ブッダの人と思想@われ一切世間に違わず
 
                インド哲学者 中 村(なかむら)  元(はじめ)
1912年(大正元年)島根県松江市生まれ。1931年、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。1934年、旧制第一高等学校卒業。1936年(昭和11年)、東京帝国大学文学部印度哲学梵文学科を卒業。1941年(昭和16年)に同大学大学院博士課程を修了。宇井伯壽に文献学としての仏教学を学ぶほか、倫理学の和辻哲郎の知遇も得る。1954年より、東京大学(1947年(昭和22年)、東京帝国大学から改称)教授に就任(〜1973年)。1957年(昭和32年)に『初期ヴェーダーンタ哲学史』で、日本学士院恩賜賞を受賞。1970年、財団法人東方研究会を設立、初代理事長に就任。1973年、東京大学を定年退官、同大学名誉教授。東方研究会の活動の一環として、東方学院を開設、学院長に就任(1999年の没時まで)。自身も「寺子屋」と称して、国籍も学歴も年齢も問わず、真に学問を目指す人のための講義を行う。1974年、比較思想学の先駆者として、比較思想学会も創設し、初代会長に就任(〜1983年)。岩波全書で『比較思想論』と、東京書籍で『比較思想事典』(監修)、『比較思想の軌跡』がある。1975年、東京書籍で『佛教語大辞典』刊(全3巻、1981年に縮刷版全1巻が刊)。1977年、文化勲章受章。文化功労者。1984年、勲一等瑞宝章受章。日本学士院会員になる。1988年、春秋社で『決定版 中村元選集』刊行開始。1999年(平成11年)7月、『中村元選集』全40巻(32巻+別巻8巻)が完結。1999年10月、急性腎不全のため東京都杉並区久我山の自宅にて死去(満86歳)。
                き き て  草 柳  隆 三
                語   り  石 澤  典 夫
 
石澤:  「こころの時代」では、これから三月までの毎月、中村元「ブッダの人と思想」セレクションを放送してまいります。これは一九九五年に、十二回にわたって放送されたシリーズから、七本を選んで再編集したものです。お話は、インド哲学仏教学がご専門の中村元さんです。中村さんは、仏教が始まった頃に書かれた仏典を、初めて原典から日本語に翻訳し、開祖ゴータマ・ブッダが何を教えようとしたのか。仏教の源流のあるものを究明しようとした方です。中村さんは、しばしばインドにも足を運んで、ブッダの足跡を辿りました。仏教本来の教えを理解するためには、ブッダが生きた風土やインドの人々の暮らしを肌で知り、思想が生まれた背景まで理解する必要があると考えたからです。ブッダは、如何なる生涯を送ったのか。それは中村さんの研究の中心にあった問いでした。
 

 
中村:  これみんなチベット文字ですね。私は学者として原始仏典を解釈し、日本語に移すという仕事をずっとしてまいりましたが、ふと二千五百年の時間を越えて、釈尊が今私に語り掛けてくださっている、というふうに感じることがあるのです。
 

 
石澤:  中村さんの研究は、インド哲学や仏教に留まらず、西洋の思想、哲学にも及びました。文化や宗教の違いを越えて、人間が共通に持っている普遍的な真理とは何かを明らかにしようとしました。中村さんの著作は、膨大な数に上ります。ここにそのほんの一部をお持ち致しました。専門的な研究書だけでなく、ブッダの教えを易しく、そしてわかりやすい言葉で書いた入門書も数多く書かれています。人々の役に立つ、生きた学門でなくては意味がない。それが中村さんの学門への姿勢でもありました。晩年には東洋思想を共に学び、そして探求する場として、東方学院を創立。放送当時はその院長を務めていらっしゃいました。そして放送の四年後、一九九九年、八十六歳で亡くなっています。今日は、「われ一切世間に違わず」ブッダの生まれた時代背景、そして人として如何に生きるべきか。その教えをご紹介しようと思います。きき手は草柳隆三さんです。
 

 
草柳:  ブッダ釈尊、勿論仏教を開かれた方でありますが、この歴史上のブッダについて、最近の研究をもとにしてお話をお伺いしていくことに致します。お話頂きますのは、みなさんお馴染みのインド哲学、インド文化の権威でいらっしゃいます中村元さんです。先生、今日は一回目ですので、先ず総論というふうな意味合いを込めてお話を伺っていきたいというふうに思っているんですが、ブッダ釈尊と言いますと、大体私たちは、紀元二千四、五百年前に生存されていたというふうに考えているわけですが、どうなんでしょうか?
中村:  インドの偉い人というものは、歴史的に生存年代がはっきり致しませんでね。それは民族性にも由来すると思うんですが、哲学的思索、あるいは宗教的信仰という点では、インド人は非常に深いものをもっているんです。ところで、じゃ、この世にいつ頃生存し活動した人であるか、ということを正確に伝えてないんですね。これは彼等が永遠なるものに眼を向けていた。この世の儚いものは少々前になろうと、後になろうと、どうせ滅びてしまうんだからという考え方なんですね。
 
草柳:  その辺は大らかなんですね。
 
中村:  大らかです。その中でお釈迦様と申しますが、釈尊―ゴータマ・ブッダという方の生存年代は、割合はっきりわかっているんですね。少なくとも学者の間では、今おっしゃったような時代に当て嵌められているんですが、詳しい正確な年代というのは、これはよくわかりませんです。それでやっぱり古代の文化・思想の歴史を辿るためには、釈尊の生存年代というものが元になるから、それを明らかにしたいというので、現代でもそういう希望が強うございまして、四、五年前にドイツのゲッティンゲン大学の教授のハイツベッヒルという方が、世界中の学者―関心をもっている研究者に呼び掛けまして、釈尊の年代だけについて会議を開いたことがあるんです。いろんな意見が出ましてね、私は行くことができませんでしたが、意見を頼まれまして、そういういろんな学者の意見が全部活字になって出ております。はっきりわかりませんで、私は一応「紀元前四六三年(生誕)〜紀元前三八三年(入滅)までの方だ」と。そのように釈尊の年代を一応考えておりますが、これは私の恩師の宇井伯寿(ういはくじゅ)先生が、いろいろな資料を厳密に検討されたその結果導き出された結論に、ちょっと修正を加えたものです。修正を、と申しますのは、北の方に伝わった伝説に基づいて、アショーカ王がこの世で現れて、で国王として位に就いた。それが釈尊の時からどのくらいあるかということがわかっているわけです、書いてあるわけです。それに基づいてアショーカ王の年代をさらに論議されまして、それでアショーカ王の年代というのを決定するためには、アショーカ王が西の方のヘレ二ズム諸国へ使者を送った。その時の向こう側の王様の名前がわかっている。そのギリシャ人の王様の生存年代がある程度わかるわけですね。それに基づいてアショーカ王の生存年代を、先生は決められたわけですが、ただギリシャ人の王様の生存年代だって確定したものではない。「何に基づいたらいいですか?」と、私は、ギリシャ学の方の専門家として仰がれておられました村川堅太郎(むらかわけんたろう)(1907-1991)教授に伺ってみたんです。そうしたら「今の研究の段階では、ドイツのベロッホの『ギリシア史』に基づくのがいいだろう」と言われた。それに準拠しまして、計算し直した。そうしたら今申し上げたような「四六三年〜三八三年」という数字が出てきたんです。けど、これも何も絶対的なものじゃありません。また将来もっと研究が進みましたら違うかも知れない。しかし永遠を見つめていたインド人のその中で、釈尊の年代だけがある程度判明しているということは、やっぱり驚くべきことでありました。そしてインドの宗教や文化を研究するためのやはりきっかけと申しますか、拠り所ということが言えると思うんです。
 
草柳:  それだけ釈尊への注目度が世界的に高いということになるんでしょうけれども。
 
中村:  そうなんです。世界的に高いですね。
 
草柳:  先生のお説ですと、紀元前四六三年から紀元前三八三年、八十年間いたんですが、紀元前四世紀から五世紀の頃のインドの社会というのは、どういうふうなものだったんでしょうか。
 
中村:  簡単に申しますと、仏教が興る以前のインドというのは、各地に農村の村落を中心とした共同体がありまして、そこには古くからの伝統を受けて、階位的な秩序を守って―後の言葉でいうと、カースト的な、そういう身分的な区別を守って暮らしていたわけです。ところがこの時代になりますと、諸般の経済活動が盛んになります。そして貨幣経済が進展したんです。それ以前にはインドでは貨幣はなかったんです。
 
草柳:  物々交換?
 
中村:  物々交換でして、殊に「牛何頭をもって交換する」なんていうことも、ヴェーダ聖典には出てくるわけです。古い時代にインダス文明(パキスタン・インド・アフガニスタンのインダス川及び並行して流れていたとされるガッガル・ハークラー川周辺に栄えた文明である)の因習―あれ貨幣の役目を果たしたかどうか、まだはっきりしない。ヴェーダ時代には貨幣がなかったとみた方がいい。ところが、この時代の発掘品を見ますと、明らかに貨幣が使われていたということの証拠があるのです。ということは、貨幣経済が進展しつつあった。それがちょうど仏典にも反映しておりまして、こういうような社会的事実も伝えられております。「この頃人はお金を大切にして、お金がものをいうと。もし人が富んでいるならば、富裕であるならば、その人は最下層の隷民(れいみん)―低い身分の出身であろうとも、そこへ王族でも、バラモンでも、庶民でも、労働する人々でも、みんな集まって来て、それでお辞儀をして、彼のために気に入るような言葉を述べる」と。なんと今の時代を当て擦(こす)るような文句があるんですね。貨幣経済が進展しますと、そうすると交通便利なところに人々が住みつきまして都市が現れた。都市を中心として新しい文明が展開されたんです。そしていろいろな私工業も発達しますし、商業も盛んになりまして、そうするとそれらが組合を作ったわけですね。組合の指導者が社会的指導者となっているわけですが、当時富裕になった、社会的に有力な人々を「グリハパティ」と呼んでいますが―「家の主」と言うんですがね―これを漢訳仏典では、「居士(こじ)」とか、それに組合の一番偉い人を「長者」と呼んでおります。これがみんな経済的な覇者(はしゃ)ですね。そういう人を中心にして新しい文明が開かれて盛んになりつつあった。そうすると古い時代の階級制度は崩れつつあったわけですね。
 
草柳:  そうすると、かなり変化の時代だったということが言えるわけですね。
 
中村:  そうです。社会的な変化に対応しまして、新しい思想も現れ出まして、従来の観念からみたら、とんでもないような思想ですね。例えば快楽主義であるとか、道徳否定主義であるとか、それから運命論であるとか、あるいは反対に世の中は偶然であまり考える必要はないんだというような、そういう意見を述べる人もいました。まあいろいろの新しい思想家が現れた。
 
草柳:  そういう新しい思想家たちというのは、つまりそれまでのインド社会を支えてきたと言いますか、大きな枠組みであった古い体制に対するアンチの勢力、
 
中村:  アンチですね。反抗している。
 
草柳:  その中に釈尊もそのうちの一人として、
 
中村:  当時の人々は、拠り所を失って、勝手なことをみんな新しい思想家が説いているわけです。拠り所を失った、そういう情勢の中に釈尊が現れ出て、それで人間の生きるべき道を新たに説き示された。それで人々は新しい拠り所を得ることになった。これが仏教の現れた社会的基盤でございます。
 
草柳:  そうすると、釈尊の周りに集まった人たち、あるいは釈尊を支えていた人たちというのも、いわば新しく勃興してきた都市型の人間というか、そういう階層の中から出てきた人々だったわけですか?
 
中村:  そういう人々は、もう階級を無視しているわけですね。いろんな職業、あるいは階級からの出身者でございました。
 
草柳:  そうすると、勢い釈尊が伝道したというか、説教したり、人を集めて何かしたというのは、いわば新しく興ってきた都市が中心だったんでしょうか。
 
中村:  大体そうですね。殊にガンジス川の中流地帯ですね。殊にマガダという新興国がございまして、これが非常に有力なるんですが、だから北の方には舎衛城(しゃえいじょう)と呼ばれておりますが、サーヴァッティーと呼ばれています。
 
草柳:  左の上の方にある、
 
中村:  そうです。当時重要であり、また知られていた都市です。重要な新しい都市がガンジス川の中流地域を中心として興りつつあったということは言えるのでございます。
 
草柳:  中流地域と言いますと、大体この地図で言いますと、真ん中にパトナというところがありますが、あの周辺?
 
中村:  あの周辺ですね。ガヤーというところで、お釈迦様は悟りを開かれた。だからブッダガヤと言うんですね。それから北の方にパトナとなっていますが、昔の言葉でパータリプトラと申しますが、ここにアショーカ王が位置している。これは多くの川の合流地点で、物資の運搬交通に便利だったわけですね。それからその北の方にヴェーサーリーというのが出ておりましたが、これは商業都市なんですね。ここはまた新しく時代の先端をいっていた。仏教の帰依者なんかも出ておりますがね、共和主義の政治を行っておりました。その土地へ行って見ますと、「ここはインドの最初の共和国のあったところである」と言って、インドの人々は誇っております。それは決して嘘じゃないですね。お釈迦様が生まれる前に天上にいらっした。これから、どこで生まれようかといった時に、神々も集まって来て、いろいろはからったけれども、その時「ヴェーサーリーというのはどこだ」ということで、一つの候補の土地になったわけです。そうしたらある神などが申しますには、「あのヴェーサーリーの都市では、主な人々が、俺こそ王である≠ニ、そう言い張っている。どうも我執が強いから、つまり我欲が強いから、だからそういうところで御誕生になってはいけません、と言って、それで止めて頂いた。結局ルンビニーの園で誕生された」ということが仏典にも書いてあるんです。「我こそ王である」これは共和制ですよ。だからそこまで言っていたんですね。インドに共和政体があったということは、ギリシャの旅の人の見聞記にも出ているんです。メガステネスというギリシャ人がシリアの王様に派遣されて、さっきあそこに出ていましたパトナの宮殿に来るんですが、『インド見聞記』をギリシャ語で書いて残しています。そこには、「インドの政体が二通りである。王政と共和制となる」と、そう書いていますからね。だからもういろいろな点から見て間違いないです。
 
草柳:  面白いですね。
 
中村:  だからそういう具合に大きな変動の現れた時代でございますね。
 
草柳:  そうした、例えばヴェーサーリーに集うような、いわば都市型の人たちの人間関係というのは、多分きっとそれ以前の社会を支えていた考え方とは違ったものだったんじゃないか、という気がするんですけども。
 
中村:  そうですね。と申しますのは、以前は、階位的秩序が重視される時代でして、これが発展すると、いわゆるカースト制度になるわけです。つまり一番上が、バラモンであり、僧侶階級ですね。人々から尊敬される。それに次ぐものとして、王族がいた。国王ですね。それからさらにその下に庶民の階級の人々がいる。それから一番下に、労役に従事する隷民の人々がいる。バラモンの法典、その他の書物にそういう具合になっているんですね。必ずしもそうじゃない点もありまして、仏典では、国王とバラモンの地位が逆になっていることもあるんですね。そうすると、国王が一番偉いということになりますね。国王が一番上、それからバラモン、それから庶民、隷民となっている。けども、そういう階位的秩序が支配していました。貨幣経済が進展しまして、富める者が社会的覇者として登場することになると。でもそれがすべて崩れてしまうわけですね。ですからどの階級の出身ということを、あまり人々が重んじなくなる、そういう傾向が見られるのです。
 
草柳:  全然価値観と言ったようなものも変わってくるわけですね。
 
中村:  全然違ってきますね。従来のヴェーダの宗教では、とにかくカーストの階位的秩序の上下関係というものが重んぜられましたが、もうこの時代になりますと、それが無視されるわけですね。さっきも申し上げましたように、富める者が覇者であると。なんか今の世の中を当てつけているようですよ。
 
草柳:  そういう新しい変化の激しい社会の中で、釈尊が説いた教え、それの言ってみれば、仏教の一番基本な考え方というか、教えというのは、何だったんでしょうか。
 
中村:  当時の古い社会的秩序に対して、新しいものを説いたわけです。階位的秩序というものは、あるいはカースト制度というものは、もうこれから顧みるに足りない。むしろ人間が何をなすか。その人の内なる人格というものが一番大事である。だから立派な人間となって暮らすように努めなさいと。これは階級の差を超えて、釈尊初め原始仏教の人々の説いたところであります。
 
草柳:  つまり血族関係をもとにしたそういう人間の繋がりではなくて、人間がお互いに、お互いを認め合う、そういう人間関係というんでしょうか、そういうものをベースにしていかなければならないということなんでしょうか。
 
中村:  そうですね。そうすると、人間の特性と申しますかね、あるいは道徳的な品性と申しますか、更に実際に行うことですね。そういう事柄がものをいうようになりました。だから社会的意義と申しますか、あるいは宗教の社会性という点から申しますと、非常に大きな転換がなされたわけですね。平等ということを、仏教では説いたわけです。人間は人間である限り、みな平等なんだ、と。古い時代のカースト制度を否定しました。
 
草柳:  人間は、要するにみんな平等なんだから、平等ということを大切にして、お互いが認め合わなければいけない。つまりそこには当然友情とか、友愛とか、そういう心の働きというか、その働きかけが大切なんだということなんでしょうかね。
 
中村:  そういうことです。つまり社会的な紐帯(じゅうたい)―紐帯というのは、紐ですね、結び付き―それをただ破壊するというんじゃないですね。そうじゃなくて、今度新しい社会では、いろんな人間関係が出てきますから、その基本原理となるものは、それは従来とは違ったものを考えたわけです。それは日本の方々に知られている言葉で申しますと、「慈悲(じひ)」ですね。仏教が、「慈悲」を説くということは、みなさまどなたでもご存じですが、人間の徳性のうちで何がもとかというと、「慈悲だ」というんですね。「慈悲」の「慈(じ)」というのは、「慈(いつく)しみ」という意味ですね。それから「悲(ひ)」というのは、「憐(あわ)れみ、同情」ということです。この元の言葉で申しますと、「慈悲」の「慈」は、「マイトリー」というんですね。インドの言葉で「友人」友のことを「ミトラ」と申します。その友人同士の間を支配している純粋な心根がありますね。これも今の人々にだってみな見られることですが、この友人の間の純情ですね、それを「マイトリー」と申しまして、「友」のことを、「友人」ということを「ミトラ」というから、その「ミトラ」にもとづいて作られたのが、「マイトリー」という言葉です。仏教の訳語で申しますと、「慈悲」になる。「慈悲」の「慈」は「慈しみ」、「悲」は「憐れみ」ですが、これはわかりやすい言葉で申しますと、「温かい心掛け。新しい心」ということになりましょうね。つまりいろいろな人に交渉をもつわけですが、人の身になって思いやる、ということですね。これがまったく新しい教えとして登場しました。しかも今後の社会は、人々に対する温かい心をもって対するんでなければいかん、ということをみな気づいて、それを説かれた釈尊のもとへみんなが集まって来たわけです。
 
草柳:  具体的には、釈尊は温かな思いやりであるとか、その慈悲ということについて、どういうふうに説いていったんですか。
 
中村:  これは人々の身になって考える。つまり別の人として人々がいますね。けどその人の身になって、ものを受け取り、感じ、考える。そうすると、人々に対して酷いことはできなくなりますわね。人々に対して優しい思いやりをもつことになる。これが新しく釈尊によって明らかにされた「人間の理(ことわり)」である。その「人間の理」というのは、あるいは「道理」と言ってもいいんですが、インドの言葉では、「ダルマ」と申します。ダルマさんのダルマもそこからきているんですね。「ダルマ」というのは、「たもつもの」という意味なんです。つまり人を人としてたもつ。徳性ですね。もし人が人の道に反したこと、残酷なことを行ったとしますと、「あれは人でなしだ」と、世間でも申しますでしょ。つまり顔だけは人間みたいな顔をしていても、道に外れたことをすると。人々を傷付けたり、残酷な扱いをしたりすると、「人でなしだ」と申します。人としての則(のり)、行いの規範、それをそういう人は忘れているわけです。本当の人間としての道筋ということは、これはあらゆる場合にいろいろ現れなければなりませんけれど、根本にあるものは、人間を人間としてたもつもの。「ダルマ」というのは、「たもつもの」という意味なんです。人を人としてたもつもの。これを広げますと、人間のいろいろな共同体について、みなたもつものというものが考えられるわけです。例えば一人の人がここにいるとします。それが他の人々対しては、人間としてここに現れているわけです。人間はいろいろな人間関係の中で生きておりますね。そうすると、親に対しては子としての道があるわけですね。また子に対しては親としての道がある。今度は教師と弟子との関係でも、やはりそれぞれの道があるわけです。さらに経済関係に入ってきますと、雇主と使われている使用人との間にそれぞれ道があって、それに外れたことをしてはいかん、ということになりますね。一般的な問題と致しますと、他人に対する道ということになります。その基本的な原則は、「慈悲」―人々に対する温かい思いやり、これがいろいろな人間関係に現れ出てくる。自ずから多種多様になりますわね。
 
草柳:  そうした慈悲の教えというのは、いわば普遍的なものとして捉えることができるだろうと思うんですが、釈尊は、この時代に、例えば人間はこうあるべきだ。人はこうあるべきだ、という理想を実現するための方法をいろいろ説いているわけですけれども、バラモンを例にとって説いている。本来のバラモンというのは、実はこうなんだよというふうなことを書いた原始仏典がございますね。そこから少し紹介をさせて頂きながらお話を進めていきたいと思うんですが、
 
バラモンよ、木片(もくへん)を焼いて清浄になることができると思ってはならない。なぜなら、これは外面的なことがらだからである。・・・バラモンよ、われは木片を焼くのを放棄して、内部の火をともす。永遠の火によって、つねにこころが静まっている。われは尊敬さるべき行者であって清浄行を行なうものである。・・・よく制御された自己は、人間の光である。
(サンユッタ・ニカーヤ)
 
これも原始仏典の中のものですね。
 
中村:  そうです。「サンユッタ・ニカーヤ」という原始仏教聖典の大きな集成書がございますが、そのうちの最初の部分ですね。
 
草柳:  ここから何を読み取ればいいんでしょうか。
 
中村:  それはバラモンのやっていることと申しますと、祭り事というのは祭司(さいし)ですね。いろいろな祭の行事です。儀礼があるわけです。いろいろな宗教儀礼を行っておりますが、特に火の崇拝というものがもうインドのアーリヤ民族―インドの文明を作った主軸となる民族ですが―それが行っていたのであります。つまり火を熾(おこ)して護摩木(ごまぎ)を焼いて、それで身を清らかにして、そして功徳に与(あずか)るということを願っていたわけなんですが、
 
草柳:  結局は釈尊は、大切なのは外面ではなくて、実は心なんだという、
 
中村:  そうなんです。たくさん護摩木を焚いたからと言ったって、その罪が消えるわけでもない。内を浄めなければいけない。内面を清らかにする。いろいろの宗教儀礼をバラモンが行っていたわけですけど、外面的なものである。だから自分は内面を重んずるから、内面的な火を点すということをいうんですね。これは比喩的な表現ですが、自分の心の奥が清らかになっていなければいけない。だからもし護摩木をもって人間を清らかにするというのは、その火でもって自分の煩悩―欲得ですね、そのような心をも全部清らかにして貰う。それが必要である。だから自分の内部の火を点すというんですね。それは永遠に意味をもっているものですね。人間がずっとこれからでも生きていくためには、やはりそういう清らかな心持ちというものが必要である。だから永遠の火によって常に心を静めている。「われは尊敬さるべき行者であって」というのは、これは当時行者―いろいろな人がありましたが、自分が尊敬さるべき行者と見なされているというのは、清らかな行いを行っているからであると。その清らかな行いというのは、結局人間をよく制御する―コントロールすることですね。人間は放っておくと何をしでかすかわかりませんから、自分をよく制御して、清らかにして、人のためになるようにすると。これが人間の究極の光であるというんですね。
 
草柳:  それと釈尊は、人に教えを説く時に、時とか所とか相手によって随分話の仕方というか、説き方を変えていったんだそうですね。
 
中村:  そうです。それはお話くださったような引用文にも出ていることですが、当時の人は宗教家を非常に重んじたわけですね。そういう人に向かっては、本当の宗教の実践はこうだと言って説いている。それから当時まだバラモンを尊敬するという、そういう習俗が一般民衆の中に行われておりました。それに対して釈尊は相手の気持ちを尊重して、「本当のバラモンというのは心の清らかな人でなきゃいかん」と。つまり「バラモンを尊ぶなんていうのは無意味だよ」というような言い方をしないんですね。つまり相手が何を好んでいるか。何を大事にしているか。それに応じて教えを説くと。これを仏教の昔からの言葉では、「対機説法(たいきせっぽう)」というんですが、つまり機というのは、人間の精神的素質、あるいは能力、あるいは遺伝的素質というものがあれば、そういうものもみな入るでしょう。人はみんな周りから受けたものが違っているわけです。それをどこまでも尊重して、そして本当の人間のあるべき姿にまでもっていこうとした。相手の人が、何か尊んでいる場合、「お前、それはダメだよ」と、いきなりやっつけてしまうようなことはしないわけですね。本当の人間とはどういうものであるか。あるいは本当の宗教行者、あるいは当時の尊敬されているバラモンというのは、どういうもので、それを尊敬している社会的な習慣と言いますか、慣習と言いますか、それを一応認めて、本当の人間のあるべき姿をそこに現し出すと。そこまで指導していこうというのが、それが釈尊の教えです。だからそれは相手に応じて、相手の精神的素質なり、能力に応じて教えを説くから、それで「対機説法」と言いますね。
 
草柳:  原始仏典の『スッタニパータ』から、そのバラモンについて、善きバラモンとは何かということについて、その部分を続けて紹介しながら、また話を進めていきたいと思うんですが、
 
われは、〔バラモン女〕の胎(はら)から生まれ〔バラモンの〕母から生まれた人をバラモンと呼ぶのではない。・・・無一物であって執着のない人、―かれをわたしは「バラモン」と呼ぶ。
(スッタニパータ)
 
怒ることなく、つつしみあり、戒律を奉じ、欲を増すことなく、身をととのえ、最後の身体に達した人、―かれをわたくしは、〈バラモン〉と呼ぶ。
(スッタニパータ)
 
曇りのない 月のように、清く、澄み、濁りがなく、歓楽の生活の尽きた人、―かれをわたくしは、〈バラモン〉と呼ぶ。
(スッタニパータ)
 
というふうに、どれが本当のバラモンなのかということを、いろんな言い方をしているんですね。
 
中村:  そうです。相手に応じて適切な教えを述べるというわけです。これが『スッタニパータ』というパーリ語と古い聖典の中に出てくる、その『スッタニパータ』の六二○、六二四、六五七の文句でありますが、人々がバラモンを尊んでいる。それに対していきなり、「お前がやっていることは無意味だよ」というような、そういう言い方をしないわけですね。バラモンというのは、世間の人は、バラモンの家に生まれたから、だからバラモンなんで、それを大切にし、崇拝するということをしているけれども、しかし本当のバラモンというのは、そうじゃない。人間としての立派な徳性を備えた人でなければならないということを、相手に応じて説いている。相手に応じて教えは少しずつ違ってきているわけです。例えばバラモンの家柄に生まれたから偉いんじゃない。そうじゃなくて、自分の欲得を離れ、執着のない人、それが本当のバラモンなのだということをいうわけですね。さらにまた別の言い方では、人と付き合う場合に、怒ってはいけないというんですね。我々どうかするとカッとなることがありますが、それはいけない。慎みがあり、つまり人々に付き合うためには、やっぱりこちらも慎みがなければいけない。そして人としては、やって善いこととやっていけないことがありますから、その戒め―戒律を奉じている。自分の欲を駆り立てるようなことがなくて、むしろ身を調えて、「最後の身体に達した人」というのは、これは最後の解脱に達した人という意味ですね。それが本当のバラモンなのだ。その境地は清らかだというんですね。曇りのない月のように、清く、澄み、濁りがない。そしてもう快楽に溺れるようなことのない人、これが本当のバラモンだ、ということを説かれたわけなんです。
 
草柳:  もう一つそれではご紹介致しましょう。これはやはり同じく『スッタニパータ』という仏典からなんですが、
 
生まれによって〈バラモン〉となるのではない。生まれによって、〈バラモンならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。行為によって〈バラモンならざる者〉なのである。
(スッタニパータ)
 
ここでは行為を強調していますね。
 
中村:  そうですね。つまりどこの国でも昔はやっぱり家柄というのがありまして、インドではバラモンが重んぜられていましたから、バラモンの家に生まれた人が、家柄だけで貴いと思われている。そうじゃないので、その人の行いがどのようなものであるかということによって決めるんだというんですね。やはり人々から尊ばれるのは、立派な行為をしている人でなければならないと。それこそ本当のバラモンだということをいうんですね。
 
草柳:  例えば執着のない人であるとか、最後の身体に達した人であるとか、あるいは今の行為によってバラモンなのであると。つまりバラモンということにこと寄せて、人間の理想の、いわばあるべき姿というか、あるべき人間像みたいなものを、ここでは言っているわけですね。
 
中村:  そうですね。
 
草柳:  いろいろ言い方を変えて、
 
中村:  言い方を変えましてね。そして相手が従来から奉じている教えがあれば、それをいきなり「ダメだよ」とやっつけることはしないで、「あなたは本当の意味を考えてご覧なさい。バラモンを尊ぶというのもいいけれども、それは清らかな行いを実行している人、その人こそ尊ばれるべきである」と、そういうことを言うんですね。
 
草柳:  しかも行いというか、行為こそが大切なんだ。実践が大切なんだというのは、これは一番強く、多分受け止めなければいけないことなんですね。
 
中村:  そうですね。これは当時釈尊が初めてはっきり言われたことですけど、考えてみれば、いつの世の中になっても、やはりどの国でも実行すべき、奉ずべき教えじゃないでしょうか。
 
草柳:  釈尊という人は、いろいろな思想家が出て百家争鳴(ひゃっかそうめい)で騒がしく論争していた時にも、その論争の渦の中にはあまり加わらなかった、という話を伺ったことがあるんですけど。
 
中村:  そうでございますね。ただ論争して相手と言い合うというだけだったら、こっちも不愉快な感じを残すだけで、心の安らぎが得られない。だから無意味な論争には加わらない。殊に今人間が論議しても解決できないような事柄がございましょ。今日でも宇宙の彼方にどういうものがあるかと、なかなかわからない。学問的な事柄として論議するのはいいんですけど、それがなんか宗教的な迷信とか偏執と結んで、くっついてしまうと、そうするとやはりいろいろ困ったことが起きますですわね。だから論議しても意味のないことは論議しないと。それよりも今ここで我々は生きているんですから、生きている人間にとってなすべきことを、なすべき行い、これを実行せよという、そういう立場でありました。
 
草柳:  その辺のところを、また『スッタニパータ』からいくつか続けてご紹介したいと思います。
 
ある人々が「真理である、真実である」というところのその〔見解〕をば、他の人々が「虚偽である、虚妄である」という。このようにかれらは異なった執見(しゅうけん)をいだいて論争する。
なにゆえにもろもろの〈道の人〉は同一のことを語らないのであろうか?
(スッタニパータ)
 
真理は一つであって、第二のものは存在しない。その〔真理〕を知った人は、争うことがない。かれらはめいめい異なった真理をほめたたえている。
(スッタニパータ)
 
というふうな言い方をしているわけですが、ここのところはどういうふうに見たらよろしいでしょうか。
 
中村:  考えてみれば、真理というものは、人間に関する限り一つであり、普遍的なものですから、どこでも意味をもつものであると、そう考えられます。ところが当時世間の人々は、お互いに論争し合って相手に対して罵言(ばげん)を浴びせて言い合っている。ところがそういうようなことに迷わされてはいけない。本当の真理というものは一つしかない筈だ。その一つに我々が到達することは、できることもありますが、できない場合には、相手が違ったことをいうからと言って、すぐに罵(ののし)り返すということをしないで、何故ああいう違った考えをもつかということを、じっくりとこちらで考えてみて、その違った意見が出るのは何故であるかということを反省するわけですね。その反省の必要ということを、仏教では最初の時から説いております。
 
草柳:  もう一つ続けてご紹介致します。これも『スッタニパータ』という仏典からなんですが、
 
〔真の〕バラモン(ブッダ)は、他人に導かれるということがない。またもろもろのことがらについて断定をして固執することもない。それゆえに、もろもろの論争を超越している。他の教えをもっともすぐれたものだと見なすこともないからである。
(スッタニパータ)
 
もろもろの論争を超越しているという立場をとっているわけですね。
 
中村:  要点ですがね、なかなか難しいことだと思う。当時はいろいろな哲人が出まして、さっきもご紹介しましたように、唯物論者もあれば、懐疑論者もいる。快楽論者もいる。あるいは必然論を説く人もいれば、偶然論で片付けてしまう人もいる。それらが争っているわけですね。俺のいうことだけが正しいんだと。どうしてだろうということを、先ず自分で考えてみると。ただ他人の誰かが言ったからと言って、それに引きずられてしまうということはしない。自分で自分の行くべき道は、これでいいのかしらと思って、我が身に手を当てて考えて見る。そこから本当の実践が出てくるということを説いているわけでございますね。これが今の世の中では非常に重要なことではないでしょうか。世間で争いが非常にございますね。昔は宗教が違うからということで宗門争いがあり、果ては違った宗教の間で戦争を起こしたり、殺し合いをしたりしました。この頃は、宗教戦争はなくなったかと思うと、どっかでありますね。それ以外になんか偏執と言いますか、わけも分からずにある事柄を固執していく。あるいは言葉を無意味に嫌ってしまう。それで争いを起こすということが、非常に多いんじゃないですか。
 
草柳:  先生、今の時代こそと言いますか、釈尊が教えの一番根本のところに置いた「慈悲」つまり「思いやり」ということが、むしろ今こそ大事な時はないなという気が、私はするんですけれども。
 
中村:  そうだと思いますね。仮に他の人が、自分と違った意見をもったり、違った行動をなすとして、何故だろう、と。それはわけがあったに違いない。つまり因縁の致すところである。主な原因と補助的な条件というのが加わって、それで他の人は別の考えを持ち、行動するようになっている。それはどうしてだろう。自分が反省してみるわけですね。それに応じて、もしその人のいうことに不適当な点、間違いがあれば、それを徐々に直してやるという、その心がけが必要である。それなしに、ただ「彼奴(あいつ)はいかん」と言って、殊に簡単な標語の如何で争うことが近年でも多かったんじゃないですか。例えば「彼奴は資本主義だ」「彼奴は共産主義だ」とか、いろいろございましょう。「彼奴は頑迷固陋(がんめいころう)だ」とか、「彼奴は過激だ」とか、簡単な言葉で人をやっつけてしまう。ところが実際はそう片づけるわけにいかないことがございますね。何故そういうようなことになって、違った意見を持っている人がいるのか。相手に対する寛容の精神というものが大事です。その点で、仏教は無理に暴力、武力を用いて人に強いるということがなかった。昔は宗教が違うということになると、それが必ず武力による闘争と裏腹になっていました。けれども、人類の歴史において、多くの宗教が現れたわけですけれども、武力によらないで、説得だけによって、英語でいう「persuasion(説得)」によって広まったのは仏教だけであると。これは西洋の宗教学者も認めております。こういう考え方が我々の祖先の中でも生きていたと思います。第一聖徳太子憲法にもはっきり出ておりますが、現在でもこれは大切な心がけじゃないでしょうか。
 
草柳:  融和的というか、四海(しかい)平等というか、
 
中村:  そうです。
 
草柳:  今日は総論ということでお話を伺いました。普遍性をもったブッダの教え、そしてブッダの人となりと言ったようなお話を、中村先生にこれからもじっくりお伺いしていきたいと思っております。楽しみにしています。よろしくお願い致します。今日は有難うございました。
 
     これは、平成七年四月十六日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放送したものを、セレクションして
     平成二十五年十月二十日に再放送されたものである