宗教者の旅―一遍
 
                  東京大学教授 鎌 田(かまた)  茂 雄(しげお)
1927年、神奈川県鎌倉市生まれ。1945年、陸軍幼年学校卒業。終戦により陸軍士官学校中途退学。駒澤大学予科編入。帝国陸軍軍人より復員後、円覚寺で参禅し、駒澤大学仏教学部に進む。その後、東京大学大学院に進み、華厳学を専攻した。その後、東京大学教授となり、NHKの「こころの時代」で講師を務める傍ら、古巣の駒澤大学や、筑波大学、九州大学、大阪大学、富山大学、大正大学などで非常勤講師として指導に携わり、東京大学を定年退官後、名誉教授となり、愛知学院大学へ転任し、国際仏教学大学院大学の設立に理事として関わり、開校後は教授として指導に当たった。中国との国交正常化後文化大革命後は、日中仏教交流の普及に努め、中国社会科学院文献情報センターより名誉教授を贈られた。また、50歳を過ぎてから自宅近くの合気道場・天道館で稽古を始め、6段になるまで精進した。仏教学者(文学博士)で、中国仏教史研究に多大な業績がある。2001年逝去。
                  き き て  草 柳  隆 三
 
草柳:  松山市の道後温泉のほど近くに宝厳寺(ほうごんじ)というお寺があります。ここが捨聖(すてひじり)と言われた一遍の誕生の地といわれています。一遍上人は、延応(えんおう)元年(1239年)の生まれと言いますから、今からおよそ七五○年ほど前に生まれました。父親は河野(こうの)水軍の一党で河野通広(こうのみちひろ)。したがって一遍は河野水軍の血を受けた武家の出身ということになります。これは宝厳寺に安置されている一遍の立ち姿です。頬骨と顎が突き出た大変特徴のある顔です。体には粗末な衣をつけ、足元をご覧ください。筋だって今力強く半歩踏み出したというところです。履物はなくて裸足のままです。
 
生ぜしもひとりなり、
死するも独(ひと)りなり。
されば人と共に住するも独(ひとり)なり
(一遍上人語録)
 
これは一遍上人の語録のなかの言葉ですが、この像には、捨てて捨て抜いて旅した一遍の凄まじいばかりの気迫がこもっているようです。一遍は既に出家していた父親の勧めで、七歳の時に出家し、十三歳で九州太宰府(だざいふ)へ浄土門の勉強に出掛けます。学問と修行が身に付き始めた二十五歳の時、父親が亡くなり、家を継ぐために故郷の伊予に帰りました。結婚もし、そして子供も生まれました。その後しばらく在俗の生活を続けていた一遍は、三十六歳の時に人間存在の虚しさと申しますか、激しい無常観(むじようかん)に突き動かされて、再び求道(ぐどう)の旅へ出ます。この旅は「一処不住(いつしよふじゆう)」一介の遊行者として野山に伏し、草を枕に日本全国を巡る流転求道の旅でした。そして五十一歳(1289年)、神戸の観音堂(後の真光寺)で亡くなるまでこの旅は続くことになります。空海だとか、法然、親鸞といった優れた宗教家の中にあって、この一遍上人という人は、その中では特異な存在という印象がかなり強いわけですが、今日はその一遍の旅人と一遍の生き方を通しまして、その宗教性ということを考えてみたいと思っています。お話は東京大学教授の鎌田茂雄さんです。よろしくどうぞ。
今の松山の宝厳寺の一遍の像を見ておりますと、着衣がかなり粗末なものでありますし、それからなんといっても足がすごいですね。節だった足で、指の長い、現代人にはああいう足はどうもないようですね。
 
鎌田:  そうですね。足の迫力と申しますかね、そして筋、あれは大地をぐっ!とつかむ足ですね。そして一歩一歩前へ踏みしめて行く足で、これは我々にない足ですね。またその足が一遍の宗教を大きく特徴付けていると思いますね。
 
草柳:  先ほどもちょっとご紹介したんですけれども、一遍は一度出家して、また還俗(げんぞく)をしているわけですね。再びまた出家を三十六歳の時にしているわけで、この再出家というのは、これはどういう理由からだったんでしょうか?
 
鎌田:  最初の出家は、父親に言われて出家したんだろうと思うんですが、二度目の出家というのは、これは大変な人生の、彼自身にとっての心の葛藤と申しますかね、そういうものがあるはずだと思いますね。家督相続の問題なんかもあったでしょうし、あるいは女性の問題もいろいろあったと思います。女の人に惹かれる人だったと思うんですね。で女の人が一遍をみていると、どうしてもそばへ行きたくなると。そういうようなことがあって、いろんな女をめぐる葛藤が彼の前にあったんではないかと思いますね。その葛藤をじーっと耐えているうちに、自分がこのままやっていってはどうにもしょうがないと。なんかこれを突き破る道は無いかと。これを突き抜けて、なんか自分の本当に頷く道はないかというような気持ちになったと思いますが、一つは、彼が宗教的な一種の天才であったということで、出家への道を再び取ったんだろうと思います。
 
草柳:  だいぶその当時、一遍の身辺は、そうしますと複雑だったわけですね。
 
鎌田:  だと思いますですね。特に女性の関係をめぐってですね、後から一遍が家を出ていくような絵が出ると思いますが、ああいうのを見るとですね、やはりいろんな事情があったんだろうと思いますね。まぁ一言で言えば、大変女に苦しんだということだと思います。
 
(そ)れ生死(しようじ)本源の形は、男女和合の一念、流浪(るろう)の三界の相は愛染(あいぜん)妄境の迷情なり。男女形やぶれ、妄境をのづから滅しなば、生死本無にして迷情ここに尽ぬべし。
(一遍上人語録)
 
この一遍上人の語録の言葉を見ますと、一遍の気持ちが大変よく表れているんだと思いますね。この生死本源の形は、男女和合の一念と、そしてこの世に生きているいろんな苦しみというものは全部男女の愛染妄境から出ているんだと。だからそれをなくすれば迷いというものはここでなくなってしまうんだと言っているわけで、こういう言葉が出るということはですね、彼自身が大変に女性の問題で苦しんだんだろうと思います。女性の問題で本当に苦しんだからこそ、こういうような言葉が言えるんで、それを苦しまなければなかなかこうは言えないと思うんですね。普通の宗教家は綺麗事で一切異性を近づけないということだと思いますけども、一遍の場合には人間性そのものが、男も側へよっていきたくなるでしょうけども、女の人も一遍の姿を見ると、どうしても近づけたいと。一遍のそばへ座っているだけで、なんか気持ちが安らぐんではないかというようなことがあったんだと思いますね。
 
草柳:  非常に煩悩の多い人だったという気がするんですね、出家する前の一遍というのは。
 
鎌田:  煩悩というよりも、煩悩も非常に多かったと思いますが、もう一つは、強烈なエネルギーですね。これはそれも煩悩ではありますが、強烈な悪意にも向かうエネルギーと申しますかね、迷いに向かうエネルギーと申しますかね、そういうものを持っておられたんだと思いますね。だからその苦しみは余計苦しくなるわけですね。普通の人よりも、強烈な悪意のエネルギーがあればあるほど、それを正そうとするエネルギーが強くなりますので、ですからもともと非常に強いものを持っていた。煩悩も強烈であったということが言えると思いますね。
 
草柳:  女性問題で苦しんだと。具体的にはどういうふうなことがあったわけですか?
 
鎌田:  具体的にはあんまり歴史的な事実ははっきりいたしませんけどね。ただ九州から帰りまして、そして在俗に戻りまして、正室の妻を迎えて結婚しているわけです。それ以外にも何かがあったんではないかということが、聖絵(ひじりえ)で感じますね。具体的にどういうことがあったということは、ちょっとはっきりいたしません。
 
草柳:  この聖絵というのは、一遍上人のお弟子さんが残したってものはなんですか?
 
鎌田:  そうでございますね。これを見てますと、この再出家しまして、いよいよ家を出ていくわけですが、一番先頭に一遍上人が立たれまして、あと超二(ちように)、超一(ちよういち)と念仏房(ねんぶつぼう)と聖戒が送っているわけですが、これで家を出て行くんだと。この絵は送る方でございますが、正妻かどうかわかりませんが、女の人が送って、子供たちにも送っているわけでありますし、また柱にはかじり付くようにして、この二人の翁が送っておりますが、人間としては悲痛な別れだと思います。出家して一切の家族を捨てて、そして旅立つのであると。しかも普通の出家者なら、ひとりで旅立つわけでありますが、一遍の場合にはこの娘さんだかなんかはっきりいたしませんが、とにかく女の人二人と、念仏房という人を連れて、そして旅に出たわけですから、特異な旅立ちだと思いますね。
 
草柳:  そうですね。普通ならば大変後ろ髪を引かれる思いで家を出るわけですけれども、このときの一遍上人の心持ちというのは、果たしてどんなものだったかのか、絵からはわかりませんけれども。
 
鎌田:  そうですね。あの絵を見てますと、とにかく前を向いてますね。決して振り返らないと。とにかく前に向かってまっすぐに進んでいくんだと。そして手を振って、普通でしたら別れるときは「行ってくるよ」と言って手を振るんですが、それをしない。ただ前を、しかもただ前を向いて一切自分に関係する人たちを切り捨てて、そしてひとりで旅立つんではなくて、なおかつ自分の肉親の関係者であるとか、そういう人を連れて旅立っている。ここに偉大な人間性を感ずるわけですね。普通であったらば、全部置いて、たった一人で旅立つはずなんですが、ついてくるんならついていらっしゃいと言っているわけですね。しかも自分は本当にこの世の家族や何かを最後には捨てるつもりですね。
 
草柳:  このあと四国愛媛、伊予の岩屋寺(いわやじ)というところで修行することになるんでしょうか?
 
鎌田:  それはその前にやっていたんではないかと思いますが。岩屋では修行も大変な修行で、岩の大変聳えた山で、そして密教の行法をやったりするわけですが、これはやはり自分自身で、自分が自分の力でどれだけ修行すればできるのかと、到達できるか、なんかつかめるかという激しい意欲でやったんだと思いますね。ですからそれは一遍の大きな力になっていると思います。やはりああいう修験道の聖地ですね、ああいうところで山岳の霊気に触れて修行するということは、当然山の霊気を自分が感得していきますから、それが後に遊行(ゆぎよう)する場合に、彼のバイタリティの一つのあれにはなっていると思いますね。しかし彼は、それをずーっと続けることをしないで、再び旅立っていくというのは、それでやはり満足できないもの、飽き足りないものがあったんだろうと思いますね。何かをもっと何かを掴まなければ、自分の気持ちは収まらないという気で旅立ちがあったんだと思いますね。
 
草柳:  そして、一遍上人は四天王寺へ行くわけですね。
 
鎌田:  そうですね。
 
草柳:  四天王寺へ行ったということは、一遍のその後の生き方にずいぶん大きな影響を、
 
鎌田:  そうでございますね。その絵でもわかりますように、四天王寺で彼は戒律を受けまして、一人前の坊さんになるわけでございますが、そして念仏札をみんなに配るという決意が決まりまして、ああして天王寺の門の前で念仏札を配り始めたわけです。ただ自分でそう固く決意をして、一種の悟りを開いてやったんですが、まだまだ後に遊行するような大安心(だいあんじん)が得られていないだろうと思いますね。ですから周りにたかっている人たちも、何をしているんだろうこの坊さんは、というような気持ちで集まっているんだろうと思いますね。
 
草柳:  おそらく奇妙な坊さんが現れたというふうな感じで周りの人は見ていたかもわかりませんですね。
 
鎌田:  そうですね。どこの変な乞食坊主が、何しているんだろうと思って見に来たという感じですね。晩年たくさんの信者たちが、雲集して来るのに比べれば、今の絵を見てわかりますように、本当にまだ名もない人だったと思いますね、この時は。
 
草柳:  で、その四天王寺からですね、またあちらこちら旅が続くわけですけれども、決定的に一遍上人をしてですね自分の進んでいく道に確信を持ったというのは、大体いつごろのことになるんでしょうか?
 
鎌田:  熊野へ行ってからですね。ですから一遍を語るときには、熊野の参籠(さんろう)、熊野の権現様(ごんげんさま)の神託、これを除いてはないと思いますね。ちょうど熊野へ行った時に熊野権現―真中の老人のようなのが熊野権現ですが、これと出会ったわけです。熊野権現にお札を配ろうとしたんですが、自分は念仏を信じていない。信じていないから、その札は要らないと断られたわけですね。そういうことは一遍自身が念仏を信ずる者には札をやってもいいけれども、信じない者にはやってもどういうことになるのかという疑問が、一遍自身の中にあったんじゃないかと思うんですね。それをこういう比喩で表わしているんだろうと思いますが、とにかく熊野というのは、シャーマニズムもありますし、山岳信仰もありますし、そして独特な補陀洛(ほだらく)渡海もありますし、宗教的な雰囲気を持ったところだと思いますね。そこでやっぱり何かを決定(けつじよう)したかったと。また熊野は、阿弥陀仏を本尊としておりますので、阿弥陀仏の本当の声を聞きたいというので熊野へ来て、そしてああいう熊野権現に会えたということですね。それによって自分の疑問をどうしても解決しようと思いまして、熊野に参籠するようになったと思います。これが熊野に参籠して、この熊野権現様から御託宣を受けているわけの絵でございますね。ここで結局一遍の安心は決定(けつじよう)して、これからの活動の根元になっていくわけですね。いったいじゃぁどういうことをここで一遍が決定したのかということが、非常に問題になると思います。
 
融通念仏すすむるひじり、いかに念仏をばおしてすすめらるるぞ。御坊(ごぼう)のすすめによりて、一切衆生はじめて往生すべきにあらず。阿弥陀仏の十劫(じゆうごう)正覚(しようかく)に、一切衆生の往生は、南無阿弥陀仏と決定(けつじよう)する所なり。信不信をえらばず、浄不浄をきらはず、其札をくばるべしとしめし給ふ。
 
これが一遍の確信といいますか、悟りだろうと思うんですね。今まで信じない人にはお札を配ってどうかなというちょっとした懐疑心があったわけです。それがこれによって全く無くなったわけですね。お前が念仏するんじゃないんだと。初めから一切衆生の往生は阿弥陀仏と決まっているんだと。だからそうなりますと、信ずる人にお札をやるというだけではなくて、信じない人にも信じる人にもやるんだと。そして浄不浄を嫌わず、綺麗な人、汚い人、善い人、悪い人、そういうようなことを一切自分では選ばないんだと。だからどんな人にも札を配るという確信がここで生まれたんですね。それを教えてくれたのが、熊野の神様でありますが、これによってお札を万人に配ると。相手を選ばないという強い確信が一遍の中に生まれてきたと思いますね。
 
草柳:  その札を配るというのは、どういうことなんでしょうか?
 
鎌田:  一番簡単です。そこには「六十万人往生をするんだ」と書いてあるわけですね。阿弥陀仏と。それ頂けば確実にその人は往生できるわけです。だから一番簡単なんですね。それをもらえば往生できるんですから。こんな簡単なことないんですね。しかしこんな簡単なことはないんだと言って、これは配る人が一遍のような人でなければ、それはダメなわけですね。そのお札をいただけば往生できるんだということが書いてあるわけですね。そうするとそれをいただくと、頂いた人はこれで自分は確実に往生できるんだと信じるわけですね。一遍が配るからそうなるんであって、他の人が配ったんじゃダメなんですね。信不信を選ばず、選ばず必ずお前は救われるんだと。あるいは本来救われているんだというんでお札を上げるわけですね。それはやはり宗教的なひとつの強烈な気迫、信念、確信だと思いますね。それがないと、そういう行為は、ただ札をやるというだけになりますので、意味をなくしていくわけですね。またもらう方の人も、札をもらえば往生できるんだと、その人に言われて頂く。これは簡単ですよね。非常に簡単だし、そうして誰もが入れますね。難しい教えも説く訳じゃありませんし、朝から晩まで念仏しなくちゃいけないというわけでもありませんし、ですから誰もが容易に入れますね。ですから、たくさんの人が、初めはこの半分ですね、不信の気持ちがあってもらったかもしれませんが、一遍様のお姿を見れば、それは確信が持てたんだと思いますね。一遍様が配られると、これは仏さまが配ってくれたみたいに思うんじゃないでしょうか。そういうエネルギーがないと、札配るというのは意味を持たないと思いますね。
 
草柳:  言葉で教えるものでもないし、それから修行を通してですね、ある境地に達するということを教えたのでもない。ただひたすらお札を配ると。
 
鎌田:  そうです。だからこそですね、武士も農民も商人も、男も女も、一切そういう階級を選ばないでみんな来るんだろうと思いますね。でなければ、教えを説いて改心をすれば救われると言ったんでは来ませんからね。下の方の階層で、おそらく文字も読めないような人達は、それはついていけないわけです。ですから、文字を読めなくとも、一遍上人を信じてですね、これをいただくんだと。これで往生できるんだというんで安心が決まっているんだと思いますね。だからやはりそれをなし得る力というのは、一遍上人の力だと思います。宗教的な天才といってもいいんですが、やはりそれは強烈は発する気だと思いますね。そういうものが彼の体の中にあったんだと思いますね。それで真っ直ぐに歩いて行きますね。あれ見ると誰もがみんな後を付いていくという気になるんだろうと思いますね。
 
草柳:  一遍が、そういう力を持ち得たということは、例えば他の優れた宗教家と比べてみた場合にですね、一遍の場合にはかなり日本の古い山岳信仰だとか、あるいは自然崇拝だとか、そういったものと非常に密接な関係が一遍の場合にはあるんじゃないかというふうな気もするんですけれども、その辺はどうなんですか?
 
鎌田:  あったと思いますね。やはり岩屋寺とか、ああいうところの、窪寺あたりでも山岳信仰の霊気もありますので、そういうところでやることによって山の霊気を吸い取っていますね。安心決定したのがまた修験道の領域でもあります、そういう熊野でやっておりますのでね。ですからそういう日本の風土にですね、本当に昔からあったようなもの、それが土台になって、形は念仏でありますが、仏教でありますが、その裾野はそういう土着のものが根付いていたと思いますね。だからあの足で分かりますように、大地をただ歩くんじゃなくて、大地からこう這い出したという感じですね。日本のこの大地から、日本の風土から、日本の精神風土から、しっかりと出てきたものだという感じを強く持ちますね。若い時、浄土学やなんか勉強はして一応の仏教の知識はあったんだろうと思いますが、いわゆる教学とか、何かを立てるんではなくて、行としては非常に単純な、後からまた出てくる踊り念仏ですが、非常に単純なものですが、しかしそれはエネルギーとしては巨大なものを持っているという感じですね。
 
草柳:  先ほど「階層を問わず」というふうにおっしゃいましたけども、武士なども最初は随分一遍上人を敬遠していた向きもあったみたいですけれども、この熊野権現以降はそういうこともほとんどなくなってきたということですか?
 
鎌田:  だと思いますね。武士であっても、これは武士というのはいつ死ぬかわかりませんね。そういういつ死ぬか分からないというようなところで生きている人は、余計かえって惹かれるものを持ったと思います。この絵がちょうど武士の屋敷の中へ汚い格好をした一遍が入って行ったわけですね。念仏札を配ったわけです。そうしますと、武士は黙ってもらった。そうすると、周りの侍たちが、「あんな卑しいなりをした坊さんから、どうして念仏札なんかをもらうのか」と言いましたら、その武士が、「念仏というものには、嘘の偽りはないんだ」と。黙ってもらったんですね。この武士がやはり大変な人だと思うんです。後に一遍上人が、その武士のことを褒めていますが、「この武士というのは、人によらないで、法によっている―法というのは教えですが、あるいは真理といってもいいですが―そういうものによっているから、自分の念仏札を素直に受け取ったんだ」と。普通は汚い格好した人が、「お前、これ取れ」と言っても、なかなか取りません。その武士は平然と受けた。その武士は、「自分は念仏というものは全く正しいもんだと。誤りのないもんだと確信しているから、自分は受け取ったんで、人間を見て、相手を見て受け取ったんではないんだ」とこう言っているわけですね。やはりその武士の念仏も大変なもんだと思います。やはりその武士自身が前から持っていたんですね。それを一遍上人にお会いして、はっきりとそれをまた自覚したんだろうと思いますね。そういう説話がただいまの絵になって現れているんだろうと思いますね。
 
草柳:  一遍の場合には、このあと踊り念仏という世界の中に入っていくわけですね。この踊り念仏というのは、当時の社会の中で、おそらく最初は先ほどの例ではありませんけれども、ずいぶん奇異なことを始めたというふうな受け止め方というのはやっぱりずいぶんあったんではないかという気がするんですけどね。
 
鎌田:  そうですね。やっぱりここの絵で、信濃の国でやってる、これが踊り念仏が初めて一遍がやっているという絵ですが、後に京都でやったようなたくさんの群衆が集まってやってませんが、しかしとにかく知らず知らない間に踊っていったんだろうと思うんですね。歓喜の喜びというものが、念仏唱えて、知らない間に踊るようになって、一遍上人が鉦(かね)かなんか叩いておりますが、それに合わせて、そこにいる人が阿弥陀仏を節をつけて称えながら、そして踊りはじめたと思うんですね。これは誰に言われて踊ったんでもないし、自ずとこういうふうになっていったんだと思いますね。一瞬の歓喜行(かんきぎよう)―喜びの行ですね。
 
草柳:  それまでの仏教の修行の方法とは全く違うわけですね。
 
鎌田:  違いますね。ここに歌がありますので読んでみます。
はねばはね踊らばをどれ
春駒の
のりの道をば
しる人ぞしる
 
もうはねばねと、まったく馬が跳ねている様に踊っているわけで、あんなに踊ってなんだろうと。もう春駒のように、ただ踊りたいから踊っているということだと思います。
 
草柳:  例えば、悟りの境地を開くとか、安心立命の境地をつかむというふうな場合には、普通でしたら心を静めるところに、そういったものが生まれてくるというのが、おそらくそれまでの教えではなかったかと思うんですよね。
 
鎌田:  そうでございますね。ですから京都の方で、比叡山にいる人が、この一遍の踊り念仏を批判して、雑念や煩悩をとるというのは、心を静かに静めていくことでないか。それなのにあんなに踊るというのは、これは仏教じゃないんじゃないかという批判を下しているわけです。しかしそうではなくて、考えなければならないのは、一遍さんも書いておられますが、人間の心というものだけ考えて、心なんていうのは実際ないんですが、その心で心の迷いを除こうということダメなんですね。やっぱり体で行わなくちゃいけない。体を動かしているうちに一つの喜びの境地なり、三昧の境地が出てくるんで、頭の中で、知恵で、あるいは心が迷っているから心を静めるんだというやり方も、それはあるかもしれませんが、そうではなくて、体を動かしていく。体を躍動させることによって、宗教的なエクスタシー(ecstasy:快感が最高潮に達して無我夢中の状態になること。恍惚。忘我。宗教的儀礼などの際に体験される神秘的な心境)ですね、入りうるんだと思うんです。踊り念仏というのも、これは突然一遍がやったんではなくて、以前にも空也上人もやっておりますが、一遍のように集団でやったのはこれは初めてだろうと思いますけれども、とにかく古い時代でも新羅(しらぎ)の元暁(がんぎよう)(617-686)という人が、やはり踊り念仏やりまして、元暁というのは破戒僧で酒を飲みますし、子供まで生ませた人ですが新羅の僧です。この人が民衆と一緒に鉦(かね)たたいて踊ったんだろうと思いますね。そういうような伝統があったわけで、それをこの集団的に踊り念仏を中心に据えていったというところに一遍の凄さがあると思いますね。しかも一人で踊ってたんじゃダメでして、集団で踊りますと強烈なエネルギーがそこから発散されるわけですね。ですから、集団でこう踊るようになりますと、これはみんなそこへ参加できますからね。たった一人踊っていてはなかなか参加できませんが、あの人も踊っている、それでは私もと。そして中には、信者自身の中には尼さんも多いし、女の信者もいますし、女の信者や尼さんも踊っている。それならば、もうみんなそこへですね平気で、何のこだわりもなく、踊りの中へ入れると思いますね。
 
草柳:  男は余計よってきますね。
 
鎌田:  そうかもしれません。とにかくですから、そういう人を集める力があったと思いますね。でないと、一人だけということはダメですから。そして集団が宗教的なエクスタシーを持っているわけですね。その力というもの、あるいはそれを評判を伝え聞いて見に来るもの、見に来ていれば自分も踊ろうかという気になりますからね。そういう力は、今までの宗教史を通じてないだろうと思いますね。普通なら悟るために坐禅をするとか、静かに念仏を唱えるとか、山の中で修行するとか、お経を何百回読むとか、それが破天荒に踊り狂うわけですね。しかもその踊りは、念仏の踊り、しかもそれは無我の踊りですね。自分があったらできませんので、自分を完全に解放して、そして踊るから無我の踊りだと思いますね。人に笑われるとかですね、人に見られるとか、褒められるとか、そういうことは全くないんだろうと思いますね。ただひたすら踊りが踊っている、ということだと思いますね。
 
草柳:  まあ一種の狂騒状態といいますか、エクスタシーの状態って、なぜ民衆の人々が、一遍上人の踊り念仏にこれだけ付いて行ったのかということは、その教えもさることながら、やっぱり当時の、十三世紀の後半ぐらいですか、鎌倉時代の時代的な背景といったものとも切り離せないんじゃないかという気がするんですけれども。
 
鎌田:  と思いますね。承久(じようきゆう)の乱があった後で、大変乱れておりますし、武士もいつ死ぬか分からない。下の階層の人はもうそれは本当に上から押さえられて、そういう時代の不満というようなもの、欲望のはけ口というようなもの、それがああいう形で発散されていくと思いますね。あれは貧富を問わないわけですし、武士も農民も、みんな踊れるんですから、これは取り込めると思いますね。やっぱり時代のそういう人間の苦悩、欲求のはけ口がない、そういうのが大きく惹き付けていったと思いますね。
 
草柳:  特に女性が、尼さんが大変多かったというのは、これは面白いですね。
 
鎌田:  そうですね。やっぱり一遍上人自身が、女の人を惹きつける何かを持っていたんだと思いますね。若い時から、ですから女の問題ではずいぶん一遍自身も悩んだと思いますね。一遍の姿を見ていると、女の人が側へいって座っているだけで心が落ち着くんじゃないでしょうか。そういうものを潜在的に持っている。その上にまた全てを捨て去って、念仏だけで生きている。後を顧みない、前だけジッと見て歩いている。それを見れば、女の人はまたついていくんだろうと思いますね。
 
草柳:  それにしても、寺も持たない、それから家も持たない、ただひたすら生涯を遊行し続けた一遍の旅というのは、一体なんだったんですかね。
 
鎌田:  これはやっぱりどこで死んでもよかったんだと思いますね。もう死ぬことも、念仏の中に入っていますし、生きていることも念仏の中に入っている。鎌倉へ入る時に邪魔された時ですね、自分がここで念仏できないんなら死んでも構わないんだという気持ちを強く持っていたと思いますね。ですからもう熊野の神勅を受けてから後、日本中大地を踏みしめて行くんで、いつどこで死んでもよかったんだと。その死ぬとか、そういうこともまた超えて、ただひたすら何かを見つめていたんだと思いますね。ですから一遍が「南無阿弥陀仏」というんじゃなくて、大地全体が南無阿弥陀仏で、その中にただ一遍は確実に大地を踏みしめていたということですね。この絵を見ましても、一番最初に一遍がちょっと背中を丸めたような格好で行きますが、みんな後を慕うんですね。このようにいろんな男の人もいるし、女の人もいますし、みんな後を慕う。あとを慕うというのは、これは大変なことだと思うんですね。現在の世の中では、地位とか肩書きで後を慕うことがあるかもしれませんが、なんにもない、全て捨て去って念仏だけ唱えている人に、ぞろぞろぞろぞろ慕って行くんですね。だから人間が人間に随っているということ、これは大変なことだと思うんです。山伏のような格好をした人もいるし、いろんな武士もいますし、みんながぞろぞろと慕って行くわけですね。
 
草柳:  しかも、こういう一遍の旅というのは、捨てていく旅だったわけでしょう。
 
鎌田:  そうです。まず家族を捨てていきますね。愛欲の絆を絶っていきます。ですから一切を捨てているわけでありますし、物なんかもですね自分では生産しない。当然喜捨を受けたり、喜捨を施してくれなければ、それで死ぬしかないわけですから。もう全く捨てさった旅ですね。物も持っていない。全く捨て去ったところに人々が群れて来るというのは面白いですね。またそれは一遍の人間的なエネルギーだと思いますね。宗教者としてのエネルギーと言いますか、一遍の体から発するやっぱり気だと思いますね。念仏の気と申しますかね。そういうものがぐぅ〜っと包み込んでいくんだろうと思いますね。
 
草柳:  それとやっぱり相当人間的な魅力というか、そういうものがなければやっぱりこれだけの人は当然つかなかった。
 
鎌田:  ついていかないと思いますね。冷たい人ではついていきませんから。私の考えでは、男でも女でも、女ということに限らずですね、一遍さんのそばにいると、なんというか気持ちはそれだけで収まると。なんとなくほのぼのと喜びが生まれてくるというようなお人柄だと思いますね。顔自体は大変強い顔していますがね。
 
身をすつる
すつる心をすてつれば
おもひなき世に
すみ染めの袖
 
これは遠くにあるおじさんの所へ行った墓ですね。墓といってもただ土饅頭があるだけで荒涼とした景色です。もう捨て果てている。捨てる心もまた捨てるんだと。なんにもないわけですね。もう捨てようという気持ちもそこで捨て去ってしまうんだと。しかしおじさんの墓で、一遍は拝んだり、時宗の人たちが念仏を唱えているんだろうと思いますが、これはなんにもない世界ですからね、死後の世界というのは。そういうところにおじさんがいるんだろうと。それを供養するわけですが、寂しい絵でありますが、人間の姿の本当の実相を描いた絵だと思いますね。人間も死ねばこういう絵のようなところになるわけですから、生きてるうちは元気でいろんなことをしていますが、死んでしまえばですね、まさにこの絵ですね、荒涼たる世界に、一人生まれて一人死んでいくわけですから。その気持ちがこの絵は非常によく表れていると思いますね。
 
(ことば)をつくし乞(こひ)あるき
へつらひもとめ願はねど
(わづか)に命をつぐほどは
さすがに人こそ供養(くよう)すれ
それもあたらずなり果(はて)
飢死(うえじに)こそはせんずらめ
 
そうですね、これはですから乞食(こつじき)をして、旅から旅へこう流浪して行くわけでありますが、供養する人がいなければ、もうそのまま飢え死にしてもいいんだと。もう勢い死ぬということは、念仏の中へ入っちゃっているんだと思いますね。ですから、どこの大地で死んでもいいんだと。歩いてるところ、彼にとってはどこもみな同じですね。陸奥(みちのく)も、京都も、広島も、淡路島も、九州も、みな同じなんですね。大地そのものが念仏ですから。その大地そのものの念仏の中から這い出して、そしてそれを見つめているわけですから、どこで死のうといいと。だからこういうようなお言葉を見ると、大変な決意と言いますか、やはり武士の出身でありますので、それは強烈なそういう意志の力を持っていたと思いますね。
 
草柳:  凄まじいですね。
 
鎌田:  凄まじい一生だと思いますね。普通の人ではなかなかできないことでありますが、彼はそれをそこに心を最後の決着を見いだしたんだと思いますね。
 
草柳:  その遊行している最中にですね、一遍の周りにずいぶんいろいろ奇瑞といったような現象がしばしば現れるということが語録にもあるそうですね。
 
鎌田:  そうですね。特に念仏踊りなんかやると、華(はな)が天から降ってきたり、あるいは紫色の雲がかかったりするらしいんですね。そうすると、信者の人たちや周りの人達が、大変な不思議なことが起こったと。これは何だ何だと騒ぐわけですね。けれども、一遍自身としては、そんなことは別に不思議なことでもないわけなんですね。
 
(はな)の事は華にとへ、
紫雲(しうん)の事は紫雲にとへ、
一遍はしらず。
 
華が天から降ってきても、それは華に聞いたらいいんで、あるいは紫色の雲が出ても、それは雲に聞けばいいんで、一遍はそんなことは知らんと。それはどういう意味かと申しますと、華が降ってきたから、これは奇瑞だとか、瑞兆だとか、紫色の雲が現れたから、これはいいことがあると思うのが間違いで、そういうことを思う心―これを計らいと申しますがね―そういう人間の心そのものを捨て去ったしまえば華は華ですね。紫の雲は紫の雲ですね。ですから別にそんなことにとらわれることは無いんだと。華が降れば華が降ったでいいんで、また踊り念仏の集団の中には、念仏の集団の気が漂いますよ。そうすれば、その気がこの紫色の雲のように見えることも当然あると思いますね。ですから、そういう奇瑞と騒ぐには何もない。もしあれば華が落ちてきただけ、雲が現れてきただけというのが、一遍の気持ちでしょうね。それを奇瑞だ奇瑞だ、いいことだと騒ぐほうが間違い。現れるものは現れればいいんだし、また雲じゃなくて、雨が降るなら雨が降ってもいいんだし、大雪が降ったら大雪が降ったでいいんだし、それで埋もれてしまったら埋もれてもいいんだと。そういうすごい気迫が一遍にあったと思いますね。それがこういうような言葉を語らしめていると思いますね。花のことは花に問えばいいんだと。それをとやかく心の浅はかな人間の気持ちで、あれはいいことだ、これは悪いことだと。これが出たから明日悪いことがあるぞとかというようなことを考える必要は全くないんだという気持ちが、こういうことを言わしているんだと思いますね。
 
草柳:  何かすべてはあるがまま、そのあるがままの自然の中に人間はただ生かされているだけというふうな感じがありますね。
 
鎌田:  そうですね。あるがまま自然と申しましても、一遍の目から見ると、本当にあるがままが見えるんですが、我々の目で自然を見ると、あるがままに見えないんですよね。だから一遍の目で見るから、花は花なんですね。雲は雲。我々が見ると、花見ても、これはいい花だな、家へ持っていって飾ろうとか、これを活けたらいいなとか、この花は私大好きだとか、すぐ心が動いていきます。一遍は、花の命は花の命でいいんだということですね。だからそのままを肯定するというよりも、自然そのものが仏国土にある自然なんですね。浄土の自然なんですね、一遍にとっては。我々にとってはただの自然ですがね。一遍にとっては、それはもう本当の自然が見えるということは、それは仏国土だから見えるんですね。純粋自然と申しますかね。そういうものを一遍はやはり見ていたんだと思います。だからかえって一遍のような目で見れば、花の命というものも、本当の花の命を感じうるんだと思いますね。
 
草柳:  そうすると、一遍にとっては、自然はそういうものである。人間の中に有る心というのは、一遍にとってはどうだったんですか?
 
鎌田:  やはり人間の心もみんな曇って見るから、ちゃんと見えないわけです。一遍の目から見れば、人間の心も南無阿弥陀仏と見えると思うんですね。だから、別に心の中の奥底に何か深いものがあるなんていうことは、一遍は絶対に考えないですね。心は苦しんで悩んでいてもいいんですね。それでそれがそのまま喜怒哀楽で揺れ動く心そのものが南無阿弥陀仏なんだというふうに見ていたと思いますね。ですから、全てが透明に見えると思いますね。自然も人間も。ですからあの目はすごいです。あの木造のこう眉毛も強いし、そして目がくぼんでいながら、全部透視する目ですね。だからあの目で見れば、人間も自然もこれは極楽だと思いますね。極楽浄土の荘厳だと思いますね。
 
草柳:  これは一遍の晩年の頃でしょうか?
 
鎌田:  そうでもありませんけども、修行中に、
 
となふれば
仏もわれもなかりけり
南無阿弥陀仏の
声ばかりして
 
法灯(ほつとう)国師ところで、この言葉を、偈文を出したんですが、法灯国師がお許しにならないわけですね。「となふれば仏もわれもなかりけり、南無阿弥陀仏の声ばかりして」と言いますと、まだ「南無阿弥陀仏」が残っているわけですね。仏も自分もないんだけれども、まだ南無阿弥陀仏が残っている。それではいけないと。国師が言われるわけですね。そうすると、また次の歌を一遍が持っていくわけです。その歌が、
 
となふれば
仏もわれもなかりけり
南無阿弥陀仏
なむあみだ仏
 
これに対して、国師が印可(いんか)を与えられたと。お前の悟りはしっかりしていると。立派なものであると。こう印可を与えたわけですね。これになると、前の歌は「南無阿弥陀仏」だけがまだ残っているわけですね。これになるとなんにもないんですね。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」これはなんにもないんです。無心の南無阿弥陀仏ですね。念仏が念仏している感じで、前の歌だと自分が念仏しているという感じなんですね。この歌になりますと、念仏が念仏している。となりますと、自分は何にもないわけです。それは自分というものの我執が全くなくなって、ただ天地玲瓏として阿弥陀仏だけがあるわけですね。自分はこの中へ全く包まれていっているんだという感じの歌だと思います。
 
草柳:  すごい世界ですね。
 
鎌田:  私たち凡人では到底到達し得ない世界でありますが、彼はそれを掴んだんですね。強烈な気力、強烈な意欲、それで掴み切ったと思いますね。
 
草柳:  一遍は、五十一歳で亡くなるわけなんですけれども、最晩年というのはどうだったんでしょうか?
 
鎌田:  そうですね。最後は死ぬ場所を求めて、それは書写山(しよしやざん)(姫路市)で死にたいといったんですが、そこに行く前に亡くなられたわけですが、書写山で死にたいというのは、自分の遺体を鳥獣に施すんだと。これは一遍だけではなくて、中国の禅僧なんかでも、あるいは沢庵禅師なんかも、自分の遺体を埋める必要はないと。一遍は書写山に自分の遺体を葬ってくれと。そういう希望を持っていたんですね。書写山というのは、大変に西の比叡山と言われる山でございますが、鬱蒼とした古木が茂っておりますし、おそらく昔もそうだったんだろうと思いますが、一種の霊山でありますね。ですからここで鳥獣に自分の遺体は施してくれと。そういうふうに言っていたわけですね。どこで死んでもいいんですが、若い時に書写山に来たことがありますし、書写山の山の奥の方には修行者の岩窟のようなものもありますし、ですからやはり死ぬならこの山という気があったんだろうと思います。本当はどこで死んでもいいんですが、ここに何か一番鳥獣に自分の遺体を施してくれという気持ちですと、この山が非常によかったんだろうと思います。実際はここでは死ねなかったんですね。その頃になりますと、
 
一代の聖教(しようきよう)皆尽きて
南無阿弥陀仏に
なりはてぬ
 
これが最晩年の境地でございましょうね。もう一切のお経というものをみんな書写山に返してしまう、焼いてしまってもいいんだと。そして自分も御経も南無阿弥陀仏になりはてたわけですね。これ大変にいい言葉で、南無阿弥陀仏になりはてぬと。ちょうど中国の臨済という人も、やはり一切聖教なんていうのはいらないんだと。お経というものはクズ紙に過ぎないんだと言われましたが、ここまでくると、もう御経もなんにもいらないんですね。あるいはお経に書いてある命というのは、全部南無阿弥陀仏になり果ててしまったわけですね。そこには自我を持った一遍もないわけですね。南無阿弥陀仏だけがあるわけですね。これ大変いい言葉だと思います。
 
草柳:  一遍の死後ですね、一遍と共に同じ道を歩もうとしていた人たちが、何人も後を追ってですね、命を絶つというふうなこともあったようですね。
鎌田:  そうですね。七人の人が海に飛び込んで入水したと。その中で一人は尼さんだったということですね。これ大変なことで、それで遺言の中では自分の死後ですね、後追いして死んでいってはいけないということを固く言っていたんですが、やはり一遍が死ねば、もうそれは止むに止まれない気持ちで入水往生したんだと思いますね。もう本当に一遍と一つだということだと思いますね。この書写山まで行けないで、病が重くなりまして、ここで亡くなられたわけでございますが、一遍自身はお墓を作ってもらいたいという気はなかったんでしょうけれども、ここにお墓を弟子達が作りまして、祀られているわけであります。
 
草柳:  こういう墓ができるということは、生前の一遍の本意ではなかったということかもわかりませんけれども、しかし、それにしても今までずーっと一遍の宗教性という話を伺ってきましてですね、よく鎌田先生が比較してお話になるんですが、「生ずるも独りなり死する独りなり」ということで言いますと、例の剣豪の宮本武蔵と一脈通ずるところがあると。これは鎌田さんはどんなふうな見方を持っていらっしゃるんですか?
 
鎌田:  私は、宮本武蔵の『五輪書(ごりんのしよ)』が好きで、年中読んだりしているんですが、宮本武蔵も独行道(どつこうどう)で、独りの道を歩いて、一切ものを捨てて剣気を磨くだけで生涯過ごされたわけでありますが、宮本武蔵と一遍さんは同じように独りの道を歩んだと思うんですね。ところが、宮本武蔵の場合には、すべてを拒絶していますね。愛する女性(によしよう)が追いかけてきても全部拒絶していますね。一遍の場合には、全部を捨てているんですが、あれだけの人たちが随っている。宮本武蔵の場合には、晩年は寂しくわずかな数の弟子たちに看取られて死んでいくわけですね。誰も後をついていかない。彼の側へ来ると、彼の剣気に当てられるからついていかないのかもしれませんが、同じ一切を捨て去った二人が、晩年においては違うと思うんですね。この一遍の場合には、たくさんの人たちが慕っていった。随っていったわけですね。武蔵の場合には、最後まで孤絶の道ですね。たった独りの道。独りで生まれて独りで死んでいくということを見事に実践したわけですね。一遍の場合には、全てを捨て去りながら、あらゆる人々に慕われていったと。これは一遍の場合には、あらゆる人々をなんか抱擁できる、そういう何かを持っていたと思うんですね。武蔵の場合には、峻厳にしてよるべからずである何かを持っていたと思いますね。ですから同じように捨てて生きた人でありますが、両者はやっぱり全く離れた違う世界で死んでいったと思いますね。しかし、人間生まれて確実に言えることは、人間は死ぬために生きているというだけですが、二人とも死ぬために生きたんですがね、その二人の生き方はやはり違うと思います。
 
草柳:  ところで、もうほとんど時間もなくなってきたんですけれども、東洋の思想が、例えば外国辺り、ヨーロッパ辺りでも見直されている。その現代にとって一遍というのは、今生きる我々にとって、どういうふうな意味があるのか。その辺は鎌田先生はどういうふうにお考えでしょうか?
 
鎌田:  そうですね。現代は頭の時代と言いますか、情報化社会ですからね、極度に知恵が発達していますね。一遍の場合には、愚かになれですね、そして足が大地についていますね。ですから足で生きていますね。現代の私たちは、足で生きること無いわけです。頭で生きてますね。ですから一遍が大地をこの足で踏み締めたということは、現代最もないものですね。もう一つは、我々でも一切のものを捨て去って、なんか仕事してみたい、あるいは誰も人がいない荒野に歩いて行ってみたいということを、ふっと思いますね。ところが私たちは、社会的にも家庭的にもできません。それを一遍は断固としてやったわけですね。愛する人も妻も全部捨てて、そして独立の道をたった独りの道を歩いていったわけですね。それは私たちにとって一つ強さ、一遍の強烈なエネルギー、それが憧れの的になるんじゃないかと思いますね。私たちはそれができないわけですね。そうしたいなと思ってもできない。しかしできなくとも、一遍のようなまっすぐ見て、後ろを振り返らない。全部捨て去ってこのひとつの道を前だけを歩いていくという生き方は、なんか私たちにも何かを与えてくれるんじゃないでしょうか。何か力強いものを、我々がそこから感得できるんではないかという感じはいたします。
 
草柳:  しかも一遍の場合にも、ある意味では知恵の向こう側に安心立命の境地があるという教えだったわけでしょう。
 
鎌田:  そうです。
 
草柳:  今もやはり知恵というものが、知識というものが、先へちょっと見えているというか、限界みたいなものを我々も現代社会の中で感じているわけで、そういう点では非常に親近感みたいなものを感じますですね。
 
鎌田:  そうですね。知恵の根底にあるもの、大地性と申しますかね、大地から根が生えたもの、その上に乗って生きているという感じですね。だから現代人もやはり反省しなくちゃならないという感じは強くいたします。
 
草柳:  今日はありがとうございました。
 
     これは、昭和六十一年六月一日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである