仏教を生きるH一行に徹する
 
                       東洋大学教授 田 村(たむら)  晃 祐(こうゆう)
                       き き て  草 柳  隆 三
 
草柳:  「仏教を生きる」のこのシリーズも、とうとう今年最後の放送になりました。今回が九回目になるんですが、仏教の教えと言いますか、仏教が究極目指すところというのは、悟りであるとか、あるいは救済に達するということだと思うんですが、その仏教の教えの中心になっているのが、あくまでも実践ということなんですね。ですからその実践のためには、どうしても「行(ぎよう)」ということが必要になってくる。これが重要なポイントになってくるわけです。今回は「一行に徹する」というふうに題して、いつものように東洋大学教授の田村晃祐さんにいろいろとお話を伺っていくことに致します。今日もよろしくお願い致します。
田村:  どうぞよろしくお願い致します。
 
草柳:  四月から始まって、今年最後の放送になりましたですね。
 
田村:  四月、このNHKへ来る時には、桜の花びらがちょうど散っていましてね、肩やなんかにこうかかってくるというような時で、それから今になってみると、イチョウの葉がズーッと歩道に散っていて、その上を歩いて来るというようなことで、大分長い間お世話になりましてどうも有り難うございまして。
 
草柳:  こちらこそ。これまでシリーズの中で何回か触れて頂いたんですが、聖徳太子の時代ですね、仏教が大陸から渡って来て、で、奈良時代の辺りまでは、どういうふうに仏教を理解していったらいいのかという、いわば学問的な側面からの仏教の捉え方が中心だったという話があったんですけれども、それが今回のテーマの「行(ぎよう)」ということが問題になり始めたのはいつ頃からのことなんですか?
 
田村:  仏教は、ただ単なる哲学ではなくて、実際にこう自分がそれに生きる。体得するということが重要ですから、それで先ず学問をして正しい教えを理解する、ということが必要ですし、その後で修行して、その教理を身に付けていく、ということが重要だということになるわけですね。ところが歴史の流れの中でも、最初のうちはどうしても学問的に理解するというのが中心になるわけです。それで大体奈良時代の仏教は「学問仏教」と言われておりまして、大きなお寺の中にいて、そして一生懸命になって学問を致しまして、内容を理解していくというのが中心であったわけですね。ところが奈良時代にも、勿論山の中へなんか入って修行するという人はたくさんいらっしゃったわけですけれども、いわばそういう人が主流派を形成していくというのではなしに、やはり学問をする人が主流派を形成していく。山の中へ入って修行したというような人は、あまり歴史の表面には出てこない、というような形になっていくわけですね。ところがそういう学問をして理解をするということが中心から、今度は修行と学問とを両立させていくという時代に入ってくるわけですね。そうすると平安時代の仏教に入ってきますと、最澄という人も、若い時に比叡山へ入って修行する。修行するだけではなくて、非常に学問にも努力しますね。それから弘法大師空海も、これは大変な学識を持った人ですけれども、同時に若い時から山の中へ入って修行するというので、修行と学問とを両立させていく中から新しい日本の仏教というのが生まれていくという感じですね。
 
草柳:  ですから奈良時代も、勿論学問の方にウエイトが掛かっていたけれども、決してそれだけではない。で、平安時代に入ってくると、今おっしゃった空海とか最澄が出てきて両立をさせていくと。その頃の平安時代に入った頃の行というのは、どういうことを、例えば空海や最澄はしていたんですか?
 
田村:  それで日本仏教の一つの大きな特色としまして、鎌倉時代の仏教が一番大きな宗派になりまして、日本人の心に大きな影響を与えていくわけですけれども、こういう鎌倉時代の行の特色は、それぞれの方が一つの行を行うということですね。ところが平安時代の仏教は、まだ中国あたりの影響力が大きくて、例えば伝教大師最澄でしたら、『法華経』に書いて記されている真理を体得する。その体得のためには、どんな修行方法をやってもいい。これは中国の天台宗の考え方ですし、それをそのまま受け入れるわけですね。天台宗なんかでいうと、「四種三昧(ししゆざんまい)」と言いまして、四種類の三昧を行う。これは「常坐三昧(じようざざんまい)」これは九十日間も不眠不休で坐禅をし続けると。「常行(じようぎよう)三昧」これは念仏を称えるわけですけれども、静かに念仏を称えながら阿弥陀仏の仏像の周りを回って歩く。これは原則ですと、夜も寝ずに九十日間朝から晩まで続けてやるということですね。それから「半行半坐(はんぎようはんざ)」と言って、半分歩いて、半分坐るというような修行方法がある。「法華三昧」(『法華経』に基づき37日間または21日間行われる)とか「方等(ほうとう)三昧」(『大方等陀羅尼経』に基づいて7日間行われる)というのがありますけれども、それから最後に「非行非坐(ひぎようひざ)」というのがありまして、これはどんな修行方法でもいいんですね。どんな修行方法でもいい。修行をすれば、それが「非行非坐」というのに入りますからね。全体でいうと、どのような修行方法をとってもよろしい。ただ『法華経』に書いてある「諸法実相(しよほうじつそう)」と言いますかね、そういうものをそれで身に付けていくということになりますですね。
 
草柳:  「非行非坐」というのは、行に非ず、坐に非ず、と書かれているように、要するに何をやってもいいと。
 
田村:  行に非ず、坐に非ずなんですけれども、行をしてもいいんです。坐をしてもいいんです。とにかくその他どういうことをしてもいい、ということになるわけですね。
 
草柳:  例えば当時の天台宗の他に、真言宗が興るわけですが、真言宗ではどんなことをやるわけですか?
 
田村:  真言宗でもやはりいろいろな修行方法はとっていらっしゃったようですね。「三密瑜伽(さんみつゆが)」と言いまして、口で陀羅尼(だらに)を唱え、それから体で印を結び、心で仏と一体の理を念ずるというようなことで、即身成仏(そくしんじようぶつ)ということに到達しますけれども、真言宗の中でも念仏をなさった方もいらっしゃいますし、修験道が発達して山の中へ入って修行をされた方もいらっしゃいますし、それから弘法大師なんかだと「虚空蔵求聞持法(こくぞうぐもんじほう)」を成就されたとか、いろんな修行の方法があったようですね。
 
草柳:  勿論今でもありますけれども、例えば千日回峰(せんにちかいほう)なんというのもそうなんですか?
 
田村:  そうですね。千日回峰の行も、ああやって山の中を歩くということを通じて悟りに到達するということになるわけでしょうね。あれも凄いですね。刀を持って、もし途中でどうしようもなくなって歩けなくなったら、その時自害するという覚悟でやるわけですし、実際に自害された方もいらっしゃるようですね。
 
草柳:  そうですか。そうすると、かなりの荒行なわけですね。
 
田村:  そうですね。最近なさった方でも、歩いている間に足の指を木の根に引っかけてしまって痛くて歩けなくなったという時、その足の指をその刀で切り落としたら歩けるようになった。それで続けられる方がいらっしゃいますからね。
 
草柳:  まさにそういう点では、仏教の教えの中心が行にあるんだということが、だんだんやっぱり広まっていったというのか。その平安から鎌倉へかけて、それがだんだん一つのものに絞られていく、というふうになっていくわけですか?
 
田村:  そうですね。鎌倉時代の仏教で言いますと、法然(ほうねん)上人は念仏に徹する。念仏だけだ。そのお弟子の親鸞聖人も念仏を称えるだけだ。栄西(えいさい)禅師は禅もなさいますけれども、葉上流(ようじようりゆう)という密教の一派の開創者でもあるわけですね。それですから栄西禅師は真言と密教と禅をなさいますけれども、その後で臨済宗は中国からきた中国の禅僧の系統が盛んになっていく。そうするとこれは禅に徹した形ということになってきますね。それから道元(どうげん)禅師は禅に徹した方ですし、それから日蓮聖人も唱題(しようだい)といって「南無妙法蓮華経(なむみようほうれんげきよう)」を称えるということに徹底された。こうしてたくさんの行(ぎよう)を行って目的が『法華経』なら『法華経』の真理を体得するということから、むしろ行を中心にして、一つの行を行うということを中心にして教理を展開されていったというのが、日本の鎌倉時代の仏教の特徴だということに思いますし、それが日本仏教を通ずる一つの行のあり方として、日本の仏教の特色をなしているというふうに、私は思っているんですけれども。
 
草柳:  その「一行に徹する」ということが、日本の仏教の特色だとおっしゃいました。今日はそのお話が中心になるわけなんですが、今名前を挙げて頂いた法然、道元、日蓮といった順にじっくり伺っていきたいんですが、先ず法然でしょうか。今までにもお話に出ましたけれども、法然という人はどういう人だったのか、もう一度簡単に。
 
田村:  法然という方は、今でいうと岡山県の山の方の出身なんですね。お父さんは今で言えば警察の署長さんみたいな役でしょうかね。お役人だったわけですね。ところがやはり時代の変動の中で近くの荘園(しようえん)の管理者というような人に夜討ちをかけられて、それで殺されてしまうというわけですね。ですから法然上人の思想の一番の基礎は無常観だったんじゃないかというふうに私は思うんですけどね。そういう無常の現実というのを知らされて、どうして無常を超えて、言うならば常(じよう)の世界、永遠なる世界を獲得していくかということが問題で、それは学問をしただけではすまないですね。実際に自分がそういう信念の確立を求めて努力していった、ということが法然上人の出発点であったというふうに思うんですね。
 
草柳:  法然と、それから法然の教えを考える上でとっても大事なポイントなんでしょうね。
 
田村:  はい。
 
草柳:  で、これまでのお話にもありましたけれども、シリーズの中で法然という人は大変な勉強家だったそうですね。
 
田村:  そうですね。大体中国山脈の菩提寺というほんとに山の中のお寺へ出家するわけですね。それからそこから比叡山へ行く時に、先生が「大聖文殊菩薩像一体進上」(文殊菩薩一体を贈る)というという添状を付けたというんですね。そうすると文殊菩薩というのは智慧の菩薩ですからね、子どもの時から非常に勝れた人であったようですね。それで比叡山へ入ってもよく勉強なさったし、それから比叡山で勉強するだけではなくて、奈良とかいろんなところへ行って勉強された。「智慧第一の法然」と言っているので、学問はもう比叡山の中で最高の法然房だというふうに言われたようですね。
 
草柳:  一切経と言いますか、あらゆる仏典を何回も何回も読み返すくらいの人だったという。
 
田村:  そうですね。そういうふうに伝えられておりますし、実際に非常に学問に努力されたというふうに思いますね。
 
草柳:  ですから法然の場合は、片一方では、ある局面では奈良時代の学問仏教を受け継いで、それを更に更に充実させていったという、つまり学問僧としての色彩というか、そういう受け止め方ってもの凄く大きいと思うんですが、その法然が何故今日これからお話になる一行ということに徹しなければいけないんだというふうに、そのきっかけと言いますか、展開と言いますかね、それはどういうところにあったんですか?
 
田村:  私は、ほんとに悟りを求めた、あるいは救済を求めたというところに、どういう行によって救済が成就するかということになっていったんだろうと思うんですね。その学問から行への転換というのが基本になって、そして自分の道を求めていったということなんだろうと思うんですけれども。
 
草柳:  やっぱりそこに法然自身にとっては、もうどうしても行ということこそがというもの凄く強い何かが働き掛けたということが当然あったんでしょうね?
 
田村:  そういう様子を見ていると、私自身は日本の仏教も非常に成熟してきた。学問中心のところから行に中心をおいて自分の悟りを実際に体験できる道を求めていったというところに、日本の仏教の成熟してきた姿を見ることができるというふうに、私は思うんですけれどもね。
 
草柳:  法然が大体いくつぐらいの歳なんですか?
 
田村:  法然は、大体九歳の時に出家して、十三歳で比叡山へ入って、それから四十三歳の時に回心(えしん)を体験したということなんですけれども、その時のことで中国から日本にかけての浄土教の方々がお書きになった書物を三回ほど繰り返し繰り返し見ていった。そしてその中で中国の善導(ぜんどう)(中国浄土教(中国浄土宗)の僧である。「称名念仏」を中心とする浄土思想を確立する)というお坊さんの書いた書物によって回心というか、信仰の確立ができたというふうに伝えられておりますけれども。
 
草柳:  じゃその善導の書き残されたものを読んでみます。
 
一心に専(もつぱ)ら弥陀(みだ)の名号(みようごう)を念じて、行住坐臥(ぎようじゆうざが)に、時節の久近(くごん)を問わず、念々に捨てざる者、これを正定(しようじよう)の業と名づく。彼(か)の仏の願に順ずるが故に。
(善導「観経疏」)
 
田村:  それで「一心に」というのが最初にくるわけですね。一つの心でというのは、他のことに目を向けないんですね。それだけに集中していくというのが「一心に」ということですね。「専(もつぱ)ら」というのも同じ意味ですね。「もっぱら何々をする」というと、他のことでなしに、それだけに専念する。「弥陀(みだ)の名号(みようごう)を念じて」弥陀というのは、阿弥陀仏という仏のことなんですけれども、阿弥陀仏を省略してと言いますか、短くして「弥陀」というふうにいうんですけれども、「弥陀(みだ)の名号(みようごう)を念じて」阿弥陀仏の名前を念じて、念仏称えて、「行住坐臥(ぎようじゆうざが)に」―「行」は歩いている時ですね。「住」は留まっている時、それから「坐」は坐っている時、「臥」は横になっている時。こうして歩いている時でも、留まっている時でも、坐っている時でも、横になっている時でもというので、どんな時であっても、という意味なんですね。どんな時であっても「時節の久近(くごん)を問わず」時節というのは、時間というふうに言っていいと思うんですけれども、「久(ひさ)しい」という字は長い、「近」というのは短いですね。時間の長い・短いを問わず。短い時間あったら短い時間にお念仏を称えていればいい。長い時間あったら長い時間お念仏を称えていればいい。「念々に捨てざる者」念仏を称え続けて念仏を捨てなければ、「これを正定(しようじよう)の業と名づく」正定というのは、まさしく定まると書いてあるんですけども、こうしてお念仏を称えれば、それが浄土往生にまさしく定まる行いであると名付ける。何故口で称えるだけで浄土に往生できるかというと、「彼(か)の仏の願に順ずるが故に」というので、阿弥陀仏という仏様は、念仏を称える者を浄土に生まれさしてやろうという願を立てていらっしゃる。その阿弥陀仏の立てた願にそのまま従うからなんだ、ということをおっしゃるわけですね。これは法然上人は、阿弥陀仏だけがその願を選択したのではなくて、阿弥陀仏は勿論念仏を称える者を救うということで願を掛けられたんですけども、お釈迦さんもそれを選ばれた。お釈迦さんもそれを選んで阿弥陀仏の念仏を称えていきなさいよと勧めてくれた。「六方(ろつぽう)の諸仏」というんですけども、あらゆる仏も全部「これがいいですよ。これをどうぞおやりなさい」と言って勧めてくれている。こうして阿弥陀仏だけではなくて、お釈迦様もあらゆる仏がこう念仏を選んで、そしてこれを勧めてくれる。だから我々がどのような行をしていったらいいかということを考えた時に、仏が選んで勧めてくださる方法なのだから、それに従って静かに念仏を称えていけばいいんだ、というようなお考えですね。
 
草柳:  何故念仏だけ称えれば、それが救済になるのかというのが、これはどういうふうに考えればいいんですか?
 
田村:  これは法然上人は、念仏というのは勝れているという一つの点と、それから易しいという点と、両方あるというふうにおっしゃるわけですね。
 
草柳:  法然という人は、さっきのお話にもありましたけれども、大変な学問を究めた人、その人が「一行に徹しなければ」というふうに言ったという。今度これを読みながらお話を進めていきますが、
 
今、試みに二義(にぎ)を以(もつ)て之を解せば、一には勝劣の義、二には難易の義なり。初(はじめ)に勝劣とは念仏は是れ勝、余行は是れ劣。所以(ゆえん)は何(いか)ん。名号は万徳の帰する処なり。・・・次に難易の義とは、念仏は修し易く、諸行は修し難し。
(選択集)
 
田村:  それで「念仏」というのは、「一つには勝劣の義」―「勝」というのは勝れているという意味で、それから「劣」というのは劣る意味ですね。念仏は勝れていて、他の行は劣っているというふうにおっしゃるわけですね。何故かというと、念仏の中には阿弥陀仏のあらゆる徳が全部含まれているから。これは「名号は万徳の帰する処なり」ということで、法然上人はここで面白い譬え話を使っていらっしゃるんですね。これは家を喩えにして、「家」という言葉を言うと、その中に屋根も含まれていれば、柱も含まれていれば、壁も含まれていれば、全部含まれていて家なんだ。それに対して、例えば「柱」という言葉を使ったら、家の中の一部分でしかない。垂木(たるき)も一部分でしかない。それで他の行は、家を喩えにしていうと、柱とか垂木とか、あるいは壁とかというような一部分を指しているものでしかない。ところが念仏は家という全体を指す言葉が念仏なんだ。従って「家」という言葉の中には、あらゆる要素が全部含まれているというわけですね。それで念仏は、仏の功徳が全部含まれているんだから勝れているんだ、というようなことをおっしゃるわけですね。普通は「易行だ」ということが非常に強調されますけれども、法然上人は、「念仏がもっとも勝れた行なのだ」ということを非常に強調されるわけですね。それからもう一つは、「難易の義」ということで、念仏は易行だ、易しいというわけですね。他の行は難行でやりにくい。先ほどの回峰の行なんかも出ましたけれども、回峰の行で死を覚悟して修行するというようなことは、普通の人にはなかなかできないですね。それに対して念仏は口で「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えることは、易しいから誰にでもできる行だ。誰でも救われる行だ、ということをおっしゃるわけですね。
 
草柳:  こういうふうに決して難しい行ではないんだと。誰にでもできるんだという教えというのは、説得力と言いますか、そういう点で考えると、つまり誰にでも受け入れられるということがありますよね。
 
田村:  そうですね。特に法然上人の頃なんていうのは、源平の騒乱が続く。ほんとに戦いの中で上人がその影響を受ける。非常にみんないつ自分の命が終わるかも知れないというような状況の中で、ただ口で念仏を称えれば救われるんだというのは、これは非常な救いであったと思いますね。
 
草柳:  それはおそらく貴族階級にしても武士階級にしても、それからそうでない庶民一般の人たちにとっても同じように受け入れられる。むしろ法然という人がほんとに言いたかったのは、武士も貴族も勿論そうでしょうけれども、もっともっと庶民一般の人たちに対しての呼び掛けという意味がとっても濃うかったんではないか。
 
田村:  そうですね。法然上人の言葉ですと、念仏を称えればいいというのは、阿弥陀仏が選んだわけですね。阿弥陀仏が「念仏をすればそれでいいですよ」というふうに、阿弥陀仏自身が選んだわけですね。仏様が選んだことなんだから、何故阿弥陀仏が「それがいい」というふうに選んだか、自分はこうよくわからないんだけれども、まあ推察するところということで、四つほどの理由を挙げられるわけですね。それは、
一つは、「造像起塔(ぞうぞうきとう)」と言いまして、仏像を造ったり、五重塔やなんかを造ったり、お寺を造ったりするというようなことですね。これは平安時代の貴族たちは、阿弥陀仏を祀るお堂を造って、それから立派な阿弥陀仏の仏像を造ってお祀りして、仏のためになるこういう行(ぎよう)を行ったんだから、来世極楽浄土へ生まれさして貰うことができるだろう、というふうにお考えになったわけですね。ところがそれに対して法然上人は、そういうお寺を造ったり、仏像を造ったりするようなお金持ちの人は少ないんだ。そういうことができない貧乏な人がもう大多数なんだ、というふうにお考えになるわけですね。
二つ目は、「智慧高才(ちえこうさい)」非常に頭のいい非常に勝れた人。これは勝れた人だから来世浄土へ生まれることができるという考え方もあるけれども、実際にはそういうもの凄い智慧の勝れた人というような人は少ないんだ。それに対して愚かな人、愚鈍な人というのが多いんだ。
三つ目は、「多聞多見(たもんたけん)」というんですけども、多く聞く、多く見る。多く聞くのは何を多く聞くかというと、仏教のお話を多く聞くわけですね。多く見るというのは仏教の本を多く見るわけですね。こうして仏教を一生懸命になって勉強した人、これが来世浄土へ生まれることができるという考え方もあるけれども、実際にはそういうふうにたくさん勉強した人なんていうのは少ない。今よりズーッとそういう人は少なかったでしょうし、今はそういうことは便宜はいろいろ与えられておりますけれども、昔だったらやはり声聞―仏教の話なんかほとんど聞いたことがありませんという人たちが絶対多数であった。
四つ目は、「持戒持律(じかいじりつ)」で戒律を厳重に守ったお坊さん、これはこの世で素晴らしいことをやったんですから、来世極楽浄土へ生まれることができる。悪いことをやったのは地獄へ堕ちるというのが普通の考え方ですね。ところが法然上人はそうではなくて、実際に戒律を守っている人なんていうのは少ないんだ。「破戒」戒律を破った人―嘘付いたことがあるとか、お酒飲んだことがあるとか、そういう戒律を破った人。それから「無戒」というのも付け加えてあるんですけれども、破戒の人はまだ戒律を守らなくちゃと思っていて破るというわけですけども、「無戒」というのは、もう初めから戒律なんか問題外にしているという人ですね。そういう人が絶対多数なんだというふうに考えるわけですね。そこで阿弥陀仏という仏は、こういう少数のお金持ちの人、智慧の勝れた人、たくさん仏教を勉強した人、それから戒律を厳重に守った人というのを救おうとするのか、それともお金のない人、それからあまり勝れた人でなくとも、仏教の勉強なんかあまりしたことがなくとも、戒律を破ったことがある人でも、そういう人を何とかして救ってやろうという心を持っているのか、という質問を立てる、疑問を立てるわけですね。そして大多数のそういう普通の仏教から言えば劣るような人をなんとかして救っていこうというところに、仏様の平等の心というのがあるのではないか、というふうにお考えになるわけですね。
 
草柳:  そうして纏めて、次のように言っている文書がありますので、それを見てみることに致します。
 
然れば即ち弥陀如来、法蔵比丘の昔、平等の慈悲に催されて、普(あま)ねく一切を摂(しゆう)せんが為に、造像起塔等の諸業を以て往生の本願となさず、唯、称名念仏の一行を以てその本願となせり。
(選択集)
 
田村:  そこで阿弥陀仏という仏は、これは昔法蔵菩薩・法蔵比丘という方が、四十八の誓いを立てられて、そして修行された結果阿弥陀如来になられたわけですけれども、その法蔵菩薩の時に願を立てる。願を立てる時に、「平等の慈悲に催されて」あらゆる人を平等に救っていきたいという慈悲の心をもって願を立てる。そうするとこういう卑賤・愚痴・小聞・破戒の人たちを、どうして救っていこうかということになるわけですね。「造像起塔等の諸業を以て往生の本願となさず」少ない少数の人しかできないお寺を建てたりというようなことではなしに、「唯、称名念仏の一行を以てその本願となせり」あらゆる貧乏な人であっても、口でお念仏を称えるということはできますね。それから愚かな人でもお念仏を称えなさいということで、口で念仏を称えるということはできますね。仏教をあんまり勉強したことがないような人でも、お念仏を称えればそれでいいんですから、ということで教えられれば、念仏を称えることができますね。幾ら戒律を破って悪いことをしたことがある人でも、お念仏を称えなさいよ、それだけで救われますよ、というと、これはできますね。それで平等に救おうという慈悲の心を持つと、こういう卑賤・愚痴・小聞・破戒という普通では救われないというような人を、どうして救っていくかということが問題になって、こういう人たちでも、あらゆる人ができることは口で念仏を称えるということなのだということで、仏は念仏をすればいいということを自分の誓いとして立てられたんだろうというのが法然上人のお考えなんですね。
 
草柳:  そうすると称名念仏、専修念仏、念仏を称えていれば救済に達するんだという法然の教えというのは、言ってみれば一種の宗教界の中だけで考えれば、奈良仏教に対する猛烈というか、大変な反旗を翻したというか、闘いを挑んだというか、
 
田村:  ほんとに宗教改革には、我々は現在からみると、別にたくさんの行をやったって、一つの行だってどうにもなるんじゃないかというような感じがしますけれども、とにかく奈良仏教も、いわば奈良仏教自身の足下を崩される。比叡山の仏教も、比叡山の足下を崩される。これは今おっしゃいましたように、専修念仏―専ら念仏をる。専仏だけに徹するという形になりますね。そうすると、これは一番影響を受けるのは庶民ですね。お金がなくても、こう働いているだけで勉強する時間がなくても救われる。それから武士もそうですね。武士だって戦争すればいつ自分が斬り殺される側に立つかも知れない。ただ念仏を称えればそれで救われますよ、というんですから、武士にとっても非常に大きな救いですね。それだけではなくて貴族にとってもやはりそうなんですね。最高の貴族であった藤原兼実(ふじわらのかねざね)という人が信者になりますし、貴族の中で非常にたくさんの信者ができる。こうしてただ念仏だけすればいいですよというのに、こう貴族から武士から庶民から雪崩を打ったように信者になっていくということになると、やっぱり既成仏教は非常に脅威を感じて、逆にいうとそれだけ大きな改革をやった、ということになるでしょうね。
 
草柳:  そしてまた法然の教えをさらに深めていく、深めていくというのが親鸞ということになるでしょうが、今日は親鸞の話は置いておいて、
 
田村:  一行を開いた方ということで、法然上人が鎌倉仏教の先駆者となったということになるでしょうね。
 
草柳:  それでその法然の後と言いますか、勿論行の考え方は別なんでしょうけれども、最初にお話になった道元(鎌倉時代初期の禅僧。日本における曹洞宗の開祖:1200-1253)ですね。この人はどうなんでしょうか?
 
田村:  道元禅師も、この人は大変頭のいい―頭のいい方という表現は具合が悪いかも知れませんけれども、もうほんとに若い時に―十五歳の時に、仏教学のもつもっとも基本的な行と学問との関係の問題というのを、ご自身の問題とされていったわけですね。それで天台教学では、〈本来すべては仏である〉ということを強調するわけですね。これは大乗仏教全体―浄土教を除けば大乗仏教全体がそういう考え方を持ちますけれども、〈もともとすべての人は仏である〉という考え方をもつわけです。仏なら修行なんかしなくたっていいじゃないか。何にもしなくたって初めから仏なんだから何にもしなくていいじゃないか、という考え方が出てくるわけですね。ところが実際にはそうはいかないということになりますね。やはり仏であっても、お釈迦様だってああやって坐禅をして悟られたじゃないですか。達磨大師だって、面壁九年と言って壁に向かって九年間坐禅をしたじゃないですか。お釈迦様なんか、我々すべてが生まれながらにして仏だというのは、お釈迦様はなおさらもともと仏だ。もともと仏であるお釈迦様がああやって坐禅をしていらっしゃる。達磨大師も坐禅していらっしゃる。どこでそういう坐禅が必要なのか。本来仏であるものが、何故修行が必要か、というので、若い時に持った疑問そのものが修行についての質問なんですね。修行と教理との矛盾というものを、どういうふうにして考えたらいいか。それをうまく考えられないと、おそらく道元禅師は自分がどうやって修行していいかわからない。修行するについての修行の意味というものを求めていったというのが、道元禅師の出発点であったということになるでしょうね。
 
草柳:  道元禅師が永平寺で曹洞宗を開いた人ですが、その有名な『正法眼蔵(しようぼうげんぞう)』というそこから一節抜きまして読んでみることに致します。
 
仏法には修証(しゆしよう)一等なり。いまも証上(しようじよう)の修(しゆ)なるゆえに、初心の弁道すなわち本証の全体なり。
(『正法眼蔵』弁道話)
 
田村:  それでそういう疑問をもって、いろんな人について教えを求めたようですね。そうすると、「本来本法性天然自性身(ほんらいほんほつしようてんねんじしようしん)」と言って、これは本来すべてのものは仏である。仏であるものが何故修行するのかということで、比叡山の中のお坊さんに聞いた。それから比叡山とその頃教団としては対立しているわけですけれども、園城寺(三井寺)の公胤(こういん)というお坊さんに聞いた。これは三井寺の公胤というお坊さんは、そういうことを聞いて「自分はそれの回答を知っている。どう返事をすればいいか知っている。天台教学の中での回答の仕方を知っている。知っているけれども、自分があなたにその回答を示しても、あなたはそれ満足しないだろう。だから栄西禅師のところへ行って聞いてみたらいい」ということで、栄西禅師のところへ行くわけですね。それからもう少し後になりますと、比叡山から出てしまって建仁寺(けんにんじ)という禅宗のお寺に入って、そこで坐禅をしますね。ところがそれでも悟れない。その解決ができないということで、中国まで行って、そして中国の最初は臨済宗のお坊さんに付くんですけれども、その後で曹洞宗(そうとうしゆう)の如浄(によじよう)(天童如浄:中国・宋の曹洞宗の禅僧である:1163-1228)というお坊さんについて、如浄の指導で悟りを得ることができたわけですね。その悟りが今そこに文章が出ましたように、「修証一等」ということなんですね。「修」は修行ですね。「仏法には修証(しゆしよう)一等なり」―「修」は修行、「証」は悟り。悟りと修行というのは一つのことなのだということですね。我々が仏教で常識的に考えれば、学問をして、修行した結果として悟りに入るということで、学問と修行は悟りへいく段階ということになるんでしょうけれども、そうではなくて、修行そのものが悟りなんだ。悟りと修行とは一体なんだ。坐禅をする時に、その坐禅というのは、悟るための坐禅ではなくて、坐禅をするということ自身が悟りの世界に入ることなのだ、ということですね。修と証と一等なのだ。ですから初めから仏であるもの、悟っているものも修行していかなければならないということになるわけですね。それで「いまも証上の修なるゆえに」悟りの上の修行だ。修行がこう悟りの上の修行であり、修行と悟りと一体なのだ。そこで「初心の弁道すなわち本証の全体なり」初心の弁道―初心のものが仏道を行ずる。坐禅を行うということが、そのまま本来悟りであるものの全体なのだ、ということで、ご自身の子どもの時からの疑問を解決されると同時に、曹洞の禅ということで、悟りを得て、それを日本に広めていくというようなことになっていったわけですね。
 
草柳:  禅で、つまり坐禅すること、そのことがもう既に悟りなんだ。
 
田村:  そうですね。一体なんだということですね。
 
草柳:  それではまたもう一つ文書を見ながらいきたいと思うんですが、
 
所以(ゆえ)に須(すべか)らく尋言(じんごん)逐語(ちくご)の解行(げぎよう)を休すべし。須(すべか)らく回光(えこう)返照の退歩を学すべし。身心(しんじん)自然(じねん)に脱落し、本来の面目現前せん。恁?(いんも)の事を得んと欲(おも)わば、急ぎ恁?(いんも)の事を務(つと)むべし。
(普勧坐禅儀)
 
田村:  これは中国からお帰りになって、最初に書かれた『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』という、それですから道元禅概説というぐらいの感じの書物の中の言葉で、大変難しい言葉を用いていらっしゃいますけどね。それで「所以(ゆえ)に」前から文章で続いてきているわけですけれども、「須(すべか)らく尋言(じんごん)逐語(ちくご)の解行を休すべし」これは「言」と「語」という言葉が入っていますけれども、「言語」―言葉を追い求めるということですね。言葉を追い求めるという世界というのは、これは学問の世界ということになるわけですね。言葉で表現されている学問の世界を勿論学問の世界だけではダメだということで、非常な学問をなさいますけれども、そういう学問の世界、言葉を追い求めていくというような「解行」ですね―理解と行と、それを休んで、そういうものを止めてですね、「須らく回光(えこう)返照の退歩を学すべし」自分自身のところへ光を戻してくる。自分自身を省みるというような―外に向かっていくのを進むということをすれば、自分に戻ってくるわけですから退歩ですね。自分自身のあり方、自分自身の修行というものを学んでいきなさい。こうして坐禅をしていくと、「身心(しんじん)自然(じねん)に脱落し」身体も心もひとりでに脱落していって、そしてもう空(くう)の境地の中に静かに坐っているということができるわけですね。こうして我々の煩悩というようなことを言えば、煩悩が自然に脱落する。「それからもう私は身体も心もそのまま脱落して一切皆空(いつさいかいくう)、空空雀々(くうくうじやくじやく)の境地に住するということになるんだろうと思うんですね。そうするとそこで「本来の面目現前せん」人間の持っている本来の姿。本来すべては仏であるという姿がそこで現れてくる、ということでしょうね。「恁?(いんも)の事を得んと欲わば、急ぎ恁?(いんも)の事を務むべし」恁?(いんも)の事というのは、結局真理そのものというふうに言っていいでしょうけれども、真理そのものを得ようと思うならば、真理のことを務むべし。坐禅をしなさいよ。坐禅をすること自身が、真理を明らかにすることであるし、自分が真実そのものの中に住することでありますよ、ということになるわけでしょうね。
 
草柳:  この時代の人たちって、とっても難しい言葉を使うんで、今先生の解説・説明をお聞きして漸くわかった次第なんですけれども、特に『正法眼蔵』というような本はとっても難しいですね。
 
田村:  難しい本ですね。
 
草柳:  今言っていることというのは、要するに徹底して坐禅をしなさいと。
 
田村:  そうです。坐禅するということ自身が悟ることであり、悟りがそのまま坐禅である。ですから朝から晩まで坐禅に徹していかれた方ですね。中国にいる時も如浄禅師のところで坐っている時に、もうこうちょっと変な話ですけども、お尻の皮が薄くなって、坐禅をし過ぎて、それでお尻から血が滲むというような坐禅をされたようですね。
 
草柳:  それくらい一つの行を徹しなさいということを縷々述べているわけなんですが、もう一つ『正法眼蔵』から、いわば今の結論みたいなことですね、それをまたお読み致します。
 
仏道の大道、かならず無上の行持あり、道環(どうかん)して断絶せず、発心(ほつしん)・修行・菩提・涅槃・しばらくの間隙あらず、行持道環なり。・・・
このゆえに、諸仏諸祖の行持によりて、われらが行持見成(げんじよう)し、われらが大道通達(つうだつ)するなり。われらが行持によりて諸仏の行持見成し、諸仏の大道通達するなり。われらが行持によりてこの道環の功徳あり。
(『正法眼蔵』行持)
 
田村:  これは面白いですね。ほんとの坐禅をなさった時の感じがそのまま出されている言葉なんだろと思いますけれどもね。「仏道の大道」仏の道というのは、必ず無上の行持あり。「無上」というのは、上が無いと書きますけれども、最高のそれ以上のものは無いということで、最高のということですね。仏道の大道には必ず最高の修行と、そして修行によって真理を保っていくという、悟りを保っていくということがあります。「道環(どうかん)して断絶せず」道がグルグル巡って断絶することがありません、というわけですね。発心する。これは悟りを求めようという心を起こす。そして修行する。菩提―悟りに到達する。涅槃に到達する。こういう発心、修行、菩提、涅槃というようなものは、しばらくの間隙あらずで、もう離れたことがなくて、もう全部一体になって巡っているんだ、というようなことが前半に書いてあって、後半は今度、仏のお蔭で我々が悟ることができる。逆に我々のお蔭で仏が仏であり得る。我々と仏の間は、悟りががグルグル廻っているんだ、というような言葉をおっしゃるわけですね。「このゆえに、諸仏諸祖の行持によりて、われらが行持見成(けんじよう)し」我々が坐禅をした時に、坐禅によって悟りの世界に住することができるというのは、これは仏様がそういう道を開いてくださった。仏の教えにしたがって、仏がそういう坐禅の行持をなさったから我々が行持が見成する。実際に実現して、「われらが大道通達(つうだつ)するなり」私たちの大きな悟りの道というのが完全に達成されるんだというわけで、これはまあどちらかというと常識的なんですね。その逆のことを考えていらっしゃる。「われらが行持によりて諸仏の行持見成し」私が修行することによって、仏の修行ができあがるんだ、というわけですね。我々だってそうですよね。草柳さんと私と話をしている。一生懸命話をしていますね。そうすると聞いてくださる方がある。我々が話をしているから聞いてくださる。ところが逆に聞いてくださる方がいらっしゃるので、我々が話していられるんですね。我々が話をしているということは、聞いてくださる方のお蔭なんですね。諸仏と道元禅師との間も、道元禅師がそれで仏の教えに従って坐禅し修行するから、そこで仏の修行も完成するんだ、できあがるんだというわけですね。「諸仏の大道通達するなり。われらが行持によりてこの道環の功徳あり」私たちが修行することによって、仏のお蔭で修行できる。我々の修行のお蔭で仏が仏となり得る、というこう道がグルグル廻っているという考え方なんでしょうね。私は、これは素晴らしいことだというふうに思いますね。実際にそういうことを感じていらっしゃったんでしょうね。
 
草柳:  今のこの辺のところは、やっぱり道元禅師の道元禅師たる所以と言いますか、非常にユニークな考え方なんですか?
 
田村:  そうだと思いますね。やっぱり行に徹した中から生まれてくる考え方なんでしょうね。
 
草柳:  それは自分でそういう境界(きようがい)に達しないとなかなか言えない言葉なんでしょかね。
 
田村:  そうなんだろうと思いますね。
 
草柳:  もう一人、一行に徹した人ということで、最初に名前が挙がりました日蓮。日蓮さんの一行というものはどういうものだったんでしょうか?
 
田村:  日蓮聖人は、天台教学というものをもっともストレートにそのまま受け継いで活かしていった方なんですね。日蓮聖人はこうおっしゃるわけですけれども、「仏教と仏教以外のものとを比べると、仏教が勝れている。仏教の中でもいわゆる小乗仏教と大乗仏教を比べると、大乗が勝れている。大乗仏教の中でも、『法華経』と『法華経』より前に説かれた教典と比べると、『法華経』が勝れている。『法華経』の中でも、前半に書かれている迹門(しやくもん)という部分と後半に書かれている永遠なる仏という思想ですけども、永遠なる仏という思想とを比べると、永遠なる仏という思想が勝れている」というふうにおっしゃるんですけども、その後もう一つあるんですね。これは「永遠なる仏ということで、『法華経』の文章に書かれている、いわば表面のことよりも、文章の底に沈められている観心(かんじん)―心を観るというわけですけれども―観心というのが一番勝れているんだ」というふうに言うわけですね。我々だってそうですけども、なんか本を読んだ時に、ただ本を読んで〈ああそうですか〉というだけでなしに、やっぱり自分の生活の上に、読んだことを活かしていく。それから仏教ですと、本に書いてある、お経に書いてあることを、自分に当て嵌めて、自分の心の中に、心について書いてあることを反省していく、というのが最高なんですね。ですから天台教学というのは、教理をかえていっても最後は「観心」というんですけども、自分の心を観る。その教理に当て嵌めて自分の心を観察していく、ということが最後にありますし、それからまた逆に言いますと、そういう修行から教理体系が作られるわけですね。ただ単なる理屈で教理体系ができるんじゃ無くて、修行のあり方から教理の体系が作られていく。逆に教理の体系を突き詰めていくと、観心という世界に到達するわけですね。その最後に至り着く観心というのが、本門の観心というのが、即ち唱題を称えることだ。「南無妙法蓮華経」というふうに称えることなんだということで、観心を―天台だと諸法実相とか、永遠なる仏にすべてのものの本質を見るというようなことで、自分の心を観察していくわけですけれども、それを「南無妙法蓮華経」というお題目を称えるという一行の中に全部そういう功徳が含まれているんだ、というふうに考えていらっしゃるところが、天台からやはり日蓮宗というのは独立した所以だということになるでしょうね。
 
草柳:  じゃその観心について書かれた日蓮の言い方を、これで見てみたいと思うんですが、
 
一念三千(いちねんさんぜん)を識(し)らざる者に、仏、大慈悲を起して五字の内に此の珠を嚢(つつ)み、末代幼稚の首に懸(か)けさしめたまう。
(観心本尊抄)
 
田村:  それで天台では、「一念三千」ということを言いまして、それで我々の一念、ちょっとした心の働きの中に、「三千の法」というのは、あらゆる法、あらゆるものということなんですけども、あらゆるものを具えているということで、「一念三千」ということを修行の眼目にしていくわけですね。ところが「一念三千」というのはなかなか難しい教理なんですね。それで「一念三千を識らざる者に」―「一念三千」ということを知らない者に「仏、大慈悲を起して五字の内に此の珠を嚢み、末代幼稚の首に懸けさしめたまう」ということで、それで「一念三千を修行するという代わりに、「妙法蓮華経」というお経の文字の中に、「此の珠」というのは、一念三千をここでは珠に喩えているわけですけども、珠をつつんで我々末代幼稚の者に首に懸けさしてくださった、というわけですね。それで「妙法蓮華経」というお経の題は、これは妙なる法―法というものは、仏教の中にいろいろな法がありますね。「妙法」という言葉を言っただけで、仏教の法は全部その法の中に入ってしまう。それからその中で妙なる法―素晴らしい法というと、仏教の中にもいわゆる小乗仏教みたいな、あまり勝れていないものと、それから勝れた素晴らしい法というのがあるということですね。これは天台教学は、その妙法と妙法でないものとはどこが違うか、ということを非常に細かく細かく検討していって、大きな天台大師はお書きになるわけですね。ところが大きな法を勉強して、そういうものをよく悟って、自分のものにしていくというのは、これはなかなか専門家でないとなかなか難しいということになりますね。それでお釈迦様は、「妙法蓮華経」というお経の題目の中に、そういうものを全部入れて纏めてくださっている。「妙法」という言葉一つの中に、あらゆる仏教のすべての法が全部纏められているんだ。お題目を称える時に、『法華経』の中に書かれているあらゆる釈尊の縁起だとか、永遠なる仏の功徳というようなものが、全部そのお題目の中に説かれていて、お題目を称える時に、そういうものが全部我々に譲り渡されるんだ、というようなことをおっしゃっておられるわけですね。
 
草柳:  日蓮聖人にしても、それから法然、道元を今見てきた。その他にもたくさんいらっしゃいますけども、日本の仏教のとっても大きな特徴の一つとして、「一行に徹する」ということのお話が、今日は中心だったわけですが、じゃ最後に日本の仏教がどうして一行に徹する、一行こそがという方向に向かっていったというのは、先生はどういうふうにお考えなんですか?
 
田村:  私は、学問中心の時代ですと、お経を読んで、このお経をどうして実現するかということになるでしょうけれども、学問中心から行中心に移っていった。どの行によって悟りを得られるか。どの行によって救済が得られるか。安心(あんじん)が得られるかというところで、学問から行への徹底した姿というのが一つの行に徹するという形になって現れているんじゃないかというふうに、私は思うんですけどね。日本仏教、いろいろな教理の面でいうと、最初にお話したような、果分(かぶん)への直入(じきにゅう)とかいうようなことを思っておりますけども、あるいは一乗思想とか、行の面ではこれが日本の仏教の特色なんだろうというふうに考えております。
 
     これは、平成十年十二月二十日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである