ブッダを語るD真理へのめざめ
              武蔵野女子大学教授 前 田(まえだ)  専 学(せんがく)
              き き て     草 柳  隆 三
 
草柳:  「ブッダを語る」の五回目です。前回はブッダが人生の根本苦と言われる悩みを抱えて出家し、道を求めて遍歴遊行する様を見てまいりました。今日はいよいよブッダが苦行を超えて悟り・目覚めに至るまでの道をお話ししていただくことにいたします。お話はいつものように武蔵野女子大学教授の前田専学さんです。よろしくお願い致します。
 
前田:  よろしくお願い致します。
 
草柳:  前回は今申し上げましたように、人生の根本苦を抱えて出家をして遍歴遊行の旅に出るという所までお伺いしたんだですけども、この「根本苦」というのは、つまり「生まれること、病気になること、老いること、死ぬこと」ということだったわけですね。
 
前田:  そうでございますね。そういう苦しみを、彼が真剣に悩んで、そして出家の道に入るというところでございますね。
 
草柳:  そして確か二十九歳でしたっけ?
 
前田:  二十九歳でございますね。
 
草柳:  その出家をして一番はじめに行かれたところがマガダ王国―マガダ国というふうになっていましたけれども、なぜマガダ国に最初に行かれたんですか?
 
前田:  そうでございますね。マガダ国というのはどんな国であったか。またその首都が王舎城であったんですけども、どんなものであったか、ちょっとお話をした方がよろしいかと思いますが、マガダ王国というのは、インドの現在の東北地方でございますかね、ガンジス川の流域の中流地帯でございますが、そのあたりの現在のビハール州という州がございますが、そこで栄えていた国なんですね。「ビハール」というのは、「ビハーラ」といういわゆる「精舎(しようじや)」、祇園(ぎおん)精舎などの精舎がたくさんあるものですから、ですからビハール州という州の名前になったほどのところなんですが、そのあたりに栄えていた国がマガダ国でございますね。当時はそんなに栄えていた国ですけれど、現在は非常に疲弊した、今インドでは一番貧乏な州と言われているわけですけれども、なぜかと言いますと、一つにはイギリスの植民地時代に工業が、イギリスの工業に押されてビハール州のあたりの産業が破壊されてしまったというようなことが一つでありましょうし、それから一八五七年にセポイの叛乱(1857年、インドで起きた英国東インド会社の傭兵(セポイsepoy)の反乱。農民も合流して拡大したが、1859年に鎮圧された。英国のインド支配強化をもたらしたが、インドの民族独立運動の原点ともなった)というのがありますが、これはイギリスに対しての叛乱であった人ですけどね。その時に中心になったのがビハール出身の人たちであった。そういうところからイギリスの統治の時代に冷や飯を食わされていた。そういうような事情などあったようでございまして、現在ではそういう一番貧しい州というようなことになっておりますが、当時はそういうとこではなくて、非常に産業の発達し都市文明の豊かな文化の中心地であったわけなんですね。しかも王舎城というのはその首都でありますけれども、そこはやはり文化の中心というようなところで、日本で言えば東京というようなことであっただろうと思うんですね。現在なかなか想像しがたいような状況でございますけども、あのあたりはマウリヤ王朝というインドで最初に統一した国家の中心のパータリプトラ、今のパトナー(ビハール州の州都)というとこですけれども、そこにありましたし、そういうような政治なり、政治・経済・文化の中心があのあたりにあったわけですね。前にもお話ししましたように、ゴータマ・ブッダという人は、ベナレスのダンディーな非常な流行の先端を行くような人であったわけですから、いちばん文化の中心に憧れる。今ひとつ考えるられることでございますね。
 
草柳:  釈迦族の王子様でいらっしゃったわけですからね。
 
前田:  そうでございますね。ですからまっしぐらに王舎城に向かって行ったということは、非常に当然であったような気が私はするんですね。そういうとこでこそ初めて本当の学問なり思想なりというものが得られるんじゃないかと、そういうふうに思ったんではないかというふうに想像しているわけですけどもね。
 
草柳:  ただ当時出家したブッダの心の中は、もうあらゆる悩みで悶々としていたというふうに見てもいいわけですか?
 
前田:  そうだと思いますね。そういう問題を何とかして解決したい。どこに行けばいいかといえば、やはりそういうところに憧れていくことになるんじゃないでしょうか。
 
草柳:  そこで師に巡り会うというか、先生に巡り会うわけですね。
 
前田:  そうでございますね。アーラーラ・カーラーマ、それからウッダカラーマ・プッタという二人の先生に会うことになるわけです。最初にアーラーラ・カーラーマという先生のところに行って修行を積むわけですけども、そこで「無所有処(むしようしよ)」の境地ですね。何もないというそういう境地に達していたわけですけれども、それをゴータマ・ブッダもすぐにマスターしてしまうというようなことで、それに満足できないで別の師のところに行くというふうに仏典では書かれているわけですけどもね。しかしそこのところでいろいろ考えられることは、果たしてそうであったのかどうかですね。ゴータマ・ブッダ自身どういうことをそこで本当に悟られたのか、よくわからないんですけども、まぁ仏典にはそういうふうに出ていますので、今は文字どおりにそういうふうに受け取ることにいたしまして、そこで当然満足できない形で次の師としてウッダカラーマ・プッタという先生のところに行ったわけですね。そこでは「非想非非想処(ひそうひひそうじよ)」という、なんの表象もないのでもなく、あるのでもないという、そういう境地に達したと言われておりますけれども。ゴータマ・ブッダ自身もその境地に間もなく達するというようなことで、アーラーラ・カーラーマの「無所有処」という境地―何もないそういう境地ですね。この境地というのは、禅定の一種でございまして、おそらくかなり高度な悟りの境地に近いような瞑想の段階だろうと思うんですね。その次の「非想非非想処」というウッダカラーマ・プッタの教えでありますが、これもそれよりもさらに高いおそらく禅定の境地だと思いますけども、最初の仏教ではこういうのも教えているというのか、求めるようなところもでてくるわけでございまして、必ずしも否定すべきものでもなかったかもしれませんけども、仏教の発達段階にしたがってそういうのも求めるものではないというようなところに落とされてしまった可能性はあるんですけども。
 
草柳:  当時はしかし宗教界というか社会で、今おっしゃった二人の教えというのはかなりいわば高度の教えだったわけですか?
 
前田:  だと思います。アーラーラ・カーラーマの名前などは、ネパールの近くまで名前が響いていたというようなことを言われておりますけども、当時としてはおそらく大変高名な思想家・宗教家であったんじゃないかと思いますけども。
 
草柳:  「非想非非想」あれ文字どおり解釈すれば、「思っているのでもなければ、思っていないのでもない」ということになるわけですか?
 
前田:  「想」というのは表象ですね、心の中に思い浮かべる。そういう表象があるのでもなく、ないのでもないと。そういう言葉では表し得ないような、何か我々の表象をして、イメージを作るということもできないような、そういう境地なんだと思いますけれども。それ非常に高度な禅定の段階を示していると思いますけどもね。
 
草柳:  しかしブッダはその教えでは満足できなかったというか、つまりもっとさらに深めていかなければいけないというふうに考えたんでしょうか?
 
前田:  おそらくそうでしょうね。そこのところまで私わかりませんけれども、まあそれにそれが悟りの境地であると。自分の求めた安穏の境地とは言えないんじゃないかとおそらくそういうふうに思ったということができるんじゃないかと思いますけどもね。
 
草柳:  そしてさらに修行を続けるわけですね。
 
前田:  はい。自分でどのような方法をとるかということが、今度は自分で考えなければいけないことになりますですね。森の中に入っていって、そこで修行に再びする。自分一人で修行に励むということになると思いますですね。
 
草柳:  自分自らとの対決という。
 
前田:  そういうことになりますね。今度は師について、先生から教えられるというんではなくて、自分でその道を開いていかなければいけない。自分自身との対決ということになろうかと思いますですね。
 
草柳:  そしてマガダ国のなかのあちらこちらを遍歴することになるわけですか?
 
前田:  あちらこちら遍歴したかどうかわかりませんけども、悟りを求めて、例えば前正覚山(ぜんしようがくざん)(ブッダガヤ郊外にある岩山)なんて山に行くようなことも仏典に出てまいりますけども、悟りを開く前にそこに行くけれども、適当な場所ではないということで、そこを去りましてですね、別のところを探し求めて行ったわけでありますが、ウルヴェーラーのセーナー村というようなところにやってくるわけでございますね。
草柳:  これはどの辺になるんでしょうか?
 
前田:  ブッダガヤの近くでございますけれど、写真が出ておりますが。
 
草柳:  ここへ着いてブッダがどんなふうに考えたかということが、お経のなかの一節にありますので、ちょっと読んでみたいと思いますが、
 
ああこの地域は美しい
さらに清らかな深い林があり
さらには澄み切った流れのよい川があり、
楽しく美しい川岸があり
周囲には牛を飼うに適する村落がある
まことにここは努力をするに相応しい土地である
 
というふうにブッダは考えたということが、お経の中にあるわけですが、これは今の写真ですけれども、季節によって川ができたり、あるいは水が涸れてしまったりというような土地なんでしょうね。
 
前田:  そうでございますね。私も行ったんですけども、ちょうど三月でございまして、あのあたり水が何もない。砂ばかりでございまして、私もここに書いて描写されている情景などを思い浮かべてみたんですけども、なかなかこの情景の通りでないですね、行ってみますとね。しかもこの川がネーランジャラー河という河で―尼蓮禅河(にれんぜんが)と言っておりますが.その河は私が思っているよりもずっと川幅が広うございましてね。せせらぎか何かのように小さな川を私は想像していたんですけども、そうじゃなくて、大変広い川幅がありまして、しかも砂だけで、先ほどの写真に出ておりましたように、水が一滴もなくて、何かその土地の人によりますと、「掘ればですね、砂を掘ると中に水があるんだ」ということで、確かに行ってみますと、洗濯屋さんが河の底を掘りまして、そこの水を使って洗濯をしているとような光景にぶつかったんですけども、確かに掘れば水があるんですけども、表面は全く白い砂がズーッと流れているだけなんですね。その尼蓮禅河という、現在はパルグ川という川の一つの支流なんですね。パルグ川というのはガンジス川に流れている川ですけれども、それが二つに分かれておりまして、一つはモーハナ川という川、一つがネーランジャラー河という河なんですけど、そのネーランジャラー河と言っているのが、現在そう言っているところが「尼蓮禅河」と過去に言っていたところなんですね。よく時々間違えられておりまして、パルグ川そのものが尼蓮禅河というような誤解を受けていることが多いんですけども。そうじゃなくてそのひとつの支流なんですね。流れ込んでいるわけですけども。ブッダガヤの方の側に尼蓮禅河があるんですね。パルグ川という川の一つの支流でありますから、狭いような印象が起きますけれども、それでも広いところなんですね。
 
草柳:  このセーナー村で本格的な修行に入っていくわけですね。
 
前田:  そうですね。そこで菩提寺の木の下に居というか席を決めましてですね、そして苦行に入っていくということになっておりますですね。
 
草柳:  おそらくその当時の道を求める人たちの修行というのは、これは大変なんでしょうね。
 
前田:  それは本当に描写などいろいろありますけどもね、非常にこの現代人からしてみたらば、到底耐え難いすごいことをするわけでございますが、例えば断食をしてみたり、呼吸法とかですね、体を、肉体を痛めつけるようないろんなことをするわけですけども。当時の人々にとりましては、ある意味ではそれが一つの決まった修行の実践の仕方であったわけですから、例外的なことではなかったわけですね。
 
草柳:  ブッダはここでたった一人で修行に入るわけですか?
 
前田:  そういうわけですね。
 
草柳:  仏典の中には、その修行に入ったブッダに対してですね、いろいろな悪魔が誘惑にやってくるというのがずいぶんたくさん出てくるんだそうですね。
 
前田:  はい。悪魔ですね。どういうものかということになりますけども、実際の悪魔というものが存在していると信じられていたかもしれませんけども、仏伝などのそういうのは恐らくはブッダ自身が修行している最中に、いろんな心の悩みだとか、あるいは心の葛藤とか、あるいは迷いとか、そういうものがいわば悪魔というような形で語られているんじゃないかと思いますけどもね、いろいろ悩むわけですね。やっぱり決められた道から自分自身は何か特別な道を探さなければいけないような現段階になっているわけでございますからね。どうしたらいいかというようなことは常に悩みがおそらく付きまとったんだろうと思いますね。それを悪魔という形を借りてそういう心理描写をしているというのが現代的な解釈かもしれませんけどもね。
 
草柳:  一節をまた読んでみたいと思いますけれども、
 
ネーランジャラー河のほとりにあって、
安穏を得るために努力して瞑想していたわたしに、
悪魔ナムチはいたわりのことばを発しつつ近づいてきていった。
「あなたはやせて顔色も悪い。あなたの死は近づいた。
きみよ、生きよ。
命あってこそもろもろの善行をなすこともできるのだ。
(スッタニパータ)
 
前田:  『スッタニパータ』というのは、時々引用する原始仏典の中でもいちばん古いと考えられている経典の一つですけどもね。これを見ますと、悪魔というのは「ナムチ」という名前で出てまいりますね。このナムチというのは非常に古い言葉でありまして、『リグ・ヴェーダ』あたりから出てくるものなんですね。悪魔というのは、普通「マーラ」というサンスクリットの言葉であり、パーリ語の言葉でもありますけども、それを「悪魔」って普通日本語だと思っていらっしゃると思うんですけども、これはそうじゃないんですね。「悪」というのは悪いという意味ですけども、この「魔」というのは、これは「マーラー」の音を写した言葉で、「魔」という字の上の上半分が「麻」という字ですね。あれは「ま」と読むわけですね。あれ発音を写しているわけですね。それから下に「鬼」でございますから、鬼より恐いものとはというので、両方くっつけた言葉で漢字の中でもそういう二つくっつけるものございますですね。一つ発音を写し、一つは意味をとっているというようなものでありますけども、それが「悪魔」という言葉で訳されている。本来は「マーラー」と、殺すものというような意味ですね。その中でも「ナムチ」というのは古い悪魔でございまして、またナムチの他に「パーピーヤス」というような「波旬(はじゆん)」というような言葉が出てきたりなんかするんですね。それはナムチよりも後になってからの言葉になりますけども、そういう悪魔がいろんな形でゴータマ・ブッダに襲いかかってくる。それは一種の先ほど申しましたように、ゴータマ・ブッダがいろんな迷いとか、そういうものを象徴的に表しているんだろうと思うんですけどもね。そこの場合、「顔色も悪い、痩せている」ようなことを言っておりますけども、ゴータマ・ブッダは苦行の途中でですね、おそらく苦行しているときには断食をしている。したがって痩せて顔色も悪くなるわけですね。それを極度に断食をすれば死に至るわけでございますが、非常に顔色が悪くて、痩せほそっているときに、悪魔がやってきて、「生きよ」と。命あってのものだねというようなことでございましてね。古来の修行の方法というのは、そういう苦行をするんじゃなくて、バラモン教の方では、お祭りをしたりですね、そういうことをすれば、天国に―天界に生まれる。天界に生まれなければ、この現世においての幸福が得られると。そういう道を選んだらどうかというような誘惑をしているわけでございますね。それが今までずーっとインドで古来やられていた幸福を求めるひとつの道であったわけですね。ゴータマ・ブッダもおそらくそういうようなこんな苦しいことをしているんじゃなくて、お祭りなどした方が容易に得られるんじゃないかというようなことが閃くのかもしれませんが、そういうことがとにかく出ているんじゃないかと思いますが。
 
草柳:  いろんな悪魔が次々と出てくるみたいですけれども、今おっしゃるように悪魔というのは後の世の人たちに語り継ぐためにわかりやすい書き方というか、悪魔の登場のさせ方をしているというふうなことも多分あるのかもしれませんけれども、いずれにしても、それはとりもなおさずゴータマ・ブッダの中に作っている煩悩、諸々の煩悩というふうに考えればいいわけですか?
 
前田:  そうだと思いますね。ゴータマ・ブッダの中でいろんな葛藤が起こるわけですね。それをそういう悪魔の名前で語らせているということだろうと思うんですね。仏伝作者の一つの技術でありましょうけれども。
 
草柳:  もう一つですね、同じ『スッタニパータ』から見てみたいと思うんですけれども、
 
「あなたがヴェーダ学生(がくしよう)として清らかな行(おこない)をなし、
聖火に供物をささげてこそ、
多くの功徳をつむことができる。
(苦行に)つとめはげんだところで何になろうか。
つとめはげむ道は、行きがたく達しがたい」
(スッタニパータ)
 
これは今前田さんがおっしゃったことですね。
 
前田:  これも『スッタニパータ』に出てくることですね。ゴータマ・ブッダが自分の先生のところから離れて、自分で行ったらどういう道を、方法をとって修行したらば、自分の求めるこの安穏の境地に達し得るかということで悩む。その実践の仕方の一つが古来からバラモンの方で行われていた、そういう清らかな行いをする。そして清らかな行い、この中に学生の身分になるためにはまだ独身でなければいけないわけですから、禁欲ですね、性欲を制するという。それを清らかな行いと言っているんだと思いますが、それから「聖火に供物を捧げる」これは家庭生活に入りまして、結婚をして、そこで聖火に自分の家庭の供物を捧げるということをするわけですけれども、そういうヴェーダの学生としての行いと、それから次の段階として家庭生活に入ってお祭りなどをする。それがバラモンの方で勧められているやり方ですね。そういうことをしていれば、苦行などはしないで、現世の幸福が得られ、うまくいけば天界にも生まれる。そういうようなこの道筋があるわけですけども、しかしそれは自分の行くとこではないと、ゴータマ・ブッダは考えたんだろうと思いますね。そういうひとつの自分がどう判断するか。どういう道をとるかですね、あれかこれかという二者択一の境地の一つがこういう形になって出てきているんじゃないかと思いますけどもね。ゴータマ・ブッダは、だからそういう古代から行われてきた道をとらないで、別の道を歩もうとするんだと思いますね。
 
草柳:  しかしゴータマ・ブッダにしてみれば、そうした誘惑というのは、ある意味ではかなり魅力的というか、やっぱりきっとひかれるところもあったのかなというふうな気がしますけども、それはもう断ち切らなければいけないという、その葛藤を乗り越えていくわけですね。
 
前田:  そうですね。それは大変苦しかっただろうと思いますですね。我々はただ想像するだけにすぎないんですけどね。本当に苦しい修行の道を歩んでいたんだろうと思いますね。
 
草柳:  その辺のところはブッダがどう考えたかという、またこれも『スッタニパータ』からですが、ちょっと読んでみます。
 
わたしにはその(世間の)善業(ぜんごう)を求める必要は全くない。
悪魔は善業の功徳を求める人びとにこそ語るがよい。
わたしには信念があり、努力があり、また智慧がある。
このように専心している私に、
汝はどうして生命のことをたずねるのか。
・・・・・
わが心は、もろもろの欲望にひかれることはない。
見よ、心身の清らかなことを。
(スッタニパータ)
 
前田:  そうですね。先ほどの悪魔の誘惑をここでもうはっきりと断ち切るわけでございますね。二者択一の中の一つを断ち切っていく。そして自分には信念と努力がある。また智慧があるということでもって、過去のバラモンの方で行われていたそういうような修行法・実践の方法というものは捨てていくわけですね。新たな道を自分で智慧と努力と信念でもって切り開いていこう。そういう決意がはっきりとここで述べられているわけですね。
 
草柳:  一切は自分との対決の中で問題の解決をしていきたいという、いわば今のブッダの決意表明みたいなものですね。
 
前田:  そうですね。
 
草柳:  凄まじいですね。
 
前田:  凄まじいですね。高校野球で「宣誓!」ってやると同じような何か非常に自分自身としては高揚した精神の中でそういう決意を固めたんじゃないでしょうか。
 
草柳:  ただブッダがそういうふうに考えたということは、つまり自らの身を清めていかなければいけない。それは他力ではなくて、自分でやっていかなければいけないというふうに考えたということは、ブッダ以前はどうだったんですか? 何かやっぱりブッダ以前にもそういったように考えてきた歴史というのはあるんですか?
 
前田:  そうですね。やはりインドにはそういう歴史は長い歴史を持っておりまして、今お祭りのことが出ておりましたけども、お祭りの道は本当の道じゃないということで、例えばウバニシャッドの時代になりますと、そういうお祭りではなくて、
 
草柳:  ウバニシャッドと言いますと?
 
前田:  バラモン教の聖典ですね。一番最後の経典ですね。哲学的な思想的なことがたくさん出ている部分がウバニシャッドでございますけれども、たびたびお話したことがございますけれども、紀元前おそらく六○○年ぐらいを中心にしてですね、前後四、五○○年ぐらいのアレがありますけれども、それくらいの古い文献ではありますが、そこに初めて「解脱」とか「業」とか「輪廻」という考え方が出てくるわけですが、そういう考え方が出てきて、究極の目的というのが「悟り」という、「解脱」ということを求める考え方がでてくるわけでございますけども、それ以前はだから先ほど申しました現世の幸福とか、あるいは天界に赴くというようなことが理想であったわけですけど、ウバニシャッド時代になりますと、悟りを開く。業・輪廻からの束縛を断ち切ってですね、そしてこの究極の悟りに行くというのが理想とされるようになった時代なんですね。ゴータマ・ブッダが活躍されている時代、修行の時代というのもやはりそういうことが一般的に行われていた時代でありまして、ゴータマ・ブッダもおそらくそういう流れの中にあった。過去のそういったお祭りではなくて、新しい時代に変わってきておりますから、そういう流れの中でゴータマ・ブッダは新しい道を進んでいかれたんだろうと思っておりますね。
 
草柳:  その辺のところをウバニシャッドの一節からちょっとまた見てみたいと思うんですけれども、
 
心身の清浄なとき、念(おも)いは堅固である。
(堅固な)念いを得たとき、
一節の束縛から解放される。
(チャーンドーギヤ・ウバニシャッド)
 
前田:  そうですね。心身の清浄なとき、体も心も清らかな時に念いと申しますか、そういうのが堅固になってくる。そのゴータマ・ブッダの考え方もやはり今修行することによって心も身も清らかにしよう。そういう決意を新たにされたわけで、そういうところを『チャーンドーギヤ・ウバニシャッド』の―ウバニシャッドの中でも一番古いウバニシャッドの一つなんですね。一番長いですけど、もう一つ『ブリハッド・アーラニヤカ・ウバニシャッド』というのがありますけど、それが二つ並んで大きなウバニシャッドですね。重要なウバニシャッドですが、そこの中にこういうような文言が出てきまして、ゴータマ・ブッダの気持ちと非常に通ずるところがあるように思いますけども。
 
草柳:  先ほどから悪魔との闘いの話をいただいているんですけれども、ほんとゴータマ・ブッダの心の中には、払っても払ってもやっぱり悪魔が誘いの手を差し伸べてくるというのは、これはもう人間の生き様を考えれば、ごく当たり前、普通のことではないかという気がするんですけども。
 
前田:  そうでございますね。人間の心というのは、瞬時もとどまらず動いていましてね。これがいいかあれがいいかと常に思い悩むというのが、これは普通の人間でございますからね。その形を悪魔という形で表現してきているわけでありましょうから、非常にリアルな人間の心理描写のような気がしてくるんですけれども。
 
草柳:  それはとりもなおさず自己との厳しい対決になるわけなんですね。そこのところまた悪魔の攻撃がどんなものであったのか。またその次をちょっと見てみたいと思うんですが、
 
汝の第一の軍隊は欲望であり、第二は嫌悪であり、
第三は飢渇(きかつ)であり、第四は妄執(もうしゆう)といわれる。
汝の第五の軍隊はものうさ、睡眠であり、
第六は恐怖、第七は疑惑、第八はみせかけと強情である。
ナムチよ、これらは汝の軍隊である。
 
前田:  そうでございますね。いろんな形で悪魔が攻撃をしてくる。それを軍隊に譬えておりますけども、今までは実践の方法が問題でしたですね。どういう実践をするか。先生からの教えは得られなくなったわけですから、自分で道を切り開いていかなければいけない。そうなると、過去にはお祭りの道だとか、あるいは心身を浄めるような道ですね、そういうような道があって、自分はどういう道を取ろうかということを迷っていたとこですが、今度ここへきますと、今度心の中の悩みですね、実践方法というよりむしろ自己との顕わな葛藤になりましょうか、欲望、この欲望の中には、性欲もありましょうし、食欲もありましょうし、そういう人間のどうしても離れられないような欲望、そういうものがまず第一に襲ってまいりますですね。このゴータマ・ブッダは若い青年でございますからね、性欲もおそらく強いものがありましょうし、食欲なども断食しているから余計にそういうのが募ってまいりましょう。それから嫌悪感とか、それから飢渇、そういうものも自分のところに攻めてくると申しますか、常に意識の中にあったんだじゃないかと思いますね。妄執とか、ものうさ、睡眠、よく日本でも最近でも睡魔なんて言い方を―「睡魔が襲う」なんて申しますがね。睡眠の悪魔なんですよね。その睡魔がやってくるわけで、恐怖―恐れ、疑惑、みせかけ、強情、そういうような心の中のそういったいろんな葛藤が、それが悪魔の軍隊というふうにとらえて、譬喩的に心理描写をしているわけなんですしょうね。
 
草柳:  今の軍隊は、人間が生きている以上ですね、誰にだって飛びついてくるというか、あると思うんですよね。
 
前田:  そうでございますね。
 
草柳:  それらは全部断ち切っていかなければいけない。
 
前田:  そういう欲望とか、そういうものが苦の根源であるということであるとすればですね、やはりそういうものを断ち切って行って、初めて安穏の境地に至ると。断ち切ると言いますか、そういうものを乗り越えていくと申しますかね、そういうものに拘らないで、そういうものに振り回されないで、そういうものはあるにしても、そういうものを乗り越えた境地にまでいかないと悟りには達し得ないということだろうと思いますですね。
 
草柳:  その辺は大事なところなんですね。つまり断ち切るんではないんですね。
 
前田:  断ち切るんではないんですね。断ち切れないですね。人間として生きている以上は、欲望はあるわけですね。その欲望に惑わされない。そういうものをコントロールして、それに惑わされないような一歩高い境地に進むのが本当の安穏の境地に至ることだろうと思いますですね。悟った人でも、いろんな悩みがあり、欲望も起こる。しかしそれに左右されないで、そういうものにとらわれないで自由の境地を歩んでいくというのが、悟った人の理想境だろうと、私は思うんですけどね。生きている限り、やはりそういった欲望とか、いろんな先ほどの出ていた悪魔が襲ってくるわけでございましょうからね。私自身想像するのみでございまして、偉そうなことをいうんですけども、自分自身がそういう現在は悩まされている方でございますから、そういう境地になれたらと思うことでございますけどね。
 
草柳:  そうすると、そういう悪魔を断ち切るのではなくて、乗り越えていくためのブッダの修行というのは、これはますます激しくなっていくということなんでしょうか。
 
前田:  そうですね。それをおそらくそういうものを断ち切ろう断ち切ろうという、そういうことを考えていきますと、だんだんだんだん苦行の度合いを強めていくということになると思いますね。苦行が自分の目的かのごとくにとらわれてしまう。そういう形で六年間、おそらく続いていって非常に体力も消耗されたんだろうと思いますですね。
 
草柳:  六年間といいますと、その出家したのが二十九歳だと言われているわけですから、そうすると、三十代の前半ですね、一番こう人間が壮年期、青年期というか、活気にあふれている時代ですよね。ですからおそらくその苦行というのは相当ブッダにとっても苦しいことだったろうと気がするんですけれども。もともと苦行というのは、インドの歴史の社会の中では、かなり古くから行われてきたことなんですか?
 
前田:  そうですね。歴史はっきりしないんですけれども、古くたどればですねインダス文明までさかのぼるという。インダス文明といいますと、紀元前二○○○年とか、三○○○年とかね、そういうところまで遡るということになるわけですけども、それから文献で出てくるのは『リグ・ヴェーダ』―これも紀元前一二○○年ですね中心に編纂されたと言われておりますけれども、そこの中に「ムニ」という、これは「聖者」と訳される、「聖人」ですね、それから「苦行者」という考え方、それを表す単語がもうすでに『リグ・ヴェーダ』の古代から出ているわけですね。ということは、おそらくそういうことをしている人が当時からあったということでしょうね。それからもう少し時代は下りますけども、紀元前四世紀ぐらいにアレキサンダー大王がインドに侵入してまいりますけども、その時にアレキサンダー大王はこの「苦行者を見た」というようなことも記録に残っておりますしね。それからギリシャから来た歴史家でパータリプトラに住んでおりまして、帰って歴史を書いた時に「裸の聖者」とか、そういった苦行者を表すような言葉が出てくるんですね。そういうことで非常に古くからこのインドでは苦行ということをやっていたわけでありますし、ゴータマ・ブッダの同時代の人でも、例えばジャイナ教の開祖であるマハーヴィーラの場合は、苦行ということをジャイナ教の実践の主要な道として捉えているわけですね。そういうところは仏教と対照的ですけれども、それは過去からあった苦行という一つの踏み固められた道があって、それをマハーヴィーラは採用していった。ですからマハーヴィーラなんかでも、裸で彼は幸い裸になってしまうんですけどね。ジャイナ教のそこでもお話ししたことございますけども、苦行を非常な主要な方法とするもんですから、断食などをやってみたりですね、あるいは虫を殺さない―不殺生なんかでも極端に走っていくくらいにまで重要視されている道でありますけども、そういうのとは、ゴータマ・ブッダは違う道を取ろうとしたわけですね。しかし最初期の仏典などを見ますと、苦行というのは尊重するようなことが仏教の典籍なんかに出てくるわけですね。ですからはじめのうちはやはり苦行というのは重要視しているような傾向があったと思われるわけですね。
 
草柳:  ブッダのした苦行というのは、どういうものだったんですか?
 
前田:  はっきりはわかりませんけども、仏伝の語るところしかわかりませんけどもね。例えば食事をだんだん減らしていくというようなことで、断食を一つはする。それから呼吸ですね、呼吸を整えるというような、だんだん細くしていって、ついには息を止めるところまで行くようなこととか、そんなような苦行をしていたと思われるんですね。
 
草柳:  苦行についてまたちょっと一節を読んでみたいと思うんですが、
 
その少食のためにわたしの背骨は紡錘の連鎖のように
凹凸のあるものとなった。
その少食のために、たとえば老朽家屋のたるきのように、
わたしの肋骨は腐食し破れてしまった。
その少食のために、わたしの腹の皮は背骨に密着してしまった。
(マッジマ・ニカーヤ)
 
前田:  この『マッジマ・ニカーヤ』というのは、前にもお話したと思いますけども、中くらいの長さの経典が集めてある原始仏典の中のものですけども、その中にこういうような一節が出てくるわけですね。今写真に「苦行するブッダ」と出ておりますけどね。これはラホール博物館の有名な「釈迦苦行像」と言っておりますけども、肋骨は浮き出ておりますし、目の眼窩(がんか)はくぼんでしまっておりますしね。もうあたかも骸骨のごとく形ですけども、顔そのものは柔和なところもありますしね。恐ろしいけれども何か柔和さをたたえながら苦行の極致でしょうかね、断食を進めていって、もう腹の皮が背骨にくっついちゃっているような、そういう非常にこれもリアルな描写が出ておりますが、それはリアルに彫刻して写しておりますよね。
 
草柳:  肉体的にはもう極限にまで痛めつけているわけですね。でも顔はなんとなく柔和で、ちょっと微笑んでいるみたいなそんな感じすらしますですね。
 
前田:  そういう感じですね。そして腹の色が黒く出ていますね。あれは断食をしていて、苦行をしてきますと、ああいう本当は偉い人の皮膚は金色をしているわけですね。それが黒くなってしまうということで、さっきの彫刻も黒色でもって、それを表しているわけですけども。そういう苦行の極致が苦行像に象徴されているということなんでしょうかね。
 
草柳:  しかもそれが六年間、あるいは七年間という長い時間続くわけでしょ。
 
前田:  そうでございますね。記録に仏伝では七年と言ってみたり、六年と言ってみたりしておりますけども、そういう長い期間非常な苦行というものに耐えてやってこられたわけですが、しかしある時気を失って倒れるとか、そんなこともあったようでございますけども、当然そういうことはあのような厳しい苦行をすれば起こってくることだろうと思いますね。しかしそれを続けていくことが意味があるかどうかということがやっぱり考えられることでございましょうけどもね。
 
草柳:  前田さんは、ブッダの六年間、あるいは七年間にわたる苦行というものをどういうふうにご覧になるんですか?
 
前田:  そうでございますね。全く無意味であるというような解釈というのもあるかも知れませんけれども、しかし僕はそうではなくて、やはり苦行を実際にされた、そのことがゴータマ・ブッダのとらえた中道への一つのステップになっていると。その苦行というものが一つの中道を覚らせる、至らしめるきっかけになっている。そういう意味で重要なものではなかったかというように思いますけども。やっぱり苦行がなければ、中道というゴータマ・ブッダの考え方は出てこなかったんだろうと思いますけども。そういう意味で、苦行を捨てたとかというわけじゃなくて、むしろそれを超越したといいますかね、今まで苦行だけに専心してきたそういうとらわれですね、一種の―それを振り切って、今度は別の本当の安穏の境地というものを目指していくという、それに気付かれたというところじゃないんでしょうかね。だからそれをやっぱり苦行というものをやってみなければ、そういうことにならなかっただろうと思いますですね。
 
草柳:  目的はあくまでも悟りにあるわけですから、つまり苦行というのは悟りに辿る道筋の、どうしても避けることのできなかったことであったというふうに見ていいわけですか?
 
前田:  私はそう思いますですね。
 
草柳:  あれだけのことをするわけですからね。
 
前田:  何か新しいものを生み出す一つの苦しみなんでしょうね。それがないと本物が出てこないように私は思いますけども。どうも最近の考え方というのは、非常にインスタントな考え方ですね。直接回答がすぐに出てこないと満足できないようなところがございますけども、しかしやはり急がば回れということも重要なことじゃないんでしょうか。一つの回り道かも知れませんけれども、大変重要なステップとして苦行というのは考えるべきではないかと私は思いますですね。
 
草柳:  その辺のところというのは、苦行を終えた頃のブッダについては随分いろいろ伝説というか言い伝えがあるんだそうですね。
 
前田:  そうですね。苦行をしていてゴータマ・ブッダが意識を失って倒れて、そしてスジャータ(釈迦が悟る直前に乳がゆを供養し命を救ったという娘である)という村の乙女から乳粥を捧げられて、それを食べるわけですね。そして精気を回復して、そして今まで黒くなっていた肌が金色に輝くというような伝説があったりいたしますけれども、そこでまぁ体力を回復されて、そして再び禅定に入られる。そこで悟りというようなことが起こるわけですけれども。そしていろんな悪魔が苦行しているゴータマ・ブッダを先程のようないろんな軍隊で攻めてくる。それを最後には座ってる右手を大地に付けまして、そしてそれによって降魔(ごうま)をする。「降魔成道(ごうまじようどう)」という。「触地印(しよくちいん)」と申しますかね、大地に触るということが降魔の一つの印でございますけどね。「降魔印」と言ったりなんかいたしますが。そういうものが彫刻などにそれが出てまいりますね。ゴータマ・ブッダはそういったいろんな悪魔たちを結局は退治してしまうという。そこで悟りということが起こる。それが「成道」ですね。それが「降魔成道」という。それが「降魔」というのは、ゴータマ・ブッダの一生涯を八つの節々を考えまして、その後最初兜率天(とそつてん)から降りてくる。降兜率天の段階から託胎(たくたい)と申しますが、お母さんの体の中に入るという段階から、降生、出家を経て降魔成道という段階に至るわけですけど、そういう節々のことを「八相成道(はつそうじようどう)」(降兜率、託胎、降生、出家、降魔、成道、説法、涅槃の相)なんていうことを言って表すことがありますけどね。その中の重要なのが「降魔成道」になるわけですね。
 
草柳:  その降魔成道の地であるブッダガヤに、前田さんこの春先に行ってこられたそうですね。
 
前田:  そうでございますね。恥ずかしいんですけども、私今年の三月に初めて行った。それまで行ったことがなかったんですね。ちょうどイスラム教徒にとってはメッカにあたるようなところなんでございますけどね。私は行きたいと思いながらも、専門がもともとヒンドゥー教の専門なものですから、ヒンドゥー教の聖地を先に回ることを先に考えておりましたもんですから、やっとこの歳になりまして、ゴータマ・ブッダが悟られたブッダガヤに行きました。普通日本でお行きになる方は、ガヤーというところを通るんですけど、素通りをしてですね直接ブッダガヤまで行ってしまわれるわけですけども、私はヒンドゥー教のことをやっておりましたもんですから、まずガヤーというところに寄りまして、そこを見てから行ったんですが、そのガヤーというのは、ブッダガヤから北の方に当たるんですが、一○○キロくらい離れているでしょうかね、それはヒンドゥー教の聖地なんですね。三大聖地の一つなんですね。ベナーレスとか、ガヤーとか、その三つが三大聖地の一つになっておりまして、そこを通って、それは祖先崇拝の地として有名なところなんですね。このブッダガヤにまいりましたが、この今映っている像は、ブッダガヤの大塔の中に収められている仏像でございますね。これは見えませんけれども、右手が隠れていますけれども、これが触地印と―先程申しました降魔印でしょうかね、その印を示している仏像でございますね。もともと黒い体だったんですね。それがミャンマーの仏教徒の人たちがこの金色に変えたんですね。今行きますとああいうふうに金色にきれいになっておりますけれども。それからたくさんのチベットのお坊さん方が来て、修行を熱心にしているんですね。「五体投地(ごたいとうち)」と申しますが、地面に這いつくばるような形でやる。そういう修行をいろいろやってみたりですね。私など半分遊山(ゆさん)気分で行くのとは違いまして、非常に深刻なこういう修行の気持ちでもってやっておられるのを見て非常に深い印象を持ったですね。非常に印象的な旅でございましてね。
 
草柳:  前田さん、これは次回に詳しくお話伺うことになるわけですけれども、大変素朴な質問なんですけど、ブッダが得られたという悟りというのは、これは一体どういう内容だったんですか?
 
前田:  そうですね。それを聞かれましても、私大変困るんですけどもね。中にはゴータマ・ブッダは何も悟らなかったというようなことを最近おっしゃる方もないではないわけですが、しかしいろんな説があるわけで、ある場合には「直感的な智慧」というのを悟ったとか、あるいは縁起という「縁起の理法」を悟ったんだというような考え方もありますし、しかしなかなか本当の悟りというのが、どんな内容であったかということがわからないですね。なかなか文献による限りではわかってこない。それはまた次回の主要なトピックになると思いますけれども、しかし仏伝でよく描かれているのが「縁起の理法を悟った」ということが言われていますけれども。この「縁起」というのはよって起こる。何々によっておこるということでございまして、それ仏教の前の時代には、いろんな現象が起こっていますけども、それは例えばブラフマンのような絶対者がいるからこの現象観があるんだとか、あるいは運命によるとか、あるいは何の原因もないんだというような、そんな考え方がいろいろあったわけですけど、ゴータマ・ブッダはそうじゃなくて、「縁起の考え方を持ち出された」と。そこに仏教の大きな特徴があるんですね。
 
草柳:  その辺のお話は次回じっくり聞かせていただきます。どうもありがとうございました。
 
     これは、平成四年八月三十日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである