私の戦後70年「仏性を見いだし 人を育てる」
 
                   教育者・僧侶 無 着(むちやく)  成 恭(せいきよう)
1927年、山形県南村山郡本沢村(現山形市本沢)沢泉寺に誕生。1948年、山形師範学校(現山形大学教育学部)卒業。山形県南村山郡山元村立山元中学校(僻地1級校)に赴任。6年間勤務し、国語教育として「生活綴り方運動」に取り組む。クラス文集『きかんしゃ』所収の「母の死とその後」(江口江一作)が文部大臣賞を受賞する。1951年、クラス文集を『山びこ学校』として刊行、ベストセラーとなる。1952年、『山びこ学校』が今井正監督によって映画化。しかし、地元の恥を世間にさらしたとして、村から追放される。1953年、上京、駒澤大学仏教学部に編入し、卒業。明星学園教諭に就任。のち、教頭に昇格。この頃、言語学者の奥田靖雄や同僚の須田清らとともに教育科学研究会・国語部会のメンバーとして、科学的・体系的な言語教育に没頭。『続 山びこ学校』は、当時の指導の成果をまとめたもの。1964年、この年からスタートのTBSラジオ「全国こども電話相談室」のレギュラー回答者を28年間務める。1987年、一鍬山福泉寺(千葉県多古町)住職に就任。2003年、泉福寺(大分県国東町横手)に転任。2004年、山形県上山市立山元小中学校にて「山びこ学校」石碑除幕。「きかんしゃの子どもはいつも力を合わせよう」と刻まれる。2006年、山元小学校閉校。2009年、山元中学校閉校。
                   き き て  三 宅  民 夫
 
ナレーター:  昭和二十三年、無着成恭さんが教鞭を執った山形県山元村(やまもとむら)です。新任教師として受け持った中学一年生と向き合っていました。そこで戦後民主主義教育を代表する一つの実践が行われました。民主山びこ学校です。無着さんの生徒一人ひとりが詩や作文を綴り大きな反響を呼びました。その後無着さんは、教師として、教育評論家としてテレビやラジオで活躍、時代の寵児となりました。激動の戦後教育の中、子どもと共に歩んできた無着成恭さん。人を育てるとはどういうことなのか、伺います。
 

 
三宅:  こちらにお住まいなんですね。大分別府です。すいません。お邪魔します。
 
無着:  初めまして。私の方はテレビでよく知っていますけど、あなたは知らないんですね。
 
三宅:  私、中学時代に無着さんがよくテレビ―ワイドショウだったと思いますけど―出ておられて感激ですよ。
 
無着:  いやいや。
 
三宅:  お元気で。
 
無着:  いやいや。元気じゃないです。死にかけていますから(笑い)。
 
ナレーター:  無着さんは十五年前、縁のある寺の住職を務めるため大分に移り住みました。四年前に住職を退き、別府にある高齢者向けのマンションに妻と二人で暮らしています。
 
三宅:  どうですか。東北からこちらに移られて、大分は?
 
無着:  大分ですか。やっぱり雪がないということは少し寂しいような気がするけども、ありがたいですね(笑い)。
 
三宅:  是非いろいろお話を。
 
無着:  ほとんど忘れていますけど。
 
三宅:  それを思い出すようにいろいろお伺いしたいと思います。よろしくお願い致します。
 

 
無着:  ズーッと子どもたちのことを見てこられて、それでその後住職になられてですね、今の子どもたちが置かれている状況って、どういうふうに見ていらっしゃいますか?
 
無着:  やっぱりわりと早く日本が滅びるんじゃないかという気がしますね。
 
三宅:  えっ!
 
無着:  なんと言ったらいいかな。言うとビックリするからあまり言わないでいるんですけどね。人というのは、犬とか猫とかと同じように哺乳動物なんですよ。
 
三宅:  そうですね。動物ですね。
 
無着:  で、畜生というのは、自分では働いて何か作ったりしないで、大自然が作ってくれたものとか、人が作ってくれたものを頂いて生かして貰っているのが、これが畜生ですね。「畜養(ちくよう)されている」とお経には書いてありますからね。だから私などは今は畜生の段階にあるわけですわ。畜生というのはそういう意味では中立なんですよ。馬だって牛だって豚だってみな畜生ですから。人だって畜生なわけですよ。
 
三宅:  そこ共通している。
 
無着:  それが人間になるということは、どういうことかということなんですよ。だから簡単に言えば、畜生が人間になるということは―人間って何ですか? 三宅さん。
 
三宅:  人と人間と違うということですね。
 
無着:  そうです。
 
三宅:  人がだから動物とすると、やっぱりそれは社会の中で生きていくという。
 
無着:  人がね、社会の中で生きている。
 
三宅:  それが人間?
 
無着:  だからミカン箱と、ミカンと箱ですか?
 
三宅:  ミカン箱はミカンを入れる箱です。
 
無着:  リンゴ箱は?
 
三宅:  リンゴを入れる箱です。
 
無着:  入っていなくたってリンゴ箱ですね。
 
三宅:  はい。
 
無着:  ミカンが入っていなくたって箱ですね。人間というのは何ですか? 人ですか、 間(あいだ)ですか?
 
三宅:  人であり間だと思う。
 
無着:  間でしょう。人と人との間でしょう、人間というのは。人じゃないんですね。人と人との間の問題なんですよ。だから人が人間になるということは大変なことなんですよ。
 
三宅:  とても何か大事なことのように思うんです。これからそれはどういうことなのかというのを伺っていこうと思いますけれど。先ず無着成恭さんというと、これでございます。『山びこ学校』、戦後直後の混乱期に中学校に新任教師として赴いた無着先生が、理想の教育を行うということで子どもたちに作文を書かせた。その作品をもとにできたのが『山びこ学校』で、これは凄い反響を呼んだんですよね。
 
無着:  そうでしたね、あの頃。
 
三宅:  私もそれを読ませて頂いて、いろいろ凄く心に響くというか、そういうものがあって、ちょっとこういう本になって今も出ておりまして、これが村の様子ですね。写真があって、これ子どもたちですね。
無着:  そうですね。
 
三宅:  乗っているの。
 
無着:  自分で作った三輪車ですね。
三宅:  これ木ですか?
 
無着:  木です。
 
三宅:  この子何か背負っていますね。これ?
 
無着:  赤ん坊を負んぶしながら遊んでいるんですね。
 
三宅:  あら〜! 子守しながら遊んでいる。
 
無着:  子守しながら。
 
三宅:  そしてこっちの方が、これが当時赴かれた中学校のある村でして、これもこれ覚えていらっしゃいますかね、これ?
 
無着:  教えている授業ですね。
三宅:  この子どもたちが無着先生の指導の下(もと)、書いた作品がこの本になったと。
 
無着:  はい。
 

 
ナレーター:  『山びこ学校』は、昭和二十六年に出版。戦後教育のあり方が模索されるなか、新風を吹き込みました。無着さんの生徒四十三人全員が、暮らしを見つめ素朴な思いを綴りました。
 
「雪」 石井敏雄(いしいとしお)
雪がコンコン降る。
人間は
その下で暮らしているのです。
 
「夜」 横戸チイ子
父と
兄が
山からかえってきて
どしっと
いろりにふごんで
わらじをときはじめると
夜です。
 

 
三宅:  そういう凄い寒いところで一日中働いて、帰って来るともう夜だという、厳しい自然の中で仕事をして、
 
無着:  それもあるけどね。父と兄がというのは、男が帰って来ると夜なんですよ。だって家の中の仕事は女がみんなやっていますから、父と兄が山から帰って来て、囲炉裏にどしっとふごんで、草鞋をとき始めると、そこから夜ですとこういう。
 
三宅:  短い中にもの凄く深いことが入っていて、こんなのもありますね。
 
「山」 佐藤清之助(さとうせいのすけ)
私は
学校よりも
山がすきです
 
それでも
字が読めないと困ります。
 
無着:  自分の山が好きだけど、でも勉強しなければな、という、この心情。
 
三宅:  これは今の人にもこう凄く受け入れられているというお話なんですけど、何故だと思います?
 
無着:  やっぱり人間の本質がそこに現れているんじゃないでしょうか。石井敏雄なりも、それから横田チイ子さんのも、人間の暮らし方、だから最初にあなたが質問なさったように、「人と人間、どう違うか」って。人間というものがそこに出ているでしょうね。お経の中にもあるんですけど、「一切衆生悉有仏性(いつさいしゆじようしつうぶつしよう)」すべての現象の中に仏の本質がある。仏というものはそういうものなんだよ、という文言があるわけですね。悉有仏性というのは、一人ひとりの子どもの中に仏性があるんだ。その仏性というのを如何に掘り出していくかということが俺の任務だなという思いが教師になった時になった時の最初にあった感じですね。
 
三宅:  その時から。そこに仏の心があるということですか?
 
無着:  そうです。だから私はそれはあと後々は、「人それぞれに花あり」とか、「花の美しさに序列はない」というような言い方をするようになったんですけどね。「チューリップの花とタンポポの花のどっちが美しいか」と言ったら、「決められるか」と。「スミレの花とスイセンの花が、どちらが美しいか決められるか。決められないだろう。どっちが好きかならわかるよ」。それはしょっちゅう子どもたちの前で言っていた言葉ですね。
 
三宅:  「一切衆生悉有仏性」ですね。
 
無着:  悉く仏性を持っている。「悉(しつ)」というのは悉(ことごと)く、「有(う)」というのは「有(あ)る」ですね。仏性を持っている。だから大宇宙の大自然の自然現象の一つひとつの現象に、仏性があるわけですね。
 
ナレーター:  山びこ学校が生まれた背景には、戦後間もない山元村の切実な事情がありました。山間のわずかな田畑を耕し、日々の糧を得る人々。人口二千の村に唯一あった中学校は地域の学舎(まなびや)でした。しかし子どもも労働に駆り出され、授業を受けるのもままならない状況でした。
 

 
無着:  山元村の子どもたちだけでなく、もう日本国中の子どもたちは荒れに荒れていたんでしょうね。授業にならないといったら授業にならない。
 
三宅:  授業にならない?
 
無着:  中学校一年なのに勿論分数の足し算なんていうのはまったくわからない。通分なんてまったくわからない。どっから始めたらいいかということが悩みだった。小学校の四年生程度から始めるか、三年生程度から始めた。「空腹(くうふく)」ということで、「次の漢字に振り仮名を付けなさい」と言ったら、「空腹」と出すでしょう。「そらぱら」というのがほとんどでした。「くうふく」じゃないんです、「そらぱら」なんですよ。「空」と「腹」だから(笑い)。その通り一体どこから教えればいいのか。「空腹って何なのか」ということが勿論わからないわけですね。「空腹」と言ったって、こういうレベルですね。
 
三宅:  そういう中で作文を教育の柱に持ってこられたわけですね。何故?
 
無着:  何故?一番考えたことは字を覚えさせることですね。だから自分で自分の生活を書かせる。そうすればどういう文字をそこに持ってくるかということを考えなければ。文字を教育するためには作文を書かせれば一番いいと。
 
三宅:  字を覚える。
 
無着:  字を覚えさせる。
 
三宅:  ちょっとここにサプライズがあります。その文集を最近ご覧になったことあります?
 
無着:  ないですね。
 
三宅:  ないですか。全巻だと思うんですが、
 
無着:  キクエさんが持っていたんですけどね。
 
三宅:  そうなんです。
 
無着:  キクエは「宝物だ」というふうに言って。
 
三宅:  これが上野キクエさんって、当時の生徒さんですよね―が持っていらっしゃった。これだから無着先生からのお葉書もこのように入っているんですけれど。
 
無着:  凄いな!
 
三宅:  ちょっと葉書を後ほど見て頂くことにしてですね、上野さんは今静岡でご結婚されて幸せに暮らしておられるんですが、お借りしてまいりました。
 
無着:  そうですか。大したもんだ!
 
三宅:  これ第一号。
 
無着:  そうですね。
 
三宅:  ここから始まったんですね。
 
ナレーター:  山びこ学校の元となった作文集があります。「きかんしゃ」です。初めて受け持った生徒が中学二年に上がった時から書き始め、卒業までの間に十四冊を発行。無着さんと生徒がガリ版で手作りしました。
 

 
三宅:  無着さんが作品として覚えていらっしゃるのは、それぞれみんな覚えていらっしゃると思いますが、一番無着さんが印象に残っているのってどれでしょうか?
 
無着:  私が一番印象があったのは江口俊一(えぐちしゆんいち)君の「父の思い出」というのかな。
 
ナレーター:  江口俊一さん、出征した父親が戦死したとの知らせを受けた心情を綴りました。
 
「父の思い出」
みんな父のかえりを待っているところへ
舞いこんだものは、
昭和二十二年の秋、「戦死をした」という
一片の電報だけだった。
私はもちろんお母さんも
弟も、としとったばんちゃんも
若いずんつぁも、
家内中みんなが「ちきしょう」と思った。
しかし、誰に「ちきしょう」といえばよいのか
わからなかった。
 
無着:  これを読みながら涙零れてきましたね。
 
三宅:  江口江一(えぐちこういち)さんの、
 
無着:  「母の死と其の後」ですね。
 
ナレーター:  江口江一さん。女手ひとつで育ててくれた母親を、中学二年の時亡くします。祖母と幼い兄弟が遺され、この先如何に生きていくか戸惑っていました。
 
「母の死と其の後」 江口江一。
浩一が大きくなるまでは
なんとか借金だけは
なくしておきたいといいながら、
だんだん借金をふやしてゆかねばならなかった
僕のお母さん。
生活をらくにしようと思って、
もがけばもがくほど苦しくなっていった
ぼくのお母さん。
そしてついに、その貧乏に負けて死んでいった
僕のお母さん。
そのお母さんのことを考えると
「あんなに働いても、なぜ、
暮らしがらくにならなかったのだろう。」と
不思議でならないのです。
 

 
三宅:  子どもたちには、どういうことを作文を通じて無着さんは伝えたかったのか?
 
無着:  問題意識を持つことでしょうね。それ素通りしないで、そういう疑問を、問題意識を持ち続けること、そのことがやっぱり書くことによってそこに定着しますからね。そうすると忘れないですから、書いておけば。だからつまり「余所の人が考えたことに左右されずに、自分自身の脳味噌で考えるから、自分の脳味噌を信じないといけない」ということがしょっちゅう言っていたわけですから、私は。そのことが自分が生きていたということの一つの証として自分自身に自信をつけるでしょうね。俺はこういうことを考えていたんだって。人から左右されたわけではなくて、俺自身がこう考えたんだということが必ずその人の自分自身の生き方と関わってくると思いますね。
 
三宅:  その機関誌を大事にしておられた上野キクエさんに、無着先生はこのように何通も葉書を出しておられる。全部取っておられるんです。それでその葉書をご覧ください。ほんとにお忙しいと思うんですがびっしりと書かれていて、この上野さんは、お母さんがなんか病院に入院されていて、
 
キクエ!!お母さんどうだ。菊江の机がぽつんと歯が抜けたみたいに休んでいると、毎日お前のこと、お前のお母さんのことを考えない日はない。キクエ、お母さんの看病をしていながらもいろいろ勉強できるからな。世の中の動きなんか学校にいるよりわかるもんだ。病院に入ると人間の生き方というのはこうも違うものかと驚くことでいっぱいのはずだ。そういうものを見落とさない、聞き落とさない鋭い目や耳で書き留めて勉強してこいな。それではキクエ。キクエのお母さんの病気が一日も早く治るように。ではまた。
 
これさっき一人ひとりが仏性があるとおっしゃったけど、その大変な苦しい状況の中でもそこでその人は仏のようになれるという、そういうことがあるよと伝えていらっしゃる。
 
無着:  そうですね。仏というのは充満しているわけですからね。
 
三宅:  充満?
 
無着:  この世の中に充満していますからね。だから意識しなければ、仏はまったく見えないけども、仏というのは見える人にはいつでも見えるわけですね。だから見えるようにしろよ、とこう言っているわけですね。だって怒ったり喚(わめ)いたりするわけでしょ。そうすると、何故この人は怒っているんだろうかとか、「何故」というふうに考えてくると、その怒っているという現象で、こっちがそれに簡単に反応するんじゃなくて、大きく包んだ形で見えるわけですからね。だから意地悪する人もいるわけですよ。ちょっと意地悪したのにね、その意地悪を撥ね返すだけだったら一対一で、現象が見えないわけですがね。この人どうしてこういう意地悪するんだろうって見ると、意地悪する現象というのを大きな中で意地悪するということは、こういうわけなんだな、という訳がわかるわけです。見える訳です、仏さまが。だからこの人はこういうわけで意地悪しているな。そうすると、それは確かに今度はその時には自分が仏の目になられるわけですね、自分が。見えると。だからそういう正面から一対一でぶっつかってしまえば、自分も相手と同じレベルになっちゃう、
 
三宅:  イライラしてね。
 
無着:  イライラして。あ、この人こういうことで意地悪しているんだなって、意地悪するわけが分かると、それを包み込んでいる全体像が見えてくる。意地悪している全体像が見えてくる。そうすると自分自身が逆にそれに対応している自分自身が見えてくるという。
 
三宅:  自分がわかってくる。
 
無着:  自分が何ものであるかがわかる。
 
三宅:  そこを目指した作文であったと。
 
無着:  やっぱり「悉有仏性」と。一人ひとり仏を持っている仏様なんだという考え方でないと、こういう教育はできないでしょうね。成績が良いとか悪いとかということではなくて、一人ひとりが仏様なんだよっていうことでしょうね。
 
三宅:  それをだから生徒一人ひとりが仏という。
 
無着:  某(なにがし)という仏。そういう気持ちで生徒を眺めていたということは事実ですね、私は。この人は仏様なんだって。
 
三宅:  で、教える相手の人たちですよね。
 
無着:  そうです。仏様に教えるわけです。そのまま教えなかったら放っとけ(仏)ですから、放っといちゃいけないわけですね、仏様は(笑い)。
 

 
ナレーター:  無着成恭さんが生まれたのは、昭和二年。山元村の隣村にある曹洞宗の寺でした。長男として小学校に入る前から寺の後継ぎとなるべく厳しく育てられました。父親の檀家回りに同行し、お経を読むことも当たり前でした。
 

 
無着:  学校に入る前に、私の寺の総代さんが亡くなったんです。私を非常に可愛がってくれて。そうしたら家の親父が全部お葬式の時に読むお経を片仮名で「なむからたんのとらややなむおりやぼりょきちしふらやふじさとぼや・・・」全部書いて、全部片仮名で書いて、そして自分はこう寝ながらね、私に片仮名で書いたのを全部読ましたんですよ。で、それを読むんだからって、何回も何回も親父は寝床におって寝ながらね、「そこは違う」とか、そう言いながら読ませて、それは今記憶にありますね。
 
ナレーター:  そして十歳の時得度。父親の跡を継ぎ住職になる決意でした。
 
三宅:  お父さまはどういう教育をされたのか、何を教えられたか覚えていらっしゃいます?
 
無着:  ご飯の食べ方は厳しかったですね。
 
三宅:  どういう?
 
無着:  先ず茶碗の置き方と、それからお椀の置き方と漬け物の置き方とは、キチッとこう決まるわけですね、お膳の中に。
 
三宅:  位置があるという。
 
無着:  だから置き方もある。食べ方もある。「方(かた)」というのは食べる「方(ほう)」と書くけれども「形(かたち)」のことだよ、「型(かた)」だよと。で、その「型」というのを徹底的に学ばなくちゃいけないんだって。「型」を学ばなかった人というのは、人間になれないんだって。だから型を学ばなかった人は、「型無し」というんだって―というそれは徹底していたですね。だからご飯の食べ方。例えば箸の上げ下ろし方だとか、お茶の飲み方だとか、全部それは「方(ほう)」という字を書くけれども、本当は形の中の型なんだと、こういう。そういう型というものをキチッと学ばなければ、「型破り」にはなれないよと。「型を破る」ということは、型を覚えた人間だけがやれるんだという。これは親父がしょっちゅう口にして言ったことですね。
 
三宅:  お父さまがそれこそ軍政重視の時代ですけど、じゃ個性というものはある意味で型破りであったりもしますよね。それはその前の形を学ばないと。
 
無着:  いや、形じゃないんです。型なんです。
 
三宅:  形じゃない?
 
無着:  「形」というと、もう完全に無着成恭の形といえば、無着成恭は型を学んで、その型を破った時に、無着成恭の血が通ったから無着成恭の形がこうやる、こうなるわけですね。血が通わなければ形にならない。「形(かたち)」というのは血(ち)が通っているんですよ(笑い)。
 
三宅:  ほぅぉー!
 
無着:  それで血が通ってくると形になって。
 
三宅:  どんなお子さんだったんでしょうか?
 
無着:  そうですね。私は非常に身体が弱くて、いつもおねしょ(寝小便)していたんですよ。そうすると村の人たちが、「またお寺の成恭さんは世界地図を書いたね」って。布団干すとおねしょうの跡がズーッとあるでしょう。「世界地図書いた、世界地図書いた」って。小学校一年生の一番最初に「私たちは天皇陛下の子どもです」というのを習ったわけです。で家に帰って、「私たちは天皇陛下の子どもなんだってさぁ」と言ったら、家の親父が考えて、「学校でそう教えたか。天皇陛下も仏さまの子どもだし、お前も仏さまの子どもだよ」と言ったんですね。どうもおれ小学校一年生だから、家に帰ると「天皇陛下と俺は兄弟だけど、学校に行くと親子なんだ。どこでどうなっているんだろう」。わからなかった、一年生だからね。あんまりそういうことを考えたらおしっこ漏らしたんです(笑い)。それでみんな「わぁっ!」と笑うもんだから。「だってだって・・天皇陛下の子どもだと言ったら、家に帰ると天皇陛下も仏さまの子どもだよというよ」言ったら、みんな「わぁっ!」と笑って、解決しなかったんですけどね。
 
三宅:  一方、時代は軍歌の音が高まる時代ですよね。そういうことに対してはお父さんはどういう考えをしておられたんでしょうか?
 
無着:  私は、海軍兵学校や陸軍士官学校だったら良いだろうと思ってね、そこへ入れば多分二、三年で兵隊に取られるよりは生き延びられるじゃないかと考えたわけですね。非常に長生きすることばっかり考えたわけですよ、身体が弱いもんですから。そうしたら親父は、「お前、何習うんだ。海軍兵学校へ行って何習うんだ。陸軍士官学校へ入って何習うんだ」と言うんですね。「何習うたって、やっぱり微分積分だとか高等数学なんかを同じようにわからなければ将校になれないだろうと。だから大学へ入ったら同じ」。「だったら大学へ行けば良いじゃないか。何も軍人の学校に行って習う必要はないじゃないか」。「だってやっぱり軍人の学校だったら授業料要らないだろう」なんて屁理屈言うわけだ、私がね。「おぉ、授業料の問題か」とこう言われるわけですね。「お前、陸軍士官学校とか、海軍兵学校とか、あれは何を教えるんだ」と。「何を教えるんだ」と言われた時にわからなかった。そうしたら親父が「人を殺す方法だろう、人を殺しの方法。いいか、軍人の学校というのは人殺しの方法を教えるんだ。お寺の息子が人殺しの方法を教える学校に入っていいのか!」というて、これは一喝くらって、ガンと野球のバットで頭を殴られたぐらい感じましたね。
 
ナレーター:  昭和二十年七月、無着さんは地元の師範学校へ入学します。徴兵を免れるためで、教師になるつもりはありませんでした。しかし敗戦後、その気持ちを一変させる出来事が起こります。教科書への墨塗です。
 

 
三宅:  それまでの教科書に墨を塗るという。それまでを否定するというのがありましたよね。それはどういうふうにご覧になっていましたか?
無着:  嘘を教えていたんだろうということですよ。嘘を教えていたんだろうということは、学校で教えることは半分嘘なんだろうという、薄々気が付いているわけですよ。だから、ああ嘘を教えていて、だからアメリカにとって都合の悪いことを墨塗らせるんだという感じた人もいるだろうけどね、私のように日本の政府は、日本の国民は嘘を教えていたんだ。嘘を教えていたことがバレたので、アメリカから指摘されて、それで墨を塗らせているんだというふうに感じた学生もいるわけですよ。
 
三宅:  ということは、その作業だけではダメだという。
 
無着:  本当のことを教えないといけないんだ。子どもには嘘を教えちゃいけないんだという、こういう気持ちが非常に強く持ったことは事実ですね。だから自分の教えたことに墨を塗らせるような教育をしちゃいけないと感じたのが、師範学校の一年生の二学期からですね。
 

 
ナレーター:  本当のことを教えたい。昭和二十三年、無着さんは教師となり、あの『山びこ学校』を作ることになるのです。日本中から注目を集め、映画にもなるなど、無着さんは戦後民主主義教育の旗手として一躍時代の寵児となりました。しかし子ども本来の力を引き出すことはできても、貧しい暮らしの根底にある社会までは変えることができない。無力感を覚えた無着さんは、昭和二十九年、教師を辞め村を去ります。上京し、駒澤大学の仏教学部へと進みます。寺に育った自らの原点、仏教を学び直したいとの思いからでした。無着さんはそこで曹洞宗の開祖道元の言葉に出会い、目を見開かされます。
 

 
無着:  道元禅師はしょっちゅう人の話をよく聞かなくちゃいけないよと。だから見るべし、聴くべし、そして今度は自分でやってみなくちゃいけない。それで学ばなければいけない。学ばなければ何も出てこないんだという。学ぶということは、「これだ」と思う人のことの真似をすることだよと。まず真似をする。それは家の親父が「型から入れ」ということと同じですね。
 
三宅:  道元禅師の言葉を、弟子が書き留めた『正法眼蔵随問記(しようぼうげんぞうずいもんき)』です。
 
学道の人、参師(さんし)聞法(もんぽう)の時、能々(よくよく)(きわ)めて聞き、重ねて聞いて決定(けつじよう)すべし。問ふべきを問はず、言ふべきを言はずして過ごしなば、我が損なるべし。師は必ず弟子の問ふを待って発言(ほつごん)するなり。心得たる事をも、幾度も問ふて決定すべきなり。師も、弟子に能々心得たるかと問ふて、云ひ聞かすべきなり。
 
無着:  学道の人、参師聞法の時に、よくよく窮めて聞き、重ねて聞き、何遍も何遍も聞き直してよく納得するまで聞き直しなさいと。
 
三宅:  「問うべきを問わず」、
 
無着:  「問うべきを問わず」質問をしたいのに、わからないのに質問しない。問うべきを問わず、言うべきことがあるのに言わないという。言うべきを言わずして過ごしたならば必ず我が損なる。自分自身が損するって。
 
三宅:  問うべきことを問わず、言うべきことを言わないで過ごしたなら必ず損する。
 
無着:  道元禅師はそう言っているわけです。「師は必ず弟子の問ふを待って発言(ほつごん)するなり」師は―先生は必ず弟子の問いを待ちて言葉を発するなり。
 
三宅:  先生が先にこうだと言うんじゃなくて、
 
無着:  ないよと。弟子が質問しなければ教えてあげないよって。だから生徒の方が疑問をもって、「こうでないか。ああでないか」って質問しなければ本当のことが見えてこないよと。だってお前、何がわかっていて、何が分かっていないか、わかっていないだろう、教師は。お師匠さんから「こうだ、ああだ」と教えないんだよと。「こうだ、ああだ」と教える先生というのは、必ず自分の我田引水(がでんいんすい)で引っ張っていくという恐ろしいことが起きるから。だから我田引水をさせないためには、必ず弟子の方が質問しなければいけないんだって。「心得たる事をも、幾度も問ふて決定すべきなり。師も、弟子に能々心得たるかと問ふて、云ひ聞かすべきなり」。これそうだそうだと、私は思ったわけですね。
 
三宅:  どういう先生が望ましい先生なんですか? どういう先生が正しい師なんですか?
 
無着:  さあわからないですね。わからないというのは、つまり無着成恭が正しいと思う人もいるし、無着成恭が正しくないという生徒もいるでしょうね。やっぱり自分の生き方の問題に関わってくるんじゃないでしょうかね。正しいことを教えるか、教えないかということもあるけれども、何が正しいかということが分からないわけですからね。だってこの先生が言っていた。どうしても本当にそうなのかということをあなたに聞いて、あなたはこう答えるけど、Bさんに聞いたらBさんはこう答える。Cさんはこうだ。その中のどれかが正しくて、どれが間違いなのか、自分自身の思想・考え方、つまり自分自身が、何が正しいかということを自分で決定しなければいけないわけでしょうね。だから「正師を得ずんば学ばざるに如かず」(道元「学道用心集」)というのは、正しいことを教えるということは、あるいは教えないことが正しいかも知れないですからね。
 
三宅:  あ、そうか。間違ったことを教えるんだったら、教えない方がいい。
 
無着:  間違ったことを教えるんなら教えない方がいいですよ。そうすると実はその時には誰を信じるかと言ったら先生を信じるんじゃなくて、自分の脳味噌を信じるしかないわけですよね。自分の脳味噌を信じるしかね。
 
 
ナレーター:  仏教を深く学べば学ぶほど、教育への情熱に再び火が点いた無着さん。昭和三十一年、東京の私立の小中学校で教師の職に戻ります。
 

 
三宅:  仏教を究めて、究めようとすると、仏教の本質というのは、実は教えることと極めて深い繋がりがあったということ、
 
無着:  仏さまに包まれて生きているんだということがね。お金があるとか、ないとか、貧しいとか豊かだとかということとは別の豊かさというのがあるでしょうね、人間にとって。心の豊かさというのはお金では勘定できないことじゃないかなと思うんですけどね。
 
三宅:  そうすると、それをどのように気付いていくか。一人ひとりが自分のものにしていくかということに、けっこう仏教の本質的なところがあって、それを無着さんやっぱり教育の場でやろうって。
 
無着:  それを悟らせないといけないわけですね。悟っているかどうかということですから。そのことを悟っているかどうかということですからね。
 

 
ナレーター:  しかし学校教育の現場は時代のうねりに翻弄されていました。「もはや戦後ではない」という言葉が流行語になり、日本が復興から高度経済成長へと大きく動き出していました。昭和三十六年、中学校で全国一斉学力調査が実施。受験競争や知識の詰め込み、点数至上主義が世の中の風潮になります。無着さんの仏性を見出す教育が難しくなっていきました。
 

 
無着:  教育が変わるのは、池田勇人(いけだはやと)という人が総理大臣になってから急激に変わるわけですね。所得倍増論でね。農業国家から産業国家にするにはどうするかといことだけ考えていったですね。農業を潰しにかかったのはおかしいけども、農民を産業、つまり自動車だとか、オートバイを作る労働力として、農業から農村がグッと引っ張り込むにはどうするかということが教育のテーマになってくるわけですね。そこで学習指導要領というものが出てくるわけですね。だから学習指導要領というのはそれまでは国家がこういうことを教えろという目安であって、必ずしもそれに束縛されていなかったわけですね。割と自由だったわけです。ところが学習指導要領がこれを全部教えろと。このように教えろということを、国家が政治的にきっちりしてくると、今度は教師は身動きができないという、こういう問題が起きてきましたね。
 
三宅:  教育は、それによってどう変わっていったんですか?
 
無着:  教育は、自分が疑問に思ったことが質問できなくなるわけですよ。だってもうこれだけの技術と知識を詰め込まないといけないわけですからね、質問を受け付ける時間がないわけですね。だから子どもに質問させないで、ぎゅうぎゅうと国家が必要とする知識と技術を国民に押し付けていくという、こういうシステムになってくるわけです。だから子どもは質問ができなくなるわけです。企業だとか会社だとか、あるいは日本の国家の、いわば国家を牛耳っている方々が、日本を儲かるようにするにはどういう知識が必要かという側から、子どもたちに知識を詰め込んでいくわけですからね。だから微分積分をここまでできなければダメだというような形で振り落としていった場合には、実は非常に性質のいい子ども―柔らかな魂をもっている子どもたちも振り落とされていってしまうという、こういう問題がある。心が―魂が柔らかであれば柔らかであるほど体制に乗れないという問題が起こってきますね。非常に日本という国家の損失でもあるし、日本を危うくすることだろうと思うんですよ。落ちこぼれたのは、自分から落ちこぼれてしまうような自意識があるわけですけど、落ちこぼされたのは何故落ちこぼされたのかというのを考える余裕もなく落ちこぼれていくわけですね。俺は何故学校の制度の中で落ちこぼされてしまったのかということを考える子どもほど自分の仏に目覚めることができるのにね。
 
 
ナレーター:  さらに昭和四十年代から五十年代、新たな問題に直面します。学校や家庭での暴力、虐め、登校拒否。子どもたちを取り巻く社会が変化していく中、教師としてどう向き合えばいいのか、問い直します。
 

 
無着:  それは、その子どもを子ども認めないからですよ。その子どもの仏性を認めないと言ったらいいかな。その子どもの心の中にある本質的なものを、それを育てようとしない。押し付けて鋳型の中にはめ込めようとした場合に、暴力沙汰にならざるを得ないというこういう問題が起きるでしょうね。つまり簡単に言えば、教師というのは一体何なのか。教師というのは魂の技師でなければいけないわけでしょう。学校の教師というのは、小学校、中学校の教師というのは、本当は知識を授けるだけではなくて、その子どもの魂を作る教師でなければいけないわけでしょう。魂の技師。魂の技師ということを考えると、自分で自分の脳味噌で考えるということですよ。判子で、焼き判で押したような型に嵌めるということではなくて、自分で納得しなければならない。やっぱり教育したい、何かしたいということは、先生になりたい―無着成恭の場合には、先生になりたいということは、教頭になりたいとか校長になりたいということではなくて、教育というのは文部省でいうような国家の教育ではなくて、本当に人間の教育でなくてはいけないんじゃないか。
 
ナレーター:  昭和五十年代半ば、仏教の教えを基に新たな試みを始めます。詩の授業です。一人ひとりが仏性に目覚め、いのちの繋がりに気付いてほしいとの願いです。
 

 
三宅:  「私の名前」 中学一年近山直子(ちかやまなおこ)
私の名前は
今はもういないおばあちゃんがつけてくれた
素直な子どもという意味
今ではどうとも思ってない名前だったけど
無着先生から
「名前には親や先祖の願いが
こめられているんだよ」
といわれて
改めて考えてみた
私は「美しい」という漢字のついた名前が欲しかった
でも改めて考えてみると
素直なことが一番美しいことなのだ
「美しい」という字がついていても
素直でなかったらだめなのだ
中身が大切なのだ
直子でいい
私は
「直子」という名前に一致する自分を作っていきたい。
 
無着:  やっぱりこれは自己発見って、自分自身を発見していくんですね。名前を書くことで。「自分の名前」というテーマで詩を作ろうとした時に、自分自身を発見していくという、これは大変なことですね。いのちというのは、ご先祖様がいなければ自分のいのちはないわけですから。だからご先祖様の誰か一人、別の人が奥さんになって、そこの子どもだったら自分はいないわけですからね。だから不思議なもんですよ。自分がここにいるということは。ご先祖様のどれか一人外れていても自分はいないんだって。ああ、ご先祖さまって。そうすると、あぁ、ご先祖様ってありがたいものだなとこう思いますね。
 
三宅:  そういう無着さんたちの教育。当時どんどん日本が国際的な貿易もやって競争が激しくなっていました。その中でどのように受け止められていたんでしょうか?
 
無着:  やっぱり日本の政治的な体制がそっちの方向に、つまり自分自身に目覚めるという方向にはいかなかったんでしょうね。一人ひとりの日本人が自分自身って一体何なのか。俺は何者なのかという方向には向かないで、ある歯車の中の歯の一つとして噛み合わせていくという方向に向いていったということが、今の状況を生み出しているんじゃないでしょうかね。つまり人間が部品として使われるようになってくると、暴力やなんかがだんだん起きてくるということは事実ですね。部品として使い物にならないというふうに、はみ出すというのか、今度はやっぱり虐めだとか暴力に走らざるを得ない。そこに自分が生きている証を見付けざるを得ないという状況になっているんじゃないでしょうか。だから虐めが蔓延っているということは、実は日本の体制それ自体がそういう方向にいっているということなんだろうと、私は思いますけどね。
 

 
ナレーター:  昭和五十八年、無着さん五十六歳の時、点数が絶対視される世の中に限界を感じ、学校教育の現場から身を引きます。そして小さな寺の住職となり修行に打ち込みます。大人や社会にも向け、人間の生き方とは、どういうものなのか問い始めます。
 

 
三宅:  再び今度は仏教の世界に戻っていかれますね。これはどういう思いからだったんでしょうか?
 
無着:  それは仏教が大事だ、宗教が大事だということは一貫して変わっていないわけです。だから教師になった時も、宗教は大事だというふうに思っているわけですね。それで私はやっぱり日本のダメになったというのは、宗教がなくなったからだと思うんです。宗教というのは、「うかんむり」に「示す」と書いてあるんですからね。だから人間が―そのうちの「うかんむり」というのは、お家ですね、お家のご先祖様代々どのように人間として生きていけばいいかということを示しているのが宗教でしょう。人というのは単なる哺乳動物に過ぎないと。そしてその人がもの凄い欲張りになった時に餓鬼になる。餓鬼になるのは人だけだよと。その餓鬼が戦争というのを起こすんだよと。だから戦争を起こすのは餓鬼なんだよと徹底して教えないといけないですね。戦争というのは餓鬼が起こす。そうするとその餓鬼が起こした戦争に、畜生も人間も巻き込まれていくというのが、これが宇宙現象として、地球現象としてあるわけですよ。だから戦争というのは、餓鬼が起こすんだ。餓鬼にしないようにしなくちゃいけないんだということ、そういうことをちゃんとお寺で言わないといけないなとこう思ってお寺に帰ったわけです。餓鬼というのは、つまり欲張りですから、人のものを欲しがるわけだから。人に譲るというのはないわけです、餓鬼というのは。譲れないわけだから。たくさんいるでしょう、今日本にも、譲れないのが。
 
三宅:  そうですね。
 
無着:  譲るということで損するように見えるけれども、決して損しないんだ。余計なものみな譲って、「いいですよ、いいですよ」と譲って。だから席を譲ってあげた時に坐って貰った人から、年寄りから「ああ席を譲ってくれてありがとう」と言われて、「う〜ん」と良い気持ちになったらこれはただの人間―人ですね。だから席を譲った時に自分が仏だ。自分がキリスト教だから神に一歩近づいたとか、あるいは仏教なら仏に近づくということは、それは席を譲った時に、「私の席に譲ってくれてありがとう」と立ち上がった時に、坐ってくれた人にお礼言えたならば人間ですよね。人と人の間ですから。お婆ちゃんのお蔭で私は一歩仏に近づいたんだよとか、あるいは一歩神に近づいたんだよというふうに言えたらね。そのお婆ちゃんのお蔭で自分が人間としてレベルが上がったんですから。
 
ナレーター:  無着さんは、八十八歳を迎え、夫婦静かに余生を過ごしています。六十年近く連れ添った妻トキさんは、認知症となり寝たきりの状態です。二十四時間無着さんは妻に寄り添え介護を続けています。
 

 
無着:  寝たっきりの痴呆症の女房を介護するというのは、これは大変なことですね。これやっぱり「これが私に与えられた最後の修行か」と思ってね。「これも修行だ、これも修行だ」と思いながら。腹に据えかねるようなこともあるんだけれどもね、その時は我慢してやっているんです。面白いですね。同じところに寝ているんですけどね、「今、私、どこにいるの?」って。「お家に帰ろうよ」って言うからね、「そろそろ帰ろうね。お釈迦さま、待っているよ」というと、「うん、お釈迦さま、待っているね」というからね。わかっているのかわかっていないのか(笑い)。「帰る、早く帰ろうよ」というから、早く死にたいということでもあるのかなと思うけども、まあ「死にたいのか」というと、やっぱり「死にたい」とこう言いますね。大宇宙の真理というのは、「成住壊空(じようじゆうえくう)」という言葉で表される。「成」というのは成立する。成立して、「住」というのは、そのままの状態でいて、「壊」というのは壊れて、まったく「空」になる。「成住壊空」というのを繰り返している。「成住壊空」の中に、我々は生きているわけですね。だから生き方というのを学ばなければいけないんですよ。人間は、人間になるためには人の生き方というのはどういうのが人の生き方なのかというのを学ばなければね。「仏性」というのは、自分自身の中に、自分自身の仏を発見することでしょうよ。
 
三宅:  自分自身の中の自分自身の仏、
 
無着:  自分自身の中に自分自身の仏を発見することが仏性ですね。仏性それ見付かればいつ死んでもいいですよ。
 

 
ナレーター: 無着さんが山びこ学校に心血を注いでから六十四年。舞台となった山形県、かつての山元村です。人口は五分の一に減り、二つの集落がなくなりました。無着さんが子どもたちと苦楽を共にした山元中学校、二○○九年に閉校となりました。校庭には山びこ学校の生徒たちが建てた記念碑が遺されています。
「山びこ学校の合い言葉」
きかんしゃの子どもはいつも力を合わせていこう
陰でこそこそしないでいこう
いいことは進んで実行しよう
なんでもなぜと考える人になろう
 
 
     これは、平成二十七年十二月十三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである