人生の錦秋をめでる
 
                永観堂・禅林寺法主 中 西(なかにし)  玄 禮(げんれい)
一九四一年 姫路市生まれ。龍谷大学大学院修士課程修了。一九八一年 浄土宗西山禅林寺派大覚寺の第四二代住職となる。求道精神に燃え、もっぱら修行と学研に精励。仏教に基づく人生論を説き続け、今日に至る。この間「ミニミニ法話」と称し、“三分間テレフォンサービス”による人生相談にも応じ、家族問題をはじめ仕事での人間関係や事業経営問題さらには健康や病気の悩みなど、現代社会のさまざまな苦難をわが身の問題としてとらえ、共に考え、その解決への道スジや生き方などを説く。こうした取り組みからNTTテレフォンサービス・コンクールで最優秀賞を二度にわたり受賞する。 一方、月刊「アサヒオーク」をはじめ新聞・雑誌への執筆活動も行う。現在、病める現代に仏の教えを説き、明日に生きる勇気を与える宗教家。「挨拶で始まる心の交流」「惜しみなく与える」「人の痛みがわかる人間」等のキーワードで、人生を健やかに生きていくための10の法則を説く。中小企業大学校、商工会議所、経営者協会、学校、PTA、敬老会などでも、様々な聴講者に合わせた分かり易い内容で、講師として人生と仏の道を説き続ける。二○一○年二月、総本山永観堂禅林寺管長に就任。著書に『げんれい説法』『花影抄?こころの花ごよみ』『風韻抄?花信風のように』『月影抄 ーわが心の歳時記』他
                き き て     住 田  功 一
 
ナレーター:  僧侶の中西玄禮さん、七十二歳。中西さんは、幼稚園や学校、会社などへ出向いて行う出前説法を三十年に亘って続けています。仏の慈悲や思いやりの心を広く伝えたいとの思いからです。京都東山にある禅林寺(ぜんりんじ)。中西さんは、この寺の九十代目の法主(ほっしゅ)を務めています。禅林寺が創建されたのは、平安時代初めの八六三年、永観堂(えいかんどう)の名で広く知られる古刹(こさつ)です。毎年秋になると紅葉が境内を埋めます。そのため古くから紅葉(もみじ)の永観堂として人々に親しまれてきました。古刹(こさつ)の長(おさ)を務めながらも、説法に出向いている中西さんですが、若い頃は僧侶になるのが嫌だったと言います。もともとは兵庫県のお寺の生まれ。しかし幼い頃から僧侶の仕事を後ろめたいものだと感じていたのです。ところが青年時代、あることをきっかけに自分が嫌でないと思える僧侶になることを決意、以来五十年以上に亘って仏道を歩んでいます。「玄禮さん」と親しまれる僧侶が目標という永観堂禅林寺法主中西玄禮さんに、人生の秋だからこそ語れる心の世界を聞きます。
 

 
住田:  玄禮さんは、地元の高校に通っていた若かりし頃、僧侶になりたくないというふうに思っていた時代があったそうですね。
 
中西:  そうです。特に中学から高校一、二年までは、ほんとにそう思い続けていましたね。坊主にはならん、てね。
 
住田:  お書きになった本を読ませて頂きましたら、「意味のわからぬ説教をしてお布施を貰うのは詐欺ではないか」と書いていらっしゃる。そこまで思っていらっしゃった?
中西:  そうですね。友人というか、同級生に会えば、「坊主、丸儲けやな」みたいなことを言われますでしょ。それにまだその頃中学というのは、昭和二十年代ですから、世間一般に貧しい時代だったんですね。両親が会話しているのが、隣の部屋で聞こえてくるわけですが、母親が切なそうに、「最近お葬式がありませんわね」なんて、父親に言っているんですよ。父親が、「うん、そうやなぁ」と返事している。それだけの会話なんですけども、横で聞いていると、家は檀家の人が死ぬのを待っているのかと。人の死という不幸でもって、家の家計が成り立っているとしたら、僧侶というのはなんといういじましい職業なんだと。人の不幸で生活する、あるいは商売するなんていう、それはちょっと堪えられないと。
 
住田:  そんな青年が、仏の道に入る最初のきっかけは?
 
中西:  高校二年の時に、進路を決めなくちゃならない。私は、中学の時の担任の先生を尊敬していましたし、こういう教師になりたいなというのが夢でもあったんですよ。教師になりたいと。ところが多分そのことを父親に言えば、反対はしないまでも、多分父親の本心は、仏教系の大学へ行って、仏教を学んで後を継いで貰いたいという思いが伝わってきていますのでね、口で言わなくても。どうしようかな、と思って迷っていて、これは一度先生に相談に行こうと思いましてね。その先生をお訪ねして、いろいろそういう悩みをお話したわけです。「どうしてお坊さんが嫌なんか?」と聞かれるので、先ほど申しましたように、「そんな詐欺みたいなそういう仕事を、人の不幸で生活していくような、こういう仕事は嫌です」と言ったら、「お前は見方が狭い。ただそういう表面的なものだけを見て、坊さんというものを考えているようだけれども、私たちから見て、お坊さんというのは、大変尊いお仕事をして頂いていると、私は思っている。私の母親が亡くなった時も、檀那寺のご住職が来てくださって、それこそ丁寧にお経を読んでくださり、ほんとに心の底から私ども家族と同じように悲しんでくださり、そのご住職のお経を後ろで聞きながら、あ、これで母親も安心して御浄土に行くだろうな、と。家族はそれで救われるような思いがする。それほど尊い仕事をお坊さんというのはして貰っているやないか。お前がどうしてもお坊さんが嫌だというのであれば、そういう嫌でないお坊さんになったらどうや!」と一喝されましてね。そう言われると返す言葉がない。そう言えばそうか。その言葉になんか目が覚めたというか、あの時の先生の一喝はこたえましたね。
 
ナレーター:  恩師の言葉に気付かされた玄禮さんは、高校生の十七歳の時、僧侶の世界を広く知ろうと、本山の永観堂で短い期間修行に参加します。その時の体験を、高校生向けの雑誌に投稿したことが、僧侶になる決意へのきっかけになりました。

 
中西:  たまたまですが、二年から三年になる春休みに、永観堂で毎年加行(けぎょう)という、お坊さんになるための資格を取る、そういう修行期間があるんです。で、寺の弟子たちがここで二週間泊まり込んで厳しい修行をするわけですが、もしかしたら嫌でない坊さんというのは、どういうものなのか、その糸口が掴めるんじゃないか、という期待も多少あったんですがね。実際ここへ入って二週間の生活をすると、ほんとに十七歳の少年には過酷な修行でしたね。朝三時半に起床して、一日三回、朝四時と昼の十時と、そして夕方の四時の三回水を被(かぶ)るんです。水行(すいぎょう)と言いましてね。彼岸開け―春休みですから三月の二十日以後というのは、京都というのはけっこう冷え込むんです。氷が張ったりしている。その氷を割りながらそれを頭からザブンと水を被るわけですね。それがお風呂代わりなんです。それで身体を浄めて、で、着物―衣に着替えて、そして一日三回の本堂での勤行に出るわけですね。だからお風呂という意味と、それから身体を浄めるという意味とある。修行中は足袋も履けませんし、一週間ぐらいで身体中にあかぎれができるんですよね。しかも本堂での三回の勤行というのは、おおかた二時間近い勤行ですので、その間念仏を称えて立ったり坐ったりの礼拝行があり、正座しても念仏を称えるという行があり、あんまりそんなに長い時間正座するという習慣が、いくら寺で生まれていてもありませんから、あれはほんとにきつかったですね。その合間合間に、写経のようなこともしなくちゃいけませんし、作務(さむ)と呼ばれる掃除もあるわけですね。で、食事の時間も、朝なんかはお粥と味噌汁だけの食事ですし、そういうことを体験しながら、しかも同じ行を受けている仲間というのは、みなさん二十代の方がほとんどで―大学生が多いんですが、そういういわば人生の先輩たちがいろんなことを教えてくれるんですよ。大学はいいぞとかね、あるいはそのお寺はどういうお寺かという話もされるわけですね。またお寺に生まれた者の悩みというのも、みなさん共通にもっておられるんですよね。そういう話を聞きながら、〈あ、悩んでいるのは、私だけではなかったんだ〉という思いがあって、それで十四日間の行が終わった時に、何かこう一皮剥けたような、ちょっと少し成長したかなという思いがしたもんですから、その体験を原稿用紙二枚ぐらいの文章にして、あの当時購読していた高校生向け雑誌の読書欄に投稿したら、その編集者から電話があって、「あなたの日常を取材さして貰っていいか」というので、東京からカメラマンと二人で来てくださって、まるまる二日間、私の朝から晩までの、どういうことをしているかと。朝起きて本堂でお勤めしているところから、学校へ行くところから、学校では生徒会長としてみんなの前でなんか喋っているところとか、授業風景とか、学校から帰ると衣を着て檀家まいりしているところとか、いわばそういう私の日常を写真に収めて、やがてそれが巻頭グラビアに載りましてね、全国から同じ年齢の高校生からたくさん激励の手紙を頂いて、それを一つひとつ読みながら、これは後へは引けんな(笑い)と思いましたね。
 
住田:  別の見方をすると、自分をそういう写真のグラビアで見ると客観的に自分がどういう位置なのかも見えたのかも知れませんね。
 
中西:  そうかも知れませんね。
 
住田:  そこからもう退路を絶って進み始めたということですね。
 
中西:  そうですね。もう仏教の大学に行くということは、その時点で迷いはなかったですね。
 

ナレーター:  僧侶になった玄禮さんは、三十九歳の時に出前説法を始めます。話す相手は、幼い子どもからお年寄りまで、幅広い年齢の人たちです。この日は、幼稚園で笠地蔵の話をしました。貧しいながらも、心の優しいお爺さんが、道端で雪に埋もれていた地蔵に笠を被せてあげたところ、地蔵から恩返しを受けるという昔話です。
 
中西:  寒くないようにね、ここが笠をくれたおじいさんのお家だぞ。さあみんな背負って来た物をそこへ出してごらん。先頭のお地蔵さんが、「儂はな、うん、お餅がないというてな。おじいさんが大変寂しがっておったからな、お餅を持って来てやったぞ」「私はな、山で採れたニンジンだとかキュウリだとか、ジャガイモをな、持って来てやったぞ。どっこらしょ、どっこいしょ」。
 
ナレーター:  玄禮さんは、仏の恩や慈悲の心を伝えるため、自ら出向いて話すことを大切にしています。
 

 
中西:  普通説法というのは、お寺とか、あるいはその檀家のお家とか、そういう場所でお話することが多いでしょ。出前説法というのは、望まれればどこへでも行ってお話しますよ、という説法なんですね。それはただ法話と限定しないで、例えば幼稚園に招かれれば童話をしたりとか、その老人ホームへ行けば、お年寄りと一緒に手遊びをしたりとか、ただ仏様の教えを伝えるということなんだけれども、その対象によって伝え方が違うんですね。青年が対象であれば、青年向けの話し方があるし、小学生にお話する場合は、それぞれの教室でお話するスタイルがありますからね。とにかく招かれれば、他に用事が入っていない限りは、できるだけ行ってお話を聞いてもらうという。
 
住田:  その出前説法のテーマは、どんなものがあるんですか?
 
中西:  そういう出前説法で、会社であるとか、老人会であるとか、そういうところで話をする場合は、例えば「二度とない人生だから」(坂村真民(さかむらしんみん))という詩があるんですが、そういう詩をテキストにしながら、この世に生まれてきた者が、二度とない人生をどのように生きていけばいいのか。それを仏教は、どう教えているのか、ということが一つのテーマになります。あるいはよく使う言葉は、「美しき人になりたく候」というテーマをよく選ぶことがある。これは女性を対象にした講演が多いんですが、会津八一(あいづやいち)という元早稲田大学の教授をなさっていらっしゃった方の言葉なんですね。美しく生きるというのは、どういうことであるのかという。「秋艸道人(しゅうそうどうじん)」という号を持たれた会津八一先生は、そのために四つの項目を挙げておられるんですね。その第一番目は、「ふかくこの生を愛すべし(学規より)」生というのは、この生きるという字が書いてあります。つまり自分の生命、いのち、あるいは自分の人生、そのものを深く愛していくということが、美しく生きていく生き方なんだという。いわばそういう私どもの人生の先輩が残してくださったそういう言葉なり教えなりを、仏教と照らし合わせて、それが仏教で言うと、こういう言葉になると。お釈迦様はこのことをこのように表現しておられる。あるいは若い人が対象であれば、「燃えて生きる」なんていうテーマを掲げましてね。どうすることが燃えて生きるか。それは惜しみなく与えるものを持つことだ。仏教では、それを「布施」というんだ。ところが一円のお金がなくても、人に惜しみなく与えることのできるものはいっぱいあるんだとか、そういうようなことを一つのテーマとして、それぞれの対象を考えながらお話をさせて貰っています。
 
ナレーター:  出前説法を始めてから三十年あまり。多い時には、一年に二百回以上もの説法を行ってきました。話す内容は、相手に合わせて変えていますが、大体事は同じだと言います。
 

 
中西:  私が、多くの方々にお話をさせて頂く一番のベースのところには、「恩を知り、恩を感じ、恩に報いる」ということがあるんですね。ですからどういう対象の方にお話をするにしても、直接「恩」という言葉を使わなくても、今自分がここにこうして生きているということが、どんなにそれが大変なことか。どんなにそれが有り難いことなのか。それを感じた時に、自分が人としてこの世に生まれてきたということの貴さ、有り難さというものから、同時に父親とか母親とか、あるいは自分を取り巻くいろんな人々のご恩というものが、人間はそれは大切にしなくてはいけないんだ、ということを、いつも申し上げている。ところが、例えば老人会などの会へ行きますと、高齢者ばかりですから、自分が子どもの頃にお世話になった、例えば両親であったり、学校の先生であったり、あるいは友人であったり、おじいちゃんおばあちゃんであったり、そういう方々を既に亡くしておられるわけですよね。そうするとその恩返しをしようと思っても、まだ元気でいてくだされば好きな物を差し上げるとか、肩を叩いてあげるとか、なんか恩返しをすることができるんですが、もう既にお浄土へ還ってしまわれている場合は、お墓参りするとか、その方の三回忌とか七回忌とか、そういう法要にお詣りするとか、そういうことしかできないわけですよね。ですからその恩返しができなくなった時に、どうすればいいかというと、「恩送り」という言葉がありましてね、つまり既にこの世におられない方に対する恩であるならば、直接返せないので、その人から受けた恩を、例えば親から受けた恩なら、自分の子どもにそれを返して送っていく。あるいはお爺ちゃんお婆ちゃんからして頂いた恩ならば自分の孫にそれを送っていく。近所のおじちゃんやおばちゃん、いろいろそういう方々から受けたご恩であれば、いろんな形のボランティアという形で、町内会の役員をさせて貰ったりとか、あるいはクリーン作戦に参加するとか、とにかくそういう形で町おこしに少しでも協力させて貰うとか、あるいは学校の先生から受けたご恩であれば、自分の子どもの学校のために何かこう役に立つような、例えば学校の役員に選ばれたら精一杯そのことをさせて頂くとか、そういうことを、つまり受けた恩を次の世代へ、あるいは誰かに送っていくということならできるんじゃないか。それを「恩返し」ではなくて、「恩送り」とこう呼んでいるわけですね。私はそのことを知った時に、特に私らのようなもう高齢の世代の者の生き方として、残りの人生はやっぱり「恩送り」という生き方が大事ではないかな、というふうに思っておりますし、最近はそしてお話をさせて頂く機会があると、よくみなさんにそういうことをお勧めしているんです。
 

 
ナレーター:  中西玄禮さんが、出前説法を始めたのは、あるきっかけからでした。その時の体験が、僧侶の役割についての考えをより深くさせたと言います。
 

 
中西:  私の長女が、三歳の時に、ある保育園にお世話になりまして、そこのお母さんたち―私の家内も含めた仲良いお母さんたちが、七人ほどおりましてね、ある時その代表の方が家へ来られて、「今度、あの保育園で遊戯会があるんだけれども、私たちも何か子どもにしてやりたい。中西さん、指導してくれない?」というんですから、「じゃ、簡単な人形劇なら出来るでしょう」ってね。お母さん方ですから、「こういう人形を作ってよ」と言ったら、すぐ作ってくれましてね。それで一ヶ月ほどかけて人形劇の練習をしましてね、それをお遊戯会にお母さんたちの出し物として発表したんですよ。それがえらい子どもたちに大受けでね。「これはこれだけで終わってしまうと勿体ないから、このグループでこれからずっとやりましょう」と言ってね、「エプロン劇場」という名前を付けてね。それから持ちねたが少しずつ増えていったんです。そうすると、その保育園じゃなく、近隣の幼稚園や保育所から、「是非うちへも来て貰いたい」という依頼がありましてね。で、ある時、ある幼稚園から依頼があって行かせて頂いた。その時必ず私も一緒に行くんです。お母さんの持ちねただけでは二十分ほどで終わってしまうので、私が一緒に行って童話をするという。行ったら、園長先生が、待ち構えていましてね、「玄禮さん、実はお願いがあるんです」「何ですか?」と言ったら、「今日は、あなた、サンタクロースになって頂戴」と言うんですよ。「えっ!私がですか?」。この先生、私が坊さんやということを知っているんかと思ってね。「どうして?」と言ったら、「実はサンタクロースをお願いしていた方が、今日どうしても来れなくなって、で、みんな先生方困っているんです。それじゃ、玄禮さん来はるから、玄禮さんにお願いしよう。何とかお願いできませんか」というからね、「それは先生、殺生ですって、勘弁して頂戴」なんて言ったら、「そう、それは無理強いできないわね。まだ時間があるからこれを読んでくださいよ。子どもたちがサンタクロースに書いたお手紙なんです」というから、「それなら読まして貰います」と読んだんです。そうしたらいろんなことが書いてある。「サンタクロースのおじいさん、わたしにリカちゃん人形ちょうだい」とか、「ぼくにどらえもんの何とかください」とか、いろいろそういうプレゼントの要求なんですがね。その何枚目かに「サンタクロースのおじいさん、ぼくにおかあさんをください」と書いてある。びっくりしましてね。思わず前にいる園長先生の顔を見たら、ジッと私の顔を睨み付けるように見ているんですよ。〈あ、これを私に見せたかったんだな〉と思ってね、「うちの園にこういう園児がいるのよ。あなたならこの園児にどういう返事をするの?」ということをなんか問い掛けられているような気がしてね。「いや、わかりました。やらして貰います」って。サンタになったんですよ。衣装を上へ着て、鬚(ひげ)はやしてね。プレゼントの入った袋を背中に担いでね。さすがに「メリークリスマス」とは言えなかったですがね。「みなさん、こんにちわ!」と言ってね。「今日はクリスマスで、みなさんはサンタのおじいさんにいろんな手紙を書いてくれてありがとう。中にサンタクロースのおじいさん、ぼくにおかあさんをください≠チて書いたお友だちがいるね。ごめんね。今日はあなたのそういう願いに応えてあげることができないんですよ。でもね、あんたのおかあさんはね、いなくなってしまったんじゃないんですよ。この空の上の方でね、ずっと君のことを見続けているんだよ。そしてね、時には花になったり、蝶々やトンボになったり、あるいは小鳥になったり、風になったりしてね、君の周りに何かの形でね、キッといてくれていると思うよ。そしてね、君のことをずっと見守り続けていると思うよ。だから決して寂しくなんかないんだよ。いつでもくじけないでね、めげないでね、明るく頑張ってね」そんな話をしたんですね。その日家へ帰りましてね、考えたのは、サンタクロースがクリスマスになると、そうして日本のみんなの子どもたちにプレゼントを運んでいるという。子どもたちがそれを信じているわけです。お坊さんのサンタクロースの本当の正体がお坊さんだと言ったら、みんなビックリするでしょうけどね。でもお坊さんは、本来の仕事としてサンタクロースの仕事をするべきではないだろうかと。勿論形のプレゼントはできなくても、心のプレゼント、その人々が少しでも勇気付けられる。今多少生きることに疲れている人が、その仏教の話を聞いて、少しでも明るくなれる。あるいはいらいらした気持が、その言葉を思い出すと、安らいでくる。そういう仏様の教えを、一人でも多くの人の心の中に送り届けるのが、要は僧侶の仕事であるならば、僧侶こそサンタクロースであるべきだという、そういう気持がしましてね。それから幸いいろんな幼稚園や小学校や、あるいは中学校や、そういう学校から人形劇ではなくて、親に話をして貰いたいという、あるいは生徒に話をして貰いたい、そういう依頼が増えてまいりまして、やがて聞かれた方が、是非うちの会社へも来てほしいとか、うちの自治会で話をしてほしいとか、時には喫茶店のマスターが、うちの喫茶店で話をしてほしい。それで喫茶店へ行ってお客さんに話をしたりとか、そういう機会がどんどん増えてきたんですね。それを、先ほど申し上げた「出前説法」と呼んで、お話をあちこちでするようになった、というわけなんですね。
 
住田:  最近大変生きずらさを感じている人が多いと言われている世の中で、私たちは生き抜いていかなければいけない。そんな時に仏の道というのは、それを知ることは何か力づけになるんじゃないか。
 
中西:  生きるというのは、確かに辛いことでしてね。僧侶がすることというのは、勿論亡くなった方をお浄土に送って差し上げ、後の遺された家族の方々の心にどれほど寄り添うことができるかというのも大きな仕事だ、と思っているんですね。おそらく喪失感というか、そういうものに打ち拉(ひし)がれておられるご家族がいらっしゃるわけですから、例えば甲子園球場でタイガースの試合なんかあって見に行ったりする。そうすると、そのマウンドの上で投げても投げても打たれて呆然と立ち尽くす投手もいれば、打撃不振に喘(あえ)ぐ選手もいるだろうし、試合展開が思うようにいかないで、投げ出したくなるような監督も多分いるでしょうね。ところがその外野席で、応援団が六甲おろしのメロディをトランペットで吹き、フアンたちがそれに大合唱をしたりする。そういうトランペットの音で、選手たちが、〈よし、頑張ろう〉って、試合を投げないで最後まで、たといそれが負け試合でも、フアンに対して恥ずかしくない試合をしよう、と言って頑張ってくれる。あるいは選手だけでなく、そのスタンドにいるフアンたちもトランペットのメロディによって勇気付けられたあり、あるいはみんなが気持を一つにしてタイガースを応援したりしている。やっぱりお坊さんの役割というのは、いわばそういう外野席のトランペット吹きのようなところがあって、今辛い思いをしている人の心の中に、なにがしかの希望の明かりのようなものを点してあげる。それも、いわば外野席のトランペッターとしてね、仏様の教えというメロディを吹き続けることによって、それがそういう方々の心の中に少しでも響いてくれれば、それが本来の僧侶の役割だろうと、ずっと私はそのように思っていたんです。人生の応援団だと、お坊さんというのはね。私は、「嫌でない坊さんになれ」と先生に言われた時に、〈どういうお坊さんが、じゃ嫌でないお坊さんなのか〉と考えた時に、小学生の時に読んだ一休さんとか、良寛さんとか、そういうお坊さんたちは、本質的には禅の修行を積まれた立派な禅師(ぜんじ)さま方なんですよね。でも良寛さんにしても一休さんにしても、多くの人々から、「一休さん」とか、「良寛さん」とか、「さん」付けで呼ばれて、それは今なお親しみを込めて子どもたちでも、「一休さん」とか、「良寛さん」と呼ばれておられるわけですね。だから私が目指す僧侶というのは、「玄禮さん」と呼んで貰えるような、誰からもそういうふうに親しみを込めて、久しぶりに玄禮さんの話を聞いてみようかとかね、玄禮さんに会いたいなとかね、そういうふうに思って貰えるようなお坊さんになれたらな、というふうに思っているんですよ。
 

ナレーター:  玄禮さんが、法主を務める永観堂禅林寺。本尊は、阿弥陀如来(あみだにょらい)です。永観堂の阿弥陀如来は、少し変わった姿をしています。首を左にひねり、後ろを振り向く姿です。「みかえり阿弥陀」と呼ばれるその姿には、今を生きる人々が心すべき仏の願いが込められていると伝えられています。
 

 
住田:  こちらの阿弥陀様が、どうして「見返り」、ああいうお姿だなのか、これは言い伝えがあるんだそうですね。
 
中西:  そうです。この永観堂は、正しい名前は禅林寺というのが正しい名前なんですね。この禅林寺の七代目のご住職が、この永観(えいかん)(1033-1111)という方で、ほんとは正しくは「ようかん」と読むんですけども、最近は「えいかん」と読み慣わしていますので、私もこうして「永観(えいかん)さん」と呼んでいるわけですが、阿弥陀仏の信仰を非常に深くもっておられた。で、毎日一万遍とか二万遍とかというお念仏を称えておられたんですが、五十歳になられた年の二月の十五日、この日はお釈迦様がお亡くなりになった涅槃会(ねはんえ)と言います。そして前の夕方からお堂にお籠もりをされて、で、お念仏を称える行を続けられたんですね。明くる日の明け方までね。そういう特別な時は、六万遍のお念仏を称えながら、阿弥陀様の周りをグルグル回るという、そういう行なんですね。で、これから夜が明けようかという頃になって、自分が称えるお念仏のほかに、まだお念仏の声が聞こえてくる。このお堂には誰もいない筈だがと、暗闇の中を透かすように前方を影が動くので、ようく見ると須弥壇の上にいらっしゃるはずの阿弥陀様がいつの間にか壇から下りて、自分を先導するように前を歩きながらお念仏を称えていらっしゃる。あまりの不思議さにビックリして、そこに立ち尽くして、蹲(うずくま)るようにしてお念仏をこう称えていると、前を行かれる阿弥陀様が、こうふっと左後ろを振り向かれて、で、「永観遅し」と声をお掛けになった。永観はそういう「あなたの称えてくれるこの私の名前「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という名前が非常に尊く有り難いから、私も一緒に称えさせて頂いているんじゃないか。そんなところで蹲っていないで、さあ、一緒に称えようよ、という、そういう意味の「永観遅し」だったんですね。永観さんは、その振り向かれた阿弥陀様のお姿が非常に尊く思われたので、「どうぞそのお姿を末代までお留めください」と、お願いをされたら、阿弥陀様はそれ以来こうして振り向いたままのお姿で、今もなお立ち尽くしていらっしゃるという、そういう伝説があるんですね。
 
住田:  その見返りのお姿、それは今に生きる私たちになんかメッセージを与えているのではないかと言われていますね。
 
中西:  仏様が立ち止まって、振り向き待ち続けるという姿が、この見返りの仏様の姿に表現されているわけですね。そこには「自らを省みる」という意味も多分あると思いますね。自分自身の今までの生き方を深く反省するという意味も当然あるでしょうし、それから遅れてくる者、あるいは今立ち上がって生きようとするだけの気力さえ失っている者、大事な人をなくして、これからどう生きていこうかと、今逡巡(しゅんじゅん)、躊躇(ためら)っている人、いわばそういう「弱者」という言葉が適当かどうかわかりませんが、仏様の前に回って拝むことさえできない、そういう人々を、だからこそ見捨てないんだと。こうして振り向きながら、いつも気にかけ気にかけ、その見守り続けているよ、ということを表しておられる、という、そういう姿。と同時に、もう一つ考えられるのは、振り向くという姿の中には、私たちが、過去に忘れてきた日本人のもっている美意識であったり、あるいは倫理観であったり、お互いが助け合って生きていくという観念であり、あるいはお年寄りを大切にするというような、そういう美徳や価値観をもう一度取り戻そうよ、という、そういう失ったものに対して、それが実は大事なんだよ、というふうに、私たちに示していてくださるという意味も、そこにあると思うんですね。さらに私は、最近このお寺へお詣りに来てくださる若い方々に申し上げているのは、阿弥陀仏という仏が立ち止まって、そして振り向いて待ち続けておられるという姿の中には、「あきず」「あせらず」「あきらめず」という、こういう三つの心が、この「振り向き待つ」という姿の中に現れていると、私は思う。というのは、『無量寿経(むりょうじゅきょう)』というお経の中に、「志願無倦(しがんむけん)」という言葉があるんですね。「志」と「願い」、「無倦」というのは、倦むことがない。飽きることがないという、そういう文字です。これはどういうことかというと、阿弥陀仏がすべての人を救おうという、そういう願い―これを仏教では、「志願」とか「誓願」とか呼んでおります。「誓い」と「願い」ですね。そういう思いは飽きることもなければ、諦めることもない。そういう「あきず、あせらず、あきらめない」阿弥陀仏の志願、誓願が、立ち止まって振り向き待ち続けるという姿として表現されているんですよ、というふうに、お話をさせて貰うんですね。この「あきず、あせらず、あきらめず」という、この言葉は、ただ単に阿弥陀仏のお慈悲の働きを、現代風に述べたというだけではなくって、例えば親が子どもを教育する家庭教育にも当て嵌まることですし、学校で先生が授業をする、あるいはクラブ活動の指導をする。そこにはやはりこの教育の世界にも、「あきず、あせらず、あきらめず」という思いは当然必要でしょうし、また家庭の中でお年寄りが寝たきりになられた。当然介護する側と介護される側の人が家の中におられたりすると、そのどちらにも必要なのは、「あきず、あせらず、あきらめず」ということが、介護する側にも、あるいは介護される側にも必要な心ではないかと思っているんですね。
 

 
ナレーター:  私たちが生きていく上で、決して避けることのできない老いや病、そして死。玄禮さんは、仏の教えに込められた人生の苦しみと向き合う智慧に思いを馳せれば、ピンととして生きていけると考えています。
 

 
中西:  仏教では、共通の教えがありまして、それを「仏教の三本柱」と呼んでいるわけですが、一つは、「報恩感謝(ほうおんかんしゃ)」という柱があって、分かり易い言葉でいうと、さまざまなご恩を感じ、その恩に報いるということと、同時にそのご恩に対して感謝するという心が一つの柱です。二つ目は、「懺悔滅罪(さんげめつざい)」という柱で、これはそういうご恩を頂いておる自分でありながら、それに反する行動をしたり、あるいは怨んだり、妬んだり、時には相手を傷付けたり、ということを、これまでどれほど繰り返してきたか。特に親に対して自分はどれほどの親不孝を重ねてきたか。それは誰でもけっこうあるのに、気付かないところで、親だけでなく、いろんな人に対して、どれほどの迷惑をかけてきたか。そう考えた時に、懺悔(さんげ)、至らない自分であったとしみじみと自分のそういう罪深さを反省するということも、仏教の大きな柱として教えられているんですね。三番目は、「誓願立志(せいがんりっし)」という柱で、自分一人が幸せになるということを追い求めている時代はもう終わったんだ。自分に縁のある親であったり、子どもであったり、家族、あるいは隣近所の方々、友だち、そういう方々のご縁を大切にしながら、同時にそういう方々の幸せのために、自分は何ができるか。それを考えながら、一人でも多くの人の幸せに繋がるような生き方をしようと願い、さらにそれを実践していくのが、仏教の教えの根幹にあるわけですね。それを英語で言った方が分かり易くて、日本の仏教を、英語で言えば、何かというと、最初は「Thank you」、二つ目が、「I'm sorry」、三つ目は、「I love you」、これが仏教だ、って。この方が分かり易いね。
 
住田:  感謝する。今日無事であったこと、あるいは自分にいいことがあった、これには感謝する。あるいは自分に非があった、自分を悔いる。自分を見つめて照らすことまではできても、みんなと共に、あるいはみんなが幸せにあればと、ここのところが今大変難しいのかなという気もします。自分が生きることで精一杯で、なかなかみんなと共に生きていくというところに心が向きにくい風潮もありますよね。
 
中西:  だからと言って、自分の幸せだけを追い求めていいのか、ということですよね。一人でも多くの人の幸せを、幸せのために何かができなくても、そういう人々の幸せを祈ることはできる筈ですね。例えば寝たきりになっても、誰かの役に立つなんてことは、何もできないと。何の役にも立たない老いぼれですから、早くお浄土に行きたいなんていう方も、中にはいらっしゃるかも知れない。そうじゃなくて、今こうして今生きているそこに感謝する気持ちと自分自身を反省する心と同時に、まあ多くの人と言えばちょっとあまりにもこう漠然としておりますから、せめて自分と縁(ゆかり)のある方々が、どうか幸せでありますように、と願い続けることは、私は大事なことだと思いますね。そんなふうに願うというだけでも、その人のことを思っているわけですから、具体的に何かをして差し上げることはできなくても、そういう思いが私は今求められているんだと思いますね。
 
住田:  我は何ができるかと思うのではなく、できることはあるじゃない、ということですね。
 
中西:  そうですね。
 
住田:  それが、例えばどういう言葉でそういったのは表されるんですか?
 
中西:  これは私が先ほど申し上げた出前説教などで、どういう対象であっても、必ず一番最後にお話するのは、「惜しみなく与える人になりましょう」。たといそれは赤ちゃんであっても惜しみなく与えるものを持っているんです。寝たきりになられた方であっても、惜しみなく与えるものを持っていらっしゃるんです。それは何かというと、『無量寿経』のお経の中に説かれた言葉で、「和顔(わげん)」「愛語(あいご)」「先意承問(せんいじょうもん)」という、この三つがずっと書いてあるんですね。お経の言葉で八文字ですが、この三つは誰にでもできる尊いお布施なんですよ。惜しみなく与えることによって、自分と与えられた人との心がそこに通い合うそういう大きな力が、この三つにはあるんですよ、と。それはどういうことかというと、「和顔」というのは、要するに明るい笑顔ということですね。赤ちゃんの笑顔というのは、もうそれを見るだけで周りのものが和むわけですから、だから微笑みというのは、どういう働きがあるか。心が和み、心が安らぎ、自分もまた笑顔になれる。そうするとお互いに心が開き合うわけですね。心が開き合うと気持が通じ合うわけですから、それが先ず笑顔という「和顔」という言葉の持つ大きな力ですね。誰にでもできる。二つ目は、「愛語」愛情の籠もった言葉ということですね。どんな言葉が愛語かと言えば、いろいろあるでしょうけれども、誰にでもできる愛語と言えば、「おはよう」とか、「おやすみ」とか、あるいは「頂きます」とか、「ごちそうさま」とか、「行っていらっしゃい」とか、「お帰りなさい」とか、「ありがとう」とか、「ありがとう」なんて最高の愛語だと思いますね。あるいは日本語の中でも、美しいなと思うのは、「はい」という返事ですね。こういう何でもない挨拶言葉だけれども、これが三番目の「先意承問」―「先意」相手の意見、相手の心、それが先意です。「承問(じょうもん)」というのは、承(うけたまわ)り問い掛けるという文字が使ってありますから、相手の心を承る、あるいは問い掛けるということは、相手の気持ちになってみる、ということですよね。相手の立場になってみる。もっと分かり易くいうと、「相手を思いやる」という心を、仏教では、「先意承問」と教えているわけですね。そうすると、主人は奥さんの身になってみる。奥さんは主人の立場になってみる。親は子どもの身になって見る。子どもは親の立場になってみる。あるいは年寄りは若者の身になってみる。若者は高齢者の身になってみる。そこにお互いが共に生きるための「尽くし合う」、あるいは「支え合う」という行動になって現れてくる筈なんですよね。その基本に「先意承問」という、相手を思いやるという心があれば、単なる笑顔が、単なる笑顔じゃなくって、和顔という、相手の心と一つに通じ合う笑顔であり、愛語という愛情の籠もった言葉となるわけです。
 
住田:  「和顔、愛語、先意承問」これを行うということが、先ず一歩だということですね。
 
中西:  そうですね。そのためにもう一つ仏教のキーワードに、それも現代に求められているキーワードに、「少欲知足(しょうよくちそく)」という言葉があるんです。欲を少なくして足(た)ることを知る。つまりある部分では、今は幸せだと感じられなければ、永遠に幸せは来ないという、そういうような受け止め方もできるんですね。欲を少なくして、今あることに幸せを見付けていこうという。足るを知るという考え方。何にもできない人でも、今生きているだけで、十分に価値はあるんだよ。なら尚のこと、そこに笑顔があったり、あるいは「お蔭様」という感謝の言葉や「有難う」という言葉があったり、そして多くの人の幸せを祈るという、そういう心があれば、〈あ、この世に生まれてきて良かったな、今生きていることが幸せなんだなあ〉という、そういうふうに感じられるでしょうし、そんなふうに思う人というのは、やはり人生を前向きに捉えながら、それこそ凛(りん)として生きていくことができるのではないか。そんなふうに最近強く感じています。
 

ナレーター:  平安時代から紅葉の名所として知られている永観堂。秋ともなると、幾千もの紅葉が色づき、錦の織物のように美しい光景が境内を埋め尽くします。この秋の紅葉と人生の秋を重ね合わせ、中西玄禮さんは、残りの人生をどのように生きるかについて、思いを巡らせています。
 

 
住田:  春は桜、そして秋は紅葉。紅葉もやがて散りゆくものですけれども、そういう姿を見ていると、私たちもいろいろな思いを重ねるものですよね。
 
中西:  そうですね。桜と違って、紅葉というのは、やはり今おっしゃったように、無常観と言いますか、もう秋から冬にかけての季節を彩る紅葉(こうよう)ですので、その紅葉(もみじ)を見ながら心のどこかで世の無常というか、いつか自分も紅葉が散るように、大地に還っていくことがあるのかも知らないというのを、無意識の中に私たちはこの境内を歩きながら感じているんだと思うんですね。法然上人が、この秋の紅葉の季節を詠われた歌がありましてね、
 
あみた仏に(阿弥陀仏(あみだぶ)に)
そむる心の(染(そ)むる心の)
いろにいては(色にいでば)
あきのこすゑの(秋の梢(こずえ)の)
たくひならまし(類(たぐ)いならまし)
 
こういう歌なんですね。阿弥陀様のお慈悲の光に照らされると、秋の梢には、真っ赤な葉もあれば、黄色く色付いているのもあるし、まだ青い部分もあれば、グラデーションの葉っぱもある。病葉(わくらば)という虫食いの葉もあれば、大きい葉もあれば、小さい葉もある。それがこう山全体を覆っていて、で、その秋の夕日に照らされると、それぞれがそれぞれの色を発して、上手にその錦のような鮮やかな輝きを見せている。そのように人としてこの世に生きとし生けるものすべてが、阿弥陀仏というお慈悲の光に照らされると、年寄りは年寄りとしての光があり、若い者は若い者としての光があり、子どもは子どもの光があり、赤ちゃんには赤ちゃんの光がある。男には男の光が、女には女の光がある。それが赤であったり、橙色であったり、黄色であったりとか、さまざまなそれぞれの個性を輝かせつついずれはみな仏様のお浄土、大地へ散り敷き還っていくのですよ、というそういう意味のお歌なんですね。
 
あみた仏に(阿弥陀仏(あみだぶ)に)
そむる心の(染(そ)むる心の)
いろにいては(色にいでば)
あきのこすゑの(秋の梢(こずえ)の)
たくひならまし(類(たぐ)いならまし)
 
ちょうどこの季節になりますと、私はいつもこの歌を思い出すんですがね、私もまた紅葉のひと葉として最後は赤く輝きながら、裏も見せ表も見せて仏様の大地に還っていけたらなぁって思いますね。
 
     これは、平成二十五年十一月三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである