生きる意味とは―ニヒリズムを超えて―
 
                  島根大学名誉教授 松 塚(まつづか)  豊 茂(とよしげ)
1930年、奈良県大和郡山市生まれ。1955年京都大学文学部哲学科卒、60年同大学大学院博士課程単位修得退学。島根大学助教授、教授、1996年定年退官し名誉教授。2001年「ニヒリズム論攷」で京大文学博士。浄土教と西洋実存哲学の比較などをしてきた。
                  き き て    金 光  寿 郎
 
ナレーター:  宍道湖(しんじこ)のほとりに広がる島根県松江市。市街地のすぐそばで、今も名産のシジミ漁が続けられています。島根大学名誉教授で哲学者の松塚豊茂さんは、西洋哲学を視野に宗教哲学、特に仏教の教えの意味を探究してこられました。その中心となったのは、現代世界を覆うニヒリズム(虚無主義)とその対極にある仏教の教えとの関わりでした。その探究の原点は、一九四五年、陸軍幼年学校で迎えた敗戦でした。それまでの価値観が一変し、生きる意味を見失う日々を過ごした松塚さんは、親鸞の教えに出会います。今も現代を覆うニヒリズムと、それを超えた生きる意味についてお話を伺います。
 

 
金光:  今日は「生きる意味」というようなことを中心にお話を伺いたいと思うんですけれども、現在でも若い方、あるいは年配の方なんかで自分で自分の命を縮める方が結構いらっしゃるようですけれども、考えてみると私たち人間というのは、皆さん生まれた時には「死ぬ」ということが運命づけられて生まれてきてるというようなことで、何もしなくても死ぬことは決まってる。ただ自分で自分の命を縮めるということは、生きる意味といったことがあまりお分かりになっていらっしゃらないんではなかろうかと、まあ勝手に想像するんですが、松塚先生の場合は、ご自分の生きる意味というようなものについてお考えになるようになったのは、どういうきっかけから、いつごろからでございましょうか。
 
松塚:  意味ということが、まあはっきり分かったのは、かなり後ですけれども、まずその意味ということの前に、「どう生きたらいいのか」と、こういう問いですね。「どう生きたらいいのか」ということは、「どう死ぬか」ということに結び付いております。人間っていうのは、生きたようにしか死んでいけないし。それでどう生き、どう死ぬかということですが、これほど大きな問いはないと思います。全ての問いがみなそこへ入っていくような。でそういう形で問いとして、はっきり出てきたのは、かなり時間がたってからですけども、一番起こってきたのは名古屋陸軍幼年学校へ行っておりまして―こう言えばすぐ年が分かるわけですが―名古屋陸軍幼年学校へ行って帰ってきて、それから「君は幼年学校へ行っとったから、いっぺんその経験を話してみよ」と、こういうように中学三年生でしたが、担任の先生に言われまして、みんなの前へ出て、「陸軍幼年学校では、死(しぬ)≠ニいう一字を学んできました」とこう言うたんですわ。で「死(しぬ)≠ニいう一字を学んできました」と言うても、別にそんな立派に勉強したわけやないんで、国のため天皇陛下のためには命を惜しくないというような、そういう一辺倒の教育ですが、洗脳されて帰ったわけですね。そしたら先生がおうむ返しに、「今は民主主義ですからね」とこう言うたんです。で思想の問題というのは、そう一晩や二晩で変われるものやありませんから、やっぱりそういう意味で過去を引きずってきたわけですから。こう言うたらなんですけれども、「先生というのは蓄音機じゃないか」と。
 
金光:  ほうほう。
 
松塚:  時代を反映してるって、その時代の代弁してるだけで、本当の自分の言葉というものを持ってないんじゃないかと。まあ先生とか親とかに対する権威というものに対する信頼・尊敬というものが、ガラガラーッと崩れていったような…こういうことで。
 
金光:  今のお話は、昭和二十年八月十五日に、要するに日本は「戦争に負けました」という宣言があって、そういうものかということを国民全部が教えられたわけですけれども、先生の場合は非常にはっきりした劇的な、その言葉その出来ことがあったわけですが、私なんかは、戦争に負けてウロウロしながら、どこへどういうふうに生きていいか分からないから、みんなが行くように高等学校へ行き、大学へ行きみたいな形で、たまたまNHKという放送局に拾われてまあ現在まで来てるわけで。そこでその宗教というような問題を扱う立場に置かれたもんですから。それでその宗教の中でも、殊に日本の場合は仏法というものが中心になってきてるようですので、その辺の勉強をさせられたというのが現在まで来てる、その生きることについての考え方の基本にあるようで、自分なりに考えてみると。松塚先生の場合は、その辺の先生が蓄音機みたいに思えたそのあとで、ご自分の生き方というのはどういうふうにお考えになりましたですか?
 
松塚:  まあショックはショックでしたが、一晩のうちにひっくり返ったわけだから―八月十五日を境にしてひっくり返ったわけだから。それはそう簡単にはそんな変えれるわけやありませんで、結局私にとって起こってきたのは、ちょっと大げさな言い方になるかもしれませんが、疑いですね。で今から振り返りますと、簡単な安易な答えを頂くよりも、むしろ「疑い」という方が、あるいは「問う」ということが大事ですわ。つまりどう生きたらいいのか、どう死んだらいいのか、というような、そういうものが胸の中で鬱屈して、わだかまって、はけ口は見いだせないし…。まあ一応学校へは、おとなしそうな顔して通うておりましたけれども、腹底に大きな不信感みたいなもんが先生にあって、お前らの言う事ぐらい聞いてられるか、というような、そういうシラーッとしたのがありましてね。だから中学三年生、それから四年生、五年生、それから旧制高校の一年―この四年余りというのは、暗い…一番暗かったですね。
 
金光:  ほ?。どういうふうに生きていいか分からない…。
 
松塚:  分からない。つまり前のように天皇なら天皇、親なら親、先生なら先生という、こういうものは崩れていったものやけん。曲がっても、くねっても、自分に問題が返ってきましたから。そしたらもうそんな難しいことを考えずに、楽しんで暮らした方がいいやないかと―まあ快楽主義者ですね―なったこともあるし。それから高等学校一年生の時にね、一番僕の怖かったことは―大体僕理科系ですから、自然科学の勉強が多かったですわ。これはきっと先生もそれにご同感下さるだろうと思いますが、自然科学をず?っとやってみたり、あるいは生命の起源というようなことを、「こういう本を読め」とか、高等学校の先生から言われて、全体というか、友達もそうでしたし、考え方として唯物論に傾いていく自分というものがはっきり分かったですわ。それでちょっと怖かったですわ。なぜ怖かったというと、実はその自然科学に偏っていくのを何とか食い止めたというのは、小学一年生の時の先生。小学一年生の先生って大事ですね。ともかく僕は小学校へ上がるまでは、めちゃくちゃやんちゃでしてん。人のものを手にかけたり、それから前の池で養殖しておりましたから、池の魚なんぼでも取れます。取ってきたりして。するとばあさんが、「もっと取ってこい」っていう。余計取りに行ったりして。それからもう電車はタダ乗りするわ、親に口答えはするわ。今思い残すこと一つもありませんわ。「あれやり足らなかった」っていうことは。ところが小学校一年生のとこ行って、僕一人だけ憎いのかしらんと思うた、先生が。ともかくその時悪かったわけ。先生が憎いと感じたのは。「豊茂さん、豊茂さん」って言ってきつう叱ったですわ。ドラやとかね整頓ができてないっていう意味ですわ。それから帰りに弁当の残りをドブに捨てて、百姓の息子ですから、一粒の米も仏様やというふうに教えられてきましたから、叱られて、それで初めてやりたくってもやってはいけないことがある。やるのは嫌であっても、やらなければいけないことがある。
 
金光:  それはしかし偉い先生ですね。
 
松塚:  小学校の先生でしょ。偉い先生ですわ。あの先生なかったら、今日の私ない思いますわ。それで難しい言葉で言うたら、倫理的な規範というものを、その先生に教えて頂きました。それがず?っと生きてました。
 
金光:  それも納得したわけですね。
 
松塚:  いやもう納得するとか、せんとかなしに…まあ納得したわけで。しかし何と言いましょうか、大体先生っちゅうたら、天皇陛下みたいに思うとりましたからな、絶対的権威みたいに思うとったから、もうこれは間違いないと思うとったから、深く食い込んできたんですわ。でそれで多分ご存じだと思いますけれども、道林(どうりん)(鳥?(ちようか)道林:中国・唐代の禅僧:741-824)とかいう木の上で坐禅してた人。で下の方から弟子がね、「先生、木の上でいつも坐禅しておられますが、そもそも仏教というのはどういうもんですか?」と聞くわけですわ。上で答えていわく、道林さんって人が、
 
諸悪莫作(しよあくまくさ)(もろもろの悪を作すこと莫く(なく))
衆善奉行(しゆうぜんぶぎよう)(もろもろの善を行い)
自浄其意(じじようどい)(自ら其の意(こころ)を浄くす)
是諸仏教(ぜしよぶつきよう)(是がもろもろの仏の教えなり)
 
という。何も説明も要りませんけども、諸々の悪いことをすることなかれと。多くの善をなせと。そして心を清めよと。これが諸仏の教えじゃないか、とこう答えるわけですね。そしたら下の尋ねた弟子が、「なんだ仏教仏教言うけども、そんなもんか」と。「そのぐらいのことなら、赤ん坊でも知ってるじゃないか」と。そう言うたら、返事が「赤ん坊でも知ってるけれども、八十の年寄りでもできんじゃないか」とこう答える。で「まいりました」と言うたことがある。結局そういうものが小学校の先生から、あとず?っと引きずってきたわけですね。それが唯物論にめり込む歯止めになったんですわ。その小学校の先生に、その点は感謝しても感謝しきれません。それからもう一つ、終戦が…戦争に負けて。結局私にとっては、ただ負けたというだけやなしに、生きるということがそもそもどういうことかと。生きる根っこが揺さぶられるような、そういう経験でしたわ。でそれが中学三年が終戦ですから、中学四年、五年、それから旧制高校の一年―制度切り替えで一年しか行っておりません。その間は暗い時代でしたね。いつもモヤモヤモヤモヤしとって。だから若年寄りだとか、陰気くさいとか、寂しげだとか―まあ家庭の事情もあって―寂しげだとか、そういうような批評をした人もいくらでもいます。仏教に触れたのは、これ非常に恵まれておりましたが、高校一年生の時に、私のすぐ隣に堀内さんっておられまして、それが毎月毎月この西本誠哉(にしもとじようさい)先生を招待して―泊りがけで来ておられた。でその青年会で、地獄・極楽はあるかないかというような議論をやったわけですわ。今めったにそんなことないと思いますが。誰も分かる者おらへん。「ほなら堀内のおじいさんを呼んで来い」とこうおっしゃる。おじいさん来られた。で開口一番に、「地獄はあると思ってる者には地獄はない。地獄がないと思ってる者には地獄がある」と。ほいで「さいなら」とこう帰られました。それでね、僕は弁証法とか何とか知りませんが、その表現そのものに非常に惹かれましたわ。
 
金光:  なるほど。
 
松塚:  それですぐに先生が来て下さるから、あんたたち聞きに来なさいと。それが昭和二十四年の八月の十三日でした。お盆でした。幸せなことに、ともかくこのたまっておりますものを、どう生きていいか分からん、大きな疑いに揺り動かされてる時ですから、もう自分のありったけをぶっつけて、ぶつかっていったですわ。そこで初めてどう生き、どう死ぬか。あるいはもっと言えば、最高の生き方と最高の死に方を一挙に決めてしまうような、そういう言葉に出会ったです。
 
金光:  それを説かれた方はどなたですか?
 
松塚:  西本誠哉先生という、いわゆる善知識(仏道を導く先達)です。ついでですが言うときますが、仏教は絶対に独学できません。それは経典なんか読んでみると、「善知識は善因縁だ」というてる。
 
金光:  なるほど、はい。
 
松塚:  いろいろな物語読んでみると、やっぱり空想上ですが、いろいろな善知識がおられるようですけどね。それで今まで生きてつまらん、死んでなおつまらんような、どう生きていいか分からんのに、「生きてよし、死んでなおよし」と。そういうひっくり返りですね。それは「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の六字の中身ですわ。
 
金光:  そう言われてもなかなかピンとこないんですけれども、じゃあその生きること、あるいはそれが死ぬこと、しかもそこでその死ぬということが、また今まで、それまでだと死んだらおしまいよと。
 
松塚:  はい。
 
金光:  もう人間は、心臓が止まって、大脳の働きが駄目になったら、もうゴミと同じだみたいな、いわば本当に虚無の中に沈没してしまう。そういう世界に行ってしまうというふうに思うのが普通ではないかと思うんですが、現代でもそういう人は多いと思うんですが、それとは全く違った世界に気付かれた、その方向へ行かれたわけですね。
 
松塚:  まあ目覚めさせられた。
 
金光:  そこんとこをちょっともう少しご説明頂けませんか?
 
松塚:  はい。ちょっと待って下さいませ。でそれで大学で学部を選ぶでしょ。学部を選ぶっていうのは、大変な選択ですね。大体それで自分の一生が決まってしまうような。それは今もそうですけども、当時は医学部が一番難しかったです。
 
金光:  今でもそうですね。
 
松塚:  今でもそうでしょう。だから受けたら通ってるか通ってないか分からないけども、まあ医者にパスしたと。医学部にパスしたというだけで、金と名誉と―まあね診察したら「先生、先生」だし、何もかも片づく。それで私そこで悩んだですわ。生きるということが、金や名誉や地位だけで、すっかり片がついて、それから何も残らんのか。もしも残るものがあって、その残るものこそ大事なものではないかと。そんなことを考えてみたらね、どの学部を選んでいいのか分からなかった。それでともかく私は大和平野の百姓でしたから、ともかく百姓は地に足が着いてましたからね、鍬と鎌で―それで育ってきたわけでしょ。ともかく何も訳分からんけども、ともかく百姓という仕事は、地に足が着いていると。それで農学部へともかく籍を置こうと。で実は大学の農学部に入った。しかし先ほど言われたその前に、もう善知識に会うておりますから、やっぱし農学部では満足できないんですね。古本屋を回っても農学関係の本、農業関係の本は一つも目に入りませんのや。真宗学とか、哲学とかね、そういう本ばっかりに目が向く。そやから勉強する気が起こってこんのですわ。数学の試験があっても白紙で出したり。
 
金光:  あらまあ。
 
松塚:  みんなびっくりしとる。白紙で出したり。大体勉強も真剣に考える気はせんし。これは困った事だなと、こう思うとってやな。あれちょうど総合大学やからよかったですわ。京大の文学部の哲学科に宗教学というのがある。それから敬愛する先輩に手を引かれて、教養だけ農学部へ行って、それから三年生になる時に哲学へ行ったですわ―宗教学に。でそれまでに肺結核をやって二年間天井を見て寝たり、いろいろあったですわ。
 
金光:  なるほど、はい。
 
松塚:  しかし、それで今になってみたら非常によかったですわ。人のペースに振り回されたらいかんな。
 
金光:  ああなるほど。
 
松塚:  自分は自分の道をコツコツやらないかんなという。追いつけとか、そんなペースに振り回されたら、結局何もできん。それは勉強になったです、これは。そして初めて私のやるのはこれやなと思った。で当時の京大の宗教学には、西谷啓治(にしたにけいじ)(哲学者(宗教哲学)。京都学派に属する。京都大学文学部名誉教授。禅を手がかりにニヒリズムの超克に取り組む:1900-1990)先生と武内義範(たけうちぎはん)(宗教学者、浄土真宗僧侶、京都大学名誉教授。西洋哲学の基礎の上に浄土教思想を考察し、さらに原始仏教など幅広く学際的な研究の基礎をうちたて、門下からは多様な研究者が育った:1913-2002)先生がおられて、一番惹かれたのは、西谷先生と武内先生同じだろうけども、つまり考えるということと、信仰ということがどうも一つのところで生活している、先生方は。で変な人がこう信仰っていうと、何も訳の分からん者が、どこそこの神さんの水を飲めば病気が治るとか、訳の分からんものを信じるということがあるが、先生方は非常に深い考えるという一つのとこから出ていると。で今になって親鸞聖人のお書きになったものを読んでみますと、「信不具足(しんふぐそく)」という言葉がある。これは不具足やからこう具足してないと。
 
金光:  備わってないわけですね。
 
松塚:  備わってないわけです。なぜかというと、ただ信じて、そこから思惟(しゆい)というか、考えるということが出ていないという。ということは、逆に言えば、南無阿弥陀仏というのは、まあ信心というのは、自由な考え方を保証するという。自由な考え方一つだという。それは親鸞聖人に目を開かれたようにもして、実はあとの話ですけども、非常に京大の宗教学に惹かれた大本の理由は、それでしたわ。
 
金光:  一つのことを思い込んで、これだけだ、というふうに考えるわけじゃないと。それとは全然違う広々とした世界があると。
 
松塚:  全く制限を加えない、自由な考え方をまるまる包むような。そやから多分南無阿弥陀仏の念仏もそうでしょうし、禅もそうやと思いますが、僕らも薄学で勉強はあまりしてませんから、偉そうなこと言えませんが、西洋哲学のどれとぶつかっても十分に対話できるっちゅうか、あるいは理解し合えるようなものはきっと持ってると思いますわ。
 
金光:  ただ私なんかが仄聞(そくぶん)するところによると、仏法がヨーロッパに最初に伝わった頃、例えばショーペンハウエル(ドイツの哲学者。仏教精神そのものといえる思想と、インド哲学の精髄を明晰に語り尽くした思想家であり、その哲学は多くの哲学者、芸術家、作家に重要な影響を与え、生の哲学、実存主義の先駆と見ることもできる:1788-1860)というような人は、仏法というのは厭世(えんせい)主義であると。世の中を嫌がるんだと。もう駄目だという、そちらの方の考えが強いとか、あるいはまあキルケゴール(デンマークの哲学者、思想家[1]。今日では一般に実存主義の創始者、またはその先駆けと評価されている:1813-1855)だとか―ハイデガー(ドイツの哲学者。20世紀大陸哲学の潮流における最も重要な哲学者の一人とされる:1889-1976)なんかになるとちょっと変わってくるんでしょうけれども、そのニヒリズムっていいますか、虚無の世界に惹かれる人たちが、やっぱり仏法にも関心を持ったというような話を聞いてるような気がするんですが、その辺の今のお話と、その厭世主義なんかとは全然違う世界のように思われますが、その辺はどうだったでしょうか?
 
松塚:  そこはね大変大事なことやと思います。
 
金光:  よく無とか虚無―仏法の場合は、「無」という言葉、あるいは「空」という言葉なんかも使われますけれども、これはまあ仏法にとっては大変大事な言葉だと思うんですが、それとこの世の中は、いわば「無である」というふうな言葉を、あるいは「空である」というような言葉を使わざるをえない世界というのは、どういうふうに関係するとお考えでございましょうか?
 
松塚:  そこは大変大事なところで、ちょっと話はずれるかもしれませんが、一般的に生きるということは、何かに支えられるとか、あるいは誰々に必要とされるとか、何かに役に立つとか、そういうところから生きるということを決めるような、そういう考え方が多分今支配的やないでしょうか。
 
金光:  と思います。
 
松塚:  それはいわゆる功利主義ですね。どうもいろんな放送を聞いとっても、その識者の話によると、そういう感じしますわ。功利主義が優勢と。ところが生きるということは、そういう外からのいかなる説明でも説明しきれない。生きるということの意味とか、生きるとはどういうことか、というのは、生そのものにとって自覚できなかったら、そんな外からのあらゆる説明は―何かに頼って生きるっちゅうのは、必ず晩年になったら失望しますわ。もう体も不自由になるし、みんなに相手にされんようになるし、それから孤独になるしね。で何がかなわん、これがかなわん、と言っても、僕は孤独ほどかなわんことはない。で先ほど言いましたように、ショーペンハウエルですね、あれはまあ仏教を厭世主義と理解している。多分ニーチェ(ドイツの哲学者、古典文献学者。現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られる:1844-1900)も、仏教は厭世主義だというような考え方が流れ込んでんじゃないかと思います。で大体ペシミズム(厭世主義)というのは、ニヒリズム(?無主義)そのものじゃないけれども、ニヒリズムの前段階ですわ。これずっと突っ込んでいくとニヒリズムになる。で僕もかじっただけで、別にニヒリズムをどんなもんかと詳しく言う自信はありませんけれども、ニーチェの言葉を言えば、「すべては虚しい」と、こういう言葉がありましてね、それは全く同感ですわ。ということは、ニヒリズムということの中には、これキルケゴールの言葉を借りて言えば、「相対的目的に相対的に関係する」と、そういうようなことが彼は言っている。だからニヒリズムの中には、「相対的目的に相対的に関係する」というところが、多分ニヒリズムに流れていると思います。つまりもうちょっとざっくばらんに言うと、例えばプロ野球で熱烈なファンが、今日一番ひいきしてるチームが負けたから寝つきが悪いとか、勝ったから酒がおいしいとか、言うてるでしょ。しかし、どのチームが勝とうが、どのチームが負けようが、あるいはどの相撲取りがひいきしている相撲取りが勝とうが、負けようが、生きるという根っこのところには、何一つとして関係ないです。
 
金光:  ないですね、はい。
 
松塚:  そしてカンカンになってるでしょ。つまり相対的目的に絶対的に関係しているわけですわ。それがまあ退落(たいらく)((悪趣(あくしゆ)へ) 転落すること)した在り方やと。だから、自分のことを真っ先に申し上げてなんですけれども、端的に申し上げてなんですけれども、もしも「君は一体何者か?」とこう尋ねられたら、答えって、こういう答えが一番自分に当たんのやないかと思う。僕は、「ニヒリストを通り抜けたブディストだ」と。
 
金光:  なるほど。
 
松塚:  これが僕というもの…。もうほとんどまあ墓場を前にして、棺おけを直前にして、やっとこのごろ落ち着いたというか、自分の気持ちを、「お前は一体何者や」と言われたら、こういうもんですと。やっぱりそのニヒリストを通り抜けるということは、大変大事なことで。ということは、ニヒリストというのは―そのニヒリズムというのは、生きるとか、生とか―まあ「神は死んだ」という言葉が…
 
金光:  有名なニーチェの言葉でありますね。
 
松塚:  あるでしょ。だからそれがこうやってニヒリズムに流れていく。だからマルキシズムだとか、あるいはヒューマニズムだとか、何とかいろいろ他のイデオロギーあるじゃないか。それが全部こうニヒリズムに流れ込んでくると。こう流れ込んでくるわけですわ。だから生きる意味というようなものは、私はニヒリズムを通さなければあらわれてこないと思います。
 
金光:  そこのところを、「無」とか「空」とか言ってる世界と、厭世の、もう虚無の…生きてる意味がないと思ってるのとは、関係ないわけじゃないわけですね。そこを通り過ぎていくわけですね。
 
松塚:  そんなん例えば、今大体の人は死ねばしまいだと。何もないと。きれいさっぱり何も残らんと。土にかえるだけだと、こう思うてますわ。そうして何もないとこから出てきて何もないとこへかえると。
 
金光:  そう思いますね。
 
松塚:  そんなことを考えたら、生きるということ、それ自身が何もないということになる。 両方がこう無に仕切られてるところで、短い五十年、百年の命だということになれば。とても生きられる世界ではないと思います。で今言いましたニヒリストと背後にしたブディストだと。つまりニヒリズムということ、その言葉はちょっと僕は自信持ってよう使わんわけやが、その心はそれははっきり分かる。それは実は非常に積極的なものに導かれてます。積極的で創造的なものに。でその非常に積極的なものは、そういう姿であらわれるんですね。大きな否定として。
 
金光:  なるほど。
 
松塚:  でそれで今仰せになりました、生きる意味でございますが、それは簡単に言うと、直接肯定からは何も出てきません。直接肯定はどういうことかというと、我見(がけん)身見(しんけん)(我執を通して見る心や身体)に絡まれたような生き方をしてる。分かりやすく言うたら、「我見」というのは、「わしほどかわいいものはない、わしほど偉いものはない」という。で「身見」というのは、「私の体や」と。「かわいくてたまらん体や」と。そういうような我見身見に抱きかかえられて現前しています。で曇鸞(どんらん)大師の『浄土論註』に、
 
衆生は身見(しんけん)の身をもって流転する
 
と。あるいは卑賎の身で、いやらしい、卑しい、そういう体を受けるとか、こういう言葉がありまして、で「身見」というのは、この体のことですから、いわば見られるもの、受動的な意味がありますが、これに対して「我見」という中身は同じことですけれども、自分の体を自分で見ると。そういうそのそちらの方に焦点を当てたら我見となります。だから我見も身見も根っこは同じことです。だからよくよく考えてみますと、私たちが生きてるということは、いわゆる身体と、それから我見という、あるいは身見というものとが、こうちょっと難しい言葉を遣えば、自覚し合ってると。そういう有機的な結合の中にあらわれてると。これは僕自身が医者へ行くごとに、なるほどな、ここが我見だな、ここが身見だなと思うとこがある。分かりやすう言いますと、大体このごろはどこの病院行きましても、血を採るでしょ。
 
金光:  はい。採ります。
 
松塚:  若い時に結核で左をむちゃくちゃ採られて、これはもうこっちはかわいそうだと。左…いや右手を採られて。で左を出しますわ。「チクリと痛いですよ」と看護婦は言うてくれるけれども、そんなもん分かってますわ、人の体やがな。それはせんと商売なりませんがな。しかし、その時に受ける私にとっては、自分の体かわいそうになあと。自分の体やと。そこへこうやられると。そういう感じで受けるんですわ。自分の体がかわいそうになあというところに、我見身見が出てきて、決してそんな空に飛んだような宇宙のかなたのような、そんな話やなしに、極めて具体的な話ですわ、仏教というのは。
 
金光:  じゃあ今の我見と身見というのが結び付いている、とおっしゃいましたけれども、普段は、身見というか、体のことは分かりますけれども、我見で見てるなんてこと気が付かないですね。そのニヒリズムというのを突破する場合には、我見と身見が一緒になって、自分はこういうふうな人間で、こういうふうに生きてるというような、そこのところをもう一つ超えていかなきゃいけないわけだと思うんですが、そこのところは仏法ではどういうふうに説明なさってるんでしょうか?
 
松塚:  繰り返しますが、一番根本のところは我見身見で、もちろん医者も、それから自由にはなっていません。しかし医者は患者を診てるから、体だけ診てるんで、そんな我見身見なんて恐らく考えてる人はないと思う。だから我見身見を、よそへ…気付きはせんから、体ばっかり相手にしてるもんやから、死んだらしまいだと。単純に心臓が止まって、呼吸が止まるのが死だと。そういう形で終わるわけですが。今仰せになったことですが…さっき言いましたように、まあ念仏というのは、最高の生と最高の生き方と、最高の死に方を一挙に決めてしまうと申しましたが、その一挙にというのは、実は死んでからじゃないんで、生きてる時に決めてしまうと。これは非常に大事な、それは蓮如(れんによ)上人のお言葉を借りますと、「平生業成(へいぜいごうじよう)」ということでございますから、生きてる間に一番大事な仕事を終わってしまうと、そういうことでございますな。
 
金光:  それはもう生き方と死に方は離しようのないものだと。
 
松塚:  いや実は生き方というても、死に方というても、我々にとっては、表象(ひようしよう)の段階ですから。本当の死、本当の生というようなものは、人間には分かりません。
 
金光:  なるほど。
 
松塚:  本当の生や本当の死があらわれてくるのは、今の言葉を言い返せば、ニヒリズムを通り抜けると、そういうところで、その生きるとはどういうことか、死ぬとはどういうことか、とこういうことが明らかになる場所です。だから問題は、ニヒリズムの転換ですわ。
 
金光:  なるほど。
 
松塚:  例えば道元禅師は、
 
生を明(あきら)め死を明(あきら)めるは 仏家(ぶつけ)一大事の因縁なり
 
金光:  そうですね。
 
松塚:  見事に仏教の全体を言っておられますね。僕は、その問題について、我々考えてる生だとか、死だとかいうものは、結局人間というのは、大きくくくっていうておられる考え方というのは表象(ひようしよう)ですわ。「表象」ということは、どう言うて…多分哲学をやらない一般の人には分かりにくいやろうけども、まあ頭で思い浮かべたというか、考えたというか。
 
金光:  そういうことですね。
 
松塚:  そういうことで表象です。それからもう一つは、広い意味での計算ですわ。だから現代人は、多分考えるということで、計算ということしか考えない。計算以外のことを知らない。今も仰せになりましたが、ニヒリズム、何リズムでもよろしいですけれども、非常に消極的なものです。生きるということを貫く絶対否定的なものですわ。その絶対否定的なものの中で、「生即不生(せいそくふしよう)、死即不死(しそくふし)」とこういうのが言えるのは、その絶対否定的なものが貫いてくると。絶対否定的なものは、名号(みようごう)の迫ってくる姿ですな。だから否定は否定だけが出てこん。親鸞聖人の『正信偈(しようしんげ)』では、「生死即涅槃(しようじそくねはん)」ということですから。「生死即涅槃」として現実が現実としてあらわれてくる、ということでございますから。さっき言いましたように、ニヒリズムですが、その心は今申しました心でございますが、「信心」ですね、信心っていうのは、名号が私を生きるという形で、私が名号を生きる。才市(さいち)(浅原才市(あさはらさいち):篤い信心で知られた市井の念仏者:1850-1932)さんのは、うまい事言うてますわ。
 
才市は阿弥陀になることはできぬ
阿弥陀のほうから才市になる
 
金光:  なるほど。
 
松塚:  あれで言い切ってますね。だから宗教は一歩間違うと大変間違う。「阿弥陀が才市だ」と。阿弥陀の方が才市になるんならいいけど、「才市が阿弥陀だ」とこうなったら、極端に言うたら麻原(麻原彰晃(あさはらしようこう)のこと。宗教家(宗教団体オウム真理教(現Aleph)の元代表、教祖)であり、日本で唯一の「最終解脱者」を自称していた。一連のオウム事件を起こし、現在は確定死刑囚:1955-)みたいになるんです。
 
金光:  なるほど。
 
松塚:  あれは危ないですわ、その微妙な違いが。だから今申しましたように、非常に積極的なものですから、その積極的なものを迫るというのは、「お前はどう生きてきたのか」「どう死ぬのか」というような問いかけとして迫ってくると。その問いの中に、大きな否定というものが、大きな肯定のあらわれ方として、大きな否定というものがあると。そこのところの線ではこう思いますわ。ニヒリズムというのは、やっぱり一面の真理を持っている、と僕は思いますよ。それは「相対的目的に相対的に関係する」と。だからある意味で僕もニヒリストですわ。というのは、例えば野球チームとか、相撲とかでひいき力士にカンカンになると。そういうようなところはやっぱし抜けてますわ。例えば「どうにもならんものはどうにもならん。あしたはあしたの風が吹く」というようなところにも…。大体苦しみというのはどうにもならんものを、どうにかしようとするところにあるわけだから。であの…大きな…やっぱり否定絶対否定ということですね。それは自分の力では超えられません。ただニヒリズムだとか、そういう線ですね。それはちょうど回転軸になります。
 
金光:  なるほど。
 
松塚:  しかも百八十度の回転やなしに、三百六十度の回転ですわ。で三百六十度の回転っていえば、同じところへ戻るでしょう。
 
金光:  戻りますね。
 
松塚:  だから塵一つ動かない。しかし、すっかり変わったといえば、すっかり変わったし、全く変わらんといえば全く変わらん。それは私の例を申し上げて恐縮でございますが、孤独と寂しさの問題ですわ。若い時、先生に…善知識に会わしてもらうまでは、もう耐えられなかったですわ、孤独と寂しさに。それで勉強して、特に夜になって寂しくなってくると、もう理由もないのに父母やおばあさんのところへ行って、炬燵に手を合わして、こう首を傾けておりましたが、この後は寂しさむなしさは何にも変わりませんぜ。特にこの晩年になってきたら、夕方になったらやっぱり寂しくもなるし、第一もう先が見えてますから、そりゃ寂しくなりますわ。しかし、どこへ逃げたところが同じ事だと。
 
金光:  なるほど。
 
松塚:  また寂しさに返ってくると。そういうところは振り切れたと思いますね。変わったと思いますね。だからじたばたせん。芭蕉の俳句に、
 
憂きわれを寂しがらせよ閑古鳥
 
その俳句から響くのは、さみしさ、むなしさから逃げるというところがみじんもないですな。そこはつながるんのやないかと。あるいはもうちょっと強く言いすぎれば、それを友とすると、むなしさ寂しさを。それはやっぱり三百六十度の転換でしょう。それはやっぱり絶対肯定の世界ですね。また心理学者が言うように、肯定ということがなければ、人間は自己肯定がなければ生きていけませんわ。これは真理だと思います。ところがその自己という意味が変わるわけでね。例えば心理学者の言う「自己」というのは、いわゆる自己だから。そやから自己反省っていう形で、自己反省は自分の底には届きませんが、それは絶対肯定のいうその自己というのは、むしろ如来さんが自己になると。こういう形ではすっかりちょうど道元禅師と同じことですわ。
 
自己をはこびて
万法を修証をするを迷いとす
万法すすみて
自己を修証するは悟りなり
 
というわけです。これは名言ですね。見事に言うてる。そんなことはこれはきっと学者は叱るだろうけども、科学は迷いですわ。なぜかっていうと、実験して向こうへ足運ぶやないですか。
 
金光:  なるほど。
 
松塚:  だからもう道元さんからいえば、山も川も草も木も仏の世界に見えてきて、谷も谷川の音も釈牟尼如来の説教だと。
 
峰の色 渓(たに)の響きもみなながら
わが釈迦牟尼仏の声と姿と
 
だからさっき言いましたように、最高の生と、最高の死をいっぺんに決めてしまうと。だからさっき言うたように、「生きてつまらん死んでつまらん」。あるいは「死んでなおつまらん」。もう申し上げないことやが、我々は普通そういう生活を、僕も先生に会わなんだらそういう世界を送ってたと思う。
 
金光:  なるほど。
 
松塚:  そういう人が、晩年を迎えたら哀れなもんだと思いますよ。それがどう変わるかというと、「生きてよし、死んでなおよし」とこういう大きなひっくり返りが平生に起こるわけですわ。それはどういう世界かっていうと、全てがいわゆる絶対肯定の世界ですね。しかし、多分お釈様は、そういう我見身見の脱落が一生続いたんやと思う。僕はすぐ戻りました。そういう意味で、僕は友達に言うとるんや。「骸骨が色目を使うのや」と。
 
金光:  えっ、骸骨が?
 
松塚:  色目を使う。
 
金光:  ああなるほど。
 
松塚:  すぐ生き返って、やっぱりこの世の欲―金やとか、名誉とか…なあもうおおかたそういうところに頭を出したり。それから比較。
 
金光:  はい。比較しますね。
 
松塚:  これ苦しみのもとですね。
 
金光:  そうですね。
 
松塚:  あの人より優越してるとか、劣るやとか。いわゆる仏教は「平等覚(びようどうかく)」というから、そこも抜け出てるはずやが、現実に戻ってみると、そういう世界にいますな。やっぱり憎みも起こるし、嫉妬も起こるし、あるいは優越感もあるしね。しかし、その転換の瞬間そのものというのは、これはもう何も離れた世界ですわ。今で言うたら仏の智慧ですね。「生きる意味が見える」というのは、結局先生のあれから言うと、話の筋から言うと、ニヒリズムを通り抜けるというところに、僕はあらわれてくると思います、今の言葉で言えばね。
 
金光:  まあそういう世界をちゃんと先達は通っていらっしゃると。そこに住んでいらっしゃる。そういう世界があるんだということを知るだけでも随分違った…。
 
松塚:  いや、それを知るだけではいけませんわ。住まんならいけませんわ。
 
金光:  それは住まなきゃいけないんで、そこまでいかないにしても、今「駄目だ、駄目だ」と思ってるだけでは、それこそ「駄目ですよ」という。
 
松塚:  言葉も心も絶えるというところが。言葉にしたらもう間違ってしまうという。それは確かにあると思います、大事なことは。良寛上人も、
 
心もよ言葉も遠く届かねば
はしなくも御名(みな)をとなえこそすれ
 
金光:  そうですね。
 
松塚:  「はしなく」と…「届かん」と言うてる。やっぱりそれは言葉が残ってる間はいかんし、また心が残ってる間はいけませんわ。これは親鸞聖人のご和讃の最後にも出てますわ。「心も言葉も絶えた」と。
 
金光:  というようなところで、時間も来たようでございますので…どうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十九年九月二十四日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである