宮沢賢治はるかな愛―春と修羅≠謔閨\
 
                    詩 人 吉 増(よします)  剛 造(ごうぞう)
1939年、東京府下(現杉並区)阿佐ヶ谷に生まれ、福生市に育つ。1957年、慶應義塾大学文学部国文科入学。「三田詩人」に参加。1961年、会田千衣子、岡田隆彦、井上輝夫、鈴木伸治とともに詩誌「ドラムカン」を創刊。1963年、大学卒業。国際情報社に就職するも半年で退社。1964年、三彩社に入社し美術雑誌「三彩」編集部に入る。詩誌「エスプリ」編集委員。処女詩集『出発』を刊行。1968年、三彩社を退社。1970年、詩集『黄金詩篇』により高見順賞受賞。1979年、詩集『熱風 a thousand steps』により第17回藤村記念歴程賞受賞。1984年、詩集『オシリス、石ノ神』により第2回現代詩花椿賞受賞。1987年、城西女子短期大学客員教授就任。1990年、詩集『螺旋歌』により第5回詩歌文学館賞受賞。1992年、サンパウロ大学客員教授就任(?1994)。1998年、『「雪の島」あるいは「エミリーの幽霊」』により第49回芸術選奨文部大臣賞受賞。
 
宮沢賢治の故郷。岩手県花巻市。吉増剛造、七十八歳。日本を代表する詩人。処女詩集「出発」から半世紀。東日本大震災後に代表作「怪物君」を発表。一貫して、ひとの心に向きあい、傷や痛みを言葉にしてきた。宮沢賢治(明治二十九年―昭和八年)、三十七歳の若さで逝った天才詩人。自らの詩を「心象スケッチ」と名づけ、心の奥の「ほんとうのこと」を言葉に残す。
 

ナレーター:  東京にも春はやって来ます。宮沢賢治を追うこころの旅を詩人吉増剛造さんが始めます。
 
吉増:  この二階が私の仕事場です。どうぞ。
 

 
吉増:  僕は、今こないだの二月二十二日で七十八歳になっちゃったけども、この八十年近い人生を振り返って、戦争が終わった年の国民学校一年生で、毎朝「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」を斉唱することから小学校のクラスが始まったのね。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」というのが、時代の空気とともに一緒に体にしみついてしまっていて。だから宮沢賢治のあの顔を見ると、その戦争と戦後の、こうどうしてか分からないように荒れた心の状態がよみがえってきて、実を言うと僕は生涯宮沢賢治は、そういう意味では、苦手というよりもむしろ自分の心の底の暗黒部を象徴するような存在だったの。
 

 
ナレーター:  敗戦後の暗い記憶とともにあった宮沢賢治に、吉増さんが向き合うことにしたのは、賢治の処女詩集に強く惹かれたからです。心象スケッチ『春と修羅(しゆら)』。大正十一年、二十五歳の賢治は、突然ほとばしるように詩を書き始めます。二年をかけてつづった六十九編の詩に刻まれたこころの奥の「ほんとうのこと」。そこに賢治のこころの傷口が見えると吉増さんは言うのです。
 

 
吉増:  今度ご一緒して賢治さんに取り組んだら、もしかしたら賢治さんの全集で書いたものばっかりじゃなくて、削除したり、秘密にしてたようなことを探っていきながら、賢治さんの心の底の傷みたいなものに触っていくようなことを、命があればできなくはないね。
 

 
ナレーター:  賢治のこころの叫びを強く表した詩が『春と修羅』です。
 
吉増: 
「春と修羅」(mental sketch modified)
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
(正午の管楽(くわんがく)よりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
 
こう絡まるんだな。これは相当深く強い声だな。
 

 
ナレーター:  えぐるように激しく葛藤する自分の「こころ」を賢治は「修羅」と呼びました。それは愛する妹トシを僅か二十四歳で亡くした深い喪失感。結核に侵され、病熱に苦しむ妹を、何もできずにただ見送るしかなかった。「こころ」の底にあいた暗く大きな「やみ」。賢治は声にならない慟哭をして、妹の面影を生涯追い続けたとも言われます。そして、賢治の「こころ」の世界は、生きている者も亡くなった者も共にある名作『銀河鉄道の夜』の壮大な宇宙へと到達したのです。なぜ賢治はその高みへと達したのか。実は賢治にはトシの他に、もう一つ大切な物語が秘められていると吉増さんは思い始めていました。
 

 
吉増:  はじめまして。吉増剛造という者です。今日お話を伺うのを楽しみにして来ました。
 
ナレーター:  岩手在住の絵本作家・エッセイスト、澤口たまみ(岩手県盛岡市生まれ。1982年、岩手大学農学部卒業。専攻は応用昆虫学。1983-87年、岩手県立博物館展示解説員。1987年、岩手大学農学部大学院入学、1989、年修士課程修了。1985年頃から自然をテーマにした文章を書いたり児童を対象にした自然観察会を開いたりするようになる。1990年『虫のつぶやき聞こえたよ』で日本エッセイストクラブ賞受賞:1960-)さんです。
 
澤口: よろしくお願いいたします。
 
ナレーター:  ここは大正十一年賢治がトシを看病していた花巻の家です。賢治は当時二十五歳。稗貫(ひえぬき)農学校の教師として働き始め、青春のただ中にいました。
 
吉増:  座敷わらし(主に岩手県に伝えられる精霊的な存在。座敷または蔵に住む神と言われ、家人に悪戯を働く、見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらすなどの伝承がある)みたいにいるかな。
 
澤口: はい。多分もう来てるんじゃないかと。
 

 
ナレーター:  澤口さんは、過去の研究を読み込み、取材を進める中で、賢治にはトシの他に思いを寄せる女性がいたと確信しました。澤口さんは、この本『愛のうた』で、これまで九十年間秘められてきた「恋人」の存在に光を当て、人間・賢治に迫ったのです。
 

 
吉増:  澤口たまみさんのお書きになった『愛のうた』。どうも賢治さんの心の底に恋人の姿が何かかわいらしい白い菩薩のようにして、ちょっとうつむいていそうだという感じを読ませてもらって頂いて。賢治さんの思いの人が―恋人と言っていいのかな、思い人と言ったらいいのかな―がここにいたかもしれない。そういう…まあ賢治さんはとても大事に秘められたんだと思いますけれども。いろんなことをお聞きしてみたい。やっぱり女性の面影が深く詩人の底に沈んでるというのは、これはもうとても大切なことですからね。
澤口: 『春と修羅』の中に賢治さんの恋心が隠されていると、そう思いながら読んでいて。中でも一番「春光呪詛(しゆんこうじゆそ)」というところに、女性の姿・かたちが形容されていて。「髪が黒くて長く、瞳の茶色、頬は薄赤く…」など書いてあった。そしてそのおしまいの方に「しんと口をつぐむただそれだけのことだ」と書いてあるんですね。かすりの着物がよく似合う女性だなぁと思いまして。恐らくこの方に賢治さんが、すてきだなと恋しい思いを持っていたことは間違いないだろうと。
 
吉増:  女性の恋心から賢治を見るというのは、これは新しい視線だな。
 

吉増剛造は、詩集『春と修羅』に賢治の恋する心を探りはじめた。詩「春と修羅」の前と後に恋愛の詩が二つあった。
 

 
吉増: 
「恋と病熱」
けふはぼくのたましひは疾み
(からす)さへ正視ができない
あいつはちやうどいまごろから
つめたい青銅(ブロンヅ)の病室で
透明薔薇(ばら)の火に燃される
ほんたうに けれども妹よ
けふはぼくもあんまりひどいから
やなぎの花もとらない
(一九二二、三、二〇)
 
「けふはぼくのたましひは疾み。烏さへ正視ができない」うんこれは分かるな。「烏さへ正視ができない」。「あいつはちょうどいまごろから」病気のトシか。「つめたい青銅の病室で透明薔薇の火に燃される」。すごい行だね。「ほんたうにけれども妹よ」この「ほんたうに」というのは逆にとれるな。「ほんたうに」と言ってるけれども、実は「ほんたうに」と言うけれども、「けれども妹よ」とも言ってるな。「けふはぼくもあんまりひどいから、やなぎの花もとらない」。これは、日付が、一九二二年三月二十日。これは既にトシのすぐそばにいる恋人の存在を思い浮かべながら読むから、トシに呼びかけていると同時に、トシにこっそり嘘を言っている。それが「ほんたうに」という言葉に表れてきている感じがするな。そうすると、二人のかわいらしい菩薩のような顔が、この「透明薔薇の火」の中に映ってくるね。少し嘘言ってるよという感じかな。
 
一九二二年四月十日―二日後かぁ。『春と修羅』の二日後。「春光呪詛」なんというタイトルだい…。
「春光呪詛」
いったいそいつはなんのざまだ
どういふことかわかってゐるか
髪がくろくてながく
しんとくちをつぐむ
ただそれっきりのことだ
  春は草穂に呆ほうけ
  うつくしさは消えるぞ
    (ここは蒼ぐろくてがらんとしたもんだ)
頬がうすあかく瞳の茶いろ
ただそれっきりのことだ
       (おおこのにがさ青さつめたさ)
(一九二二、四、一○)
 
「いつたいそいつはなんのざまだ、どういふことかわかつてゐるか」とんでもない声が聞こえるな。「髪がくろくてながく、しんとくちをつぐむ」これ恐らくそっと会ってた恋人の姿がきちっと出てきてるとこだろうなぁ。「頬がうすあかく瞳の茶いろ」これは多分恋人だなぁ。「ただそれっきりのことだ」ここが賢治だなぁ…。でもこんな心の底の呪詛の強さと、それに対して自分が向かい合っている恋人のかわいらしさの位置のはっきりしていること。ひょっとすると、「いったいそいつはなんのざまだぁ、どういうことかわかっているか」って、こんな強い呪詛の声が、賢治の心の一番底にある正しい普遍性と恋の感情とともに共存している。どうやらこれが「ほんとうのこと」に近いな。
 

詩人吉増剛造が読む、賢治の心の奥の「ほんとうのこと」は・・・法華経を信仰し、「みんなの幸い」を願う賢治。病熱に苦しむ妹への思い。けれども、激しい恋に落ち、賢治の心は引き裂かれていた。「瞳の茶いろ」の相手の女性は、遺族の証言によると、賢治の四歳下で、彼女は花城小学校の代用教員だった。
 

 
吉増:  一九二二年六月四日。大正十一年六月四日。「霧とマッチ」。何かミスマッチみたいだな。何かこれも不思議なペア感覚があるな。
 
「霧とマッチ」
(まちはずれのひのきと青いポプラ)
霧のなかからにはかにあかく燃えたのは
しゅっと擦られたマッチだけれども
ずいぶん擴大されてゐる
スヰヂッシ安全マッチだけれども
よほど酸素が多いのだ
(明方の霧のなかの電燈は
まめいろで匂もいゝし
小学校長をたかぶって散歩することは
まことにつつましく見える)
 
「ずいぶん拡大されてゐる」これがギュッとレンズが開くとこだな。レンズがギュッと厚くなるところ。括弧に入って…。(明方の霧のなかの電燈は、まめいろで匂もいゝし、小学校長をたかぶって散歩することは、まことにつつましく見える)。この括弧の中は、恐らく大正十一年の恋人の小さな姿と重なってるな。
 

農学校教師の賢治と小学校代用教員の恋人。霧の明け方の逢いびき。賢治が戯れに「校長」の真似をしたようだ。しかし、ふたりの恋は秘められねばならなかった。
 

 
吉増:  この大正十一年の恋人の姿は、実に静かでかわいらしくて、慎ましくて、そっとたたずんでいる姿に見えるね。声の細さ、小ささが少しその秘密を隠そうとするような秘密の心を表してるね。間違いないね。
 

 
吉増:  その当時の方にとっては、とても語りにくいことだったでしょうけれども、決して名前を出さないようにという、胸に刻むようにして賢治さんが思われたことの背景には、今はもう遠いことになってしまいましたけども、昔の戦前の、特に若い方にとって、死の病であった胸を病むということがあった。トシもそうだったでしょう。賢治さんもあれだし。体の奥底からの、しかも恋人―若い女の人に対する配慮というのも、その病気とともにあったんでしょうかね。
 
澤口: それもあったというふうに私自身は考えております。賢治さんが、結婚はできないというふうに、非常に早いうちから自分に言っていて、言い聞かせるように言っていて、その理由はやはり病のことがあったであろうというふうに思いますし、そのトシについては、とてもたくさん名前も書いておりまして、賢治さんはまあその恋人の将来のことを考えて、決してその名を記してはならないと、自分に言い聞かせていたと思います。そしてトシは妹なので、いくら「トシ、トシ」と書いてもかまわない。
 
吉増:  ああそうか。
 
澤口: その「トシ」と書く時に、割合多くの詩に「二羽の鳥」とか、「二つの声」。
 
吉増:  なるほど。
 
澤口: 「その中に、私は確かに二つの声を聞いた」。トシ一人であれば「二羽の鳥」であったり、「二つの声」であったりする必要はないのに、そこにその時恋をしていたということを考えると、トシさんともう一人いたんだという意味の「二羽の鳥」であり「二つの声」ではないのかなというふうに思いまして。トシさんへの思いと、常にこう一緒に出てくる感じはありますね。
 
大正十一年十一月二十七日、妹トシ、二十四歳で永眠。
 

 
ナレーター:  トシを失った悲しみの日の「永訣の朝」。同じ日書き残されているのが「松の針」です。そこにあるのは、賢治の宗教への思いと二人の女性の影でした。
 
吉増: 
「松の針」
  さっきのみぞれをとってきた
  あのきれいな松のえだだよ
おお おまへはまるでとびつくやうに
そのみどりの葉にあつい頬をあてる
そんな植物性の青い針のなかに
はげしく頬を刺させることは
むさぼるやうにさへすることは
どんなにわたくしたちをおどろかすことか
そんなにまでもおまへは林へ行きたかったのだ
おまへがあんなにねつに燃され
あせやいたみでもだえてゐるとき
わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり
ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた
   《ああいい さっぱりした
    まるで林のながさ来たよだ》
鳥のやうに栗鼠(りす)のやうに
おまへは林をしたってゐた
どんなにわたくしがうらやましかったらう
ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ
ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか
わたくしにいっしょに行けとたのんでくれ
泣いてわたくしにさう言ってくれ
  おまへの頬の けれども
  なんといふけふのうつくしさよ
  わたくしは緑のかやのうへのも
  この新鮮な松のえだをおかう
  いまに雫もおちるだらうし
  そら
  さわやかな
  terpentine(ターペンタイン)の匂もするだらう
 
「さっきのみぞれをとってきた」これは妹トシの影が見える、確かにね。「あのきれいな松のえだだよ、おお おまへはまるでとびつくやうに、そのみどりの葉にあつい頬をあてる・・・そんなにまでもおまへは林へ行きたかったのだ」この「林」って確かにブッダのいるような久遠の果てしないかなたまである道が続いていくような林とも言えるし、あるいは林を見る眼が、そうした深いものを見ている眼。我々はもうその林を見る時にこういう眼を失っちゃってんだな。
 
ナレーター:  トシがそんなにまでも行きたかった林。そこは生きとし生けるもの全てがつながりブッダの宇宙に通じる場所でした。ところがその賢治とトシの世界に…。
 
吉増:  「わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり、ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた」これ恋人じゃない。これが恋人だよ。だからトシと恋人が非常な近さにいて、そのそばを賢治が歩いてるんだな。「鳥のやうに栗鼠りすのやうに、おまへは林をしたってゐた」この「林」というのは、ほんと巨大な宇宙だな。あのブッダが寝てるような、鳥たちやリスがいるような、そうした枕元のような宇宙だな。きれいな行だねぇ。むしろこうなると、もしかすると、賢治が考えていた宗教的な光と、はるかな他界まで届くような林の道を「terpentine(ターペンタイン)」、こういう他界からの言葉の導入によって一瞬だけれども超えているようなとこがあるな。ね。
 

 
ナレーター:  賢治は現世の先にある他界を見つめていました。他界は現世と切り離されたものではなく、「林」によって結ばれている。賢治はそう考えていました。その大切な時、大切な場所で、賢治の心を占めていたのは恋人だったと、吉増さんは想像します。トシの死から六か月、『春と修羅』の執筆は途絶えます。賢治がトシの魂と交信しようとしていたとも言われる時期です。しかし、大正十二年五月。賢治は地元の新聞に純愛の物語を連載していました。童話「シグナルとシグナレス」です。当時花巻には、後に「銀河鉄道の夜」のモデルになる岩手軽便鉄道が走っていました。軽便鉄道の小さな信号灯を、賢治は恋人になぞらえて、「シグナレス」と名付けました。そして、東北本線の信号灯「シグナル」を自分に見立てて、二つの信号機の切ない恋を描いたのです。
 

 
吉増:  「シグナル」の方は、本線の立派な男の信号灯。で、「シグナレス」の方は、どぎまぎしてうつむいている軽便鉄道の「シグナレス」です。スッと上がって、少しカタンという音がして、上を見上げるっていうんだよな。ちょっとこうして見ると、林の中の妖精みたいにも見えるね。「シグナル」「シグナレス」は。
 

 
吉増:  「シグナレス」とはよく言ったなぁ。妖精のような信号灯に化身した大事な恋人を、軽便鉄道のシグナル、すなわちシグナレス。
シグナル
「シグナレス」さん
あなたはなにを
祈っていられますか」
 
シグナル
「だからわたしを愛してください
さあ ぼくを愛すると
いってください」
「結婚のやくそく
してください」
 
シグナレス
「わたしはこんなに
つまらないんですわ」
 
って、そういう思いがけない、少しその恋人との結婚話がどうなるか。あるいは病の伝染がどうなるか。伝染とはよく言ったもんだな。そういう心配も一緒に読んでいくと…。
 
シグナル
「ねえ ぼくは
もうあなたのためなら
次の汽車のくるとき
がんばって腕を下げないことでも」
「女の人のなかで
あなたはいちばん
美しいんです」
「ぼくはシグナレスさんと
結婚して幸福になって」
「シグナレスさん
本当に僕たちはつらいねえ」
たまらずシグナルはそっと
シグナレスに話しかけました
 
ナレーター:  物語の中で、シグナルとシグナレスは一緒になれるように祈ります。そして、二人は星空にのぼり結ばれます。しかし実は、それは夢だったという結末を迎えるのです。賢治と彼女の恋は、現実には周囲の反対にあっていました。
 

 
吉増:  この「シグナルとシグナレス」は、恋心がふ?っと上へ上がったり下がったり。だから現実の会話であるとともに、賢治の中で働いているそういうとても静かな深い心の動作みたいなもの、祈りみたいなもの。弥勒のような、菩薩のような、この少女の面影と逝ってしまったトシの面影と一緒に読むと、こういう「シグナルとシグナレス」には、途方もない深みが新しく感じられるな。ねえ。
 

 
ナレーター:  『春と修羅』が再開されるのは、「シグナルとシグナレス」の新聞連載から二週間後のことでした。大正十二年六月三日の詩「風林」。賢治の声は静かです。
 
吉増: 
「風林」
  (かしはのなかには鳥の巣がない
  あんまりがさがさ鳴るためだ)
ここは艸があんまり粗(あら)
とほいそらから空気をすひ
おもひきり倒れるにてきしない
そこに水いろによこたはり
一列生徒らがやすんでゐる
  (かげはよると亜鉛とから合成される)
それをうしろに
わたくしはこの草にからだを投げる
月はいましだいに銀のアトムをうしなひ
かしははせなかをくろくかがめる
柳沢(やなぎざわ)の杉はなつかしくコロイドよりもなつかしく
ぼうずの沼森(ぬまもり)のむかふには
騎兵聯隊の灯も澱んでゐる
 
「風林」。風・林。林だな。風と林。「(かしはのなかには鳥の巣がない」珍しいな賢治にしちゃ。「あんまりがさがさ鳴るためだ)」これはある種の自分の想像力を否定するような行だな。賢治にしちゃまためちゃめちゃこう落ち込んでいるというか、平らかになっているというか、心がズーッと沈んでるね。
 

 
ナレーター:  沈黙の後、初めて書いた一行は、「風が吹くかしわ林には鳥の巣がない」。実はこれは賢治にとって忘れられない思い出の光景でした。その思い出が最晩年の詩に書き残されています。
 

 
吉増: 
〈[きみにならびて野にたてば]〉
きみにならびて野にたてば
風きららかに吹ききたり
柏ばやしをとゞろかし
枯葉を雪にまろばしぬ
 
峯の火口にたゞなびき
北面に藍の影置ける
雪のけぶりはひとひらの
火とも雲とも見ゆるなれ
 
「さびしや風のさなかにも
鳥はその巣を繕はんに
ひとはつれなく瞳まみ澄みて
山のみ見る」はきみは云ふ
 
あゝさにあらずかの青き
かゞやきわたす天にして
まこと恋するひとびとの
とはの園をば思へるを
 
「さびしや風のさなかにも、鳥はその巣を繕はんに、ひとはつれなく瞳まみ澄みて、山のみ見る」はきみは云ふ」ああ、ここは珍しく恋人が言ったらしい言葉が出てきてるな。
 

 
ナレーター:  風がきららかに吹き渡る野原での逢いびき。その時恋人が賢治につぶやいたのは…「さびしいわ。風の中でも鳥はその巣を繕おうとするのに、あなたの瞳はただ澄んでいて、山だけを見ているのね」。
 

 
吉増:  この恋人が、言葉にはしないけれども、静かにこの人はとても無口な静かな人だったんだろうな。そういうふうに言って、この恋人シグナレスはすっと遠くへ行っちゃったような気がするな。なあ。
 
 
賢治との恋は・・・恋人の家族に伝えられていた。大正十三年(1924)、恋人は年上の医師と結婚。アメリカへ渡る。「春と修羅」の出版は、その一か月前のことだった。
 

 
澤口: そうですね。『春と修羅』はトシさんへのお別れでもあると同時に、賢治さんの恋の記録。恋の始まりから恋の終わりまでをきちっと記録されているわけです。そしてその女性が渡米する前に、一か月前に出来上がっていて。これは推定でしかありませんけれども、渡そうと思えば渡せたタイミングなものですから。本人は分かったと思うんですよね。自分とのやり取りや一緒に行った場所とか、分かる人だけが分かるように描き込まれている恋のてんまつ。
 

昭和二年(1927)、恋人はアメリカで永眠する。二十七歳、結核だった。
 

 
澤口: 恋という状態で、もしかしたら女性の側は、恋という状態で、それに破れていった可能性はありますが、恐らくその賢治…まあでも女性の方もそうだったんじゃないかなと思うんですけれども、繰り返し繰り返しもう二度と会うこともないという状態に置かれてからも、賢治がその女性のことを思い出し、詩の中に断片を書き記している。そして、その女性が海を越えてアメリカに行っているということから、賢治のその女性を思って書く言葉というのがこう広がっていくというのか。
 
吉増:  そうですね。
 
澤口: 広い地球の向こう側、海の向こうにいる人が幸せであれっていう。そういうことを思う時に、賢治さんは一人の女性を激しく恋してる。仏教の教えやらいろいろなことから賢治さんは、一人の人だけを愛するとか、結婚して自分の子供だけがかわいいとか、そういうふうな気持ちに自分が陥ることを非常に恐れているし、トシさんが亡くなった後も、トシだけがいいところにいけばいいとは願ってないと、自分ですごくそのことを戒めている。だから一人だけを祈るということを、自分に非常に強く「それはしちゃいけないことなんだ」というふうに思っていて。だけど、それは誰をも恋したことがない賢治さんが、みんな全員この地球上のあらゆる命はいとしいんだというのではなく、やはり一人の女性をうんと深く恋して、その女性とは一緒に生きていくことはできなくなっている。それでもなおかつその人の幸せを祈り続けるということで、恋から愛という。
 
吉増:  なるほどね。
 
澤口: 広いものに変わっていく過程も読み取れるのではないだろうか、というふうに思っています。
 

 
ナレーター:  宮沢賢治が、人生のその時々に歩いた北上(きたかみ)河畔です。ここで詩人吉増剛造さんは、賢治の言葉にくぎづけになりました。昭和二年に書かれた「開墾」という詩の一節です。
 
「開墾」
野ばらの藪を
やうやくとつてしまつたときは
日がかうかうと照つてゐて
そらはがらんと暗かつた
おれも太市も忠作も
そのまゝ笹に陥ち込んで、
ぐうぐうぐうぐうねむりたかつた
川が一秒九噸の針を流してゐて
鷺がたくさん東へ飛んだ
 
水が「一秒九噸の針」。賢治の言葉に吉増さんは驚きました。賢治は明治二十九年、三陸大津波の年に生まれました。吉増さんは、膨大な「針」と化した大津波が二万人の命を奪ったその日を思い起こしました。戦争や災害によって多くの命が失われることも、病気でたった一人の大切な人を失うことも、遺された者にとってその痛みは変わりはありません。吉増さんの心の中から言葉が生まれました。
 

 
吉増: 
北上川西岸
川が一秒九噸の針を流していて
少し水音の・・・
ん〜おそらく賢治さん
この北上の・・・
水シワ シワシワ
衣装 女の人の縫針
無意識にそういうものを
すーっとイメージしたんだなぁ
それと同時に金属質の何かが
鉄道とも
煙や金属質のものが
産業革命のイギリスから
やってきて
そして 針も という風に考えると
もう一つ無意識の底の
産業革命以来のカタストロフィー
(破滅的な災害)も
このイギリス海岸には
感じられることになるなぁ
これをみているだろう
ウォーターゲイジング
(水をみる)女の人の眼に
太古から
真っ白い布や…
あ― なるほどね
鳥がすれすれに飛んでいくんだ
こんな風にして
宮沢賢治さんの眼に学ぶ日が
来るとは思わなかったなぁ
 

昭和二年(1927)、花巻。賢治は教師を辞め、この家にひとりで暮らして、ちょうど一年がたった。かつて妹トシを看病し、恋人も訪れたと思われる家・・・
それは恋人の死から一か月後のこと。賢治は、まるで彼女と一緒にいるように、この詩を書いた。
 

 
吉増: 
「わたくしどもは」昭和二年(1927)六月一日
わたくしどもは
ちゃうど一年いっしょに暮しました
その女はやさしく蒼白く
その眼はいつでも何か
わたくしのわからない夢を見てゐるやうでした
いっしょになったその夏のある朝
わたくしは町はづれの橋で
村の娘が持って来た花があまり美しかったので
二十銭だけ買ってうちに帰りましたら
妻は空いてゐた金魚の壺にさして
店へ並べて居りました
夕方帰って来ましたら
妻はわたくしの顔を見てふしぎな笑ひやうをしました
見ると食卓にはいろいろな果物や
白い洋皿などまで並べてありますので
どうしたのかとたづねましたら
あの花が今日ひるの間にちゃうど二円に売れたといふのです
・・・・・・その青い夜の風や星、
      すだれや魂を送る火や・・・・・・
そしてその冬
妻は何の苦しみといふのでもなく
萎れるやうに崩れるやうに一日病んで没くなりました
 
何か静かできれいで「ほんとうのこと」の心がこもってる。し?んとした、ふか?い詩の心が伝わってくるねぇ。何かもしかすると、この畳の上で亡くなられたトシさんの心もそばにいるような。女の人の恋の心の非常な命だな。それが最後に萎れて崩れてす?っとなくなるんだな。きれいでしんとして、まだそこに生きているように。そして一日生きて、そして病んで亡くなりました。だからほんとに聖なる白蓮教の白い蓮の花のようでもあるし、パスカルの葦のような心でもあるし。途方もないところにし?んとして…。つ?んとして、し?んとしてる音が聞こえるねぇ。
 

 
ナレーター:  心象スケッチ『春と修羅』は、若き日の賢治が、「こころ」の宇宙を凝縮した詩集です。その最後の詩が「冬と銀河ステーション」。
 
「冬と銀河ステーション」
そらにはちりのやうに小鳥がとび
かげらふや青いギリシヤ文字は
せはしく野はらの雪に燃えます
パッセン大街道のひのきからは
凍ったしづくが燦々さんさんと降り
銀河ステーションの遠方シグナルも
けさはまっ赤かに澱んでゐます
川はどんどん氷ザエを流してゐるのに
みんなは生なまゴムの長靴をはき
狐や犬の毛皮を着て
陶器の露店をひやかしたり
ぶらさがった章魚(たこ)を品さだめしたりする
あのにぎやかな土沢の冬の市日(いちび)です
(はんの木とまばゆい雲のアルコホル
 あすこにやどりぎの黄金のゴールが
 さめざめとしてひかってもいい)
あゝ Josef Pasternackの指揮する
この冬の銀河輕便鐡道は
幾重のあえかな氷をくぐり
(でんしんばしらの赤い碍子と松の森)
にせものの金のメタルをぶらさげて
茶いろの瞳をりんと張り
つめたく青らむ天椀の下
うららかな雪の臺地を急ぐもの
(窓のガラスの氷の羊齒は
 だんだん白い湯気にかはる)
パッセン大街道のひのきから
しづくは燃えていちめんに降り
はねあがる青い枝や
紅玉やトパーズまたいろいろのスペクトルや
もうまるで市場のやうな盛んな取引です
 
 
「銀河鉄道の夜」の出発点になった詩です。吉増剛造さんは、今回の旅の終着点としてこの詩の舞台になった土沢(つちざわ)という町を訪ねました。冬の市のにぎわいがこう記されています。
 
「陶器の露店をひやかしたり
ぶらさがった章魚(たこ)を品さだめしたりする
あのにぎやかな土沢の冬の市日(いちび)です」
 
なぜ賢治は、土沢という実在の町を舞台に選んだのでしょう。実はここは賢治が愛した女性の嫁ぎ先だったのです。医師であった夫の生家と推定される家が見つかりました。
 
吉増:  恋人がお医者さんと一緒に、ここからアメリカへ旅立っていった。
 
ナレーター:  「冬と銀河ステーション」には、アメリカへ旅立つ恋人に賢治が贈ったと思われる言葉が記されていました。
 
(はんの木とまばゆい雲のアルコホル
 あすこにやどりぎの黄金のゴールが
 さめざめとしてひかってもいい)
 
やどりぎの下で愛を誓い合った二人は幸せになるという言い伝えがキリスト教にあります。賢治は、この詩に精いっぱいの祝福の思いを込めていたのです。そして銀河軽便鉄道が、恋人を思わせる茶いろの瞳をりんと張り、雪の台地を急ぐ情景で心象スケッチ『春と修羅』は終わります。青春の日の賢治の思いは、三十七歳で亡くなるまで書き続けた、あの『銀河鉄道の夜』へとつながります。ある祭りの夜、二人の少年が銀河鉄道に乗り込み、遠く宇宙を一緒に旅する物語です。旅の最後に二人は宇宙にあいた暗く大きな「やみ」に遭遇します。賢治の化身である主人公ジョバンニはこう言います。
 
「僕もうあんな大きな闇(やみ)の中だってこわくない。
きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。
どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」
 
しかし、そう誓い合った親友カムパネルラは、宇宙の闇(やみ)の中に消えます。そして、ジョバンニが咽喉いっぱいに泣きだすその直前に、賢治はこんな言葉をそっと書き残していたのです。
 
二本の電信(でんしん)ばしらが、丁度両方(りようほう)から腕(うで)を組んだように赤い腕木(うでぎ)をつらねて立っていました。
まるではるかな宇宙で、あの「シグナルとシグナレス」が結ばれているような光景です。たとえその人の命が消えたとしても、思い続けるかぎり記憶は消えることはありません。そのともし火を道しるべに、賢治の「こころ」は「やみ」を恐れず、銀河と一つになったのです。この旅でたどりついたのは、賢治のはるかな「愛」の記憶でした。
 

 
吉増:  詩が持っているはるかな太古からの、命が始まってからの、途方もない時間の通い路みたいなものの、九十年たっても残っている心の状態というのかな。それに会えたっていう感じがとても大きかった。
 
     これは、平成二十九年四月三十日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである