弱さを絆に―行き詰まりと絶望の中で―
 
                浦河べてるの家理事 向谷地(むかいやち)  生 良(いくよし)
1955年、青森県十和田市生まれ。青森県立三本木高等学校を卒業。福祉の道を志し北星学園大学に入学。大学時代は、親からの仕送りを断り、老人福祉施設に住み込みでアルバイトをし、筋ジストロフィーなどの難病の当事者の支援なども行なった。1978年に大学卒業後、北海道日高にある総合病院浦河赤十字病院病院に精神科専属のソーシャルワーカーとして勤務。「いつでも、どこでも、いつまでも」をモットーに患者に住所・連絡先を書いた名刺を配って歩き、24時間どこへでも駆けつけるスタイルの実践を展開、精神科を退院して行き場のない当事者たちと共同生活をした。1982年、当時研修医として赴任してきた精神科医の川村敏明と出会い、1984年には精神障害を経験した当事者たちの活動拠点浦河べてるの家の設立に関わる。1992年から、浦河べてるの家にSSTを取り入れ、当事者研究(2001)などの新しい分野も開拓する。設立に中心的に関わり、今も理事を務める浦河べてるの家は、厚生労働省および国立精神・神経センターから、三鷹の巣立ち会、大阪のさわ病院等と共に、日本の精神保健におけるベストプラクティスのひとつに選ばれている。
                き き て     杉 浦  圭 子
 
ナレーター:  精神医療の常識を覆す世界から注目されているコミュニティが北海道にあります。人口一万二千人の浦河町。社会福祉法人「浦河べてるの家」です。「ベテル」とは、旧約聖書の中で「神の家」という意味です。精神障害のある人たち、およそ百五十人が全国から身を寄せています。病気と向き合い、自分らしく生きるための取り組みが行われています。訪問者があると歌われる恒例の歓迎の歌。
 
ずんずんずんずんどこ
いやじゃありませんか 分裂病
幻覚幻覚妄想で
いても立っても生きられず
自分の体に傷つける
 
ずんずんずんずんどこ
いいじゃありませんか 精神病
神からもらった宝物
普通の人とは違っても
みんなりっぱな病気持ち
 

 
ナレーター:     鬱や双極性障害、依存症など、こころの病を抱えた人たち。特に多いのが、幻覚や妄想に襲われる統合失調症です。ここでは医師からの診断名に加えて、自分ならではの病名を付けています。
入居者A:  自己病名は、精神状態バラバラ状態、早坂潔
 
入居者B:  病名は、統合失調症、妄想型狙われているタイプ、
 
入居者C:  ご病名は、統合失調症…統合失調症基本がんばり型、信頼回復不安タイプの・・・自分のやってることに信頼性が持てなくなると、すごく崩れちゃうっていうのがあって、信頼回復不安型っていうのをつけています。
 

 
ナレーター:  精神障害のある人たちが、よりよく生きるために、さまざまな仕組みを考え出したのが、ソーシャルワーカーの向谷地生良です。向谷地さんの取り組みは、従来タブーとされてきた幻覚や幻聴、妄想との共存を目指しています。精神障害の医療やケアのあり方を変える可能性があると注目されています。
 

 
向谷地:  タブーに挑戦しようと思ってやってたわけじゃないですけど、自然に育まれた文化が、たまたま世の常識と違ってたと。ご本人たちに伺うと、つらいし、怖いし、これ一体何なんだって思う。その思いを聞いてもらったら楽になるし、それは私たちが困り事あって聞いてもらうと楽になるのと同じなんですね。でもただ単純に聞いていくと、やはり調子悪くなる人たちもいるんですね。そこが単純に聞くっていうことと、べてるの文化は違うんですね。「機嫌よく」聞くわけですよ。ものすごい楽しい出来事、もしくは大事な出来事として聞くわけですよね。異常な出来事、病的体験として聞くんじゃなくて、その人の大切な一部として聞くと、ちゃんと聞けるし、聞いてもらった方も、聞いてもらったっていう満足感を得られるし。
 
杉浦:  皆さん自分の病気に病名を付けてらっしゃいましたよね。
 
向谷地:  そうなんですね。カルテ上は「統合失調症」というふうに。十人いれば十人統合失調症と言われるんですけど、それは脇において、「自分で自分がイメージする病名を付けてみたら」っていうと、一人一人みんな違うんですね。「頑張りすぎ燃え尽きタイプ」とかですね。自己病名っていう形で、ちょっとユーモラスに語り返すことで、自分は生きてるんだとか、この病気という経験も自分の大事な生活の一部なんだということで、みんなと分かち合える大切な材料になりますね。そういうのも一つみんなが培ってきた生きるための文化だと思いますね。
 

 
ナレーター:  べてるの家では、病院から退院した人たちの働く場も作っています。地元の特産品である昆布の加工・販売などを行い、地域への貢献も目指しています。べてるの家にはたくさんの理念があります。「弱さを絆に」「昇る人生から降りる人生」生きづらさを抱えた当事者が、社会で生きていくために生み出されてきたものです。

 
向谷地:  やっぱり病気って、よく見ると、特にこころの病っていうのは、その人の生きづらさや悩みがすごく煮詰まった状態ですね。そういう状態の中で多くの人たちが、心身のバランスを崩して、病気になってるわけですね。ですから、改めてよく考えれば、もっと相談したり、みんなと分かち合ったり、その事の解消について、いろいろ知恵を出し合ったりっていう。そういう素朴な人の営みとか、人の中で営まれるそういう助け合いというか、それが必要だっていうことが本当に改めて分かるんですね。ですから、病気っていうと、ただお医者さんの所に行って、「先生、治して下さい」と言って治してもらうっていう。しかも自分は病気のことを何にも考えなくていいと。お医者さんに任せれば治してくれるっていう、非常に狭い意味での医学的な、ただ病気としてお医者さんに病気を預けるっていうんじゃなくて、暮らしの中で、生きてる中で煮詰まった生きづらさや苦悩というものが最大化したとすれば、それをやっぱり「自分ごと」として引き受けて、どう生きるか。自分が自分らしく、自分のペースで自分の生活の範囲内で模索していくっていう。それが生きることだし生活することだよねっていう。そういう意味で「自分に取り戻す」っていう。病気という経験つらいけど、大変なんですけど、自分のものとして取り戻すっていうのは、とっても大切な一つのきっかけになるっていうか。これは私はみんなに教えられたことですね。
 

 
ナレーター:  戦後、日本の精神医療は、入院を中心に考えられてきました。少しでも幻覚や妄想があると、すぐに入院となり、多くが長期入院となりました。精神科病院や病床を増やし続けた結果、入院患者は今世界でも突出して多くなっています。一方でべてるの家は、昭和五十四年に始まり、精神障害のある人が地域でどう暮らすか模索してきました。しかし症状は一進一退。幻聴が襲ってくる時もあります。
 

入居者a:  幻聴さん こわいよ。
 
スタッフ:  幻聴さんがここで、結構なんか言ってくるらしくて
 
ナレーター:  べてるの家では、必要以上に入院や薬に頼ることはありません。自らの病とじっくり向き合います。
 
入居者a:  こわいよ こわいよ こわいよ
 
ナレーター:  宇宙人の幻聴に襲われている女性です。
 
入居者b:  バカー! なにと勘違いするんだ 私のこと! ふざけんな!
 
ナレーター:  大声を上げているのは、実は周りの人を守るためなのだそうです。そんな本音や分かってもらえない気持ちを、べてるの家では大切にしています。生きづらさを仲間に打ち明け、互いに苦しみやつらさを共有します。そうして生きやすさを目指すのです。
 
入居者c:  ミドリマンというイメージのものがやってきて、苦しめ圧迫を与えてくるんですよね。苦しくなってきて、どうしようもなくなっちゃうんですけど、
 
ナレーター:  ミドリマンという幻聴や幻覚が、首を絞めるように圧迫してくるという女性。
 
入居者c:  空気だね 空気。うにゃうにゃおにゃおにゃ、苦しんだわ。
 
入居者d:  固まるの? そうなると?
 
入居者c:  頭も真っ白になって、足もふらふらになって、動けなくなって、考えられなくって、行き場所なくて、どうしようもなくなって、固まるってことだ、
 

 
ナレーター:  病気を医者任せにするのではなく、仲間のアドバイスを糧に、自ら病気と向き合います。
 

 
杉浦:  当事者の皆さんが、自分の病気について、大変豊かな言葉で事細かに語っておられてびっくりいたしました。
 
向谷地:  これも、最初は私も来た頃は、みんなの聞こえる体験、見えるいろんな混乱状態に、私もどう対処していいか本当に分からない試行錯誤の中で、声に対して、もう本当にこうどう対処していけばいいかの積み重ねの中で生まれてきた。
 
杉浦:  声というのは幻聴ですか?
 
向谷地:  そうですね、はい。幻聴もですね、「幻聴さん」って言ってみたり、幻聴さんとはケンカしたらダメだよとか。あのこれが本当に見えるかどうか。本当に言われてるのかどうかが、見極め難しい時には、ちゃんと正直に相談したらいいよとか。大体言われる声っていうのは、「お前はダメなヤツだ」とか、「死ね」とかっていう、そういうとてもつらい状況に陥るわけですね。まさに「死ね」っていう声。それもただ曖昧な声じゃなくて、「どこどこの誰々さんに言われた」とか、非常にリアルなまるで、そこに人がいるかのような感じで言われる声が、比較的多いんですけど、人間関係と同じで、言われたからといって、言葉を返すと、また余計ケンカになってしまうし。人からそう言われても、上手にいなしたり、優しい言葉で返すと、不思議に聞こえる幻聴も穏やかになってくるとか。そういうことを、みんなが共有して、受け継いできた歴史ですね。
 
杉浦:  堂々と、時には自慢げに話してらっしゃる方もありましたけど、あの明るさはどこから来るんでしょうか?
 
向谷地:  やっぱり出発点は、とてもしんどい、つらい出来事なんですけども、自分が情けない話とか。例えばせっかくスーパーで買ったお菓子を持って道を歩いていたら、突然声が聞こえてきて、「捨てろ、捨てろ」って声が聞こえて、そのままゴミ箱に捨てて帰ってきた」っていう人がいると、みんな「もったいないなあ」なんて言って、みんなが「そんなのあったら俺にくれよ」みたいな形で、みんなが同情しつつ、みんなで笑ったりするわけですよね。そういう形でみんなで情けない話なんですけど、みんなで出し合って、腹抱えたり、笑ったりとか。UFOに乗ろうとして、二階から落ちちゃったメンバーの話とか、結構みんな情けないけど、笑える話がいっぱいあるんですね。それをみんなでワイワイやってるうちに、「それを発表しよう」とか、「それ今度、みんなに教えたら」とか、「それで歌を作ろうよ」みたいな形で盛り上がっていくっていう、そんな中で生まれたものですね、本当に。
 
杉浦:  自分の中で抱えて、隠しているよりも、オープンにして、みんなに聞いてもらって、いろんな意見を聞いた方がプラスになるというか。
 
向谷地:  逆にウケたとかね。
 
杉浦:  ウケた?
 
向谷地:  あ、これウケるんだとかね。それからやっぱり何よりも、あ、他の人の役に立ったとか。
 
杉浦:  役に立つ?
 
向谷地:  はい。あ、幻聴さんとケンカしちゃダメなんだとか、幻聴さんには優しくしてあげると、幻聴さんが突然帰ってくれたりとか、幻聴さんが「分かったよ」って言ってくれたりとか。「そんな不思議なことがあるんだ」っていって、やってみたら、「あ、そのとおり幻聴さんが帰ってくれた」とか、というふうな形で、受け継がれていく部分ですね。そういう中で自分の経験が人の役に立ったんだっていう、そういう経験がみんなの中でとっても大きな経験ですね。
 

 
ナレーター:  べてるの家では、グループホームも運営しています。ここでは八人が共同生活を送っています。他にもアパートなど八か所あります。
 

 
早坂:  しゃべるっちゅうことよりも、聞くっていうことが…。
 
ナレーター:  ここで三十年以上暮らしながら、統合失調症と向き合う早坂潔さんです。「ミスター・べてる」と仲間から慕われています。グループホームでは、仲間同士悩みを語り合います。
 
山根: みんなで暮らしてて、病気の話題が気軽に出せるっていうのが、やっぱりよその地域との違いで、よその地域では本当のことをいっぱいしゃべっちゃうと、入院だとか、薬を増やせだとかっていうことになって、大変なことになることが多いので、みんな黙ってろっていうんですけど、ここに来て僕が潔さんに言われたのは、「山根、ここでは本当の事を言っといた方がいいことあるんだぞ」っていわれて、病気のことも正直にしゃべって、苦労も正直にしゃべっても、薬を増やされたり、無理矢理入院っつうのはないから
早坂:  薬飲めば良くなるんでないしね。薬を飲めば飲むほどおかしくなるからね。でも必要な薬は飲まないとやっていけない僕たちなんだから、薬の力も借りて、人の力も借りて、仲間の力も借りるような、自分に正直に言えたら最高なのさ。でも自分ではこう言ってるけど、自分でもできないのさ。うん、そこが無力なのさ。
 
ナレーター:  潔さんたちが、今一番気にかけている仲間がいます。佐藤太一さん。十年ほど前に統合失調症と診断されました。太一さんは朝から晩まで追い立てられるように水を飲み続けてしまいます。みんなが注意をしても、聞く耳を持ちません。なぜ、太一さんは水を飲み続けるのか。話を聞くと、幻聴が影響しているというのです。
 
佐藤:  ずっとワラチューっていう幻聴に襲われてて、水を飲むのにはいずり回ったりとか、襲われてはいずり回ったりして、幻覚が見えたりとか、幻覚が見えたりしてて、
 
ナレーター:  この日も太一さんは、強い幻聴に襲われていました。それを追い払おうと、タバコを吸い続けていました。
 
早坂:  また吸うなって!おまえ。何本吸い続けるんだ。
 
取材者: なんで怒ったんですか?
 
早坂:  あるだけ吸っちゃうからダメなんだ。
 
ナレーター:  タバコを注意されて、ますます幻覚、幻聴をコントロールできなくなってしまいました。幻聴をおとなしくさせるにはどうしたらよいのか。太一さんによると、幻聴さんは二匹います。そこで仲間たちは、幻聴さん二号の方にお願いすることにしました。
 
入居者:  よ?い、ドン! 
 
入居者:  偉人になれ?水飲め?。
 
佐藤:  幻聴さん、あまり僕を責めないでください。僕もまじめに生きているんですけど、でも悩みも尽きないんで、
 
早坂:  俺、幻聴さんにお願いしているから、お願いするから。二号さん、二号さん、幻聴一号さんにもうちょっと太一くん、苦しんでいるから、休ませるようお願いしたいんだけど、ちょっといいところを幻聴さんがほめてくれて、一号さんちょっと遠くの方に、すみっこにおいてくれませんか。
 
佐藤:  ちょっと効いてますね。
 
入居者:  おぉ?!(拍手)
 

 
向谷地:  つい最近まで、医学教育の常識として、治療の常識として、そういう経験を持ってる人に、見えるとか、聞こえるとか、誰かに狙われてる感じがするとか、そういうことを語らせるとダメだという常識があったんですよね。そういう経験を語らせると、その人たちはそれを本当のことだと思って真に受けたり、それから調子が悪くなるので、それは最大のタブーだったんです。本人たちにしてみたら、怖いし、つらいし、何だと思うから聞いてほしいと思うわけだし。ですけど、周りの人は、「それを聞いちゃダメだ」っていうものがあるし、持って行き場がないわけですね、今考えたら。でも、それが大切なこと、治療の大原則として、ずっと守られてきたんですね。でも、私たちが困りごとを抱えて、人に話して楽になることと、彼ら彼女らが、そういう私たちもなかなか受け止めきれない不思議な現象を抱えて困った時に聞いてもらったら、楽になることっていうのは、基本的に同じなんだろうなと。その当たり前のことが、こういう統合失調症を抱えた人たちは、認められてこなかったというか、タブー視されてきた。そしてひたすらそれを緩和させるのは薬っていう。お薬中心に、関わりを持ってきて、なかなか本当に人とつながったり、人と出会うとか、分かり合うっていうチャンスがなかったんですね。私、来た時は、統合失調症を持った人たちは、人と話し合いができない人たちっていうふうに言われてましたね。で浦河では、それが全く違った世界が成立してたっていう話なんです。ですから、私たちのこの活動は、こういう文化っていうのは、最初知った人たちから見るとびっくりしたんじゃないかと思いますね。

 
ナレーター:  向谷地生良さんは、昭和三十年、青森県十和田市に生まれました。幼い頃はケンカをよくするやんちゃな子供でした。向谷地さんが、中学一年の時、ある出来事がきっかけで、「こころの弱さ」に関心を持つようになります。
 

 
向谷地:  そもそも中学一年二年、中学生って反抗期っていうこともありますね。先生方が「これが大事だ」って言うと、「そんなことあるもんか」って。そういう時期ですよね。中学に入ると、突然丸坊主にされて、詰襟の制服着せられて、シューズも全て統制されて管理されて、まずそういうものに対するちょっと反発心があるんですね。ですから基本素直じゃないわけですよ。私、人生のキーワードいくつかあるんですけど、先生と名の付く人とはうまくいかないっていうジンクスがあるんですね。中学入って担任の先生とそりが合わなくて、私がクラス委員長やったんですけど、学級運営についていろいろうまくいかなくて。まあ先生から見たらいろいろいっぱい足らないとこがあったり、不満もあったんでしょうけど。ある議題を話し合わなきゃならなくて、その議事の運営のしかたがずさんだということで、みんなの前でこてんぱんに殴られましてね。
 

 
ナレーター:  事あるごとにひどい体罰を受けた向谷地さん。両親が学校に抗議し、自宅で療養することになりました。向谷地少年は、どう生きていけばよいのか、深く考えるようになります。
 

 
向谷地:  ちょうどそれは十二月の頃なんですけど、三月までほとんど学校に行かないとか、学校に行かないで自宅療養するとか。そうすると周りの目だとか、きっと地域はいろいろ独特の目で見るだろうし、そしてみんなが学校行ってる間に、自分は学校行かないで川べりを散歩してる。そうすると、向こうから人が来るとさっと隠れるわけですよね。そういう感覚とか。私にとっては、中学時代というのは暗黒の時代なんですけども、ちょうどそんな時に母親が教会に行き始めて―私も心情的に、ある種のどう生きていったらいいのかとか、社会とか、世界とか、そういうことにものすごい興味が湧いてたというか、考える時期ですね。当時ベトナム戦争が泥沼化してたり、国内を見ても大学紛争が激化して、安田講堂の闘争とか、学生紛争が吹き荒れていて。私は新聞を読むのがとても好きな子でしたから、新聞を隅々読む中で、自分の中に入ってくる世界の情報と、自分の現実が全部ミックスされて、大人になっていいんだろうかって。大人の世界って大変だぞと。なのにみんななんで大人をやってられるんだって。私にとってはすごい謎でしたね。その謎を、ああいう聖書の世界とか、そういうものに尋ねてみようみたいな、そういう感覚がすごくあったような気がしますね。で聖書の世界というのは、情けない話がいっぱい出てくるわけですよ。人間のどうしようもなさとか、人間の愚かさとか、惨めさとか、人生こんなに生きづらいんだとか、人間関係がこんなに難しいんだとか、裏切りとか、疑いとか、失敗とかの物語が山ほどあの中に、さまざまな切り口で盛り込まれた世界―書物ですよね。そういうものを語り継いできた―私は書物だって思ってるんですけど。当時からやっぱり例えばイエス・キリストという人のものすごい情けなさに魅力を感じたりとか。あの人の行き詰まりとか、失敗とか、弟子に裏切られたりとか。しかも集めたエリートたちを選ばないで、どうしようもない人たちを自分の弟子に選んで、その弟子たちに裏切られていく惨めさとか。あの辺の惨めさにものすごくこうある種の興味関心があったんですね。これは今でも同じですけどね。聖書の中にはいろんな「反転」した言葉が出てくるんですね。「貧しい者は幸いである」とかね。「貧しい人が幸い」とかね。非常に反転した言葉が出てくる。一見世の中では、これはよくないことと思われてるものに、それはすばらしいとかね。特にキーワードは、やっぱり「弱さ」ですよね。そういう弱さを巡るエピソードってものすごい私惹かれるものがありましたよね。例えば聖書の中には、パウロという人が書いた手紙がいっぱい出てくるんですけど、その中にパウロが自分のことをいろいろ書きつづってるわけですけど、その中でなんか詳しい病気は分からないですけど、自分には本当に抱えきれないトゲ、なんかの病気があって、それを取り除いてほしいということで、神様に何度も何度もお願いしたけれども。そしたら神から啓示があって、「あなたが手放したい、これさえなかったらという、あなたの持っているトゲこそ、私からの最大の贈り物である」みたいなね。そういうメッセージがあるわけですよ。そしたらパウロは、「えっ!この自分が取り去ってほしいと思ってるこのトゲに、トゲこそが恵み。そうか、これが自分にとって神様から与えられた恵みなんだ。そうか」って気付く場面があるわけですね。
 
杉浦:  そういう聖書の箇所を読んだ時、十代の向谷地少年はどういうふうに感じたんですか?
 
向谷地:  やっぱり自分の持っている抱えきれない弱い部分とか、自分の経験そのものに何かこう「反転した可能性」があるかもしれないっていうものを、すごく身につけた、学んだ気がするんですね。
 

 
ナレーター:  向谷地さんが、大学に進む頃、日本は高度経済成長から安定成長へと移り変わっていきます。公害や薬害など、社会問題が注目された時代でもありました。札幌の大学で福祉を志した向谷地さん。当時できたばかりの特別養護老人ホームに住み込みで働きながら、大学に通うことにしました。

 
向谷地:  まず心に決めたことは、「とことん苦労しよう」。うん。どうやったら苦労できるかってことを、いつも考えるわけですよ。なんか苦労できることないかな、なんか苦労できることないかな。で思いついたのは、そうだ仕送り断ればいいんだと思って、親に電話して、「ちょっとお願いあるんだけど仕送り止めてくれる?」と言って電話した。親はびっくりしてました。「いや自分で自活したいから仕送り止めてくれる? 特養に住み込みの、夜間介護人の仕事を見つけて、そこに住み込みする」と言って。とにかく「貧しい者は幸い」じゃないですけど、へそ曲がりを身につけましたね。
 
杉浦:  今の「べてる」で苦労を大事にされてるのは分かるんですけど、どうして学生時代から苦労しようと思われたんですか?
 
向谷地:  私、やはり中学の時から殴られたりとか、いろんなこう理不尽な経験もいっぱいしましたけど、でも何か自分に根本的な苦労が足りないと思ったんです。でなんで苦労が足りないかと思ったら、やっぱりもっともっとこう生きるって、こういうことだよな。生活って、こういうことだよな。人生こうだよなってことを、とことん自分で発見したいというか、考えてみたいというものがあったんでしょうね。高度成長時代にずっと育ってきましたから、もう毎年のように目の前の風景が、物でこう埋め尽くされていく。物心ついた時は、車もないし、テレビもないし、電話もないっていう。そんな風景がどんどんどんどん変わっていって、いかにも自分たちが成長しているっていうか、社会がいい方に向かってるっていうことに、一番それを実感した世代だと思うんですね。昭和三十年世代っていうのは。そういう自分の感覚が、学生時代いろいろ経験をすることで…。特に当時特別養護老人ホームというのは、でき始めた頃で、そこに入居するお年寄りって、いろいろこう…複雑で不遇な人生を歩んできた方、やっぱり当時は多かったと思うんですね。そういう方たちが、最後ここに行き着いて、そして寝たきりになって、毎日天井の節目を見ながら、時間を過ごしてるのを見た時、私は自分がすごく不安になったりして。これは将来の自分かもしれないっていうふうに。そうか、人間はここに向かっているんだっていうか。自分の高度成長感覚と、ここに向かってるっていうこの現実がですね、私の中でもろくも反転していく、崩れていく経験をしましたね。やっぱり特養で同じ屋根の下に暮らして、寝食を共にしつつ、日中は勉強して、一方で合間で難病の患者さんたちのボランティアを…。若い子供たちとか、若い人たちがかかることが多いわけです。やっぱりそういう人たちが亡くなっていくわけですよね、難病の子供たちとか。これは自分にとっては、すごく大きな経験でしたね。そういう人たちとの別れというのは、お年寄りとの別れもつらかったですけど、やっぱり十代の頃に家族以外の人たち、気心知れた人たちの別れをたくさん経験するって、ちょうど私たちは、一番の高度成長時代に育ってきた自分たちにすると、もう真逆な風景ですよね。
 

 
ナレーター:  大学を卒業後、向谷地さんは、病院の精神科でソーシャルワーカーとして働くことにしました。やって来たのは札幌から汽車で四時間かかった浦河町(うらかわちよう)です。意気揚々と働き出した向谷地さんですが、そこでは精神科「独特」のルールが立ちはだかりました。
 

 
向谷地:  私が浦河に来て、病院の精神科診療チームの一メンバーとして仕事始めたんですけど、最初に覚えた違和感というのは、先輩たちも現場の人たちも非常に距離感を大切にしてると。距離はやっぱりこう距離をおいてつきあわなきゃならないと。巻き込まれないようにというのが、一つのキーワードとしてあったんです。
 
杉浦:  当事者の方々と支援する側ですね。
 
向谷地:  距離を保ちなさいと。巻き込まれないとか、それからプライベートを持ち込まないとか―今でもそういうのは大事なこととして言われていることでもあるんですけど。それを知った時にですね、私は違和感を感じたんですね。もしかしたら、この精神医療の中にあるこういう統合失調症等を抱えた人たちの孤立とか、そしてある種の非常に管理主義的な現実を変えていかなければならない。この何となくぼんやりとした問題意識の突破口は…として、とても距離感にすごい興味を持ったんですね。それはどうしてかというと、私は学生時代さまざまな当事者運動、当事者活動に関わってきましたので。難病運動とか、ハンセン氏病の人たちの活動とか、障害者の自立生活運動ですとか、そういうものにこう一緒に加わって、参加して寝食を共にしてワイワイやってくる中で学んだ感覚と、突然専門家という専門領域の専門スタッフとして入った時のそういう立場に置かれた時の感覚にものすごいズレを感じて。私はむしろ当事者活動や当事者運動の中の、この居心地のよさや感覚が大切なんじゃないかと。で当事者運動や自立生活運動や難病運動の中で言われたことのない「精神障害者には距離を持ちなさい。巻き込まれないようにしなさい」という、このことは、ある種の私にとっては、精神障害者と言われる人たちに対するある種のスティグマ(stigma:恥辱。汚名。負の印。名折れ。烙印 )のようなもの、偏見のようなもの。常識の非常識―常識の中の非常識という、そういう類いのものであるような感じがしてしょうがなかったんですね。それであえて私は名刺に、自分の住所も電話番号も全部刷り込んで渡して歩いたり、「何かあったらいつでも電話下さいね」って言ったり。
 
ナレーター:  働き始めた翌年。向谷地さんは使われていない教会を借りて、共同生活を始めます。迎え入れたのは、精神科を退院したものの地域に居場所を失っていた人たち。後の「べてるの家」につながる活動です。
 

 
向谷地:  私は、この仕事をして、初めて、あ、これはメンバーさんたちの言ってることや、振る舞いや、そういうことがこれは何を意味してるんだろう、何を言いたいんだろう。分からないことだらけなんですね。そうすると、自分がイライラしたり、その人と話すことが億劫になったりってことが起きてくるわけですね。あ、もしかしたら、こういうことの積み重ねの中で、この人たちはどんどん排除されたり、関係を切られたりしていくんじゃないかなって。自分の経験を通して、何かこう精神障害というものを抱える人たちの生きづらさのテーマの、ちょっとここがポイントじゃないかなというのが、ちょっとこう実感としてね、こう持つようになったんですね。自分がとにかくどうつきあっていいか分からないという、自分のこのままならなさに、ものすごく興味を覚えたんですね。ここがポイントじゃないかって。じゃこれは何なんだろう。あ、一緒に暮らしてみたいなと思って。一緒に暮らしたら、もっとそこでのことが分かるんじゃないか。また自分のことが分かるんじゃないかということで、たまたま空き部屋に「空いてますよ」って言って、みんな集まってきて住んだっていうのが、「べてる」の始まりですかね。一九七九年頃の話だったと思うんですけどね。
 
 
ナレーター:  地域で孤立し、苦悩を深めていた人たち。どう生きて、どう暮らしていけばいいのか。寝食を共にしながら語り合いました。地元特産の昆布の加工を始めて、社会に参加してもらおうと試みましたが、すぐにはうまくいきませんでした。
 

 
向谷地:  地域の中にいろいろ受け皿を作っても、何かそれだけでは足りない。何かが欠けてる。そしてまた病院に戻っていく。その繰り返しだったわけですね。もう単純なんですよ。病院の中で、食べれて眠れて、孤立しないで人の中に囲まれて、そしてお風呂にも入って清潔を保てる環境っていう。特別なことではないんですね。ただそのことを地域に作ることが大変なんですね。地域の人たちには怒られるし、バッシングあるわけだし。なんであんな人を退院させるんだって、いつもお叱りを受けるわけですよ。でも問題は解消しなくても、解決しなくても、何が起きてるのかが分かれば、分かり合うことができれば、問題が解決しないままでも生きやすくなるってことも分かったことですね。依存症になるとか、病気になるとか、望まない現実を生きなければならないってことは、人にはよくあることだから。でもそういう時にもかかわらず、相談したり、生きようとするそのためのSOSって大事だから、そっちの方が大事だなってことで、だんだん私の中で何かが変わっていった。
 
 
ナレーター:  当事者たちと向き合う「べてるの家」の活動。その一方で勤め先の病院の上司から思わぬことを告げられます。
 

 
向谷地:  とにかくあちこちから折りに触れて呼び出しを受けて注意を受ける。「ちょっと訪問しすぎだよ」とか、「外へ出歩く回数が多いよ」とか、「外に電話かける回数が多すぎるよ」とか、まあ常に呼ばれる、呼ばれる。で究極は上司の先生に呼ばれて、「今日から君と一緒に仕事をしたくないので、私の前から消えてくれ」って言われて。現実的には、私は精神科の診療チームの一員として、そこに最初に配属されたわけですけど、そこには「あなたは必要ありません」って言われたわけですから、それは一瞬頭が真っ白になって血の気が下がるような経験でしたね。朝の申し送りに行こうとして、詰め所の前で門前払いを食わされて。本当転落の一途ですね。その一見転落しながら、特に私は出入り禁止で、窓際に席を置いた時に…。そうですね、ちょうど結婚したばっかりでもあるし…。普通だったら辞めるよなとか。でこういう業界って狭いですから、浦河で、「向谷地が何か不祥事を起こして、干されたらしい」とか、そういうものがあちこち伝わるわけですよね。そういうのが聞こえてくるわけですよね。そういうのが面倒くさいってことで、そういう人たちとは、同じ業界の人たちとつきあわなくなったりとかするわけですよ。その時にふと思ったのは、あれ、人って、こういうふうにしてだんだん燃え尽きたり、鬱状態になったりとか、出勤できない状態になったりとかって、するかもしれないなって。
 

 
ナレーター:  向谷地さんが、自らの居場所を失いかけていた頃、目の前には自分を必要とする「べてるの家」のメンバーたちがいました。今では「ミスターべてる」と慕われる早坂潔さんです。当時は幻聴や妄想と闘いながら暮らす日々でした。向谷地さんは、「べてるの家」の仲間と共に、潔さんに寄り添い続けました。
 

 
早坂:  みんなの声が気になるんだ。
 
向谷地:  特にね身近な人に突っかかりたくなっちゃう。
 
早坂:  突っかかりたくなる。向谷地さんとか、
 
向谷地:  ふだん仲良くしてる人と突っかかりたくなるんですか? そういうのちゃんと分かってるから。
 
早坂:  まだ忙しいのか、俺と話したいんだったら、
 
向谷地:  話しましょう。
 
早坂:  しましょう。
 

 
ナレーター:  居場所や仕事などの役割を作るものの、思ったとおりにはなかなか回復に向かいません。共に悩み、戸惑いながら、ただ共に歩む日々。潔さんは、季節の変わり目や疲れが出ると、発作を起こしやすくなります。
 
早坂:  見てろよ。ぶん殴ってやるからな。あのヤローチクショー!興奮剤みたいなもんだ、あのヤロー!
 
ナレーター:  向谷地さんと仲間の働きかけにもかかわらず、潔さんは何度も入退院を繰り返しました。
 
向谷地:  べてるの物語と潔さんの回復が一緒に起きるようなイメージがあったんですけど、潔さんは相変わらず相変わらず入退院を繰り返したわけですよね。そのうち自分たちの何が悪いんだろうとか、この場の何かが不足してるんだろうとか、そんなことを考えてもさっぱり分からないわけですね。これ「べてる」の伝統の中に、潔さんをきっかけに生まれたことですけども、やっぱり何か事をなす時には、一番手のかかる人、面倒くさい人をちゃんとその中に内側に抱えてやるっていう伝統があるんですね。その先駆けを作ってくれたのが、潔さんなんですけど。
 

 
ナレーター:  行き詰まりの中で、もがき続ける。向谷地さんの心に浮かんだのは、イエス・キリストが弟子と共に旅をするその光景でした。
 

 
向谷地:  言い伝えの中に、イエスが旅の途中に、「このまま旅をしていったら、あなた悲惨なことになるよ。あなたを狙ってる人たちがいるよ。だからエルサレムに行くのやめた方がいいよ」っていう忠告される場面があるんです。でも、忠告されるんですけど、「いや、自分は、にもかかわらずこの道を進んでいかなきゃならない」と言って、あえて非常に絶望的な状況に向かって淡々と進むわけですよ。言ってみれば、負け戦なんですよ。負け戦にもかかわらず、そこにただひたすら歩んでいくっていう、この旅の風景っていうのが、自分の中にどっかあるんだろうなって。だからやっぱり苦労って大事だよなっていう、感覚の中にも、そういう一種現実的な行き詰まりの中にも、やっぱりイエスの旅の物語がどっか風景として回っていて、これは必要な旅かもしれないっていう、そういうある種の肯定感みたいなものが自分の中にベースとしてあるかもしれないなっていう。
 

 
ナレーター:  向谷地さんは、その後病院を退職。「べてるの家」の仲間たちと共に歩み、四十年近くになります。潔さんは、ここ五年症状が落ち着き、入院することはなくなりました。
 

 
早坂:  タバコあんのか?一本やっか?一本やっか?精神科に入ると、自分が失われたように、もうこの世で使われなくなるっていうの。もうダメだなって思うわけよ、自分自身が。あんな鉄格子の中でよ。もう人生終わりだと思ったら、そうでもなかったのよ。生きている限りな、ちゃんと神様見てくれるからよ。こういう「べてる」っていうところも与えてくれたで。
 

 
向谷地:  一人じゃない。気心知れた関係が生まれて、話ができて、「大変だよな、よくやってるよね」っていうふうなことで、通じ合うものが生まれて、その人の心持ちが変わると、まるでその人の世界、心を反映したその人の抱えてる生きづらさの心象風景が変わる。いわゆる幻覚妄想が変わるんですよね。これは不思議なことですね。みんながこう距離が大事、距離が大事。距離をとって離れていく中で、僕は一人その近い所で「大変だよね」っていう。気心知れた身近な所で、大変さが通じる人がいるっていうのはとっても大切なことなんだろうなと。まさに誰も分かってくれない、説明のつかない世界で一人闘ってるわけですよ。そういう中に、これはあるメンバーさんの言葉ですけど「妄想の壁をくぐり抜けて、自分の隣に来てくれた人」っていう。そうすると、まるで援軍にでも会ったように、「これ大変だよね」って言って、「一緒に何とかしようよ」みたいな感じで、その気心知れた感覚の中で一歩踏み出すと、やっぱりこの世界がおどろおどろしい世界から一緒に出られたりとか、居心地の悪い世界が、居やすい世界になったりとか。自分に対して脅威になっている、また「死ね」という声をかけてくる幻聴さんが、機嫌がよくなってみたりとかね。その人の生きてる物語が変わってくるんですよね。
 

 
ナレーター:  今、「べてるの家」には、全国から年間およそ二千五百人が見学に訪れています。医療や福祉関係者から、こころの病に苦しむ人や一般のサポーターまで、「べてるの家」が築き上げてきた哲学に、多くの共感が寄せられています。
 

 
向谷地:  「昇る生き方から降りていく生き方へ。『降りていくラジオオリラジ』の時間がやってまいりました」。
 
ナレーター:  向谷地さんは、「べてるの家」で培った人生観を伝えていこうと、コミュニティFMのパーソナリティーも務めています。絶望や行き詰まりの中で、どう生きるか。「べてるの家」の仲間と、悩み、もがきながら、今も共に歩み続ける日々です。
 
向谷地:  自分たちの一歩も二歩も、もっと先に絶望的な状況を生きてきたメンバーさんたちの語りが、いつの間にか自分たちの中にちゃんとこう受け入れられて、育てられてきた。育っていた。それに私は助けられてたような気がしますね。弱いことって、強いこと以上に大事だなっていうか。強みって、ちゃんと弱さの情報が集まって集まって、それが強みになるし、醜いものが集まらないと美しいものが出来上がらないし、そういう情報をちゃんと社会に発信して伝えていく。絶望的な状況ほど、その絶望という状況には、さまざまな人生のイベントがつながってるし、人が出会ってるし、そこにこそ、むしろ大事な希望につながる糸口が絶対あるので、絶望的な状況の中でこそ、前向きに絶望する。だけど、あまり力を込めないで、ちゃんとうろうろするっていう。絶望的な状況の中で、うろうろさえしてれば、ちゃんと突破口がある。そんな絶望のしかたを、ぜひ発信していきたいなと思いますね。
 
行き詰まりや絶望の中で
弱さを絆に生きている
 
     これは、平成二十九年二月十二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである