導かれれば青空
 
                  一法庵住職 山 下(やました)  良 道(りようどう)
一九五六年、東京都に生まれる。東京外国語大学フランス語学科卒業後、安泰寺にて藤田一照と共に四月八日(釈迦降誕会)に得度して曹洞宗僧侶になる。一九八八年に師命によりアメリカ・マサチューセッツ州のヴァレー禅堂に開教使として赴任。その後、師に従ってイタリアへ渡り、その後帰国。京都曹洞禅センター、渓声禅堂で指導の後、二○○一年にミャンマーに渡ってパオ瞑想メソッドを修了。二○○六年に帰国後、鎌倉の一法庵を拠点として、日本各地、インド、台湾、韓国などで坐禅瞑想指導を行う。
                  き き て 山 田  誠 浩
 
ナレーター:  五月の連休の最中(さなか)、東京郊外の御岳山(みたけさん)では瞑想や坐禅を集中して行おうという五泊六日の修行―接心(せつしん)が開かれました。接心を指導する一法庵(いつぽうあん)住職の山下良道さん。曹洞宗(そうとうしゆう)の坐禅道場で修行、その後アメリカを経てミャンマー(ビルマ)にあるテーラワーダ仏教の僧院で瞑想法学びました。この日の参加者は、インターネットで公開された法話や本を読んで集まって来たおよそ三十人。その独自の修行法を学ぼうと全国から集まりました。修行の始まりに唱和するのは、ミャンマーの僧院で読まれていたお経、真理を発見したブッダを敬い帰依することを誓うものです。山下さんは、日本とミャンマー二つの異なる仏教の伝統に飛び込み修行することになったのは、自らが抱え込んだ苦しみを解決する道を求めてのことでした。今は宗派には属さず、ブッダの教えは一つという思いを込めた庵―一法庵を拠点に活動しています。山下さんの三十年の模索の歩みを伺います。
 

 
山田:  僧侶になられて三十年、
 
山下:  そうですね。
 
山田:  日本、アメリカ、ミャンマー、その他いろんなところを歩きながら、ずっと道を求められて来られたんですけども、
 
山下:  仏教ってね、あまりにも大きいというか、いろんな側面があると思うんですよね。それこそ仏像を美術として観るとかね、あるいは歴史的なこととか、あるいは膨大な文献があるからその文献を研究したら、それはもういくらやったって切りがないわけですよね。だけど仏教というのは、本来そういう元々の実存的な苦しみ、そのものを取り扱ってきた筈なんです。というのは何故かと言えば、お釈迦さん自身が、さんざん悩まれて、それであるものを発見されて、それでまあ悩み苦しみを乗り越えていかれた。そしてそれをその後に、後から来る者たちへその乗り越え方を教えてくださったわけですね。私自身に当て嵌めた時に、どうなるかということをしてきたとも言いますね。
 
山田:  「私自身に当て嵌めた時」というふうにおっしゃいましたけど、ということは、どういうことがあったんでしょうか?
 
山下:  日本でお坊さんというと、まあ大体お寺の出身の人が多いんですけども、私は全然違うんですよ。父は海軍機関学校へ入って、で、卒業の時に終戦になったんで、死なずにすんだという。父親は農学部で生物の研究をしていたんで、高校の先生―生物の先生になったんですよ。父としては、それだけではちょっと満足できないし、司法試験というものを勉強すれば弁護士とか、なれると言うんで、高校の先生をしながら、高校から帰ってきては自分の部屋に閉じ籠もって司法試験の受験勉強をしていて、当時は東京オリンピックとか高度経済成長まっしぐらの時代でしたから、頑張れば明日はバラ色だというのが、実感できた時代ですよね。それで山下家というのもそういうふうに、父親が司法試験を受かって弁護士になって、そうすればだんだん勿論生活の質はよくなっていきますから、未来にバラ色の何かが待っているというのは、ある程度までは本当なんですよ、ある程度まではね。それは日本全体でもそうだったし、私も普通の中学生でけっこう優等生でね。学校が示してくれる価値観なり、未来への目標を、自分自身はほんとに信じて、勉強すること自体も喜びだし、当然成績はよくなるしね。十四歳まではそんな感じだったんですよ。いい学校へ入れたら、さらにいい大学とかに入れるよ。そうしたらさらにいい会社に入れるよ。そしてさらにいい生活が待っているよ、ってね。その十四歳―中二の終わりぐらいでしょうかね。学校が示してくれる何か良きもの、そういうものはほんとにあるのという非常に強い疑問が出てきてしまって、勉強そのものが大事だから勉強するんではなくて、勉強というのは、何かの単なる道具として使っているというのかな。だけど「なんかの」というところがもう既に怪しくなってきちゃったので、道具として勉強するということ自体が非常にできなくなってしまった。ここで一気に全部ドロップアウト(dropout:落伍者、中途退学者、中抜け)するということもあるでしょうけども、そういう人もよくいますけどね、だけど私はそれもできなくて、高校へ入って、大学へ入って、で、ズッと一応普通の、外面的には普通の学生やっていたんですけどね。その中にいながら、でもその中で信じなければいけないことを信じきれない。だけどもそこからは出られないという絶対的な矛盾の中にズッと生きてきたという感じですね。
 

ナレーター:  一九七六年、山下さんは、東京外国語大学のフランス語学科に入学。当時知の先端とも言われていたフランス哲学を学びながら、苦しみと向き合う手掛かりを探していました。
 

 
山下:  大学時代は、人生最悪の時代でしたね。というのは、すべてが自分の意思と努力次第だという思いがあったんですね。だけども、それもどんどん怪しくなっちゃって、それがどうしてそういうことに気付いたかというと、高校の頃に、例えば眠るという、この不思議なものに気付いたんですよ。夜寝るということ。眠るというのは、意識を失って眠りの世界に入るから、これは不眠症で悩んでいる人は全員知っていることですけども、「さあ寝るぞ、頑張って寝るぞ」なんて言ったら、どんどん目が冴えちゃって寝れないですよね。私は、これが許せなかったんですよ。これは非常に屈辱じゃないですか。それで自分の意思の力で自分の心を何とかコントロールしようとする。じゃどうコントロールしようとするかというと、例えば自分の中に嫌なものが湧いてくるわけです。なんかこんなことを考えてはいけないってね。その考えてはいけないというのを何とか自分の手で、意思の手で押さえ付けることをする。そしてこういうことを考えなければいけないと言って、そういうすべきことをまた意識の力でやろうとする。今振り返ると、こんなことやったらほんとにダメになることわかっているんだけども、自分の心を弄(いじ)くるというのか。だから都内の大きな本屋の仏教書コーナーへ行ってはけっこう目に付くものは買っては読んでいたんですけどね。
 
山田:  なんとか自分でコントロールする方法はないかと、探し求めたことの一つですか?
 
山下:  まあそうなんですけども、ただ私が仏教の方に惹かれたのは、今言っていたようなすべてをコントロールしようとすること自体が悩み苦しみを生んでいるんだ。だからそれを手放していかなければいけないという、今まで私がやってきたこととは、まったく違う何かをなんとなく示唆していたんですよ。だけどそっちの方にはすぐには行けなかったですけどね。やっぱり心の慰めであって、なんかメーンストリーム(mainstream: 本流、主流、また、主傾向)の真理というのは、やっぱり西洋のいろんな哲学とか、科学とかというものの中にあるだろうなというのがあって、大学の時に私はフランスのデカルトやったんですけれどもね。卒業論文で書いて、デカルトいうの人は、近代の科学の原理を発見したということになっていますけれども、どういう方法を使ったかというと、要するに疑えるものは徹底的に疑っていくわけですよね。そしていくと、疑えないぐらい明らかなものが出てきて、それを真理として受け入れなさい。これが科学的方法となっているんですけれども、でも疑えないほど明らかなものを真理とするという、ちょっとどっか飛んでいるわけなんですよ。どう飛んでいるかというと、疑えないようにただ見えるだけかも知れないし、そう私の心が錯覚しているだけかも知れないわけで、だからいかにも真理のように見えているけども、それを真理だとするのはちょっと一つのジャンプがあるわけなんですよね。じゃそこのジャンプをどうデカルトは決着付けていたのかというと、要するに神様が、あなたに―bon sens(ボンサンス)(理性・良識)と言いますけどね―そういう理性、良識というものを与えてくれた。そしてその良識を―bon sensを使って、それを使っていくとあるものが非常にクリアに真理に見える。だったらばそれを真理として受け入れなさい。そして真理というものを探求していきなさい。何故―それはbon sensを与えてくれているのが神様だから。一切の前提条件なしに、ほんとに正しいものを探していった筈なのに、いつの間にかまたまた神様が出てきてしまう。科学ですら実は絶対的真理というものを独占しているわけではない。科学というものに対して抱いていたコンプレックスとか、そういうものが一切無くなって、
 
山田:  それがはっきり仏教に進まれるというところへ結び付いていくのは、何なんでしょうか?
 
山下:  結局私が、その後に師事する内山興正(うちやまこうしよう)(曹洞宗の僧侶で、澤木興道に長年師事し、その死後に安泰寺の住職となる。折り紙作家、詩人:1912-1998)老師という一人の曹洞宗の禅僧ですけども、その方との出会いが決定的でしたね。仏教書コーナーには通い詰めていたんだけども、不思議とその前には出会っていなくて、で、卒業間近にして、もう具体的に何かしなければいけないという時期にきた時に、老師の本が現れてきたという感じですね。読んだらなんというのかな、これ自分が書いたんじゃないか、というぐらいピタッとくるんですよ。内山老師の「悩みの定義」というのは、非常に明快で、要するにそれは「すべて思いなんだ」という。「思い―心が考える」ことですね。
 
山田:  その「思い」というのは、「自分がそう思う」という思いということですか?
 
山下:  いや、それは、例えば私らが、「悩み・苦しみ」と言った時に、「あなたは何で悩んでいますか?」「実は家族との関係で悩んでいます」とかね、あるいは「自分が今ちょっと病気なんで悩んでいます」とかね、あるいは「自分が今仕事が上手くいっていないので悩んでいる」とか、「ちょっとお金が十分無いんで悩んでいる」とかね、いろいろ悩みの内容があるわけですよ。だけども、悩みの内容ではなくて、この「悩んでいることそのもの」ですね。これが問題なんだよ、ということを指摘してくれたんですよ。これはこれでは発想がまったく変わっているわけですね。しかも老師は、その解決方法を示してくれているんですよ。それが要するに、「思いを手放せばいいんだ」という。そこで私が、結局この三十年間やってしまった坐禅というものが出てくるわけですね。だから坐禅というものがどうも鍵になる。
 
山田:  つまりその「思いが自分の心配や不安を作っているのだ」とすれば、内山老師のご本がそういうことを書いていたのに出会われたことが、仏教にほんとに卒業後行こうということに繋がっていくんですか?
 
山下:  そうですね。内山老師は、残念ながらその時点においては既に引退されていたんですけども、内山老師が指導されていたお寺(安泰寺(あんたいじ))というのは、その時もまだ活動していましたので、〈あ、じゃ、もうこれをやるしかないだろうな〉と思いましたね。
 
ナレーター:  大学を卒業した山下さんは、兵庫県但馬(たじま)の山中にある安泰寺に入りました。道元の教えに則って作られたこの寺は、檀家もなく、ひたすら坐禅を行う修行道場でした。田畑や山の仕事など自給自足の暮らしをする一方で、朝から晩まで坐禅に取り組む日々を送ります。

 
山下:  とにかくそこに飛び込んじゃいという感じで、その要するに飛び込んでいく先に対する信頼というのが完全にあったので、とにかく飛ぶ込む。私は、東京で生まれ、東京で育った人間なんで、もう都会で学生生活しか知らなかった人間なんで、そういう大自然の中での生活はもの凄くやっぱりエキサイティング(exciting:人を興奮させるさま)なわけですよね。田圃もあるし、畑もあるし、それから後山の仕事ね―杉林とかの管理もあるので、間伐したり、枝打ちをしたりとかね、昔だったら考えられないようなことをズッとしていたんで、しかも仲間と一緒なんで、それはもうはっきり言って楽しかったんですよ。やっぱりみんなそれぞれ非常に強い問題意識のある人たちですからね、嫌々そこにいるような人は一人としていなかったですから、ほんとに人生の真理を求めていく仲間に出会えたという感じですね。
 
山田:  そうしますと、山下さんご自身の感じた自分の思いをこう抜け出していく。つまり手放していくという状態が進んでいるかどうかというふうなことは、どういうふうに感じておられたんでしょうか?
 
山下:  だから「自分の思いが手放されたかな、手放されていないか」と思ってしまったら、それはやっぱり思いの世界だから、だからもうそういう手放されたか、手放されていないかなんていうことも全部手放して、ただ坐れという教えで、只管打坐(しかんたざ)ですね、只管―だた坐る。だからあらゆるメソッド(method:方法、方式のこと)は使わない。使うのは、ただこういう坐相(ざそう)と言いますけれども、この坐禅の形ですね。この坐禅の形を完璧にすることで、自然と思いが脱落していく。その世界に入っていくという、そういうことですね。内山老師から安泰寺(あんたいじ)へ行く前になんと言われたかというと、「君ね、黙って十年坐りなさい」と言われてね。だから十年間は、「黙って」ということね。一切文句を言わないで、思いが手放されたか手放されていないかななんていうことも一切言わないで、とにかく十年―曹洞宗の場合、面壁と言って壁の前に坐るんですけども、壁に向いていなさいよ、と言われて。それでそう言われたら、まだ三ヶ月しか経っていない。まあ二年しか経っていないのに、文句言ったらダメじゃないですか。だったらとにかく十年は壁向いていなきゃという、そういうことですね。
 
山田:  只管打坐というのは、そういうことのわけですね。何も考えることなかれ。
 
山下:  今までは、「こうすればこうなって、こうすればこうなって、良いか悪いか」なんていうことをずっとやってきたわけだから、そういうことを一切止めて、只坐るという。
 
山田:  という修行を深めていかれた。
 
山下:  はい。
 

 
ナレーター:  安泰寺に入って七年目。山下さんは、曹洞宗の禅を伝える開教師としてアメリカのマサチューセッツ州にあるヴァレー禅堂に派遣されます。アメリカでは、一九六○年代以降、ベトナム戦争の傷跡や競争社会の矛盾などから、それまでの価値観に疑問を感じた人々が、仏教への関心を深めていました。赴任した地域では、日本の仏教の他、チベット仏教や東南アジアのテーラワーダ仏教の僧侶たちが瞑想法などを教える修行の場を開いていました。
 

 
山下:  アメリカ人に坐禅を教えるという、そういう役割を担って派遣されたんですけども、私個人としてはとにかくアメリカへ行ってみたかったというのが本音ですね。日本にいると、日本の仏教しかないけども、アメリカにいると日本仏教というのは、one of them(たくさんの中の一つ。その他大勢)になってしまうので、そういういろんな世界の伝統の中の一つの伝統としての日本仏教というふうにみられる。しかもアメリカに来ているのは、結構有名な先生たちがいらっしゃるので、チベットの人たち、テーラワーダの人たち、あるいは勿論日本の禅宗の、いろんな人たちとの交流もあって、それが非常に私にとっては目を開かせる経験になったですけどね。
 
山田:  「目を開かされる」というのは、どういうことに?
 
山下:  要するに私は、「只管打坐」という絶対的な真理をもっていて、毎週末坐禅会をやって、二つぐらいの大学で坐禅を教える。ほんとに生なアメリカ人たちと交流をする。自分たちのある問題を抱えて、日本から来た禅とか坐禅をよって解決つくのかつかないのかという非常にクリアな関心でみんな来るわけですよ。まあ要するに一人の来た人間にとって意味があるものなのかどうか、ということですね。只管打坐の場合は、メソッドというのは一切なくて、とにかく坐禅の「坐相(ざそう)」と言いますけどね、坐相だけをきちんと保つ。眠らない、腰をしっかり立てて坐相を保つ。それだけなんですよ。でも世界の仏教に私らアメリカで出会った時に、非常に魅力的な人、非常に何かに、〈あ、この人は何かに達しているな〉と感じられる人がいて、その人たちはあるメソッドを使っているんですよ。そのうちの一人が、ティク・ナット・ハン師というベトナムの禅僧ですね。英語での本を、その頃より非常に精力的に出版し始めて、私らもアメリカの仏教の本屋さんへ行くと見ることが増えてきて、非常に不思議な言葉が出てくるんですよ。その言葉が、「mindfulness(マインドフルネス)」という言葉で、今まで私が曹洞宗の只管打坐の流れの中で勉強してきたことの中に、「mindfulness(マインドフルネス)」というのはどうも上手く結び付かないんですよ。
 
山田:  「mindfulness(マインドフルネス)」というのはどういうことなんでしょうか?
 
山下:  一言でいうと、「何かに気付いている」ということなんですよ。だけど「何かに気付いていること」と言われても、まあ普通の人は困りますよね。だけど「mindfulnessというのは、仏教の修行していくうえで一番大事なものなんだ」と、ある仏教の先生たちは主張されて、そしてその強い流れが、一九八○年代終わりから九○年代の初めにかけて始まりつつあった。だから私らにとっては、ちょっとそれは謎の運動だったんですよ。要するに理解できないから。でも私はやっぱりその頃はまだ百パーセント只管打坐の人間で、やっぱり「只管打坐が絶対的真理だ」という自信があったので、それでまあアメリカではそういうふうに教えながら、でも心のどっかでそうではない人たちがいるのを知って―知り始めたというところですかね、アメリカでは。
 
 
ナレーター:  アメリカで三年。その後イタリアにも派遣された山下さんは、一九九二年に帰国。京都のお寺にある禅センターで、外国人に坐禅指導を行う日々を過ごしていました。
 

 
山下:  その頃になると、ちょっといろいろな今まで見ないようにしていたような矛盾がちょっと少しずつ出てきてしまっていたんですよ。どういうことかというと、要するに只管打坐することによって、思いが手放される筈なんですよ。筈で、そしてそれは思いが手放されたかどうかな、どうかな、なんていうふうに思いでチェックしてはいけないから、それはもうチェックしないでずっとやってきたわけですね。でももう十年ぐらい経っているわけなんですよね。じゃ、思いが手放された結果として、具体的に新しい世界へ入っていけていたのかというと、どうもそうじゃないな、というようなことが現実の方からだんだんと見えてきてしまって、私自身の生活だったり、日本のお寺というものが抱えているいろんな矛盾だとかというものがあって、そして最後のダメージを受けたのが、一九九五年のあのオームの事件(オウム真理教の教祖である麻原彰晃(本名:松本智津夫)が救済の名の下に日本を支配して、自らその王になることを空想し、それを現実化する過程で、外国での軍事訓練や軍事ヘリの調達、自動小銃の密造や化学兵器の生産を行い武装化し、教団と敵対する人物の殺害や無差別テロを実行した)だったんですけども。オームの事件が何故ショックを受けたか、というと、自分の判断そのものがいろんな迷いの元なんだから、一切自分では反対しないで、あるグル(Guru:サンスクリット語で「指導者」「教師」「尊敬すべき人物」などを意味する単語。「導師」「尊師」などとも訳される)に言われたことをただ真っ直ぐにやる。あの事件の詳細を知れば知るほど、これはとてもじゃないけど、他人事ではないな、って思って、で、そうすると自分が何か封印をしてきたものを、ちょっとこの封印を解いて、まだ全然解決ついていなかった問題をみなければいけないな、というところまで追い込まれてしまったんですね。あのオームの事件を知れば知るほどね。
 
山田:  封印してきたなというものは何ですか? それを解かなくちゃいけないというふうに思ったものというのは?
 
山下:  それは、じゃ思いの手放しは、只管打坐によってなされる。でも、それはほんとなの? というところですね。只管打坐というのは、只修行しなさい、ということではなくって、もう既に我々は悟っているから、だから今から何かを求めたり、今から何かを付け加えたりする必要はないんだよ。我々は完璧じゃないと思うから、何かを求める、何かを求める。だけども何かを求める、何かを求める、ということそのものをやめていく、何故? もう既に我々は完璧だから。そういう修行になってくるわけですね。そうなんだけども、それじゃどうしようもない私というのがいるわけですね。ネガティブ(negative:行動力または意志が欠けている)のものが止まらない生身の私というのがいて、これは単なる建前上の論理で押さえ付けようにも付けられなくなるわけですね。ではほんとに我々はもう完璧なの? 既にもう悟った存在なの? ということは、確認しようがないですよね。こういう確認できないことをただ受け入れる、というあり方は危険を含みますよね。何故かと言えば、これがもしとんでもないことだったらば、それを確認できないまま受け入れて、受け入れた結果テロをしてしまう、ということになるから。我々は、確認できないと言われていても、ほんとは確認できるんじゃないの。もしこれが確認できたならば、その時に、我々はオームをほんとに乗り越えられる、と思ったんですよね。それで非常に不思議なことなんですけども、オームの直後に、先ほどアメリカで私がちょっと気になった人―ティク・ナット・ハン師という人が偶然来られたんですよ。「日本の仏教の将来を考えている若いお坊さんと会いたい」っていうことを、ティク・ナット・ハン師の方から希望出されて、会いに行くことができたんですね。一緒に食事をしたり、お茶飲んだりして、いろいろ話を聞いて。ハン師という具体的な人間に会うと、思いの世界を抜けられた非常に静寂の世界を日常の中で生きていられる。この感じは、私は、日本の禅僧たちからほとんど受けなかった感じなんですよ―この静寂感というか。それがどうも私はアメリカで聞いた時にわからなかった「mindfulness」というのが、鍵を握っている、ということがハッキリして、ちょっと山の中へ入って、ちょっと数人の仲間たちと一緒に一旦すべてを棚上げにして、ちょっともう一回真理に戻りたいな、真理を追究したいな、と思ったんですね。
 
ナレーター:  ブッダの教えの源流に戻って、もう一度仏教を捉え直したいと願った山下さんは、高知の山奥に渓声禅堂(けいせいぜんどう)という修行の場を作りました。仲間と坐禅を続ける一方で、ティク・ナット・ハンが取り入れていた東南アジアの仏教テーラワーダ仏教の瞑想法を学び始めます。しかし自分なりの修行に限界を感じた山下さんは、ミャンマーの僧院に行って、その瞑想法を一から学ぶことを決意しました。
 

 
山下:  ヤンゴンから夜のバスで行くと、翌朝着くような、半日かかるようなところにあって―タイの近くにあるんですけどね。森の中にあって、日本でいう本堂という中心の場所と「クティ(比丘の住む簡素な住まい)」という坊さんたちが住む場所―小さな小屋みたいなものですけどね―森の中に広がって建てられている。私が行ったのは、パオ森林僧院というところで、パオというのは、その村の名前でもあるんですけど、お寺の名前にもなっていて、そしてそこの指導者の名前にもなっているんですけどね。私はそのうちの一つのクティを与えられて、そこで寝泊まりして、朝とお昼前に托鉢に行って、食事を頂いて戻って来て食べる。それ以外はズーッと瞑想、そして勉強ですね。瞑想の仕方というのも、ちゃんとシステムになっているので、パオ・セヤドーという先生と、毎日一回お会いして瞑想の課題を与えられるわけですね。宿題みたいなもんで、それをやって、翌日あるいは二日後ぐらいに行って報告して、それで良かったら次の課題ですね。
 
山田:  例えばどういう課題が与えられるんですか?
 
山下:  最初はみな同じ課題で、呼吸を観る。この鼻の入り口のところで吸っている息、吐いている息に気付く。それがどのぐらい―何十分気付くことができるのか、ということでね。そういうことをやって、そしていくと、まあ呼吸が気付けるようになってくると、いろいろな瞑想状態に入っていくんですけれども、その瞑想状態についての質問がきて、「どうなのか?」ってね。で、「こうだ」と答えて、そうすると次々と次の課題が与えられていくという形ですね。
 
山田:  その次々と出てくる課題というのは?
 
山下:  自分を分析する。主に二つのポイントからですね。心と体―精神的なものと物質的なものですね。我々人間を見れば、精神的なものと物質的なものとで出来ていますので、それを徹底的に分析していく。分析していったら、そういう心理学というか、哲学というか、単なる理論や知識ではなくて、それを自分の瞑想の中で観ていくことですね。
 
山田:  瞑想の中に?
 
山下:  瞑想の中で。例えば「怒り」というものがありますよね。誰か怒った時、「怒りというのは、一体何なの?」と言った時に、「怒り」というのを分析していくと、「こうこうこういうものの集まりなんだよ」というのが出てくるわけですね。じゃ、どこで怒るかというと、身体の部分でも怒っているじゃないですか。日本語だと「腸(はらわた)が煮えくりかえる」ような、ってね。要するにその時は、腸という肉体が煮えくりかえっていると感じるわけですね。同時に「あん畜生!」と言って、誰かのことを想像しながら、その人に対する憎しみをぶっつけているわけですね。そういうことが怒った時に起こる。だからそれは心だけでも体だけでも怒りという現象を掴まえることはできなくて、その両方から見ていかなければいけないということですね。
 
山田:  それを瞑想の中でどうするわけですか? 「あ、それがそういう時には腸が煮えくりかえるようなことが、ガァッとなっているんだな」とかということを感じていくということですか?
 
山下:  それをもっと解剖するような感じで観ていきますね。というのは、ほんとにほんとに腸が煮えくりかえったら、ちょっともうそれに圧倒されて見えにくいので、実験的に自分の中で怒りというものを人工的に起こすんですよ。そしてそれを人工的に起こした怒りをほんとに解剖するような形でみていく。
 
山田:  その瞑想をやりながら、どういうことかという報告を先生に当たる方にしていくわけですね。
 
山下:  そうですね。
 
山田:  そこで先生からまた問答があるわけですか?
 
山下:  「それは君はもう十分に観たね」とかね、「まだまだ全然観ていないね。だからまたもう一日観なさい」とかね。「十分観たね」と言ったら、「次はこれを観なさい」というふうになって進んでいくわけですね。必ず絶対に一つひとつきちんとできたかどうかを確認したうえで、次のカリキュラムに進むということになります。
 
山田:  どのくらい期間かかるものですか?
 
山下:  私の場合では、三年くらいかかったですね。さっきも言いましたけど、呼吸を観るという最初の宿題が与えられるんですけども、実際に三十分なり、一時間なり、連続して呼吸が観れるようになると、ある状態が起こってくるんですよ、瞑想状態がですね。それが起こらないと、最初の宿題である「呼吸を観なさい」というとこから一歩も出れなく、進めなくなってしまうわけですね。そういう進めない人があまりにも多いというのが実態ですね。
 
山田:  それまでも進むに従って山下さんが、自分の思いを手放していくと言いますか、あるいは自分の悩みから救われていく、気持ちが平静になっていく、という方向にはやっぱりなっていくということが起こってくるんですか?
 
山下:  それはありましたね。只管打坐の場合は、結果というのは一切問われなかったわけなんですよ。だけど、今のパオでやっている瞑想というのは、結果が問われるわけですよね。そんなこと日本ではまったく教わったことがないようなことが、次々と起こってきて、だからある意味で、要するに面白いですよ。ほんとに仏教の教義を基礎から勉強し直して、しかもそれを単なる理論ではなくて、体に手応えのある形で実感できていく。その面白さですね。もう日本にけっこう失望しながらミャンマーに行ったような感じだったんで、そこではサンガというお坊さんの集まりがしっかりあるし、戒律もきっちりと守られているし、指導者がいて、どこからどう読んでも、仏教のお経に書いてある世界がそこでは広がっているわけなんですよ。こういう衣とか、そういう生活の上では、お釈迦様の源流にかなり戻ったな、という感じがしましたし、英語の基礎文法をきちんと勉強しないままなんか英語の新聞とか読んでいて、でも基礎ができていないからなかなか読めなくて、時にもう一回文法の基礎をがっちりやることで、一気に英語の実力が高まるような感じですね。だから仏教のほんとに基礎理論をもう一回勉強し直すので、ほんとに仏教の実力が一気に付いてきたかなというような感じですね。ほんとに毎日が非常に楽しくて、そうなんだけど、そう話がすっきりいかなくて、ビルマにいて、瞑想メソッドをほぼ卒業する頃になんか飛んでもないものに出会ってしまったというところなんですね。そのとんでもないものに出会ったところから、それはまあ真っ直ぐに今のこの一法庵での活動に繋がっているんですけど。ちょっと振り返って話すと、例えば只管打坐というところで、我々は本来完全なんだ。仏なんだ。だから何か足りないとして騒ぐんではなくて、この完璧なところにただ落ち着いていけばいいんだ、そういう教えでしたね。だけども何故完璧なんだというところ、そこは直接的には経験できないわけなんですよ。だからどんなに自分の心の中にネガティブなものが湧こうが、何しようが関係ないと言えたわけなんですよね。私としては、もうちょっとこのリアルに湧き起こってくる自分のネガティブなものを、きちんと見た方がもっと地に足が着くんじゃないの、という理由で、このテーラワーダの方に来たわけですよね。テーラワーダの方では一切自分がもともと完全なんだという、そういう教えを一切ないんですよ。そうではなくて、もともと我々はこれだけ汚れている。汚れているから少しずつ綺麗にしなければいけないよ。だからそれで綺麗にしていく方法が瞑想であって、その瞑想というのは、だからどのくらい綺麗になったの。一パーセントかな、二パーセントかな、漸く十パーセントぐらいは綺麗になったよね、というふうにして進んでいくんですよ。だからここでは絶対に、あなたは本来もう最初から完璧なんだよ、という考え方は一切ないんですよ。その方が私には親しみを覚えたわけですね。何故かと言えば、あなた、本来完璧なんだよ、というのはやっぱり確認できない。確認できないことで危険性を伴ってしまう。そして何かそこになにかしらの欺瞞的なものがあるんではないか。だったらば素直に、だって汚れているんじゃないの。この汚れているものをとにかく先ずはなんとかする方が正直なんじゃないの、というので、ミャンマーまで来たわけなんですよ。そしてやっていくうちに、実際に瞑想が進み、だんだん確かに汚れというのは、少しずつだけども落ちていくわけですね。そうやっていくうちに、瞑想の最終段階になってくると、ちょうど空の譬えを使うと、雲が一切ない。ピーカン(雲ひとつ無い快晴のことをさす)の青空状態というものに入っていく。カリキュラムというのは、心と体を分析することによって、ついに心と体自体が消滅しない、そういう青空状態に入っていくのが目的んです。その精神的なものを分析、物質的なものを分析をしてきて、そしてそれが専門的になるけども、無常であり、苦であり、無我である。これがまあ仏教の瞑想の基本線なんですけども、そういうことをやっていくと、そういうものが全部落ちたピーカンの世界がそこで現れる。実際にそれが瞑想の最終段階だから、ピーカンの青空を見ている時に、「見ているのは何なんだ?」という、そういう質問がくるんですよ。だけど、それまでは勿論私らは空と雲の譬えを使えば、ズーッと雲だったわけですね。雲というのは形があるから見えるわけですよ。思考活動と感情、どこかを触れば触れる物質的な体―それが私だったですよ。そしてこの私には、いろんな名前がついていたり、住所があったり、職業があったり、学歴があったり、いろいろするんだけども、でもそれが私だわけなのね。空というのは形がない。まあそういう譬えとして今使うわけですけどもカリキュラムの最後の頃になって、ピーカンの青空に入っていくこと、ピーカンの青空を認識すること、そうしたら「ピーカンの青空を認識しているの、一体何なのよ」。そうしたらそれは普通の思考であるわけがない。思考がない状態をピーカンと言っているんだから。そうしたらそれは当然もう非常に簡単な話で、思考以外のものがある、ということに当然なりますよね。だけど「思考以外のもの」って、そんなものなかったんですよ、今までは。我々は思考以外の何ものでもなくて、思考とこの物質的な肉体以外の何ものでもなかったんだから。だからその時に、今までの前提条件がそれじゃ違うでしょ、という話になって、要するにそこに何かが根本的に変わっちゃったんですよ。要するに世界観というのか、あるいは「自分とは一体誰なの」というところが変わってしまった。我々は実は雲だと思い込んでいたんだけども、確かに雲は存在しているんだけども、でも本質としては青空なんだという。だから青空としての私が青空を認識している、ということになってきちゃうんですよ。
 
山田:  その山下さん自身が、瞑想を深めていった結果、自分がこうやっていたのが、青空にスポッと抜けて、この青空というものを認識しているのは、もう形のある自分ではないというふうに思った、というのは、山下さん自身が思ったんですか。そうじゃない。先生とのやりとりとの間でそういうことが提示されてくるんですか?
 
山下:  いやいや。これは私です。何故かというと、ミャンマーの先生たちですね。ミャンマーの考え方の中には、自分が青空であるという考え方はないんですよ。無いんですよ、実は。あくまでも自分はあくまでも雲である。だから青空見たとしても、雲が青空を見ているというふうに、この一線だけは絶対に守るんですね。
 
山田:  その最後の青空に、青空が見えているという認識があるのは、自分自身の本質が青空だから、というところがどうもわからないのですが。
 
山下:  青空というのは、雲がない状態なわけですね。雲というのは何かと言えば、思考であったり、感情であったり、肉体であるわけですね。だから青空の状態に入った時というのは、思考とかがもうない状態なんですよ。だからそういうない状態なのに、今までの思考がそれを認識するということはあり得ない。無いといっているんだから。で、その時に発見するのは、今まで我々が親しんできた思考ですよね。内山老師って言えば、「思い」ですよね。内山老師の「思い」というのは、思考プラス感情、もっと広い意味に含みますが、同じようなものですよね。で、それが自分だと思い、そこに我々は苦しんできて、だから思いを手放さなければいけない、ということになって、だけども思いを手放した先のことを思いでは掴めないですよね、当然ね。だから思いが手放されたかどうかというのを、思いによってはチェックできない。だから思いとは関係ないところで、「君は完全なんだよ」と、ただ受け入れるしかなかったんですよ。私はそれが嫌で嫌で、「思い」というものを先ず徹底的に見ようよね、ということでズーッとミャンマーでやってきたわけなんですよ。そうしたらミャンマーの瞑想の最後のところで、それこそ内山老師的に言えば、思いが手放された世界へ入っていくことができる。今までは思いを手放された世界には入っていけなかったんですよ、只管打坐やっていた時はね。ただ思いを手放して、思いは手放されているんだよ、と、ただ信じるしかなかった。それがもうこの分は確認するのは諦めて、でも少なくとも湧き起こってくる思いを徹底的にみようよね、ということをミャンマーでやっていたんだけども、ついにやっていた果てに、この思いが手放された世界へ直接的に入って、直接的に経験することができたんですよ。このピーカンの世界を信じるのでもない。それは自分の本質として直接的に確認できる、そういう世界が開かれてきてしまった。
 
山田:  ミャンマーでのメーソードをズッと追い掛けられたその最後のところで、只管打坐が言っているそのままで救われているんだとか、そのままで、あなたはいいんだとか、そういうことが本当だという実感が湧いたということですか?
 
山下:  結局それがビルマの最後のところになって、私がほんとに実感をもって感じたことで、私の三十年というのは、この教えが実感持てなかったという苦しみの三十年だったんだけど、ビルマの最後になって、この教えそのものが実感をもって初めて持てるようになった。
 

 
ナレーター:  ミャンマーでの修行を終え、山下さんが帰国したのは五十歳になる年のことでした。以来鎌倉の一法庵を拠点に、各地で瞑想や坐禅を行う会を開いています。静かに坐り、呼吸や体の感覚に集中することで、思いを手放し、青空の世界を体験する。そして青空としての自分を実感する中で、今ここに起こることをただありのままに受け取る世界を目指しています。
 

 
山下:  我々が青空としての自分を自覚なしに、雲としての自分。自分は雲なんだ、と思って生きている限り、苦しみとは避けられないわけなんですよ。十四歳の時は、未来に何かいいものが待っている。だから今の雲としての私はダメで、もっと真っ白な雲が努力すれば、それに到達するんじゃないか、と、今の自分を否定して、将来に何かを求めていたわけですね。それを十四歳の時、私は直感的にこの生き方は根本的にどこかおかしい。だけどどこがおかしいのかも言えなかった。それがビルマの最後になって、漸く私が十四の時に何に反発していたのがわかったし、十四の時に見つからなかった正しい生き方というのが漸く見つかったということですね。
 
山田:  それは青空というのを体験した山下さんの中に、いろんな不安やそういうものが起こってこない、雲が浮かんでこないということではないんですね。
 
山下:  ないですね。だってだから当然瞑想状態から出れば、雲はまた勿論甦ってくるわけですね。
 
山田:  でも捉え方が変わってくるんですか?
 
山下:  いろんな思考が湧いてくるし、いろんな感情も当然湧いてくる。だけど青空があって、青空の中から雲が湧いてくるんだよ、というのと、青空が見えなくて雲しか見えない状態とはまったく違うわけですよ。青空の立場に立ったら、もう雲というのは浮かぶがままに当然なるし、白い雲はいいけど、黒い雲は嫌だとかね。白い雲を追いかけて行けば、私は明日幸せになれるとかね。白い雲を破壊すれば私は自由になれるという考え方はもう一切ないわけですよ。それは青空に立てば、白い雲に対してそういうふうに見れるわけですね。だからどんな雲が湧いてもかまわないですね。
 
     これは、平成二十六年六月一日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである