歌声は生きる力
 
              大阪音楽大学教授
              短期大学部副学長 本 山(もとやま)  秀 毅(ひでき)
1958年京都府生まれ。京都市立芸術大学音楽学部声楽専修卒、フランクフルト音楽大学合唱指揮科卒。指揮をヘルムート・リリング、ウベ・グロノスタイに師事。宗教音楽を中心に演奏活動を続け、1988年「京都バッハ合唱団」を設立、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの声楽作品の全曲演奏に取り組んでいる。合唱団の客演指揮者、講習会講師、コンクール審査員として合唱音楽の普及に努め、オペラの合唱指揮にも活躍。1991年にはクリストファー・ホグウッドの演奏会の合唱指揮。2000年5月京都バッハ合唱団のメンバーを再編成し、「大阪チェンバーオーケストラ」と「バッハアカデミー関西」を設立(バッハの教会カンタータを教会の暦にあわせて主題ごとに連続して演奏)。2007年10月6日には長崎市公会堂で行われた「ながさき音楽祭2007コーラス」の祭典での合同合唱でも客演指揮者を務めた。
              き き て    品 田  公 明
 
ナレーター:  バッハ(ドイツで活躍したバロック音楽の偉大な作曲家:1685-1750)のミサ曲の演奏会です。指揮をしているのは、大阪音楽大学で合唱を教えている本山秀毅さんです。この合唱団は、バッハの合唱曲の魅力を伝えたいと、本山さんが二十五年前に結成しました。教会音楽を中心に演奏会を開き、その活動は国外にも及びます。長年合唱に携わってきた本山さんですが、声を合わせて歌うことの力を、最近改めて思い知らされたと言います。それは東北の被災地の中学生たちの歌声です。震災と原発の放射能汚染で引き離された友人たちへの思いを、自分たちの言葉で訴えかける歌声に、本山さんの心は震えたと言います。今回の「こころの時代」は、大阪音楽大学教授の本山秀毅さんに、歌声―殊に声を合わせて歌う合唱が、人々の心に与える力について聞きます。
 

 
品田:  本山さんが、合唱と出会ったきっかけというのは何だったんでしょう?
 
本山:  音楽に出会ったのが、中学に入ってから、それもほんとに偶然と言いますか、担任の先生が音楽の先生で、そこはキリスト教の学校だったんですけども、聖歌隊という活動がありまして、それに来ないかと、かなり強く勧められまして―ほんとはスポーツなんかもやりたかったんですけども―上手く「声がいい」からという理由で乗せられて、そして聖歌隊に入ったのが最初の合唱の出会いでした。ですから小学校の時は、音楽の時間に歌ってはいたでしょうけど、声を合わせてハモるというようなことの経験はなかったんです。
 
品田:  中学で触れたこの合唱というのは如何でしたでしょうか?
 
本山:  そうですね。今までもそこが原点だというふうに思いますのは、一人で歌っていても、大勢で声を合わせて歌っていても、それなりに楽しい時間というのはあるんですけど、違うメロディがこう一つになっていくというんですかね、それは理屈ではそうなるんだろうな、というふうにわかっていても、気持の部分でなんか非常に心が豊かになるというか、わくわくするというか、子ども心にそういうことの積み重ねがあったんで、ますますのめり込んでいったというような気がしますけどね。その中学校のコーラス部は、かなり中学生にはレベルの高いものも提供していたと思うんです。レベルが高いと言いますのは、いわゆる大作曲家の名曲であるとか、今までもこの歳になってするようなレパートリー(repertory:演奏曲目)を、勿論技術的にはいかなかった部分もあると思うんですけど、中学生が歌ったりしていて、勿論背景のことなんかも調べたんでしょうけど、本物にこう出会わせてくれたというか、そういうものに触れさせてくれたという、その時間の重みというのは、今になってほんとに貴重なものだったなと思います。
 
品田:  どんな時が印象に残っていますでしょう?
 
本山:  クリスマスですね。キャロリング(Carolling:クリスマス・イブにキリストの生誕を賛美歌を歌って知らせる)と言ってメンバーで先生方の家を廻って歌うんですね。そんなことは、勿論小学校で経験したことなかったことでしたし、こういうシーズンにこういう歌をこんなふうに提供することで、歌声を通じて喜びが広がっていくんだなというのを感じたような気がします。
 
品田:  一軒一軒先生のお宅を廻って、どんな様子なんでしょう?
 
本山:  みんなと同じ時間を夜更かしできるということだけでも、非常に楽しいことなんでしょうけど、まあ先生方だけでなくって、近所の人もその歌声に耳を傾けるということですね。自分たちの歌を通したメッセージが届いているという実感を凄くもった時間だったような気がします、今思うと。練習した歌―練習している時には、それがどんな形で相手に届くかということを、その当時はそんなに想像しながら練習したわけじゃないんですけど、そうやってクリスマスの夜というシチュエーション(situation:場所、状況)があって、そこで歌った歌が、こんなふうに聞いている人に届いていくんだなというのを知って非常に心躍る瞬間だったような気がしますけどね。
 
品田:  やはり普通の合唱とはまたそういう時は違うわけですか?
 
本山:  はっきり合唱なり歌声が―意味やメッセージというのかな、そういうものを携えていっているという。これはクリスマスの音楽ということを一般的に考えた時に、ただ音の楽しみじゃなくってメッセージなんです。歌声と共に届くという意味で、その原体験のようなことをしたんじゃないかなというふうに思いますね。
 

 
ナレーター:  歌声の世界を究めてみたいと、本山さんは思うようになり、両親の反対を押し切って京都市立芸術大学の音楽部に進学します。
 

 
品田:  学生時代に印象的な体験をされたそうですね。
 
本山:  大学に入学して間のない頃だったんですけども、一年生の夏休みに演奏旅行に出かけたんですね。演奏旅行というのは、学生が中心になって企画して、大きな街でメーンの演奏会をして、そしてその周辺で、例えばお年寄りのところに演奏に行ったりとか、あるいは病院に演奏に行ったりとかというようなことを企画して行ったんですけど、その頃広島に行ったんですが、原爆病院なんかも訪れたんですけども、盲学校にも演奏に行ったんです。盲学校にはどんな人が学んでいるかということは、勿論知っていたんですけど、そこで演奏する段になって、ほんとに今でも忘れられないんですけど、視力の不自由な方というのは、他の感覚を働かせていろんなことを模索される。それはいうまでのないことなんですけど、「これから演奏始めます」と言った時の彼らの集中力と言いますか、全身の神経が耳に集まる感じが痛いほどわかったんですね。で、音を発するというのは、こんなにも大変なことで、責任あることなのかというふうに、彼らの様子を見て―まだ音楽を学び始めたとこでしたから、強く印象に残った記憶があるんです。音を出している方は、聴いている方の、届いている方の感覚に、思いを十分発せられているかというと、そうでもないことも多いんですね。こちらから一方的に発声していることも多いんですけど、その時ほんとにこれから演奏を続けていく上で大切なことを教えてくれた体験じゃなかったかなというふうに、今になって思いますね。四年間大学生活の中でもほんとに五本の指に入るくらいの強烈な出来事でした、音楽に関して言えば。
 
品田:  発したものを受け止めてくれる、そして求めてくれるという世界だったんですね。
 
本山:  どんな音が出てくるのか期待して待っている。自分たちが求めているものがそこにあるかどうか集中しているというのがわかったんですね。だからただ勿論聞くということは誰もしていることなんでしょうけど、聞く密度と言いますか、本来でも演奏に携わる者であるとか、先ほどから出ている合唱のことでも、聞くということなしには、次へ進めない領域だと思うんですね。だけどほんとに原点みたいなことを、期せずして体験させて頂いたというふうに思います。中学校、高校の時に受験をするために声楽を学んでいた時は、誰かに向かって発信するというよりは、自分に向かって、そして自分が高まっていくような音楽の方向だと思うんですね。今お話した盲学校の経験というのは、音を出すということが、一つの方向をもって人に届くんだということを、届かせる責任を伴うんだということ、それから届く先が意識された時に初めて一つのしっかりした関係性のある音が発信されるんだなというふうに感じたという意味で、今客観的に分析すると、そんなふうに思います。その時はすべて感覚的に〈あ、こんなことだったんだ〉って、何もかも一緒にショックを受けたんですけど、今になって落ち着いて考えてみると、そういうことを気付かせてくれた経験だったんだなというふうに思いました。
 

 
ナレーター:  中学生の時、聖歌隊に参加して、声を合わせて歌うことの歓びを知った本山さん。歌う歓びを次の世代に伝える仕事に携わりたいとの思いから、中学校の教員になります。
 

 
品田:  中学校の先生になられたわけですが、どういう学校生活だったんでしょう?
 
本山:  新しい教員になった先生方は、みなそう感じられると思いますけど、学びの連続と言いますか、結局教えに行っている立場なのに自分が学ぶことばかりです。ですから一年やってみて、ほんとに素晴らしい機会もあったし、教えることがたくさんあったんですけど、ひょっとしてこういうふうにして教えていくことが、子どもたちにとってほんとに幸せなことなのかどうかというのを大いに悩みました。ですから自分に包容力とか、あるいは器の大きさみたいなことがないままに、子どもたちと肩を並べて奔(はし)っている教員も、魅力は魅力でしょうけど、そこでもっと自分には必要なものが、たとい教員になるにしてもあるんじゃないかなというふうに、最終的に感じた一年間だったような気がします。
 
 
ナレーター:  教師として教えることに悩んでいた時、その後の人生を大きく変える出会いが本山さんを待っていました。それはバッハの専門家として世界的に知られる合唱指揮者のヘルムート・リリング。ドイツから来日していたリリングと大学の先輩を介して出会います。
 

 
本山:  自分にとってのもう一つの大きな出会いだったと思います。彼は、一時日本でバッハの音楽の啓蒙のために、何年か続けて音楽の講習会をしていたんですね。私は、勿論その当時その講習会に参加して、何かできるような音楽的なレベルじゃなかったですけれど、自分の大学の先輩が先にドイツへ―女性でしたけど―行っておられて、それで「そういう合唱の音楽に興味があるんだったら紹介するから」ということで紹介してくださったんです、講習会の時に。で、リリングさんは非常に温かく迎えてくださって、彼自身はそういう海外からの留学生をほんとに手厚く受け入れていたので、自分にとっても一つの運命的な出会いでしたけど、幸運な出会いだったと思います。
 

 
ナレーター:  リリングの元で本格的に音楽を学びたいとの思いが募り、本山さんは一年で教員を辞め、ドイツへ留学します。その時本山さんは、声を合わせて歌う合唱の道を進むことにしたのです。
 

 
本山:  日本では声楽を学んでいたんですけども、一人で深く突き進めていくのも一つのやり方でしょうけども、何か中学校で教員をしているということもありましたので、多くの人と音楽を共有できるようなジャンル(ラテン語のgenus(種属)を語源とし、共通の性質をもつ一群のこと。芸術、ことに文芸における、類型的にまとめられた作品群をさす)、それと先ほどの名前が挙がっていたヘルムート・リリングという人が、宗教音楽、とりわけバッハの専門家であったということを考えて合唱音楽というジャンルですね、これは日本ではまだまだアカデミックに勉強できる場所というのは多くないんですけども、ドイツでは教会音楽なんかにもちゃんとした仕事になる部分がありますので、そういう人たちのためにドイツ音楽大学には、合唱指揮科がありまして、ここで勉強するというのは、ひょっとしたらなかなか日本ではできない学びができるんじゃないかなというふうに思ってチャレンジしたというわけですね。だから合唱の音楽を専門的に、自分が一人で歌うということを学んだうえに築いていければなあというふうに感じました。
 
ナレーター:  入学中のドイツでも教会の礼拝に通った本山さんは、日本の教会では経験したことのないような感銘を受けました。それは三○○年も前のバッハの音楽が、今の人々の暮らしに溶け込んでいるという日常の光景でした。
 

 
本山:  日曜日の朝にバッハの教会音楽が流れる。これは独特の時間がそこに再現されると思います。これは自分がちょっと贔屓目(ひいきめ)に言っているのかも知れないけども、幸せな、そしていわゆる聖書の言葉なり、その聖書の言葉に対して感想を述べたような言葉が、歌詞に使われるんですけども、その言葉と共に彼の音楽が鳴るというのは、ある意味最高の日曜日の朝の―平たい言葉で言えば―BGM(background music:背景に流す音楽)のようなそんな気がします。例えばその音楽が日曜日の礼拝の中で響く時に、その距離感はグッと縮まるんですね。今でも歌っている賛美歌のメロディ、そして今でも口ずさんでいる歌詞が、彼の音楽に乗って届けられる。それは普通の人にとっても、ほんとに身近な存在に感じる瞬間に違いないと思います。人々がそこで同じ思いになるというか、その歌詞に描かれている言葉を、共通モード(mode:様式、音階、旋法)のものとして認識するという。これは一つの素晴らしい効果なんですね。勿論バッハの音楽も―僕が、バッハの音楽というだけでなくて、合唱を学ぶということとの接点になっているんですけど、シンプルなメロディの中に自分たちの共通の「祈り」と言ってもいいかも知れません、「願い」と言っていいかも知れません、そういうものが表現されているということですね。これは合唱のもつ大事な美しい点だと思うんです。それがバッハの音楽には溢れているという意味で非常に魅力を感じました。
 

ナレーター:  日本では、トッカータやフーガト短調やG線上のアリアなどの管弦楽組曲で知られるヨハン・ゼバスティアン・バッハですが、信仰に生きた作曲家と讃えられるほど、宗教的な声楽曲を数多く遺しています。バッハの曲は、ドイツの教会で日常的に歌われ、人々は祈りや感謝の思いを重ねています。
 

本山:  バッハの合唱に関わる作品のジャンル―カンタータ(Cantata:17-18世紀前半における重要な声楽形式、バッハは教会礼拝用の教会カンタータを多数作曲した)と言われるようなジャンルがあるんですけど、これは宗教的な主題を一つの簡単な曲の組み合わせで纏めたもんなんですけども、その最後にいつもコラール(Choral:ドイツ・プロテスタント教会で歌われる賛美歌)と呼ばれる讃美歌が歌われるんですね。で、当時から教会に集まる人たちが一緒に声を合わせて歌っていた音楽なんですけど、それが彼の作品の中に出てくることで、勿論その曲を聴いている人たちは、一緒に声を合わせて歌わないけれども、心の中で多分その歌詞と音楽を共有しているんですね。そういう三百年も前の曲に出てくる音楽や歌詞を聴いている人が、同じ次元で共有できるという世界がドイツにはあったと思うんです。勿論時代も変わっていますから、すべてドイツ人がそのように受容しているとは思えないですけども、少なくとも博物館から引っ張り出してきたような音楽の値打ちじゃなくて、今に生きているというか、今の生きる人たちにもメッセージをしっかりと発信しているような音楽というふうに、僕には理解できたんですね。それは今まで自分が思っていたクラシック―クラシックという言葉がそうさせますよね―古典という言葉は、ある意味古典であって、現在に息づくのかどうかという意味なんですけど、それをはっきりと認識したということですかね。ですからそのコラール(ドイツで盛んに歌われた賛美歌)―讃美歌のメロディがたといステージの上で歌われる演奏会であっても、聴いている人はその言葉と音楽を共有しているわけですね。基本的には共通なボキャブラリー(vocabulary:語彙)ですから。その瞬間というのをバッハも狙っていたんだと思うんですね。そういうことができる可能性のある音楽、これも是非自分が日本でもそういう空間を自分の手で再現できればなあと思いました。
 
 
ナレーター:  ドイツに留学し、リリングの元で合唱の研鑽を積んでいた本山さんは、ある日今度の身の振り方をリリングに相談します。
 

 
本山:  三年半学びをした後に、「自分はもう少しドイツに残って、こういう仕事をドイツでしたいんです」というふうに相談を持ちかけた時に、しみじみと、「それは多分できるだろうと。だけど君の役目は、日本へ帰ってここで学んだことを種を蒔いて育むというのが、私の希望だ」というふうに言ってくれて、それで随分踏ん切りがつきました。というのは、自分のこれから進むべき道筋みたいなことを、端的に伝えてくれたような気がしたからです。
 

 
ナレーター:  一九八八年、ドイツから帰国した本山さんは、早速バッハの声楽曲を中心に据えた合唱団を結成します。ドイツの街中の教会で体験した三百年の時を超え、人々が声を合わせて心を繋ぐ歌の力。それを日本でも広めたいとの思いで、本山さんは合唱団を立ち上げたのです。
 

 
品田:  留学から帰られて、すぐに合唱団を結成されたんですね。
 
本山:  そうですね。如何せん一人では音が出せませんから、自分の意思を理解してくれる人たち、勿論日本を離れる前から知っている人たちがほとんどだったんですけども、お声かけしたところ快く二十数名集まってくださいまして、早速「京都バッハ合唱団」―その当時はアンサンブルという名前でしたけども―合唱団を立ち上げて、三月には第一回の演奏会を開いていたという、そういう状況がありました。
 
品田:  大きな目的というのは、どこにあったんですか?
 
本山:  バッハの音楽というのは、ただ感覚的な楽しみだけでなくて、理解して深く楽しめるというようなところがあるわけですね。音楽はすべて感性と知性のバランスでできているとよく言われますけども、感性だけを満たすものではなくて、知性の部分を、聴衆の人にも理解して頂きながら演奏会をしようと思ったんですね。ですからその名前はドイツ語で「ゲシュプレヘスコンチェルト」―「ゲシュプレヘス」は対話という意味があるんですけども、対話をしながらの演奏会みたいな、そういうような形で演奏会を企画しまして、バッハの宗教音楽作品で、その形式でもって続けてきたという経緯がございます。
 
品田:  対話というのは、まさに人と接していくことですね。
 
本山:  そうですね。そこでは曲と聴衆との対話というニュアンスで使ったんですけども、その説明をすることによって気が付かなかったようなバッハの音楽への思いとか、曲の仕掛けみたいなことがわかってくるわけですよね。それを理解して聴くと感じ方も違ってくるという、そういうことを狙ったわけですけど。リリングも同じ形でドイツでそういう演奏会をしていました。ですから私より遙かに基本的な知識や理解力という意味で、言葉のことを含めて、高いであろうことが想像できるドイツ人さえも、そういうコンサートによって理解を深めていたということを考えると、自分たちのところではそういうものが必要なんじゃないかという、実際聴衆のみなさんも非常に喜んでくださっているというふうに思います。
 
品田:  演奏会での聴衆のみなさんの反応というのは?
 
本山:  今まで知らなかったことを知って、そして感覚を満たす響きと連動して、音楽に接すると感銘の深さも違うというふうには思われるし、音楽のジャンルの中では、そういう説明をしてもあまりないような、ほんとに感覚を満たすだけのようなジャンルの音楽もあるんですけど、バッハの音楽はそうではなくて、知的な興味を満たすことでさらに深く感じられるという、そういう感想を抱いています。
 
品田:  何か今お話を伺っていますと、バッハがとても近いところにきたような気がします。
 
本山:  有難うございます。是非難しいものというふうに思われないで、ほんとに季節に応じてと言いますか、教会歴(キリスト教で用いられる暦)という、教会の暦に応じて曲を作っているんですけども、日本の春夏秋冬とはまた違いますけども、例えば復活祭があったり、クリスマスがあったりというような、そういう教会の暦に応じて曲ができているということは、我々の時間の過ごし方とも上手く一致するところが見つかって、聴く楽しみを増やしてくれると思います。
 
品田:  まさに本山さんがドイツで感じられた一般の中の人たちの中の音楽の世界ですね。
 
本山:  そういうふうに自分が接点となって、これも無作法な言い方かも知れませんけど、バッハの音楽に少しでも近づいて頂ければなあというふうに思っていますし、そういう思いでもってこのグループを立ち上げて今に至っています。
 

 
ナレーター:  バッハの合唱団を結成してから四半世紀。この間に本山さんは、音楽大学の講師から教授にまでなります。大学で教えながら年齢も構成もさまざまな各地の合唱グループの指導にも取り組んでいます。この日、本山さんは、高校生の総合文化祭で合唱する生徒の指導に三重県へ出向いていました。本山さんが、中学生や高校生に特に熱心に伝えているのは、言葉を大切にして心を通わせ合うことです。
 

(合唱指導の場面から)
 
本山:  とてもいいです。こんな感じ。ただ歌っているだけでなくて、歌っている歌詞の言葉をしっかり考えながら、音譜とともに進めてください。ただ覚えた通りずっと流しているだけでなくて、思いが籠もっていること。合唱の面白いところは、これだけの人がなんか一つの気持でこうしようと思ったら、スッと出てくる時がある。一人だったら伝わらないようなことが伝わるからね。それを絶対やってほしい。
 

 
ナレーター:  本山さんは、十年ほど前から東北の高校にも足を運ぶようになっていました。そして二○一一年三月十一日、本山さんと合唱で繋がっていた人たちも、大きな被害を受けました。
 

 
本山:  震災の前から、実は東北地方には何度も足を運んでいました。それはご存じかどうかわかりませんけども、東北地方が非常に合唱の盛んな地域だということに由来します。コンクールの審査だとか、文化部が主催するような講習会にも何度も足を運びました。震災後は、自分のできることが何か、と、それぞれみなさんが考えたと思うんです。例えば義捐金を拠出することも一つでしょうし、あるいは居ても立っても居られずにボランティアに現地に入った人もいたでしょう。だけど自分は合唱のことをずっと続けていく中で、何か自分のやっていることが一番良い形で被災地のみなさん、被災地で合唱をやっている人たちに届かないかなというふうに考えました。何度も足を運んだというわけではないんですけども、岩手県の沿岸部の学校で合唱部のあるところに行かせて頂いて合唱を指導した。彼女らの思いというのは、僕の理解ですけども、何かこの震災によって自分たちの日常と言いますか、普通に進んでいくべき時間の流れが妨げられるのが、一番悔しいような気がしたんですね。悔しく思っているような気がした。ですから部活が去年のように同じように進んでいって、そして一つの成果として作品ができあがっていくことを心から願っているような、そんな感じを受けて帰って来たんです。
 

 
ナレーター:  二○一二年八月、本山さんは、合唱コンクールの審査員として福島県へ来ていました。そこである中学校の生徒たちの歌声に大きな衝撃を受けました。南相馬市市立小高(おだか)中学校の生徒たちが声を合わせて歌う「エレミアの哀歌」です。「エレミアの哀歌」は、旧約聖書の時代に、予言者エレミアが、エルサレムが焼き尽くされ、バビロニアへ囚われたことを嘆いて綴った歌とされます。
 
すべての道行くものよ
立ち止まって見てみなさい
私の苦しみに似た苦しみがあるかどうかを
 
すべての民よ、立ち止まり
私の苦しみを見てみなさい
私の苦しみに似た苦しみがあるかどうか
 

 
本山:  これは昨年一年間の自分のさまざまな音楽活動の中でも一番大切で衝撃を受けた出来事だったかも知れません。自分は前から福島県大会というのに足を運んでいたんですけども、今回はどんな合唱を聴かせてくれるだろうなという思いは勿論ありました。それでプログラムをこう見てみると、やはりと言いますか、当然と言いますか、福島県はご存じのように浜通、中通り、会津地区と、大体三つの場所に分かれていまして、浜通というのは、例の原発事故の影響でいろんなことが滞っている地域だということが言えると思います。ですから浜通、いわゆる南相馬市だとか、いわき市だとか、数えるぐらいのグループが参加するだろうなというふうには思っていたんですけども、いわき市からはかなりのグループが出てきていたんですが、いわゆる原発事故の影響をもろに受けた少し北の方になるところですね、相双(そうそう)地区(双葉、相馬地区)というんですかね、そこの名前は、以前の名前はほとんどなかったんですね。目を凝らして見ると、一つだけ南相馬市立の中学校がエントリーしていた。ここに名前が載るということ自身は、名前が載るということに至るまでには、本当に多くの苦労があったというふうに、その名前を見た時に思いました。たくさんの出場校の中の一校だったんですけど、当然どのような演奏を披露してくれるのかと期待に胸が膨らんでいたんですね。演奏が始まったんですけど、彼らが歌った曲は、「エレミアの哀歌」という音楽で、作曲はアメリカ人の現代曲なんですけども、その歌詞は旧約聖書のエレミアに基づいたもので、故郷を破壊された人々の激しい怒りと嘆きの歌なんですね。僕は、先ほどからお話しているように、教会の音楽―宗教音楽作品に比較的親しんできましたから、エレミアの哀歌という歌詞が何を語っているかということにピンときたわけです。多分歌わせていらっしゃった先生は、もう多くの思いをもって、このメッセージを子どもたちと共にコンクールで披露させたいというふうに思われたんですね。そしてその演奏を聴いたんですけど、表現する激しさや意思とか訴求力とか、あるいはもう指揮棒しますから解るんですけども、先生の指揮から出てくる思いというのは、僕が今まで経験したことがないような力強いものをもっていたんです。感動したという一言で片づけてしまうのは、あまりにも大きな時間だったんですけど、本当に胸がいっぱいになると言いますか、彼らの思いを、その歌に至るまでの思いを考えた時に感じた凄い時間でした。これが非常に偶然が偶然を呼んだと言いますか、いわゆるソーシャルネットワークシステム(SNS)をやっておりまして、その演奏を聴いたその夜にその感動を言葉にして発信したんですね。すると、その中学校の指揮をされていた先生の大学時代の同級生という方からすぐにリアクションがありまして、「そういうことでしたら、私がその先生に、本山さんの感動を伝えます」と言ってくださいました。またその日のうちに、その指揮の先生が、「そのように受け取ってくださった方が、一人でもいらっしゃったということは、私たちの演奏の意味がほんとにあった」と感激のメッセージを頂いたんです。何度かその中学校の現状であるとか、そこに至るまでの先生の思いとか、メッセージを交換している中で、一つ思い付いたことがあったんですけど、それは京都で私も関わってやらせて頂いている「Harmony for JAPAN」という、この団体は、合唱に特化して被災地を支援しようという財団法人なんですけども、その財団法人がやっている演奏会が、いつも三月のその震災の日の辺りにあるんですけども、そこに彼らの合唱を招けないかというふうに思ったんですね。その提案をさして頂いたのが十月の初めでしたし、三月のコンサートまでそう時間もなかったんですけども、いろんな人のご尽力によって、彼らが京都でその演奏を聴かせてくれるということになったんです。
 

 
ナレーター:  京都に招かれた小高(おだか)中学校の生徒たちは、「エレミアの哀歌」を歌い終えると、もう一曲聴いて欲しいと、別の曲を歌い始めます。それは震災以来、二年間の思いを綴った生徒たちの言葉に、先生が曲を付けたオリジナル曲でした。
 
「群青(ぐんじょう)
ああ あの町で生まれて 君と出会い たくさんの思い抱いて
一緒に時間(とき)を過ごしたね
今 旅立つ日 見える景色は違っても
遠い場所で 君も同じ空 きっと見上げてるはず
 
「またね」と 手を振るけど 明日も会えるのかな
遠ざかる君の笑顔 今でも忘れない
 
あの日見た夕陽 あの日見た花火 いつでも君がいたね
あたりまえが 幸せと知った 自転車をこいで 君と知った海
鮮やかな記憶が 目を閉じれば 群青に染まる
 
あれから2年の日が 僕らの中を過ぎて 3月の風に吹かれて 君を今でも思う
 
響け この歌声
響け 遠くまでも
あの空の彼方へも 大切な すべてに届け
涙のあとにも 見上げた夜空に 希望が光ってるよ
僕らを待つ 群青の町で
 
きっと また会おう
あの町で会おう
僕らの約束は 消えはしない 群青の町で
 
また 会おう 群青の町で・・・

 
本山:  「あれから二年が過ぎて」という言葉があるように、勿論卒業式の前後に起こった震災ということも下敷きにはありながら、新しい人生を歩み出す彼らの節目になるためになる時のために作ったというんですけども、卒業式には卒業ソングと言われるような曲がたくさんあるんですけど、もうこれは単なる卒業ソングではなくて、あの出来事から時を重ねてきた人たちだけが共有した思いをここに集めた、そういう作品じゃないかなと思います。「群青(ぐんじょう)」というのは、その太平洋に面した中学校から遠くを望むと、群青色の大海原が見えるというところから、その学校を一つ象徴する色になっているということなんです。群青の町ということですが、その中学生が生活する地域のことを、彼らの中で言い表している言葉になっているというふうに聞きました。その曲は、震災後いろんな苦労を共にしてきた中学生たちが、言葉を寄せ合って一つの歌詞に編作して、その学校指揮されていた先生が、曲を付けられたという曲なんですけども、曲も言葉もほんとに素晴らしい音楽です。先ほどの「エレミアの哀歌」もそうですけど、初めて聴く曲というのはどうなんでしょう? 歌詞もきちっとわからないといけないし、それが彼らのどんな気持から発信されているようなものなのかということをある程度理解していないと、聞いたところで感動も生まれませんよね。僕はこのステージ(舞台)袖で聴いていたんですけど、お客さんたちが歌詞をキャッチしようとする集中力、この中学生たちから発信していくものを、一言でも聞き逃すまいとする気持、そして勿論それがきちっと伝わって、で、聴いている人の感性を動かすということですよね。中学生たちも、そこまでしっかりと受け止めてくれると思っていなかったみたいなんですね。そういう言い方をするのは失礼かもわかりませんけど、中学生たちが京都まで来て、何が一番励みになったかというと、「自分たちでも発信できるんだ、という自信に繋がった」というんですよね。「今まで被災地でもあることだし、与えられることは山のようにあったんだけど、自分たちが今度与えるという立場になるということが凄い自信になった」というふうに先生はおっしゃっていました。素晴らしい話だなと思うんです。歌うことで自分たちの価値がそこでしっかりと示されたということ。そして受取手もそれをしっかりと受け止めて、「感動」と一言でいうのは簡単ですけど、「ほんとに心の底から心を動かされた」という声をほんとに聞きました。それで歌った彼らは彼らで、最後の方―まあ卒業ということもあるでしょうし、「別れ」という一つの言葉も、彼らにとっては単なる別れじゃなくて、ほんとに一生会えなくなってしまうような、卒業してから遠くへ引っ越す人もいますね―こういう状況ですから。だからそのことを踏まえて、みんな涙を流していましたけどね。その涙にどんな思いが籠もっていたのかというのは、もうちょっとこちらからではなかなか言葉にできないような大きなものがあったと思います。それを仲立ちしたというか、音楽の力というか、合唱の力というのは、もうここへきてまた恐るべきものがあるなと思いますね、偉大だと。
 
品田:  生徒さんたちが体験してきたこと、一つひとつの言葉がみなさんに伝わったんですね。
 
本山:  そうだと思いますね。日常から出てきた言葉だと思うんですね。だからこの震災に関しても、いろんな音楽が励ますために用いられたりとか、勿論有名なアーチスト(artist:演奏家)も被災地へ行って演奏したりとかということもあるし、そういうことが励みになっていることも勿論非常に大事なことでございますけど、彼らからこういう形で曲ができてきたというのは、そう多くないんじゃないですかね。
 
 
ナレーター:  被災地の中学生が歌った曲の名は、「群青」。会場に居合わせた一人の作曲家が感動し、編曲をかって出て、「群青」の楽譜が完成しました。
 

 
品田:  音楽と合唱で伝えられるものというものがとても大きい。
 
本山:  そうですね。どんな場合にも同じようにいくかどうかわからないけれども、その大きな可能性を秘めているものだと思いますし、合唱のいいところは時間を共有できるということが素晴らしいなと思います―音楽は全部そうなんですけど。だからこの中学生たちが一緒に練習してきた時間、そしてコンクールで歌った、あるいは京都へ来て歌ってくれたというような時間を、彼らが共有できたということは、彼らの中に一つ残っていくことですし、それはまた合唱―音楽のもっている素晴らしいところだなと思います。
 

 
ナレーター:  被災地の中学生に改めて声を合わせて歌うことの力を思い知らされた本山さんは、大学の授業で「群青」を取り上げることにしました。プロの演奏家だけでなく、教員や音楽の指導者を目指す学生も学ぶこの合唱の授業で、「群青」の曲から自分が感じた生きる力を学生たちにも感じてほしいと願っています。
 
「群青」         作曲: 小田美樹 編曲: 信長貴富
 
ああ あの町で生まれて 君と出会い たくさんの思い抱いて
一緒に時間(とき)を過ごしたね
今 旅立つ日 見える景色は違っても
遠い場所で 君も同じ空 きっと見上げてるはず
 
「またね」と 手を振るけど 明日も会えるのかな
遠ざかる君の笑顔 今でも忘れない
あの日見た夕陽 あの日見た花火 いつでも君がいたね
あたりまえが 幸せと知った 自転車をこいで 君と知った海
鮮やかな記憶が 目を閉じれば 群青に染まる
 
あれから2年の日が 僕らの中を過ぎて 3月の風に吹かれて 君を今でも思う
 
響け この歌声
響け 遠くまでも
あの空の彼方へも 大切な すべてに届け
涙のあとにも 見上げた夜空に 希望が光ってるよ
僕らを待つ 群青の町で
 
きっと また会おう
あの町で会おう
僕らの約束は 消えはしない 群青の町で
 
また 会おう 群青の町で・・・
 
本山:  「あたりまえが幸せと知った」みんなが幸せを求めているんじゃないですか。「なんかいいことないか」みたいな感じで、日々。だけど、この子らにとっては、ほんとにね僕ね、合唱しにいった時に、ここに行った時に、凄くそう思ったんです。去年やったことを今年絶対に止めたくないという気持が凄いあった。だから一緒にコンクールに出て部活したいという気持があったんで、「この当たり前の幸せを知った」ということが凄い重いと思うんです。みな当たり前の状況をもっているかも知れないけど、理不尽な状況に追い込まれて、そうでない子たちの叫びかな。だけど中学生ぐらいの子ってプライドもあるし、ストレスもあるし、そういうことをワァっ!って言えないとこもある。自分の中に背負い込む時もあるだろう。そういう中でこの言葉になって歌になっていったということは凄い大事なことかなと思う。一つひとつの言葉を子どもたちが共有していた人でなかったらできない曲だと思うね。みんなもし先生になるとしたら、この曲知ったことで、こういうスタンスの子どもたちがいるんだなということを、ちょっと覚えていて欲しいなと思います。
 

 
本山:  「群青」という曲は、ほんとに一つの地方の中学生たち、あるいは先生の思いから発信された曲なんですけども、先ほどの授業で学生たちが歌っていたように、言葉と思いが伝わっていく中で、その思いが重なり合っていく。そしてそれが束になって広がっていくような音楽のもつ特質、合唱のもつ特質だと思うんですけど、そういうものを感じるんですね。普遍的というとちょっと言葉が大袈裟かも知れませんけども、人々の心の中に本質的にある感情までなんか高められていくような、そのような感覚を持ちます。自分自身も理屈ではわかっていても、あの曲に接して、あの言葉に接している中で、何か情感の高まりみたいなものを感じていくということ、これはなんか音楽のもつほんとに基本的なスタンスに通じる素晴らしい性質を、あの曲が兼ね備えているんじゃないかなというふうに感じています。聴いている人たちが、みな歌声という手段で参加できなくても、その言葉を共有している中で同じ気持ちになっている、という場面はたくさんあるんですね。そのことが勿論よく言われる「演奏者と聴衆の一体感」、あるいはそれが、例えば録音を聴いている人たちであっても、まるでそこに居合わせたかのような気持の共有化、これがバッハの曲でも同じことで、カンタータと呼ばれる曲の最後に歌われる音楽が、当時の賛美歌だと考えると、気持の共有、あるいは思想の共有みたいなものが行われていると。まあ「群青」の話が何度も出ていますけども、あの曲を歌った時に聴いた人がどのような気持になっているか。これから僕はそういう瞬間を一つひとつ検証していきたいと思うんですけども、きっといい空気感とか、あるいは彼らが思った心持ちを共有していって頂いているんじゃないかなというふうに思っています。
 

 
品田:  これまで歩んできた道を振り返られて、そして今回中学生から受けたということを思われて如何でしょうか?
 
本山:  そうですね。今までいろんな人にも出会って、そしていろんな合唱にも触れてきたんですけど、留学中にヘルムート・リリングから学んだことというのは、勿論技術的なこと、音楽の具体的なことをたくさん学びました。でもそういうことを集積していった最後にくるものは、やはりバッハの場合であったら精神を伝えると言いますか、心をしっかりと伝えるということだったと思うんですね。振り返ってこういう中学生が歌うような合唱から受けることと、どこか繋がるような気がしているんです。ですから彼らの合唱というのは、技術的にもの凄く高度なものじゃないかも知れませんけども、しっかりと目的を理解して、そこへ繋がっていると。ドイツで学んだことなんかは、技術的なことがほとんど九割五分だったかも知れませんけど、それを一つ形にしたところで浮かび上がってくるものが精神性だったりするわけですね。一人では出せないような、例えば願う気持だとか、あるいは縋る気持もあるかも知れません。祈るような気持なんかも大きな一つの力となっていくと、今度はそれを聴く人―キャッチする人をも巻き込んでいくエネルギーを感じさせてくれるものです。今回ほんとにそれを気付かせてくれた大切な出来事だったので、これもこの時期に出会えたのが一つの縁のような気がしますし、このことを感謝して、次に進んで行きたいなと思います。
 
     これは、平成二十五年十二月八日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである