死を見つめて今を生きよ―往生要集が語るもの―
 
                鶴林寺塔頭真光院住職 吉 田(よしだ)  実 盛(じつせい)
                き き て      阿 部  陽 子
 
ナレーター:  生きとし生けるものに、必ず訪れる命の終わり。命が尽きる時、自分はどうなるのか? 肉体は姿を消しても、心や魂は存在し続けることができるのか? 人々は古くから死後の世界に思いを巡らせてきました。仏教でもさまざまなことが説かれています。その一つが極楽浄土。善行を積んだ人が行くとされます。金色に輝く阿弥陀如来が鎮座し、悩みや苦しみから解き放たれた心安らかな暮らしが待っています。一方で罪を犯した人が行く先は地獄。終わることのない苦しみに満ちています。こうした地獄や極楽の情景は、およそ千年前、平安時代に世に出た『往生要集(おうじようようしゆう)』という書物によって人々に広く知られるようになりました。『往生要集』を著したのは恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)。源信は仏道を歩む人が悟りに近づくことを手助けしようと、あまたの経典をあたってその要旨をまとめたのです。そんな源信の思いを、今の世に生かそうと取り組んでいる僧侶がいます。吉田実盛さんです。
 

吉田:  恵心僧都源信という方の最も重要な書物とされるものに『往生要集』という書物があります。往生していく。阿弥陀様のお迎えがあって、そのお迎えに従って極楽へ生まれていくように、菩提心という念仏を唱える心を養って、その心で念仏をしていくことで、亡くなった方へも供養し、そして極楽へ向かって頂きましょう。
 

 
ナレーター:  源信に歩むべき仏道を教わったという吉田さんに、『往生要集』が説く世界を聞きます。兵庫県加古川市(かこがわし)の鶴林寺(かくりんじ)。聖徳太子が創建に関わったとされる古刹(こさつ)です。その塔頭(たつちゆう)の一つ真光院(しんこういん)。吉田さんはこの寺の住職を務めています。
 
阿部:  こんにちは。
 
吉田:  はい。こんにちは。
阿部:  今日はよろしくお願いいたします。
 
吉田:  こちらこそ、よろしくお願いいたします。
 
阿部:  もう暑いですね。
 
吉田:  暑いですね。
 
阿部:  相変わらずね。
 

 
阿部:  ではよろしくお願いします。
 
吉田:  よろしくお願いいたします。
 
阿部:  『往生要集』ですが、まあひと言でいうと、というのは難しいかもしれませんけれども、どんな書物というふうに言えるんでしょう?
 
吉田:  そうですね。まずは死に方のマニュアルだと言えます。でも裏返しにいうと、同時に死ぬまでどうやったら生きたらいいかっていう生き方のマニュアルでもあると思うんですね。『往生要集』という言葉一つ取ると、往生するんだ。その方法は一つでしょうかっていうふうに思われるんですけれども、決してそうではなくて、往生していくために何をしなさいという方法が、何種類にもわたって書かれておりまして、そのうちのできることをあなたはすればいいんですよ。あなたはこうすればいいんですよ。これはできますか? これはできますか?って、次々次々問いかけてくる。これが『往生要集』であり、源信の姿勢だということになるのだと思います。今は医療が進んできたこともありまして、非常に死にたくないという思いが強くなっている現代ということが言えるのかもしれません。私たちが死を極端に嫌って、できることなら長寿で長生きで少しでも元気で九十歳、百歳と生きたいというふうに願っていく中で、でもやっぱり死は迎えなくちゃならないわけですよね。その時に死を怖がらないで生きるための方法、これが『往生要集』の中に見えるということを知っておくべきではないかなと思います。
 
ナレーター:  『往生要集』が完成したのは、永観三年(西暦九八五年)のことと伝わっています。比叡山延暦寺の僧侶源信が、経典から極楽往生に関する記述を選び出し構成しています。内容は十章から成り、分かりやすく整理されています。地獄と極楽の情景のあと、極楽往生を遂げるための心得と作法が続きます。冒頭の「厭離穢土(おんりえど)」の章では、地獄の恐ろしい様子が詳細に記されています。『往生要集』によると、地獄は八つの階層に分かれています。罪が重いほど下の方に落とされるとされます。一番上は「等活(とうかつ)地獄」。殺生を犯した人が落ちます。ここでは体が切り刻まれる苦しみを味わいます。そのうえ体がバラバラにされても、鬼が呪文を唱えると元の体に生き返ります。こうして苦しみが際限なく続くのです。最も重い罪を犯した人が送られるのが、一番下にある「阿鼻(あび)地獄」。そこまで落ちるのに二千年。地獄では焼けた鉄を飲まされたり、舌にくいを打たれたりの責め苦を受けます。恐怖に満ちた地獄の情景。『往生要集』で最初に置いた源信のねらいは何だったのでしょうか。
 

 
阿部:  最初のところでは、事細かく恐ろしい地獄の様子が描かれてますね。
 
吉田:  そうですね。地獄だけでは実はなくて、「穢土(えど)」という言い方をしてるんですけども、私たちによくなじみのある言葉では「六道(ろくどう)」ですね。「六道輪廻(ろくどうりんね)」の「六道」。これが「地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間界」そして「天界」。その全てが実は厭離すべきもの、離れていくべきもの、ここにとどまっていてはいけないものなんだということを痛烈に主張するんですね。そのためにその一番最初にある地獄というのは、いかにも恐ろしい場所でっていう鮮烈な表記がず?っと続いてきて、例えば殺生をした人は自分が地獄に生まれた時に、ただちに逆に殺される。しかしまた生き返る。生き返ったらまた殺される。生き返り殺され、生き返り殺され、というのが、ず?っと永遠に続いていくという「等活(とうかつ)地獄」っていうのがあるんだよ、というふうに示していくところから、どんどんどんどんその描写がより厳しいものになってくる。これが地獄の表記ですね。
 
阿部:  なんか読んでると、ちょっと…こんな言い方あれですけど、気分が悪くなるくらい恐ろしい情景が、かなり詳しく書かれていますよね。
 
吉田:  そうですね。
 
阿部:  しかし、何でそこまで詳しく書いたんでしょうね?
 
吉田:  二つ理由があると思うんですね。一つは、やっぱり私たちがこの世っていうものに結構執着してしまって、この世で欲望のかぎり、こんな楽しいことができたらいいのになと思って、ついつい悪いことをしてしまったり、本当の美しい生き方というのを目指さなくなってしまっているから、ということが、一つあるかもしれません。もう一つはですね、これが源信の非常にすばらしいところだったんですが、お経というのがたくさんあるんですね。そのお経を全部調べてみて、ここにもこんな表記があるよ。ここにもこんな表記がある。ここにもある。それを整理してみたら、どんな形の地獄ってなるだろうかというふうに、整理整頓をして書いてみたら、こんな形になりました、というふうに示したので、非常に膨大な、そして非常に厳しい地獄の表記というのが、次々出てきたということになるのだと思います。
 

 
ナレーター:  地獄のあと、源信が『往生要集』に記したのは、極楽の情景。極楽の安らかな世界が「欣求浄土(ごんぐじようど)」の章では広がります。当時の人々が抱いた極楽往生の願いの強さが表された建物が、今に伝わります。平等院鳳凰堂(びようどういんほうおうどう)です。本堂の中に再現された極楽浄土。中央には阿弥陀如来が端座し、優しい光を放っています。阿弥陀如来のもと、心安らかに何不自由なく暮らせる極楽。その極楽も九つに区分されています。これはどういうことでしょうか。
 

 
吉田:  浄土へ行く行き方が、九つあるっていうことなんですね。
 
阿部:  行き方ですか?
 
吉田:  はい。行く速さであったり、行った時の状況であったり、ハスの中に生まれるとか、ハスが開く時期が早いとか遅いとか、そんなもので九種類分かれていて、あるいはお迎えに来られる仏・菩薩の数が多いとか、
 
阿部:  仏様の数が違うということですか?
 
吉田:  数が違う。それから往生していく速さが違う。行ったあと、極楽で何といいますか―生活をし始めるまでの速さが違うとかというふうに分かれてきてますね。
 
阿部:  へえ?。
 
吉田:  浄土そのものが、いいランクとか悪いランクとか、ということもありますけれども、自分自身がどう生きてきたから、どのように報われるのかということとの対応だろうと思うんですね。
 
阿部:  でもその先の世界をそんなバリエーションを作ったっていうのは、昔の人の想像力というのは、今を生きるために使われたんでしょうかね?
 
吉田:  そうだと思います。昔の人っていうのは、そういう意味では、それを素直に受ける力があったと思うんですね。ところが現代の人はどうでしょう? 私はむしろ『往生要集』に書かれている地獄とか、餓鬼道とか、あるいは極楽とか、そういうものは人間の今の世界の中にも散りばめられているというふうに理解してますし、そうお話しもしています。例えば戦争があったり、あるいは自分たちの世界の中で、いろんなつらいことを経験されたり、病気になる時もあります。あるいは誰かの親切を受けることもあります。そういうものがちらっちらっと、今は地獄の場面がちらっと垣間見えたとか、今は極楽のような様子がちらっと垣間見えたということが、混じり合ってこの世の中というのがうつろいでるような気がするんですね。そういう感じ方ができると、六道の輪廻とか、あるいは極楽の世界というものが、実際に存在するんだということを信じることができると、私は思ってるわけです。人間界の中に、それらが全部詰まっている。ですから、よりいい生き方…何ていうかな死に方ができるようにするには、今をどう生きなくちゃならないという振り返って考える、今の生き方を考えてみるための教えとして、この九品(くぼん)(浄土教で、極楽往生の際の九つの階位。上中下の三品?(さんぼん)?を、さらにそれぞれ上中下に分けたもの。上品上生?(じょうぼんじょうしょう)?・上品中生・上品下生?(げしょう)?・中品上生・中品中生・中品下生・下品?(げぼん)?上生・下品中生・下品下生の九つ)などもあったでしょうし。逆に地獄とか餓鬼・畜生道に落ちますよというのも、同じように今をないがしろにしてると、そうなりますよという教えでもあったのかもしれませんね。
 

 
ナレーター:  源信は、天慶(てんぎよう)五年(西暦九四二年)奈良と大阪の境にある二上山(にじようさん)の麓に生まれました。父の遺言に従って、幼い時に比叡山延暦寺に入り、十三歳で得度します。熱心に経典を学び、やがて宮中でも仏教を説くまでになりました。名声が高まっていった源信ですが、栄達よりも多くの人を救う道を求めるようになりました。そこには一つの逸話が伝わります。源信は、法華会(ほつけえ)と呼ばれる勅使を迎えて執り行われる法要で、経典の解釈を述べられる栄誉を賜りました。褒美に授けられた最上の布を、母に贈りましたが喜びません。「名誉を得ることより、人々を救うことに精進するのが僧侶の務め」と送り返します。源信は、思いを新たにして、更に修行に励みます。そして四十四歳の年、『往生要集』を完成させたのです。
 

 
阿部:  源信さんの生きた時代というのは、どういう時代だったんですか?
 
吉田:  平安時代の中期から後期になってきますとですね、だんだんだんだん仏教の情報が入ってくるようになるんです。その時に三世(さんぜ)の思想というのが入ってきまして、要するに「正法(しようぼう)・像法(ぞうほう)・末法(まつぽう)」というふうに、仏教がうつろいでいくと、末法になると、お釈様の教えがちゃんと伝わらない。伝わらない世の中では、誰も極楽には往生できないし、成仏することだってできなくなってしまう。仏教が廃れた時代になってしまうという恐怖感が日本ににじみ出してきた時代なんですね。そんな中で源信は、仏教の勉強を積み重ねてきたわけですね。それまでの時代の中で、信仰というのが多様化してきて、このお経にはこう書いてある。このお経にはこう書いてある。じゃあどちらが正しいのだろうかとか、全ての人が仏になれるのだろうか。それとも能力のない人は、仏にはなれないという人たちがいるのだろうか。そういうことが、まだ迷いのあった時代。それを決着をつけて明らかにして、自分が勉強してきたかぎりを整理し尽くしたら、きっと答えが見えるのではないかというのが、彼の心根の中にあったと思うんですね。
 

 
ナレーター:  『往生要集』で源信が、極楽往生の手だてとして説いているのが念仏です。仏教の修行には、坐禅をはじめ、さまざまな方法があります。それらの中でも念仏は、仏に帰依する心さえあれば行える修行です。
 

 
吉田:  念仏と言いましたら、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱えることだと思ってらっしゃる方が結構世の中には多いかもしれません。しかし漢字で書きますと、「念仏」というのは、仏を念(おも)うっていう意味なんですね。ですから、例えば「南無釈牟尼仏(なむしやかむにぶつ)」と唱えるのも念仏になりますし、場合によっては密教ですと、「オン・何たら・ソワカ」などというふうに言って、梵語で唱えるのも念仏になるわけですよね。
 
阿部:  ご真言ですよね。
 
吉田:  ご真言ですね。これも念仏です。ですから、念仏の種類というのがいっぱいある。それをどれを行ってもいいのだと。自分の能力に合い、自分の興味があるところだったら、それを伸ばしてやったらいいですよ、というふうに説くわけですね。これがいけない、これはやってはいけないなど、というようなことは、源信は絶対言わないんですよ。自分の能力に合い、自分の興味があるところだったら、それを伸ばしてやったらいいですよ、というふうに説くわけですね。源信は天台宗の僧侶です。ですから天台宗が、伝教大師以来、いろんな教えを認めて、そして全員成仏できるんだというふうなところへ示していく中で、往生の思想というのを親切にひらいていった。源信のこの考え方っていうのは、私たちに対して優しいといいますか、あなたはどれに興味がありますか、どんなふうに念仏したいですか、どんな念仏でもいいんですよ。分からないですか、こんなやり方ありますよ、こんなやり方もありますよ、というふうに示してくれてるわけで、非常に取り組みやすいっていうことが言えるかもしれません。
 

 
ナレーター:  極楽往生をより確実にするため、源信が大切にした方法が「観想(かんそう)」です。仏の顔や姿・形、極楽浄土を心の中で強く思い描くことです。
 

 
吉田:  仏様の姿というのが、こんな姿ですよという、仏像の姿をおおまかにでもいいですから思い描いてみて下さい。そして仏様に近づいていこうという気持ちを持ちましょう、というので説かれていたりします。「それでも難しいでしょう」という人がいらっしゃるかもしれないと。そうすると仏様は、人間と違って、この額に白毫(びやくごう)という光を出す毛が巻いてるところがあるんですね。この白毫だけでも、じ?っと見て下さい。白毫から光が出て、それが自分に当たっているような思いを描いてもらうと、仏様があなたに悟りの光を与えて下さってるよと。もうお迎えの光があなたに当たってますよと思う。そういう観法でもいいですよ、というのが説かれてるんですね。しかし、そんな観法は何もできないという人もいます。その時には、ただ「南無阿弥陀仏」と口に出して唱えるだけでも、念仏になりますよ、というふうに言って、何層にもわたって念仏のしかたを説いてるっていうのが、『往生要集』のすばらしさのように思いますね。『往生要集』の中に、
 
一目の羅(ら)は鳥を得る
ことあたわざれば、
万術(ばんじゆつ)もて観念を助けて
往生の大事を成ずるなり
 
という言葉があるんです。これはですね、たった一つの網の目だったら、鳥は捕ることはできません。だからいっぱいの網の目が要るでしょうと。それと同じように、往生していくには、いろんな方法があるんです。そのいろんな方法を全部使って往生していくように考えましょうね、っていうことをいうんですね。現代の仏教の中で、これさえすればいいとか、あれさえすればいいとかという考え方も、宗派によってはあるわけなんですけれども、それはそれですばらしいお創始様の説かれた教えなので、それは立派なものです。けれども、源信和尚(げんしんかしよう)が『往生要集』で言っていることは、自分の能力に合った形で、何かの方法があったとして、他にこんな方法もできるっていうならば、全部合わせて、何もかも他にできるものもあるでしょう。これもやりましょう。これもやりましょう、というふうにして、万術をもって往生するということを言っているというところが、私は一番大事だし一番好きなところですね。
 

 
ナレーター:  極楽往生のありようを、人々が体感できるようにした法要も、源信が始めたと伝わります。源信のふるさとに近い奈良の當麻寺(たいまでら)で行われる練り供養会式です。菩薩たちが亡くなる人の魂を迎えに来るさまを再現しています。亡くなった人の魂は、ハスの花に乗せられて極楽浄土へと向かいます。臨終の際に迎えに来てくれるであろう菩薩たちの姿。それを具体的に見せることで、死と向き合うことの大切さを、人々が認識するよう源信は考えたのでしょうか。
 
吉田:  練り供養というのは、迎講(むかえこう)などは結構たくさんの地域で行われてます。また場所によっては少し形を変えて、太鼓橋のような橋をつくったりですね、それから階段をこう上がっていったり、毛氈を敷いたり、特設の舞台をつくったりとかという形で、當麻寺だけではなくって、多くのところで練り供養がされてるわけですけれども。いずれにしても、その極楽からたくさんの菩薩が順々に迎えに来てくれるというさまは、「わぁありがたいな。きれいだな。こんな世界へ迎えてもらったらうれしいな」という思いを、抱かせるのに十分な演出効果というか、思いを抱かせる、そういう行事だということが言えますね。今日でも多くの方が、それを楽しみにしていらっしゃってるっていうことは、それを自分の脳裏に焼きつけて、いざ本当に極楽に行く時には、そんなイメージがもう一度よみがえってきて、本当の阿弥陀様にお迎えになった時に、「あぁ私前見てたんですよ、これ。この場面ですね。いよいよ本当に行くんですね」って思えるようになればいいなというふうに、私などは思いますね。
 

 
ナレーター:  『往生要集』には、臨場の場面でも、行うべき作法があると記しています。「臨終の行儀」では、「今まさに亡くなろうという人は、仏像から伸ばした五色のひもを手で握る」など、ゆく人送る人双方について事細かに述べています。
 

 
吉田:  『往生要集』では、「別時念仏(べつじねんぶつ)」というところの「臨終行儀」っていう場面で、そこが説かれてるんですが。要するに臨終の場面で、どういう作法をしますか、ということですよね。まだ病者、病人は、そこにまだ息がある状況で、意識もある状況で、家族が集まってきて、そして友人知人が集まってきて、僧侶も集まってきて、「南無阿弥陀仏」を唱えるわけですよね。そしてこの念仏の中で、極楽浄土へ往生していきなさいと送っていく。息を引き取られるまで、念仏を唱えていくということですから、亡くなる人にしてみれば、「今それをすると、まだ俺は生きてるのに縁起でもないぞ」みたいなことを言われるのかもしれませんけど、昔はそういう形でお送りしてきたということですね。
阿部:  う?ん。みんなで集まって、その仏像のところに、どちら側に寝かせなさいとか、そういうことも書いてありますよね。
 
吉田:  はい。細かい指示が全部ありまして、マニュアル化してありまして、仏像からは五色の糸を垂らして、病者の手に結びつけて、そして西の方へ向いてる病者を、西方極楽へ送っていきますよという、そういう思いをかけるんだというふうなことが書かれてます。また家族の中には、いわゆるお酒を飲んでいたり、臭い物を食べている人は、お送りすることができない。別室に下がらなくてはならないということが書かれていたり、非常に厳しいこまごましたマニュアルがある。
 
阿部:  そうですね。それからあと、最後に亡くなっていく時に、何が見えたか聞くというのがありましたね。
 
吉田:  そうですね。みんなが「南無阿弥陀仏」唱えてる中で、「どうですか? 極楽からのお迎えが見えますか? 見えますか?」って、何度も尋ねていく。そして、そう尋ねる中で亡くなっていこうとしてる人の気持ちを安らかにして、本当にお迎えが見えるような気持ちで亡くなってもらいたいという思いが、そこに結集しているんでしょうね。
 
阿部:  もし極楽が見えなかったら?
 
吉田:  見えるように願わなくてはという気持ちが、またそこで周りの人にわくんでしょう。
 
阿部:  あっ、周りの人が一緒に願って。
 
吉田:  そうです。
 
阿部:  極楽が見える状態…。
 
吉田:  「まだ見えません、まだ見えません」っていうと、「うん、もっと強い気持ちで、もっと大きな声で念仏をお唱えして」というふうになっていったんだと思います。
 
阿部:  そして、源信本人も、自分が亡くなるまでの間というのは、自分の書いたことを実行していきますよね。
 
吉田:  そうなんですね。当初は、平安の貴族たちがそれを実行しようというふうにして、源信の教えを求めてきたわけなんですけれども、「二十五三昧式(にじゆうござんまいしき)」と呼ばれるものを作りまして、いわゆる迎講(むかえこう)―「迎」というのは、極楽からお迎えがありますよという講を作りまして、二十五人の結社で念仏を唱えていくということになります。これは家族でもありません。いわゆるお仲間ですよね。どなたかが病気になったり、危篤状態になったりしたら、そのメンバーが集まってくるわけですね。そして先ほど申し上げた「臨終行儀」をして、「お迎えが見えますか? 念仏をお唱えしますからね。もう安らかに死んでいってもらっていいんですよ」ということを言って、あの世へお送りしていくということを繰り返してきたということになります。
 
阿部:  なんかホスピスみたいなイメージですか?
 
吉田:  そうですね。生を生き抜いた人が、死を受け入れていくという中で、ではみんなで気持ちよくお送りしましょうね、という感覚を抱かせるグループということですね。もう恥ずかしいことも何にもないし、見えを張ることもないし、自分が生きてきたそのままの姿で死んでいく。それをどうか皆さん見守って下さい、送って下さい、という安らかな気持ちで死を迎えられる状況を作る。それが平安時代のその時点で既にあったということはすごい驚きですね。
 
阿部:  そうですね。吉田さんと『往生要集』の出会いっていうのは、どういうところだったんですか?
 
吉田:  大学院も博士課程の終わりの頃、指導教授であった先生が、本を書かれることになりまして、そのお手伝いで資料整理をしている時に、『往生要集』を読み返したことにあります。先ほど地獄のさまが強烈だというふうに言いましたけど、源信が書いたのではなくって、お経にこう書いてあるんだから、私がいうまでもなく、本当に地獄って怖いんだよと、源信が言っていたということに気付いた時に、わぁすごい、これはなんとお経そのものが、仏教そのものが、そう言ってたんだなというところに目覚めたわけですね。
 
阿部:  それが今の吉田さんの日常の活動につながる、リンクするというのは、どういう場面で起きたんでしょう?
 
吉田:  お葬式とか―特に多いのはご法事でしょうかね。今行っているお葬式をして、亡くなった人を法事とかでお弔いをして、そのあと極楽に往生していくっていうこと。それに対して、生き残った側が、その死っていうものに対して、どう見つめるか。どう寄り添っていくか。そういうことが、『往生要集』がこの世―現代の今の社会に呼びかけていることのような気がしてなりません。
 
阿部:  そのあたりもう少し詳しく知りたいんですけど。
 
吉田:  『往生要集』では、「臨終行儀」っていう場面で、死ぬっていうことに対して、どう着目したのか。それは亡くなることを前提として、ここまで生き抜いてきた、立派に生き抜いてきたっていう、生きるっていうことの裏返しが、やがて来る死を安心させるものになっているっていうことに気付いたんですね。だからちゃんと生きて頂くこと。そして生き抜いたあと、死は怖くないよ。やがて来る、当然来る、そこを安らかに迎えることができるようになるには、どうしたらいいかっていうことを、臨終の行儀でちゃんと示してくれてるよ、ということを知ったということですね。これを人に説かなくてはならないというふうに実感したわけです。
 

 
ナレーター:  吉田さんは、源信が『往生要集』にまとめた死のあり方を、さまざまな機会を通して人々へ伝えようとしています。この日は檀家を訪れての法要です。奥村さんのお宅では、ひとつきほど前三十一歳の長男を熱中症で亡くしました。この日は三十五日目にあたる法要です。仏教では人が亡くなると、生前の行いを調べる裁判を七日ごとに受けます。良い結果が出て、極楽へ行けるよう、残された人たちが祈るのが七日ごとの法要なのです。
 
吉田:  一か月経ってしまいましたけどもっていう、そういう思いが強いと思うんですけど。
 
奥村裕美:  そうですね。あのやっぱり亡くなった時は、とても信じられない。信じられない時間が長く続いてきて。今この子に何をしてあげたらいいんやろうっていうのが半ばあって。でどんどんどんどんいないことのつらさが今ちょこっとずつわいてきて。今なんか一番つらい時かなと思います。いろんなこと、洗濯物干す―少ないんですね、やっぱり。
 
ナレーター:  奥村さんは、法要で吉田さんが訪れる度に、正直な自分の気持ちを話してきました。
 
奥村裕美:  この子にとってね、私がいい母親であったかどうかっていうのがね、一番悔やまれるとこで、私のそばに生まれてきてくれてよかったのかしらとか。
 
吉田:  でもね、彼にそれを聞くよりかは、お母さん自身が、私の子で生まれてきてくれてうれしかったよとか、自分の感情を確認される方がいいと思いますね。聞いたって答えできませんからね、彼はね。
 
奥村裕美:  そうですね。
 
吉田:  どうやったやろ、どうやったやろ、こうやったやろかって、心配だけ募るだけで。
ね。それはそちらよりかは、自分の本心を気持ちを、こう思ったんだとか、こうやったんやとか。
 
奥村裕美:  ああそうか。
 
吉田:  それがいいと思いますよ。
 
奥村裕美:  あぁそうですね。
 

 
ナレーター:  吉田さんは、このあとも息子を失った奥村さん一家の悲しみにできうるかぎり寄り添いたいと思っています。このように吉田さんが親身になる陰には、悔しい体験があります。
 

 
吉田:  私は、法事の時とか、仏事に関しては、なるべく説明をしたい。そして理解をしてもらいたいと思って行ってきていますし、その後もお寺に帰ってからも、「何かご不審なことがあったりしたら相談して下さいね。いつでもお電話でも結構ですし、呼んでもらったら伺ってご説明なりしますから」というふうに言ってきたんですね。ですから、あらゆるいろんな心配事とか、不安があったらご相談されると思っておったのです。ところがご主人を亡くされたある方が、その後ご主人のもとへ行きたいというふうに思われて、自ら命を絶たれたんです。私は、「何かあったら相談して下さいね」って言ってたそのうちの一つは、そういう不安事とか、精神的な悩みとか、亡くなったご主人に対する思いの至らなさ…部分があったら、そういうことも含めてご相談下さいね」って言ったつもりだったんですけれども、どうも彼女の受け取り方は、僧侶というのは、仏事に関しての専門家だ。だから仏事のことしか相談はできないと思われたのかもしれないと思いまして、そのことが非常に大きなきっかけとなって、いわゆるターミナルケア(治癒の可能性のない末期患者に対する身体的・心理的・社会的・宗教的側面を包括した医療や介護。延命のための治療よりも,身体的苦痛や死への恐怖をやわらげ,残された人生を充実させることを重視する。終末医療)とか、グリーフケア(子どもだけでなく、配偶者、親、友人など大切な人を亡くし、大きな悲嘆(グリーフ)に襲われている人に対するサポートのこと)と言われるものに、私自身ももっと真剣に取り組まなくちゃならないというふうに思いまして。特にお葬式を出されたすぐのご家族に対しては、心を砕いてなるべく寄り添うような活動行為をしていかなくてはならない。信頼して頂ける僧侶として、不安があったら相談してみようと思って頂けるような存在でなくてはならないというふうに思うようになりました。
 
阿部:  でもそうしたことがあった時は、やっぱりかなりショックを受けられたんでしょうね。
 
吉田:  もちろんそうです。はい。僧侶としての存在意義の…何といいますか、軽さというか。仏事だけして、お経だけ読んでいるということなのかな、ということをつくづく考えましたね。それでは駄目なんだと思い直して。そんな時に重要な意味合いを持ってきたのがやっぱり『往生要集』でしたね。
 
阿部:  それはどんなところが?
 
吉田:  冒頭で申し上げた、死に方マニュアルであると同時に、生き方マニュアルなんだと。ここにかえして見た時に、どのような方法で往生を目指したらいいか、ということが書かれている。それを自分も実践しなくちゃならないけれども、周りのお檀家さんにも実践して頂けるような取り組みをしなければならない。そういうふうに考えるようになりました。
 

 
ナレーター:  この夏、息子を亡くした奥村さん。四十九日の法要です。これを区切りに、魂はあの世へ向かうとされます。
 

 
吉田:  恵心僧都源信和尚といわれる方は、『往生要集』という書物を書かれまして、その中ではこの世で悪いことをしておったり、善いことを積んでおらなければ地獄に落ちるかもしれない。しかし、それを通り越して、極楽の世界へ死んだらまず生まれていって下さいよ、というふうに願われたんですね。それには善いことをしなければならない。それをご遺族ご親族の追善の供養によって、追っかけいいことを足してあげましょうと。皆さんが集まって頂いて、お念仏を唱えて頂いて、お焼香して頂いて、というのがその思いの表れになるというふうに考えてきたのでしょうね。(読経)
 
ナレーター:  源信は、送る人たちのよき往生を願う心が亡くなった人の極楽往生を助けると説きました。それは送る人たちにとっての大切な人の死を受け入れる道のりでもあります。
 
吉田:  いかがでしたか?
 
奥村静雄:  まあちょっと安心しましたね。あの…まあ亡くなってもね、あの世で幸せになるかなあと。
 
奥村裕美:  「何かあった時は一緒にいこうね」って言って。私はなんかここにいてくれてるような気持ちがあるので、何かあったらこう…ちょっと手がこうやって自然と行ってしまうんですよ。こないだご住職に言われたように、あの…ありがとうって。私の子供に生まれてきてくれてありがとうっていう気持ちを、その気持ちの方を大切にして生きていきたいなと思ってます。
 

 
吉田:  死んだ人が往生していくっていう過程を、例えば法事とかで例にとりますと、よくね「お坊さんにお経を読んでもらったから、もう往生したんでしょう」とかおっしゃる方がいらっしゃるんですよ。けれども、私は少なからずお参りに頂いた方、ご本人それぞれが今どういう状況で、どういう心境で、死んだ人とどう向き合ってるか、ということを、それぞれのお立場で理解して頂きたいし、取り組んで頂きたいと思ってるわけなんです。ですから、法要の際には必ずその法要の意味とか、法要の今から行われる手順とかについてお話をしますし、それは僧侶だけに任せきりにしておいていいということではなくて、自分たちがそこに参画している意識、そしてその参画してるのを通して、故人とつながってる意識というのを確認して頂きたいと思ってるわけです。お経を読んで、お経のあとでお焼香をして頂く時間を持つんですが、そのお焼香の時にどんな思いを込めるか、というのが、今申し上げたようなことの過程を行っていく中で、少しでも思いのこもったお焼香により深くなるのではないか、と期待をして行ってるものなんですね。
 
阿部:  その亡くなった方を思うことっていうことが大事だということですか?
 
吉田:  はい。そうです。思うことで、自分が今どういう立場にいて、どう生きなくちゃならないかということが、返ってくるということになると思っています。
 
阿部:  『往生要集』のその死と向き合う…何ていうんですかね、死と向き合う姿勢みたいなものというのは、その生きてるこちら側がなんか鏡のように見えることということですか?
 
吉田:  それが大事だと思います。つまり『往生要集』というのは、生きてる人しか読めないわけですよね。送っていくって言いながら、実は亡くなっていく人は、その時その瞬間で往生の思いを抱けば、もうそのあと…あの世でどう思われてるかどうかは分かりませんけれども、残っていった私たちの側が、送っていったあの世にいった人との距離感をどう持つか。あの人はこんな人だったということを、ず?っと思い続けることができるにはどうしたらいいか。亡くなって一週間たった初七日の時点で、どう思うか。二週目でどう思うか。ずっといって満中陰でどう思うか。百日たってどう思うか。一年たってどう思うか。三年たってどう思うかなどというふうな…私は距離感と呼んでるんですけども、その時間的な経過をおいたうえでも、故人をどのように今思っているかということが大事なんだと思うんです。具体的に『往生要集』の中身のことを申し上げますと、一つには、「正修念仏(しようじゆねんぶつ)」と言われてる念仏をするっていうのがどういうことか、っていうのが書かれてる段の中に、「作願門(さがんもん)」というところでは、今世の中がずっと動いてますが、仏様を念ずるという前に、「自分の心をとどめてみて下さい。ストップさせてみて下さい」というのが出てくるんです。『往生要集』の言葉を使うと、「止(し)」って出てくる。「止まる」という。とめてみて下さい。そのとまってるっていう中で、自分の心を見つめ直すことで見えてくるものがある。「観(かん)」っていうのがある。その二つを「止観(しかん)」と呼ぶんですけれども。
 
阿部:  例えば親しい人が亡くなってしまった。ご主人が亡くなってしまった、という時に、やっぱりその自分の心をとめることというのが、また自分がその先に生きることにつながるということなんでしょうか?
 
吉田:  「自分の心をとめる」というのは、確かにそうできればいいんですがなかなかそうはできないですよね。むしろ私の場合には、「そういう状況であるならば、亡くなった故人と自分との関係をちょっととめてみて見直してみましょう」というふうな説明のしかたをしています。今亡くなったという事実ではなくて、ある自分のどの時点でもいいですが、ちょっととめて考えてみましょう。ちょっとストップして考えてみましょう。そうすることで、あの人と私はこういう関係だったんだということが、もう一度じっくりと自分の中で見つめ直すことができる。そうすることで、故人に対する思いとか、こういうふうに後々自分が生きていかなくちゃならないという、自分の生き方に対する指針といいますか、目指すべき方向性というか、そういうものも見えてくるのではないか、というふうに思います。「亡くなった人の不安とか、心配事の中の一つというのは、どんなことがあると思います?」って言ったら、多くの方が「そら残した私たちがちゃんとしてるかどうかということかもしれませんね」と言って、ご本人たちがおっしゃるんですね。だから、故人が本当に極楽に往生できるか、最後の最後の条件の一つは、皆さんが笑って元気に暮らして、「こんなに今元気にやってますよ。安心してもらっていいですよ」というふうに報告できるようになった時に、そうか、だったら極楽に行けるなって、最後の一歩をぽんと極楽に入られるような気がしますね。それまでは不安でいけないかもしれないなんていうようなことも思わなくちゃならない。それぐらい私たちのことを心配して亡くなっていった故人というのがおられるんだと思った時に、今の生き方を省みないといけないのではないですか、と言ってお話をすることもあります。
 
阿部:  やっぱりその大切な方の死が、その後の生き方を変えたりすることってあるんですね。
 
吉田:  あると思います。そしてそれが時間を置いて、立場が変わってくる。心情も変わってくる。そこで今は喜んでくれてるから、私はこんなふうに生きてますよ、というふうなことを、最後のところでは晴れ晴れと元気に明るく言えるようになってもらいたいなというふうに思います。そうすると、故人がきっとあの世で笑ってらっしゃるような姿が、本人には思い浮かべることができるのではないかと思うんですね。
 

 
ナレーター:  吉田さんは、源信が『往生要集』にまとめた教えをさまざまな方法で広めようとしています。地元のコミュニティーFM局では、レギュラー番組に毎週一回出演しています。
 

 
吉田:  恵心僧都源信和尚(かしよう)という方が、お彼岸というものに対して、非常に強い思いを持たれて、地獄に落ちるとか、極楽に行くとか、そういうことを超越して、極楽を目指していく気持ちをいかに強く持てば、自然にもうみんな極楽に行けますよ、ということを『往生要集』という書物で書かれたわけですよね。それぞれの能力に合ったところで、仏様を念ずるとか、お彼岸の中でこんな過ごし方をしたらいいということをやっていけば、必ずその結果というのはついてきますよ。つまり極楽に往生できますよ、というふうに説いたところが、恵心僧都のすばらしかったところだろうなと改めて感じましたね。
 

 
子ども:  こんにちは。
 
吉田:  どうぞ?。どうぞ?。
 
子ども:  こんにちは。
 
吉田:  こんにちは。
 
ナレーター:  地元の子供たちや親を、定期的に寺に招くことにも取り組んでいます。この日は夏休みを利用しての坐禅体験です。
 
吉田:  自分が息を吐きます?。息を吸います?。そこで他のことは考えない。なんか音がしてるなとか、後ろでおじさんたちはどうしてるかなとか、寝てないかなとか考えない。
それでは数を数え始めます。
 

 
ナレーター:  仏の教えが多くの人の心に伝わるように。『往生要集』から学んだ源信の教えです。
 

吉田:  源信の和歌としてあるのが、
 
我だにも
まづ極楽に
生まれなば
知るも知らぬも
みな迎へてん
 
という言葉があります。「私がまず極楽に生まれることができたならば、知ってる人も知らない人も、みんな迎えて差し上げたいなあ」とこういう歌なんですね。「知る知らない」というのは、誰のことなのかというと、これ一般的に理解すると、私が知ってる人はもちろん迎えるけども、私の知らない人も迎えてあげたい、というふうに理解する向きもあるんですが、どうも恵信僧都の本心を私がかんずるには、この「知る知らない」は仏教のことではないかなと思うんです。仏教を知る人は、もちろん仏教の教えを信じてるんだから迎えてあげたいけども、仏教を知らないという人も、仏教ってこんなにすばらしいんですよ、ということに気付いてもらって迎えてあげたい、極楽で迎えてあげたい。そんな思いなのかもしれない。この言葉を、歌を読んだ時に、ああそうなんだ。だったら、仏教を知らない人に仏教の面白さを少しでも伝えていくような活動をしなくちゃならないのではないか、というふうなところへつながってきて、なるべく…何ていいますか、仏教の奥深いところではなくて、浅?く広?く伝わるようなところから、まず多くの人に知ってもらえるような活動もしなくてはならないと思ったわけです。
 
阿部:  短大でお話しされたりしたこともあるそうですね。
 
吉田:  そうですね。短大で授業を持っていた時には、保育科の学生だったんですけれども、その人たちにも、「現場に出た時には、子供たちの前でいただきます≠ニか、ごちそうさま≠ニいうのを、心を込めて言ってもらえるように、子供たちに周知できるような先生でいて下さいね」というふうに話をしました。その中で具体的な例として、私自身が面白く思ってるのが、よくお母さんとか先生が、子供が転んだ時に、「痛いの痛いの飛んでけ」というふうに言いますよね。おまじないの言葉を。
 
阿部:  あぁその言葉はありますね。
 
吉田:  砂場で子供が転んだ。駆け寄っていった。「痛いの痛いの飛んでいけ」って。 「痛いの飛びますか」っていう話を学生にはしたんですよ。
 
阿部:  飛ばないですね。
 
吉田:  飛ばないですか? 私はね、「飛ばさないといけない」って言ったんです。
 
阿部:  飛ばすんですか?
 
吉田:  はい。飛ばすんです。というのは、飛ばないと思って「痛いの痛いの飛んでけ」って大人が言っていたら、子供は見抜いてしまって、「僕は痛いのに、僕の痛さを飛ばしてほしいのに」って、逆に大人の心を読んでしまうと思うんですよ。痛さが軽減したかどうかは別にして、その気持ちを共有できた。大人が感じてくれてたといううれしさというのが、そういうことをもたらすのかもしれないと、私は思っていて、是非そういう大人になってほしい。痛さを飛ばすことが私はできると思って、飛ばしてほしいというふうに言いました。言葉の裏に込められた心っていうのが伝わっていく、というふうに私は信じてるんですね。そういう思いを持って、口から発していく言葉の重さと、自分の心とがつながってる言葉だからこそ、生きた言葉として子供たちに伝わる。そういうふうに思っています。源信の和歌としてあるのが
 
大空の
雨はわきても
そそがねど
うるふ草木は
おのがさまざま
 
という歌があります。これは大空から降ってくる雨ですね、これがザーッと降ってくると、別に分け隔てなく木々に当たるわけですよ。ところが受けてる方の潤いを持つ草木というのは、大きな木はいっぱい雨を受けるわけですね。小さな草はちょっとしか受けないわけですね。だけれどもそれぞれに十分受けて草も木も育っていくという、こういう例えなんです。これはその仏教というものが、ず?っと大勢の人に教えを振りまいてる中で、どこで芽が出てくるか分からない。どこで雨を必要としてるだけ受け取るか分からない。けれども、受け取った雨が、ちゃんと育っていくという例えに呼応して考えるならば、今、仏教がどんな形で世界中に発信してるかというものを、人がどんな形で受け取るかというのは、ほんとにさまざまだろうと思うんですね。だからこそ、私たちは機会があれば、いろんな方法を使って、いろんな手段で、しかも興味の度合いもみんなばらばらですから、そこのアンテナに触れるような形で仏教の面白さ奥深さ興味深さを発信していかないといけない、というふうな歌なのかなと思って、源信の心を頂いております。
 
ナレーター: 
大空の
雨はわきても
そそがねど
うるふ草木は
おのがさまざま
 
阿部:  その『往生要集』を現代に生かすという方向で、吉田さんはいろんなことされてらっしゃいますけれども、そのもとになっているのもやっぱり『往生要集』にあるということですね。
 
吉田:  そうですね。私が大事に思うのは、死ぬことを前提にするのではなくて、生きるっていうことの延長線上に死があるってことですね。ですから生ききったっていう思い、もうこれ以上すること、望むことがないという状況まで、生ききることが―それはできないかもしれません。次々欲望がわいてくるから。しかし、できるだけそういう悔いを残さないような生き方を、一日一日していこうというふうに考えていった結果、ある日体が動かなくなって死を迎える臨死状態になってきた時でも、心おきなく死を迎えられるようになりますよ、って説いていたのが、臨終行儀の段だと思うのです。だからまだ息があるけれども、「南無阿弥陀仏」を唱えて、あの世へお送りしますからね、ということが許された。 本人もそれでいいと思った。家族たちもそれでいいと思った。「これで死んでいきますね。しかたないですね。じゃあ亡くなるまで念仏してお送りしましょう」。こういうことが、今日現代社会においてできるとは思いません。思いませんが、そういう生き方をして、死を迎えますよという心構えを、自分の中で見いだすことはできるのかもしれない。これが『往生要集』から学ぶべき私たちの生き方であり死に方である。だからこそ『往生要集』は、死に方マニュアルであり、生き方マニュアルである、と言えると思うのです
 
     これは、平成二十九年九月十日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである