歎異抄を語るF弟子一人ももたず候ふ
 
                    武蔵野大学教授 山 崎(やまざき)  龍 明(りゆうみよう)
                    き き て   草 柳  隆 三
 
草柳:  四月から『歎異抄』を読み進んできたわけですが、今回は七回目になりました。いつも、皆さんも多分思いかと思うんですけども、『歎異抄』は条ごとに本当にハッと思わせるような言葉で始まっているんですね。今回取り上げる六条も、「親鸞は弟子一人も持たず」。これもまた大変衝撃的的な言葉で始まっているわけですが、一体この「弟子一人も持たず」という真意は、どこにあるんだろうかということを、今日のテーマにして、いつものように武蔵野大学教授の山崎龍明さんにいろいろとお話を伺ってまいります。どうぞ今日も宜しくお願い致します。
山崎:  よろしくお願い致します。
 
草柳:  ということで、ほんと毎回毎回ですね強烈なキーワードがあるわけですが、例えばあれは第二条だったでしょうか、「いずれの行もおよびがたき身なれば」とかですね。前回は確か「父母の孝養のためとて、念仏をいちども称えない」とかですね、本当に多いですね。
 
山崎:  多いですね。耳慣れない方にとりましては、ちょっとびっくりするような。極端に言ったら、これは本当に仏教なのというような驚きの言葉ですよね。そこに『歎異抄』というものの一つの魅力、何百年読み継がれてきた歴史もやっぱりそこに一つあるのかもしれませんね。
 
草柳:  そうでしょうね。多分一つはね。ただその後こういった言葉がなんとなく一人歩きするという感じはないではないですね。
 
山崎:  そうですね。ですから、ある文学者は、「歎異抄に傾倒している人は、歎異抄の文学性に傾倒しているんだ」ということをおっしゃった方もおられる。これは言い得て妙といいましょうかね、大変気をつけなければならないことではないか。言葉の素晴らしさに幻惑されまして、その本質をどうしても考えないといいましょうかね。なんとなくムードで歎異抄の言葉を考えてしまうということになりますと、ちょっと『歎異抄』の精神からは、私は、ずれていくんではないかと。
 
草柳:  ですから、今日も本質のところをじっくりこの後お聞かせいただきたい。まず全文を通して読んでみることにいたします。
 
専修(せんじゆ)念仏のともがらの、わが弟子、ひとの弟子といふ相論(そうろん)の候(そうろ)ふらんこと、もつてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人(いちにん)ももたず候ふ。そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はばこそ、弟子にても候はめ。弥陀(みだ)の御(おん)もよほしにあづかつて念仏申し候ふひとを、わが弟子と申すこと、きはめたる荒涼(こうりよう)のことなり。つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるることのあるをも、師をそむきて、ひとにつれて念仏すれば、往生すべからざるものなりなんどいふこと、不可説(ふかせつ)なり。如来よりたまはりたる信心(しんじん)を、わがものがほに、とりかへさんと申すにや。かへすがへすもあるべからざることなり。自然(じねん)のことわりにあひかなはば、仏恩(ぶつとん)をもしり、また師の恩をもしるべきなりと云々。
 
これが六章の全文ですよね。
 
山崎:  そうですね。
 
草柳:  まず今の言葉にちょっとわかりやすく翻訳していただけますか。最初のところを、
 
山崎:  今お読みいただきましたのは、六条の全文ですけども、そう難しい言葉ではないと思いますけれども、専修(せんじゆ)念仏といいますのは、八百年前の当時の法然上人の念仏のグループを専修念仏教団というふうに言っておられました。この念仏の阿弥陀仏の教え一つのに生きているグループですね、輩(ともがら)の中に。つまり阿弥陀仏の教えに信順(しんじゆん)し―信じ順いですね、あるいは心より「ナムアミダブツ(南無阿弥陀仏)」と念仏申しながら生きている人々の中にあって、あの人は私の弟子だとか、いや、この人はあの人の弟子だという、そういう執着からあちこちで弟子争いが起こっているようですが、それはとんでもない間違いです。「もってのほかの子細なり」とこうありますのでね。
 
草柳:  で、その次に「親鸞は弟子一人(いちにん)も持たず候ふ」という言葉が今日の言葉で、
 
山崎:  さっきおっしゃったこの言葉が、本当に『歎異抄』の中でも、頭抜(ずぬ)けて一人歩きいたしましてね。正しく理解されているかどうかは別ですけども、したがってこの親鸞・私は弟子というようなものはただの一人も持った覚えはありません、という。非常に明確な否定ですよね。なぜならば、「わがはからい」ですから、私自身の能力、あるいは力量といいましょうか、そういうものによって人に阿弥陀仏の教えを届けて、そして念仏を称えさせるようにしたんであるならば、これは私の弟子であるということも成り立つでしょう。しかし本質はそうでは無い。その後に「弥陀の御(おん)もよおし」ですから、真実なる阿弥陀仏の働き、そのものによって、みな教えを聞いたり、あるいは喜びの心から「ナムアミダブツ(南無阿弥陀仏)」と念仏を申している人、私の弟子というようなことは実におこがましい。「きはめたる荒涼のことなり」という強い言葉ですよね。あってはならないことであると。私は、「荒涼」というのを、そういう意味に理解をして翻訳するんですけどもね。現代語訳するんですけど。
 
草柳:  その弟子一人も持たず候ふ、その背景と言いますか、親鸞がこれを言った時代的な背景としてはどうだったんでしょうか?
 
山崎:  そうですね。やはりこの場合には、先ほど言葉が一人歩きとありましたけども、きちっとこの背景を押さえておくということがすごく大事なことですよね。学生なんかにこういう話をしますと、「親鸞さんは大したことなかったのね。弟子がいなかったの?」という学生は意外と多いんですよ。それは無理からぬことですよ。「弟子一人も持たず」なんて言っているんですから。でもこれは、「弟子一人も持たず」という言葉が出てきた背景には何があるかといいますと、非常に苛烈な厳しい弟子争ですね。つまり弟子を自分がたくさん持つということが、生活権の保証と言いましょうか、豊かになりますから、五十人の弟子より百人持っている人の方が、その師は生活が保証されますから。そういうある意味では、実に身近なところでのおぞましい争いがあったということは、いろんな文献からこれ予想できますしね。先ほど「相論(そうろん)」とありましたよね。今、我々現代考えると、相論というのは、いろんな注釈でも、これは「議論」と言っていますよ。あるいは「言い争い」とこう書いてますけども、当時の「相論」という言葉をちょっと調べますと、これは大変な争いで、ときには戦(いくさ)のことであると。「合戦」とこう書いてる。『平家物語』なんかには、「合戦」と書いてありますから。だから、相当ひどいですね。弟子争をめぐる状況が起こっていた。その中で、あなた方はなぜこんなことでいがみ合っているのか。私は弟子というようなものは一人も持った覚えはありませんよ。みな仏の促しによって、教えに拠り所を置いたり、教えによって生きている人たちを、自分の弟子だとか、あの人は私から離れていったから救われない。そんなことがあってはならないという。私は、ある意味で静かな親鸞聖人の怒りのようなものさえ感ずるんですね、熾烈な。例えば寒い時にですね―ちょっと今と違うんですが、今教団といいますと、宗教教団というのは制度化されていますよね、いろいろ。当時はそういうのは全くありませんから。道場(どうじよう)というのがありましてね―剣道場、柔道場―あの道場というのは、仏教語で心を学ぶ場所ですから、仏法を学ぶ場所。当初はそれが道場でしたから。その道場にはキャップがいるんですね―「道場主」と書いていますよ。そういう人と、その人によって話を聞く人との関係の中で、いろんな問題が生じたようですね。早い話がですね、身近なことでいうと、あの人は一向に私のいうことを聞かない。けしからん弟子であるとか、そしてその人から離れて余所の道場主のところに行って話を聞くような人が出てきますと、つまり弟子が離れていくと、痛烈にその人を批判するとか、「折檻(せつかん)」と書いていますから、寒い時に冷水を浴びせるとか、夏の暑いときにはお灸をすえるとか、そういうようなことまで行われていたことが予想できますのでね。この弟子争いというのは、大変な実は問題であったという。単なる弟子争いということと違ったという背景を、きちっと押さえておく必要がある。
 
草柳:  親鸞がこれを言ったときというのは、関東あの辺のことを念頭において言って、関東時代のことでしょうかね?
 
山崎:  そうですね。 四十二歳の頃に越後から流罪から関東に来ますよね。およそ二十年間おりますけども、その間にも私はこういう弟子争いというのが、いろんなところで起こってきたんだろうと。そして六十歳から六十二歳の頃に、今度は京都に帰られますよね。帰ってから、もっと私は弟子争いのような問題が日常的に関東の専修念仏教団の中で起こってきたんではないか。
 
草柳:  ただ、その時代のことを考えますと、今とあんまり変わらないところもいっぱいあったんだろうと思うんですが、いずれにしても師弟関係というのは大事に多分していたと思うんですね。そういう時にこの親鸞の「私は弟子一人も持たない」という言い方というのは、そうだけど、そうすんなりは受け止められなかったんでしょうね、たぶんね。
 
山崎:  そうですね。特に仏教の場合ですと、やはり師と弟子というものがあるでしょ。それによって悟るとか、仏になるということが、図式としてありますから、師と弟子の関係を否定するということはちょっと考えられないような、おっしゃるような世界があったと思うんですね。ただ、いま申しましたように、具体的にそういう苛烈な争いの中で、そこをきちっと押さえることが大事だと申しましたのは、その中で私は師とか弟子という形の中では、仏法者の生き方を考えていませんよ、というような言葉が出てきたという。つまりその枠の中で出てきたということを、意識しておくことが大事なことじゃないでしょうかね。私はこう考えるんですけど、私たち人間、どうしてもやっぱり人を支配したい。指導者ぶりたい。指導者になるということは、草柳さん、気分良いことじゃないですか、みんな付き従ってきますから。
 
草柳:  そうでしょうね。
 
山崎:  僕なんか教員を三十何年やっていますでしょう。しかも僧侶もやっていますからね。ダメなものの最たるものでじゃないかと。何十年やっていますから。一応みんなに言葉の上でですよ、「先生、先生」と言われますと、なんとなく自分がその気になってしまいますね。すると、見えるものまで見えなくなってきてしまう。視線が高くなっちゃうんですね。それ非常に警戒しなければいけないことですけども、僕はよくいうんですが、同じことを一つやっていますと、どうしてもそういうところに落ち込んでしまうという危機性を、私はこの第六条から自分としては考えさせられるんですけどもね。もう一ついいですか? 親鸞聖人から百五十二年後に生まれた、 五百年前の蓮如(れんによ)上人という方、あの人は膨大な難しい仏教を、一般の方にわかるようにいたしました。そのために手紙ですね、「御文章」とか「御文」、そういうものを書きましたけども、それをまとめました八十通まとめたものがあるんですよ。非常にコンパクトな信頼できる。その八十通あるお手紙、これ「五帖一部八十通」というんですが、その真っ先に第一番目にこの弟子争のことが出てくるんですよ。ということは、その時代にやっぱり弟子をめぐる争いがずいぶん行われていたということが想像できますし、後で出てきますが、さかのぼると親鸞さんの曾孫の覚如(かくによ)(1270-1351)という人ですが、この人の書かれたものの中にもやはり『口伝鈔(くでんしよう)』という書物の第六条にも、弟子争のことが後で出てきますが、ということはずーっとそのことが念仏者の中であったということにもなりますし、そこで蓮如さんの時代で終わったんじゃなくて、それ以後も僕は江戸時代の近世も現代もずーっと今日まで、例えば「私があなたを教えたんだ。私から離れるとはなんと不義理な人間なんだ」というのは日常性じゃないですか。そういう問題というのは今日まで続いている問題ではないかなと思うんですけどもね。
 
草柳:  それと、さっき親鸞の言葉が、ややもすれば一人歩きをしがちだという話がありましたですよね。例えば今回の「弟子一人も持たず」という言葉も、相当そういう意味では一人歩きをしているでしょうけれども、その一人歩きのその意味は何なんですか?今回の場合には。つまり親鸞という人が弟子一人も持たないというくらいに、ご本人はとても謙虚な人だったというふうな、そんな受け止め方なんでしょうか?
 
山崎:  そうですね。一般的には、そういう受け止めがありますよね。ただ、私はちょっと深読みしたいんですよね。だから弟子というものを一人も持っていませんよ、と言いながら、親鸞さんの周りには、多くの弟子がいたわけですよ。僕は、無意識的にも、親鸞聖人自身が、師という場に座っていてしまう。立っているというんでしょうかね。そういうものを常に考えておられたんじゃないか。だから「弟子一人も持たず」と言いながら、一方で言いながらですよ、やっぱり自分がそういう場に立っているということは、なんとも恥ずかしくも、悲しいことだなという思いが、私はこの言葉から伝わってくるんですよ。ですから、「弟子一人も持たず」という言葉は同時に、親鸞聖人自身にまた向けられた言葉ではないか。長年人をズーッと教えておりまして、師匠意識をゼロにするということは、ちょっと不可能なことじゃないでしょうかね。そのことに対する悲しみを込めた言葉が、「弟子一人も持たず」と。私は、こういう言葉の中に、それは自分に向かっての、また発信でもあったみたいな、そういう受け止め方ね。親鸞は、素晴らしくて、師匠意識、指導者意識を全然持っていなかったということだけでなくて、私はそういう思いで、この第六条を読むんですけどね。いかがでしょうね?
 
草柳:  今の前半の後半のところで、「如来よりたまはりたる信心」というふうな意味のことがありましたですね。つまり親鸞自身は、もし親鸞の教えでそれが完結しているならば、それはいいかもわからないけれども、そうではなくて、私は如来から賜ったものを伝えている、そういう意味のことでしょう?あそこは。
 
山崎:  そうですね。ですから、大変大事なことですよね。親鸞聖人の場合、ものを考える場合には、常にと言っていいほど「阿弥陀如来」。そして阿弥陀如来の示された教えとしての「本願」。この二つが非常に深いところにありまして、それによってしかものが考えられないんだというところになると、ひとえに弥陀(みだ)の御(おん)もよほしにあづかつて念仏する人を、私の弟子なんていうことはどうして言いましょうかという、ことにつながっていったんじゃないかと思うんですね。それは「阿弥陀如来」ですとか、「本願」ということを切り離して、人間としての親鸞さんということだけで考えると、いわゆる教えていて教える意識を離れている、なんと素晴らしい人だというふうに、自己完結してしまって、そしてその言葉は悪いんですけど、親鸞賛美論みたいなものがずいぶんあるわけですよ。僕はちょっと違うんじゃないかということにこだわっているのは、親鸞聖人自身もまたそういう意識を持っている自己自身に悲しみ歎かれた人間であるということを、第六条から僕は理解するんですけどね。
 
草柳:  先ほどちょっと出た覚如、曾孫さんですね?
 
山崎:  曾孫ですね。
 
草柳:  曾孫の覚如さんも、親鸞の真意はこうなんだということを、『口伝鈔(くでんしよう)』の中で書いておられる。それを書くにあたっては何かエピソードがあったんだそうですね。
 
山崎:  そうですね。
 
草柳:  どんな話だったんですか?
 
山崎:  大変有名なエピソードで、今申しましたように、いろんな弟子が生まれたり、離れていったりということは日常的にあったんでしょうね。そして新堤(にいつつみ)(常陸の国)という所の信楽房(しんぎようぼう)という人が、親鸞さんから離れていくという話がある。やっぱり教えの理解ですとか、どうも親鸞さんのいうことが納得できないから、ということがあったんでしょうか。その場を離れようとした時に、他のお弟子さんたちがいきり立ったということがそこに出てくるのは、離れていくんだったら、親鸞聖人が差し上げた「南無阿弥陀仏」のご本尊、それから「帰命尽十方無碍光如来(きみようじつぽうむげこうによらい)」という。親鸞聖人は言葉を、教えを表した本尊にしましたから、その本尊を、かつてその人に渡していますでしょう。そしてまた書物で「聖教(しようぎよう)」とありますから、仏教の書物ですね。そこには「親鸞」と署名があったようですね。親鸞さんの署名がある、聖人の署名がある、「そういう書物だとか、本尊も取り上げるべきだ」という議論になった、ということがありましてね。いきり立った時に、親鸞聖人が、「いや、それは道理として正しくないことにある」と。それは仏法のものを私化するものであるから、信楽房にあげたんだから、彼が「たとい山野にすつといふとも」とありますから、山や野原にそれを捨てたとしても、それを拾った方がまたそこで尊い教えの縁に会うかもしれない。そこで救われるかもしれない、ということを考えたら、私たちが持っている自分の財宝のごとくに取り上げるなんていうことはどう考えてもあってはならない。そこで「親鸞は弟子一人も持たず候ふ」という言葉がそこにも示されているわけですよね。
 
草柳:  その覚如は『口伝鈔』という書物の中で、こういうふうな言い方をしているわけですね。それをまた読んでみます。
 
本尊・聖教(しようぎよう)をとりかへすこと、はなはだしかるべからざることなり。そのゆゑは親鸞は弟子一人ももたず、なにごとををしへて弟子といふべきぞや。みな如来の御弟子なればみなともに同行(どうぎよう)なり。・・・(中略)まつたく親鸞が授けたるにあらず
 
こういうふうに言っているわけですね。
 
山崎:  そうですね。これがですから、ちょっと先ほど先走りましたけども、本尊とか聖教を自分のところから離れていく人に取り返すということは、あってはならないことであると。そこに私は弟子というようなものは一人も持っていない。そこに「何事を教えて弟子というべきぞや」。だから私が教えたんではない。私が伝えたんではない。みな阿弥陀如来の、つまり仏弟子ですね。僕の表現で言いますと、仏法を学ぶものはみな阿弥陀仏、あれは仏の前に横に一列に並ぶものであると。縦に並ぶんでは無い。横に一列に並ぶ。みな如来の御弟子なれば、みなともに同じ一つ志を持って念仏の道を歩く同行であると。別の所で「同朋(どうぼう)」という。全く親鸞が授けたるにあらずと。こういう言葉が覚如の口伝鈔に見られるわけですね。
 
草柳:  「まったく親鸞が授けたるにあらず」ものすごく断定的な言い方ですよね。
 
山崎:  そうですね。その力強さというのを、ですから私すべきものは何一つない、ということの自信といいましょうかね、それはすべて如来から私に届けられた教え。あなたも届けられた教えに生きている人。そこに私がどうして入り込んでいく余地がありましょうか。いや、ない、というような強い言葉になって現れたんではないでしょうかね。これを親鸞さんは、「回向(えこう)」といいました。振り向けるという。普通「回向」といいますと、前にも出てきましたが、自分が善いことをして―善根だとか功徳だとか―素晴らしい善いことをして、その素晴らしい善いことを自分の手土産にして、どうか仏様にして下さい。これは「自力回向」。自分の力量でなし遂げた功徳ですから。親鸞聖人はそれに対して、私たちの残念ながらどこまで行っても自己中心的なと言いましょうか、エゴむき出しの私たちが行為を積んでも、どうしてもそこには自己のエゴというものは見え隠れしている。そういう私が積み上げたものが、純粋無垢なものであろうはずがないから、そういう行為によって仏になることは不可能であるから、仏(ぶつ)になることが可能であるとするならば、それはむしろ仏の方から仏になる教えと働きを、私たちが受けるほかに道がないんだ。これをだから「自力回向」に対して、親鸞聖人は「他力回向」。他力、つまり阿弥陀仏ですね。阿弥陀仏から私に振り向けられたところの働きによって、私たちが仏になっていくんだ。その辺が非常に徹底化されていたというんでしょうかね。それがこういう先ほどの自信に強い言葉になって現れてきたんではないか。
 
草柳:  だけれども、こういう強い言葉の中にというか、背景にというか、親鸞も相当悩みに悩んだ末なんでしょうけれども、親鸞自身に、例えばやっぱり人に教える。人の上に立つという。そういう優越心というのは、もちろん全くなかったとは言えないような気がするんですけれども、どうなんでしょうかね?
 
山崎:  そうですね。私ね、自分が、先ほど申しました教員なんかやっていますでしょう。そうすると、人にものを教えるというのは、一種快感があるんですね、やっぱり。教えているという。良い悪いということは別にしましてね。そして、そういうことをズッと何十年も続けておりますと、だんだんだんだん自分自身の中の、仏教で「慢(まん)」といいますが、驕(おご)りをやっぱり形造っていってしまうんではないか。私はよく前に申し上げたかもしれませんけど、いろんなスーパーに物を買いに行きますと―僕はあんまり神経質ではないんですが―賞味期限がありますよね。あれを見ますと、これは明日の何時のまでだとか。私は、いつも人間の賞味期限を考えるんですが、僕なんか教員としての賞味期限はとっくに切れているんじゃないかというようなことを考えますし、つまり人間としての賞味期限というものを考えたときに、やっぱり人間としての賞味期限切れているというのは、素晴らしいことに出会っても、素晴らしいと思えなくなっている。悲しいことがあっても涙が出なくなっているとか、素晴らしいことをされた方がいても、素晴らしいことをしたと素直に喜べなくなる。それが私の申し上げる「人間の賞味期限切れ」という。私なんかはまさに最たるものじゃないかなということを思いますと、やはり親鸞聖人のところに大勢の方が慕ってこられて、そして法を説いておられるんですから、おのずからそういうものを身につけてしまうというのが、例外ない人間のつまずきじゃないかなと思いますし。で、六十過ぎてから京都に帰られてますよね。いろんな理由を学者方は挙げますけども、ある先生は、「二十年間、関東におられまして、そして知らず知らずのうちに、師として崇められている立場に納得できなかったから、京都にお帰りになったんだ」ということをおっしゃる方も中にはおられますが、僕、若いときには、それはちょっと親鸞聖人を理想化しているんじゃないかと思っておりましたが、六十過ぎますと、そういうこともやっぱりあったんではないかなという思いと、もう一つは、二十年間居てですね、関東の方々にいろんな教えを自分としては示したり、自分が阿弥陀仏から授かったその教えを説いてきたんだけれども、どうでしょうか、僕の思いですけども、必ずしもその通りに多くの人々が受け取ってくれない。そういう絶望感というと大袈裟ですけどね、そういう思いに様々なものがあって、私は関東から京都に帰られたんではないかなということを、最近ではその問題を、この弟子に一人も持たずの問題の中に考えているんですね。
 
草柳:  先ほどご紹介した『口伝鈔』の中で、「すべては同行・同朋なのだ」ということを、あれほど思い切って言っておられるわけで、それをさらにですね、いろんな言い方で同じようなことを言っているようなんですが、さらにもっと厳しく言っているのは、これじゃないかと思うんで、これをまた読んでみます。これも同じ『口伝鈔』の中ですね。
 
たとひかの聖教を山野にすつといふとも、そのところの有情(うじよう)群類(ぐんるい)、かの聖教にすくはれてことごとくその益(やく)をうべし。しからば衆生利益(しゆじようりやく)の本懐(ほんがい)、そのとき満足すべし。凡夫の執(しゆう)ずるところの財宝のごとくに、とりかへすといふ義(ぎ)あるべからざるなり。よくよくこころうべし
 
先ほど山崎さんもちょっと触れていただきましたけども、さらにもう少しですねここのところを深く、
 
山崎:  そうですね。こういう言葉と言いましょうかね、文言を見ますと、さっきちょっと触れましたけども、文字通りですけども、たといその信楽房がですね、その聖教を無意味なものとして、山や野原に捨てたといたしましても、しかしそのところの「有情(うじよう)群類(ぐんるい)」ですから、僕はこの表現といいましょうか、人間だけじゃないんですね。「有情」ですから、一切の生きとしいけるもの。人間だけでなく一切の生きとしいけるものが、様々な縁によって、その捨てられたところの聖教、つまり仏の教えですよね―教えに救われて、ことごとくその利益(りやく)を得ることができるんだ。したがって、しからばそこで初めて―しばしば出てきますが、親鸞聖人の中の意識としては、この「衆生利益」というのは、すごく強いんですね。私は自戒の念を込めて申しますと、やはり親鸞聖人以後の念仏法門に生きる私たちは、この親鸞聖人の非常に教えの中心に据えました「衆生利益」人々の幸せのために生きるということですよね。人々を救うという。このことは、親鸞さんの中ではものすごく強く意識されて、お手紙その他の中に、この「衆生利益」という言葉がしばしば出てくるんですね。ここに「衆生利益の本懐(ほんがい)」ですから、捨てられたものによって、そういう人間だけじゃない、生きとしいけるものが縁によって救われていった、これこそ素晴らしい仏さまの働きではないかという。「その時満足すべし」と。「凡夫の執(しゆう)ずるところ」ですから、私たちが持っている財産―無くしたとか、増えたとかという、その財宝ですね。お金であるとか、物であるとか、そういったもののように信楽房からそれを取り返すなんていうことは、あるべからざるなりと。
 
草柳:  信楽房というのは、親鸞から勘当された?
 
山崎:  そうですね。そういうものを取り返すということはありえない。あなた方は一体何を考えているんですか。よくよくそのことをこころうべきであるという。こういうお手紙ですね、これは。
 
草柳:  もちろん覚如は、曾孫さんですから直接親鸞から聞いているわけではないわけですね。
 
山崎:  お父様からお聞きになったことをお聞きになって、親鸞聖人の言葉としてお書きになったという。非常にこれは史上的に価値が高いものとして、一時この曾孫の覚如上人のものが史上的な価値が疑われた時代があったんですが、だんだんだんだん研究が進みますと、この覚如さんの『口伝鈔』その他の書物、著述を裏付けるようなものが出てまいりまして、非常に信頼をされている文献といいましょうか、お書物なんですね。
 
草柳:  唯円の『歎異抄』もそうですけれども、今の覚如の『口伝鈔』、この書き方も相当強烈ですよね。
 
山崎:  そうですね。ですから前も出ましたけども、この『歎異抄』とこの『口伝鈔』というものは、非常に類似している。さっき申しましたが、『歎異抄』第六条は「弟子一人ももたず」ですよね。『口伝鈔』の第六条もそうなんですよ。六条で同じだからというんじゃないんですが、内容も非常に類似しております。最初の方にありましたけども、ですから『歎異抄』の作者は如信(によしん)上人ではないかとか―覚如のお父さんではないかという説も出てきたくらいで、かなりそういうその当時のものを詳しく知る具体的なものとしては非常に有効な、私は文書だと思いますね。
 
草柳:  さてそれでは後半のほうに入りましょうか。後半もこれを見ながら、また少し易しい言葉に換えて頂けませんでしょうか。
 
つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるることのあるをも、師をそむきて、ひとにつれて念仏すれば、往生すべからざるものなりなんどといふこと、不可説(ふかせつ)なり。如来よりたまはりたる信心(しんじん)を、わがものがほに、とりかへさんと申すにや。かへすがへすもあるべからざることなり。自然(じねん)のことわりにあひかなはば、仏恩をもしり、また師の恩をもしるべきなりと云々。
 
この後半のところなんですが、どういうふうに?
 
山崎:  そうですね。ここの冒頭の、僕は、「つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるることのあるをも」というこの言葉に、僕は大変惹かれるんですね。要するに物事が成立するというのは、仏教では縁がなければ何も成立しないというのが、仏教のものの考え方の基本ですから、ですから、ある意味で言ったら、人にこうして今日お話をさして頂いているというのも、縁(えにし)といいましょうか、縁以外の何物でもない。私は例えば電車が止まりましてね、タクシーという手があるが、なかなか時間通りお会いできない。だけど時間通りにお会いできてお話さして頂いているというのは、やっぱり「つくべき縁」とこういうべきでしょうかね。だからある意味でいうと、人と人が出会うというのも、当然いうまでもない縁でありますけども、でも逆に「はなるべき縁」ですから、その人と離れていくというのも実は縁の―縁(えにし)のしからしむるところなんですよ。にもかかわらず、「師をそむきて、ひとにつれて念仏すれば」ですから、自分が尊敬し教えを聞いていた師匠から離れて、そして他の師につれて―その方に従って阿弥陀仏の教えを聞いたり念仏する。そういう人「往生すべからざるものなり」。そんな人は絶対に救われないという方がおられるようであるけれども、「なんどといふこと、不可説(ふかせつ)なり」どうしてそんなことが言えるんだろうか、という言葉でしょうかね。その後にまた先ほどと重なります、「如来よりたまはりたる信心(しんじん)を、わがものがほに、とりかへさんと申すにや」ですから、あなたが救われるか、救われないかという、その信心を、いわゆる道場主とか、師というようなものが握っていて、あの人は離れたからそれを取り返すんだ。「かえすがえすもあるべからざることなり」。その後に「自然(じねん)のことわり」、私はこの「自然のことわり」というのが、「つくべき縁あればともなうし、またはなるべく縁あれば離れるんですよ」ということに関わる言葉だと思うんですね。そうなってくると、仏の教えに私が出会ったということの尊い、ありがたいという恩もおのずから私の中に生まれてくるでしょうし、またその教えを伝えてくださったという師に対する尊敬の思いも、そこから初めて生まれて来るべきではないでしょうか。だから恩を着せるとか、恩を売る。今、「恩という字は、もう死語だ」と言い方がありますけど、その「恩」というのは素晴らしい言葉なんですが、うっかり着せたしますから、あまり使われなくなってきてしまうんでありまして、「恩」というのは、やっぱり受けた人が、〈あぁ、そういうことだったんだな。尊いことだったな〉ということが、あった時に初めて成り立つ世界。だから仏の恩を知り―それは仏との出会いですよね。教えとの出会い。出会いによって、僕の人生が少しでも深くなった、豊かになった。ああ、尊い教えに出会ったな。そこで私は仏の教えを知ることができるし、その教えを伝えてくださったあの先生に出会った。生涯あの先生に出会ったことが、私の人生の方向を決定した。素晴らしいことだったなというところから、また同時に師の恩も知ることができる。ですから私はくどいようでなんですが、私は、師というのは、そういう弟子がつくりだすものなんだと。一般的には、師が弟子をつくるというんですが、親鸞はそれは逆ないんだよと。「教えている者に師の意識はなく、学ぶ者に感銘は深い」と言われた金子大栄(かねこだいえい)(明治―昭和期に活躍した真宗大谷派 僧侶、仏教思想家:1881-1976)という先覚者がいるんですけどね。教えている者に、指導者がなければ、教えられている者には、あぁ尊いことを教わったな。師に対する尊敬もそこから生まれてくるんではないでしょうかね。それが「あなたを教えたのは私なんだよ」ということが見え見えですと、尊敬というのはどっかに飛んでしまうんじゃないかと。
 
草柳:  そうすると、ですからもちろん親鸞も師弟の関係を完全に否定していることではない。だってむしろ親鸞こそ師がいたわけでしょ、法然という。
 
山崎:  そうですね。
 
草柳:  あるいはもっと言えば、当然釈尊なんでしょうけれども。つまりそれは善い師弟関係と、そうでない師弟関係があるということですか?
 
山崎:  そうですね。一般的に師弟関係と括るのではなくて、今おっしゃった善い師弟関係。それは僕は豊かな人間関係だと思うんですね。ですから縦型の非常に窮屈な閉ざされたところの師弟関係で、だからそういう面でいうと、弟子が師に対して何もいえないとかね、いうようなものだったら、これは本当の私は師弟関係とは言えない。ですからそういう意味で申しますと、親鸞の考えていたことというのは、師と弟子というものも―ブッダ・釈尊が、やはりお弟子方に必ず「友よ」とこう呼びかけているじゃないですか。僕、若い時、感銘しましたね。偉大な人類の師であるブッダ・世尊が、同じ修行者に「友よ」と呼びかけていますよね。あの世界ですよね。だから本当の意味でのやっぱり師と弟子というのは、そういう友の関係でなければならない。だから釈尊の『大無量寿経(だいむりようじゆきよう)』というお経の中にもありますけども、「法を聞きてよく忘れず」。僕、よくいうんですね、「法を聞きてよく忘れず」というのは、勉強して聞いたことを忘れてもいけない、そういうことじゃない。だいたい皆さんお寺で法話を聞かれますと、一生懸命聞いてくださるけど、大体もう帰るときにはほとんど忘れているんですよね。皆さん心配しなくていいんですよ。「法を聞きてよく忘れず」ということは、文々句々覚えていないけれども、その場で聞いたことが私の中に何か一つ残っているという、そういうことです。
 
法を聞きてよく忘れず、見て敬い得て大きに慶ばば、すなわち我が善き親友なり。
 
「則我善親友(そくがぜんしんぬ)」我は私―ブッダなんですよ。ご承知のように「親友」というのは、これはある仏教では自分の人生にかかる素晴らしい友という意味ですから。お釈迦様はその時、そういう仏道歩んでいる方は、私の親しい善き友達なんだ、ということをおっしゃった。私はだから「仏法というのは、ブッダを雲上人のように掲げて崇め奉るじゃなくて、私はブッダの友達となる世界が仏教ですよ」というような言い方をよく学生諸君に聞いてもらうんですけどもね。
 
草柳:  そういう師弟関係を否定しなかったにもかかわらず、今日のテーマである「弟子一人も持たず」というふうに、親鸞に言わしめたのは、親鸞のいったいどういうふうな内省と言いますか、あったんでしょうかね。なぜそういうふうに言わせたのか。
 
山崎:  そうですね。そこには先ほどちょっと出てまいりました、常に自分―親鸞聖人が自分自身が阿弥陀如来の前に立たされた時に、どういう存在であるのか、ということですよね。そこが僕はすべての出発点だったんじゃないかなという気がするんですね。少しものを教えては、驕りにとらわれて―三つの驕りというんですが、親は子供を育てますと、もう驕りそのものじゃないですか。言うことを聞かなくなると、「お前を育てたのは一体誰だと思うんだ。三歳の時に病気をして、私は寝ずに看病した」。そんなこと子供に通じませんよね。親としては、そういう苦労をしていますから、子供にそれを言いたいわけで。僕はそれはひょっとしたら、私は、親でも子供でも、さっきの話、友としての関係が成り立っていないと、非常に不幸な人間関係になると思っているんですよ。夫婦でもそうだと思っているんですよ。師弟でもそうだと思っていますから。それが成り立っていませんから、お前を育ったよということになります。学校の教員は、ともすると、「あの子は昔たいしたことなかったんだけど、私の指導でこんな良い学生になった」ということを、どうしても誇たがるという、私たちの。これも僕は教えることの驕り、「育てる驕り」「教える驕り」。もう一つの宗教者は、あの人を救ったのは私なんだ、という。これは六条にかかります。そういう驕りの坩堝(るつぼ)の中で、いつの時代でも、今でも人間というものは、生きておりまして、そこから一歩も超えられない。そういうことを実は知らされたのは、阿弥陀如来の真実というものの前に立たされた時の自己自身の姿にあるんではないか。それが非常に深い「内省」と言ってしまうにはあまりにも簡単ですけども、自己の底の内容が自己の深い深いところの自己自身の姿を見定められた時の姿が、煩悩具足であるとか、そういう親鸞聖人の人間観になって、私は現れてきているんではないか。
 
草柳:  「驕り」というのは、別の言い方をすれば、それは「私物化」ということでしょうか?
 
山崎:  そうですね。私はどうなんでしょうね、この『歎異抄』第六条というのを考えました時に、私は「念仏の私物化」、そして「いのちの私有化」、つまりお弟子というものの命を自分に従属させて満足するんですから。それぞれがそれぞれとして尊敬されなければならない。それがダルマ―法の世界であると言いながら、そうでないわけですよね。おっしゃった「私物化」とか、「私有化」。これは現代の社会にもそのまま実は当てはまるんじゃないか。私なんか結構家内に優しいんですよ。自分でいうのはあまり信用できませんが。たまに旅行に行きますでしょう。二人疲れて帰って来ますよね。悪いと思いながら自分が坐ると、「ちょっと悪いけど、お茶一杯入れてくれないか」ということをフッといっちゃいますよ。これ後で考えると、自分が入れればいいんですよ、お茶なんか。向こうも疲れているんですから。当然のことにいうというのは、ひょっとしたら私の中で、やっぱり家内を私物化して、あんまり偉そうなこと言えないなということを日常的に感ずることがありますね。
 
草柳:  私なんかも、じゃそういう意味でどのくらい反省しなければいけない、底が知れないくらい。
 
山崎:  人間って悲しいもんですね。反省することに、僕はまた満足しちゃってね。反省しない人より自分はましだろうみたいな。もう底無しですよね。私たちのよこしまな人間性というのは。そのことに気づくということがもう一歩前に出ることになりますからね。
 
草柳:  もう一つ先ほどの覚如の別のところなんですが、これを引用したいというふうに思います。
 
一旦の我執をさきとして宿縁の有無(うむ)をわすれ、わが同行(どうぎよう)ひとの同行と相論すること、愚鈍のいたり、仏祖の照覧をはばからざる条(じよう)、至極つたなきものか、いかん、しるべし。
(覚如『改邪鈔』)
 
これはどういうふうに読めばいいんですか?
 
山崎:  そうですね。やはり弟子、さっきの私物化するということの根底には何があるかというと、私たちのエゴですよね。自我執着ですよね。我執というのはまさにそうですね。ですから、その場限りの自己の計らい、執着を先として、そして物事には、先ほどの出てきました、伴うのも縁ですし、離るるのも縁なんですけど、その道理を忘れて、そして我が同行、人の同行、あの人は私の門徒、彼は誰々の門徒という形にこう二分化しまして、そして相論、これも相論のところで出てきましたね。争いを起こすこと、これは愚鈍の至り。殃禍(おうか)極まりない所作であると。「仏祖の照覧をはばからざる条(じよう)」そういう世界では全く仏さまの働きというものをいただいていない。僕の言葉で「教え不在」のところでこういうことが行われていく。「至極つたなきものか、いかん、しるべし」まったくもって認めがたいものである。このことをきちっと深く知るべきであるという。これも強い言葉になって現れておりますね。この強い言葉の現れが、僕は逆にそれだけのことが日常化していたということを予想するに十分な言葉ではないかと、熾烈な弟子争いが、
 
草柳:  その弟子争いが、『歎異抄』の方の、先ほど紹介したおしまいの方に「自然のことわり」という言葉が出てきましたですね。あれはどういうことを言っているんですか?
 
山崎:  そうですね。親鸞聖人は、「自然(じねん)」というのを、一般に「しぜん」という言い方がありますけども、親鸞聖人は、「願う」という字に「力」という字を書いて「願力自然(がんりきじねん)」という言葉がありましてね。これは阿弥陀仏の働きとはからいというものが。ですから、阿弥陀仏の教えに生きるものは、阿弥陀仏の働きの中に生きるものでありまして、自己の、いわゆる自我というものに基づいて、あれこれ物事を考えるということは大変大きな誤りを犯していくことに他ならないのだと。だからその阿弥陀仏の御教えの働きというものを、自分が受け止められるようになってくると、逆にさっきの「つくべき縁もあるし、離るるべき縁もあるんだ」ということが、そこで初めて認識されてくるんではないかと。そういうことを表している言葉ではないかと思うんですけどもね。そんな理解をするんですけれどもね。いかがでしょうね?
 
草柳:  今回のテーマは、「所有欲」というものに対する問題を、それが問われているんだということだろうと思うんですけれども、例えば山崎さん、こんな言葉がありますね「来る者は拒まず、去る者は追わず」という。つまり親鸞が言っている「弟子一人も持たず」ということの中には、つまりそのこと、そういうことなわけですか?
 
山崎:  私は、意味といたしましては、やっぱり「つくべき縁があればともなうし、離るべき縁があれば離れる」というのが、まさにおっしゃったような「来たる者は拒まず、去る者は追わず」という日常的な表現を取りますと、それを私たちは、去る者を追いかけていくわけです。それ雁字搦めにしたくなりますよね。来る者あると無条件で持って、私は受け止めることができるけれども、それも一つの道理ではないか。だけど言葉では簡単ですが、「去る者は追わず、来るものは拒まず」というようなことは、言われるほどこれは簡単なことではないかということもあるんでないでしょうかね。ブッダの言葉の中に、
 
花は咲く縁が集まって咲き
葉は散る縁が集まって散る
ひとり咲き
ひとり散るのではない
 
例えば時ならぬ時に咲く花があるじゃないですか。昔はそれを不吉な予兆だなんて。ブッダはその時に、「いや、そうではない。咲くべき縁があったからこの花が咲き、散るべきでない時に散ったというのは、散るべき縁があったから散った。ただ、それだけのことなんだと。そこに自然(じねん)の道理と言いましょうかね、縁(えにし)の縁というものの大切さを表現したブッダの言葉なんかがありましてね。だから来る者は拒まないし、去る者は追わないということも、そういうところにつながりを持っている。ただ先ほどから問題になっております「つくべき縁があれば伴う」という、その感覚の中で自らが日常を生きるということは、言われるほど簡単なことでないということは感ずるんですね。そこに人間、あるいは親鸞聖人の言葉で言いましたら、「凡夫」という様々な感情、悪感情の中で自己自身が雁字搦めになって本来の生き方が出来ないというところに、僕はつながっていいくんではないか。
 
草柳:  親鸞は、「煩悩具足の人」というふうに自分のことを言って、そういう言葉で表現していますよね。そのことを深く深く突き詰めていって、結局親鸞という人が到達した、今回のテーマに則して言えば、一体どこだったんですか?つまり親鸞が、弟子一人も持たずということで言おうとしたまさに今日の真意は一言で言えばどういうところにあったわけですか?
 
山崎:  そうですね。それは僕はやっぱり世俗の中を生きる人間のあり方と、世俗というものを超えた法ですね―仏法、教えに生きる人間との違いを、このことの中で明確に示されたんではなかろうか。だから私たちの社会一般世俗というのは、師、弟子それは当たり前。先輩・後輩。それは先ほど申しました、本来の人間関係として成立していない限りは、仮のものであって、その場限りのものである。それは世俗というものを生きる私たちの現実なんだけど、法の世界に生きると、それは法によって結ばれるから、ですから、例えばつくべき縁があれば伴いますし、離るべき縁があれば離れるというけども、根本的にはそういうものをすべてが私は、法によって結ばれているんだ、ということがないと、「弟子一人も持たず」という言葉は、私は出てこなかったんではないか。そういう理解をしているんですけどね。
 
草柳:  「法の下」というのは、「法」というのは、大きな真理という言葉で、つまり法の下では、すべての人間が―人間だけでなくて、それは生きとしいけるもの全部という意味なんでしょうけれども、平等・同等でなければいけない。同等であるべきだと。本来あるべきだということを、親鸞という人はこう繰り返し繰り返し言ったということなんですか?
 
山崎:  そうですね。繰り返し繰り返しそれを言われたというのは、そのこと一つが、非常に難しいことなんだという。究極の難しいことなんだということを、ですから繰り返し繰り返し言わざるを得なかったという。でもそのことに目覚めて、その場に立たない限り、本当の生き方というのはできないんだというようなメッセージが、ここには私は込められているんではないか。私は、「閉ざされた信」とよくいうんですけども、そういう特定な人間関係の中だけで、仏法を喜んでいる。何回か前に出ましたけども、仲間意識というのは素晴らしいというじゃないですか。私は必ずしもそう思わないで、仲間意識というのは一見素晴らしいけど、仲間意識というのは逆に非常におぞましくて、仲間外れを必ず作る。あの人とあの人は仲間、何十年来の仲間だというと、それ以外の人を拒絶するというような意識がやっぱり仲間意識。だから友・同朋といったのは、そういう枠組みを設けないというのが、仏法の世界ですよ、ということです。
 
草柳:  極めつけの親鸞の和讃を一つ紹介したいと思うんですが、
 
是非(ぜひ)しらず邪正(じやしよう)もわかぬ
このみなり
小慈小悲もなけれども
名利(みようり)に人師(にんし)をこのむなり
 
山崎:  非常に痛烈な和讃ですね。これは和讃を書かれた一番最後に示されるものですが、「是非」ですから、これが絶対に正しい。これが絶対に誤りである。そんなことも決める知識、知恵と言えましょうか、そういうものもない私。そしてこれが究極的に正しく間違いである。邪正である―邪(よこしま)であるとか、真実であるか。何が不実―誤っているものであるかということもわからない、この私・親鸞でありながら、そして小慈小悲―小さな小さな人を救うという慈の慈悲の心もない私であるけれども、一人前に「名利」ですから、「人師」人の師となって、人から尊敬されることばっかりを考えているこの私。あぁというような、悲しみの言葉。これは和讃というものを、何百首書いてこられた後にありますから、この和讃の注釈をされました名畑応順(なばたおうじゆん)先生という方は、「もっともらしいもの知り顔で和讃を作ってきたけれども、なんとも恥ずかしいことだという、自分のことであるか」という注釈を先生はしていらっしゃるけども、僕はそういう思いが、この和讃の中には込められているんではないかと思いますね。例えばこれ亀井鑛(かめいひろし)先生からお聞きした話なんでありますけどね、名古屋大学生が小学生の家庭教師を頼まれた。小学生ですからもう楽勝だ。予習も何もしない。それでやっているうちに小学校の問題が解けないというんですね、大学生が。彼は真っ青になって懸命に教科書を抱えて問題を解こうとする。小学生ほったらかしだったというんですね。そしてフッと見たら、もう自分を認めなかった、そして勉強もしなかったその子供が、隣で一生懸命勉強しているというんですね。それを見たときに、彼は、「教えるということは、実はこういうことなんだと。自分が学ぶことが、そこからその子が学んで、自分の教科書を開いてあちこち勉強している。教えるってこういうことなんだ」。かつて寺の仏教青年会で、『歎異抄』の第六条「弟子一人も持たず」という話は、実はこういうことじゃないのか、ということを、先生からお聞きしたことがあるんですけどね。まさにそういうことの具体的実践が、親鸞聖人の求道者としての、真実を求める親鸞聖人の仏法者としての生き方であったんではないかなという思いで、その話を聞かしていただきましたね。
 
草柳:  まさにそれこそが本当の師弟関係というか、人が人を教えることが果たして本当にできるのかということを深く自分自身にも引きつけたと。その結果として、「一人も持たず」という言葉につながっていったというふうに理解すればいいわけですか?
 
山崎:  そうですね。私たちは、「人が人を救える」と思っておりますし、「人が人を導ける」と思っておりますけど、本当にそうなのかというところに立ちました時に、そして人を救おうと真剣になって、苦しみ、悲しみ、傷つけば傷つくほど、実は何ものもなし得ないんだという。絶望でなくて、そういう思いが、かえってもっと強い働きになって、人を救うという方向に向かって、僕は出てくるんではないかという、そういう思いがあるんですけどね。
 
草柳:  今日はありがとうございました。
 
     これは、平成十八年十月十五日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである