いのちの苦しみに向き合って―癌になった僧医≠フ遺言
 
               西明寺住職、医師 田 中(たなか)  雅 博(まさひろ)
1946年、栃木県益子町の西明寺で生まれる。父親の勧めで医師を目指し、東京慈恵会医科大学を卒業。国立癌センターで研究所室長、病院内科医として勤務。大正大学に進学し、仏教を7年間学び、西明寺を継いだ。住職を務めながら1990年境内に入院病床を備えた(緩和ケアもおこなう)普門院診療所や介護施設を建てた。2014年10月、末期の膵臓癌が発見された。その後肝臓に転移。30年間「病院にもスピリチュアル・ケアワーカーが必要」と訴え続けた
 
ナレーター:  栃木県益子町(ましこまち)にある西明寺(さいみようじ)。二○一七年の年明けを特別な思いで迎えた人がいます。このお寺の住職田中雅博さん七十歳。田中さんは一方で内科医として末期癌の医療に長年取り組み五百人以上の患者を看取ってきました。二年ほど前に自身が末期の膵臓(すいぞう)癌と判明。手術や抗癌剤治療など手を尽くしましたが、余命は二、三ヶ月とされています。

 
田中:  護摩というのは、「無智の薪を焼く」と言いましてですね、我というこだわりを離れるために護摩をたくわけですね。除夜の鐘も全く同じです。この「無智の闇を除く」すばらしい文化だと思います。だけど私自身は、物理的にこの西明寺の除夜の鐘を経験するのはこれが最後ですね。
 

 
ナレーター:  田中さんが西明寺の一角に開いた「普門院(ふもんいん)診療所」です。
 
田中:  患者さんって何でしょう?
 
ナレーター:  田中さんは、体調がよい時は今も診察をしています。休診日のこの日ひどい下痢を訴えた女性が駆け込んできました。
 
田中:  恐らく今流行ってるノロウイルスによるウイルス性腸炎だと思いますから。原因療法がないので対症療法しかありませんから。
 

 
ナレーター:  田中さんを今苦しめているのは、癌による激しい痛みです。妻の貞雅(ていが)さんは麻酔の専門家。副作用に細心の注意を払いながら「オピオイド」と呼ばれる医療用麻薬も使って痛みを抑え込んでいます。
 
田中:  一番痛い場所がね、ここなんでここに貼って下さい。これよりもちょっと…ここでいいかな同じとこで。
 
貞雅:  ここに転移してるんで。
 
田中:  この痛みはだんだんひどくなってきてるんですね。転移の場所がだんだん大きくなってきて…。この貼り薬と麻薬の貼り薬と飲み薬と現在三種類。完全に治まってるわけではないんですがかなり楽ですね。
 

 
田中:  今一ヶ月先までの予定はどうにか入れるようにしているんですよ。ここしばらく二、三ヶ月前からですね。そのあとの一ヶ月はどうなるか分かりませんので。まあ二、三ヶ月かなとは考えてます。残念なことに、もう…効果があるという証拠のある治療は残ってないんですよ。私の父は心筋梗塞でしたけど、法話をしている最中に、まあ五分くらいで気分が悪いということで部屋に戻って、すぐに倒れて、そのまま亡くなられたようなんですね。ですから何の準備もできないで死んでしまう。そういう病気と癌の場合は違うわけですね。おかげさまでかなり長く準備ができました。その点では癌で死ぬのはいいと思いますね。心筋梗塞とか脳卒中で突然死んでしまう、そういう場合には、準備ができませんから。その点は…必ず誰も死ぬわけですから。そこで大事なことは二つですよね。それでは生きられる時間を延ばすにはどうしたらいいかと。もう一つは、その生きられる時間をどう生きたらいいか。この二つですね。それ以外は、考えても意味がありませんから、できないことは考えないわけですね。
 

 
ナレーター:  田中さんが、今力を入れているのが、再発や死の恐怖に悩む癌患者との交流です。去年四月から月一回、寺の集会所を開放し、語らいの場をつくっています。
 
患者A:  私も同じく乳がんで、去年の十二月に手術をして、今化学療法中なんですね。ウィッグ(かつら)なんですけども。
 
田中:  私、生えてきたんですね、最近。今のはあれですが、この前は眉毛も全部なくなっちゃいました。同じ系統の薬ですね。全く毛はなくなりました。髪の毛も眉毛も体中の毛がなくなったですね。かなり副作用があっても、乳癌の場合はですね、効果が大きいですから。生きてられる時間がかなり延びますので、かなり抗癌剤の副作用に耐えて治療を受ける意味は大きいと思います。
 
患者B:  肺癌で、腺癌ですね。ちょうど去年の今頃手術して、桜散った頃に退院してきたんですけれども…。何ががく然としたかというと、般若心経が唱えられない。たかが経本の字、一行何文字ぐらいですかね、十七文字ぐらいですか一行でいけば。呼吸が続かない。肺癌ってこんなになるんだなと。
 
田中:  まあ現在は恐らく手術のあとの症状で、再発してるための症状ではないんだろうと思いますが。確かに息苦しいのはつらいですね。オピオイドは、息苦しさを止めるほどに使うと、副作用もかなり出ますね。だけどたくさん使わないで、副作用出ない程度に抑えておくと、苦しい時間が延びるだけのように思いますので、最終的な段階では副作用が出ても使ってほしいと思いますね。私自分の時はそうしようと…。
 
患者C:  私、肺癌を手術しまして、手術後二年後に転移しました。現在腫瘍が三つあります。私は実際にいろいろな病気がわぁっと来た時に、考えがまとまらなくなってきて、逃げてたんです。常にそんな逃げてたんで…。何とか生きよう生きようと思うと、そういういろいろな(医療用)麻薬系を使って副作用があっても(長く)生きようと。でもそれは苦しみを長くするだけで、生きるのを短くする。苦しい期間を短くするということなのかなと思うと、ふっと気持ちがすとんと落ちるんです。
 
田中:  本人の生き方が、本人の宗教だと思います。何かを信仰するっていう意味ではなしにですね。キリスト教とか、一神教ですと、何か信仰するという感じですが、日本の宗教はそうではなくて、こだわりを離れるという仏教が基本になってますから、一人一人みんな違っていいわけですね。命を延ばす方法とか、こういう…科学の世界では、どっちが正しいかっていうことをいうわけですが、そうではなくて、一人一人の人生、みんな一人一人が尊敬されていいわけで、どの生き方も平等なんですね。
 

 
ナレーター:  田中さんが住職を務める西明寺。奈良時代、行基(ぎようき)によって山あいの地に開かれた古刹です。江戸時代には、坂東(ばんどう)三十三観音巡りの札所として、多くの参拝客が訪れるようになり、今に至っています。
 
田中:  仏像は、ほとんどが鎌倉時代につくられた仏像で、建物よりも古いんですね。建物は六百年ほど前ですが、仏像は七百年以上前ですね。
 

 
取材者:  この寺の跡取りとしてお生まれになって、その意識は子どもの頃から…。
 
田中:  ええ。子どもの時からですね。最初に儀式に参加したのは小学生の時ですね。ここで先代住職父親が、護摩をたきましたから―正月にですね。その時に私は小学生で、その辺に座ってたんですよね。お寺に生まれて、私は…お寺でよかったなと思ってるんですね。当時は日本は非常に貧乏だったんですね。その貧乏の中で非常に明るい話題の一つとして湯川先生のノーベル賞受賞というのがありましてですね、私は物理学に興味を持ってたんですよ。で勝手に物理学の本を読むようになりまして。それ以前に父親に聞いたんですね、小学生の時に。西明寺の住職になるには、どうしたらいいか。そうしたら父親は、仏教以外の勉強をして、そちらで最初に一人前になりなさいと。そのあとで改めて仏教を勉強して、それで住職になったらいいと。私は物理学に興味を持ってましたから、物理学とか数学を勉強してたんですが、そのころの業績を見ますと、ほとんどがアメリカの業績が多かったんですよ。特にカリフォルニア大学のベバトロンという加速器から出てくる新しい発見が相次いでまして、それでどうにかして、そういったアメリカに行きたいなと思ってたんですね。そうしましたら突然慈恵医大の入学願書というのを、父親が必要な書類を全部そろえて締め切りの前日に持ってきて「ここへ行きなさい」と言うんですよ。私はその時に「慈恵医大」という名前も初めて聞いたんですが、医学部ということは全く考えてなかったんですね。とりあえず慈恵医大に入ったという状態だったんです。そのまま卒業して、それで医者になったんですね。
 

 
ナレーター:  田中さんが内科医として勤めたのが、東京の国立癌センター。ここで「死にたくない。死ぬのが怖い」という「いのちの苦しみ」に出会います。
 
田中:  私が担当した患者さんは、全員進行癌なんですね。外科の医者は、手術で治すということができましたが、内科で担当した患者さんは、全員進行癌で治らない患者さんなんですね。医者というと、通常は治る病人の治療をする医者が大部分の医者ですね。私は特殊な医者で、治らない病気の患者さんだけを担当する医者に…。自分から望んだわけではないけれども、結果的にそうなったわけです。
 
ナレーター:  田中さんは、ある患者のことを忘れられずにいます。それは同じ二十代半ばの女性。末期の胃癌に冒されていました。
 
田中:  最初に担当した患者さんがその方でした。三ヶ月で亡くなりました。大体三ヶ月だったと思います。どんどん悪くなっていって、亡くなられた後は解剖させて頂きました。体中に転移がありました。胃癌の転移ですね。当時は本人に本当のことを話しづらい状況だったんですね。本人のところへ行っても、何を話していいかほんと分からない状態でしたが、お話してもつらいことだけですよね。何かいい薬があるかというと、薬もないですよね。その時に、医者には何もできないわけですね。何もできないことはないんですが、痛み止めをすることとか、点滴をして、水分とか栄養分を入れることはできますが。だけど、死んでいくという苦しみに対しては、何もできないんですね。自分の命がなくなるという苦しみですね。それは人間独自の苦しみですね。自分という存在がなくなってしまう。ですから患者さんから、「死ぬんですか? 助からないんですか?」と聞かれて、「そのとおりです」って。「そのとおりです」と冷たく言うわけではないんですが、やはり本人から聞かれた場合に、それを肯定するという形で、本人に命がなくなるということを告げることはよく行いました。
 

 
ナレーター:  医師としての無力さを感じていたそのころ、田中さんが運命に導かれる出来事が起きます。西明寺の住職だった父親が急死。寺を継ぐことになったのです。三十六歳の時のことでした。
 
田中:  そうしてる間に、私は、先代住職が急死したので、次の春に、年度末に退職して、新学期に大正大学の仏教学部に編入学して、仏教を本格的に勉強するようになったんですが、仏教を勉強する上で、何を勉強するのかということがはっきりしてましたから。命の苦しみ、これのケアとしての仏教ですね。仏教自体がそういうもんだと思って勉強を始めたので。そうすると、父親が「医学部へ行け」と言った意味がよく分かります。仏教の僧侶になるならば、命がなくなる現場に行け、ということですね。昔お釈様の時代、それから弘法大師の時代、もうズーッと仏教の僧侶は、人が死んでいく場所にいたわけです。もともと日本の仏教の歴史も、看病(かんびよう)禅師という人たちが、病人を看病する。これが仏教の中心だったと思うんですね。その人たちが何をしていたかっていいますと、人は病気になって死んでいくわけですが、そこで安心(あんじん)を与えるというのが、仏教僧侶の役割でありましたし、お坊さんが修行するという修行の中心も、そこにあったわけです。実際に苦しんでる人に、いかにして安心(あんじん)を与えるか。他人の苦しみを自分の苦しみと感ずる心。これを根拠として苦しんでいる人に近づく。これをするのが、お坊さんだったわけですね。ところが近代化によってですね、歳を取って病気になって死んでいくというのは、医療現場に、医療施設に隔離されるようになりまして、仏教のお坊さんがその現場にいないんですね。明治維新という不幸な出来事から、仏教が社会から取り除かれてしまった。現在のお坊さんは、本来の仕事場である、人が死んでいく現場にいない。それで「そういう所に行きなさい」とそういう意味だったわけですね。
 
ナレーター:  田中さんは、仏教を学ぶため大学院の博士課程まで進みました。寺に診療所を開いたのは、四十三歳の時のことです。寺が医療を担ってきた仏教の伝統を復活させたいという強い思いがありました。田中さんには、理想を表した一枚の絵があります。ピカソの「科学と慈愛」。ベッドに横たわる患者の傍らには脈をとる医師。そして子どもを抱いて患者を温かく見守る修道女が描かれています。人が死や病に瀕した時、科学に根ざした治療と共に、「死ぬのが怖い」という、いのちの苦しみに対するケアが必要である。
田中:  お寺の中に医療設備を、施設を復活しようと、そういう意味で「普門院診療所」という建物をお寺で建てました。有名な所としては、四天王寺の四箇院(しかいん)(聖徳太子が建立)というのがありますが、「敬田院、悲田院、施薬院、療病院」ですね。「療病院」というのは、国立の病院の最初と言っていいと思うんですね、日本で。歴史的には、病院はお寺に始まったわけです。
 

アナウンサー:  入院患者の回診は、いつも二人で行います。
 
ナレーター:  この番組は仏教の教えを生かした田中さんの新しい医療を記録したものです。
 
アナウンサー:  田中さんたちが、今一番力を入れているのがホスピス医療です。ここは治る見込みのない患者のための部屋です。残された日々を家族と共に有意義に過ごしてもらうのが目的です。癌の告知は、田中さんにとっても大きなテーマです。田中さんが、癌を告知した一人の患者がいます。
 
田中:  大きく息吸って下さい。
 
アナウンサー:  河又利一(かわまたりいち)さん。今年の五月から診療所で治療を受けています。
 
田中:  そこで息を止めて下さい。はい、楽にしていいですよ。
 
アナウンサー:  河又さんは、以前他の病院で手術を受けましたが、はっきりした病名は告げられませんでした。
 
院長:  全部正常範囲以内以下ですから。これが動いてきてこれが上がってきたら、また癌が動き始めてるっていう…。
アナウンサー:  本当の病名を知りたいという河又さんに、田中さんは癌を告知し、ここで治療を受ければ、癌は怖くないと力づけました。癌の告知をすべきかどうか、議論が続いています。このため田中さんは、患者にアンケートをとり、癌の告知をしてほしいかどうか、本人の意思を確かめています。アンケートでは、告知を望む人が八十パーセントを超えています。
 

 
田中:  私たちは、本人の希望に従って、本人に本当のことを話して、本人の希望を尊重して、本人の自己決定を尊重して医療を行う、ということをしてましたから、それでそのこともありまして、私たちが、「普門院診療所」をつくった時には、ここに来ると、本当の病名を教えてもらえると。それでいらっしゃった患者さんもかなりおられたんですね。本人の希望に従って、つらい情報であっても本人に伝えるということは、重要なことだと思います。それをしないということが問題だと思うんですね。本人に知らせないで、本人をだますというようなことを、倫理的に行っていいかどうか。それが日本の医療の現場で、不幸にして当たり前のように行われていた時があったということですね。

 
アナウンサー: 河又さんは、癌の告知を受けたことで、むしろ心に落ち着きを得たといいます。体調のいい時には、ゲートボールも楽しむようになりました。
 
河又:  普門院へ行って、西明寺の先生に言われたのは、「癌で死ぬ人は、四人に一人ぐらいの割合なんだよ」というような話をされたんで、「あぁそうかなぁ。そうすると、私も癌なら癌て先生に知らしてもらった方がいいんだろう」というんで、アンケートへ○(印)をつけた。
 
取材者:  知った時はどういうお気持ちでした?
 
河又:  これは病気と闘って、どれだけ長生きできるか。まず治療してもらうほかないと思ったですね。
アナウンサー:  患者の意思を尊重しようという動きの中で、現代医療は「DNR(蘇生させない)」という新たな課題に直面しています。「DNR」とは事前に患者が望めば、心臓が停止した時、蘇生の措置は講じないというものです。
 
田中:  心肺停止で、呼吸で死んでしまったですね。で、DNRの希望だったですから、それでお亡くなりになった。
 
アナウンサー:  患者の立場に立って、ホスピス医療を目指す田中さん夫婦。患者が最期を迎える時、どれだけ本人の意思に応えられるのか。二人にとって大きな課題です。
 

 
ナレーター:  田中さんが、患者本人の意思を尊重する覚悟を決めた出来事があります。スズメバチに刺され、心肺が停止した五十三歳の女性が、田中さんの診療所で尊厳死を遂げたこと。そして本人の希望に従って臓器移植が行われたこと。益子焼の作家だった小川晶子(おがわあきこ)さんは、生前延命を望まないリビングウイルに署名。臓器提供に必要な手続きも行っていました。小川さんの希望を知った田中さんは、家族と協議の上延命措置を中止。尊厳死を望んだ人からの臓器移植は、日本で初めてでした。ところが死の定義や手続きを巡って、賛否両論が噴出。田中さんは大学病院の医師や脳死移植に反対する市民団体から、殺人罪で告発されました。
 

 
田中:  遺族の希望に私は従ったわけです。遺族の希望から本人の希望が分かったわけですね。本人は臓器のドナーカードを二つ持ってまして、腎バンクとアイバンクに登録していたわけです。本人の自己決定権を尊重するということですね。これは医療倫理の中心にあります。生命倫理の中心と言っていいと思うんですが、本人が命がなくなるということを理解した上で、科学的にも助かる方法がないと。それが確認できたような場合にですね、そこで治療を中止してほしいという本人の希望。それと臓器を提供したいという本人の希望に従ったわけです。これはそうでないという…もし希望が逆であったならば、臓器は人にあげたくないと。そして少しでも長く心臓を動かしておいてほしい。そういう希望であったなら、それにも従ったと思います。それも尊重したと思います。
 

ナレーター:  六年後、臓器移植法の施行を受け、田中さんの不起訴が確定しました。
 
田中:  私たちが殺人罪告発を受けた(時の患者の)小川晶子さんが作られたものです。ここへちょうどこの部屋に入院してまして、その方が作られたお地蔵さんですね。
 

 
ナレーター:  その後臓器移植法の改正や終末期医療のガイドラインが定められ、尊厳死や臓器移植は、現実的な選択肢になりつつあります。当時激しい非難の矢面に立たされた田中さん。しかし患者本人の意思に基づいた医療を行うという信念が揺らぐことはありませんでした。
 
田中:  これはある意味ではよかったと思います。というのは、それまでこういう問題があまり人々の関心を持たなかったんですね。それで患者の権利としての自己決定権、いわゆる消極的安楽死の希望。それともう一つは、臓器を提供したいという希望ですね。これがかなえられた。それに反対する意見が、たくさん医療現場からも、宗教界からも出ましたけれども、それは非常にいいことだと思います。あのことがあって、かなり理解は深まったのではないかと。広まったし、深まったのではないかなと思います。
 

 
ナレーター:  その後、田中さんは、仏教の教えを高齢者の介護や看取りに役立てる取り組みも始めます。この番組は患者の老いと向き合う田中さんの日々を紹介しています。
 

 
ナレーター:  老人保健施設「看清坊」。「看清坊」という名は、かつて西明寺にあった苦しみから自由になるための修行の場にちなんでいます。老人保健施設とは、病院などを出たお年寄りが、リハビリなどに取り組み、再び家庭に戻ることを目指す施設です。長谷部ナミさん九十三歳。「看清坊」でも二番目の高齢です。長谷部さんは、再び自分の力で歩けるようになりたいと看清坊に入りました。しかし入所後一週間、体調は悪化の一途をたどります。めまいがひどくなり、二日前からは食事もとれなくなりました。長谷部さんは、二人の娘のうち、一人を交通事故で失い、長女はアメリカに嫁いでいます。そのたった一人の子どもに元気になって、また会いに行くのが長谷部さんの夢です。
 
長谷部:  治すために来たのに、さっぱり治らない。治してしっかり歩けるようになったら、アメリカに行くつもりだった。早くお迎えに来てもらった方がいいよ。
 
ナレーター:  長谷部さんに対して、治療の効果が出ない中、田中さんは仏教による救いの道を探ります。膨大な仏の教えの中から、何を説けば心の救いにつながるのか。こうした仏教的な救済で最も大切なことは、相手の話をよく聞くことです。
 
田中:  相手の話を聞く前に、こちらから何か話をしますと、自分の考えを相手に押しつけてしまうことになりますね。お釈様は、そういうことはしなかったわけです。ですから、できるかぎり沈黙しようと。相手の話をよく聞こうと努力するんですが、なかなか難しくてですね、何か言ってしまう。かえって逆効果になってしまうという場合がありますね。
 
ナレーター:  思いどおりに体が回復しないという長谷部さんの焦りを除くことが、まず必要だと田中さんは考えました。
 
田中:  薬をいろいろ加減してるんですが、なかなか長谷部さんのめまいがとれないんですね。
 
長谷部:  お陀仏がいい(死にたい)。
 
田中:  お陀仏がいい?
 
長谷部:  う〜ん、
 
田中:  お陀仏すると、どんなふうになります?
 
長谷部:  苦しみはないわね、たぶん。
 
田中:  苦しみがない。
 
長谷部:  う〜ん。
 
田中:  そうですよ。思いどおりにしたいと思うから、思いどおりにならないのが苦しいんですね。
 
長谷部:  そういうことでしょうね。
 
田中:  だから長谷部さんみたいに歩けるようになりたいと思うから、歩けないのが苦しいんでしょうから。歩けなくても、このままでいいと思えるようになったら、苦しみはなくなるんでしょうね。
 
長谷部: そうかもしれないが、欲があるからね。
 
田中:  欲があるからね。欲がなくなれば苦しくないわけだ。
 
長谷部:  そういうわけですよね。
 
田中:  できたらやってみましょう。できない時は諦める。それが一番いいですね。
 

 
田中:  あの方も話されてたと思いますけど、「死にたい」とおっしゃってたと思うんです。こういう方は多いですね。お釈様は思いどおりにしたいという思い、本能的な欲求ですね、これ三つあると説かれまして…。
 
一つは、子どもをつくる渇愛(かつあい)
二つ目は、生きていたいという渇愛。
三つ目は、死にたいという、死ぬ渇愛。
 
「生殖」と「生存」と「死」という、この三つの渇愛を説かれたわけですね。この三つの渇愛から、「思い通りにならないという苦しみが生じる」。そうすると、苦しみを乗り越えるには、渇愛がコントロールできたらいい。この三つの渇愛がコントロールされた状態を「無執着(むしゆうじやく)」―「アナーラヤ」という言葉ですが、「無執着」といったんですね。無執着といっても、あらゆるこだわりをなくすという意味ではなくて、「我」というこだわりをなくす。私たちは、話を聞かせて頂くということで、その手伝いをするわけですね。聞いたからといって、直接それが答えが出るわけではないけれども、話をする方の立場から考えると、聞いてもらうということは、一つの苦しみの緩和になるんですね。思いどおりにならないっていう苦しみは、どうして起きるのか。これは思いどおりにしたいという思いがあるからだ。話をしてる間に、だんだん自分で自分の考えがまとまってくるんですね。誰も聞いてくれないと、そのチャンスもないということになりますから、時間をかけて話を聞かせて頂くと。しっかりと聞くことですね。自分の考えを押しつけない。まさにお釈様以来の伝統だと思います。
 

 
ナレーター:  医師、そして僧侶として、「いのちの苦しみ」と向き合う田中さん。西明寺には、田中さんが見習いたいと考えてきたユニークな閻魔像があります。
 
田中:  閻魔様ですね。「笑い閻魔」っていうんですね。笑ってるように見えるけど、怒ってるっていう人がいれば、笑ってるという人もいますが、笑い閻魔として伝わってまして。日本の独特の考えですね。閻魔様というのは、もともと「ヤマ」といいまして、死に神。死ぬっていうことを教える神様だったんですが、だんだん中国、日本と伝わってくる間に変わりまして。「地獄で苦しんでる人に笑いの贈り物をする」そういう閻魔様ですね。なかなかだけど、死んで苦しんでる人のそばに行って、笑いの贈り物をするって難しいんですよね。私もたくさんの死んでいく人に関わりましたけれども、なかなか死にそうな人のそばで笑うってできないですよ。
 

 
ナレーター:  残された命を患者のために使いたい。田中さんは、「いのちの苦しみ」を乗り越えて生きようとする仲間の力になろうと、体調が許すかぎり、癌患者との交流を重ねました。
 
患者D:  私は骨肉腫という病気で、左足の膝の所にできたので、結局左足は太ももから切断したんです。さきざきの「死」というものがこう浮かんでしまって、そこへの不安っていうか、そっちがもう大きくなってしまって、変な妄想を抱いてしまうというような今状態なんですね。生きているところから死に向かうところは、苦しいんだろうか、痛いんだろうか、ってそんなことを思い悩んでいるんですよ。これからへの不安というのは、どういう具合にして取り除いていったらいいか。あるいは迷いっていうか…。
 
田中:  不安を取り除く薬っていうのもありますけれども、それよりはやはりその本人の心の持ち方っていいますかね、一人一人みんな違っていいわけですね。
 
患者D:  心の持ち方が一番ね難しいと思うんですよ。その場になってそれなりの方に助言を頂いてもそこまでの意識にならない。であれば、もうちょっと前の状態の時に、そういった心の持ち方に対する助言、あるいは話をする場を持てれば、それから先がだんだん気持ちが…すぐにはならないと思いますが、随分なるんじゃないかなっていうような気がするんですね。
 
患者E:  私自身手術はもうできないんですよ。それから放射線も駄目なんですよ。抗癌剤だけなんですが、私は抗癌剤で治るんであれば、抗癌剤治療をします。でも抗癌剤によって苦しい副作用で、僅かばかりの延命であるならば何もしない。それで残された日にちをですね、どう自分として有意義に生きようかな…。実際に死というところまで症状が進んだ場合に、果たしてそういうような気持ちでいられるかどうかというのは、自信がないです。
 
田中:  その命を延ばすための治療をする。これは命に関して、医者がすることですね。だけど、その生きてる間の時間を、どのような生き方をするか、ということに関しては、科学では扱えませんので、自分が死ぬっていうことに関する苦しみ、これに対応するのが宗教なんですね。
 
患者F:  実は私、十四年半になるんですけど、乳癌で手術をしてから、とりあえず今まで無事に生きているんですね。最初ほんとに二、三年の間って、検査がすごく不安。これで何かあったらっていうドキドキでいっぱいだったんですけど、ある時ふっと思ったのが、自分がそこで不安でいろいろ考えても、どうにもならないものはどうにもならない。結果がそうだったらば、その時にできることをやるしかないんじゃないって。で、すごく楽になったのが、自分が何事もなく今生きているのが、自分が生きてるんじゃなくて、自分には何かまだやることがあるから生かされてるんじゃないかなって思ったら、なんかすごく楽になってしまって。今既に生きてるだけで丸もうけ。ほんとに命があるだけで、この先またあした楽しいことがあるかもしれない。誰かと出会うきっかけがあるかもしれないと思ったら、なんか「あっ、そうか。人間って生きてるだけですごいことなんだな」って。最初ほんとにいろんな本も読みました。哲学だったり。ある時ふっと仏教…先生もそうなんですけど、仏教の考え方みたいのをちょっと触れてみたら、そこでまたふっと楽になる時があって…。宗教って自分がよく生きるための方便≠ニいうか、それに上手に使えればいいんだなあって、そんなふうに思うようになってきたんですね。
 
田中:  ですから、命がなくなる状況で有用なものがあれば、それこそがその人の宗教。自分の命が一番大事だという場合には、その命が失われるという苦しみを解決する方法は難しいですが…もし自分の命より大事な価値がもしあったならば、それがその人の宗教。それはいろんな宗教―既成の宗教である必要はないわけですね。
 

 
ナレーター:  田中さんが、今大きな期待を寄せているのが、「臨床宗教師」の取り組みです。医療や災害の現場で傷ついた人の心に寄り添い、苦しみを癒やすことを目指しています。それは田中さんが生涯を懸けて取り組んできた「いのちの苦しみ」に対するケアそのもの。日本仏教の本来の姿を取り戻すきっかけにもなると考え、その育成に力を尽くしてきました。
 
田中:  今は心臓はポンプですから、人工心臓が使えます。日本の医療現場には患者さんの悩み苦しみを聞いてくれる人がいない。だから掃除に来た人をつかまえて、その人に相談してると。医者とか看護師は忙しくてそんな時間ないですから、ほとんど。そこで臨床宗教師が期待されるわけですね。
田中:  臨床宗教師という非常にすばらしい会ができたんですね。「日本臨床宗教師会」と。これは仏教に限らず、あらゆる宗教が参加する。東日本大震災で苦しんでる人の現場に集まったことが、きっかけになりまして、苦しんでる人のケアを行う。死んでいく人に寄り添って、そしてその人たちに安心(あんじん)を与えると。本来はお坊さん全員がそうあってほしいわけで、将来は僧侶という資格そのものが臨床仏教師の資格と同じになってほしいと思います。
 

 
院長:  (救急車のサイレン)救急車が入りますから…。
娘の…ここの院長です。こんにちは。
 
ナレーター:  田中さんは、長女の麻香(まや)さんに診療所の運営を既に託しています。寺は妻の貞雅さんが引き継ぐことになっています。
 
田中:  まあ以前は、私がそこで診察してたんですね。ですけど、今は娘がここで診察してます。私は窓際に移ってこちらで…。
 

 
ナレーター:  去年の暮れ、田中さんは、残された時間を使って、最後の仕事に取り組んでいました。それは「阿字観(あじかん)」と呼ばれる瞑想法を分かりやすく伝える絵本を作ること。「いのちの苦しみ」に向き合う田中さん自身の大きな支えになったからです。弘法大師空海が日本に伝えたとされる「阿字観」。別名「密教ヨーガ」と呼ばれ、心と体を整える瞑想法です。寺を継いで三十年繰り返し取り組んできました。
 
田中:  精神を集中する対象ですね。一つは「阿」という文字。これは「あいうえお」の「あ」でもありますし、アルファベットの「A」。言葉の始まりで、基本的には否定の意味なんですね。自分という存在が、「これでもない、これでもない」としか表現できない。それを言葉で表したものがこれです。その我というのは必ず死ぬ。そういうことを精神集中した上で考える。そこにこのヨーガの曼陀羅。自分自身の心の中の十六人の菩薩を考えるわけですね。問題は自分という存在が失われる。自分というこだわりを空っぽにする。渇愛を完全に制御して生きる。死ぬということを覚悟する。我というこだわりを離れた状態ですね。お釈様はそうなって死ぬという苦しみを乗り越えたわけです。だから我というこだわりを離れる。 無執着―涅槃と言いますが、その状態になる。自分の命にさえもこだわらない。まあそうなった人が…そうなることが、お坊さんの理想なんですね。どこまでそこに近づけたか。私が自分で判断することではないですけれども、そういうふうに近づきたいと考えて、このヨーガの行を続けてきたわけです。
 
取材者:  田中さんは、このヨーガの行を続けてこられたそのことで今「いのちの苦しみ」は克服されてる感じですか?
田中:  はい。私はそのように思いたいですね。
 
取材者:  苦しくないですか? 死ぬことは怖くないですか?
 
田中:  そうですね…そのようになることを目指してずっときましたから、そうなっていると思いたいですね。このままズーッと生きていられるものならば、生きていたいですけど、そういうことは望みえないわけですね。お釈様も亡くなられたわけで。で必ず死ぬ命を、どういうふうにして迎えるか。三十年ほど前から、緩和ケアに本格的に関わるようになりましてですね、たくさんの治らない病気…。特に進行癌の患者さんに話を聞かせて頂いて、自分だったらどうしようかなと考えもしましたし、そうすると、その中にはすごいすばらしい人格者がおられるわけですね。特にもう自分の命がなくなるということを覚悟されている。そういう方は…私たちふだんものを教わる、教えて頂く人を「先生」と言いますけどね。「先生」というのは、「先に生まれた」と書きますよね。ところが先に生まれた人とは、限らずに先に死んでいく方「先死」の方が、そこから学ぶことが多かったと思うんですね。二十歳で死んでいく方もいらっしゃいました。その方からもたくさんのことを学ばせて頂きました。お釈様以来、仏教は死ぬという苦しみのケアであって、それ以外の何ものでもないと思います。
 
 
     これは、平成二十九年一月二十九日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである