仏教を生きるB一乗平等の教え
 
                       東洋大学教授 田 村(たむら)  晃 祐(こうゆう)
                       き き て  草 柳  隆 三
 
草柳:  「仏教を生きる」のシリーズの三回目の今日のテーマは「一乗平等の教え」ということなんです。この「一乗」というのは一つに乗るというふうに書くわけで、文字通り一つの乗り物という意味のことのようなんですが、一つの乗り物というのは仏教で一体どういうことを意味しているのかということを、今回はお話の中心にして、いつものように東洋大学教授の田村晃祐さんにいろいろとお話を伺っていくことに致します。先生、今日も宜しくお願い致します。
 
田村:  どうぞよろしくお願い致します。
 
草柳:  「一乗」という言葉は、まだちょっと何となく私には馴染みがそれ程濃くないというか、馴染みが薄い言葉なんですが、仏教ではこれはとても大事な言葉なんですか。
 
田村:  はい。仏教では大変重要な言葉だと思いますし、とくに日本仏教の性格を考えるという時には、一乗の思想というのは、非常に大きな性格を形作っているというふうに思うわけですね。
 
草柳:  それで「一乗の思想」というのは、大体どういうことかと言いますと、インドでお釈迦様がお生まれになりますね。そして仏教をお始めになるわけです。ところがその後インドで仏教がいろんな形に分かれて展開する。大きなものですと、部派仏教というんですけれども、いわゆる「小乗仏教」と言われるものですね。こういうものは二十位の部派に分かれるわけですね。
 
草柳:  小乗というのは小さな乗り物ですか。     
 
田村:  小さな乗り物ですね。この小さな乗り物というのは、学問的にはあんまり使わない言葉で、何故かというと、その後で「大乗」というのが出て来ます。「大乗」というのは、大きな乗り物というので、自分達の仏教は大きな乗り物の仏教だぞ。大きな乗り物ということはだくさんの人を一緒に乗せて、しかも遠くまで行ける仏教なんですね。それに対して伝統的、保守的仏教と言いますか、昔からの伝統的な仏教を小さな乗り物だというふうに軽蔑したわけですね。軽蔑された小さな乗り物という意味は一人しか乗れないとか、少しの人しか乗れないとか、しかも小さい乗り物だと遠くへは行けないということになるわけですね。それで軽蔑した名前ですから、普通使わないんですけれども、昔はそういう言葉を使っていたので、この話の中では、時々、そういう言葉も出てくるかと思いますけれども、それでいろいろな形で仏教が展開していく。特に、いわゆる小乗仏教とか、大乗仏教に展開していくということになると、いろんな形になっているから、やっぱり本質がちょっと違うのか。さっき言った言葉を使うと、近くまでしか行けない仏教、遠くまで行ける仏教と別々なのか、或いはそういうふうに分かれてでも、全部が仏教なんですから、本質は一つなのだということになるのか、ということで、いろいろ考え方が出てくるわけですね。一乗というのは仏教である以上、本質は一つなのだ。だからいろいろな仏教の中に区別があっても、最終的には同じなのだ。最終的には同じだ、一つなんだということが、即ち、あらゆる人が全部仏になれるという平等な考え方ということになるわけですね。
 
草柳:  そういう一乗に対する考え方として、それに対立する考え方として言われていた思想というか、考え方というのはどういうことなんですか。
 
田村:  それは「三乗思想」というんですけれどね。大乗と小乗と言うと、仏教の中に二つの乗り物があるということになりますね。ところが伝統的には、いわゆる小乗を「声聞乗」と「縁覚乗」、声聞の乗り物と縁覚の乗り物というふうに、二つに分けて、大乗のことを菩薩の乗り物というふうに言いまして、三つの乗り物が仏教の中にはあるんだ。小乗の乗り物に乗った人はあまり遠くへ行けない。しかしそれに乗った人はそれで行き止まりなんだ。縁覚もそれで終わりなんだ。菩薩の乗り物に乗った人だけが仏に成れる。そういう考え方で、三つの乗り物を区別するというふうな、相違があるんだという考え方が出てくるわけですね。そういうのを、「三つの乗り物の思想、三乗思想」というふうに言います。
 
田村:  ただ、もともとは釈尊から出た仏教の教えですから、一乗の教えにしても、一乗の考え方にしても、それから今おっしゃる三乗の考え方にしても、行き着くところというのは、結局悟りの世界ということになるわけでしょう。
 
田村:  そういう考え方が一乗思想ということになりますね。
 
草柳:  それに対して三乗というのは、つまりいろいろな段階があるということなんですか。
 
田村:  そうですね。そういう三乗の思想と一乗の思想という二つの系統の思想に仏教を分けて見ると、実際に存在するというのは自立ですから、一乗の方から三乗を見ると、どういうことになるかと言うと、あれは段階の区別、例えば、教育でも小学校の段階があって、それが終わったら中学の段階と行って、中学が終わったら高等学校の段階と行って、上に行きますね。その小学校の段階の教えが、例えば声聞乗で、声聞乗が解ったら、その上の段階へ移ればいい。そして最終的には、みんなが同じ一つの段階に移ればいいという考え方なんですね。段階説で三乗を見ていくというのが、一乗の立場ということになるわけですね。
 
草柳:  一乗の側から見ると、三乗というのはそういうふうに段階を追って、ステップ バイ ステップで、最終的には悟りの世界と言うか、釈尊の言った涅槃の世界に到達出来る道なのであると。三乗側からすると、それはまた別の考え方で、
 
草柳:  別の考え方で、声聞乗というなら、声聞乗というのに乗った人は、声聞の悟りに行けば終わりだ。これは仏の悟りとは違って、程度が低い悟りだと言うんですね。縁覚乗に乗った人は縁覚の悟りで、これは低い悟りなんだ。菩薩の乗り物に乗った人だけが、最高の仏の悟りに至れるんだというので、これは宗教的な意味ですけれども、最後に到達出来るところというのに相違をもうける。相違を見ているということになりますね。これはある意味から言うと、現実的な考え方だということになりますけどね。
 
田村; ということは、つまり人によって、此処まで行ける人と、次のステップまで行ける人と、ついには行かれなかった人もあるというのが三乗的な考え方。
 
田村:  そうですね。
 
草柳:  さっきおっしゃった、例えば声聞とか縁覚とかという言葉で、それを三乗では、そういう言葉を使いながら表現したわけですか。それぞれの三乗の考え方に則った、こういう人はここまで、ということを、ちょっと詳しくちょっとお話頂けませんか。
 
田村:  これは日本に仏教が入って来た最初の人と言ってもいいような聖徳太子という人は一乗思想なんです。それで一乗をどういうふうに表現しているかと言うと、「万善同帰(まんぜんどうき)」と言って、どんな善でもやった人はみんな同じところへ行けるというところで、平等な思想なんですね。ところがその後、中国へ留学した道昭(どうしょう)というような人が、いわゆる三蔵(さんぞう)法師ですね、インドへ行って、非常に苦労して留学してきた玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)という人のところへ留学しまして、その人の教えは三乗思想というんですね。三乗思想の立場に立つと、人間を五種類に分けて見る。「五性各別説(ごしょうかくべつせつ)」と言いますけれども、五種類に分けて見るということをするわけです。
 
草柳:  今出ていますけれども、つまりこういう考え方が日本に入って来て、盛んになったというのは時代的には奈良のあたりですか。
 
田村:  そうですね。道昭(どうしょう)という人が中国へ行って玄奘につくわけですけれども、この道昭という人は飛鳥時代ですね。それからその後、たくさんの人が中国へ行って法相宗(ほっそうしゅう)という宗派を学んで来ますので、奈良時代には、法相宗が一番盛んな宗派であったということになるわけですね。その宗派は三乗思想という、人間に区別をもうけるというような考え方であるわけです。
 
草柳:  その三乗思想と、それから一乗思想の、いわばせめぎ合いというような時代が日本にも当時あったわけですね。
 
田村:  そうですね。三乗思想の人間を五種類に分けるというのは、「五性各別説」と言うんですけれども、これは最初の三つが、上に「定性(じょうしょう)」と書いてあるわけですね。「定性の声聞」「定性の縁覚」「定性の菩薩」というので、「定性」というのは、定まっている性質の人というので、この定性の声聞という人は、生まれた時から声聞に決まっているという人ですね。定性の縁覚というのは、生まれた時から縁覚に決まっている。定性の菩薩は、菩薩に決まっているというので、声聞と縁覚という人は、どうしても阿羅漢(あらかん)という立場にしか至れない。菩薩だけが仏になれるというふうに区別を考えるわけですね。それから後、第四番目は「不定種性」と言いまして、決まっていない人というわけです。決まっていない人と言われるのは、阿羅漢に成れるかも知れない。しかしもしかしたら、仏に成れるかも知れない。どっちになれるか決まっていない。ということは、逆に言うと、どっちの可能性も持っている人ということになるわけですね。最後は「無性有情(むしょううじょう)」と言いまして、この人は仏教に入る種を全然持っていないという人なんですね。これは法相宗という宗派は、あらゆるものは人間の一番奥底にあるアラヤ識というところに種があって、その種から出てくるという考え方なんです。「定性の声聞」というのは、声聞に成れる種しか持っていない。そうすると声聞に成る以外にない。「定性の縁覚」というのは、縁覚という縁覚に成れる種を持っている。縁覚になる以外にしようがない。「定性の菩薩」は必ず仏に成れる種は持っているから、仏に成れる。「不定種性」という人は、二種類か三種類の種を持っている。例えば、声聞と菩薩の種を持っていると言うと、この人は声聞の人に成って終わるかも知らないけれども、うまくやれば菩薩に仏に成れるかも知らないという、いろいろな可能性を持っている。それから「無性有情」というのは、これはそういう仏教に入る種を全く持っていない人で、仏教とは一生縁もゆかりもない人ということですね。
 
草柳:  これが三乗の基本的な思想の根っ子になったものなんですか。今の声聞と縁覚のところに、「阿羅漢」とありましたですね。声聞になる、縁覚になるというのは、つまり阿羅漢になるということですね。
 
田村:  そうですね。
 
草柳:  「阿羅漢」というのは何ですか。
 
田村:  「阿羅漢」というのは、先程の言葉を使えば、いわゆる小乗仏教の悟りというんですけれども、「無余涅槃(むよねはん)」と言う言葉を使って、「無余涅槃」というのは、心の、精神的な要素も、肉体的な要素も何にも無くなる。全くの無に帰する状態。これはそういうところでは、輪廻(りんね)というものを考える時に、迷いの世界だけがあると考えるわけですね。兎に角、輪廻する時には、迷いの世界の中を輪廻する。迷いを脱却する時には、なんにも無くなる。ゼロになるという状態になると、迷いを脱却出来るというわけですね。ところが大乗仏教でいうと、そういう迷いの世界の上に悟りの世界というのを考えるわけですね。迷いの世界を越えて、今度は悟りの世界に入る。悟りの世界へ入ると、今度は自分が悟るだけではなくて、人をも悟りに導く。「自利利他(じりりた)」という菩薩の考え方で、これから生きていくというので、それで人をも導くというんですから、大きな乗り物ということになるわけですね。それでそういうふうにして、自分だけが悟ろうとする小さな乗り物で、そして行き着く先は、全く無に帰するという世界と、菩薩となって人を救う仕事をするというのとで、仏になるというのと、小乗の悟りというのとで、差を見ているということになるわけですね。
 
草柳:  この辺、先生、三乗なのか、それとも一乗なのかということの選択というか、つまり、この話を深めていくということは、後の日本の仏教を考える上ではもの凄く大事なことだというふうに、今お話を聞いていて、そういうふうに感じたんですけれども、もうちょっとお伺いしていいですか。三乗というのは、例えば、最後の「無情有情」、五つ目の分類がありましたですね。これはついには悟れない人もいるということなんでしょう。
 
田村:  そうですね。悟れないというよりは、仏教に入る種を全然持っていない。仏教には生まれてから死ぬまで縁もゆかりもないという人が無性有情ですね。仏に成れないという人は、「定性の声聞」とか、「定性の縁覚」という人は、仏にはなれませんということになります。「不定種性」の中でも、一部の人は、仏には成れないかも知らないということになるわけですね。
 
草柳:  ちょっと切ない感じはしますけれども、しかしとてもある意味では現実的な考え方という気が致しますね。こういう三乗の考え方の根本的な人間観、さっきちょっとおっしゃいましたけれども、つまりそれはいわば深層心理というか、唯識の世界の中に、例えば無性有情で仏に成れない人の持っている種があり、或いは仏に成れる人の種をちゃんともう既に持っているんだという、そこの世界のところがとっても大事だという。
 
田村:  そうですね。そこで分かれるということになるわけですね。
 
草柳:  ただ、これを一乗的な考え方からすると、そうではない。勿論そういうふうに言っているわけですね。一番最初、ちょっと話がありましたけれども、これは単に段階的なものであって、究極的にはというか、最終的には、それは全て救われると言うか。
 
田村:  そうですね。それで一乗の方から言うと、一番仏教に縁もゆかりもないのが、無性有情というのですね。これはicchàntikaという、サンスクリットの言葉を発音を通じて、「一闡提(いっせんだい)」というふうにしているんですけれども、一闡提(いっせんだい)が救われるということになると、もう全部救われるということになるわけですね。一乗の方から言うと、一闡提(いっせんだい)でも救われるんだということを強調するということになりますね。それで奈良時代の仏教は、こうやって法相宗が一番盛んですから、差別的な考え方と言いますか、相違があるという考え方が中心になるわけですけれども、今度は、平安時代になると、一乗思想の天台宗、真言宗というのが盛んになってくるということになるわけですね。
 
草柳:  奈良時代の三乗の考え方の拠り所になっていたと言うか、寺で言うと、例えばどんな寺ですか。
 
田村:  現在のお寺、奈良時代のお寺と言うのは、これは一つのお寺が一つの宗派というわけではないです。一つのお寺の中にいろんな宗派が入っていたんです。従って大体大きなお寺、どのお寺にも法相宗にはあるわけですね。ただその中でも、法相の系統として中心になっていったのが、興福寺というお寺と、元興寺というお寺ですね。元興寺派、興福寺流の、興福寺の流れを汲む法相教学と、それから元興寺流の法相教学というふうに分かれていったということが、普通言われておりまして、これは元興寺の方が、中国の法相宗の古い部分を受け入れている。興福寺の方が中国の法相宗の新しい部分を受け入れているというので、差があるというふうに見られていたわけですね。実際にごこまでどう差があるかというと、ちょっと難しい問題があるんですけれどもね。
 
草柳:  そう言えば、今あった当時の元興寺にしても、開祖は誰なんだということはあんまり言いませんですね。
 
田村:  開祖というのは無いんですね。あれはもともと飛鳥にあった飛鳥寺というお寺が、奈良に移って元興寺というわけですけれども、あのお寺は蘇我氏が造ったお寺ですからね。お坊さんとして、誰が開祖でというようなことはちょっと言わないですね。
 
草柳:  当時は今考えるよりは、当時の奈良仏教という言葉で代表されるような宗教関係というのは、結構大らかなところがあったわけですね。
 
田村:  そうですね。ですからいま宗派仏教に分かれて、宗派毎に政治的な組織も違いますけれども、奈良時代は仏教全体が一つなんですね。仏教全体が一つの中で、三論を勉強する人達、法相を中心にする人達、華厳の人達、いろんな宗派に分かれていたということになるわけですね。ですから奈良時代の仏教は、学問仏教と言われていますし、宗派という言葉を使っても、現在の我々が考えるような宗というよりも、学派という意味に近いようなもんだったんだろうと思うんですけれどもね。
 
草柳:  学問としての仏教の色彩がかなり濃かったんでしょうか。
 
田村:  そうですね。やっぱり仏教が外国から来ると、最初は一生懸命になって学問をして内容を理解しなければいけないわけですね。内容が理解出来たところで、修行の中に生かしていくような寺の傾向を辿りまして、奈良時代の仏教は学問中心、それから平安時代になると、学問と修行と両面を生かした仏教というような形になってくるわけですね。
 
草柳:  その奈良時代に主流だった三乗の考え方が、一乗の考え方とかなり切磋琢磨と言うか、先鋭的にいろいろとぶっつかり合うというのは、その後の時代になるわけですか。
 
田村:  そうですね。平安の初期に非常に大きな論争が行われたということになりますね。
 
草柳:  平安期の僧の代表と言いば、空海とか、最澄が思い浮かびますけれども、つまり最澄が一乗思想の代表的な論客と言うか、というふうに見ていいわけですか。
 
田村:  はい。
 
草柳:  最澄という人はどういう人だったんですか。
 
田村:  最澄という人はもともと近江の国にいた渡来人の子孫なんですね。近江にいた渡来人というのは、非常に知識人が多くて、文筆業などに携わっていた人が多いんです。若い時に、国分寺に入ってお坊さんになって、その時の先生は禅宗なんですね。北宗禅という禅なんです。ですから最澄は若い時は禅のお坊さんですね。それで正式なお坊さんの資格を得た後、比叡山へ入って、これは禅の修行を始めたんだというふうに思いますね。ただ、非常に学問をしている人ですし、最澄の禅の系統を日本に持ち込んだ人は道?(どうせん)という人なんです。この人は禅宗の人ですけれども、天台とか華厳とか戒律とか、いろんなものに詳しかった。それで最澄もいろいろ勉強している間に、天台に転向していって、そして中国への天台山へ留学して来て、日本に天台宗を樹立するという形になっていったわけですね。
 
草柳:  最澄に限らないでしょうけれども、当時の空海にしても、最澄にしても、それから後世に名が残っている人達というのは、猛烈な勉強家であったというみたいですね。
 
田村:  それは勉強するについて、最澄なんかいま申しましたように、比叡山に上りますね。そうすると、比叡山の上には本がないんですね。修行の場所で、学問の場所ではないんですから本がない。どうやって本を揃えるかというので、大変な苦労をしますね。いろんな経緯があって、とくに東北に居た道忠(どうちゅう)(鑑真の弟子)という人が、非常に援助してくれて、三千冊程の本を写してくれたというようなことがあって、それからお弟子を奈良に派遣する。近江へ派遣する。あちこちへ派遣して写させて、そして勉強するということになりますね。それで修行と学問を両立させていったという人になるわけですね。
 
草柳:  そうやって理論武装をし、宗教としては仏教に対する考え方も深めていったということなんでしょうけれども、最澄が一乗を代表する。
 
田村:  そうですね。天台宗は一乗で、天台宗という宗派は法華経というのを中心にして考えますし、法華経というお経は一乗のお経なので、最澄は一乗の思想ということになりますね。
 
草柳:  最澄が出て来て、一乗と三乗との論争というのは、どういうふうな恰好で展開していくんですか。
 
田村:  これはやはり奈良のお坊さん達は法相宗の人が多いんですから、いろんな時に法相宗のお坊さんとコンタクトして話合いで議論はするでしょうね。議論していた様子が幾らか伝記とかなんかに残っておりますけれどね。しかし奈良のお坊さんとは直接会って話しするわけですから、別れてしまえば言葉は消えてしまうということになりますね。ところがその当時、東北に、今でいう会津、会津から茨城県を中心にして、勢力を持っていた人に、徳一というお坊さんがありまして、そして徳一という人との間で、一乗に関する激烈な論争を始めたわけですね。徳一は会津にいますから、直接会って話するというわけにはいかないですね。お互いが本を書いて、相手を批判して、書物の形で議論するということになりますので、それで徳一との間の論争というのが、今残っているということになるわけですね。
 
草柳:  これを見ても、なんか凄く粘り強くて、意志強固という感じの顔しておりますね。
 
田村:  本当です。これは茨城県の月山(がっさん)寺というお寺にある徳一像です。それから会津の恵日寺(えにちじ)というお寺にも、徳一像というのが残っておりますけれども、書いたものを見ても凄いですね。それで会津なんかに居ながら、やっぱり中央に名前が鳴り響いておりますですね。最澄もこうやって、論争相手として、非常に密接な関係を持つ。それからもう一人の空海も使者を遣わして、徳一のところへ使者を遣わせて、いろいろな関係を持つということになるわけですね。
 
草柳:  ただ、この徳一という人は、それまで一体どういうふうな経過を辿ってきた人だったのかということも、実はよく分かっていないんだそうですね。
 
田村:  そうですね。私はその当時会津にいた人のことがこれだけ知られるということの方が不思議な感じがして、細かなことは何も分からないんですね。ただ、おそらく二十歳前後までは奈良の都に居て、法相教学を一生懸命になって勉強して、そしてその後、会津に移って、磐梯山の麓で修行しながら、学問を深めていったという人だろうというくらいの大体のことは分かるんですけれども、詳しいことは分からないんですね。
 
草柳:  この時代になると、徳一という人は三乗の考え方の、いわば言ってみれば最大の論客の一人だったということになりますか。
 
田村:  そうですね。これは最澄とお互いに本を書いてやり取りするわけですから、本が残ります。そうすると、その当時でも空海にも知られていたということになります。その後の平安時代の法相宗の人なんかも、非常に徳一を尊敬します。それから鎌倉時代でもそうですね。その頃までは本が残っていたようですけれども。徳一の書いた本というのは、弘法大師に書いて送った本だけは今残っているんですけれども、最澄との論争の本は残っていないんですね。一冊も残っていないんです。それですから、最澄のことを、最澄の文献を考えながら、徳一はこういう主張をした。或いは平安時代に書かれた文献の中で、徳一がこういうふうに言っているという引用文なんかを集めまして、それで大体徳一が言っているのは、こういうことだというのが分かるだけですけれどもね。平安、鎌倉あたりまでは、実際に本が残っていたので、その時代の法相宗の人は、徳一の文章を引用しているというのが、ある程度あるということになるわけですね。
 
草柳:  そうですか。しかしあの時代に、かたや最澄が京都に居て、かたや論争の相手は東北に居て、徳一という人は京都と東北との間のやり取りをやったわけですね。凄いことですね。
 
田村:  これは最澄が若い時から非常に応援してくれた人に、今の群馬県から栃木県あたりに勢力があった道忠(どうちゅう)という人がおりまして、それで最澄は弘仁八年という年に、そういう関係で関東まで来るんですね。それで関東へ来た時に、私の推定では、最初は関東にいた天台系の教団と徳一の間で議論が始まりかけていたものを、それを機会に最澄が議論を引き取って、その後は比叡山と会津の間での論争になったというふうに思うんですね。これは弘仁八年に始まりまして、十三年に最澄が亡くなるので、それが最後の著作というのは亡くなる前の年の著作なんですけれども、四年位の間にお互いに何冊も何冊も本を書いて送る。そうすると、最澄は、例えば徳一から本が来て、その中に書いてあると、その中の文章を引用しながら、「お前はこう言っているけれども、これはこのお経にはこう書いてあるのに、お前は違うじゃないか」と。「こういうふうに言っているのに、こういう論にはこういうふうに書いてあるじゃないか」と言って、一々反駮(はんぱく)してやるわけですね。徳一はそれを受け取ると、「お前の方こそ間違っているじゃないか」と。「これは元々のところで、こういう意味で書かれた本なのに、お前はそれをこういう意味で使っている。活かし方が違うじゃないか」と言ってやり取りするということになりますね。分かっているだけで、お互いに六、七冊本を書いて、やったり来たりしていますね。四年の間に、本を書くにも大変でしょうけれども、それを届けるのがまた大変だっただろうと思うんですね。
 
草柳:  ほぼ千二百年前のことですものね。
 
田村:  はい。
 
草柳:  その最澄と徳一の論争の最も大きなポイントというのは、どの辺にあったんですか。
 
田村:  大きく分けると、法相の教学と天台教学とどっちが正しいかというのが一つありますね。それからいま問題になった一乗思想と三乗の思想とどっちが正しいかということが一つありますね。ところが天台と法相の教学論争というのは、あんまり続かなくて、一乗三乗の論争の方がずうっと最後まで続いておりましたので、普通の一乗と三乗論争というふうに言われているわけですね。それで徳一の側から見ると、三乗が真実の教えなんだ。一乗というのは方便の教えなんだ。方便ということは人々を導く手段として、仮に説かれた教えなんだというふうに考えるわけですね。手段として、仮に説かれたということをもう少し詳しく言いますと、さっきの五性各別説の中に不定性という決まっていない人がいましたね。
 
草柳:  四番目にありましたですね。
 
田村:  四番目にあったですね。不定性の人に対しては、みんな仏に成れますよ。誰でも仏に成れますよ。言えば自分でも仏に成れるかと思って努力して仏に成れる。この人、仏になる可能性を持っているわけですからね。そう言われて激励されると、仏になる。それで一乗思想、全ての人が仏に成れるんだ。みんな同じ乗り物に乗るんだというのは、不定種性という人を、いわば勇気づけるための教えだ。だから一部分だけにしか当てはまらない教えなんだ。方便の教えなんだ。手段としての教えなんでしかないというような位置づけをするわけですね。そしてそれをいろんなところから論証していくということになるわけですね。
 
草柳:  それは徳一側の主張なんですね。
 
田村:  そうですね。
 
草柳:  それに対して最澄の方は。
 
田村:  最澄の方はさっき申しましたように段階説なんですね。低い段階の教えもある。高い段階の教えもある。仏教の中にはいろんな段階の教えがある。何故そういう同じ仏教でいながら、段階があるかと言うと、お釈迦様という方は相手をご覧になって、この人を導く為にはこういうふうに説けば分かるだろう。この人に対してはこういうふうに説けば分かるだろうというので、相手に応じて説かれた。あんまり知識を持っていない低い人に対しては、いわば低い教えを説かれた。低い教えを説かれたからと言って、低い教えで終わりではないんだ。その人がその教えを受け入れて、理解して、それが分かるようになったら、もう一段高い教えを教えて上げたんだ。そしてだんだん段階を追って、みんなの人を最終的には仏になるというところまで、みんな導いてくれたんだ。だからこういう仏教の中に、そういう差別がある。差別と言うか、相違のある教えがありますけれども、それはいわば最高の教えへ導くための手段として教えたんだ。だから最澄の側から言うと、一乗というのが真実なんだ。三乗というのが方便としての教え、仮の教えでしかないんだというので、どっちが真実で、どっちが仮かということをやり取りしたわけですね。
 
草柳:  ただ、片や法相宗、三乗教えの徳一の背後には、勿論自派の教団というものが当然あったでしょうし、それから最澄は最澄の方で天台の方の教団が勿論あったわけですから、教団と教団との激しい主導権争いと思うんです。
 
田村:  そういうふうに思いますし、やっぱり論争に負けたら、教団が潰れちゃうんじゃないかというふうに思うんです。ですからこういう背景は中央における法相宗と天台宗というのもあるでしょうし、東北の方で、徳一の教団というのは、今で言えば、福島県から茨城県辺りにかけて力があった。それから最澄を応援してくれた人の教団というのは、天台系の教団が、栃木、群馬、秩父辺り、埼玉辺りにかけてありますですね。関東と東北における二つの教団の政争をかけた闘いだったんじゃないかという感じで、私は受け取っています。どっちも負けられないんですね。
 
草柳:  で、この結末はどういうふうについたんですか。
 
田村:  結局、最終的には、最澄が先に亡くなりますので、片方が亡くなってしまうと、論争としては終わりということになりますね。ただ、そういう形ですから、今度、平安時代、鎌倉時代あたりにずうっと論争が引き継がれていって、時々あっちこっちで論争が勃発するというような形になっていったわけですね。
 
草柳:  じゃ、徳一と最澄の論争というのは、いわば差し掛けみたいな恰好になった。
 
田村:  そうですね。差し掛けと言えば差し掛けですけれども、ただ平安時代は天台宗と真言宗、真言宗も一乗ですし、これが中心をなすものですから、図式的に言うと、聖徳太子が一乗思想、奈良時代は三乗思想が中心で、平安時代で一乗中心になっていった。ただ一乗中心ということを言いましても、法相宗もずうっと続くわけですね。一つの要素はやはり藤原氏の天下ということになりますね。藤原氏のお寺というのは、奈良の興福寺なんです。この興福寺が法相宗の中心のお寺ですから、そうすると、法相宗は奈良時代を通じても、偉いお坊さんがたくさん出るわけですね。法相宗も有力である。だけど、中心は天台、真言だと言っていいでしょうけれどもね。
 
草柳:  その徳一と最澄の論争が、いまおっしゃるように、後々まで続いていって、それを引き継いだというふうな恰好になって、時々ドカンドカンとこうやったわけですか。
 
田村:  そうですね。
 
草柳:  先生のガイドブックの中にあるんですけれども、両方から何人かの人達が出て、夜を徹して議論を戦わしたというふうなこともあったそうですね。
 
田村:  そうですね。「応和(おうわ)の宗論」と言うんです。応和という、これは元号ですね。村上天皇という方で、村上天皇が法華経を自筆で書写された。全部写されたというんですね。それを記念して、なんか記念の行事をやりましょうよということを、比叡山の良源(りょうげん)というお坊さんが言い出しまして、奈良の方から十人の代表選手、京都の天台から十人の代表選手を選んで、そして二人づつのペアを作りまして、五日間、昼と夜、昼と夜というので、論争の主題を決めて議論したと言うんですね。「応和の宗論」と言うんですけれども。そうすると、奈良から来た人は大体三乗思想を主張するでしょうし、天台の人は一乗思想を主張するでしょうし、そこで議論させたというような会をもうけたわけですね。
 
草柳:  凄いエネルギーですね。この時に有名な論争のポイントがあって、それは同じ漢文をどう読み下すかということにあった。それをちょっとご紹介頂きたいんですけれども、これは誰と誰の論争なんですか。
 
田村:  これは比叡山の方の中心になったお坊さんが良源という人で、この人は後で天台の座主(ざす)と言って、天台の一番偉い方になります。特に平安時代、天台を大きく復興した人というので、有名なお坊さんなんですけれども。それから相手の法相宗の仲算(ちゅうざん)というのも、これは有名な学僧なんですね。その二人の議論の中で、法華経の最初の行に書いてある『法華経』の「方便品」というところに「無一不成仏」という言葉があるんですね。「無一不成仏」という言葉をどういうふうに読み下すかというので、良源というのは、「一人として成仏せざるは無し」というふうに読んだというわけですね。これは『法華経』としては、これが正統的な読み方なんです。『法華経』というのは大体一乗思想の文章ですから、「一人として成仏しないものはありません。いわゆる人が全部仏になります」というので、平等な一乗の思想なんですね。ところがそれに対して、「お経というのは、お釈迦様が説かれているわけですから、お釈迦様はちゃんとこうおしゃっていらっしゃるじゃないですか。みんな仏に成れますよ」というふうに良源が主張したわけですね。そうすると、奈良から来た仲算という人が、「そんなことはない。お釈迦様はちゃんと五性各別説をその通りだと言っていらっしゃるじゃないか」と。「法華経の中に、無の一は成仏せず」と、こういうふうに書いてあるじゃないか」。「無の一」というのは、先程の「五性各別説」の最後の「無性有情」ですね。「無性有情の一種類の人は成仏出来ませんと、ちゃんとお釈迦様はおっしゃっているじゃないか」というので、同じ文章をこう読み方によって、正反対の意味に受け取ってきたということで、有名な論争があるんです。
 
草柳:  まさに正反対ですね。
 
田村:  まさに正反対なんです。
 
草柳:  漢文というのはこういうふうに読めるわけですね。読み方としては間違いないわけですね。
 
田村:  読めちゃうわけですね。
 
草柳:  ただこんなふうな論争が続いていって、おっしゃるように体勢としては、日本の仏教というのは一乗的な考え方の方にウエイトがかかっていったということですか。
 
田村:  日本の仏教の中で、一番大きな地位を占めてくるのは、鎌倉時代に出来た仏教ですね。ところが鎌倉時代の仏教は、法然上人もお若い時は比叡山で勉強していらっしゃる。親鸞聖人も比叡山で勉強されてからお出でになった。栄西禅師も比叡山に関係がある。道元禅師もお若い時は比叡山だ。日蓮上人も比叡山で勉強された。直接比叡山で勉強したことがおそらくないのは、一遍上人だったと思うんですけれども。一遍上人は法然上人の系統の浄土宗を勉強された方ですね。ですから大きく言うと、天台の系統ですね。鎌倉時代に出来た宗派のそれぞれの祖師方は、天台に連なっているわけです。ですからみんな一乗思想ということになります。道元禅師も一乗思想だ。親鸞聖人も一乗思想だ。他の方々も一乗思想だ。それが日本の仏教の中で一番大きな地位を占めて、一番大きな教団を形成していくということになると、天台の一乗思想の系統が、日本中に広まって、日本人の心をほとんど導いていったということになるわけですね。
 
草柳:  多分、その過程でも、それぞれの祖師方というのは、自分個人の中で葛藤をいろいろしながら進んでいったのは、多分間違いないだろうと思うんですけれども。『往生要集』の恵心僧都(えしんそうず)の文章をちょっとお見せして宜しいですか。
 
諸乗の権実(ごんじつ)は古来の諍(あらそ)いなり。倶(とも)経論に拠(よ)る。互いに是非を執(しっ)す。余、寛弘丙午(ひのえうま)の歳(とし)冬十月、病中に歎じて曰(い)わく、仏性に遇うと雖も、仏意を了せず。若(も)し終(つい)に手を空(むなし)うせば、後悔何ぞ追わん。爰(ここ)に経論の文義、賢哲の章疏、或いは人をして尋ねしめ、或いは自(みずか)ら思択(しちゃく)す。全く自宗他宗の偏党を捨て、専ら権智実智(ごんちじっち)の深奥を探るに、遂に一乗は真実の理、五乗は方便の説なるを得るなり。既に今生の蒙を開く、何ぞ夕死の恨みを遺(のこ)さんや。
(『一乗要決』上)
 
田村:  この源信(げんしん)という方は先程の「応和の宗論」に出てきた良源という方のお弟子なんですね。それで『往生要集』という浄土教の本をお書きになって、非常に有名です。その当時少し源信よりは若いでしょうけれども、紫式部が源氏物語の中に、源信をモデルにしたお坊さんを書いていると言われているような部分もありまして、その当時非常に有名なお坊さんだったですね。この方が、「一乗が本当か、三乗が本当か」というので、自分の宗派から言えば初めから一乗がそうだということになるでしょうけれども、そういうのをとって、そして自分で本当に真面目に考えてみた、というわけですね。この文章、「諸乗の権実は」というのは、「権」というのは方便の教え、仮の教えで、「実」というのは真実の教えですね。一乗、三乗というようないろんな乗り物があるけれども、どれが方便の教えで、どれが真実の教えかということについては、古来の争い。昔から論争が続けられています。インドではあるし、中国でもありますし、日本でもありますからね。「倶(とも)経論に拠(よ)る」どっち側もこのお経にこう書いてある。「お経」というのは、お釈迦様が説かれたもので、「論」というのは、その後インドのお坊さんなんかが書かれた本が論ですね。両方ともこのお経にこう書いてありますよ。この論にこう書いてありますよというので、お経とか論を根拠にして、自分の主張をしていって、「互いに是非を執(しっ)す」お互いにこっちが正しいんだ。「是」は正しいですね。「非」は間違いですね。こっちが正しい、こっちが間違いだというようなことにとらわれて、議論してきたというわけですね。そこで自分は全く自宗他宗の偏党を捨てて、自分の宗派はこれだから、こう考える。他の宗派はこう考えるというような、自分の宗派、他の宗派の片寄りを捨てて、ただ「専ら権智実智(ごんちじっち)の深奥を探るに」何が方便としての智慧であるか、何が真実の智慧であるかというような奥深いところを、自分は探っていった。そうすると、「遂に一乗は真実の理」一乗というのは真実なんだ。「五乗」これは五乗と書いてあっても、三乗思想、五性各別説ですね。五性各別説は方便の説だということを、私は得た。従って、天台の伝統的な考え方がやっぱり正しいんだというふうに、この人思ったわけですね。「既に今生の蒙を開く」そこで私は今生きている間の迷妄を迷いを開くことが出来た。「何ぞ夕死の恨みを遺さんや」これは論語の言葉ですね。「朝聞道(あしたにみちをききて)、夕死可矣(ゆうべにしすともかなり)」という、あれを考えて、今私は正しい教えを悟ることが出来たから、今晩死んでも恨みを残すことはありませんよ、というようなことですね。「一乗要訣」という一乗に関する重要なポイントを決定したという意味の本を書いていったわけですね。
 
草柳:  じゃ、ここに生きて源信は確信の域に達したというふうにいうわけですね。
 
田村:  それはそうですね。
 
草柳:  確信をしたということで言えば、更にこの後の親鸞などはもっと激しくということになるわけでしょうか。
 
田村:  そうですね。親鸞という方は主著が『教行心証』、この後ろに書いてある教行信証というんですけれども、その行巻の中に、「一乗海釈」という、一つの説というか、項目をもって、そこで一乗ということを非常に強調していらっしゃるわけですね。
 
草柳:  これはその部分ですね。
 
一乗海というは、一乗は大乗なり。大乗は仏乗なり。一乗を得る者は阿(あ)耨多羅三藐三菩提(のくたらさんみゃくさんぼだい)を得るなり。阿耨菩提は即ち是れ涅槃(ねはん)界なり。涅槃界は即ち是れ究竟法身(くきょうほっしん)なり。究竟法身を得る者は則ち一乗を究竟するなり。異なる如来ましまさず、異なる法身ましまさず。如来は即ち法身なり。一乗を究竟する者は即ち是れ無辺不断なり。大乗は二乗、三乗あることなし。二乗・三乗は一乗に入らしめんとなり。一乗は即ち第一義乗なり、誓願一仏乗なり。
 
田村:  それでこの文章は最初に、「一乗海というは」というので、一乗を海に譬えているんですね。一乗を海に譬えるというのは、前からある言葉なんですけれども、川は長い川もある。短い川もある。汚い川もある。綺麗な川もある。川はいろいろ川によって区別があるというんですね。ところが川の水は、汚い川の水でも綺麗な川の水でも、海へ入ってしまうと、みんなこう掻き回されて、一緒になって、一種類の海の水になる。その区別があるというところを三乗に譬えるわけですね。川の区別があるという三乗に譬えて、海へ入ると全部一緒だというのが、一乗に譬えて、一乗は海の水と同じようにどんな相違のあるものが入って来ても、全部一つにして、平等にみんなを悟りに導く教えなんだということで、海という言葉を使うわけですね。「一乗は大乗なり」一乗は大乗なんだ。大乗は仏乗なんだ。大乗、一乗というのは仏になる乗り物なんだということですね。「一乗を得る者は阿耨多羅三藐三菩提を得るなり」阿耨多羅三藐三菩提というのは最高の悟りという意味ですけれども、こうして一乗に入る人は、全部仏教の中の最高の悟りを得るんだ。「大乗は二乗、三乗あることなし」二乗、三乗というのがあるけれども、その水は全部海の中へ入ると、みんな一つの一乗になるんだ。「二乗・三乗は一乗に入らしめんとなり」二乗、三乗と区別があるのは、全部一乗に入らせる為のものなのだということをお書きになって、最後結びとして、「一乗は即ち第一義乗なり」第一義というのは、最高の教えという意味の第一義と言うんですね。一乗というのは、仏教の中の最高の教えなんだ。この最高の教えが親鸞の立場から言うと、「誓願一仏乗なり」と言うんで、「誓願」というのは、誓い、願いですね。「誓い、願い」というのは、阿弥陀仏という仏様があらゆる衆生を救ってやろうとして誓いを立てられた。仏が全ての衆生を救うという誓いを立てられたことに基づいて、「一仏乗」全ての人が浄土に往生して、どんな人でも浄土に往生して、仏に成れるんだということで、親鸞の場合は、一仏乗の根拠を仏の誓いにあるというふうに考えていくわけですね。
 
草柳:  こういう親鸞の考え方というのは、例のあの有名な、「善人なおもて往生をとぐ」というあの言葉に繋がっていきますね。
 
田村:  そうです。これは「悪人正機(あくにんしょうき)」と言いますけれども、ああいう五性各別説の中では、一番救われないのは無性有情という者ですね。一番救われない筈の無性有情でさえも救われる。もっとも悪人でさえも救われるということで、全部が救われるんだということをいうわけですね。
 
草柳:  もう一つ最後になりますが、『教行信証』からこれをご紹介頂きたいんですが、
 
(ひそ)かに以(おもん)みれば、難思の弘誓(ぐぜい)は難度海を度(ど)する大船、無碍(むげ)の光明は無明の闇を破する恵日(えにち)なり。然(しか)れば則ち浄熟して調達(じょうだつ)・闍世(じゃせ)をして逆害を興ぜしむ。浄業(じょうごう)機彰(あらわ)して釈迦韋提(いだい)をして安養(あんにょう)を選ばしめたまえり。斯(こ)れ乃ち権化(ごんけ)の仁(にん)、斉(ひと)しく苦悩の群萌(ぐんもう)を救済し、世雄(せおう)の悲、正しく逆(ぎゃく)・謗(ほう)・闡提(せんだい)を恵まんと欲(おぼ)す。
 
田村:  これは『教行信証』という親鸞の書状の序文のところに書いてある言葉なんですけれども、「竊かに以みれば」竊かに自分が考えてみると、「難思の弘誓」弘誓というのは先程あった仏の誓願を、先程は誓願と書いてありましたが、ここでは弘誓、広い誓願という言葉を使っているんですけれども、同じ意味ですね。仏の誓いというのは、難思というのは思い難い。我々こう人間としては、こんな素晴らしい世界を仏がたてたというのは、思いも及ばないようなものだというわけですね。「難度海を度する大船」この難度の度というのは、こういう度が書いてありますけれども、さんずいを付けた渡と同じ意味なんですね。渡り難い海というわけですね。これはこの場合は先程一乗界というので、海を一乗の悟りの世界に譬えていたんですけれども、今度は非常に広いもの、大きなものとして、人間の迷いを海に譬えているわけですね。海、人間は煩悩を以ていて、煩悩を超越して、彼岸の世界、向こう側の世界に、悟りの世界に渡し難い、いつでも煩悩に迷わされている。難度海ですね。こう渡り難い、渡って向こう岸へ行くことが難しい海を渡してくれる大きな船のようなものだ。阿弥陀仏の誓いを信じさえすれば、自分の力では渡って行くことが出来ない迷いの海を、仏の誓いが大きな船となって、自分を乗せて渡してくれるんだというのが、最初の文章の意味ですね。「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」というので、仏、阿弥陀仏というのは、無限の光明、光をもった仏だというわけですね。光をもった仏ですから、その迷いを無明というんですけれども、無明というのは明るくないというので、闇に譬えるんですね。そうすると、光を恵日というふうに後で表現しています。知慧の太陽というわけですね。闇の中に光が入ると、どんなに長い時間の闇でも、一瞬にして明るくなりますね。それと同じように、阿弥陀仏を信じた人は、ずうっと長い間、煩悩に迷わされていても、途端に阿弥陀仏の光を頂くと、それで心が悟りの世界に転換される。親鸞は諸仏と、仏に斉しいというふうな言葉を使うんですけれども、「斯(こ)れ乃ち権化(ごんけ)の仁(にん)、斉(ひと)しく苦悩の群萌(ぐんもう)を救済し」このことは権化の仁というのは、これはお経を読んで見ますと、いわばお芝居をやっているみたいにとるわけでしょうね。実際には芝居じゃありませんけれども。いわば良い側と悪い側と出て、良い側と悪い側の交渉の中で、仏の救いというものを明らかにされてくるわけですね。これはお釈迦様とか韋提希(いだいけ) 夫人というような人は善い側、それからそれに反抗した提婆達多(だいばだった) とか阿闍世王(あじゃせおう)というのは悪い側ですから、良いパートを受け持つ、悪いパートを受け持つ、両方とも権化の仁、仏の生まれ変わりなんだという気持なんですね。そういう人達が浄土教を開いていって、「世雄の悲、正しく逆・謗・闡提を恵まんと欲す」それで世雄というのは、お釈迦様ですけれども、お釈迦様の慈悲の念は、「逆・謗」というのは最も救われ難い人々というので、五逆罪を犯した人と誹謗する。これはまた後の機会に詳しく説明しますけれども、「闡提」というのが、先程から問題になっている一闡提で、無性有情ですね。無性有情という最も救われ難いような人を、仏は救ってくれるんだと。それを「恵まんと欲す」して、お釈迦様は教えを開いて下さったんだということで、これは先程おっしゃった悪人正機ということの根底になりますけれども、悪人をも救うということになると、全ての人が救われるという一乗の思想だということになるわけですね。
 
草柳:  こうした一乗の思想が、その後日本の精神界と言うか、仏教界の一番大きな流れとして、現代に至っているということなんでしょうね。ただ、先生、ちょっとあまり時間もないんですけれども、例えば三乗と、それから一乗の論争が長く続いた時に、日本に結局根付いたというか、大きな流れになって、今に至っているのは、すべてのものが救われるという一乗的な考え方でいた。このところにはやっぱり受け皿としての日本人のなんと言うのか、精神的な風土みたいなもの、或いは当時の宗教的な関係みたいなものというのが、やっぱり相当深く関わっていたんですね。
 
田村:  そうでしょうね。これは鎌倉時代になると、反対の法相宗の人でも、一乗思想が正しいんだというような人が出て来たりしますし、日本の仏教は最初日本に仏教を定着させた聖徳太子なんというと、ああいう人はとっても偉いんだから、俺は偉いんだ。他の人は偉くないんだとやったって、当たり前だと思うんですけれども、それが一乗が正しいんで、みんな平等なんだという思想を大きく主張されるわけですね。そうすると、その後、反対の時期もあったわけですけれども、平安、鎌倉を通じて、日本の仏教は、全体として一乗思想に傾いていって、一乗思想が日本の思想の中核をなしていくわけですし、そこには私は、日本人は心の底に、やはり人間は全て平等なんだ。宗教的な意味で平等なんだという思想を受け入れる素地があって、それでそういう宗派が日本中に広く広まっていったんだろうというふうに思っておりますけれども、
 
草柳:  そうですか。今日はどうも有り難うございました。また次回のお話を楽しみにさせて頂きます。
 
田村:  どうぞ宜しくお願い致します。
 
 
     これは、平成十年六月二十一日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。