歎異抄を語るEつながりあういのち
 
                    武蔵野大学教授 山 崎(やまざき)  龍 明(りゆうみよう)
                    き き て   草 柳  隆 三
 
草柳:  「歎異抄を語る」の六回目です。今日は、「つながりあういのち」と題して、『歎異抄』五条についてお話を進めていくことにいたします。ところでもともと日本の仏教というのは、亡くなった人への追善供養ということを抜きにしては語ることは出来ないと言われているわけですが、この『歎異抄』の今日取り上げる第五条の冒頭で作者の唯円は親鸞の言葉として、「私は父母(ぶも)―親の供養をするために念仏を申し上げたことは無い。一返(いつぺん)たりともない」というふうに言っているわけです。一体この親鸞の思想の背景というのは一体どういうことなのかということを中心にして、今日はいつものように武蔵野大学教授の山崎龍明さんに伺ってまいります。どうぞ今日もよろしくお願い致します。
 
山崎:  よろしくお願い致します。
 
草柳:  私も実はびっくりしたんですけれども、この一番最初のところで、今紹介したようなことを言っているわけですね。これはかなり過激といえば過激ですよね。
 
山崎:  そうですね。第三条の「善人なをもって」もそうでしたけど、第四条もそうでしたし、一つひとつ改めて『歎異抄』を読んでみますと、今おっしゃったように、もう常識どんでん返しといいましょうかね、私たちの思考の枠組みをひっくり返すようなそういう文言といいましょうかね、言葉がずいぶん『歎異抄』に出てきますね。第五条というのは、他も同じことですが、長年やっぱり誤解をされてきた。本当の、子が親を思う追善とか供養というのは何なのか。そういうことが軸になりまして展開されている。そういうある意味で非常に仏教の根本に関する大事なところではないかなという思いを持っているんですけれどもね。
 
草柳:  もしかすると、もちろんこんなことはないんでしょうけども、親鸞という人はあまり親孝行ではなかった人ではないかなんていうふうに思う人もいるかもわかりませんですね。
 
山崎:  そうですね。最初の一行「父母(ぶも)の孝養(きようよう)のために云々」というと、現にそういうことをおっしゃる方はかなり多いんですよ。特に私の接している学生なんかでも、そこだけで「親鸞さんは親不孝であった」というようなことをいう人もずいぶんおりますしね。本当にそうなんだろうか。逆にいうと、じゃ僕は学生諸君に、「親孝行って一体何なんだろうか」ということを問題として提起することがあるんですけどもね。そういう面でいうと、やはり後から出てきますけども、僕はここの主題というのは、どうしたら子供が亡き親に、あるいは亡き方々に何をして差し上げることができるのか。それが可能なのか、不可能なのか。不可能であるとするなら、どういう道があるのかという非常に大事なことを第五条ではやっぱり語っているんではないかと思いますし、幼い時にお母さんと別れていますからね。お父さんとも別れて生きておりますから、僕はそういう意味では親鸞さんは親孝行だったというつもりはないんですけども、親を思う気持ちというのは、人一倍強かったんではないかなという、私の思いですよね。そういうことがあったときに、じゃ自分が何をすべきなのか。何が出来るのかというのがこの『歎異抄』第五条の世界に繋がっていくように理解しているんですけどね。
 
草柳:  じゃ第五条をまず全部読んでみます。
 
親鸞は、父母(ぶも)の孝養(きようよう)のためとて、一返(いつぺん)にても念仏申したること、いまだ候(そうら)はず。そのゆゑは、一切の有情(うじよう)はみなもつて世々生々(せせしようじよう)の父母・兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生(じゆんじしよう)に仏(ぶつ)に成りてたすけ候(そうろ)ふべきなり。わがちからにてはげむ善にても候(そうら)はばこそ、念仏を回向(えこう)して父母(ぶも)をもたすけ候(そうら)はめ。ただ自力(じりき)をすてて、いそぎ浄土(じようど)のさとりをひらきなば、六道(ろくどう)四生(ししよう)のあひだ、いづれの業苦(ごつく)にしづめりとも、神通(じんずう)方便(ほうべん)をもつて、まづ有縁(うえん)を度(ど)すべきなりと云々(うんぬん)
 
これが第五条の全部なんですが、また山崎さん、最初からまず今の言葉に換えてくださいますか。
 
山崎:  そうですね。私なりにこの第五条を理解しますならば、私、親鸞は亡き父母(ふぼ)ですね、父・母の孝養(きようよう)―「孝養(きようよう)」というのは一般的に親孝行という意味であったんですけれども、これが後の時代になりますと、単なる親孝行でありませんで、これが亡くなった方に生きてる者が追善と言って善いことを行って、亡くなった方を安らぐとか救うとか、いわゆる追善供養という意味にこの孝養(きようよう)というのは変わってくるんですね。これは副読本にもちょっと書いておきましたけども、平家物語とか源氏物語なんかでもこの孝養(きようよう)というのがそういう言葉になって表れますし、特に法然上人のもので、法然上人のお弟子になりました熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)という人が敦盛(あつもり)の首を打つんですね。その時に「人手にかけ参(まいら)せんより、同(おなじ)くは直實(なおざね)が手に懸参(かけまいら)せて、後(のち)の孝養(きようよう)をこそ仕候(つかまつりそうら)はぬ」人手にかけるよりも、自分が打って、以後の孝養をつかまつるとこう言っておりますから。自分が首を切って、そして自分が追善供養するんだ、という言葉なんかも見えますので、そういうことになりますと、この孝養というのは、いわゆる亡くなった方々の幸せのための追善供養という意味が、この言葉の中では理解するのが一般的だと思うんですね。そういう亡き方々のために、私はただ一度たりとも阿弥陀仏という念仏を振り向けるような、こちらから回向(えこう)するような、そういうことは一度もありません。これはまた背景も私はあると思うんですね。ひょっとしたら、お弟子の念仏者が、「親のために私は念仏を回向しようと思います」というようなことがあったかも知れませんし、その時に、「いや、そうではないよ。私はそういう念仏は称えたことがないんだよ」というようなことも想像のできるところですね。「そのゆゑは」ですから、その理由が二つ後に出てまいりまして、その意味はどういう意味かというならば、ここが第五条のキーワードといってもいいでしょうかね、「一切の有情(うじよう)」―「有情」というのは、これは仏教には「衆生(しゆじよう)」という言葉がありますね。一切の生きとしいけるもの。仏教の生命観というのは、人間だけではありませんから。人間だけ良ければいいというんではなくて、一切の存在するもの。「有情」というんですが、一切の生きとしいけるものは、みな好むと好まざるにかかわらず、「世々生々(せぜしようじよう)」いわゆる時代を超え、歴史を超えといいましょうか、生まれ変わり死にかわりして、「父母(ぶも)・兄弟」ですから、関わり合いを持っているんだと。つながりがある存在なんだという、仏教の生命観と言いましょうかね、「いずれもいずれも」ですから、この「順次生(じゆんじしよう)」といいますのは、一般的に言葉の約束事で言いますならば、今この生が終わって次の生に生まれ変わって、私は仏になって、そして十二分に仏の悟りを開いた上で、仏(ぶつ)の働きによってすべてのものを実は「たすけ候ふべきなり」と。だからこの土(ど)において、いかなるものであっても生きとしいけるものを十二分に助けとぐる、救うということは困難なんだ。私はこの困難性の中から、じゃどうしたら私たちは救いをつかさどることができるのかという、後段に繋がっていくんではないか。そういう読み方をしているんですけれどもね。
 
草柳:  今のところで、この五条の中ではやっぱり前段の今のところが大事なんでしょうね。後半ももちろんそうでしょうけれども。
 
山崎:  そうですね。つながりがあるという意味においては、前半の中心には「一切有情は」。やはりその場合には、一般における供養というものをどう考えるかということを、念頭においておく必要があると思うんですね。まず一般的に言いますと、仏教というのは、亡くなった方の方を向いて、そしてお経―読経するということが仏教。それ以上でも以下でもないというのが一般的にあるじゃないですか。そのことにやっぱり僕は、親鸞は非常に時代的に背景的に疑問を持たれた。僕はやっぱり住職なんかしていますと、ご法事にまいりますでしょう。その時にお経が終わりまして、そして法話をするんです。その後にみなさんの会食―「お斎(とき)」と言いますが―その時に皆さんが例外なくおっしゃるのは、「ご供養だから食べてください」という言い方ですよね。だから若い時は、「供養というのは食べることなんだ」と。皆さんで亡き方を偲びながら一緒に同じところでいただくことが、亡くなった方のご供養になるんだという考え方も、これもどちらかというと一般的ですし、今もそれが生きているということがありますよね。でも僕は親鸞さんという人は、曾孫の覚如(かくによ)という人が書いた書物の中に、大変有名な言葉があるんですが、「私が死んだら鴨川に投げて魚の餌にしてほしい」。「某(それがし)閉眼せば、賀茂河に入れて魚に与(あと)うべし」という言葉が非常にさっきおっしゃったショッキングな言葉ですよ。僕はよく冗談で、「私が死んだら多摩川に投げてくれ」というたら、家内が大変な目に遭いますよね。親鸞という人は、なぜそんなことを言ったのかというと、やはりその当時の仏教というものが、供養観の否定みたいなものが、ひょっとしたら当時は名だたる力をもつお坊さんが亡くなられたら、もうなん昼夜にわたって、もう何百何十というお坊さんを従えて、念仏を回向するとか、読経するということがあったときに、私はそういうものを目の当たりにしたときに、親鸞さんは、「いや、仏法の本当の供養というものは、こういうものじゃないんじゃないか」という思いも、私は想像してみるんですね。ですから、「私は死んだら鴨川に」という極端なことですが、その書いた覚如という人のその言葉の後に、だから仏法にとって一番大事なことは、ダルマですね―教えによってどう人生を切り開くかということが大事で、「喪葬を一大事とすべきにあらず」と書いていますから。「喪葬」葬儀ですよね。それをもって一大事としてはいけない。「最も停止すべし」。停止というのは一時停止。仏教では「ちょうじ」と読むんですが、「全く停止(ちようじ)すべし」とこう書いていますから、その辺に本来の仏教とちょっと今は違うんじゃないかというような、僕は親鸞聖人の思いが背景にありましてね、そしてこういう五条の世界が、供養とは何かということを一回考えてみなければならないという世界として生まれてきたんではないかなという、そんな私は思いを持つんですけれどもね。
 
草柳:  そうすると、例えばそれまでの価値観といったものを、なんか相当ひっくり返すような言い方ですよね。
 
山崎:  そうですね。大体私は副読本にも書いていますが、「この世は儒教、あの世の仏教」という言い方を僕はよくするんですが、この世は儒教で、お上のいうことに忠実にね。あの世のことは仏さんにお任せして、いいところに生まれさしてもらいましょうという、非常に皮肉的な言葉ですが、ひょっとしたら私は日本の仏教の歴史というのは、そういう歴史を歩んできたんではないか。ですからごく一部の例外を除きましては、世俗の誤りに対して、仏教者が敢然とその誤りを指摘するということは、例外的なことを除いてはほとんどないですよね。そういうところで、私は「この世は儒教で、あの世は仏教」。だからその仏法というのは、あの世にいいところに行くためのものというような形で、僕は仏教者自身が位置付けてしまった。それに対して親鸞さんはとんでもないと。違うんだよというのが、今でいうと極端な発言にもなったでしょうし、私はやはり法と言いましょうかね、ブッダがダルマ(真理)と言われた。大体私たち人間というのは、真理というものは、あんまり受け止めたくないという思いとか、受け止められないという、そういう思いが私たちの日常だと思うんですね。そういう日常を破ったところに、実は開かれた本当の世界があるんだと。ただ我がお父さんお母さんだけに幸せになってもらおうというのは、親鸞さんにしてみたら、どう考えましても、それはとらわれた閉鎖的な営みでしかない。もっと仏法は広い一切有情はつながり合っているんですよ。僕は、だからこの日本で起こっていること、あるいは中東、あるいはいろいろなとこで悲惨なことがアフリカ、アジアで起こっていますよね。学生によくいうんですが、そういうことに僕たちがどこまで想像力を発揮できるだろうか。ほとんどできないですね。だけど私はそういう豊かな想像力を持つことによって、やはりこの地球上で起こっていることを、みんなこの私と繋がりあっているんだと。「広島と長崎の、日本は唯一の被爆国ですが、あの問題というのは、広島・長崎だけの問題ではないんだと。人類みんなに繋がっている問題なんだ」ということを、昔、ある先生がおっしゃいましてね。つまりそのつながりですよね。それは広島・長崎だけの問題でない。全人類に関わりつながりを持つんだけれども、それがなかなか見えない。想像力を発揮していくと、それはまさにそれは全人類の悲惨な事柄ですから、そういうことを含めると、そういう法に出会ってみると、すべてのものがつながり合っているという広い世界が開かれてきますよ、ということが、この前段の中では大変大事なことですね。
 
草柳:  つまりそういうことだから、親鸞にしてみれば、ある特定の人を対象にしたその人だけのための念仏はしない、ということになるわけですか?
 
山崎:  そうですね。だから特定の、でも心情としましては、お父さんお母さんお兄さん、つながりがありますよ。そういうものはなかなか否定できないでしょうけど、僕は親鸞さんに、そういう思いがなかったというのは、ちょっと間違いじゃないか。やっぱりあったんではないか。だけど仏法に生きるものの本質としては、「それは間違っているんだよ」っていうことを、ただこれは僕は親鸞さんのスタイルというのは、第三者にだけ向かって発信するというんでなくて、常に言われることが自己に向かって同時に配信しているんだという意味にとられるんですよね。だからお父さんお母さんいろんな繋累があるんだけど、否定できないけど、本当にそういうところにとどまっている限り、それは仏法、特にこの場合には、念仏を持って手向けるわけですから、それは念仏を私物化することになるんではないですか。そのことに気をつけましょうという思いがありますし、私は「亡き方を慰める」という言い方がありますよね。「供養」というのはそうなんでしょうが。亡き方を慰めるというのは、言葉としては美しいですけども、僕は実はよく考えてみると、親鸞聖人はこういうことを考えたと思うんですが、結局自分を慰めているんではないか。亡くなった方を安楽にさせたいという思いは美しいですけどね、そのことによって自分がひょっとしたら安心したいという気持ちがないだろうか。僕は随分あると思うんですよ。前に出てきたかもしれませんが、例えば法事なんかにまいりましても、そういうことがありますよ。「いやぁ、今日はお忙しいとこありがとうございました。これは故人もきっと喜んでいると思います」。あれ自分が喜んでいるんですね。僕は、故人を喜ばせて安心してもらって、自分もやっぱり喜んでいるんではないか。言葉は悪いし、お叱りを受けるかもしれませんが、それでしたら、ひょっとしたら手向ける念仏によって自己満足といいましょうか、自分が満足する世界が供養というところに、言葉は美しいけど、とどまっているんではありませんか。そういうものは手段にしてはいけませんよ、という非常に厳しいメッセージが、この第五条の前半ではないかなという、そんな理解をするんですけども。
 
草柳:  親鸞はその辺のところは相当厳しく、だけどさっきおっしゃるようにそれは、つまり自分に対しても当然もちろん言っていることなんでしょ?
 
山崎:  そうですね。『歎異抄』だけでなくて、他の文献の読み方もそうですけどもね。私は、親鸞聖人が書かれたものというのは、やっぱり第一人称と言いましょうかね、常に自問自答でないけども、そういうものの中から生まれてきたものである。例えば煩悩―怒りとか、腹立ちとか、妬(そね)みとか嫉(ねた)みが多い煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫という場合には、そこにすっぽりまず自分自身が入っていらっしゃる。というようなことを見過ごしますと、第三者に対する発信のような形で受け止めると、やっぱり親鸞さんという人が分からなくなってきてしまうんじゃないか。だから常にこういう言葉も自己を俎板(まないた)の上に載せながら、誰に問われるともなく、自らに言い聞かせていったというニュアンスを非常に強く感じますけどもね。
 
草柳:  ここで言ってる「念仏」というのは、どういうふうに理解すればいいわけですか?
 
山崎:  そうですね。「念仏」といいますのは、「仏を念ずる」と書きますから、ご承知のように、心の中に仏さまの徳をきちっと思い浮かべるという。それを「念仏」というふうに理解する方もおります。一般的には、「ナムアミダブツ」と口に唱える念仏ですから。よく時代劇なんかを見ていますと、人が殺されそうになる時に、手を合わせて「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」とこう「助けてください」という念仏ですよね。そういうお願いの念仏もありましょうし。だから念仏といいましても、立っている立場によって随分僕はいろいろな意味に取れる念仏みたいなものがあるんではないか。この場合の念仏は、ですから「親鸞は、父母(ぶも)の孝養(きようよう)のためとて、一返(いつぺん)にても念仏申したること、いまだ候(そうら)はず」ですから、お父さんお母さん、あるいは繋累の方が、死後の世界で幸せになってくださいと、お願いするお念仏を称えたことは、私は一度もありません。それは今申しました一つは、すべては父となり母となりと繋がりあっているいのちだからと。そういう確認がそこにまずあったんですが、これも難しいことですよね。すべてのいのちはつながり合っている。あらゆる存在するものがつながっているという生命観は、広大なものであるが故に、なかなか身近なところでピンとこない。私たちもそうですよ、繋がりのあるものなら助けるけども、つながりがなければ見て見ないふりをするという実態があるじゃないですか。だけどそれはどう考えても、しかし本来なるものではないという確認も、そこでやっぱり一つ出てくるんではないか。
 
草柳:  その一切のいのちはつながり合っているということからすると、この最初の前段の方の「念仏を亡き人々の幸せを祈る手段とはしない」とこういうふうに読めばいいわけですね。
 
山崎:  そうですね。
 
草柳:  そうすると、じゃその背景として一体何が考えられるのかということをですね。先ほどの後段の方をちょっともう一度見ながらお話を伺っていきたい。「わがちからにて」のところから、これも少しわかりやすく説明していただけますか。
 
山崎:  そうですね。「わがちからにてはげむ善にても候(そうら)はば」だから念仏というものが、私の力量で、私の能力で作り上げた善根、あるいは功徳、そういうものであるならば、それを亡き方々に振り向けいて―「回向」ですから、振り向けて、そして亡き方々をお救いする、安らかにする。お救いするということもできるでしょう。しかし今おっしゃったように、念仏というものは、私の力量、私の能力でこしらえあげたものでないから、それは不可能なことです。であるならば、ただ自力を捨てて、そういった自らの営みによって、あらゆるものをお救いすることができるという思いを捨てて、前も出てきましたが、「いそぎ浄土の悟り」ですから、少しでも早く人間の無力さに気づくことによって、そしてその無力のものが出会った、つまり阿弥陀仏の働きによって、「悟りを開く」ですからね、私たちが真実に目覚めて、だからお救いするということに、まず私がいそぎ真実の仏の悟りに目覚めるわたしとなって、そして「六道四生(ろくどうししよう)」というのは、ご承知のように、「六道」とは、
 
地獄―苦しみの極限的状況
餓鬼―食べても食べても満足が得られない
畜生―動物の世界
修羅―戦いにあけくれる鬼の世界
人間―人間界
天上―天人の世界。有頂天
 
の六つの迷いの世界。「四生」といいいますのは、 「四つの生まれ」と書いていますから、あらゆる生物の生まれ方ということなんですけどもね。
 
胎生(たいしよう)―親の胎内から生まれるもの
卵生(らんしよう)―卵から生まれるもの
湿生(しつしよう)―湿気の湿なんですが、カビのようなもの、そういう生じるもの
化生(けしよう)―その三つ以外の生まれ方をするもの
 
だから文字通り一切の生きとしいのちあるものを、一切の生命体と言ってもいいですね。そういう「六道(ろくどう)」いわゆる「りくどう」とも言いますが、迷いの境界にある人々、どのような自ら造る業によって苦しんでいる人であったとしても、仏の悟りを開くことによって、いわゆる超越的な力を身につける。「神通の方便」ですから、人々を救うという働きをこの身に備えて、まず「有縁(うえん)」一切の生きとしいけるものを、「度(ど)す」というのは、これは済度ですから、救うですね。救うべきであると親鸞聖人がおっしゃいましたというのが、この後段の、特に「わがちからにてはげむ善」ここですね、これを「自力の善」。これならば、その念仏をもって亡き方を安らかにするということもあり得ましょうけども、私たちは阿弥陀仏からこの私に賜った―回向された南無阿弥陀仏でありますから、それは南無阿弥陀仏の功徳によって人々を救うことができるんだ。非常にこの辺が難しいんですけども、言葉としてはこういう解釈が一般的な理解ではないかと思いますね。
 
草柳:  ここの後段のポイントはどこになりますか?
 
山崎:  そうですね。私は、「神通(じんずう)方便(ほうべん)をもつて、まづ有縁(うえん)を度(ど)すべきなり」という。先ほどちょっと僕は申しあげようと思っていたことですけども、一切のいのちはつながりあったものだと言いますけども、なかなかこれが理解難しいということを申しましたね。ですけども、ちょっと私、宮沢賢治(みやざわけんじ)(詩人・童話作家。岩手の生まれ。法華経に傾倒し、農学校教師・農業技師として農民生活の向上に尽くすかたわら、東北地方の自然と生活を題材に、詩や童話を書いた:1896-1933)のことをちょっと短い時間で申し上げたいんですが、宮沢賢治は三十七歳で亡くなる。この九月二十一日が命日だと思いますが、生誕百十年といわれる。賢治は大変熱心な浄土真宗の門徒の家に生まれたんですね。そして三歳の時に、結婚に失敗して実家に帰ってきたおばさんにですね、親鸞聖人の「帰命無量寿如来」という、『正信偈(しようしんげ)』という、それから室町時代の蓮如(れんによ)上人という人の「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕べには白骨(はつこつ)となれる身なり」という「白骨の文(ふみ)」、ああいうものを三歳の時に教えられていたんですね。お父さんは非常に熱心な真宗教徒で、賢治が十歳の時に、お父さんが有志の方と夏期仏教講習会というのをやってるんですね。そこに賢治が聴講に行って―十歳ですよ―暁烏敏(あけがらすはや)(真宗大谷派の僧侶、宗教家:1877-1954)という著名な念仏者の講話を聞いたり、十一歳の時に多田鼎(ただかなえ)(明治-昭和時代前期の学僧。真宗大谷派。清沢満之主宰の浩々洞同人となって機関誌「精神界」を刊行:1875-1937)というやはり大谷派の念仏者の講話を聞いたりしているんですね。そして十五歳の時に盛岡に願教寺(がんきようじ)という有名なお寺があるんですよ。そこに島地大等(しまじだいとう)という大変な学僧がおりました。その学僧の講話を聴きに行ったり、そしてその方の特に『漢和対照、妙法蓮華経』の講義を聴いているんですね。
 
草柳:  ですから宮沢賢治の作品の中には、相当仏教の影響とか、それが色濃くあるということをよく言われますよね。
 
山崎:  そうですね。ですからそういう幼児期から非常に教えを受けている。ただ真宗の場を離れまして「法華経」の行者と名乗りますが、非常に賢治は大変な感銘を受けたというふうに書いていますよね。だけど十九歳の時に、その島地大等という学僧から、同様に『歎異抄』を一週間聴いているんですね。私はだからその『法華経』の精神と『歎異抄』、そういうものの中にやっぱり宮沢賢治の文学のやっぱり根底を見ることもできるんではないか。でほんの僅かですけど妹のトシさんが亡くなった時に、非常に賢治はご承知のように苦しみますね、悲しみます。その時の詩にこうあるんですね。
 
(みんなむかしからのきやうだいなのだから
けつしてひとりをいのつてはいけない)
ああ わたくしはけつしてさうしませんでした
あいつがなくなつてからあとのよるひる
わたくしはただの一どたりと
あいつだけがいいとこに行けばいいと
さういのりはしなかつたとおもひます
(『春と修羅』「青森挽歌」)
 
こういう言葉なんですね。みんな昔から兄弟なのだから、決して一人を祈ってはいけない。私は『歎異抄』にこだわるんではありませんが、もちろん『法華経』のすべてのものは救われるという思想と、「一切の有情(うじよう)はみなもつて世々生々(せせしようじよう)の父母・兄弟なり」というようなことが、懸命にですから島地大等さんから聞いたんでしょうね、宮沢賢治さんはね。こういうところにもひょっとしたら影響の一端が、いのちの循環、いのちのつながりがあるんではないかなということも考えてみるんですけどもね。
 
草柳:  そのいのちがつながり合っているということは、 一つ浄土真宗に限らず、親鸞に限らず、僕は仏教の一番大事な押さえ方というか、ということではないかと思うんですけども。そうしたつながり合っているいのちということから、例えば親鸞の、亡くなった人に対して、一返たりとも念仏は申したことがない。その背景ですよね。その思想の根底、つまり親鸞の念仏観はどういうところにあったんでしょうか?
 
山崎:  そうですね。僕は一言で言いますと、先ほど出てきました、「私の念仏は―回向ですね―如来から賜ったものであるから、私しするべきものでないと。次の第六条にですね、親鸞はお弟子がいっぱいいましたのに、「弟子を私は一人も持っていない」という発言がありましたね。それはなぜなら、阿弥陀仏が説いたことを私は取次で皆さんに聞いてもらっている。だから私の弟子でなくて、弟子というのはみな阿弥陀仏の弟子―仏弟子であるんで、そういうところを背景に「親鸞は弟子一人(いちにん)ももたず候ふ」という言葉が出てきたんではないか。ですからそこで、「ひとえに弥陀の御もよおしにあずかって」ですから、それはつまり真実を体得された仏の働きによって成り立っている人間関係なんだ。あなたも仏弟子、私も仏弟子、だから縦に並ぶんでなくて、横に一列に全部並ぶ関係なんですよということを、私は連想するんですね。だから回向、つまり私に振り向けられ、届けられた南無阿弥陀仏の教えと、南無阿弥陀仏の念仏であるとするならば、これは私のものでは全くあり得ない。それをだから亡き方に振り向けるということは、道理としてはまことにおかしなことなんだという原理といいましょうかね、根本がやっぱりそこに押さえられていたんではないかという思いがありますけどもね。
 
草柳:  「弥陀の回向」ということで、和讃を一つ選んでもらったんですが、その和讃をちょっと紹介したいと思うんですけれども、
 
真実(しんじつ)信心(しんじん)の称名(しようみよう)
弥陀(みだ)回向(えこう)の法なれば
不回向(ふえこう)となづけてぞ
自力(じりき)の称念(しようねん)きらはるる
 
というこの和讃、これは簡単にいうと、どういうことを言っているわけでしょうか?
 
山崎:  そうですね。だいぶ前に出てまいりましたが、「真実」というのは、親鸞さんというのは、「人間には所属しないものなんだ」という明確な規定があるんですね。人間は残念ながら「不実そのものである」と。ですから「真実」というのは「仏=仏」。ですから親鸞の『教行信証(きようぎようしんしよう)』というのは「顕浄土真実」という題があって、これは「真実とは何か」ということを模索し著した御書物。ですから「真実信心」つまり信心というのも真実とイコールですから、これは仏からこの私に、だから私たちは教えを聞いて、その教えに〈なるほど、そういうことであったのか〉という深いうなずきですね、それは如来から働きかけによるうなずきですから、そういう信心。そういうところから、あぁそういう尊い世界が私に届けられたのか、というところから称える称名。「御名を称える」を唱えると書いていますから、念仏ですよね―南無阿弥陀仏。先ほどの「念仏」というのは、人を助ける念仏とか、いろんな念仏がありますが、親鸞聖人は真実なる教えを私が恵まれて、その教えによって救われていくところから出てくる喜びの念仏なんですね。だから「報謝」とか「感謝」の念仏という言い方があるんです。そういうお念仏は、弥陀回向ですね、つまり阿弥陀仏からこの私に届けられ―文学者の亀井勝一郎(かめいかついちろう)さんは、「賜りたる信」といいましたね。阿弥陀仏によって賜りたる法―真理・ダルマでありますから、これは「不回向」。「回向」というのは、私からは仏さまに差し上げるというのが仏教の「回向」ですからね。親鸞聖人は、仏の真実が私に届けられたものを回向と言いますから、これだから一般の「自力の回向」というものでありませんから「不回向」。私から仏さまにというものでないから、否定ですね。「不回向」と名付けるんです。したがって「自力(じりき)の称念(しようねん)」でありますから、これは「称念」というのは「称え心」と僕は言っているんですけどね。これだけ念仏を称えているとか、もっというとこれだけ教えを何十年聞いているとか―そういう方ずいぶんいるんですよ。「私は四十年、五十年聞いてきました」それが手柄になっちゃっているんですね。そうじゃない。日々やっぱり新しでね、そういうことじゃないんじゃないですかと言いますけれども、やっぱり長い時間かけて教えを聞き続けていたり、念仏を称えていらっしゃる方は、信じている自分、あるいは称えている自分にこだわるんですね。それを称念―称える心を嫌うというのが、この和讃の簡単に申しますと、根本の意味だと思いますけどね。
 
草柳:  つまり念仏というのは、大きな力から賜ったものであるということですよね。
 
山崎:  はい。
 
草柳:  弥陀の力である。
 
山崎:  そうですね。
 
草柳:  そうすると、例えばそういう親鸞聖人の念仏観というのは、そのことが当然根底にあるわけでしよう。多分一人で救えるということについては限界がある。救えない。そういう自覚の中で、じゃそれではどうやって亡くなった人たちを救うことが出来るのか。その辺は『歎異抄』の中ではどんなふうに親鸞は言っていらっしゃるんですか?
 
山崎:  そうですね。私は『歎異抄』の文言で、「ただ自力を捨てて、いそぎ浄土の悟りを開くなば」このなかなか難しい言葉でありますけども、私の力で救うことが不可能であるとするならば、まず私が人を救うことのできる身にならなければならない、ということが一つ、最初の問題としてあると思うんですね。今おっしゃった、それは何かということであります。親鸞さんのこの言葉、教えから申しますならば、まず私が仏になることであると。「仏になる」ということは、ただ死ぬというふうに短絡的に考えますと、死んでから後にということになりますけども、僕は、「いそぎ仏になる」というのは、単純にそういう意味でありませんで、いそぎ仏になるような、この世での仏教者としての営みを展開することが大変大事なことなんだと。教えに導かれ、仏の智慧を賜ってこの土を生ききる。そこに人生の苦しみや悲しみを乗り越えていく世界が開けますよね。そういう世界を一直線に歩むということが、僕は、いそぎ仏になる最も近い道なんだと。そして人間は人間以上でも以下でもありませんから、この身をもっている限り仏ではありませんから、この肉体の業が尽きて仏になったときに、親鸞さんが「還相」といいますが、自分が救われるということは、必ず悲しみ苦しみ悩む人を救わなければならないという、これが「還相」でありますが、セットになったものですから、そういう私になるという。つまり思念と言いますかね、願いを持つという、そういう道を生きることが、僕は、「いそぎ仏になる」という、そういう念仏者の生き方なんだと。信仰者の生き方なんだ。そして仏になった暁に、一切の生きとしいけるものを、ここでは「まづ有縁(うえん)を度(ど)すべきなり」と、こういうふうに説かれていますけどもね。そういう私になるんだという。そこが念仏者としての目指す生き方と言いましょうかね、歩みであるということが、この最後の文章のところではないかなと、こんなふうに理解するんですけどもね。
 
草柳:  その「有縁を度すべきだ」という、最後の言葉なんですが、ちょっとそこへ引っかかってしまうんですけども、一番最初のところで、「念仏を一返たりとも申したことはない」というふうに言っていますよね。大変ショッキングな言葉で始まっている。その言葉といくらかここなんか矛盾するところでありませんか?
 
山崎:  そうですね。『歎異抄』のいろいろなたくさんの著述・参考書を読んでみますと、やっぱりそれがあるんですよ。この「有縁」をどう理解するのか。例えば「有縁」というのは、縁のある人ということになりますけどもね、これは例えば増谷文雄(ますたにふみお)先生、この方の素晴らしい『歎異抄』の本がありますが、この先生は一切の生きとしいけるものはつながりがあると言いながら、最後に「有縁を度すというのは、まことに矛盾しているんではないかと。でもこの矛盾が実は親鸞という人の人間臭さであり、また魅力である」と書いてあります。石田瑞麿(いしだみずまろ)先生は、長いこと一緒に教え導いていただいた先生ですが、石田先生の面白い本があるんです。『歎異抄批判的考察』という本の中に、「これはまさにその世俗そのものである」ということを書いていらっしゃるんですね。石田瑞麿先生は、「あまりにも俗っぽい。他人より身内というのは、最初の一切のつながりということからみたら、ずーっと後退しているんだ」というようなことをお書きになったのが石田瑞麿先生ですね。佐藤正英(さとうまさひで)さんという方の『歎異抄論註』という大変素晴らしい解説があります。佐藤先生は、「つまり諸々の衆生すべてを実は有縁というんだと。だから両親というのはその有縁のなかの極一部に過ぎないんで、有縁というのは、「有縁無縁」という言葉がありますから、一切の生きとしいけるものを包み込む言葉としてこれは理解すべきで、まず身近なものを救うことではないんだ」と解釈しましたのが、佐藤正英先生の理解なんですね。そういう意味で今おっしゃったように、有縁をまず助けるという言葉については、いろんな先生方が、いろんな立場から、そういうご理解なさっていらっしゃるけども、僕は一般的にみましたならば、「まず有縁を度すべきなり」というのは、縁深いものからということを考えたとしても、そんなに無理からぬことであろうという理解があるんですけどもね。ただ原理的に「一切の有情(うじよう)はみなもつて世々生々(せせしようじよう)の父母・兄弟なり」ということから、このことが最後の言葉を当てはめたときに齟齬がありますよね。それは僕は事実だと思います。
 
草柳:  確かに頭の中では、そのことはわかるんですけども、ただ自分の身に振り返って考えてみると、例えばあらゆるいのちは繋がりあっている。だからその特定の人に向ける念仏はしないというふうに言っても、例えばじゃ自分の子供が亡くなったその子供の供養を考えた時に、そんなになかなか思いきりというか、思い切れないというか、難しいと思うんですね。いざ自分のこととして考えると。
 
山崎:  そうですね。僕自身のことで考えましても、やっぱりそうですよね。僕はある先生からお聞きした話なんですが、お寺のご住職のところへ行って、「ご主人のご命日だからお経あげてください」と言って、お経あげていただいた。そうしましたら、その場にお経の途中に本堂に何人かご門徒の方があがってこられた。そのおばあちゃまの横にズーッと坐られたというんですね。そうしたら、そのおばあちゃまがこういうことをおっしゃったという話を聞いたことがあるんです。「これはね、私の主人のお経なんだから、あなた方は後で上げてもらえばいいじゃないですか、といった」という話を、ある先生からお聞きして、僕、今おっしゃったように、一方ではおばあちゃまの気持ちがよくわかるような気がするんですよ。我が主人のためのお経なのに、何人か集まりますと、言葉は悪いけど、効き目が薄くなるような。主人を手向けるものだ。それはこの『歎異抄』の世界から言ったら、「いや、念仏というものをあなたは私物化しておられませんか」ということが成り立つにしても、心情といたしましては、そういう思いの中で私たちは生きていますよね。だから一切の生きとしいけるもののためにといったら、具体的に身近に申しますと、「なぜ法事勤めるんですか。私は一切の生きとしいけるものに勤めたくないですよ」ということになると、それは成立しないことになりますよね。だからそれが一つと同時に、しかし親鸞さんが気付かれた世界というのは、そういうところにいのちを分断して、限定しているということは、確かに私たちの思いとしては理解し難いんですけども、それはどう考えても本質的なことではないんではないか。そのいのちを分断することによって、またそこから僕は、争いだとか、差別だとか、いろんなものが生まれてきますよね。少なくともいのちのつながりがあるんだという確認がない限り、今世界の各地で起こっている様々な問題が、自分の信仰の課題にならないんではないか。あれは他人のことなんだと。中東の人のこと、アフリカの人のこと、アジアの方のことであって、私とは関係ないというところに、僕らは何だかんだ言っても立っているんじゃないでしょうかね。でもそういう世界は滅びるしかないですよ、というようなことも含めて、僕はあの「一切の有情(うじよう)はみなもつて世々生々(せせしようじよう)の父母・兄弟なり」。僕はそんな生命観、雄大な生命観と、僕自身も持っている今おっしゃった身近な心情的なものと、そういうものの中で僕自身も葛藤するわけですね。それは大事なことであろうと。
 
草柳:  そうですね。もちろん当然親鸞にしても、そうした人間の人の情というものを、決して否定しているわけではないどころか、私はもしかしたら親鸞ほど情の深い情の細かな人、もしかしたらそんなにいなかったんじゃないかというふうに思えるくらいなんですが、ただだけども、その情愛というものの限界を、親鸞は知らなければいけないというふうに言われたわけですね?
 
山崎:  そうですね。ですから何というんでしょうかね、言葉はうまいこと見つからないんですけども、まず何でも可能だと思っているというその閉ざされた世界の中からは、逆に何も生まれてこない。逆にそういう正しい意味での無力感に立つことによって、自分を内側から突き動かすものがあるんだ。だからおっしゃったように、人間は悲しいかな人間以上でも以下でもないから、身近な人一人救うことできんのですよ、というところで着地してしまって、自己完結してしまったとお考えの方がずいぶん多いですね。そこから社会性とか人の幸せ出てこないじゃないですか。だから真宗嫌いだとか、親鸞さん嫌いだという方も多いんですよ。でも僕はそうではなくて、本当に無力であるということを自覚することによって、今言いました、自分の中から、じゃその中で自分は何が出来るのか。勉強というのは、やらないうちはその時になればできると思っている自分があるじゃないですか。勉強以外でもなんでも。でも真剣に取り組めば取り組むほど、なかなかでき難いものだということがわかりますと、かえってその深さ知るから余計励んでいきますよね、私たちは。僕もそれと同じで、今おっしゃった衆生利益とか有縁を度すという意識が、僕は親鸞さんはすごく強いものとしてあったという、「衆生利益」という言葉がいっぱい出てきますね。そういう僕は過酷な現実の中で、そういう現実、歴史的な過酷な背景が、私は衆生をどうしたら人を救うことができるか。いや、私にはできない。であるならば、なぜ何があるか。まず仏になって神通方便ですから、そういう力をいただいてしか人を救うことができない。そして仏になる方向に向かっての、さっき申しました積極的な歩みというものが、いそぎ仏になりてとかね、そういう「いそぎ」という言葉の中には、積極性があるんじゃないかと理解するんですけれどもね。
 
草柳:  なぜ親鸞がそういう思想というか、考え方に到達をしたのか。つまり親鸞がそういう主張をし続けていたのかという、その根っこというか、根底にある親鸞の思いというのは、やっぱり今お話に出ている自分自身の限界を徹底的に極めたと言いますか、もうどうにもならないところで、もうこれは自力では駄目だと。それで実は山崎さんがまた用意してくださった和讃なんですけれども、それをちょっと紹介したいんですが、
 
無慚(むざん)無愧(むぎ)のこの身にて
まことのこころはなけれども
弥陀(みだ)の回向の御名(みな)なれば
功徳は十方(じつぽう)にみちたまふ
 
この「無慚無愧」というのはちょっと言葉は難しいんですけれども、
 
山崎:  そうですね。一般的には「慚愧(ざんぎ)」という言葉がありますよね。先程ちょっと出てきました『涅槃経』というお経の言葉なんですね。「無慚無愧」というのは、例えば「慚」というのは、例えば人に教えて罪をつくらせないとか、「愧」というのは、自らが罪をつくらないとか、もう一つは天に恥ること、地に恥ずることを「慚愧」というんだと。「慚愧ある人を名づけて人間となす」こうあるんですね。「慚愧なき人を名づけて畜生となす」とこうありますから、動物と人間と言いましょうか。まぁどうでしょうね、草柳さん、人間なんて大きな顔していられないんでね、動物の方がはるかに人間より立派じゃないかと思うことが残念ながらいっぱいあるんですが、『涅槃経』にはそう出てまいりますね。一言で言いますならば、何に対しても恥ずかしいという思いを喪失しているこの私―この身ですからね。だけど一方では、どちらかと言ったら仏法を学んだり、弟子がいっぱいいて偉そうなことを言いたくなる私。なんとも恥ずかしくおぞましく粗末な私だなという、ある意味で等身大の親鸞聖人の僕は自己告白だと思っているんですが、そういう恥ずかしさも何もないこの身。したがってさっき「真実」と出てきましたが、真実(まこと)の心というものはどこを叩いても出てこない。人のためあなたのためと言いながら、その根底には自分の為ということをどこかで計算している私。したがって真実(まこと)なんていうものは、さっき「不実」と言いましたが、真実(まこと)どころか不実そのもの、そういうある意味では人間というもののマイナス性といいましょうか。その後の後半は、しかし弥陀の回向の弥陀ですから、そういう私に阿弥陀仏の教えが届けられた時に、弥陀ですから、阿弥陀仏その教えが届けられた時に、その私は無慚無愧のこの身、恥ずかしい私であるけども、しかし私が聞きうなずき信じ、そして称えている阿弥陀仏という阿弥陀仏のお言葉は、阿弥陀仏の教え、言葉であるが故にその功徳ですね徳は十方に、あの人この人だけでなくて、あらゆる世界に、それこそ国境・民族・歴史を超えて、あらゆる世界に自ずから、つまりこれは真理の普遍性だと思うんですね。そういうのが広がっていくんで、功徳は十方にみち給うという。最初はだから「無慚無愧のこの身」ということも、実は私に自覚させたのは何かというと、弥陀の回向の御名であったと。真実の教えに出会って、鏡の前に立った時に自分の姿というのが初めて分かるじゃないですか。前に立たないとなかなか自分の姿はわからない。だから無慚無愧のこの身というのも、弥陀の回向の御名に出会ったからわかったことであるし、そしてまさにゼロとしか言いようのない、あるいはマイナスでしかない私のこの自分自身の中に届けられた教えというものを、十方に無限に広がりを持って行く尊いものであるという、僕はその喜びの言葉ではないか。そんなふうにこの和讃を理解をするんですけどね。
 
草柳:  ただ前半のほうの無慚無愧の自分は無慚無愧の身なのだというふうに、親鸞に言わせしめたというのは、一体なぜこれほどの言葉で自分のことを言わなければならなかったのかというところにものすごく、
 
山崎:  そうですね。そういう意味では、僕は比叡山上の二十年間の自力の究極を極めようとした。しかしそうなりうる器ではないという。生涯それが僕はその思いが貫いていたと思うんですね。信じきって自力の究極の仏道で成仏―仏になる世界を求めたけども、自己の内面的なさまざまな煩悶―怒り、腹立ち、あるいは人を嫉む、妬む、人には見えないかもしれないけれども、そういう思いが内の中に充満している。煩悩熾盛(しじよう)そういう自己であって見るならば、まさにそういう無慚無愧というような私でしかあり得ないという。それも実は仏の真実に、教えに出会って初めて目覚め得た世界であったということだと思うんですね。私は三つのことをよく思うんですね。仏教はいのちのまなびだということあるんですけれども、
 
@いのちの尊さ(つながりあういのち)
Aいのちのはかなさ(ふたしかないのち)
Bいのちの悲しさ(奪いあういのち)
 
一つは、いのちの尊さ。みんな言いますね。仏教者みないのちが尊いといいます。でも私はひょっとしたらそれは自分のいのちだけが尊い。自分の家族のいのちだけが尊い。自分の国だけが大事という。それ以外のことが課題にならない。だから、にもかかわらずいのちの尊さといいますよね。本質的にはすべてのいのちというものは光り輝くものですから、それを認められませんけれどもね、実際そうですよね。お釈迦さんは「一切衆生悉有仏性(いつさいしゆじようしつうぶつしよう)」とおっしゃったから、それがいのちの尊さ、
 
草柳:  あらゆるものはことごとくその仏性を持っている。
 
山崎:  輝きを持っていると。それがだんだん人間に見えなくなってきている。もう一つは、いのちの儚さ。本当に強いようなものでありながら、いのちというのは逆にとってもはかないものなんですよ。そういうことを日常的に体験することありますよね。私はだからいのちの尊さというのは一切衆生に仏性あり。もう一つは、私はいのちの儚さというのは「老少不生」。人間の寿命がいつ尽きるかは、老若にかかわりなく、老人が先に死に、若者が後から死ぬとは限らないこと。いのちの終わりに順番がない。こういうふうに理解しますね。もう一つは、僕はどうでしょう。いのちの悲しさというのは、奪わなければ生きていけないいのち。これを私達は忘れているんではないかなという気がしますよね。私たちが一日生きるということは、それだけどれだけのいのちの犠牲の上に成り立っているか。そんなことが問題にもならないみたいで。例えば子供さん連れてデパートに食事に行ったお母さんが、子供さんが「いただきます」と言ったら、「今日はお金払っているからそんなことを言わなくてもいいよね」と言ったという実話があるそうですね。家ではやっているんですよね―そんな話を。やっぱり犠牲を強いて私のいのちが成り立っているその尊さと儚さと、そして奪わなければ生きていけない。僕はそれを親鸞さんの罪―罪業と言いたいんですがね。その三つをきちんと学ぶというところに、いのちの有り様というものがはっきりこう見えてくるのではないか。「いのちは大事ですよ」と言いながら、限定されたいのちの大切さで、そしていのちを分断しましてね、役に立ついのちは大事にするけども―僕よくいうんですね、僕なんか忙しい仕事をしている。家のものが「行っていらっしゃい。気をつけてね」。私はそういう時に、「ありがとう」と言いながら、〈あ、まだ利用価値認められているんだな〉と思うんですよ。私が亡くなった時に、家のものはどう対応するかなんて冗談よくいうんですが。だから利用価値がある間は大事にするけども、そうでなくなったら見向きもしない。にもかかわらず言葉では、「いのちを大切に」と言いますよね。そういうことを三つのことを学ぶというところから、少し私たちの生き方の方向が見えてくるし、ひょっとしたら人と人との関わりも少し潤いが出てくるんではないかなという思いで、その三つの仕組みを考えるんですけどね。
 
草柳:  親鸞は、別のところでも、今の無慚無愧がまさにそうなんでしょうけども、自分がこうやって存在していること自体が恥ずかしいことだというふうな、そんな意味のことを言っていますよね。
 
山崎:  ええ。
 
草柳:  そういう親鸞が徹底したその自分を見つめて、そういう言葉で自分の存在を言い表したということと、それから今日のテーマである「父母のための特定の人のための孝養のために念仏を申し上げたことはない」ということとは、なんかどっかでどんなふうに繋がっているんでしょうか?
 
山崎:  そうですね。やっぱりそれは明確なつながりがあると思うんです。一見相反することのようでありますけれども、やっぱりつながり、例えばある小さい子供さんを亡くしたお母さんが、もう悲嘆してお言葉がないほど悲しむ。その若いお母さんがしばらくして落ち着かれてから「私はこれからの生涯、子供の供養のために生きます」とこうおっしゃった。そうしたらそれを言われた仏教者が、「いや、それは嘘です。お母さんは子供のためでなくて、自分のために生きなさい、と。あなたのために生きることが実は子供さんのためになるんではありませんか。あなたは子供さんの為に余生を生きると言うけど、それはひょっとしたらあなた自身のおごりではないか」。その時褒められると思っていましたから、お母さんは。立派なお母さんだと褒められると思っていたのに、否定されましたから、むっとしたらしいですけども、ズッと時間をかけて考えたら、自分が本当の人生を探すことが、いそぎ仏になるといいましょうか、そのことが亡き子どもを救うことにもなるんだということに、大分長い時間かかってから気づいたという話を、僕はある方からお聞きいたしましてね。それはそういう子供さんを亡くしたという悲しみの中で、一つ到達し得た世界ではないかと思うんでありますが、いずれにしてもこのほかのところもそうですが、第五条というのは大変な難しいことを含んだところですね。
 
草柳:  最後にもう一つ和讃をご紹介して終わりたいと思うんですが、
 
安楽(あんらく)浄土(じようど)にいたるひと
五濁(ごじよく)悪世(あくせ)にかへりては
釈迦牟尼仏(しやかむにぶつ)のごとくにて
利益(りやく)衆生(しゆじよう)はきはもなし
 
これちょっと簡単にご説明お願いします。
 
山崎:  これ僕はとっても大事な、つまり阿弥陀仏の真実の悟りの境界ですね。浄土にいたる。人はさっき「還る」と言いました。五濁悪世に還る。往きっぱなしじゃないんですね。ユートピアみたいな浄土に行っていい思いをする。そんなことじゃない。五濁(この世が悪くなるときの五つの汚濁の相。天災・疫病・戦争などが起こる劫濁、誤った考え方がはびこる見濁、衆生の寿命が短くなる命濁、煩悩によって悪が蔓延する煩悩濁、衆生の資質や果報が低下劣悪となる衆生濁)―五つの濁りに染まった厳しいこの現実の世界、生老病死の世界に還ってきて、それは釈尊―ブッダのように多くの人々を利益―幸福をもたらす。そのために奉仕する存在になるんだという。僕はこの「利益(りやく)衆生(しゆじよう)はきはもなし」。これは仏の計らいによって無限にそういうものが実践されていくんだ。私は最後になりますけど、やっぱり私たちは亡くなった方を慰めて良い気持ちになり、また慰められて良い気持ちになることに埋没しますけどね、そのことが誤りだということを、僕は第五条は教えているように理解しています。
 
草柳:  どうも今日はありがとうございました。
 
     これは、平成十八年九月十七日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである