信心の関門
 
              広島法林寺副住職 大 石(おおいし)  法 夫(のりお)
大正一○年、広島県大竹市生まれ。昭和一七年、京都大学法学部入学。昭和一八年一二月、学徒出陣で海軍入隊。人間魚雷回天の山口県光基地にて終戦を迎える。昭和一九年、京都大学法学部繰り上げ卒業。昭和二二年、仏門に帰依。法林寺副住職を経て、のち自宅での法座を中心に各地で布教活動を行う。著書に「生まれてよかったですか―同行様たちへの書信」「どうなろうとこの道一つ」「人みな願いに抱かれて」ほか。
              き き て    金 光  寿 郎
 
金光:  今日は、「信心の関門」という題で、広島市の法林寺(ほうりんじ)副住職の大石法夫さんにお話して頂きます。私たちは一口に「信心する」とか、「信仰する」とか、よく申しますが、その内容は、人により大変に幅がありまして、その信心の内容には、いわば段階があるというふうにも感じるわけでございます。大石さんは、長年求道の生活を続けられまして、お念仏の世界に大きな安心を得ていらっしゃる方でございます。どうぞよろしくお願い致します。
 
大石:  よろしくお願い致します。
 
金光:  大石さんは、在家のご出身だそうでございますが、仏法に道を求められた直接の動機と申しますと、どういうところからご出発になったんでございましょうか。
 
大石:  昭和十八年の暮れに学徒出陣ということがございまして、その時私は海軍へ入らして貰ったんでありますが、戦争の末期の「人間魚雷回天」という水中特攻兵器の光基地(山口県)で搭乗訓練を受けておりました。
 
金光:  これは魚雷の中に人間が入るわけでございますか。
 
大石:  そうなんです。自分で希望して搭乗員になったわけでありますけれども、やはりそういう訓練を受けておりますと、死に直面しますからね、やはり自分の人生は何だったんだろうかということを、誰しも考えたと思いますけど、その頃直属上官に上山春平(うえやましゅんぺい)(哲学者。京都大学名誉教授。京都国立博物館館長、京都市立芸術大学学長を歴任:1921-2012)さんという当時中尉がおられまして、その方は京都大学哲学科出身で、よく西田幾多郎(にしだきたろう)(1870-1945)先生とか、田辺元(たなべはじめ)(1885-1962)先生に直接教えを受けた方でありまして、時々仏教の話をしてくれました。シャッツを脱いだ時に、大きな数珠を掛けておられまして、しかも態度が堂々としておりましたし、心惹かれました。そういうことが一つの仏教に対して求めて聞きたいという気になったわけであります。ちょうど春の桜の咲く頃です。来年はもうこの桜は見ることがないという思いで、外出日に郊外の寺をお訪ねしました。たまたま行ったところは、禅宗の寺でございまして、死ぬのなら平然と死にたい、見苦しい死に方はしたくない、自分の気持を述べて、そこにおられた老僧さんに、禅の手引きからいろいろ話を聞かせて頂きました。自分で求めて仏法を聞かせて貰おうと思ったのは、その時が最初でございましたね。
 
金光:  「人間魚雷」というのは、魚雷の中に入って発射されると、もう帰って来ることはできないわけですか?
 
大石:  そうなんです。
 
金光:  ということは、必ず死ぬということで、
 
大石:  そうです。
 
金光:  中(あた)らなくても発射されれば帰れなくて死んでしまう。
 
大石:  命中しても命中しなくても、もう死ななければならないという。
 
金光:  そうすると、必ず死ぬという覚悟のうえで訓練も受けられますし、日々そういうことを考えながら訓練を受けられた、ということでございますね。
 
大石:  そうなんですけど、どうせ生還しないという気持で、応募したわけですから。で、ありますけど、訓練しておりますと、まあ明日は搭乗という日には、前の晩は誰も酒は飲みません。人より早く休みます。深夜調整場へ行きまして、調整済みの明日乗る自分の回天のハッチをあけて中に入りまして、一連の操作を繰り返すわけです。ハッチを閉めたら中はただ一人。搭内でひょっと思い出すのは望郷の念と言いますかね、残した両親のことなんか思う時間があるわけです。訓練が始まりますと、忘れていますけどね。そういう時ですね、もう私は今でも不思議に思っていますのは、人間に生まれて、今日一日あっただけでも良かったな、という日がなかったのを不思議に思われました。死んで靖国神社に祭られることはともかく、それでは心落ち着けられませんから、毎日毎日逐われるような気持でおるわけでありますが、一日でも、〈今日は良かったな。ここに一日おるだけでも生まれてきた甲斐があった〉という日はなかった、ということが不思議に思われましてね。そんならそういう問題の解決は、どうしたらいいかと思った時に、幼い日に安らぎを感じたあのお寺の教えの中に、私の求めるものがあるのでは、という直感めいたものがありましたから、昭和二十年四月でしたが、桜の咲く頃に、お寺に出掛けたことがあるんです。夜の搭乗訓練のない日はそこへ行って、わからんながら訓練の合間に坐禅して、ご老僧さんから仏教の話を聞かせて頂きますと気持が落ち着きますので、日曜になりますと出掛けていました。それぐらいの余裕はありましたね。搭乗員になりますと自由にできましたから。それが自分から求めて仏教を聞かして貰おうという気になった動機でございました。
 
金光:  で、二十年の八月に終戦ということで、軍隊からお帰りになったわけでございますが、大学の途中で学徒出陣で出られたわけで、また大学にお帰りになったわけでございますか。
 
大石:  私の期は、全部全国の大学が、入学したのが昭和十七年四月なんです。軍隊へ出たのが十八年の暮れですからね、一年八ヶ月しかないんですけどね、あの期だけは、終戦後一年ほど授業料免除で講義を聞いてもいいという、大学からそういう通知が来ましたから、差し向き就職する気持もありませんし、京都へ行かせて頂きまして、一年間京都生活をしました。学校は法学部ですからそういう講義よりも、仏教に惹かれまして、週に一遍ぐらい禅宗の寺へ行きまして、坐禅の手引きをして頂いておったわけであります。一年ぐらい経って、藤解照海和上(とうげしょうかいわじょう)というお方と会わせて頂きました。このお師匠さまに会わせて頂きましたのは、昭和二十一年の暮れでして、郷里に帰りましたら、私の母が、「あんたに合わせたい人がちょうど来ていらっしゃる」と。お師匠さんは、その当時岩国、大竹方面へ布教に行っておられましてね。もし就職しておったら、お会いできなかったと思うんでありますが、ちょうど良いときに会わせて頂きまして、私は自分の心の悩みを訴えました。その頃は、「先生」と申し上げておりましたが、「先生、私は戦争から生きて帰りましたけど、これから結婚もし、就職もしなければなりません。どう生きていったらいいのか不安があります。人の前でお話しするのが大変苦手であります。もし弁論大会に出ろと言われたら、もう心配でたまらん。こういう気持だったら、人間に生まれて人と暮らさなければいけないのに、人間と会うて、言いたいことが言えないようじゃ不幸だと思います」と、率直に自分の気持を申しました。生存競争みたいな気持でしたからね。この気持は戦争終わって、鉄砲の撃ち合いが無くなりましても、心に平和はないわけです。いつも結婚したらどうやって妻子を養っていこうか、と始まりましてね、一生この不安が付きまとうという気持が致しましたので、お尋ねしました。そうしたらその時に、お師匠さんが申されますのに、「儂も青年時代にそういうことがあったよ。儂もなあ、青年団の時に弁論大会があったんじゃ。出れ≠ニ言われたけど、出ん≠「うて。だが他の人が出るから、こっそり聞いてやろうと思ってね、一番後ろに立って腕組みして聞きよった」とおっしゃるんですね。「ところが、儂は、あれよりもっと良いこと知っておるのに、あんな詰まらんことをいうのに、みんなが拍手喝采したよ。儂はつくづく思ったよ。儂は良いこと知っておっても、話ができんとなったら、無いと同じだと。儂は悩んだよ」そう申されました。私は有り難く思いまして、ひょっと救われた気がしまして、「どうしたら解決できますか?」と申し上げましたら、その時に申されましたのが、「信心の徳を貰ったら、自然に解決できます」と申されました。その頃から私は、禅寺で修養という気持で坐禅しておったわけでありますが、信心ということと全然違うんだということに気付かして貰ったわけです。その後に問題の解決の道を教えて貰ったわけであります。そのことともう一つの「真宗には行(ぎょう)がありますか?」とお尋ねしたんです。私は、「行(ぎょう)」というたら、坐禅するのが行だと思っているんですから、「ある」と言われました。「あるんなら、その行をして助かりたいんでありますが、どんな行ですか?」と申し上げましたら、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)≠ニ称えることが行です」と。「だが、これは大行(だいぎょう)というて、人間がする行じゃないんだ。仏様がされる行だから大が付くんだ。お念仏が大行(だいぎょう)だ」と申されました。平素疑問に思っていることをお尋ねしたわけであります。それともう一つ、仏ということは禅宗へ行って聞かされておりましたが、「仏ということはどういうことでございますか?」とお尋ね致しました。そうするとお師匠さまが、「大石さん、あんたは哲学をやっておるか」と申されるんですね。「いや、そんな難しいことはわかりません」と申し上げましたら、「そうか。それじゃ、この天地に人間の力ではわからない不思議な力が働いていることを知っていますか」とこう聞かれました。「そんならわかります」と。花が咲く、風が吹く、雨降る、四季の移り変わりから、人間の生老病死から、人間の自由にならんことはわかりますから、「そんならわかります」と申し上げたわけです。「今の段階なら、それを仏と受け取られたらいいでしょう」とお答えくださいました。戦後の当時、みな食料もありませんし、今日どうなるか右往左往している時期でありますから、そういう中で次から次へと説法されまして、多くの人に心の灯台となられて、多くの人に光を与えられた和上でありますから、全身をもって惹き付けられましたね。もう一つお尋ねしたんですよ。それは、私は小学校入ってから満州事変が始まりまして、旧制高校二年で太平洋戦争勃発と、ずっと戦争が続きました。それで物心付いてから、国家主義、軍国主義で育てられましてね、国あっての個人だと。高等学校ぐらいになりますと、国家なくして個人は無いと。国家に奉仕することが個人の道である、というようなことを教えられますからね。ところが戦後になりますと、それがご破算になりまして、民主主義というのが入ってくるわけでしょう。勿論よくわかりませんよね。その民主主義とかいう言葉を聞きましてもわからない。その時に、「国家主義をどう思われますか?」とお尋ねしたんです。そうしたらすぐに、「組織の中におったら、組織を動かすことはできません。国家という組織の外におらんと、国家を動かすことはできません」とおっしゃるんです。「自分が坐っている座布団を、自分で持ち上げられますか?」とおっしゃるんです。「座布団の外にいる力の強い人なら持ち上げることができます。仏法というのは、一遍組織を崩さして貰って、組織を活かすのは人間なんだから。ところが人間は組織に縛られている」とこういうご返答でした。それは生活がそうなっておらなかったら、即座に返事はできるものではないでしょう。その当時ちょうど岩国にアメリカの進駐軍が来ておりましてね、そこへ「日本の戦後の世話をしてくださるために、アメリカの将兵が祖国を離れ家庭を離れて来てくれておるんだから、そこへ慰問に行こう」とおっしゃるんです。私は、その時行ったわけじゃありませんけど、妹が行きまして、その時の話を聞かせて貰いました。その頃仏道修養道場「六光学苑(ろっこうがくえん)」を開かれます、ほんとに道を求めるなら学苑を開くから、そこで来てもよろしいという、そういう話がある頃だったんですね。
 
金光:  それは法林寺に学苑を開かれるということで、
 
大石:  ええ。今法林寺は、昭和二十八年、二十七年に来ましたけど。その当時別の場所でしたけど、
 
金光:  ともかく藤解照海和上(とうげしょうかいわじょう)さんが、その学苑を開かれたわけですね。
 
大石:  そうそう。寺というのはあるんですけど、そこへ仏法生活でもって教わりたいという人がおるならば、生活の中へ入れてくださってね、それで起居を共にして教えをくださる。そういう団体が学苑というんですけどね。別に学校みたいに組織もありませんし、入学式もありませんし、特に希望者が許されて入るんですけども、人数も増えたり減ったりしますけど。
 
金光:  それにしても占領軍―占領している人たちに対する考え方が随分違いますね。自分たちの国を占領している人間だという考え方ではなくて、アメリカから遙々来て日本の自分たちの世話をしてくださる、というふうな受け取り方をなさっていたわけでございますね。
 
大石:  そうなんです。そこで組織を超えなければ先へ活かされん、ということで来たわけですね。学校の教授でも戦争中に書いた本が、軍国主義に同調しているということで教職追放になった。そういう中で「組織の中におったら、組織が生かされんぞ」とおっしゃる。事実がそうなんですね。敗者も勝者も超えて、向こうさんを慰めようなんて言うんですからね。ちょっとこれは私が今までも住んでいた世界とは違うという気がしました。入苑予定者十何人連れて行かれまして、慰問に行かれるわけです。私の妹も加わりました。後で聞いてみますと、「行って先ず掃除をする」というんですね。ところがアメリカでは「レディ・ファースト」と言いまして、女性が裸足で雑巾掛けをするのは良くない、そういう風習ですから、「ノー、ノー」と言って、止めさせたと言うんです。それならというて、仏教の歌を歌いながら輪になって踊ったそうです。そうしたら向こうの兵隊さん方がとても喜ばれて、「Very nice」とか言って、「一緒に踊りましょう」ということで、一緒に踊った。とても喜ばれて、帰りにその当時珍しかったキャラメル、チョコレート貰って帰りましたね。あの当時昭和二十一年頃に、みな怖れている時に、それを超えて、そして向こうも喜ばれ、こっちも良かったと、実地にされたことを妹から聞かせて頂きました。お師匠さんは、日本の国という組織を超えておられる。時代を超えておられる。だからどんな時代でも、どんな組織の中へでも入ってゆかれる。そして双方が助かる生活を与えられる。それが組織を動かすということなのか。こういう生き方だったら、どんな時代でも通用する、と。「信心の徳を頂いたら、自然に解決できます」ということは、そういうことになるんだろうと思わされましてね、もう私はとても心惹かれましたから、就職を止めて、もう結婚もする予定で結納も取り交わしていた、今の家内とも一応結納を解消し、結婚を解消しました。その後に、「結婚をしておいでなさい」ということで、家族ぐるみ入苑をさせて頂きました。
 
金光:  そうしますと、就職して勤めながら傍ら聞くというようなことではとても納得できないと言いますか、全身をその道に投げ込んでしまわないと、これは落ち着けないと、そういうお気持ちでございましょうか。
 
大石:  そうなんですね。私も京都大学の時に、孔子の教え、『論語』の講義を教えて頂いた大西という先生がおりましてね、出る前は助教授でございましたけど、戦後失業されておりました。お礼を持ってお訪ねしました。その時には学苑に入れて頂く肚(はら)決めておりましたから、そのことを申し上げましたら、大西先生が、「大石君、それは時々日曜日に行ったらいいじゃないか。あんたはこうして法学部を出たんだから、その経歴を活かすような就職をしていった方がよろしいぞ。その間にお話を聞きに行ったらいいじゃないか。修養道場へ入っても、今度そこを出てまた社会へ帰ったら元の黙阿弥だよ」と言われたんです。
 
金光:  常識的にはそういうお考えがありますでしょうね。
 
大石:  ご親切なんですよ。私も相談して許可を得るつもりではないんですから。率直にお尋ねしました。「大西先生、失礼でありますが、大西先生は悩みありませんか?」とお尋ね致しました。「有る」と言われました。「失礼でなかったら、どういう内容でありますか? 聞かせて頂けませんか」と申し上げたんですね。そうしたら、「君も知っている通り、儂は戦争中に書いた書物が、軍国主義に同調した本だったから教職追放になった。これから年取った母と妻と二人の子どもを、どうやって養育していこうかと思ったら、不安がある」ということを申されましたね。「それなら大西先生、私はこの度お会いしました先生は、儂は不安は無い。信心の徳を頂いたら、もう不安は無くなる、と申されました。私も今から結婚し、就職して妻子を養うことは不安がありますと訴えたら、そう申されましたので、私の申すことは、世間知らずの青二才が言うと思われるかも知れませんけど、やはり私はその先生のところへ行かして貰います」と申し上げましたら、大西先生が、「大石君、決して青二才と思われない。むしろ良いと思ったらすぐそこへ飛び込んでいける君の若さが羨ましいよ」と申されたことがあるんですね。「私はそのことを有り難く頂きます」と言って、去らして頂きました。
 
金光:  そして一足飛びの質問になりますが、その時お感じになっていらっしゃった不安ですね。生きていく不安、そういう不安を現在は如何でございましょう。
 
大石:  いや、それはありますよ。それは、単身で初めてホテルに泊まったことがあったんですよ。食事をしようと思って、聞きましたら「カフェテリアが地下二階」にあると。「カフェテリア」と聞いてもわかりませんし、一泊二食付きで決まっているのか、こんなこともよくわかりません。そういうところから不安なんですね。初めてのところですから。「地下二階」と言いますから、エレベーターで下りたんです。先ず入る前聞きましたら、ボーイさんおりましたからね。「ここは現金払いなんですか」と聞きましたら、「そうなんです」と言われました。それは一応クリアしまして、何を食べようかと思って、うっかりしたもの食べられませんから、トーストが良かろうと思って、「トーストください」とこういうたんです。なんかトーストと副食物が要るんじゃないかと思ったけど、ようわからんです。単身でホテルに泊まったことありませんから。人のを見たら、トーストと一緒に卵食べているんです。卵がバラバラになったのを。あれを貰おうかと思ってね、「あれください」と言ったんです。途中から普通なら「トーストとハムエッグ」とかいうんでしょうけど、ようわからんけん。そう言ったらボーイさんが、ちょっと怪訝な顔をしていましたが、持って来てくれました。ところが出たのが、ハムエッグのエッグということは知っていますよね。エッグというのは卵のことだと。ところが出たのは目玉焼きですよ。向こうの人のものはバラバラになっているんですね。何が違うか知りませんけどね。私はちょっとの食事の合間でも、やっぱりそういう煩悩と言いますか、体裁根性と言いますかね、その程度のことならすぐ片づきますけどね。わずかの食事の時間、二、三十分の間でも、心の煩悩というのは揺れ動きますからね。ただ一つ、如来が信じられてからは、これじゃいけんぞと、おれがないんですね。そこのところを、私は信心ということが、「信心の徳を頂いたら解決付きます」とおっしゃった。「信心」ということが、親鸞聖人さまの教えの根本なんですね。この信じるということは、一言でございますけどね。この私は、こう信ずるんじゃなしに、さっき信心の行があると。その行は人間がする行ではなしに、「大行」というて、仏様がされる行だと申されることを申し上げたでしょう。親鸞さまは、「信」ということは、「大信」と言われましてね、仏さまの本願から廻向(えこう)されることを申していらっしゃるんですね。大きな信です。この「本願を信じる」ということに、真宗は終始するんです。信ずるという本願とは、どういうことかということになるわけでありますが、ただ信じられたら、いろいろな妄念煩悩が起こる度毎に、これじゃいけないと思って、自分の心を条件付け加えない。如来さまの偉大な力に摂取(せっしゅ)されますと―「摂取」という言葉を使いますと、これは仏語でございますが―お心に摂(おさ)め取られるというものです。それからは自分の心がどれほど煩悩が起ころうと、喜ぶ心が起こると起こるまいと、外の人の誉める言葉であろうと、貶す言葉でありましょうと、右往左往しておったものが、今度は信じられましたら、これだからこそと、自他を超えた大きなお心に摂(おさ)められていくという、これが本願から廻向される。だからそういうことがある度に如来さまのご恩を思うようにしていたわけであります。
 
金光:  この不安は不安のままで、不安がなくなるわけじゃないけれども、不安のままで如来さまの働きに摂(おさ)め取られる、ということになるわけでございますか。
 
大石:  そうなんです。
 
金光:  不安がなくなるということじゃないわけですね。
 
大石:  「妄念(もうねん)」というのは、凡夫の地体(じたい)があって、「凡夫地体」と言いましてね。「地体」というのは、いわゆる「本根(ほんね)、本性(ほんしょう)」ですね。「地金(じがね)」ということですね。もう凡夫の地体になると、
 
金光:  もう地金としていくら表面にメッキをかけても、地金はダメだということですね。
 
大石:  そうです。これはある高祖さまの言葉でありますが、「『臨終の時まで、一向妄念の凡夫にてあるべきぞ』と心得て念仏すれば、来迎にあづかりて蓮台に乗ずる時こそ妄念をひるがえして覚(さとり)の心とはなれ」という言葉があるんですけど、そこへいきますと、仏語ですけど、この妄念は、どう考えても、物心付いて死ぬまで妄念しかないんですからね。ですけども、仏様は信じましたら、ちょうど川の水が海に流れ込みましたら、綺麗な川だろうと汚い川でありましょうと、海は拒否したりしませんですね。全部ずっと融かして、功徳の潮に融かされる。同化される力が見られましょう。池だったらそうはいきませんです。氾濫します。海だったらなんぼ汚れた水が流れ込んできましても、全部同化して功徳にされる。親鸞聖人は、よくご本願の御徳は海に譬えておりますけどね。そういう言葉もあったんですね。
 
金光:  よくそういうお話は伺うんでございますが、ただ自分がほんとにその通りだなと思えるまでには、なかなか頭でそういうお話だから、そういうふうに思おうと思っても、もう次の瞬間には別のことを考えましたり、あるいは「お念仏を称えなさい」ということで、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と阿弥陀如来さまにお任せ致します、帰依(きえ)致します、と申し上げて称えても、このくらい称えたら、そろそろ自分は何とかなるんではないかとか、やっぱりそこで地金というのがどうしても出てくるような気がするんでございますが、そこのところが「信心の関門」と言いますか、自分で理解して、自分で納得すればわかるんではないかということで、仏法も聞く場合が多いんでございますが、その辺のところは最初の頃如何でございましたでしょうか。
 
大石:  仰せの通りでございますね。常々お師匠さまからお教え頂いております、さっきの「帰依(きえ)」ですね、「帰命(きみょう)」ですね。あそこ関門なんですよ。聖人さまもそれを申していらっしゃるんです。「そこが関門なんだ」と。だから「依(たの)め依(たの)め」とおっしゃるんです。「依(たの)んだんかい」とこう言われるんですね。依(たの)まないけん、と思って、頭を下げて依(たの)んでいますけどね、心はあっち向いたり、こっち向いたりしているから、依(たの)んだという気がしないんですね。だから不安が起こるんです。どうして不安が続くんかわかりませんけどね。教えを頂いていますと、最初から、お師匠さまが、入苑当時申されました、「大石さん、あんたは、初めて儂に会う時に遇いたい人に初めて遇わせて頂きました≠ニいうたでの。ほんとはあんたは、あんた自身に会いたいのだよ」と。
 
金光:  「自分に会いたいんだ」ということですね。
 
大石:  そう申されました。それで「自分に会うたら、すべて人に会えるようになる」と言われました。「自分に会わなかったら、夫婦でもピッタリしない」と。
 
金光:  ちゃんと夫婦でいても、自分に会っていないとピッタリしない、と。
 
大石:  ええ。「我」というのは、大体求めるもんでしょう。いつも相手から求めるんですよ、「我」というのは、満足がないんです。用意してくれれば、愛するとかね、悪さをされると憎むことになるんですね。凡夫という儂の内容、それ地体なんですね。「妄念はもとより凡夫の地体なり」と申されますが、そこで最初から、「あんたは、自分に会えたいんぞ」と。このことは学生時代から聞いておったんですよ。「自己を知れ、自己を知れ」と。ですけども、自己に会うた人が言われるのと、いわゆる道理とは違いますからね。親鸞聖人さまのおっしゃられます「本願に遇い難くして、遇わせて頂いた」とか、「聞き難くして、既に聞くことを得たり」ということが、『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』という御聖教(おしょうぎょう)に出ていますけどね。その聖人さまが、「真宗の教行証を敬信して」と、本願を信ずるという内容を「教行証」とお示しになっておられるのです。でも、お師匠さまがそう申されました言葉は、初めわかりませんから。「生まれて死ぬまでの肉体を自分だ」と思うのはすぐわかりますけどね。この永遠の命の仏様に会わせて貰うことは、仏様に見られたような私を知らせて貰えませんと、私がいう自分というのは、結婚式で披露されるようなことでございまして、「新婦の方はこういう人間である。新郎はこういう人間である。学校はここを出て、給料なんか貰っている」なんかいうでしょう。如来さまがおっしゃる「自己」というのは、そういうレッテルじゃないんですからね。そこで私も行き詰まるわけですよ。だがこの教えの方にだんだんと、私はどうなりたいかということを教えてくださるお徳があったんです。一つの例から申しますと、学苑に入らせて貰えまして―大分経ってからですよ―私も結婚しております。子どもの大きくなります。ある時、学苑のものが集まりまして、お師匠さまのお話なんですが、「これからはあんたらの生活の世話をせんぞ」とおっしゃるんです。「生活の世話をすると安易になられて、本気で法を求めようとしない」とおっしゃるんです。外から来る人は、汽車賃を払おうて、仕事休んで聞法に来るから真剣だと。あんたらは中におるから、いつでも法を聞かれると思うて、生活が安易に、そこにとらわれて本気で聞こうとしない」とおっしゃるんです。「これからは自分の生活の糧は、自分で働いて得ていきなさい。純粋に法を聞きなさい」とおっしゃるんです。「儂は、せっかくあんた等を与(あずか)って教えておるけどね、あんたらを信じている世界へ導き得なかったら、先で親鸞さまのところへ行ってお詫びせないけない。あんたらを迷わしたと」こういうお話されました。そうなりますと、みな頭上げませんよ。私も親の反対を押し切って学苑に入れて頂いたんでしょう。それで真意はわかりませんからね、わかりませんけど、教えの方にだんだんと求めるものを、求めるものへと向けていくお力がある、と。私はそれを聞いておりましたら、学校辞めて暫く豆腐を売っていましたから、
 
金光:  中学校を教えていらっしゃったのを辞めて、お豆腐を売っていらっしゃった。
 
大石:  ええ。辞めましてね。大体が聞法のために入ったんですからね。このまま中学の教師をしておったら、いつか終わってしまうという気がしました。辞めたら、既に子どもは二人おります。妻子を養ってゆかねばなりません。学校を辞めれば収入の道はなくなる。このまま教職にとどまれば、教団に入れて頂いた初志は果たされない。大分考えましたけどね、昭和二十八年三月で退職しました。辞めた日に、お師匠さまのところへまいりまして、「今日で五年二ヶ月の中学教師を辞めさせて頂きました。ついては経済的な心配はしないでください。信心の道は今までどおりお導きください」と、こう申し上げたんです。そうしたら、「経済の心配せんでくれって、どうするつもりだ?」とおっしゃいましたから、「寺の下に豆腐屋さんがあります。昨日そこへ行きまして、豆腐を売らせてくださいと交渉してきました。石油缶に四十二丁入ります。一丁卸で十円、小売りで十二円、一丁売れば二円儲かります。自転車の荷台に積んで売り歩きます」と。いわゆる従業員でありませんから、「売りたい時に行って、辞めたければ辞めてもいい、という条件で約束してきましたから」と申し上げたんです。そうしたらお師匠さまが、「ウ〜ン、そこまで肚を決めたら、豆腐を売りに行かんでもいいだろう。これから若い人が寺に入って来ますから、後進の指導に当たりなさい。自然に生活費は与えられましょう」と申されました。その時、私は、そんなら売らんでもいいかと思ってね、養って貰えるかと思ってね、「それではお願いします」と申し上げたんです。そうしたら、お師匠さまは違うんですね。心を見ておられますからね。「よろしくお願いします≠ニいうてもろうたら困るんじゃ」と言われましてね。だからほんとに人と与(あずか)ってくださる人は、その人に何も依(たよ)らんくらいに、どんな時でも超えていく力を与えてくださるように思われましたね。
 
金光:  「お願いします」ではいけないわけですね。
 
大石:  「お願いします、と言われたんじゃ困るんじゃ」と言われました。私は、パッと、〈あ、儂はちょっと優しくされたら、すぐ食らえつく。これが私だ〉と思わされまして、返事を口に出さないで、さがりました。「易きにつく」私を知らせて下さるのが教えの力です。これは人間ではできません。浄土を知っておられる人でないと。久遠の大悲心、人間以上の仏願のお照らしに目覚めさせて頂いたのです。
 
金光:  でもお話を伺っていますと、その他にも随分厳しい言葉で、自分自身のあり方を指摘なさったようでございますね。「大学出なら知恵を出してみろ」とか、ご法座の前座でお話なさっていらっしゃる時に、「わからん者がわからんことをわからん者にわからんように説くからわかるわけがない」とかね。ほんとに厳しい言葉だと思いますが。
 
大石:  そうなんです。この仏法の教え、殊に浄土真宗の教えは、聖人さまは申しておられます。「邪見?慢(じゃけんきょうまん)の悪衆生は絶対信心を得られない」という。これは聖人さまご自身のご述懐なんですね。どこが関門だったかということは、ストレートにスーッと「わかりました」と聞いて理解していくと絶対得られないんですよ。そのことが、本願の本(もと)がわかるわけです。聖人さまは「邪見?慢の悪衆生には絶対信心を得られない」と申されております。それでお師匠さんは、私に、私がすぐ早く易きについて「わかりました」と。それを宗教というものを自分で作って、いわゆる教養程度に聞いて安心しようとする。もしそうしておったら儂は今日ないんですけど。それを悉くみきりをつけてくださった。
 
金光:  話を聞いて自分なりに「こうだろう」と思って、「これに違いない」と考えて、「これで間違いない」というふうに理解して、了解するという、それはダメだと。
 
大石:  そうなんです。みんなさっきの話になりますけど、「これから世話せんぞ。各自アルバイトでもして、生活の糧は自分で得なさい」と申されました。私は、思ったんですよ。その気持ちがどんな気持ちか。すぐに師匠さまは、「凡夫はお世話なります≠ニいうことを言いとうない根性だ」とおっしゃるんですよ。いわゆる自分は働いたら、これだけお世話にならずにすんだという気持でしょう。だから「お世話になりません」という気持なんですよ。「世話せん」と言われたら、「そんならこうします」と。そうしたらその気持を見抜かれて、「凡夫は、お世話になっておっても、お世話になっています≠ニいうことを言うたら、自分の権威に関わると思ってね、あれは凡夫根性だ≠ニ言われました。その時申されました、「儂もこういうことは言うたことはないよ。儂の手許におる人は、信心の道を進んでくれればいいんで、それで別に畑に行かんでもいいから、形はそのままでいいから、どんどん真剣にこの道を進んでくれ」と申されまして、座を立たれました。私はそれを聞かせて貰って、私は、こう言えばすぐに「こうしましょう」と。「世話せん」と言われたら、「そんならこうします」と。これ「邪見(じゃけん)」でしょう。「邪見?慢(じゃけんきょうまん)」とおっしゃるんです。「世話になりません」と。それをすぐパッと突かれて、「凡夫の根性」とおっしゃるんですね。それで扱(しご)かれて、恩を受けておりながら、後足で砂を掛けるような根性を持っておる者は、尚かつ形はそのままでいいから、畑に出んでもいいから、このままでいいからどんどん進んでくれ」とおっしゃる時に、みんな思わず頭が下がりますね。これが教えなんですよ。教えというのは、言葉に籠もる、厳しく申されますけど、後ろ足で砂を掛けられても、「どうぞ助かってほしい」という、こういう心は人間じゃないぞ。「こうしてくれ」と言われて、みな暫く座を立たんで頭下げておりましたが、そういうところに人間でありながら、遠い世界からきておるんじゃない。人間ならあんなこと言われんという。そういうふうにしてだんだんと教えを乞う心に引っ張って頂いたような実感なんですよ。ですからお教えによってだんだんと、どんな心をもっておるか。助かりたいと思う心は、どんな心か、ということを知らせて下さるのが教えの力。それでそのものに自ずから手を合わされて、「お願いします」と。それが一つの例なんですけどね。
 
金光:  これは頭で考えますと、そういう自分が、邪見であり、?慢であるということに気がつくと、だんだん自分自身消極的になってきて、自分の値打ちがない人間だったら、もう小さくなって、何にもできなくなるのではないか、というふうに考えられるということをおっしゃる方もあるわけですが、その点は如何でなんでございましょう。
 
大石:  これが、私はこの大変大事なことなんですけど、親鸞さまが、浄土真宗、念仏に救われる者はどんな人間が助かるんか、という、出ているのは、「王舎城(おうしゃじょう)の悲劇」―真宗で聞くことでございますが、釈尊のご在世当時、王舎城で常軌を逸した世継ぎの王子が、父王(ビンビサーラ:頻婆娑羅)を殺して王位を奪って、母(ヴァイデーヒー:韋提希(いだいけ))を幽閉して餓死さそうとした、ということが起こりましてね、
 
金光:  この時間でも、時々その話、韋提希(いだいけ)夫人と阿闍世王の話でございますね。
 
大石:  ええ。そのことにつきまして、私に、「大石さん、親を殺した阿闍世(あじゃせ)と、それから阿闍世を唆(そそのか)した提婆(だいば)も自分だ≠ニ分からんと『教行信証』は一語も読めんよ」おっしゃるんです。提婆(だいば)は、釈尊の教団をのっとろうとして阿闍世をそそのかし、釈尊を亡きものにしようとした人物で、正法を誹謗した代表的な人物である。阿闍世は、王位を奪うため、父王の殺害を計り、それをかばった母を幽閉し餓死を迫りました。五逆罪を犯した代表的な人物です。その阿闍世も提婆(だいば)も「自分だと知れ」と申されても、そうはなかなか思えないですよ。殺したことないんだから。だが親鸞さまは、「この念仏に助かるのは、こういう人間だ」とおっしゃるんですね。これは私も随分たじろいて、これはうっかり言えない、と。釈尊は、罪の意識のない韋提希に、「お前は罪悪深重で、必堕無間だぞ」とは仰っていません。反対に、阿弥陀仏の浄土を見せられて、韋提希に阿弥陀仏の浄土に往きたいという願いをおこさせています。
例えば、この医者は、病人を治そうと思うのが、「あんたはこういう病気です」というのは、治したいからいうんですよ。自分のためではないんです。治すためには、病気の根源を知らなければ治せんわけです。聞く方は、「あんたはこういう病気です」とか、「このままほっといたら命に関わります」と言われたら、それを信ずるしか病人は助かる道がないですよ。「あんたは藪医者だ。私は病気じゃありません」と言ったんじゃね。そうすると、やはり信心でも、仏様なら私がどんなことで苦しんでおるかということを的確に教えて貰えませんと助からんわけですね。その病気の根源を知らんわけです。それを教えてくださるのが仏さまなんです。だから釈尊が、韋提希(いだいけ)夫人に対されて、「汝は凡夫なんだと。凡夫の内容は、宿業によってこういうことに遇うているんだ」ということを申されましたが、すぐにわからんですからね。今の気持から申しましたら、「もっとも自分を苦しめる人が、儂を救ってくださる如来さまだ、と。これが関門なんです。私も平素から聞かせて頂いておりますけど、「大石さん、この世界に自分より悪人が一人でもおると思うている間は、儂にはわからん」とおっしゃるんです。今まで人を責めてきた私が、韋提希(いだいけ)夫人や提婆を責めるわけでしょう。自分を悪人と思えるか、その自覚がないのなら真宗では助かりません。「はい、分かりました。私は悪人です」と言えるでしょうか。ところが「宿業」と言われましたら、「お前は過去の宿業によってこうなる業(ごう)があるんだ」ということをおっしゃるわけでありますが、それを具体的に今まで人を責めてきた私が、責めるどころか、「その人が、私の宿業を知らせてくださる如来さまのご化身と拝めるから、その有り難いことはとてもとても言葉じゃ表せません」とおっしゃるんですね。これ本当なんです。私も、自分の一番苦手な人が、自分を救う如来さまと思える。これはもう新しい世界に生まれ変わる関門でありますから、そこのところが。
 
金光:  「宿業」ということについて、現代でいろんな考え方があるようでございますが、自分自身のことを見つめた時に、そういう今現在ある自分というのは、という自分の内省の言葉としての宿業ということでございますね。
 
大石:  そうです。
 
金光:  そこの受け取り方が、仏様の広い世界に気付かせて頂くかどうかという。これは、しかし自分でそう思おうと思っても思えるわけではないんですけれども、やはり自分自身を、どういう人間か、というのを、教えによって聞かして頂いているうちにだんだんと目が開けてくるということでございますね。
 
大石:  そうなんです。私は一番申したいことは、教えを頂きまして、いつも人を教えようと思っておった。いわゆる教者の立場をとっておりましたが、それで学苑に来る人はいろんな人がおられます。刑務所を出た人なんかいますと、これは救わなければいかん人だと思っておったんですよ。ところがある時に、それがどれほど?慢だった自分だった、ということを教えて頂いたんです。私は、それからその人の前にいつも頭を下げています。それを離れたら生きていけないんですよ。私はいつもずっと拝まして貰っておる。その時に一番光を感じるんです。その光が実はご本願だったんです。だから知られて貰うのと救いが一つなんです。知らせれ貰って助かるんじゃないんです。光に遇わなければ業というのはわからないんです。知らせて貰っているのが救いの中だったんです。私は教えを聞いては物知りになって高上がりをして人を見下げることしかしなかった大馬鹿者でありました。その「私」を知らせて下さったのです。知らせて貰ってどうなろうではありません。知らせて貰ったことが、仏様の光明の中にあったのです。お念仏の中で仏様のお徳のご廻向を頂いておるからこそ、こうして生きておれる、死んでゆける、日常の生活にしましても「仏様が、仏様のことを私を使ってさせて下さる」そういう思いがはっきいりしてきました。そこが関門だったんですね。
 
金光:  どうも貴重なお話をどうも有難うございました。
 
     これは、平成二年十一月四日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである