仏教を生きるI浄土へのあこがれ
 
                       東洋大学教授 田 村(たむら)  晃 祐(こうゆう)
                       き き て  草 柳  隆 三
 
草柳:  「仏教を生きる」の十回目になりました。仏教ではこの世の中、この世を煩悩の世界、煩悩に塗れた世界だというふうにしております。仏教の教えるところでは、その煩悩を如何にして乗り越えて清らかな悟りの世界に入るのか、入っていくのか。それが仏教の基本的な教えであると同時に、かつ究極の目的でもあったわけですが、日本の仏教界においては、この浄土、清らかな世界といったものをどういうふうに受け止めていたのか。今日は「浄土へのあこがれ」というふうに題しまして、いつものように東洋大学教授の田村晃祐さんにお話を伺ってまいります。先生、今日もよろしくお願い致します。
田村:  どうぞよろしくお願い致します。
 
草柳:  今日は、「浄土へのあこがれ」ということなんですが、浄土と言いますと、阿弥陀仏ということをすぐ思い浮かべるんですが、浄土と一口に言っても、それは一通りの浄土ではなくて、いろいろあるということなんだそうですね。
 
田村:  浄土、清らかな世界というのは、実は仏様の世界が清らかな世界だということになるわけですね。ですから例えば薬師仏という仏様がいらっしゃると、その世界を「瑠璃光浄土」というようなことで言いますし、それから例えば大日如来という仏様がいらっしゃると、その世界を「密厳(みつごん)浄土」というふうにいうわけです。それですから、浄土というのはたくさんありまして、言うならば普通名詞なんですけれども、それを我々が普通に「浄土」というと、阿弥陀仏の極楽浄土を指すというように固有名詞として使われるということになるわけですね。ただ阿弥陀仏の世界というふうに言いましても、そこへどういうふうにして往生することができるか。その世界をどういうふうに考えていくかということになると、実はいろいろな考え方がありまして、非常に豊かな内容を含んでいるわけですね。これまでいろいろな題のもとで、例えば法然上人とか親鸞聖人とかというような方の考え方・教えというようなものを紹介してまいりましたけれども、それ以外にも浄土の思想というのは非常にたくさんありますので、そういういろいろな面での浄土の思想というものをちょっとお話してみたいというふうに思っているわけです。
 
草柳:  今日のお話の中心がそれになるわけですね。
 
田村:  はい。それで浄土の思想というと、その中心になるのは『無量寿経(むりようじゆきよう)』『観無量寿経(かんむりようじゆきよう)』『阿弥陀経(あみだきよう)』というお経がありまして、これを普通「浄土の三部経」というように呼んでおりまして、浄土教の中心の経典というふうに考えているわけです。その他の経典の中に書かれておりますけれども、『無量寿経』というのは大体が「阿弥陀仏という仏はどういうふうにして阿弥陀仏という仏になったのか」というので、阿弥陀仏になる以前からとの関係で、法蔵比丘とか法蔵菩薩というんですけど、その菩薩が四十八の誓いを立てて、その結果修行して仏になった。従って阿弥陀仏というのは、どういう性格の仏かというと、その四十八の誓いを見ればわかるということになるわけです。それから『観無量寿経』というのは、「無量寿」というのは仏様の名前なんですね。これはその次ぎに『阿弥陀経』というのがありますけれども、「阿弥陀仏」というのと「無量寿仏」というのは同じ仏様を指しているわけです。「阿弥陀仏」というのは、「アミターユス」とか 「アミターバ」というインドの言葉が、「アミタ」という部分だけの発音を写しただけのことですし、「無量寿」というと、その内容を意味をとって訳したものが「無量寿」というようなものになります。これは「無量寿」と「無量光」と二つあるんですけども、従って「観無量寿」というのは、無量寿仏―阿弥陀仏という仏を観るお経というので、その見方が書いてあるということになるわけですね。それから阿弥陀仏というのは、極楽浄土の様子、それから阿弥陀仏の様子などを記しまして、衆生が往生するにはどうすればいいか。みな阿弥陀仏の説いてあるお経を信じていくように、というようなことが説いてある教典なんです。
 
草柳:  今おっしゃった三つが代表的な「浄土三部経(じようどさんぶきよう)」と言われる、その阿弥陀仏を説いたものというふうに見ればいいわけですね。
 
田村:  そうですね。
 
草柳:  後はじゃその往生するための方法の違いがあるとおっしゃっておられましたですね。
 
田村:  そうですね。大体こういうお経の中で、奈良時代とか平安時代に、主として用いられたのは『観無量寿経』無量寿仏を観るお経という方法なんですね。鎌倉時代の法然とか親鸞というような人は、無量寿経というお経を中心にしていくというので、まあどういう経典を主に用いるかということで、また時代の流れというのが出てくるわけですね。
 
草柳:  今日のお話の中心になるポイントというのは、今おっしゃったどれになるわけですか?
 
田村:  そうですね。前半のことは『観無量寿経』というのが中心になりまして、『観無量寿経』というのは、その当時インドで起こった悲劇と言いますかね、王舎城(おうしやじよう)というところで、子どもが父親を牢屋に閉じ込めて何も与えずに殺してしまおうとする。そうすると、お母さん、いわば皇后さまが心配してこっそり食料を運んで行って、それがばれてお母さん自身も王宮に軟禁されるというようなところから始まりまして、それで母親であるイダイケ夫人(ぶにん)(韋提希)という人が、自分の危機を覚って、それで宗教に救いを求める。そうすると、お釈迦さまがそこへ現れて、「定善(じようぜん)」というのと、「散善(さんぜん)」というのと、両方の浄土への生まれ方がある、ということでお説きになる。定善と散善というのが教えの中心になるわけですね。
 
草柳:  今「定善十三観」「散善九品」と出ていますが、「定善」、それから「散善」というのは、これはどういう違いがあるんですか?
 
田村:  「定善」というのは、定まるという字を書きますけれども、これは禅定ですね、坐禅をするわけです。禅をして十三通りにわたって、「観」は観(み)るで、浄土の姿とか、あるいは仏の姿などをいろいろ心に観察していくということになるわけですね。それで最初は落日の光景―浄土というのは西の方にあるというものですから、落日の光景―太陽が沈んでいく光景を見ながら、その沈んでいく光景が目を瞑(つむ)っていても心の中で思い出せるようにしていくというようなこととか、透き通った水が氷のようなところを空想して浄土の世界というのはそういう透き通った氷のような世界で、自由自在にその中を光が反射して美しい世界だ、というようなことを観察しまして、この世との関連で浄土の姿を考えていくところから、だんだん浄土自身の姿、美しい木があるとか、素晴らしい御殿があるとか、その中で仏様が今説法していらっしゃるとかというようなところにだんだん入っていくわけですね。それから今度阿弥陀仏の姿を観察する。心にジッと思い浮かべる。それから観音菩薩とか、勢至菩薩の姿をジッと心の中で思い浮かべる。それから自分が浄土へ生まれた時のことを空想してみるというようなことですね。ジッと心を一点に集中しながら浄土の姿というのを観察していくというので、これは「観察」と書いて、仏教では「かんざつ」というような読み方をしておりますけれども、「観察(かんざつ)」とか、あるいは「観念の念仏」というようなことで呼んでいるわけです。
 
草柳:  つまりできるだけ雑念というか、そういったものを一切払い除け払い除けして一心に観察するというのが、それが定善だと。
 
田村:  定善ですね。そうすると、次ぎに書いてある「散善」というのは、「散」は散るという字を書きますけれども、「定」という方が精神を集中してやる。それに対して、「散」は精神がバラバラで一点に集中できないような人が、いわゆる仏教的な善を行うというのが散善ということなんです。これは九種類に分かれておりまして、大体大きく「上品(じようぼん)」「中品(ちゆうぼん)」「下品(げぼん)」と三つに分かれて、それぞれが「上生(じようしよう)」「中生(ちゆうしよう)」「下生(げしよう)」というので、三つに分かれて全部で九種類に分かれるということなんですけれども、その一番上のもの、「上品上生(じようぼんじようしよう)」上の上というのは、前から出ておりました「至誠心(しじようしん)」「深心(じんしん)」「回向発願心(えこうほつがんしん)」という、「至誠心」というのは誠なる心、誠に心の底から仏を信じていく心。「深心」というのは、深く信ずる心。それから「回向発願心」というので、そういうことをもって浄土の世界へ生まれていきたいという、これは信仰ですね。信の心の内容、そして実際何やるかというと戒律を厳重に守って、六波羅蜜を行事じて、というようなことで、やる内容は特別浄土教でなくても一般の仏教でやっているようなことを行うことによって、来世、浄土へ生まれていきたいというのが「上の上」の生き方ということになるわけですね。そらからだんだん善の程度が下がってくると言いますか、最後の「下の下」ということになると、これは一生悪を造り続ける。悪いことばっかりする。悪いことをすると、これは常識的な仏教、普通の仏教からいうと、この世で善いことをした人が極楽浄土へ生まれることができる。だけどもこの世で悪いことをした人は、来世は地獄へ堕ちる、というのがまあ普通の考え方ですね。ところが普通なら地獄へ堕ちるような一生悪を行い続けた人でも、臨終に際して、〈あなた、念仏を称えなさいよ。お念仏を称えていけばそれで極楽浄土へ生まれることができるんだから〉ということで念仏を称えると、それだけでも浄土の世界へ生まれていくことができるというようなことで、そういうことを実行するようにということをはかっているわけですね。
 
草柳:  往生の方法にもさまざまなレベルがある。それと時代の流れというか、時代によっても、やはりどういうふうな往生の仕方があるんだよというその捉え方というか、受け止め方というのは、時代の中でも随分違ってくる。
 
田村:  そうですね。先ほど申しましたように、奈良時代とか平安時代はそういう「定善」というのが中心だったというふうに思うんですね。例えば当麻寺(たいまでら)に「当麻曼荼羅(たいままんだら)」という浄土の絵を描いたものがあります。絵を描くということ自身が阿弥陀仏を心に思い浮かべるということの方法でしょうし、そして絵の中で縁取りがしてありまして、向かって左側には『観無量寿経』の序文の王舎城の悲劇が描いてあって、そして右側には定善の姿が描いてあって、下に散善が描いてあるというようなことで、『観無量寿経』の場面が周りに描いてあるものですから、これは『観経』(『観無量寿経』の略)中心だということがわかりますですね。それからいろんなものがありますけれども、例えば宇治の平等院の鳳凰堂(ほうおうどう)(1053年建立された阿弥陀堂)なんていうのは、平安時代に建てられますけれども、ああいうものもできるだけ浄土の姿をこの世に再現したいということで、浄土には美しい池がある―池が前にありますね。そして美しい御殿がある―素晴らしい美しい建物を建てますね。それから中で阿弥陀仏が説法していらっしゃる。素晴らしい阿弥陀仏が安置してありまして、そして天女が舞って笛を吹いたり、いろいろ音楽を奏しているというようなところですね。ああいう姿で『観経』に書いてある浄土の姿をこの世に再現しようとしたということになるわけですね。それから鎌倉時代でいうと、例えばよく知られているものに鴨長明(かものちようめい)が方丈というのを建てて『方丈記(ほうじようき)』を書いたということがありますけれども、あれも西の方が晴れていて、「観念の便りなきにしもあらず」というんで、観念というのは、今言った定善のことですね。それで定善の最初に、西の方の落日の光景を見るというので、西の方が開けていて、落日の光景が見られるようなところに鴨長明は方丈を建てたわけです。ですからそういうものに一貫してやはり『観無量寿経』の考え方というようなものが用いられているということになるわけでしょうね。
 
草柳:  源信(げんしん)(恵信僧都源信:942-1017)というお坊さんがおられますね。あの人の著作の中に『往生要集』というのがございますが、その源信もその『往生要集』の中で、往生の方法と、往生ということについて非常に事細かく書いていらっしゃる。
 
田村:  そうですね。鴨長明なんかも方丈の中に、自分のところに『往生要集』を置いておくわけですね。その他でもいろんなところで『往生要集』が出てきますけれども、源信という人は、往生―極楽に生まれるというための要―主要な文章を集めて本を書いたわけですね。これは最初の方は地獄の姿が非常にリアルに書かれているというので、あれを読むと、こういう地獄が来世あるならばもうこんなところに堕ちたらとんでもない、大変だという気持ちを起こさせて、そしてそれから地獄だけではなくて、前の世界全部書いてあるんですけども、極楽の姿が書いてある。そうすると、やっぱり極楽へ生まれていかなければ来世大変だということを思わせるような仕組みになっていて、そして極楽へそれでは生まれるためにはどうすればいいか、ということが書いてあるわけです。これが「五念門(ごねんもん)」と言いまして、インドで天親(てんじん)(一般には世親(せしん)という訳名がよく用いらている)という人が書いた『浄土論』、それから中国で曇鸞(どんらん)という人が、それに注釈をしますけれども、その中に書かれている「五念門」と言いまして、五つの念仏の門(「五念門」とは、「礼拝門」「讃嘆門」「作願門」「観察門」「回向門」の五つをさす。なかでも浄土を観想する「観察門」が中心で、十七種の国土荘厳・八種の仏荘厳・四種の菩薩荘厳よりなる)。我々は普通法然・親鸞の系統の念仏が盛んなものですから、「念仏」というと、口で「南無阿弥陀仏」と称えるのが念仏だと思っていますけれども、そうではなくて、そういうところでは仏様の前へ行って手を合わせて礼拝するのも念仏だ。それから「南無阿弥陀仏」と称えるのも念仏だ。それから今度浄土へ参りたいと願うのも、先ほど言いましたような観察をするのも、回向するのもみんな念仏なんだということが書いてあるんですけども、その中で中心になるのが「観察」ということなんですね。これはもともと天親なんかでは「三厳二十九種荘厳(さんごんにじゆうくしゆそうごん)」と言いまして、阿弥陀仏という仏様と極楽の国土と菩薩と三種類にわけて観察していくんですけども、それを源信僧都なんか仏だけに絞ってきているわけですね。仏の姿を観察する。その観察の仕方も「別相観(べつそうかん)」と言って、四十二通りに仏の細かな頭がどうなっていて、何がどうなっていて、白毫(びやくごう)どうなっていてというような細かな特徴を四十二通りに分けて、頭の頂上から足までズーッと観察していくというようなことと、それから「総相観(そうそうかん)」と言って、仏の全体的な姿をこう思い浮かべるというのと、それから最後に「雑略観(ぞうりやくかん)」というんですけども、他には眉と眉の間に白毫というのがついていますですね。ここから光が出るというわけです。この仏の光を観察するというようなことが書いてありまして、こういう観察中心というところで定善の系統というと、まあ定善の系統ということになるんでしょうね。
 
草柳:  要するに「観想の念仏」ということなんですか?
 
田村:  そうですね。この「観想念仏」と、もう一つ「別時念仏」というのが書いてありまして、「別時念仏」というのは、特別な時の念仏というので、これは一つは日にちを決めて念仏を行うわけですね。一日でもいい、二日でもいい、三日でも、七日でもいい、あるいは長ければ九十日でもいい。それからもう一つは、臨終―死ぬ時の念仏というのが特別な時の念仏なんですね。そういうものを実際に実践する団体ができたわけですね。これは「二十五三昧会(にじゆござんまいえ)」と言うんですけれども、これは主として中級・下級の貴族たちが加盟していたというんですけども、それに留まらなくて、天皇なんかも入っているようですけどもね。毎月十五日に集まって、午前中は法華経を唱え、それから午後念仏を唱える。毎月念仏を唱える会をしている。その中で誰か会員が病気になって死にそうになると、そうすると他の会員が交代で看病してあげる。ほんとに死ぬという時になると往生院という建物を造っていて、そこへ移して看病しながら、実際に亡くなると周りの人がみんなで念仏を唱えて、亡くなる人自身が念仏を唱え易いようにして一緒に念仏をしながら来世へ送ってあげるというような、そういうような会が実際にできたようですね。
 
草柳:  面白いですね。今言った源信僧都というのは、天台宗の人ですよね。そうすると、天台宗の中で源信僧都の跡を引く僧侶たちの中に、今の源信僧都の『往生要集』をさらに普遍していくというか、発展させ展開させていくという考え方も出てくるわけですか?
 
田村:  そういうのも出てきますね。それからやっぱりそういうものから法然とか親鸞が出てくるというようなこともありますね。『往生要集』には頑魯(がんろ)の者の念仏―「頑(がん)」は「頑(かたく)なな」という字で、「魯(ろ)」は「愚かな」愚かな者の念仏というようなことも書いてありまして、そういう者の流れが口で念仏を唱えるというような形になって発展していくということになりますね。天台宗というのは、どんなものでも全部包容するという性格がありますから、それで天台には実は天台独自の念仏の考え方というのがもともとあるんですけども、そういうものとはまたちょっと離れたところで源信の『往生要集』というようなものも出てくるということになりますね。
 
草柳:  「常行三昧(じようぎようざんまい)」という言葉がありますでしょ。あれは天台の教えですか?
 
田村:  これは天台のもともとの修行論の中に書いてある念仏の仕方なんですね。それで常行三昧というのは、九十日間期限を切って、そしてその間は原則としては眠らずに念仏を称える。しかも念仏を称えながら、静かに阿弥陀仏の仏像の周りを回って歩くわけですね。そういう念仏で、これは今でも比叡山で行っている人がおりますですね。比叡山の西堂に「荷い堂」というお堂がありまして、それが二つのお堂が結び付けられているんですけども、一つが常行三昧堂で、今でも常行三昧をやっている方がいらっしゃいますですね。
 
草柳:  念仏三昧という感じなんですね。
 
田村:  そうですね。
 
草柳:  それをよりこう深めていったというのが、平安の末期の良忍(りようにん)(平安時代後期の天台宗の僧で、融通念仏宗の開祖:1073-1132)という人だという話なんですね。
 
田村:  この方はまた非常に面白い方ですね。若い時比叡山へ入るんですけども、やっぱり比叡山が堕落しているんでしょうね。それで隠遁の志を起こして比叡山から出て行くとうことになるわけですね。そして大原というところに籠もりまして、念仏三昧の日を送るということになるわけです。そうすると、どこまでが事実かよくわかりませんけれども、のちの伝記に依りますと、四十六歳の時に、阿弥陀仏が目の前に現れて一つの新しい教えを説いてくださったというんですね。それが「一人一切人」云々というんですけれども、これは仏教全体で、「一即一切」一つのものとすべてのものとは一体だという気持ちがあるんです。その「一即一切」というものを、念仏の世界に生かしていった形が融通念仏ということになるわけですね。
 
草柳:  これがそうですね。
 
一人一切人 一切人一人
一行一切行 一切行一行
是名他力往生
十界一念 融通念仏
億百万遍 功徳円満
(良忍『融通円門章』)
 
田村:  それで「一人一切人」というのは、この間に「即」が抜けているんですね。こういう偈頌の形にするために抜かしているんでしょうけども、一人の人と一切の人とは一体である。即である。一切の人と一人は即である。一体である。一つの行と一切の行は即である。一体である。一切の行と一行は即である、ということですね。一人の人とすべての人とは一体なんだ。「一行」一つの行―この場合は念仏の行、「南無阿弥陀仏」と称える念仏の行を意味しますけども、一回念仏の行を行う、称えると、それがあらゆる念仏の行と一体なのだということになるわけですね。それですから一番極端なことを言えば、一人の人の称える一回の念仏の行というものが、あらゆる人の称える、あらゆる念仏の行と一体なのだ、というわけです。それですから一人の人の称える一回の念仏の中にすべての人の称えるすべての念仏の行の功徳がそのまま入っている。一つなのだ。これを他力往生と名づく。これは「他力」他(ほか)の力というと、親鸞なんかでは「他力」というと、必ず「仏様の力」ということになりますけども、この場合の「他力」は、あらゆる人の称える、あらゆる念仏の行を「他力」というわけですね。私の一回の念仏の中にすべての人のすべての行の、即ち他の人の力が籠もっていて、それで無限の力が籠もっているから往生できる、という考え方ですね。「十界一念融通念仏、億百万遍」こうして、一度の念仏、一回の念仏というのは、億百万遍という一切人の一切の行の念仏と融通しあうというわけですね。溶け合って一つになる。そこで「功徳円満」完全なる功徳が一度の念仏の中に籠められていて、それでどういう人でも念仏を称えれば、そこでもう浄土往生が決まる、という考え方ですね。これは良忍という人が悟ったということですけれども、この言葉が実際に出ているのは、江戸時代に書かれた大通融観(だいつうゆうかん)という人の書いた『融通円門章』という本の中に書かれておりまして、江戸時代に書かれると、これがどこまでが事実かというのが問題になりますけれども、古い時代のものでもやはり融通念仏という、「融通」という言葉は出ているんですね。ですからここに書かれているような整った形であるかどうかはよくわかりませんけれども、とにかくそういう一人の人の一回の念仏と、あらゆる人のすべての念仏と融通して円満なる完全なる功徳を具えているという考え方は、やはり良忍あたりに出てくるということになるんでしょうね。
 
草柳:  良忍の今おっしゃったそういう考え方というのは、そこに示されている浄土、浄土信仰の一番大きな特徴というかポイントは何になるわけですか?
 
田村:  やはり大乗仏教の「一即一切」という「空(くう)」の考え方を、念仏という具体的な方法の上に生かしていった、というところに非常に大きな意味があって、常行三昧の一つの大きな発展の仕方ということになるんでしょうね。
 
草柳:  そうやって日本の仏教の中では、その阿弥陀仏一仏への信仰というものがどんどん深まっていくという、こういう流れになるんですか?
 
田村:  そうですね。
 
草柳:  いろいろな人がいますけれども、その中で端的な例と言いますか、時代はちょっと下がりますけど、鎌倉時代に入ると、そういった人たちがたくさん出てくると。その中で先生は先ず真っ先に誰をお挙げになりますか?
 
田村:  やはり鎌倉時代の浄土教の方というと、法然上人とか、親鸞聖人という方が、ただ口で念仏を称えればいい。ただ口で念仏を称えればいいというのは、これは良忍なんかの実践の仕方と共通するもの、それを受けているということになりましょうけれども、良忍なんかは、今言いましたように、「他力」と言っても、他の人の力という意味ですね。それを法然、親鸞は、〈仏の力、阿弥陀仏の力によって往生できる〉ということで、〈すべてを阿弥陀仏に帰する〉というような考え方が展開していきまして、これが浄土教の中ではもっとも大きな教団を形成していきますから、日本人の中で一番多く取り入れられた考え方、日本人を多く救った考え方ということになりましょうね。ただその後で、いわば鎌倉時代の仏教の、いわば最後を飾る人として一遍上人(いつぺんしようにん)(「一遍」は房号で、法諱は「智真(ちしん)」。鎌倉時代中期の僧侶。時宗の開祖:1239-1289)という方がいらっしゃいますね。
 
草柳:  その一遍にしても、それから例えば空也(くうや)上人(平安中期の僧。空也念仏の祖。諸国を巡歴して南無阿弥陀仏の名号を唱え、教化に努めながら道・橋・寺などを造り、市の聖(いちのひじり)・阿弥陀聖(あみだひじり)とよばれた。京都に西光寺(のちの六波羅蜜寺)を建立:903-972)がいますね、ああいう人たちにしてもどんどんこういった人たちというのは民衆の中というか、一般の世間の中に、社会の中にどんどん入り込んでいった形のようですね、伝記なんかを見てもね。
 
田村:  今空也上人とおっしゃいましたけれども、空也上人というのは、大体平安の中期に出ましてですね、源信より同時代のちょっと先輩というぐらいの方なんですね。この方は天台の人ですけれども、諸国の有名な修行の霊場なんかを廻って修行しようとしてですね、いろんなところを廻っていらっしゃる。そうすると、道端に死体がたくさん放置されているというんですね。それを憐れに思って一箇所に集めて荼毘にふして、そして念仏を称えて回向して埋葬していった、というようなことをなさったわけですけども、その念仏を称えるということを中心にして、これを全国に広めようということで、各地を廻って念仏を広めていったわけですね。
 
草柳:  浄土の教えというのは、日本には奈良時代の頃から入ってきているわけですから、今の空也上人のように、言ってみれば一遍の大先輩という形になるんでしょうけれども、そういう人も出ていた。これからお話頂く一遍上人なんですが、一体どういうお坊さんだったんですか?一遍という人は。
 
田村:  一遍という人は、四国の松山に生まれますね。河野(こうの)という士族に生まれるわけです。河野という士族は、四国辺りの水軍の総帥なんですね。それで源平の戦の時には、源氏に就くわけです。そうすると源平の戦は、宇治川の戦い、一ノ谷の戦い、屋島の戦い、最後壇ノ浦の合戦でということに瀬戸内海を中心とする水軍の戦いになっていくわけですね。そうすると河野氏が源氏に就いたというので、非常に源氏としてはそれが戦いに勝つという時の大きな要素になったんでしょうけども、北条氏の娘を河野氏に与えるわけですね。従って源頼朝と義兄弟というような関係になるでしょうね。非常に大きな影響力のあった士族なんです。ところがその後に起こった承久(じようきゆう)の変(鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた兵乱)では、上皇方に就くわけですね。源氏と京都側と戦争した。そうすると河野氏は上皇方に就いた。そうすると負けた方ということになりますので、士族としては非常な苦難の状況に追い込まれるということになるわけでしょうね。それで一遍は、お父さんもお坊さんになったようですし、それから十三歳の時、九州へ行きまして、九州の太宰府(だざいふ)で浄土教の勉強をするわけです。これは法然のお弟子の中の西山派(せいざんは)というのがあるんですけども、その派の聖達(しようたつ)とか華台(けだい)とかいうような人について浄土教を勉強するわけですね。ところが今度故郷でお父さんが亡くなったというので、故郷へ帰って来て、一旦家を継ぐんですけれども、その後でまたお坊さんとしての生活に戻っていくというようなことになるわけですね。
 
草柳:  かなり波乱に富んだ時代を過ごしてきるわけですね。時代が時代ですからね、あの頃は。
 
田村:  はい。置かれた地位ということからも、なかなか難しい地位に置かれたということになるんでしょうね。
 
草柳:  その一遍のお書きになったものを紹介をしてお話を進めていきたいと思うんですが、
 
十劫(じつこう)正覚(しようかく)衆生界
一念往生弥陀国
十一不二証無生
国界平等坐大会(だいえ)
 
これはどういう意味なんでしょうか?
 
田村:  それで一遍という人は家を継いだ後で、三十三歳の時に、信濃の善光寺というお寺へお詣りするわけですね。そこで「二河白道(にがびやくどう)の図」を感得したというんです。「二河白道の図」というのは、『観無量寿経』の上品上生の中の至誠心、深心、回向発願心ですね、回向発願心というところについての善導という人の注釈の中に出てくるんですけれども、ある旅人が西へ向かって歩いていた。そうすると、行く手に火の河と水の河が現れて、火の河が南、水の河が北で、この間に細い白い道が一本しかない。その道の上を火が被(かぶ)さっていたり、水が被さって来たりして、ちょっと通れそうにない、というようなところですね。それで後ろから盗賊みたいな者とかを獣が追い掛けて来る。その河を渡れない。火の河、水の河が南北に続いていて廻って行くこともできない。いわば絶対絶命の境地に陥る。絶対絶命の境地に陥った人が、そこから信仰をもって甦っていく、と言いますかね、後ろの方からは釈迦の声―お釈迦様の声だというんですけれども、「その道は大丈夫だから渡って行きなさいよ」という声がする。向こう岸から「大丈夫だからこっちへ渡って来なさいよ」という声が聞こえる。これは阿弥陀仏の呼ぶ声だというわけですけれども、それでそれにこう委せて思い切って白い細い道を渡って行ったら、向こうへ渡って行くことができたというので、浄土教の決断の姿と言いますか、そういうものを表している絵なんですけれども、それを信濃の善光寺で感得して浄土教への信を確立したということになるでしょうね。その後故郷へ帰って行って、こういう偈頌を作って信仰を深めていったというわけです。
 
草柳:  今の偈は善光寺から戻ってから?
 
田村:  戻ってからですね。
 
草柳:  今の十劫正覚、これを作るわけですか?
 
田村:  はい。
 
草柳:  これはどういうふうに解釈をすればいいんでしょうか?
 
田村:  「十劫正覚」というのは、阿弥陀仏という仏についてなんですね。阿弥陀仏という仏は、「十劫」永遠の昔というふうに言いましょうか、永遠の昔に「正覚」正しい悟りを悟った。阿弥陀仏はすべての人を救うということを誓って、そして悟って仏になったという時点で、「衆生界」あらゆる人々が往生して悟りを得ることができるということが決定された、というわけですね。十劫正覚によって衆生界の往生が決定した。そこで「一念往生」これは今度衆生の方ですけれども、一回の念仏でも阿弥陀仏の国へ往生することができる、というわけですね。この後が非常にユニークなところなんですけども、「十一不二」の「十」というのは、最初の「十劫」の十ですね。その下の「一」は、次の行の「一念」の一ですね。「十劫」と「一念」というのは不二である。二つではない一つです、というわけです。先ほど言いましたように、「十劫」というのは、阿弥陀仏という仏様が十劫の昔に悟ったということ、それから一念は、我々がたった一度の念仏でも称えれば、それで阿弥陀仏の国へ往生することが決まりますよという、「仏の十劫の昔」というのと、「我々の一念」というのが、実は二つではないんだ。これを説明する時は別々に説明しますけれども、仏の悟りと我々の念仏とは一体なのだ。「不二」というのは、二でありながら二でない、ということですね。「ただの一」というのとちょっと違うと思うんですけども、阿弥陀仏と我々の念仏と、十劫と一念という差がありながら、実際は一つだ、二つではないということですね。それで「証無生」無生というのは、説明するといろいろありますけれども、「悟り」と言ってもいいんだろうと思うんですね。「証無生」悟りをさとる。そこで我々が一回念仏を称える時に、阿弥陀仏と我々とは一体となって、我々がそのまま阿弥陀仏であって、悟りをさとっていくことができる、というわけですね。「国界平等」これも同じようなことで、「国」というのは、二行目の一番下にある阿弥陀国という国を「国」と言っているわけですね。「界」というのは、一行目の一番下に書いてある衆生界という「界」を示しているわけですね。従って「国界平等」というと、阿弥陀仏の国と我々人間の世界と平等なのだ。一つなのだ。「坐大会(だいえ)」そして仏様の催す説法の会に平等に坐ってみな一体となって説法を聞いているんだ、というようなことですね。一遍上人の考え方の特徴というのは、お念仏を称える時、この場所がそのまま阿弥陀仏の浄土に転換される。我々がそのまま仏に転換される、というようなことになって、これは法然上人とか親鸞聖人とかの考えとはちょっと違うというところがあるわけですね。
 
草柳:  浄土というのは、遙か向こうにあるのではなくて、今、一遍が坐っているここにいる。これは即浄土だと、そういう考え方ですか?
 
田村:  そうです。それですから浄土の思想というのにも、いろいろな考え方がありまして、先ほど言いました常行三昧というようなのは、念仏をこう一生懸命になって称えていると、阿弥陀仏の方から我々のところへ来てくださる、というんですね。そういう書物を読んでみると、ちょうど暗い夜、空が晴れている時に、たくさんの星が見えるように、たくさんの仏が念仏三昧に入っていると、我々の目の前に実際に現れてくださるんだ、というので、浄土教というと、普通は我々が浄土の世界に行くという考え方ですけども、逆に阿弥陀仏の方から我々の世界に来てくださる、という考え方もあるわけですね。そしてこの世がそのままで浄土の世界に転換されるという考え方もあるわけですね。
 
草柳:  それと一遍上人という人は、固定観念にとらわれてなかったというのか、非常に幅の広い人だったという話がありますね。例えば熊野権現(くまのごんげん)なんかにも行っているんですね。
 
田村:  そうです。だから「神仏習合(しんぶつしゆうごう)」と言いまして、神様と仏様は本来は一体なのだ。これもいろんな考え方がありまして、古い時代は仏様が神様となって現れる。それで熊野神社のご神体なんか、熊野権現は本地が阿弥陀仏だ。阿弥陀仏が熊野権現となって、日本の世界に現れているんだ、というような考え方がありますね。大体親鸞なんかは、「阿弥陀一仏に帰する」というので、神社とか神様なんかは問題にしませんけれども、一遍上人は神社へもお詣りする、非常に広いところがあったわけですね。
 
草柳:  何かそこでのエピソードがあるんだそうですね。
 
田村:  これは一遍上人が熊野神社へお詣りしようと思って、それでいわゆる熊野古道でしょうね、熊野古道を歩いて熊野本宮に向かっていた。その時に「南無阿弥陀仏」と書いたお札を配りながら、「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」と書いてあったんでしょうけど、お札を配りながら人々に念仏を勧めて歩いた、というわけですね。ところが途中で会ったお坊さんにあげようとしても、相手が受け取らないんですね。「自分は要らない。自分は念仏なんか称える気持ちがないから、そんな札貰ったって嘘付いたことになる」。どうも律宗のお坊さんらしいと言うんですけどね。嘘付くといけない。念仏なんか称える気がないのにお札を貰って、それで念仏称えるふりをするのは具合が悪いというのですね。とうとう受け取らなかったということがあるわけですね。それで一遍上人は、熊野神社へ行きまして、熊野権現に対して「こういう時にどういうふうにしたらいいでしょうか」と言って一心に熊野権現に救いを求めるわけですね。我々は今考えてみても、念仏を信じていない人に念仏のお札をあげて、そしてその人を信仰させるというふうになれば、これはお坊さんとしての仕事、役割を果たしている人でしょうし、念仏を信じている人だけにお札を配っても、まあそう意味はない、ということになるわけでしょうね。信じていない人にお札を配って信仰するように勧めるというところに意味があるわけでしょうね。だけども信じていないからと断られたらどうするか、ということですね。
 
草柳:  そこで熊野権現のお告げというか、そこで一遍上人というのははたと気付いた。それを次ぎに見てみたいと思うんですが、
 
阿弥陀仏の十劫正覚に、
一切衆生の往生は
南無阿弥陀仏と必定するところ也。
信・不信をえらばず、
浄・不浄をきらわず
その札くばるべし。
 
田村:  「阿弥陀仏の十劫正覚に」これは先ほど申しましたように、十劫の昔に阿弥陀仏が悟りを得て仏になった、ということですね。その時に「一切衆生の往生は南無阿弥陀仏と必定するところ也」あらゆる衆生ですね、一切の衆生と言いますか、あらゆる衆生の往生が「南無阿弥陀仏」と念仏をする時に、必ず達成されるということが決まっている。そこでその後が凄いんですけども、「信・不信をえらばず」なんですね。阿弥陀仏というのは、すべての衆生を救うということに決まっている。そうすると、人間が信じている人なら救ってやる、信じていなければ救ってやらない、こういう差別は使わないんですね。信じている人も救ってやる、信じていない人でも救ってやる。すべての衆生を救ってやるということがもう決まっているんだ。「浄・不浄をきらわず」清らかな人であっても、清らかでない人であっても、そういう信じているか、信じていないか。浄であるか、不浄であるかというようなことに差を付けずに「その札くばるべし」というので、どんな人にでもその札を配りながら念仏を勧めていきなさいよ。その人たちが信じていなくても、不浄で悪を行って、普通なら救われないというような人でも、阿弥陀仏は必ず救うということに決まっているんですよ、というようなお告げであったというわけですね。
 
草柳:  そのお告げが一遍上人に胸のうちにストンと落ちるということは、これは一遍にとっては大転換であったんでしょうね。
 
田村:  そうですね。そこで一遍の思想は前からの思想の延長上にありますけれども、やはりそういう熊野権現の阿弥陀仏の生まれ変わりの、阿弥陀仏の垂迹(すいじやく)の人が現れて教えてくださったというわけですからね。そこで一遍の時宗の教理というものが完成していく、ということになるんでしょうね。
 
草柳:  そしてその一遍が全国を廻り歩いてお札を配るわけですね。その辺の下りのところをまた見てみたいと思うんですが、
 
六字名号一遍法
十界(じつかい)依正(えしよう)一遍体
万行(まんぎよう)離念一遍証
人中上上(じようじよう)妙好華(みようこうげ)
 
田村:  「六字名号」というのは、これは「南・無・阿・弥・陀・仏」という六字の名前ですね。「南無阿弥陀仏」という名号は、一遍のあらゆるものに通ずる絶対的な法である。ところが先ほどもので「信・不信をえらばず、浄・不浄をきらわず」ということになりますからね、あらゆるものに通ずる悟りの法である、救いの方である。「十界(じつかい)依正(えしよう)一遍体」十界というのは、「十の世界」ということなんです。「十の世界」というのは、天台宗なんかでこの世界を十に分類して考えるわけです。その十というのは、下の方から言いますと、「地獄、餓鬼、畜生、阿修羅(あしゆら)、人、天」天の世界までは迷いの世界なんですね。それから「声聞(しようもん)、縁覚(えんがく)、菩薩、仏」という四つの悟りの世界があるんですけれども、こういう迷いの世界、悟りの世界を含めて、あらゆる世界の、というのが十界の、という意味ですね。「証」というのは、これは報いる。「報」という字を書いて「依報」と「正報」というんですけれども、「依報」というのは、そこに住んでいる人たちと言いますか、地獄だったら亡者と言うんですかね、人とは言わないかも知れませんけれども、地獄に住んでいる生物、あるいは餓鬼とか、畜生とか、あるいは上は仏に至るまで、あらゆる生きているもののというのが「依」という字ですね。「正(しよう)」というのはその国土、世界なんですね。地獄の世界、餓鬼の世界、畜生の世界、人間の世界、仏の世界。迷いの世界、悟りの世界のあらゆる国土、あらゆる衆生、そういうものの「一遍体(いつぺんのたい)」全体に通ずる本体なのである、というふうにいうわけですね。「万行(まんぎよう)離念一遍証(いつぺんのしよう)」そこで万行を離れ、あらゆる行を離れ―「離念」ですね。あらゆる思いを離れて、ただ六字の名号を称えるという時に、これが「一遍証」絶対的な悟りになって、こういう念仏を称える人は「人中上上」人間の中でも上の上であり、「妙好華(みようこうげ)」素晴らしいよい華のような―「妙好華(みようこうげ)」は蓮華の花ですけどね。素晴らしい蓮華の花のような人物であるということで、こういうところから「一遍」という字を取って「一遍」上人「智真」というふうにいうわけですね。こうして念仏というものが、あらゆる世界、あらゆるものに通ずる絶対的な法であるというふうに考えていくところに一遍上人の独特の教理が現れているということになるでしょうね。
 
草柳:  一遍の教理に基づいた一遍の仏法というものを、それを貫いていたものって、それ例えば一口で言えばそれは何なんでしょうか?
 
田村:  やっぱり日本の仏教の中にある「すべては本来仏である」というような考え方がありますけれども、そういうものをやはり念仏の上に実現していったということで、ですから念仏の行の中では、割に禅なんかとも相通ずるものがあるんじゃないかというふうに思いますね。禅との関係ではちょっと禅問答みたいなものがありますけどね。
 
草柳:  さっきちょっとお話が出た空也上人などは、一切のものをとにかく捨てるんだというふうに確か言っていましたですよね。
 
田村:  はい。
 
草柳:  一遍上人もやっぱり同じことが言えるんでしょうか?
 
田村:  そうですね。説話集なんかにも、一遍上人に念仏の法を聞いたら「捨ててこそ」というふうに答えた、というわけですね。それで一遍も〈念仏だけ、後のものすべて捨てる〉というので、「捨聖(すてひじり)」というふうに言われておりますけれども、最後にはお経とかなんかも全部焼き払って、ただ念仏一行だけに生きていった、ということになるわけですね。
 
草柳:  とにかく捨て抜いて捨て抜いて、で、捨ててこそということなんでしょうか?
 
田村:  空の境地に達するということになるんでしょうね。捨ててこそということになると。
 
草柳:  その浄土信仰とその浄土への憧れということが、今の一遍上人のお話まできたわけですけれども、日本の仏教の流れの中で、これだけやっぱり強い憧れをもって、多分きっと当時の人たちというのは地獄もほんとに信じていたんではないかと思うんですね。その浄土極楽への憧れがこれほど強かったというのは、やっぱり仏教の浄土の教え、浄土教の教えそのものも当然あるでしょうけども、その当時日本の時代背景というか歴史的背景みたいなものとこれは当然抜きにして考えられないわけでしょうから。
 
田村:  そうでしょうね。やはり特に法然、親鸞なんかについて言えば、平安末期からの動乱の時代で、人がいつ死ぬかわからない。もうある道を歩いていた人がパタッと倒れたと思うとそのまま死んでいくというような時代ですからね。これはそういう人間の本質というのは、常に変わらないですね。どんな時でも変わらないですね。変わらないけれども、特にそれが目の前に見える時代であったということが、やはり自分の人生の危機を感じるというようなことで、浄土教が盛んになっていくということになるんでしょうね。
 
草柳:  無常の世の中になって、不滅のものをとにかく何か持ちたいという気持ちというのは強かったわけですね。
 
田村:  現実は無常ですからね。無常を超えて永遠なる世界、阿弥陀仏でいうと、阿弥陀仏というのは「無量寿仏」と言いまして、「無量寿」というのは、「寿命」という意味で、永遠の命の世界ですね。それから「無量光仏」無限の智慧を讃えた悟りの世界という意味で、浄土に生まれるということは、普通は美しい世界、美的な世界というふうに象徴されておりますけれども、その本質は悟りの世界なんですね。悟りに至るということが即ち浄土に至るということの意味なんですね。
 
草柳:  最後にもう一つ蓮如(れんによ)(室町時代の浄土真宗の僧:(1415-1499)の有名な文章をご紹介したいと思うんですが、
 
(それ)、人間の浮生(ふしよう)なる相をつらつら観ずるに、
おおよそはかなきものは、
この世の始中終(しちゆうじゆう)まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。・・・・
いまにいたりてたれか百年の形体(ぎようたい)をたもつべきや。
(われ)やさき、人やさき、きょうともしらず、
あすともしらず、おくれさきだつ人はもとのしずく、
すえの露よりもしげしといえり。
されば朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて
(ゆうべ)には白骨となれる身なり。
(御文五帖)
 
これは大変有名な文章ですが、
 
田村:  そうですね。「人間の浮生なる相をつらつら観ずるに」人間の儚い姿というものをよくよく観察していくと、「おおよそはかなきものは、この世の始中終(しちゆうじゆう)まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり」一期というのは、一生ということになりますけれども、儚いものはこの世の始め、中、終わり、全部幻の如き一生であるというので、やっぱり死に直面してみると、自分の一生というのは儚い夢のような、幻のようなものであったという感想をこう持つんじゃないかと思いますけどね。「いまにいたりてたれか百年の形体(ぎようたい)をたもつべきや」今に至って誰が百年の命を保つであろうか。この頃は科学が発達したお蔭で百年以上経つ人もかなり出てきていますけども、百年の命を保つという人はそれでも非常に少ないですね。「我(われ)やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人はもとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。されば朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。」我がさき、人がさき、今日とも知らず、明日とも知らず、人に遅れ、人に先立ち、根もとに雫がしたたるよりも、葉先の露が散りゆくよりも繁く、日々老少定まることなく、人は死んでいくものと言われています。それゆえ、朝には紅いの血気盛んな顔色であっても、夕には白骨となる身であります。
 
草柳:  こういった思いがあるということだと思います。今日は有り難うございました。
 
     これは、平成十一年一月十七日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである