ブッダを語る@智慧のあけぼの
              武蔵野女子大学教授 前 田(まえだ)  専 学(せんがく)
1931年、愛知県名古屋市生まれ。1955年東京大学文学部印度哲梵文学科卒、同大学院修士課程、博士課程修了後、フルブライト奨学生として米国ペンシルベニア大学大学院(博士課程)に留学。修了後同大学助教授などを経て、1982年に東京大学印度哲学科教授。1991年定年退官、名誉教授。武蔵野大学教授・副学長を歴任。1973年文学博士(東京大学)。インド哲学仏教学・比較思想学・東洋思想学研究の第一人者だった中村元の直弟子で、後継者の一人。中村元の退官後に講座を継いだ。中村の没後に、インド学仏教学・比較思想および東洋思想の発展を目指し創設した「財団法人東方研究会・東方学院」(現在:公益財団法人中村元東方研究所)理事長・学院長職を引き継いだ。
              き き て     草 柳  隆 三
 
草柳:  今日から毎月一回、「ブッダを語る」と題しまして放送してまいります。私たちには、「お釈迦様」という呼び名で親しまれている聖者ですが、このブッダ。今から二五○○年ほど前に古来インドの北部に釈迦族という部族がございました。その釈迦族の出身の聖者ということで、「お釈迦様」というふうに呼ばれているわけですが、後世いろいろ伝説に彩られたこのブッダが、一体何を考えていたのか。ブッダと人なりというのは一体どういうことであったのか。これから来年の三月まで十二回にわたりましてお話を伺っていくことにいたします。お話をお伺い致しますのは、こちらにいらっしゃいます東京大学名誉教授で、現在は武蔵野女子大学の教授をしていらっしゃいます前田専学さんです。よろしくお願い致します。
 
前田:  よろしくお願い致します。
 
草柳:  実は前田さんが、このほど「ブッダを語る」というこの本をお書きになりまして、この本をもとにして十二回お話を進めていっていただきたいというふうに、ひとつよろしくお願い致します。
 
前田:  こちらこそよろしくお願い致します。
 
草柳:  それでまず今回は、いきなりブッダの人となり、ブッダが一体何を考えていたのかということをお話しいただく前に、ブッダが誕生した二五○○年前、あるいはそれ以前の古代インドと言ったのが、一体どういうふうな社会であったのか。その辺のところをまず予備知識として、その辺のところからお話をいただきたいと思っているんですが、インドというふうに一口に言いますけども、つまり今我々が言っているインドとはちょっと概念が違う。
 
前田:  そうでございますね。「インド」と今日申しますのは、インド共和国を普通さしていると思われるわけですけれども、私がこれから話題にする「インド」と申しますのは、一九四七年にインドがパキスタンとインド共和国と分離独立する以前のインド。すなわち今日で言えば、「南アジア」という言葉が使われている地域を指して「インド」というふうに言っておりまして、私のこれからずーっとお話しするインドは、南アジアという領域であるというふうに思っていただきたいと思います。
 
草柳:  はい、わかりました。古代インドと言いますと、大変文化の栄えた時代だったわけで、今から大体何年ぐらいまで遡るんですか?
 
前田:  そうでございますね、インドの歴史が始まるのが大体紀元前一二○○年位とお考えいただいてよろしいかと思いますが、この時代にインドの一番古い文献でありますバラモン教の聖典である『リグ・ヴェーダ』(古代以来長らく口承され、のち文字の発達と共に編纂・文書化された数多くある『ヴェーダ聖典』群のうちのひとつで、最も古いといわれている。サンスクリットの古形にあたるヴェーダ語で書かれている)というのが編纂されて、それ以来インドの歴史が始まるというふうに考えられるわけでありますが、しかしインドというところには、それよりも以前にみなさんもご存知だと思いますが、インダス文明というのがインダス河の流域に栄えておりました。この年代がいろいろ議論があるわけですけども、まぁ今日ではおそらく紀元前二三○○年から紀元前一八○○年位を中心に栄えていたのではないかと、そういうふうに考えられるわけでありますが、文明の持っていたものがいろいろ発掘されて出ておりますけれども、そういうものを見てみますと、文字が出ておる。しかしその文字が今日まだ解読されていないというような状況でございまして、正確なことはわからないのですけども、憶測をするだけでありますが、当時宗教的な面ではどんなことがあったかと申しますと、例えば地母神崇拝とか、あるいは木の神様―樹神崇拝とか、そういうようなのが行われていた。それから仏教と関係の深い菩提樹の崇拝というのもその当時行われていた。それからゴータマ・ブッダなどもこの大変なされたわけですけども、ヨーガの瞑想というものもおそらくは行われていたであろうと想像されるようなものも出土しているわけですね。
 
草柳:  それが今から千数百年前の話になるわけで、千数百年からさらにもっと以前の話に、
 
前田:  インダス文明の時代(インダス川流域を中心に栄えたインド亜大陸最古の文明。ハラッパー文化とも呼ばれる。1921年パンジャブ地方のハラッパー(ハラッパー遺跡) で、続いて22年シンド地方のインダス川に近いモヘンジョ・ダロ (モヘンジョ・ダロ遺跡 ) で遺跡が発見された(現在はどちらもパキスタン領内)。さらに、カラチの西480kmのアラビア海岸に近いソトカーゲン・ドールと、北東1600kmのシムラ丘陵の裾野のローパルで同文明の遺跡が発見された。その後この文明は南端は西海岸を下ってカラチの南東800kmのカンベイ湾、東はデリーの北方50kmのジャムナ盆地に達していることが判明した。こうしてインダス文明は世界最古の三大文明中、先行するメソポタミア、エジプト両文明をはるかにしのぐ規模であることが立証された)になりますね。
草柳:  そういうインダス文明を担っていたのはどういう人たちだったんですか?
 
前田:  それがよくわかっていないんですけれども、最近の研究ではおそらく現代南インドに主として住んでいるドラヴィダ民族、それの祖先がいたのではないかという推測もありますけども、しかしインダス文明とメソポタミアとの関係はわりにあるという指摘もありまして、まだ定説ができていないと。今後の研究に待たざるを得ないということだろうと思いますけども。しかしインダス文明というのが栄えていた時代が大体一八○○年ぐらいですが、その一八○○年位を境にいたしまして、だんだん衰退していく。そういう兆候が出てくるんですけども、ちょうどその頃に大体紀元前一五○○年位でございますが、ヒンドゥークシュ山脈を越えまして、アーリア人がインドに入ってくると、そういう時代が出るわけですが、それがインダス河の流域のパンジャーブ地方の辺りに定着をするわけですね。それからさらに紀元前一○○○年ぐらいになりますと、さらに東の方に進んでいく。それからゴータマ・ブッダが誕生するこの紀元前五○○年ぐらいになりますと、さらにガンジス川を東の方に進みまして中領域まで至ると。そういうことがあるわけでございますが、そのインド・アーリア人というのは、このインドにおいては優勢な民族なんですね。多くの文化遺産を残しているわけですけども、それと重要なのがそれよりも以前に住んでいたと思われるのが、先ほども少しで申しましたドラヴィダ民族ですね。これは一体どこから来たのか。これもいろいろ問題があるわけですが、イランの方から入ってきたんじゃないかというような推測もなされておりますけども、それが先住民族としていたわけですね。このドラヴィダ民族と、それからインド・アーリア民族、これがインドにおける主要な民族になるわけですけども、もう二つばかりありまして、それはほとんど文化的な面で貢献はあまり大きくないのですけども、そういう四つの異なった主要な民族がインドの文化の基盤をなしているわけですね。そうなりますと、ゴータマ・ブッダは一体どの民族であったのか、というようなことが問題になるわけで、従来の研究者はインド・アーリア人であるというように思っていたわけですけども、ある時「いや、あれはルンビニーというところで生まれた」。ルンビニーというのは現在のネパールの領域ですけどね。ネパールに住んでいる人たちというのは、我々日本人と同じようなモンゴリアンなんですね。うちの家内などインドへ連れて行きますと、「ネパール人か」なんて言われますから非常に我々に似ているわけですね。モンゴロイドもおそらくあるんだと思いますが。そういう我々と同じようなモンゴリアンだったかもしれないという意見を出して大変びっくりされたことがあるわけですけれども、あの民族的にインド・アーリア系の者であったか、モンゴリアンであったか、これよくわからないですね。しかし文化的に見ますと、ゴータマ・ブッダという人は、おそらくはインド・アーリア系の人ではなかったかと思われるわけですね。ですからゴータマ・ブッダが生まれるまでにそういう長い長い歴史があるわけですね。
 
草柳:  そのアーリア系の民族がインドに入ってきて、さっきおっしゃったバラモン教というのは、そのアーリア民族を中心にして興った哲学、
 
前田:  そういうことでございますね。アーリア人というのは、紀元前一五○○年ぐらいのところで中心にいたしまして、インドの現在のパキスタンとアフガニスタンの国境にあるヒンドゥークシュ山脈ですね、あれを越えてインドの地に入ってきた者でありまして、彼らがインダス河の流域で定着をして、そこで農耕生活に入る。そこで今まで自分たちの持っていた宗教を文書化すると。聖典化すると。そういうことをしてできたのが『リグ・ヴェーダ』で、そういう『リグ・ヴェーダ』の後、紀元前五○○年ぐらいまでに『ヴェーダ聖典』というのが形作られていくわけですね。膨大な量のものです。
 
草柳:  『ヴェーダ聖典』とおっしゃいますのは?
 
前田:  これがバラモン教の聖典になるわけですね。今「ヴェーダ」という言葉は「知識」という意味なんですね。数学とかそういう知識というのではなくて、宗教的な知識、あるいはもう少しマジカル(魔術的、不思議なさま、魅力的)な意味を持ったようなそういう知識を含めての知識ですけども、それを「ヴェーダ」と言っておりますが、その知識を集めた聖典の総称みたいにして、今日では使われているわけですね。『ヴェーダ聖典』というのはそういう聖典の総称でございますね。
 
草柳:  私たちの番組の主人公のゴータマ・ブッダの生まれる以前の、今おっしゃるバラモン教の教えというのは、これはどういうことなんですか?
 
前田:  そうでございますね。バラモンの教え、一口にいうのはなかなか難しいのでございますけども、そういうバラモン教の教えの一番中心になるのは、『ウバニシャッド』という文献に残っているわけですが、そこの教えというのは、宇宙の存在の根本原因になったのは何かということでございますね。そういう原因を追求する。我々の奥に、内部に何かあるんじゃないかと。そういう中心になるようなものがあるんじゃないかというような、両方の研究がなされましてですね、この宇宙の根本原理の方では、「ブラフマン」というものが宇宙の根本原理と考えられる。我々の内部の方としては「アートマン」という―「自己」とか「自我」というふうに訳されますけども、そういうものが我々の存在の中心にあるというように考えてくるようになりましてですね、そのブラフマンというものと―それは日本で「梵(ぼん)」という言葉で訳されて、音を写したわけですけれども。その「梵」とそれから我々の奥にある「アートマン」―これは「自我」とか「我」「自己」というふうに訳されている言葉ですけども、その宇宙の根本原理である「ブラフマン」、それから我々の奥底にある「アートマン」というものが同じであると。そういう考え方がウバニシャッドの時代にできるわけでございまして、それがウバニシャッドの中心的な考え方と。言ってみれば、バラモン教のいちばん中心的な考え方と言ってよろしいかと思いますけれども。
 
草柳:  梵我一如(ぼんがいちによ).
 
前田:  そうでございますね。
 
草柳:  ブッダが生まれる、さらに一○○年ぐらい前に、ヤージュニャバルキヤという人がいたそうでありますけれども、彼の思想と、今おっしゃるウバニシャッドの哲学というのは、どういうふうな関係にあるわけですか?
 
前田:  そうでございますね。ブッダの思想というのは、よく「無我説(むがせつ)」と申しまして、先ほどのアートマンというものを認めない立場であるというふうによく言われてきているわけで、ヤージュニャバルキヤのほうはアートマンというものを中心に考えていく考え方でございますから、無我説とヤージュニャバルキヤの思想というのは、非常に対立的に考えるわけですが、しかしよくよくこのウバニシャッドなり、原始仏教聖典なりを見ていきますと、非常に似た考え方をとっていた。というよりも、むしろ無我説という考え方が、いわゆるアートマンがないということを言っているんではなくて、むしろ「非我」であると。「我(が)に非ず」と言っているだけで、「我がない」と言っているわけではないんですね。そういうこの二人の思想家というのは、非常に対立しているかの如くに見えて、実はそうではないんではないかという気がするわけですね。しかし、まぁこれなかなか難しい問題を含んでおりますので、簡単には言いかねるわけですけども。
 
草柳:  というのは、二人の思想をちょっと文字にしたものがありますので、ヤージュニャバルキヤがどういうふうに言っているのかというところをですね、これでちょっと見てみたいと思うんですけれども。
 
(アートマンは)見られることなく、見るものであり、
聞かれることなく、聞くものであり、
思考されることなく、思考するものであり、
認識されることなく、認識するものである。
それがあなたの内部の統制者であり、
不死であるアートマンである。
それ以外のものは苦しむものである。
(ブリハッドアーラニヤカ・ウバニシャッド)
 
これがおっしゃるウバニシャッドの中のヤージニャバルキャの説くところなんですか。
 
前田:  そうでございますね。「聞かれることなく、聞くものである」と。「思考されることなく、思考するものである」。アートマンと―我々のアートマンというのは、「聞かれることなく」というのは、聞く対象にならないということですね。考えられる対象にならない。常に認識の対象であり、聞く主体であり、認識の主体であると。そういうものでありまして、絶対に対象化されることがない。そういうアートマン。結局我々の感覚器官とか、そういうものによって認識されることがないものなんだけれども、しかし我々の奥底にあるんだと。それこそが我々の内部にある統制者であって、それが不死のものであると。それは結局ブラフマンと同じなんだと。宇宙の根本原因であるブラフマンなんだということを、ヤージュニャバルキヤなどは考えているわけですね。そういうアートマン以外のものは、苦しみ以外の何物でもないと、そういう考え方ですね。そういう考え方というのは、仏教の方にもありましてですね、いろんな「五蘊説(ごうんせつ)」とか、そういうような考え方からいきますと、人間の存在は五つの要素―色・受・想・行・識なんていいますけれども、我々の肉体を構成している物質的なものとか、そういうものによって作られているわけですが、そういうものは我々に苦しみを与えるものであって、アートマンではない。あるいは五蘊ではなくて、もろもろの修行というようなことを申しますが、いろんな我々の作っている形成力と申しますか、そういうもの、それによって作られたものは苦しみである。本当のアートマンというのは、そういうものによって作られたものではないと。
 
草柳:  そこのところをちょっとこれで見てみたいと思うんですが、これ『サンユッタ・ニカーヤ』というのは仏典ですか?
 
前田:  そうですね。
 
草柳: 
諸々の形成されたもの(諸行)を
(アートマンとは異なった)他のものであると見よ。
アートマンであると見ることなかれ。
(サンユッタ・ニカーヤ)
 
前田:  それが今言った仏典の方の中の言葉でございますね。「諸々の形成されたもの」すなわちいろんな原因とか、要素が交錯してですね、そして作られているもの、例えば我々の肉体とか、あるいは感覚器官とか、そういうようなものは諸々の形成されたものであって、アートマンではないわけですね。そういうものは、アートマンではない。アートマンと別のものであるとみよと。本来のアートマンというのは、そういうものじゃないんだということを、サンユッタ・ニカーヤという仏典の中で言っているわけで、先ほどのヤージュニャバルキヤの言葉にありましたように、アートマンというのは、「不死」なんだと。その他のものは「苦しみ」なんだと。そういうようなことを言っておりましてですね。もちろんアートマンという言葉が果たしてどういう意味で使われているか。これはなかなか問題があるところですけれども、少なくとも表現の上では似たような趣旨を言っているところが見いだせるわけですね。
 
草柳:  そのウバニシャッドの中で、ブラフマンというのは「宇宙の根本原理」のことをいう。アートマンというのは「自己」。その自己というのも、いわゆる自己では無いわけですね。
 
前田:  そうでございますね。普通の意味の自己ではない。普通我々が「自己」と言っているもの、あるいは「自我」と言っているものは、いろんな欲望とか、利己心とか、そういうもののまみえた自己でありまして、しかも対象になるものですね。私が今テレビを見ていると。見ている自分をまた見ている自分があるわけですね。そういうふうに対象化されてしまうような自我。そういうものが普通の日常経験において経験する自我であるわけですけれども、そういうものが本当のアートマンではなくて、さらにそういうものを見ているだけの絶対に対象化されない本来の自己というものがあるんだということを、ヤージュニャバルキヤなんかは考えているわけですね。それこそが宇宙の根本原理であるブラフマンと同じものなんだと。それを知れば悟りの境地に至ると、そういう考え方ですね。
 
草柳:  あくまでも認識をする主体であると。つまりじゃ認識をする主体を何によって認識するのか、ということになると、もうこの辺はちょっとわからないですね。
 
前田:  ええ。それはもう普通の我々の五感を使って認識するということはあり得ない、不可能なわけですね。それは長年の修行を積んだり、そういうことをして知るということになるわけですね。そのために出家行の生活に入るなんていうことを、ヤージュニャバルキヤもいたしますわけですけれども、その必要が出てくるわけですね。
 
草柳:  アートマンとは諸行ではない。
 
前田:  普通の日常我々が見たり、経験したり、そういうものは諸行になるわけでけれども、そういうものは、我々に苦しみを与えるもの、無常のものであるわけですね。そういうものでないものが、アートマンと言っているものなんですね。それがバラモンたちの哲人たちが求めていたものなんですね。そういう意味では、仏教の方の自己と、本来の自己というものですね、これを求めろという教えなども仏典の中に出ているわけですね。仏教聖典の中の古い律蔵(りつぞう)の中に出てくるわけですけどね。ブッダの逸話でございますがね。ゴータマ・ブッダが、ウルヴェーラー(今のブッダガヤ)へ行きつつある時に、この道を避けて木の下で座って休んでいた時に、たまたまそこに青年たちがやって参りまして、その青年たちは遊びに来ておりまして、それぞれが自分の奥さんを連れてきたんですね。ところが中に一人だけ奥さんがいないのがおりましてね、奥さんがいないものですから遊女を連れて行ったわけです。遊んでいるうちに遊女がその男の持ち物を持って逃げてしまうんですね。それで大騒ぎになりましてね、探すことになるわけですね。たまたま探している途中で、先ほどのゴータマ・ブッダのところに参りましてね、このゴータマ・ブッダに聞くわけですね。「かくかくしかじかでこういう女性を見なかったか」という。そこでゴータマ・ブッダが彼らにいうには、「この婦女を探し求めるのと、自己を探し求めるのと、どちらが正しいか」と、そういうふうに聞くんです。青年たちは当然婦女を求めるのがいいなんて言えませんからね、自己を求めるのがいいということになりましてね。そこでゴータマ・ブッダは教えをそこで説いたという話が出てくるんですね。本当は真実の自己というものを求めよというのは、やっぱり仏教の方のひとつのゴータマ・ブッダの求めていたところであるわけなんですね。そういうわけでヤージュニャバルキヤという人とゴータマ・ブッダというのは似たところがあるんですね。同じようなものを求めていたというほどではないんですね。しかも真実の自己というものをお互いに求めていたわけですね。
 
草柳:  これからいろいろお話を伺っていくわけですけれども、今のヤージュニャバルキヤがウバニシャッドの中で、今おっしゃったような教えを説いている。ゴータマ・ブッダもある意味で同じようなことを言っているわけですね。ただ時代がちょっとズレているわけですけれども。じゃあ時代的背景の中でどういうふうにしてゴータマ・ブッダがそういうふうな教えいうか思想を持つようになったのかということは、二回三回これから後でさらに詳しくお話を伺っていきたいと思うんですが、今の点をもう少しウバニシャッドの説くところでは、どういうふうに言っているのかということで、またこれをちょっとご覧いただきたいんですけれども、これからご紹介するのはチャーンドーギャ・ウバニシャッドというふうに呼んで良いわけですか?
 
前田:  そうでございますね。
 
草柳:  チャーンドーギャ・ウバニシャッド、そのチャーンドーギャってなんですか?
 
前田:  チャーンドーギャ、これウバニシャッドの名前に過ぎないですね。チャーンドーギャ・ウバニシャッドというウバニシャッドがございますけれども、
 
草柳: 
このブラフマンの都(身体)の内にある
小さい蓮華(の形をした)住居、
その内部に小さい空間がある。
その中にあるもの(アートマン)、
それをたずね求めるべきである。
実にそれを知ろうと欲すべきである。
(チャーンドーギャ・ウバニシャッド)
 
前田:  そうでございますね。ブラフマンの都、それは我々の身体のことを言っているわけですが、その内にある小さい蓮華の形をした住まいですね。その内部に小さい空間があって、その中にアートマンががあると。そういうふうに考えているわけですが、それを探し求めるべきだと。真実の自己というものをたずね求めるべきだということをヤージュニャバルキヤは主張しているわけですね。先ほどのブッダの話も、そういう自己というものを求めるということを勧めているわけですね。
 
草柳:  ですからその限りでは、ウバニシャッドに説かれた考え方・思想と、それからブッダの思想、つまり自己こそ最も重要なものであるということについては、その点については同じことを言ってるわけですか?
 
前田:  そうですね。その自己がどういうふうにその後に理解されているかというのは、これはなかなか難しい問題をはらんでおりましてね、まぁそういうところから「無我説」というような言い方で出てくるわけでありますが、ゴータマ・ブッダの方は何か実体的な考え方はあまりされないですね。それに対してヤージュニャバルキヤの方は、実体的な何か永遠不滅の自己というのがカチッとあってですね、そういうものがこの我々の中にあると、そういう考え方をしているわけですね。それがインドのずーっと古いこの歴史を持った考え方でありまして、『リグ・ヴェーダ』からずーっとつながった考え方の中から出てきているものなんですね。一方のゴータマ・ブッダの方は、そういう形而上学的な問題というのはできるだけ避けようと。そういうものは判断が出来ないと。判断を中止しようという立場なんですね。ですから仏教の求める自己というのは、どちらかといえば、実践的な、倫理的な主体としての自己なんですね。そういう面でヤージュニャバルキヤの求めている自己と少し違ってまいります。
 
草柳:  この『ダンマパダ』からの引用なんですが、『ダンマパダ』というのは仏典の一つですか?
 
前田:  そうでございます。
 
草柳: 
自己(アートマン)こそ自分の主(あるじ)である。
他人がどうして(自分の)主であろうか。
(ダンマパダ)
 
前田:  そうでございますね。自分というものがいちばん大切なんですね。自分が大切なんだけれども、しかしその自分というのが一体どういう自分であるか。そこが難しいところでありまして、今先ほどのお話になっておりました経験上の、我々が今経験しているそういう自己じゃないんですね。もっと規範的な仏教の求める自己なんていうのは、やはり規範的な意味合いを持った自己でありまして、このゴータマ・ブッダが最後に「自己に頼れ」と。遺言のような形で言葉が出ておりますが、それと同時に「法に頼れ」ということをいうんですね。「法」というのは、「教え」という意味と、さらに「宇宙の理法」という意味。「法」というのは、別の言葉で言えば、「真理」と置き換えてよろしいと思いますけども、「自己に頼れ」と。それはどんな自己に頼ってもいいというわけではなくて、自我、自己心ばかりの自己ではなく、ガリガリ亡者の自我に頼れということではなくて、それは宇宙の理法に、つまり真理に裏付けられた自己でなければいけない。従って普通の自己じゃなくて、真実の自己。それは原理的な規範というものに則った宇宙の理法に則った、そういう自己に頼れということを遺言として言っているわけですね。そういう意味ではヤージュニャバルキヤの求めている自己というものも、これも我々が日常経験するような、そういう自己ではなく、やはり宇宙の根本原理、つまり真理と置き換えてよろしいわけで、それとこの自我と一致するそれと同一のアートマンですね。それを求めよと言っているわけですね。そういうところである意味で非常に似たような思考方法がそこで見られるということができるんじゃないかと思いますね。
 
草柳:  ということは、少なくとも初期の仏教と言いますか、仏教が興った頃の考え方というのは、ウバニシャッドの考え方・思想といったものを引き継いでいるというふうに考えてもいいわけですか?
 
前田:  そうですね。そこはなかなか実証的に、これも証拠を見せるということがなかなか難しい。今申し上げたいろんな文言なども、別の解釈も可能であるわけですね。ですからあまり簡単には言えないんですけれども。と申しますのは、原始聖典をくまなく研究いたしましても、直接継承しているとはっきりいうだけのものがなかなか出てこない。それが問題でありますけども、しかしまあ今お示ししましたようないろんな文言というのは、表現は似ていると言えると思うんですね。それだけは確実に言えることではないかと思いますけれども、先ほど申しましたようにアートマンという言葉を使いながらも、それは違った意味で使っているわけですね。そこのところが問題なわけですね。
 
草柳:  その辺のところは、これからずーっと―ちょっとまたこれを見ていただきたいんですけれども、『ディーガ・ニカーヤ』これも仏典ですね。
 
前田:  そうでございますね。
 
草柳: 
このように現在において欲楽なく、
静まり、清涼となり、楽しみを感受しつつ、
ブラフマンとなったアートマンによって
住する(解脱している)
(ディーガ・ニカーヤ)
 
前田:  これなど、継承しているというふうに言ってもいいくらいに、非常にバラモン教の思想がここに出ているんですね。「ブラフマンとなったアートマン」という言葉がございますけども、このブラフマンというのは、先ほど申しましたように宇宙の根本原理―「梵」ですが、アートマンが「我」で、「梵我一如」になったときに、その解脱の状態になるわけですから、そういうブラフマンと合一したそういう状態になれば解脱すると。そういう考え方がこの仏典の中に出てくるわけですね。こういう面を大きく扱えば継承しているとも言いますね。しかしこういうのは非常に稀にしか出てこないんですね。ですからはっきりそこまで言え切れないという面もあると思いますね。
 
草柳:  少なくとも、この表現だけ取り上げてみますと.相当色濃く継承しているという感じがしないでもないんですが。
 
前田:  しないではないと思いますね。そこのところは議論のあるところでありまして、ヒンドゥー教とかバラモン教の方に傾いている人は継承しているといいますね。仏教中心に見る人は継承していないというふうに見るでしょうし、そこのところはちょっと難しいわけですね。その場合のブラフマンというのも、宇宙の根本原理としてのブラフマンではなくて、「梵天(ぼんてん)」という意味にもなるんですね。いわゆる日本でいう梵天がございますね。あれはブラフマンというのを神格化した男性の形なんですけども、それを神様として見れば、根本原理でなくて、梵天と見れば、それは仏教聖典の中にいろいろ出てまいりますですね。ブラフマーという形ですけどもね。そうとれば、仏典の中に出てきても、それほど違和感はないんですけどもね。そういうふうに取るかどうかですね。そこが難しいわけですね。例えば他の言葉で言えば、もう一つ、仏教の修行というものを、これをブラフマンの真実無常のブラフマンに赴く車である。乗り物であるというふうに言っているとこもあるんですね。そうしますと、ブラフマンというものを「梵天」と取るのか、本当に先ほどのような宇宙の根本原理としての「梵」であると取るのか。ブラフマンに赴くといった場合に、梵天に行くなら仏教でもまあ認められるけども、ブラフマンというなバラモン教の言っている根本原理に行く乗り物が仏教の修行の「八正道(はつしようどう)」などがそういう修行の乗り物だというふうに解するかですね。そういうところで解説の違いが出てまいりましてね。これは仏教がウバニシャッドを継承しているかどうかという議論になっていくわけですね。
 
草柳:  片一方で、継承しているか、していないかという話で関連して言えば、仏教の方はですね、よく「無我」ということ言いますね。これはつまり文字通り、我無しという字を書くわけですね。そうすると、その言葉を取り上げれば継承していないじゃないかという気がするんですが、その辺はどうなんですか?
 
前田:  そこですけれども、「無我」という言葉がですね、元々の言葉は、パーリ語で言えば「アナッタン」という言葉なんですけどね。これは「アン」という言葉と、「アートマン」を表す「アッタン」という言葉がくっついた言葉なんですね。その言葉は二通りに訳せるんですね。 一つは、「無我」と訳しますし、もう一つは、「非我」我に非ずとも訳せるんですね。よく出てくるのは、人間の構成要素を形作っている五つの「色・受・想・行・識」と申しました。肉体だとか、感受作用、表象作用とか、そういうものがありますが、そういうものはアートマンではないという形で出てくるんですね。そういうものは、アートマンではないというのは、ヤージュニャバルキヤも言っているわけで、しかしアートマンがないとこれは言っていないんですね。「アートマンではない」と言っているだけであって、「アートマンがない」という、そういうアートマンの存在を否定する言葉ではないんですね。それは仏典では、「アナッタン(無我)」という言葉ですね、「アートマンがない」というよりは、むしろ「アートマンではない」という意味で使われている。そうしますと、いわゆる「無我説」というよりは、「非我説」と言った方が文面に忠実ではないかと思われますし、そういう「非我」というふうにとれば、ウバニシャッドの方と考え方とは別に矛盾するわけではないんですね。正面きってアートマンがあるとか無いとかというふうには仏教の方では申しませんけれども、それは我々が見ている諸行はアートマンではないというのは、アートマンの存在に関して何もコメントしていないわけですね。それが仏教の立場なんですね。それを形而上学的なアートマンというようなものを問題にしますと、あるとかないとかという議論にばかり勢力を注ぐことになって、肝心の悟りと申しますか、自分の持っている苦しみですね、現実に持っている苦しみをいかに取り除くか。そういうものより、むしろ議論に走ってしまう。そういうことの傾向が無意味になるんですね、そういう議論は。実際人間のこの知識によってわかるものではない。わからないものにいくら時間を使って費やしても無意味である。だからそういうものに対しては溶解しない。現実に起こっている苦しみというのは一体どうかということを、何が原因で起こっているかということを問題にしてくるわけです。そういう意味で仏教とヒンドゥー教の中で非常に密接な関係があることを示す例というのは、このアートマンの例はなかなか難しい議論がいろいろ出てまいりますけどもね。もう少し分かりやすい言葉でいうと「業輪廻を抜け出す」という考え方が、このウバニシャッドの中でも確立しているわけです。ですから「業輪廻を抜け出す」という考え方、これは仏教の考え方と同じなわけです。この仏教の方は、しかし「業輪廻を抜け出す」という考え方をウバニシャッドから継承しておりますけども、最初のうちは輪廻がどういう構造を持っているとか、あるいは輪廻の場合にどうぐるぐる回るとか、そういうようなことに対して、思索するというようなことは全然しないんですね。輪廻は輪廻のそういうものを受け入れているだけで。そういう意味では輪廻の結果と申しますか、そういうものである苦というところに重きを置いて議論を進めているわけですね。苦しみをいかに取り除くか。即ち輪廻からいかに解放されるかということでありますけれども、輪廻の方をあまり―これ私の推測でございますけれども―輪廻を正面に持ってくると、形而上学的な問題に取り組まざるを得ない。そこでおそらく苦というものを中心に話を進めていって、苦の原因は何かというところで実践的な生き方をとったのが仏教であると、そういうふうに私は思っているんですけどもね。
 
草柳:  「業、輪廻、解脱」というのを、もう少しご説明いただくとどういうことになるんですか?
 
前田:  そうですね。「業」というのは人間の行為ですよね。なんでもこう今お互いに喋っている、これも業なんですね。これがそのまま消えていくんではなくて、蓄積されて残っていって、そして次の世代にと言いますか、今現在生きている生ではなくて―次の生にその業がどうであったかということによって、果報が決まってくるわけですね。我々今人間ですけれども、次の世代では動物になるかもしれませんし、ウジ虫みたいな形の物として生まれるかもしれませんし、何かわかりません。善いことをすれば神様になりうるわけですけれども、そういう業という考え方がウバニシャッドに出てきたんですね。それから同時に輪廻の考え方も出ておりましてね。これは両方くっついているわけですね。輪廻の原動力になるのが業であるというわけですが、それがいかにしてそういう世界から抜け出れるかと。これが当時のバラモン教徒の求めるところでありましたし、仏教徒の仏教の方の求める所でもあったわけですね。仏教とヒンドゥー教というのは、非常に出発点が同じであって、しかも行き着く業というのも、求める業というのも、これも共通のものを持っているわけですね。ですから両方がどこが違うかという問題になってまいりますですね。
 
草柳:  それは人間が生きている以上、求める所というのは、時代がどんなに変わろうと、おそらくそんなに変わるもんじゃないだろうというふうに思うんですね。今までお話を伺ってまいりまして、たとえば今の「業輪廻を抜け出す」というふうな考え方、これは仏教の言葉だそうですけれども、これもバラモン教の教えと同じであると。
 
前田:  共通で、それこそ受け継いできているわけですね。
 
草柳:  そうすると、ゴータマ・ブッダ―お釈迦様の仏教の、今おっしゃったオリジナリティというのは、他の宗教にはない、これが仏教だというのは、これはどこでどういうふうに?
 
前田:  なかなか一言でいうのはなかなか難しいですけどもね。要するに出発点とゴールが同じであれば違ってくるというのは過程ですよね。行き方、ゴールへの接近の仕方において独自性が出てくるんじゃないかと思いますですね。それからゴールそのものの考え方も違うでしょうし、起点になった輪廻に対する考え方もそれぞれ違うと思いますですね。そういうのはこれからおいおいお話を進めていく上にお話できるかと思いますけれども、今日は最初の終わりですからまだまだそういう難しいところまでいかないかもしれませんが。
 
草柳:  それに入る前に、次回のつなぎとしてお釈迦様が―ブッダが生まれた今から二五○○年前がどういうふうな社会の仕組みでやったのか。それ以前の、例えばバラモンを支えてきた社会制度と、どういうふうに違ってきていたのか。その辺のところをちょっと、
 
前田:  そうですね。これは次回の問題と非常に絡んでくるわけですけれども、さきほど申しました『リグ・ヴェーダ』が作られたのは、インダス河の流域でございましてね。あれは農耕生活に入ったわけですね。氏族制の社会というのが、この『リグ・ヴェーダ』などが作られた基盤、社会的な基盤だったわけです。それがブッダの時代になりますとかなり違ってまいりましてですね、ブッダの時代には商工業が盛んになって、貨幣経済が発達する。それだけではなくて、都市ができてくる。国家ができてくる。そういう時代なんですね。そして今まではバラモン教というと、どちらかというと農民の方の支持によってできている宗教。対しまして、仏教とか、もう一つジャイナ教というのがありますけれども、そういうのは武士階級とか商人階級によって支えられるそういう宗教なんですね。そういう社会基盤というのがかなり大きな違いが出ている。そういうところでもまた宗教のあり方なども異なって来ているんじゃないかと思いますけれども。それはこれからの問題になるかと思いますが。
 
草柳:  それにしても、最初にお話のあったインダス文明、古代インドの文明の発達の仕方と言いますか、発展というのは、これは大変な、今から考えても実に進んだ文化だったというふうに思いますね。
 
前田:  そうでございますね。インダス文明というのは、驚くべきものですよね。あの当時に壮大な都市計画があって、そして作られているわけですね。しかも現代の東京にも十分劣っていないような下水道の整備までちゃんとあるというような、この文明を持っていたわけですからね。これは驚くべきものだと思いますですね。それがどうして破壊されたか。滅亡していったのかということ。これなかなか謎でございましてね。まあよく昔考えていることは、アーリア人が入ってきてですね、その時にその文明を全部破壊してしまったんじゃないかというようなことが言われていたんですね。しかし最近の研究ではそういうことはあまり言われなくなりましてですね―私もよく知りませんけれども―洪水とか、そういう何か水のところにあるわけですから、そういう洪水などのようなものが原因で異常をきたして破壊されていったんじゃないかと。たまたまアーリア人が入ってきたのは、その文明が衰退の道をたどっていた時代に入ってきただけのことなんだというような考え方ですね。昔インダス文明といいますと、アーリア人の「侵入」と申しますか「侵し入る」というようなことも、よく歴史の本なんかに出ていたと思いますけれども、私はそれを書かないで「進入」と書いたのは、侵略したんじゃ無いんじゃないかという、そういう考え方も出来るかもしれないものですから、ただ「進入」という字で表したわけですけども。
 
草柳:  そこで壮大な文明の花が開いてですね、バラモンの考え方・思想、そしてブッダを生む土壌が作られてきたわけですね。今ちょうど二十一世紀を前にして、なんとなく世紀末というようなことがよく言われるわけですけれども、そのブッダが誕生するときの社会情勢といいますか、経済も文化も含めてですね、やはり今お話のアーリア系の人たちが入ってきて社会を変えていって、ある意味では時代のかなり大きな変動にぶつかっていたときだったというふうに歴史的には見ていいわけですか?
 
前田:  ゴータマ・ブッダが生まれた頃は、そうですね、アーリア人がだんだん東の方に進んでまいりましてね。先ほど申しましたように、氏族制農村社会制度というものを崩壊して、貨幣経済が発達し、都市が出来る。そういう時代ですね。ですからそういう新しい民族が入ってきたということによって、今までの枠から出たところで、ブッダは生まれているわけですね。ヴェーダの文化の中心から離れたところで、むしろ興っているわけですね。そういうところ社会制度の今までがっちりと組まれていたヴェーダの文化の枠組みというのが崩壊していく。そういう中から生まれてきているわけですね。その当時は非常にいろんなバラモン教に反対するような思想がたくさん出てきているわけですね。そういうのを「沙門(しやもん)」というグループに含めていますけどね。そういうサンスクリットのシュラマナという言葉ですが、バラモンに対して反対的な自由思想家たちの流れをシュラマナ―沙門と言っております。バラモンに対しまして、仏教の方とかもう少し他の自由思想家がたくさん出てまいりますけれども、そうした人たちを「沙門」というような言い方をしていたんですね。
 
草柳:  当時バラモン教、バラモンがある種の体制だとすれば、反体制的な考え方、そういう考え方をする人たちが澎湃として興ってきた時代であったわけですか?
 
前田:  そうですね。プロテスタントというのは、キリスト教なんかにありますが、バラモン教に対するいわばプロテスタントとして出てきた一人が仏教の開祖であるゴータマ・ブッダというふうにいうことができるだろうと思いますですね。他にいろんなジャイナ教というような宗教もその頃出ていますけれども、その開祖のマハーヴィーラというような人がありますけどもね。そういう人もやはりプロテスタントの一人だったんですね。それ以前はバラモン階級中心の社会だったところが、仏教の時代になりますと、武士階級が非常に中心を占めてくる、そういう時代。それから商工業者とか、そういう経済の担い手などが非常に勢力を得てくる時代なんですね。バラモンというと、坊さんで司祭の祭りを司る人達ですけども、そういう勢力が衰えていったと、そういう時代ですね。
 
草柳:  日本では漸くといいますか、紀元前五世紀といいますと、まだ弥生時代ですね。その頃にもう既にあの大陸では大変な文化が発達していたということで、それまでのヴェーダ、バラモンの考え方というよりも、つまりその頃の宗教というのは言ってみれば、血族といいますか部族と言いますか、その中の思想、それがブッダの時代になってくると、もう少し普遍的な広がりを持つ宗教に変わっていったというふうな捉え方でいいんですか?
 
前田:  そうですね。それはおそらく言えるかもしれませんですね。私ももう少しそういう目からもう一度見ていかないといけないと思いますけれどもね。まぁ確かに先程申しましたように、バラモン教の基盤になっているのは、氏族制度の社会、それが基盤。これも血族が非常に―血というのが非常に重要なところですね。だけど仏教の時代というのは、血よりむしろ金であるとか、あるいは権力とか、そういうものが中心になっていくような時代。そして氏族とか部族とか、そういうものを超えて受け入れられていくようなものが、当時としては求められていただろうと思うんですね。ですからユダヤ教からキリスト教へというような発展が―発展というと叱られるかもしれませんけれども―展開があったわけですけども、そういうところと似たところがあるんじゃないでしょうか。まあユダヤ教の場合は、非常にユダヤ人というイスラエルの人たちの考え方が非常に強いわけですね。それに対しまして、キリスト教の場合は隣人愛ということで、氏族とか部族とかそういう民族を超えたところで広めていく。そういうところにも通用するような宗教が求められていた。そこにまぁちょうどイエス・キリストが登場するということがあったと思いますけれども、おそらくゴータマ・ブッダの時代にも、そういう今までの狭い社会で通用するものではなくって、もっと民族とかそういうものを超えた宗教思想というものが求められていた時代ということが言えるかもしれませんですね。
 
草柳:  ということは、当時の社会が狭い限られた地域の中で生活を全うするというところから、もっともっと広がっていってですね、それと同時にやはりより良い生き方というのは一体なんだろうかということを求め始めていたということなんでしょうね。
 
前田:  そうですね。それとともに当時社会制度が崩壊しつつある。旧来のアンシャン・レジーム(フランス語で〈旧体制〉を意味する表現だが,フランス革命が産み落とした新しい社会と対比しつつ,革命によって打倒された旧来の社会体制を,こう呼んだものである)というんでしょうか、そういうものが崩壊する。そうしますと、今までの伝統的な人たちは非常に不安を持つことになりますですね。そういうニヒリズム的な要素も、当時は非常に一般的になっていたわけですね。そのあと「業」とか「輪廻」とか「苦」とか、そういうようなものが非常に関心の的になってくるというようなことがあったんじゃないかと思いますですね。そういうものからの自由といいますかね、それを求めるようになってきた。その前の時代は天国に生まれるとか、そういうようなことが非常に関心の的だった訳ですけども、あるいは子供がたくさん欲しいとか、財産が欲しいとか、そういうものの神頼みをすることが多いわけですね。そうではなくて、むしろ心の安らぎと申しますか、そういうものを求める時代になっていたんじゃないかというふうに思いますけどもね。
 
草柳:  いよいよ次回はゴータマ・ブッダが本格的に登場してくるという話になるということで、今日はありがとうございました。
 
     これは、平成四年四月二十六日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである