に特徴のある字でして、特にこの?(しんにゅう)のところですね。
 
西橋:  フニュッとして、
 
石川:  そのフニュッという中味がどんなフニュッかというのを書いてみることによって確認してみると、もっとよくわかるかと思うんです。ポンといきました、横切りますよ。このポンと?(しんにゅう)の第一画のところ入ってこういきましたね。そこのところから普通は右に下がるわけですけれども、少し上がっていったものがスーッとこう。この押さえ込んだリズムで撥ね返って、力で撥ね返って少し沈む。それで方向を変えるところ、そこから少し上がるようにしていくわけですね。一種の遊びのような、遊び心のようなもの。だからこの和様の書き方と、それから厳しいほとんど何かと闘っているような厳しい姿と遊びの要素と、そういうものが一体化して書の中にはあると。もっと細かく見ていけばまだまだ見ていけるわけです。そういうふうに読んでいくと、先ほど言われたこの?(しんにゅう)のところの楽しさ、こういうのはずっと後の時代に良寛などのところでもっと違う形へ繋がっていきますけど、この時代の中ではわりとこの表現というのは少ないと思いますね。
 
西橋:  それに今お話頂いたような親鸞の書の特徴から、一言で親鸞の書というのは何だ ということになると、どんなふうに捉えられますか。
 
石川:  一言でいうと、僕は「愛の書」と言いたいところがありますね。「愛」と言ってしまうと難しい曖昧な言葉にも繋がりかねませんけど、時代を逸らさない。時代から出発している。時代の姿というもの、いわゆる当時の人々の生活とか、或いは生きている人たちがいろんな高きも低きも関わらず、そういうものに対して根拠をおいているというのが和様のところから見えてきます。「ノ」のところからは、これは非常に厳しい、それこそ中国も視野においたところの知識人という姿が見えてきます。それで最後のところではそういうものも含めていろんなものを包んでいく、そういう遊びと言いますか、書から見るとそんなふうな形にこの書における親鸞の思想・無意識というか、そういうものが現れているような気がします ね。
 
西橋:  次の書は日蓮(1222-1282)の書「神国王御書(しんこくおうごしょ)」です。日蓮は独自の法華経観に基づく仏教体系を樹立。日蓮宗の開祖となりました。石川さんが選んだ書が「神国王御書」。日蓮自筆の歴史社会への批判書だと言われています。
石川さん、この書を選ばれたのはどうしてですか?
 
石川:  日蓮は他の書もありますけれども、一番特徴的なものが出てくるのが、この手紙だと思いますね。ともかく一筆書きのようで、次から次へと文字を所狭しと書き詰めた、そういう書の中に何が見えてくるか、という。
 
西橋:  切れないで、どんどん続いていくような感じですね。
 
石川:  非常に早い速度で調子にのってどんどん書いていく、そういう書ですね。
 
西橋:  少し臨書して頂けますか。
 
石川:  はい。全体が回転していくような姿で続いていくんですね。急げば基本的に回転になりますから。その中でただちょっと面白いのがここにある「鷹」という字なんですね。
 
西橋:  「鷹」ですか、鳥の鷹ですね。
 
石川:  「鷹の前のきじ」というところです。「きし」と書いています。「鷹の前のきし」、それが込み入っているところをちょっとやってみたいと思います。こう水平ですね、当たって水平、垂直、垂直、垂直、こうきてこっちからこう上の鳥の上のがありますが、垂直、水平、水平、それで回転最後の点四つですね。そこから書き終えると戻りますね。多少戻ります力が必ず反動しますから、それを右へ持ってくる。「の」のところへ、右へ持ってきた次が上に上がります。重なるぐらいのところまで、それで「前」ですね。次の「の」と。「鷹の前の」水平でしょう。今度急に垂直に転じますね。これを繰り返していくわけです、のっかって。前のところへきますね。要するに、書き始めていって、書き込んでいくと、書いている現場が最優先されるんですね。書いている現場に引きずられて、言葉がドンドン次から次へと出てくる。もどかしいほど次から次へと言葉がのたうち回るように次から次へと出てくる。それにまた追い付くように書いていくし、書いていけばまた次の言葉が出てくる、という感じがおそらく受け止められるんじゃないかなと思うんですね。だから日蓮に引き当てていくと、日蓮が生きている現場の中で考え、そこの中で行動し、という。要するに現実的に何か書いていかなければという思いというものが非常に強い。それと非常に書いていくに従ってドンドン熱気が高まっていって、
 
西橋:  熱を帯びていく?
 
石川:  そうです。熱を帯び、熱を帯びていけば、またその言葉が熱を帯び、熱を帯びた言葉がまた次ぎに熱を帯びるという、そういう一つの回路の書かなというふうに思うんですね。
 
西橋:  よく話をするのを「熱弁を振るう」と言いますね。それを筆と紙とでやっているという感じですかね。
 
石川:  そうだと思いますね。発火しますからね。接触しますから。だから火打ち石どうしであったら発火するように、これも発火しますから。だからじっくりと、これはちょっと後で良寛と対比的に見て頂くと非常に面白いものがあると思うんです。さっき親鸞を「愛」と言いましたが、それとの対比で言えば、日蓮の書は「熱の書」ですね。
 
西橋:  「熱の書」。次は道元(1200-1253)の書「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」です。道元は臨済宗を学んで、宋(そう)の国へ渡り、天竜山で曹洞宗を学び帰国。今の福井県に永平寺を開きました。石川さんが選んだ書「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」は、道元が禅に対する基本的な考え方を示した自筆の独立宣言の書だとされています。
石川さん、これは漢語ばかりで難しい文章に思われますが。
 
石川:  不思議なんですね。この道元の書の「普勧坐禅儀」というのは。形のバランスというのはそんなによくないんですね。厳密に見ていくと、ちょっと少しずれているわけです。けれども、それが楷書として非常に端然と整っている。字がまったく整っているという印象をもたらす不思議なところを持った書ですね。
 
西橋:  非常になんか綺麗で端正で、という感じがしますね。
 
石川:  非常に端正な字ですね。
 
西橋:  じゃ、この中から少し臨書願いますか。
 
石川:  冒頭の「普」という字をちょっとやって見ようと思います。まず第一筆目のところが、次を書くために、軽くいって、次の第二画に入っている。二画のところが必ずこういう鋭角(註@)な─至る所に鋭角な姿を見せるし、見せないで済まないという何かがあるんです。少し柔らかいのはこの画(註A)の起筆のところだけです。厳しく筆先(註B)一筋でキリリッとこう入り込んでいく。ここなんかそうですね。この起筆(註D)なんていうのは非常に角を立てて三角形、鋭い形で、それでこっち(註C)からこう、それを受けてくる。形はそんなに整っていないんですよ。ここもおかしいんで、グッと入ったまま、上の点接(註E)のところで、力が入ったのをこうヌッと抜け(註F)てきたまま次へいちゃいますから、ほんとはもう少しここは軽くして、下の方へ比重をかけるほうが、ここに力をかけるほうが普通なんです。その逆をいきますから。だからいわゆるスタンダードな書き方ではないです。
次の「勧」の字の第一筆のところでも角を、起筆(註@)のところをしっかり三角に立てていますね。だから非常に鋭い触れ際というところがやはり特徴ですね。それでこの「勧」のここのところを見てもらったら分かると思います。この位置(註A)がかなり右へきていて、実はバランスとしては決してよくはないんです。極端にいうと、こういう(註A)ふうに寝ている。ここでいくと行き過ぎですけど、こっちへ寝て。この力のところも、この点接(註B)で力が入って、それで入ったところから徐々に抜け(註C)ていく。こういう感じでいって、また角を(註D)立てて、角をピッと立てて、そしてこういくんですね。非常に神経の細やかな字ですね。だからもう一画一画入るときのあたりの感覚に非常に鋭敏な─普通はこうリズムにのつかって書いていけばいいわけですから─ところが そうじゃなしに非常に慎重に慎重に書くが故に位置がずれていったりもしますけ れども。際をきっちり書いておきたいという。これが結果としてできるんじゃなしに、この際をしっかり書く、と。
 
西橋:  意識があるわけですね。
 
石川:  おそらく無意識だと思いますね。だから書というのは、怖いのは無意識の曝露装置ですね。大体人間というのは意識しているようなことは大体見透かされるわけですね。そうなんだけど、書というのはその無意識の部分を歴然と曝(さら)してしまう。だからそこに書の面白さと有り難さという─有り難いということは有ることの難しというか、あまり見られない性質がありますね。
 
西橋:  この道元の書を一言で言うと、どういうふうに?
 
石川:  これは「学問の書」。「学の書」と言いたいですね。もう丹念に一つひとつを長い時間をかけて、一つひとつ説いていくという姿というものが、今書いたところからも見れると思います。
 
西橋:  ある意味で知的な、
石川:  そうですね。
 
西橋:  次は良寛の書です。良寛は十八歳で出家し、備中(びっちゅう) (今の岡山県)円通寺(えんつうじ)で修行の後、故郷越後の五合庵に住みます。禅を語らず、托鉢僧の生活を送り、思索と書道を楽しみ、童子と時を忘れて遊ぶ清貧の生涯を送ったと言われています。石川さんは、「七言詩二篇」を選びました。「蛾眉山下橋杭(がびさんかはしくい)」に題す。そして「夢左一覚後彷彿」。まず何がともあれ良寛の書を少し臨書願いますか。
 
石川:  例えばこの「月」という字、「朧月(おぼろづき)」の「月」ですね。これをちょっと臨書してみたいと思うんです。おかしいでしょう?
 
西橋:  たよりなげな感じですね。
 
石川:  普通には「月」を書く場合に、起筆して、そしてちょっと反発されるんですね。反発されたそれをちょっと受け止めながらこの画をしっかり書いていくという、左へね。それで第二画にいきますね。それでここには点接があって、こう転換して点接があって、そしてここで撥ねて、そして後二つの画を書くと。これが普通の月ですね。この第一筆を良寛は書いているわけですけども、入って向こうから反発されて受けてきた、反発されてきたところをズーッと感触を、その力に従って書いていくんですね、余分に。押さえ込まない。向こうの反発にのっかる。
 
西橋:  のっかる?
 
石川:  のっかる。こう押さえて反発された、仕方がないということで反発する。でもこれでは月の第一筆になりませんから、だからこの後にこの月を書くための形を添えていくわけですね。だけどもまた強引にじゃなしに微(かす)かに書いていくという。これは今の力を変えたものがこれです。
 
西橋:  微かな感じですね。
 
石川:  微かでしょう。それで次を見て頂きたいんですが、こう上がりました、普通はここへきますね、この辺りに。 
 
西橋:  うんと上ですね。
 
石川:  ということは、実際にはここから遠くへ上がっているんです。非常に高く上がって。だから宙で書いているわけです。宙で書いている部分が非常に長いんです。ここで書いているわけですね。それで横画にいきますね。それで横画から縦へきますが、これも同じです。点接でこういう普通に書くように強く点接をバンと打ち込むというのじゃなしに、打ち込みますがまた向こうから撥ね返されるから、それに従って打っちゃうわけですね。それで次の点二つを。おそらくこういう書き方だと思うんですね。
 
西橋:  なんか上からスーッと消えてしまいそうな感じですね。
 
石川:  そうそう。微かであり、消えてしまいそうな。だからこちら側から─良寛の側から加えていく力というのは、そんなに強くないわけです。だけども当たって向こうからの力を受け止めるんですね。ということはかなり力は加わっているわけです。そうでないと反発してきませんから。強いけれども、僅かだけれども、ほんとはしっかりとした力がそこに加わりながら、だけども反発の力にのって進んでいく、と。
 
西橋:  無理矢理押さえ込むことはしないわけですね。
 
石川:  押さえ込まないですね。微かに、わずかでいい、と。だからこの紙に着地して形を見せる部分もわずか、微かでいいわけですね。ほとんど姿を見せなくていいぐらい。だからこの極限の姿を言えば、こうなると思います。そういう面で言えば、良寛はもうほんの少しだけを定着する。おそらくその辺に良寛の思想というのは見えてくるんじゃないかな、と思うんですね。要するに良寛はこうだからということを知って、今説明していると言うんじゃなしに起筆から。この起筆がこんなになるわけがないのが何故なるのか、ということを考えれば、わずかにこう触れて、触れたら向こう側の力を感じとって、そしてちゃんとしっかり書こうとする。今度はその後はおざなりじゃなくて、大きく中空を回って、だから中空に書いているわけですね。書いていないところをいっぱい書いている。形にならないところでいっぱい書いている。だからわずかしかないけれども、そのわずかの中に中空を動いていく姿ですね。ここの豊かさ、いわば沈黙の豊かさというものが書き込まれている。おそらくそれが良寛の書の魅力であり、また良寛の歌や詩の魅力でもあるんじゃないかなという感じがするんですね。それぐらいやはり書というのはリアルに思想、或いは無意識というか、そういうものの有りかを示す、という。
 
西橋:  良寛の書を一言で言って頂くと、どういうふうに。
 
石川:  一言でいうと、「批評の書」かなという感じがしますね。
 
西橋:  「批評の書」ですか。
 
石川:  自分自身も含めた批評、自分も見つめていくという、
 
西橋:  自分自身をもみつめていく。
 
石川:  はい。だから社会を批評することは、まさにそれを通じて自分をも批評する目ですから、「批評の書」というとちょっと語彙としてはあまり適格でないかもわかりません。本質しては批評の書という感じがしますね。或いは「距離」と言ってもいいかも分かりません。「距離の書」という言い方もできるかも分かりません。
 
西橋:  距離を置く?
 
石川:  はい。一ミリないし、二ミリ遠ざかるという。
 
西橋:  「書は祈り」というお話なんですけれども、書は、「祈り」という視点から見た時に、この四人の書というのは如何ですか。
 
石川:  要するに、書は書くということですね。書というのは書くということとイコール(equal)だ、と。だから今でも、たとえシャープペンシルでも持って書くということは書ですから、そのことは祈りである。祈りということは即ち考える。生活のこと、或いは自分の生きていくこと、家族のこと、或いは周りの地域のこと、更には社会のことについて、或いはもっと世界、それからそれがどういうふうになっていくかという歴史について考える。或いは書は祈りというものを含み孕(はら)んでいる、ということだと思うんです。それはどこから来るかというと、縦に書くんですね。
 
西橋:  縦に?
 
石川:  字というのは縦に書くようにできているわけです。平仮名も縦に書くから、ああいう字になりました。横に書いていけば、アルファベットのような平仮名になるんですね。縦に書くというのは、結局どういうことかというと、上からの力を─紙のうえにお菓子を載せるというと、みんな真ん中辺りに載せるんですね。「紙の上の方に字を書いて下さい」というと、こっちへ書くんですね。ということはこの上というのは、天から地に向かって重力が負荷される。重力がかかっている。そういう空間、即ちこれはその世界の比喩であると。世界というものは、要するに天から地に重力が負荷されていて、我々の姿もそういう姿をしていると。髪の毛は上から下へ垂れるわけで、これは重力に従って垂れていくわけですね。天も下へ下がっていく。そういう重力を持った世界と同じものがここへできるという意味ですね。ここが天になるということ、すなわちここに天が現れるわけです。そうすると、縦に書いていく時、天からくる重力、それは天との対話と言ってもいいですけど、天と対話しながら書いていくという。そういう力がそこに働いてくるんですね。だから書いていくと、これでいいのかなあというふうに、自分で推考するというようなことが起こってきます。それは天と対話して、嘘偽らないか、と。「ほんとにあなたはこう言ってよろしいか」ということを絶えず問われる。そういうものとして書はあるんです。縦に書くということの中に。そういう意味で、書くということは、基本的にすべて祈りである、と。ただその祈りがどういう祈りであったかということが、良寛、親鸞、日蓮、それから道元のような祈りと、それぞれ違った祈りが違った時代にあったということだろうと思うんです。だから「すべての書が祈りである」と。みなさんが夜日記を付ける。日記は横が多いから、縦の手紙がいいでしょうけど、縦に手紙を書く時、或いは何か文章を書いていく時に、要するに「文章というのは一つの祈りを含んでいる」と。
 
西橋:  そういう意味で、石川さんは縦書きということをとっても大事なことだというふうに考えられているわけですね。
 
石川:  そうです。今雑誌に書きましたら、思わぬあちこちの大学から、僕がやったと同じような形で、縦書きと横書きの差についてテストしてみたら、僕がやったと同じ結論が出た、と。それは縦書きをすると、天をはらんで、「社会の中の自己」というような形での文章になるけれども、横書きになると、重力が天から地に下りている中を突っ走る。突っ走る力があれば横に書けるんです。突っ走る力ばっかりだから、「自分、自分」という形で文章、文体がなる。同じテーマで書かせても縦と横とで、それだけ違ってくるというデータがもう既に数件届いていますね。
 
西橋:  そうですか。石川さんが学生に同じテーマで縦書きと横書きで書かせてみたら、縦書きの方が割合深く考えた文章になっているということですね。
 
石川:  そうです。
 
西橋:  じゃ、同じようなことを実験して見て、同じような結果が得られている、と。石川さんは書家として、世界的にみた現代の宗教についてのお考えを少し聞かせて頂けませんか。
 
石川:  書を見ていきますと、非常に誤解が多いかなあと思いますけれども、要するに秦(しん)の始皇帝時代になりますと、実は東アジアは宗教のない地帯になっちゃうんですね。その代わり書くということが、書が宗教になるんですね。要するに神がいないけれども神の代用をする。神さま、或いは天の代用をする。だから嘘偽り無く書く。今の状況を見てきた時に、非常に宗教の不幸な時代というか。僕は宗教的なものはなくならないけれども、国家丸ごととか、地域丸ごという宗教ではなくて、ほんとに個人の宗教としてあるのが一番いいんじゃないかなと思いますね。個人のレベルで宗教が受け止められる。だから僕は日本の宗教形態というのは非常にいいんじゃないかなと思っていますね。キリスト教なんかも含めて国家とは関係のない形のものですから。だからそういう形で宗教というのを個人レベルのものにしないと─国家レベルであったり、或いは宗教そのものが一つの国家になっちゅうというような形というのは、僕は二十一世紀にはおそらく弱まっていくんじゃないかという感じがします。宗教はむしろ個人レベルに、誰からも強制されるのではない、自分が選びとったものとして、確(しか)とした宗教をうちにするというのはいいと思います。だからその代わりに書くということで天に代わる、神に代わるもう一つの抑制というものをやっていかないと、今度は野放図になってしまいますから、そういう面で東アジアは縦書きをするほうがいいと、僕は思っています。それが唯一の東アジアの宗教だと思いますから。或いは歴史に根ざした宗教的なるものでしょうね。
 
西橋:  はい。ありがとうございました。
 
石川:  ありがとうございました。
 
     これは、平成十五年七月十三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである