仏教を生きるD国を護る仏教
 
                       東洋大学教授 田 村(たむら)  晃 祐(こうゆう)
                       き き て  草 柳  隆 三
 
草柳:  シリーズでお伝えしております「仏教を生きる」。今回は五回目になります。仏教では、法の上では―この場合の法というのは仏法の法ということなんですが―その法の上では、万民が平等であって、すべての人々が幸せであらねばならない、という理想を説いているわけですね。そうした考え方から、仏教が国を治める、国を護る法、拠り所として考えられていた時代があったわけです。仏教本来のあり方、考え方と、国を護る、国を治めるということと、どういうふうな繋がりがあるのか。今日はその辺のところを中心にしていつものように東洋大学教授の田村晃祐さんにいろいろとお話を伺ってまいります。どうぞよろしくお願い致します。
田村:  よろしくお願い致します。
 
草柳:  今日のタイトルが、「国を護る」ということなんですが、これを今ふうに解釈をしてしまいますと、ちょっと違うのかなというところもありますので、ここで国を護るというのはどういう意味ですか?
 
田村:  仏教に対して、社会的にはどういうことが要請されたかというと、その一つの大きな要素として、「国を護る」ということが要請されたというようなことがありまして、仏教がいろいろな形で日本で展開する一つの基軸になっていった、というようなことがあります。それで「国を護る」というのは、どういうことを目標にするかと言いますと、例えば雨が順調に降るということなんですね。雨が順調に降ってそれで農業用水が確保される、あるいは飲料水が確保されるということは、現在では我々は科学の立場でこれを研究し、いろいろな土木事業とか何とかでそれを実現していくことになりましょうけれども、何しろ雨は天から降ってくるものですから、そういう科学的な知識のまだ十分発達していない時代では、やはり宗教的な現象だというふうに考えられていたわけですね。それですから、雨が降りすぎると洪水になる、あるいは雨が少ないと干魃となる。で、お米ができない。そうすると、昔は忽ち餓死しちゃうというような状況ですね。そういう状態が国を護られていない状況であるということで、国が護られるという状況は、雨が順調に降って五穀が豊かに実って、誰も飢え死にするような人がいないという状態を国が護られている状態というふうに考えたわけですね。
 
草柳:  流行病(はやりやまい)なんかももそうなんでしょうね。
 
田村:  そうですね。病気なんかでも、現在はいろいろ病原菌なんかに関する研究が進みまして、科学の世界でこう対策が練られているわけですけれども、昔はどういう理由かようわからないうちに突然悪い病気が流行って、そして人々が端から端から死んでいくというようなことになりますと、やはりこれも神・仏の世界というような感じで、それで五穀が順調に実れるように、それから病気で困る・苦しむ人が少ないように、そういう状態を実現するのを神・仏に祈ってやろうとしたのが国を護るということの一番大きなものですね。それから国を護るというのは、そういう自然現象だけではなしに、社会的ないろいろな現象―国内で反乱が起こるとか、あるいは外国から攻められるとか、そういうようなものも経典によっては中に書かれておりますけれども、とにかく国が平穏無事で、民衆が豊かに生活できるように、ということが、国を護るということの内容だったわけですね。
 
草柳:  確かに国家と言いますか、国が成り立っていくかどうかという一番大本のところというか、基盤のところにある問題ですものね、今の事柄は。しかもそれは当時の人は人力の及ばないところに原因があるのではないかと考えたって不思議はないわけですものね。その仏教がつまり国を護るということとの関連で、理論的なと言いますか、考え方としてはどういうことを根拠にしてやったわけですか?
 
田村:  これはやはりお経の中にそういうことの書いてある経典がありまして、それで普通『金光明最勝王経(こんこうみようさいしようおうきよう)』というお経と、『仁王般若経(にんのうはんにやきよう)』と、『妙法蓮華経(みようほうれんげきよう)』―普通いう『法華経』ですね―この三つのお経を「護国の三部経」国を護るための三つのお経というふうに称しております。その『金光明最勝王経』の中には「四天王護国品」と言いまして、国を護る章というのがあるわけですね。章によりますと、国王がいて、このお経をその国中に一生懸命になって弘める王様が居れば、天にいる四天王という天下を治めている神様がその国を特別によく護ってくれるという考え方が書いてありまして、そこでこのお経を日本中に弘めることによって四天王に日本の国を平穏無事に護ってほしい、ということになるわけですね。それから『仁王般若経』というお経の中にも「護国品」というのがありまして、これは百の仏、百の菩薩、百の羅漢などをお祀り致しまして、百人の法師がこの般若波羅密というものを説けば、その時その国が護られる。百の鬼神がその国を護っていくというようなことが書かれておりまして、この二つの経典は「護国品」というのがありまして、国を護るという思想の根拠がはっきりしているということになりますね。ところが最後の『妙法蓮華経』というお経の中には、国を護る章というのは特別にはないですね。例えば国分寺を造った時に、国分尼寺―尼さんのお寺に「法華滅罪之寺(ほつけめつざいのてら)」という名前が付けられるわけですね。法華経によって罪を滅ぼすためのお寺というのが国分尼寺の正式な名前であったということになると、おそらくその時の考え方は、法華経によって罪を滅ぼすと。それによって社会全体が平穏無事な国になるというような考え方であったのではないかと思いますけれども。
 
草柳:  今説明してくださったお経というのはかなり後になってできたものなんですか?
 
田村:  そうですね。大体インドでも『妙法蓮華経』は早いんですけれども、後は後で作られた経典とか、あるいは中国成立ではないかと思われるような経典とか、いろいろですね。
 
草柳:  いずれにしても、要するにそういう国を護るというか、護国的な必要性というのは経典の中にもちゃんとあるということですか?
 
田村:  そうですね。
 
草柳:  日本ではそうした護国的な色彩と言いますか、国を護るためにその法が必要なのだ、仏教が必要なのだということが強く出てきたのはやっぱり奈良時代ということになるわけですか?
 
田村:  そうですよね。仏教が最初に日本に伝来した時なんかでも、病気になるか、ならないかということで、仏像を廃棄したり、あるいはまたお詣りしたりというようなことがありましたし、やはりこういう観念は仏教だけの観念ではなくて、日本に仏教以前からある観念と仏教が結び付いていったのではないかというふうに思いますけども。
 
草柳:  一番よく知られているのは、聖武天皇の時代の、例えば国分尼寺を造ったりなんかしたあれなんでしょうね。
 
田村:  そうですね。国分寺を造る、国分尼寺を造るというのは大変な国家の財政を尽くしてやったことでしょうし、それだけなんとかして国を平穏無事に民衆がこう豊かな平和な生活が送れるようにということを願って造ったものであったということになるわけでしょうね。
 
草柳:  その辺のところを古い歴史書の中から抜粋をしてご紹介をしてみたいと思うんですが、
 
(みことのり)して曰わく、朕(われ)薄徳を以(もち)て忝(かたじけな)く重任を承(う)け、未だ政化(せいか)を弘めず。?寐(ごび)多く慙(は)づ。古(いにしえ)の明主は皆光業を能くして国泰(やすら)かに人楽しみ、災除き福至る。何の政化を修めてか能く此の道に臻(いた)らんや。頃者(このころ)年殻豊かならず疫病頻(しき)りに至る。慙懼(ざんく)(こもごも)集りて唯(ただ)労して己を罪す。
(続日本紀)
 
これはどういうふうに解釈すれば?
 
田村:  これは天平十三年に国分寺を造るために出された聖武天皇の詔(みことのり)の最初の部分ですけれども、聖武天皇はその当時も国の中があまり上手く治まらなかった。治まらないという意味は、穀物が豊かにできない、あるいは病気が流行る、そういういろいろな災害が起こる。それを自分自身の徳がないからだ、というふうにお考えになったわけですね。「古(いにしえ)の明主」というので、おそらく中国の春秋時代に治水なんかを完成して、非常に平和によく国を護ったと伝えられている堯(ぎよう)とか舜(しゆん)とかいうような、ああいう伝説上の皇帝のことを考えているわけでしょうけども、そういう人と比べてみて自分が天皇になったらいろいろ災害が起こる。そうすると、昔の明主は徳があったから国が平穏無事に治められた。自分は徳がないから国の中が乱れる、そういう考え方なんでしょうね。それで自分自身を非常に罪する、というような考え方に立たれるわけですね。
 
草柳:  こういうことから、さっきの国分寺や国分尼寺を全国のあちらこちらにどんどんとかなりの金を注ぎ込んで建てるということになるわけですか?
 
田村:  そうですね。それでどういうふうに対策を取ったらいいかということで、聖武天皇は―この詔書がもっとずっと長く続くわけですけれども―この前の年に日本中の神宮を増し調えるとか、あるいは日本中の諸国に命じて釈迦仏像を造らせるとか、あるいは『大般若経』という六百巻もある経典を作らせるようなことをして、そして神・仏を祀って、それをお願いしたというわけですね。そうすると、まあ私みたいなものから見ると、たまたまということになるかも知れませんけれども、その前の年は風雨も順調で五穀も豊かに実ったということで、聖武天皇はやっぱり神・仏にまことを尽くせばそれだけのことはあるんだ、それだけの結果はあるんだ。それですからちゃんと『金光明最勝王経』に書いてあるように、このお経を日本中に弘めるという努力をすれば、国が護られるんだということで、国中にこのお経を弘めるために、各国に一つずつ国分寺と国分尼寺というのを造ったということになるわけですね。
 
草柳:  今でもあちこちに国分寺跡といったようなところがたくさん残っていますですね。
 
田村:  各昔の国毎に国分寺の跡、あるいは国分寺そのものが残っているところがありますけどね。非常にたくさんできまして、それで在来の、それまでにあったお寺を転換して国分寺にしたというようなところもあったようですけれども、とにかく各国の国衙(こくが)と言いますかね、今では県庁所在地のところに国分寺を造る。これはお坊さんを二十人置くわけですね。そして奈良時代はお坊さんの数を制限しようと努力したんですけれども、国分寺のお坊さんは二十人定員を決めていて、もし欠ければ補っていいんですよ、ということですね。それから国分尼寺は―正式の名前を「金光明四天王護国之寺(こんこうみようしてんのうごこくのてら)」というふうに言いまして、『金光明最勝王経』によって四天王に国を護ってもらうためのお寺という思想内容そのままお寺の名前にしているわけですね。それから国分尼寺は「法華滅罪之寺」といいまして、『法華経』によって罪を滅ぼすためのお寺ということで、それで尼さんを十人置くというような形で日本中に造っていくわけですね。ただ中央のものは、「金光明四天王護国之寺」という額が東大寺に残っておりまして、東大寺の前にそういうお寺があったんじゃないかという人もおりますけれども、大体は東大寺が国分寺で、それから平城京の跡にある法華寺(ほつけじ)というお寺が国分尼寺であったということになるわけですね。
 
草柳:  それらの寺では国を護るために一体どんなことをしていたんですか?
 
田村:  これはそういうお寺に『金光明最勝王経』と『法華経』を置きまして、毎月八日、必ず『金光明最勝王経』を転読するようなことをやりましたし、戒律を厳重に守っておりまして、それで毎月十五日には戒律を一ヶ月の間守ったかどうかということを厳重に検査する会と言いますかね、布薩(ふさつ)というものを行うとか、あるいは六斎日(ろくさいじつ)と言いまして、月のうちに六日間だけ一般の人でも平素守っている戒律や、もう少し厳格な戒律を守る日―平素は五戒といって五つの戒律を守るんですけども、そうでなしに六斎日は八戒―八つの戒を守るという日があるんですけども、そういう時には特別にやはりお坊さんたちも行動に注意するというようなことをしていったようですし、そういう日は殺生を日本中でしないとか、いろんなことが行われたようですね。
 
草柳:  それがずっと奈良から平安の方へ続いているんですか?
 
田村:  はい。それはそういう考え方というのは、またいろいろ続いていきます。例えば平安の初頭に最澄(さいちよう)という人が出ますけれども、最澄は若い時に近江の国分寺に入るわけですね。それですから育った環境というのは全部国分寺で育ちまして、それで国を護るという仏教で育てられた人ということになりますね。ですから最澄は一生国を護るということに非常に大きな注意を払っていったということになりますですね。
 
草柳:  じゃ、最澄の文章をまた少し見たみたいと思うんですが、
 
(ひそか)に以(おもんみ)るに、菩薩の国宝は法華経に載せ、大乗の利他は摩訶衍(まかえん)の説なり。天の七難は大乗経にあらずんば何を以てか除くことをなさん。未然の大災は菩薩僧にあらずんば豈(あに)冥滅(めいめつ)することを得んや。
・・・今此の菩薩の類、此の間に未だ顕伝(けんでん)せず、伏して乞う陛下維(こ)の弘仁の年より新たに此の大道を建て、大乗戒を伝流(でんる)して而今(にこん)而後(にご)を利益(りやく)したまえ。
(山家学生式(さんげがくしようしき)
 
田村:  そうすると、これは最澄の『山家学生式(さんげがくしようしき)』という本の一部なんですけれども、「菩薩の国宝は法華経に載せる」菩薩が国の宝なんだというわけですね。国の宝だということは、国をそういうふうに平穏無事に護っていく力がある。そういう人たちが国の宝であって、菩薩がその役に当たるんだというようなことで、菩薩の国宝は法華経に載せ、「大乗の利他は」大乗が他人を救っていくというようなことは広く述べられているところだということで、「天の七難は」天に七つの災難がある。七つの災難というのはお経によって内容がちょっと違いますけれども、例えば『仁王経』というようなものでは、日欠―太陽が日食なんかで普通と違っていくということがありますね、ああいうのはやはり宗教的な現象であるというふうに考えている。それから星が違う。それから水難とか大きな火災が発生するとか、酷い風が吹くとか、旱が続くとかというようなことなんですけれども、そういう災難は大乗の経典でなければ何を以てか除くことをなさん。大乗のお経でなければ除くことができない。「未然の大災」というのは、ほっといたらこれから起きるかも知れないような大きな災いを菩薩僧でなければ除くことができない。菩薩僧ならこれから将来起こるかも知れない大きな災害を防ぐことができるであろうということですね。ところがそういう菩薩の類(たぐい)はまだ日本に伝わっていないので、今からそいう新しいものを建てていきたいということになるわけです。この考え方の背景はどういうことかと言いますと、せっかく国分寺とか国分尼寺をあれだけ大きな国家の事業として造ったにも関わらず、その後やっぱり風雨が思うようにいかないとか、あるいは病気が流行るとか、いろんな災難が起こり続けるということになりますね。そうすると、最澄は一体これは何故そういうものが出てくるのかということで考えるわけですね。考えたところで行き当たったのが、奈良のそれまでのお坊さんは、本質的には小乗仏教のお坊さんなんだという考え方ですね。何故かというと、奈良の戒律―戒律を受けるということによってお坊さんの資格というのが与えられるんですけれども、その時受ける戒律というのは、小乗仏教の戒律なんですね、もともと。小乗仏教の戒律を守りますということを誓って、それでお坊さんの資格を与えられれば、これは本質的には小乗のお坊さんじゃないか。小乗仏教のお坊さんにどうして国を護るほどの力があるだろうか、大乗のお坊さんでなければ、というようなことで新しい制度を作り上げていこうとしたわけですね。
 
草柳:  小乗というのは、前の回にもお話がちょっとありましたけれども、もう少し具体的にというか、分かり易く教えて頂くと、小乗と大乗の違いというのは一言でいうとどういうことなんですか?
 
田村:  「小乗」というのは、この前に申しましたように小さな乗り物ということで、大乗側から軽蔑した名前ですから、現在あるいろいろな南方の諸国の仏教を小乗と言って批判するのは具合が悪いと思いますけれども、こういう時代の観念として「小乗」―小さな乗り物というのは自分だけが悟ればいいという考え方であったということになりますね。それに対して「大乗」―大きな乗り物というのは、自分が悟るだけではなくて、たくさんの人を一緒に乗せてみんなで悟りにいこうよというものであるというわけですね。そうすると、こう国を護るというところでも、自分だけ一人悟ればいいやというのでは国全体を平穏にすることはできない。みんなが幸福であるようにということを考える大乗でなければ国は護れないんだと考え方に根本のところでは繋がるということになるでしょうね。
 
草柳:  多少ちょっと受け止め方としては図式的になってしまうかもわかりませんが、つまり奈良時代の国を護るという考え方を発展させて、最澄の場合にはもっと広く大乗的な考え方でもってやっていかなければダメなんだよというふうにいった、そういうことでしょうか?
 
田村:  そういうことになるでしょうね。そしてそれをこう言っただけではなくて、制度として実現していこうとしたというところがあるわけですね。
 
草柳:  最澄という人、この点でも大変ユニークなというか傑出した考え方を持っていた?
 
田村:  それでそういうことは中国にもない新しい考え方なので、やはり日本の仏教を日本独特の仏教に展開させる一つの大きな要因をなしたというふうに考えることができると思います。
 
草柳:  「菩薩の大道を建てる」というのがありますね。
 
田村:  これはこの次の時に詳しくお話しますけれども、新しい菩薩の戒律―お坊さんになる時の資格を、菩薩―大乗仏教の戒ですね、大乗仏教の戒を受けるということによって純粋な大乗のお坊さんを養成しようとしたということが菩薩の大きな道を建てていこうということに繋がっているわけですね。
 
草柳:  少し時代が下りますけれども、禅の方でも、禅の立場から国を護るにはこういうふうにしなければいけないのだというふうに言った人の中では、栄西(えいさい)という人がいるんですね。
 
田村:  そうですね。栄西禅師は、『興禅護国論(こうぜんごこくろん)』という本を書きまして、禅を興す。禅を興すことによって国を護るという論をお書きになったわけですね。これは栄西禅師は中国へ二度いらっしゃいますけれども、二度目に行った時に中国で盛んであった禅を学んで日本へ帰って来て、そして最初九州で弘められるということになるわけですね。そうすると、新しい考え方を中国から導入して弘めているというので、従来の仏教から非常に非難されるということになりますね。そういう時に非難されるべきいわれはないですよ。禅を興すことによって国が護られる。国を護るための禅なんだ。それから禅というのは、今自分が初めて入れたわけではなくて、聖徳太子の時に―これは伝説上のものですけれども、達磨大師が日本へ来たというような伝説がありますですね。それから伝教大師・最澄なんかは中国へ留学した時に、天台宗ばかりではなくて、禅も密教も戒律も学んできているというところで、日本の天台の中にもそういう禅の伝統があるのに、何故自分が禅、禅と言ったら悪いのかということで、そういう外部からの批判に反論するというような形で『興禅護国論(こうぜんごこくろん)』禅を興して国を護るというような理論を書かれたわけですね。
 
草柳:  ではその『興禅護国論』からまた一節を引いて見てみたいと思います。
 
第二、鎮護国家門とは仁王経に云わく、仏、般若をもって現在未来世の諸の小国王等に付嘱(ふぞく)して、もって護国の秘宝とす。その般若とは禅宗なり。謂わく、境内にもし持戒の人あれば、すなわち諸天その国を守護すと 云々。
(『興禅護国論』)
 
田村:  それで栄西禅師という方は、『興禅護国論』を十門と言いますけども、今で言えば十章ですね、十章でお書きになって、最初の第一章のところでは、戒律を厳重に守ることによって仏教が長く続くんだ。戒律を守らなければならないんだということをお書きになるわけですけども、第二章として、こうして鎮護国家門―国家を鎮護するというのはどうすればいいかということで、これは先ほども出ました『仁王般若経』というお経の中に、般若を国王に付属して護国の秘宝とする。国を護るための宝とするというような文章がある。「般若」これは仏教の悟りの智慧ですけれども、智慧によって国が護られるんだということが書かれている。そこで禅宗というのは、禅とはこの智慧なんだ。この禅宗が弘まることによって、悟りの智慧が日本中に弘まれば、そこでお経に書いてあるように国が護られるんだということを強調されたわけですね。国を護るための仏教なんだから、どうしてこれは弾圧の対象になるんだというような意図が裏には隠されているということになるんでしょうね。
 
草柳:  今まで伺ってきたお話の流れでいうと、奈良時代の―奈良時代というと、いつか話がありましたけれども、奈良の仏教というのは拓本仏教だというお話がありましたですね。社会的にもやはり今お話のあったような国を護るというところにまで発展させていかなければいけないような事情があった。それから最澄の考え方になって、今の禅の立場から国を護る、つまりこういう流れできているわけですか?
 
田村:  はい。そこで国を護るという観念が、そして奈良時代には『金光明最勝王経』やその他のお経を国中に弘めるという考え方ですね。それから平安の初期になりますと、最澄が言いましたように、純粋な大乗のお坊さんを育てることによって国が護られる。こんど今の栄西禅師などでは禅を日本中に普及することによって国が護られるというので、同じ国を護るという考え方が、どうやって国を護るかということになるといろんな形で展開してきているということになるんでしょうね。
 
草柳:  そうした流れというのは、伝統的に今もズッとあるわけですか?
 
田村:  そうですね。やはり続いているとは思いますけれども。
 
草柳:  ただこうした時、特に平安から鎌倉にかけて、鎌倉で新しい仏教が興りますよね。その頃の時代的な背景というか、社会的な背景を考えますと、戦いが続き、戦乱の世の中でもう相当国自体、あるいは民衆自体が疲弊していた時代ではなかったかと思うんですね。そういう時に今のような考え方で、国を護っていくんだということが、そのままその後の時代に果たしてどうだったのかという辺りはどうなんですか?
 
田村:  平安時代から鎌倉時代にかけては、やはり保元の乱・平治の乱というような中で貴族の争いが起こり、それに源平の争いが絡み、さらには今度幕府が成立すると、幕府方と朝廷方というような形で非常に対立が続き、戦乱が続いていった時代だということになりますですね。そういう戦乱の時代になると、やはり庶民が一番苦しめられるということになるわけでしょうね。これは例えば、『方丈記(ほうじようき)』という鴨長明(かものちようめい)の書いたものが非常にその当時の世相を映し出していて、無常観というのを強調しておりますけれども、ああいうものを見ても、例えばちゃんとした身なりの人が家から家へ食べ物をくださいと言って歩いているかと思うと、パタッと倒れてそのまま死んでいってしまうとか、あるいは情けある者から先に死ぬというので、お母さんと子どもがいると、お母さんはその食べ物があれば子どもに先にやるので、お母さんの方が先に死んでしまう。そうすると道端に倒れているお母さんの死体のところに、赤ん坊が母親が死んだとは知らずにおっぱいに吸い付いているというような光景があるとか、もう非常に行き倒れの人が多くて大変だった様子が書かれていますね。これは鎌倉でもそうなんですね。鎌倉の街はその当時の政権の所在地ということになりましょうけれども、幕府が何回も何回も鎌倉の路上に死体を放置しては置いてはならないという御触れを出すわけですね。何回も出すということは、いっくら御触れを出したって路上に行き倒れの死体がそのまま放置されていたというようなことになるわけですね。それであまりにも気の毒な姿だということで、京都で仁和寺(にんなじ)の隆暁(りゆうぎよう) というお坊さんが路上の死体の額に梵語の「阿」という字を書きながら、菩提を弔って歩いた。二ヶ月の間に京都の街の半分だけで、その「阿」を書いたのが「四万二千三百」と書いてありますね。京都の街なんかそんなに大きな街ではないですから、あの京都の街の半分のところに、四万二千三百の死体が放置されていたということになると、これは道という道がもう死体で埋め尽くされていたというような状況じゃないでしょうかね。それが他人事でなしに自分がいつそうやって死ぬかも知れないといような状況になるわけですね。そうすると、法然上人なんていうのは、ただ口で念仏を称えれば、それで救われるよという教えを説く。そうすると、上から下までいつ死ぬかわからないという人の中で、ただ念仏を称えればというのは非常に大きな救いになったでしょうし、また逆にそういうような非常に乱れた時代だから、なんとか国を護るということを実現しなくちゃということを考えたのは日蓮上人であったということになるでしょうね。
 
草柳:  そうすると、法然から日蓮へという流れというのは、それまでの日本の仏教界からすれば、画期的というか、もう大袈裟に言えば、革命的な時代の移り変わりということになるでしょうか?
 
田村:  そういうことになると思いますね。時代の変化が激しい。それに伴ってと言っていいかどうかわかりませんけれども、仏教も新しい仏教の考え方というのができて、いわゆる日本的な仏教の典型的なものが成立してきたということになるわけですよね。
 
草柳:  仏教の本来のあり方というのか、僕らの解釈するところでは、仏教というのはやっぱり個人の救済だということがあるのではないかと思うんですね。今のお話くださったこの時代の人たちのもうどうしようもない、明日どうなるかわからないという時に、やっぱり何とかして自分は救われたいという気持ちというのは相当突き動かしたというのがあるんでしょうね。
 
田村:  やはり我々は本を読んで、無常観なんていうものの強さを知るだけですけれども、その時にそこに生きていた人たちにとっては、ほんとに無常ということですし、自分自身の命がもう今日終わるか明日終わるかというような突き詰められた状況の中に立たされていたということになるんでしょうね。
 
草柳:  とすれば、そういう人たちからして見ると、難しいお経を理解しなくても、念仏をしっかり称えれば、それであなたは救われるんだという教えが出てきたということは、これは大変な救いだったでしょうね。
 
田村:  そうですね。法然上人なんかは、これの根拠は仏さまが念仏を称えれば、もうそれでいいとおっしゃっておられる、ということが最終的なもので、この阿弥陀仏がそういう誓いを立てられた。それからお釈迦様も、これが最高なんだからこれを信じていきなさい、念仏を称えていきなさいということを勧められた。それから六方の諸仏と言って、あらゆる仏たちがみんな勧めている。だから念仏を称えなさいよというわけですね。それから何で念仏を口に称えさえすればそれでいいのかということになりますと、これは法然上人は、自分なんかではわからないけれども、多分こういうことではないかということをおっしゃっておられまして、それは例えば平安時代に貴族が立派なお寺を造った、立派な仏像を造った。そしてその功徳で来世極楽浄土へまいらせてくださいとお願いした。ところが実際にはお寺とか仏像なんか造ることができないような貧窮(ひんきゆう)の者が大多数だというわけですね。それから非常に頭のいい、立派な人ですね、偉い人だから来世極楽浄土へまいることができるだろうという人もいるけれども、愚鈍なる愚かにして鈍い者というのは、大部分なんだ。それから多聞多見(たもんたけん)と言って、仏教を一生懸命勉強した人がいて、こういう人は仏教の努力をしたんだから来世は極楽浄土へまいることができただろうという考え方もあるけれども、実際には仏教のことなんかあまり知らない人が大多数だ。あるいは持戒持律―戒律を厳重に守ってお坊さんとして立派な生活を送った。そうすると来世極楽浄土へまいることができるだろうという考え方もありますけれども、実際には破戒ですね、嘘付いたことがある。ものの生物の命を取ったことがある。無戒というのも、初めから―破戒というのはまだ戒律がある、これを護らなくちゃいけないんだということを片方で思っていて、こう破るのは破戒ですけれども、無戒というのは、初めから戒律なんか問題にしていない人がいるんだ。そういう大多数の貧乏な人、愚かな人、仏教を勉強したことのない人、それから破戒、無戒の悪を行ってきたというような人をもなんとかして救ってやろうというところに、仏の平等の慈悲というのがあって、そういう人を救うためには、ただ口で念仏を称えればそれでいいですよ、ということを仏さまはお考えになったんではないか、というような解釈ですね。ですからこう愚鈍な者でも、貧乏な者でも、どんな人でも救われる法というのが、その時代の姿にピッタリ一致して、実際に口で念仏を称えるだけというのが、その時代の人々の心を救う働きをしていったわけですね。これはそういう人間の本質というのは今でも同じですからね。やはり念仏というのは大きな力を発揮しているということになるんでしょうね。
 
草柳:  ただしかし法然のそういう考え方・生き方というのは、既成の仏教からみると、これは何という感じで多分受け止められたことは間違いないでしょうね。
 
田村:  既成の仏教から言いますと、国を護るということが大事なんだ。国を護るということが大事なところで、そうやってただ自分が念仏さえ称えればいいというのは、これは自分の救済にはなっても、国は護らないということがあるわけですね。それからただ口で念仏を称えればいいというだけのことを言っていると、他の宗派もどうにもならなくなるわけですね。今言いましたように、その時代の人々の本当の救いになったわけですから、もの凄く日本中に急激な勢いで広がるわけですね。広がれば広がるほど、他の宗派は、例えば坐禅をやるところもあるでしょう。陀羅尼を唱えるところもあるでしょう。戒律を厳重に守りなさいというところもあるでしょう。いろんなことを言っている宗派の、いわば存立の基盤を奪ってしまうということになりますね。そうすると、昔からの宗教観念をもっているような、昔からの宗教の立場から言えば、日本の国を滅ぼすものだというようなことになっていってしまうということになるでしょうね。
 
草柳:  法然はそれに対してどういうふうに言った、従来あった宗教の圧力を撥ね返していったわけですか?
 
田村:  法然という人は、大体自分たちは念仏を称えるだけなんだ。私にとっては念仏を称えるという以外に救われる道はないから念仏を称えるだけなんだ。ただ、だからといって、他の宗派の邪魔になることをしてはいけませんよ、というんですね。他の宗派の念仏を称える者が、他の宗派の人と議論してはなりませんよ。他の宗派の足を引っ張るようなことをしてはなりませんよということで、自分たちは念仏を称えるだけ。だけれども、他の宗派をだからといって非難し否定するというようなことをしてはなりませんということを、お弟子の人なんかには誡めるという態度をとります。ただ自分自身の救いを求めるという場合には、どうやって実際に救いが得られる道というのを考えると、やっぱり今の時代では浄土門による他ない。浄土門の中では、口で念仏を称えるというのによるしかないということで、それを選んでいくわけですね。選ぶということは、逆にいうと、他のものは選び捨てるということになりますからね。そうすると、捨てられる側からいうと「あれはけしからん」と言って非難の対象になるということになりますね。
 
草柳:  多分きっと順序を追ってきちんとやっていかなければいけないんだよというふうに頑なに思い込んでいた人たちからみれば、それはもう破壊的なことだったわけですね。
 
田村:  そうですね。ほんとに例えば貞慶(じようけい)という奈良の法相宗の人が批判しますけれども、「法然は念仏自身を知らない」というわけですね。お経の中にいろんなことが書いてあるんじゃないか。その中からたった一つだけ口を称えればいいなんていう一つだけを選びというのは、お経自身も知らないことだ。あるいは明恵(みようえ)上人という華厳宗の有名な方が非難しますけれども、菩提心―悟りを求める心は要らないといいのはとんでもないことだと。仏教に入るには、どうしても悟りを求める心が必要なんだというようなことで非難されるということがありますですね。
 
草柳:  貞慶というのは、その時はどこにお寺を建てたわけですか?
 
田村:  貞慶という人は、大体法相宗の人で、奈良にいるわけですね。笠置山へ籠もったり、お寺はあちこち動きますけどね。その当時の第一級の法相宗の学僧ですね。
 
草柳:  その貞慶が興福寺から、興福寺僧侶というんですか、それを出させたというのは、その法然批判のあの当時としてはかなり今残っている資料の中ではかなり重要なものなんですよね。
 
田村:  そうですね。これは天台宗も非難してはならない。天台宗からいうと、自分の宗派の中のお坊さんなんですね。自分の宗派の中だけで解決しようとするわけですね。法相宗からして、自分の宗派以外で朝廷に働き掛けて国の政策としてそれを否定させようということになるわけですね、興福寺は。それで貞慶というお坊さんに九ヶ条からなる法然の仏教の弱点をあげさせるということになって、これは貞慶なんか立っている昔からの仏教、多くの見方からすれば大変合理的な批判ではあるんですね。
 
草柳:  じゃ、そのうちの部分を見ながらお話を伺ってまいります。これはずっと一番から二、三番と続いてきて九番目ということですか?
 
田村:  はい。
 
草柳:  第九に国土を乱る失。仏法・王法猶(なお)し身心のごとし、互に安否を見、宜しくかの盛衰を知るべし。・・・諸宗は皆念仏を信じて異心なしと雖も、専修は深く諸宗を嫌い、同座に及ばず、水火並び難く、進退惟(こ)れ谷(きわ)まる。もし専修の志のごとくは、天下海内の仏法法事、早く停止せらるべきか。
(興福寺奏状)
 
相当激しいですね。
 
田村:  そうですね。九ヶ条からなる法然批判をやったわけですけれども、その最後のところで法然の仏教は国土を乱すということをあげたわけですね。これは今言いましたように、法然はいわば自分の救済だけを考えていく。そうすると本来仏法と王法―仏教の教えと、それから世間的な平穏無事を祈る政治の世界とは、体と心のようなもので一体だっていうのが奈良の仏教の考え方であるのに対して、法然がいろんな他の宗派を嫌って、ただ念仏だけということになると、法然の生き方をもし貫くならば、「天下海内の仏法法事、早く停止せらるべし」念仏以外のものは全部止めてしまえ、ということになってしまうんじゃないかというわけですね。そういうことになると、国を護るというようなこともできなくなるということになるわけですね。
 
草柳:  これに続いてもう一つご紹介します。これは今の続きなんですか?
 
田村:  そうですね。
 
草柳:  今一仏の名号を執して都(すべ)て出離の要路を塞ぐ。ただに自行のみにあらず、普く国土を誡め、ただに棄置(きち)するのみにあらず、あまつさえ軽賤に及ぶ。
(興福寺奏状)
 
田村:  それで法然の法は、ただ一仏の名号を執して、ただ阿弥陀仏ということにとらわれるだけであって、他のすべての悟りの道を塞いでしまっているし、国土についてもこれは捨てておくだけではなくて、国土を護るというような仏教を軽蔑してしまうというというようなことで、法然の仏教は国土を乱すというような欠点があるということを大きな要素としてこうあげるわけですね。それからこの貞慶という人は九ヶ条を書いただけですけれども、興福寺自身がそれに添状というのを作りまして、こうして他の宗派をみんなダメにしてしまう。日本の国をダメにしてしまうというような仏教だから、法然を罪人とするようにということを要求していくわけですね。
 
草柳:  法然は結局流罪になるわけですね。
 
田村:  もう少し他の要素もありましてですね、罪人として流されてしまうということになるわけですね。
 
草柳:  国家と個人の問題というのは、この辺なると凄く先鋭な形で対立をしてくるというのはよくわかりますね。
 
田村:  はい。法然なんかはこうして救済ということを極端にまで押し進めていくということになると、国家安寧にしろ、護国という観念からいうと、はずれるということになるわけでしょうね。それですから、そういう面はまたいろんな人から非難されるということになって、特に強く非難したのが日蓮だということになるわけですね。
 
草柳:  じゃ日蓮のことに話を進めていきたいと思いますが、日蓮という人は、法然と大体同世代同時代、
 
田村:  ちょっと後の人ですね。
 
草柳:  ちょっと後になるわけですか。どういう人なんですか、日蓮は?
 
田村:  日蓮という人は千葉県で生まれるわけですけれども、小さい時は念仏を称えていたというんですね。これは千葉県のところはその頃は非常に念仏の盛んなところであって、両親も念仏を称えていた。そこで念仏を称えていた。だけれども、「日本第一の智者となし給え」自分を第一の知恵者にしてほしいということを虚空蔵菩薩に祈ったということで、それで仏教を広く勉強して、そして新しい考え方というのを作っていったわけですね。その時に日蓮にとって何が一番問題であったかというのは、整理の仕方は学者によっていろいろなんですけどね、私は二つ問題があったというふうに考える考え方が、一番日蓮の生涯を説明するには具合がいいんじゃないかというふうに思っているんですね。その一つは、国が護られていないということですね。これは日本の国はこうして奈良時代から平安時代を通じてずっと国を護るということを仏教の仕事にしてきた。だけども実際に仏教で国が護れているかという問題ですね。そうすると日蓮があげるのは、一つは、源平の最後の戦の時に、壇ノ浦で、安徳天皇が海の中に沈んでしまわれた。天皇がそうやって海に沈んで殺される。魚の餌になってしまったという極端な表現をしますけどね。それから日蓮が前にちょっと承久の変というのがありまして、天皇方と幕府方と戦争しまして、結局三人の天皇が―後鳥羽天皇が隠岐へ流される。土御門上皇が阿波の国へ流される。順徳上皇が佐渡の国へ流されるということで、上皇が流し者にされる。罪人として流されるというような時代であった。それから社会を見ると地震が多いとか、そういう自然現象の不順というものも多いですし、国の中が乱れている。何故仏教が、昔から国を護る仏教だといってきているのに、今こうして実際に仏教が守られていないのか。どこに原因があるのかというのが一つの大きな問題であったというわけですね。それからもう一つの問題は、仏教の中にはお経でも宗派でもいろんなものがたくさんある。たくさんあるけれども、そのうちの最高のものというのは一つであるに違いない。一体仏教の中で最高のものとは何か、ということで疑問を持たれたわけですね。それで鎌倉へ出て勉強して来たり、比叡山へ行って二十一歳から三十二歳まで勉強される。その間にはまた奈良とか京の街とか、あちこち行って勉強されるということで、日本第一の智者になりたいということで、広く勉強しなければいけないですね。そういう広い勉強の中で最高のものは『法華経』だというお考えを持つわけですね。この二つの疑問は表裏の関係にあるというふうに思いますね。最高の仏教である『法華経』が日本中に行き渡っていれば、国が平和に護られる筈だ。ところが現在護られていないということは、今行われている仏教が邪な教えだからだ。邪な仏教が日本中に盛んであるから護られていないという、そういうこう図式になるわけですね。そこで今もっとも日本中で行われている仏教というのは法然の浄土教だ。法然の浄土教が行われていると国が護られていない。法然の浄土教は邪教なんだ。誤った教えなんだ。どこで誤っているかということを日蓮聖人は非常に研究されるわけですね。
 
草柳:  日蓮聖人と言いますと、有名な著書としては『立正安国論』というのがすぐ思い浮かぶんですが、その前に実はもう一つ国家論を書いているんだそうですね。
 
田村:  細かな本はたくさん書いていらっしゃいますけどね、教理的な面でいうと『守護国家論』というのが非常に大きな意味をもっているわけですね。
 
草柳:  そこではどんなことが?
 
田村:  それはお釈迦様の、今の我々は大乗仏教の経典なんかもいろんな順序を追って歴史的に成立していったということを考えますけれども、昔の方々はお経に書いてある通りにお釈迦様が説かれたというふうにお考えになるわけですね。そうすると同じお釈迦様が説くのにいろんな段階のいろんな考え方があって、それぞれ矛盾するようなものがあるというようなところで、何故そういう考え方が出てきたのか。それぞれがどういう意味を持つのかというようなことを、これは仏教を各宗研究するわけですね。その中で天台宗では最初に『華厳経』を説かれて非常に高い教えを説かれたんだけれども、相手がわからなかったからそれを相手を教育するためにうんとレベルを落として、いわゆる小乗仏教を説いて、わかるようなところで大乗の低い教えを説いて、だんだん教育してきて相手に最高の教えを説いてもいいというところでわかるようになるだろうというところで『法華経』を説かれたというふうに考えるわけですね。そうすると、日蓮聖人は、例えばインドで世親(せしん)という人が出て、この人は浄土論を書いたけれども、その後で『仏性論』という『法華経』に関係する本を書いた。日本でも源信僧都なんかが出て、『往生要集』を書いたけれども、この方も後で『一乗要決(いちじようようけつ)』とう本を書いている。浄土教の後で法華経関係の本を書いていらっしゃるというのは、お釈迦様が説かれたのと同じ形だから、それでいいんだけれども、法然上人はそういう枠を取り払ってしまって、仏教全体の中で浄土教が最高だということをやったから、これはけしからんというわけですね。
 
草柳:  じゃその後に書かれた『立正安国論』の一部を読んでみたいと思うんですが、
 
夫れ出家して道に入る者は法に依って仏を期するなり。而るに今神術も協(かな)わず仏威も験(しるし)なし。具(つぶさ)に当世の体をみるに愚にして後世の疑を発(おこ)す。
・・・故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来り鬼来り、災起り報(むくい)起る。言わずんばあるべからず、恐れずんばあるべからず。
(『立正安国論』)
 
田村:  この『立正安国論』というのは、結局幕府に提出しまして、北条時頼(きたじようときより)に提出致しまして、幕府の権力者以下ずっと日本中が法威を振興するようにということで提出した本なんですけれども、それで今法然の浄土教なんかが日本中に弘まっている。邪教が弘まっている。そうすると国を護ってくれる筈の善神とか聖人というのは、日本の国から去っていってしまって日本の国を護ってくれていない。そこで「魔来り鬼来り」魔とか鬼とかというようなものがきて、それで日本の国の中に災いが起こり、国が乱れているんだという考え方ですね。それですから、邪教を滅ぼして、日本中に『法華経』を弘めていかなければならないということで、これは日蓮聖人は、前半生は、『立正安国論』というのは、正しい仏教を立てて、国を安らかにする論というわけですけど、日本がどうしたら安らかにすることができるかということを中心にして考えられたわけですね。これが後で佐渡へ流されてからは、仏教の中の最高の教えとは何かということで、お題目を称えるという思想を確立していらっしゃるということで、日蓮聖人はこういう両面があったということを私は思いますけどね。
 
草柳:  今お話を伺ってきますと、個人の救済なのか、国を護ることなのかというのは、決して本来は相対立するものではないのかもわかりませんね。
 
田村:  そうですね。
 
草柳:  奈良から始まって鎌倉まで、国を護るということについて、日本の仏教の流れがどういう形になって今まできているのかという話を今日はお伺いしたわけで、ただこの問題というのはやっぱり将来の問題でもあるわけですね。
 
田村:  そうですね。いろんな形でまた特に日蓮宗系統で現在活かされているというようなこともありましょうし、日本の仏教にとってやはり一つの大きな問題であるし、日本の仏教の展開の軸になった思想だということができるんだと思いますね。
 
草柳:  今日はどうも有り難うございました。
 
     これは、平成十年八月十六日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである