祈りの色を染める
 
                 染織史家 吉 岡(よしおか)  幸 雄(さちお)
昭和二十一年、京都市生まれ。生家は江戸時代から続く染屋。昭和四十六年、早稲田大学第一文学部文芸学科卒業後、美術図書出版「紫紅社」を設立。美術図書の編集と美術工芸の歴史を研学する。紫紅社で、豪華本『琳派』『根来』『正倉院裂と飛鳥天平の染織』『狂言の装束』『日本の髪型』など七十冊 (平成十二年四月現在) におよぶ出版活動を行ない、さらに『日本の意匠』『日本の染織』の編集長として、伝統美の集大成を編む。また、電通や朝日新聞社の委嘱を受け、コマーシャル制作や編集制作、美術展覧会の催事企画なども行なう。そのまま、出版、広告、催事の世界でその才を生かすと思われたが、生家に戻ることを決心、昭和六十三年、「染司よしおか」五代目当主を嗣ぎ、染師福田伝士と二人三脚で植物染による日本の伝統色の再現に取り組む。平成三年に奈良薬師寺三蔵院にかかげる幡五旗を多色夾纈によって制作し、きもの文化賞を受賞。同四年、薬師寺「玄奘三蔵会大祭」での伎楽装束四十五領を制作。同五年、奈良東大寺の伎楽装束四十領を制作。天平の時代の色彩をすべて植物染料によって再現して話題となる。平成二十年、成田空港到着ロビーのアートディレクターをつとめる (グッドデザイン賞受賞)。また、源氏物語千年紀にあたり、源氏物語の色五十四帖を再現。平成二十一年、京都府文化賞功労賞受賞。平成二十二年、日本古来の染色法による古代色の復元、東大寺等の伝統行事、国文学、国宝修復など幅広い分野への貢献が認められ、第58回菊池寛賞受賞。平成二十四年、放送文化の向上に功績があった人物に贈られる、第63回 (平成23年度) NHK放送文化賞受賞。
                 き き て 杉 浦  圭 子
 
ナレーター:  色とりどりの花が咲き誇る時季となりました。花の色は、人の心を潤したり奮い立たせたりしてくれます。人々はこうした色を暮らしに取り入れることに力を注いできました。染織史家・吉岡幸雄さん、七十歳。京都で江戸時代から続く染織工房の五代目当主です。長年自然素材の染料で染める技を究めることに取り組み、正倉院宝物の復元や歴史ある神社や寺が祭礼や法要で使うさまざまな供え物や飾りの品を調えることにも携わっています。吉岡さんが常に感じているのは、色を染めることに注がれた古(いにしえ)の人々の熱い情熱と手間の凄さです。
 

 
杉浦:  こちらが染め場ですか?
 
吉岡:  ここはわりと大きな長い布を染めるところの染め場なんですね。
 
杉浦:  今、ねずみ色を染めていらっしゃるんですね?
 
吉岡:  そうですね。これ矢車(やしや)(カバノキ科の樹木の実)という染料で染めています。ご覧頂くように、ちょっと茶色がかった染料―木の実なんですけど、薄い茶色の染料の液に浸けているわけなんです。今度はこちらにいくと、ここは定着させる液なんですけども、鉄分がたくさん入っています。
 
杉浦:  無色透明に見えますけど。
 
吉岡:  これを交互にいくことによってグレーになる。
 
杉浦:  茶色のものが鉄分を加えると、どうしてグレーになるんですか?
 
吉岡:  これはそういう化学反応みたいなものなんですね。
 
杉浦:  どのくらいの時間?
 
吉岡:  交互に十五分間染料の液に漬けますと、今度はこの鉄分の方のところに十五分というふうに、ほぼ同じ時間数かけておくことによって浸透力をつける。そして発色する。
 
杉浦:  手は止めてはいけない?
 
吉岡:  そうです。
 
杉浦:  それは大変!
 
吉岡:  これは井戸水を汲み上げているんですけどね。ちょうど百メートル地下までパイプがいっていまして、綺麗な水が地下水が上がってきているんですけど。
 
杉浦:  どうして昔ながらの伝統的な染色に拘っていらっしゃるんでしょうか?
 
吉岡:  私ね、江戸時代以前のたくさんの染織品を見てきたわけですよね。世界のものを見ましても、化学染料というようなものが発明される以前のものの美しさというものに、何か奥底に色があるというのか、今でも我々が勝てないぐらいの色ができているわけですよね。そういうようなもので古典に対する尊厳というかな、そういうものが基本的に僕の中にあるんですね。
 

 
ナレーター:  奈良の薬師寺。この寺では、国の繁栄と人々の幸せを願う春先の法要が千三百年あまり続いています。「花会式(はなえしき)」と呼ばれる今の形になったのは、九百年あまり前のこと。花会式では、本尊の薬師如来が桜やカキツバタなど色とりどりに染められた十種類の和紙の造花で飾られます。吉岡さんは、そのうちの四種類を納めています。花会式が始まったのは平安時代後期、堀河天皇が皇后の病気平癒をこの薬師如来に祈願したところ、病気が治り、皇后は翌年の法要で薬師如来に十種類の造花を捧げました。それ以来多くの人の祈りを表すように、さまざまな色に染められた造花が、今も仏を飾っています。
吉岡:  いつも生花ではないもんですから、こういうもので代わりにさせて頂いて、それを捧げるという、花と仏教の精神性みたいなものがこういうものを作ってきたんでしょうね。
 

 
ナレーター:  古の人々が心と技を込めて受け継いできた染め物の道。それを究めようとして見えてきた心の世界はどのようなものでしょうか。染織史家吉岡幸雄さんに聞きます。
 

 
杉浦:  先ほど工房で吉岡さんのなさっている古代から伝わる染色の工法を見せて頂いたんですけれども、とても手間暇がかかるようなんですね。
 
吉岡:  そうですね。手間暇かけないとできないということは第一ですね。染屋の一番のことだと思います。そう思っていなかったですけどね。
 
杉浦:  私は、一番驚いたのは、染める時に濃い染料に入れて短い時間に一気に染め上げるのかと思っていましたら、薄い色を何度も時間を掛けてゆっくり染めていかれるんですね。
吉岡:  それは、例えば絹糸とか繊維の中に一番奥まで入っているというか、丸の芯まで色が入っていないと、人間の目というのはやっぱり鋭いもんですから、上っ面で色を見ているんじゃなくて、奥底まで見ていないと満足しませんからね。やっぱりそういう浸透を強くしたものが美しいということなんでしょうね。
 
杉浦:  ただ単純に考えると、濃い色をこう布に与えると、それだけ色がよくつくような気がしますけど。
 
吉岡:  確かにつくことはつくんですよ。でもむらむらになりますわね。色が短時間で染めようと思うと、少し折れた状態のとこなんかは色が入らないですわね。引っ付いているところも入らない。フラットのところだけが入っていくという、そういうことが一つですね。まあ杉浦さんも主婦だから煮物を作る時に、強い火でバァッと炊いて濃くしたら、外側は味がついているようで、中は真っ白みたいなものができるじゃないですか。
 
杉浦:  早く煮えても中までは味が染み込んでないということはありますね。
 
吉岡:  だから一晩置いていたり、ゆっくり炊いて一晩置いて、また火を入れたら美味しかったりすることがあるじゃないですか。それと同じことですな。
 
杉浦:  ここにあります反物は、そういった昔からの自然の中で生まれた染料を使ったものですか?
 
吉岡:  そうですね。これなんかも先ほどご覧頂いた矢車とか檳榔子(びんろうじ)(檳榔樹の実)とかという木の実で染めて鉄分で薄く発色したもんですね。
 
杉浦:  職人さんが作業されていたのは、こういう色に仕上がるわけですか?
 
吉岡:  そうです。これがまあ一番高貴な色と言われる紫ですね。非常に妖艶な色になるわけで、これは紫草という草の根で染めます。
杉浦:  自然界にあるものってこんなに鮮やかな紫になるんですか?
 
吉岡:  しかもこれ土の中にある根っ子だけなんでね。表から見たら白い花が咲いて、緑の葉っぱに白い花が付いているだけなんで、どうして、誰が紫と発見したのか。「紫草」という名前が付いているからには、いつかそういうことをしたわけですな。そういうなのは不思議なもんなんです。
 
杉浦:  根っ子に色の素があるんだと。
 
吉岡:  ええ。見た目の緑とか真っ赤な花があるからと言って、それが染まるわけじゃないんですよね。むしろその色素を持っているものの中から一番隠れたところから引っ張り出してくるという。それがこの植物の染めの素なんです。
 
杉浦:  こちらのピンクと言いますか、桃色は何から染められているんでしょう?
 
吉岡:  これ紅花(ベニバナ)ですね。
 
杉浦:  紅花ってこのような色になるんですか?
 
吉岡:  ええ。
杉浦:  花そのものの色は、オレンジっぽい色、
 
吉岡:  赤と黄色と二つの色素を花弁(はなびら)にもっているんですね。ですから赤と黄色が混ざっているように見えるんで、おっしゃるようにそういうふうに見えるんですけどね。紅花の染色方法というのは、簡単に申し上げると、水に洗うと黄色が流れていくんです。だから黄色を先に流していって、赤だけ残して、今度赤は藁灰の灰汁(あく)で揉んでやると赤が出てくるので、その赤だけを取って染めていくわけですね。だから私のところ藁灰がいっぱい要るんですね。だから紅花という咲いたイメージでその色を見てもらうと、こういうようなものにはほんとに紅花かなというのは至極当然のようなことなんですね。
 
杉浦:  じゃ紅花からこのような色に染めるためには、そういう灰も作っていらっしゃる?
 
吉岡:  はい。
 
杉浦:  ほんとに一つひとつあらゆる工程のものを手作りされているんですね。
 
吉岡:  昔はみんなそうだったんですよね。日本の国は江戸時代の終わりを境に、いっぺんに科学文明が入って来ますから、それ以前はその通りやっていたわけで、藁灰が要ると言えば灰を買い、あるいは自分で灰を作り、そうしていたわけで。私たちは江戸以前の仕事を踏襲するというのかな、真似るというのか、そういうことをモットー(motto)としているんですね。だからよく考えてみると、人間というのは自然界の摂理と自分たちの生きる摂理とを上手く利用しながらやっているんですね。今の征服するという自然じゃなくて、お互いに助け合っているというか、共存共栄しているようなものが、良い技術だったり、いい理論だったと僕は思っているんですね。
 

ナレーター:  吉岡さんの工房では、江戸時代までに確立されていた古代の技法で糸や布を染めています。当然化学染料は使いません。染料の素となるのは、すべて自然が生み出したものです。吉岡さんは、歴史を紡いで人々が探し出してきた自然素材の染料が生み出す色には辿り着きがたい奥深さを感じると言います。
 

 
吉岡:  なんといったらいいのかね、決して粋がったり輝いたりしているわけじゃないんだけども、スーッと惹かれるというのかね
 
杉浦:  少し私たちにもわかるように教えて頂きたいんですけども、自然の、天然の染料だとどんなふうに見えますか?
 
吉岡:  派手で煌(きら)びやかかどうかという問題ではないんです。そうじゃないんで、本当に色の見えている裏にまだ色が見えると言ったらいいのか、自分たちの眼球の中の裏にまで色が入ってくるように見えるんですね。だから僕のところは、染色の染屋家業なので、上手に染めなきゃいけないと思っているんですね、先ず。美しく染めなきゃいけない。それから材料をムダにしてはいけないというか、持っているものを十分に引き出すということね。だから例えばこの紅花の染料で真っ黒なものを作るという考え方はあり得ないわけですから。これは紅花の染料を非常に上手に使ってあげて、こういう色を出すということが自分たちの任務だと思っていますので。
 
杉浦:  同じ天然の染料を使っていても、どうして違いが出てくるんでしょう?
吉岡:  それはやっぱり心ですわ。心がけというのかね。江戸時代の染屋さんがやっていたことがどんなふうにやったのか。桃山時代の人はどうなのかと。あるいは飛んで飛んで平安時代とか、なんとかそういうものを調べるというのが一番いいと。
 
杉浦:  何でも進歩していくように思いますけど。
 
吉岡:  そう思われるでしょ。
 
杉浦:  今よりも古代の方が勝れていたんですか?
 
吉岡:  そこが僕は、みなさんと全然違うところなんです。奈良時代とか、染織に関しては平安時代の方が一番もうピークだと思っていますね。
 
杉浦:  吉岡さんが考えていらっしゃる理想の色は、じゃ平安時代とか、その辺りですか?
 
吉岡:  そうですね。技術的なことは、こういう『延喜式(えんぎしき)』(平安時代にまとめられた法令集)とか、技術的とか、あるいは材料のことは書いてあるんんですよ。「縫殿寮」というところがありまして、ここに、
 
淺紫綾一疋 綿紬。絲紬、東?亦同、紫草五斤酢二升灰五斗薪六十斤帛一疋紫草五斤
 
例えば「淺紫綾一疋」と書いてありますね。「浅き」というのはこれは薄い。「紫草の綾一疋分」というのは、今の二反分の長さですね。およそ二十メートル織るのには、何がいるかと。その綾を織るのには「綿紬」紬を入れると。あるいは「東?」東国で作った細い?を使うと。その時には「紫草五斤」紫草が五斤要ると。「五斗の灰が要る」ということが書いてあるわけですね。また別のところの紫草を染めるには何が要るかということが書いてある。紫草を染める時には、紫草が要るということが書いてあるということは、紫の根が要るということがわかるわけですね。「灰が要る」と書いてある。これは「椿灰」と解釈できる。「薪が要る」ということは、温めていると。温度をあげないとこういう色にならないと。
 
杉浦:  じゃ、これは染色のためのレシピ帳みたいなものですかね?
 
吉岡:  そうです。これ平安時代の初期の、まあ今で言えば「法律施行要綱」みたいなものですからね。どういう役人が、どういう役割をして、どういう服を着るかとか、あるいはそれを作るための材料が、どこから税金として入ってきているかとか、そういうことが書いてある非常に興味深いもんなんですね。
 
杉浦:  その中に染め方、どういった材料を使うべきかというようなことも書き記してあるわけですか?
 
吉岡:  そういうことですね。これは非常に羅列してあるわけで、着た人がどのような気分でいたのかとか、どのようにしてそういうものを着たのかということは、ここには書いてない。僕は、その辺も一つ大事なことだと思ったんですね。何故この赤を求めるんだとか、何故この紫を求めたとか、何故藤色の花の色を着たいんだとか。そういうことをやるのが文学だなと思ったんですね。僕は古文書をやってみたいと思ったのは、そういう平安なら平安の王朝の人たちが、どのような気持ちで色というものに接していたか。何故色に拘っているのか。『万葉集』の中にも、何故色のことが書いてあるのか。そういうことをやるのが文学だと思ったんで、取り敢えず『源氏物語』を読もうと思って読んだんです。だんだん『源氏物語』を読んでいくとわかってきたのは、もの凄く色に拘っているなということがわかった。何故この季節にこういうものを着たら美しいのかというような、日本の色の発想ですね。これねこの中にある材料だけ考えましても、三分の一か三分の二ほどは、海外から輸入しているんです、材料は。それは「日本の色か」と言ったら、どうでしょう? 蘇芳(すおう)(インド・マレー原産の熱帯で育つマメ科の樹木)なんてこの国はできないんです。輸入していると。だからそういうものが「日本の色」と言えるかどうかということはまた別にして、その色、その染料を使って自分たちの精神性―精神性というと大袈裟だけど―まあ季節感に表すためにいろいろ使っていると。美しい色を求めるためには、海外からのものを買ってでもやろうというのは、もうこれは飛鳥から始まっていますね。だから気持ちが先ず先行して、その気持ちをどこに持っていくかというと、やっぱりお手本は自然ですから、自然の色をどのように取り入れるか。日本人の心というのは、やっぱりそういう微妙に移っていく季節、それに対しての思い入れというのは強いですわね、この日本列島。私は、日本人というのは、日本の色とかいろいろ言いますけども、すべてが日本列島の美しさだと思うんですね。その四季がゆっくりゆっくりと変わっていく。そういうものをどのように捉えているかという、そういうその美しさと自分の精神性とを合体させて表現するのが衣服であったり、手紙であったり、それを相手に伝える心だと思うんですね。ですから日本の人は、何か色を組み合わせるのには、その時に自分の好きな花をお手本にするとか、そういう基本になっているのが季節感なんですね。季節のそれぞれの自然の美しさをよく見て、自分のおしゃれと言ったらいいのか、表情に出してくるということが日本人の色だ、と、私は思っているわけですね。
 
杉浦:  例えば今の季節―五月でしたら、五月を象徴的に表す色はどんな色でしょう?
 
吉岡:  私は、五月は「紫の季節だ」と言っているんですね。
 
杉浦:  紫の季節?
 
吉岡:  「紫の時がやってきた」というふうに言っているわけです。先ず藤が花咲きますよね。薄い紫。それから今度は菖蒲(しようぶ)とかカキツバタ。それからそれは緑の剣のような葉っぱの上に貴公子のような紫がパアッと並ぶじゃないですか。ああいう紫の花と緑。それから桐の花が散るんですよ、その頃に。桐の花が大きいのでゆっくりゆっくり風にふうっと舞いながら落ちてくるんです。それも五月の終わり頃なんです。だから紫の季節というのは、藤に始まって、そしてカキツバタ、菖蒲(あやめ)、そして桐、そういうのが、僕らから言えば「紫の季節だな」と思うんですね。そういう捉え方というたら自然との共生の気持ちが日本人のそういう色彩感であり精神性を、心を育んできたんだろうと思いますね。
 
杉浦:  染めるというお仕事は、やっぱり日本の歴史とか、自然に必然的に関わっていくものなんですね。
 
吉岡:  そうですね。凄くそういう自然に対する感謝と、それを応用した力というのも、凄いものが日本にはあったんだなと思うべきじゃないかなと思いますね。やっぱり繊細さとか、そういうものは日本人特有のものじゃないですかな。それはやっぱり自然がこさえていると思うんですよ。自然のお蔭だと思っているんですね。自然をよく理解しているというか、自然に感謝している人は、そういう色に対する感性というのが自ずからついてくるんじゃないかなと思うんですね。
 
杉浦:  どうしてでしょうね?
 
吉岡:  この地球のそういう自然の形態というものが、人間にとって勝てないものだけども、敬いながら生きていかなければいけないところなのに、人間だけが我が儘なことをしているなという感じは、今の自分の中にありますね。
 

 
ナレーター:  吉岡さんは、一九四六年(昭和二十一年)に京都で江戸時代から続く染物屋の長男として誕生しました。親戚中が染物や美術に関わる仕事を生業(なりわい)とする環境で生まれ育った吉岡さんですが、染織の世界に入るつもりはなかったと言います。
 

 
吉岡:  家の仕事ってみな嫌ですよ。特に僕嫌なのは、その頃真っ白なトレーニングウエアで体操の時間やるんですよ。僕のには必ずなんか色が付いている。それ冷やかされるし、匂いもいろいろするし。僕は継がないということでズッと。特に高校生になったら意識が出るでしょ、自分の意識がね。父は理科系に行けと。父は、「染屋は偉大な科学者である」というフランスのなんか諺をモットーとしているんです。何でも科学的に分析しないと、植物染料といえども科学的に分析するとかね、そういうのが好きな人でしたよ。僕はどっちかというと、文学に傾倒している方だから、理屈に合わないことがいいとかね、計算上合わないことがいいというふうな感じですから合いませんわな。
 
杉浦:  親子でも葛藤などもありましたか?
 
吉岡:  継ぐ、継がないでですか? それはないですね。もう諦めていましたからね。
 
杉浦:  そうですか。お父さんの染め一筋に働いていらっしゃる姿を見て、どんなふうに感じていらっしゃいました?
 
吉岡:  親父は、働いているというよりも、大学の先生もしていたし―染織のね。あまり僕らの高校生で多感な時に家にいるという人ではなかったから。でも何しろ飯食っていても美術かなんかの話ばっかりしてズーッと。本でも美術全集みたいなのがいっぱいあって、もう家の父なんか別に染織なのに陶器の本を買ってくる、そういう父でしたからね。
 
杉浦:  そういうお話をズッと小さい頃から聞いておられたんですか?
 
吉岡:  そう。なんか骨董品とか置いてあるじゃないですか。僕の友だちが来て、「お前のとこのご飯茶碗が全然家と違うな」って。古い伊万里の茶碗とか、麦藁手っていう瀬戸の茶碗でご飯食べているんですよ。
 
杉浦:  普段使いされているんですか? 骨董品で。
 
吉岡:  全部普段のような。こういうそばちょこでお茶が出てきたりする、そういう家ですから。余所の家へ遊びに行ったら非常になんか健全な生活されているなと思って。家なんかなんていう家かなと思っていましたな。
 

 
ナレーター:  家業は継がないと心に決めた吉岡さんは、一年浪人して東京の大学へ進みます。当時心引かれていた現代文学を学ぶためでした。大学を卒業すると、出版社へ就職しますが、二年あまり勤めた後、一九七三年美術工芸を専門とする出版社を京都で設立して独立。書籍の企画と出版を通じて、日本の美術や工芸に深く関わるようになります。出版社を立ち上げて五年余り経った頃、吉岡さんのもとにある出版物を編集する依頼が舞い込みます。それは世界の染織と織物を探究する三十巻にわたる全集でした。以前は遠避けようとしていた染織の世界。吉岡さんはその染織の世界と正面から向き合うことになります。
 

 
吉岡:  取材に行かなければいけないですわね。そうすると物を生で見るということになるわけですね。写真を撮ったりしなければいけないし。その時から物を見て、目がやっぱり前は何となく趣味的に見ていたのが、今度は正確に伝えなければいけないということになりますわね。それでいろんな染織世界のものを見ていって、メトロポリタン美術館とか、大英博物館とか、英国のヴィクトリア・アンド・アルバートミュージアム(Victoria and Albert Museum)とか、そういうところに行ってはもう必死になって見ましたよ。そういう時にだんだんだんだん僕が美しいなとか、これはいいなと思うのは、大体一七○○年以前なんですよ、西暦でいうとね。それで一七○○年以前は何でかというと、結局化学染料が発明されていない時分。世界中が植物乃至貝の紫とかでやっている時代ですわね。だから何故こういうものが美しいのかなとか、何故そうなのかというのはだんだん感じてきましたしね。それでいろんな染織品なんかも、時々僕は見付けては買ったりして、この辺のコレクションに入れたりしていたんです。そういうところから色に対しての興味というのは非常に強く出てきましたね。まあ取り敢えず本を作るということは、非常にこまめに長い時間丁寧にやらないとあきませんから。そういうところで勉強になっていたんですね、今の仕事の。そうやっている途中に、広告代理店からも仕事の話がきてね、広告の仕事も大分しました。文化的なことをやっていると貧乏になるし、広告のように激しい世界で勝ってくるとちょっと金持ちになるしという、そういうアンバランスなことで三十代を過ごしましたね。
杉浦:  『染織の美』のシリーズのお仕事をする中で、改めてご自身の家の生業―染めの仕事について見つめ直すようなこともあったんでしょうか?
 
吉岡:  知識としてね。そういう知識が入れば入るほど深みにはまってくるというか。でも僕が染屋を経営するとか、五代目を継ぐとか、そういう感じはもう全然なかったですからね。そういう意識はまったくなかったですな。
 

 
ナレーター:  出版の仕事で忙しい毎日を送っていた吉岡さんに、染織の世界へドップリと浸かるきっかけが訪れます。それは父・常雄さんのライフワーク。常雄さんは「帝王紫」と呼ばれる古代の紫色の美しさに魅了され、その復元に勢力を傾けていました。帝王紫は古くから高貴な色とされ、三千年以上前の古代アンデス文明の遺跡でも、帝王紫で染められた布などが発掘されています。帝王紫は、特定の貝の中にある極わずかな量の色素を集めて作られていました。吉岡さんは、この貝の調査のため南米のペルーへ向かう父・常雄さんに同行することになったのです。一九八三年、吉岡さん、三十六歳の時でした。
 

 
吉岡:  私の父親は、もうその時でも、二十年ほど前にも行っていたんです、ペルーにも。たまたま僕が『染織の美』の取材で、その前の年に行ったんですわね。ペルーの情勢も変わっていたり、僕がなんかはいろんな人に出会えたんでね、「ペルーに行くんだったらこういう方を頼った方がいい」とか、道づてを作ろうと作ってあげたんです。それで母が「最後の親孝行だから就いて行け」というんですよ。危なっかしいからね、父が。その時六十七歳ぐらい。それで「じゃそうしようか」と言ってついて行って、然るべきとこで二週間か三週間ほどキャンプ張って、海岸で。そんなことしましたね。
 
杉浦:  お父さんが調査される様子を傍でご覧になっていて、何か感じることがありましたか?
 
吉岡:  歴史的なことは僕の方が強いなと思いました。父の技術は解明とかなんか凄いもんがあるなと。歴史的な背景とか、僕の方がよくわかっているから、助けていましたけど。父は原稿を書くのはもう一つだったんで、僕がかなり代筆していました。もう喋り倒すわけですよ、「早く書け」と言って。それを速記のように書いてね。
 
杉浦:  『染織の美』を作られた後ですから、そういう知識も吉岡さんにはおありだから。
 
吉岡:  そうですね。そんなことをやっていました。最後の親孝行だったんですわな、そういうことで。
 
杉浦:  実際にペルーでは、帝王紫の取材はどんなふうにできたんですか?
 
吉岡:  パラカスとかナスカって、ご存知ですか? 地上絵のあるところ。その所が、砂漠が海岸に落ち込んでいるところがあるわけです。ですから砂漠があって海岸に落ち込んでいると、人は行けないわけですわ。そこは歩いてしか行けない。とにかくそこへ四輪駆動の車を何台か用意してもらって、そして海岸まで行ったら、鳥がいっぱいいるわけですよ。それからトドが寄って来るしね。そこで貝を採集して、色を出したりして、一週間以上いましたから。
 
杉浦:  紫の原料になる貝は見付かりましたか?
 
吉岡:  幸運なんで、なんか海流によっては凄く当たり年と当たり年でない時があるそうなんですよ。その時はいろんな貝が上手く採れて、それでよかったことはありましたけど。まあこっちも親孝行できたなと思っていて。後メキシコへ一緒にそのまま行って帰って来たんですけどね。
 
杉浦:  その旅が家業を継ぐ大きな転機に結果的になったんですよね?
 
吉岡:  そうですね。夢にも思っていませんからね。
 
杉浦:  夢にも思っていなかったんですか?
 
吉岡:  夢にも思っていなかった。僕は実際染織のことをやるとか、そういうなの全然思っていませんでしたからね。ただもうやっぱり自然から採ったもので染めると、やっぱり良いなという、そういう感じはありますよね。まあしかし奇特な人なのか、ようあんなことで一生暮らしていたなと思うね。親父はあれで満足していたなと思って。
 

ナレーター:  一九八八年、身体を悪くした父・常雄さんの希望もあって、吉岡さんは家業を継ぎ、五代目当主となりました。四十一歳の時でした。しかし当主になってみると、苦労が絶えなかったといいます。
 

 
吉岡:  先ずね、着物とか帯とか、そういう産業というのかね、そんなのがダメになっていく時代だったですね、ちょうど。
 
杉浦:  着る人が少なくなって。
 
吉岡:  そう。それと僕は、自分たちが作ったものは、自分たちがわかっている人に買って貰おうという考えにしようと思ったので、いろいろ流通のものを切ったりしたんですわ。つまり物を売るシステムを変えちゃったこともあったんで、まあそういう苦労はありましたね。それと材料もキチッと買い集めておかなければいけないし、植物染料のね。そういうものの手配とか、みんな自分でやるわけですから、そういう意味の苦労もありましたし。それから売るシステムが定着するまでの苦労というのはズッとありましたね。今まで関係なかった人間が帰って来てやるわけですからね。それはもう少し若かったらよかったけど、私が四十一、二というような時ですから。「四十の手習いだ」と言って冗談を言っていたんですがね。何にも習っていなかったですから。
 
杉浦:  早速吉岡さんが取り組まれたのは、古代の色を再現する、復活されるということでしたよね。
 
吉岡:  それは父の代からも東大寺や薬師寺や法隆寺、そういうお寺や神社の仕事がありましたから。そういう受け入れて頂くというか、仕事を受け入れて頂く舞台があったわけですわね。そういうために僕は帰ろうと思ったこともあるわけですから。東大寺や薬師寺の年中行事の中の一部を担っているという責任感が、僕を帰らせたと思っていますからね。そこで行われる他の行事にも、衣装とか何かを、古代のやり方通りやってみたいというようなことが、こちらも思っていた、向こうも思っておられたので、ちょうど上手く合体できたというのかな、意見が合ったわけで、それで伎楽の装束とか、それから「庭幡(ていばん)」というんですが慶賀の日にフラッグを立てますね、
 
杉浦:  はた?
 
吉岡:  「幡(ばん)」というんですね。「そういうものを作ってくれ」と言われたり、それで仕事がだんだん場所を得たというのか、所を得たというのか、そういうことになりましたのでね。
 
杉浦:  これまでお話を伺ってきて、現代の物よりも昔の物の方が質が良かったと?
 
吉岡:  それはですね、できないんですよ、今の人がね。それに敢えて挑戦したいと思うようになってきた。そういう綺麗な色を。何故そういうことをいうかというと、我々のところにたくさん古代というか、江戸時代以前のいろんな布のサンプルがあったものですから。
 
杉浦:  サンプル?
 
吉岡:  例えばこれ「手鏡(てかがみ)」というんですけど。「布の手帳」ですね。これ大体江戸の初期の絞りですね。これほんと藍。これ紅花だと思うんです。それからこれは「摺疋田(すりびつた)」と言って、藍色でこうスーッと摺っていく。これ紅花なんです。これは藍かける黄色なんです。
 
杉浦:  綺麗な緑ですね。
 
吉岡:  これわかるでしょ。黄色がかかってから、藍がかかっていると。
 
杉浦:  はい。グラデーションになっているから。
 
吉岡:  こういうのを見てですね、こういうのは簡単にできるわと思うんですけど、できないんです。
 
杉浦:  ちょっとこれよろしいですか? たくさんいろんな刺繍のものもありますね。
 
吉岡:  ええ。紅花残っている、色がね。これ四百年前です。
 
杉浦:  四百年前の布ですか?
 
吉岡:  そうです。
杉浦:  綺麗な色が残っているんですね。
 
吉岡:  これを今出そうと思うと大変なことだ。
 
杉浦:  この絹の輝き、
 
吉岡:  でしょ。
 
杉浦:  全然褪せてないですよね。
 
吉岡:  これを見たら、今、我々は何を作ってきたのかと凄く反省するわけです。
 
杉浦:  ほんとに綺麗ですね!
 
吉岡:  これ紅花です。
 
杉浦:  溜息が出るくらい艶々とピカピカと光っていますよね。
 
吉岡:  これあなたにどんなに感激してもらっても、これをじゃ僕が作ろうかと言ったら、うう〜ん、ちょっと断ろうかなというぐらいの差が出ているわけですな。
 
杉浦:  今ではもうこの色はなかなか出せないものですか?
 
吉岡:  色も出せないけど、先ずこの糸がないんです、こういう糸が。それからこのような綺麗な絞りができる人がいない。「これなんでもない、ほんとにコピーにしなさい、真似をしなさい」と言われてもできないんです。これ四百年ぐらい前ですよね。三百年から四百年。
 
杉浦:  じゃ、日本の伝統的な色というのは家業を継いだものの、
 
吉岡:  そう。追いつかないわけですから、もう。この絞りなんて絶対できないです。
 
杉浦:  細かいですね。ほんとに綺麗ですね!
 
吉岡:  これ絹糸の作り方から違いますからね。
 
杉浦:  わぁ! なんとモダンなデザイン、
 
吉岡:  これ光琳です。光琳のデザインですね。これ尾形光琳(おがたこうりん)のデザイン。
 
杉浦:  わぁ! 琳派(りんぱ)ですか?
 
吉岡:  そうですよ。
 
杉浦:  だからモダンなんですね。
 
吉岡:  これさっきご覧頂かなかったかも知れませんけど、藍の薄い絵の具を作ってたんですが、この色が出せないんです。
 
杉浦:  綺麗な水色ですよね。へぇ! こんな優しい色が藍で。
 
吉岡:  ところがこれでも驚いたら―というのは、まだまだ桃山時代になるともっと凄いのがある。それから平安時代のものもあるし、奈良時代もあるし、飛鳥までのぼる。
 
杉浦:  吉岡さん、ゴールは遠いというか、挑戦し甲斐がありますね。
 
吉岡:  ところが僕の思っているのは、ピークが飛鳥かも知れないし、平城京かも知れないし、平安時代かも知れないと思うと、もう千年以上の話じゃないですか。それより近いとこの方が楽だと思っても、これも追いつかないわけじゃないですか。そういう時に絶望感というか、出ますよね、当然のことながら。こればっかり見て、感心ばっかりしているわけですわ。ウンウン呻って。だから僕はね、どの職業でも自分の就いた職業の古典を見るというか、一回歴史を振り返ると、それがやっぱり恐さを知る一番の勉強だと思うね。何かの仕事を見付けたら、この仕事の、誰がこういうものを歴史としてやって来たのかと。物を見るということが大事だと熟々(つくづく)思いますな。それからさっき申し上げたように、植物の色をちゃんと出せば、これぐらい色を、人の感動を得るようなものを出せるわけですから、それには非常にいいもんだというふうに思っていますね。
 

 
ナレーター:  自然の賜物がもたらす奥深い美しさを知ってほしい。吉岡さんは、各地で展覧会を開いています。展覧会では、かつて染めた布などがどのように使われたかを、古文書にもとに再現し、人と色との関わりがわかるよう工夫しています。今の日々の暮らしを自然の色で彩りたいと望む人が訪れています。展覧会より多いのが講演です。
 
吉岡:  東大寺には事務所の裏側にはまだ正倉院と同じ蔵が残っているんです。そういうところに物を取りに入ったり時々するんですけど、ショックを受けるというのか、動転するというような感じがしますね。特によく保存がきいているなと思われるものには、今年になって染めたのかなと思われるような綺麗な色が残っておりましてですね、我々千二百年経った時に、どれぐらい進歩しているのかというと、進歩していないんじゃないかなと思う。奈良時代とか平安時代の方がピークにきていてですね、平成の染屋なんてどの辺まで下っているのかと思われるぐらいですね。まあいろんなそういう技術とかを残している我々唯一の世界でも奇跡的な国なんです。
 

 
ナレーター:  古代から育まれ、時を超えて日本で受け継がれている染めの技と心。それを末永く伝えていけるようにするのが自らの使命だと、吉岡さんは捉えています。その心を支えているのが、人々が色に願いや祈りを込めているという思いです。法要や祭礼のために毎年欠かさず染め続けているのは、吉岡さんなりの祈りの姿なのです。
 

 
吉岡:  今年も見事に咲きましたね。
 
大谷: はい。ほんとに有り難いことで、年々続けて毎年こう花を飾らせて頂くと、今は温室もありますし、冷暖房がありますから、世界中からお花も来るし、いろいろ作れるんですけど、昔の方はこのお花をこういう昔の修二会(しゆにえ)ですから寒い時期に見たらビックリしたでしょうね。
吉岡:  やっぱり仏様に花を捧げるという心がね、いつも生花ではないもんですから、こういうもので代わりにさせて頂いて、それを捧げるという。花と仏教の精神性みたいなものが、こういうものを作ってきたんですよね。
 
大谷: 私は薬師寺にお世話になって随分長くなるんですけどね。仏様のいらっしゃる世界は、一年中花が咲いていると。こうやって造花で作られたというのは凄い創造性ですよね。
 
吉岡:  そうですね。
 

 
ナレーター:  色は、ただ美しいだけではない。美しさには願いや祈りが込められている。その願いや祈りを色という形にするのが、この世で頂いた務め、と吉岡さんは考えています。
 

 
吉岡:  日本の国は継続の国だと思っているんです。継続していることによって仕事も継続できる。技術も忘れない。だから僕も「古代古代、古典古典」と言っていますけども、現代性とか、現代的応用というものも探らないと、それはダメになるだろうという感じはもっていますよ。
 
杉浦:  吉岡さんの指を見ますと、あぁ染織に携わっていらっしゃる方だなと思うんですけれども、吉岡さんにとって、色って何ですか?
 
吉岡:  いやぁ、自分のすべてだと思いますしね。色は自然とイコールですよ。色は自然と思えばいいし、そうすると畏敬とか畏怖の念が出てくるし、それ全部自分に降りかかってくるものだと思っている。中でも植物から貰う色の奥底にはまた色があると思いますな。そういうふうに思ってやっています。
 
杉浦:  奥底にまた色がある?
 
吉岡:  なんかここでストップだと思っていると、まだあるような、という感じがするんですね。
 
杉浦:  今日お話を伺ってきて、四季の豊かな日本の自然の中にある色を使って、自然の命も頂きながら、色を染めておられるのが吉岡さんのお仕事なんですね。
 
吉岡:  そうですね。だからそれでいて、自然の崩壊とか、そういうことにはなってはいけない。ある程度適量なものを貰って作るということが大事ですわな。あるいは一回抜いたものは、次ぎまた植えるというような、そういう気持ちでないとダメですよね。
 
杉浦:  なんか色のことから、自然や歴史・文学、さまざまなことまでこうイメージが広がっていきますね。
 
吉岡:  そうですね。一つのことからいろいろなことが派生していくわけですよね。水が張ってある池に石が落ちたみたいなように広がっていくということが、よくわかるように一年の歳時記をこう感じながら生きていくということが、今一番大事じゃないですかね。
 
杉浦:  それを日々の染織のお仕事をしながら、吉岡さんご自身も感じていらっしゃるんですか?
 
吉岡:  そうです。僕、自分が仕事に帰って感じたことは、さっき申し上げたように、近道を辿ったりしてはいけないと。サボってはいけないというのが、時間を短縮してはいけないということと、それから自然のそういうものを鑑賞、目で覚えるということと、自然と共存しているということを認識することと、それから仕事そのものが歳時記のようになっているなという気持ちですね、そのリズム感はとっても心地よいです。
 
杉浦:  ほんとに今日は長時間有り難うございました。
 
     これは、平成二十八年五月二十二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである