仏教を生きるK現代に生きる仏教
 
                       東洋大学教授 田 村(たむら)  晃 祐(こうゆう)
                       き き て  草 柳  隆 三
 
草柳:  「仏教を生きる」のシリーズ、いよいよ今回が最終回になりました。このシリーズは、去年の四月にスタート致しまして、第一回では六世紀に入ってきた仏教が、聖徳太子の時代どういうふうに受け止められたのかというお話から始まって、それ以後十一回にわたってその後の日本に於ける仏教の歴史的な展開、仏教がどういうふうに日本の風土の中に展開をしてきたのかというお話をしてまいりました。で、最終回の今回は、その纏めと言いますか、近代から現代における仏教は果たしてどうだったのかということについて、いつものように東洋大学教授の田村晃祐さんに、今回もまたいろいろとお話を伺ってまいります。どうぞ今回もよろしくお願い致します。
 
田村:  よろしくお願い致します。
 
草柳:  いよいよ最終回で、
 
田村:  お蔭様で最後まで無事に運んでくることができまして有り難うございました。
 
草柳:  今回は纏めということもあって、近代から現代ということのお話が中心なんですが、ということはつまり明治維新以降ということになりますね。
 
田村:  はい。明治維新に際して、仏教は非常な非難の時期を迎えたということができるんだろうと思うんですね。大体からいうと、中国なんかでは仏教を弾圧する事件が時々起こりますけれども、日本ではあまりそれはなかったということになります。ある程度考えられるものとしては、日本に仏教が最初入ってきた時に、受け入れるか受け入れないかというようなことを巡ってちょっといろいろ問題があった。それからあまり知られておりませんし、あまり大きなものではなかったかも知れませんけれども、やはりキリスト教が入ってきた時ですね、クリスチャン大名というような人が出ると、その領国の中の仏教のお坊さんたちが他国へ逃げて行くというような現象が起こった、というようなことがちょっとありますけれども、まあ大きなものとしては明治維新の時ですね、明治維新は大体神道の国学を中心にして、国学を精神的な基礎にして維新が行われますし、天皇の絶対性を確立するという意味でも、日本古来のものを重視していくというような立場があって、神仏分離―それまで神様と仏様が一緒になっていたものを分けるということ、それから更には仏教を弾圧すると言いますかね、廃仏―仏教を廃する―毀釈、お釈迦様とか教えを壊していくというような運動があって、仏教は非常に苦難の道を歩んだ。それからもう一つは、やはり西洋の文化が入ってきまして、キリスト教が入ってくる。西洋の哲学が入ってくる。そうするとそういうものをどのような形で受け入れながらそれを自己の中に活かしながら、またそれを超えていくかというようなことが大きな課題になったと言っていいんでしょうね。
 
草柳:  明治維新も、当時、例えば富国強兵とか、殖産興業といったことで、日本がとにかくできるだけ早く近代化の道に入っていかなければいけない。それに乗らなければいけないということで、いろいろなことがもの凄く急激に行われた時代だったわけですね。
 
田村:  そうですね。仏教学の世界でも、例えば江戸時代には大体宗派中心で、宗派の学問であった。それを明治になると、仏教全体を統一的な視野のもとにおいて考えるというような、例えば村上専精(むらかみせんしよう) (仏教学者、仏者。東京帝国大学印度哲学科初代教授。大谷大学学長:1851-1929)というような人がおりまして、この人は『仏教統一論』仏教を統一する理論というのを書きますね。ところが「涅槃(ねはん)」ということを中心にして仏教を統一するという考え方を、これは二十数年かかって何冊もの本で出すんですけれども、そうすると今までの宗派仏教からすると、ちょっと行き過ぎだということで、お坊さんであったものをお坊さんの籍を離脱するということもありますし、サンスクリットとかパーリ語とかチベット語とかという新しい語学を勉強して、そういう語学に基づいて仏教の歴史を、事実を事実として認識していく、というような傾向が起こったり、西洋哲学を勉強したりというので、いろいろな形で仏教学も発展していきますし、仏教信仰というのもそれに連れてまた新しい展開を見せていくということになるわけですよね。
 
草柳:  仏教を廃止する、仏教廃止運動がもう大変な勢いで起こった中で、当然仏教に与える影響、打撃も大きかったと思うんですが、そういう中で今おっしゃったような人たちが伝統的な日本の仏教の中で果たした足場を築くには、どういうふうにいったらいいのかということを迫られて、そしていろんな人が出てきた。
 
田村:  そうですね。廃仏毀釈(はいぶつきしやく)なんかの時には、島地黙雷(しまじもくらい)(明治時代に活躍した浄土真宗本願寺派の僧:1838-1911)という人が政府に反対論を提出するわけですね。これは日本に外国からこれだけいろんな思想が入り、制度が入り、いろんなものが入ってくる時、日本独自のものと言ったら仏教しかないではないか。それをこう仏教を廃するというようなことをやったら無宗教だというんで、西洋からかえって軽蔑される。今逆に信仰の自由を求めて、信仰の自由を保障して、そして仏教を盛んにすることによって外国人の間に日本の独自の文化を示していかなければ、というようなことで、いわば弾圧されていくのをバネにして大きく日本の国内だけではなくて、外国へも独自性を示していくというような形で展開していったということができるでしょうね。
 
草柳:  国内的には、国家的な要請の中で廃仏運動が起こり、そして片一方では西洋からどんどん新しい哲学が、あるいは宗教も含めて考え方が入ってくる。その中でもって、じゃ日本の仏教としてはこれからどういうふうに自分の独自のものを作っていけばいいのか。さっき先生がおっしゃったようにバネにしてやったという凄くバイタリティがありますね。
 
田村:  そうですね。明治の仏教者というのは凄いものですね、そういう意味では。
 
草柳:  今、挙げて頂いた方々の他には、今日これからいつものように人物を中心にお話を展開していって頂きたいと思うんですが、後はどういう人たちでしょうか?
 
田村:  私は井上円了(いのうええんりよう)(仏教哲学者、教育家:1858-1919)という人を挙げてみたいと思うんですけれども、この人は、越後長岡藩領の三島郡来迎寺村(現・新潟県長岡市、合併前は新潟県三島郡越路町)にある真宗大谷派の慈光寺に生まれるんですね。長岡というのは戊辰(ぼしん)戦争(慶応4年-明治元年―明治2年(1868-1869)に、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。名称は慶応4年-明治元年の干支が戊辰であることに由来する)の時に実際に戦争した場所であるというようなこともありまして、この人は若い時お寺に生まれたんだけれども、仏教が嫌いだった。それで儒教を勉強した。この時儒教を教えてくださった先生が、石黒忠悳(いしぐろただのり)(明治時代の日本陸軍軍医。草創期の軍医制度を確立した:1845-1941)と言って、後で赤十字の総裁かなんかになったりする方なんですけれども、それから真理を求めて英語を勉強する。これは長岡は今言った敗戦によって焼けてしまった後ですね、戦争して負けるなんていうのは将来を見通す力がない人たちが中心になっているからだ。長岡の復興は将来を見通すだけの力を持った人を育てるというのが中心だというので、廃墟のところに学校を造っていったわけですね。そういうところを出て、英語を勉強して、それから東本願寺へ行って仏教を勉強する。その後東大へ派遣されて西洋哲学を勉強する。最初は仏教に関心を持たなかったいうか、真理性があると思っていらっしゃらなかったようですけども、西洋哲学を勉強して、その目で見ると、仏教に真理があるということで、仏教のために一生を尽くすというようなことをしたわけですね。
 
草柳:  具体的には井上さんのお考えというのは、どういう内容を持っていたんですか?
 
田村:  結局、西洋の哲学的な考え方というものをベースにして考えてみると、キリスト教は啓示の宗教であって、いわば神から与えられた宗教だ。それに対して仏教は智慧とそれから知力と情感というんですけれども、知的な面と感情的な面と両方具えた完全な教えなんだ。ただその中でも知的な面を表に出した禅宗とか、感情的な面を表に出した浄土教とか、いろいろな区別はあるけれども、いずれも智慧と感情と両方具えていて、これは仏教が勝れているんだというようなことを言いますね。それで仏教を広めるということと同時に、日本は近代的な制度を作って、制度の面では近代化したけれども、本当の近代化は心を近代化していかなければならない。迷信を除去しなくちゃいけない。迷信というのは一種の宗教現象だから、正しい考え方のお坊さんを作ることによて、迷信を除去できるというので、ちょうどオームの事件が起こった後で、日本の仏教に対して、仏教がしっかりしないからこういうのが起こるんだ、という議論された方がありますけども、同じようなことを明治にお考えになって実行していったというような方ですね。
 
草柳:  その後井上円了という人は、そういうご自身の考えを広めていかなければというので、全国を回ったり、学校を建てたり、いろいろ随分相当活躍なさった方だそうですね。
 
田村:  学校を建てて、教員とお坊さんを育てたい。合理的な考え方をする教員を育てることによって、学校教育の面から近代化していきたいということですね。それからお坊さんは迷信除去のためには、ちゃんとしたお坊さんを育てなければいけないんだという考え方ですね。それで今度は自分で全国を回って実際に新しい考え方を説いていったというようなことをするわけですね。
 
草柳:  多分仏教界から出てそういう活動をしてこられた人たちというのは、さまざまな宗派から随分たくさんいろんな人たちが出たんでしょうね。
 
田村:  そうですね。
 
草柳:  で、今日は多分メーンのお一人だと思うんですけれども、清沢満之(きよさわまんし)その方のお話を少し、
 
田村:  清沢満之(明治期に活躍した真宗大谷派僧侶、哲学者・宗教家:1863-1903)という方は、名古屋の下級武士の子どもに生まれるわけですね。そうすると明治維新で経済的にも非常に困窮したでしょうし、しかし勉強したいということで、東本願寺がつくった育英教校という学校へ入るわけです。この学校はまた非常に素晴らしい学校で、理科でも、法律とか、社会、科学でも教えるし、それから語学を教えて英語、フランス語、インドの言葉なんかも大体会話を中心にして教える。それから宗教学なんていうと、新教、旧教、ユダヤ教、コーランとか、マホメット教、それからインドの古いヴェーダばかりではなくて、古いエジプトの教えとか、ドイツの教えとか、ギリシャの教えとか、もうあらゆると言ってもいいような宗教の学問を授けて、やっぱり世界へ出して引けを取らない人物を、世界に出せる人物を養成しようとした、というような学校なんですね。そこへ入って、そしてそこから非常に優秀だからというので派遣されて東大で哲学を勉強なさるわけですけれども、その後卒業した後で旧制の第一高等学校というんですかね、今で言えば東大の教養学部の先生になって、それから井上円了さんの作った学校に協力するわけですけれども、そのうち東本願寺からお金を出して貰って、そして勉強したものですから東本願寺に帰って来なさいという時に、東本願寺へ帰って行って、そして京都で中学の校長になったり、大学で講義をしたり、それから今の大谷大学を東京へ持って来た。やっぱり学問中心は東京だというので東京へ持ってきたというようなことをなさったりするわけですね。最後『精神界』という雑誌を発行されて、そしてご自身、それからご自身のお弟子たちを中心にして、それを出していくわけですけれども、二年ぐらいで亡くなってしまわれた。『精神界』はズーッとお弟子たちに受け継がれて後まで発行されますけどね。
 
草柳:  明治三十四年に発行された『精神界』から一部をご紹介致します。
 
吾人の世に在るや、必ず一の完全なる立脚地なかるべからず。・・・
然らば吾人は如何にして処世の完全なる立脚地を獲得すべきや、蓋し絶対無限者によるの外ある能わざるべし。・・・
而して此の如き立脚地を得たる精神の発達する条路、之を名づけて精神主義という。
(明治三十四年一月発行『精神界』)
 
これには清沢さんの考え方の骨子みたいなものが入ってくるわけですか?
 
田村:  これは『精神界』という雑誌の創刊号に載った文章ですけれども、清沢さんの考え方の一番基本を示している文章だというふうに思いますね。「吾人の世に在るや、必ず一の完全なる立脚地なかるべからず」我々がこの世に生きていて、そしてあらゆる行動をする時に、一つの完全な基本的なもの、それに則って行動をする、考えるという、もっとも基礎になるものがなければならない。立脚地がなければならない。その立脚地というものはどういうものかということを、「然らば吾人は如何にして処世の完全なる立脚地を獲得すべきや、蓋し絶対無限者によるの外ある能わざるべし」ということですね。我々の完全な立脚地、我々の考え方の根本というのは、絶対無限者によるのでなければならないというわけですね。絶対無限者という言葉を出されると、絶対の反対は相対ですね。無限者の反対は有限者ですね。我々は平素無自覚にというのか、特別な考え方なしに生活しているという場合には、お金が欲しいとか、裕福な生活をしたい、名誉がほしい、そういうようなものは相対的なものなんですね。お金が有る人と無い人といる。それからお金があったってそのうちになくなることもある。こうして相対的な有限なものに価値をおいて、それを基礎にして生活していくと、これは苦労の人生になるわけですね。非常に苦しみがある。人と比べて自分がどうだという考え方ですからね。苦しみの人生になる。それに対して絶対無限者、絶対的なるもの、そういう相対を超えた絶対的なもの、無限なるものというものを自分の根本において、それに基づいて世の中に対処していくという時に、これは本当の幸福な人生が開かれるんだというわけですね。「而して此の如き立脚地を得たる精神の発達する条路、之を名づけて精神主義という」こういう絶対無限者というものを基本において、それに基づいて考え方をもっていく、行動していくというような時に、このあり方というものを精神主義というというので、精神主義ということを唱道されたわけですね。もう少し後になるとこうおっしゃるんですけども、清沢さんは、全部と言っていいかどうかわかりませんけど、失敗だ。ご自身も結核で非常に悩まれる。奥さんが結核で亡くなられる。お子さんが結核で亡くなられる。ご自身が意図した宗門の改革というようなものも、結局不成功に終わる。大学のために尽くしたけれども、結局辞めて田舎へ引っ込まざるを得ない。もともと武士の出ですから、そうするとお寺へ養子へ入る。ところがお寺へ入ったところでも、そういう学者というのはなかなか檀家の人とうまくいかないわけですよね。檀家の人は学問のある方というよりは、お寺でお経をあげてくださる方というのが有り難いというふうな考え方ですからね。そうすると自分がもし有限なもの、相対的なものに価値をおいていたら、自分は生きていけないだろうというわけです。それにも関わらず自分がこうして生きていくことができるのは、自分がこうして絶対無限者に立脚地をおいているから生きていくことができる、というようなことですね。これはただ単に理屈の世界でそういうふうにおっしゃるのではなくて、ご自身の生きる実感なんですね。実際にそこに生きていかれた、というようなことになるわけですね。
 
草柳:  清沢満之という人の、その明治以降の仏教の考え方の中で、今評価されているその新しさというのは、清沢満之の独自性というのは、どういうところにあったわけですか?
 
田村:  今読んだ精神主義というようなものは、この方は浄土教の方なんですけども、真宗の方なんですけれども、真宗に限らずですね、何のどの宗派にも当て嵌めるというふうに思うんですね。禅だったら、この前お話したところで盤珪禅師が自分の心の中に活如来があるんだと。活きている如来というのは絶対無限者ですね。そういうものによって活きていく、考えていくということでしょうし、浄土教でしたら阿弥陀仏に信順して生きていくということでしょうし、キリスト教だったら神様を信じて生きていくというようなことでしょうね。こうして絶対無限者というような言葉を使うことによって、宗教全体に通ずる基本を考えていった、というようなところが、やはりそれまでにない新しさだというふうに思います。最後の論文の中で「如来」という言葉を使うんですけどね。〈私は如来にまったく委せて、生きるも死ぬも如来委せだ。お金が有るとか無いとかというようなものも全部お委せだ。全部仏に委せた人生を生きていくんだ〉というようなことが、「わが信念」というんですけども、最後の絶筆となって、四十一歳で亡くなられていかれたというわけですね。その伝統的な真宗学と、そういう絶対無限者という言葉が表現される。あるいは最後に「如来」という言葉で表現されますけれども、そういうような言葉を使って説明されるような新しい感覚、そして自己の現実に則した真宗学の構築と言いますかね、そういうようなものがまた受け継がれていろんな形で発展していくということになるでしょうね。現在も真宗学の中ではそういう伝統的なものが片方にあると同時に、やはり清沢さんの影響のある近代的な真宗学というようなものがあって、真宗の思想が支えられているということになるんでしょうね。
 
草柳:  清沢満之の考え方が、外国に対して何か働き掛けというのはあったんでしょうか?
 
田村:  これは明治十六年ですかね、シカゴで万国宗教大会というのが開かれまして、その時それまでに書かれておられた『宗教哲学骸骨』宗教の哲学の骸骨というんですから、今まで言えば「綱要」とか「大綱」というようなものに当たるんだろうと思うんですけれども、そういうものを英訳してお出しになった。これは非常に評判が良かったというわけですね。こういうものは大体西洋的な思惟方法を取り入れながら、仏教の思想を一般化して書いているということで、私は基本は基本だろうというふうに思うんですけれども、そういう新しい試みをして外国の人に訴えかけるというようなことで、さっき言いました明治維新の廃仏毀釈なんかをむしろバネにして外国へ大きく伸びていくという思想の一つの現れだというふうに思いますね。これは先ほど言いましてように、育英教校なんかというところでは、外国へ出して恥ずかしくないお坊さんを養成するということを目標にしてやったでしょうし、そういうものがいろんな形で現れてくるんでしょうけども、一つは清沢さんのような西洋哲学を勉強した人が、そういうものをベースにしながら仏教全体にわたる思想的なものを作っていった。ところがそれまでの仏教が宗派仏教であったというのに対して、やっぱり仏教全体を統一するような宗教哲学というような考え方で仏教を基礎付けて、そしてその上に真宗学を作り上げていくというようなところですね。そういうところに新しさがあるだろうと思うんですけれども。
 
草柳:  そう言えば、今おっしゃった宗教哲学ということで言えば、この時代から後の人たちというのは、当然西洋の哲学と仏教との関係、西洋の哲学と仏教をどういうふうに融合させていくことができるかどうかというようなことが多分大きなテーマだったと思うんですが、その次ぎに出てくる人と言いますと、これは鈴木大拙さんということになりますか?
 
田村:  大きな役割を果たしたというのは鈴木大拙でしょうね。鈴木大拙さんは学者でもいらっしゃると同時に、布教家と言いますかね、多くの英文の著書三十以上の本を書いて、そして外国人に禅を知らしめるという大きな役割を果たされたということになるわけでしょうね。
 
草柳:  鈴木大拙さんという方はどういう人だったんですか?
 
田村:  鈴木大拙さんという方は、金沢に生まれて、そして旧制四高(しこう)(旧制第四高等学校。1887年(明治20年)4月金沢市に設立された官立旧制高等学校。略称は「四高(しこう)」)というんですかね、今の金沢大学の予科に入られるわけですけれども、間もなく中退されたようですね。その後ちょっと仕事に就かれますけれども、その後東京へ出て来て、そして東大の専科というところへ入った。哲学を勉強なさるわけですね。哲学を勉強なさると同時に円覚寺の今北洪川(いまきたこうせん)(幕末・明治時代を代表する臨済宗の禅僧:1816-1892)とか、釈宗演(しやくそうえん)(明治・大正期の臨済宗の僧:1860-1919)というようなお坊さんについて禅をなさるわけですね。哲学と禅と両方学んでいらっしゃって、禅の哲学的な基礎を確立されたというふうにいうんでしょうかね、そういうことで世界に日本の仏教を広めるための非常に大きな役割を果たされた方だというふうにいうことができるでしょうね。
 
草柳:  英訳された本の数が凄いんだそうですね。
 
田村:  そうですね。日本語でもたくさんの本をお書きになって、『鈴木大拙全集』全三十二巻出ておりまして、素晴らしい著作家でもあったわけですね。学士院の会員になられたり、文化勲章を得られたりという方でありますけれどね。
 
草柳:  その鈴木大拙さんの考えの中心になったのはどういうことなんでしょうか?
 
田村:  一つは「即非の論理」と言いまして、「即」というのは一体である。これは仏教の中で今まで始終出てきた考え方ですね。即―すべてのものは一体である。「非」―非はそうではないということですね。そうではないものが実は一体なのだ、という考え方ですね。これはもともと『金剛経』のお経の中にそういうことがたくさん書いてあるわけですね。『金剛経』のお経の中で「一即一切」というようなことになりましょうけれども、そういうものをもう少し具体的に書かれているものを取り上げて、そういうものを「即非の論理」という形で名づけて論理化されたということになるわけですね。
 
草柳:  じゃそれを見てみたいと思うんですが。
 
「この経を名づけて金剛般若波羅蜜となす。・・・
須菩提(しゆぼだい)よ、仏の般若波羅蜜を説けるは、すなわち、般若波羅蜜に非ざればなり。須菩提よ、意においていかに。如来によりて説かれたる所の法有りやいなや」須菩提、仏に白(もう)して言く「世尊よ、如来には説く所無し」
(金剛経)
 
田村:  これは『金剛般若経』(正式名称『金剛般若波羅蜜経』、大乗仏教の般若経典の1つ。略して『金剛経』とも言う)というお経の「般若波羅蜜とはどういうことか」というお経の題の意味を解説してある部分ということになるわけですね。「金剛」というのは、ダイヤモンドという意味で、もっとも固い鉱物であって、金剛・ダイヤモンドで断ち切る。何を断ち切るか。煩悩を断ちきるわけですね。金剛のような固いもので煩悩を断ちきる般若波羅蜜―智慧の働きというようなことを表しているお経だ、ということになるわけです。それで仏教の智慧、仏教の悟りの智慧とは何か、ということになりますね。そうするとこれは後半からちょっと説明していきますと、「須菩提よ、意においていかに」お釈迦様はお弟子の須菩提という人にこう語り掛けられるわけですね。「意においていかに」あなたはどう思いますか。「如来によりて説かれたる所の法有りやいなや」お釈迦様が説いた法というのはありますか、どうですか。有ると思いますか、無いと思いますか、という質問するわけですね。そうすると須菩提が、「仏に白して言く」お釈迦様に申し上げた。「世尊よ、如来には説く所無し」仏様は何にも法を説いていないというわけです。これはどういうことかということですね。仏教というものは、悟りの智慧というものは、我々の頭で考えることもできないし、言葉で表すこともできない、というわけですね。それですから禅なんかでは、教外別伝(きようげべつでん)ということを言いますし、仏教―どの宗派でもそうですけども、最終的なものは不可得なんだ。説明することもできないし、得ることもできない、ということになりますね。そうすると説くこともできない、考えることもできない、言葉で表現もできないということは、要するにお釈迦様は何にも説いていないということだ。何にも説いていないから説いていないかというと、そうではなくて、お釈迦様は説法なさる。一生懸命になって法を説かれる。法を説かれるけれども、その法を説いている法の内容というものは説けないんですよ。口で表せないんですよ、ということになるわけですね。そうすると、口で表せないことを一生懸命になって説くということで、説けないものを説く。説かなくて説くというのが「即非の論理」。非なるものが一体である。説けないものが即ち説いてある内容だ、ということになるわけですね。そういうところで、すべてのものはそういうことで、「仏の般若波羅蜜を説けるは、すなわち、般若波羅蜜に非ざればなり」仏は悟りの智慧というのを説いている。説いているけど、その内容なり悟りの智慧というのは、般若波羅蜜なんていう言葉で表現できないものなんだ。何にも言葉で表現できないものなんだ。言葉で表現できないものを説いていらっしゃる。これは非なるものは即一体である。説くと説かないと一つのものである。説法するのと説法しないのと一つのことなのだ、というような考え方ですね。これは「空の論理」、あるいは「一即一切という論理」ということになりましょうけれども、こういうものを鈴木大拙さんは、「空(くう)」とそれから今でいうと、説法できないものと説法するということとが一体だ、という考え方から、私にはもう一歩進めて「一即一切」華厳の論理のところにまで持っていらっしゃって、それで例えば「白は白に非ず、故に白なり」というようなことですね。これは常識でいったら「白は黒である。だから白である」というのは常識では通用しない論理ですね。あるいはいろんなことをおっしゃいますけども、例えば「ボタンはボタンに非ず、故にボタンなり」というんですね。「ボタンに非ず」というのは、例えば桜で表現すると、「ボタンは桜である。だからボタンである」。これはですね、普通の我々の感覚から言ったら奇妙な論理ですね。通用しない論理ですね。だけれども「霊性の論理」宗教の論理というのはそういうことなんだ。「一即一切」すべて一つのものの中にすべてが込められている。また同時に他の一つのものを取り上げたら、その中にすべてのものが込められている。一つのものが即ち宇宙全体である、というような立場に立てば、「ボタンは即桜である。だからボタンである」というような論理が成り立つ。「霊性の論理」というのは、「即非の論理なんだ」というようなことを強調されるわけですね。
 
草柳:  ちょっと難しいんで、例えば前回の番組の中でお話があった盤珪禅師という人が出てきましたけども、あの盤珪禅師が言っていた「どこにも仏心がある」。「不生」―生ぜずという言葉で確かご説明頂いたんですが、そういうこととも関係がするんですか?
 
田村:  それと同じことだと思いますね。同じことをやっぱりこういう論理を使って説明される。私の心の中に生まれながらにして、仏が生み付けられている。私というのは有限の人間ですね。そのうちには必ず死んでいく存在ですね。生じて滅するという存在ですね。生じて滅する私の中に「不生不滅」永遠なる仏が宿っているんだ。永遠なる仏と私と一体なのだ、という考え方ですね。それが非なるもの。私という有限な人間と活如来という無限の絶対的なものと一体であって、私の中に活如来が生み付けられているというのは、やっぱり「即非」という言葉で説明すれば、非なるものが一体である、という論理だということになるでしょうね。
 
草柳:  さっき「日本人的霊性」というお話がありましたけれども、例えば具体的にどういうふうな形で?
 
田村:  それで日本人は宗教心があるか・ないかというようなことは、みる人によっていろいろでしょうし、亡くなったらお寺へ行って法事して貰うから宗教心がある、なんていうようなこともおっしゃる方もいらっしゃいますけどね。ところが日本の仏教の歴史を見ると、やっぱり宗教心の発露というのがいろんなところに出てくるわけですね。これはやはりこう鎌倉時代の偉い道元、親鸞が出てきたというようなところにもあるでしょうし、あるいはこう名もない人の中に宗教が活きている。それでそういう人たちの話をすることが素晴らしい宗教的な言葉になっている、というような面もご覧なりますね。それで「超個」個を超える、個人を超える、という言葉を、鈴木さんはお使いになるようですけども、超個である。言うならば絶対的なものと、それから我々の個人ということで、超個を自分の中に認めていく立場。超個を自分の中に考えていく立場と、逆に超個の中に自分を投げ入れていく立場と言いますかね、その関係で両面があるんだけれども、例えば自分の中に超個人的なもの、永遠なるもの、無限なるものを見ていくという立場は、今おっしゃったような盤珪禅師の活如来というような考え方は、有限なる個人の中に超個人を超えるものを見ていくという立場で、そういう意味での宗教心の発露というのは、非常に禅宗やなんかたくさん見られるということですね。逆に今度は超個人的なものの中に自己を埋没させていくと言いますかね、投入させていくと言いますかね、そういうような面での霊性の発露というのもありまして、これは大体浄土教的ですね。例えば浅原才市(あさはらさいち)(浄土真宗の妙好人のひとり。石見の才市と呼ばれる:1850-1932)というような妙好人を取り上げて、妙好人というような人は学問のあまりない人であっても、ほんとに信じたという立場で出る言葉がそのまま詩になり歌になり、そしてこの浅原才市という人は最初のうちは船大工さんだったんですね、それから下駄を作るような職人になって、下駄を作って出る鉋屑やなんかに歌を書いていった。それがもうあらゆるところに「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」というのが出てくるというんですね。『日本的霊性』という本の中に、鈴木さんがお書きになったもので、
 
ありがたい なむあみだぶつ
あさましい なむあみだぶつ
弥陀(みだ)の親さまが なむあみだぶつ
くださるお慈悲が なむあみだぶつ
出入りの息が なむあみだぶつ
夜があけて なむあみだぶつ
日がくれて なむあみだぶつ
 
何にでもこう「なむあみだぶつ」なんですね。それでもう浅原才市という人自身が「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」なんだと。「南無阿弥陀仏」が南無阿弥陀仏の言葉を出し、南無阿弥陀仏が下駄を削り、南無阿弥陀仏がそのまま活きている姿が浅原才市の姿であって、そういうところにこう日本人の霊性の発現があるんだ、というようなことをお書きになるわけですね。そしてまた『日本的霊性』という本は、この前のアメリカとの戦争の最後の頃に出された本ですけれども、終戦後間もなく出される第二版のところでは、日本人は日本的霊性というのを忘れている。日本人は霊性を忘れた時にこういう敗戦が起こるんだ、というようなことを書いてですね、やっぱりこの前の戦後は日本は文化国家としてこれから再建していこうというようなことが非常に叫ばれた時代で、どうもそれが文化国家というよりは経済国家になってしまった、というようなところで、また今経済的な面で非常な苦難を持っているわけですけども、鈴木さんなんかはやっぱり日本を文化的な国家にしていきたい。それを忘れた時に敗戦の苦難がくる、というようなことで、現在にも通ずるような考え方を出していらっしゃるという感じを、私は受けますけどね。
 
草柳:  じゃもう一人取り上げて頂くことにして、西田幾多郎(にしだきたろう)(日本を代表する哲学者。京都大学教授、名誉教授。京都学派の創始者:1870-1945)さんですね。
 
田村:  そうですね。西田さんという方は、日本の代表的な哲学者だということになりますね。西田さんは金沢に生まれて、今の金沢大学ということになりましょうか、旧制四高(しこう)に入った時に、鈴木大拙さんと同級生なんですね。それで鈴木さんはすぐに辞めてしまったみたいですけれども、西田さんの方が長くいらっしたんですけれども、それでも中退というような形ですね。それでだからなんでしょうけども、東大の哲学科に入られた時に、専科というところに入られるわけですね。それでその後結局は出身の第四高等学校の教授をなさる。それから他の高校へもちょっといらっしゃったようですけれども、主として金沢の四高の教授をしていらっしゃる。それから京大の教授になられて、そして「善の研究」というのをはじめとして精力的に思索を展開される。西洋哲学を学ばれるだけではなくて、禅の修行を実際になさるわけですね。そして禅を通じて仏教の考え方というものを受け入れて、仏教の考え方を基底にして哲学的な思索を展開していかれたというような方だと言っていいんだろうと思いますね。
 
草柳:  『善の研究』というのは、ひと頃は学生たちが必ず読んだ、というふうに言われているくらいの名著だったそうですね。
 
田村:  そうですね。
 
草柳:  じゃ、西田幾多郎の書かれたものからまたお読み致します。
 
(宗教問題は)我々が、我々の自己の根柢(こんてい)に、深き自己矛盾を意識した時、我々が自己の自己矛盾的存在たることを自覚した時、我々の自己の存在そのものが問題となるのである。人生の悲哀、その自己矛盾ということは、古来言旧(いいふる)された常套語(じようとうご)である。しかし多くの人は深くこの事実を見詰めていない。何処までもこの事実を見詰めて行く時、我々に宗教の問題というものが起こって来なければならないのである。
(場所的論理と宗教的世界観)
 
ということなんですが、言い回しが少し難しくて比較的わからないんですが。
 
田村:  非常に難しいですね。「絶対矛盾的自己同一」というようなことをおっしゃるわけですね。これは絶対的に矛盾するものというのは、別々なものである、というのが常識的なことということになるでしょうね。ところが仏教の論理は、先ほどの鈴木大拙さんのことでも、非なるもの、即ち矛盾するものが即一体なのだ、という考え方ですね。あれと同じような考え方ですね。「絶対矛盾」絶対的に矛盾するものが「自己同一」同一であるというところにあらゆるものの真実の姿というのをご覧になったわけでしょうね。それで例えば人間について空間と時間というようなことをおっしゃって、空間というのは、いわば横の広がりで―縦横というのはおかしいかも知れませんけども―時間というのはいうならば縦に流れていくというもので、空間と時間というものは絶対矛盾するものであるけれども、人間の上に空間と時間というのは一つになっていて、そこに人間のあり方があり、人間の形成がある、というようなことをおっしゃいますね。それから私、あまり詳しくないんですけれども、無の場所における歴史というようなことをおっしゃるようですね。そうすると、私なんかの考え方からいうと、無即―『般若心経』でいうと、「色即是空空即是色」と言いますね。空がそのまま現象となって現れ、空は絶対的なもので、あらゆる現象に通ずるもの。それが空の上にすべての現象が展開されるという時に、その空という、絶対無というのを、あらゆるものの成立する場所というふうに捉えられたんでしょうね。場所の上にあらゆる現象が現れる。その現象を歴史的な世界、歴史というふうに捉えているところに、やっぱりただ仏教の無即有、あるいは空即是色という世界を、西洋の哲学的な思考を入れて絶対無の場所における歴史的世界というような形で捉え直されたんじゃないかというふうに思いますけどね。
 
草柳:  一口に言われる西田哲学というのは、仏教の、今おっしゃった空ということを現代的に解釈、現代的に読み解いていくと、今言ったようなことになるということなんですか?
 
田村:  と、私が解釈しますけどね。そういう感じがしますけども、どうでしょうか。
 
草柳:  もう一つ続けてお読みして話を進めていくことに致します。
 
宗教的関係というのは、右に述べた如く、何処までも我々の自己を越えてしかも我々の自己を成立せしめるもの、即ち何処までも超越的なるとともに、我々の自己の根源と考えられるものと、逆に何処までも唯一的に、個的に、意志的なる自己との矛盾的自己同一にあるのである。
(場所的論理と宗教的世界観)
 
田村:  西田幾多郎さんという方は、善の研究でも宗教問題が扱われておりますし、これは場所的論理と宗教的世界観というものなんですけれども、これは最後のものであるわけですね。従って宗教問題に始まって、宗教問題で終わったと言っていいでしょうし、あらゆる思索の底に宗教的な問題が流れていた。実際に坐禅をなさった方ですからね。そこで宗教というのはどういう時に問題になるかというと、自己の自己矛盾的存在たることを自覚した時に、自己の存在そのものが問題になるというようなことをおっしゃるわけですね。宗教を扱う時にいろんな立場から、いろんな見方から宗教問題を考えていく。あるいは宗教の必要性を考えていくということがあるでしょうけれども、西田さん自身の考え方では、自己の根柢に自己矛盾を感じた時、例えば親しかった人が亡くなる。そうすると、一体人生とは何か。自分自身とは何か。自分の存在そのものが問われてきた時に宗教問題というのは起こるのだ、という考え方ですね。それで人生の悲哀とか自己矛盾というようなことは言い旧されてきた常套語である。しかし多くの人は、深くこの事実を認めていない。人生の悲哀という時にですね、感じた時、それを実際に見詰めて、それについて思索をしていく時に、宗教問題というのが、宗教的な考え方というのが出てくるんだ、というわけですね。そこで今読んで頂いた文章ですけれども、片方ではどこまでも我々の自己を越えて、しかも我々の自己を成立せしめるもの、即ちどこまでも超越的なるものと共にということで、これは一方では絶対矛盾的自己同一の、矛盾の一方はどこまでも超越的―我個人を超えたものであるということであると共に、我々の自己の根源と考えられるもの、超越的なものがそのまま自己の根源であると考えられるものだということで、これは他の言葉で表せば、「無」とか「空」とかという言葉で表してもいいでしょうし、「仏」とか「神」とかと言葉で表してもいいんじゃないかとも思いますけれども、そういう超越的なものと、それからもう一つ、逆にどこまでも唯一的に、個的に、意志的なる自己との「自己個人」私個人というものですね。私個人というものと、そういう私を超えた超越的なものとの、いわば両者の関係は絶対矛盾ということになるわけですね。こういうこう絶対矛盾するものが自己同一である。同一である、一体である、というところに宗教的な関係が成立するということをおっしゃるわけですね。
 
草柳:  言葉としては「絶対的自己矛盾」「同一」というふうな言葉はちょっとわかりにくいんですけれども、見てきた清沢満之、それから鈴木大拙、西田幾多郎という系譜というのはちゃんとあるわけですね。
 
田村:  そうですね。やはり表現としては、清沢満之は「絶対無限者」という言葉を使っていらっしゃいますね。それから鈴木大拙さんだったら「即非の論理」という「即と非」という言葉を使うと同時に、「超個の人」個人を超える人と個人というような言葉を使って関係をお考えになりますね。それからここでは超越的なるものと超越的なるものであると同時に自己の根源と考えられるもの、「超越的」という言葉をお使いになりますね。こうして使う言葉は少しずつ違うんですけれども、その中に流れている思想というのは、やっぱり仏教の空の思想、あるいは空の思想に裏付けられた「事々無碍(じじむげ)」(現象界の一切の事象が互いに作用し合い、融即していることをいう)というんですけれども、一つの現象と現象とが一体だ、というような考え方ですね。そういうようなものがベースになって新しい西洋的な考え方を受け入れて、そしてそれぞれの論理の構成をしていらっしゃるというような考え方だと思いますね。
 
草柳:  そして今挙げてこられた方々の考え方が、どんどん今世界に広がっていっているわけでしょう?
 
田村:  そうですね。そういう西洋哲学者の中の仏教の受容みたいなもので、もう一つ挙げますと、例えば京大にいらっした田辺元(たなべはじめ)(西田幾多郎とともに京都学派を代表する思想家。元京都大学 教授、京都大学名誉教授:1885-1962)さんという人が、戦争中の自分のあり方というものを反省して、『懺悔道としての哲学』というのをお書きになりますね。自分を懺悔するという形ですね。懺悔のあり方というものを親鸞の考え方に求めていくとか、そういうものがまた他の人にも受け継がれていったりというようなことですね。やっぱり西洋哲学の中のいろんな面に受け入れられるということもありますね。こうしてこう受け入れられた仏教思想が、また今おっしゃったように世界に広がりをもっていく。世界の中にいろんな分野で哲学者が出て、哲学的な思考のもとに西田哲学を勉強される、受け入れられる、というようなこともありますし、そして西洋哲学から得て新しい哲学体系を作っていく。その哲学体系が逆に西洋哲学者に影響を与えていく、というようなことがありますし、またそういう学者としての面だけではなしに、実際に外国の方で今お坊さんになって、日本に来られて坐禅の修行をされるとかというようなことも多いですし、アメリカや外国の中に禅の道場を造って広められたり、それからお念仏を広めたりというようなことで、明治時代に弾圧に反対して、逆にそれをバネにしていったというのが、今大きく世界中に広がっているという感じがしますね。
 
草柳:  最後にズーッとお話を伺ってきて、仏教の場合に、例えば一人ひとりの人間の生き方に置いて考えた時に、第一次的にはどうやって生きていったらいいのかということを、仏教は一体どういうふうに言っているのかとも含めて、これから二十一世紀に向かって、どういうふうな展開をしていくというふうに?
 
田村:  私は現在の日本の状況、現在の世界の状況ということを考える時に、やっぱり西洋的な思考だけではいかない。例えば自然と人間との共生という、共に生きるというようなことを考えた時に、西洋的な対立、抗争、征服というような考え方では、現実がどうしようもならずに行き詰まっていて、やっぱり仏教の空の論理というようなものを基礎にして、共に生きるということを考えていかないと、実際に現実の問題として行き詰まってどうにもならないんじゃないかというようなことを考えて、これは仏教が個人個人の救いに実際に参画する。個人個人を救っていくと同時に、世界自身をどうしていくかという時の一つの大きな基本的な原理になっていくんじゃないか。ますます大きく世界中で認識されていくんじゃないかというふうに、私は思いますけどね。
 
草柳:  今回で十二回終わるわけですが。
 
田村:  どうも有り難うございました。この放送を通じて家に電話や手紙をくださった方、道やお店の中で話し掛けてくださった方、大学の門で廊下で話しかけてくださった方、いろんな会議の時におっしゃった方、いろんな人に励まされまして、それからなお実際に直接のコンタクトはなくともたくさんの方が見てくださったということで励まされて、こう十二回ここまでやって来ることができました。どうも有り難うございました。
 
草柳:  どうも有り難うございました。
 
     これは、平成十一年三月二十一日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである