沖縄は我が念仏
 
                      彫刻家 金 城(きんじよう)  実(みのる)
1939年、沖縄県勝連町浜比嘉島生まれ。65年、京都外語大学卒業、大阪市立天王寺夜間中学校、西宮市立西宮西高校、近畿大学付属高校などの講師をつとめながら彫刻活動に従事。94年、沖縄に帰り読谷村に在住し彫刻に専念。70年、沖縄での反米「コザ事件」に刺激され彫刻制作を開始。71年、代表作「沖縄」制作。79年、「戦争と人間」大彫刻展で全国80箇所キャラバン実施。87年読谷村チビチリガマに「世代を結ぶ平和の像」建立。長崎原爆記念館に「平和の母子像」建立。99年、韓国英陽郡に「恨之碑」建立。97年より100m大レリーフ「戦争と人間」制作に着手、2007年完成、大展示会。2008年「アートで表現するYASUKUNI展」出品等多数。沖縄靖国訴訟原告団の団長を務めている。
                      ききて 西 世  賢 寿
 
ナレーター:  沖縄県中部、読谷村(よみたんそん)のチビチリガマ。読谷村は、今から七十二年前、沖縄本島に侵攻したアメリカ軍が最初に上陸した村です。アメリカ軍上陸直後、このチビチリガマで竹やりで立ち向かった村人二人が亡くなり、更に八十三人が集団で命を絶つという悲劇が起きます。ガマの入り口に建つ「世代を結ぶ平和の像」。彫刻家金城実さんが、生き延びた遺族たちと共に半年をかけて完成させたものです。戦後四十年近くも語られることのなかった惨劇の真相。筆舌に尽くし難い遺族たちの悲しみ、怒り。その沈黙の重さと向き合い、金城さんはこの作品を作り上げていきます。それは島人たちの生と死を宿してきたガマに、沖縄の祈りを込めた鎮魂のモニュメントでした。
 

 
金城:  空気もいいですよ。
 
西世:  いつも朝は?
 
金城:  あの…深酒すると午前中寝ておったんですよね。最近は深酒しなくなりましたね。体力がなくなった。
 
西世:  やる時は、じゃあもう…。
 
金城:  やる時は酒飲まないです。
 

 
ナレーター:  沖縄中部、金武湾に浮かぶ離島浜比嘉島(はまひがしま)に生まれた金城さん。十九歳の時、初めて日本本土に渡ります。大阪での教師生活を経て、この読谷村にアトリエを構え、彫刻を彫り続けてきました。
 
西世:  朝歩かれることもあるそうですね?
 
金城:  これ重たいんですよ、結構。これを履いてね、膝を高く…ここを高く上げてですね、周辺をグルグルグルグル回って筋肉を鍛えるということ流行っていますわ。前まではね、あの海岸までこの靴履いてったら重たくてですな。これを履いてですね、家の…。こんなふうに歩くわけです。一時期リュックサックに砂入れてね、それを担いでね、こんなことやってましたよ。これ全部隠れ念仏ですよ。こっちも…隠れ念仏がおって。ここにも念仏がおって、向こうに…ここここ。あの洞穴の。
西世:  あっほんとだ。
 
金城:  洞窟の向こうに三人の野仏。
 
西世:  あの奥ですね。
 
金城:  そうそうそう。
 

 
ナレーター:  アトリエの庭に置かれた全長百メートルに及ぶ巨大なレリーフ作品「戦争と人間」。読谷の土と漆喰セメントを使い、十年がかりで完成させたものです。
 
金城:  ここからここが戦前編ですよ。このコーナーから…。このコーナーから集団強制死があって、日本軍に追われる沖縄の住民がおって、集団強制死があって…。子供に鉄かぶとの代わりに鍋をかぶせて。お母さんが鍋をかぶせて。お母さんが…姉ちゃんだろうな、お母さんか姉ちゃんか知らんけど。避難しにいく場面。ところが途中で、親子が死んでる場面があるけど、どうしようもなく通り過ぎていくわけです。ここは例のごとく、沖縄の無縁仏とか、沖縄の洞窟の中にコロコロと積まれている人骨、しゃれこうべがあって、その上を通っていきよる。
 
ナレーター:  県民の四人に一人が犠牲になったとされる沖縄戦。自分の彫刻は、沖縄戦の造形を背負いこんでしまったと、金城さんは言います。レリーフには、戦争の死者たち、ガマでの強制集団死や日本兵に殺される朝鮮人軍夫。更にコザ事件など、戦後のアメリカ占領下で生き抜く沖縄民衆の姿が刻みつけられています。かつて金城さんは、ロダンの群像彫刻「カレーの市民」に感銘を受けたといいます。戦争と人間のレリーフの一つ「銃剣とブルドーザー」。戦後、アメリカ軍に接収された伊江島(いえじま)で農民たちが土地闘争に立ち上がる姿を描いたものです。「剣を取る者は皆剣で滅びる」。聖書の言葉を差し出す農民リーダー・阿波根昌鴻(あはごんしようこう)の像。アメリカ兵の銃剣に素手で立ち向かう農民たち。まるで大地とひとつながりになったような野太い圧倒的な存在感で迫ってきます。庭の中央に、金城さんの初期の作品「漁夫マカリー」像が建っています。生まれ島浜比嘉で海に生き、大自然に生きた祖父マカリーの像。全身にみなぎる生命感。沖縄の自然観を塗り込めたような造形。「漁夫マカリー」は、金城さんにとって永遠のテーマ、原点であり続けます。
 
西世:  金城さん、あの今日はね「沖縄は我が念仏」というテーマで、それで生まれ故郷の浜比嘉へちょっと行きましてね。私もあんな島なのかなと思って。
 
金城:  はい。
 
西世:  あの島から始まりね、島へ戻ってくような彫刻家としての金城さんのこの人生という気もするんですが。
 
金城:  まあそもそも島とは何か。まあ当たり前なことだけど、生まれた島であるということなんですよね。自分の生まれた島は、どういうふうに見てきたのか、また見たのか。そもそも生まれて物心ついた時には、もう戦争のさなかなんですよ。大人がしでかした戦争のさなかに第一歩を踏み出していく島ですからね。島から出たことないわけですから。私の世界は島以外にないと思ってるわけね。海に隔たれて。島の人々はどういうことをやったのか、またどこに行って、何を祈ったのかという辺りがね、やっぱりあの島なんですよ。島の人たちは一体何を祈ってるのかね。それが島、私にとって。う?ん、これはあの「おもろそうし」(奄美・沖縄諸島で謡われた古代の歌謡集。琉球王朝によって編纂)という琉球王朝時代に書かれた「万葉集」みたいなもんですが、「日本書紀」と言うたらちょっと大げさかな。それを大人になってから読んでいくと、あの太陽に対する形容詞…。太陽というものを、どういう言葉で、先祖「おもろ」の世界で歌ったかなというのを一応自分なりに調べてみたら…。
 
西世:  「おもろそうし」ですね。
 
金城:  その中に昨日言うたように、まず太陽が上がる場所、アガリ―東と書いて、「東大主(アガリノオオヌシ)」と書くね。「大主(オオヌシ)」は太陽のことなんですよ。王様ですよ、要するに。その時に、太陽はどういう光景を見せてくれるかというたら、水平線から上がった時に、水平で上がりますから一番上がりかけた頃、波のうねりに対して光がバチッと当たりますね。そうすと、なんかその波に当たる太陽の光線が、キラキラキラキラとまどろむ。まどろみながら花が咲いたように、「まどろむ」という言葉を使ってるわけよ。だから「明けもどろの花」と書いてあるわけ。
 
西世:  明けてまどろむ。
 
金城:  明けてまどろむ花。これが太陽。信仰に関わる月はどういうふうになってるかというと、「骨壺」と言われてるのは「太陽」というが、トウトウメー、仏壇にある位牌は「トウトウメー」というんです。トウトウメーというのはお月様のことですよ。
 
西世:  位牌。
 
金城:  位牌がトウトウメー。
 
西世:  位牌は月ということ?
 
金城:  うん。同じ名前。位牌のことトウトウメーという。トウトウメーというのはお月様のことをいう。ティーダというのは太陽のこというけど、骨壺はティーダという。なんかすごいというのか、ややこしいというのかね。
 
西世:  やがて金城さんが、芸術家彫刻家になっていく時のね、イメージの原点みたいなものは、どこかにあるんじゃないですか?
 
金城:  それはね、野仏とか、洞窟の中に背景として洞窟の中に座らせているというのは、金城実が見た沖縄の島の原風景が彫刻にくっついてる。
 
西世:  つまり一体となってる。洞窟の中に野仏があったり、そこの…。
 
金城:  なぜ洞窟に共感を覚えるかというとね、無縁仏の所に父親の…骨壺の…骨は入ってないけどね。とりあえず壺に…熊本連隊から送られた爪と髪の毛が入ってた。厨子甕の中に。当時墓がなかったもんだから、小さいし。適当にその…比嘉島の無縁仏のある場所があるんですよ。その片隅の岩の下にね親父のティーダという壺をね置いといて、ず?っと大学を出て大阪から帰ってきたりして、シーミー(清明祭:旧暦の三月に行われる先祖供養)をやるたんびに母親と途中までは行ってたんです。そのそばにすごい無縁仏を納めた洞窟があるんですよ。恐ろしいぐらい。なんでかいうたらね、ガジュマルのヒゲが下まで下りてきてね、石で作った骨壺とか甕で作った焼き物の壺に食らいついてつり上げてフラフラフラフラしてるわけ。のぞくとね、人骨が入ってるんですよ。一応大人なんだけどね、荘厳というかね、恐ろしい風景でもあるわけ。恐ろしいぐらい。寄りつけないような。あれを見た途端に、「これは何だ」と言えるようなね。
 
西世:  本土に行かれて彫刻との出会いというかね、それはさまざまな未知の人生に出会ったこととも重なり合うと思うんですが。大学受験してる間に、その彫刻…。
 
金城:  いやぁそんなのはもう…彫刻も絵も全く興味ない。あの島ですもん。電気もないし、音楽も…オルガンもないし、ラジオもないし、絵一枚も見たことのないあの島だがな。どこのうちに絵がありますかいな。もうそこから行くわけだから。まあ一応は二か年間頑張ってみるんですよ。一年目も落ちてしまった。二年目も落ちてしまうわけや。もうあかんわ。
 
西世:  それで?
 
金城:  あんだけ盛大な見送りを、浜のアマミキョの港の前から三回グルグル太鼓と銅鑼で見送りされたにもかかわらず、「ぬけぬけと大学入れませんでした」というんで、島に逃げて帰るわけや。
 
西世:  島にいっぺん戻るんですか?
 
金城:  もどるんだ。
 
西世:  太鼓と銅鑼で見送られながら。
 
金城:  成功しないで。「いろいろ頑張ってこよう。しっかり勉強して」と言いながら、二か年間頑張ってもやな大学に入れない。ぬけぬけとその恥の痛さも村人の島人たちの期待の重さも知らずにぬけぬけと帰ってしまうわけだ。東京いづらいと思って。自分だけで判断して。「俺はあかんわ」と。
 
西世:  では彫刻とは、どういうふうに出会ってったってことですか?
 
金城:  東京を去る時なんですよ。もう自分の頭に見切りをつけて、もう東京から去る。去る時の日に、四月の桜見ですよ。桜見に行ったわけだ。わざわざ桜見に行ったんじゃなくて、上野の公園に行きたかっただけなんですよ。ところが行った所が、もうどんちゃん騒ぎしてるわけや。桜の下で酒飲んだり、上野の公園でギター弾いたり、アコーディオンを弾いたり、ハーモニカ吹いたり、歌うたってるやつやで、こいつら。こっちはもう近々沖縄に帰るんだというてやな、絶望をひっ提げて歩いてるわけだよ。
 
西世:  悲しみの花見ですね。
 
金城:  そう悲しみの花見。そうやねん。
 
西世:  そうですか。
 
金城:  ここからだよ。天のお助けが来るわけ。雨が降りだした。目の前にでっかいビルディングがあるわけや。その軒があったんよ。雨宿り。中には入りませんよ。なんか柵があってね。そこでしばらく雨宿りして、ここ何やと思ってこう見たらやな、あとで知るんだけど、右側に「地獄の門」の彫刻ある。
 
西世:  ああダンテの?
 
金城:  ダンテをモデルにしたロダンの作品。ブールデルの「弓をひくヘラクレス」があり、それからバンと向かって「カレーの市民」がある。
 
西世:  上野…。
 
金城:  ロダン美術館に。「考える人」が座っている。ライトがついてるから見えるわけですよ、当然。これ何やと。彫刻というのを初めて見るがな。
 
西世:  ここでね。
 
金城:  ええ。浜比嘉にありますか? 絵も一枚もないのに。そんで衝撃を受けるわけ。
 
西世:  それまでは見たことがない?
 
金城:  見たことない。翌日訪ねていくわけや。それで入場しにいくわけ。
 
西世:  ちゃんと入場料払いました?
 
金城:  ちゃんと入場料払って行くわけ。入ったらもう衝撃やね。恐ろしいのがいっぱいあるわけだ。三○○点以上の彫刻が並んでるわけ。あっけにとられて衝撃を受けてですね、もうそこから出られなくなって、そこら辺の店でパンと牛乳買ってね、長い時間ね、そこで過ごすようになるわけ。
 
西世:  つまり一瞬にして金城さんの心を捉えた何物かがあったんだ。
 
金城:  あったんやね。「魅せられたる魂」ですかな。「魅せられたる魂」、ロマン・ロランの。そしたらこう思った。生きてる一生のうちに、俺はこういう仕事がしたいものだなと、自分に言い聞かせたわけ。
 
西世:  それは天啓ですね、まさに。
 

 
ナレーター:  「自分もいつかロダンのような彫刻を作ってみたい」。三度目の受験でようやく京都の外語大に合格。大学を卒業し、英語教師になった金城さんは、独学で彫刻を学び始めます。それは沖縄の離島に生まれた自分が、いかに生きていくのか。自分とは何者なのか。探し求める旅でもありました。
 
西世:  金城さんご自身はね、最初は沖縄人であることっていうのは、自分の中ではどういうふうに本土に行った時、思われました?
 
金城:  俺は東京に行った時から劣等意識があるし、沖縄の文化とか、沖縄の言葉もたどたどしいし。それ復学したあとやな。便せん屋の袋詰めのアルバイトして、九千円だったかの給料もらって、一杯やりたいな思ってやね飲み屋を探して入った。で飲み屋のおねえちゃんがビール持ってきて、私に話しかけるけども、大阪弁にも慣れてないし、日本語もなまりがあるしね、できるだけ言葉を発しないでおこうという状況にあるわけ、まだ。大学に入っても。ところがこのねえちゃん妙なこと言いだしたんや。言葉を発するようになった時に、「アクセントがちょっと変わってますけど、どこのお方ですか?」って言うわけや。
 
西世:  はぁ…「どこのお方ですか?」と。
 
金城:  俺に。「鹿児島辺りの人ですか?」って。「はい、そうです」と言うてしもた。だんだんだんだん自分が自分にうそついて、俺が自分はどこから生まれたったいうことを言えなかった、自分にね、だんだん腹を立ってきた、自分に。「鹿児島方面の人ですか?」って、「はい」って言うてしもうたんや、俺。自分が許せなくなった。それでうそついて、自分が沖縄出身であるということを隠すことについてやな、嫌悪感を覚えるようになるわけ、自分に。
 
西世:  そういうことがあって…。
 
金城:  自分の浜比嘉島であるところを、少年時代、高校時代も隠したけども、またここにきても自分を隠すのかと思ったら、無性に嫌悪感と自分に怒りを込めて、しばらく黙ってた時に酔いが適当にきた時にテーブルをバチッとたたいて、「俺は沖縄だ」と言うてしもうたんよ。相手にしてみたら、どうでもええやないか、別に。はぁ…あかんな、俺は。飲んだ時だけ沖縄を叫び、飲まなかったら隠す。これって一体どういうことやと。そのことが部落や朝鮮人が自分の身分を隠して生きていくことに、俺はだんだん気が付くわけですよ。
 

 
ナレーター:  一九七五年、金城さんは、大阪・天王寺区の夜間中学の教師になります。生徒たちの多くは、戦中戦後の苦しい時代を生きてきた在日朝鮮人の女性たちでした。
 
西世:  夜間中学で、あの例の「オモニの像」を作っていった、その辺りのことをちょっと…。
 
金城:  文(ふみ)の里に入ってみると、英語の教師の免許しかないけども、美術の先生が辞めていくんですよ。集まってくれないから。子供みたいに絵の勉強するぐらいなら字を教えてくれっていうばあちゃんたちの反応や。
 
西世:  その時からもう彫刻を…。
金城:  始めた。四月からの授業ですがな、これ。一学期、二学期もたってなくて、ようやく三学期に入った頃に何とか若い生徒たちと形が見えだしてきた。
 
西世:  それはそのオモニの像ですか?
 
金城:  オモニの像。
 
西世:  を作ろうと思ったわけ。
 
金城:  作って、形が出来てきた。そこに文句を言いに来たおばちゃんたちが、在日の。何て言うたかって、「先生、チマチョゴリの上の…だらしない!」。(笑い声)先生が作ってる作品だらしない。恥ずかしい見ていて。
 
西世:  チマチョゴリの着方がだらしない。
 
金城:  「だらしない」って言うわけや。お前らいいかげんにせんか。授業に来んのにね、だらしないとかなんちゅうのは、俺知らんがな、お前、そんなもん知るか! 授業に来んくせに文句だけ言いに来る? ええかげんにせぇ。だったらこう言おうか。「モデルにならんかい」。
 
西世:  なるほど。そしたらどう言ったの?
 
金城:  「恥ずかしい」。お前らアホか。自分のお前文化であるチマチョゴリが恥ずかしいと内面は思ってる。あっそう。恥ずかしい? だったら、チマチョゴリがだらしねえって言いに来るの、どういうことじゃ。そうなった。よし先生、三人ならやるわ、モデル。そんで一番年の近い六十の半ばになるおばちゃんたちが、三人チマチョゴリを着て、彫刻の前に座ることになるわけや。やった?! これでいけると。
 
西世:  彼女たちは識字というか…。
 
金城:  識字だけで、もうこんな彫刻なんか遊びだと。絵描くのも遊びだ。
 
西世:  それはそうだろうね。
 
金城:  だから活字を教えてくれって言うんだよ。足し算・引き算から、ローマ字から、年賀状の書けるような字を教えてくれって言うわけや。それで…一気に制作に入るわけ。一気にまとめに入るわけ。
 
西世:  まとめにね。彼女らももう手伝って?
 
金城:  手伝う。当然自分たちも作る。
 
西世:  ここが違うぞ、と。
 
金城:  手が大きすぎるからとかなんとか、「顔はちょっとべっぴんやけど、手大きくないか、先生」って。何? あんた方、手で生きてきたんやろ。彼らには妥協しない。さあ完成した。そこで持ち上がったのが、この彫刻をどこに建てるんかって話だ。あんた方が作った作品だからね、学校の先生にはやらせるな。あんた方がやれ。誇りだろ、あんた方の。
 
西世:  ほう…。
 
金城:  そして、はい除幕式がきた。
 
西世:  除幕式がきた、はい。
金城:  きた。そうしたらキムさんっていう年寄りの、一番長老のばあちゃんがな、もう準備してるわけ、準備。くす玉も上がってるわけよ。もう卒業…除幕式の時、もうカバーも外して、白?い布でリボンつけて引っ張ったら、くす玉も下りるようにセットされてるわけ。その前に、キムさんという一番長老のおばあさんが、一升瓶二本、台の前に置かれてるわけや。
 
西世:  一升瓶?
 
金城:  酒のお酒! 瓶見たら何か日本の…日本酒の瓶なんだよ。汚れとるんや、瓶がまた。何だこれは。あとでマッカリだというのが分かるんだが。拝み倒してるの、このばあちゃんが。体育館でガーガーガーガー声出してるのが聞こえるわけや。近いからね、体育館は、当時。ふっとのぞいたらなぁ、チマチョゴリに着替えてる、全部が。そうしてついに除幕式の本番にきた時に、体育館から「アリラン」を歌いながらやな、おばはんらが、「アリラン」を歌いながらな、彫刻の周辺でぐるぐるぐるぐると「アリラン」を歌いながらな、踊りだしたんよ。あれが最初に見た感動。芸術というのはこういうことだ! どないでっか?
 
西世:  それは感動的な光景ですね。
 
金城:  俺は泣いたよ。
 
西世:  「アリラン」を歌いながら踊って、彫刻の周りを。
 
金城:  彫刻の周りをぐるぐるぐるぐるして、くす玉を代表の会長実行委員が落とすわけや。いつまでも止まらないで、歌うたって「アリラン」を踊りながらぐるぐる回ってんねん。俺あの時俺泣いたよ。はぁ?ついにやった! そのあと一切、何でここに建てたかという文句はひと言も出なかった。勝った! やった! 芸術運動や。
 

 
ナレーター:  表現することの本当の意味。オモニ像の制作を通して、金城さんは民衆と共につくり上げていく芸術表現に気付いていきます。大阪・天王寺の夜間中学から、西宮の定時制高校へ。金城さんは、精力的に彫刻作品を発表していきます。一九七九年、全国八十一か所でキャラバンを行った第一次「戦争と人間展」。久米島(くめじま)、渡嘉敷島(とかしきじま)でのいわゆる「集団自決」がテーマでした。それは金城さんにとって、沖縄の風土や歴史を改めて見つめ直していく作業でした。そして一九八七年、読谷村のチビチリガマでの「平和の像」の制作に取りかかります。遺族たちの一人一人と会い、共につくり上げていく。それは金城さんにとって、かつて経験したことのない緊張感を強いられる仕事でした。殺される側の人間にも尊厳がある。遺族たちが作品に向かう沈黙の中に物の形をまさぐっていったと、金城さんは言います。
 
西世:  やっぱり遺族の方たちの沈黙の重さっていうんですか、これは一番感じたんじゃないですか?
 
金城:  うん。う?ん…死者に対して、しかも墓であるのに、思い出したくもないというところに手をかけるというのは…制作者として、必ず災いを迎える。だから課題を与えて、それができるなら踏み込んでもいいと。
 
西世:  はい、はい。
 
金城:  昌一さんは努力して作りたいという人たちの意見を増やすことになるわけや。
西世:  ああ…。
 
金城:  かなりの人数がおると。そうか。やってみるか。俺一人では作らない。俺一人では作らんよ。それから飯を食べる場所も同じ場所でやろう。うち(家)に帰って飯食べに行くということはやめる。俺にはその仕掛けは何であったかっていうと、飯を食いながら彼らが話したくない話を聞けると思ったからだ。どうでっか? 仕事終わって、うちに帰って飯食ったら、彼らと話をする時間がない。仕事が終わると、酒持ってくるおじいちゃんがおるわけや。そりゃおかあさんたちは夕飯の支度があるから帰るけど、仕事の余韻を残して、そこに何人かの遺族のお父さんたちが居座ったまま酒を飲むと、だんだんだんだん遺族の話が出てくるわけよ。どないでっか? ついに積み重ねていくわけよ。
 
西世:  そこで金城さん自身が、いろいろ話を聞きながら、あの集団自決で…。
金城:  飯も一緒に食う。残った人の…おっさんらと酒も飲む。そうすると、どんな状況だったかというのも語りだす。自分の身内の誰々がこうなった。自分は兵隊におった。もう一つは、チビチリガマで一家全滅するけど、自分は防衛隊でシヌクガマに行っていて、帰ってきたら一家全滅してたから…。すごい光景で…これ他人が言うんだな。うちのお父さんは、「もう死にたい死にたい」って言うてやな、一家族失ったから。酒飲んでアメリカのGMCっていうトラックの前で座り込んで「殺せ!」とかね。
 
西世:  ああ戦後ね。
 
金城:  うちに帰ると、位牌を全部たたき割ってね、もう手をつけられなかったですよ、金城先生。奥さんが語るわけ、本人は語らんよ。
 
西世:  はぁ…そうやって出来上がっていくんですな。
 
金城:  そう出来上がってく。
 
西世:  でもね…。
 
金城:  うん。
 
西世:  それは金城さんとしても相当緊張したんじゃないですか?
 
金城:  もっと緊張あった。僕は大体…神とか亡霊を信用しないけどね。気になったのはね、あれまだ遺骨がある所やしね、俺も浜比嘉島の出身だからね、死者というものに対しては、子供ながらの時から浜比嘉島を見てるからね、これはあんまりいいことないなぁと。
 
西世:  いいことない?
 
金城:  いいことがないなぁと思った。そんで浜比嘉島行ってね、「漁夫マカリー」の前でね、こんな仕事しますから見守って下さいと線香あげに行った。それほど緊張してた。
 
西世:  はあ…そう!
 
金城:  まあ完成しましたよ。でその完成をしたあと、現場のチビチリガマに運んでいった時に、アルコールに酔っ払って、単車を乗って現場に来た人がおる。
 
西世:  酔っ払って?
 
金城:  うん。その時にお前やくざか、この野郎。
 
西世:  あ?…それ村の人なんでしょう?
 
金城:  うん。「俺と相撲取るか」って。おかしなこと言う人だなと思って。俺も適当に受け答て、「いや、相撲はできません」とかね。黙って話を聞くだけしてた。ねっ。ちょっと去ったあとに、初代代表の比嘉平信さんに聞いてみたんや。
 
西世:  遺族会の。
 
金城:  遺族会の平信さんに「あの人誰ですか?」と。「実は自分の親戚や」と。姉ちゃんが、毒の注射ということが広がって。
 
西世:  えっ? 何?
 
金城:  姉さんが、自分のお姉さん。
 
西世:  毒の…注射を。
 
金城:  全部に注射して殺したんだという、うその情報が入って、一軒一軒確かめた、酔っ払って。
 
西世:  ガマで毒の注射をしたと。
 
金城:  うそやと。身内だけにやったんであって、全員とは違うということで、一軒一軒回って、暴力は振るわない、絶対に。家の入り口に、暑かろうが寒かろうが、酒を前にして座り込んだっていうおじいちゃんや。
 
西世:  それはその毒の注射をしたというのは、お姉さん。
 
金城:  お姉さん。
 
西世:  看護婦。
 
金城:  うん。ところが弟はそれを追及するわけよ。ほんとに俺の姉ちゃんかと。全部俺の姉ちゃんのせいにしてやね。
 
西世:  その人は、そういうことだってことは、村人たちは…。
 
金城:  知ってるわけ。絶対暴力振るわない。でも自分一人で、要するに自閉的に自分を苦しめながら、一つ一つ姉ちゃんの…姉さんの汚名を晴らそうというのが…。あの時は酒飲んで俺にけんか売った。その時に帰り際にこう言った。「あした除幕式がありますから出席して下さい」言うたら、うんともすんとも言わないで、またバイクに乗って帰ってしまったわけや、その日は、前日。
 
西世:  それで?
 
金城:  除幕式の時には、すごい雨だよ。
 
西世:  あっそうでしたか。
 
金城:  一人、ぽつりと立っとるね、この人。
 
西世:  周りに…
 
金城:  見に来てて。
 
西世:  人々集まってくる前に。
 
金城:  除幕式は…。来る前じゃないの。除幕式はものすごい雨だからね、傘差してもぬれるぐらい。ところがこの男ね、傘も差さずにぬれたままず?っと立って、除幕式を見てるわけだよ。悲しくなったよ。口数が少ないから何も言わん。あの時の光景も謝らないし。
 
西世:  ふ?ん…。
 
金城:  ごろつきとも言わない。あの時悪かったとも何も言わん。ただ現れて、黙ってたばこを差し出した。フフフフフ。
 
西世:  へえ?。その…何も言わなかったね、その彼の苦悩っていうのは、どういう?
 
金城:  計り知れないよ。言葉で言うたら最後やもう。言葉にできないから、深くてね。それを忖度必要はない。この人何も言わないから、何だよと言う気はない。人に、口に出せないほど深くて重たい人間にね、「それ何ですか?」といちいち質問するべきではないんだよ。
 
西世:  チビチリガマのあの彫刻見せてもらったんですが、実際にあれを作り上げていくあの世界は、あの上に骨壺があってね、骸骨…。
 
金城:  あれ八十四人分ですよ、全部で。全ての作品が。
 
西世:  一番受ける印象は、やはりあそこに溶け込んでいる。ガマの中にあるってことなんですね、やっぱり。
 
金城:  それは金城実が見てきた浜比嘉島の包み込むような母なる母胎みたいな、あの中におさめると温かみもある。あの中に生死観がある。悲しいものをあの洞窟で包み込んでしまう母親の胎内だと思えばいい。
 
西世:  なるほど。それでのぞき込むと、母がいて…。
 
金城:  そうそうそう。
 
西世:  持って。
 
金城:  そうそうそう。だから穴の中に洞窟とか、穴の中に隠れてるあの穴とか洞窟は、母親の子宮だと思うと安らぐでしょう。
 
西世:  つまりあれはそういう非常にもうテンションの高い現場で作り上げていきながらですよ、でも金城さんは、島の沖縄の死生観というのも込めていった。
 
金城:  そう。なぜ洞窟で包み込んだかというと、そこですよ。むき出しにするとあまりにも悲しすぎる。死体とか作っても、どうしようもならん。そこに…母なる死者の中にあっても、母親に抱かれているんだということを表現したかったっていう話よ。
 
西世:  表現というのは惨劇を伝えるだけではないという。
 
金城:  うん。
 

 
金城:  ここから海ですよ。こっから。ここはうちのおふくろの兄さんの家。ここは。
 
ナレーター:  生まれ故郷、浜比嘉島。この日金城さんは、親戚の法事のため久しぶりに島を訪れました。金城さんの生まれた家。ここで戦後、母の秋子さんと暮らします。
 
金城:  これ母方やからね。これが漁夫マカリーですよ。肩幅が大きいでしょう、ものすごく異常なぐらい。網はね、もう掬うからどんな魚でも全部取りよったな。自分一人で行く時は、タコとりに行くの。だから沖縄では、自分の息子にもタコの巣がある所を教えないといういわれがあるの。あの世に行っても自分のタコの巣なんだと言うてた。あそこに行っても、俺はウミンチュ(方言の直訳は「海の人」になり、漁業など海の仕事に従事してる人を指す)だからと。
 
ナレーター:  あの世に行っても、ウミンチュとして生きる。「後生(ぐしよう)」と呼ばれる生まれ変わりを信じた祖父マカリー。そしてノロの役目をつかさどるカミンチュだったという祖母。島の営みが繰り返されてきました。金城さんが生まれたのは、日中戦争さなかの昭和十四年。父の盛松(せいしよう)さんは、結婚したばかりの母秋子さんを残し、陸軍の志願兵として戦地に向かいます。幼かった金城さんは、父親の顔を覚えていません。母秋子さんのもとに戦地の父から届いた葉書。そこには「実(みのる)もやがて国民学校に入学する。頑張って母親として立派な教育を受けさせてくれ」とつづられていました。盛松さんは、昭和十九年転戦した南方ブーゲンビル島で戦死。帝国軍人として死んだ父は、戦後靖国に祭られます。沖縄人である父が、なぜ英霊として祭られるのか。金城さんは後に、「沖縄靖国訴訟裁判」の原告団長を務めます。
 
金城:  だからここはもうここから海だから、大きな岩があって…。我が先祖たちは…うちの息子も胎盤、ここで流す。
 
西世:  へえ?。
 
金城:  ここなの。
 
西世:  はぁ?。
 
金城:  これがここがウブガー(産井戸)。だから正月の、旧の正月の元日に最初に顔を洗うのは島中の人間がこの水を使うの。この水を。でここにけんかになるね、子供たちが。何でか言うたら、島中の子供たちが水くみに来るわけだ。
 
西世:  元旦にね。
 
金城:  夜が明ける前に。けんかになるわけよ。「俺が先だ」とか。湧き水。上から流れてくる水ですよ。
 
西世:  ここで胎盤を子供が産まれたら洗う…。
 
金城:  違うんですよ。胎盤は一応海で洗うわけだ。
 
西世:  はぁ?。
 
金城:  ぼろ雑巾とか、おしめみたいなものに、血がついたり、胎盤があるからあそこに流すの。その胎盤を流したやつのおしめ、ここで洗う。そして向こうでお祈りをするの。おやじも、じいちゃんばあちゃんも、ここで産まれるわけだから。
 
西世:  みんなここで産まれて…。
 
金城:  俺もそうだよ。なぜ靖国に持っていくの? ここだよ。
 
西世:  お父さんがね、帝国軍人として立派に戦死したっていうことを、それまでどう思ってたんですか?
 
金城:  母親はいつもこればかし言うんだよ、こればかし。だから「勉強せい。日本人になれ。おやじは偉かった。なぜお前、頭悪いんだ」と。恨んだよ、俺は、母親を。
 
西世:  「立派な日本人になれ」と。それはお父さんが言ったんですか?
 
金城:  言うた言葉。それを真に受けた母親が、俺に徹底的に教育を施すわけだよ。犬死にだよ。
 
西世:  それをお母さんに言うっていうのは?
 
金城:  お母さんに…。母親にしてみたら許せんよ。こんな息子からそんな発言なんて聞こうと思わなかったやろ。
 
西世:  お母さんの前で…。
 
金城:  何で泣くんだ。
 
西世:  お父さんは犬死にじゃなかったか。
 
金城:  おお言うた。おふくろは激怒したね。テーブルひっくり返して、ほんとに母親の顔見たあの怖さは、今でも忘れない。アンマー(「母」をさす言葉)おっかあだ。じゃあな息子や。フミトだ。「次戦争が起こった時にな、じいちゃんに負けないように真っ先に戦争行きなさいということを、孫のフミトに言えるか」と切り返した。母親初めて黙り込んだな。俺も死ぬ時は言うよ。ここや。読谷村に住んでるけどな。よその国や読谷村は。でもな、結局ここに帰るの。ここなんだ。
 
西世:  ここで産まれて、ここに帰る。
 
金城:  そう。
 

 
ナレーター:  読谷村のアトリエで、金城さんは今、野仏を彫り続けます。創作の原点となった浜比嘉島の光景、そして漁夫マカリー。地上戦で犠牲になった沖縄の人々。大阪での被差別部落の人々や在日朝鮮人との出会い。彫刻家として生きた金城さんが見つめてきたのは、差別され虐げられてきた人々の人間としての誇りでした。戦後、沖縄戦の死者たちが、靖国神社に祭られる現実。靖国訴訟を闘う金城さんが出会ったのは、親鸞聖人の浄土の思想だったといいます。アトリエの庭の片隅に、木立に隠れるように、金城さんが彫った木彫りの親鸞像があります。親鸞の思想に惹かれたのは八十年代。真宗大谷派の僧侶玉光順正(たまみつじゆんしよう)(真宗大谷派の僧侶、兵庫県光明寺住職)さんとの出会いがきっかけでした。金城さんの心を強く捉えたのは、念仏弾圧に遭い、越後に流罪(1207年、親鸞は念仏弾圧を受け越後に流罪となる)となった親鸞聖人の残した言葉でした。
主上(しゆじよう)臣下(しんか)
法に背(そむ)き義に遺(い)
忿(いかり)を成し怨(うらみ)を結ぶ
 
西世:  この「戦争と人間」親鸞木彫り結び付いていくものというのは、どういうあれなんでしょうね?
 
金城:  それはまあ思い込みというか、潜在的に彫刻を作ってきた者として、直感的だったのか何か分からないけど、玉光さんのところで泊まって酒飲みながら、掛け軸を見たりして、その掛け軸を見て「俺が親鸞聖人の彫刻を門徒と一緒に作ろうか」と言いだした私の言葉の中には、漁夫マカリーのイメージが既に食らいついていたような気がする。クマソーの上に座っている親鸞聖人が…。
 
西世:  えっ?
金城:  熊の皮の上に座ってる掛け軸が、漁夫マカリーに直感的にダブって見えたというのがね…。
 
西世:  おじいさんの祖父マカリーに。
 
金城:  うん。けったいな話なんよ。信じがたい…。それで、う?ん…講演が終わったあと、若い坊さんたちと一緒に飲み会があった。印象に残ってたのは、何で天皇の…天皇制や天皇制の下に浄土を置いたかということを、玉光順正は糾弾めいた形で言うわけだ。彼、司会してたからね。俺、びっくりするわけだ。具体的に何が言いたかったかというと、第二次世界大戦にお寺を中心にして、村の若者たちを送り込んだのは、坊さんではないかという意味なんだよな、玉光さんは。直感的に俺も思うわけよ。自分のおやじがそうであったように、若い時に志願兵に行った。玉光さんは、一体何を言わんとしとるやろうかと気になるわけね。そんなに親鸞さんお偉いか。天皇制と比較ぐらい浄土っていう世界はあるのかと。それは親鸞聖人という話で言うてたけど、じゃあ俺がただで彫刻作ってやる。ここからの始まりですよ。だから深いところないわけよ。
主上(しゆじよう)臣下(しんか)
法に背き義に遺(い)
忿(いかり)を成し怨(うらみ)を結ぶ
 
という。これは後鳥羽(ごとば)王朝に対する直訴であったというわけだ。浄土の世界においては皆平等であり、悪人こそ救われるというだけのことだから、法で裁かれる世界…別の世界にあるのではないかと、浄土という世界は。分からない。そこで親鸞があの文章を書いたのはどこなんだと。親鸞聖人は何を見たのか、越後で。越後で見た彼の親鸞聖人の風景を見るとね、浜比嘉島を思い出すわけね。
 
西世:  ほう! 見たであろう風景。
 
金城:  ああ見たであろう風景が。
 
西世:  ほう!と言いますのは?
 
金城:  つまり虐げられてる人間たち。税金だけを納めるだけ。身売りをされる。ねっ。うちのいとこのネエネエもアメリカに行ったけどやな、糸満で売られて小学校六年でやめるわけだ。親鸞が…あの貧しい世界を見た親鸞聖人。貧しい、はだしで傘もない。電気もない、水もない。はだしで歩いてる。親鸞聖人はそういう世界を見たのではなかったかなとこう思う。
 
西世:  流罪になった親鸞が見たものと、自分が見てきたものとが少しこう…。
 
金城:  大げさかもしらんけども、そういうふうに見ましたね。
 
西世:  金城さんが編み出した言葉っていうのかな。
 
恨みを解き、浄土を生きる
 
と。沖縄で言えば、まだ金城さんおっしゃるチムグルシサ(肝苦しさ)。ああいうものと一緒になりながらということですか?
 
金城:  だからつまりねこうですよ。浄土の話やりましたね。おふくろの姿や泣き言を言い、悲しみを味わった沖縄戦の被害者いっぱいおりますね。そこで出て来たのはね、「恨(はん)」とは、民族が入ってるわけだ。個人じゃなくて。あなたと私とか、おふくろとおやじとの話じゃなくて、前提に民族というのが入ってるわけ。ここです。もう「恨」とは、朝鮮民族という言葉が入った途端にね分かった。
 
西世:  民族としての恨なんだ。恨みとか。
 
金城:  そう。民族なんだ。ところがチムグルシサとか、恨みつらみは、個人対個人の情念の世界だ。一人一人がね、朝鮮民族の一人一人がね、不正義や不当な仕打ちをね自分で飲み込んでね、心の底の奥底まで。それを解く努力、ハンプル(恨を解く)だ。
 
西世:  ではね、金城さんがそれを解き、ハンプルですか、恨み解き、浄土に生きるとおっしゃって、それを自分の人生、彫刻に向かい合っていく時のその「浄土に生きる」は何ですか?
 
金城:  だからつまりねこうですよ。恨の言葉にも共通点があるんですよ。浄土の言葉にもその言葉は共通点がある。両方に共通点がある。つまりね、「恨とは悲劇を語ったり、恨むものではないというのが浄土だ。親鸞の浄土とは、現世においての浄土である」。ある意味では「権力と闘うのが浄土だ」というわけだ。
 
西世:  だから「沖縄は我が念仏」って言うけど、それは…。
 
金城:  だから悲劇を語るよりも…母親のことですよ、ある意味では。目の前で泣きよる。慰霊祭に行くと泣く。「俺は泣かない」と言ったら、「お前ばかじゃないか」と。
西世:  悲劇を語るよりも…。
 
金城:  人間の誇りを拝みたいと思う。これは浄土の世界でもあるし、恨にあることでもある。
 
西世:  なるほどね、よく分かる。
 
金城:  差別され、痛めつけられ、戦争の悲惨を味わった国民や民族は、泣いたり恨んだりわめいたりするのではなくて、人間に誇りというものを拝もうじゃないかと。
 
西世:  それを拝もうと。それがなぜ祈るかの一つですね。
 
金城:  えっ?
 
西世:  なぜ祈るかの一つですね。
 
金城:  そうそうそう。
 

 
ナレーター:  沖縄戦から七十二年。最後の激戦地となった糸満市(いとまんし)にある「魂魄(こんぱく)の塔」。金城さんは毎年ここを訪れています。「恨を解き、浄土を生きる」。それは金城さんと沖縄の人々にとって、悲劇を乗り越え、二度と戦争や苦しみのない未来を生きる祈りの言葉です。
金城:  今を生きてる人間はね、沖縄戦から何を学んだかという学習の場であるのが六・二三だ。
 
参加者:  そうだ!
 
金城:  泣いてどうする! 悲しんでどうする!
 
これは、平成二十九年七月三十日に、NHK教育テレビの
「こころの時代」で放映されたものである