仏教を生きるE戒と律
 
                       東洋大学教授 田 村(たむら)  晃 祐(こうゆう)
                       き き て  草 柳  隆 三
 
草柳:  この番組のシリーズでは、これまでに仏教がどのようにして日本に伝わってきたのか。そして大陸からもたくさんの僧侶が日本に渡ってまいりました。そうした渡来僧が果たした役割。また日本の仏教界の中でも、例えば最澄であるとか空海であるとか、法然といったような人たちの出現によって、渡ってきた仏教がどのように日本的な特色を加味しながらこの国に定着をしていったのか、といったようなことについて考えてまいりました。今回は、「戒と律」―戒律の問題について、戒律と仏教の流れについて、いつものように東洋大学教授の田村晃祐さんにいろいろとお話を伺っていくことに致します。先生、今回もどうぞよろしく。
田村:  どうぞよろしくお願い致します。
 
草柳:  こうやって、今まで仏教の流れを見てきたわけですけれども、今日の「戒律」というテーマは、ちょっと一般には馴染みが薄いかなという感じがするんですけども、ただしかし、仏教にとっては、あるいは仏教教団にとっては、これはいわば仏教の基本的な倫理と言ってもいいようなものなんですね。
 
田村:  現代のように、非常に世の中が乱れているという時代ですね。こう倫理の基準を日本人が失っているように見えるというような時代にあってですね、「戒律」という言葉を聞くとちょっと古臭いという感じ、馴染みが薄いという感じがするかも知れませんけれども、やっぱり人間の行動の規範はどうであるべきか、というようなことを反省する必要がある。これはお坊さんだけではなしに、やっぱり在家の人、普通の一般の人もいろいろそういう面を考えていく必要があるというように思いまして、それで仏教教団、仏教というのも一方では非常に堕落した歴史で、常に堕落があると同時に、常にそれに対して反省して、やっぱりきちんとした行動をとっていかなくちゃ、というような考え方が出てきているというようなことをご紹介してですね、いろいろまた考えてみて頂きたいというふうに思うわけです。
 
草柳:  そういう意味では、今日的な課題だというふうに捉えることができるわけですね。
 
田村:  はい。私もそう思いますですね。
 
草柳:  一口に「戒律」というふうに言いますけれども、もともとは「戒」と「律」というのは違うものなんでしょうか?
 
田村:  「戒」と「律」は、普通我々は「戒律」というふうに一つに纏めた言葉として言っておりまして、それで共通する要素もあるわけですね。これはお坊さんや在家の信者さんがどういう行動をするか、ということの意味では共通しますけれども、ただ「戒」というのは、自分が自分の心に誓ってそれを守っていく。自律的なものだというのに対して、「律」というのは、教団が教団の構成員に対して強制するという、他律的なものだというような相違があります。自律的なものには罰則がないわけですね。違反した場合にも、あれからこういうことはしないでおこう、というような自己反省をし、懺悔をすればいいということになりますけれども、他律的なものは罰則がつくわけですね。こういうことをやると、こういう罰があるぞということで、いわば教団の法律というような色彩をもつわけですね。それですから「戒」という方は、在家の人と出家の人、お坊さんと普通の信者さんの間であまり相違がないのに対して、罰がつくものですから、「律」の方は重い罰を受けるような罪。だんだんこう軽い罰であるようなというので段階があるということになりますね。それを犯すと、それに応じて罰が加えられるということになりますし、それからお坊さんになるということはどういうことかというと、「私はお坊さんとしての戒律をこれから一生守っていきます」ということを誓った時にお坊さんとしての資格が認められるということになりますね。従ってこう戒律を受ける―「受戒」と言いますし、同じ「じゅかい」の字でも「授ける戒」―「授戒」というのがありまして、これはもう既に戒律を経て一人前のお坊さんになっている人が、新しくお坊さんになろうとしている人に対して戒を授けるということになりますね。それから新しくお坊さんになろうとする人は、同じ「じゅかい」でも、戒律を受けるというので手偏のない字「受戒」になるということで、「受戒の儀式」というものをやると、そこでお坊さんの資格が認められるというようなことがあるわけです。
 
草柳:  日本にはどういう戒律が渡ってきたんですか?
 
田村:  これは戒律の「律」の方ですと、これは本来はお釈迦さんが全部定められたということですから、全教団が共通のものであるべきであるわけですね。ところが実際にはインドにおいていろいろ部派に分かれて、いろんな派に分かれて発展しますと、その間で少しずつ相違が出てくる。お釈迦様以後に付け加えられるというようなものもありまして、違いが出てくる。それで中国にいろんな戒律が翻訳されるんですけれども、その中でもインドの法蔵部(ほうぞうぶ)という部派の伝えた戒律を「四分律(しぶんりつ)」と言いますけれども、四分律というのが中国で中心になりまして、それで四分律に基づいて東塔宗(とうとうしゆう)とか、南山律宗(なんざんりつしゆう)とか、相部宗(そうぶしゆう)とかいうような律の宗派が中国でできたわけなんです。そのうちで日本に伝わってきたのは、鑑真(がんじん)さんという方が伝えられたわけですけれども、これはその中の南山律宗という宗派なんですね。日本へ来ると、日本はその宗派だけしか来なかったものですから、南山律宗が、ただ「律宗」というと南山律宗だということになっていったわけですね。
 
草柳:  聞くところによりますと、「四分律」というのは相当細かくですね、例えば「律」、つまり罰則のある方のものについては、何十何百という決まりがあったんだそうですね。
 
田村:  これは日本の法律でも、今の法律全部足せば非常に多いでしょうけれども、仏教教団の法律というのは、立場によって違いまして、比丘(びく)、比丘尼(びくに)というんですが、「比丘」というのは正式の資格を持った一人前のお坊さんですね。この人に対しては二百五十の戒律がありますね。それから「比丘尼」と言って尼さんの方には、不平等ですけれども、通称五百戒と言いまして五百ある。実際には三百四十八しかありませんけれども、二百五十と三百四十八で、やっぱり尼さんの方に対して百項目ぐらい厳しいということになるわけです。それで正式のお坊さん、尼さんに対する律を両方ひっくりめて、普通「具足戒(ぐそくかい)」というような言葉で呼んでおります。それから今度は沙弥(しやみ)、沙弥尼(しやみに)と言いまして、見習いのお坊さんと言いますかね、小僧さんと言いますかね、男性と女性の小僧さんに対しては、「十戒」と言って、十の戒律を守らなければならない。それからもう一つ、式叉摩那(しきしやまな)とか学法女というんですけれども、正式の尼さんになる前の二年間、女性に特に六法尼(ろつぽうに)(六法戒を受けた尼、式叉摩那のこと)と言って、六つの条項を厳格に守らせるというような時期があります。これは何故かと言いますと、女性はやっぱり正式な尼さんになってから、実際には赤ちゃんができていて、それから赤ちゃんを産むというようなことにちょっと具合が悪いということで、女性に対しては尼さんになる二年間特に清浄な生活を守らせるというのがありますね。それが出家に対する戒律で、あと在家の人―信者さんに対する戒律としては「五戒」五つの戒というのがありますね。詳しくいうと、信者さんも月に六日間だけは六斎日(ろくさいじつ)と言いまして、普通よりも厳格に戒律を守るという日がありまして、それは一番五戒との違いのところは、五戒は男女関係は行ってもいいわけです―これは在家に対する戒律ですからね。邪な淫はダメだ。邪淫はいけないということになっているわけですけれども、その八斎戒(はつさいかい)の場合、六斎日には夫婦間でも行わない、というようなことになっている。
 
草柳:  そういうふうにして、かなり事細かに決められていた戒律というのは一体何故必要だったのか?
 
田村:  やっぱり仏教のお坊さんは、きちっとした生活をしたうえで学問し修行するということになりますね。お坊さんの最低のところ、一番基本的なものはそういう戒律を守った生活をするということにあるわけですね。信者の人でもそうですね。やっぱり五戒を守った生活をするというのは、あらゆる仏教を信じ、そして行じていくという場合の基本になるわけですから、生活を正さなければそういう仏教はできない、ということになるわけですね。
 
草柳:  日本に仏教が入ってまいりますと、当時の時代で言えば、奈良時代だと思うんですが、その奈良時代の国家体制とその仏教というのが非常に密接な関係を持ち始めますよね。その中で僧の地位がだんだん高められていく。そういうことともやっぱりこの戒律というのは相当関係をしていたんでしょうか?
 
田村:  やはり仏教教団が堕落する。ところが私度僧(しどそう)と言って勝手にお坊さんになるというような人たちが増えてくると、国家の体制としても非常に困るわけですね。それで戒律を厳重にしてお坊さんとしての自覚を持ってきちっとした生活をして貰わなければならない。これは仏教自身の根本でもあると同時に、おそらく国を護るとかなんかいうような社会的な要請にも応ずる所以であったということにもなりましょうし、やはり勝手にお坊さんになって、まあいわば税金のがれなんかにお坊さんになられるというような調子になりますと、国家の政治体制にも問題が出てくるというようなことで、国としても戒律を厳重に制度を作っていくというような必要があったんだろうと思いますね。
 
草柳:  ですから基本的には人間として守らなければいけない、生きていく上での倫理的な基準ということが勿論当然あるわけですけれども、今のお話のようにやっぱり国を護っていく。国家体制と深い関わりを持っていくということになりますと、その戒律というのは、ますますある面では厳しくしていかなければいけないということが当然出てきた?
 
田村:  国分寺なんかでも、国分寺はどういうことをやるかというので、「布薩(ふさつ)」と言いまして、その属しているお坊さんたちがちゃんと戒律を守っているかどうかということを検討する会というのをきちっとやっていますし、東大寺あたりでもきちっとやっていますし、それを求められているということになるわけですね。
 
草柳:  このシリーズの最初の方でお話がありましたけれども、中国から鑑真という偉いお坊さんがいらっしゃいますね。あの鑑真さんが日本に来た、日本に招いたということもやっぱりこのこととは関係があるわけですか?
 
田村:  そういうことがあるわけですね。
 
草柳:  今鑑真さんが出ておりますけれども。それは日本の場合には戒律を授ける授戒という仕組みが、多分まだきっとその頃は整理されていなかったんだろうと思いますので、
 
田村:  それで鑑真さんにお弟子の方をたくさん連れて来て頂くことによって戒律の整備を図る。先ほど言いましたように、お坊さんの資格を得る時に「受戒」という儀式をやるわけです。受戒の時には十人のお坊さんが立ち会わなければいけないのですね。十人のお坊さんの立ち合いのもとで「私は戒律を守ります」と誓うわけです。ところが立ち会う十人のお坊さんが、それぞれちゃんと戒律を受けた戒律上で、ちゃんと資格を持っている人でなければいけないということになるわけです。そうするとそれまでの日本のお坊さんは、そういう面からいうと欠けておりましたので、中国から十人以上のそういう正式のお坊さんに来て貰わなければならない。そこで中国でも有名なお坊さんであった鑑真さんにお願いして来て貰うとお弟子の方をたくさん連れて来て頂けて、それでその制度をきちっとすることができた、ということになるわけですね。
 
草柳:  そうすると、鑑真さんが日本にやって来たというのは、もの凄く大きな意味があったということしょうか?
 
田村:  非常に大きな意味があったと思いますね。
 
草柳:  その鑑真和上のことを書いた一節をまた読んでみたいと思うんですが、
 
大徳和上は遠く滄波(そうは)を渉(わた)りて来りて此の国に投ず。
誠に朕(われ)が意に副(そ)う。喜び慰むること喩(たと)うることなし。
(われ)、此の東大寺を造りて十余年を終る。戒壇を立てて戒律を受けんと欲す。この心あるより日夜忘れず。今諸大徳遠く来りて戒を伝う。朕が心に冥契す。今より以後、戒を受け、律を伝うることは一に大和尚に任す。
(唐大和上東征伝)
 
この「朕(われ)」というのは、これは?
 
田村:  おそらく聖武天皇なんだろうと思いますね。聖武天皇はその時もう上皇になっていらっしゃって、天皇は孝謙天皇という方になっているんですけど、この文章の内容を見ると、どうも聖武天皇のことじゃないかというふうに思います。それで鑑真さんが奈良へ入って来ると、その翌日に仕えの人が来て天皇の心を伝えるというんで、これは天皇の心なんですね。天皇は、「大徳和上は遠く滄波(そうは)を渉(わた)りて来りて此の国に投ず」あなたは遠くから海を渡って日本へ来てくださいました。「誠に朕が意に副(そ)う」自分の心に添う。「喜び慰むること喩(たと)うることなし」もう喩えることのできないように、私は嬉しいし、心が慰められる。「朕(われ)、此の東大寺を造りて十余年を終る」自分はこの東大寺を造って―これは造り始めてからということになるでしょうけども、造り始めてから十数年もう経っているんだ。そこで東大寺というのは大体国を護るためのお寺ですからね。そこの東大寺に「戒壇を立てて戒律を受けんと欲す」戒壇というのは戒律を受ける場所ですけれども、戒律を受ける場所を立てて、そして自分自身があなたから戒律を受けたい、というふうに思う。「この心あるより日夜忘れず」私は昔からこういう心があって昼も夜も忘れたことがない。それを今実現できるように鑑真大徳が遠くから来て、私の心にピッタリあっている。これからは戒を受け、律を伝えるということは、あなたにお任せしますよ、というので、日本の戒律は全部鑑真に任されたということになるわけですね。実際に天皇はじめたくさんの在家の人が―これは在家の戒を受けるということでしょうけども、鑑真さんから戒律を受けていますし、それから四百四十数人の沙弥が受けたということで、これは出家の戒を受けているでしょうし、それまでお坊さんとしていた八十人ほどの方が改めて鑑真さんから戒律を受けて、戒律の上でも正式の資格を得たというようなことが書かれております。
 
草柳:  今度自らが戒律を授ける資格を得られるようになったということですか?
 
田村:  はい。
 
草柳:  ただこの頃は取り敢えず奈良の東大寺だけしか受けられなかったのが、それが少しずつ広がっていったということがあるわけですか?
 
田村:  これは奈良の東大寺だけですと、お坊さんの資格を得ようとする時に、東北から奈良へ来なければいけない。九州から奈良へ来なくちゃいけないというのでは非常に大変だということで、東大寺以外に下野(しもつけ)の薬師寺というお寺ですね、これは今栃木県にありますけども、それから筑紫の観世音寺、これは太宰府(だざいふ)のところ福岡県にありますけれども、この二箇所には戒壇というのが造られまして、それでちょっと差があるんですね。差があるというのは、中央の戒壇は立ち合いのお坊さんが十人居なくちゃいけない。しかしインドでも地方へ行くと、受戒の時に五人のお坊さんが立ち会えばいい。それを引用して下野と太宰府は五人のお坊さんの立ち合いで戒律を受けることができるということで、東北の人は薬師寺へ行けばいい、西国の人は太宰府へ行けばいい、中央の人は東大寺へ行って受ければいいというような形になっていったわけです。
 
草柳:  これは前にちょっと受戒のお話がありましたけれども、かなり厳かな感じでやってみたいですね。
 
田村:  そうですね。
 
草柳:  ただそういうふうにしてきちんとした整った地で受戒をする仕組みは作ったけれども、でもやっぱりだんだん簡素化の方向にその後向かった。
 
田村:  そうですね。いろいろな戒律の思想が出てくるということで、これは伝教大師最澄なんていう人は新しい日本独特のやり方を始めたというようなことになるわけですね。
 
草柳:  それはつまり受戒という儀式として、勿論それはきちんと執り行われなければいけないでしょうけれども、なんとなく精神が果たしてこれでいいのかというふうな動きが、例えば今おっしゃる最澄という人たちの中から出てきたということなんですか?
 
田村:  そうですね。これは前回の国を護る思想という時にお話しましたけれども、実際に東大寺や国分寺を造って国を護ろうとしても国が護られていない。その後も風水害とかいろいろなものが多発するというような時に、最澄は何故かということを考えまして、これは奈良のお坊さんたちは本質的には小乗仏教のお坊さんなんだ。小乗の四分律という戒律を守りますということを誓ってお坊さんになったら、学問はともかくとして、お坊さんとしては小乗のお坊さんだ。だから国が護れない、という考え方で、それに対する考え方としては大乗の戒律だけで純粋な大乗のお坊さんを育てたい、というようなことが一つの大きな動機ですね。それからもう一つは、私はやっぱり最澄という人は、目的に直接いく道―仏教の悟りへいく道に、真っ直ぐな大きな道もある。曲がりくねった道もある。長い時間かかる道もある。いろんな道がある。そういうところで奈良でやっているように小乗の戒律を受けて、その後で大乗の戒律を受けるというようなやり方だと、一旦小乗をやって、それから大乗というと回り道になるというわけですね。そうでなくて、真っ直ぐな直接悟りに入る道というのは、小乗の戒律を用いないで、初めから大乗の戒律を用いるものなんだ、というような思想があったということになりましょうし、それからもう一つ、現実的な問題として、最澄は中国から帰って来た後、年分度者(ねんぶんどしや)というのを割り当ててほしいということで申請するわけです。年分度者というのは、その当時一年間でお坊さんを何人つくっていいかというお坊さんの定員枠だったわけですね。それが最澄の当時は、三論宗と法相宗と二つの宗派だけに割当られていて、従って奈良には南都六宗と言いまして、六つの宗派がありますけれども、そのうちの二つの宗派だけは毎年毎年規則的にお坊さんをつくることができる。後の四つの宗はできないというような状況になっていたわけですね。それを最澄は六つの宗派全部に平等にお坊さんの枠を割り当ててくださいと、そしてそれに付け加えて天台宗のお坊さんも許可してくださいよということで、それが認められて、毎年二人ずつお坊さんをつくってよろしい、ということになったわけです。毎年二人ですから、それは大変少ないんですけどね。他の宗派は毎年二人だということでやむを得なかったわけでしょうけれども、ところが実際に蓋を開けてみますと、お坊さんになる時、やっぱり新しい天台宗の枠でお坊さんになるというのは一番やりやすいんじゃないかと思うんですけれども、坊さんになる時には天台宗の枠の中でお坊さんになっていながら、お坊さんの資格を得ると奈良へ逃げて行ってしまうというような人が、奈良の宗派に移ってしまうというような人がたくさん出まして、例えば最初の十年間―十年だと二十人のお坊さんができていていいわけですね、毎年二人だと。中には亡くなった方がいますが、これはしょうがないですね。ある程度しょうがないと思われるような老後のお母さんを養うため、どうしても比叡山で修行しているわけにいかないというので出て行ったというような人がいたり、全国を巡遊しながら修行に努めているというような人もいて、そういう人はある程度やむを得ないかも知れませんけれども、一番多いのは法相宗という、その当時奈良で一番盛んであった宗派へ移ってしまったという人ですね。それで最澄という人は、天台のお坊さんの枠は是非天台のお坊さんとして育てていく。このためには比叡山の上で戒律を授けて、比叡山の上でお坊さんの資格を与えて、そしてそのまま十二年間比叡山に留めておいて学問修業させたいという、そういう制度を作りたい。そのためにもやはり奈良の戒律と違った形の戒律で作るというような必要があったわけですね。いろいろな動機からそういうものをやってきたということになりますね。
 
草柳:  今お話を伺っておりますと、最澄という人は、前の時代のある意味で雁字搦めになった仕組みというか、そうした枠組みをやっぱり何か突き崩していかなければいけないというふうな日本の仏教の歴史の流れの中では、革命的な試みというか、革命的な挑戦を突き付けたというふうにも見ていいわけですか?
 
田村:  そうですね。これは中国の天台宗がやっていたことというのは、奈良と同じことをやっていたんです。それは中国へ留学していますし、その時に通訳として付いて行った人が中国で正式な受戒をして、正式なお坊さんの資格をとってくるというようなことをしていますから、その人の様子を見ると、中国の天台宗は同じことをやっていたとよくわかるわけです。これは大体鑑真さんというお坊さんが天台宗のお坊さんなんですね。ですから鑑真がやったことは中国の天台でやったことと同じことである筈なんですね。それで中国の天台でもやっていた。奈良でもやっていて、それが仏教としては正統的なものであるものを突き破って、そして日本の場合にはこれが必要なのだ。日本の現実に合わせてそういう大乗戒の独立というようなことをやっていったということで、これはおっしゃるように革命的なことであると同時に、日本人が日本的な仏教をやっていこうとしたというようなことだろうと私は思っているんですけども。
 
草柳:  時代的に言えば八世紀の半ばよりちょっと後ぐらいになるわけですよね。
 
田村:  九世紀ということになりますね。八百年ぐらいですから。
 
草柳:  では、『山家学生式(さんげがくしようしき)』から読みます。
 
国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心あるの人を名づけて国宝となす。故に古人の言わく、経寸(けいすん)十枚、是れ国宝にあらず、一隅を照らす、此れ則ち国宝なり。・・・乃ち道心あるの仏子、西には菩薩と称し、東には君子と号す。悪事を己に向かえ、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。
(山家学生式)
 
こういうふうに言っているわけです。
 
田村:  これはそういう大乗戒の思想を最初に述べている『山家学生式』中でも六条式と言われている最初の部分なんですけども、国の宝とは何であるかというわけですね。これは国の宝というのは、国を護る人が国の宝なんですね。国をほんとに護る力のある人、国の宝とは何か。宝というのは道心にある。悟りを求める心、仏道を実践する心がその国を護ることに繋がり、国の宝になるんだ。「道心あるの人を名づけて国宝となす」道心ある人を国宝とするんだと。そこで「古人言わく」というので、これは戦国時代の斉(せい)の威王(いおう)という人が、他の国の王様(隣国の魏の王)と話して、他の国の王様が「自分のところにはこんな宝物がある」と言って、普通我々が宝物と考えるような宝石みたいなものをこういうわけですね。それは「経寸十枚」経は直径ですね。寸は一寸という大きさですね。「直径が一寸もあるような素晴らしい宝物が十枚もある。これが自分の国の宝だ」というわけですね。そうすると斉(せい)の威王(いおう)という人は、「うちの宝というのは、そういうものではなくて、実際に国を護る人間が宝なのだ」ということを答える。それで「古人の言わく、経寸十枚、是れ国宝にあらず」そういう物質的な宝が本当の宝ではないんだ。一隅を照らす人が国の宝なんだ、というようなことをいうわけですね。「一隅を照らす」というところ、実はちょっと問題がありまして、個人が言った場合には、千里を照らす。千里を照らす目をもっていて、そして国の一部分をしっかり護っていく人が国の宝なんだというのが、もともとの意味なんですね。それで「古人の言わく」という言葉を活かし、最澄が実際にこう書いている字を活かそうとすれば、千里を照らして一隅を護る。「照千一隅(しようせんいちぐう)」と読むのが正しいということになるんでしょうけども、実際のことをいうと、前の「道心あるの人を名づけて国宝となす」というこの思想に合わせようと思ったら、昔から天台宗が読んでいるように「一隅を照らす」と読んだ方が思想的には合うと思うんですね。それで私は思想的な立場で「一隅を照らす」というふうに読んでいるんですが、ここちょっと問題のあるところだということになるわけです。それで「道心あるの仏子、西には菩薩と称し、東には君子と号す」道心ある人をこの大乗戒というのは、出家も在家も共通の戒律ですからね。「西には」というのは、インドでは菩薩という。「東には」というのは、中国では君子と称す。要するに「菩薩」とか「君子」と言われるような人が本当に国を護っていく人だ。「悪事を己に向かえ、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」慈悲の「慈」というのは、慈(いつく)しむということで、善い事を他人にしてあげる。ここでいうと「好事を他に与える」というのが「慈」慈しむという言葉なんですね。「悲」というのは、他人の困ることを引き受けて、自分が代わりに引き受けてあげる。ここでいうと「悪事を己に向かえ」嫌なことはみんな自分が引き受けてやって、好い事を他人にしてあげる。しかもこれは仏教では「捨てる」という字を書いて「しゃ」と言うんですけども、好い事をしてやったという心を忘れるんですね。好い事をしてやったという気持ちが残っている間は、まだ本当の好い事じゃないんですね。本当の好い事というのは、いろんなことをしてあげて、そして俺がしてやったんだという心を無くしていくというわけですね。「己を忘れて他を利する」自分のことは忘れて、もう他人に御利益を与え、自力を与えるということに徹するのが、これが慈悲の極みなり、そういう人が国の宝なんだ、というふうに最澄はいうわけですね。
 
草柳:  この最澄が主張した、大乗の場合には、戒はこうあるべきだという中身は、奈良の頃の小乗戒ともっとも大きな違う点というのはどんなところにあったんですか?
 
田村:  「律」というのは『律蔵(りつぞう)』というのに書いてあるわけですね。「戒」というのは、お経の中に書いてあるわけですね。『梵網経(ぼんもうきよう)』というお経の中に書いてある「十重四十八軽戒(じゆうじゆうしじゆうはちきようかい)」十の重い戒律と四十八の軽い戒律というので全部で五十八の戒律ということになるわけですけども、それを授けてお坊さんにしようということで、これの受け方というのは、小乗の律の場合には、十人のお坊さんの前でこう守りますと誓うわけですけれども、大乗の戒の場合には仏さまとか菩薩に誓うということになるわけですね。仏様や菩薩に「私は守ります」と言って誓う。ただこれのところで一人だけでも戒律を伝える人がいれば、その人の立ち合いがあればいいし、それから誰もいないという場合には、「好相(こうそう)を得て」というんですけれども、自分の犯した罪を仏様に向かって懺悔していて、一生懸命になって懺悔する間に仏様が実際に現れて頭を撫でてくれるとか、なんかそういう経験があると、そこで自分で誓って戒律を受けることができる、というようなことが書いてありますですね。
 
草柳:  そういう点でも大分違いますですね。
 
田村:  違いますね。
 
草柳:  自律的にと言いますか、己をこう律するという、その色合いをもの凄く濃くしているという感じが致しますね。
 
田村:  そうですね。二百五十戒に対して五十八戒ですから、戒律の条項からいうと少ないということになりましょうし、それから罰がないという意味では楽だということになりましょうけれども、実際に守ろうとしたら、私は小乗戒も大変なんじゃないかというふうに思うんですね。小乗戒というのは、人間としてのお坊さんに誓うわけですからね。そうすると、自分が生きている間、誓いを受けた相手だって死んでいきますね。自分は誓った方だって生きている間守ればいいというわけです。ところが大乗戒は仏様に誓うわけですね。仏様は永遠の存在なんですね。死んだり生きたりというのは、我々相対的な人間がするわけですね。人間が死んで、そして次の世に生まれたところで仏様は共通なんですね。誓った仏様はそのまま存在していらっしゃるわけですね。従って大乗戒は、生まれ一度誓うと生まれ変わり死に変わり、未来永劫に守っていかなければならない、というような戒律になるわけですね。これが大変なんじゃないかというふうに、私は思いますけどね。
 
草柳:  かえってその面ではよっぽど厳しいと言えるわけですね。
 
田村:  ずっと厳しいと思いますね。ほんとにそれを守ろうとしたらずっと厳しい。
 
草柳:  ただまあ最澄が称えた戒律、律には罰則がないということは、これはこれでまたかなり後々問題を残している?
 
田村:  問題を残しているわけですね。
 
草柳:  時代的にみますと、平安時代というのは相当荒れますよね、時代的に。
 
田村:  荒れますね。例えば僧兵が出る。そうすると殺生するなんていうのは、戒律ではもっとも重いものですからね。刀差して薙刀持って殺生専門のお坊さんが出るなんて、ああいうものの存在―これはそういうのが出てきたのは、出てきたなりの理由があるんですけどね、しかしそれは反戒律的な存在と言わざるを得ないでしょうね。
 
草柳:  その理由というのは、例えば?
 
田村:  これはやっぱりお寺が荘園を持って、荘園を護っていかなければならないなんていう状況でしょうね。そうすると、武力が必要だということなんですよね。
 
草柳:  よく見ますけれども、ほんとにこれが僧なのかというぐらい完全武装してですね、焼き討ちをしたりした時代がありましたですね。
 
田村:  そうです。
 
草柳:  ただ勿論そういうふうにして、片一方ではきちんと戒律を守っていかなければいけないという流れと、時代の流れの中ではおそらくいろんな波を打ちながら続いてきているのではないかと思うんですね。ですからその平安時代の荒れように対して、これでいいのかというのは当然それは仏教界の中からも出てくる。
 
田村:  そうですね。それで平安時代は大体天台宗、真言宗中心でこういくわけですけれども、鎌倉時代になると、今度奈良時代にあった仏教が復興してくるわけですね。平安末期から復興してくる最初の復興は律宗なんですね。これでいいのか。お坊さんはやっぱり戒律を厳重に守っていかなければならないんじゃないかということで、奈良の中川寺(現廃寺)成身院の実範(じつはん)とか、覚盛(かくじよう)とか、貞慶(じようけい)なんかもそうですし、円照(えんしよう)(鎌倉時代の律宗の僧。東大寺戒壇院中興開山)とか沢山の戒律に対する反省をもった人が出る。実範(じつはん)という人が唐招提寺へ行ってみると、もう戒律の伝統が失われていて―戒律はそれで十人いないともう絶えてしまう。九人になったら伝えることができないということになりますね。年取ったお坊さんがただ庭を畑にして食べ物を作っていたというような状況で荒れ果てていたというわけですね。そういう中でどうして戒律をまた復興させていくかというようなことが問題になるわけですね。
 
草柳:  そういう人たちの中の代表として、今日この後取り上げて頂くのは叡尊(えいぞん)(1201-1290)ですか。
 
田村:  西大寺の叡尊という人ですけれども、この人は大体が真言宗の人なんですね。醍醐寺とか高野山とかで修行します。しかしどうしても戒律が必要なんだということで、戒律の復興をやるわけです。戒律の復興をやる時に、奈良の戒律は本来は十人の立ち合いのお坊さんがいたところで戒律を受けるという形になるわけですけど、もう居なくなってしまったらその形はどうしても取れないということで、最澄が比叡山でやったと同じような「自誓受戒(じせいじゆかい)」自分で誓ってその戒律を受けるというようなやり方を奈良に導入していくということになるわけですね。
 
草柳:  ではその下りを、叡尊についての文書からまた見てみたいと思うんですが、
 
(つつし)みて律鈔(りつしよう)を開きて如来の正法を以て自身の所行(しよぎよう)を?(はか)るに、宛(さなが)てら明鏡の醜陋(しゆうろう)の形を照らすが如く、澄水(ちようすい)の疲破(ひは)の影を宿すに似たり。進みて更に受具せんと欲するに能所(のうしよ)の縁備え難し。・・・是に於て重ねて思念すらく、菩提?薩(ぼだいさつた)、律儀戒(りつぎかい)を受くるに別受(べつじゆ)あり通受(つうじゆ)あり。通受の方軌(ほうき)に従他(じゆうた)あり自受あり。設(たと)え従他は成じ難きも、自受は何で成ぜざらん。
(興正菩薩行実年譜)
 
田村:  それでこの人は戒律の本を開いて、そして戒律の本に書いてあることと、自分の行いとを照らし合わせてみるわけですね。「如来の正法を以て自身の所行を?(はか)る」自分の行っていること、考えていることがちゃんと戒律に合うかどうか照らし合わせて見る。そうすると「宛(さなが)てら明鏡の醜陋(しゆうろう)の形を照らすが如く」綺麗な鏡を立てておいて、そこに自分の姿、形をこう写してみると、相手がそのまま事実を写す鏡だから、自分が如何に醜いかというような醜い形が映る。あるいは「澄水の疲破の影を宿すに似たり」澄んで平らな水の上に顔を差し出して自分の顔を写してみると、自分の姿を写してみると、如何にも疲れて破れたような姿が映る。同じように戒律に自分の行いを照らし合わせてみると、如何に自分が見にくく、そして破れたものであるかというのがわかる。そこでこれは何とかしなければいけない。戒律を受けたいと思う。受けたいと思うんですけれども、そういう受ける形が伝わっていないわけですね。「能所(のうしよ)の縁備え難し」というんですけれども、縁がない。どうしてもそれができない。そこで考えるというわけですね。「是に於て重ねて思念すらく、菩提?薩(ぼだいさつた)」菩提?薩というのは、普通「菩薩」というふうに上と下の二字を取って「菩薩」と言っているものですが、菩薩が「律儀戒を受くるに別受あり通受あり」この別受と通受がある。この別受と通受というのを説明していると長くなりますので、別受というのは、いわゆる小乗戒を受けるようなやり方、通受というのは、大乗戒を受けるやり方というぐらいの説明で、ここは通っておきたいと思いますけれども、大乗戒を受けるやり方には、「従他あり」他人よりというのは十人お坊さんがこういるところで、十人のお坊さんから戒律を授けられるというやり方もあるし、「自受あり」自分自身が誓って受けるというやり方もある。そうすると十人のお坊さんから受けるというやり方は今もうできないんだけれども、自分で誓って受けるというやり方もあるんだから、これでやっていこうということになるわけですね。「自受は何で成ぜざらん」自受でいこうというわけです。そこでこの人は四人の人、覚盛とかその他二人の方と東大寺へ行きまして、大仏の前で懺悔するわけですね。さっき言いましたように、好相を得て受戒することができる。これは好相を得て仏様が頭を撫でてくれたなんていう経験というようなものは、我々からするとどうもよくわからないんですけど、天台宗のお坊さんの人に聞くと、先生が弟子を見ていて、あ、あの人は好相を得たというのがわかるというんですね。私なんぞそんなものかと思いますけれども。それで叡尊なんかも大仏の前に懺悔するわけですね。懺悔するというのはやっぱり自分の行った悪事を懺悔するというんですから、悪いことを思い出すわけですよね。平素こう考えていないような悪いことばっかり出てきてなかなか好相を得られないといって、叡尊は困っているみたいですけれども、それでも懺悔している間に叡尊最後みたいですけども、好相を得た。そこで今度三月堂ですかね、不空羂索観音(ふくうけんじやくかんのん)の前で自分で誓ってそれぞれの人が誓って戒律を受けるというようなやり方で戒律を復興していくということになるわけですね。
 
草柳:  日本の仏教の流れの中では、例えば空海にしてもそうでしょうけれども、行基(ぎようぎ)とかさまざまいろいろなお坊さんが民衆の中に入っていって、今で言えば社会福祉事業といったものに本当に献身的に携わってきたという歴史もありますが、この叡尊という人もそうなんだそうですね。
 
田村:  そうですね。これは奈良時代の昔から、今おっしゃったように最澄もそれをやっていますけれども、この叡尊という人は、特にそれが目立った人ですね。叡尊なんていう人はやっぱり戒律の立場で物を殺さないというのは戒律ですけれども、これをひっくり返すと生き物を生かしていくということで殺生禁断の場所―ここは殺生してはならない。魚を捕ってはいけないというような場所をたくさん作るわけですね。それからものを盗まないというもののおそらく反対なんでしょうけども、物を与えるということをするわけですね。それで病院を作って病人を助けてあげる。困っている人にお金や物をたくさんあげるというような、いわば今で言えばホームレスという人にたくさん物をあげる。その物をあげる時に、相手が困っているからそれを救ってやるという意識ではないんですね。文殊菩薩という菩薩は、貧窮のものに形を変えて人の前に現れるというのが文殊師利(もんじゆしゆり)菩薩という菩薩の特徴としてありまして、そうすると貧しい人が来る。困った人が来ると、文殊菩薩に仕えるという形で物を差し上げるわけですね。そういうのが仏教福祉の原点なんだろうと思うんですね。相手は困っているから俺は金持ちだからやるぞというのではないんですね。
 
草柳:  「殺す勿れ」それは護りという感じが致しますけれども、
 
田村:  そうですね。
 
草柳:  そうではなくて、生かすんだということになるわけです。
 
田村:  積極的に転じていくわけでしょうね。律宗の人が非常にそういう社会事業的なことを行いますね。
 
草柳:  戒律というのは本来的には結局そういうことなんでしょうかね。護るのではなくて、それを如何に生かしていくかという。
 
田村:  護るだけというのでは消極的ですからね。それを積極的に生かしていくという心が必要なんでしょうね。
 
草柳:  ですからこの叡尊のお弟子さんとか周囲の人たちには社会福祉事業に取り組んでいったという人が随分いるんだそうですね。
 
田村:  そうですね。お弟子の仁照(にんしよう)という方、この方は鎌倉へ行くと極楽寺というお寺が今でもありますけれども、極楽寺を開いた仁照ということで、その当時非常に大きな影響力があったわけですね。影響力があっただけに日蓮聖人なんか目の敵にしてこうやっているわけですけどね。そういう方も今度はただ人間の病院だけではなくて、病気の馬を助ける。馬の病舎を作ったというようなこともありますし、そういう先生の行為というのを受け継いでいくということになりますね。
 
草柳:  江戸時代に入るとどうなんですか?
 
田村:  江戸時代に入ってもやはり戒律を厳重に守らなくちゃというような反省は非常に強くでますね。天台宗でも「安楽律(あんらくりつ)騒動」といって戒律に関する新しい動きというのが出てきます。真言宗でも真言律とか正法律という考え方で戒律を厳重に守っていかなくちゃという考え方が出てきますですね。
 
草柳:  その中で今回は特に田村先生が取り上げになっているのが慈雲(じうん)ですね。じゃそのお書きになったものを拝見して、それから話を進めていくことに致しましょう。
 
人の人たる道は此十善に在(ある)じや。人たる道を全くして賢聖(けんしよう)の地位にも到るべく高く仏果をも期すべきと云ことじや。経の中に、此道を失へば鳥獣にも異ならず。木頭(もくとう)にも異ならずと有じや。
(十善法語)
 
これは『十善法語』という、
 
田村:  この方は、「十善」十の善を行うということを在家の人にも非常に強調したというので有名な方なんですけれども、「人の人たる道は此十善に在じや」人間が人間であるということは、この十善を行うということにあるのだというわけですね。その理由をこの次のところで出して頂けますけれども、人の人たる道を尽くすことによって賢者―賢い人、聖人で聖人の地位にも至るであろうし、さらにその上で仏になることもできるんだ。従ってこの人の人たる道というんですから、これは誰でも守るべき道だということになるでしょうね。これを守らない人は鳥獣―鳥や獣と同じだ。あるいは「木頭にも異ならず」というふうにお経の中に書いてありますよ。だからこれを行いなさいよということになるわけですね。
 
草柳:  この人は十八世紀の人なんですけれども、この言い方が面白いですね。「何々じゃ」という言い方が。
 
田村:  そうですね。やっぱり分かり易いように、その辺の口語を使って説明しているんでしょうけどね。
 
草柳:  で、それではその続きを同じ『十善法語』の中からお読みしますと、
 
本性(ほんしよう)に身口意(しんくい)相応すれば十善自ら全きじや。理に背くと云も別のことではない。唯(ただ)この私意じや。私意を以て本性を増減するが謂(いわ)ゆる悪じや。此私ある身口意業(しんくいごう)を十悪と云。仏性は善悪共に防げぬものなれども善は常に仏性に準ずる。悪は常に仏性に背(そむ)くじや。
(十善法語)
 
田村:  「本性」という言葉が最初に出てきて、後ろの方に「仏性」という言葉が出てきますけれども、本性がそのまま仏性なんですね。それで我々は生まれつき持って生まれたものとして、仏性―仏の性質を持って生まれてきているんだ。我々の本質は仏性なんだ。仏なんだ。こう禅宗の盤珪(ばんけい)禅師なんかだったら「生き如来だ。私は生まれた時から、親から仏様を貰って生きてきているんだ」というようなことをおっしゃいますけれども、そういう自分の本質は仏であって、仏性であって、その仏である自分の本質に従っていればこれは十善となる。自分勝手な考え方を起こして、持って生まれた仏性に違反すると、これは十善の反対の「十悪」になるんだ、というような考え方ですね。人間の行為というのに「身・口・意」―体で行う行為。普通我々は行為というと、体で行うということを考えますけれども、仏教では口で話をするというのも、これは他人に影響を与えますし、一種の行為だ。そうするとその体で行うこと、口で喋ることのそこには心がある。心が体の行為となって現れ、口で話をすることになって現れるというんで、体と口と意(こころ)というのが行為だというふうに考えるわけです。それで後に出てきますけれども、十善というのを、体と口と心に分けて考えるということになりますね。それでもって生まれた仏性―仏の性質、仏の本性にこう体の行為、口の行為、心が相応すれば十善は自ずから行われる筈なんだ。それを自分勝手に私意で、自分勝手に我を募らせて仏性に反する行為を行うと、この私ある身口意業の十悪―十善の反対になるというわけですね。仏性そのものは「善悪共に防げぬものなれど」仏性を備えているからと言って、善をやる人は善をやる。悪をやる人は悪をやるということはあるだろうけれども、善を仏性に準ずれば善を行うということになるし、仏性に背く行いを行うということになると悪になるという考え方ですね。
 
草柳:  非常に分かり易いですね。その今出てきた「十善」というのは、何を指して「十の善」というのか。これは実はもう時間があまりなくなりましたので、簡単に説明して頂けますか。
 
田村:  これは「身(からだ)」での行為というのに、
不殺生(ふせつしよう)―殺生しない。殺さない。
不偸盗(ふちゆうとう)―盗まない。
不邪淫(ふじやいん)―邪淫を行わない。
この場合は邪淫―邪(よこしま)なセックスを行わないということで、夫婦関係を―在家の人に対しても当て嵌めるわけですから、ちょっと夫婦関係は認めるということになるわけですね。
 
「口」で行う行為として、
不妄語(ふもうご)―嘘をつかない。
不綺語(ふきご)―これは諂(へつら)った言葉を使わない。
不悪口(ふあつこう)―悪口を言わない。
不両舌(ふりようぜつ)―二枚舌を使わない。
 
それから「意(こころ)」での善というので、「貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)」というのは、「三毒の煩悩」というふうに言われますけれども、
不貪欲(ふとんよく)―物を貪らない。
不瞋恚(ふしんに)―怒らない。
不邪見(ふじやけん)―邪見を持たない。正しくものを見ていくという心。
こういう十のことを行っていくというのを十善業というふうにいうわけですね。
 
草柳:  この逆のことをすればそれは十悪になるという。今見ますと、これは人の生きる道としては当たり前のことではないかという気がするんですが、それがなかなかできないのが生身の人間の悲しいところだと思うんですけれども、今まで今日「戒と律―戒律」という話を伺ってきまして、ますます今これは今日的な課題としてやっぱり見ていかなければいけないのではないかという気がするんですけれども。
 
田村:  これは戒律から一番遠いところにあるのは浄土教で、例えば法然上人の浄土教ですけども、法然上人だって浄土教は戒律をあまり言わないからと言って、わざわざ悪を行ってはならないということを厳重に誡めていらっしゃいますし、親鸞聖人だって「悪人正機(あくにんしようき)」って、悪人こそ救われるということを言いながら、しかしですね、薬があるからと言って、わざわざ毒を飲んではいけないというような表現ですけれども、悪を行ってはいけないということをおっしゃいますね。今こう仏教も国際化してきて、南方の人たち、それから中国とか朝鮮のお坊さんなんかのあり方というのを見ると、やっぱり日本の仏教というものの堕落した姿というのが非常に際立ってくると言いますかね、やっぱりそういうところで日本の仏教のお坊さん考えなければいけないですし、お坊さんだけでなしに、やっぱり一般の人が自分の行動を律するということを考えていかなければならないんじゃないかと思います。
 
草柳:  最後におっしゃられた個人を律する倫理ということを如何に作り出していくかということでしょうか。今日はありがとうございました。
 
     これは、平成十年九月二十日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである