わたしのお遍路みち
 
           四国霊場公認先達「歩き遍路の会」会長 山 下(やました)  正 樹(まさき)
           き き て              杉 浦  圭 子
 
ナレーター:  四国四県に跨がり、札所とも呼ばれる八十八の霊場を結ぶ巡礼の道。弘法大師(こうぼうだいし)空海ゆかりの霊場を辿るこの巡礼道は、平安時代に開かれたと伝えられ、巡礼する人たちは、「お遍路さん」と呼ばれます。お遍路の一人山下正樹さん、七十歳。これまでに八十八の霊場をすべて巡る結願を十回果たし、お遍路の指導者の役割を担う先達(せんだち)にもなっています。山下さんがお遍路さんを始めたのは、今から十二年前の平成十四年、それ以来すべての行程を歩いて巡る「歩き遍路」を続けています。
 

 
杉浦:  四国八十八の札所を一巡りすると、大体千二百キロぐらいあるそうですね。
 
山下:  そうですね。歩くと大体千二百キロになりますかね。
杉浦:  大変な距離を山下さんは乗り物に頼らず自分の足だけで歩いていらっしゃる。
 
山下:  そうですね。歩く醍醐味もありますしね。まあ実際に四国に来ると、けっこう第一歩がなかなか踏ん切りがつかんのですね。「大変やろう」とか「しんどいやろう」とか、基本的に最初の一歩を踏み出さない限りは何も始まらない。そんな中で逆に苦労して千二百キロ、私は今ゆっくり回ります。大体五十日かかります。毎日我慢の連続でもありますけども、でもその先にはやっぱり最後結願した時の大っきな喜びがあるんですね。これがあるから多分続けられると思いますね。
 
杉浦:  山の中の静かな土の道を歩く時、御大師さんの存在を感じることもありますか?
 
山下:  ありますね、それは。途中でしんどいから止めようと思ったこと何回もありますね。でもその時にフッとどっかから御大師さんの声で、「もうちょっと頑張ったらお寺に着くで」とか、「慌てんでいいよ」とか、やっぱりどっか声が聞こえるんです。それはフッと振り返っても誰もいない。どっかでやっぱり御大師さんの声が届いておるんやな、と。それもやっぱり頑張っているからやと思うんです、一生懸命ね。努力している人は、やっぱり決して御大師さんは見捨てないなという、自分ではいつもそう思っています。
 

 
ナレーター:  歩き遍路では、ひたすら歩くことで常に自分自身と向き合うことになります。それは人生そのものに通じると、山下さんは考えています。今回の「こころの時代」は、歩き遍路で何が見えてきたのか。お遍路を続けて十年あまりの山下正樹さんに聞きます。
 

 
杉浦:  一生に一度お遍路の旅に出たいと思っている方、全国に多いと思うんですけれども、山下さんはどうしてお遍路を続けていらっしゃるんでしょうか?
 
山下:  そうですね。一番の目的は、多分私にとってその遍路文化に触れられるというのが一番嬉しいですね。
 
杉浦:  お遍路文化に触れられる?
山下:  はい。これは地域の方々が支えていっていられる文化ですね。お遍路の世界というのは、札所に、要するに何番札所という札所寺院と、お寺とお寺の間を結び遍路道、その遍路道を支えている地域の方、そこを歩くお遍路さん、この四つの要素で成り立っているんですね。その中で多分一番大きなのは、地域の方々がお遍路さんを支える「お接待」という文化を引き継いでおられます。これが千二百キロの、厳しい約五十日かかる遍路道を苦労しながら歩くお遍路さんを支えている一番大きな要素だと、私は思っております。
 
杉浦:  「お接待」って、どういうものですか? 会社の接待とは違いますよね。
 
山下:  そうなんですね。実は私も昔は銀行におりましたんでね、バブルの最盛期は接待が仕事みたいなものでした、正直のところ。ところが四国に来ると、「お接待」―一文字の「お」が付くだけで、まったく中身が違うんですね。「接待」というのは、正直にいうとビジネスの一応範囲内ですね。当然下心があって、相手になんとかウンと言わそうと思って接待をするわけですし、それを受けたりするんですけども、「お接待」となると、今度は無償の行為なんですね。例えばお茶を一杯差し上げる。「お遍路さん、元気で歩いてよ」という励ましの声をかける。私は十回ほど回っていますと、馴染みの地域の方がたくさんいらっしゃって、例えば「泊まっていきなさい」とか、もの凄いやっぱりもののやりとりではあるけど、そこに心が込められているんですね、地域の方の。これが多分お遍路さんを支えている大きな要因だと思います。
 
杉浦:  「泊まっていきなさい」と言って、それはいわゆる民宿とか旅館ではなくて、
 
山下:  普通のお家の方です。
 
杉浦:  へえっ!
 
山下:  これは多分我々都会に住んでいる者にとっては信じられないですね。まったく見ず知らずの何者かわからん人を―お遍路さんというこのきちんとしたスタイルで歩いていると、百パーセント信用されるんです。これが多分文化やと思うんですね。四国にやはり霊場がある。それを巡る人がいる。そこをやっぱり支えるという温かい心やと思うんです。それによって、例えば一番多いのは、自分のお爺ちゃんがお接待をするとか、お爺ちゃんは自分のまたお爺ちゃんがお接待する。ずっと綿々と引き継がれているんですね。
 
杉浦:  先代を見倣ってという、
 
山下:  今生きておられる方もほとんどの方がそうおっしゃいます。自分の親もお遍路さんを接待しておったから。これがもう生活の一部になっているんですね。それは私たちの普段の生活では考えられないことが、四国では普通に行われている。これは凄い文化やと思いますね。やっぱりお菓子にしろ、お茶にしろ、まあ休憩させて頂くにしろ、ものだけではなくて、心がやっぱり一緒に接待というところについてきた。凄いなと思いますね。自分ができるかと言ったら、多分できんですね。
 
杉浦:  これまでお遍路の旅を始められてから十二年ぐらい経っていますか?
 
山下:  そうですね。
 
杉浦:  その間にさまざまな方々と出会ってお接待を受けられたと思うんですけれども、とりわけ心に残っているものって?
 
山下:  そうですね。私は、十二年前の夏に初めてお遍路しました。十日間は梅雨の大雨の中です。十日過ぎに梅雨が明けましたかね、今度はカンカン照りですよ。
 
杉浦:  暑い中を歩かれた、
 
山下:  もう暑いなんていうもんじゃないです、ほんとに。特にその中で高知県を歩いていた時に焼坂(やきさか)峠という峠―高低差二百メートルぐらいの峠を上がって、そこから下りて、今度は次のそえみみずという遍路道をまた上がって行くんですね。そこは高低差四百メートルぐらいでしょうか、約四キロ。最初の焼坂峠へ上がった時、もう持っているペットボトルの水みな飲み尽くしてしまうんですね、暑くて。これはえいことっちゃなと思って、下って行って、次のそえみみずの遍路道を上がる時に、農家のお婆ちゃんが、「遍路さん!」私を呼んでいるんですね。この時はなんか地獄に仏かと思いました。もう飲みものがなくて、死にそうなぐらい喉が渇いているんですね。そのお婆ちゃんのところでお水を分けて貰おうと。ところが行くと同時にお婆ちゃん用意して待っているんですよ、お水を。美味しかったですね、この一杯の水が。ほんとに普通の水やと思うんですがね、なんとも一気に飲み干したら、今度はお婆さんに怒られるわけですね。「急に飲んだら身体に悪い」と言って。でも飲み干してしまっているんで、お婆ちゃんがすぐまた家へ帰って、次のお水を持って来てくれました。
 
杉浦:  その家からわざわざお遍路道までお水を持って来ておられたんですか?
 
山下:  そうなんですよ。ほんとに地獄に仏と思いましたね。
 
杉浦:  じゃ山越えをする大変さを、お婆さんはわかっておられるんですね。
 
山下:  はい。その時お婆ちゃん確か八十ですね。以後毎年行く度に、私はお婆ちゃんの顔を見るのが楽しみなんですね。あのお婆ちゃん元気にしておるかなというて、その辺に来たら必ず寄ります。その時実は私、お婆ちゃんにこれ最初に頂いた賽銭袋なんです。「これを持って行きなさい」というて。
 
杉浦:  手作りですか?
 
山下:  手作りですね。
 
杉浦:  可愛らしいですね。
山下:  そうなんですね。この中になんとビックリしたのは、五円玉が入っている。「ご縁がありますように」と、お婆ちゃんの心ですね。
 
杉浦:  しかもリボンが結んでありますね。
 
山下:  そうなんです。お婆ちゃんは、このお遍路さんとこういう出会いを楽しまれて、当然全国のいろんな方がお礼のお手紙を差し上げます。今度はその手紙を読むのが楽しみなんです、お婆ちゃん。今年確か九十二で、ちょっと体調こわしておられると聞いておりますけども、今私、十一回目の遍路していますので、お婆ちゃんのところへお見舞いに寄って来ようかと思っているんですがね。そういう人対人というのが歩き遍路の場合は、遍路道の中にそういう繋がりができるんですね。いつもこれが四国では、「お接待」として普通に行われている。この文化は素晴らしいですね。こういうお接待をズッと頂きながら、お遍路さんが回って行くと、人の優しさがほんとに身に沁みてくるんですね。結願(けちがん)した時は、ほんとボロボロ泣きましたよ、最初は。自分もよく頑張ったけど、いろんな方の支えがあって最後まで歩けた。「おかげさまで」という言葉を、初めてほんものの意味で感じましたね。よく我々「おかげさまで」という、挨拶代わりにするじゃないですか。この「おかげさまで」という言葉はほんとに感じましたね。
 
杉浦:  なんか伺っていますと、遍路さんも接待する側も支え支えられて、お互いに支え合っている感じがしますね。
 
山下:  そうですね。だからどちらが欠けてもこの文化は成り立たない。お遍路は私の心の拠り所ですね。非常に生きがいを感じます。このお遍路に絡むいろんな活動の中で、やはりお遍路することによって、私も新しい自分を発見できましたので。
 

 
ナレーター:  八十八ヶ所の霊場を結ぶ遍路道は、四国をぐるりと一周し、道程(みちのり)はおよそ千二百キロにも及びます。遍路道を歩くことは、自然の営みや人々の暮らしの息づかいを肌で感じることでもあるのです。
 

 
杉浦:  良いですね。山の中、
 
山下:  そうですね。これずっと約六キロ歩いて、ここ山道を歩いて下りてきておりますんですね。ここからまた街の中を歩きます。これを歩き出すと多分止められんですね。
 
杉浦:  止めれない?
 
山下:  はい。車で行く情報量と、歩いて行って目に自分の五官で感じる情報全然違う。例えば車でこの道を走ったとしたら、花が咲いているなんて気が付かんですよね。鳥が鳴いているなんてまったく気が付きませんけど、ほんとに自然の中を歩くというのは、それは最高の私は有り難い時間やなと思うんですよ。
 
杉浦:  カラスが鳴いていますし、赤とんぼも飛んでいますよね。
 
山下:  そうですね。秋がやっぱり一番いいでしょかね。歩きやすい。ただ日がちょっと短くなります。四時ぐらいにはこういう峠道には絶対入りません。万が一迷うこともありますんで。慣れていても考え事しておったら間違う時あります。でもどっかでパッと気が付くんですね。「あれ? なんか普段と違うな」と思うとやっぱり間違えていますね。
 
杉浦:  だからそういう恐さも歩きことには付いてまわりますよね。
山下:  そうなんです。特にお遍路の場合は傷害は自己責任です。止めるのも自由やし、無理して行くのも自分が判断せないかんですね。でもその判断が、地元の人、他の人に迷惑掛けるようじゃ一番いかんのですね。そこのところは最近の人は、間違える人が多いんで、何かあったら、その代わり全部自分で責任を持つというつもりがないと歩くのはしんどいですね。
 
杉浦:  千二百キロも歩いていらっしゃって、しんどくないですか?
 
山下:  しんどいです、正直いうて。
 
杉浦:  山下さんでもしんどい?
 
山下:  でも、しんどさを我慢して、最後まで行ったら、今度は喜びが倍になるんですね。途中はそれは山道とか、国道を歩く時なんかしんどい時があります。でもやっぱり我慢して行くことを覚えてくると、今度は楽しみが見えてくる。これはやっぱりやった人じゃないとわからんですね、この充実感というのは。
 

 
ナレーター:  歩く喜びを知る。その喜びを噛みしめながら歩く。普段の暮らしでは味わえない心の高まりが、山下さんを四国に向かわせているのです。
山下さんは、昭和十九年に広島県の呉市で生まれました。高校を卒業すると、大手都市銀行に就職。支店長を目指して日々仕事に励んでいましたが、大きな転機が訪れたのは、四十五歳の時でした。関連会社への出向を命じられたのです。出世の道から外されたという失望感と、慣れない職場でのストレスが重なってか、五十歳の時尿管結石を患い、一ヶ月の入院生活を余儀なくされました。この時「歩き遍路」のことを知ったのです。
 

 
山下:  それまでほとんど風も引くことなく、健康優良児で育った男が、一ヶ月も入院させられた時は、もう人生これで終わりかと思いましたね。手術が終わって個室に来た時には、もうベッドに括り付けられたような状態で、いろんなところへ管が出て、三日間まったく動けない状態でしたね。多分私このまま病院で一生終わるんかなという、もの凄い不安になったのを覚えています。まあ少しずつ体調がよくなった時に、いろんな本を家内が持って来てくれまして、その中に実は「歩き遍路」の体験談の本が入っていたんです。
 
杉浦:  たまたまですか? リクエストされたんですか?
 
山下:  たまたま。「いろんな本読みたいから」と言ったら、あるものをみな買ってきたりしてくれたんですけどね。その中の一冊に、「歩き遍路」という体験の本があったんです。それをずっと読んでいくうちに、勿論歩くのは大変やと。千二百キロも歩いた人の体験記ですから、良いことばっかりではないわけですよ。失敗したり、道に迷ったり、夜遅くなって宿に着いたりとか、あらゆる苦労と、その分やっぱり「歩いて良かった」という結びになるわけですね。「諦めずに頑張って良かった」。その本を読んだ時に、「あ、私もこのまんま多分ダラダラ生きるよりは、何かやっぱり新しい自分を探さないかん」ということを病院のベッドでズッと考えましてね。
 
杉浦:  じゃ、本を読まれた時に、自分も歩き遍路をしてみたいと思われたんですか?
 
山下:  強く思いましたね。それはやっぱり自分の生き方を自分で探さないと、グズグズしておっても人生は自分のもんですから、そういうのがようやくわかってきましてね。もう一つその時に考えたのは、銀行の出世ですから外れるわけですけども、それを人のせいにします―あの上司が何で認めてくれんのやとか、恨み辛みがズッと続くわけです。でも実際その本を読んだり、病院のベッドでいろいろ考えた時に、結果的に自分に実力がなかったということですよね。その支店長になれる力がなかったから外れていく。それがその病院のベッドの上でようやくわかりましてね。それまでは人を恨んでばっかりしておりました。新しい世界がやっぱり、その代わり踏み出すには勇気が要ります。一歩目を出せるかどうかですよね。
 

 
ナレーター:  平成十四年六月、山下さんは、五十七歳で会社を早期退職し、念願だったお遍路の旅に出ました。この初めてのお遍路で、これまでの会社や仕事を中心とした生き方とは違う、新しい人生の価値が見つかったと言います。
 

 
杉浦:  四十五歳でそういう出向という苦しい立場に立って、そこから歩き遍路に出るまで十二年かかったわけですね。やはり非常に精神的にはなんか張り合いがなかったんです、先ず。目標がまあ急になくなったような状態でしたから。仕事は勿論ちゃんとしておりましたけども、やはりそれまでのような張り切り方が違うわけですね。で、このままではいかんという、ずっと思い続け、五十七歳初めての遍路になって、帰って来た時に、やっぱりもっと自分を生かせるところがある筈や。生かせるというのは、納得した仕事できる。地位とか名誉じゃなしに、あるいは社会に貢献するというのも大事やし、一番大事なのはやっぱり会社人間というのは、会社におる時は当然仕事はするわけですけども、非常に視野が狭いわけですよね。自分の目の前の仕事をこなすことで汲々(きゆうきゆう)しています。ところが社会人間という、まったく違った人間になろうとしたら、お互い平等の考え方が要るわけです。そこを一番強く感じましたね。それは各地のお接待して頂いたみなさんの温かい心が、私にそういうふうに感じさせたんやと思うんですけどね。
 
杉浦:  じゃ、会社人間から社会人間に変わることができた。
 
山下:  そうですね。意識も変わることができましたね、その時に。
 
杉浦:  実際に出られたらどんな旅でしたか?
 
山下:  甘くはなかったですね。本人はやっぱり良いことばかり考えて、イメージは良いことばっかり考えるわけですね、本を読む時に。でも当然初めてですから道に迷うし、いろんなトラブルもあったし、足が痛くなったりとか、その時に出会った地域の方々のとても温かい励ましの言葉とか、お接待とか、そういうもので、やっぱり自分はほんとに生きているじゃない、いろんな方のお世話で生かされているんだ、というのを、ほんとに実感するわけですね。それが一番自分にとって大きな収穫でしたね。そして最後に八十八番札所大窪寺(おおくぼじ)でまあ結願のお経を読むわけですけども、勿論涙も出たけども、一番思ったのは、もうこれで遍路道を歩かなくていいと、正直なところ。でも宿に帰って―その近くの民宿に泊まって、朝起きると、今度は歩けないという寂しさが出てくるんです。ああ、これは不思議な気持ちでしたね。昨日まで歩かんでいいんやと思って安心しきるわけですね。夜が明けたら、えっ! もう歩かれんのやと思うわけですね。これはやっぱり何かを感じ取ったと思うんですね。身体は疲れ切っておるけど、心はもっと別のところで、「もっと頑張れ」とこういうているわけですね。まさにこういうのを「お四国病(しこくびよう)」と言いましてね。
 
杉浦:  「おしこくびょう」?
 
山下:  お遍路の魅力に取り憑かれた人の病気が、「お四国病」という。
 
杉浦:  病ですか?
 
山下:  病なんです。ところがこの病に効く薬がないんですよ。どんな学者が研究しても薬ができあがらない。治すにはまたお遍路に来るしかない。だからお遍路に、次に行く時のことを、「お四国病院に入院する」という言い方をしています。心がやっぱり落ち着くんですね。それがいろんな感動を受けているから。私の場合は、新しい自分を発見できました。やっぱりお遍路というのは、ある意味でいろいろ心の疲れている人とか、行き先で自分の人生を悩んでいる人とか、いろんな方が回っています。でも自分を取り戻す、私は良い機会だと思う。約四十日から五十日歩くわけですから、頭の中は完全にクリアになりますわ。小さなこと、どうでもよくなる、小さな悩みなんかは。で、一歩離れて、自分を見つめることができるんですね。その根底は自分の足で歩くしか解決しない。一生懸命歩いていると、いろんな方の応援・お接待・お寺さんの応援とか、基本は自分が一生懸命歩くということなんです。楽をして回る方法はいくらでもあります。車で廻る。勿論それもお遍路です。事情があって歩けない人もいらっしゃるし、バスで行く人もいらっしゃる。これも遍路。遍路はいろんな形あります。でもやっぱり歩いて自分で苦労して、その遍路道と遍路道の間で出会う地域の方、この人たちとの接点・繋がり、これが私は一番大きな魅力だと思いますね。
 
杉浦:  「生かされている」っておっしゃいましたけれども、誰によって生かされているんですか?
 
山下:  それは最後は、頑張る自分がある、先ず。それに地元の人が優しい心で応援してくれる。この心のやりとりだと思うんですね。基本はやっぱり自分が先ず目一杯努力する。その中に思いやりとか、お接待とか、心が他の方の温かい心が入ってくる。こういうのを繰り返すうちに、どなたでも多分そういう気持ちになると思います。
 
杉浦:  生きているんではなく、生かされている。
 
山下:  はい。「生かされている」と感じた時は、多分自分も何かでお返しせねばいかん。ものではなくて、心で。だから私は、できることで世の中にお返ししようと思っています。
 

 
ナレーター:  最初のお遍路を、三十六日間かけて結願した山下さんは、高知県にある島で環境保全と地域振興に携わるNPOの事務局長を務めることになります。ここでも山下さんはお遍路を続け、そのうちに取り組むべき大きな目標を見付けます。それは人々に忘れ去られようとしている昔のお遍路道を復元するということでした。
 

 
杉浦:  山下さんは、古いお遍路道の復元ということに取り組んでいらっしゃいますけれども、一番最初に復元されたのは高知県内の道でしたか?
 
山下:  そうなんですよ。高知県の柏島(かしわじま)という島でNPOの仕事をしていた時に、大月町の役場で、大月町史―いろんな古書の資料を調べていた時に、実は「大月町には江戸時代からの貴重な遍路道が残っている」という記録を見付けたんですね。それまで大月町の月山(つきやま)神社という番外札所歩いていくんですけども、舗装された車道をみなさん歩く。ところがショートカットした山の上に上がって、神社に山を越えて、今度は海に出るという貴重な遍路道の資料を見付けたんですね。それを見た時に、私、いつも「あ、これは復元しなさい」という意味やろな、というふうに自分で直感したんですね。それは何故かというと、自分がお遍路した時に、千二百キロ歩いた時に、実際千二百キロのうち、土の道って百キロぐらいしか残っていないんですよ。
 
杉浦:  そんなもんなんですか?
 
山下:  はい。全部便利の良い昔の遍路道は、県道とか国道になります。全部舗装されています。ですから土の道を歩くというのは、足が喜ぶんですね。ほんとに足が喜ぶ。
 
杉浦:  どんな感じになるんですか?
 
山下:  というのは、例えば極端にいうと、足摺岬に三十八番札所金剛福寺(こんごうふくじ)というお寺があります。そこに行くのは、手前の三十七番岩本寺(いわもとじ)から八十二キロ歩き続けるんです、国道を。まさに舗装された道をずっと歩くしかない。小さな山道が何カ所かありますけど、基本は海沿いの車がビュンビュン走る国道沿いをまる三日間かけて行くんですね、次のお寺まで。こういう体験をしていますと、ほんとに土の道って貴重やと。だから逆に今残すべきだというところから、地元の方に保存会を作って頂いて―勿論私も一緒にやるわけですけども―やはりこういう道の復元というのは、地元の人が立ちあがらないと―私が何人か人を応援頼んで復元することはできます。でも復元した後をどうするかなんです。地域の方がその道を守って頂く。こういう態勢を作っておかないと、まさに良い格好しただけで終わってしまうわけですね。「あの道を山下が復元した」その事実だけしか残らんわけですね。だから地元の人と一緒に復元作業して、今「大月遍路道保存会」として、毎年地元の方が草刈りしてくれる。これが多分一番大事なとこやと思うんですね。実は大月町におる時に復元して、翌年私またお遍路に行った時に、「あの道どうなったかな」と思って気になって―当然大月遍路道歩いて行くわけですね。地元の当時の自治会長さんだった保存会の会長さんにお会いしたら、「地元の年寄りが元気になった」と言うんです。それはお遍路さんが道を通りますから、人の往来が増えるわけです。地元の年寄りは、「そうや、昔お遍路さんここを大勢の人が通っておったな」そのことを思い出すわけですね。海辺のお遍路小屋で、今度は年寄りがたむろして待っているわけです、お遍路が来るのを。そこでまたお接待とかいろんな話をして、地元のお年寄りにしたら、話題が増えるわけですね。「今日、東京からこんな若い女の子が歩いてきたよ」とかね。それが「地元の人が元気になった」と言って、区長さんがえらい喜んでおられた。「あの道を復元したお蔭や」というて。ある意味で地元の人にとっても嬉しい張り合いができるわけですね。これは自分でもやっぱりなんか直感したものがあるんですね。「この道をちゃんと復元しなさいよ」と。二年間ぐらいかかりましたかね。まあ休みの間に、こう地元の人を誘っては。最初まったく木が生い茂って、道も何もわからんかったんですけど、何カ所か切れているところがあったけど、地元の当時八十ぐらいのお爺ちゃんが、「その道を歩いたことがある」という人が出てきたんです。そのお爺ちゃんにご案内して貰って、みんなでこうもの凄くシダが茂っておったり、木が茂っておるところを、道を探しに行くんですね。でも凄いなと思ったのは、そのお爺ちゃんがやったことは、草がこう茂っても、「道は必ずへっこんでおる」と。足でこう探すんです、へっこんでおるところを。藪の中を。確かにちょっとだけ道がへっこんである。これは凄い生活の知恵やなと思いましてね。そのお爺ちゃんがおられるお蔭で、道がもうずっと繋がって行くんです。だからいろんなドラマがあるし、いろんな人が関わってくる。この道を復元することによって、これは後世に繋ぐこと、残すことができるんですね。今私は、五つ目の古道の復元作業に入ってますけど、これは阿南市の山の中にある道を今地元の方と一緒に作業しています。
 
杉浦:  「いわや道」でしたかね?
 
山下:  そうです。二十一番太龍寺(たいりゆうじ)さんから山の中を抜けて二十二番平等寺(びようどうじ)さんに抜ける道。「いわや道」に通じた「平等寺道」。まったく山の中の約六キロぐらいの道ですね。この道には江戸時代のちゃんと道しるべが残っているんです。
 
杉浦:  どんなんですか?
 
山下:  高さ一メートルぐらいでしょうかね。角柱で「あとお寺まで何丁」。一丁っていうのは、約百九メートルなんですね。ですから次二丁が出てくると、今度約二百二十メートルぐらい進んで、その目印に昔はお遍路さんが歩いておった。
 
杉浦:  目標の札所まで後何丁と、
 
山下:  距離を表した。それは江戸時代の年号が入っていますね、その裏には。もう一本「かも道」という、今度は太龍寺に上がる道もあるんですけど、その道は多分日本最古の遍路道だと思います。約六百年前の南北朝時代の年号の入ったしるべ石がずっと山の中に残っている。この太龍寺さん、鶴林寺(かくりんじ)さん、平等寺さん界隈には、もの凄い歴史のある、多分日本で一番古い遍路道じゃないかと思いますね。で、確か平成二十二年にこの道が日本で遍路道で初めて国の史跡に指定された。
 
杉浦:  そういう復元された土の道を静かに歩くと、御大師さんの存在を身近に感じることができそうですね。
 
山下:  そうですね。お遍路はいろんな歩き方がありますけど、基本は一人ですね。一人でゆっくりそういう道を歩くと、自分の中に何かを感じるものがあるんですね。この辺のところも、結局人生の生き方というところに繋がってくると思いますね。
 

 
ナレーター:  山下さんは、お遍路の文化を子どもたちにも伝えようと、平成二十四年から高知県の小学校でお遍路授業を行っています。地元に受け継がれるお遍路文化を知ることで、自分たちの住む四国に誇りを持って貰いたいという願いからです。
 

 
杉浦:  子どもさんから直接感想など聞かれたことありますか?
 
山下:  授業の感想はいつも聞きますし、一番嬉しいのはね、去年授業した子どもの男の子が、「大きくなったら、私もお遍路に行きたい」と言って、手を挙げた。やっぱり人の喜ぶ、自分がしたことで誰かが喜んでくれる。自分も何かの役に立っているという、子どもなりにもやっぱり充実感を感じてくれているんですね。嬉しいですよ、子どもの字で、「またきてください」とか、書いてあるわけです。
 
杉浦:  授業中も子どもたち楽しそうですか?
 
山下:  楽しそうですね。あんまり私は宗教的な話はしません。「遍路は文化ですよ」と。大月町には江戸時代からのこういう古い遍路道があって、たくさんの人が歩いていた。実は大月町にも、江戸時代からのお遍路さんがお礼に置いていったお札が残っている家がある。農家で屋根裏の俵の中に一万五千枚残っている、そこのお家には。凄いです。私たちが、お遍路に行く時は、「納札(おさめふだ)」と言って、自分は何者ですという書いた札を持っています。このお接待頂いた時も、このお札一枚お渡しするんですね。自分はどこから来ましたと。何のために廻っていますと。
 
杉浦:  住所、氏名、日付もありますね。どういう願い事をしているのかも書いてありますし、「世界平和と健康」と書いてありますけど、これ山下さんの願いですね。
 
山下:  はい。この江戸時代からのこういうお札が残っているのは文化財です、ほんとに。一万五千枚、その俵の中に残っています。そういう旧庄屋さんの家ですけど「善根宿(ぜんこんやど)」、やっぱりお遍路さんを泊めておられたんですね。そういう貴重な文化資料が残っている、この大月の自分たちが住んでいるところにある文化を先ず知って、それによってそこを訪ねて来る人に親切にする。その子たちが大きくなった時に必ず思い出します。多分、そういう子どもたちがたくさん増えるほど、遍路文化は絶対廃れることはないですね。
 

 
ナレーター:  お遍路では、八十八の霊場を一番から番号順に巡る「順打(じゆんう)ち」と、八十八番から逆の順番で巡る「逆打(ぎやくう)ち」の二つの回り方があります。逆打ちは、順打ちに比べて三倍の御利益があると昔から伝えられています。山下さんは、平成十六年、この逆打ちのお遍路に始めて出ました。
 

 
山下:  昔御大師さまを訪ねて、松山の豪族が、御大師さんに無礼を働いたそのお詫びをするために、御大師さんを一生懸命追い掛けて歩いたけど、いつもまで経っても御大師さんに追いつかない。その男が考えたのは、反対に廻ったら御大師さんに会えるんじゃないかと。それが潤年だったという言い伝えがある。
 
杉浦:  逆打ちの良さってありますか?
 
山下:  私は一番良いのは、全部のお遍路さんと会えるということです。二回目の逆打ちの時、私、秋でしたけど、六百二十人のお遍路さんと会いました。私は逆打ちで行く。あの時四十人前後だと思いますがね。片っ方は順打ちで行っている。私、逆打ちでこう全部すれ違ごうて行くわけですね。凄い人が廻っているんだなと思いましたね。ところが寂しいのは一期一会(いちごいちえ)なんです。私はこっちへ行ってます。向こうのお遍路さんはこっちへ行きます。まさに一期一会の出会いというのも非常にスリリングなんですね。私は楽しいですね。いろんな方と会える。ということは、いろんな情報が入ってくるという。だから順打ちばっかりやっていると、当たり前に思っていることが、逆打ちでたまに三年に一回ぐらい反対から廻ると、あ、違う景色に見えてくる。新しい発見がたくさんあるんですね。ですから私自身は十回回りますが、廻る度に新しいことを発見するんです。景色もそうやし、会う人もみな違ごうてくるわけです。同じ道歩いているのに。楽しいですね、そういう新しい人の出会いというのが。凄いですよ、人の繋がりというのは、すれ違っただけで終わる場合と、一期一会でお会いして、そこからまた繋がりができる、あるいは次に廻った時にまた会うとかね、いろんな出会いがあります。
 
杉浦:  時期を変えて廻っている時に出会ったり、
 
山下:  なんか凄い出会いがたくさんありますね。私は、逆打ちの時に、一番今でも覚えているのは、今治(いまばり)に五十九番国分寺(こくぶんじ)というお寺があります。逆打ちですから、そこから五十八番仙遊寺(せんゆうじ)という山のお寺があるんですね。確か一回目でしたか、秋だったと思います。夕方ちょっと薄暗くなりかけた時に、その仙遊寺へ上がる街道をずっといろんな家が建っている間を一人で歩いて行ってたら、ある家から五歳ぐらいの女の子が飛び出して来るんですね。う〜んと思って見たら、「お遍路さん、道違っているよ!」というてくれる。「みんなあっちへ向いて行ってるよ」と。私は、逆打ちだから五十八番の方を向いて行っている。ところが子ども心に、みんな五十九番に行くのに、このおっちゃん道間違ごうていると、家から飛び出して来たんです。
 
杉浦:  五歳ぐらい?
 
山下:  後で聞いたら、「五歳」と言っていました。「お遍路さん、道間違ごうているよ!」と追っ掛けて。勿論逆打ちでという難しい話をするよりも、「ありがとう。お遍路さん、ちょっとあの上のお寺に用事があって、どうしても行かないかんからあそこに行きよるんよ。だから心配してくれてありがとうよ。お遍路さん、間違ごうていないからね」という話をゆっくりするわけですよ。子ども心に、「あぁ、道間違えていないで良かった」と言って喜ぶんですよ、その女の子が。私は、「子どもやけど、なんかあげるものないかな」と思ったら、ちょうどお接待で頂いたあめ玉を持っていましたので、みっちゃんという女の子だったかな、「みっちゃん、これお接待や」と、私がやるわけです、子どもに。子どもは喜んで―自分がいつもお母さんと一緒にお遍路さんにお渡するので、貰うことないわけですよね、その子にしたら。「お遍路さんにお接待して貰った」と言って家まで帰って行く。あれは感激しましたね。仙遊寺という山の上まで高低差二百メートルほどあるのかな―行きながら、今度そのことを思うとボロボロ泣けてくるわけですよ、私の方が。あんな幼い子が、ほんとにお遍路のために、わざわざ家から飛び出してまで教えてくれるやと。これは凄い文化やと思いますね。そんな話があっちこっちでいろいろ感動する話が出てくるんですね。だから逆打ちも大変やけど、新しい出会いですね。これ順打ちで行っておったら、その子は何も言わずに、お遍路さん行ってるわとしか思わんわけですね。だから逆打ちというのは非常に難しい苦労を重ねますけども、その分また新しい出会いがあるというふうに感じていますね。
 

 
ナレーター:  山下さんの自宅は奈良県にあります。自宅の近くにある矢田寺(やたでら)。このお寺の裏山には、四国霊場八十八ヶ所の本尊と弘法大師を祀った全長三キロ余りの遍路道が大正時代に作られています。山下さんは、傷みが激しくなっていたこの遍路道の整備にも取り組んでいます。さまざまな事情で四国まで出掛けられない人たちにも、歩き遍路の魅力を感じて欲しいと考えているからです。
 

 
山下:  蝉の声も聞こえていいですね。
 
杉浦:  はい。蝉の声と虫の音と。
 
山下:  矢田丘陵、山を歩いている感じですよね。
 
杉浦:  ここは何番目の札所?
 
山下:  ここは五十一番札所。場所で言いますと、松山の道後温泉のど真ん中にある石手寺(いしてじ)。この「写し霊場」というのは、各お寺のお砂を頂いて、全部の所にどのミニ霊場でも同じ作りになっている。だから「四国に行かずに、ここへお詣りすると御利益がある」と言われて、地元の信仰を集めていますんです。
 
杉浦:  こんにちわ。
 
山下:  お疲れさんです。
 
参詣人: 山下さんのお蔭に道綺麗になって。以前だったら狭かったのにね。
 
山下:  よう精勤に詣られますな。
 
参詣人: 雨が降る言うてましたんでね、四国行ってばてんように。
 
山下:  遍路へ行くんですか?
 
参詣人: 行きます。
 
山下:  こうやってたくさんの人がお詣りされる。逆に私たちにとっても嬉しいんですね。一生懸命こうやって整備して、みんな奉仕でやっていますけども。例えばこの札なんかも誰が付けてくれたかわからんのです。
杉浦:  「さあ、がんばって もう少し」と。
 
山下:  知らん間に付いている。こんなことがあると嬉しいですね。例えばこの前垂れ。私、ずっと作業しているとき、どなたがしてくれているかわからん。半年に一回必ず付け替えしてある。
 
杉浦:  そうなんですか。
 
山下:  これ見ると全部「南無大師遍照金剛」と御詠歌が書いてある。あるいは「般若心経(はんにやしんぎよう)」。多分思いがあって、自分にできることを何かでご奉仕する。私たちもそうですけども、地元も人もこうやってこの道をみんなで見えない人が守って頂いているの実感しますね。こういう風景を見るとね。有り難い話です。
 
杉浦:  一回りどのくらいで?
 
山下:  ここは三・五キロ。ゆっくり廻って一時間半。二時間あれば。ただ必死に回るんやのうて、景色を楽しみながら、花が咲いておったら、あ、季節の花が咲いておるなと。やっぱり心豊かに廻って欲しいですね。我々忙しすぎるから。
 
杉浦:  確かにここからですと、奈良の街が一望できるんですよね。
 
山下:  そうなんです。あの左手に、あれが若草山ですし、ちょっと左側の大っきな素屋根が、あれが東大寺さん。ですからこういう景色も、多分ミニ霊場のうちの一つの要素だと思うんですね。どうしてもみなさん急ぐんですよ。早く行こうとするけど、せめてお山に来た時ぐらいは心豊かに歩いていらしたら嬉しいですね。
 

ナレーター:  「歩き遍路」の魅力を広く伝えることが、ライフワークとなった山下さん。平成十七年からは、毎年春に「歩き遍路の入門講座」を開き、講座に参加した人はこの十年間で二百五十人あまりにのぼります。
 

 
杉浦:  ご自身が、お遍路道を歩かれるだけでなく、お遍路文化を守り伝え広めるためにほんとにさまざまな活動をなさっていらっしゃいますよね。
 
山下:  そうですね。
 
杉浦:  どうしてそこまでお遍路に打ち込んでいらっしゃるんでしょうか?
山下:  まあお遍路が好きやからでしょうね、先ず。それと自分が今あるのは、お遍路と出会ったからだと思うんです。サラリーマン時代の非常にもうなんともいえんやりきれん十年ほど経験しましたので、お遍路によって私は今の自分がある。いろんなことに気付かされたというふうに思っています。この喜びを一人でも多くの方にお伝えして、このお遍路文化を後世に引き継ぐというのが先達としての私の役目でもありますので。
 
杉浦:  お遍路文化のどういうところを伝えたいですか?
 
山下:  いろんな見方がありますが、私は一番お遍路文化が未だに続いているというのは、一つの繋がりだと思うんですね。勿論お寺さん、もう素晴らしい建築物―国宝とか、重要文化財、仏像も文化遺産もたくさんあります。そのお寺さんとお寺さんを繋ぐこの遍路道に地域の方が住んでおられる。この方たちが歩き遍路を支えているというふうに、私は思っています。その一番大きなとこは、やっぱりお互いの触れ合い・繋がり・心のやりとりですね。このことがもっともっとたくさんの人に知って頂きたい。
 
杉浦:  そういう体験は四国ならではなんでしょうか?
 
山下:  四国しかないですね。もうこれは最初の第一歩を、みなさんがお遍路に行こうと思うと、結局は勿論車とかバスとかいろんな方法がありますけども、私はやっぱり「歩き遍路」を薦めます。それは自分の足で歩かないと何も始まらないし、何もわからない。一生懸命歩いていることによって、地元の人も応援して頂く。そこで心のやりとり―キャッチボールがあって、それが自分をより大きな人間として成長させてくれるというふうに思います。
 
杉浦:  都会では味わいないものですか?
 
山下:  と思いますね。よくお遍路の世界で、私がお世話になる五十八番の仙遊寺のご住職がおっしゃるんですね。「お遍路では、名刺と時計を置いて行きなさい」と。名刺というのは、肩書きとか地位とか、いろんなものを―男は特に名刺の社会ですから、背中で背負っていますね。こんなものをお遍路に出て、例えば宿でこうやって話する。お遍路さんたちご飯食べる時に、「私はどこどこの会社の重役やなんや」と言ったって何の役に立たんわけですよ。お遍路さんみな平等やから。そんな肩書きを一生懸命語る人も中にはおります。ですからお遍路はお互いに平等で、そのためにこの白い白衣を着ておるわけですよね。いつまでも柵(しがらみ)とかせめてお遍路に来た時ぐらいは、そういう重たいものを脱ぎ捨てて、一人の人間としてやっぱり歩いてほしいですね。
 
杉浦:  肩書きではなく、一人の人間として逆に問われますよね。
 
山下:  そうなんです。
 
杉浦:  どういう自分が存在なのかということが。
 
山下:  それが一番わかるんですね。四十日間、五十日間、歩く間に。それからもう一つの「時計を置いて行きなさい」という言葉は、やはり我々忙しすぎるじゃないですか。せめてお遍路に来た時ぐらいは、時間から解放されて、ゆっくり寄り道しながらでも、許す範囲内で時間を忘れるべきですね。そのご住職のおっしゃるのは凄い良い言葉やと思うんです。自分を取り戻す良い機会だと思いますね。
 
杉浦:  おかげさんでの人生がこれまで続いてきたわけですけど、今七十歳でいらっしゃいますよね。これからの目標を聞かせてください。
 
山下:  そうですね。私、夢みたいな話ですけども、八十八までは「歩き遍路」をしようと思っています。
 
杉浦:  八十八!
 
山下:  四国八十八ヶ所ということで。八十八歳までお遍路して、最期自分の人生の閉じる時は、自分で歩いて棺桶の中に入って行くというふうに、家族には世話を掛けないということで、今自由にさして貰っています。そのためには結局は健康というとこにいくわけですね。歩ける健康な体力は自分で維持しないと誰もしてくれません。だからある意味で、私、地元大和郡山にある遍路道を復元しているというのは、実は私、片っ方でトレーニングのつもりであるんです。あの道を整備することが、身体を鍛える意味もあって楽しいんですよ、それが。次の遍路に行くための準備を、トレーニングの場やというふうに思っています。まあどうなるか分かりませんが、健康で充実した人生を送る意味では、大きな目標の八十八まで歩くんです。これはどうしても実現したいですね。
 
杉浦:  どうぞお体を大切に、目標を是非達成してください。有り難うございました。
 
     これは、平成二十六年十月十二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである