中今(なかいま)≠生きる
 
            石清水八幡宮宮司、神社本庁総長 田 中(たなか)  恆 清(つねきよ)
一九四四年(昭和十九年)、石清水八幡宮宮司を務める祠官家に生まれ。六九年國學院大學神道学専攻科修了。平安神宮を経て、七二年石清水八幡宮に奉職。二○○一年宮司に就任。現在、始祖から数えて第五八代の宮司。平成二二年には神社本庁の総長に就任。このほか京都府神社庁長、全国八幡宮連合総本部長、世界連邦日本宗教委員会会長、文部科学省宗教法人審議会委員などを務める。一般財団法人日本文化興隆財団理事長、一般財団法人神道文化会会長、公益財団法人京都文化財団評議員、一般社団法人日本国際文化協会理事長、公益財団法人日本宗教連盟理事などを務める
            き き て        柴 田  徹
 
ナレーター:  京都府八幡市(やわたし)にある石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)。標高百メートルあまりの山の頂に鎮座します。創建されたのは、平安時代清和(せいわ)天皇の命によります。以来、千百五十年あまりの歴史を刻んでいます。人々からはやわたのはちまんさん≠ニして親しまれ、武将の武運長久、庶民の厄除けと広く信仰を集めてきました。現在宮司を務めるのが田中恒清さん、七十歳。代々石清水八幡宮の宮司を務める家の生まれです。平成十三年に兄の後を継いで宮司に就任しました。宮司になって以来、仏教など神道(しんとう)以外の宗教と手を結び、日本の信仰の姿を見つめ直す活動に取り組んでいます。
 

 
柴田:  田中宮司、こう来られる方が非常に多いですね。老若男女さまざまな方が来られますね。
 
田中:  そうですね。最近は特に若い方が非常に多くて、特に夫婦連れと言いますか、そういう方が多い傾向にありますね。
 
柴田:  子どもたちも何も構えることなく、非常にニコニコと笑顔でね、まるで当たり前の日常のようにこういう所へ来られるわけですね。
 
田中:  そうですね。非常に家の中に非常に深く入り込んでいるようなね、そういった参拝者の動きというものがありますね。それは教えられなくたって、そうなってくるんだと思うんですね。
 
柴田:  もう一つ伺いたいことがあります。言葉なんですけども、田中宮司は、よくおっしゃることの中に、「中今(なかいま)」という言葉があるんですが、その言葉の意味は、どういうふうに解釈されるんでしょうか?
 
田中:  簡単に申し上げますと、我々今この時代に生きているということは、過去があり、そして今があり、未来がある。その中間点に我々は居るわけですね。従って神道(しんとう)の中では、「中今」と、このような表現をしているわけですね。ですから未来がどうであろう、過去がどうであろうとか、そういうことではなくて、先ずは自分の生かされて、今この時代をどう人間として一生懸命生きていくかということが、中今の精神なんですね。
 

 
ナレーター:  過去から未来へと流れている時間の一部。今、私たちが生きているまさにこの瞬間が「中今」です。この「中今」を一生懸命に生きるとは、どういうことなのでしょうか。石清水八幡宮宮司の田中恒清さんに聞きます。
 

柴田:  先ずは、「中今を生きる」ということから、もう少し詳しく伺っていきたいと思いますけれども、どういうふうに中今を生きるということを捉えたらよろしいでしょうか?
 
田中:  そうですね。神道では、本居宣長(もとおりのりなが)(江戸時代の国学者・文献学者・医師:1730-1801)が言っているように、『古事記伝(こじきでん)』の中でそのことを述べているわけでありますけれども、過去、現在、未来と、そういう時代の流れがあって、我々は、「今の時代を生かされている。そしてその生かされている時代を一生懸命に全力を尽くして生きていく」これが神道の根本的な考え方なんですね。ですから勿論過去のことも、未来のことも、思いますけれども、しかしそれよりも「今のこの瞬間を精一杯生きていく」ということが、神道の真髄だと思いますね。
 
柴田:  長い歴史の中からみると、我々が生きる時間「今」って、ほんとに一瞬ですよね。
 
田中:  そうですね。我々基本的には、やはり今この世に生まれていること自体が、ある意味で奇蹟だと思うし、そして生かされていることも奇蹟なんですね。しかしその奇蹟の継続の中には、我々の祖先たちの営みというものがあって、それを我々は引き継いで、今ここに生かされている、ということを考えてみると、先ほど冒頭に言ったように、やはりいのちを頂いて―これは自分一人のいのちではないし、尚且つ自分一人で生きているのではない―そういった長い長いいのちの繋がりというものを考えながら、一生懸命に生きていかなければいけない、そういうことだと思うんですね。
 
柴田:  とはいうものの、それが一番普段忘れがちなことじゃないですか。
 
田中:  そうですね。ですから常にそういうことを思い起こすきっかけを、我々自身の生活の中にやはりこう持っておくべきだと思うんですね。それは人によっていろいろなきっかけがあると思うんですが、やはり日本人は、おそらく神社に詣でるということは、ほとんど百パーセントは感謝なんですね。感謝の気持ちで神社にお詣りをする。ということは、結局はそれが一つの大きなきっかけになって、生かされていることを知り、さらに自分がやらなければならない役割、そういったものをその場で考える。そういうきっかけをそれぞれのみなさん方が、それぞれの立場で、それぞれの思いで持たれること。「参詣(さんけい)」という言葉がありますね。神社に参詣―参り詣でるということですね。「参(さん)」も「詣(けい)」も同じ意味なんですね。「参」というのは、要するに、尊貴な方の下(もと)の前に参上するというという謙譲語なんですね。「詣(もう)でる」というのは、これは「到る」ということですから、結局「参詣」というのは、まさに同じ言葉の重なりなんですね。我々は、例えば神に詣でるために―今の時代は違いますけど―昔はそれこそ命懸けですね、長い道程(みちのり)を困難を克服しながら、そして長い時間を掛けて神の下(もと)に、あるいは神仏の下(もと)に詣でる。そしてそれはあくまでも詣でることが目的であって、神仏の御許(みもと)に詣でるということが、やはりもっとも大切なことだと思うんですね。我々はやはり神仕えをしている人間ですから、常にご神前でそのことを確認し合いながら生きていく、こういうことだと思うんですね。
 
柴田:  今、「神仏(しんぶつ)」という言葉が出ましたけども、今は神道と仏教というのは別なものという考え方ですよね。やはり歴史の中でいうと、神仏というのは、日本人にとって詣でるという意味では対象としてはあまり変わりがなかったというふうに考えているんですかね。
 
田中:  変わりはなかったと思いますね。「神も仏も」という日本人の信仰心。そういったものの中におそらく区別はまったくなかったと思いますね。したがって自分よりも目上、即ち自分を超えた存在に対して畏敬の念を持って、今言いましたように、参詣する。そういったこともあったでしょうし、そして常に自分の生活の中に、そういう信仰心がズッと底辺に流れていて、何かあればそういったことが思い起こされて、そして神社に、あるいはお寺に御参りをする。これはごく自然な日本人の信仰心の表れだと思うんですね。特に神道は世界の宗教の中でも珍しく「教義、経典を持たない宗教」なんですね。ですから生活そのものが祈りであり、信仰であり、そしてそのことによって、日本人はずっと長い生活を営んできたと、こういうことだと思うんですね。従って私から申し上げれば、常に日本人の生活の中に深く浸透している、ということだと思うんですね。
 

 
ナレーター:  石清水八幡宮は、貞観(じようがん)二年(八六○年)、平安朝の南西に当たる裏鬼門を護る社(やしろ)として創建されました。創建に深く関わったのが、奈良大安寺の僧侶・行教(ぎようきよう)(生没年未詳。大安寺で法相・三論・密教を学び、また日本天台宗の祖最澄の師行表や、真言宗の宗叡に師事。天安2年(858年)真雅の推挙により、藤原良房の外孫惟仁親王(のちの清和天皇)の即位を祈祷するため、九州の宇佐八幡宮へ派遣されることとなった。しかし、親王がまもなく即位したことから、翌貞観元年(859年)改めて天皇護持のため宇佐八幡宮に90日間参篭した。このとき神託を受け、翌貞観2年(860年)宇佐八幡宮から山城国男山の護国寺に八幡大菩薩を勧請して石清水八幡宮を創建した)です。行教は現在の大分県にある宇佐八幡宮に参籠し、神託を受けて石清水に神霊を移したと伝えられます。石清水八幡宮の近くにある神應寺(じんのうじ)(京都府八幡市にある曹洞宗の寺院)です。この寺は、石清水八幡宮の創建と同じ時期に行教が建立しました。以来、石清水八幡宮と共に長い歴史を歩んでいます。一月十八日の行教の命日には、毎年法要が行われます。本堂に安置される行教坐像。もともと石清水八幡宮で祀られていましたが、明治の初めにこの寺へ移されました。田中さんを初め石清水八幡宮の神職たちがこの法要に参列しています。
 

 
田中:  ちょうど今年が、行教律師が石清水八幡宮を創建して一二五五年という年を迎えるわけですね。行教律師は、ご承知のように奈良の大安寺(だいあんじ)というお寺のご住職をされていたという方でございますから、当初から僧侶が神社を建てるという、まさに神仏習合(しんぶつしゆうごう)の代表的な神社として石清水八幡宮が創建されたと、こういうことになるわけですね。
 
柴田:  今でこそ神道と仏教と分けられていますけども、それまでの神仏習合の歴史というのは、非常に長いんですよね。
 
田中:  長いですね。少なくとも明治維新まで、ザッと千四百年間神仏習合の歴史が続くわけですね。ですからほんとに日本人が「神も仏も」という、そういう神仏を畏敬するというそういった気持ちが神仏習合という日本人独特の信仰を生み出したと、このように思うんですね。
 
柴田:  世界的な宗教に対する基準から見れば、これは驚くべきことなんでしょうね。
 
田中:  そうですね。仏教と神道が、それぞれまったく一緒になって神仏和合ですよね。そういう形でまた新たな信仰が生まれたというのは、これは他にはないと思いますね。
 
柴田:  その神仏習合のもたらしたものは、どういうものですか?
 
田中:  これは言うまでもなく、目に見えぬものに対する畏敬の念、そういったものが日本人の生活の根底にあって、仏教が伝来をしてきた。そして古来あった神道と出会ってですね、そしてまた新たな「神も仏も」というそういった日本人の信仰がいよいよ強くなっていくという、そういう時代が長く続いたということですね。
 

 
ナレーター:  千四百年あまり続いていた神仏習合の歴史。しかし明治の新政府が定めた神仏判然令(はんぜんれい)によって、神と仏は分けられ区別されるようになります。仏教の僧侶、行教の働きで創建された石清水八幡宮でも、境内にあった数多くの宿坊や堂塔が破壊されるなど、千年以上護られてきた神仏習合の様式は姿を消しました。
 

 
田中:  日本人の心の中まで神仏分離はできなかったと、僕は思っているんですね。従ってその後も、勿論表向きは神社の中からお寺がなくなり、いろんな出来事があって、神社も統廃合させられて、いろんな今までになかった大きな歴史の転換があったわけですね。しかしその神社、あるいはお寺を信仰されている方々の気持ちの中には、今もやはり「神も仏も」というそういう信仰心というのは脈々と流れているんですね。その源流に流れている信仰心というのは、そういった政策によっては絶対に止めることはできなかったし、今も止まっていない。そのことを我々はもう一度流してあげなければいけないと思うんですね。それは心の中で流さなければいけないし、もう一つは、形の上でもある程度の一つの姿を現実にみなさん方にも見て頂かなければならない。かといって、今神社にお寺を建設するとか、お寺に神社をまた改めて作るとか、そういうことをやろうというんではなくて、やはり日本人の長年の信仰心というものを、もう一度掘り起こしてあげる。そのことによって、また日本人らしい豊かな信仰心というものが生まれてきて、世の中が少しでも明るく、そして和やかになればいいな。そんな思いで、私は、今、神仏合同のいろんな形の取り組みをやっておりますし、みなさん方と協力体制を調えながらやっているということです。
 

 
ナレーター:  平成十七年、田中さんは、近畿各地の神社や寺院に呼び掛けて、神仏霊場会(しんぶつれいじようかい)という宗教の壁を超えた繋がりを組織しました。現在参加する神社と寺院は、合わせて百五十にのぼります。神も仏もという日本人の心の奥底に流れる信仰を見つめ直す。行教以来の流れを受け継ぐ者として、自分自身に与えられた使命であると、田中さんは考えています。平成二十四年からは、京都の東寺と共同で合同祈願会(きがんえ)も行っています。合同祈願会では、神職と僧侶が神道の祝詞(のりと)と仏教の経典をともに唱え、世界の平和と人々の安泰を祈願しています。
 

 
田中:  やはり石清水八幡宮の歴史を紐解いてみても、これがこういう形がズッと続いてきたんだなという、そういう思いが、ご一緒にさせて頂いて、凄く神社の中でお坊さんが読経される。そういったことについて、決して違和感がないというか、むしろ昔はこういう姿だったんだなということを、私自身は感じましたですね。
 
柴田:  田中さんご自身も、見たこともない、かつてあった状況に触れたわけでしょう。
 
田中:  そうです。やはり「先祖還(かえ)り」というと変な言い方ですけど、やはり血の中にそういうものが、私自身も流れているし、そういった意味で目の当たりにして、神仏習合の信仰が長く続いてきた意味が非常によく理解できましたですね。
 
柴田:  お寺と神社が席を一つにするということに対して、反対する意見はありませんでしたか?
 
田中:  それはあると思いますね。まあ取り違えている方もいるかも知れないんですけども、大半の方々は、歴史上から見ても神社とお寺が一体であったということは、もうこれは歴然とした事実なんですね。特に奈良なんかは、我々が始めるより前に常に神仏合同のいろんな法要をやったり、祈願祭をやったりされているわけですから、まったく違和感はないわけですよね。そうでない地域もやっぱりある。しかしそれは幸いなことにあちこちで、要するに神仏が共に世界平和を祈るという形の中で、いろんな形の組織ができて、定期的に神仏合同のさまざまな取り組みをされているということも、これは一方の事実なんですね。日本人は争い事を好まない民族だと思うんですね。やはり聖徳太子じゃないですけど、「和をもって貴しとなす(以和為貴)」というあの精神というのは、日本人全体にやはり通底(つうてい)している考え方と思うんですね。ですから基本的には争いたくない。なんとか仲良くやっていきたい、という、そういった思いあると思うんですね。そういった思いというのは、これは神道と仏教が結び付いた神仏習合の、そういう宗教的な結び付きも含めて、日本人が日常のいろいろな行為の中で、あるいは繋がりの中で、そういうそういう気持ちは忘れずに、先ずは仲良くやっていこう、そういう気持ちを持って、何事にも接していくということが大切だと思いますね。
 
柴田:  じゃ、私は神道だから、私は仏教だから、そこに拘泥せずに、みんなの幸せを願っていっていいんですかね。
 
田中:  私はそう思いますよ。それによって神さまがお怒りになるとか、仏さまがお怒りになるとか、そういうことはないと思うんですよ、全くね。従って日本人の精神的な部分がそれによって安定をし、さらにそのことが一つの大きな人間としての成長に繋がっていく。そういうことになれば、これはまったく素晴らしいことだと思うんですね。「祈り」というのは、僕は心の中にあると思うんですね。ですからいろんな祈りの形は勿論あるけれども、しかし先ずは自分の心の中の祈りというものをしっかりと持つ。それは日常生活の中においても、いろんな場合においても祈る。祈るということは、これは自分のことではなくて、他人のことを慮(おもんばか)るという、これがやはり私は祈りのもっとも大切な部分だと思うんですね。
 
柴田:  自分本位ではなくて、如何に他者を生かすか、ということでしょうかね。
 
田中:  そうですね。仏教の各宗派の中にも、そういったことを表した言葉というのはたくさんありますよね。「忘己利他(もうこりた)」という言葉もある。「我を忘れて他を利する」という。おそらく日本人は、別に仏教のそういう宗派だけの問題ではなくて、おそらく常に他人に対して迷惑を掛けてはいけない、という思いがあって、いろんなことに対して、自分の先ず身を慎んで、そして他人のことを先ず最初に考えて、そしてそれからお互いにやはり歩み寄っていくというか、要するに心の交流を図っていく、ということだと思いますね。
 

 
ナレーター:  平成二十三年三月十一日起こった東日本大震災。田中さんは、三月末に、被災地へ入りました。そこで見たのは、瓦礫(がれき)の山と化した建物や、津波ですべてが流された町並みの跡でした。しかし絶望的な状況に直面しながらも、お互いを労り合い、一生懸命に生きる人々の姿が、そこにはありました。
 

 
田中:  震災後十九日目に被災地に入ったわけですけど、最初に行ったのは岩手県なんですね。その中でも、大槌町(おおつちちよう)というところに参りまして、ここは「ひょっこりひょうたん島」で有名な島があるところなんですね。そこに小鎚(こずち)神社という神社があるんですね。この神社は流されなかったんです。目の前は全部津波で流されたんですね。おまけにあそこは火災も起こっていますから、まったく何もなくなったんですね。神社だけが少し高いところにあるんですけども、津波はやられなかった。それで神さまも勿論無事であって、その地域の人が、いち早く逃げて行った人が数十人おりました、その社務所の中にね。その時に、宮司さんは非常に高齢な方だったので、お話はできなかったんですけど、ご子息が禰宜(ねぎ)(神職の職称(職名)の一つである。「祢宜」とも書く。今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐する者の職称となっている)さんでおられて、その方と話をすることがあったんですけど、「いや、田中さん、あの日を昼間は大津波にやられて、まさに地獄絵でした」と。「しかし夜になって、私は今まで大槌町に住んでいて初めての星の数を見ました。たくさんの星がほんとに、満天の星が輝いていましたと。その星は何も無くなった大地を皓々と照らしていました。しかしこれは自分はこんな災害を受けて非常に被災をされた方も気の毒だし、いろんなことを心の中で思ったけれども、しかし大自然はこんな時にでも、やはり人々を見守ってくれているんだという、そういう気持ちになってですね、あ、これが日本人の自然観なんだなという気持ちになりました」ということをおっしゃったんですね。私はこの話を聞いて、ほんとに心を打たれて、こんな―我々自身が戸惑っているわけです、はっきり言って―被災地に入って、どういう話をしていいのか、あるいはどう慰めの言葉を掛ければいいのか迷っている時に、そういう話をポンとしてこられたんですね。凄く心が落ち着いたというか、あ、そうか、こんなに被害を受けた人の中にも、そういった大自然の恵みをもう既に感じ取られて、いずれはまた我々に豊かなそういった恵みを与えてくれるんだという、そういう思いをもっておられるんだなということをつくづくと感じたんですね。もう一つは、これも同じ岩手県ですけども、漁師の方とお話をする機会がありまして、漁師の方々は、津波でやられて漁船も何にもかも無くなっちゃって、それこそ何も無くなったんですよね。しかし非常に明るいんですよ、話をしているとね。それで、「いや、必ずまた海は我々に豊かな恵みを与えてくれるし、おそらくこれからね、この漁場はもっともっと豊かになると思う。それは大自然の力によって素晴らしい漁場になると思う。それまで私どもはずっと待っています。従って今は太平洋銀行に預金をしているんですよ」と、こうおっしゃったんです。「太平洋銀行」というのはよく分からなかったんですけど、「太平洋という銀行に、今は預金しているだけで、いずれはその預金通帳から恵みを与えて頂けるんだ」ということをおっしゃったんですね。これもほんとになんかこっちが逆に慰められたというかね、そんな思いがしましたですね。
 
柴田:  そこから田中さんが感じたのは、人の強さですか、何でしょう?
 
田中:  人の強さというものも勿論感じましたし、しかし「自然」というものを、日本人がどう捉えてきたか、という究極の問題も、私はその時に咄嗟に感じたんですね。それはさっきの満天の星もそうだし、あるいは豊かな恵み、豊かな海になるということもそうなんでしょうけど、「自然」という言葉は、もともと自然(じねん)と言っていましたから、自ずとそうなる。人間がいくら力を尽くそうが何をしようが、自然は自ずとそうなっていくんだから、その流れに委せるより仕方がない。だから折り合いを付けて、自然と共に生きていく。それが我々のこれからの生き方に、さらに大きな希望を与えてくれるんだという、そういう意味合いのことをおっしゃったことが非常に印象的でしたね。
 

 
ナレーター:  家や漁船、工場、生きるのための術を奪われても尚失わない自然を敬う心。田中さんが被災地で巡り合ったのは、起こってしまった過去は過去とし、その時その時の瞬間である「中今」を懸命に生きる人たちだったのです。
 

 
田中:  やはり人間というのは、何かそういう自分を超えた大きな出来事が起こる。そういった時にやはり神仏の存在を凄く意識するわけですね。かと言って、それは神仏が人間に与えた罰ではない、と、そういうように日本人は捉えてきたと思うんですね。あくまでも、神仏の警告であって、我々自身の生活そのものを、今一度足下をきちっと固めて、人間としての生き方をしていかなければいけない。
 
柴田:  その災いは罰ではない。しかし我々はそれと向き合わないければならないし、
 
田中:  そうですね。ですから日本人は、自然と人間とを区別していない。分け隔てをしていないわけですね。むしろ人間も自然の一員なんだという、そういう考え方でずっと長い歴史を育んできたわけですね。ですから大災害が起こっても、勿論瞬間的には、「神も仏もあるものか」と、そういうふうに思う人もいるでしょうけれども、しかしそうではなくて、じっくり考えてみると、これは我々に対する何かの示唆なんだ、というふうに捉えて、もっと前向きに―ということは即ち自然との折り合いを付けて生活を営んでいくためにどうしたらいいんだ、ということを考えながら、ずっと数千年間日本人はこの日本列島の中で暮らしてきたというふうに思いますね。
 

 
ナレーター:  田中さんが、東北の被災地を何度も訪れているうちに強く思うようになったのは、神社の象徴とも言える鎮守の森を甦らせることです。鎮守の森の存在を意識する機会は多くありません。しかし津波で鎮守の森や社が失われたり、傷められたりしたことで、その地域に暮らす人々の心の拠り所であったことに気付かされたと、田中さんは言うのです。
 

 
田中:  今、我々の神職の立場で言えば、一刻も早く神社を再建をする、このことは第一だと思うんですね。しかし神社というのは、古来から氏子(うじこ)の方々の手によって守られてきた。このことを考えると、氏子の方々が被災されて、津波で流されてお亡くなりになられた、あるいはどっかに避難されている。そういった中で「神社の再建だ」ということを、そういう時期に果たして言えるのかどうか、ということを考えた時には、これはおそらく言えないと思うんですね。しかしながら、やはり地域の発展を、これからの、要するに復興を考えていくと、地域にあった神社を中心とした伝統文化の復活、これはやっぱり第一にしていかなければいけないもんだと思うんです。それともう一つは、祭の再興ですよね。ですから先ほどの津波で流されて何も無くなった神社。それは一早く「神社があった場所に印だけでも何か作って欲しい」と、そういう要望があって、そして標柱を立てて、そこに注連縄(しめなわ)を張って、取り敢えずここに神社があったんだ、ということを、地域の方々に示すことによって、地域の方々は、その標柱に向かって参拝に来られていた。非常に敬虔な祈りを捧げられていたということをあちこちで聞きましたですね。
 
柴田:  つまり形ではなくて、心のありようだと思うんですね。
 
田中:  従って、そういう観点に立つと、自分たちがずっと先祖から受け継いできた信仰というものに対して、もう一度自分たちはそのことに対してきちっとした目を見開かねばならない。そんな思いで、おそらく多くの方々が、これから先のその地域の発展のためには、神社というのは絶対になくてはならないものなんだということで、今は幸いにそういう気運が少しずつ盛り上がってきている。これはやはり個人主義の制度とは違ってですね、共同体主義の日本だからからこそ、そういう場所が必要だし、そのことは常に潜在意識の中にあると思うんですね。
 
柴田:  今を生きている人の中には、そういう共同体が非常に大事にされた時代のことなんか知らないという方がたくさいると思うんですけど。
 
田中:  そうですね。ですからこれはそれこそ神々のなせる業と言いますかね、やはり我々を超えた大きな力がそこに働いて、多くの方々の気持ちを一つに結び付けるという、そういうことがやはり現実に起こるんだと思うんですね。
 
柴田:  そう思うと、いろんなお話を聞いてきて、神社とは一体どういう場所であるかという。ここはどういう場所なんだろうということを、ちょっと今まで考えてこなかったんですよ、正直言って。
 
田中:  神社というのは、やはりいのちがそこに生まれ、あるいはそれが育ち、そういったいのちの世界の一つの大きな空間でもある、と思うんですね。私は、普段はそんなに意識しなくても、先ほど言いましたように、何かあればですね、あるいは何か思い立った時に、その神社に詣でて、自分の心を整理をする。あるいは神々に対して、何かを自分の思いを伝える。少なくともやはり日本人にとっては、神社というのは身近な存在であるということには変わりはないと思うんですね。
 

 
ナレーター:  石清水八幡宮では、毎年一月十八日に青山祭(あおやまさい)と呼ばれる祭が創建以来続けられています。特別に設(しつら)えた祭壇で、国の安泰が宮司によって祈願されます。この祭だけでなく、石清水八幡宮では、一年を通して、数多くの祭が執り行われています。田中さんは、祭の一つひとつを幾度となく繰り返して伝えていくことが、人々に心の平安をもたらしているのではないかとみています。
 

 
柴田:  時代ですとか、風景ですとか、我々が手にするものですとか、これだけ変わっているのに、祭が変わらずに引き継がれているって不思議ですよね。
 
田中:  そうですね。祭は、端的に言えば、平素いろんな恵みを与えて頂いている神々に対する感謝の一つの行為なんですね、お祭りというのは。ですから、神々は祭を行うことを先ずもってお考えになっておられると。従って我々は、事ある毎にお祭りを通して、神々との交流を図り、そしてそれはひいては地域社会の連帯に繋がっている、ということだと思いますね。
 
柴田:  祭というのは、人によってイメージが違うと思うんですね。例えば楽しい夜店が出て、子どもたちがはしゃぎ廻る祭もあれば、命を懸けるような諏訪大社の御柱祭ですとか、そういう祭がありますね。祭って人に何を与えてくれるものなんですかね?
 
田中:  一言で言えば、やはり「潤(うるお)い」でしょうね。潤いと、もう一つは、「地域の結束」をその行為によって図っていく。その中には、今おっしゃったように、ある意味では非常に激しい祭もあれば、粛々とした祭も、いろんな形の祭がある。それにやはり地域によって伝えられてきたさまざまな祭の形というものがあると思うんですね。しかし結果としては、祭を通して神々に感謝を捧げる。そのことがもっと大切なポイントだと思うんですね。私は、例えば今回の東日本大震災もそうだし、つい先日の二十周年の阪神淡路大震災もそうだと思うんですけど、地震に遭遇された人からトラウマを取り除くというのは、それは無理だと思うんです。しかしそれを少しでも忘れさせてあげる、そういう時間を我々は大いに作ってあげなければいけないと思うんですね。その忘れさせてあげる時間というのは、私は、神社の祭だと、こう思うんですね。
 
柴田:  そういう意味では、大変長い歴史のあるお祭りを執り行う立場に田中さんはいらっしゃいますよね。
 
田中:  そうですね。我々は、先人からよく言われたのは、「祭は同じことを繰り返すことが祭なんだ」と、こういうことをよく言われたんですね。ですからまあ言ってみれば変えちゃいけない、ということなんですね。かと言って、やはりその時代時代の我々の考え方とか、その祭に対する取り組みとか、それはおそらく変化をしてくると思うんですね。しかし原則は絶対忘れてはダメだよと。祭の原則を忘れちゃダメだよと。そういうことだと思うんですね。ですから各神社で行われている祭りというのは、独特の、要するに作法がある祭りもあれば、全国ある意味で共通の祭の作法もあれば、いろんなものもあるんですけど、それは歴史と伝統に則った形で祭というのは再興すべき、ということが、我々の先人から伝えられてきたことなんですね。従ってほんとに祭全体の中で、そういういろんな伝統的なものというのを継承していく。それこそ我々自身の祭に対するやはりしっかりした心構えというものがなければ、祭はやはり伝統的に継承されていかない、そのように思うんですね。ですから、やはり神道というのは、我々日本人の生活そのものですから、そういったものが次の時代に継承していくために、我々は祭という一つの形の中で、これを何とかしてやはり続けていくための努力を重ねなければいけない。我々はやはりしっかりと伝えていかなければいけないというふうに思いますから、本当に目に見えない努力がいるんですね。
 

 
ナレーター:  正月の初詣に始まり、さまざまな人生の節目で、人々は神や仏に祈りを捧げています。それは時が流れ、時代が変わっても、人々がもつ祈る心が廃れることなく、受け継がれているからではないかと、田中さんは考えています。
 

 
田中:  私は、基本的には変わっていないと思いますね。ただ今は、言葉はどうかわかりませんけど、経済至上主義と言いますかね、要するに費用対効果とか、そういった企業側の論理で物事が判断されることが多い。だから例えばどこそこの神社に行けばこれだけが御初穂料を納めすれば何か良いことがあるんではないかという、そういうふうに受け取られる人もいると思うんですね。まあこれはそれこそ時代のいろんな流れというのがありますから、どうしても世の中の動きというのは、経済的な動きであるとか、あるいは政治的なことを含めて、いろんな複雑に絡み合って状況がある。そういう中で、本来の祈りというものが、何かそこに吸い取られてしまっていくような感じもするわけですね。でも神社存在は決してそうじゃない。おそらく石清水八幡宮にお詣りに来られる多くの方たちは、いろんな願いを持って来られることは充分わかっておりますけれども、しかし基本的には、一年に一度、あるいは一年に何回か石清水の神前に詣でることが一つの生活の豊かさに繋がっている。そういうふうに私は捉えておりますね。
 
柴田:  その中で祈りの精神というのは、どういう意味を持ちますでしょうかね?
 
田中:  祈りの精神というのは、やはり人々の幸せを願い、そして地域の繁栄を祈っていく。そういった中に、自分の日々生かされている感謝の気持ちというのが、その祈りの中に含まれている、ということになると思うんですね。ですから祈りというのは、決してそういう場所、ある場所の中で祈るだけではなくて、いろんな場面があると思うんですよ。瞬間的な場面もあると思いますね。そういう時に祈りということを、やはり常に自分自身の精神の中にしっかりと植え付けておく。そのことによって、私は、多くの方々に幸せを感じて頂ける、そういう祈りに繋がっていくと思うんですね。
 

 
ナレーター:  人々が、神に向かって捧げる祈り。田中さんたち神職は、神に仕え、人々の願いを神に取り次ぐことが、最大の役割と考えて祈ることに専念しています。言葉を発して、思いを広めることには、重きをおいていませんでした。しかし田中さんは、最近、神職も祈りや信仰の大切さを社会に向かって積極的に伝える行為―「言挙(ことあ)げ」を行うべきだと考えるようになりました。
 

 
田中:  そうですね。神道は、昔から言挙げをしない。要するに布教しない信仰ですから、おそらく参拝に見える方たちの中で、その神々のことをお考えになって、いろんな機会に神社に詣でておられる。でも、我々としては、言挙げをしないことは、勿論これは大切なことだと思うんですね。しかしながら、言挙げをすることによって、みなさんが希望が生まれ、さらにもっと一生懸命やってみようという気持ちが起こって頂くためには、我々はやはり大いに言挙げをしなければいけない、と思うんですね。日本の歴史伝統文化というのは、これは世界に誇るべきものだと思いますし、さらに精神文化というか、そういった点においては、これは私は世界に対しても、大いにそれこそ言挙げするべきことだと思うんですね。これほど世の中が宗教に対するいろんな人たちの思いが錯綜(さくそう)し、さらに現実に宗教間の争い、紛争、そういったものが頻繁に起こっている。そういった中で日本人の培ってきたそういう人々のことを先ず考えるという、そういう考え方を大いに世界に対しても広めていく必要があるし、それは日本人だからこそ、私はできることだと思うんですね。我々は、やはり毎日の生活の中でも、あるいは年間を通してもいろんな繋がりの中でも、先ず自分の心もけじめを付けて、それに対処していくということは、やっぱりこれからの我が国の若い人たちに是非気付いてほしいし、そのようにしてほしいなというふうに思いますね。
 
柴田:  私自身、振り返ってみますと、神社に詣でて、神職の方とお話をしたことがないんですね。
 
田中:  例えば、あるアンケート調査で、「あなたが悩んだ時に、真っ先に相談する人はどういう方ですか?」これは宗教者のことを問うているんですけども、残念ながら神職というのは、そんなに高い位置にはいない。ということは、やはり神職と人々というか、その間には、そうその壁というものはなくて、常に往き来しているという感覚なんですね。ですから例えば神主さんに聞けばわかるようなことでも、他の人に聞いてみるとかですね、そういう人たちもけっこうおられると思うんですね。でも我々は逆に、こういう時代だからこそ我々から進んで人々の悩み、あるいは苦しみ、そういったものを聞いてあげる。私はよく言うんですけども、神職は、私は言挙げをしなければならん、と言っている立場で、こういうことをいうのは、ちょっと逆になるかもわからないんですけども、要するに「神職は、話し上手よりも、聞き上手になりなさい」というのが、僕の考え方なんですね。ですから、むしろこちらから積極的に機関銃のようにですね、言挙げするんじゃなくて、先ずその人の思いを聴いてあげる、認めてあげる。そしてそれに対して自分の考え方、あるいは自分ならこうする、世の中は今までこういう形で進んできた、そういったことも含めていろんなお話をしてあげることが必要だと思いますね。だからそういうある意味で窓口をしっかりと神社の中にも設けておくべき時代だと思いますね。
 

 
ナレーター:  過去から未来に向かう時の流れ。そういう悠久の流れの中で一人ひとりに与えられた一瞬。「中今」と呼ばれるその一瞬を、多くの人の幸せを祈りながら、悔いのないように生きる。そのことを常に心に留めておくべきだと、田中さんは考えています。
 

 
田中:  確かに「中今の精神」というのは、「一生懸命」と相通ずるものがあるわけですね。しかし一生懸命にしても、自分が報われるとは限らない。逆に言えば、逆の方向で見られる可能性だってある。でもやはり自分がやらなければならないことというのは、これはやはり神々から我々に与えられた大きな役割というものがあると思うんですね。そのことを先ず一生懸命にそれに取り組んでいく。「一生懸命」というのは、今は「一生懸命」と書きますけど、ほんとは一所に懸命「一所懸命」。ということは、やはり昔の日本人というのは、土地―自分が住んでいる土地というものを、命を懸けて守るという。ですからその土地から離れることはない。これが「一所懸命」の本来の意味だと思うんですね。ですからすべてにおいて一生懸命になっている人が、すべてに成功し、すべて上手くいっているかというと、そうではない部分がけっこうあると思うんですね。でもその気持ちはやはり忘れちゃいけないと思いますね。
 
柴田:  これからの神道のあり方なんですけどね、時代が変わって、人々の価値観が変わっていく中で、神道のありようも変わっていくんでしょうか?
 
田中:  私は、こういう表現をするんですけど、「神社というのは、もっとも古くてもっとも新しいところだ」と、こう思っているんですね。神社というのは、歴史がありますね。少なくとも数百年、数千年という歴史がある。しかし、その神社から、その時代の新しいものというのは全部スタートしているわけですね。例えば一つの例を挙げますと、今やごく常識的になっている全国にある神楽(かぐら)ですね。神楽舞というのは、これは五穀豊穣、そういったことを祈る神楽が圧倒的に多い。それと神々の物語を神楽に仕立ててやっている。あの奇抜な服装であるとか、所作であるとか、ああいうものを見られたら、おそらくその当時の人たちはみな驚かれたと、私は思うんですね、逆に言えば。今でこそごく当たり前の形になっているわけですよ。ですから今風に言えば、神楽というのは、当時のミュージカル、あるいは歌劇だと思うんですね。時折、神楽人がお話をしたりしますからね。ですから、そういうものは神社から始まっている。例えばすべての芸能にもそれは言えると思うんですけど。最初の公演というのはほとんど神社でやるんですね。先ずは神さまにご覧を頂く。そこから始まっていくわけですから、ですから能にしても、狂言にしても、やはりそういう形の中でずっと歴史を繋いできたと思うんですね。そういう意味で、「神社というのは、もっとも古くてもっとも新しいところなんだ」と、こういうふうに言っているんですけどね。
 
柴田:  言われてみれば、そうなんですよね。何かこうそういった「神社とは何であるか」ということを、あまり考えることがなくなっていますね。
 
田中:  そうですね。まあそれだけ現代人は忙しいということも言えるのかもわからないですし、それとやはり私どもの立場からいうと、年中行事とか、人生儀礼とか、そういったものがその年間の中もさまざまな形で継承されてきた。それが今は行われなくなってきているわけですね。それは単に忙しさにかまけて行われなくなってきているのか。というよりも、むしろ継承されてきていない。継承がストップしているということが非常に多いと思うんですよ。ですからそういう人生儀礼とか、年中行事というのは、日本人にとって一つの季節、季節、あるいは年齢、年齢のけじめだと思うんですね。そのけじめが付かなくなってきている時代だと思うんです。
 
柴田:  例えば「七五三」もそうですけども、スタイルだけは継承されて、どうなんでしょうか? 根っ子にある本質みたいなものは継承されていますか?
 
田中:  それはやはり僕は、本来の「七五三」の意味であるとか、そういったことは、少し薄れてきているのかも知れないけども、これはやはり親が子を思うという、その考え方については、これはおそらく変わっていない、と思うんですよ。周囲は勿論変わっていますから、昔のような、それこそ子どもたちの服装にしても、そういった伝統的な服装でお参りしてきたものが、今や流行のコスメティックなものを着てみたりですね、いろんな形でお越しになる。でもそれは子どもたちの成長を願うそういった親の心というのは、これは一貫して変わっていない、と私は思いますね。
 
柴田:  中今を生きる我々としては、先人がせっかく作ってきた大事なものを壊しちゃいけないし、
 
田中:  やはり中今の精神というものを、しっかりと自分の中に、それこそ安定的にこう持って、そして今この瞬間一分一秒を、神々から与えられた命を大切に、そしてそのいのちを全うするために一生懸命に生きる。その一生懸命に生きるということは、即ちこれは世の中のために、それこそ公のために生きるということを本分として生きていかなければいけない、そういうことだと思いますね。
 
柴田:  そしてその素養というのは多分一人ひとりの中には具わっているんですね。
 
田中:  あると思いますね。ただやはりそういったことが前面にでると出ないかという、そういったこともあると思いますけれども。やはり人間何か事あれば、おそらくそういった眠っていたものが、カッと表に出てくることって、いろんな場面であると思うんです。お互いがなんか色眼鏡で見るんじゃなくて、お互いにやはりこう気持ちの蟠(わだかま)りを捨てて、お互いに素直になって、そういう事柄について、お互いがお互いを見ていく、ということは必要だと思いますね。
 
柴田:  今日は有り難うございました。
 
     これは、平成二十七年二月八日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである