さわって広がる心の絆
 
                  国立民族学博物館准教授 広 瀬(ひろせ)  浩二郎(こうじろう)
1967年、東京都出身。13歳の時に失明。筑波大学附属盲学校を経て、京都大学へ進学。2000年に同大学院文学博士号取得。2001年より国立民族学博物館に勤務。「ユニバーサル・ミュージアム」(誰もが楽しめる博物館)の実践的研究に取り組み、“さわる”をテーマとする各種イベントを全国で企画・実施している。文化人類学者。国立民族学博物館民族文化研究部准教授。
                  ききて         住 田  功 一
 
ナレーター:  さわることで知るものの面白さ。さわらなければわからない事実。その発見や驚きを味わおうと呼び掛けるワークショップ(workshopとは、本来「作業場」や「工房」を意味するが、現代においては参加者が経験や作業を披露したりディスカッションをしながら、スキルを伸ばす場の意味を持つようになっている)が先月大阪で開かれました。講師を務めたのは、国立民族学博物館の准教授で文化人類学者の広瀬浩二郎さん、四十八歳。広瀬さんは、中学一年生の時、病気で視力を失いました。以来、さわることを通じて世界への理解を深め、現在は国内外でフィールドワーク(field work:ある調査対象について学術研究をする際に、そのテーマに即した場所(現地)を実際に訪れ、その対象を直接観察し、関係者には聞き取り調査やアンケート調査を行い、そして現地での史料・資料の採取を行うなど、学術的に客観的な成果を挙げるための調査技法である)を重ねています。
 
広瀬:  手を突っ込んでさわる。覗いたら見えますから、見ないようにしてさわる。おそらく僕は、だから生まれ付き見えない人たちと少し違うかも知れないんですけど、生まれ付き見えない人にしても、色とかはないにしても、自分なりの映像ではないですけど、像―イメージ、三次元のものを点を線にして、立体にしてという作業を頭の中でしている。
 

 
ナレーター:  今、広瀬さんは、さわることで開かれる可能性を「さわる文化」「触(しよく)文化」と名付け、その豊かな世界を人々に伝えようとしています。大阪府吹田市にある国立民族学博物館。広瀬さんは、ここで研究を進めています。これまで見て学ぶことが中心だった博物館に、広瀬さんは新たな試みを行いました。それがこちら、訪れた誰もが展示をさわって楽しむことのできるコーナーです。広瀬さんのアイディアを取り入れ、二○一二年に新設されました。
 

 
広瀬:  少しさわって頂こうと思うんですが、
 
住田:  ここはさわっていいわけですね。
 
広瀬:  そうですね。露出にしてでも自由にさわってください。
 
住田:  さわりますと、鳥の胴体の太さ。それからあと首の周りから、そして嘴が随分長いですね。
 
広瀬:  はい。
 
住田:  そして今度脚は、二本の細い脚ですね。
 
広瀬:  意外と細いんですね。
 
住田:  そうですね。何よりも木ですから固いんですけども、毛並みというか筋が細かく入っている羽の方向がわかりますね。
 
広瀬:  ええ。
 
ナレーター:  こちらは見ないでさわる展示。見ることで得られる情報をなくし、先入観を持たずにさわってもらうのが狙いです。
 
住田:  いいですか? この穴の中に、私、二つ穴がありますので、両手を突っ込みました。中に何か重たいものがありますね。
 
広瀬:  そうですね。
 
住田:  音がしますね。「砧(きぬた)(つやだしたたき棒)」、これがアフリカの砧(きぬた)なんですね。
 
広瀬:  木なんですけど、意外に持ってみると重たい。
 
住田:  ずっしりしています。
 
広瀬:  まずさわるということの意味みたいなのを感じて貰って。博物館というのは、見るだけでなく、さわるといろんなことがわかる。もっというとさわらないとわからないということがあるんだなみたいなことを感じて頂いて、博物館から帰って、普段の日常生活に戻って、学校とか、職場とかでも、ここで体験した「さわる」ということを意識して貰うと、少し日常生活の意識というのは変わってくると思うんで。
 

 
ナレーター:  眼で見るのではなく、さわることで感じる世界は、私たちに何をもたらすのでしょうか。今回はさわる文化を提唱する文化人類学者の広瀬浩二郎さんに、視覚を使わないからこそ辿り着けたという心の世界を聞きます。
 

 
住田:  「世界をさわる」というコーナーでは、見ただけではわからないことというか、見てわかったつもりになっているわけですが、実はわかっていなかった。こういうこと、たくさん気付かせられますね。
 
広瀬:  そうですね。そういうことに特に目が見えている方に気付いて、〈ああ、なるほど〉と思って貰うことがコーナーの狙いですね。
 
住田:  でもこの博物館とか、美術館というのは、大体「手をふれないでください」と書いていますね。
広瀬:  そうですね。欧米の場合だと、子ども向けのチルドレン・ミュージアムみたいな形、そしてハンズオン(Hands-on:体験を通して学習すること)という言葉が使われますけども、やっぱり子どもたちというのは、体験してみる、さわってみる、遊んでみてわかるということで、そういう形での「さわる展示」というのは随分早くから取り組まれていて、日本は大分後発ではあるんですけども、僕がやっていることは割とそのきっかけは目が見えない人ですけど、そこから広い意味でのユニバーサル、目の見える子ども・大人含めてみんなが楽しめる、そういう形に展開しているというのは、少し手前味噌になりますけども、割とこう日本の今の博物館も最先端とは言わないですが、けっこう良い線―国際的に見てもいっているんじゃないかなと思うんです。
 
住田:  そうなんですね。
 
広瀬:  まあ博物館、美術館ではご承知のように、「見学」見て学ぶという言葉が使われていて、「見て学ぶ、見てわかる」ことって当然たくさんあるわけですね。冒頭に挙げたように見るだけではわからないこと、もっというとさわらないとわからないことということもたくさんある。見ることも大事だけども、他の感覚も使って見ると、「こんなこともあるでしょう」という。
 
住田:  じゃ感覚をどういうふうに私たちはもう一度見直せばいいんですかね。
 
広瀬:  住田さんは、いわゆる健常者―健康が常の人。僕の場合は障害者―目が見えないので視覚障害者となるわけですけど。「健常者」健康が常の人という言葉に、凄く違和感があって、まあそこを「健康」の「健」でなくて、「見る」という字にして「見常者」見ることが常の人としてみたらどうだろう。そうすると確かに住田さんを初め、目が見えている人たちというのは、目には目に頼って見ることを常として生活している。一方僕のように目が見えない人というのは、見ることができない分「さわる」という。この「さわる」というのは全身の感覚を使う。皮膚感覚を使うという広い意味での「さわる」ですけども、さわることを常としている人。これをだから僕は「触常者(しよくじようしや)」という言葉を使うんですけど。そういう「見ることを常とする人」と「さわることを常とする人」―「健常者」と「触常者」という考え方をすると、今まではどうしても健常者と障害者の関係というのは、どちらかというと、弱者と強者ではないですけども、健常者が障害者をサポートする、そういうふうな図式になりがちだったわけですけど、そうじゃなくて、見ることが常の人、さわることが常の人という考え方をすると、少しその関係性というのは、一方向から双方向。今までは健常者が障害者に何かをしてあげる、して貰うみたいな関係だったのが、少しいわゆる文化間コミュニケーションじゃないですけども、お互いの得意なところを活かし合って、相互に活かし合う。共に活かす「共活(きようかつ)」なんていう言葉を使いますけども、そういう関係性というのが築けるんじゃないかなという。
 
住田:  ということは、健常者―見ることばかりを常にしている人は、自分が忘れているものは、もしかしたら触常者の人からいろいろ教えて貰って、そこの感覚をもう一度思い出す、あるいはそれを補っていくということもやり取りでできるかも知れないですね。
 
広瀬:  そういうキャッチボールができるとお互いにとって凄く面白い関係が築けるんじゃないかなと思うんですよね。
 
住田:  広瀬さんは、中学一年生で視力を失ったと伺っています。その後さわって、〈あ、わかる〉という体験、何がきっかけでそういう経験をされました、原体験は何だったんでしょう?
 
広瀬:  そうですね。今改めて思うんですけど、「さわる展示」を博物館でやろうとかというその原点というのは、やっぱり「見ること」と「さわること」の違いというのを気付いた。そこを追求していかなければいけないというのが、自分の生い立ち、住田さんが言ってくださったように、中学一年生の時に目が見えなくなる。その目が見えなくなるまでは、僕自身も弱視というので非常に中途半端なそんなにくっきりはっきり見えているわけじゃないんですけど、その見えにくい目だけども一生懸命見て、周りの人と同じことをやろうとしていたわけですけど、それが幸か不幸かまったく中学一年生、十三歳の時に見えなくなって、どんなに頑張っても周りの目が見えている人と同じことができなくなるわけですね。そこでまあ良い意味での開き直りというか、悟りを開いたというまではいかないですけども気付く。そのきっかけになったのは、一番大きいのは点字―さわる文字の点字ですね、それを覚えたというところだと思います。
 
住田:  点字というのは、このいわゆる指先の触覚ですよね。これで最初からスルスルと読めました?
 
広瀬:  点字に最初にさわったのは、小学生の時だったんですけど、ほんとに粒々しているのはわかりましたけども、とてもそれが文字だとは思えなかったんですし、これは読めるわけないと感じました。で、先ほど申し上げたように、目が見えている間というのは、何とか普通の文字を読もう。拡大鏡レンズを使って見たりとかしているわけですけど、それができなくなって、もう点字にさわるしかない。さわって読むしかないと。そこで覚悟を決めた。教科書は、結局盲学校へ行ってからすべて点字になりましたので、これを読まないと勉強ができない、本も。勉強はあんまりしなかったかも知れないけども、好きな本を読むとかというのには点字を覚えないといけないということで、そこで一生懸命してですね、真剣さが生まれると、火事場のバカ力じゃないですけど、だんだんわかるようになって。それは結局だんだん脳の中、身体の中に蓄積されていたと思うんですけど、それがある日パッと開く。それはだから「触覚の感覚が開いた」というふうな言い方をするんですけど、ちょっとわかると楽しいので、まさに暗号を解読するような楽しみじゃないですけど、ちょっとわかるとどんどん、次はどうなの次はどうなのみたいな感じで覚えていくと。
 
住田:  それが言ってみれば、さわって理解する一つの第一ステップの原体験みたいな感じですかね。
 
広瀬:  そうですね。それまでというのはやっぱり目が見えなくなるというのは、マイナス以外の何ものでもなかったわけですよね。今まで見えていたものが見えなくなって、それに付随してできていたことができなくなるということが沢山あるわけですね。歩くのもそうだし、日常生活においても、〈あ、見えている時はできたのに〉みたいな。それがマイナスだったわけですけど、ここで初めて見えなくなって―プラスという表現がどうかわからないですけど、それまで目が見えている時は、さわるとか、さわって文字を読むなんていうことは考えもしなかったわけですけど、そこにこう見えなくなったことに気付いて、何か自分の中に眠っている感覚が開いた。そこで初めて見えなくなった、ということの意味合いが少し自分の中で変わったということですね。
 

ナレーター:  地域の小学校を卒業した広瀬さん。中学校からは盲学校へ。そこでさわるだけでなく残った感覚を使ってこれからの人生を生きる術を身に付けます。その経験が視覚に頼らなくてもいろいろなことができるという自信を与えてくれたと言います。
 

 
広瀬:  盲学校の場合、勿論基準が目が見えない人、見えにくい人の基準で授業が進められるわけですから、点字を使っている人がスタンダードになるわけですから、あまり背伸びをしなくても周りと同じことができるようになったというのは一つメリットです。
 
住田:  中学、高校ですね。
 
広瀬:  そうですね。もう一つは、凄く今振り返ってみて大事なことだったなと思うのは、実は少し意外かも知れないんですけど、体育とか美術の授業ですね。結局僕は盲学校の体育ではほんとに視覚を使わない他の感覚―聴覚であり、触覚であり、身体感覚―身体全体を使ってできることを、当時の中学、高校時代はいろんなことをやらされて嫌だなと思ったんですけど、今率直に振り返ってみて、いろんなことをやらせて貰ってよかった。
 
住田:  例えばどんなのが?
 
広瀬:  僕は一番驚いたのは、中学盲学校に入って、走り幅跳びを全盲の生徒がやっていたことですね。僕は小学校時代、地域の学校に行っている時は、やっぱり踏み切り板がほとんど見えなかったので、危ないからしなくていいよ。で、みんなが走り幅跳びをやる時は、僕は見学をするか、あるいは立ち幅跳びと言って、最初から踏み切り板のところに立って、「1、2のよいしょ!」と飛ぶだけだったんですけど、まさか助走をつけて踏み切り板で踏み切って砂場に着地するなんていうことは、僕は目が見えにくいんだから無理だと思っていたわけですね。ところが盲学校に行ってみると、まあ言い方があんまりよくないけど、僕より鈍くさいというか、運動神経がそんなによくないんじゃないかなと思うような同級生が、歩数を数えて、助走は何歩でする。踏み切り板のとこから九歩とか、十二歩と決めてタッタッタッタッと自分で歩数を数えて「えっ!」と飛ぶと、勿論多少踏み切り板からずれるんですけど。それどもちゃんと砂場に着地できる。なんだ彼奴がやっているんなら俺もできるな、みたいな感じでおっかなびっくりやってみると一応砂場に着地できた。その時の自分自身の―先ほど点字が読めたのと一緒ですけど―「発見」。〈あ、俺こんなことができるんだ〉とか、目が見えなくとも―走り幅跳びは諦めていたけど―できるんだなみたいな、そういう発見がありました。
 
住田:  つまり触覚ですとか、歩幅ですとか、風とか、匂いとか、陽が温かいとか、そういったものをいろいろ駆使して感じるという、これがいわゆる広瀬さんがよくおっしゃっている「触文化・さわる文化」いろんなものに感じふれるということなんですかね?
 
広瀬:  はい。だからさわるというのは、どうしても手を意識しがちですけど、触覚というのは「全身」にそういう意味では分布しているので、足でもさわれるし、お腹でもさわれるし、
 
住田:  足でさわっていることになるわけですね。この歩幅はね。
 
広瀬:  今、住田さんがおっしゃってくれた風を感じるとか、熱を感じるというのも、広い意味でいうと皮膚感覚であり、触覚ということになるんで、「触文化・さわる文化」というのは、そういう意味でいうと、全身の感覚を使って生きるということ、そしてその原体験というのは、盲学校時代の体育の授業になるわけですね。
 
住田:  私たちはそういったものに、ある意味蓋をしてしまっているのかも知れないですね?
 
広瀬:  そうですね。まあ近代、現代という時代は視覚中心の時代になっている。何で視覚中心かというと、要するに大量の情報をより早く伝えるということにおいて、視覚に勝るものはないわけですね。そういうことで近代という時代は、視覚有利、視覚偏重の時代になってきて、勿論視覚が便利であり、凄く有効だということも認めないといけないんですけど、その一方で余りにも便利な目―視覚というのに頼りすぎていると、他の感覚を忘れてしまっている。たまたま僕の場合は、中学一年生の時に便利な視覚を使えなく、使わなくなったために、他の感覚というものの可能性であり、潜在力みたいなものに気付く。それが僕の盲学校時代だったんだと思います。
 

 
ナレーター:  中学と高校を盲学校で過ごした広瀬さんに、将来を考える時期が訪れます。当時盲学校の卒業生は、按摩や鍼の道に進むのが一般的でした。広瀬さんは、先輩たちと同じ道を進むべきか悩みましたが、進路指導の教師が掛けた一言で心を決めます。「見えないと何をやるにしても厳しいのは当たり前。ならば開き直って自分の好きなことをやりなさい」この言葉に勇気を貰い、大学で歴史を学ぶことを決意したのです。
 

 
広瀬:  単純な話でいうと、小さい時からチャンバラであり、歴史小説、剣豪小説とか、そういうものが好きでたくさんそういう本を読んでいたんですね。何とかチャンバラのことであり、戦国時代の話とか、そういうものを合法的に勉強できる方法として歴史の勉強を選んだというのが一つ。それからもう一ついうと、今度は真面目な話ですけども、今でも自分の中に凄く残っている言葉として、高校時代の日本史の担当の先生が、授業の時にチラッとコメントされた言葉なんですが、「障害者の歴史というのは、これまできちんとした研究がない。でも当たり前だけど、その今の時代も障害者と言われている人たちはたくさん社会にいるけども、時代を遡っていけば、当然医学も進歩してないし、割合的には今よりたくさんの身体障害者という人がいたはずだと。そういう人たちの研究というのは、きちんとされていない。それは何故かというと、二つ理由があって、一つは単純に、目が見えない人もそうだけど、自分たちの手で資料―歴史の資料を書き残すということがなかなかしにくかった、できなかったということがあります。物理的に資料が少ないということがあります。もう一つは、歴史の研究をいている人たち、いわゆる大学の先生であったり、研究者と言われている人たち、そういう人たちというのは、ほとんどいわゆる健常者―目が見える人であり、五体満足と言われている人たち、そういう人たちが研究をしていると、悪気はなくても、そういう障害がある人のことを忘れている。念頭にないということがある」。
 
住田:  なかなかそこにスポットを当たる発想がなかった?
 
広瀬:  そうですね。だから「当事者」という言葉が最近よく使われますけども、やはり「同じ立場のお前たちがしっかり勉強して、今まで注目されてなかった分野を明らかにしていくということが大事なんだ」と。僕は不真面目な学生でしたけど、なんとなくその言葉というのがズーッと心の中に残っていて、で、歴史研究をしよう。歴史研究に進もうと思った時には、単純にチャンバラ好きということに加えて、なんとなく障害者の歴史ということが、自分の中にテーマとして一つあったわけですね。
 
 
ナレーター:  一九八七年、広瀬さんは、京都大学文学部に合格。一般の学生と机を並べて学ぶ生活が始まりました。しかし専門課程に進んだ時、大きな壁にぶつかります。
 

 
広瀬:  大学に入って、一年生、二年生の前半の時期というのは、そんなに勉強もしなかったし、その分サークル活動とか、クラブ活動でいろんな経験をしたり、見聞を広める時期だったと思うんですけど、三年生に上がって専門課程に進学するわけです。そこで僕の場合は、国史があった―日本史があった、に進んだわけですけど、そうするとそこではいわゆる古文書演習―古文書というのは、日本の古い文字資料で、ミミズをのたくったようなと言いますけど、崩し字で書かれた資料ですね。
 
住田:  和紙に墨で崩し字で書いてあるもんですから、なかなか私たち見ただけでは分かり難いですね。
 
広瀬:  そうですね。先ず歴史学科に進むと、その古文書演習という、古文書を解読する作業というのがあるわけですけど、これは必須なわけです。良い面でも悪い面でも古文書を読めて一人前みたいなところがあってですね、周りの同級生も最初は住田さんがおっしゃってくれたように、日本語なんだけど、崩しているから全然読めないわけですけど、ところが崩し字辞典とか、そういう虎の巻があったり、あとなんとなく時代によって様式とか決まっていますので、そういうものをある程度知識としてマスターすると、だんだん読めるようになるわけですね。でも僕は文字通り手も足も出ない。古文書を読めない、どうしようどうしようと思っていたんですけども、ちょうど三年生の夏休みですね、今でも鮮明に覚えていますけども、ちょうどその時に自分が興味があったことというのが、ちょっと唐突ですけど、山伏のことに興味がありました。
 
住田:  山伏―山で法螺貝を吹いて、というイメージがありますけども。
 
広瀬:  はい。いわゆる障害者の歴史とはまた違いますけども、高校までの歴史の教科書に、そういう山伏の人たちのことってほとんど出ていないわけですけど、でも実は歴史を振り返ってみると、意外と大きな役割を果たした。民間信仰の領域の中で非常に大きな役割を果たしてきた。〈あ、こういう人たちがいたんだ〉。山伏の本を読んだりしていたんですけど、いまいちイメージが湧かないんですね。で、おそらく目が見えている人たちであれば、写真を見たり、DVDとかで山伏の修行の様子を見たりとかですね、そういう知識の得方ということがあると思うんですけど、僕の場合は写真を見たりということができないので、自分で体験してしてみようと。自分でなんかやってみようと。そうすると分かることがあるんじゃないか。
 

ナレーター:  広瀬さんは、山形にある修験道の聖地羽黒山(はぐろさん)で山伏修行に参加します。この時の体験が独自の生き方を選ぶ大きな力となったのです。
 

 
広瀬:  で、まあ山伏の修行と言っても九日間だけなんですけども、当時の僕からすると九日間知らない人ばっかりのところにポンと飛び込んでですね、で、修行を一応終えてまた山を下りてくるということは、それはそれで冒険なわけですね。修行だからこれも自分にとっての修行だと思って一人で恐る恐る出掛けて行ったということですね。
 
住田:  羽黒山へ山伏修行で体得と言いますかね、これは身に付いたぞということはどんなことでした?
 
広瀬:  もっと真面目に修行していたら、今ここに山伏衣装を着て出ていたかも知れないんですけど、そういう意味での宗教的なパワーを身に付けたということは全然ないんですけど、やはりフィールドワークの原点であったのは間違いなくて、やっぱり本ではわからない、文字だけではわからないことというのがたくさんあるなということを先ず感じたわけです。本でこう書いてあったと。〈ウン、なるほど〉で終わるんだけど、自分で体験してみると、〈あ、こういうことだったのか〉とかですね、例えば山伏修行で「南蛮(なんばん)燻(いぶ)し」と言って、唐辛子とドクダミを煎じた粉を火鉢に入れて燻すと、もうもうと煙が出て、それを吸うと非常にゴホンゴホンと咳が出て、汗が出て、涙が出て苦しい、
 
住田:  苦しみながらの修行ということなんですか?
 
広瀬:  煩悩を出し尽くすわけですけども。それはだから本でそういう修行があるということは勿論わかっているわけですけども、自分でやってみて初めて〈あ、ほんとに苦しいんだ〉ということが体験としてわかるわけですね。その他のことでいうと、例えばさっき「目が見えなくて、びっくり一人で行った」という話をしましたけど、周りもおそらくびっくりしたと思うんですね。目が見えない大学生が一人でポツンと来て。当然毎日通っている所とか、そういう所だったら一人でスタスタ歩けるわけですけど、例えばいきなり知らないところに行ったらトイレに行くこと一つもできないわけですね。もうちょっと嫌だけども背に腹は替えられないので隣りの人なんかに「すいません。僕、トイレに行きたいんだけど、連れて行ってください」と頼むわけですね。そうすると、頼まれた方も割と親切に「じゃ、一緒に行きましょう」みたいなことでトイレまで行く。案内して貰っている間にお互い黙っていたらなんか気まずいので「やぁ、暑いですね」とか、「修行って大変ですよね」みたいな、いわゆる世間話をするわけですね。そういうところから実は意外な発見というか、「何で修行に来ているんですか?」みたいなことを聞かれたら、「実はこれこれで」とみたいな話を聞いて、意外とそうやって人の話を聞く。これは僕にとってメリットだと思うんですけど、やっぱり目が見えないので目立つわけですよね。「あ、そこに目が見えない人がいる」とか、集団行動をしているけど、僕だけちょっと就いていけなかったりということがあるので、そうすると必然的に割と周りの人が声を掛けてくれる。そこから糸口にして参加している人たちにこうインタビュー調査と言ったら大袈裟ですけど、いろいろ聞いたりということで話の輪が広がっていく。山伏修行というのは、本当にこう曲がりなりにも一人でやり遂げることができた、ということでの大きな自信というのもあるし、もう一つは、フィールドワーク。文字に書かれていることを追求するということでは、僕は古文書が読めないし、周りの目が見えている人たちにとてもこれは勝負ができないけども、もしかするとそうやっていろんなところに行って人の話を聞く、あるいは自分の身体で体験してみる。そういうことというのは、僕に合っているし、目が見えないということがプラスに働く面もあるのかなという。
 
住田:  つまり喉で感じて咽せてゴホンゴホンという煙とか、そういう燻されるというのもこれはある意味ふれるということですし、人と人の心をノックしてコミュニケーションをとる、これもふれるということですし、
 
広瀬:  そうですね。
 
住田:  次のふれるがここで開けてきたような気がしますね。
 
広瀬:  はい。
 

 
ナレーター:  広瀬さんは、古文書を読めないと嘆くのではなく、聞き取りによるフィールドワークに勢力を注ぐことにします。研究対象に選んだのはイタコや琵琶法師など、目の見えない宗教者や芸能者たち。全国各地を訪ねて歩く日々が始まりました。
 

広瀬:  僕の中で二つテーマがあって、一つは、先ほど申しあげたように、山伏ということにズーッと興味があったので、いわゆるそういう山伏に代表されるような民間信仰であり、民族宗教みたいなものを研究していきたいという思いがある。もう一つは、大学に入試以来、ズーッと心の中になんとなく引っ掛かっていた障害者の歴史という、二つテーマがあったんですね。これは僕は半分冗談でいうんですけど、「カレーも食べたいし、ハンバーグも食べたいし、どうしよう。じゃ、カレーにハンバーグ入れて、ハンバーグカレーにしちゃおう」みたいな発想で、二つあるから何とかその二つを両方できるテーマはないだろうかと探した時に出会ったのが琵琶法師です。琵琶法師というのは、芸能者―琵琶に合わせて音楽を演奏する。そして語りをするという。芸能者というイメージが強いと思うんですけど、実は時代を遡っていくと、非常に宗教的な側面が強くて、宗教と芸能が一体の部分で活躍をしていた人たちなんですね。僕は卒業論文で取り上げたのは、九州の方に残っている―専門的な言い方をすると、「地神盲僧(じしんもうそう)」というんですけど、その人たちは実は中世―鎌倉・室町時代の琵琶法師の姿を現代に伝えている人たちなのではないか、という言われ方をしています。つまり琵琶法師についてはいろんな研究もあるし、文献も残っているわけですけど、僕の場合は、先ほど言ったように、文献も勿論大事だけども、それ以上に聞き取りということをズーッと意識していましたので、山伏の修行と同様で琵琶法師の姿を今に伝えている人たちが九州の方にまだ活動しているらしい。じゃその人たちを取材してみようということで、これが本格的な意味での調査ですね、僕にとっての最初です。
 

 
ナレーター:  広瀬さんが訪ねたのは、宮崎で活動を続けていた琵琶法師の永田法順(ながたほうじゆん)(1935-2010)さんです。長年受け継がれてきた独特の語りを直に聞くことができました。間近に迫る声を耳で受け止め、永田さんの語る物語の世界に全身で浸った瞬間だったと言います。
 

 
広瀬:  この声を聞いた時というのは凄くインパクトがあって、ほんとに贅沢なんですけど、取材に伺った時は、今の住田さんと僕と同じような感じでテーブルを挟んで、一メートルぐらいのところで「琵琶を弾いてみましょう」みたいな感じで、琵琶を取り出して、永田さんがベンベンとやり出して、琵琶の音の響きというのも凄いですけど、やっぱり声の凄さ。ほんとに低音の響く声ですね、迫力があって、それがこう僕の目の前からビンビンと伝わってきてですね、この凄さ。だからそういう意味ではまさに音にさわれたわけですね。空気が揺れているみたいに。それを生で感じて、この声の迫力であり、まあ多少学問的な言い方をすると「語りの力」―物語というのはもともと文字で書かれたんじゃなくて、本来はそうやって語られているということを生で感じた。その語りの力ですね。文字というものを媒介とせずに、音と声でその情報を伝える。その迫力みたいなものに圧倒された。これが琵琶法師の姿であり、こういう声と音に多くの人たちが惹き付けられて、当然多くの人が惹き付けられ支持されたからこそ琵琶法師という芸能であり宗教活動というものがズーッと脈々と続いてきたわけですから、そのなんか秘密が生で音を聴き、あの演奏を聴くことによって、なんか自分の身体に入ってきたという体験でした。
 
住田:  今は映画とかテレビとかで、映像そのもので私たちは、ドラマ、ストーリーを見るわけですけれども、その語りですよね。それでストーリーを私たちは心の中で描いていくわけですね、これは。
 
広瀬:  そうですね。なんか視覚優位の時代になると、そういうイメージを広げるとかという力が少し我々現代人から失われていっているのかなみたいなことを、永田法順さんの声を聴きながら感じましたね。卒業論文で琵琶法師のことをやって、修士論文では今度は東北のイタコ(東北地方などで口寄せを行う巫女で巫の一種。 シャーマニズムに基づく信仰習俗上の職である)を取り上げるわけですね。非常に粗っぽい言い方ですけども、東北、九州を見て、ある程度日本全体みたいなのを見渡すことができたし、目の見えない宗教者、芸能者の全国的な視野での役割というのは、ある程度後付けることができたと思って、今度博士課程に進学してですね、少し研究テーマを変えてですね、勿論ライフワークとして目の見えない宗教者、芸能者の歴史というのは追い掛けていくし、自分たちがきちんと明らかにしていかないといけないということも意識はしているんですけど、それだけをやっていたら狭くなるし、もう少し広く歴史や宗教というものを考えたいと。割と博士課程では、いわゆる「新宗教」新しい宗教ということで、明治以降日本に出てきた「新興宗教」という言い方をした方が分かり易いと思うんですけど、僕が研究対象として選んだのが京都に本部があります大本教(おおもときよう)(京都・亀岡市に本部をおく宗教団体。1892年(明治25年)、出口なおに降りた国祖・国常立尊の神示を立教の原点とする教派神道系の教団である。俗に「大本教」と呼ばれているが、正確には“教”を付けない)という教団です。これは今の人はあんまりご存知じゃないんですけど、第二次大戦前に宗教弾圧を受けたということで知る人ぞ知る教団なんですけども、ここの教団の教祖―教団では「聖師(せいし)」という言い方をしていますけど、その教祖で出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)(新宗教「大本」の二大教祖の一人。肩書きは「教主輔」、尊称は「聖師」。もう一人の教祖(肩書きは「開祖」)は、出口なお(直):1871-1948)という人がいます。僕はこの出口王仁三郎という人の魅力に填まったと言いますか、宗教者なんですけど、思想家としても非常にスケールが大きいし、面白いことを説いて、この王仁三郎が読んだ和歌の中に
 
耳で見て 目できき
鼻でものくうて
口で嗅がねば
神は判(わか)らず
 
という和歌があります。これを初めて知った時に、〈あ、これは面白い和歌だな〉。「耳で見て 目できき」というのは、ある意味で〈僕がやっていることだな〉と思ったんですね。例えば今日、住田さんの声を聞きながら、あ、美しい声だなと。住田さんのお姿であり、人格みたいなものを何となく想像するわけです。それと同じで、いろんな調査に行ってですね、耳で音を聞いていろいろ見ている。そうすると「目できき、鼻でものくうて」なんか違うわけですね。鼻は匂いを嗅ぐはずなのに、「鼻でものくうて、口で嗅がねば神は判(わか)らず」と。これは『宗教界』を読んでいる中で、「神」という言葉が使われているので、ちょっとそこで拒否反応を起こす人もいるかも知れないんですけど、「神」というのを、例えば「真理」とか「学問」とか、そういうふうに置き換えてみますと、非常に示唆的な歌で、何か常識的に考えていたら新しい発見はないんです。だから目で見るのが当たり前じゃないか。いや、目で見るだけでなく、目で聞いてごらんよ。耳で聞くだけでなく耳で見てごらんよと。なんかそういう常識とは違った感性の働かせ方をすると、あなたはものに出会うことができるんです。そしてさらにいうと、そういう新たな真理というものに本当に到達しようと思ったら、やっぱり常識というものを乗り越えなければいけない。そういうことを漠然とそれまで卒業論文、修士論文なんかを書く中で考え実践してきた中でなんかこの王仁三郎の和歌に出会ったことによって、それが第三者によって少し勇気付けられたという意味でこの和歌との出会いというのは凄く大きかったですね。自分の進んでいる方向はこれで良いのかも知れないと。
 

 
ナレーター:  二○○一年、広瀬さんは、三十三歳で国立民族学博物館に就職します。専門の日本宗教史と平行して「さわる文化」の研究に本格的に取り組み始めます。以来、研究の成果を発表する多くの展覧会を企画してきました。広瀬さんは、チラシやビーフレット(leaflet: 宣伝・広告・案内・説明などのために、一枚の紙に刷られた印刷物である)にもさわる工夫を凝らしました。点字を施し、誰もが楽しめる展覧会を目指しました。こうした取り組みの出発点となったのが、初めて企画した「さわる文字・さわる世界」という展覧会。この時会場には是非とも紹介したいと考えていた、あるものを展示しました。それは「ふれ愛観音」という直接手でふれることのできる仏像でした。
 

 
広瀬:  二○○六年にこの「さわる文字・さわる世界」をやった時に、先ず一番最初に「ふれ愛観音」を一般の人にも是非見て頂きたい、さわって頂きたいと思いました。考えてみるとこの「ふれ愛観音」との出会いというのが、僕がさわるとかということに拘りだした―一つは勿論さわる文字の点字に出会ったということもあるんですけど―もう一つの大きなきっかけがこの「ふれ愛観音」だったと思うんですね。この「ふれ愛観音」に、最初に僕が出会ったのは大学院生時代。これは宗教関係の業界新聞で知ったんですけども、じゃ「ふれ愛観音」を造っている西村公朝(にしむらこうちよう)(仏師・仏像修理技師・僧侶・東京芸術大学名誉教授:1915-2003)先生の話を聞きに行こう。そして愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)(京都市右京区)の住職をされていたのでお寺を訪ねたのが西村先生との最初の出会いでした。
 
住田:  その「ふれ愛観音」というのはふれることができるんですね。
 
広瀬:  はい。これは非常に意義深い観音さまで、僕のように目の見えない人たちに仏様の姿を教えたい。それが西村先生の一つの思いでした。そしてもう一つの思いというのは、これは目が見えない人だけがさわるものではなくて、やはり僕の言い方をすると、ユニバーサル―みんながさわるべきものだと。仏像というのは、考えてみたら高いところに鎮座在(ましま)しているけども、実は本当の仏様の精神というのは、やっぱり人間と同じ高さにいて、手を伸ばせばふれられる。それが仏様の本来の慈悲の心なんじゃないか。僕が、「ユニバーサル・ミュージアム」とかという、みんなでさわろうということを言っている一つの思想的な源流として西村先生との出会いというのがあるような気がします。
 
住田:  実際にさわって、お顔にふれて、身体にふれて、どういうふうに感じられました?
 
広瀬:  西村先生の作品というのは、非常にふっくらした感じの、優しい感じのものが多いんですけど、この「ふれ愛観音」もさわってみて、先ず僕が凄く感動したというか、気持ち良いと思ったのは、仏様のほっぺたが非常にふっくらしていて、丸っこくてなんかさわっていると何とも言えない優しい気持ちになってきてですね、おそらくそれは製作された西村先生の優しさ、仏様の心みたいなものだと思うんですけど、それがほっぺたのあのまるいふっくらしたものをさわっていると手から伝わってくる。そしてもう一つは、先ほど申し上げた同じ高さにいる。普通一般の仏像というのは、どちらかというと伏し目がちと言いますか、上から見下ろしている、
 
住田:  俯く感じの目線ですね。
 
広瀬:  そうですね。が多いですけど、実はこの「ふれ愛観音」はほんとに目がぱっちりしていて、真っ直ぐ前を向いているというか、さわっていると正面を向いている、仏様が見ている。
 
住田:  同じ高さで、
 
広瀬:  はい。目の瞳の位置とかも指でさわって確認でしますし、なんかぱっちりした目というものが、そこに込めた西村先生の思いというもの。仏様の顔をじっくりさわるなんていうことはあんまりあり得ない。さわってわかる。さわらないとわからない仏の本当の世界みたいなものがこの「ふれ愛観音」に込められているのかなということを感じますね。
 
住田:  「ふれ愛観音」というのは、「愛にふれる」と書くんですよね。
 
広瀬:  はい。
 
住田:  単にふれて、形わかってください、というだけではないものがあるわけですね。
 
広瀬:  そうですね。この「ふれ愛」という言葉を、僕が最初に大学院生で聞いた時は、生意気にも当時「ふれあい」という言葉が割と福祉系のイベントとか、施設名とかでけっこう安易にと言いますか、「ふれ合い」というのは漢字を考えると、文字通りに考えると、「相互接触」お互いにさわるという意味なんですけども、実は世間一般に使われている「ふれあい」と、ひらがなで書く「ふれあい」というのは、割と一方向と言いますか、何か健常者中心の考え方で行われているイベントが、名称として「ふれあい」と使われているようなものが多いという印象があったもんで、なんでこんなせっかくこんな素晴らしい仏様を造ったのに「ふれあい」なんだと。ところが二○○六年に改めてその「ふれ愛観音」と再開して、展覧会で展示するということになった時に、この「愛」という言葉、いい歳したおじさんが「愛」とかいうと、ちょっと恥ずかしいんですけども、実はこの愛―「ふれ愛」なんだと。その西村先生が「愛」という言葉に込めた思い。この「愛」というのはいろんな意味があると思うんですけど、先ずさわる側の僕たちが愛をもって仏様を優しく丁寧にさわる。そして仏様自身も愛をもって我々と同じ高さから優しく見詰めている。今度は文字通りふれ合いで相互接触ですから、ふれる方の我々が愛をもってふれる。ふれられる観音さまも愛をもって応え、そしてお互いの「愛」がぶつかりあうところに、独特の空間であり、その温もりが生まれる。そういう三つの愛。だからこれは「人と物と場所の愛なんだ」というふうに僕はいうんですけど。
 
住田:  ふれることでその情報を汲み取るとか、やり取りするということだけかと、最初私は思っていたんですけども、ふれることで何か通じるとか、心が行き交うというか、そういったことがやはりふれるということにはあるんですね。
 
広瀬:  そうですね。僕はよく「ふれるというのは、目に見えない世界を身体で探る手法なんだ」という言い方をするんですけど、そういう言い方をすると、それこそ「愛」というのはまさに目に見えないものの象徴でありますし、この博物館にあるものをさわる時もそうですけど、そのものをさわる場合には、そのものの背後には物を作っていた人、使っていた人、伝えてきた文化というものがあるので、そういう目に見えないものをこう感じ取るというのもこのさわるということの裏にある魅力であり、奥深さだと思います。
 

 
ナレーター:  さわることで得られる感動や発見を多くの人に知ってほしい。今、広瀬さんは子どもたちに伝える活動にも取り組んでいます。
 

広瀬:  これはさわってみてどう思った?
 
生徒:  プラスティック
 
広瀬:  プラスティックもある。
 
生徒:  鉄
 
広瀬:  鉄と木とプラスティック、いろんなものが組み合わさってできています。
 

 
ナレーター:  さわる文化を深めることで人間同士豊かなコミュニケーションができる。広瀬さんは、「フリーバリア」という新しい発想に辿り着きました。
 

 
広瀬:  「バリアフリー」と「フリーバリア」の違い。大きく考えると二つあると思うんですね。一つは、方向が一方向でなくて、双方向であると。どうしてもバリアフリーというのは、マジョリティとマイノリティ。障害者と健常者の関係というふうに考えると、マジョリティの健常者がマイノリティの障害者に何かをしてあげる。マイノリティの方からいうと「してもらう」という考え方になりがちです。そこはやっぱり一方向、強者から弱者への矢印みたいなことになりがち。で、弱者であるマイノリティ―障害者の側というのは、できるだけやはりマジョリティの方に歩み寄ろうという、マジョリティの基準に合わせていく。そういう方向になりがちなんですね。そこを一方向でなくて双方向。互いの持ち味を活かす。だからフリーバリアというのは―「バリア」というのを「違い」という言葉に置き換えてみると、それぞれの違いを認め合った上で、でもその違いを除去するんじゃなくて、違いを残しつつも自由にそこを往き来しよう。価値観は多様で、それぞれの持ち味を活かし合う。往ったり来たり、往ったり来たりする。その中の矢印の向きが違うと。そしてもう一つは、基準としてバリアフリーの場合は、障害者対健常者という考え方になっていましたけど、そういう考え方じゃなくって、今日「健常者」という言葉に違和感があるということを申し上げましたけども、見ることを常とする人、見ることが得意な人、さわることが得意な人、そういうふうに感覚の使い方。僕はあんまり「五感」という言葉を使わないんですけど、一般的には「五感」というのは、目であり、鼻であり、口であり、耳であり、そして触覚というのが五つなんですけども、人間の感覚というのは五つだけじゃないだろう。もっといろいろな感覚があるだろうと。そしてさらに重要なことは、五つというのはバラバラにあるわけじゃなくて、それぞれまさに往き来としている、交流している。王仁三郎の和歌でいうように、ただ耳は音を聞くためだけじゃなくて、もっと違う使い方がある。そう考えると何か「五感」という言い方は、非常に人間の感覚の可能性を限定しちゃっているみたいな気がして、自分がこう使う時は「感覚の多様性」という言葉を使うんですが、その感覚の多様性を尊重する。その感覚の多様性に基づいてさわることが得意な人、見ることが得意な人。そういうふうな考え方をすると、先ず従来の「障害」と言われていたものの捉え方が変わりますね。そういうふうに、今まで基準―当たり前とされていた「障害、健常」みたいなものを変えていく一つのきっかけとして「フリーバリア」。基準のあり方を、目が見える見えないというところ、耳が聞こえる、聞こえない、車椅子に乗って歩くか二本脚で歩くか、そういうところの違いじゃなくて、感覚の使い方の違いというところに基準を移すというのが二つ目のポイント。ここがフリーバリアとバリアフリーの違いだと思います。
 
住田:  私たちの日常は、たくさんの映像とか文字情報で溢れていて、取り入れる情報がもの凄く増えているんですけれども、そういった意味では最初に出てきましたけれども、私たちが忘れていた、あるいは使っていなかったことに気付くということが、今日この博物館でありましたね。
 
広瀬:  そうですね。僕は、「さわる文化、触文化」というのをズーッと提唱していて、その中で三つテーマをもって活動しているんです。一つは、「サイエンス―科学」。それは見るだけではわからないことをさわることによって明らかにしていこう。土器の中をさわってわかることとか、いろいろ物理とか化学の分野でもさわることによる発見というのが、これからもっともっとあっていいと思うんですね。それから二つ目が、「アート」。美術の中で現代アートなんかでは、見るだけの作品に飽き足らなくて五官で感じる。さわって鑑賞する作品なんていうのは増えているんですけど、そういう制作の側も鑑賞の側もさわるということを取り入れていくと、更に美術の世界というのが広がってくると思うんですね。もう一つ、今日中心にお話したこともそうですけど、実は「コミュニケーション」ということを凄く意識しています。人間のコミュニケーションというのは、やはりこれも近代という時代の一つの象徴ですけど、アイコンタクト(eye contact: 相手の目を見たり,視線を交わすこと。意思や態度などを相手の目を見ることによって伝達しようとすること)もしかりですけど、見るということ。そして今、住田さんが挙げてくださったように、今の我々現代人の生活というのは情報を得るのも視覚。コミュニケーションも以前は電話で声を聞いていくのを全部メールになったりスマホになったりということになっているわけですよね。そういう視覚中心のコミュニケーション、情報入手というもののあり方を大きく変えていく。だから「ふれ愛」という言葉、西村公朝先生があげた「愛にふれる、愛がふれる、愛でふれる」その三つの「ふれ愛」ですけども、そういう考え方を少し取り戻していくと、何か人間のコミュニケーションに少し風穴を開けることができると。そういうことを僕自身は博物館の展覧会なんかを通じて、そしてワークショップとか、そういう形で特に目が見えている人たちに伝えていくことができればというふうに考えています。
 
住田:  私たちの日常は些細なものから大きなものまで、いろいろな出来事・事件が起きているわけですけども、そこには思いの行き違いですとか、伝わらなかったことによる食い違いというのはいろいろ起きています。それはもしかすると、私たちは目で見ている情報だけに頼りすぎていたのかも知れないですね。相手の意図とか、心にふれるには、やはり声だとか、手と手がふれるとか、いろんなコミュニケーションがあるわけですね。
 
広瀬:  そうですね。ほんとにそういう意味で目に見えない世界、目に見えないものというのをどういうふうに我々が掴み取っていくか。その「さわる」という場合、僕がよく強調するのは、見るとか聞くというのは、やっぱりどうしても入ってくる。だから受動的になりがちですけど、手でさわる場合というのは、自分で手を伸ばして、手を動かして情報を増やして情報をキャッチしていく。そこが明らかに能動的なわけです。この「能動性」というのも一つこの「さわる」というのを考える時にキーワードで、今の時代というのは凄く若者もしかりですけど、受動的になりがちなので、やはりさわるという行為を通して、自分で情報を取りにいく。自分で人とふれ合うんだ。そういうことをしていかないと、やはり住田さんのおっしゃるように、世の中がちょっとおかしな方向にいってしまうんじゃないかと。逆にそういう方向にいかないためにも、今こそさわるべき、さわって絆を深める時代なんじゃないかなという気が致します。
 
     これは、平成二十八年四月二十四日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである