人生の最期に寄り添って
 
              淀川キリスト教病院チャプレン   藤 井(ふじい)  理 恵(りえ)
神戸市生まれ。1892年神戸女子薬科大学卒業・製薬会社勤務。1984年関西学院大学神学部へ学士入学。1988年関西学院大学神学研究科終了。日本基督教団関西学院教会伝道師就任・副牧師を経て1992年より現職・臨床パストラルカウンセラー。
              き き て         杉 浦  圭 子
 
ナレーター:  大阪市にある淀川キリスト教病院。末期がん患者などの終末期医療を行うホスピスの草分けとして知られています。医師や看護師の他に、牧師も医療チームに加わり、患者のケアに当たります。藤井理恵さん。病院付きの牧師チャプレン(chaplain:教会・寺院に属さずに施設や組織で働く聖職者)を務めて二十六年になります。この日、藤井さんが向かったのは、一週間前ホスピスに入院してきた患者のもとです。
 

 
藤井:  失礼しま?す。お邪魔します。こんにちは。おうちどうでした?
 
患者:  こっちへ移ってから静かで、雰囲気が全く違うのと、朝に昼に聖書のみ言葉が聞けて、何か感謝です。
 
ナレーター:  藤井さんは、患者が、限りある時間を自分らしく過ごせるよう、そばに寄り添い話を聴き続けます。語る時は主に聖書の言葉です。
 
藤井:  「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそキリスト・イエスにおいて神があなたがたに望んでおられることです」。
 
ナレーター:  多くの人々と最期の時を過ごしてきた藤井さんに、与えられた命をどう生きるのか伺います。
 

 
杉浦:  キリスト教の専門職・聖職者でカトリックの神父やプロテスタントの牧師は知っていても、チャプレンというのはご存じない方も多いと思うんですね。どんなお仕事なんでしょうか?
 
藤井:  「チャプレン」っていうのは、施設付きの牧師っていう意味なんですね。ですから例えば病院だけでなくって、ミッションスクールですとか、いろんなキリスト教施設で働いている牧師のことを「チャプレン」っていうふうに言うんですね。私の場合は病院なので患者さんをケアするとか、そういうふうな形で働いている者です。
杉浦:  藤井さんの方から患者さんの病室を訪ねて、「何か悩んでらっしゃいませんか?」というふうにアプローチされるんですか?
 
藤井:  一番分かりやすいのは、淀川キリスト教病院は、朝の礼拝とお昼も聖書の放送を流してるんですね、各病室に。でそれを聞かれた方が、もっと知りたいなとか、そういうことお話してる人とかいるんだったら会ってみたいわ、っていうふうなことがあって、お会いすることもありますし。基本的に一番多いのは、各病棟の看護師であったり、医師であったり、スタッフの方から、「この患者さんのところに行ってもらったらいいんじゃないか」っていうふうなことがあって、連絡が入ってくるっていうことが大方のパターンですね。
 
杉浦:  具体的には藤井さんは、どのように病院で患者さんをケアしてらっしゃるんでしょうか?
 
藤井:  そうですね。病院では患者さんたち、ほんとにいろんな苦しみを背負って過ごしておられるんですね。この病院にはホスピスもありまして、末期の患者さんも多くいらっしゃるんですね。もちろんホスピスの方は、がんの末期の方が入っておられますので、体の痛みっていうのはありますよね。そういった身体的な痛みもありますけれども、また家族の関係とか、そういったところの苦しみだったり、経済的な問題の苦しみだったりっていう社会的な痛みもありますけれども、それ以外に「たましいの痛み」というものを持ってらっしゃるんですね。
 
杉浦:  たましいの痛み?
 
藤井:  はい。例えばどうしてこんな病気に自分がなってしまったのか。この苦しみに何の意味があるのかというふうな問いかけだったり、自分のことが自分でできなくなっていく中で、人の世話にならないといけない自分に生きてる意味があるのか、というふうな問いかけだったり。私自身は、その人の存在を根底から揺さぶるような問いのような形で現れてくるものだというふうに、それが「たましいの痛みだ」というふうに、私は捉えているんですね。他には、どんなにいい家族とか、どんなにいい友達がいても、最期死ぬ時はそれを一人で背負っていかないといけないという孤独ですとか、また死を前にした方っていうのは人生を振り返るわけですよね。その中で自分のしてきたことってほんとにどうなるんだろう。許されるんだろうかっていう罪の意識を持ってる方っていうのはとても多いですよね。それがどういうふうに許されるのか、あるいは自分は怖いところに行ってしまうのかとか、そういう罪と死にまつわる問題っていうのもありますよね。そういったいろんな苦しみを抱えている方々のところに、まあ出かけていって、その方たちの「たましいの痛み」っていうものに関わっていくという、そういう働きを担ってるんですね。
 
杉浦:  大きな病院には、カウンセリングを担当する臨床心理士を置いているところもありますね。そういったカウンセラーの方と、どこがどういうふうに違うんでしょうか?
 
藤井:  そうですね。チャプレンというのは、牧師なので、一番違うのは信仰というところですね。で人との関わりの中でいろんな答えを―今の申し上げたような苦しみに答えを見つけていく方もいらっしゃいますけれども、人との関わりでは、どうしようもない、例えば人間を超えたものとの関係の中から答えを見つけていくしかないような苦しみですね。信仰との絡みの中でしか見いだせない答えっていうのはやっぱあるんですね。結構それは多いと、私は思っているんですね。ですからチャプレンっていうのは、そういう神様との関係とか、人間を超えた存在との関わりの中で、その方が答えを見つけることができるように、そばで寄り添うという、そういう役割で、そこがカウンセラーとか、心理士さんとかとの違いで、チャプレンの独自性かなって、私は思っています。
 
杉浦:  ただ、いきなり信仰とか、神様の言葉を伝えようとしても、素地のない方に唐突に伝えるわけにはいきませんよね。
 
藤井:  そうですね。ですから、私も関わる時に、いきなり聖書の話をしたりとか、神様のお話したりということはまずないですね。
 
杉浦:  あっ、そうなんですか。
 
藤井:  まず多くの方のお話をお聞きするというところから始まりますし、その中でいい関係ができてくると、今お話しましたようないろんな問いかけですよね。そういう問いかけを患者さんが発して下さる時に、まあその方のタイミングだったり、必要に応じて私は自分の中にあるものというのはもうそれしかないですので、私の語れることだったりとか、お渡しできるものというのを、その時その時に考えながらお伝えするというふうな感じですね。
 
杉浦:  藤井さんがチャプレンになられてもう四半世紀ですよね。
 
藤井:  そうですね、はい。
 
杉浦:  実際に患者さんが抱えておられた悩みで、どのようなものがありましたか?
 
藤井:  いろんなお気持ちお聞きしてきましたけれども、ある六十九歳の男性の方がいらっしゃったんですけれども、病院に入院してこられた時には、もう結構重たい病気だったので、他の病院で何回も手術を受けられていて、片足を切断されている男性の方だったんですね。私、その方のとこにお訪ねすることになって伺ったんですけども、ご自分の病気の経緯ですね、それをお話しして下さって、ポロポロポロポロ涙をこぼされるんですね。だんだん悪くなって死を迎えてしまうんだという。どうしてもそこをグルグル頭が回って、何でこんな病気になったのかっていう、その苦しみを訴えてこられたですね。
 

 
ナレーター:  男性は「いくら治療しても治ることはない」と絶望感にさいなまれていました。なぜ自分だけが、こんなつらい目に遭うのか。答えの出ない問いを繰り返し、たった一人で孤独を抱えていました。そして間もなく訪れる死と直面した時、「何かにすがりたい」と強く願うようになったといいます。
 

 
藤井:  お話をお聞きしている中で、その方は入院されてから亡くなられるまで十五日間だけだったんですけれども、お話をお伺いする中で、「毎朝の礼拝に出てみたい」って言われたんですね。礼拝に出られて、それをきっかけに一緒にお祈りをしたり、聖書を読んだりするようになったんですね。である時、一緒に聖書の詩編の二十三編っていう、とても有名な聖書の箇所があるんですけれども、そこを一緒に読んだんですね。
 
死の陰の谷を行くときも、
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
 
この箇所を読んだんですね。死ということにも限らないかもしれないですけども、もうほんとに人生のどうにもならない苦しみですよね。そういうところに行かないことを願うんじゃなくて、たとえ行ったとしても、そこで必ず一緒にいて下さる神様が守って下さるということですね。そのことの安心感ということだと思います。だから「災いを恐れない。あなたが一緒にいて下さるから」っていうことですね。するとその方が、「もう治りたいと思わなくなりました」って。「心が安らかなのが何より幸いです」って、この方おっしゃったんですね。
 
杉浦:  そんなにすぐにその聖句に納得されたんですか?
 
藤井:  そうですね。不思議ですよね。
 
杉浦:  ねえ。
 
藤井:  でも、多分その方が、ご自分なりの堂々巡りの中で、きっとそれを突き抜けるものがあったんでしょうね、この言葉に。どうしてこういう病気になったか。病気の意味は何だろうっていうふうに問い続けていた方だったんですけれども、もう自分を超えた神様が一緒にいて下さるから、もうその病気の意味は問わなくてもいいっていう。そういう答えを見つけていかれた方だったと思うんですね。で亡くなる二日前に、かなり状態が悪くなって、病棟から、「この方、悪くなりました」って、連絡があったのでお部屋に伺ったんですね。そしたら、体はほんとにしんどそうだったんですけれども、「お心どうですか?」って、私が聞きますと、「心はちっとも変わりません。神様が自分のことを心配して下さるっていうことを知ってからは、とても安らかです。だから私強いですよ」って言ってにっこり笑われたんですね。
 
杉浦:  そういう患者さんを前にして、藤井さんはどういうふうにお感じになりましたか?
 
藤井:  そうですね。やっぱり人間では支えきれない苦しみですよね。私たち人間というのは、限界を持って生きてますし、患者さん自身もその限界の前で苦しんでますから、その人間同士の中ではどうにもならないことっていうのあるんですけれども、人間を超えた存在との関わりっていうのは、やはり違ったものがそこで出てくるんだなっていうことは思いますね。
 
杉浦:  更にどんな悩みを抱えた患者さんに出会われましたでしょうか?
 
藤井:  そうですね。ホスピスでは、死を間近した方たちが過ごしておられますので、死の恐怖ですね。その苦しみでつらい思いをしてらっしゃる方っていうのがおられまして、四十四歳の女性の方がおられたんですね。その方は、子宮肉腫という病気で、別の病院で「余命ひとつき」っていう宣告をされて、ホスピスに入院してこられたという方だったんですね。
 

 
ナレーター:  女性は中学生と小学生の娘三人を持つ母親でした。入院した当初、「宗教は支えにならない」と言い、チャプレンと会うことはありませんでした。しかし、迫りくる死の恐怖と、子どもたちを残していく不安が重なり、自分の気持ちを抑えきれなくなります。藤井さんが面会したのは、余命とされた一ヶ月が過ぎた頃。彼女が極限まで追い詰められた時でした。
 

 
藤井:  その方は、夫と娘三人というご家族だったんですけども、ご自分でホスピスを選んで来られたんですけれども、もうすぐに最期がくると思って来られたのに、ホスピスではいろんな痛みとか症状がコントロールされるので、体がすごく楽になられたんですよね。そうすると、死っていうものに、まともに―痛みでごまかせないといいますか、身体症状ではごまかせない―向き合わないといけない時間ができてしまったわけなんですね。そこで死んだらどうなるのかと。自分の存在はなくなってしまうんじゃないかって、その恐れがとても大きくって、そのことに思いが至ると、下顎が震えだすというふうな症状が出てたんですね。それはいろんな抗不安薬とか、お薬も使われたようですけれども、全くそれは効かずで、そのうちだんだんとその方は、まあ立ち上がったりできる方だったんですけれども、もう目を閉じて、お食事と排せつ以外はベッドから立たないっていうふうな、そういう状況に落ち込んでいったんですね。お元気な時は、自分の大事にしてるのは、人とのつながりだとふうに、それがとても大切だっていうふうに書き置いておられたんですね。でそういう方だけあってお部屋はいっぱいお見舞いのお花が飾られてましたし、たくさんお友達からのメッセージが色紙になって張られたりとか、本当にたくさんの友達に支えられてらっしゃるなというふうなことが分かるような、そんなお部屋でしたね。それでもどんどん落ち込んでいくその方に、連れ合いが、「いやぁ、こんな花とか色紙とか君の勲章やね」っていうふうに励まそうと思っておっしゃったそうなんですけども、そうするとその方は、「そんなんあってもしかたない!」って言い放ったんですね。ですから、人とのつながりではどうにもならないっていう、ほんとにその方の限界のところにきてたと思いますね。そんな時に、私、その方の部屋に行くことになったんですね。もうほとんどお話は誰ともされなくって、目を閉じて、首を縦か横ぐらいしかコミュニケーションが取れないって聞いてたんですけれども、でも私がお訪ねした時はもう目をしっかり見開いて、「私は死刑囚のようです!」って泣かれたんですね。そして「自分の存在はなくなってしまうのか、どうなるのか」って。「子どもたちには会えなくなるのか」っていうことを、次々死とか、死にまつわる不安がまた出てきたんですね。そういうお話をされてると、顎が震えだして、ご自分でも一生懸命止めようとするんですけれども、止まらないっていう、ほんとに苦しい状況になりましたね。その時、私、また聖書を読んだんですけど。私、何も持ってるものがなくて、この聖書の言葉とか、神様の言葉に私自身も支えられているので、その時は「ヨハネによる福音書」というところを読んだんですね。これイエス・キリストの言葉なんですけれども。
 
私を信じるものは、
死んでも生きる
(ヨハネ福音書11章25節)
 
っていう言葉なんですね。「死んでも生きる」。その存在というのはなくならないっていうことですね。
 
杉浦:  「死んでも生きる」っていうのは、ちょっと謎めいた言葉に聞こえますけれども、どういう意味ですか?
 
藤井:  そうですね。肉体というのは死んでいきますよね、朽ちていく。けれども、私はその人の存在自体は、確かに体はなくなったとしても、その人が全て無になるわけではないと思うんですね。で永遠の命というのが聖書には出てくるんですけれども、その神様のところでまた新しい命で生きるっていう、そういうことが聖書には書いてあるんですね。ですから地上では確かに死んでしまうかもしれないけれども、でも神様のところでまた生きるという、そういう命があるということですよね。そのことをお伝えしたんですね。
 
杉浦:  それに対して彼女は?
 
藤井:  そうすると、子どもたちを見守ることができるんじゃないかとか、そういった希望ですよね。自分がもうなくなってしまうっていう絶望から、そうじゃなかったっていう希望に変わったんだと思いますね。
 
杉浦:  死んだらなくなってしまう。自分の存在は、無に帰すと。それで恐れてらっしゃったんですよね。
 
藤井:  そうですね。
 
杉浦:  それがこの言葉にどういうふうに救われたんですかね?
 
藤井:  地上で結ばれた絆っていうのが、自分が天国に行ったとしても、地上から離れたとしても、神様が結んで下さった絆は途絶えないんだっていう、そういうところでしょうね。そうやって子どもさんたちのことを、自分が見守っていけるっていう、そこに希望があったんだと思いますね。自分の存在がなくならないっていうことと、子どもたちを見守っていけるっていうことを聞かれたその翌日に、その顎の震えも止まったんですね。
 
杉浦:  えっ!
 
藤井:  そうなんです。それで私がお訪ねした時に、あれほど死を恐れていたのに。お葬式の相談をされたんですね。「キリスト教でお葬式あげて頂きたいんです」ってというふうに言われて、それは私も驚きましたけれども、ほんとに不思議な―でもそういうことはよく私そういう場面に遭遇するんですね。それはほんとに自分の中でどうにもならないところに、ほんとに小さな針の穴があいたような、そこを向かって突き抜けていくみたいな希望に向かっていくような方たちがいらっしゃるんですね。
 
杉浦:  今お話を伺っていて、避けられない死と、人間が向き合った時に、宗教の力は大きいんだということは分かりましたけれども、どうしてこんな力を持ってるのかというのは、いまひとつ私はよく分からないんですが、藤井さんはどういうふうにそこを考えてらっしゃいますか?
 
藤井:  そうですね。私もほんと不思議だと思うんですけれども、人間ってほんとに生きてる時って、横の関係の中で生きてると思うんですね。家族であったりとか、友人であったりとか、いろんな横の中で生きていて、例えば自分に生きてる意味があるんだろうかとか、お世話になってるだけで、ほんとに自分に価値があるんだろうかって思ってる方たちが、それでも一生懸命してくれる家族だったり、周りの人によって、「生きててもいいんだ」っていうふうに受け取っていくって方もいらっしゃいますよね。そういった横のつながりの中で、たましいの痛みとか、問いかけに対して答えを見つけていくっていう方もいらっしゃいますけれども。ただ先ほどの方のように「そんなんあってもしかたがない」っていうふうに、人の支えとか、そんなものがあったって、どうにもならないっていう、そういう横の関係だけではどうしても癒やされない、そういう苦しみもあるわけですね。そういった苦しみに対しては、ほんとに縦からですよね、縦のつながりの中で答えを見つけていくことができる。そういうことが言えるかなって、私は思いますね。
 
杉浦:  縦のつながり?
 
藤井:  はい。例えば自分に限界を感じてる方が、限界を感じた時には、限界を超えたものにつながりたいと、人は思うと思うんですね。で例えば自分がしてきたことはどうなるんだろうかっていう、罪の意識とかを持ってる人は、「赦し」ですよね。赦されたいと願いますし、赦してくれる存在っていうのを求めると思いますね。死の恐怖とかを持ってる方なんかは、死を超えた希望があるっていうものを見つけたいっていうふうに思いますよね。そういったところは、人間を超えた存在だったり、絶対に揺るぎない存在だったり、自分の全部を委ねられるっていう、そういうつながりを求めると思うんですが、それは人の関係、横の関係の中では、見いだすことはできないと思うんですね。人間を超えた存在との関わりの中で、答えが見つけられる。そういう問いがある。それは私は縦の関係というのがとても大きいと思っていますね。
 
杉浦:  限界を超えたものっていうのは、つまり神様ということですか?
 
藤井:  私にとってはそうですね。神様であり、神様との関係の中で生まれてくるものですよね。
 
杉浦:  じゃチャプレンである藤井さんは、その神様と患者さんの橋渡しといいますか、つなぐ役割をされているということですか?
 
藤井:  そうですね。神様を指し示す役割かなというふうに思っています。
 
杉浦:  「あそこにいらっしゃるよ」。
 
藤井:  そうですね。
 
杉浦:  「こういう言葉をかけて下さってるよ」っていう。
 
藤井:  そうですね。自分とか、横の関係だけ見て絶望してる人に、「それだけじゃないよ」っていうことですね。それをお伝えしたいと思っています。
 

 
ナレーター:  昭和三十四年、藤井さんは、双子の妹として生まれました。敬虔なクリスチャンの両親に育てられ、毎週日曜日には教会に通い、自らも神への信仰を深めました。大学時代は将来世の中の役に立つ仕事がしたいと薬品化学を専攻、卒業後は製薬会社で働き始めます。そして入社して間もない頃、藤井さんの信仰を揺るがす出来事が起きました。
 

 
杉浦:  社会人になられて、すぐ衝撃的な出来事があったそうですね。
 
藤井:  はい。私、製薬会社に勤めてたんですけれども、その時に私と同じ部署に四十代の男性の方がおられたんですね。で恐らく心の病だったと思うんですけれども、お仕事がなかなかできなくって、もうみんながその方を無視するというような形で、誰もその方がいてもいないような感じで関わりがなかったわけですよね。ちょうど私がいた会社では、月に一回大きな会議があって、私もそこに出てたんですけれども、その会議中に会社の方に向かってサイレンが鳴って止まったんですね。何かあったのかなというふうに思ったんですが、その会議が終わって聞かされたのが、その方が屋上から飛び降りて亡くなられたっていうことだったんですね。それはほんとに私にとっては衝撃的で、多分どこの部署にいてもつらい思いをしてらっしゃったと思うんですね。でも私はまだ二十代で入社したばっかりで、四十代の男性に何か声をかけるなんてことはとてもできるような勇気もなかったですし、何もできなかったんですね。ちょうどご家族も来られて、会社の一室で肩震わせて泣いてらっしゃる姿が、扉の隙間から見えたんですけれどね、何も声もかけられなかったんですね。で私、親しい友達といつも一緒に会社から帰っていく時に、駐輪場の前を通って帰ってたんですが、その亡くなられた方は自転車で会社まで来られてたんですね。で乗り手のなくなった自転車がポツンとそこに置いてあったのを見て、その友人が「それ触ったらたたりが移るよ」って言ったんですね。私はその時びっくりしてしまって、「そうかみんながこの人を死に追いやったんだな」って思ったんですね。でも私も一緒だなと思いました。私もその方に対して、声をかけることもできなかったですし、ただ見てるだけっていう意味では全く同じだと。多分できることはあったと思うんですね。いろんなこう話しかけることだってできたでしょうし、まあもしもっと勇気があれば、上司とお話しすることだってできたかもしれないですよね。結局逃げてたんだと思うんですけれども、それで私はすごく自分の信仰も問われましたし、自分の在り方みたいなのもすごく問われたんですね。クリスチャンではあったけれども、その信仰を自分はほんとに生きてはいなかったな、っていうことをすごく突きつけられた体験でした。
 
杉浦:  自分の信仰を問い直す中で、どんなことに気付かれましたか?
 
藤井:  そうですね。人は何を考えているかということは分からないですよね。だからあの方もそういうつらい思いをされてただろうし、また私のすごく親しかった友達から出てきた言葉にもびっくりしましたし、人ってどういうこと考えてるのか知りたというふに思うようになったんですね。でそんな時に、いろいろ会社の人たちと一緒に食事に行ったりとかいう機会があったりすると、いろんな自分の内面の話をしてくれる人だったりとか、その中で神なんて存在しないっていう人ももちろんいらっしゃいましたし、そういう時に私は何か話したいとか、語りたいと思っても―神様のことだったり、神様に愛されてるっていうことだったり、そのことを何か伝えたいと思っても、語る言葉が何も私の中にはなかったんですね。それで勉強をすれば、神様のことをちょっとは伝えられる人になれるんじゃないかと思って、神学部に進んでみようかなっていう、そういう気持ちが出てきたのはその時が最初でしたね。
 
ナレーター:  藤井さんは、会社を辞め、大学の神学部に入学、聖書やキリストの教えについて学び直します。大学院を修了した後、神の愛を多くの人に広めたいと、伝道師の職に就きました。その一か月後、再び生き方に関わる大きな出来事が起きます。
 

 
杉浦:  関西(かんせい)学院大学の神学部に進まれて、大学院を卒業されて教会のお仕事に就かれたのが二十八歳の時ですね。
 
藤井:  そうです。
 
杉浦:  それが医療の現場に行くことになったのは、どういうことだったんでしょうか?
 
藤井:  それは私が、二十八歳で教会に赴任することになって、ちょうど四月からだったんですけども、その一か月後の五月に私の姉が急に発病して、三日間で全身が動かなくなるっていう病気になったんですね。「ギラン・バレー症候群」という名前が付きましたけれども。
 
杉浦:  それはどういう病気だったんですか?
 
藤井:  それはですね、自分の運動神経を自分の免疫機能がつぶしていくっていうふうなそういう病気で、自分の中で起こってる病気なんですよね。で全く動かなくなって、まばたきもできなくなって。もちろんお話もできないですし、ただ寝てるだけの状況になってしまったんですね。ただ動かないだけで、すごくクリアだったんですね。頭がクリアだったので、いろんなことは分かってるけれども、何も反応できないっていう、そういう病気でした。
 
杉浦:  お姉さんの看病をなさったんですよね。どんなお気持ちで看病をされたんでしょう。
 
藤井:  私たち双子なんですけれども、私が小さい時に小児リウマチという病気をしていて、幼稚園の時なんか幼稚園に通えないような時期も長くあったので、とても姉が私のことを守ってくれるような、そんな存在だったんですね。分身のような存在でもあり、でも私にとったらちょっと支えてくれるような存在だったので、その姉が全く動かなくなってしまったことは、ほんとにつらかったですし、姉はほんとに仕事が好きで、バリバリお仕事もしてましたし、もうすぐ海外でのお仕事も予定されてるってこともあって、ほんとにどうしてこんなふうになってしまったんだろうというふうに、ほんと代わってあげたいと思いましたね。
 
杉浦:  そうやってお姉さんの病気で看病に通われた経験が、その後チャプレンとして医療現場に関わられることにつながったんでしょうかね。
 
藤井:  そうですね。姉の病気があって、病院に行った時に、ほんとにたくさんの苦しむ方がいらっしゃるっていうことを初めて体験として知ったんですね。
 
杉浦:  例えばどういう方々ですか?
 
藤井:  そうですね。これは姉から聞いたんですけれども、同じお部屋に入院してこられた方が、入ってくるなり窓から飛び降りようとしたっていう方がいらっしゃったということだったり、姉はまあリハビリをずっとしてたんですけども、リハビリのお部屋に行くと、きっとあの方は会社でバリバリ働いてたんだろうなっていうふうな男性の方が、ほんとに動かない体を必死になって、家族にお尻たたかれながら、ほんとに苦しみながらでも頑張ってる姿だったりとか、今まで私が見なかった世界っていうのをそこで目にした、そういう体験でしたね。病気の人は病気だけが苦しいんじゃないんだっていうことを、その時にほんとに知らされたんですね。
 
杉浦:  そういう経験が、どのようにチャプレンというお仕事に結び付いたんでしょうか?
 
藤井:  何かこの病院で苦しんでいる方たちに、何かできることがないかなっていうふうな思いが、そこで起こってきたんですね。多分短絡的なんだと思うんですね。私は、話せる人になりたいと思ったら、神学部にいったらいいんだとか、病院の世界にどっぷり浸ったら、ここで何かできることがあるんじゃないかとかですね。そういうふうな思いだったと思うんですけれども、私が今まで全然知らなかった世界を見たっていうことは、私にとってはとても大きな転換になったっていうことですね。
 

 
ナレーター:  三十一歳の時、藤井さんはチャプレンとして淀川キリスト教病院で働き始めます。当初藤井さんは、「患者を支えてあげたい」という意識に強くとらわれていたといいます。そんな彼女に、もっと大切なことがあると気付かせてくれたのが最初の患者でした。
 

 
杉浦:  初めて担当された患者さんは、どんな方だったんでしょう?
 
藤井:  最初にホスピスで関わった方は、六十代の女性の方で、乳がんだったんですけど、骨に転移していて、もうホスピスに来られた時には、ちょっと歩くのが難しいっていう患者さんだったんですね。最初はほんとにもうどうしたらいいか分からないような感じだったんですけれども、でもとにかく一生懸命でしたね。何とか支えたいっていう気持ちで、すごく頑張ってたと思いますね。ところがその方とっても温かくって、明るい方で、もう私のことスッと受け入れて下さったんですね。ですごくいい関係が持てたんですね。ほんとにいつも私がお訪ねするのを心待ちにして下さっていて、その方。で「あなたは私の支えです」とか、「私にとってほんとに必要な方です」っていうふうに言って下さるんですね。私もほんとにそれがうれしくて、とにかく一生懸命その方と関わったと思うんですね。
 
杉浦:  藤井さんは、そのころ三十ちょっとすぎ、
 
藤井:  そうですね。
 
杉浦:  若くて一生懸命で。
 
藤井:  そうですね。
 
杉浦:  患者さんは待って下さってたんですね。
 
藤井:  はい。でもその方―ホスピスの方ですから、やがて亡くなられたんですけれども。その時に喪失感っていうんですかね、ポッカリと心の中に穴があいてしまって、喪失感で、ちょっとお仕事できないかなぐらいしんどくなってしまったんですね。でもその時に、その方が私のことを「支えです」とか「必要な方です」とおっしゃって下さってましたけど、「あぁ、そうか。私がこの方に支えられてたんだ」って。「私が必要としてたんだ、この方の事」っていうふうに、そのことに気付かされたんですね。だから人っていうのは、どちらかだけが支える側になって、片方が支えられる側になるとか、そういうことはないんだと。支えているようで、実は支えられていて、支えられてるばかりだと思ってる人も、実は支えているっていう、そういう関係なんだなってことを、その最初に関わった方から教えてもらったんですね。こう肩の力が抜けたような。頑張ってたけれども、なにかそんなに肩張って頑張ることじゃないよって、教えてもらったっていう気がしましたね。
 

 
ナレーター:  藤井さんは二十六年にわたって、寄り添ってきた患者一人一人の言葉を書き留めてきました。
 

 
取材者:  すごい数の…。
 
藤井:  そうですね。これ患者さんがおっしゃった言葉とか、悩んでることだったりとか、そういったほんとにたましいの叫びみたいなものですよね。
 
ナレーター:  病や死と向き合う中で、聖書の教えと出会い、苦しみから解き放たれた人々が発した言葉です。「私はここの病院に来て神様に会えてよかった。全く暗闇から光の世界に移されました」「病気になったことも感謝している。ほんとそう思ったら、全てのことに感謝やね」。
 
藤井:  この中には苦しい言葉もありますし、また喜びの言葉もあるんですけれども、でもその言葉が、誰かをまた助ける言葉にもなっていきますし、私自身がほんとにこの言葉によって育ててもらってるっていうところもありますし、そういう意味ではほんとに一度きりの人生を生きた方たちの何にも代えられない尊い言葉だというふうに思っています。
 
ナレーター:  残された最期の時を大切に生きた人々の言葉。藤井さんは、その一つ一つを胸に刻んでいます。
 

 
杉浦:  患者さんが残された言葉で、忘れられないものって、どういう言葉がありますでしょうか。
 
藤井:  結構いっぱいあるんですけれども、七十代の女性の方がいらっしゃって、こんな言葉を残して下さったんですね。「人間って一度持ったら手放せないものですね」って。その方はクリスチャンの方で、三回手術をされたんですね。脳腫瘍と大腸がんで三回の手術をされて。お元気な時は大学で人を育てる仕事をされていて、いろんな学生さんとか、卒業生から慕われてるっていうことが、ご自身にとって自分の存在価値だったんですね。でほんとにそういうふうに元気で過ごしておられた方が、どんどん動けなくなっていって、自分のことができなくなってくる中で、やはりこの方も自分の価値っていうものをなかなか見つけられない。ただこの方クリスチャンだったので、神様が存在してるだけで尊いのだと。何もできなくっても、そのままのその人で尊いのだっていうことは知っておられたんですね、頭では。頭では分かっておられましたけども、心では理解できていなかったというか、受け止めきれなかったっていうことだと思うんですね。脳腫瘍で手術をされた時に、左側が動きにくくなったので、リハビリをされてたんですね。で私ある時お部屋に行った時に、「左手がちょっと動くようになった。ティッシュをつかめるようになったんです」ってティッシュをつかんで見せて下さったんですね。ところが「こうつかんでも、今度は離せない」と言うんですね。つかんだまま。手の機能が―離す機能がまだ十分できなかったっていうことだと思うんですけども、「離しなさいよ」ってこうするんですけど、離れないんですね。離せないもんですから、「リハビリの時に平行棒を持って歩く時も、一回持ってしまうと離せないので、前に進めなくて危ないから、持ったらいけませんよ」って言われてるとおっしゃったんですね。それで「人間ってほんとに手放せない。一度握ったら手放せないものですね」っていうふうにおっしゃったんですね。手放せなかったら、前にも進めないっていうことですよね。それがすごく私の心に響きましたね。
 
杉浦:  その方とも聖書を一緒に読まれたんですか?
 
藤井:  そうですね。いっぱい、ほとんど毎日聖書を読みましたね。その聖書の「コリントの信徒への手紙」四章の七節ってところがあるんですけど、こういう言葉があるんですね。
 
いったいあなたの持っているもので、
いただかなかったものがあるでしょうか。
もしいただいたのなら、
なぜいただかなかったような顔をして
高ぶるのですか。
 
という聖書の箇所があるんですね。つまりあなたの持ってるものは全部いただいてるものばっかりじゃないか。なのに何で自分のもののように高ぶってるのか、ということですね。まあその方も学生に慕われてるとか、元気で人のために尽くすことができるとか、そういった能力っていうものを頂いてるわけですよね、神様から。自分のものではないと思うんですね。だけど、それを人は自分のもののように思って、自分の存在価値の裏付けにしてしまう。人ってそういうものかもしれないと思うんですね。自分には―自分の命には意味がなかった、意味のない命だっておっしゃる方おられるんですけれどもね。でも全てが私は神様から与えられたものだっていうふうに信じてますので、命が与えられてるっていうことがもう既にその命は意味なんですね。だから命そのものが、もう既に意味であるっていうことが、その人自身が意味があるのかないのか分からなくても、とにかくその命を生きていく中で、神様が用意して下さった出会いだったりとか、出来事だったりとか、そういうことにこう触れていく中で、自分の人生ってほんとに豊かなものであったとか、その喜びを感じられたりとか、そういうことが私はあるというふうに思ってるんですね。だから、それがほんとに自分のものだと思ってる時は、ほんとに自分の思いどおりにならないことに対して、ほんとにつらくなりますし、それが自分のものだということからきている価値観も、自分が自由にできなくなった時に崩れていって、自分を支えてくれないわけですよね。だから、それが自分のものじゃなかったっていうふうに、神様のものだったんだっていうふうに、手放す。あるいは手放してもう一回神様のものとして受け取り直すということですかね。そういう心の作業みたいなものがとても大事になってくるかなっていうふうに思うんですね。
 
杉浦:  この患者さんは、「つかんでいたものがなかなか手放せない」とおっしゃっていたのが、どういうふうに変わられたんですか?
 
藤井:  今まではほんとに自分が、学生さんたちとかに、いろんなことをしてあげられて、慕われてっていう、そのかつての自分ってのが手放せなかったですけれども、でもそうじゃなかったんだと。これは全部頂いていたもので、そしてそれを誰かのために使って、またそれを返していく中で、感謝が生まれてくる中で―この方毎年クリスマスにパーティーを開いて、学生さんたちいっぱい集まってたらしいんですけれども、その感謝を最期にみんなに表したいからといって、ホスピスの病棟で―真夏だったんですけれども、クリスマスパーティーを開いたんですね。そしたら卒業生が全国からいっぱい来られました。でほんとに感謝の気持ちを伝えていかれましたね。
 
杉浦:  藤井さんは、ご自身はもう手放せていると思ってらっしゃいますか?
 
藤井:  いいえ。いや、それはずっと戦いみたいなものですね。私、最初に関わった患者さんから、私が何とか支えてあげなくちゃって思ってた時に、支えられてるようで支えてるし、支えてるようで支えられてるということを教えられた時に、少し―何ていうんですかね、自分が頑張らなくちゃっていうことを手放すような体験はしたんですけれども、やっぱり何か自分がしなくちゃっていう気持ちは、いつもどこかにあって、手放せてない私がいたっていうことですね。
 
杉浦:  ここまでのお話の中で、藤井さんが聖書の言葉を通じて、患者さんに語りかけてこられた言葉や、患者さんが残して下さった大切な言葉を聞かせて頂いたんですけれども、逆に藤井さんが伝えようと思ってもなかなか届かなかった―神様の言葉が届かない患者さん、挫折感を感じられたような患者さんはいらっしゃいましたか?
 
藤井:  そうですね。患者さんのとこにお訪ねする時には、基本的には「来てもらっていい」という了解を頂いて行きますので、最初からもともとそういう牧師に来てほしくないっていう方のところに行くことはないわけなんですね。そういう意味では、何らかの求めがあって行っているので、なかなか関係がすごく難しいっていう方は多くはないんですね。けれども、やっぱりそういう体験はありまして、その方は五十九歳の男性の方でしたけれども、とてもバリバリとお仕事をされて、もう定年直前というところで胃がんになって、ホスピスに入院してこられたんですね。その方については、看護師の方が、「この人は何かきっと心の中に持ってらっしゃる。だから訪ねてもらったらいいと思うんですけど」っていうふうに言われたんですね。で患者さんの方も、「そんな人、いるんやったら来てもらっていいよ」っていうふうな感じで、私、お訪ねしたんですね。大体いつもおっしゃってたことがあって、「自分は自分を信じて生きてきた。それでうまくここまでやってきた。だからこれからも自分を信じていきます」っていうふうに言われるんですね。で「あなたのように信仰のある人、それを私は全然否定しません。だけど、私は私信じていきますから」って言われるんですね。で私お訪ねしていいのかしらと思ったんですけど、「まあ来てくれ」って言われるので、ずっとお訪ねしてたんですね。でその方朝の礼拝だったり、お昼の聖書の放送なんかは聞いておられたようだったんですけれども、でも聖書に対しても割と批判的なことをおっしゃったりすることが多かったですね。ただ一緒にいる時は、ご自身の人生哲学みたいなことを私に教えて下さったりとかですね。「苦しむのは、人事を尽くして天命を待つ≠チていう言葉があるけれども、人事を尽くしてない人が苦しむんだ」って言ってましたね。「私はちゃんとそれを尽くしてきてるから、苦しみはない」っていうふうに言われましたね。「そういう生き方をしてきたし、これからも自分を信じてやってきたんだから、それでいくんだ」っていうふうなことは、よくおっしゃってましたね。
 
杉浦:  じゃ他の患者さんのように、悩みや苦しみを訴えたりはされなかったんですか?
 
藤井:  そうですね。直接私にはおっしゃらなかったんですけれども、ご家族が教えて下さったんですが、病状がぐっと悪くなった時に、ベッドの上に両手をパッと広げて、「沈んでいく、沈んでいく。誰か引き上げてくれ」っていうふうに叫んだそうなんですね。自分を信じて生きてきたけれども、沈んでいく自分は、自分の力で引き上げることができなかった、そういう叫びですよね。おつらかったと思いますね。
 
杉浦:  その方に対して、藤井さんは神様の言葉を伝えることはできたんですか?
 
藤井:  そうですね。その方に、「こういう聖書の言葉がありますよ」っていうふうな形ではなかったですけれども、その方がご自分のいろんな哲学を話して下さる時に、私は自分自身が本当につらかった時に、助けられた聖書の言葉とか、「私もこれで支えられてるんです」っていう形で、私のこととして聖書の言葉はお伝えしてましたね。それとか星野富弘(ほしのとみひろ)(1946年群馬県生まれ。群馬大学教育学部体育科卒業後、中学校の教諭になるがクラブ活動の指導中頸髄を損傷、手足の自由を失う。病院に入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始める。詩画や随筆の創作を続けながら、全国で「花の詩画展」を開いている)さんって、詩画集―口に筆をくわえて、絵や詩を描かれるクリスチャンの方ですけれども、その方の詩画集なんかを持っていって、一緒に眺めたりとか、一緒に読んだりっていう、そういうことはよくしてたんですね。
 
杉浦:  だから、気持ちが通じ合うという実感はなかったんですか?
 
藤井:  そうですね。なにかやっぱりいつも距離は感じていましたね。
 
杉浦:  その時どうでしたか? ご自身。
 
藤井:  ほんとにもうつらかったですけど、私にも祈ることしかできないので、ほんとにもうただただ祈る毎日でしたね。ただその方は、亡くなられてから、またご家族が来て下さってお話して下さったんですけどね。亡くなったあとに遺品を整理してたそうなんですね。そしたら手帳が出てきたと。でいつも枕元に手帳が置いてあったんです、その方の枕元に。きっとその手帳のことかなと思ってお聞きしてましたら、それを開けたら聖書の言葉とか、星野富弘さんの詩ですね、それがいっぱい書き写してあったんですっていうふうにおっしゃったんですね。だから私との関わりの中で、すごく聖書とか、そういう言葉に対していい反応を下さったわけではなかったけれども、自分がどうにもならない限界にきた時に、その限界を超える存在ですよね、神様の言葉とか、その神様の言葉によって生きてらっしゃる方が書いた詩であるとか、そこに思いが向いたんだなっていうことを思いましたね。だからすごく印象に残っている方です。ただ神様は沈んでいったその方が、叫び求めてるその声をちゃんと聞いて下さってたと、私は信じてますし、沈んでいったところでちゃんと受け止めて下さってたというふうに信じてますね。
 

ナレーター:  これまでにおよそ三百三十人もの患者を看取ってきた藤井さんが、自分に繰り返し問いかけてきたことがあります。それは「患者一人一人に本当に寄り添うことができたのか?」という問いです。「看取らなければ、という義務感からか?」「自己満足したいのか?」。ノートには藤井さんの葛藤が記されています。
 

 
藤井:  う?ん、自分って駄目なんじゃないかとか、力がないんじゃないかというふうに思って落ち込むこともあるんですけれども、それも結局は自分にはもっとできるはずだし、できなくちゃいけないという思いがあるわけで、どちらにしても、「自分自分」と自分にこだわっている私自身がいるわけですね。ですから、そういうところもほんとに私を伸びやかに自由にこう関わりできないというところは、そういうところからも来るのかなと思ったりもしてるんですね。
 

 
ナレーター:  自分のこだわりを捨て、純粋に患者のために寄り添いたいと願う藤井さんが、お手本にする人物がいます。マザー・テレサ(カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。またカトリック教会の聖人である:1910-1997)。貧困に苦しむ人々に寄り添い続けた修道女です。
 

 
杉浦:  藤井さんは、マザー・テレサを尊敬してらっしゃって、マザーの言葉で大事なものを胸に刻んでらっしゃるということなんですけれども。
 
藤井:  マザー・テレサの祈りですね。「自己からの解放」っていうタイトルがついてるんですけれども。
 
主よ、私は思い込んでいました。
私の心が愛に満ちていると。
でも、心に手を当ててみて、
気づかされました。
私が愛していたのは他人ではなく、
他人の中の自分を愛していた事実に。
主よ、私が自分自身から解放されますように。
 
主よ、私は思い込んでいました。
私は何でも与えていたと。
でも、胸に手を当ててみて、わかったのです。
私の方こそ与えられていたのだと。
主よ、私が自分自身から解放されますように。
 
杉浦:  マザー・テレサは、インドのカルカッタで死にゆく人に寄り添い続けた方ですよね。この祈りには、どういう思いが込められてるんでしょうか?
 
藤井:  やっぱり人と寄り添おうと思っても、やっぱり人間ってどうしても自分中心になってしまって、何か―ここにもありましたけれども、自分がいいことしてると、自分自身で思っていたりとか、いろんな妬みがあったりとか、そういう自分からなかなか解放されない部分ってやっぱりあると思うんですね。私もだから手放しているようで、でもやっぱり自分が何かしてるような気になってしまったりとかっていうことがあるわけで、だからこそ祈りっていうのが必要なんだなっていうふうに思っています。
 
杉浦:  マザーも、手放せない自分があるということですかね?
 
藤井:  そうですね。きっと人である以上、どの人もがこの苦しみっていうのはあるんじゃないかなと思いますね。手放せたりとか、人のために寄り添えてるなんて思った途端、多分傲慢になってると思うんですよね。「寄り添う」っていうのは、今よく使われますし私もよく使う言葉ではあるんですけれども、「寄り添う」っていうのは、やればできるとか、やらなくっちゃいけないっていうものではないような気がしてるんですね。何かしてあげたい、何かさせて下さいっていう気持ちで近づくと、人はかえって遠のいていってしまって、ほんとに寄り添えないものですけれども―それでもそばに傍らにいさせてもらっていいですかという思いでいると、その気持ちが近づいてくるっていうふうに、「寄り添う」っていうのはなにか一つのケアのスタイルとかっていうのではなくって、本当にそのままそばにいさせて下さいっていうふうに願っていくという、その中で起こってくるものであって、そういう逆説があるっていうふうに私は感じてるんですね。
 
杉浦:  そのマザーの祈りを、藤井さんは忘れないようにしようと思ってらっしゃるんですか?
 
藤井:  はい。やっぱりどうしても最初から何かしてあげたいとかっていう気持ちで、自分が何かをする側の方に立ってしまいがちなので、決してそうじゃないっていうことは、今までほんとにたくさんの方たちから教えられてきたことですし、そこをほんとに大事にしながら、でも自分ではほんとにそういう自分中心の方に進んでしまうので、それをほんとに祈るっていうことですよね。それがほんとに必要だなっていうふうに思っています。
 
杉浦:  じゃ手放せたり、また手放せなかったり、その繰り返しですかね。
 
藤井:  そうですね。だから「手放せますように」っていう祈りが、ほんとに必要ですね。
 
杉浦:  今日はどうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十九年二月二十六日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである