自作の仏像マンダラに囲まれて
 
                    仏 師 山 本(やまもと)  竜 門(りゆうもん)
昭和十五年、倉吉市生まれ。京都の大仏師松久朋琳・宗琳父子に師事。昭和三十四年、橋本彫刻所(滋賀県米原市)に入所。昭和六十年、集仏庵建立。平成十三年、第一回「福神展」を赤瓦にて開催、以来開催が継続されている。
                    ききて 金 光  寿 郎
 
ナレーター:  霊峰大山(だいせん)の麓に開けた鳥取県倉吉市(くらよしし)。赤瓦に漆喰の白壁の土蔵が立ち並ぶ古い町並みの一角に山本竜門さんのアトリエ「集仏庵(しゆうぶつあん)」があります。
 

 
金光:  こんにちは。
 
山本:  あっ、どうも。
 
金光:  本日はお邪魔します。よろしくお願いいたします。
 
ナレーター:  木彫りの世界に入って五十八年。これまでに手がけたおよそ千体の仏像がここに集められています。
 
山本:  これが集仏庵の立体マンダラです。これは私が仏様に囲まれたいという願望がありまして、自分の好きな―注文ではなくて―自分の作りたい仏像で、このお堂をいっぱいにして、その仏様に囲まれようという空間なんですね。こちらは自由に作ったものですね。あまり規則に縛られずに、私が思うままに作ったものです。
 

金光:  今日は、鳥取県の倉吉市の「集仏庵」に仏師の山本竜門さんをお訪ねしているわけでございますが、ご自分では仏像曼陀羅に囲まれて暮らしてるとおっしゃっていらっしゃる。その「集仏庵」にお邪魔したわけですが、この「集仏庵」を作るきっかけになったのは、ここの倉吉の高校を出られて、東京へ出られた帰りに上丹生(かみにゆう)という、最近米原市になりましたけれども、福井県の境にある山奥の上丹生というところにお入りになったということを、お書きになってるものを拝見したんですが、これまたどういうところで、そういう方向にいかれたんでございますか?
 
山本:  そうですね。子供の頃から手仕事というのが好きでして、それでまあ新聞の切り抜きで、全国のいろんなところの手仕事の紹介がありまして、その中の一つに上丹生という村は、江戸時代から彫刻師が住んでいると。そこで興味を持ちましてね、あっわざわざ行かなくても、東京の帰りなら米原で降りてすぐ行けるんだということで行きましたね。
 
金光:  東京へは何の目的でいらっしゃったんですか?
 
山本:  夜間大学に行くためには、公務員がいいだろうと思って、公務員試験を受けに行きました。
 
金光:  その帰りにお寄りになったわけですね?
 
山本:  そうです。
 
金光:  それで寄って、その現場をご覧になるのはよく分かるんですが、そのままそこに入門されるといいますか、お弟子になられたというのは、これまたどういうことですか?
 
山本:  そうですね。初めは見学に行くつもりで行ったんです。それで見ておりましたらね、目の前でただの木切れがみるみる動物の形とかになっていくのが面白くてね、ジーッと見てたんですよ。そうしたら時間が経って、お昼になってしまったんで、もう行く所も山の中ですからね、それでまあ困っていたらそこの親方が、「飯を食っていけ」と言われて、「ははぁ」と言って、ご飯を呼ばれて、昼飯を。それでその時に親方が「そんなに好きなら仕事としてやってみんか」と言われて、頭の中がショートしたといいますか、〈あっ! これが自分の仕事だぁ〉と突然ひらめいたんですね。それでその場で「お願いします」と言って帰って、家じゅうから反対されましたけどね。
 
金光:  でも公務員の試験をお受けになったわけでしょう。
 
山本:  そうです。そして間もなく合格の通知も来ましたしね。だけど、もう決心変わらなかったです。もう微動だにしなかったですね。
 
金光:  それで早速卒業と同時に上丹生で、その焼き杉という方法だそうですね。
 
山本:  はい。その彫刻がね、当時としては外貨獲得という大命題がありましたから、それにアメリカへ輸出してたんです、それが。で外貨を稼いでたんですよ。それで人手がいくらでも要るということで、僕を受け入れてくれたんですけどね。それでそういう時代の要求もあったんでしょうけど、うまく合いましてね、その山奥の村に一人で飛び込みました。
 
ナレーター:  木彫りの里・上丹生で若き日の山本さんが、手がけたのが焼杉彫刻。杉の表面を焼き焦がして磨き、木の年輪を浮き立たせるものでした。
 

 
山本:  これがね、初めて滋賀県の上丹生に行って、これを見て、これを作っているところを見ていっぺんにこう初めは観客というか見るつもりで行ったのに、そこの主人と話しているうちに、僕は、〈これが自分の仕事だ〉と思いまして、それでもう高校を卒業してすぐ一人で山の中の村の、これを作っているところに飛び込んだんです。それで毎日これを削り上げる仕事―粗彫りは他の人がしますからね―毎日削っておりました、黙々と。
 

 
ナレーター:  焼杉彫刻の極意は、木の内側に隠れている木目を読み取り、出来上がりを予測して彫ることにあります。終戦直後に、進駐軍相手の土産物として作られ始めた民芸品。山本さんは膨大な数をこなし、黙々と木に向き合いました。
 

 
金光:  焼杉の彫刻の方法というのは、そんなに簡単に高校出で、特別に練習をこちらでしたわけでもないのに、すぐ一人前になれるもんですか?
 
山本:  非常に単純作業でしてね、同じものを繰り返し繰り返し、一日に何十個も作るんですよ。
 
金光:  そんなに簡単に作れるものなんですか?
 
山本:  ええ。どちらかというと変な言い方ですけど、少し民芸調といいますかね、そういう彫刻でしたから、私もともかく不器用でも一所懸命やれば、慣れればできるという彫刻でした。
 
金光:  それじゃ、一にも二にも早速入門されて、どんどん作っていかれたということで。
 
山本:  はい。そうです。だからそういう単純な彫刻でしたからね、ガマとか、タヌキとか、決まった動物ばかり作っていましたから。形決まってますからね。それでまあ人がまだ休み時間に休んでいても、その間にするとかね、努力を重ねましたから不器用でも―もともと不器用なんですけど。
 
金光:  いやぁ、そうですか?
 
山本:  ええ。だけど努力すればできる彫刻だと思ってやりましたら、できるようになりました。
 
金光:  でも同じものを作っていて、飽きはこないもんですか?
 
山本:  それがですね、私は子供の頃から刃物で木を切るという作業そのものが好きで、何ができるかということよりも、刃物でスパッ、スパッっと木を切るその感触ですね、それが好きだったもんで、もう飽きることはなかったです。
 
金光:  じゃ子供の頃から木を削るのには飽きがこなくて。
 
山本:  育った近くにお寺の木の林みたいなのがありましてね、木がいっぱいありましたから、そこに瘤(こぶ)があるとちょこちょこと目鼻をつけて顔にしたりね。そんなことを誰に教わったわけでもなくて、自分で勝手にやったりしてました。
 
金光:  そうすると、上丹生で鳩とか、鳥とか、そういうものを作る時も、ちゃんと瘤のある鳥を作ったりというような格好で、ご自分の創意工夫みたいなものも入れられるわけですか?
 
山本:  最初はね弟子に入ると、初めからではなくて、粗彫りを専門にするベテランがですね、粗彫りができてきて、こちらに回ってくると、それを仕上げるという作業だったんです。だから形はもうできてるんですけどね、削りさえすればよかったんです。
 
金光:  でも何年もいらっしゃったわけでしょ?
 
山本:  そうですね。それで十年ほどやりました。ところが高校時代に非常に尊敬していた先生が四十代で癌(がん)で亡くなられたという情報が入りましてね。じゃ先生のために、俺はもう十年も彫刻をやってるんだから、先生のために仏像を彫るぞ、と思って、写真を頼りに仏像を彫ってみたんですが、人から見れば仏像に見えたらしいけど、自分ではこれはまだ不満足だと思いましてね。で同じ村に伝統彫刻―仏壇とか、欄間とか、床置きとかを彫る人が何人もいましたので、もうその人らとなじみになっておりましたので、改めてその人らに日本の伝統木彫りを学びました。ところが三、四年やって、ほぼ基礎ができたと思った頃に、テレビを見ておりましたら、京都の大仏師の松久朋琳(まつひさほうりん)(10歳より仏像彫刻をはじめ、およそ70年余りの間仏像を彫り続けた。代表作は大阪四天王寺仁王像、京都鞍馬寺魔王尊像、奈良法華寺十一面観音御前立像。京都で活躍、晩年、京都仏像彫刻研究所を主宰、創作活動の傍ら仏像彫刻の普及に勤めた:1901-1987)という先生が、「仏像彫刻をやりたい者があれば、プロでもアマでも誰でも教える」とテレビで言われましてね、それを偶然見たんですよ。で早速京都へ行きましてね、近いですから。それで先生の仏像を見て、〈ああこれだ〉と、また思い直しましてね。それからまあ基礎技術はあるんだから、一年ほどアマチュアで通って、月に四回ほど行きましたけどね。ところが一年後にはもう鳥取に帰ることになっていましたからね。で一年たってみたら、〈あぁやっと入り口に入ったかなあというような、仏像って奥が深いなあ〉と思いまして、実感しましてね、で今度は鳥取から京都へ通うようにしたんです。そうしたら先生がそれを見かねてね、一日で帰っていたのを「泊まっていけ」と言われて、「飯を食っていけ」と言われてね。行くと一週間は泊まり込んで、もう外弟子としてはもう破格な扱いを受けました。
 
 
ナレーター:  当時、仏像彫刻の第一人者だった松久朋琳の下で、山本さんが学んだのは、「儀軌(ぎき)」と呼ばれる仏の教えに基づく細かい規則にのっとった正統派の彫り方です。その一方で、鳥取から通う外弟子という自由な立場にあった山本さんは、「心の赴くままに彫る」ことも追究しました。
 

 
金光:  昔から伝統的な仏さんというのは、ちゃんと儀軌が決まってるわけでしょ?
 
山本:  そうなんです。だから二通り―私は外弟子で自由でしたからね。例えば帰る前なんかも、東から西まで県内を歩き回ったりして、見て歩いているうちに、鳥取民芸館で石のお地蔵さんを見て感動しましてね、こういうのを木彫りでしたらいいだろうなあという思いがあって。で先生に習うのとは別にですね―先生に習うのは、昔からの正統派の仏像ですから、それはまたそれなりにきちんとやりました。それと離れて、今度は自分の自由に民芸調の仏像といいますかね、円空、木喰は、もうそのころから意識してましたから、〈あ、こういう方法もあるんだ〉と思って、これなら別に特別師匠につかなくても自由にできるということで、そちらも始めて。でもやっぱり正式なやつも彫りたいから正式なものは京都で修業し、そうでない自由なやつは自分勝手に作ってたんですよね。
 
金光:  その自分勝手とおっしゃりながら、その基礎には円空さんとか木喰さんの仏像みたいなものがあるわけですね。
 
山本:  そうです。私はもう高校時代から民芸に興味がありまして、民芸家はもう木喰さん、木喰さんとね、非常に高く評価されていたのはもちろん知ってましたけど、もう一つ、もう対をなすように円空さんというのがありましてね。で円空さんが大好きでしてね。もうこういうのは説明しにくいんで、見ていいなと思うか思わんかですからね。でも円空さんを見ると、もうほれ込んでね。でもまねをして、そのとおりに彫るということは―まねは好きじゃないから―それで円空さんを感じながらも、自分なりの彫り方で彫ってきました。
 
金光:  そういうふうに円空さんなら円空さんは、こういう木を見て、こういう形で彫ったんだろうというふうに想像をなさる。それをまた山本竜門さんは、竜門流に解釈して、こうだろうと彫られていくわけですね。
 
山本:  初めは、真似ではないけど、影響は強かったですけどね。あっという間に、もう自分が出てきましてね、自分流のやつになりました。
金光:  やっぱりその時は、真似よりも、ご自分の、どうしてもこう自分にぴったりという感じのものが欲しいということになるわけですか?
 
山本:  というよりも、何か自然に本心の心の赴くままに彫りたかったんです。こっちがいいからこっちの真似しようというんじゃなくて、ともかく心の赴くままというんですか、その最初のそういう円空や木喰さんの長所はそれでいいんですけど、京都風の仏像の時にはね、基礎をもっときちんとやらなきゃいかんから、かなりもう先生に指導を受けました。
 
金光:  その場合は、きちんとその伝統的な技法というか、伝統的な仏像を彫らなきゃいけないということになると、自分なりの我流みたいなのはとても出せないわけですね。
 
山本:  駄目です、駄目です。
金光:  これは駄目。ここは拙いといちいち指摘を受けるということがあるわけでしょうけれども。
 
山本:  いや、もう先生の指導を受ける以前に自分で感じました。
 
金光:  ああ、なるほど。ただ、今お伺いしたのは、その円空さんの場合もですね、山本竜門流に彫られるという場合は、もう勝手に好きなことをやってもいい。それで満足ということにはならないんですか?
山本:  いや、もうそういうケースの場合は、自分の心の赴くまま。もう木が相手ですから。木というのは自然ですから、人工的なものじゃないから、全部一点一点素材が違うんです。すると、それに合うように彫るんです。
 
金光:  そうすると、自分とその木が持っている性質といいますか、その木に合った形をいかに彫り出すかという。
山本:  そうです。それでうまくその木の特徴が出てきた彫像とうまく合致すれば、あぁよくいったなぁと。だから、木に合わせて彫ってるんです。
 
金光:  大体話に聞きますと、仏像というのは、お釈迦さんが亡くなって、要するにあまりにももったいないから、そのままの姿を彫るなんていうことは畏れ多いということで、その象徴的なものを、あるいは足跡だけを彫ったりですね、そういう形がだんだん現在のような形になるのには、五百年ぐらい経っただろうと言われてるとか聞きますけれども、やっぱりそういう意味での畏れ多さといいますか、やっぱり儀軌だなというのは、そういうところもやっぱり中にはこもってるわけでございますか?
 
山本:  それで正式なといいますかね、正統派の仏像というのは、京都風の仏像というのは、元の原点を探っていきますと、朝鮮・中国から渡って来る。それをどんどん遡って、時代も遡っていきますと、アレキサンダーに関係してるんですよね。ギリシャから来るでしょう、インド北部まで。
 
金光:  そうですね。
 
山本:  その時にギリシャといえば、即ギリシャ彫刻ですよ。
 
金光:  そうですね。
 
山本:  その彫刻―すぐれた技術が入ったから、仏像が生まれたわけですからね。
 
金光:  あぁなるほど。
 
山本:  だからやっぱりどうしても実物に近いものを拝みたいという気持ちは、誰にでもあるんですよね。それでそういう流れはもちろん大事にしなきゃいかんし、それらからさっき言った円空、木喰さんのように、心の赴くままにね、そんなに儀軌にとらわれずに自分の感じにぴったり来るやつっていうんですかね、それも両方大事だって私は思ってますから両方やっています。
 
金光:  なるほど。やっぱりそうやっているうちにまあ年月もたつわけですが、長年そういうことで伝統的な儀軌のとおりに彫る彫り方と、それからやっぱりそれだけで満たされないものは、ご自分山本竜門流の円空・木喰仏に似たような世界も探究されてきたと。
 
山本:  ええ。だから大体歳を取ると、もう私ぐらいの歳になると、正統派の仏像というのはちょっと重荷になってきますね。目も悪くなったり、根気が続かなくなって。そうすると、だんだん円空・木喰調の方の―まあ「竜門仏」と言ってますけど、そちらが中心になってきましたね、最近は。
 
金光:  それでもともと仏像というのは、仏様自体が姿・形がない。こうだと思ってつかまえたら、それは人間の個人の頭の中のものになってしまうわけですから、そういう姿・形がない働きを、仏様の働きだということで、それがまあ法になったりする、仏になったりするわけですけれども、それを仏像の形に表すということは、しかも仏様というのはいっぱい―それはお薬師様もあれば、阿弥陀様もあれば、お釈迦さんもあれば、お地蔵さんもあれば、もういっぱいいろんな形の仏さんいらっしゃるわけですけれども、そういうさまざまな形の仏さんというのを、どういうふうに近づいていかれるんですか?
 
山本:  まあ正直言いますとね、如来様はちょっと私には荷が重いんですよね。それで菩薩様が人間の世界に降りてきて、みんなを引っ張ったり、後押ししたりしながら仏の世界へ導く。この特にお地蔵さんが私は好きでね。地獄に堕ちようと、畜生の世界に堕ちようと、ともかくその方に来て下さると。自分のところへいらっしゃい、いらっしゃいじゃなくてね。そういう立場のところまで降りてきて下さるというのが、これは非常にありがたいことだと思って。だから私が作るのは、お地蔵さんが多いんですけどね、竜門仏は。だからまあなるべく自分の心に、こうであると思って、理知的に考えるよりも感情のままに彫ってますね。
 
金光:  なるほど。まあ確かにお地蔵さんというのは、日本中いろんな形で、いろんな所に、まあ石の地蔵さんが多いわけですけれども、その好きなお地蔵さんを自由に彫られるということは、やっぱりいろんなところのお地蔵さんをご覧になったり、その中で自分はこういうお地蔵さんが彫りたいというのは、自然に湧いてくるわけですか?
 
山本:  ええ。意識してこう彫ろう、ああ彫ろうと思うんじゃなくて、あ、この木ならこの場所に顔を彫って、手を合掌を彫ってとか、そうパッと頭に浮かぶ。木を見てからですね。それで勝手に彫る。決まりにあまりとらわれずに好きなように彫ってます。
 
金光:  そうしますと、頭の中にお地蔵さんのイメージが湧くんじゃなくて、木との対話の中から。
 
山本:  そうなんです。木を見てから。
 
金光:  木の方から出てくるわけなんですね。
 
山本:  そうなんです。
 
金光:  そうすると、木が自分はこういう仏さんが中にいるんだよと、まあオーバーにいうと、そういうことを教えてくれるわけですか?
 
山本:  そうです。それで私がちょっとお手伝いをして。と言いますのは、朋琳先生に書いてもらった色紙にね、
 
私の知らない 私がいるよ
木の中にも 石の中にも
(松久朋琳)
 
というのがある。だから結局自分の中にあると思うんですよ。
 
金光:  あの有名な松久朋琳先生ですが、そういうやっぱりあの仏師の方も木や石の中にそういう仏さんがいらっしゃるというのを感じて、ああいうものを彫っていらっしゃるということなんですね。
 
山本:  ええ。だから常々よく言われました。「木の中には既にもう仏さんはおられるんだから、余分なものを取り除けばいいんだ」と、そうおっしゃってましたね。
 
金光:  なるほど。やっぱりそういうのは、ご自分でそのお地蔵さんを彫りたいとか、あるいはその他のお薬師さんとか、いろんな仏さんもおありだったと思いますけれども、そういうものをご覧になってきた竜門さんには、その言葉は非常にぴったりときて。
 
山本:  そうなんです。だからあんまり難しいんじゃなくて、一番親しみやすいのがお地蔵さんだったわけでね。他の仏さんも、もちろん彫りますけど、お地蔵さんが一番多いです。
 
金光:  ここにもお地蔵さんがあるんですか?
 
山本:  はい。ありますね。まああれが最初に作ったお地蔵さんなんですけれどもね。
 
金光:  あの真ん中の…。
 
山本:  ええ。先生につく前に。
 
金光:  じゃ松久朋琳先生にお会いになる前に、もうちゃんとお地蔵さんを彫っていらっしゃった。
 
山本:  そうなんです。先生についてから、こういう正式な正統派の仏像もきちんと学びました。
 
金光:  なるほど。こちらにはその正式なといいますか、その儀軌に従った仏さんが並んでいるわけですね。
 
山本:  そうなんです。
 
金光:  それにしても随分ございますね。
 
山本:  これみんな模刻―先生の作の模刻ですからね。
 
金光:  それは習作といいますか?
 
山本:  そうなんです。そっくりそのまま寸法を測りながら同じように彫るんです。先生の作品を。
 
金光:  それでその間に自分の技法の足りないところに気がついたりということになるわけですか?
 
山本:  もう初めからこれとこれとは違うんだという意識でね。ここがちょっと上手になったら彫れるとか、何とかじゃなくて、こういうものだってもう固定―初めから決まった観念で始めますからね。だから応用したりなんかということではなくて。
 
金光:  じゃなくて。
 
山本:  はい。全く別のものとして彫っています。
 
金光:  それじゃ、その先生がお作りになった仏像をご覧になった時には、既にこれはもう自分とは違う仏像だというふうな、そういうお気持ちでこう向かい合って彫られるわけですか?
 
山本:  ええ。だからもう素直にね、初めから一から学ぶんだという気持ちでね。自分のもうちょっとここを直そうとか、何とかっていうんじゃなくて。
 
金光:  もうそんなのがあったら邪魔になるかも分かりませんしね。
 
山本:  ええ。そうなんです。もう言われるとおりに、師匠が、白いものでも黒と言われたら黒だと思うぐらいに素直な気持ちでやりました。
 
金光:  一方ではそういう気持ちと同時に、やっぱりもう一つ、その自分と、それからその木との対話の中では、もうちょっと違う世界もある。違う仏さんもおいでじゃないかというふうな、そういうお気持ちも出てくるわけですか?
 
山本:  ありました。だからそれはもう別にこれとは切り離して、もう自由自在といいますかね、思うがままに彫っていました、そっちの方は。
 
金光:  これは、でもその姿・形―人間にしたってそれぞれ千差万別ですし、その仏さんもそうやって木から生まれてくる仏さんもやっぱり千差万別。
 
山本:  そうです。
 
金光:  これがいい、これが悪いと言えないところもあるわけですね。
 
山本:  それでね不思議に木を彫っていると、その人がこう出そうと思っても出なかったり、自然に出てきたりしましてね。で私が自分で客観的に見ますと、やっぱり偉い如来さんよりも、菩薩さんの方が気楽に自由に出てこられるような気がします。あんまり難しいのはちょっとやりません。
 
金光:  なるほど。こちらの方はそういう伝統的な仏さんが随分並んでいるようですけれども、こちら側が山本竜門流の円空仏・木喰仏的なものが並んでいるわけですか?
 
山本:  そうなんです。もう中央の二体以外はもう全てそうですね。私の思うままに誰からも強制されたり、願望されたりじゃなくて、自分が彫りたいように、その時々出会った木を彫ってきたものなんですね。
 
金光:  それでそういう場合に、自分が描きたいという仏様は、自分で予測できないわけですね。
 
山本:  ええ。そうです。木を見てからですから。こう思っておっても、現れないということもあるし、そうではないのを彫っていると、予想外にいいものができたりしますね。これは分かりません。
 
金光:  その場合に、そうやって彫って現れた仏様に対するこちらにも、いろんな方がお参りといいますか、拝観に見えるわけですけれども、そういうものをご覧になって、あっ、これはと思われるような人も中には出ていらっしゃいますでしょうね。
 
山本:  あります。だからこんなにたくさんあるのに、ほぼ全体で千体ほどありますけど、この仏さんって、この中から「これ」といって、こればかりを拝みに来る人もおられましたですね。これは一人一人やっぱり人間違うんですよね。
 
金光:  これまで来た中で印象に残っている方の例なんかを。
 
山本:  特にね印象に残っている人がですね―自分じゃなくて。これ持ってきます。何かこの仏さんばっかり拝みに来る人がいたんです。で「どうしたんですか?」って聞いたらね、「がんを宣告されまして」って。「えっ!」って。でもこの仏さんが好きで拝みに来ると。これをね…。それでこんなにたくさんある中で、これだけっていうのが不思議なんですよね。それでまあ何回か来て、そのうちに亡くなられましたけどね。いやぁそんなにこれが好きだったら、お名前を後ろに、こう書いてもらうと。そして「結縁仏(けちえんぶつ)」って、縁を結ぶ仏さんということでね。「じゃあここに置いておきますから、いつ来ても拝んで下さい」って言ったら、その方はこればっかり拝みに来られて。他にいっぱいすばらしい仏さんが、常識的に言えば。でも、それを無視してね、こればっかり拝みに来られる。そうしたら、その友達まで名前を書いてね。それこそ私の一番ありがたいと思うところで。仏像っていうのはやっぱり技術が優先します。すばらしい仏像だと、もう技術だけで圧倒されますからね。だけどこんなの技術そんなに要らんねんね。だけど「これがいい」と言うわけですね。それが人間の不思議さだなと思います。
 
金光:  もうちょっと見せて下さい―表の方を。
 
山本:  はい。これもお地蔵さんです、頭が丸いから。特別私が思い入れして彫ったわけじゃないです。偶然のように、この木が手に入ったから。他の木取りをして、これは根張りといって、根がパァッと広がる部分なんですけどね。そこを普通ならみんな捨てちゃうところです。だけどこれもそういう運命なのかなと思います。
 
金光:  だから、そういう意味では、これからも思うままにといいますか、いろんな新しい木に出会われると、そこでじゃあこの木には、こういう仏様がいいだろうというようなことで彫るということを続けていらっしゃるわけですね。
 
山本:  そうなんです。木を見てからですね。ここに顔を彫ってやれとかね、パッと思いつくんですよね。
 
金光:  そういうのは、しかしもう頭で前もって想像するわけにはいきませんもんね。
 
山本:  ええ。そういうもんじゃないんで木を見てから。だからこっちも、かかる方も、あらかじめああだこうだって考えるんじゃなくて、素直にあっこの木はこう彫ったらいいなあと思って彫るだけですね。それ以上のことはあまり考えていません。
 
金光:  やっぱり途中でですね、最初はどうもお地蔵さんにいいと思っていたけども、この木はちょっと違ってたなみたいな、そんなことはないわけですか?
 
山本:  ないです。というのは、僕の彫りは非常に単純ですからね。もう彫り始めたらもうそのままスッといってしまうんですよ。あれこれ考えてる暇はないですね。
 
金光:  これ一体どのぐらい―まあそのものにもよるでしょうが。
 
山本:  あぁそうなんですよ。早ければ一日に三つも四つも作りますし。
 
金光:  あ、そんなにできるもんですか?
 
山本:  一つを何日もかかる場合も。大きさにもよりますし、木の硬い軟らかいにもよりますしね、だから一概に言えないですね。
 
金光:  なるほど。じゃここで最も手間を時間をかけてお作りになった仏像というのは、どういうものでざいますか?
 
山本:  まあこっちの方です、当然ね。もうこれは膝の上の童子も本体も一本の木だと。一木造だということが特徴ですね。
 
金光:  すごく大きな木だったんですね。
 
山本:  ええ。だからね、材料代も自分持ちですからね。日本の木でこんな大きな木は買えません。というのは、背中合わせにもう一体彫れる。真ん中を、芯を中心に半分に割って、その半分で彫るんですからね。この倍の大きさの木です。それで仏師はやっぱりきれいに早く作りたいですからね。もしこういうものを作ろうとしたら、別に作った童子を膝の上にのせるんです。そうすれば早くてきれいにできる。でも私は一本の木で作ったろうって。何かその時にそう思ったんですよね。これは何かこう親子のようなイメージでね、切り離しちゃいけないと思って彫った。だからこの辺は注文じゃないから、自分の作りたいように作ってる。
 
金光:  じゃどのぐらいかかってお作りになったんですか?
 
山本:  半年ぐらいはかかりましたかなあ。そのかわり八時間労働というわけではないですから、朝早くから夜遅くまで、一人の時ですからね。ですから単純に何日何時間とは言えないですよね。
 
金光:  だからぶっ続けでずーっと夜遅くまでおやりになることもあれば。
 
山本:  ええ。あるんです。もうお風呂に入るとね、クラクラしてバシャッとお湯につかってボォッと。そんな生活をやってましたよ。
 
金光:  それでいわばもうこれでそこまでいくと、じゃ一休みしようかということで、また続けて彫ろうと。
 
山本:  やっぱりね切りっていうのがありますからね。切りになるまでは続けると。切りがきて、あ、ここまでという具合に何となく分かるんです。
 
金光:  そういうその時のリズムといいますか。
 
山本:  ええ。流れがありまして。
 
金光:  流れに従ってやると。
 
山本:  でないと続きませんからね。
 
金光:  なるほど。
 
山本:  二晩三晩徹夜したってできるもんじゃないですからね。
 
金光:  それはまあそうでしょうね。なるほど。でその間完成するまでは、そういうイメージを大事にしながら続けてお彫りになると。
 
山本:  ええ。もう始めましたらね、もう一直線ですから、考えなくてもね、次はこうだ、次はこうだ、と自然に湧いてきますね。
 
金光:  なるほど。そういうのは、次が湧くということは、もう頭の中といいますか、体の中にもうちゃんときちんとしたものがあるわけですね。これはちょっとここのところが曖昧だなんていうわけにはいかないわけですね。
 
山本:  そうです。だからもう全てがいわゆる計算をした部分と、どの程度初めに思っていた進捗状況といいますかね、それが大体分かるようになりましたね。初めてやった頃には、いつこんなんできるんだろうというような感じでしたけど。
 
金光:  そんなこともあったわけですか、最初は。
 
山本:  ええ。でも、今日はここまで。あしたはここまで。そうすると、大体いつごろほぼ仕上がるだろうというのは、自然に計算できますから。
 
金光:  なるほど。そういうのはやっぱりもう経験が教えてくれるわけですね。
 
山本:  もう経験ですよ。あぁいい経験させてもらいました。
 
金光:  で、やっぱり途中にある時期非常にこうたくさん次から次にこう作りたいという希望が湧く時もあれば、ちょっと休もうかなという時もあるわけですか?
 
山本:  いや大体ペースがあって、これはいつごろ終わるっていうんでね、その終わり頃になるまで、他の方に目いきませんからね。いったとしても、こういう具合にちょこちょこっとできるものを間にすることはありますよ。
 
金光:  でも、もうここらでお休みだということはないわけですね。
 
山本:  はい。もう流れ、自然の流れをどうつかむかですよね。それとなく自然に分かるようになるもんですね。あ、この辺まで。次はここからっていう感じで、何となく分かるんです。
 
金光:  例えば作家なんかですとね、大体出てくる、湧いてくる思想が、もうもう出なくなったみたいなことも、時々人によってはあるみたいですけれども。
 
山本:  それはですね。例えば私がこの正統派の仏像と我流の竜門仏と両方やって、ちょっと行き詰まったなと思ったら、こっちの方に取っておこうという感じで、それでこっちをやってたら、今度はそろそろこっちをやろうなんていう感じで、自然に交代っていうふうにうまい具合にいったんです。
 
金光:  なるほど。それでそういうふうに両方をうまい具合に生かしながら仏様を彫り続けていらっしゃるわけですけれども、こういう一応その「集仏庵」というものができますと、これまたこの辺で一休みみたいなことじゃなくて、今度はやっぱり中にお飾りする仏様の足りない、ここに足りないといいますか、もうちょっと欲しいものがまた出てくるわけですか?
 
山本:  いや、もうこれで一応完成したと思っています。若い時から、正直言いますと、全財産つぎ込んでますからね、老後の心配をしなきゃいかんから。だから今でも働かなきゃ食ってけないという状態が、今でも続いております。
 
金光:  あぁそういうことなんですか。本当にこう自分の生きた証しみたいなものがここに集結して集まっていると。
 
山本:  はい。だからまあ自分で言うのもおかしいんですけど、多分これだけ仏像を彫った人―まあ昔の円空さんなんかなら別にしまして、正統派も含めて両方でやってます。これだけ彫った人間はいないんじゃないかとひそかに思ってますね。
 

 
金光:  ところで、仏様の話とは直接関係がないだろうと思うんですけれども、伺いますと竜門さんは、昔詩集を出していらっしゃるんですね。
 
山本:  はい。
 
金光:  これまたどういういきさつで詩ができたんですか?
 
山本:  私は大体美術系の人間じゃなくて、文系の人間ですのでね。向こうに行っても、暇な時は本ばっかり読んでるような、
 
金光:  向こうというのは?
 
山本:  上丹生で。
 
金光:  米原の上丹生の方で。
 
山本:  ええ。そういう青年でしてね。それである時、そのころは詩とか短歌とか俳句とか、まあ別にこれというのではなく、思いつくままに書き込んでノートにね。でたまたま何でか分からないんですが、滋賀県文学祭というのがありまして、詩の部というところに応募したんですよね。そうしたら、それが入選しまして、「出て来い出て来い」と言われますから行ってみて、そうしたらその審査員の方が、私に向かって「近江詩人会というのがあるから、入れ入れ」と勧められましてね。詩人なんて自分は彫刻師だと思ってたけど、その方の熱意にほだされて、「まあ一回だけ顔を出します」と言って行ってみたらね、合評会ですね。みんな会員が自分の詩を発表してはみんなで批評すると。そこで行って出席して聞いてますと、詩というのは訳が分からんですよね。ものすごく飛躍して、あっちへいったりこっちへいったりしますから。だけどね、みんながまあ好き勝手なことを言ってるわいと思って、まあ入るつもりなかったのに、一編一編ね最後の締めをする人がいましてね、この人が話し出すともうまあ快刀乱麻を断つとか、目から鱗が落ちるというようなね、よく分かるんですよね。いやぁすごい人がいるもんだなあと思いましてね。でもう詩なんかどうでもいいから、この人の話を聞くためにこの会に入ろうと決心しましてね、で会に入ったんです。入ると今度は聞くだけでは駄目で、作品出さんといかんですからね。
 
金光:  それはそうでしょうね。
 
山本:  すると、その詩人・大野新(だいのしん)(昭和後期-平成時代の詩人。昭和3年朝鮮全羅北道生まれ。結核で昭和24年から30年まで療養所生活をおくり、27年京大を中退。回復後、詩誌「ノッポとチビ」を主宰し、石原吉郎、天野忠らと交流。53年人生のくらい歪みのなかに言葉の硬質な輝きを見つけるような詩集「家」でH氏賞:1928-2010)というんですけれどね、この方が私の詩についてどう言ってくれるかなっていうのが最大の関心で。でいつもですと、最初は無我夢中ですから、先生の大野さんも何かちょっと首をひねっておられたんですけどね。半年ほどしたらちょっと褒められたんですよ。
 
金光:  例えばどういうことを褒められたんですか?
 
山本:  何か具体的にどう言うかなぁ―よく教えられたのは、「言葉にとらわれずに、言葉の中から湧いてくるような意味を伝えんといかん」というようなことですね。それでそうしたら、次からは出す詩が結構高く評価されましてね、大野さんに。そしてそのまま二年半か三年ぐらいそういう状態が続いて、私は鳥取に帰るということで大野さんに「帰ります」と言ったら、「詩はどうする」って言われましてね。私、詩なんてっていう言い方はおかしいですけど。「プリント版に刷って会員の皆さんに渡して帰ります」と言ったら、大野さんが「もったいないから詩集を出せ」と言われて。「自分が編集制作やるから、あんたは紙代と印刷代だけ用意しておきなさい」って言われましてね。自分が詩人なんて思ったことないですからね。ただ大野さんに何か言ってもらいたいために詩を書いていただけで。だからと思いましたけど、大野さんがそう言われるから、じゃあと原稿を預けて、帰る時に骨とう品の壺を売ったお金をためておいて、それをその詩集代に、印刷代に用意して帰ったんですけどね。それでまあその八月に帰って十二月にその詩集が出たんですけど。そうしたらまあえらい評判になりまして、当時としては。もうみんな忘れてしまってるけど、あのころはね…。
 
金光:  何という詩集だったんですか?
 
山本:  「上丹生」というやっぱり私が行った村の名前です。
 
ナレーター:  詩集『上丹生』は、詩の愛好家のものとしては、異例の一千部が出版されました。
 
「寒い朝」
めっきり冷たくなった水で
顔を洗う
 
くるりと返した手で
明日を押しやり
真白なタオルで
今日をひきよせる
 
あたたかいふとんのぬくもりが
音を立てて排水孔に消える
 
眠っていた時間が
タオルに薄い汚れを残す
 
金光:  お話を伺っていますと、詩というのは言葉によってある世界を表現しようとする。それで仏さんの場合はね、殊に竜門さんの場合は、木によってその無形の仏さんの働きを象徴しようとする。いわば、そのものが目的ではなくて、言葉が目的ではないし、木が目的ではないけれども、結果的にはその奥にある働きみたいなものをこう表現しようという。そこではもう詩と彫刻とが共通した世界から生まれてるのかなと思いながら、今伺いましたが。
 
山本:  そうです。もう木にしろ、言葉にしろ、それは素材であって、じゃその素材と素材を組み合わせたから詩ができるというものではなくて、何か外すようなものが言葉にのせられることによって詩になるんだというような、そういうことに目を開かせられて。やっぱり僕はその時もう既にやっていましたから、木を生かすという方法で。あ、中から出てくる方が大事なんだということをね。そういう素材が良いから悪いからって言ってるのは本物じゃないんだろうと。その辺は似てるかなぁ。
 
金光:  目を開かれたと、さっきおっしゃいましたけれども、それはやっぱり言葉だけが目的ではないという世界があるんだ、ということを教えられたということなんですね。
 
山本:  はい。そうです。だからきれいな詩的な言葉を積み重ねたから詩になるわけじゃないんですよね。心がいかに思っているか、感じているか、ということが正直に表現できる言葉を探さんといかんですよね。
 
金光:  ただそういう言葉を探すのには、その熟練度が要るし、それから仏さんの場合も、やっぱり木彫りのノミの確かさみたいなものがないと表現できないということもあるわけですね。
 
山本:  そうです。一番元は、本人の感覚といいますかね、そういうもんじゃないかなと思いますね。
 
金光:  やっぱり伝統的な昔のその有名無名な方の仏像がいっぱい残ってますけれども、そういうものをご覧になっても、やっぱりこの作品はっていうものお感じになるわけですね。
 
山本:  あります。だから国宝でも重文でも全国にいっぱいありますけどね、当然こちらはあの仏さんが一番好きだとかって、それは技術ではないんです。技術だけならね、今の方がむしろ計測器もあり計ることができますし、彫刻刀なんかもいろんな種類のものができてます。できるはずなのに、昔のすばらしい仏像がないんですよ、今は。これはもう人間が違うのかなあと思いますよ。
 
金光:  やっぱりそうお感じになりますか。
 
山本:  ええ。
 
金光:  やっぱりそういうのは、現代の人が、昔のものを見て感じる感じ方も当然変わってきてるということかもしれませんね。
 
山本:  だから昔の人は、何か人間の一部を強調するんじゃなくて、全人格みたいなものがあって、今は一部分部分を表現するんで。で「上手い、下手だ」って言ってますけど、そんなもんじゃないと思っています。
 
金光:  やっぱり今は分けて考える癖が、学校の教育自体からですね、AかBかCかというふうに分けて、Aは正しく、Bは駄目だとか、そういう分ける考え方が非常にこう促進されるというか、育てられるような時代だから。
 
山本:  それはやっぱり効率を考えるからでしょうね。効率がいいとか悪いとか。そんなもんじゃないんで、ゆっくり育つものはゆっくり育たんといかんし、そうやって豊満になるといいますかね、今は近道、近道って、細く長くなっちゃってるような感じがします。だから仏像でもね、やっぱり技術的にはすぐれてるけど、技術ばっかりが目についてね、その内容みたいなものがあんまり感じないというのも結構たくさんあります。でも技術がないと表現できませんから、そこが難しいところですよね。
 
金光:  だからそこのところを、自分が持ってるイメージ―気持ちといいますか、そういうものをいかに上手にものを通して表現するか。それにはやっぱり熟練も要るだろうし、いろんな勉強も要るだろうし、ということになるわけでしょうね。
 
山本:  だからストレートにやっていいわけでもなくて。で奥に隠しとったら人は分かりませんからね。その内容を本当に感じられるようなものを、そういうものが大事なのかなあと思っています。
 
金光:  そういうところで、伝統的なものの確かさみたいなものも、一方の足では踏まえながら、もう一方の足では、もうちょっと自由な世界の方にというところで、いろんな展開が出てくるということですか?
 
山本:  ええ。だからそれぞれ人には、役割がありましてね。私はそういうのをきちんと守るタイプではなくて、何か面白い…。だから能でも、歌舞伎でも、昔ながらをきちんと守る部分で伝わっていますし、かといって空を飛んだり、時代に合わせるやり方もあって、両方要るんじゃないでしょうかね。
 
金光:  ここは「集仏庵」というのは、いろんな仏様やいろんな菩薩さんとかいっぱいあるわけですけれども、一方町の中には竜門さんのお作りになったものがありますね。
 
山本:  福の神をね。あれは町おこしのためにやっています。
 
金光:  でもそれはいろんな形の仏像というか、お像があるようですね。
山本:  それはねもうこの倉吉を発展させるためには、どうするかっていうと、やっぱり観光ですからね。他に何というものがないから。そうすると、じゃあ何をするのって聞かれて。で何か幸せを呼ぶものは、みんな福の神だと。そういうふうに広げればね、いろんな像が生まれますよね。そういう具合にして提案したんですけどね。そうしたら、まあ町おこしの会ができて、それで私の作ったものを町じゅうに広げてくれた。そうしたら市とか国とか県とか、助成金というか、補助金といいますか、出ましてね、実際に出てくると。それで倉吉は、福の神という具合になりつつあるんですが、もう一押ししなきゃいけないなと、私は思っています。
 
金光:  それから布袋さんなんかもね、中国の人は随分布袋さんを大事にされるようですけれども、随分見事な布袋さんもあるようですし。
 
山本:  あれは焼杉彫刻の技法が私に伝わってる。要するに滋賀県から技術移転ですよ、早い話倉吉にね。
 
金光:  あれは随分大きな木だと、もとは。
 
山本:  あれは多分江戸時代ぐらいから生えて。植林した木では、あんなとても採れません。で木が出た時に、それを切る業者の方と私の友達が親戚でしてね、「今、あそこで木を切ってるぞ」って、「大きな木だぞ」というので、「じゃあ」といって車に乗せてもらって行ったら、大きな木のところが残って、その上のまっすぐなところだけ業者が持って行って、「あぁあれを切ってくれ」って言って、それでそれを運んでもらって、あれを彫ったんです。本当は山で腐っちゃうところだった、そのまま置いておけば。で焼杉を生かしてるんです、私なりに。もうみんなやめちゃいましたけどね。
 
金光:  そうすると、そういう地方に伝わってきた焼杉の技法なんかも、これはまあそれはそれで捨てたもんではないと。
 
山本:  はい。だからアメリカに輸出してた時には、非常に盛んにみんな何十人も作ってましたけれどね。経済状態が変わってくると売れなくなりましたんで、アメリカで。それでみんなやめちゃったから、僕は一点制作に切り替えてね、ああいういろんな面白いものを作ってるんですよ。これもこういう見本を残しておけばね。あれは技術的にはあまり難しくないんです。要するにデザインが難しいんですよ。年輪をどうするかということで。だから見本さえ作っておけば、後世の人が、あっあっあっと自然に学んで、じゃ俺はこうやって、やるってやってくれる人が出てくるかもしれないと思って、あれをたくさん作ってるんです。
 
金光:  じゃイメージとしてはですね、文学でいうと、純文学的な方向としては、そういう伝統的な仏像で儀軌に従った仏像。あるいは多少外れても円空仏みたいなもの。これはどっちかっていうと純文学の方で。福の神の方は、大衆文芸の方だとおっしゃってますけれども、竜門さんの場合は、両方両建てで彫刻をなさるということなんですね。
 
山本:  そうですね。あんまりこうであるべきって、教条主義的にこうだっていうんじゃなくて、今はこれだ、今はこれだと自然に感じるんですよ、自分で。
 
金光:  だからそういう意味じゃ、まあ下手なとらわれはないと。
 
山本:  あ、そうですね。割に。その辺までいくと、ちょっと宗教的な感じで。例えば禅宗とか、何とかのように、こうだって決めるんじゃなくて、自由さといいますかね、それが実際に生かされてるんじゃないかと、今気がついた。
 
金光:  でも本当に禅の場合は、あれ窮屈に、最初はしごかれるようですけれども、本当は自由な世界に出るための、それまでの枠を取り外すための訓練が厳しいわけで…。
 
山本:  だから先入観を取るのが、ある一時期の禅宗の主要目的だったもんで、私ももうこうだと決めつけるんじゃなくて、自由な心で作ってます。これも作ったり、焼杉も作ったり、いろいろやっておりますからね。その辺は自由になっちゃったのかもしれませんね。でもまあそれを生かされたのも、みんなご縁の力です。詩人の大野さんに出会ったり、朋琳先生に出会ったり。
 
金光:  いろんな縁でいろんな生涯が送れたということ。
 
山本:  そうです。自分の力だけではないと、それは信じて思っております。もう縁の力で。だから、ここだって、全部私の友達が土地建物一人で寄付してくれましたしね。だからそういうことが現実に起こるんですよ。普段なら考えられませんよ。
 
金光:  それは棚からぼた餅かと、ラッキーだと思うぐらいなことですけど。
 
山本:  仏さんの力ですね。
 
金光:  この間、鳥取県の中部地震というのが、結構鳥取も地震で、だいぶニュースなんかで拝見したんですが、まあ今も屋根の上にブルーシートをつけてるお宅が結構あるわけですが。まあ思い起こしますと、あれ五年前ですか、山本さんは、東日本の大災害の時には、仏像自体を贈られたんですね。
 
山本:  そうです。
 
金光:  その時はどういうふうにお感じになって、何をなさったんですか?
 
山本:  まず向こうの震災の様子をテレビで見ましてね、もう瓦礫(がれき)の山でしたから。でちょうど瓦礫になるべき物を、光背にした仏さんがありましたからね。仕事場に守り本尊みたいなので大事にするんですけど。よし! これを贈って、瓦礫を光背にするような仏さんもあるんだよ、ということを伝えようと思ったら、私の知り合いが、「私たちでグループでね贈ります」と言って、お寺巡りをしながら、この寺に一か月、この寺に二か月と、三年かかりましてね。去年福島県に着きましてね。で去年私、三年で着いたからって、開眼供養に呼ばれたんですよね。その時に行きまして、手ぶらでは行けませんから、脇侍を一つお地蔵さんを持って行って、それは静かにほほ笑んでる像だったんです。だけど行ってみましてね、現地に。でお寺にいっぱいの人が来ました。で見てますとね、やっぱりあぁこれはほほ笑んでるだけじゃ駄目だ。もっと笑い顔が増えなきゃ駄目だというのを思って、で今年その反対側の脇侍を贈ったんです。思いっ切り笑ったやつをね。それで笑いを取り戻してもらおうと思ってたら、今度はこの倉吉が地震がありましてね。それでまあここは被害はそれほどなかったんですけど、これからは笑顔を一番簡単な倉吉福神をどんどん作っていって、町じゅうに増やして。で倉吉を福の神の町にしようというスローガンを掲げるだけではなくて、私の笑顔の仏は、どこの家にもあるというぐらいに既成事実として、実際もう倉吉は福の神の町だぞというぐらいな既成事実を作ろうと、これから、そう思っています。だから、ひたすらね、難しいことはもう歳がいってできませんので、簡単で笑顔を強調したものをどんどん作っていこうと思って。そして町じゅうに増やそうと。そういうのが今の計画なんですけどね。
 
金光:  まあ根気の要る仕事でありましょうし、今度は技法は簡単にしても、そういう仕事としてはやっぱり長く続けていかれることになるだろうと思いますので、どうぞお体に気をつけられましてお続け下さいますように。ありがとうございました。
 
山本:  どうもありがとうございました。
 

山本:  何か私自身は刃物をよく研いで素材に向かって、スパッとサラサラとその気持ちのいいことが、私の木彫りの原点ですね。だから、すごい傑作を作ろうとかって、そうは思わない。ともかく木を削ると楽しいという子供のような心境でそのまま大人になってしまった。だから、今でも一日削っておっても、形にならなくても、楽しいような気持ちは、今でも残っていますね。
 
     これは、平成二十九年三月五日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである