人生最後のおもてなし≠
 
                 ホスピス医・牧師 下稲葉(しもいなば) 康 之(やすゆき)
一九三八年、鹿児島県生まれ。一九五七年、鹿児島ラ・サール高校卒業。一九五七年、九州大学医学部入学。一九六三年、九州大学医学部卒業。一九六三年、国立福岡中央病院にて研修(インターン)。一九六四年、九大医学部第二内科(勝木内科)入局。一九六五年、西独ボン大学留学。一九六七年、医療法人古森病院に勤務しつつ福岡市東区香住丘にて開拓伝道に従事し、同年一○月、香住丘キリスト福音教会創設し伝道者として奉仕。一九八○年、福岡県粕屋郡志免町・亀山病院勤務となりホスピス担当。一九八六年、福岡亀山栄光病院と改称し副院長・ホスピス長に就任。現在、特別医療法人栄光会栄光病院副理事長・ホスピス長、社会福祉法人援助会聖ヨゼフの園理事・評議員、栄光ホスピス研究会会長、日本死の臨床研究会世話人・九州支部長。全国ホスピス・緩和ケア病棟連絡協議会監事・九州ブロック交流会代表、日本ホスピス緩和ケア研究振興財団事業委員、福岡大学医学部臨床教授、九州大学・久留米大学・福岡女学院大学・非常勤講師、香住丘キリスト福音教会協力牧師。
                 き き て    杉 浦  圭 子
 
ナレーター:  福岡市にあるキリスト教会です。この教会の協力牧師を務める下稲葉康之さん、七十五歳。二十歳の時に洗礼を受け、三十歳で牧師となり、毎週通って礼拝を行っています。下稲葉さんのもう一つの顔が医師です。日本でも最大規模のホスピス病棟を持つこの病院で、現在名誉ホスピス長を務めています。ホスピス病棟というのは、末期癌の患者に苦痛を和らげる手立てを施す専門の病棟です。下稲葉さんは、三十年以上に亘って、この病院でホスピスに携わってきました。
 

 
下稲葉:  気持ちが良い時、気持ちがちょっと調子が上向いた時と落ち込んだ時とか、あったと思うんですけど。
患者:  主人が実家にちょっと用事で帰って独りぽっちになると、ボロボロと泣くんですね。できるだけ、やっぱり笑顔でいようとは心掛けていたんですけど、独りになると、ああ、という感じですね。何だったのか、特別命が惜しいとか、そういう気持ちは不思議なくらい起こらなくて、痛いのが恐かった。痛くなったらどうしよう。どれくらい堪えられるのかなというね。
 
下稲葉:  それは今でもありますよね。
 
患者:  はい。いろいろ痛いという時に処置をしてくださるけど、それでも効かない時がある。その時はまた同じ医療を最初からされるんですけど、あぁ、どれくらい薬が入っていくんだろうとか、そういうふうな恐さが少しありますね。
 
ナレーター:  患者自身の身体の痛みは勿論のこと、病気がもたらす家族の精神的な苦痛にまで下稲葉さんは心を配っています。
 
下稲葉:  神さまはいつも見つめてくださっている。だから決して忘れられていないというか、見捨てられていない。いつも見つめてくださっている。
 
ナレーター:  人間誰しも避けては通れない死。今回の「こころの時代」は、牧師でホスピス医の下稲葉康之さんが見つめてきた人の死と向き合う姿について聞きます。
 

 
杉浦:  下稲葉さんは、お医者さんであり、またキリストの牧師さんであり、どちらも責任の重いお仕事ですけれども、それを長年にわたって続けてこられましたよね。そのエネルギーと言いますか、情熱はどこからきているんでしょうか?
 
下稲葉:  そうですね。私は一人の人間で、聖書の言葉に従うと罪人(つみびと)で、そしてそういうふうなものが、もし少しでもお役に立つとか、輝くということができるとすれば、仕事に太陽が昇り、光を照らすように、朝毎に、あるいは機会ある度に、私を心に留めて愛してくださっている神さまの愛によって生かされるということが、突き詰めていくと、私の支えになっているかなと思っています。
 
杉浦:  今日は、クリスチャンホスピス医として、これまで経験されてきたこと、そして考えていらっしゃることをじっくり伺いたいと思うんですけれども、先ず「ホスピス(hospice)」ですね、みなさん、終末期の医療を行うという所という、言葉としてはご存知だと思うんですけれども、でも実態はよくわからないという方が多いと思うんですね。改めて教えて頂けますか。
 
下稲葉:  先ず「ホスピス(hospice)」という概念ですね、これは場所を表しません。ホスピス(hospice)、それはいわゆるケア―患者さんに提供するケアの内容、その実質を表す言葉です。ですから建物が無くても、施設がなくても、ホスピス提供できる。素朴なひとりの人間として、患者さんと私との関わりの中にホスピスは存在する。そのホスピスという言葉の意味から考えますと、もともとラテン語の「ホスピティウム(hospitium)」から派生して、ホスピス(hospice)、ホスピタル(hospital)、そしてホスピタリティ(hospitality)、最近ちょっと流行になりましたけど、これはおわかりの通りに、「温かいもてなし」という意味があります。これはホスピスに限らずホスピタルもそうですよ。
 
杉浦:  病院も?
 
下稲葉:  はい。ですから、「温かいもてなし」というこの言葉をイメージすると、この言葉の持つニュアンスというのは、限りなく人格的な意味を持ちます。即ち「病気を温かくもてなす」とは言いませんでしょう。
 
杉浦:  そうですね。
 
下稲葉:  「人を温かくもてなす」これがホスピスの本来の、あるいは原点にある概念と言いますかね。ですからますます病気をもって、人生最後の日々を過ごす、その人自身のお世話をするということが、もの凄く大事なことになりますし、身体と心と、その人のもつ、極端にいうと、あらゆる痛みと言いますか、これに関わるのがホスピスケアだということになろうかと思います。
 
杉浦:  ホスピスでは、患者さん、人の心と身体の痛みを取ってあげるという、それは具体的にはどういうことをするんですか?
 
下稲葉:  そうですね。末期状態に置かれている方々は、大きく四つの痛みを持つと。
 
杉浦:  四つの痛み?
 
下稲葉:  はい。癌の痛みを、初めてする癌性疼痛(がんせいとうつう)(腫瘍細胞の浸潤により組織が損傷されたり、あるいは腫瘍に伴う種々の不快感に関連した苦痛全体を指す言葉である。がん患者の70%が痛みを経験するといわれる)ですね。
一番目が、身体的苦痛(痛み・他の身体的症状・日常生活動作の支障)
患者さんが、まず心配し恐れるのが、痛みをはじめとする身体のいろいろな苦痛です。当然のことですが、苦痛とは患者さんが痛いと感じて訴えるわけです。
二番目が、精神的苦痛(不安・いらだち・孤独感・恐れ・うつ状態・怒り)
患者さんは、健康時とは全く違った精神状態になられます。不安・いらだち・孤独感・恐れ・うつ状態・怒り。どれ一つをとっても健康時とは全く異質のもので、余人には測りがたいものがあります。
三番目が、社会的苦痛(仕事上の問題・経済上の問題・家庭内の問題・人間関係・遺産相続)
人間は決してひとりで生きていません。いろいろな人との関わりの中で生きている社会的存在といえます。ですからひとりの人が末期状態になると、途端にその人の持つ人間関係が激しく揺さぶられ、ほどなく壊れることになります。その関係の中でも最も基本的な関係は、夫婦・親子の家族関係です。その関係が激しく揺さぶられ、壊れようとしています。例えば男性の患者さんでありますと、しばしばその方は、ご主人であり、父親です。その側に奥さん、子どもたちがいます。その主人であり、父親である患者さんが、亡くなろうとしているということは、そのもっとも親しい人間関係、夫婦、親子、この関係が激しく揺すぶられてほどなく壊れようとしています、そういうふうな親しい人間関係を脅かされるという痛みです。ですから家族への援助がどうしても大切なこととなります。
四番目が、霊的な痛み(人生の意味への問い・価値体系の変化・苦しみの意味・罪の意識・死の恐怖・神の存在への追求・死生観に対する悩み)
自分の死に向き合うことに由来するたましいの痛みです。誰しもいずれは最期を迎えることは承知していますが、それはあくまで頭の中での理解であり、現実味がありません。しかし患者さんはまさかという戸惑いを経て、避けることのできない自分の死に向き合っているのです。「死の怖い」との思いがさまざまな形で表現されることになります。「死は医療の敗北という医療の考え方からすると、このような訴えをとても受け止めることにはなりません。しかし、もしホスピスで「死が怖い」との訴えを避けたり誤魔化したり拒否したりすれば、きわめて質の低いケアを提供することになりましょう。自分の死に向き合う「魂の痛み」ですね、あるいは向こうの言葉で「スピリチュアルペイン(spiritual pain)」と、こういうふうに言います。
私は今まで接した患者さん方から聞いてきた一つの大変特徴ある言葉がありますけど、それは「まさか」という言葉ですね。死というのは、ほとんどの場合に他人事なんですね。即ち「三人称の死」―彼、彼女。テレビとかラジオで「誰々さんが亡くなった」これ三人称の死ですね。「二人称の死」というのがあります。これはあなたの死ですから、親しい友人とかありますけど、最終的な二人称の死は、自分の父親であったり、自分の母親であったり、そして自分の伴侶であったり、これは二人称の死ですよ。そして「一人称の死」があります。私の死です。自分が何かの診断を受けて、質(たち)の悪い病気だということが判った時に、そっから先ず「まさか」ということが始まります。この世に生まれた一人の人間が経験する最大の最後のそれこそ極限状態だろうと思います。自分の死というものに向き合っている魂の怯えですから、これにもやはり私自身の三十数年間のホスピス関係の経験から言いますと、やはりスピリチュアルケアと言うんですが、この中に宗教的な援助、これが必要だと、私そう思っております。そういうふうに患者さん方との関わりを通して教えられてきました。
 
杉浦:  下稲葉さんがお持ちの信仰の力というのが、やはり支えになっていると。
 
下稲葉:  そうですね。これはやはり大きなものがあると思います。患者さん方からの言葉にしての質問というのは、ある日突然出てくるわけですね。しかしある日突然痛みが起こるわけではなくて、それまでズーッと心の中で葛藤し苦しみ、そしてそれを私たちから見ると突然言葉にされるわけですが、それはやはりこう受け止めると言いますか、耳を傾けて聞いて差し上げるという心の状態、心の備えというのがありませんと、そういうふうな「死ぬのが恐い」というふうな訴えに対して、医療従事者、それを受け止められないばかりか、ちょっと逃げるとか、ちょっと誤魔化すとか、ましてやその関わりを深めて、ほんとに心と心の通い合いですね、そういうふうなものを持ちながらサポートすると。支えていくと。あるいは一緒に痛みとか苦しみを共有すると。そういうことはちょっと不可能ですので、質の高いと言いますか、ほんとに患者さん家族が満足して頂けるようなケアはちょっと難しくなるのかなと思います。そういう意味で私がクリスチャンであるということは、一つの確かな土台になっていることは事実だろうと思います。
 

 
ナレーター:  ホスピスの根底にあるのは、死に直面している患者や家族の苦痛と不安を和らげるもてなしの心です。下稲葉さんが、ホスピス医として世話をした患者は、この三十年余りで七千人を超えます。医師としてだけでなく、信仰に生きる一人の人間として、人の命と向き合い続けてきました。中でも強く印象に残っているのが、高校生の若い女性のことだと言います。
 

 
下稲葉:  「死」という言葉をふんだんに使った十六歳の少女のことをちょっとご紹介したいと思うんですが、枝里子(えりこ)さんと言います。彼女、八歳の時に神経芽細胞腫(しんけいがさいぼうしゆ)というやはり癌なんですが、お腹にできまして、そして大学病院の方で、八歳と九歳の二年間にわたって三回開腹術、即ちお腹を開けて腫瘍を切除する手術を受けます。そしてその二年間にかなり強力な抗ガン剤の治療を受けます。本人はその後頑張りながら、多分時々休んだと思うんですけども、小学校、中学校通学するんですが、十六歳になって、腰の痛みを訴えるんです。検査の結果、再発です。その再発はやはり時と共に進みまして、腰の痛みも強くなるということで、ご両親が相談に来られまして、私たちのホスピス病棟に入院ということになりました。入院した早々に一つの課題がクローズアップ(Close-up)されてまいりまして、どういうことかと言いますと、彼女は神経芽細胞腫という癌になったということは百も承知でした。ところがあの厳しい二年間にわたる治療で、病気は癒えたと、治ったと、そういうふうに思っていたんです。ですから患者が入院してきたというのは、腰の痛みがあるから入院してきている。腰の痛みの治療が終わったら退院できると思っています。ところが前の先生からのお手紙とか、私たちの判断によると、余命数ヶ月かなと。即ちここに大きなギャップ―ずれがあるわけですね。そのギャップのある患者さんを、私たちはこれからお世話していかなければならない。彼女が自分の病状を正確に認識しないまま、彼女とこう関わっていく。だんだん病状は進行する。治る筈の腰の痛みが治らない。そういうふうなことでは、とても信頼関係にまで至りません。ご両親に、今のような事情を説明しまして、「少なくともある程度のことは本人に説明する必要があると思います」と。そうしたら、ご両親は、「先生よろしくお願い致します、お任せします」ということでした。私、それまでにもたくさんの方々に病状を説明してきました。一般に「告知」と言われていますね。ですから変な言い方ですけど、慣れていました。しかし相手が十六歳という年齢を考えた時に、やはりかなり緊張しまして、今でもよく覚えていますけど、自分の部屋で手を合わせて、神さまに祈りました。「神さま、どうぞ私が、落ち着いて彼女の話を聞きながら説明ができるように、先ず私を調えてください。そして彼女の心に慰めと支えをあげてください」と、そう祈ってお部屋へ出掛けたことを覚えています。部屋には彼女が居て、そのすぐ傍にお母さんが寄り添っておられました。私は、一人ナースを伴いまして、いつものように、「枝里(えり)ちゃん、神経芽細胞腫で治療したんだけど、腫瘍が・・・」そこまで話した時に、彼女はピンときたんですね―今でもその瞬間というのを彷彿と思い起こされるんですけど―途端に身体がガタガタガタガタと震わせながら、「先生、再発したの?この病気で死ぬの?怖い!怖い!」と号泣です。まあそれまでも、病状説明に何十回何百回となくやってきた私ですけど、その彼女の姿を見て説明続けなければいけません。しばらく肩をさすりながら、彼女が落ち着くのを待ちました。「枝里ちゃん、残念だけど再発した。今から手術はできない。抗ガン剤治療も無理なんだけど」と言いました。こういうふうな説明というのは、普通の説明で一時間前後掛けます。私もじっくり腰据えて説明しながら、質問を受けながら、また彼女の様子を見ながら、表現をこう考えながら説明していくんですけど、彼女の場合は、一時間ちょっとかかりましたね。一応私としては、「再発をしたと。治療方法は残念ながらない」ということを説明したわけです。ところがそれを聞いた彼女は、もうそれこそ次の瞬間からですけど、部屋に行く度に、「先生、治るの?治らないの?・ 死ぬの?死なないの?・また復学できるの?できないの?」と、矢のような質問が飛んできます。聞かれた私たちとしては、死ぬということは言い難い。さりとて死なないとも言えない。死なないというのは、これ嘘をつくことですからできない。ですから彼女を満足させるような答えになっていないわけです。やがて「誰も死なないと言ってくれない。嘘でもいいから死なないと言ってね」と。ほんとに切なかったですね、それを聞く私たちとしては。何か彼女と会う度に、私たちがだんだん追い詰められていくような、そんな感じでした。まあそういうふうな時期がそれこそ三週間か四週間ぐらいありましたでしょう。
 
杉浦:  どうなさったんですか?
 
下稲葉:  そうですね。その頃、ですから毎日のように彼女のことで、私たちスタッフ集まって、ミーティングをしましたね。どういうふうに対応すべきか。先ず最初に二つの原則を確認しました。「絶対に嘘を付かない」。もう一つは、「できるだけ真実に接する」。そして私たちが相談して至った結論は、結論を持って彼女のところに行きました。「枝里ちゃん、残念だけど、死なないとは言えない」と言いました。これ担当医としては、辛い言葉です。「死なないとは言えない」と、そしてその時に、「でも枝里ちゃん、あなたに死んでほしくない」と言いました。そうですね、それから二、三週間経ったでしょうか。いつものようにお部屋に行ってお話をしている時に、ちょっと間が開きまして、彼女がちょっと俯き加減に、「先生、死ぬんだったら・・・」と―こんな表現は初めてだったんですね、「死ぬんだったら」という言葉を本人が使ったのは。「死ぬんだったらその前に一つしたいことがある」と。俯き加減に、「死ぬ前に一度ウエディングドレスを着たい」と。それを聞いて、早速ご両親と相談致しました。
 
ナレーター:  枝里子さんの願いだったウエディングドレス姿の写真。枝里子さんの叔母が営む美容室に出向いて撮影されました。
 
下稲葉:  自分の病室に数枚こう貼ってありました。病室に入る度毎に目に付きます。それを見る度に、私は思ったことですけど、この写真を送ったからと言って、死ぬということではないと。死んでほしくない、その気持ちは強いものがありました。しかしひょっとして死ぬのかも知れないと。そうしたら、ということでできあがった写真。それからも彼女ともいろいろな関わりがあったんですが、私にとって彼女と、かなりいろんな話をした間柄になるんですけれども、しかし枝里ちゃんの死を前提にした会話、例えば、「枝里ちゃん、あなたが死んでも」とか、「死んだら」とか、そういうふうな死を一人称の死として、枝里ちゃんと会話を交わすということに、私として大きな躊躇がありました。ところがある日病室に行っている時に、お母さんが、彼女を前にして私に、「先生、この子が小学校二年生のとき聖書を読んだことがあって」とおっしゃったんです。「あぁ、枝里ちゃん、聖書を読んだことがあったか」と。何かこれは天井を突き抜けて、天から一条の光明が私に注いだような思いになったことを思い出します。それからですね、「枝里ちゃん、賛美歌歌っていいかな?」と言って、私が歌いますと、
 
杉浦:  どのような賛美歌を歌われたんでしょうか?
 
下稲葉:  「忘れないで」という賛美歌です。
 
忘れないで
いつもイエスさまは
きみのことを
みつめている
だからいつも
絶やさないで
胸の中の
ほほえみを
 
歌い終えましたら、「先生、素敵!素敵な賛美歌、もう一回歌って!」またもう一回歌いましたよ。そうこうするうちに一緒に歌うようになりまして、そしてだんだん私も聖書の話とか、イエスの話ができるようになりました。「枝里ちゃん、寂しいよね。時には不安になったり、恐くなったりするよね。こっちからイエスさまは見えないけど、イエスさまはいつも枝里ちゃんを見つめている。だから恐がったり不安だったりした時には、枝里ちゃんね、怖いときは怖いでいいんだよ。イエスさま、今を生きておられる方だから、イエスさまにおすがりすれば必ずイエスさまは、あなたが死んでも天国に迎えてくださる」こんな話ができるようになったんです。即ち「枝里ちゃんが、死んでも」という言葉を使ったような表現が話しできるようになりました。私にとって今まで一つの壁だったんです、この死という言葉を使うことが。それが何かこう崩れましてね、彼女とのコミュニケーションの壁がほとんどなくなった。そんな感じになりますね。私自身がそうでしたから。
 
杉浦:  イエスさまがいつも自分を見守ってくださっている、と思うことで、「自分が死んでも」って考えられるように。
 
下稲葉:  「死んでも」という心の思いを言葉に表しましたから、それがもう枷(かせ)にならなくなった。解けたと言いますかね、解放されたという、そんな気持ちになったんだと思います。それからのちの彼女の身辺といいますか、表情とか振る舞いとか、そういうものが徐々にいわゆる落ち着き、穏やかになっていきましたから。そして十七歳の誕生日を金曜日に迎えたその週の月曜日に彼女は生涯を終えて天に召されました。ほんとに彼女の短い人生でしたけど、その十七年間の人生の店じまいと言いますか、それとその新しいいのちへの旅立ちと言いますか、そういうふうな心の備え、これがその最後の段階として調ったんじゃないかなと。
 
杉浦:  イエスさまとの出会いによって、
 
下稲葉:  そうですね。私が使った言葉は、「イエスにおすがりすれば」すがりつくことしかできませんから、それをしっかりイエスさまが受け止めてくださったと。たくさん患者さん方のお世話してきた中で、今枝里ちゃんをご紹介したんですけど、それはやはり患者さんの中で共通する最大のテーマは死のテーマです。どんなに症状を上手くコントロールして―これ必要なんですけど、十分条件ではないです。日々一刻一刻と死を迎えつつあるという事実は変わらないです。ですから私自身ホスピスケアの最終的な目標と言いますか、最終的に私たちが念頭に置くべきことは、聖書の中に書いてある「最大の敵である死」という言葉が出てきます。ホスピス患者さんの場合は、それが自分の死という現実になっています。そして表現はいろいろですけれども、程度の差こそあれ、みなさん、怯えた状況ですね。だから私自身三十数年間、どうにかしてこの死ということに対して、正直に向き合いたいと。患者さんも向き合うことのできる、家族も向き合うことのできるお手伝いをできればと、そういうふうに思いを持ってやってまいりました。
 

 
ナレーター:  下稲葉さんは、一九三八年(昭和十三年)、鹿児島県で生まれました。小さい時から音楽の好きな少年だったと言います。医師を志すようになったのは、高校三年生の時、十歳年上の姉がリュウマチの痛みに苦しむ姿がきっかけでした。一九五七年(昭和三二年)九州大学医学部に進学した下稲葉さんに、キリスト教との出会いが訪れます。当時大学でドイツ語の講師を務めていたヨハネス・ルスコーさん。ルスコーさんは、キリスト教の伝道のため日本にやって来ていた宣教師でした。授業中に聖書やキリストの話をするルスコーさんに、下稲葉さんは当初憤りや反発を感じたと言います。しかし熱心にドイツ語を教えるだけでなく、キリストの話も精力的に行うルスコーさんの姿に、自分にはない何かを感じるようになりました。
 

 
下稲葉:  〈何が彼を動かしているんだろうな〉と思うようになったんですね。私たちが何かする時には、動機がありますよ。それは何だろうと思うようになったんですね。これだけの犠牲を払い、努力し、苦労していると。それが知りたいと思うようになったんです。そして四、五回講義が終わった週二回の授業だったんですけど、ルスコーさんが部屋から出て行く後を、私追い掛けて行きまして、「先生、先生が持っておられるものが欲しいですけど」と。これがまあ求道の告白と言いますか、私がクリスチャンになりたいという告白のスタートでしたね。いろんな経緯がありましたけど、大学二年生の終わる頃、私、今考えたらほんとに素朴な、よちよち歩きのクリスチャンでしたけど、その後のクリスチャンとしての第一歩を踏み出しましたね。即ち神さまが存在しておられる。その神さまは人格を持ったお方で、この私を愛してくださっている。そしてイエスキリストを遣わしてくださった。神さまがどんなお方で、私をどんなに愛してくださっているか。そういうことをお示しくださった。ありがとうございます、という、そういうふうな信仰ですね。
 

 
ナレーター:  大学を卒業した下稲葉さんは、医師の道を歩み始めます。一九六五年(昭和四○年)には、当時の西ドイツのボン大学へ留学しました。帰国後、病院の勤務医をしながら、福岡市内でキリスト教の伝道にも取り組みます。一九六八年(昭和四三年)四月、下稲葉さんは、牧師の資格を得て教会を立ち上げます。牧師と医師、二つの仕事で忙しい日々を送る中で、心の充実を感じていたと言います。そして一九八○年(昭和五五年)、下稲葉さんの人生を決める出来事が起きます。当時経営難に陥っていた病院の再建が、下稲葉さんを含む三人のクリスチャンの医師に託されたのです。下稲葉さんは、病院再建の一つの柱に、重い病のために死に向き合っている人たちの身体と心をケアするホスピスを据えることにしました。
 

 
下稲葉:  キリスト信仰に基づいた医療。全人的な医療を行うとすれば、それはその延長線上に当然ホスピスもあっていいよな、と。しかし今から三十四年前ですよ。まだ「ホスピス」の「ホ」の字も、一般的ではないですよ。だから私たちの考えているホスピス像というものも、今考えるとちょっと幼稚なものだったかなと。ただ三人クリスチャンでしたから、「からだと心を診る医療、そして幸せと生きがいに尽くす医療」。身体だけではないと。「心」という言葉を使っていますけど、それは終始一貫していましたし、それが患者さん家族の「ありがとう」とか、「ほんとに良かった」とか、そういうふうな言葉になって返ってくる。そういうふうな医療ですね。患者さんは亡くなるけど、しかしそれは悲しみ死別の中にも慰めがある。そういうふうな医療ですね。ということで、ホスピスというのは自然に湧き上がってきたということになります。
 
杉浦:  患者さんが家族の慰めになるホスピスのありようって、キリスト信仰というものが土台になっているものと考えていいんですよね。
 
下稲葉:  そうですね。動かない土台ですね。
 
杉浦:  死の恐怖に苛まれている患者さんに、どんな姿勢で向き合っていらっしゃるんでしょうか?
 
下稲葉:  そうですね。これは経験的に教えられたことですけど、先ず言えることは、患者さんは私の先輩だな、と。例えば、私は癌になった経験がない。抗ガン剤とか放射線治療を受けた経験もない。末期状態を経験したことがない。あ、もう死ぬかも知れないな、という状況を経験したことがないです。後輩が先輩を理解するということは、かなり困難です。ましてや理解するのが困難であれば、援助するのはもっと困難ですよ。私はホスピスに関わって一年半ぐらいして、この壁にぶつかったんです。果たして後輩である私が、先輩である患者さんのお世話できるのか。できないんじゃないか、という壁にぶつかりました。簡単に解決されませんでした。今でも背負っています。ですから、私、回診の時なんかに、よく聞くことは、それは、「今どんなお気持ちですか?」と。例えば、「今日どんな具合ですか?」と聞くと、「そうですね、まあ良かったり悪かったりですよ」とおっしゃいますから、「あ、そうですか」で終わっちゃうと、そこで終わるんですね。「そうですか。じゃその悪い時というふうなのは、どんなお気持ちですかね?」と、これお聞きしなければわからないです。最近患者さん方、ほとんど自分の病状をご存知ですから。そうすると、ある患者さんが、「先生もう諦めの心境ですね」とおっしゃるんですよ。「あぁ、そうですか。しかし諦めると言っても、人間そんなに簡単に死の問題をあきらめるということを、できないと思うんですけど。諦めるということに至るまで、いろんな経験があり、時間もかけられたでしょう」。お聞きすると、「そうですね」というようなことでポツリポツリと話してくださるんですよ。向こうが先生ですね。ですから、当然私は、そういうことで「傾聴」と言いますけど、「ほんとにお聴きする、心を寄せる」ということが、患者さんに接する第一のポイントですね。二つ目は、「どうにかして少しでも患者さんのお気持ちを共有したい」という、私たちの姿勢です。それは先ほどホスピタリティ、ホスピス、温かいもてなし。どうにかして温かくもてなししたい。少しでもお役に立ちたい。そういうふうな姿勢、あるいはハートを私たちがもって患者さんに関わると、患者さんもそうですね、やっぱり感じてくれるんですよね。そしてそれを表現してくれる。そういう時に初めて気持ちがわかりますから、それを私たち共有させて頂ける。仮にそれに応えることができなくても、しかしそれでいいんですよね。何も全部正解を患者さん期待していませんから。だからそういうふうな少しでも患者さんの痛み苦しみを共有させてほしいという私たちの姿勢と言いますか、それがその次かなと、そう思いますね。
 

 
下稲葉:  今日の調子はどうですか?
 
患者:  今日はわりかし良いです。
 
下稲葉:  わりかし良い。ちょっとどこか悪い時には?
 
患者:  腰がちょっと痛いです。
 
下稲葉:  悪い時には腰が痛い?
 
患者:  そういう意味ではほんといろいろです。
 
ナレーター:  ホスピスに取り組んで三十年あまり。下稲葉さんにとっては、患者や家族から多くのものを受け取る日々でもあったと言います。
 

 
下稲葉:  ほんとに凄いですね。財産を残してくださったなと思っています。即ちどういうことかというと、私が何かをお世話して差し上げたということもあると思うんです。しかしそれ以上に、私が、患者さん家族から頂いた、そう目に見えない財産というのは、これは言葉で尽くしがたいですね。教科書を読んでも、教科書から習えない。そこにいる生身の患者さんが、一度限りの人生を終えようとしている。これも教えられることですけども、命よりも大切なものがあるということを見出されたんだと思います。これも一人の患者さんで、わずか十二日目に亡くなられるんですよ。
 
杉浦:  入院されてから?
 
下稲葉:  はい。しかし日毎に穏やかになられたというよりも、何か輝いてこられたんですね。お腹は胃癌術後再発なんですけども、腫瘍コチコチなんです。だから水も一滴も飲めないんです。それこそ骨と皮ですよ。しかし表情だけが、その患者さんがなんとおっっしゃったかというと、信じられないでしょうけど、「先生、病気になってよかった」と。ニコニコした顔していますよ。病気というのは悩むことですよ。「先生、病気になって良かった!病気になったからこの病院に来れた。先生にも会えた。そしてイエスさまにも・・・」と満面に笑みをたたえながらおっしゃるんですよ。それを聞いた私の気持ちが、どんな気持ちになったか想像頂けますでしょう。ほんとに何か飛び上がらんばかりの、「ああ、僕が今まで生きてきたのは、ひょっとしてこの人に出会うためだったかも知れない」。そういうことを患者さんの関わりの中で教えられてきた三十三年間でした。
 
杉浦:  患者さんが亡くなられた後も、ご家族との交流がしばしば続いている場があると伺っているんですけども。
 
下稲葉:  そうですね。これは私たちの一つの大きな慰めですね。即ち普通だったら患者さんが亡くなると、その家族との関係も切れるのが普通です。しかし中にはボランティアに加わって頂いたり、この病院で聖書の話をいろいろ聞いたということで教会に行かれたり、そういうふうな形で関わりが続いている。そして一番私たちが感動するのは、亡くなった患者さんの身内の方が同じような病気になっていくケースがよくあるんですよ。主人が亡くなった。そして奥さんが入院して来られる。普通だったら主人が亡くなった病院、それのことをつぶさに知っている家族は、その病院に入院したくないのが普通じゃないでしょうかね。しかしやっぱりそこでほんとに大事にされて、自分の主人は良い最期を迎えたと。そういうふうなおもてなしを受けたということをお感じになっておられるんだと思うんですけど、それこそ「まさか私も」ということから始まるんでしょうが、そのご家族が「自分も病気になったら、あるいはなったからお世話になります」と言ってくださるのは、私たちのケアに対する一番の褒め言葉かなと、そう思っております。
 

 
ナレーター:  ホスピス病棟の一角に設けられた祈りのスペースです。下稲葉さんは、ここで行われる朝の祈りを大切にしています。
 

 
杉浦:  クリスチャンホスピス医として、患者さんや家族と関わって来られたこれまでの日々、下稲葉さんにとって、どういう意味を持っているんでしょうか?
 
下稲葉:  そうですね。私は、七十五歳になります。ほどなく六になります。私の人生にとって掛け替えのない日々でしたね。ですから「ホスピス医」という言葉を使いましたけども、クリスチャンホスピス医として、栄光病院のホスピス病棟で働かせて頂いたと。そしてそこで患者さん家族と関わりを持たせて頂いたというのは、私にとっては大きな宝物、財産ですね。もう一度人生をやり直すということはできませんけど、もう一回二十歳なり二十五歳になることができるとしたら、神さまに率直に「クリスチャンにしてください。医者にしてくださいと。そしてホスピス病棟で働かせてください」と、そういうふうにお願いすると思います。聖書に出てくるソロモンという人があるんですけど、神さまがソロモンに向かって、「私に何を願うか」とおっしゃるんですよ。「下稲葉康之、私に何を願うか」と、神さまがそうおっしゃれば、「クリスチャンホスピス医として、心込めて、熱意込めてお務めを果たす、そのような力を与えてください」というふうに、お願いしますでしょうね。それはですから、一つには神さまが支えてくださったということもありますけど、ホスピスという現場が、私にとっては癒やされる場でもあったんですよ。「病気になって良かったと。病気になったらこの病院に来られたし、先生にも会えた」と言われたらどうですか。あぁ天にも昇る思いになりませんか。そんな患者が一人、二人、三人じゃないですよ。ですから、私はここでホスピス病棟で人生を生きてきたなと思っています。単なる職場じゃなかったですね。即ち会社へ行って、給料貰って、生計を立てるという職場じゃなかったです。ほんとに掛け替えのない、私にとっても掛け替えのない時間であり一生ですよ。それを生きるその現場がホスピス病棟だったなと。これはもう実感ですね。ですからまあ悔いはありませんし、ほんとに本懐というか、そんな意味においては、七千数百名の患者も家族の方々一人一人に、「こちらこそありがとうございました」と、そういうふうな気持ちです。
 
杉浦:  今七十五歳でいらっしゃいますけれども、これからクリスチャンホスピス医として夢と言いますか、願いと言いますか、これからの思いを聞かせてください。
 
下稲葉:  そうですね。もう生きる私は神さまの御手のうちにありますから、明日死ぬのか、何年生きるのかわかりません。しかしながら、それこそあと何年どうこうではなくて、まあこれから残された時間、これを神さまのために、そして病める方々のためにお用いくださいと。ですからこれからの抱負として敢えて申し上げれば神さまに仕えるためにお役に立ちたいということに尽きますね。
 
     これは、平成二十六年九月十四日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである