ブッダの人と思想D善き友とともに
 
                インド哲学者 中 村(なかむら)  元(はじめ)
                き き て  草 柳  隆 三
                語   り  石 澤  典 夫
 
石澤:  「こころの時代」では、毎月中村元「ブッダの人と思想」セレクションを放送しています。これは一九九五年に、十二回にわたって放送されたシリーズから、七本を選んで再編集したものです。お話は、インド哲学・仏教学がご専門の中村元さんです。中村さんは、数々の原始仏典を日本語に翻訳、仏陀の死後多くの仏典が編まれる中で加えられた伝説と仏陀その人の言葉を分けて、人間ブッダの人と思想を追求する研究を続けてこられました。こちらをご覧頂きましょう。今回のセレクションでお送りする内容です。前回は「一切にわがものなし」と題しまして、ブッダが自己や人間存在をどのように捉えていたのかをお伝えしました。今回はセレクションの五回目です。元のシリーズでは、この後に「生きものたちに幸いあれ」という回が続いています。この回では、ブッダの教えの本質にあった慈悲の心についてご紹介しました。今回はこれに続く「善き友とともに」をご覧頂きます。ブッダは、彼を慕って集まってきた弟子たちを「善き友」と呼んで、同じ道を歩む友人として分け隔てなく導きました。ブッダ在世中の教団がどのようなものだったのか、またそこに生まれた戒律の意味についてお伝え致します。きき手は草柳隆三さんです。
 

 
草柳:  今日は仏教初期の教団のもっている意味ということについて、お話を伺っていくことに致します。いつものように東方学院院長の中村元さんにお話を伺います。今日もよろしくお願い致します。
 
中村:  そうぞよろしく。
 
草柳:  教団と言っても、最初はごく小さいな人数から当然スタートしているわけですけども、仏教でいう教団の意味というのを、どういうふうに考えればいいんですか?
 
中村:  仏教の教団を意味する言葉と致しましては、「サンガ」というインドの言葉があります。これはサンスクリット語でも、パーリ語でもそう言うんですが、「サンガ」という発音を写して、それで「僧伽」という字をあてたわけなんですが、元は「サンガ」というのは、「集まり・集い」という意味です。それで単に人々ばかりでなくて、鳥が群れをなしている場合も、やっぱりインドの文芸作品の中では、「サンガ」という言葉を使っています。ですから「人々の集い・集まり」を意味したわけでございます。
 
草柳:  人が集まる集合体というか、共同体のことを指して「サンガ」というわけですね。
 
中村:  そうです。単なる集まりではなくて、共同体の高い理想をそこへ込めたというところに意味があるんでございましてね。昔から仏教では、「三つの宝」ということを申します。「三宝(さんぼう)」と呼ぶんでございますが、その三つの宝が、「仏法僧(ぶっぽうそう)」と言うんですが、「仏様」これは真理を悟った人と同時にみなから帰依され尊敬され、拠り所とされている人、それがブッダでございますね。それからそのブッダ並びに仏弟子は、人間としての理法―理(ことわり)ですね―本当の人間の生き方を実践しようとされた人々であります。その真実の理法というのが、「ダルマ」と申しまして、「法」と訳されるわけでございます。その仏様のところへ、元に集まって来て、それで心を一つにして真の道を実践しようとした、その人々の集いが「サンガ(僧伽)」でございます。
 
草柳:  それが「仏法僧」の中の「僧」ということになるわけですね。
 
中村:  それに当たるわけですね。
 
草柳:  ただ普通「仏法僧」の「僧」という言葉だけ聞きますと、「僧侶」お坊さんというふうに何となくとりがちというか、とられがちで、それが集合体・共同体だということとはちょっとなかなか結び付かないようなところがありますね。
 
中村:  元は成り立ちにおいては、共同体の、あるいは理想を意味したわけですが、ただ時代が経ちますと、仏教が広がりましょ。殊に中国とか日本とか、東アジアでは、集いに属する一人一人の修行者、個人、それを「僧」と呼ぶようになりました。そういう変化が東アジアの言語には見られるんですが、殊に日本人の場合問題にしましてね、ドイツ人だとか、あるいは西洋の人がよく問題にするんですが、日本人は非常に帰属意識が強いと言うんで、どっかに属しているという意識が強い。それで「あなたはどういう方ですか?」と自己紹介を求める場合に、ドイツ人でしたら、「自分は電気の技師である」とか、あるいは「大工さんである」とか、先ずそう言うと。続いて、「今はどこそこの会社で働いている」と、そういう自己紹介の仕方をすると。ところが日本人の場合は、先ず自分が属している会社を最初にいうと言うんですね。しかもその会社がよく知られているような大会社である場合には、最初にそれを言う。
 
草柳:  例えば、「私は、NHKにいます」というふうに。
 
中村:  そうなんですよ。その中で「何をしています」ということを、次に言うというんですね。そういう考え方の違いがあるわけです。単に自己紹介の仕方が違うというだけのことではなくて、そこに日本人の場合には、帰属意識、特に属している方という意識が強いというんですね。そういう特徴がございますが、それが教団の個々の成員―メンバーについても言われることだ。大体東アジアの方へ仏教が移ってきますと、そうすると「僧」という字が、同時に修行僧個人、つまりお坊さんですね―お坊さん個人を意味するようになりました。そういう違いがあるわけでございます。
 
草柳:  本来はさっきのお話のように、「僧」というのはそうした人たちの共同体、集まりであると。それを指して「僧」―「サンガ」というふうに言ったわけですね。
 
中村:  そうです。
 
草柳:  勿論今でも当然正しい意味はそうだと思うんですけども、それと同時に共同体―「和合衆」という言葉がありますね。
 
中村:  「サンガ」というのは、ただ集まり、集いですが、同時に仏教の精神を具現している人でなければならない。そうすると、そのメンバーがみな仲良くしている。そして共に正しい道を追求し、実践しているという、そういう理想が働いているわけです。だから「サンガ」というのは「和合衆」という意味であると、昔から解釈されております。
 
草柳:  つまり「和合」という言葉からは、当然目的を一つにした人たちの和気藹々の集団であると。和気藹々かどうかちょっとわかりませんが、とにかく目的は、
 
中村:  目的はそうで、理想はそうでありたいとみな願っていたわけであります。それで「サンガ」―「僧」というものを特に重んじて、そこに和合衆としての自覚をもって理想を追求し具現すべきである、ということを、はっきりされたのは、やっぱり仏教の一つの特徴だと思います。その「仏法僧」の三つを、さっきも申し上げましたように、「三宝」というわけですが、一つの宗教が、三つの宝を説くということは、これは他の宗教にもあるんでして、例えばほぼ同時代に現れ出ましたジャイナ教でも、「正しい信仰・正しい智慧・正しい行い」それを「三つの宝」という言い方はあるんです。けれど、仏教は、最後のところで人々の和合せる正しい集まりという、それを表へ持ち出してきたということに、やはり宗教史的には一つの特徴があると思うんでございます。
 
草柳:  しかも教団の内部は、階級、当時インド社会というのは、まさに階級制社会と言いますか、上下関係のもの凄く厳しい社会だったわけでしょう。
 
中村:  そうです。
 
草柳:  でもその教団の中は、実はそうではなかったということらしいですね。
 
中村:  そうじゃないんですね。階層秩序と申しますか、階級的な序列ですね、それがずっと昔から支配してきたわけですが、それを打ち壊そうという動きがその前に現れていたんですね。その人々は自由平等な社会を望んだわけでございます。仏教はまさにその点を突いたわけですね。それで「サンガ」という言葉の意味ですが、当時のインドの用例を見ますと、政治的な意味では「共和国」を意味しておりました。これはギリシャ人の旅行記なんかにも出ているんですが、インドには二種類の政体がある。一つは王国である。これは昔から続いています。その他に共和国がある。それを「サンガ」と呼んでいたわけです。それから当時商工業者が現れ出まして組合を作っていました、彼ら自身のために。その組合のことも「サンガ」と言うんです。政治的、あるいは経済的に、そういう理想を掲げていた人は、当然自由平等な社会を欲していた。その願いがこの仏教の教団にも反映しておりまして、ですから仏教教団はしばらく経ちますと、例えば投票によって事を決めるということをやりましたですね。これは当時商工業者の間で行われていたことなんですね。それを運営のために取り入れたというわけですが、
 
草柳:  自由民主的な話ですね。
 
中村:  そうですね。今日の言葉で言います「民主的」ということになりましょうかね、インドとしてはまったく珍しい、あるいは世界の人類の歴史の上でも注目すべき現象だと思います。そういう部分的にも活きていた理想を取り上げまして、それを高い理想の元に纏めたのが、それが仏教のサンガの理想でございます。
 
草柳:  三宝の一つに僧たちの集まりがある。その共同体が他の二つと並んで大変重要なことだ、というふうに、仏教は後々までズーッと伝えられていくわけですよね。だんだん組織が大きく、教団というのは大きくなっていくわけです。例えばどうしても一旦教団に入ってみたんだけれども、どうも自分の思うようなところではなかった。だから止めたいとか、つまりそういう教団への出入りというのはどうだったんですか?
 
中村:  これはごく自由でしたね。後の仏教界の言葉によりますと、「還俗(げんぞく)」という言葉がありますね。俗に還るんですね。一遍出家してみたけれど、なんかの事情で元へ戻る。それ構わないんです。それは南アジアの仏教諸国でも、今でもその通り行われています。例えば私が、ビルマのパゴダにお詣りしました時に、案内して世話してくださった方がおられる。その方が言われますには、「自分の本職はポリスマン―警官だ」というんですね。「けどちょっと時間の都合がついたから、ここのところ二週間ほど本職を休まして貰ってお寺へ入って、それでお寺の坊さんとしての生活を続けた。で、この通り頭を剃ってですね、それから覆い―黄色い衣をまとって仏教の戒律を守りながら暮らしている。期日がきたらまた元の世俗の職業の方へ戻るんだ」って、そう言っておられましたです。自由なんですね。
 
草柳:  話を前に続けていきたいと思うんですけども、そういうサンガ―共同体がどんなふうに成立していったのか。しかもだんだん大きくなっていくに連れて、いろんな人たちが多分きっと入ってきたのではないかと思うんですね。
 
中村:  そうですね。
 
草柳:  拒(こば)まなかったわけですか?
 
中村:  拒(こば)まなかったわけですね。それが後代になりますと、やっぱり父母の許さざる者は出家させないとか、それから犯罪歴のある者はどうこうということを言われますけどね、仏教が成り立った頃というものは、とにかく釈尊の人柄に惹かれて、その徳に惹かれて、それで集まって来ているんです。それみんな教団の一員として受け入れられました。だから家の家長が亡くなったその遺された遺族の人とか、あるいは経済的に困っているというだけじゃなくて、殺人鬼と化したアングリマーラなんていうのもお釈迦様の教団に受け入れて頂いた。そういうようなことが伝えられておりますですよ。
 
草柳:  そして人が増えていくというのは、勿論仏教の教えというか、釈尊の教えそのものが、やはりそのものに惹かれていくということと同時に、やっぱり釈尊の人間としての魅力というか、そういうものがやっぱり随分大きかったんでしょうね。
 
中村:  ええ。やはり最初は心に悩みをもっている人が、たまたま釈尊という一人の人格に出会って、ハッと打たれて、「どうか私をお弟子にしてください」と言って、それで教団の一員となった、そういうのが発端でございます。それがだんだん人数も増えまして、それで仏教では、集い―サンガというものを非常に重んずるようになりました。仏教徒である印は何かということが、後代まで問題になるんですが、一番普遍的に認められている印は、「仏法僧の三つに帰依すること、従うこと」それがギリギリのとこだと言われていますが、それは仏教諸国どこに通じても言えることなんですね。
 
草柳:  教団に入ってくる人たちというのは、階層を問わず、老若男女・貴賤を問わずということだったようですけど、これをちょっと先ず読んでから、一つ例をご紹介頂けませんか。
 
貧苦なる女(キサーゴータミー尼)にとっては二人の子どもは死に、夫もまた路上に死に、母も父も兄弟も同じ火葬の薪で焼かれました。わたしは、一族が滅び、世のあらゆる人々には嘲笑されながら、不死〔の道〕を体得しました。
(「テーリーガーター」)
 
このキサーゴータミーという人、勿論女性ですよね。
 
中村:  そうです。彼女はサーバティという当時の大都会に住んでいた珍しい女性であったと言われておりますが、その主人が亡くなって、しかも子どもも失ったわけですね。そして同じ火葬の薪の上で焼かれた。非常に悲惨な気の毒な人でした。けど、その人が力もないし、周りからもどうも蔑(さげす)まれていた。ところが釈尊が来られたのにひょっと会って、その人格的な力に感化されて、それでお弟子になったということが、初期の仏典に出ております。『テーリーガーター』という書物ですね。これは当時の尼さんのことを詠んだ歌―詩ですね、あるいは尼さんの告白そのようなものを後の人が集めたもので、今日のなお南アジアではよく読まれております。
 
草柳:  今の人の例にもあるように、こうした悲惨な境涯を送ってきた女性、勿論男性もですけれども、こういう人たちの悩み事に、ブッダがきちんと答えたということなんでしょうね、こういう人たちが教団の中に入ってきたということは。
 
中村:  ええ。これは人々それぞれに応じて、悲しむべきことは共に悲しんで慰めてあげる。困っていることがあれば、その相談に載ってあげると。よく言われることですが、「仏教の教えは、待機説法(たいきせっぽう)である」と言われておりますが、これは釈尊自身から発することです。「待機」の「機」というのは、機会の「機」でして、相手の精神素質のことです。困って相談を持ちかけてくる人は、みんな事情が違うわけでしょう。その事情に応じて教えを説いておられたと。それが釈尊ゴータマブッダの立場でございました。
 
草柳:  そうした今の例に見られるような人たちであるとか、あるいはもっと別の動機から入ってきた人たち、ともかくいろいろな人たちが教団を構成していくわけですね。だけれども教団に属している人たちの目標というのは、勿論同じなわけですよね、最終目標ということは。
 
中村:  そうです。
 
草柳:  多分そこできっとそうした共同体意識みたいなものというのが、だんだん芽生えていくのではないかと思うんですが。
 
中村:  そうです。その自分がもっている精神的な悩みというのは、みんな違うわけですね。そしてそれを導く仕方も違っていたんで、今キサーゴータミーのお話が出ましたから、じゃ、彼女に関する物語が仏典に伝えられていますので、簡単に申しますと、子どもを失ったわけですね。泣き悲しんでいた。それでお釈迦様のところへ行った。そうすると釈尊が答えられますにはですね、
 
草柳:  確かあれは死者を出していない家から芥子粒を、
 
中村:  そうです。「芥子粒を死者を出したことのない家から貰って来いと。そうすれば、薬でも手に入れるし、上手くいくだろう。だから先ず死者を出したことのない家から芥子粒を貰って来い」とそう言われたんですね。その通りにして、キサーゴータミーはグルグル回ったと言うんですが、ところがどこの家へ行っても死者の出ない家ってないんですね。どこの家でも亡くなった人は、いつかの時代には出ているわけです。そこで釈尊のところへ戻って報告した。「ああ、気が付きました。お釈迦様が平生(へいぜい)説いていらっしゃるように、凡ては無常であります」。無常―どなたも、どんな偉い方でも、どんな賢い人でも死ぬという運命は逃れることができないのだという、そのことを身に摘まされるように教えてやる。その一つの仕方でございますね。
 
草柳:  ですからその時はその女性にとっては、無常というものが出家の動機ということになったのかもわかりませんけれども、教団の中にあって、かなり前からブッダと一緒に歩んできたお釈迦様の愛弟子のアーナンダという人が、教団のもっている意味について、「私はこう考えるんだ、こう考えている」というふうなくだりがあります。そこをちょっとお読み致します。
 
修行僧アーナンダがいった。
「世尊よ、―善き友のあること、善き仲間のいること、善き人々に囲まれていることは、清浄行の半ばに近いものを達成したものと思われます。」
 
というふうにアーナンダがいうわけですね。
 
中村:  これだけでも大変な教えですが、釈尊の言われたことは、もっとさらにそれを進めているわけです。
 
草柳: 
ブッダは、「アーナンダよ。そうではない。そうではない。善き友をもつこと、善き仲間のいること、善き人々に取り巻かれていることは、清浄行の全体である。(なぜなら)善き友である修行僧については、〔八つの正しい道〕を修めることを期してまつことができるからである。」
 
というふうに、釈尊が答えた。
 
中村:  みなが精神的に悩みをもっているから、釈尊の集いの中へ入って行ったわけですが、ところが関心を共にしていますから、お互いに話し合う。それで慰められる。だから仲間の人は善き友であるわけですね。善き友をもつという自体が、仏教の理想を達成する一つのあり方であり、尊いことだと、アーナンダに言われた教えはそういうわけですが、けどもアーナンダの理解では、それが正しい立派な生き方の半分である。善い友だちをもって語り合うことができるというのは、人生の有り難い点であると。これで仏教の実践の半分は実現されたことになるというわけです。そうすると、今度釈尊の言われたことは、さらにそれをもっとこう突き抜けて決定しているというわけでございます。今お読み頂きました最後の言葉にありましたように、善き友を得て、そして善き仲間を作って、サンガの一員となって暮らしていくことができれば、もうそれ自体が清らかな立派な正しい道の実践であると。前に話が出ました、半分が実現しているところじゃないんだと。善き友をもつということが偉大なことであり、それがまさに全体だというんですね。八つの正しい道の実践というようなことを、解説文献では言っておりますがね。仏教の実践というのは「八正道」八つの正しい道の実践なんだけど、そういう抽象的な表現法によらないで、もう心から打ち明けられる人、立派な実践をしている人、そういう人を友にもつという、善き友をもつということ、〈これがもう最上の理想である〉と、そう教えられたわけです。
 
草柳:  これに続けて、ブッダはこんなふうなことを言っている。
 
「アーナンダよ、じつにわたしを善き友とすることによって、老いねばならぬ身にして、老いより解脱することができる。病む身にして、病いより解脱することができる。死なねばならぬ身にして、死より解脱することができるのである。
(「サンユッタニカーヤ」)
 
というふうに、ここの最初のところで、「わたしを善き友とすることによって」という、この「わたし」というのはブッダのことでしょう。
 
中村:  お釈迦様自身のことをいうわけです。これは大変な発言だと思いますね。というのは、世にいろいろな宗教がございますけれど、真の宗教と称する人は、「自分は教祖である。だから教祖と言うことに逆らっちゃいかん。後に付いて来い」と。「俺だけは特別な神の命を受けている」とか、いろんなことを申しましょう。ところがそうじゃないですね。お釈迦様が人々に対する態度というのは、自分はみなさんの善き友である。何をわざわざ「俺はお前を導いてやるんだ」なんていうことは言わないわけですね。善き友という自覚、それに当時の人々が打たれて、それでその仲間の一人として頂いた。これは大した教えだと思います。これは後代の漢訳仏典では、「善知識(ぜんちしき)」というんでございます。「善」というのは「善い」という意味ですね。「知識」というのは、「知ってくれている人」という意味です。だから友だちのことは、元の言葉で申しますと、「kaly?-mitra」(kaly?は美しい、善いの意。mitraは友人、善い友)と申します。「善き友」ということですね。それを東アジアの漢字文化圏では、「善知識」と訳しているわけです。そして伝えました。ただこれは後代になりますと、ちょっと誇張されまして、「善知識さま」というと、なんか宗教的に特別に偉い方、
 
草柳:  徳の高い僧のことを、
 
中村:  そう見ても構えませんけどね。しかし元の意味は、「善き友である」と。『テーラガーター』の中にも出ていますけど、「われは万人の友である。万人のなかまである。一切の生きとし生けるものの同情者である。」という言葉がございますが、お互いに心を打ち明けて、清らかな心で付き合っていく。それが人生の荒波を乗りきる正しい豊かな道であると、そう説かれているわけでございます。
 
草柳:  「わたしを善き友として」と言ったら、まさに「私はその教祖で偉いんだから私の言うことには文句を言わず付いて来い」なんていう態度とはまったく違う。
 
中村:  全然違います。
 
草柳:  もう同じなんですね。
 
中村:  そうなんです。それぞれの人に応じて指導を与えると。
 
草柳:  独裁者じゃなかった。
 
中村:  独裁者じゃないですよ。独裁者なんていうものは、およそお釈迦様の教えに反するわけでして。
 
草柳:  そうやって教団は、ブッダの人格的な魅力、あるいはその教えに導かれてだんだん増えていくわけですね。当然あちらこちらにこうした集いができてくるわけですね。
 
中村:  ええ。それは当時交通手段が現在のように発達したわけではございませんので、そこで集いを形成する人は分かれていたわけです。ただ共通の関心は、釈尊に帰依するということですね。それもその法を実現し実践した人であるブッダに帰依するという意味でして、トップだという釈尊という特定の人に帰依するんじゃないんです。面白い当時の偉い宗教家・思想家の言葉を集めた本が伝えられます。これはジャイナ教の方で作られたものですが、それでは釈尊の名前を出さないで、仏教徒らしき者の指導者としては、サーリブッダ(舎利子)とかを指導者としている仲間もあり、また他の仲間もある。他の指導者を名前を出しているところもあるんです。だから釈尊というものを特別になんか不思議な神通力を持った霊能者というふうに思わなかったわけです。精神の澄んでいた方でしたから、きっと普通の人よりは理解力があったとか、よく見通されるというのは、そういうところはきっとあったと思うんですけど、それを売り物にしたという宗教家と違うわけですね。
 
草柳:  そして今ではお寺なんでしょうけども、精舎があちこちにできていくわけですね。
 
中村:  そうです。
 
草柳:  私どもが知っている有名なのは、例えば竹林(ちくりん)精舎(しょうじゃ)とか祇園(ぎおん)精舎というのがあるわけですが、祇園精舎の話をちょっとして頂けませんか。
 
中村:  祇園精舎ですね。これはもう日本人ではどなたでもご存じですが、精舎の代表的なものが祇園精舎となっております。「精舎」と申しますのは、精進をする家で、人々がそこで「仏道を実践するところ」という意味ですが、しかしあれ元の言葉で「ビハーラ」というんですが、これ「くつろぐところ」という意味なんです。「日常求める人が世俗の事柄から塵芥をぬぐい捨てて心を清めてくつろぐところ」という意味なんです。またご興味をお持ち頂けるかと思ってもうちょっと申し上げますが、この頃のインドでもレジャーセンターがあるんですよ。それはそうですね、子どもたちと遊びたいようなところがありますね。大人でもちょっとくつろぎたいというところ、それを「ビハーラケーンドラ」というんです。「ビハーラ」というのは、人々がくつろぐところです。それから「ケーンドラ」というのは、英語の「センター」ですね。あれギリシャ語の語源にまで遡りますと「ケントロン」というギリシャ語になるわけですね。つまりインド人一般の理解としては、実際に世の中で暮らしていくのはなかなか大変だ。ちょっとくつろいでみたいという、それが「ビハーラ」(サンスクリット語で僧院、寺院あるいは安住・休養の場所を意味する)と申します。今でも生きているんですよ。ですから「ビハーラ」ということを非常に古い仏典にも出てきます。それぞれの修行者が集まって身を清らかにしてくつろぐところ。
 
草柳:  そのビハーラ精舎というのは、勿論それを作るためには多分お金がかかるわけですよね。ところが仏教教団として別にお金稼いでいるわけじゃないですから、それはできないでしょう?
 
中村:  篤信者ですね。信仰をもっている信心の篤い方、その方が寄進される、寄付されるわけです。
 
草柳:  祇園精舎の場合は?
 
中村:  祇園精舎なんかその適例ですね。当時北インドの大都会に舎衛城(しゃえいじょう)というところがありまして、「舎衛城」と漢訳仏典にはそうあるんですが、「シュラーヴァスティー」とサンスクリットで申します。パーリ語では「サーヴァッティー」と言っているんですがね。大都会なんですね。そこにもやっぱり釈尊に帰依する人が出てきた。その代表者がスダッタ(須達多)長者という人です。「スダッタ」という意味は、「ス」というのは「善く」という意味です。「ダッタ」というのは「与えた」。だから世の中の人々に「善く与えた」。それができたということは、自分が実業家として、経済的にゆとりができたから、そういうこともできたわけです。大体スダッタ長者というのは、当時の運輸業者ですね。それから交易をする大商人で富豪でもあったわけです。そして釈尊に帰依しましてね。これではお坊さん方がくつろげる場所、それを用意してあげたい。そこにビハーラ―精舎を―建物を作って身心を休めて修養もできるようなものを作ってあげたいとそう思ったわけです。
 
草柳:  商工業者、勿論当時の新興の勢力だったわけですね。
 
中村:  新興勢力ですね。というのは、いろいろなことが言いますが、貨幣経済というのは、その頃から進展したんです。それ以前のヴェーダ聖典に見られるような社会では、物を交換するということはあったわけです、人間が生きている限りは。その場合の単位が、牛何頭で価格を計算した。ところがこの時代になりますと、貨幣経済が進展したんですね。で、大交易業者というようなものが出てきたわけです。それで車なんかも五百台、あるいはそれ以上もっていたなんて伝えがございます。釈尊に帰依して、憩いの場所を作ってあげたいと。それでサーヴァッティー市の周りを見ましたら、そうしたら横の方に小高い丘がありまして、これを自分が寄進しようと思った。ところが、その所有主はジェータ太子―王様の太子なんです。その人がもっていたわけなんです。それで「それを売ってください」と言ったんです、スダッタ長者が。そうすると、ジェータ太子が申しますには、ああ、相手がお金を持っていると思ったから、ウンとふっかけてきたんですね。そうしたら、「お譲りしてもいいけど、この森のある丘の上に金貨を敷き詰めるだけ全部敷き詰めて下さったら譲ってもいい」と言ったんですよ。そうしたら、その長者は、ほんとにその通り実行したんです。そういう伝説がございます。それがインドのサールナート、その他あちこちにストゥーパというのがありますが、周りは彫刻で飾られておりますが、バルフット欄楯のメダリオンの浮彫には、この状景がはっきり表現されています。それから牛車に金貨をいっぱい乗せてやってきたところ、それから道路に敷き詰めた場面、それから次に立派な精舎の建物ができあがった状景、それみんな出ておりますよ。私どもから見ると非常に面白いものなんですが。それでその森ですね、森林というか、庭園と申しますか、それをジェータ太子が持っていたから、それを漢訳仏典では、「祇陀」と写すんです。それで祇陀太子の持っていた園だから、それで「祇園」と言うんですね。そこに精舎が建ちましたから、それで「祇園精舎」と言うんですね。祇陀太子と「祇」と申しますのは、元の発音すると、ジェータ太子なんですが、「ジ」の音がギリシャ語にはないんですね。ギリシャ人が「ジ」の音を写す時には、「ギ」と言って、ギリシャ文字を使っているんです。だから「ジェータ」という名前を写すのに、「ギダ」としてもなんとか当たらずと雖も遠からず通ずるものがあるわけです。その名称がずっとインド、天竺、中国の三国を通じて、それから日本へ広がりまして、で、今日は京都に祇園というのがございますが、もっとも今日祇園は元のインドの森とちょっと違う。それにしても面白い歴史があるわけなんでございます。
 
草柳:  そういう今祇園精舎を寄進したスダッタ長者の話をして頂いたわけですが、つまり大都市に於ける新興勢力である商工業者たちに、ブッダが、教団が支えられたというのは、つまり教団の教えること、あるいは教団のあり方が、やっぱりそういう新しい勢力の人たちに受け入れられた、ということになるわけでしょう。
 
中村:  そういうことですね。新しい実業家たちにとっては、等価交換ということが実現しなければいけません。値段の同じものは同じ値段で交換されなければいけない。それカーストが違えば、高く売るとか、安くするとかということがあったら、公平な商業というものは成り立ちません。だから仏教の理想というものは、ちょうど当時の新興商工業者にピタッと合うところがあった。
 
草柳:  それは何でしょうか? 合ったところというのは?
 
中村:  それは自由平等の精神だと思います、今日的な表現ですけどね。「平等」というのは、仏教の言葉ですが、「自由」というのは、妨げがないことでしょう。だから仏典では「無礙(むげ)」とか、いろいろな言葉がございますが、つまり新興商工業者が活動するためには、地域による妨げがあっちゃいけないわけですね。そして如何なるものでも、価格が同じものは等しい価格で交換される、ということでなければ、商業は成り立たないわけでありますね。相手を見て定価を変えるというようなことでは具合も悪いですし、
 
草柳:  そして祇園精舎に代表されるような精舎が、あちらこちらにできていくわけですね。それは当然教団を構成するメンバーは増えていったということになりますが、集団が大きくなると、どんなに目的を同じくする集団であっても、やはり共同体が広がっていけばいろんな問題が出てくるだろうと思うんですね。例えばよく「戒律」ということが仏教では言われますね。その「戒律」というのもやはり教団成立ということと関係があるわけですか。
 
中村:  そうでございます。戒律の体系というのはなかなか複雑で、私どもでもわからないところがいろいろございますけれども、いきなりああいう法の体系のようなものができたわけじゃないんですね。日本の法律なんていうのは、大体ドイツなんかお手本にして体系的に作られたものでしょう。ところが仏教の戒律の箇条というものは、まあ大勢修行者が集まって来ると、中では善くないことをした者もいる。そうすると、「そういうことをしてはいけないぞよ」と言って、「これこれしてはならん」と言って、箇条を作られたんです。それで戒律箇条というのが逐次できていったんですね。
 
草柳:  平たく言ったら規則、
 
中村:  規則ですね。
 
草柳:  その根本と言いますか、考え方を書いたものをちょっとまたお読みして話を続けさせてください。
 
戒めをまもる人は、自ら制するために、多くの友を得る。戒めは、もろもろの善いことがらの始まりであり、根底であり、根源であり、あらゆる徳のうちの主要なものである。それゆえに、戒めを浄くせよ。
(「テーラガーター」)
 
という内容なんですけれども、戒律の意味合いなんですけれども、基本的にはどういうふうなことだったんでしょうか。
 
中村:  基本的には割合簡単なことだと思うんですね。前回にも「慈悲」のことを論議させて頂きました。人の立場に立って、人に思いやりを持ち、人を傷付けない、というような精神が持たれなければならない。それでもしもそういう点に注意が行き渡りませんと、そうするととかく人と人との間でも上手くいかないで争いの起きることもございましょうね。だからそういう高い立場から見て、「こういうことをしてはいかん、ああいうことをしてはいかん」ということを逐次条文化されたんです。俗に戒律の箇条は。男性の修行者は二百五十戒ある。それから女性の尼さんには五百戒あると言われている。
 
草柳:  それは大分後世になってから、
 
中村:  いずれも後世でございます。というのは、派によって戒律の内容はかなり違うんですね。けれど、善いこと悪いことというのは、誰でも大体理解なさっていることで、中身に違いがあるわけではない。だから趣旨は同じです。ただ細かな点になりますと、後世になっていろいろ戒律箇条が増えたり致しました。
 
草柳:  結局戒めというのは、これは他律的なものではなくて、言ってみれば自律的なものであるわけですから、修行の妨げというか、つまりいずれも目的というか、最終目標は解脱という、安らぎということでしょうから、それの妨げになるものをしないようにしようということなんですね。
 
中村:  そうです。その解脱というのは、各個人中心のことではありますけれども、さっきもお話に出ましたように、善き友を持つということが、もう既に解脱であるというわけでしょう。だから善き友を持つように自分を律していけばいいけど、どうかすると人を損なったり、迷惑を掛けたりするようなことがどうかするとありますですね。それのないようにという趣旨でございます。それで「戒律」の「戒」というのは、「シーラ」という言葉なんですね。これは人間の傾向、癖。誰にも人間に一つの傾向がありますですね、癖がある。それも「シーラ(sila:戒)」と言うんです。だから善いことをしていれば、身を修めていれば、自ずからその行いがよくなるでしょう。だからそれを目指すのが「シーラ」なんでございます。それで漢訳仏典では、「戒」という字を使っています。それから「律」というのは、元の言葉で「ヴィナヤ(vinaya)」という言葉なんですね。これはインドでは、身を調えるという意味です。悪いことをしない。人に迷惑をかけない。それを「ヴィナヤ(vinaya:律、原義は取り除く、教育するの意)」でありますが、漢訳仏典では、「律」という字をあてております。「戒律」というと、とっても難しくて堅苦しくて思われますが、そうじゃないんですよ。誰だって精神的な方向とか、傾向というものをもっています。それは立派なもので清らかな願わしいものであると。それが「シーラ」戒ですね。それから自ずから身を調えるのが「律」であります。それは後代の仏教の教学になりますと、またいろいろ難しいことが言うんですがね。言葉についての講釈をすればそういうわけでございます。
 
草柳:  私どもがよく聞く仏教の戒律としては「五戒」。人がこうしてはいけないとか、人のものを盗んじゃいけないとか、あるいは人を陥れるなんていうのは、これはしかし仏教に限らず人間の生き方も問題ですね。
 
中村:  どの宗教だって、具体的に申しますと、「殺(せつ)・盗(とう)・淫(いん)・妄(もう)」と、四つがあるんですね。「殺(せつ)」というのは、人を殺してはいけない。盗みをすること、これもいけない。「盗み」というのは、与えられないものを盗ることだ、というんです。「淫(いん)」というのは、男女関係を乱すわけですね。これもどこの国だって同じことです。「妄(もう)」というのは嘘をいうことです。嘘をいうのはいけない。古い時代には、その四つが主な箇条でありまして、それで世俗の人々でも守るべきことだとされておりました。ところが世俗の人々に教えを説く場合に、もう一つ加わったんですよ。これはインドの宗教によって多少違いますですね。仏教では、「不飲酒戒(ふおんしゅかい)」というのが、
 
草柳:  酒を飲むな、という。
 
中村:  ええ。これはどうもあまり癖になりますと、具合の悪いことがあると。ただ学問的には当時の教義学者はこう言っているんです。最初の「殺盗淫妄」は、それ自身悪い言葉ですね。だから「性戒(しょうかい)」と言いまして、性質、本性(ほんせい)としては罪になる。だから本性(ほんせい)上の罪として戒めなければいけない。ところがお酒をちびちびとやる方は、これは「遮罪(しゃざい)」というんですね。「遮」というのは、遮るんです。「遮る」というのは、どういう意味になるかといろいろ考えられますが、とにかくそれ自身が悪いことではない。お酒を飲むということは、それ自身が悪いことではないけど、ただあまり過ごすと善くないことがよく起こるんじゃないですか。「あんまりやりすぎるなよ」と言って、パッと遮る。それで「遮罪(しゃざい)」と言うんですね。
 
草柳:  教団の中に戒律ができて、しかも教団というのは、ますます大きくなっていく。最後にもう一つご紹介したいのは、「修行僧とは一体何なのか?」というふうに、サビヤという人が釈尊に問いますよね。その答えとして、修行僧はかくかくしかじか、これが修行僧なんだと言っているのを、ちょっと一つご紹介させてください。
 
「サビヤよ、みずから道を修して完全な安らぎに達し、疑いを超え、生存と衰滅とを捨て、〈清らかな行いに〉安立(あんりゅう)して、迷いの世の再生を滅ぼしつくした人、―かれが〈修行僧〉である。」
(「スッタニパータ」)
 
これはもう先生、修行僧というのは、努めに励むものだということを言っているんですね。
 
中村:  そうです。理想的姿をここで述べられているわけです。
 
草柳:  教団の中にあって、最終的な目標を目指して修行している者は、怠らずにとにかく努め励むことが大事なんだということを、ここでは強調しているみたいな感じがございますね。
 
中村:  そうなんですね。
 
草柳:  もう一つお終いに、これは『ウダーナ』という中からご紹介します。
 
仏のあらわれたまうのは楽しい。正しい教えを説くのは楽しい。集いが和合しているのは楽しい。和合している人々が修養しているのは楽しい。
(「ウダーナ」)
 
という内容なんですけども、これは、
 
中村:  これはブッダの説かれた通りに、その精神を体して生きていくということになりますと、世の中が明るく楽しいものになりましょうね。教えを乞いに来た人というものは、やっぱり悩みがあって、そのために来たんでしょうけど、しかし結局それが釈尊の教えによって解決して貰える。正しい教えを説いてくださる。それを自分たちが聞くというのも楽しいことである。その教えを聞くために大勢の人が集まってまいりますね。その人々が仲良く暮らしているということ、和合しているということは楽しいことであると。その集まって来る人は、みな自分の身を精神的に高めると。
 
草柳:  私は、そういう集団の中心に友としてのブッダがいたという、
 
中村:  そうなんですね。
 
草柳:  そのことがきっと多分大事なことだったという。
 
中村:  そういうことなんですね。パーリ語の古い経典の中に説かれております。
 
草柳:  どうも有難うございました。
 
     これは、平成二十六年二月十六日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである