ブッダを語るKブッダ最後の旅
              武蔵野女子大学教授 前 田(まえだ)  専 学(せんがく)
              き き て     草 柳  隆 三
 
草柳:  去年の四月から毎月一回放送してまいりました「ブッダを語る」の十二回目。今回が最終回ということになりました。八十歳という老齢を迎えたブッダは生まれ故郷の方向を目指して最後の旅に出るわけです。死を覚悟した、死を目前にした人間ブッダの心境というのは一体どういうものだったのでしょうか。今日はブッダの最後の旅路をたどりながら、その折々に残していったブッダの説法を味わっていきたいというふうに思っています。お話はいつものように武蔵野女子大学教授の前田専学さんです。よろしくお願い致します。
 
前田:  よろしくお願い致します。
 
草柳:  とうとう十二回目、最後になりました。
 
前田:  はい。最後になりました。
 
草柳:  前回はですね、ブッダのたくさんいるお弟子さんたちを通してブッダを語っていただいたんですけれども、晩年に近づいてブッダというのは本当にいろいろなことがあったんですね。
 
前田:  はい。そうでしたね。前回にお話ししたようにデーワダッタの謀反と申しますか、そういうこととか、自分の一番愛弟子のサーリプッタ(舎利弗)とかモッガラーナ(目連)という人が亡くなるというような、ゴータマ・ブッダにとって大変大きな痛手があったわけですね。
 
草柳:  ですから必ずしも当時で言えば新興宗教と言ってもいいブッダの教え、そのお弟子さんたちと一緒に教団を作って行ったんだけども、決して順風満帆な一生というふうには言えなかったわけですね。
 
前田:  そうだと思いますね。そういったゴータマ・ブッダが、サーリプッタを亡くした時の心境ですね。仏典の中に残っておりますから、そんなものを見ていきたいと思いますけども、今これからお見せするものはゴータマ・ブッダがおそらくヴァッジ国の近くのガンジス川の辺りにおられて、そこで話されたことのようですけれども、サーリプッタが亡くなってほどなくのことだろうと思うんですね。そんな時のゴータマ・ブッダの心境というのがよく出ている文言がありますので、
 
草柳:
修行僧たちよ、
サーリプッタ、モッガラーナが亡くなってから、
この集(つど)いも淋しくなってしまった。
かつてサーリプッタ、モッガラーナのありしことを憶(おも)うと、
わたしにはこの集いはむなしい。
しかし、この世で形あるもの、有為(うい)なるもので
滅びないものがあるであろうか。
故に修行僧たちよ、
自らを島とし、自らをよりどころとして、
他人をよりどころとせず、法を島として、
法をよりどころとして、
他のものをよりどころとせずにあれ。
(サンユッタニカーヤ)
 
前田:  そうですね。これは『サンユッタニカーヤ』が原始仏典の中に出てまいりますけども、サーリプッタを亡くしたその心境を、「虚しい」というような言葉を使って表現しているわけですけども、凡人の私などの味わうのと同じような心境だろうと思うんですね。
 
草柳:  今までブッダの説法というか、経典の中で「寂しい」とか「虚しい」という言葉ってあまり出てきませんでしたね。
 
前田:  そうでございますよね。普通の凡人ならば、ここで酒でも飲んで憂さを晴らすというようなことになるかもしれませんが、さすがゴータマ・ブッダですね、寂しい、虚しい、いうところで終わっているんじゃなくて、
 
草柳:  その後できちんとやっぱり、
 
前田:  そうですね。そこのところが凡人と違うところじゃないかと思いますですね。「有為(うい)なるもの」というのは、いろんな原因とか条件によって作られたもの、それば有為。いろは歌の「有為の奥山」という、その「有為」ですね。原因などで作られたもの、形あるもの、そういうものは常に滅びるものだと。諸行は無常であるということですよね。そういうことだから「自らを島とし、自らをよりどころとして他人をよりどころとせず」という。これ大変よく知られている言葉ですね。「自帰依(じきえ)、法帰依(ほうきえ)」というような言葉で言われたり、「自灯明(じとうみよう)、法灯明(ほうとうみよう)」―自分を灯明とするとか、そういうような言葉で知られている言葉ですけども、ここでは「島」と訳されますが、前にも確か申し上げたことがありますけどね、「灯明」という、明り、灯ですね。それと似たような言葉なものですから、間違えられて、そういう「灯明」なんて訳されたことがあるかと思いますけども、「島」あるいは「洲(す)」ですね。
 
草柳:  川の中洲というような洲ですね。
 
前田:  それが正しいというふうに思われますですね。それを自分というものをよりどころとする。その「自分」と言いましても、我執にとらわれたような、そういうような我々が平生思っている自己というものではなくて、「法」という「ダルマ」ですね、宇宙の理法に裏付けられた、そういう自己というものに頼れと。その自己に頼ることがそのまま法に頼ることにもなるわけなんですね。そういうことを説いているわけですね。
 
草柳:  この言葉はこれまでにも何回か出てきた仏陀の教えの中では一番大切な柱なんですね。
 
前田:  そうだと思いますね。最期に近い心境を語ってる言葉だけに、ブッダの本当の心境と申しますかね、そういうものが出ているんじゃないかと、私は理解しておりますけどね。
 
草柳:  二人の高弟が亡くなっても本当に寂しい思いをしてたまらないんだけどね、だけどやっぱりこういうことが大事なんだということを、それをいうということは、つまりブッダの最後までやっぱり道を探し求める人だったという。
 
前田:  そういうことだったと思いますね。
 
草柳:  これから最後の旅に出るわけなんですけども、その頃の旅というのはそう簡単にはいかない。今のように便利な汽車もないし、老齢の…
 
前田:  八十歳ですからね。
 
草柳:  相当艱難辛苦の旅だった。
 
前田:  そうだと思いますですね。最初は、最後の旅の出発点になっているのは、霊鷲山(りようじゆせん)(ラージギル)という山。王舎城(おうしやじよう)の周りに山が大輪山がございますけども、その中の一つが霊鷲山なんですね。そこでまぁいろいろな人に説法する。例えばマガダ国の王様であったビンビサーラの息子がアジャータシャトル(アジャータサットゥ)と申しますけどね、そのアジャータシャトルがヴァッジ族の国を征服したいというような欲望を持っていまして、それが成功するかどうかをヴァッサーラという大臣に「聞いてこい」というようなことで行かせるわけですが、それに対して法話をするところが、『大般涅槃経』という『マハーパリニッバーナ・スッタンタ』というパーリ語の経典がございますけども、その初めの部分に出てくるわけです。そういう法話を二つ三つしてから、彼は霊鷲山を後にして、そして出発して行くということになりますですね。それがどこに向かうかとはっきり書いてはないんですけども、恐らくは自分の生まれ故郷へ向かって―ルンビニーなどに向かって、都城カピラヴァットゥ(カピラ城)の辺りに向かって言ったんだろうと思うんですけども。それはやはりゴータマ・ブッダが、やはり故郷というものが一体どういうようなものであったかわかりませんけども、やはりそれを求めて行かれたのではないかというように思われますですよね。例えばサーリプッタ(舎利弗)とかモッガラーナ(目連)という高弟の場合にも、自分の生まれ故郷がナーランダーですね、その近くですけども、そこへ行って亡くなっているんですね。ゴータマ・ブッダもおそらくそういうような、彼らと同じようにおそらく故郷を求めて―そういう意識としてあったかどうかわかりませんけど、自然に足が向いたのかもしれませんけどもね―そちらの方に向かって旅を続けられるということになりますですね。
 
草柳:  生まれ故郷はルンビニーというところですね。
 
前田:  そうですね。
 
草柳:  ここを出発、マガダ国をこの川沿いにたぶんきっと道をたどっていかれたんでしょうか。
 
前田:  そうですね。一番最初に行かれるのは、先ほど申しましたナーランダーというところですけども、これは大学が現在廃墟になっておりますけども。紀元前五世紀ごろにできた、それから数世紀ぐらい続いたんですけども、七世紀に玄奘(げんじよう)が訪ねたときには、一万人位の人達がいたというですね。当時としてはおそらく世界最大の大学だったんですね。そこにそんなものはまだなかったわけですけども、ナーランダーに先ず行かれた。それはおそらくナーランダーが、サーリプッタとモッガラーナの亡くなったところでもありますし、通って、それからガンジス川の渡場のところにお行きになるわけですが、パータリ村ですね、現在のパトナーですけども。パータリ村という村があったわけですけども。
 
草柳:  この地図でいうと、ヴァイシャーリー(ヴェーサーリー)の北の辺りですね。
 
前田:  そうですね。ガンジス川の渡舟が出るところですがね。そのヴァイシャーリーにお行きになって、そういうような道筋をたどって、それ以後はあんまりはっきりよくわからないんですけどもね。クシナーラーで亡くなるというようなことになりますけどもね。これが先ほど話に出ました一番最初の出発点になっている霊鷲山ですね。その上のところが十畳敷きぐらいでございましょうかね。それぐらいの非常に狭いところなんですよね。そこで説法されたんだろうと思うんですが、そこの途中には洞窟などがありましてね、そこで比丘の出家僧が修行した場所だとかなんとか、そういうようなことが言われていますけども、思ってたより非常に狭いところでございますね。
 
草柳:  こういう険しいところで説法していた。
 
前田:  そうですね。これがナーランダーですね。これが舎利弗のお墓というようなことが言われておりますけども。
 
草柳:  サーリプッタ(舎利弗)ですか?
 
前田:  そうですね。よくわかりませんけどもね。現在あそこに一番大きなお墓として残っているんですね。ナーランダーの大学の跡地の一つの建物の跡ですね。これが先ほど申しましたガンジス川の渡しになりますですね。ゴータマ・ブッダがここからガンジス川を越えて向こうへ渡ったというふうに言われておりますが、「ゴータマの渡し」というふうに、俗に言っているところですけどもね。本当にここがそうであったかどうか確認のしようがないんですがね。
 
草柳:  「ガンガの渡し」というのは今でもなんかあるんだそうですね。
 
前田:  ございますね。最近は大きな橋ができましたからね、車で簡単に渡れますけども、当時は大変だったろうと思いますね。これがヴェーサーリー(現在のヴァイシャーリー)ですね。あそこにズーッと向こうの遠くに塔がありますね。あれがアショカ王の建てた柱―王柱ですね。最近はまだ発掘が続いておりましてね。手前のところがアーナンダ(阿難)のお墓ともいうふうなことも申しておりますけども、それもよくわからないんですけどね。
 
草柳:  アショカ王といいますと、ブッダが亡くなってから数百年後の…
 
前田:  百年ぐらい後の。それぐらいの時にインドが生んだ名君ですね。日本の聖徳太子などに比せられるような仏教に大変信仰の篤い人であったわけですけどもね。自分の甥とも言い、弟とも言われるマヒンダというのをセイロン(今のスリランカ)に派遣して、そして仏教を広めるとかね、そういうようないろんな仏教の伝播に対して広まっていくのに大きな貢献をなした人ですね。
 
草柳:  インドには雨季と乾季があるわけで、前回にもお話がありましたけども、雨季の場合にはどこかに定住をしてそこで生活をするというのがありましたですね。
 
前田:  そうでございますね。「安居(あんご)」と日本では言っておりますけどね。「バルシャ」という「雨」という言葉からきている言葉ですけども。そういう雨が降るときには、虫が出て道路に這ったりしますよね。それを踏めば虫を殺すことになりますから、そういう雨季の場合は定住をして、屋根のある家の中に住んで、そこで修行をする。そういう慣わしになっているんですね。仏教の最初の頃はそういう習慣がなくて、仏教の人たちは雨季にも歩いていて虫を殺すという批難が起こります。それで安居の制度ができたというようなことも言われておりますけどもね。
 
草柳:  ブッダのその最後の旅のときには、今このヴァイシャーリーでいわゆる安居ですか?
 
前田:  ヴァイシャーリーの近くですね。夏安居(げあんご)(雨安居)に入るというようなことがございました。それを「雨安居(うあんご)」と申しますがね。そういうことがヴァイシャーリーを出て間もなくですね、そこで行われたわけです。ベールヴァ村ですけどね。
 
草柳:  ただそこでブッダが、それは老齢ということもあるんでしょうけれども、ずいぶん重い病気に罹ったそうですね。
 
前田:  そうなんですね。今にも死ぬほどの苦しみで、非常な激痛を伴う病気になられたんですね。近くにいたアーナンダは大変な心配をしておりましてね。しかしゴータマ・ブッダが何か最後に言い残すことがあるかもしれないと思って期待していたけど、何もおっしゃらなかったわけですがね。それでまぁそういうことをおっしゃらないから多分大丈夫だろうなんていう、そういうふうな安堵感を持ったような話も伝わっておりますけどもね。
 
草柳:  アーナンダの心配に対して、ブッダはこんなふうに言われているんですね。
 
アーナンダよ、修行僧たちは
わたくしに何を期待するのであるか?
わたくしは内外の隔てなしに
(ことごとく)理法を説いた。
全き人の教えには、何ものかを弟子に
隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)は存在しない。・・・
向上につとめた人は『わたくしは修行僧の仲間を
導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまは
わたしに頼っている』とか思うことがない。
(大パリニッバーナ経)
 
前田:  これも大変有名なところでございますけどね。従来の伝統的なバラモンの人たちでありますと、これをウバニシャッドというような聖典の場合には、秘密の教えてございますからね、ごくごく近しい自分の愛弟子にしか教えないというようなことでございますから、何か「握拳」と書いてありますから、教えを握っていて、それが最期に死ぬ間際に教えるというようなことがあるかもしれないわけですけども、しかしゴータマ・ブッダの場合は、決してそんなことはなくて、今までに内外の隔てなしにことごとくこの理法を説いてきた。そんな握り拳なんていうのは、私には何もない。何も隠すことがない。普遍的な法というものを今まで教えてきたわけだと、そういうようなことを申して、しかも私は修行僧と仲間の一人であろうとか、あるいは修行僧の仲間を頼っている。この師というような、自分は弟子と師というような意識があれば、こういう何かそういうようなことをいうかもしれない。しかし師と弟子というそういう関係ではなくて、「お互いの良き友である」というわけですね。親鸞の場合には「弟子を一人も持たない」というようなことを申す心境に非常に似ていると私は思いますけども。親鸞の場合にも、念仏を自分が弟子に教えたんであれば、自分の弟子だということがあるだろうけども、その念仏は向こうから―阿弥陀仏の方から授かるものなわけですから、自分自身も授かったものの一人ですから、同じ仲間ですね。そういう意識であって、師という意識はそこには無いんですね。ですからゴータマ・ブッダの法というものが、阿弥陀仏に対応するわけで、法というものがあって、お互いそれに頼っているわけですから、師と弟子の関係ではないんですね。頼るべきものは、師というものではなくて法に頼っているわけですから、今のような言葉が出てくるわけですね。
 
草柳:  このシリーズの途中にも、先生からお話がありましたけども、要するに人間はみな平等であると。ですから法もすべての人に、ちょうど太陽が万物を照らすように、法というのはすべての人のものであるということなんですね。
 
前田:  そうですね。普遍的なものであって、一人の握り拳の中に入っているものではないんですね。
 
草柳:  この後アーナンダに説法というのが次のような形で続いていますので、それをまたちょっと見てみます。
 
アーナンダよ。わたしはもう老い朽(く)ち、
齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、
老齢に達した。わが齢は八十となった。
譬えば古ぼけた車が革紐の助けによって
やっと動いて行くように、
恐らくわたしの身体も革紐の助けによって
もっているのだ。
しかし、アーナンダよ、向上につとめた人が
一切の相をこころにとどめることもなく、
一々の惑受を滅したことによって、
無相の心三昧に入ってとどまるとき、
そのとき、かれの身体は健全なのである。
それ故に、アーナンダよ、
この世で自らを島とし、
自らをよりどころとして、
他人をよりどころとせず、
法を島とし、法をよりどころとして、
他のものをよりどころとせずにあれ。
(大パリニッバーナ経)
 
前田:  そうですね。先程の『大パリニッバーナ』の経典の中に出てくるわけですが、大変に素晴らしいことを言っているわけですよね。先ほどと同じように、「自分を頼りにして、他のものを頼りにするな」ということを申しておりますし、「一切の相をこころにとどめることもないような、心三昧と申しますかね、そういう境地に入った場合には、自然に自分の本来の自己というものがそこに顕れるようになってくるだろうと思うんですね。法そのものになっていくわけですから、その時になると肉体は病にかかっていても健全であって快適な心境になるんだろうと思うんですね。そういう自己と申しましても、そういうような時に自己が顕わになってでてくるわけで、その自己を拠り所にする。法を拠り所にするという、そういう非常な心三昧に入ったような時にこそ感得される自己というものを、この場合に言われているわけで、そういうわけでこの無相三昧に入った、「それ故に」というのは、そういう理由の意味が出てくるかと思いますけども。
 
草柳:  ここのところは非常に深い意味があるんじゃないかなという気がするんですが、例えば「無相」の「相」という字には、下に「心」という字が入っていませんですね。つまり「思う」ということではないわけですね。
 
前田:  そうでございますね。差別の相がない姿ですかね。そういうものがない、ありのままと申しますかね。そういうふうないろんな雑念とか、そういうものがない、そういう境地ですね。
 
草柳:  つまりあるがままに受け入れるという。
 
前田:  そうでございますね。
 
草柳:  そして最後にもう一度、さっきおっしゃった「自らを拠り所として、他のものに頼るな。法を拠り所にしなさい」ということをまたくどいほど言っているんですね。
 
前田:  そうでございますね。それが恐らくゴータマ・ブッダが常に言いたかったことじゃないかなぁと、私は思いますけどね。何べんも出てまいりますですね。
 
草柳:  アーナンダがたびたび出てまいりますけども、アーナンダという人は、ブッダにとっては、アーナンダ自身はブッダが生きている間は、最後まで悟りを開くには至らなかったというふうに言われているみたいですけども、いつも出てまいりますね。
 
前田:  もう晩年の二十五年ぐらい、ズーッとゴータマ・ブッダに付き添って、そして常に近くでゴータマ・ブッダの教えを聞いている人ですね。そして―侍者として非常に行き届いた振る舞いをしていたんじゃないかと思いますですね。ゴータマ・ブッダに本当に専心仕えていた人だと思いますね。
 
草柳:  次にご紹介するのは、そのアーナンダと一緒に托鉢に出たときに、ブッダが言った言葉ということなんですが、これなんかも実に素晴らしいなという感じがするんですね。
 
アーナンダよ、
ヴェーサーリーは楽しい。
ウデーナ霊樹は楽しい。
ゴータマカ霊樹は楽しい。
サッタンバカ霊樹は楽しい。
バフプッタ霊樹は楽しい。
サーランダダ霊樹は楽しい。
チャーパーラ霊樹は楽しい。
(この世界は美しいものだし、
人間のいのちは甘美なものだ。)
(大パリニッバーナ経)
 
前田:  そうですね。これは先ほどの説法と申しますかね、あとヴァイシャーリーにゴータマ・ブッダは托鉢に行くんですね。托鉢に行って食事をして、そのあとで木の下で休んでいるんですが、その時にこの感懐を述べるんですね。ヴァイシャーリーは楽しい。自分が本当に好きだったところでしょうね。あそこを往き来したいろんな思い出があるわけでしょうけども。ウデーナ霊樹、おそらくウデーナという名前の木の下では、おそらくやはり瞑想に耽ったりなんかそうした楽しい思い出が出てくるんだと思いますが、他のところもみな今までに何べんも行ったか、あるいは大変大きな印象を受けたか、そういうようなところだったろうと思うんですけどもね。括弧に入っている文がございますね。あれは括弧のないところは、パーリ語の場合は文がありますけども、括弧のところはサンスクリットの方の『パリニルヴァーナ・スートラ』というのがありますけども、そこの文にはあの文が加わっているんですね。「この世界は美しいものだ。人間のいのちは甘美なものだ」というようなですね、そういうブッダのような非常に我執を離れ、修行を積んだ人たちになってくると、すべてのものが美しく、また甘美に見えてくるという。そういう如実にありのままに受け取っていくわけですね。自分の我執が加わってまいりますと、いろんなものが色眼鏡でしか見えないですね。本当の物事のあり方というのは、わからなくなってしまう。そこでいろんな欲求が起きたり、いろんなことが起こるわけですけれどもね。本当に純粋な鏡のようなもので見れば、すべてが美しく甘いものだというふうに感じられるのかもしれません。そういう心境にならないですけど、なかなか。素晴らしい感懐ですね。こういうふうに見られたら羨ましいと思うんですけどね。
 
草柳:  このヴァイシャーリー(ヴェーサーリー)というのは本当にブッダにとってはいろんな思い出があったところ、
 
前田:  そうですね。 ヴァイシャーリーの最初に着いた時に郊外のアンバパーリーという遊女の林に定住―止まるわけですね。それでアンバパーリーという遊女がやって参りましてね。ぜひ私のところに来てくださいということでオッケー(OK)するわけですね。その後でヴァッジ族の中の貴族であるリッチャヴィ族というのがあるんですね。その貴族がやって参りまして、ゴータマ・ブッダにぜひうちに来てくれというふうに申しましたけども、先約があるからと断ってしまったんですね。そういう遊女の招きもここで受けて、隔てなく受けた末にですね、そういう身分の高いものが来ても、そういうものに対して、特にアンバパーリーに断って行くというようなこともしないですね。そういう話も伝わっておりますね。
 
草柳:  そういうお話、エピソードを聞きますと、いかに人間ブッダという感じがしますね。
 
前田:  そうでございますね。今、そういうアンバパーリーなどの招きも容易に受けるというようなところがおそらくデーワダッタというような、いわば仏教原理主義者的な、
 
草柳:  そういう反逆を仕掛けたという。
 
前田:  人たちの突き入る隙があったのかもしれませんけども、そういう隔てなく受け入れるられるというような幅の広さがあったんですね。そういうようないろんな甘い甘美な思いなどがあるのがヴァイシャーリーだったんですね。
 
草柳:  そこで今度いよいよ思い出のヴァイシャーリーを出発することになるわけですが、その時の言葉です。
 
そこで尊師は早朝に下衣(かい)を着け、
衣鉢を取って、托鉢のために
ヴェーサーリーに入って行った。
ヴェーサーリーに托鉢して、
托鉢から帰って、食を終り、
世尊は、象の眺めるように
ヴェーサーリーを眺めて
尊者アーナンダに告げた。
「アーナンダよ。これはわたしが
ヴェーサーリーを見る最後の眺めであろう。
さあ、アーナンダよ。バンダ村へ行こう」と。
(大パリニッバーナ経)
 
前田:  そうですね。これ非常に何か絵に描いてあるような想像できるんですけども。自分の行き慣れた懐かしいヴェーサーリーを眺めて、後ろを振り返って、後ろ髪を引かれるような思いで「最後の眺めであろう」なんて言ってですね、去っていくわけですが、非常に人間ブッダと申しますか、そういう様子がよく出ていると思うんですね。
 
草柳:  もうこの頃は、自らの死というものを覚悟して?
 
前田:  おそらくそうだと思いますですね。いつ頃そういう覚悟をしたのか。もう旅の初めから覚悟していたのか。そこのところはわかりませんけれどもね。
 
草柳:  ここでもまた、つまりヴェーサーリーを出てから、次のところですか、また病気に罹ってしまうんですね。
 
前田:  そういうことになりますね。それはバンダ村へ行こうと言って出かけたわけですけども、今度はチュンダという鍛冶工の園に滞在することになるんですね。チュンダは身分が低いですよね。しかし園を持てるほどのお金を持っている。そういうお金持ちだけども、身分が低い人だったと思いますけれども、そのチュンダもゴータマ・ブッダの教えを受けてですね、「ぜひ自分のところに来てください」ということで招くわけですね。そこでゴータマ・ブッダに出した物の中にスーカラ・マッダヴァというものがあったんですね。これは「菌(きのこ)」とも言われていますし、あるいは「豚の肉」であったとも言われていますしね。よくわからないのですけれども、これを食べて病に罹ってしまったんですね。その状況が書かれている文言でございますね。
 
草柳:  ではその『大パリニッバーナ経』からその部分なんですが、
 
さて尊師が鍛冶工の子チュンダの食物を食べられたとき、
激しい病いが起り、赤い血が迸り出る、
死に至らんとする激しい苦痛が生じた。
尊師は実に正しく念(おも)い、よく気をおちつけて、
悩まされることなく、その苦痛を耐え忍んでいた。
さて尊師はアーナンダに告げられた、
「さあ、アーナンダよ、われらはクシナーラーに赴こう」と。
(大パリニッバーナ経)
 
前田:  そうですね。苦痛は非常に大きな苦痛があったわけですけども、気を落ち着けてまた先に進もうというようなことを考えられたわけですけれども、非常に痛々しい感じがいたしますですね。病に冒され、しかもそういう中でも目的地がどこであったか、おそらくルンビニーとかカピラヴァットゥとかね、そういうようなところであったろうと思うんですけども。そこに向かってお行きになるという、そういう状況がよく出ておりますけどもね。
 
草柳:  二千四、五百年前のことですから、例えばチュンダが出した食べ物がどんなもので、さっき「菌(きのこ)」か「豚肉」かということでしたけれども、要するにどういう病に罹ったのかというのは定かではないんでしょうけれども、それにしても八十歳になるお年寄りがこれだけの苦しみを味わって、なおかつだけど、また次の旅へ出かけようというんですから、壮絶ですね。
 
前田:  そういう気持ちを起こさせるものは一体何であったかということですね。やはりそういった故郷に行きたいということだったんでしょうか、非常に私もよくわからないんですけども、中村元先生が、最近論文を書かれましてですね、最後の旅の行く目的はやはり「故郷に行くことを目指したんだ」というようなことをお書きになっておりますけどもね、そうだろうと思いますですね、やはりね。
 
草柳:  クシナーラー(クシーナガラ)へ赴こうという、そのクシナーラーというのはもう生まれ故郷のルンビニーのすぐ近くですね。
 
前田:  そうでございますね。
 
草柳:  そのクシナーラーへの途中なんですが、
 
それから尊師は路から退いて、
一本の樹の根もとに近づかれた。
近づいてから、若き人アーナンダに言った。
「さあ、アーナンダよ。お前はわたしのために
外衣を四つ折りにして敷いてくれ。
わたしは疲れた。わたしは坐りたい。」
尊師は設けられた座に至った。
坐ってから、尊師は、尊者アーナンダに言った。
「さあ、アーナンダよ。
わたしに水をもって来てくれ。
わたしは、のどが渇いている。
わたしは飲みたいのだ。」
(大パリニッバーナ経)
 
前田:  そうですね。本当にわれわれ人間と同じようなことが出ておりますけども、外衣というのはそこに出ておりましたですね、先ほどの文言の中に、これは仏教の修行僧というのは、「三衣一鉢(さんねいつぱつ)」と申しまして、三つの衣と、それから一つの鉢を持っているというのが、いつも自分のとこに持っているわけですけども、「三衣」というのは、外衣、内衣、それから下衣ですね、その三つを持ちますけども、外衣というのはいちばん外の大きな衣なんですね。正式の時などに着たりするわけですけど。「それを四つに折って、敷いてくれ」というような、まあ敷き布みたいになるんですけどね。それでそこに座って「疲れた」なんていうようなことをおっしゃっているというね、非常に人間的な、我々が疲れるのと同じような感じになっておりますけども、これが飾らない本当に人間ブッダをよく示しているんじゃないでしょうか。
 
草柳:  この辺のところを見ていますと、本当にこの時にブッダというのは参ってしまったという感じがわかりますね。
 
前田:  ええ。本当に肉体的に非常に疲労して、「水を持ってきてくれ」というようなことをおっしゃるわけですけどもね。確かこの時だったんでしょうか、水を取りに行こうと思っても、アーナンダがいうには、「先ほど五百台の車が通って行って、川が濁っているから、今行ってもダメですよ」というようなことをいうんですね。対するゴータマ・ブッダは、「水が飲みたい、水が飲みたい」と三回ほど繰り返しておっしゃるもんだから、アーナンダが行って水を見てみますと、もう綺麗に澄んでいるというような、奇跡のようなことが起こるということが出ておりますけどもね。そういうようなちょっとした奇跡が起こっているわけですけども。しかしまぁ非常に最後の精魂を振り絞って、さらに先に進もうというとこですね。
 
草柳:  そしてようやく・・・これは?
 
前田:  クシナーラー(クシーナガラ)ですね。あそこの白い建物が涅槃堂ですね。ゴータマ・ブッダの涅槃の姿が、金の像が祀ってあるところですね。
 
草柳:  これはいつ頃つくられたものなんでしょうか?
 
前田:  「グプタ期」と申しますけれども、紀元後四、五世紀というようなところでしょうか。はっきりしたことはわかりませんけれども。もちろん外ではなくて、中のものですけども。外の涅槃堂の建物はそんなに古いものではない、最近のものですけどね。
 
草柳:  いよいよここで到着をするわけですね。
 
「さあ、アーナンダよ。わたしのために、
二本並んだサーラ樹(沙羅双樹)の間に、
頭を北に向けて床を用意してくれ。
アーナンダよ。わたしは疲れた。
横になりたい」と。
(大パリニッバーナ経)
 
前田:  ここに出てくるのが沙羅双樹(さらそうじゆ)ですね。平家物語の祇園精舎の沙羅双樹が出てくる有名な、中には「沙羅双樹」という木の名前かと思っていらっしゃる方があるようですけど、そうじゃなくて二本の一対の木と、サーラの木というんですけど。それが二本並んでいるから「双樹」というんですね。「沙羅双樹」という木の名前ではないんですね。「サーラ」という木の名前ですが。そしてその間に、先ほどの外衣を敷いて、そして頭を北に向けて寝られる。「頭北面西(ずほくめんせい)」と申しますか、頭が北で、顔が西に向くような、現在日本でも亡くなった時に、死体を置くときに、頭を北枕に顔を西に向けるわけですが、このときのような風習と申しますかね、それがずーっと日本にもおそらく流れてきている習慣だろうと思うんですね。
 
草柳:  西を向くということは、つまり西方浄土ですね。
 
前田:  そうでございますね。こういう習慣というのがこんなところまで遡れるのかもしれませんですね。
 
草柳:  ブッダがアーナンダにこういうふうに伝えたということは、もうこのまま私は涅槃に入るという。その覚悟ができている?
 
前田:  そういう覚悟だと思いますね。
 
草柳:  しかしちょっと痛々しい感じがしますね。
 
前田:  しかもあれだけ偉大な業績を残しておられるゴータマ・ブッダの最後の場面というのは、こういうような野外の沙羅双樹の樹の下で亡くなるというようなことでありますからね。
 
草柳:  しかもずーっと慕ってついてきたアーナンダにとっては、今みたいな言葉をブッダから聞くということは、本当にある意味では耐えられないような悲しいことだったんですね。
 
前田:  そういうことですね。しかも二人は親戚関係ですね。従兄弟になるわけですね。非常に悲劇的な場面と言いますかね、そんな感じを持ちますけども。
 
草柳:  しかし嘆き悲しむアーナンダに向かって、むしろブッダはこんなふうな言い方をするというところがまたすごいんですけど、
 
「やめよ、アーナンダよ。
悲しむなかれ、嘆くなかれ。
アーナンダよ、わたしはかつて
このように説いたではないか、・・・
すべての愛するもの、好むものからも別れ、
離れ、異なる至るということを。
アーナンダよ、長い間、お前は慈愛ある、
ためをはかる、安楽な純一なる、無量の、
身とことばとこころとの行為によって、
向上し来れる人(ブッダ)に仕えてくれた。
アーナンダよ。お前は善いことをしてくれた。
(大パリニッバーナ経)
 
前田:  そうですね。ゴータマ・ブッダは最後考えておられて、そして今まで自分の側近くで仕えてくれたアーナンダに感謝の言葉を述べておられるわけですよね。本当に涙が出るような感じをもって、おそらくアーナンダが号泣していたのかもしれませんですね、このあたりはね。嘆き悲しんでいる彼を慰め、かつ感謝の気持ちを述べているわけですね。この前後だったと思いますが、先ほどチュンダが菌を食べさせて、それが病気になったもとを作ったわけですが、そのことにも気を使われましてね、「チュンダがやったのが原因では決してないんだ。そんなふうに思ってはいけないんだ」というようなことを言われるところがあるんですね。非常にいろんなところに気を配っておられる。そういう非常に病に罹りながらも、そういうことを忘れておられないわけですね。そういうところが人間的ですよね。何か修行を積んで偉いお坊さんになると威張ってしまって踏ん反り返るようなケースがあるわけですけども、そうじゃなくてあくまでも自分は一介の修行者であるということを常に念頭においておられたわけですね。そういうところは偉いんじゃないでしょうかね。
 
草柳:  今の言葉なども、もう臨終に近いところに伏しているブッダが、元気なアーナンダを逆に勇気づけているんですね。
 
前田:  そういう感じですよね。諸行は無常なんだということですよね。
 
草柳:  ちょっと信じられないですね。ブッダは最後まで、例えば本当にこれがいよいよ最後だという時にまで、教えを乞いたいという人が来れば、きちんと丁寧に、どんなに苦しくとも対応しておられたという。
 
前田:  そこがとても偉いところですよね。最後にスバッダという人が、ゴータマ・ブッダが間もなく亡くなるんだということを聞いて押し掛けてくるんですね。教えを受けたいということで。彼はアーナンダが、「病が篤いからやめなさい」というんですけども、「ぜひ聞きたい」ということをいうわけですね。そのやりとりを聞いておられたゴータマ・ブッダがですね、「かまわんから言いなさい」ということで、スバッダが教えを受けるわけですが、最後に彼がゴータマ・ブッダの教えを受けたということになっているんですね。
 
草柳:  スバッダはその時に、ブッダにどういうふうなことを聞いたわけですか?
 
前田:  「真の修行者というのは、いったいどういう者が真の修行者であるか」ということを聞きたかったようでございますね。それに対してゴータマ・ブッダが答えるところがございますが、
 
草柳:
「スバッダよ、わたくしは二十九歳で
善を求めて出家した。
スバッダよ、わたしは出家してから
五十年余となった。
正理(しようり)と法の領域のみを歩んで来た。
これ以外には〈道の人〉なるものも存在しない。」
(大パリニッバーナ経)
 
非常に短いですけど、ズバッと言っているんですね。
 
前田:  そうですね。自分の過去を振り返りですね、二十九歳で善を求めて出家した。出家してから五十年余となったというわけですね。どうしてきたかというと、正しい道理と法の領域のみを歩んできた。それがそういうことをする以外に道という人なんていないんだというんですね。真の修行者というのは、何かというのは、こういう一生法を求めて歩み続ける人、それが道の人であって、自分はそうしてきたんだ、ということなんでしょうね。普通でしたらば、「成道(じようどう)」と申しますか、悟りを開いたというところでもって修行を完成したということで、それですべてが終わるようなふうに思うかもしれませんけども、そうでなくてそれ以後ずーっとゴータマ・ブッダは、法の領域だけにとどまろうと一生懸命努力してきたわけですね。そういうところが感動を呼び起こすものですけれどもね。常に努力を重ねてこられたんじゃないでしょうかね。仏典なんかを見まして、時々悪魔が登場したりしますけども、そういう悪魔というのは、やはりゴータマ・ブッダが悟りを開いた後でも、いろんな悩みなどいろいろ心の中をよぎっていった。そういう度ごとに法の領域の多くのことを常にたえず続けてこられたんじゃないかという気がいたしますけどもね。
 
草柳:  まさに悪魔というのは、自分の中に巣くう邪なものというふうに考えればいいんでしょうけれども、そういうものとの闘いの中で、ブッダ自身は、より法に頼るという、そういう気持ちを持つというものを強くしていった。決して人に頼ることがない。悪魔の話というのは前にも出ましたですね。
 
前田:  ええ。特に成道のときには、いろんな悪魔が出てくるわけですけれどもね。その後もゴータマ・ブッダに悪魔が出てきて、
 
草柳:  まあ言ってみれば、一生悪魔との闘いであったというふうに受け取っていいんでしょうか?
 
前田:  そうだと思います。
 
草柳:  最後まで道を求める人だったという。
 
前田:  そうだと思いますね。
 
草柳:  最後にアーナンダに言ってる言葉をですね、
 
「アーナンダよ。あるいは後に汝らは
このように思うかもしれない。
『教えを説かれた師はましまさぬ、
もはやわれらの師はおられないのだ』と。
しかしそのように見なしてはならない。
われの説いた教えとわれの制した戒律とが、
わたしの死後に汝らの師となるのである。」
「さあ、修行僧らよ。汝らに告げよう、
もろもろの事象は過ぎ去るものである。
努力して修行を完成しなさい」と。
(大パリニッバーナ経)
 
前田:  これも最期に近いところですね。最期の遺言と言ってよろしいでしょうけれども。この「教えを説かれた師はましまさぬ」という。この言葉は教団というものを考えますと、非常に大きな問題ですよね。教祖がなくなると、あと一体どうなるかという。そこのところが大変問題ですけども。そういうところそういう気持ちがここに、「お前たちはそう思うかもしれないんだけども、そういうふうに考えてはいけない」というわけですね。自分の説いた戒律、それから教えですね。教えと戒と律、そういうものがこれからの師となるわけで、自分自身はそうじゃないんだと。これから諸行無常の中にあるわけですから、亡くなっていくわけですけれども、法というのはこれは永遠のものですからね、そういうものが頼りにすべきである。普通ならば諸行無常であると、そんならやけっぱちになってしまうということもありますが、そうじゃないんで、そこで汝らに告げようということですね。「諸々の事象は過ぎ去るものである」諸行は無常なんだ。だから努力して修行を完成しなさいと。このところが素晴らしいところだと思いますけどね。
 
草柳:  これが最期の言葉になった。
 
前田:  最期の言葉ですね。最期の言葉というのは非常に重要な意味をっもつことがございますよね。これがゴータマ・ブッダの最期の言葉ですね。
 
草柳:  「もろもろの事象は過ぎ去るものである。努力して修行を完成しなさい」と。
 
前田:  努力して完成しなさいというわけですね。この後ゴータマ・ブッダは亡くなるわけですけどもね。その後聖典の編纂というようなことが起こってくるわけですね。
 
草柳:  これが、さっきのクシナーラーの例のお堂の中の涅槃像ですね。
 
前田:  そうでございますね。金箔が塗ってあるんですけれどもね。私はここに残念ながらまだ行ったことがないんでございますよね。一度行きたいと思いながらいまだに行っていないというわけですが。
 
草柳:  仏教が渡ってきた日本には、あまりこういう涅槃像というのは数多くないんですね。
 
前田:  そんなに多くございませんですね。
 
草柳:  それでその仏典の編纂の話なんですが、どんなふうにして今にこう伝わっているんですか?
 
前田:  これも前回若干申しましたけれども、サーリプッタもモッガラーナも亡くなってしまっておりますね。その後の重要な人物といえば、マハーカッサパ大和尚であったわけですが、この大和尚が五百人の修行僧を王舎城のところに、七葉窟(しちようくつ)というところが山の中にあるわけですが、そこで集まりをもって「結集(けつじゆう)」と申しますけれど、サンギーティ(合誦)―一緒に唱えるという意味ですけれども。結集と申しますのは、そういった聖典をまとめて編纂することですけれども。編纂といっても、書き写すんじゃなくて、記憶を新たにして、今までの伝承を正しくする、そういう仕事でございますね。それを行ったわけですが、その時に、「教・律・論」の「教」の方をアーナンダが唱えた。アーナンダは、ゴータマブットの近くに随っておりましてですね、たくさんの法を聞いておりますので、彼が唱えたわけですね。それからウパーリというのが「律」を唱える。そういうような形で「教」と「律」がまず編纂されたわけですね。そしてそれがどういうふうにズッと伝わってきたのかはっきりわかりませんけれども、それがおらく核になって、現在我々が持っているような「教律論」という三つの蔵と申しますかね、分類を持った大乗経というものが、「三蔵」と申しますけれども、出来ているわけですね。
 
草柳:  一年間にわたって、まず先生にいろいろお話を伺ってきたんですけれども、まぁとにかく二千四、五百年前の人ですから、その後時が経つにつれて、どんどん伝説化というか、神格化されてきた部分があったんじゃないかというふうに思うんですね。ただこのシリーズの中ではできるだけ、例えば仏典からブッダの言葉を取る時にも、人間らしいブッダをできるだけ出そうということで、それを見ていますと、まさにブッダも私たちと同じ人間なんだ。同じように悩み苦しんだ。つまり悩み苦しみが大きければ大きいほど、やっぱりブッダというのは偉大な人だったなという感じがしたんですけども。
 
前田:  そうでございますか。そういうふうに受け取っていただければ大変ありがたいですね。私もやはり神秘化というか、神話化されたブッダというんじゃなくって、ブッダの実像というのはなかなか迫り難いものですけれども、できるだけそういうものに迫ってみたいと思っていたわけですけれども、もしそういうふうに受け取っていただけたら幸いでございますけれどもね。
 
草柳:  ですからものすごく身近な存在としてブッダが感じられるようになった。多分ご覧になって下さった方もきっとそういうふうにお感じになっていただける人がたくさんいたんじゃないかと思うんですけれども。結局だけど、いろいろすごい人なんですが、一番すごいなと思ったのは、今日のお話もありましたけれども、とにかくもう死ぬ間際まで道を探し求めていた人だったという。普通だったらば、途中でこれまででいいんじゃないかというふうな感じになるかもわかりませんが、決してそうでなかったという、そういうことがやっぱりすごいなと思いますね。
 
前田:  最後まで努力精進をして、弟子にまでやはりそういうことを教えて、息を引きとられるということでしたですね。
 
草柳:  最後にこの一年間の先生のご感想は如何でございますか?
 
前田:  本当にいろいろ草柳さんにお世話になりまして無事に―無事かどうかわかりませんけれども、ゴータマ・ブッダのお話が出来ましたことを大変嬉しく思っております。
 
草柳:  これを機会にもっともっと私もブッダのことをいろいろ知りたいなと。さらに知りたいなと思う気持ちがだんだん湧いてまいりました。
 
前田:  そうでございますか。そういう気持ちが起こっていただければ、私の努力の甲斐があったというのかもしれませんけれども。
 
草柳:  本当にどうも一年間ありがとうございました。
 
     これは、平成五年三月二十八日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである