風景を生きる
 
                    詩 人 長 田(おさだ)  弘(ひろし)
一九三九年、福島県福島市生まれ。福島県立福島高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。一九六○年、詩誌「鳥」を創刊。雑誌「現代詩」「詩と批評」「第七次早稲田文学」の編集に加わる。一九六五年に詩集『われら新鮮な旅人』でデビュー。以来詩人として活躍する。代表作は児童向けの散文詩集『深呼吸の必要』であり、ロングセラーとなった。詩集の他には評論、エッセイなどの著書がある。1971年-1972年までアイオワ大学国際創作プログラム客員詩人を務めた。NHKのオピニオン番組『視点・論点』にも出演する。
                    ききて 山 田  誠 浩
 
長田:  今日はカラスが多いですね。
 
山田:  カラスが多いですね、ほんとですね。
 
長田:  この時期のこの樹の上を眺めるのが、僕は一番好きですね。
 
山田:  そうですか。
 
長田:  樹影というか、樹の影ですね。樹の形―シルエットが一番はっきり見えるんです。枝が一本一本全部見えるでしょ。
 
山田:  はい。
 
長田:  これは今の時期しかないんですね、花落ちて。それからもう花が咲いてくると、誰も樹の方を見ないで花を見るようになるから。この樹の形というのは、僕は好きなんですね。特に見上げてこうやっていくと、枝の先だけがみんな見えるでしょう。枝の先の先まで見えるのが、見える時期というのは凄い好きですね。そうすると、その向こうに大体―今日は曇っていますけど、曇っている日は曇っている日なりに、晴れている日は晴れている日なりに、空は必ず見えるんですね。こういう時期は、樹のこういう幹がはっきり見えるんですよ。だから樹によって幹の感じというのが随分違うというのもよくわかるんですね。冬から春にかけて見た樹というのは、そっちの方に目がいくんですね。こういうのって、これぐらいどうかといっても、これでこうやって手は回らない。大きいんですね、これで。人間というのは、樹に比べて、ほんとにここに手が回る樹はほとんどないでしょう、みんな大きい樹だから。
 
山田:  ほんとにそうですね。これで全然回りませんですね。
 
長田:  こんなところはこんな皺が寄っているなんて。どうしてなんだろうって、こうずっと見ていくと、凄いもんだなと思いますね。この木なんていうのは、竜が逆立ちしているような感じで。
 
山田:  竜が逆立ちに、ああ・・、
 
長田:  凄いですね、やっぱり。こういう大きな木というのはなかなかないけれど。
 
山田:  長田さんに言われるまで、その木の肌をそんなふうに、いろんな表情をしているなんて見たことなかったですよ。
 
長田:  特にこの時期は、枝が細くて、小枝というのが―樹には小枝というのが一番生命が宿っているんですよね。それが凄く感じる。意識しようとしまえと、人間は木の側で生きてきたというふうに思うんですね。むしろ木の側で生きてきたというより、本当はこうやってじっとして生きていたのかも知れないなと思う時があるんですよね。
 

 
ナレーター: 詩人の長田弘さんが、人は風景を生きる存在である、と考えてきました。一九三九年、福島市に生まれた長田さんは、一九六五年に、第一詩集『われら新鮮な旅人』を出版。世界各地を旅しながら、また日常の風景の中で語りかけられた言葉を、詩や評論として世に送り出してきました。昨年出版された最新詩集『奇跡−ミラクル−』は、東日本大震災の前後に書かれた詩で編まれたものです。長田さんは、東日本大震災の直後に、生死にかかわる大手術を受けています。故郷東北を襲った震災後の混乱は、予断を許さぬ自らの病床での日々と重なっていました。
 

 
長田:  「奇跡―ミラクル―」
 
庭の小さな白梅(はくばい)のつぼみが
ゆっくりと静かにふくらむと、
日の光が春の影をやどしはじめる。
冬のあいだじゅうずっと、
緑濃い葉のあいだに鮮やかに
ぼつぼつと咲きついできたのは
真っ白なカンツバキだったが、
不意に、終日(しゆうじつ)、春一番が
カンツバキの花弁をぜんぶ、
きれいに吹き散らしていった。
翌朝には、こんどは、
ボケの赤い花々が点々と
細い枝々の先の先まで
撒いたようにひろがっていた。
朝起きて、空を見上げて、
空が天の湖水に思えるような
薄青く晴れた朝がきていたら、
もうすぐ春彼岸だ。
心に親しい死者たちが
足音も立てずに帰ってくる。
ハクモクレンの大きな花びらが、
頭上の、途方もない青空にむかって、
握り拳をパッとほどいたように
いっせいに咲いている。
ただにここに在るだけで、
じぶんのすべてを、損なうことなく、
誇ることなく、みずから
みごとに生きられるということの、
なんという、花の木たちの奇跡。
きみはまず風景を慈しめよ。
すべては、それからだ。
(『奇跡―ミラクル―』より)
 
山田:  この詩の中に、「奇跡」という言葉が出てきまして、僕たち普通に「奇跡」と言いますと、なんかとんでもないこととか、考えもしなかったこと、そういうことの意味に使うんですが、少しこれニュアンスが違うという感じがするんですけど、長田さんはどういうふうに「奇跡」ということは、どういうふうに捉えているんでしょうか?
 
長田:  「奇跡」というと、ごく当たり前に見えることが、実は一番自分たちにとっての奇跡なんじゃないかと思うんですね。というのは、ごく普通にしていること、ごく当たり前にしていること、それから何でもないと思っていることというのは、実際には普通のことでも、当たり前のことでもなくて、「それがそこにあるということ自体が、自分たちにとって一番必要な奇跡なんじゃないか」というふうにこう思うんですね。特に東日本大震災を経験した後なんかになると、日常というものはずっと当たり前のことだと思うんです。しかし「日常が実はほんとに自分たちにとって必要な奇跡だった」ということを思い知らされたんじゃないか、というふうに思うんですね。「自分たちにとって必要な奇跡というものは、自分たちの目の前にあるもの、平凡なものが一番本当は自分たちにとっての奇跡じゃないか」というふうに思われてならないんですね。
 
山田:  日常の「そんなことは当たり前じゃないか、と思っていることが、実はとても大変なことなんだ、奇跡なんだ」ということに目を向けるべきだ、ということでしょうか?
 
長田:  向けるべきじゃなくて、そうなんです。僕は自分で病気をして、それで大きな病気をしてこっちに戻ってきたという感じをもっているんですね、自分に。それで自分はずっと集中治療室というところに入っていたもんですから、集中治療室というのは、朝も昼も夜もないんですよ。ずっと明るく照らされていて。そうすると朝が来て、昼が来て、夜が来て、それで眠って、起きて、ということが、どんなに自分をつくっていく上で、自分が考えたり感じたりすることの上で大事なことか、ということを思い知らされるという。それと外側では、今まで見たこともないような大震災が起き、それから大事故が起き、それでその中でそれぞれの人が、自分の失ったものは何かと言ったら、簡単に言ったら、日常を失ったわけですよね。その日常がどんなに奇跡だったか、ということを、失ったことによって思い知るという。ほんとにご飯を噛んで食べられるようになったこと、噛むということ自体もできなかったわけですよ。ご飯に辿り着くまでに、ずっと回復に向かっていた過程があるんですね。飲み込むことさえできないことから始まって、それで今では回復して見ると、今まで何でもないように思っていることが、実に奇跡的なことだと。手を上に上げること、足を前に出すこと、引っ込めること、そういうこと自体が、病気をなさったり、あるいはそういうことを経験された方、みんなそれぞれのところで経験されて知っていると思うんですけど、「この当たり前のことというのは、ほんとに一番大切なもんだな」と。でも「当たり前と思っていることが、当たり前じゃない」んですよ。ほんとにいろんな条件がないとそれができないという、そう思いますね。僕はその後、つい最近ちょっと左の中指を痛めたんですね。それでこの左の中指を痛めて、つくづく思ったんですけど、例えば僕は右利きですから、右の人差し指だったらどういう役に立つか、この指だったらわかるんです。左の中指というのはよくわからない。ところが、例えば瓶の蓋を捻って開けるということが、親指とこれだけあればできるかというと、そうじゃなくて、この補助的に動いている中指がないと何もできない。結局それで思ったのは、「当たり前というのは不必要なものが何もない」ということを思い知る、ということだったように思いますね。
 
山田:  もう一つ、この詩の最後に、「きみはまず風景を慈しめよ。すべては、それからだ」というふうに書いていますね。「まず風景を慈しめよ」というのは、これはどういうことなんでしょうか?
 
長田:  それは自分の今までを振り返ってみても、それから他のことを考えてみても、例えば旅行するとか、旅をするとかという、それから育ってきた、移転して引っ越したりなんかしてきた時に、自分は体一つ動かしているだけのように思うけれども、実際はある風景の中で生きていて、しかもその風景を生きていて、その自分というものが存在するということですね。例えば僕は山に取り囲まれた住まい、深い盆地で育ったんですね。そうすると、ずっとどこの人もみんなそういう周りを山に全部取り囲まれて盆地のようなところで、山の中にあるのは町だ、というふうに思っている。
 
山田:  福島市はそういう場所だったんですか?
 
長田:  ええ。ところが山一つとって―「山」と簡単に言いましたけど、「山並み」なんですよね。そういうところで見る山というのは、富士山のような独立したんじゃないわけです。山というのは富士山のように一つある山ではなくて、僕は「山並み」としか思われなかった。同じ「山」という言葉でも意味しているものが違う。「川」もそうですね。自分はいろんな川がこう流れ込んできて、合流するところに住んでいたので、街というのは川で区切られて、そして山で区切られてできているもんで、人はそういうところで生きていると思っていた。ところが全然違うところがあって、山もない、川もない。でも凄く平たいところで、しかし海があるというふうな―僕は海のある生活というのは全然わからなかったんです。そういうふうに実は何でもない自分の中にもっている遠近法―人生の遠近法というのは、その人の生きていた風景によって与えられている、あるいは作られている、というふうにそう思うようになったんですね。利根川だとか、あるいは最上川(もがみがわ)だとか、そういうふうに滔々と流れる川と、チョロチョロと流れる普段は石ころだれけの川で、そこに大雨がきたりすると、パッと流れる川に変わるところとは全然違うんですね、川のイメージも。みんなが話している「山・川」という一番単純なことでさえも意味しているものが全然違う、現しているものが全然違うというものが、その人をつくっているなというふうに、あるいは自分をつくっているなというふうに思うんですね。その後海辺を知らなかったもんですが、海辺をずっと歩いたんですね、旅をする時に。そうすると、川というものは、こういうふうに流れるもんだと思っていたわけですよ、上流から下流へ。ところが海辺の人たちにとっては、満潮と干潮で全然違うんですね。逆に流れていくものでも、行ったり来たりするところであるんです。それを初めて知った時なんていうのは、珍しくてずっと見ていました。
 
山田:  山の中で生活されて、お書きになっている詩にも、樹のことがとってもたくさん出てくるんですけど、少年時代、樹に関わるという暮らしだったんですか?
 
長田:  そうですね。結局昭和の戦争の直後の少年時代を過ごしているので、あるいは戦争下も幼児として過ごしているので、自分の生まれ育ったところは、街が全然焼かれなかった、街が全然。物資なんかはほんとに貧しかったかも知れないけども、とにかく山ばかりですから、樹はふんだんにある、それから緑はふんだんにある。ふんだんにあるだけじゃなくて、結局何をするにも自分の場合は、木が目安になったんですね。神社があれば木があるし、山があれば木があるし、校庭があればやっぱり木がある。街にも街路樹という形で木があるしというんで、あの木この木というふうに、木を覚えることで、自分の記憶というのをつくってきたような感じがあるわけですね。だから「どこそこの何」というよりは、「どこそこに、あの木がある街」とか、「あの木がある、誰それ君の家」とか、「誰それさんの家」とか、そういうふうに覚えている癖がついちゃって、何でも木を中心にして考える。自分のよく知っているというよりも、知り合いの木というものを見ると、何となく挨拶したがる。人には聞こえないような形で、「こんにちは」とか、「元気」とか、そうするとなんか別の世界で、それだけの言葉で、別の世界の合い言葉みたいな感じがしますね。
 
山田:  「まず風景を慈しめよ」というのは、誰もみんなそういうふうに幼い時から風景との関連の中に生きてきているんではないか、と。
 
長田:  「関連」というよりは、風景そのものを生きているんですよ。
 
山田:  風景そのものを生きているんですか?
 
長田:  自分の背景に風景をもっているので、その風景を振り返らない限り見ることはできない。だからそこで生きていると思っていない。でも山の街に生きた人、あるいは川の街に生きた人、海の街に生きた人、それぞれそういうところで生きていて、自分の後ろというのは必ずあるわけですね。ウンと簡単にいうと、背負っているものは風景なんですよ。ところが後ろにあるがために前進しなければいけないと思うと、後ろにあるものを忘れてしまう。でも自分を作っているものはその風景だ、自分が育ったのはその風景からだ、と、そういうふうにいつも考えるようになったですね。
 

 
山田:  「洞のある木」
 
洞のある木を、いまは見なくなった。大きな老木の幹
に開いた穴が、洞だ。ひとの身体がそのなかにすっぽり
入るほどに大きな木の穴。
子どものころ、山裾の古い神社の森に入り込んで、大
きな洞のある木を見つけて、一人で、なんどもその洞の
ある木の許(もと)に行った。老木の洞はどこか別の世界への秘
密の入り口のようだった。
森はいつも生き生きとして湿った匂いがしたが、洞の
なかは遠い時間の乾いた匂いがした。そこにいると、と
ても親しい何者かにそのままじっと抱かれているような
感覚を覚えた。
木の洞のなかの、静まりかえった時の痕跡が、じぶん
の胸の洞のなかに、音のしない音のように残っている。
木の洞の裂け目には、ときどき小石が積まれていた。
人は小石にくるしみを託し、くるしみを木に預ける。
洞の木は人のくるしみを預かる木なのだと、わたし
は信じている、いまも。
(『詩の樹の下で』から)
 
長田:  例えば詩を書くようなことというのは、ずっと何故か自分の思いをぶちまけるわけじゃないんですけど、それを込めること、それを言い表すことが、詩を書いたり、何かを書くという、あるいは言葉で表現することだ、というふうにずっと信じられていると思うんですね。僕はそれは少し間違っていると思うんです、ずっと。つまり特に明治以降そういうふうにほとんど考える。「自己表現がすなわち表現だ」というふうに思われた。でもそれで表現できるのは自己だけなんですよね。自分だけ。自分というのは、あまりにも大きくなってきて―先ほど言ったように、自分の背後にある風景さえも描かれることもなくなった。で、自分というのは、所詮自分が誰一人生まれることを望んで生まれてきた人はいないのに、あたかも最初に自分ありきというのは、どう考えてもおかしい。でもあくまで「人間は偶然的な存在だ」と。僕は九州に生まれなかったのも、あるいはアラスカに生まれなかったのも、たまたま偶然だと思うんですね。あるいは「生まれたのは偶然だ」というふうに思うんです。で、その偶然であるということが、とても重要なことで、そうすると、自分がどんなものよりも掛け替えのない絶対的な存在であるというふうに思わなくなる。じゃ「書くということは何か」ということを、「自分が言いたいことを書く」―「あなたの思っている通りに書きなさい」とか、「考えていることを書きなさい」という教育をされていると、それがとても大事なように思っているけども、それをやったら一度書いたら後は書くことがない筈です。それを何度も何度も繰り返し繰り返しやっているというのは、ほんとはそれは嘘だからと、僕は思うんですね。そうじゃなくて、「自分が思っていること」じゃなくて、「自分がその時言われたことを書き留める」ことが一番重要で、「言われたこと」というのは、人に言われたことじゃないですね。「何かに自分が語りかけられている」と感じていることがあったら、それを書き留める。つまり書くんじゃなくて書き留めることがとても重要だ、というふうに思うんです。日本にも大きな影響を与えた二千五百年ぐらい前の中国の詩というのは、友達というか知り合いが、遠くに転勤になったから友達を送る詩とか、それから帰って来たんで、春が来たので一緒にお酒を飲んだ。春の酒は美味しいという詩とか、相手に送るものとして書き留められた詩が、二千五百年も残るわけです、残ってきたんです。我々が知っている杜甫(とほ)(中国盛唐の詩人:712-770)の詩だろうと李白(りはく)(中国の盛唐の時代の詩人:701-762)の詩だろうと、白楽天(はくらくてん)(中唐の詩人:772-846)の詩だろうと、みな同じなんですね。それは何も自分の言いたいことを言おうというのではなくて、自分がここにいるのはたまたま偶然であると。しかしこの偶然を喜ぼうじゃないか、というような詩だったりするわけです。ところが我々はどうも必然として考えるようとするんですね。自分がそうなっていること―それは良いことも悪いことも含めて偶然である。我々偶然の存在であって、その偶然をどう扱うかというか、どう喜ぶか、悲しむかは別として、それをまず最初に考えないといけないんじゃないかという。
 
山田:  書き留めていくということは、何か自分に語りかけているな、というものを受け取るという相手のことですか?
 
長田:  語りかけるだけじゃなくて、強制される場合もあるわけですよ。例えば大震災がそうです。誰もそんなのは予想していないわけです。強制されたわけです。僕はたまたま病気になったのも偶然にしか過ぎない。その偶然が全部組み合わさって、できていることを書き留める。自分の身に降りかかってきたことは降りかかるしかない。それは全部自分のパッシブな状態で、受動的なことです。受動的なことがあって、初めてそれに対してどう接するか、というとこが、アクティブなことになるわけです。ところが全部能動的でなければいけないという。ここでもまたどうしても我々は、良い方と悪い方と分けちゃって、受動的なことの方を先に考えないんですね。アクティブがあって、そうあるというふうに考えるから、いつもマイナスの方。どっかでそういうふうに逆転しちゃったんですね。それをずっと続けてきているのが、何かと言うか、それはどういう意味があるかとか、そういうことになってしまう。どういう意味もないところで、あることはあるでしょう。例えばつるべの落としのポンポンと落ちてくるというと、それが音がちょっとすると、それで沈黙がばぁっと広がっているということがわかるというような、そういう感じ方というのを、今なくなっちゃって、実際には音のしない時間の方がもの凄くたくさんあるのに、人間の作り出すものには、それと逆の方向をずっときたんですね。やってきて、どうにもしょうがなくなっているとこがあるんじゃないでしょうか。偶然の積み重なりの中で生きているものを書き留めていたことが大事。あるいは書き留めなくても、心に溜まっていることというのは大概そんなことですね。
 
山田:  詩を書くということは、そういうことだ、というふうにお考えになった最初というのは何なんですか?
 
長田:  自分がですか?
 
山田:  はい。
 
長田:  それは結局何かの目印というものが必要だから。例えば古来からのどんな神話から始まっても、人間の生きて、あるいは残してきた言葉というのには、目印があるんですね。赤糸を付けて迷路の中へ入って行って、帰りはまたその赤糸を辿ってくれば出口に戻れるというような、そういう目印というものを、人間は必要とするわけですね。それは山に登っても、ケルンと言って石ころを置いていくようなことがあって、そういう目印を作るわけですね。その目印を作るという欲求が、人間を支えていると思うんですね。それが比較的に自分を表現するんじゃなくて、目印を作るんだと。自分が忘れないように目印を作るんだということが凄く大事。
 
山田:  詩人というのは、そういうことをすることなんだ、というふうにお考えになったというのは、何からそういうふうに思いになったんでしょうか?
 
長田:  実際に詩は非常に古い文明ですよね。一番古い。ずっと古くからの全部読んできてわかるのは、見事な目印になったものはずっと残っている。もう先ほど言った二千五百年前のものでも、ただ菊の花を育てるとか、なんとか育てるというだけでも、残るのはそれが目印になっているからですね。いっぱいこういう目印を残してきたのが詩だったから、それが僕はとても大事なことだ。こういう目印を残してくれなかったら、偶然に出てきて、とんでもないことになったな、だけじゃなくて、偶然に生まれてきて、自分はその偶然を喜ぶことができる目印だこそというふうにやっぱり思いますね。
 
山田:  それは若い頃は、その人類が、あるいは日本人がちゃんと歩いていくために役に立つ目印を作ろうとか、そういうなんかお気持ちがあったんですか?
 
長田:  いやいや、最初はそうじゃないですね。やっぱり自分が何かを書き付けているところからきていて、何だか書き付けているというんですね。それが自分で、〈あ、これが自分で目印を作っているんだ〉というのは後からくるわけです。目印を作ろうという目的で書くんじゃないんですね。〈あ、これが目印だったんだ〉というふうに後で気がつく。つまりどんなものもそうなんですが、それをどうしてそういうことをしたのかと気がつくのは、いつも後からなんですね。僕らどうしても今何かをする時に、最初に動機があって、それでそれをして結果がある、と考えるんですけど、そんなことはないんです。最初にやるにはさっき言ったように、偶然の結果だけなんです。読む方から考えてみれば、その詩の中に求めているものというのは、一種の痕跡なんですね。目印というのは、痕跡のことですから。その痕跡を求めるわけです。そこに残されている痕跡というものが、自分にとって何であるかということを。それは痕跡が認められない場合はスルーしていってしまうわけです。
 

 
ナレーター: 震災の年に出版された詩集『詩の樹の下で』。収められた詩の中には、四十年以上前に旅したアウシュヴィッツ強制収容所の光景が書き留められています。詩集の後書きに、長田さんは、「もっとも遠い筈の記憶が、もっとも近い風景として立ち現れてくることがある」と記しています。
 

 
山田:   「うつくしい夕暮れの空と樹」
 
深紅色のワレモコウに似た花々が点々とする湿地に、
松や白樺や樅(もみ)などの散らばった雑木林がどこまでもつづ
いている。夕暮れの光が、青い空の色に仄かな朱(あか)さを滲
ませてひろがって、わずかに黒ずんでゆく高い樹木の影
が、あたかも空の中に沈んでいるようだった。
誰もいない。すべてが、ただ静かだった。そして、ほ
んとうだった。「世界はどうしてこんなにうつくしいん
だ!」という嘆息に、これほどにふさわしい場所は他の
どこにもなかったのだ。
フランクル『夜と霧』に記されたアウシュヴィッツ
―ビルケナウ収容所での、ある夕べのこと。いましも日
が没していく西の空の光景を凝視しながら、誰かが誰か
に、ふっと語りかけるように呟(つぶや)く。「世界はどうしてこ
んなにうつくしいんだ!」
二十世紀の百年の時代に遺された、それはきわみなく
痛切なことばの一つだったと思う。一九七一年秋、その
夕暮れの空と樹だけがうつくしかった死の収容所跡への
旅が、わたしの異国への最初の旅だった。
収容所を囲んで高く張り巡らされた鉄条網の棘(とげ)が一つ
錆びて落ちかけて、辛うじて鉄の枝に木の実のように引
っ掛かっていた。忘れない。その錆びた鉄の木の実のよ
うな棘(とげ)を照らしていた、あのうつくしい夕暮れの光。
(『詩の樹の下で』から)
 
そのアウシュヴィッツの時代から、それからいらしたのもかなり前なのに、改めてこのことを、詩として出してこの詩集に入れられたというのは、どういうことなんでしょうか?
 
長田:  どんなところであっても、夕暮れが美しいことができるということを忘れないためですね。つまり我々は、悲惨なことが行われたら、すべて何もかも悲惨だと思っている。あるいは素晴らしいことがあったら、何もかも素晴らしいと思っている。そんなことはないんですね。もっとも素晴らしいものと、もっとも望まなくないこととは、同時にあるんです。世界を生きていて、もっとも望ましくないことをするのは、しばしば人間が行うことなんですね。それで人間のすることというのは、非常にそういうところが矛盾していて、自然が行うことというのは、どんなに残酷なように見えても、それは自ずから回復能力を持っている。ところが人間の行うことというのは、どんなに立派な題目のもとにやったものでも、壊す以外回復の方法がない。それが凄く多いんですね。僕が行った時には、まだ世界遺産にもなっていなかった時に、というか世界遺産という考え方が、まだ生まれてこなかった頃で、ほとんど誰もいないところだったんですね。石やなんかみんな壊されて、あるいは破壊されて、残っているのは鉄ばかり―鉄のそういうものが。ところがそれが風景として、鉄条網というのはみんなこういうふうになって、みんな内側に曲がっているわけですね。まるでうなだれた人の長い長い行列のように。何か廃墟というのは、人間の作ったものが廃墟なんですよ。自然には廃墟ってないんです。どんなに凄まじい地震の後でも、津波の後でも、そこに人間の作ったものがなければ廃墟にならないんです。我々は、それを、例えばグランドキャニオンなんていうのは、凄まじい地殻変動で起きたものでしょ。そこには誰も住んでなかったから、廃墟じゃないんですよ、それは。むしろ今観光地みたいになっているわけです。自然には廃墟がないんだ、という考えを教えてくれたのも、あるいははっきりと自覚したのも、そのアウシュヴィッツ強制収容所で見た夕暮れの時にはそうですね。それと同じことが、記録を残したフランクルの本の中に、この言葉が出てきた時に、〈あ、同じ目印、同じ痕跡が残されている、言葉として残されている〉と。そこにいて、これから死ぬ、あるいは殺されるというふうにわかっている人さえも、その時の夕暮れは美しいというふうに、感じざるを得ない。それに逆にいうと、人間のしていることがどんなに美しくないか、という裏返しとして、対局にあるものとしてあるもんでしょうけれども、やっぱりどうしてこんなに世界は美しいんだということをいうことができる人間は、美しいというふうにやっぱり思いますね。
 
山田:  それを書いていこうというふうに、今書こうというふうに思いになったのは?
 
長田:  それはやっぱり災害があっても、あるいはその前であっても、つまり何か起きてもやっぱり夕暮れは美しいんですよ。おそらく日本の戦争経験をして、敗戦の日にも夕暮れは美しかったでしょう。ちょうど昼間は凄く真っ青に晴れて、素晴らしい青空に晴れ上がった日であったように。関係がないんですね。それほど人間というのは、していることというのは、自然の中にあって、人間だけがなんかじたばたしているような感じ、あるいはそういうじたばたするようなことを起こしてしまうというような、つまりなんかそれをもっと自分たちは偶然の存在であることに謙虚であるべきだと思うんですね。
 

 
長田:  「大丈夫、とスピノザは言う」
 
三つの、川と、
四囲をかこむ、丘と、
白煙がうすくながれる
活火山の、裾野の町で、
風景の子どもとして、
いつも空を見上げる人間に、
わたしは、育った。
朝、正午、日の暮れ、
一人で、黙って、空を見上げる。
―何が、見えるの?
―何も見えない。
ちがう。空を見上げると、
とてもきれいな、ひろがりが見える。
いや、見えるのではない。感じる。
スピノザについての小さな本を、
午後中、ずっと、読んでいた。
世界が存在するのは誰のためでもない
と、スピノザは言う。
大事なのは、空の下に在るという
ひらかれた感覚なのではないか。
空の下に在る
小さな存在として、
いま、ここに在る、ということ。
真夜中は、窓から、空を見上げる。
夜空は人の感情を無垢なものにする。
雲のない夜は、星を数える。
雨の夜は、無くしたものを数える。
大丈夫、とスピノザは言う。
失うものは何もない。
守るものなどはじめから何もない。
(『世界はうつくしいと』から)
 
山田:  空の下にあって、開かれた感覚というのは、さっき話された風景の中にいるという感じと、どういう繋がりになるんでしょうか?
 
長田:  結局どこへ行っても、どんな時でも、空は同じなんですよね。国境を越えても、あるいは違う地方に行っても、それからほんとにどんな時でも、空だけは同じ。引っ付いている星に生きているものにとっては。みんなが共有しているもの、絶対に違わないものというのは空ですね。「空(そら)」というのは、面白いことに「くう」とも読めるわけです。それで何もない。実際には雲が走り、それから晴れたり曇ったり、いろいろ変わるけれども、それでも空としては同じものがずっとある。どこへ行っても見上げれば、必ず空があるわけで。そのことが自分にとって、「自分の位置というのはどこにあるか」と言われた時、間違いなく言えることは、ただ空の下にいることだろうと、そう思っているんですね。その風景の子どもたちは、みんな空の下にいるわけです。ですから風景の違いというものは、我々を隔てるものではなくて、同じ空の下にいるという、こうお互いの自覚を促すものでもあるんですね。そう思うんですね。
 
山田:  同時に今の詩には、「見えるのではない。感じるんだ」という言葉がありましたね。そういうこともつまり僕たちは目で見ることは確かさということだというふうに思っちゃいますけれども。
 
長田:  「見えないものも見る」と簡単に言いますけれども、「見えないものは感じる」んですね。その「見えないものを感じる」という感覚を自分の中で生き生きしたものにしていかないと、見えるものも見えなくなってしまうし、それから気配というものを感じられない。我々は、ふとしたことに何かの気配を感じて振り向いたり、目をやったり、それで随分そういうふうにして自分の意識が働いているわけです。それはそうとわからなくても、何かそういうことがありますね。どうしても実際に何か口にしたり、言ったりしようとすると、目に見えるものだけが中心になってしまう。でもそれ以上にいろんなそこには見えないものでも、その気配を感じるものがある。あるいはそこにあると感じられるけれども、見えないものがあるということの感覚というのは大事にしたいと思いますね。
 
山田:  「気配というものを感じる」というふうに思いますと、大きな広大なものもあれば、ウンと身近にあるものからの気配というものもあるということでしょうか?
 
長田:  その「感じる」ところにもっていくと、それを「どれだけ深く感じるか」というのがとても重要なことになるんですね。だから「深く」というふうにいうのは、「感じる範囲がどこまで届くか」ということでもあるわけですね。特に夜なんか一番それがはっきりしますけれども、最初パッと見ただけでは、すぐそこで闇が始まっているように思うんですよ。しばらくすると、目が慣れてくると、どんどん闇は遠くなっていって、それで暗い筈のものが少し少し明るんでくるわけですね。そういうのは目に見えると同時に感じているわけですね。ほんとに闇というものは、そんなにそうそうあるものではない。ただ今までの惰性で、明るいところを見られていると、何でもかんでも暗く見えたりする。でも実際はそうじゃなくて、暗闇の中で目が慣れていくと、どんどん感じる領域が広がっていくんですね。そういう人間はやっぱり習慣の惰性をもっておりますから、それを自分で意識して考えていくという、あるいは動かしていくと違ってくるんじゃないかな、というふうに思いますね。ただパッと見てパッとわかるというのが、いいことだと考えていると、碌なことはないというふうに思いますね。どうも我々が、「考える」と言っているのは、大概その前にあるごたごたとか何とかで、考えあぐねたことをなぞっているに過ぎないんですね。それを「考える」と勘違いしているんですけど、「考える」というのは、「何もないところで考え感じ取ることが考えること」と考えたい。
 
山田:  それこそおっしゃっていた働きかけてくるものを受け止めるという、そういうことが考えていくということに繋がるんですか?
 
長田:  結局受け取る方が最初なんですね。我々は見る方が先だと思うんですけれども、先ほどの暗闇の例でいうように、受け止めてからそれからゆっくり見え始める」というのが正しいんじゃないでしょうか。「いろいろ感じて、初めていろいろ考え始めるというのが正しいんじゃないでしょうか。考えが先にたつと、何も見えなくなる。
 

 
ナレーター: 詩集『人はかつて樹だった』は、思いがけない癌の告知を受けた妻の傍らで、樹のように、ただそこにあるほかないという日々の中で編まれたものでした。詩集が出版された後、長田さんは妻を見送っています。
 

 
長田:   「海辺にて」
 
いちばん遠いものが、
いちばん近くに感じられる。
どこにもいないはずのものが、
すぐそばにいるような気配がする。
どこにも人影がない。それなのに、
至るところに、ことばが溢れている。
空には空のことば。雲には
雲のことば。水には水のことば。
砂には砂のことば。石には石のことば。
草には草のことば。貝殻には
貝殻のことば。漂着物には
漂着物のことば。影には影のことば。
椰子の木には椰子の木のことば。
風には風のことば。波には
波のことば。水平線には
水平線のことば。目に見える
すべては、世界のことばだ。
すべてのことばのうちの、
ひとのことばは、ほんの一部にすぎない。
風は巻いて、椰子の木がいっせいに叫んだ。
悲しむ人よ、塵に口をつけよ。
望みが見いだせるかもしれない。
ひとは悲しみを重荷にしてはいけない。
(『人はかつて樹だった』から)
 
山田:  そのいろんなもののもっている言葉をこう受け止めていく、感じ取っていくという力が、とても大事なんだ。最後の方で「ひとは悲しみを重荷にしてはいけない」と言っていらっしゃる。それはどういう意味なんでしょうか?
 
長田:  「悲しみを重荷にする」という意味ですか? 特に悲しいという感情を、人はもの凄く大きく重く受け止めるんですね。その通りなんですけれども、一番いけないのは、悲しみを重みとして受け取るんですね。「悲しみ」というのは重荷ではなくて、その人を不思議な言い方になるかも知れませんが、「元気付けるもの」でもある。悲しいという事実を受け止めるということが、自分を確かにしてくれることでもある。そう思っているんですね。人は悲しむことができる生き物であるということが、あるいはそういう存在であるということが、とても大事なんだけれども、悲しみを受け止めること、堪えること、持ち堪えること、それができる存在でもあるというということの方がずっと大事だという気がするんですね。ところが悲しみには、大概「悲しみに負けてしまい」とか、そういうふうにいうけれども、実際にはそうじゃなくて、もうちょっと矛盾した言い方をすれば、「あんまり悲しいので笑うほかなかった」ということだって言えるんですね。それが人間というものの存在の持っているバランスの感覚だと思うんです。人間が一人でいるというのは、一輪車に乗っているようなもんだと思うんですね。一輪車に乗る時の一番重要なことというのは、二つある。一つは、目は遠くを見なければいけない。近くを見たらダメなんですね。もう一つは、バランスを取らなくちゃいけない。遠くを見てバランスを取るということが、一輪車を乗りこなすためにはどうしても必要。悲しみについても同じであって、遠くを見てバランスを取っていくことができて、初めて悲しみというものを知ることができる、と思わないと、溺れてしまうんですね。それはなんかその時は「溺れる」というとよくないんですけども、悲しみを曖昧にしてしまうんですね、その時自分の今の状態、つまり遠くを見ることができず、バランスを取ることができない感情の言い分けというかアリバイに、感情を持ち出す。「悲しいからできない」とか、「そんな時にそんなことができるか」とか、それが大概の自分を持ち堪える力というものを、こう自覚させないものになってしまうんじゃないでしょうか。どんなに悲しくても、人は悲しみでは死なないですよ。それでも持ち堪えてしまうといった方がいいかも知れません。これはいろんな辛いことがあった人たちの例が、みんな教えてくれることで、どんなに辛くても人は生きているし、あるいは生きていけるし、あるいは持ち堪えることができる。そしてできない時に、悲しいとか怒りとか、それから不満だとか、弁解とか、アリバイとして求めようとする。その時に、人は崩れかけてしまうんですね。でも実際にはそういうものじゃないんです。「悲しみというのは、自分を励ましてくれるもんだし、怒りというものは自分を宥(なだ)めてくれるもの」なんですね。みんな正反対のことを行うものなんです、感情というのは。
 
山田:  正反対のこと?
 
長田:  怒りは宥めるし、悲しみは励ます。それから「疲れる」というものは、「元気を誘う」ものでもあるわけです。その反対側に、きっと自分の今覚えている感情も、ほんとのものは、自分が「こうだ」と思うものの反対側にあるんじゃないかと思いますね。今我々が、すぐパッと、一つのものに、一つの感情、一つの答え、一対一人で物事を考えてしまうんですね。賛成なら賛成、反対なら反対。実際はそうじゃないわけです。人間というのは、つまり綺麗なものが汚くて、汚いものが綺麗だということがあり得るし、面白いものは面白くなくて、面白くないものが面白いということだってあり得る。今生きている人たちが、生きている世界のすべてではないということを教えてくれるのは、死んだ人たちですし、同時にそれは何も自分の身近なところで死んだ人だけじゃなくて、五百年前に死んだ人でも、七百年前に死んだ人でも、例えばその人が書いたものがあって、自分が、自分の心の目印になるような人だったら、身近に感じることができる。清少納言(せいしようなごん)であろうと、松尾芭蕉(まつおばしよう)であろうと、良寛さんであろうと、それが自分の身近にいるんだ、というふうな感覚というのを持てるのがまた人間の特徴だ、と思いますね。人間というのは、その時代にいる人だけが、同時代に生きている人だけが同時代人のすべてではないと思うんですね。死んだ人でも、その人が自分とって目印である限りは、そこにいなくてもそこにいるし、そういうふうなことっていうのはあるんじゃないでしょうか。だからいつも「誰か見守っていてくれます」というような言葉を、割と平気に言えるのは、その人たちが居なくてもそこに居るから、という感じられるからでしょう。
 
山田:  今長田さんが、「風景」ということを言い、そういうことを見て紹介致したわけですけど、その他にはそういうふうに、僕らはどうしても「風景」というと、「目に見えるもの」というふうに考えてしまいますけど、今までお話頂いたように、さまざま目に見えないもの、それから今おっしゃった、「死者までも含めて」そういうことの中で自分が生きているんだ、ということをちゃんととらえるべきだ、ということなんでしょうか。
 
長田:  そうですね。
 
山田:  そういうふうに考えると、最初にご紹介頂いた『奇跡―ミラクル―』の詩の中にありましたように、「そこにあるだけで、自分のすべてを損なうことなく、誇ることもなく、自ら見事に生きられる」という状態、
 
長田:  その生きるためには、ただ一つ季節の巡りが必要なんですね、季節の巡りがないと。だから今秋から冬に変わる時、落ち葉が―落葉樹だったらみんな落ちてきますよね―落ち葉が落ちていくところだけ見ていると、それが終わりだ、というふうに思うわけですよ。落ち葉の全部落ちた途端に、ふっと見ると芽が出ている。落ちたところに芽が出るわけです。つまり死だと思ったものは再生なんですよね。その再生がだんだん膨らんできて、こう花開いて、春がやってくる。全部目印を記してあるわけです。その目印を辿って季節が巡っていくわけですね。それによって我々は自分を支えられているという。自分は元気を出すぞと言ったって、落ち葉を止めることもできないし、真冬に花を咲かすこともできないわけですよ。そうじゃなくて、その季節巡りを、目印を一つひとつきちんと認識していくということが自分を支えることであるというふうに思うんですね。そういう花の木たちの奇跡というところにはっきり気付くようになる。そういうことだと思います。
 

 
山田:  『奇跡―ミラクル―』
 
庭の小さな白梅のつぼみが
ゆっくりと静かにふくらむと、
日の光が春の影をやどしはじめる。
冬のあいだじゅうずっと、
緑濃い葉のあいだに鮮やかに
ぼつぼつと咲きついできたのは
真っ白なカンツバキだったが、
不意に、終日、春一番が
カンツバキの花弁をぜんぶ、
きれいに吹き散らしていった。
翌朝には、こんどは、
ボケの赤い花々が点々と
細い枝々の先の先まで
撒いたようにひろがっていた。
朝起きて、空を見上げて、
空が天の湖水に思えるような
薄青く晴れた朝がきていたら、
もうすぐ春彼岸だ。
心に親しい死者たちが
足音も立てずに帰ってくる。
ハクモクレンの大きな花びらが、
頭上の、途方もない青空にむかって、
握り拳をパッとほどいたように
いっせいに咲いている。
ただにここに在るだけで、
じぶんのすべてを、損なうことなく、
誇ることなく、みずから
みごとに生きられるということの、
なんという、花の木たちの奇跡。
きみはまず風景を慈しめよ。
すべては、それからだ。
(『奇跡―ミラクル―』より)
 
 
     これは、平成二十六年三月九日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである