アイヌ ネノ アン アイヌ―人間らしい人間―
 
                 アイヌ長老 浦 川(うらかわ)  治 造(はるぞう)
1938年、北海道浦河町姉茶生まれ。父親の狩猟に付き添い、11歳の頃から山の知識を学び、自然との深い関わりの中、アイヌの精神性を受け継いできました。1983年、45才で家族を北海道に残し単身上京。学業は家の手伝いで忙しく専念できなかったため、読み書きも不自由でしたが、持ち前のバイタリティと周囲の人を惹きつけてやまない魅力で、2年後には解体業の会社を起こし、家族を呼び寄せます。1992年、関東ウタリ会の会長に就任。1995年にはアイヌ初めての国会議員、萱野茂氏を首都圏で支える会の会長に就任。1996年、山梨県大月市に、関東圏のウタリや海外からの先住民族との交流や儀式を執り行う場としてポロチセを建てます。同年、束京アイヌ協会を設立し、会長に就任。(2009年会長は星野工氏、浦川さんは名誉会長に就任。)2001年春には、姉宇梶静江氏と、同じく東京アイヌ協会の星野工氏とともに渡米。ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学、ポストン大学などで、儀式を含むアイヌ伝統文化を示し、海外の人たちへ向け日本列島先住民族の存在をアピールしてきました。2005年春から千葉県君津市に土地を借り入れ、儀式ができ、子どもたちが自然と交流できるような場を作ろうと、私財を投じ重機を自ら動かし奔走。同年7月30日「カムイミンタラ」オープン。関東圏に5000人以上が暮らすといわれるアイヌ民族のエカシ(長老)として、アイヌの精神性をたたえる儀式を日常の中で続けています。
 
ナレーター:  (拍手と歓声)東京都心で開かれたファッションショー。ひときわ異彩を放つ人物が登場しました。浦川治造さん、七十八歳です。
 
浦川:  (観客の笑い声)足上がんない。駄目だ。
 
ナレーター:  浦川さんは、北海道で生まれ育ったアイヌの長老です。
 
浦川:  一か月半、びっちり仕事したら、昨日ぶったおれてさ
今日どうなるかと思ったけど、なんとか動けた
 

 
ナレーター:  浦川さんは、四十五歳の時に職を求めて上京。解体業の会社を起こします。それから三十年余り、関東に暮らすアイヌのまとめ役として慕われてきました。浦川さんは、房総半島へと向かいました。十年前から毎年この地で、今では北海道でもあまり見られないアイヌの儀式を続けています。鬼の泪(なみだ)という山。この地で日本武尊(やまとたけるのみこと)が鬼退治をしたという伝説があります。浦川さんは、無念の死を遂げた鬼を、アイヌの祖先の仲間だと考え、供養をしています。
 
浦川:  この山全体がね、どういう山か俺分からない。ただここでその昔アイヌが鬼と言われて、アイヌが殺された血が川になるという話を聞いたのでね。あそこに「鬼の泪」って書いてあるのかな。昔の千年以上、二千年以上前の者は、人は俺らの先祖じゃないかと思ってるからね、日本の、アイヌの。
ナレーター:  亡くなった人が、喜びそうなごちそうをたっぷりと用意します。
 
浦川:  俺、昔、景気いい時は北海道行って墓参りするのに五万円買ってね、五万円あげるとね、四時間ぐらいかかる、あげるだけで。
 
取材者:  お供えを。五万円分。
 
浦川:  もう汗ダクダクでね。だから昔親らが好きなもの何でも買うわけ。ウニであろうと、カニも鍋持ってって山で湯がいて(ハッハッハッハッ!)。お盆なんかみんな周りの人びっくりこいて。ハッハッハッハッ!(笑い)
 
ナレーター:  アイヌとは、古来北海道や東北地方、サハリン、千島列島などで独自の文化を育んできた日本の先住民族です。アイヌでは、動物や植物、山や川、風や雲など存在するもの全ては神様だと考えます。本来あの世に暮らす神々が、この世に現れた姿だといいます。狩猟や採集によって得る生活の糧は、神々からの恵みだと考えていました。
 
浦川:  はい。イヤイライケレ(感謝いたします)。ピリカトノト(おいしいお酒をどうぞ)。おう、イヤイライケレ。これから浦川治造がお願いすること、神々によ?くお伝え下さい。偉大なる宇宙の神、太陽の神、風の神、雪の神様…。
 
ナレーター:  自分たちを取り巻く森羅万象に宿るその神様にお願いして、死者たちにお供えを届けてもらいます。
浦川:  これパスイ(奉酒箸)っていうんだけどね。これでこう贈る一滴が、霊界に行ったら樽いっぱいになってくよって教えるわけ。アイヌの教えはね。で、こここうやって地べたにまくでしょ。これなぜかっていうと、これは作物の種として贈ってるから、ここで霊界に届く時は、実ってたくさんなっていくよと。ミカン一つあげたから、バナナ一本あげたから、それが一個じゃない。だから砕いてあげる。たくさん行くように。だからみんなで分け合って飲んで食べて喜んでくれよっていうこと。親が生きてる時にいっつもやってたから。うん。あの自分で一人でやらないで、必ずその知り合いの年寄りを呼んで、いっつもやってたから。それを見て育ってるから、やってるわけ。やっぱり何か自分だけの心じゃなく、先祖が「お前、やれやれ」と言われてるんじゃないかなという気するね、いっつも。ナウカムイ。イヤイライケレ。これにて鬼泪山…。
 
ナレーター:  供養の最後に、「イナウ」と呼ばれる祭祀具(さいしぐ)を燃やします。イナウは銀に変わり、神々の世界への贈り物になります。
 
浦川:  これで今日の神々と…。
 

 
ナレーター:  今もこうした儀式を日常的に行っているのは、関東では浦川さんだけだといいます。浦川さんには、やっておきたいことがあります。それは以前北海道に里帰りした時に見つけた熊の骨を供養することです。
 
浦川:  沢の中歩いていったら、突然熊の頭転がってたわけ。なんでここにあるべって、俺もびっくりした。熊っていうのは、アイヌは「カムイ」って呼ぶからね。カムイ。山の親父。山のまあボスみたいの、みんなアイヌは思って呼ぶからね。
 
ナレーター:  アイヌ語では、アイヌは「人間」を、カムイは「神」を意味します。熊は、あまたいる神々の中でも、最高の神とされています。熊を獲った時には、アイヌならではの弔いをしなければなりません。しかし、この熊は弔われることなく、山の中に捨てられていました。
 
浦川:  年が年だからね。それこそいつ俺がくたばるか分かんねえから。粗末になるからね。俺が死んじゃうと。だから元気のいいうちに北海道持ち帰って、山に放してやろうと思って、魂をね。そういうこと。
 

 
ナレーター:  浦川さんは、熊を供養するために里帰りしました。北海道浦河町の姉茶村(あねちやむら)です。百五十年ほど前までは、アイヌだけが暮らす集落でした。明治時代になると、本州から和人が多く移住し、今では競走馬の産地として知られています。
 
取材者:  治造さんはね、子供の頃は何軒ぐらい家が?
 
浦川:  七十軒。大体七十軒ぐらいかな。姉茶っていうのは。うん。
 
取材者:  じゃアイヌの方っていうのは、どのぐらいいらっしゃったんですか?
 
浦川:  二十軒余りあったべな。アイヌは。ああ。今はもうないけれど。う?ん。あそこの小さな二軒並んでるでしょ。あそこも皆アイヌのうちだったから。やっぱり昔の年寄りの顔を見ればね、ああ懐かしい人いたなぁって。心も和むんだけど、それがなくなってきたっていうのは。俺も早くくたばれば、そういう思いしないでいいんだけど。ハッハッハッハッ!というとこだわ。浦川文子。浦川トミオ。今日は五月九日。お詣りしてね、これから贈るからね。
 
ナレーター:  浦川家のお墓には、父と母、そして十五年前に亡くなった妻も眠っています。浦川治造さんは、昭和十三年生まれ、六人きょうだいの五番目です。一家は貧しく、浦川さんは五歳ごろから田畑で働き生計を支えます。父春松さんは、明治の生まれ。夏は昆布を取り、冬は飯場で日雇い仕事。更に小さな田畑を借りての畑仕事。それでも一家八人を養うには足りず、無理がたたって体を壊してしまいます。母のミヤコさんは、浦川さんが小学四年の時に、脳出血で倒れます。
 
浦川:  無口な親父だったけど、山へ行ったら危険なこととかね、そういうことは、どぶろく飲んで酔っ払うとこうね、こういうことするな、ああいうことするな。若い頃狩人もやってたから、働きすぎて体壊したっていうんで、俺がもう子供の頃は体が弱っていたんだよね。だからあんまり農業もできない感じで。それで俺が三男坊でも、農業を先頭になってやらなきゃならない時代が来たわけですよ。兄貴二人いたけど、あんまりそんな農業の手伝いしないで。出稼ぎって、昔いっぱいあったからね。出稼ぎに行って、帰ってこないという繰り返しで。
 
取材者:  出稼ぎに行ったけど、家にお金を入れたりしないわけですかね?
 
浦川:  しないんだな。まあ自分勝手に働いたものは、自分で飲み食いして、終わりのような感じで生きてたようだよな。だから俺が一生懸命働いて、田んぼやったり、畑をやったり、馬一頭でみんな切り回してた。
 
ナレーター:  先住民族のアイヌは、国の政策に翻弄されてきました。明治時代、政府から和人と同じ生活をするよう同化政策を強いられました。伝統的な鹿猟が禁止され、資源保護を名目に、川でサケを取ることもできなくなります。その上、山や川が国有地として没収されました。生活の糧を奪われたアイヌの人々。和人に従い、慣れない畑作業をするなど、生きるすべが限られていきました。更にアイヌの文化も奪われていきます。日本語の使用が強制され、文字を持たなかったアイヌ語は、急速に衰退していきました。浦川さんが小学校に入学したのは終戦の年でした。農作業の手伝いに追われ、学校にはほとんど通えず、読み書きは今でも苦手だといいます。その上、代々受け継がれてきたアイヌ語を学ぶことはありませんでした。
 
浦川:  うん。いや、別にアイヌとしてって、もう明治時代の生まれの親父だから、まあただ差別あるから、アイヌとして俺はアイヌ語も教えないで育ったからね。アイヌとしては育てられてないから。
 

 
ナレーター:  暮らしを奪われ、言葉も失っていったアイヌの人々。幼い頃豊かな恵みをもたらした山も様変わりしていました。
 
浦川:  前に来た時と全然変わっちゃった。残念でしたねぇ。
 
取材者:  何を探しておられるんですか?
 
浦川:  ヤチブキとアイヌネギ。
 
取材者:  もともとはこの辺にたくさんあったわけですか?
浦川:  うん。この辺にだってアイヌネギだってあったんだ。
 
ナレーター:  アイヌネギとは、病魔を払うアイヌにとって大切な薬草です。雪解けとともに恵みをもたらす貴重な食料でもありました。
 
浦川:  キトビロ(アイヌネギ)。キトビロとも呼ぶの。通称、昔はアイヌしか食わんからアイヌネギって名前付けられた。今、アイヌを飛び越えて、和人が食うからなくなったの。
 
取材者:  減っちゃったわけ?
 
浦川:  減っちゃった。これこうやって採ればいいけどね。もう三、四十年前からね、これがうまいことを和人が覚えたらね、根こそぎ採っていくわけよ、根っこから。そうすると絶えちゃうわけや。根っこから採られるから。本当はこうやって切って採るとね、また生えてくるわけだね。まあこのヤチブキも細かいこと。もっとブワーッとなるんだ。この五倍も大きくなって、ブワーッと伸びて。だから山の木が細いでしょう。昔の木を切られたあとだから、山に栄養が足りないの。だから自然って、どれぐらい大事かっちゅうのはもうこういうのを見ても分かるわけ。
 
取材者:  切られてしまったわけなんですね。
 
浦川:  一回パルプ材に切っちゃったから、こういうふうになる。
 

 
ナレーター:  ここ浦川さんのふるさとには、アイヌの心を大切にしながら今も暮らしている人がいます。
 
浦川:  こんにちは。
 
ナレーター:  遠山サキさん、浦川さんの十歳年上で、幼い頃から面倒を見てくれたアイヌの女性です。
 
遠山:  もう何して…。もう終わりだからな…。
 
浦川:  だからサキちゃん、元気なうちに。元気なうちに顔見ないと。ハッハッハッハッ!
 
取材者:  治造さんは、どんな子供さんでしたか?
 
遠山:  いやぁ、あのあんこの時期はほんとにかわいい、お茶目なかわいい人でな。ちょっとずるい人だな、この子はなと思って、めんこく思ってた。やっぱり大きくなっても、やっぱり山師気(やましけ)あってな。山師気ったら、ちょっとどっこい一発やってやろうかっていう気持ちを持ってる人での。
 
浦川:  ハッハッハッハッ!
 
ナレーター:  サキさんは、小学生の時差別を体験しました。
 
取材者:  サキさんのお若い頃ね、やっぱりつらいことなんか?
 
遠山:  「アイヌ アイヌ アイヌ アイヌ来たアイヌ来た」ってもう石投げる。私は一番罵られたなぁ。もうそれ思ったら身震いするぐらい嫌だ。だからいつでもこうやってよその家に行っても縮こまって。これまで差別された私がよく生きて今までいるなぁって。ありがとう、ありがとう。
 
ナレーター:  サキさんは、この地方のアイヌの伝統的な暮らしを知る数少ない人物です。サキさんが好きなアイヌの言葉があります。
 
遠山:  「アイヌ ネノ アン アイヌ」。アイヌらしく生きていくアイヌが大好き。「アイヌ ネノ アン アイヌ」。自分はアイヌである看板しょってる。アイヌらしく生きるんだ。一には、アペカムイフチ(火の神様)。二には、ちゃんと家の守ってくれるカムイエカシ(氏神)。戸の口の神様、流しの神様、水の神様、もうたくさんたくさん。もう天・地・火・水・雨・風・草木。八柱(やばしら)の神。これ和人の神様もみんな同じよ。アイヌはアイヌの文化はあっても、やっぱりそれはみんな和人も一つ。だからほんとにこれ別にされてきたから、今こうなってるけど、みんなこうやって私は生かしてもらってるんや。わしはやっぱり先祖を大事。いや、治造さんが一番私は偉い。必ずちゃんと自分のなふるさとに先祖さんにお参りに来るっていうこと。すばらしい偉い。
 
浦川:  でも元気でよかったよ。
 
遠山:  生きてる。カムイフチと一緒に暮らしてるから。
 
浦川:  サキさんは、神様が生かしてるんだもん。まだ死ぬなって。
 
遠山:  まだまだお前はいれって。うん。いいんだ、いいんだ。ありがとう、ありがとう。忙しいのにごめん。
 
浦川:  イヤイライケレ(感謝いたします)。ほんとに。
 

 
ナレーター:  浦川さんの里帰りを機に、中学時代の恩師と同級生が集まりました。当時浦川さんは農作業に忙しく、中学にはほとんど通えませんでしたが、同級生には強い印象を残していました。
 
女性:  後も追っかけたりさ。私逃げたりした。ほんとさ。
ほんと。
 
女性:  そして後ろからねなんかこうつっついたりさするんだわ。私嫌でこうやって…。
男性:  教室の中で一番美人さん。
 
女性:  何言ってんの。そんなことはない。
 
男性:  あまりいい女だから(笑い)。
 
女性:  そんなことはないけどさ。
浦川:  守らなけきゃいけない(笑い)。
 
男性:  姉茶の伏木田の親戚なもんだから、働き者がいるから手伝いにやるぞちゅう。それで来たのがご縁でさ。前ね牧草地になってね。このとおりすごい力持ちでさ。大体人の三倍も仕事をするんだで。
 
浦川:  田植えなんかでもね、俺は六年生の時大人分もらったの。仕事をね、人の三倍やると差別受けない。どこ行ったって。
男性:  重宝がられる。それは分かる。
 
恩師:  学校時代はひげ生やしてなかったんだけどもね、だけども体格もいいし。
 
女性:  そう。いっつもニコニコしてね。
 
恩師:  で、勉強は百パーセントのうち一パーセントしか勉強してないっていう。そういう自分で言ってるんですよね。で、一パーセントの勉強をみんなでやるんだけどね、ちゃんと人間は分かっていてね、決してね同級生をいじめたりとか、そういうことはなかった。それはね今でも感心してるけどもね、そういうことはしなかった。そして人に悪く言われてもね、ニッコニコしてね黙って聞いているっていうか、これだけはまねのできないことだ。やっぱりね差別が昔からあったんですよ、北海道では。
 
ナレーター:  浦川さんは、差別を受けたと語ることはありません。アイヌの自分を隠すことなく、人の何倍も働いて周りの目を物ともしませんでした。
 
恩師:  治造君はね、自分がアイヌだっていうことは隠さないで平気でちっちゃい時から言ってたんだ。これもちょっと面白い。普通なら嫌がるんだよね。それだけちっちゃい時大人だったかもしれない。逆に言えば。ちっちゃい時から言ってるからね。やっぱり常にね子供同士でなくて、大人と一緒に、あるいは親もそりゃもうちっちゃい時からね、そばに置いて仕事させたっていう、そういうものあったと思う。だから大人になるの早かった。そういう面もあると思うんですよね。
 

 
ナレーター:  ふるさとの山で熊の供養をする日がやって来ました。浦川さんは、この儀式を行うのは生まれて初めてです。小学生の時に見た記憶がありますが、正式なやり方は知りませんでした。そこで今回北海道に暮らすアイヌの長老に教わりました。
 
浦川:  ちゃんと「熊送り」っていう昔からの熊送りっていう言葉は、子供の時から聞いてる言葉だから、ちゃんとして熊をお土産つけて送らなきゃならない。そういう話をず?っと聞いてきてるから。はいはい。ピリカトノト! はい。イヤイライケレイヤイライケレ。
 
ナレーター:  この熊送りの儀式は、狩猟で生きてきたアイヌの信仰を最も表しているといわれます。熊送りはアイヌ語で「イオマンテ」と呼ばれます。本来は生け捕った熊の毛皮や肉を皆で分かち合う時に行うものでした。熊の姿を借りて人間の世界へやって来てくれた神様を、再び神々の世界へと送り返す。村を挙げて数日がかりで歌や踊りを披露し、できる限りのもてなしをしました。
 
浦川:  みんなと仲間になって、あっこでずっと。神々にお伝え下さいよ。姉茶のキムンカムイも山駆けずり回って遊んでくれよ。ちゃんとね神々に神の国に行ってくれよ。う?んうまい! うまい!
 
ナレーター:  アイヌの教えでは、弔った熊の神様は、再び人間の世界にやって来て恵みをもたらすとされています。
 
浦川:  熊はアイヌに肉をプレゼントしてくれてるという意味合いがあって、それには熊が肉をプレゼントしてくれたのに、魂を送らないわけにいかないということで、そのお返しにお土産をつけてやる。ピリカトノトっていうのは、おいしいお酒もたくさんつけて何でもたくさんつけて送りますからね、という意味合いだ。感謝感謝。まあ人間でも同じだよね。何かしてくれると感謝の気持ちでお返しすると。それと同じことです。魂がきちっと神の国に届いてもらうように、というのがアイヌの考え方で。その願いを込めてやってる。
 
ナレーター:  神々が暮らすカムイモシリとアイヌが暮らすアイヌモシリ。二つの世界で生と死がつながり合い、命が育まれています。
 
浦川:  自然の神というのも、お祈りするからね。やっぱり自然がなくて、何でもこういうネギだって、草だって、みんな神が作ったものだと、アイヌは思ってるから、何も要らないものはないんだと。小さい時から、ふくろうは村を守る神でしょう。それからカラスも神。パシクルは…パシクルって言うんだけど、カラスは頭が良くて、いろんなことを教えてくれるのがカラスであると。遠くのことを知らせてくれるのがカラスであるって、昔はそう言った。電話も何もない時にね。だから遠くの親戚が何かいいことあった、悪いことあったっていうのは、カラスの鳴き声で分かるっていう。だからまあそういうものだけを、神として祭ってるように見えるけれど、やっぱり自然全体にね、例えば草や野草であっても何でも同じ神が宿るはずだと俺は思ってる。
 

 
ナレーター:  浦川さんは、中学卒業後、北海道各地を渡り歩きます。土木工事や材木の切り出しに打ち込み、体一つで生計を立てました。そして二十五歳の時、妻文子さんと出会います。文子さんは四国出身ですが、訳あってふるさとを捨て、一人飲食店で働いていました。
 
浦川:  昔だからオートバイに乗って飲みに行って、そこで一杯飲み屋で知り合った、うちのかあちゃんとは。うん。俺飲みに行ってた頃さ、うまいこと言ったんだわ。「結婚したかったら来い」とかってさ。「幸せにしてやる」とかって言ったんじゃないかな、キザなこと。覚えておけよ。ハッハッハッハッ! そうしたらね、夜中飯場に訪ねてきたわけ。タクシー乗ってきたんだけど、金ねえって言うんだわ。昔の金で三千円の金。その時俺は持ってないんだよ。それでそのスナックのママから借りて払ってさ。それが一緒に住むきっかけだ。後からになって分かったんだけど、子供できたから、生まれたからさ、そしたら隣のおばさんが「治造さん早く籍とらないと」。「えっ!」と思って。俺知らなかったんだよ。誰も教えてくれないから。うん。そうして籍とったらさ、四つも年上なんだよ。ヘッヘッヘッヘッハッハッハッハッ!
 
ナレーター:  やがて二人の娘が誕生。家族で飯場を転々とする暮らしでしたが、浦川さんは幸せを感じていました。
 
浦川:  子供がちゃっこい時は、俺はブルドーザーの運転手だから。でその親方、飯場さ、「おっかあ飯炊きに寄こしてくれ」って言われたりして、一緒に飯場でおっかあ飯炊きやってたこともあるしね。だからまあそういう時には安泰、生活安泰だわな。一家で歩ってたんだ。まあその方が良かったことはあるんだけどね。しかし当時長女の真喜子さんは、複雑な思いを抱いていました。
 
真喜子:  アイヌっていうことを、自分の中で隠していたというか、押し殺していた。誰もアイヌって教えたこともないし。ただ幼い頃の経験がやっぱり自分の中で恐怖となってたので。自分がアイヌであるっていうことが嫌でしかたがなかったですね。自分で覚えてる記憶としては、私が学校へ上がった年で、後ろから「あいぬ」っていう言葉が聞こえて、その声の響きに震えて、嫌だなぁって固まったまま、その場を去る。それしか記憶にないんですけれども、大人になってから母が真喜子が小学校一年生に上がった時に、毎日毎日「アイヌ、アイヌ」って言われて、泣いて帰ってきて、母さんが父さんに「ひげをそってくれ」って頼んだんだっていうのは、大人になってから聞かされて、今でもその時の記憶がないんです。
 
浦川:  まあアイヌ嫌いだって。俺も好きだっていう覚えはない。自分もね。アイヌでなく生まれた方がいいかなという考えもあったこともあるしさ。うん。でも生まれちまったものは、これはアイヌから逃げられないんだなということで、俺若い時から飛行機にはんてん着て歩いてたんだから。だから村の人も、「アイヌがアイヌの格好して歩かなくてもいいべな」って言われるんだけど、わざとみたいに俺はアイヌの着物着て歩いた。まあ反発精神なのか。だからね、まあ子供らも好きではなかったんだろうけど、アイヌとして生まれた以上は、もう止めようがない。川の水と同じで止めたって、どっかから漏れるんだからさ。もうしょうがないって言えば、しょうがないことで。だからかえって、俺は空港から羽田空港に降りたらね、俺がアイヌのはんてん着てるもんだからね、前混んでるのにこういうふうに空いたんだよ。気分良かったよね。ハッハッハッハッ!
 
ナレーター:  アイヌであることを、堂々とさらけ出して生きている父。娘の真喜子さんは、受け入れることができませんでした。
 
真喜子:  とても父に反発しておりまして。なぜっていうと、私がどんなに苦しんで、どんなに生きていて、どんなにねそれを訴えても、何も聞き入れず、父はいつも笑っていたので。何かを訴えれば、「お前の心が負けてるんだ。ばか野郎!」って言ってくるので、悔しかったと思う。もっともっと父に対して反発していく。
 

 
ナレーター:  やがて浦川治造さんに転機が訪れます。昭和五十年代、北海道では不景気により土木関係の仕事が減少。その上妻の文子さんが脳梗塞に倒れ、入院治療などで多額の借金を背負います。家族を養うために、浦川さんは四十五歳にして一大決心をします。昭和五十八年ふるさとを離れて上京。軽自動車に寝泊まりしながら、日雇い仕事に没頭します。間もなく解体業の会社を起こしました。当時東京は、バブル直前、好景気のただなかでした。そのころ東京で暮らすアイヌの人々は、およそ二千七百人。多くは北海道での差別や貧困から逃れるために上京。アイヌであることを隠していたといいます。
 
浦川:  まあ大体は日本人に溶け込んじゃってるからね。やっぱり俺はアイヌらしきアイヌだっていうみんな考えてないと思うんじゃないかって思うけどね。
 

 
ナレーター:  いつしか浦川さんの周りには、アイヌの仲間たちが集まるようになります。アイヌである自分をさらけ出して生きる浦川さんの姿に、皆惹き付けられていきました。平成元年、浦川さんは関東ウタリ会の会長に推されます。関東で暮らすアイヌ五千人のまとめ役となりました。そして千葉の山奥にアイヌのための交流施設を建設します。ふるさとを離れ関東で暮らす仲間たちのために。異郷の地で再び集い、悩みを打ち明け、共に生きる希望を見いだす。アイヌ語で「人間」を意味するアイヌらしく生きようと結束します。平成八年、浦川さんはアイヌとして初めて国会議員になった萱野茂(かやのしげる)さんの支援を始めます。そのころアイヌの法的地位を確立しようという機運が高まっていました。アイヌは、明治時代に作られた法律により、旧土人とされたままでした。浦川さんはリーダーの一人として立ち上がります。平成九年、アイヌを固有の民族と位置づける新しい法律が誕生しました。アイヌであることを隠さず生きてきた浦川さん。しかし当時は、本当の意味でアイヌの心や誇りをまだ持ってはいませんでした。浦川さんは、仲間に頼られるようになってから、アイヌとして生きる自分とは何なのか考えるようになります。アイヌの文化を学び直し、儀式のやり方も長老に習い、身につけていきました。
 

 
浦川:  ここで。ここでいいよ。ちょっとやろう。この柳の木イナウ作るために、ここで切らせて下さいねと、木に挨拶して。川にも水にも神々に挨拶して。
 
ナレーター:  木を切る前には必ず神々に祈ります。生き物の命を奪う時の儀式です。
 
浦川:  神々みんなこれからアイヌの治造、イナウを作るのでご了承下さい。(なたで枝を落とす音)
 
ナレーター:  浦川さんは、アイヌである自分を見つめ直すことで、次第にアイヌの誇りを確かなものにしていきました。
 
浦川:  何とかうまくいったな。イナウカムイ。イヤイライケレ。神々に贈るもんだから、なるべくこういう木の汚れたのは取って、なるべくきれいに作って。俺が言った言葉をね、火の神を通じて、神々にイナウが伝えてくれるという。うん。その役目がイナウ。
 
取材者:  なんで柳で作るんでしょう?
 
浦川:  柳っていうのは、神が宿る木であって、アイヌではね。
 
取材者:  なんで神様はこのイナウが好きなんですか?
 
浦川:  それは神様に聞いてくれ。俺に聞いても、俺、神様じゃないから説明できない。ハッハッハッ。
 

 
ナレーター:  浦川さんの長女・真喜子さんです。高校卒業後、家族と離れ、東京で一人暮らしを始めました。真喜子さんは、父とは違う生き方を選びます。アイヌであることを隠して、職を転々としながらの暮らし。やがて結婚します。しかし、三十八歳の時に、再び父のもとに身を寄せることになりました。
 
真喜子:  三十八の時に、それまでに築き上げてたものを、全て失うことになり、生活が全て変わってしまったんですね。仕事も住む所も。そのころ体調崩して、私は体が動かなくなったので、布団に寝てるとこで父が、一升瓶ボンと置いてあぐらをかいて、「体が良くなるまで寝てろ」って言ったんです。「それでもお前が仕事に行くって言うんなら、両足をへし折るぞ」って本気で言ったの。その時私は、「ああやるなぁ」。とても乱暴な言葉ですけど、それまでして私を止めようとしたっていう気持ちが伝わってきて。
 
取材者:  治造さんが一升瓶を持って来てですね、ボンと置いて、「お前出て行こうとしたら両足へし折るからな」。
浦川:  ハッハッハッハッ! 言った? ああそう。もう忘れてんだ。ハッハッハッハッ!
 
真喜子:  父はどんな時も、浦川治造として生きてるので。誰が何と言おうとも、父は父であり続ける生き方をしている。そこがとても羨ましかった。きっとそれには私も魅力を感じてたと思います。
ナレーター:  この出来事をきっかけに、父に対する気持ちが変わり始めます。更に真喜子さんの生き方を大きく変えることが。平成二十年、世界の先住民族が北海道に集まり、「先住民族サミット」が開かれました。その晴れの舞台に参加することになった浦川さんから、アイヌの正装である刺繍入りの鉢巻き、マタンプシを作ってほしいと頼まれたのです。
 
真喜子:  父が洞爺湖サミット行くから、マタンプシを作ってくれっていうのが、最初の依頼で。それを無我夢中で作っているうちに楽しくなって。父に作って、おばに作って、いとこに作って、妹に作って、最後自分に作った時に、とっても楽しくて。その時に過去と未来がつながった。自分がいて、過去と未来につながって、パーッてこう開いた瞬間があって。その時に、すごく先祖に感謝の気持ちが湧いてきて、鳥肌が立ち、とてもうれしかったんです。
 
ナレーター:  アイヌである自分と向き合い、受け入れるようになった真喜子さん。今や各地を回り、アイヌ刺繍の講座を開いています。父の後を追うように、アイヌ文化を一から勉強しました。
 
真喜子:   昔女性は無地のものを着ていて、自分の旦那さんや子供…。手下げて。自分の大切な人を守るために、その人の着ている着物に刺繍をたくさん入れていきました。昔アイヌの人たちは、おそろいのものを作らなかったので、どんなに遠くにいても、多分ねず?っと向こうにいても、真っ暗闇の夜、真っ暗になった森の中にいても、この人ここにいるよっていう目印になるのね。
 
ナレーター:  かつては、アイヌであることに苦しんできた真喜子さん。今ではアイヌの誇りを持つことで、人々から慕われるようになりました。
 
浦川:  いろんなことやりだしたから、あれ!俺の道を進んでるようだなと思ってはいる。なんかあっちこっちからさ、みんな来るんだわ。だからまあほっといたっていいわと思ってるから。フッフッフッ。なんか俺がみんなに慕われたみたいに、慕われるようになったから、よかったなと思って。
 

 
ナレーター:  浦川さんが、今、夢中になっていることがあります。それは人生最後の住みかを作ることです。その住みかとは、はるかな昔、縄文時代の人々が住んでいたという竪穴式住居です。
 
浦川:  偉大なる宇宙の神、太陽の神、星の神。
ナレーター:  浦川さんは、これまでこの住みかを一人で作り続けてきました。そして迎えた棟上げ式。人手が必要なことから、友人に呼びかけ、若者たちが集まりました。いずれは屋根をふき、いろりを作って余生を過ごそうと思っています。現代の遺伝子研究によると、縄文人は北海道から沖縄まで、日本人全ての共通の祖先だと考えられています。浦川さんは、アイヌのルーツを縄文人に感じています。
 
浦川:  はい、その辺。もっと上上上。もっと上上。釘ある?本当はこれはご法度なんだよ。釘打つのは。縄文は、釘がないからご法度。
 
ナレーター:  あくまで現代を生きるアイヌ浦川流。
 
取材者:  竪穴っていうところは、なんかこう心が惹かれるっていうのはなんかあるんですか?
 
浦川:  縄文人ちゅうのは、アイヌの先祖だと思ってるから、その血の流れだと思う。うん。
 
ナレーター:  アイヌはもてなしの心を大切にしています。振る舞ったのは、ふるさとから取り寄せた鹿肉のジンギスカンです。
 
ボランティアの男性:  でもおいしいです。
 
浦川:  これは刺身でも食えるからね。そんなに焼かなくても食えるんだからね。アイヌはね、この風も神なの。雲も草もみんな神なのよ。あの神つかないもの、アイヌはないの。
 
ボランティアの男性:  あのあんまりなんか会うタイプの人じゃないんで、最初言葉にもあったように、怖い人なのかなって思って。思ってたら意外とすごい優しかったりして。
 
ボランティアの女性:  この日本の、このもともと住んでる場所が同じだけど、違う文化を持った人たちというか、知れる機会がすごいあってうれしかったです。
 
ナレーター:  現代のアイヌとして、関東で生きる浦川治造さんの決意。
 
取材者:  竪穴式っていうのは、どうして作りたいんですか?
 
浦川:  竪穴っていうのは、夏は涼しい、冬は暖かいと思うんだよね。土の中に埋もれるから。室と同じだからね。
 
取材者:  住まれるんですか?
 
浦川:  ん?
 
取材者:  竪穴に?
 
浦川:  うん。半分ぐらいは住もうと思ってる。
 
取材者:  やることがありますね、これから。
 
浦川:  あるあるある。山ほどある。うん。窓をつけなきゃね、アイヌの住みかにならないんだわ。東側に窓あけるように作って、結構細かい仕事あるんだわ。まあアイヌから逃げようったって逃げられないからね。しょうがない。自分の頭隠すとこぐらい自分で作らないと。熊と同じだ。ハッハッハッハッ! 俺はそう思ってる。う?ん。まあここまで来ても、ここまでまあ何とか生きてれば、後はどうでもいいわ。ハッハッハッハッ! どうかなるべって。
 
     これは、平成二十九年七月九日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである