いま≠共に楽しむ
 
              介護福祉士、劇団主宰 菅 原(すがわら)  直 樹(なおき)
「老いと演劇」OiBokkeShi代表。2010年より特別養護老人ホームの介護職員として働く。2012年東京から和気町に移住。移住前は小劇場系の劇団に所属し俳優として活躍。現在、介護福祉士として働きながら「介護と演劇は相性がいい」を合言葉に、地域における介護と演劇の新しいあり方を模索している。平田オリザ(劇作家・演出家)率いる青年団所属。小劇場を中心に前田司郎、松井周、多田淳之介、柴幸男、神里雄大など、新進劇作家・演出家の作品に多数出演。2014年より認知症ケアに演劇手法を生かした「老いと演劇のワークショップ」を全国各地で展開。2015年、和気町駅前商店街を舞台に認知症徘徊演劇『よみちにひはくれない』を上演。四国学院大学非常勤講師。
              き き て      杉 浦  圭 子
 
ナレーター:  岡山県の北部、奈義町(なぎちよう)です。高齢化が進むこの町で、認知症のお年寄りの介護をテーマに演劇を使ったワークショップが開かれました。呼びかけたのは、地元岡山県で劇団を主宰する菅原直樹さんです。
 
菅原:  介護職員として俳優になってもいいんじゃないかな。というのも、ぼけを正していては介護する方も介護される方も幸せになれないんじゃないかな。
 
ナレーター:  老人ホームで介護職員もしていた菅原さんが実践するのは、ぼけを受け入れる演技です。
 
菅原:  ごはんの時間ですよ。お姫様になりたい。いいですね?。じゃあちょっと白馬の王子様を連れて来ましょうか?
 
ナレーター:  介護者が演技をすることで認知症の人と心を通わせることができるというのです。介護と演劇を組み合わせたユニークな手法で、「老い」と向き合う菅原さんにお話を伺います。
 

 
杉浦:  あっ、こんにちは。菅原さんでいらっしゃいますか?
 
菅原:  菅原です。
 
杉浦:  よろしくお願いいたします。
 
菅原:  よろしくお願いします。
 
杉浦:  あのこちらね、岡山市内にあります廃校になった小学校の校舎だそうですけども、ここで菅原さんの劇団が公演をなさったんですか?
 
菅原:  そうですね。去年、一昨年と演劇を作りました。で一昨年作ったのがですね、「老人ハイスクール」って言って、「少子高齢化で学校が廃校になって、老人ホームとしてオープンした」っていう設定だったんですね。この建物全体を老人ホームに見立てて、お客さんがいろんな教室を回って演劇を鑑賞するという芝居を作りました。
 
杉浦:  この校舎内の空間を、どんなふうにお芝居に利用されたんでしょうか?
 
菅原:  第一幕は、あそこの教室で演劇をして、それが終わったらお客さんこう歩いて移動して、で下の中庭が第二幕の舞台なんですよ。で第三幕の舞台が、奥の教室になってるんですね。でお客さん移動して、で席に着いたら、俳優が移動してやって来て、で芝居をして、それを見るという感じですね。
 

 
ナレーター:  理想の老後。理想の介護施設の在り方を問いかけた「老人ハイスクール」。校舎内を巡る演出は、まるで老人ホームを見学しに来たかのようだと話題になりました。
 

 
杉浦:  菅原さんが、岡山県内で劇団を立ち上げられたのが、三年前のことですよね。
 
菅原:  はい。そうですね。
 
杉浦:  あの劇団の名前がアルファベットのローマ字表記で「Oi Bokke Shi」。変わってますよね。
 
菅原:  そうですね。はい。「Oi Bokke Shi」って、ちょっとかわいらしい響きなんじゃないかなと思います。
 
杉浦:  かわいらしい? これにはどんな思いが込められてるんですか?
 
菅原:  意味はですね、ずばり「Oi(老い)」と「Bokke(ぼけ)」と「Shi(死)」なんですね。でまあ「老い」と「ぼけ」と「死」という言葉は、世間の多くの方々にとって、とても何て言う…つらいとか、悲しいとか、おもいといったマイナスのイメージがあるんではないかなと思います。まあ多くの方々はできれば老いたくないし、できればぼけたくないし、できれば死にたくないと思ってるんじゃないかと思います。僕もそう思ってました。しかし特別養護老人ホームで働き始めて、多くのお年寄りと接しているうちにですね、「老い」「ぼけ」「死」から得る大切なこともあるんじゃないかなということに気付いたんですね。でこの「Oi Bokke Shi」ではですね、そういった「老い」「ぼけ」「死」の豊かな世界を演劇を通じて地域に発信することができればなと思っています。老人ホームに入るとですね、お年寄り方が御飯を食べたり、ひなたぼっこしたりとか、あとうとうとしたりとか、あと新聞を読んだり、テレビを見たりとかしてるわけですよね。そういう姿を見てですね、なんか僕が求める演劇の姿に近いなと思ったんですね。というのも、僕がやっている演劇というのは、ドラマチックなことだけではなくて、静かな淡々とした日常。人間の存在そのものを…なんか…にまあ価値を見いだすような演劇だったんですね。人っていうのは、ただ生きているだけでも劇的なのではないか。そういうところが演劇にはあって、でそこの魅力に僕ははまって演劇をしていたので、老人ホームに広がっている風景を見て、「あっ、これこそ僕が求めてる演劇だな」と思いました。
 
杉浦:  こちらの空間のように、地域の中にある建物を利用して、しかも出演される方も岡山県内の方だそうですね。
 
菅原:  そうですね。はい。まず地域で演劇やろうと思った時に、職業俳優っていう人はまずいないんですよね。生活者は、その地域、その人生においては優れた俳優なんじゃないかなと思ったんですね。老人ホームに行くと、いろんなお年寄り方がいるわけですよね。腰が九十度ぐらいに曲がったおばあさんがゆっくりと歩いているんですね。その姿を見てなんか僕は…なんかそこに劇的なものを見いだしたというか、感動したんですね。俳優として負けるなって思ったんですね。でなんかやっぱ存在感がすごいわけですよね。で何か…う?ん…これは理学療法士の三好春樹(みよしはるき)(介護、リハビリテーション(理学療法士)の専門家。生活とリハビリ研究所代表。「オムツ外し学会」や「チューブ外し学会」を立ちあげて介護、看護、リハビリの枠を超えて日本全国で 「生活リハビリ講座」を開催し、介護に当たる人たちに人間性を重視した老人介護のあり方を伝えている:1950-)さんという方がおっしゃってるんですけど、「人は年を取ると個性が煮詰まる。頑固な人は、ますます頑固になって、真面目な人は、ますます真面目になって、スケベな人はますますスケベになる」ということを言っているんですね。ほんとにそうだなと思いました。僕が特別養護老人ホームで出会ったお年寄り方は、みんな個性的な方々ばかりだったんですね。ただなんか歩いている姿に、その人の人生とか、個性がにじみ出てるような気がしたんですね。また話を聞くとですね、皆さんもう八十年、九十年生きてる方ばかりなんですよね。で人生のストーリーが膨大にある。僕には想像もできないような時代を生きてきた方々ばかりなんですよね。シベリア抑留の経験があったりとか、満州で青春時代を過ごされた方とか、あと女性で初めて警察官になった方とか、もう人生が詰まってるわけですね。「なるほど。老人ホームには、人生が詰まっているんだ」。だからお年寄りがゆっくりと歩いている姿があって、その背後に人生のストーリーが字幕で流れたら、これはもう立派な演劇になるんじゃないかなと思いました。お年寄りほど良い俳優はいない。いつかお年寄りと一緒に芝居を作ってみたいと思うようになりました。
 

 
(「BPSD:ぼくのパパはサムライだから」2016年12月公演の一場面)
俳優A:  オムツをはいた侍さん。
 
俳優B:  ああっ?
 
ナレーター:  侍の格好をした認知症の老人とヤクザの息子。テーマは「在宅介護」。主役を演じるのは岡田忠雄(おかだただお)さん、九十一歳。通称「おかじい」。劇団の看板役者です。
 

 
菅原:  こんにちは。
 
岡田:  はい。
 
菅原:  岡田さん。
 
岡田:  はい。
 
菅原:  こんにちは。
 
岡田:  ああっ! いやぁ久しぶり!
 
菅原:  変わりなかったですか?
 
岡田:  変わりない。頑張ってます。
 
ナレーター:  二人が出会ったのは三年前。菅原さんが主催するワークショップに、岡田さんが参加したのがきっかけでした。
 
菅原:  岡田さんと初めて会った時は、何て言うか、耳が遠いですし、同じ話を繰り返すので、演劇ワークショップは難しいんじゃないかなと思ったんですね。しかし実際に演劇ワークショップを体験して頂くと、発表の時にものすごい生き生きと演技をされるんですね。それはもう参加者の全員が驚いたんですね。でその時に、このおじいさん一体何者なんだろうと思ったんですね。で話を聞くと、昔から芸事が好きで、憧れの映画俳優を目指して、定年退職後は数々のオーディションを受けてきたっていうんですね。
 
ナレーター:  そこで菅原さんは、劇団「Oi Bokke Shi」の一員になってほしいと依頼しました。
 
岡田:  菅原という若造は深いなと思ったんです。年齢に関係なく、深いなと思った。それでこの若い監督についていこう。だから監督に言うんですよ。ぼけて(セリフが)覚えられなくなったら、車椅子に乗った役ができる。これも演劇、舞台。演劇という舞台に恋をしています。
 

 
杉浦:  この人と演劇をしたいと、最初の時から感じられたわけですよね。どこにひかれたんですか?
 
菅原:  あの…演劇に対する情熱ですね。はい。
 
杉浦:  それはどういうふうな情熱なんでしょうか?
 
菅原:  俳優としてもかなり意識が高いですから。岡田さんは、僕と会った時から、僕のことを「監督」って言ってますからね。一番最初に会った時に、僕のことを「監督」って言いました。僕はそれまで演劇やってましたけど、俳優しかやってなかったんです。作・演出とかやってなかったので、全然監督ではなかったんですね。だから岡田さんから「監督」って言われた時に、僕は監督になっていいのだろうかと悩んだんですね。しかしですね、こう考えることにしたんですね。「岡田さんは役割を求めてるんじゃないか」。自分が俳優という役割を全うするためには、僕は監督役を引き受けなければいけないんだなと思ったんですね。じゃ「よし! 監督を演じよう」って思ったんですね。役割ってとても大切ですよね。僕は特別養護老人ホームで働いてる時にも、よくこの役割って考えたんですね。というのも、認知症のお年寄りとか、障害を持ったお年寄り、老人ホームにいるお年寄りですね…も実は役割を求めてるんじゃないかなと思ったんですね。これまでの人生で、サラリーマン役やクリーニング役、主婦役、お母さん役。まあそれぞれ役割をもって生きてきたわけですよね。しかし、認知症を患ったり、障害を持ったりして、老人ホームに入ることによって、だんだん役割を持つことができなくなってしまったんではないかなと思うんですね。人ってやっぱり最後まで何らかの役割を持ちたいんではないかなと思います。そのお年寄りに合った役割を見つけるということも、とても大切な仕事なんではないかなと思います。
 
杉浦:  役割ということで言いますと、劇団を立ち上げて、すぐのワークショップで監督と俳優という運命的な役割の出会いがあったわけですね。
 
菅原:  そうなんですよ。かなり岡田さんは俳優としての意識が高くなってきて、最近は「舞台の上で死ねたら本望だ」って言ってるんですね。僕みたいな若い俳優がそんなことを言っても、あぁそれくらい好きなんだねって、軽くあしらわれると思うんですけど、岡田さんが言うとですねリアルだし重いんですよね。僕らも、「どうすれば岡田さん舞台の上で…」とかいろいろ考えてしまったりするわけですね。
 
杉浦:  岡田忠雄さんという人材を得て、第一回の公演へ向かうわけですけれども、どんなふうにして岡田さんと芝居を作っていかれたんですか?
 
菅原:  そうですね。まあこの人と一緒に芝居を作りたいなって思って、岡田さんの家に通うようになったんですね。しかしですね、「作りたい」という気持ちはあったんですけど、どういった芝居を作るかということは全く考えてなかったんですね。で、ひたすら岡田さんの話を聞きました。戦争の話から介護の話まで。で介護の話をしている時にですね、最近認知症の妻が徘徊をして困ってるという話になったんです。こないだは町内、早朝に徘徊を始めて、新聞配達員と一緒に捜し回ったんだというんですね。それを聞いて、あっ徘徊をテーマに演劇を作ってみようと思いました。岡田さんと一緒に、「徘徊とは何か」ということを演劇を作りながら考えることができたらなと思いました。
 
杉浦:  どうして徘徊というところに焦点を当てようと思われたんですか?
 
菅原:  そうですね。まあ僕らからしたら、徘徊なわけですけど、奥さんにとって、それはどういったものなのかということを、演劇を作りながら岡田さんと一緒に考えたら面白いんじゃないかなと思ったんですね。で徘徊を入り口にして、認知症の人が見ている世界を想像することができるような芝居ができたら面白いんじゃないかなと思いました。
 

 
岡田:  いくさん、できたよ。はい、おいしいよ。
 
ナレーター:  岡田さんは、十年前から認知症の妻郁子(いくこ)さんを自宅で介護しています。
 
岡田:  おきて。じゃあもうほしくないの。
 
郁子:  うんもうなあ。おなかもすかないしな。
 
岡田:  でもさっき食べると言うたじゃないか。
 
郁子:  たべたら…
 
岡田:  牛乳飲む?
 
郁子:  要らん
 
ナレーター:  郁子さんは、物忘れがひどく、なかなか会話もかみ合いません。
 
岡田:  出しませんよ。
 
ナレーター:  徘徊も幾度となく繰り返されたといいます。
 
岡田:  警察からも、何回も連絡があったし、それからねもういろんなことがありましたよ。新聞配達の人が、「お宅の奥さんと違う?」と教えてくれた。何だろう思うたら、よその玄関前で寝よったいうの。もう最初はパニック…パニック。
 

 
ナレーター:  菅原さんは、岡田さんの介護経験を聞き取り、脚本に盛り込みました。劇団「OiBokkeShi」の第一回公演が行われたのは、岡山県和気町(わけちよう)。かつては交通の要所として栄えましたが、今は過疎化が進み、高齢化率も三割を超えました。劇は、この町そのものが舞台です。菅原さん演じる青年が、昔かわいがってくれた岡田さんふんするおじいさんと、十数年ぶりに出会います。すると認知症のおばあさんが徘徊していなくなってしまったというのです。商店街で聞き込みを始める青年。観客もあとを追います。しかし意外な事実が知らされます。おばあさんは既に亡くなっていて、その悲しみからおじいさんが認知症になってしまったというのです。観客はここでおじいさんの妄想の世界につきあわされていたことに気付くのです。
 
菅原:  お客さんは、実際の商店街で演劇をするので、何が現実で何がフィクションなのか。その境界が曖昧になってくるんですね。通行人が俳優に見えたり、町の音が演劇のBGMに聞こえたりするんですね。もしかしたら夢と現実の境界が曖昧になるのが、認知症の見ている人の世界と共通するものがあるんじゃないかなと思ったんですね。
 
ナレーター:  介護は地域ぐるみの問題と捉える菅原さんは、役者やスタッフも地元の人を起用しました。
 
菅原:  いいですか? 今大丈夫ですか?
 
市川: 大丈夫。
 
菅原:  舞台監督の市川さんです。建具屋さんです。
 
ナレーター:  四十代の市川さんは、この劇に参加するうちに、まだ先のことだと思っていた「老い」と「介護」を意識するようになったといいます。
 
市川: 演劇を通じて知り合った岡田さんという、「おかじい」っていう高齢者俳優の方と話したりするうちに、介護についても考えなきゃいけないことだなっていう。これから先、全ての人間に等しく老いは訪れてくるわけで、その老いに対してしっかりとした考え方を持っておく。で老いる前に、その前の段階でできることというものを、いくつかちゃんと準備しておくっていうことも考えなきゃいけないなというのは思いましたね。
 
ナレーター:  こうして菅原さんの劇団は、地域を巻き込みながらスタートを切りました。
 

 
杉浦:  劇団「OiBokkeShi」は、第一回公演からそんなふうに地域密着型でいこうと思われたんですか?
 
菅原:  はい、そうですね。やっぱり介護と演劇を結び付けることによって、地域の方々が参加してくれたり、あと介護に関心のある方々、演劇に関心のある方々が集まって下さったんですね。そうすることによって、ふだん出会わない人たちが出会うことが多くなったんですね。それで何か面白い融合が地域の中で生まれたんではないかなと思います。あと介護の問題も、地域ぐるみの問題なので、自分たちが老いたり、ぼけたりする前に、演劇などの芸術文化を通じて、地域のつながりが生まれるというのは、とても大切なんではないかなと思ったんですね。で地域の課題を、演劇などの芸術文化を通じてクリエーティブに解決する方法もあるんじゃないかなと思ったんですね。何かしなきゃいけないとか、やらされてるとかじゃなくて、ワクワクして楽しいからそれに取り組む。そういうふうにして、介護の課題とかに地域の方々が楽しんで関わってもらう工夫が必要なんじゃないかなと思ったんですね。その時に芸術文化というのは、何かを作ったりするというのは、とてもワクワクして楽しいことですから、それと地域の課題を結び付けることによって、クリエーティブな解決方法が生まれるんじゃないかなと思ったんですね。
 
杉浦:  地域の問題とおっしゃいましたが、それはどういう意味ですか?
 
菅原:  それはやっぱり介護サービスを受ける時には、その地域の介護サービスを受けることにもなりますし、あと認知症になっても、今まで住み慣れた場所で暮らそうと思う時には、地域の人たちの支えというのがとても重要になってくるんですね。例えば認知症になった場合、徘徊というのが出てくるかもしれないですね。その時に家に閉じ込めるんではなくて、地域全体で見守ることによって、もしかしたら認知症のお年寄りは、認知症になっても地域で買い物をしたりとか、散歩したりすることができるかもしれないわけですよね。これは地域で認知症に対する理解が進んでないと、ご家族も閉じ込めようみたいな感じの、岡山でいうと「ふうが悪い」というふうな感じで、どうしても家に閉じ込めたりとか、監視したりしがちになってしまうわけですよね。
 
杉浦:  格好が悪いからっていう。人に迷惑をかけちゃいけんという。
 
菅原:  そうですね。なので、介護の問題に関しては、かなり地域っていうのがとても大切で、その地域に意識するきっかけが、こういった演劇などの芸術文化になればなと思ったんですね。
 
杉浦:  とはいえ、八十代の岡田さん―九十に近い八十代ですからね、お稽古で和気町に通うだけでも大変でしたでしょう?
 
菅原:  そうですね。なので、僕が送迎をして、岡田さんと一緒に和気に行って稽古をして、途中食事をして、また岡田さんを車で送っていくということを何回もしました。している途中に、これ何かデイサービスみたいだなっていうのは思いましたね。ただまあこれは理想な形なんじゃないかなと思いました。同じ演劇が好きな仲間が迎えに来てくれて、一緒に御飯食べて、演劇の稽古をして、ちょっと体を使って、頭使って、人と触れ合って、介護予防的なことをして、また家に送ってもらう。こういう在り方は自然でとてもいいんじゃないかなと。そしてそのおじいさんにとっては、演劇は生きがいになってるわけですよね。こういう自然な形でデイサービスとか、介護予防というのが含まれてたら、これは理想なんじゃないかなというのは思いました。だから僕は、介護の現場で認知症の人を前にして、演技をして、演劇の稽古場でおじいさんを介護しているっていう。ちょっとおかしな感じになってますけど、それだけ「介護と演劇は相性がいい」ということですね。僕がやってることも、演劇なのか、ケアなのかよく分からないところを目指してますね。
 
杉浦:  なるほど。
 

 
ナレーター:  菅原さんの活動の原点となったのは、祖母正子(まさこ)さんとの暮らしでした。広島で一人暮らしだった正子さんを、栃木の菅原さん一家が呼び寄せたのです。これは十九歳の菅原さんが撮影した映像です。
 

 
正子:  どうにかなるだろうと思ってね。
 
ナレーター:  このころ正子さんは認知症を発症。徘徊や妄想の症状が見られるようになりました。
 
正子:  この前、お父さんもおっての時に、車が迎えに来たの。
 
菅原:  僕のお父さんがいる時に、車が来た。お母さんも二人とも来て、でこっちが出るのを待っとって、それであとを追っかけてきたの。
 
ナレーター:  認知症の祖母を、どう受け止めればいいのか? 答えが見つけられないまま、その問いだけがいつまでも菅原さんの心に引っ掛かっていました。
 

 
菅原:  手芸が好きで物静かな祖母だったんですけども、「色鉛筆が無くなった」って言って、家族を泥棒扱いしたりとか、見えるはずのない人を見たりとか、あとデイサービスで知り合った男性と仲良くなって、そのおじいさんが家に迎えに来るから今準備をしてるんだと。で車が家の前を通ったら、そのおじいさんが迎えに来たと思って外に出てしまうんですね。それでいわゆる徘徊というのが始まってしまったりするわけですね。ある夏の午後だったんですけども、家には僕とおばあさん二人きりだったんですね。僕が遅めのお昼御飯を食べていて、おばあさんは先に御飯を済ませていて、食卓の上にはおばあさんが残したコロッケが残ってたんですね。僕おなかがすいてたから食べちゃったんですね。そうしたらあとからおばあさんがやって来て、「コロッケは?」って言うんですね。「おなかすいてたから食べちゃった」と。「もうしょうがないね。あの人にあげようと思ってたのに」って言うんですね。「あの人って誰?」「タンスの中の人」って言ってきたんですね。であぁタンスの中の人かって思ったんですね。それですごい悩んだんですね。その時に思ったのは、この「ぼけ」というんですかね―を受け入れた方がいいのか、正した方がいいのかというところですごい悩んだんですね。ぼけを正したら元のしっかりとしたおばあさんに戻ってくれるんじゃないか。ぼけを受け入れたら、今タンスの中の人を見て、次は言葉をしゃべる犬とか、空飛ぶおじいさんとか、どんどんおかしなものを見始めるんじゃないかと思ってすごい不安に思ったんですね。それが僕の老い認知症というものを感じ始めた最初の時期ですね。
 
杉浦:  どういうふうに、菅原さんは声をかけ対応されたんでしょう?
 
菅原:  その時は、「そんなタンスの中に人はいないよ」とか、「そんな男の人迎えに来てないから」というような感じで、どうにか現実に戻ってもらいたいなというふうな関わり方をしました。
 
杉浦:  そうすると?
 
菅原:  そうすると、おばあさんもあんまりいい顔はしないですよね。何か自分は間違ったことをしたのかなみたいな感じ。きょとんとした顔をしましたね。その時は認知症って怖い病気だなと思いましたね。認知症は怖い病気だなと。覚えたことをすぐ忘れてしまうかもしれないし、目の前にいる愛する人が誰なのか分からなくなってしまうかもしれない。更にはどこにあるのかも分からない家に帰ろうとしてしまうかもしれないわけですよね。こんな恐ろしい病にかかったら、生きててもなとか、おしまいなのかなとか考えたりはしましたね。
 
杉浦:  それが高校生の時の体験ですけれども、そのころから既に演劇はなさってたんですよね?
 
菅原:  そうですね。僕は中学の頃、映画がとても好きで、自分で脚本を書いたりして、いつか映画監督になれたらなって思っていました。高校入学した時に、映画部に入ろうと思ったんですけど、映画部がなかったので演劇部に入ったんですね。演劇部に入って、脚本の書き方とか、演出のしかたを勉強できたらなと思いました。周りの人たちは、みんな俳優やってるわけですけど、僕はすごい引っ込み思案な人間だったので、休み時間も本を読んで過ごすような人間だったので、俳優は無理だろうなと思っていました。しかし、ある時に顧問の先生が脚本を書いてきて、その脚本の中に引きこもりの少年役があったんですね。その台本を読んだ部員がみんな、「これはお前だ、お前だ」って言ってきたんですね。僕もセリフほとんどない役だったので、まあいいかなと思って舞台に立ったのが初めての俳優の体験でした。それがとても面白かったし、驚きだったんですね。
 
杉浦:  驚き?
 
菅原:  というのは、それまで俳優っていうのは、目立つのが好きで、しゃべるのが好きな人がやるものなのかなと思っていたんですね。僕はしゃべるのが苦手だったので、僕みたいな人間は、絶対俳優には向いてないと思っていたんですね。しかし、舞台に立ってみると、僕みたいな人間にも居場所があるんだな、役割があるんだなってことに気付いたんですね。例えば引きこもりの少年役があった場合、ふだんから引きこもりがちな人の方が、その引きこもりの少年の気持ちが分かるわけですよね。リアルな引きこもりの少年役ができるわけですよね。お客さんの中でも、ふだん引きこもりがちな人もいるはずですよね。そういう人は、その引きこもりの役に共感したり、感動したりするわけですよね。つまりいい舞台を作るためには、いろんな人物がいた方がいい。豊かになるんだっていうことに気付いたんですね。で僕は、演劇って面白いなと思いました。いろんな人が役割を持つことができる芸術活動なんだなと思ったんですね。
 
ナレーター:  その後、菅原さんは、東京の劇団でさまざまな現代の問題を見つめる舞台に立ち続けました。一方、祖母とのことが忘れられず、特別養護老人ホームでも働き始めます。そこで気付いたのが、「介護と演劇は相性がいい」ということでした。
 
菅原:  介護者は、俳優になった方がいいというのは、これは老人ホームで働き始めてから、しばらくして考えたことだったんですね。例えばですね、老人ホームの廊下を歩いていると、あるおばあさんとすれ違うんですけども、すれ違う時に「あら時計屋さん」って言ってくるんですね。「いいえ、僕、介護職員です。すみません」と言ってすれ違います。また廊下を歩いている時に、「あら時計屋さん」って言ってくるんですね。この時に、僕は介護職員として俳優になってもいいんじゃないかなと思ったんですね。つまり時計屋さんになるということですよね。これはまさに高校の頃に、おばあさんと共同生活をした時に、ぼけは正すべきなのか、受け入れるべきなのかっていうことで悩んだ、その問題ですよね。特別養護老人ホームで働いて、いろんなお年寄りと出会うことによって、ぼけっていうのは受け入れた方がいいんじゃないかなと思うようになったんですね。というのも、ぼけを正していては、介護する方も介護される方も幸せにならないんじゃないかなと思ったんですね。
 
杉浦:  どうされたんですか?
 
菅原:  時計屋さんを演じてみたんですね。そうしたら、時計屋さん「どうもお久しぶりです。困ってることとかないですか?」「いっぱいあるわよ」って言って、表情がちょっと変わったんですね。そのおばあさんは、文房具屋さんだったようで、「私のところは店閉めたのよ。娘が外に出てるから」とか言って、いろいろ思い出話を始めてくれたんですね。その時に思ったのは、ぼけを受け入れたことによって、その人が見ている世界とか、その人が歩んできた人生に寄り添うことができるんじゃないかなと思ったんですね。僕も想像を働かせたりするわけですよね。それは僕の知らない世界だったりするわけですよね。ぼけを受け入れることによって、こちらもその人が見ている世界を想像することができて、広がっていくわけですよね。またぼけを受け入れることによって、認知症の人にとっても、ストレスがなくなるんじゃないかなと思いました。何を言っても否定していては、認知症の人の気持ちっていうのはかなり傷ついていきますよね。認知症の人っていうのは、確かにおかしな言動―こちらからするとっていうことですけど―増えてくるわけですよね。それは記憶障害とか、見当識障害といって、中核症状があるからこれはしかたがないわけですね。見当識障害っていうのは、難しい字を書きますけど、要は今がいつで、ここがどこで、目の前にいる人が誰なのか分からなくなる症状なんですね。
 
杉浦:  認知うまくできなくなるということですね。
 
菅原:  そうですね。はい。認知症の人って論理とか理屈とかは通じないことあるかもしれないけれども、感情はしっかり残ってるんですよね。僕らと同じように、当たり前のように、喜怒哀楽があるわけですよね。だから認知症のお年寄りとの関わりにおいては、論理や理屈にこだわるんではなくて、感情に寄り添う関わり方をした方がいいんではないかなと思いました。そうなると、その人が見ている世界を尊重した関わり方ですよね。僕らの常識からすれば、間違ったことでも受け入れなければいけないことがあるし、僕らには見えないものでも見たふりをしなければいけない時があるんではないかなと思ったわけです。例えばですね、傘を持って掃き掃除をしているおばあさんとか、あと足取りがおぼつかないおばあさんが、歩けないおばあさんの歩行介助をしてたりするんですね。介護職員はそれを見ると、危ないから余計なことしないでって思うわけですね、内心。しかし良き介護者は、その行動にそのまま反応してはいけないんですね。その奥にある気持ちを察する必要があるんじゃないかなと思っています。それはやっぱり人を思いやる気持ちだったりするんですね。認知症の人って、人が変わったように見えるかもしれないけど、人格のコアとなる部分はしっかりと残ってるわけです。人を思いやる気持ちっていうのはしっかり残ってるわけですね。だから認知症のお年寄りは、職員さんが忙しそうだから、ちょっと私が掃除してあげようと思って、間違って傘を持ってしまったのかもしれない。また椅子に座ってるおばあさんが、「トイレ、トイレ」と言ってるから、じゃあ私が連れて行ってあげるよと思って歩行介助をしているのかもしれない。つまり人を思いやる気持ちはしっかりあって、しかしそれが中核症状によっておかしなアウトプットになってしまってるだけかもしれないわけですよね。だから介護者は、その行動にそのまま反応するんではなくて、その奥にある気持ちを察する必要があるんじゃないかなと思っています。なので、傘を持って掃き掃除をしているおばあさんを見かけたら、「どうもありがとうございます。おかげさまで綺麗になりました。新しいほうきを持って来たので、これ試してもらってもいいですかね」とか、あと歩行介助をしているおばあさんを見かけたら、「どうもありがとうございます。僕、今休憩してきたので、代わりますのでどうぞ休憩していって下さい。ありがとうございます」みたいな感じで代わったりする。そういうふうに、その人の行動に合わせることによって、その人の気持ちを受け取ることができるかもしれませんよね。その認知症のお年寄りは、「私は人の役に立てた。ここが私の居場所だ」って思うことができるかもしれないですよね。だから結構日常生活で演技をするっていうと、人をだますとか、うそをつくとか、心にもないことを言うっていうマイナスのイメージがあると思うんですね。しかしですね、演技を通じて人と人が心を通わすこともあるんではないかなと思っています。僕がやってきた演劇っていうのは、まさにそういうことですよね。俳優はフィクションを通じて、お客さんに本当のことを伝える。そういう演技もあってもいいんではないかなと思っています。
 
杉浦:  最近は、認知症の方への接し方など番組を見ていましてもね、おっしゃることを否定するのではなく、演技をした方がいいとか、その方のためだったらうそをついてもいいとか、そういうようなお話を聞くこともありますけれども、でも菅原さんは、身をもって老人ホームで働きながら、しかも演劇もやってらっしゃるので、それを実感して実践してこられたんですね。
 
菅原:  はい。そうですね。僕も驚きでしたね。というのは、認知症って怖い病気だなって高校の頃思ってたわけですよね。しかしですね、その考えが、今、介護現場で働くことによってだいぶ変わりましたね。
 
杉浦:  それはどうしてでしょう?
 
菅原:  それは大きなことに気付いたからですね。というのは、認知症の人っていうのは、確かにいろいろなことができなくなるかもしれないけれども、今この瞬間を楽しむことができるということに気付いたからですね。まあ大切な思い出をなくしてしまうかもしれないし、目の前にいる愛する人が誰なのか分からなくなってしまうかもしれない。更にはどこにあるのかも分からない家に帰ろうとしてしまうかもしれない。いろいろできなくなることっていうのは大きいんですけれども、今この瞬間を楽しむことができるということに気付いたんですね。
 
杉浦:  楽しむこと? 幸せに感じることができるってことですか?
 
菅原:  そうですね。はい。僕は老人ホームで「がまの油売り」とか、演劇を上演したりしています。あるお年寄りはですね、お芝居が終わったあとに、「今のお芝居どうだった?」って感想を求めると、「お芝居? そんなのありましたっけ?」って言うんですね。見た直後に見たことを忘れてるんですね。最初は切ないなって思ったんですけど、今は別にそれでもいいかなって思うようになりました。というのは、演劇という表現形式の最大の特徴は、「今この瞬間を楽しむ」だと思うんですね。「俳優も観客も今この瞬間を共に楽しむ」だと思うんです。だから、今この瞬間を楽しんでくれたら、そのあと忘れてもいいや。一週間後にまた演劇やるから、その時に楽しもうよっていう感じですね。そう思えるようになって、僕は結構認知症っていうものに対して、楽観的になることができたんですね。もし僕が年老いて、認知症を患ったとしても、体を使った遊びをすれば、それなりに楽しいだろうし、すばらしい景色を見れば、「あぁ生きててよかった」って思うかもしれませんし、近くにぼけを受け入れる演技をしてくれる介護者がいれば、それはそれでハッピーなんじゃないかなと思ってますね。正直介護っていうのはしんどいこと、つらいことの連続なんですけれども、考え方関わり方を変えることによって一気に楽になることもあるんではないかなと思います。
 

 
ナレーター:  菅原さんは、活動するにあたって必ず守っていることがあります。それは「相手に寄り添う」こと。自分の価値観を押しつけず、相手の気持ちを一番に尊重することです。実はその思いに至るには、大きな訳がありました。劇団を立ち上げたその年に、兄の晃輔(こうすけ)さんが自ら命を絶ったのです。菅原さんは、大好きだった兄の心に寄り添いきれなかったことに後悔の念を抱き続けています。
 
杉浦:  三人きょうだいでいらして、一番上のお兄さんの突然の死。何があったんでしょうか?
菅原:  そうですね。僕の兄は、体がちょっと弱くて。あと職場での人間関係も、体が弱いっていうのが原因で、なかなかうまくいかず、仕事をやめてしまったんですね。それが三年前ですね。ただなんか…僕は、兄ととても仲が良かったので、よく音楽のライブに行ったりとか、遊びに行ったりとかしてた仲だったんですけど、仕事を失ってから、だいぶ印象は変わってしまったんですね。何をしてもやっぱり覇気がないというか、まず自分から話そうとはしないんですね。仕事がなくなった時っていうのは、やっぱりつらいですから、自分に合った仕事を見つけるまでは、大変な思いをするかもしれないけど、何か一つ見つかれば、そのレールに乗れば、だいぶ今の状況とは変わるんじゃないのとか、いろいろ相談に乗ったりはしてたんですね。で栃木で生活をしていたんですけど…そうですね、自分であの…死を選んだんですね。
 
杉浦:  それをどんな思いで、菅原さん受け止められたんですか?
 
菅原:  そうですね。うん…。まあいろいろ考えましたね。自分が自立しようとして、自立が難しかった人を置いてきてしまったんではないかっていうことですね。
 
杉浦:  置いてきた?
 
菅原:  はい。僕は演劇と出会ったり、介護と出会ったりして、たまたま運良く自立できただけで、もしかしたら僕も自立ができない生活を送っている人生もあったと思うんですね。兄と僕って、すごい共通点が多いんですね。人見知りで声が小さいところなんか似てるんじゃないかなと思います。ただ僕は演劇と出会ったので、大きい声を出そうとすれば出せるんですけど、兄は演劇と出会ってないんで、ずっとボソボソボソボソしゃべってたんですね。なんか根っこは似ているなと思ってたんですね。僕は自立しようと思って、岡山へ移住したわけですけども、兄はうまくいかないことがあって、あと体の問題もあったりして、将来に展望を持つことができなかったのかもしれないわけですよね。
 
杉浦:  お兄さんにどうしてあげればよかったっていうことでしょうか?
 
菅原:  そうですね。まあああすればよかった、こうすればよかったっていうのはあるんですけれども、やっぱりなんか兄に対して、こちら側の価値観を押しつけちゃってたっていうのはあると思います。はい。「ああした方がいいよ。こうした方がいいよ」とか。「今はつらいかもしれないけど、仕事見つけたらだいぶ楽になると思うよ」とか、励ましたりとかしてたわけですけど、結局のところ兄の心には響いてなかったんだな。兄はもう全くしゃべろうとしなかったので。だから…やっぱりこっちの価値観を押しつけるっていうのは、全然人を動かさないんだなっていう、まあ当たり前のことを知ったっていう感じですかね。
 
杉浦:  そういう体験をなさって、すぐ劇団「OiBokkeShi」の立ち上げだったんですよね。
 
菅原:  そうですね。
 
杉浦:  どんなふうに劇団に向かって活動を進められたんですか?
 
菅原:  あの時のことはあんまりよく覚えてなくて…。なんか僕としては劇団を立ち上げて、更にどんどんどんどん突っ走ろうっていう気持ちだったと思うんですよね。その突っ走ろうと思ったやさきに兄が亡くなったので…もう突っ走らないでもいいかなって思いましたね。ゆるゆるいこうって思いました。
 
杉浦:  そのゆるゆるやるっていうのは、どういう意味合いですか?
 
菅原:  それはですね、ほんとに始まってから実感しましたね。というのも、ワークショップ第一回目やった時に、岡田さんが参加してくれて、その時に「あっ、この人と一緒に芝居しよう」と思ったんですね。で多分岡田さんは、もう八十八歳ですから、僕らとはペースはだいぶ違うと思うんですよね。僕らのペースで演劇をやるんではなくて、僕はこの人と一緒にやりたいって思った岡田さんのペースに合わせながら、芝居ができたらなと思いました。まあこれがゆるゆるとやる感じなのか。まあそんな目標をしっかりと決めずに、今この瞬間を共に楽しみながら、ゆるゆると演劇をできたらなと思いました。これまで僕が生きてきた社会っていうのは、何て言うんですかね、進歩主義によって支えられてるんだなって思ったんですね。要は昨日よりも今日、今日よりも明日、人っていうのはどんどんどんどん成長しなければいけないっていう考え方ですよね。もうかなりできないことに対して、社会は深刻ですよね。できない人は、反省して学習して何とかできるようにならなければいけない。そういったプレッシャーはとても強いんじゃないかなと思います。しかしですね、老人ホームに足を踏み入れると、そんなのは妄想にすぎないかもしれないとも思うんですね。人っていうのは、だんだん老い衰えていく存在でもあるわけですよね。もちろんこれから成長するものに対して、何が正しくて何が間違ってるのか。そういうふうに教育するっていうことは、とても意義があることだと思います。しかしですね、まあ繰り返しますけれども、お年寄りっていうのはだんだんできなくなっていく存在でもあるわけですよね。何が正しくて、何が間違ってるかっていうのは、とうの昔に教えてもらってるか、自分で気付いているかしてるわけですよね。そんなお年寄りに対して、僕みたいな若い介護職員が、何が正しくて、何が間違ってるか。ぼけを正すとかね、そういった関わり方ってなんかおかしな光景に見えたんですね。なぜそこまでして、老い衰えていくものを、無理して成長させようとするのか。成長する成長しないとはまた別の価値観で接する必要があるなと思ったんですね。お年寄りはですね、今この瞬間が一番いい状態なんですね。明日は更に衰えてしまうかもしれないし、極端な話、病に倒れてしまうかもしれないわけですよね。今この瞬間を共に楽しまなくて、いつ楽しむのかということですね。そうなると認知症のお年寄りのぼけとかも、受け入れた方がいいんじゃないかなと思ったわけです。これは岡田さんと一緒に演劇活動することによって、更に強く実感するようになりました。岡田さんは、もう九十歳を超えているので、いつ何が起こるか分からないわけですよね。だから岡田さんと毎回芝居を作ってるとですね、縁起でもないことですけど、今回が遺作になるんじゃないかなとか、本番迎えられるのかなとか、やっぱり思ってしまうことがあるわけですね。そう思うとですね、目の前にいる岡田さんが輝きだすんですね。僕らは本番のために稽古をしているけれども、この一回一回の稽古が大切なんだな。共に今この瞬間を楽しむっていうのが一番大切なんだなっていうことを強く実感するんですね。
 
杉浦:  お芝居のテーマとして挑戦したいものっていうのもありますか?
 
菅原:  そうですね。次回は看取り演劇ですかね。
 
杉浦:  みとり?
 
菅原:  看取り演劇っていうのは、まあ「老い」と「ぼけ」と「死」があるとして、死と向き合うということになるんですね。これは結構ハードなんですね。ただこれは必ずしなければいけないテーマだと思ってます。実際にですね、介護施設でずっと働いていて、亡くなる方々がいらっしゃるわけですよね。その時に家族も、もう亡くなるっていう時に、家族も今から向かうけど間に合わないかもしれない。そこにいたのはお医者さんと僕だけだったわけですね。そのおばあさんの最後の一年にちょっとだけ関わっただけの人間が、今いるわけですよ。ただ見てるだけっていうのはやっぱりできないわけですよね。「もう少ししたらご家族来ると思うので、もう少ししたら来ますからね」っていうことを耳元で言ったんですね。そしたらすぐに息を引き取ったんですね。まあ僕は、人が亡くなる瞬間に立ち会って、最後に何か僕はその人にとっての最期の働きかけを僕はしたわけですよね。そんなに関係は特にないわけです。最後の一年だけなんですよ。その姿を見て、なんかここで…まあそれなりに苦しんではいると思うんですけど、安らかに眠ったおばあさんがいる。こんな死もある。それは僕が想像してた恐ろしい死とはまた別の、人間生まれたからには死ぬわけですよね。自分も事故とかなければ、こうやって死ぬんだな。ベッドの上で天井見て、誰かお客さんが来てちょっと挨拶して、そのまま息を引き取るんだろうなって。僕が今までにみとったおじいさんおばあさんの姿が、自分が亡くなる時の姿に重なるんですよね。それは僕にとって一つの大きな支えになってるっていうか。だから僕は人の死に立ち会うことってとても大切だなと思いますね。遠ざけたりするんではなくて、人が亡くなっていく瞬間に立ち会う。自分もいつか亡くなるわけですよね。その時にこれまで立ち会った人たちの姿が自分に重なる。これはなんか僕にとっては、大きな救いになるんじゃないかなと思ってますね。
 
杉浦:  そういう体験をされた菅原さんが、看取りの演劇をやってみたいと思ってらっしゃる。
 
菅原:  そうですね。はい。それをどうやって演劇にするのかっていうのは、まあ難しいんですけれども。
 
杉浦:  やっぱりおかじいが主演ですかね?
 
菅原:  そうですね。おかじいですね。おかじいが主演で。岡田さんそれくらいのことをしてくれると思います。「いつまで俳優しますか?」って言ったら、「お通夜の晩まで」って言ってるので。まあ最後の最後まで僕とつきあってくれるんじゃないかなと思ってます。
 
     これは、平成二十九年五月二十八日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである