人生はおいしいフルコース

 

                         帝国ホテル料理顧問 村 上  信 夫(のぶお)

                         き き て     広 瀬  修 子

                                   (NHKアナウンサー)

ナレーター: 東京・日比谷。ここに伝統と格式を誇るホテルがあります。四百人以上の料理人が働く厨房です。帝国ホテル料理顧問の村上信夫さん。村上さんは、昭和十四年、十八歳の時に見習いとなって以来、此処でフランス料理を作ってきました。八十一歳になった今も、厨房を廻り、帝国ホテルの味を守り続けています。村上さんは、昭和三十五年から、NHK「きょうの料理」にレギュラー出演。家庭の食卓に、フランス料理をより身近なものとして紹介しました。昭和三十九年に開催された東京オリンピック。村上さんは、選手村の食堂で料理長として大活躍。日本においてフランスシェフの第一人者の地位を築き上げたのです。しかし、輝かしいキャリアとは裏腹に、歩いてきた道は決して平坦ではありませんでした。十一歳で両親の死に直面、二十歳で出征。幾多の死線を潜り抜け、シベリアで二年に及ぶ抑留も経験しました。どんな状況でも、決して悲観しないという村上さん。その波瀾万丈(はらんばんじょう)の半生と、常に前向きの人生観を伺いました。 

 村上: はい。どうぞ。

広瀬: よろしくお願いします。 

村上: どうぞ、どうぞ。 

広瀬: どうもいろいろお話を伺います。よろしくお願い致します。此処が村上さんの部屋なんですね。
村上: ええ。私の仕事部屋です。ここでいつも仕事をやっています。 

広瀬: いつも村上さんは此処でお仕事なさる時も、このスタイルなんですか。

村上: ええ。このスタイルで。いつも純白な、清潔なスタイルをして、そしてお客さまのところへお伺いする時も、このスタイルで。

広瀬: そうですか。此処ではどんなことを主になされるんですか。

村上: そうですね。時によってはいろいろ料理書を翻訳したり、頼まれては料理の歴史を調べたり、その他自分のいろいろのことをやっています。 

広瀬: 調べ物をしたり、勉強なさったり、というお部屋なわけですね。 

村上: そうです。場合によってはフランス語のメニューを書いたり、結構追われています。

広瀬: じゃ、今も勉強なさっていらっしゃる、という感じなんでしょうか。

村上: ええ。まだまだ知らないことばかりですから。まだまだ勉強しなきゃダメですね。

広瀬: ハァー。じゃ、夜遅くまでいらっしゃることもあるんですか。

村上: そうですね。遅い時は、此処を出るのが十時過ぎ。場合によっては、お客さまがいらっしゃる時は、十一時になる時もあります。

 広瀬: そうですか。

村上: でも苦になりません。自分の好きなことをやっているんですから。

広瀬: これは? 

村上: 「味に苦しみ 味に泣き 味に一生を捧げる」ということで。

広瀬: これ村上さんのお言葉ですか。

村上: ええ。もう三十年位前によく本に書いたんですけど。もう一つ「味に喜ぶ」という、もう一つ入っているんですけど。

 広瀬: ほんとは

村上: これは、私、お酒が好きなものですから、お酒の樽に彫ってくれたんです。

広瀬: これ、お酒の樽なんですか。

村上: そうなんです。

広瀬: じゃ、これは、「苦しみ」「泣き」しかありませんけど、ほんとは「喜び」の方が大きいんでしょうね。

村上: 喜びの方が大きいですね。

広瀬: ほんとに。 

村上: 自分が好きなことをやっているんですから。だから、私なんか幸せだと思います。自分の好きなことをやって、そして月給を頂いているんですから。

広瀬: この道、ほとんど七十年。

村上: そうですね。今、まだ八十一歳ですけど、そのうち約七十年、料理一筋ですから。

広瀬: ほんとにこれからもまだまだきっと、

村上: そうですね。まあ一生ですね。そこに書いてあるように、「味に一生を捧げる」ですね。「味に一生を捧げる」、これが間違いないですね。 


ナレーター: 村上さんは、大正十年、東京・神田に生まれました。当時、両 親は食堂を営んでいました。しかし関東大震災で店は全焼。そして、村上さんが十一歳、小学校五年生の時に、両親は相次いで結核で亡くなりました。 


広瀬: 料理の道に村上さんが入られてから、もう七十年近いわけですね。 

村上: ええ。七十年近くなりましたですね。

 広瀬: どうして料理の道へ、ということなんですか。

 村上: 私、親に縁がなくて、尋常小学校五年生の時、母親が七月に亡くなりまして、父親が十月に死んだものですから。それで何か自分で腕に職業をつけた方がいいという考えで、いろいろと考えていたんですけど、まあこれからは西洋料理の方がいいだろうということで、この道に入ったんですね。 

広瀬: じゃ、それが十一歳のとき、 

村上: 正確にいうと、十一歳と何ヶ月ですね。 

広瀬: ご両親がお二人とも相次いで亡くなられたんですか。 

村上: そうなんです。母親は自宅で亡くなりまして、父親は病院で亡くなりました。 

広瀬: 同じご病気ですか。 

村上: ええ。昔でいう結核ですね。当時は結核になると殆どダメだったですからね。 

広瀬: じゃ、暫く寝ていらっしゃった? 

村上: ええ。ずーっと母親は二月位寝ていましたけど、父親は何年と寝ていました。 

広瀬: そうですか。村上さんとしては、じゃ、もう大分前から、お母さま、お父さまのことを心配なさりながら。 

村上: 心配していましたけども、いろいろ話聞くと、「もう長いことない」という話が耳に入ってきましたから、それなりに覚悟はしていました。 

広瀬: そうですか。でも、まだ十一歳で、 

村上: そうそう。 

広瀬: お母さん、お父さんは恋しい年頃ですよね。 

村上: そうですね。 

広瀬: その辺は覚悟は出来るものなんでしょうか。 

村上: ええ。私、増(ま)せていたのか、結構後のこと考えていましたから。というのは、両親が死んだら、どこかに行って働こうと。そういう覚悟は出来ていましたから。 

広瀬: ご兄弟もいらっしゃるわけですよね。 

村上: ええ。妹が一人いまして。妹は両親が死んでから、私が育てることが出来ませんから、子どものいないご夫婦のところに養女に行きましたから。ですから、私は、天涯孤独で、独りになりました。 

広瀬: そうですか。それで、「自分独りで、これから生きていくぞ」というふうに思われたわけですね。 

村上: あ、そうですね。ですから、頼れるのは自分だけですから。まあ私は、人に言わせると、「運が悪い」と言うんですけども、私は、「運がいい」と思っていますね。 

広瀬: 運がいい? 

村上: ええ。 

広瀬: ということは? 

村上: 両親に早く死なれたから、社会に出て、そして腕に技術を付けようという気になりましたし、おそらく両親が健康で学校へ行っていたら、勉強しなかったんじゃないかと思いますね。 

広瀬: でも、お友だちには、勿論ご両親が揃っていらっしゃる。やっぱり羨ましいなあとか。 

村上: そういうことはありましたですね。それでも案外それほどメソメソしていませんでしたから。生まれつき暢気(のんき)な方ですから。もう仕方がないと諦めましたですね。

広瀬: そんなに簡単に諦められないんじゃないですか? 

村上: 私は子どもの時から、そういうことも諦めるのはパッと諦めちゃいますから。 

広瀬: じゃ、あまり後ろを振り返らないで。 

村上: そうですね。 

広瀬: 前へ、前へ? 

村上: 前を見る。「前へ前へ」と。後ろを見ないで、「前、前」と。前をみるほうですね。 

広瀬: そうですか。 

村上: ですから、私に言わせると、「非常に幸せ」。というのは、性格的にどっちかと言うと、暢気に、悪い言葉で言ったら、「暢気な人間に生んでくれて、そして暢気に育ててくれましたから」。ですから、物事を深く考えて、そして考えて、考えて、考え抜いて、「困ったなあ」とか、そういうことは一切ありませんから。実社会へ出て、それでもいろんなことがありまして、考えて、考えつかないと、私はそのまま「明くる日考えよう」って、すぐ寝て終いますから(笑い)。 

広瀬: そうですか。 

村上: 寝られないことなかったので。 

広瀬: でも、十一歳の子どもさんにとっては、最大の不幸というか、 

村上: あ、そうかも知れませんね。でも人間は、必ず一生のうちに、自分が死ぬか、或いは順番にいけば両親から死んでいきますからね。これは仕方がないことで、そういう点は、それなりに、私は覚悟していましたから。 


ナレーター: 小学校の卒業もそこそこに、料理の世界に飛び込んだ村上さん。五軒のレストランを渡り歩き、十八歳の時に、念願の帝国ホテルの厨房に入りました。しかし、そこでの仕事は、想像以上に厳しいものだったのです。


広瀬: お仕事の方はどんなことをやったわけですか。 

村上: 仕事はですね、こっちへ廻って来たら、石渡文治郎親方が、「おい、村上、お前、鍋屋へ」と言って、お鍋洗いに回されたんです。

広瀬: 「鍋屋」というんですか。

 村上: ええ。「鍋屋」と、そうです。それでお鍋を洗っているところの親方に、「こいつ、村上というんだけど、少し鍋の洗い方、仕込んでやってくれ」と。「へえ!」と言 って、毎日毎日お鍋を洗った。そのうちに、私もソースがお鍋に付いてくるだろう。それ舐めて味覚えてやろう、と思ったら、朝、行きますと、大きなお鍋に、「寸胴(ずんどう)」と言うんですけど、それに粉石鹸を入れて、水を入れて、うーっと大きな泡立てて作らされるんです。「なに?掃除する時に使うのかな?」と思ったら、そうじゃなくて、自分たちが使ったお鍋に、洗い場に出す時、石鹸水を入れて出す。

広瀬: もう洗い場に来る時には、石鹸水が入ってくるわけですか。

村上: そうなんです。ですから、苦労して覚えた仕事を人に教えないわけです。月給の制度が違いますから。今は、年齢と勤務年数によって月給が決まりますけども、昔は腕のいい人が月給をたくさん貰いますから。

広瀬: 能力給なわけですね。 

村上: 能力給です。ですから、仕事の出来ない人は月給が安いです。ですから自分が苦労して覚えた仕事を人に教えない。

 広瀬: 後から来る者、みなライバルなわけですね。 

村上: そうそう。 

広瀬: そういう中で、ほんとに只々、鍋を磨いているというのは、どういう? 

村上: 鍋を洗っていたんですけども、外側があんまり綺麗じゃないんですね。それじゃ私が、「この鍋を綺麗にしてやろう」というので、休憩しないで、鉢巻きして、ほんとにランニングシャツ一つになってですね、磨き砂とお酢と塩を使って、毎日毎日お鍋を磨いていたんです。 

広瀬: それは誰でもそこから始まらなきゃならないわけですか。鍋を磨くというところもみなさんスタートはされるんですね? 

村上: やることはやったんですけど、全部の鍋を磨いた人は誰もいなかったそうです。 

広瀬: ハァー。 

村上: 当時、三百いくつありましたから。その鍋全部磨き上げたのは、私だけだそうです。 

広瀬: 休み時間を返上して。 

村上: 休み時間を返上して、三ヶ月。 

広瀬: 三ヶ月。その時には一生懸命。ともかく一生懸命という感じだったですか。 

村上: そうです。一生懸命ですね。やっぱり綺麗な鍋を使うと、仕事をやるのにも気持よく出来る。気持が良いと料理も上手く出来る、ということで。ですから、いい鍋を使いますと、仕事がよく出来るんです。変な鍋を使うと、「ウェー、この鍋じゃ」という気が起きたら、ろくな料理出来ませんから。 

広瀬: ということは、先輩に、「美味しい、いい料理を作って貰おう」という気持なわけですか。

村上: そういうことです。これは磨いたお鍋で、こういうふうに綺麗ですね。 

広瀬: ピカピカですね。 

村上: ピカピカです。 

広瀬: これはどの位古いものなんですか。 

村上: これは私がお鍋洗いやっている頃からのお鍋ですから。 

広瀬: え! 

村上: ですから、五十年、六十年経っていますね。 

広瀬: これ二つともですか? 

村上: ええ。 

広瀬: 全部、これピカピカですね。 

村上: ここに番号打っているのは全部古い。打っていますね。「1-45」ということは、もうこれ古い。これも「1」が入っているでしょう。「1-90」ですね。底を張り替えてありますしね。これも底を張り替えたばかりですね。槌の跡が出ていますから。

広瀬: あ、そうですね。 

村上: 張り替えたばかりですね。 

広瀬: これもかなり年期が入っていますね。

村上: 年期入っています。私、洗った覚えがありますから。そうしましたら、各部署のシェフが先輩に、「おい! この頃、鍋綺麗になったな! これ誰が磨いているんだ!」。こう言ったんですね。そうしたら、「これは鍋屋の村上が磨いているんですよ」と言ったら、みなさんが、「あの野郎! なかなか料理の心が分かるなあ」と。「あいつ、洗っている時は、ソース付けてやろう!」と言うんで、付けてくれたんです。初めてソースが付いて持って来た時、先輩が持って来たんです、洗い場に。その時、「何をいうかな」と思ったら、また怒られるといけないと思って、こうやって顔を見たらですね、ウインクしてくれたですから(笑い)。 

広瀬: ウインクですか(笑い)。そうですか。 

村上: 舐めていい、という。それから、私がお鍋を洗っているときは、必ずソース付けて出してくるようになったんです。それから宴会だとか、あちこちで呼び出しがあって、「おい! ちょっと、手が足らん! 手伝い!」と言いますと、お鍋屋の親方に、「ちょっと手伝って来ます」。「お! 行って来い」というんで、行くんです。そうしますと、それは、「よく仕事を見ていろ。こうやってやるんだ」ということを、口では言わないけども教えてくれているんです。とにかく、横文字もアルファベットも読めないですから。メニューを読めないですから。増しては、読めないから書けません。ですから、先輩にメニューを日本語で読んでもらって、それからいろいろ準備するんですから。ですから、大変だったです。 

広瀬: やっぱり「メニューが読める」ということは、料理人には大切なことなんですね。 

村上: ええ。読めなければいけない。ですから、それから今度、「これじゃいかん」と。「勉強しなければいかん」というので、古本買って来て、勉強したり、それから夜仕事が終わってから、我々の料理協会の事務所にフランス語の先生に来てもらって、そこで勉強する人たちがみんな集まって、そしてフランス語を教わった。それが始まりですね。 

広瀬: そうですか。でも、小学校もなかなか行けなかったんですから、なかなか勉強すると言っても、大変なことですよね。 

村上: 漢字も勉強しなきゃいかん。それからいわゆる算数も全然ダメだし、何からかにまでみんなやらないといけないですからね。 

広瀬: やっぱり算数も勿論、目方量ったり。 

村上: 目方量ったりしないといかんし。で、やっているうちに記憶力がよくなりまして、物忘れしなくなりました。今でも記憶力が非常にいいですね。 

広瀬: 料理場でやはりいろんな分量とかいうのは、メモしたりするわけですか。 

村上: ええ。そうです。初めの頃は。言われると、4B鉛筆を短く切って、ゴム輪で繋いでおいて、こう腕に書いてですね。 

広瀬: 腕に書くんですか? それはなんかメモを出すわけには? 

村上: メモを出すと、「この野郎!」とやられちゃいますから。 

広瀬: ハァー。 

村上: 「これ、頭で覚えろ!」と言われますから。ですから、腕に暗号で書いてですね。 

広瀬: 暗号で? 

村上: ええ。そうして言われた通り、目方量って持って行く。それがみんな聞き直すと怒られるものですから、だから、仲間がいい加減に持って来る。そうすると、「この野郎! 目方を間違いやがったな!」と脅かされる。私の場合は、腕に書いていますから、間違いないですから。「あいつは、ちゃんと分量間違いない」と、また信用が出来てきたんです。その書いたのを、今度はトイレへ行ったり、食事をした時に、ちょっと忘れないようにメモに書き残して、そして手を洗って行く、と。 

広瀬: ハァー。じゃ、メニューもだんだんフランス語を勉強して、書けるようになってくると、やはりノートを取ったりもなさったんですね。

村上: そうですね。ここにありますこのノートが・・・これなんですね。当時、私がメモしたものなんです。下手な字で。 

広瀬: これは何年前の? 

村上: 十六から二十歳位ですね。 

広瀬: そうですか。随分細かく。 

村上: この頃配給ですから、帳面も。インクも配給、ペン先も配給ですから。ですから、無駄に出来ない時期ですから、インクなんか水で伸ばしたから、色がみんな違います。分かるまで薄めたですから。 

広瀬: インクをたくさん何回も使えるように? 

村上: ええ。いくらたくさん使えるように。それから字ペンも書いていて、先が太くなってくると、砥石で研いで使っていますから。 

広瀬: ハァー。でも、拝見すると、随分達筆ですね。 

村上: いいえ。 

広瀬: 「達筆ですね」というと、失礼ですけど。 

村上: いいえ。下手です。ただ一生懸命書いていますけどね。この六行だけ一日に書くんですから、丁寧に書いても書けますから。 

広瀬: 一日六行ずつ。 

村上: 一ページ書くなんていうことは滅多にないですから。六行ぐらいですからね。 

広瀬: 「プロバンス風のポタージュ。以下述べるところのスープは、十人前を標準とする」。 

村上: 僕は、昔こういう言葉を使っていたですから。今だったらこんな言葉使わないですけどね。料理書を読みますと、こういう言葉を使っているから、真似してですね(笑い)。 

広瀬: ちょっと気取った感じだったんでしょうか? 

村上: そうです。 

広瀬: じゃ、そういう形で、一生懸命勉強して、だんだんこういうものが増えていって。 

村上: そうですね。今は、書けるようになりました。 

広瀬: ところが、それから戦争に行かなければならないことになったんですね。 

村上: そうなんです。  

ナレーター: 村上さんが、帝国ホテルで修行に励んでいた頃、日本は戦争の泥沼へ突入していきます。村上さんも、昭和十七年に出征。中国の最前線へ送られました。日本一のコックになりたいと思っていた村上さんでしたが、この時は、お国のために死のうと覚悟して、戦地へ向かったと言います。帝国ホテルの厨房から出征したのは、十三人。生きて帰って来たのは、村上さんを含め三人だけでした。 


村上: 初めは鉄砲を撃つ科だったんです。それで鉄砲を撃つんですけど、目が乱視だから、弾が当たらないです。実弾射撃をやっても。で、「この野郎! 弾を無駄にする!」って、怒られて、軽機関銃へ廻って、軽機関銃もダメですね。今度、擲弾頭(てきだんとう)という三十センチ位の筒があるんです。そこに弾を入れるんです。そしてパーンと飛ばして、そして大砲の小さいような威力なんですけど、直径十五メートル、殺傷効率があるんです。弾が落ちると。それに廻って演習していたら、弾を逆さまにいれたんです。そうすると、その筒の中で爆発するんです。火薬が入っていないから、みんな良かったんですけど、火薬が入ったら周りにいた者全部戦死ですから。それですから、「お前みたいな奴がいると、戦わないうちに全滅だ!」と言って、「ダメだ!」と言うんで、大砲へ回されたんです。大砲に回されましたら、大砲を照準するのは、両方の手を使ってやりますから。コックですから、両方の手を使いますから。それで早いし、それでメガネを使いますから。「眼鏡(がんきょう)」と言って、乱視あんまり関係ない。それで芽が出てきた。それまでは、「員数外」と言って、居ても居なくてもいい兵隊だったんです。 

広瀬: じゃ、そのお料理の両手を使っていたのが役だった。 

村上: ええ。役だったんです。ですから、そこで初めて芽が出て来てですね、随分いろんな作戦に参加していますから。何回も死に損なってですね。自分の身体に四カ所、負傷していますから。眉毛の上、額に破片が刺さって。眉毛が薄いのは、これ弾の刺さった跡です。肩やられ、背中やられ、足やられましたから。 

広瀬: ハァー。 

村上: それでもやっぱりこれも運がいいんです。この眉毛のところへ刺さった弾、五ミリ下だったら、今、片目です。それで背中に当たった弾、これ肩甲骨をパッと当たって、弾飛んでいっちゃったんです。肩甲骨三つにヒビがいったんです。これがもう一センチ下だったら、死んでいたんですから。 

広瀬: ハァー。 

村上: 背中に機関銃の破片が入ったんですから。 

広瀬: 何回も、「九死に一生を得て」という感じで、生き延びていらっしゃったわけですね。 

村上: ですから、戦闘を終わって、「戦傷者集まれ!」と言うんで、みんな治療に集まったんですけど、軍医さんが、治療してくれましてですね、その時に、「村上! お前は運が悪いな。二時間半か三時間の戦闘で何カ所もやられたな」と言われたけど、「いや、私は運がいいです。一発でも死ぬ人がいるんですから」と言ったら、「お前! いいこと言うな!」と言っていたですけど。私はもう「ほんとに運が良かったなあ」と、そう思っていました。眼も瞑(つぶ)れたと思ったら、大丈夫だったです。眼が、当然ここへ当たりましたから、こんなに腫れちゃいますから。それで血だらけになりますから、見えなくなるのは当たり前で。 

広瀬: 他の人からみれば、そんなにいろんなところ怪我して、大変で、「運が悪かったな」ということでも、村上さんにとっては。 

村上: 私にとっては、「運がいい」です。一発で死んじゃう人、たくさんいるんですから。それもほんとに僅かの差で軽傷ですから。 

広瀬:  そうやって、いつもやっぱり「運がいいな」と思いつつ、 

村上: そうですね。自分で、「運が悪いと思ったら、運は逃げちゃいます」。自分では、「がいい、運がいいと思ったら、運というものは付いてくる」ものです。 

広瀬: ハァー。 


ナレーター: 昭和二十年八月、村上さんは、朝鮮半島で終戦を迎えました。漸く終わった戦争。しかし、運命の悪戯か、三十八度線より北にいた部隊は、極寒の地・シベリアに抑留されたのです。 


広瀬: でも、シベリアというのは、寒いでしょう。 

村上: 朝、私らの行ったところ、イマン地区は、朝、零下四十八度から五十度です。 

広瀬: 四十八度! 

村上: 四十八度から五十度ですね。零下三十五度になると、鋸─「ピラ」と言って、鋸を持って、斧を持って、原生林の伐採に行くんです。寒いです。 

広瀬: そうですね。 

村上: それで、着る物夏、終戦になったんですから、着る物もろくな物はありませんし、それで「満服」と言って、中国人の着ます綿の入った服を、夏服の上に着て、そして上からオーバーを着て、そして作業やるんですから寒いですよ。それで、伐採やって、休憩時間になります。焚き火にあたりますね。焚き火にあたったって、周り雪ですけど、融けないくらいです。そこで食べ物の話するんです。「俺の方じゃ、正月になるというと、ずんだ餅というのを作るんだ! これは美味い!」と言って。「なに、俺の方じゃ!」と言って、みんな自分の故郷(くに)の食べ物の自慢話をするんです。 

広瀬: 食料があまりその頃無いわけですね。 

村上: 無いです。行った頃は、ジャガイモ一食。小さいのを三個ですから。それに塩ひとつまみですから。無いんです。それで、「向こうの野郎は上手い物食っているだろう!」なんて言うから、「見て来てやろう!」と言って、見に行ったら、奴らも同じでした。 

広瀬: ハァー。 

村上: 無いんですね。それでそうやって、やっているうちに、今度、食べ物無しになって、今度は家族の話になって、一番最後は、「もう俺たちは帰して貰えないんだろう」という話になるんです、一番最後は。それで、私が居ると、「そんなことはないぞ! 国際法もあるし、赤十字もあるんだから、必ず身体、健康にして、必ず帰れるよ!」というと、そうすると、みんなが、「おーい! 村上、それは本当か!」と。「本当だ!」と言って。「お前、責任持つか!」「責任持つ!」というと、「そうか!」と言って、それでニコニコ笑うようになるんですけど。 

広瀬: ハァー。村上さんはほんとに信じて、方便じゃなくて。 

村上: 方便じゃなくて、「必ず帰れる」と思っていた。私が居ると、その作業に行っている連中も、みんな悲観した話をしても、最後はニコニコ笑っていました。 

広瀬: ハァー。それで力が出るわけですね。 

村上: そうですね。私も、嫌々仕事をやったってしようがないし、もう進んで仕事をやってやろう、と。それで進んで仕事をやっていました。 

広瀬: 零下四十度から五十度という寒さですし、食べる物もあまりないということで。 

村上: そうでした。 

広瀬: じゃ、栄養失調で亡くなる方もいらっしゃったわけですね。 

村上: みんなそれで亡くなりましたですね。 

広瀬: その病で倒れて、ほんとに苦しんでいる人が、「あれが食べたい」と言われたら、村上さんは─、 

村上: そうなんです。私も、その時、訊いたら、「パイナップルが食べたい」というものですから、それで、「困ったな」と思ったんですけど、向こうのおばあちゃんの女医さんに言ったら、「じゃ、アメリカのレイションがあるかも知れないから。 

広瀬: アメリカの? 

村上: 「アメリカの缶詰がきているかも知れないから、見てきてやろう」と。そうしたら、無くてですね、リンゴ二個持ってきたんです。 

広瀬: じゃ、ほんとに苦しんでいる方で、「パイナップルが食べたい」とおっしゃったんですね。 

村上: そうです。それを利用してですね、そしてパイナップルらしく作ったんです。 

広瀬: ハァー。 

村上: それで冷たくして、食べさせたら、ご本人はパイナップルだと思って食べていました。 

広瀬: ハァー。リンゴで作るんですね。 

村上: そうなんです。 

広瀬: それはどうやって作るわけですか。 

村上: リンゴをこうパイナップルの輪と同じように輪切りにして、芯を抜いてですね、そしてその時はパイナップルと同じように縁もちょっと傷をつけて、そして楊枝でこう筋を付けてですね、煮込みましたから、まったくパイナップルと同じですよね。 

広瀬: 周りに筋が付いてギザギザとした感じにして、パイナップルらしく見えるようにして。 

村上: そうなんです。 

広瀬: ハァー。それで甘く煮るわけですか。 

村上: 甘く煮て、そして冷たくしてですね。そうしたら、それを食べて、「美味しかった」と。全部残さないで食べました。 

広瀬: ハァー。今、その・・・ 

村上: それ、あります。 

広瀬: その頃、村上さんがお作りになったパイナップルを再現して頂いたんですけれども。 

村上: こういう具合にですね。 

広瀬: これ、リンゴで出来ているんですか? 

村上: リンゴです。まあリンゴをパイナップルとまったく同じですけど。今日は筋を付けないですね、リンゴだということが分かるようにやりました。これにこう筋を付けますと、パイナップルと同じになっちゃいますから。縁をちょっと切り込みを入れますと、まったく同じになっちゃいますから。分からないといけないので、リンゴだと分かるように、今日はこの程度の加工にしておきました。 

広瀬: でも、「食べたい」と言った方は、「パイナップルだ」と思って。 

村上: 思って食べた。そして、明くる日、トラックが来ましてですね、それでイマンという町の病院に入院したんです。それ、私ら、春がきまして、そして、谷底へ水を汲みに行きまして、一服していましたら、トラックが来て、そこから誰か一人若いのが飛び降りて、こちらに駆け出して来るんです。誰かと思って見たら、その人でした。 

広瀬: え! 駆け出して来たんですか? 

村上: ええ。「こんなに元気になった」と。それは、「あのパイナップル、ご馳走になったから、生きていれば、こんな美味しい物が食べられるんだ。日本に帰ったら、こういう美味しいものが食べられるんだ。そういう気持が湧いてきて、必ず治る、必ず治ると、自分で信じていましたら、こんなに元気になりました」と言ってきました。 

広瀬: ハァー。 

村上: 「私は、パイナップルのお陰です」と言っていましたから。その時は嬉しかったですね。私も、コックで良かった、と。ほんとにその時は一番嬉しかったですね。 

広瀬: ハァー。もう死にそうな人だったんですよね。 

村上: 「もうダメだ」と言ったんです。日本の軍医さんも見放しましたし、ソヴエトのお医者さんも、「もう長いことない」と。「なんか食べさせてやれ」と言ったのが、ソヴエトのお医者さんだったんです。優しいお医者さんで、女医さんで、おばあちゃんですから、「なんか食べたいものがあったら、訊いて食べさせてくれ」と。それで、「材料あるものだったら、私が持ってくるから」と、そういうふうに言ってくれたんです。 

広瀬: ハァー。その方は一口食べ、随分召し上がったんですか? 

村上: ちょうどこれだけやったんです、二切れ。それ、みんな食べましてですね。病人ですから、食事が進まないのに、この二つを食べちゃったんですから。 

広瀬: ハァー。じゃ、「生き返った」という感じだったんでしょうね。 

村上: そうです。一緒に「遠州(えんしゅう)丸」という船に乗って、日本に帰ってきましたから。 

広瀬: そうですか。戦争に行く時には、お料理はしない積もりで出掛けたわけですよね。 

村上: そうです。「料理はやらない。戦うんだ」と。そういうつもりで戦争に行ったですから。ですから、爪を切って、髪の毛を切って、そして遺言を書いて、それを家の親戚に、「骨が帰って来なかったら、これを親と同じ墓に埋めてくれ」と遺言書いて、それで行ったんですから。 

広瀬: それなのに、そういうふうに、「戦場で」というか、シベリアで、最後にはパイナップルをリンゴで作る、というようなことになったわけですね。 

村上: そうです。その時にまた、私は、「私のやることは料理作ること以外にない」と。「一生この味に捧げるんだ」と。「これから帰ったら勉強して、そして腕のいいコックになる」と。その時、思いましたですね。 

広瀬: 「また、帰ったらやろう」と。「お料理で、こんなに人が助かけられるんだ」というのが。 

村上: そうですね。喜んでくれるんですから。それは、「人が喜んでくれることは、進んでやらなければいけない」と、その時思いましたですね。 

広瀬: 美味しいものを作りたい、と。 

村上: そうです。 


ナレーター: 料理人として、「味に一生を捧げる」と決心した村上さん。シ ベリアから復員し、再び帝国ホテルで、コックとして精進を重ねていきました。三十四歳の時、村上さんは、ヨーロッパに留学することになります。前向きな生き方がチャンスをもたらしたのです。 


広瀬: そして、確か昭和三十年に留学の話がきたんですね。 

村上: そうなんです。それで、前は駐留軍の高官宿舎でしたから。ですから、向こうの人がみんな管理していました。そのうちに、進駐解除になって、昔と同じように仕事をやる、と。それで今度は、「いまヨーロッパはどういうふうになっているか。誰か向こうに行って勉強させよ」と。それで、「若いのがいい。身体も健康で、若くて、仕事の出来るのがいい」というので、私の先輩が、一人ひとり犬丸徹三社長に呼ばれて、「ヨーロッパに行かないか」と。「但し、今、外務省の許可も下りないし、外貨の割り当てもないから、ベルギーに行く大使に付いて行って、そしてベルギーの大使館で暫くやりなさい。そのうちにこちらから手を打って、フランスに勉強にやらせるから」と言ったんですけど、みなさん、「帰って家族と相談して、それからご返事したい。三、四日ご猶予願いたい」と。みんな帰って来ちゃったんです。 

広瀬: 何人かの人が呼ばれて。 

村上: 八人だったです。 

広瀬: 社長室に呼ばれて。そういう話を言われたわけですか? そう言われた時に、「家に帰って相談してみます」と。 

村上: ええ。それで、「相談して、ご返事します」と。それで、「三、四日ご猶予願いたい」と、帰って来てしまったんです。犬丸徹三社長は、気が短いものですから、「そんなことはダメだ」と。「決断心のない奴はダメだ」と。それで私が行ったら、突 然、「お前、どうだ。フランスに勉強に行かないか」と言われるから、「はい」と、そこで返事しちゃったんです。そうしたら、社長がビックリして、「お前、家族に相談していなくていいのか」。「ええ。私、帰って、家内に言い含めますから、大丈夫です」というんで、私が決まっちゃったんです。ほんとは私が行くわけじゃなかったんです。 

広瀬: もう八人既に、 

村上: 私より腕のいい先輩が、八人も呼ばれているんですから。 

広瀬: でも、そこで社長が、「行け」とおっしゃった時に、全然躊躇せず、迷わずに。 

村上: ええ。前のベルギーの日本の大使館にまず行くということで、それでその時、いろいろ考えたら、ベルギーは、「ワロン」と言って、まあちょっと訛のあるフランス語なんです。片一方は、ドイツ語とオランダ語と混ぜたようなフラミッシュ語なんですね。フランス語を使うから、私もその頃、「勉強しなければいかん」と言って、フランス語を勉強していますから、それで返事が出来たんですね。 

広瀬: フランス語を勉強していたんで、あまり躊躇(ためら)わなかった。 

村上: そうです。それから、私は若い連中には、「普段から、自分で勉強しておけ」と。勉強方法の細かいことはいろいろ教えてやって、それで、「勉強して置いてチャンスというものは来た時に掴まえる力がなければ、チャンスは逃げちゃうんだぞ」と。「普段から力を付けて、チャンスが来た時、パッと掴まえて、そしてそのチャンスに乗って、そして勉強しなければいけない」と。そういうことをいつも言うんです。だから、「チャンスは練って待て」。 

広瀬: 「練って待て」。 

村上: 「寝て待っていてはいかん」と。 

広瀬: 「寝て」でなくて、「練って待て」ですか。じゃ、本当にフランス語が役に立ちましたね。 

村上: 立ちました。 

広瀬: お料理の方は、どういう修行だったんですか。 

村上: お料理は、リッツの料理場に入りましたですね。 

広瀬: 「ホテル・リッツ」ですね。フランスでも有数の、と言うか、ナンバー・ワンの。 

村上: 名門なんですね。それで、オーギュスト・エスコフィエという有名な料理長がいて、その系統を引いているんです。ですから、向こうに行く人は、みんなそこへ入って勉強したいんですけど、なかなかチャンスがないんですね。 

広瀬: ハァー。 

村上: 私の場合は、会社と会社の話で、入れて貰って、中で仕事を始めたんですけど、やはり日本は敵国だったですから。ですから、向こうは、偉い人たちはよく面倒をみてくれますけど、私らの仲間は、もう仲間に入れてくれないんです。 

広瀬: 辛いことも、 

村上: それはもう、例えば、肉のフィレ肉を出してきて、掃除をしていますと、そうすると、私の側から誰もいなくなっちゃう。食事をする時も、私の側に誰もいなくなっちゃう。そういうことだったですね。 

広瀬: 仲間に入れてくれなかったわけですね。 

村上: 入れてくれない。それでジャンコックという、トゥルナン・シェフと言って、一つの部署のシェフが休むと、そこへ廻ったシェフがいるんです。若いシェフですね。彼がパリの柔道初段で、「俺は、プルミエ段だ」と。「サンティユール・ノァールだ」から、「黒帯だ」という。私は、「講道館の二段だから」と言ったら、「嘘だ」と思って、休憩に行こうと思ったら、「待て!」と。「此処で柔道をやろう」と。型しか出来ませんけど。それで、そこで汗をびっしょりかいて、休憩時間に投げの型をやった。私が、こうパッと組んだ時、「これは俺より弱い」と。向こうは、「俺よりこっちの方が強い」と。 

広瀬: じゃ、村上さんの勝ちなわけですね。

村上: ええ。そこでいろいろ投げの型を、休憩時間中、汗びっしょりかいてやったんです。そうしたら、みんな休憩に行かないで、壁のところに張り付いて、腕組みして、みんな見ていた。それ、ページボーイから客室ボーイから調理場の連中から、みんな見ていたんですね。それで終わって、ジャンコックとは握手した時に、「パッパッパッ」と、拍手が湧いたんですね。見たらみんながいる。それで、みんな一人ずつ来てですね、そして、「良かった、良かった」と言って、握手してくれた。それで、その日の午後から、今まで、「プテジャポネ(小さい日本人)」とか、「ムラ」と呼びつけだったですけど、その午後から、「ムッシュ」が付いて、「ムッシュ・ムラ」と。それで仲間に入れてくれて、仕事も楽しく一緒にやりましたから。それで、先輩はいろいろと親切に教えてくれるし、良かったです。やっていて良かったな、と思ったですね。 

広瀬: 柔道をね。 

村上: 何でもやっておくということは、非常にいいことですね。 

ナレーター: 留学から帰って来た村上さんを待っていたのは、帝国ホテル新館料理長のポスト。並み居る先輩を差し置いての抜擢でした。村上さんは、ヨーロッパで学んだ最先端の料理を帝国ホテルに持ち込みます。そして古い体質を刷新していきました。新しい風を、厨房に吹き込んでいったのです。 


広瀬: それで、じゃ、新しい調理長としてのお仕事が始まるわけですね。

村上: そうなんです。 

広瀬: その調理場厨房の方はどういう形になっていたわけですか。 

村上: 厨房はですね、私の先輩が二十名位こちらにきまして、そしてやったんですが、初めは、「あの野郎、とんでもない野郎だ」。フランスで流行っている料理を、私、やるものですですから。そうすると、「あの野郎、出鱈目な料理やりやがって。こんなものダメだ!」とか、いろんな反発があったんですけど、だんだんやっているうちにですね、私もちゃんと礼を尽くして、そして自信をもってやっていますから、「これはリッツでやっていた」「これは、マキシマムでやっていた」「これは、どこでやっていたんだ」ということをハッキリ言いますから。それからだんだん「ああ、そうか、そうか」というので、聞いてくれるようになって、三月(みつき)経ったら、みんな私に協力してくれるようにな りました。

広瀬: そうですか。 

村上: 初めは大変だったです。 

広瀬: やっぱり先輩ですからね。 

村上: ええ。鶏とエビと一緒に煮込んだような料理があるんです。そういう料理を出したりね。牛肉と牡蠣を使った料理を出したり、マシュルームを生のサラダで食べさせたりしていましたから。タンポポのサラダを出したりですね。ですから、随分大変だったですけど。 

広瀬: 先輩方としては、「こんなものは」と。「見たこともない料理だ」と。 

村上: でも、二月(ふたつき)一緒にやっているうちにだんだん理解してくれて、「そうか、俺たちも向こうへ行って勉強しなければいけないな」と言ってくれるようになりましたです。 

広瀬: それはやっぱり村上さんが、一つ一つ「こうだ、ああだ」というふうに説得というか、説明したというんですね。 

村上: 説得しました。 

広瀬: でも、その料理場は、昔はかなり封建的と言いますか、荒っぽいところだったわけですね。 

村上: 封建的です。帝国ホテルでも、まだぶん殴ったり、けっ飛ばしたりするのは当たり前なんですから。サンドイッチ六百人前作るなんかというと、大きなまな板のところに、若いのが、ナイフ、二、三本持って、それでパンは積んであって、「一本のパンを四十二枚で切れ」と言って、それを切るわけです。競争ですね。それで曲がって切ったり、数が多かったり、少なかったりすると、後ろからポンと蹴られています。 

広瀬: 四十二枚にちゃんと切らなければいけない。 

村上: それもちゃんと姿勢よく切らないと、パンが曲がったり、薄くなったり、厚くなったりしちゃいますね。 

広瀬: でも、ヨーロッパから帰っていらっしゃった時でも、やぱりまだそういう感じだったんですか。 

村上: そうです。それで、「それじゃいかん」と。「職場というのは楽しく仕事をやらないと、能率があがらんし、いい仕事が出来ない」と。それで先輩たちに、「これはやらないでくれ」と。「蹴飛ばしたり、殴ったりしないでくれ」と。「口で言ってくれ。口で言うのもバカ野郎と怒鳴るんだったら、同じ口から出るんだったら、失敗したら、何故失敗したか、ということを教えてやってくれ」と。「マヨネーズを作っていて、マヨネーズが分離したら、このバカ野郎! 手前、何年コックやっているんだと怒鳴らないで、何故分かれたか、直し方を教えてやってくれ。そうすれば二度と失敗しないから」と。そういうふうにやっているうち、だんだんそういうふうになってきましたし、それと、「朝の挨拶をハッキリしてくれ」と。これは、私がフランスにいた時に、朝、出勤して来ますと、アンリ・ル・ジュール・シェフが早いんです。そして、私たちを向こうが先に見ると、「ボンジュール・ムッシュ・ムラ」と大きな声で怒鳴るんです。 

広瀬: あちらからもう挨拶する。 

村上: ええ。帝国ホテルの場合は、一日早く入った場合、一日先輩ですから、一日遅い奴が挨拶しないと、「挨拶しなかった」と。「それじゃいかん」と。「いいことは取り入れなければいかん」というので、私は、帰って来てから、誰を見ても、朝、会うと挨拶する。今もそうです。それが習慣になって、新しい、古いなんかと関係なしに、みんな会うと見た方から、「おはよう!」と、こう言って挨拶するようになっています。挨拶がはっきりするようになったですから、応対します。返事をはっきりします。ですから、トラブルがないです。 

広瀬: ハァー。トラブルもないし、そういう挨拶をすることで、随分職場の雰囲気が、 

村上: 雰囲気が違いますよ。嫌々仕事をやっていたら、ろくな仕事出来ませんから。やっぱり職場は楽しく仕事が出来る。そして希望をもって、どんどん仕事が覚えられる、と。教えてくれるから仕事が覚えられる。希望を持たせて、若い連中上手く働かせれば、能率が上がりますし、出来た料理も美味しいですよ。 

広瀬: 美味しく出来ると、やっぱり誉めて。 

村上: 誉めますよ。初めの頃が随分調理場廻って、味見をして。自分でも作って、「このブルブランというのは、こういう味なんだから覚えておけ」と。若い連中に舐めさせたり、そういうことはやりました。そのうちに、やっているうちに、みんなが出来るようになったから、料理に手を出さなくとも、口で一言言えば、料理出来るようになりましたから、今簡単ですね。 

広瀬: じゃ、なんか注意したい時は、どうするわけですか。 

村上: 若い衆でも、怒鳴りつけるということはしないですね。必ずいいところがありますから。いいところを誉めて、悪いところを、「こういうところは、こういうふうにやらなければいけないよ」と教えてやるんです。上の連中は、決して若い連中の前で文句言わないです。「必ず後で、閑の時、私の部屋に来てくれ」と言って、部屋に呼んでから、いろいろと話しますから。 

広瀬: 面子(めんつ)がつぶれないように、後輩の見ているところでは、先輩を叱らない。 

村上: 怒鳴ったり、叱ったりすることはしませんから。それは良かったですね。 

広瀬: それだけいろいろと、神経を使って、いろいろ人を動かしていくということですね。じゃ、いろいろ新しい試みをおやりになって、「それぞれの料理人の秘伝の秘を、秘密のものにしないで」ということを、村上さんは提案したわけですね。 

村上: そうなんです。ですから、今まではそれぞれの人たちが、自分の得意の料理は自分の中にしまっちゃって、外に公開しなかったんです。「それじゃいかん」ということで、いろいろと話し合って、「どんどんレシピを公開しよう」と。私も先頭に立って、レシピをどんどん公開してですね、「みんなもやってくれ」と。これは、「そうしないと、我々のこの帝国ホテルの料理のレベルというのは、余所に負けちゃう」と。「どんどん料理のレシピを公開して、そしてみんなに教えてくれ。その代わり、私たちも勉強しましょう」と。そういうことですね。それが初めのうちは、レシピ書くのはみんな苦手だったですけど、そのうちなんでもやれば上達するですから。上達しましてですね、いまコンピューターに随分入っています。 

広瀬: ハァー。 

村上: 公式のレシピというのはたくさんあります。 

広瀬: そのお料理ですけれども、化学の実験みたいに、分量をきちんと正確に計って、手順通りにやれば、これ、ちゃんとした味が出るものなんでしょうか。 

村上: 出ないですね(笑い)。 

広瀬: 出ないですよね(笑い)。そうですよね。レシピを公開してもやっぱりまだ出来ないですよね。 

村上: 火加減もありますし、「弱火だ、強火だ」と言ってもいろいろありますから。まあお菓子焼くんで、「オーブンの温度が二百二十度とか、何度とか、何分」とおっしゃいますけど、レンジの上でやるには、強火、弱火、それからとろ火ですね、いろいろありますけれど、なかなか温度がでませんからね。

広瀬: やっぱり舌を、 

村上: 舌を肥やさなければ、 

広瀬: 肥やす。五官もいろいろと鍛えなければいけないでしょうね。 

村上: 五官を使いますから。肉なんかを焼いて、この指だけで、私ら、指でこう触るとどの位肉に火が通っているか分かりますから。 

広瀬: 触って分かるんですか? 

村上: 触って、ちょっとこう押しただけで。 

広瀬: じゃ、やっぱり自分で、身体で、感覚で、自分の手で獲得しないと、ダメなわけですね。 

村上: 身体と頭と両方使って覚えなければいけない。そしてやっぱりコックというのは、感謝の気持ちを持っていないとダメですね。ですから、「料理の極意はなんだ」っ て、よく言いますけど、私は、それはもう「研究」と「愛情」と「真心だ」と言います。そのうちの一つが欠けていても、料理というものは美味しく出来ない。ですから、家庭のお母さんは、自分の家族に美味しい料理を作ってやろう、と。美味しい料理を食べさせようと思って、いつもテレビを見たり、本を見たりして、料理のことを研究している。そしてご飯も、みんな何時に帰って来るから、何時にご飯にするには、何時に電気を入れたらいいとか、 

広瀬: 逆算して、計算するわけですね。 

村上: それが真心ですね。 

広瀬: やっぱり食べる人が美味しく食べられるように。 

村上: そうですね。ですから、お客さんはみんな嗜好も違いがありますから。ですから、お客さまに喜んで頂くように、お客さまの口に合うように、メニューを書くんです。ですから、宴会メニューでも、前は、人数と昼、夜、お値段と、いろんなちょっと書いたですけど、今はちゃんと、来るお客さまの層ですね、年齢、そういうのが要ります。老齢のご婦人が多い、と。そうすればやはりあっさりして、柔らかくて、そして美味しいもの、と。それをまず決めて、そして前後を付ける。そして若い人が多いと、若い青年ばかりだというと、やはりボリュームのある料理をメインにおいて、そして前後を付けていくと。そういうふうにお客さまに合わせてメニューを書いています。 

広瀬: どういう方が召し上がるものなのかということをちゃんと考えて。 

村上: そうです。ですから、私らも、アラカルトのメニューを書いている時ですね、自分がお客さまの立場になって、そしてメニューを書いています。やっぱりお客さまの立場になって書かなければいかんですね。 

広瀬: それが真心、 

村上: 真心ですね。やっぱり嫌々仕事をしたんじゃ絶対にダメです。愛情というのは、感謝の気持が入っていますから。お客さまがたくさん来て下さるので、それだけ月給も頂けます。賞与も頂けます。それで、家族が楽しく生活出来るんですから。ですから、やっぱりそれだけ自分で全力投球しなければいかん、と思うんですね。何でも前向き前向きに、これでダメだ、というんじゃいかんですね。「まだまだ」と言って、どんどん前向きにやることがいいですね。ですから、私、今、八十一歳だけど、自分が年寄りなんて思ったこと一回もないです。 

広瀬: ハァー。 

村上: よく私ぐらいの歳になると、死ぬこと考えますけど、私なんか死ぬこと全然考えていないです。やることを考えています。ですから、パソコンやっているんですから。 

広瀬: え! そうなんですか? いつ頃から? 

村上: 去年の五月からやっています。なかなか時間がないから進まないですけど。でもやらないよりはいいですから。後、五年経ったら上手になりますから。そうすると、八十五、六までは、続けなければ上手になれないですから、まだまだですよ。ですから、前向きでどんどんやるということ。ですから、私はまだこんなこというと、会社に怒られちゃうけど、会社を辞めたら、まだ自分でレストランやるつもりですから。 

広瀬: え! そうですか。どういうレストランでしょう。 

村上: そうですね。大体六十坪位の、あんまり大きくなくですね。 

広瀬: 具体的に描いていらっしゃるんですね。 

村上: 場所も、「此処でやらないか」と言って来てくれるとこ、たくさんありますし。返事していないんですけど。 

広瀬: ハァー。 

村上: だから、やっぱり人間夢をもつということは、いいことですね。夢もたないとダメだね。 

広瀬: 振り返ってみると、村上さんの人生も随分いろんなことが、波瀾万丈、山あり谷あり、 

村上: そうですね。いろんなことがありましたね。生まれてからいろんなことがあって、そういうことを考えますと、これも料理の方でいうと、「フルコース」ですね。ですから、私の場合でしたら、「人生フルコース」です(笑い)。そういうと、間違いない、と思うんですね。 

広瀬: 前菜があって、スープがあって、メインディッシュがあって、 

村上: いろいろデザートがあって、いろんなことがありましたから。 

広瀬: でも、その辛いことがあってもそのフルコース、明るく前向きに美味しく食べていらっしゃった、ということですね。 

村上: ですから、心の持ちようで、人生は楽しく生きられます。考え方一つで、苦しんで生きていかなければならないこともありますね。ですから、心の持ちようで、ほんとに人生というのは、「楽しい楽しい」と思っていれば、楽しく生きられますし、それから、「まだまだ」と思えば、「もう」という言葉は使わなくなります。何でも、「まだまだ」。歳も、「まだ八十一」(笑い)。 

広瀬: そういう気持をもっていけば、人生美味しいフルコースになるわけですね。 

村上: そうですね。  

    これは、平成十四年十一月三日に、NHK教育テレビの

    「こころの時代」で放映されたものである