禅の世界正眼僧堂の四季―
 
ナレーター:  岐阜県美濃加茂市(みのかもし)。井深(いぶか)の山あいに臨済宗妙心寺派正眼寺(しようげんじ)がある。昔ながらの質素な生活、厳しい修行で知られる禅の専門道場である。四月、山内の桜が散り始めようとする頃、禅の修行を志す若者がここ正眼僧堂に上ってきた。
 
若者:  「たの〜みま〜しょ〜う」
 
寺の者:  「おぉ〜い」。
 
若者:  島根県出雲観音寺住職○○学徒○○でございます。当道場に掛塔(かとう)いたしたく参上いたしました。どうぞよろしくお取り次ぎの程お願い申します。
 
寺の者:  少々お待ちください。
 
ナレーター:  一人禅の禅僧になるには、専門道場での実地教育、いわゆる雲水修行が欠かせない。あらかじめ教えられた通りの作法に則って入門を申し出る。しばらくして現れたのは知客寮(しかりよう)。つまり禅寺の取り締まりに当たる役目の僧である。
知客寮:  当道場はただいま満衆につき掛塔の儀、固くお断り申し上げます。早々に引き上げください。
 
ナレーター:  満員で食料のゆとりもないのでお引き取りを、という慇懃な、しかし冷たい断りである。だがここでくじけてはならない。許しが出るまでは、なおも入門を乞うて座り続ける。
今度は目障りだから出て行けと言う手荒い追い立て。雲水を志すものは誰でもこのような手厳しい拒絶に繰り返しあって、改めてここにやってきた動機を自ら問い直すことになる。禅の真理は決して人から教えられるものでもない。本人が自ら掴み取るものだ。その道を開くのは、志の強さ、純粋さのみである。二日間続けた坐り詰めの嘆願。さらにテスト期間にあたる三日間の仮入門の後、五日目に至ってやっと入門が認められた。この春入門を許された同期の雲水は三人、ともに禅堂に導かれた。
侍者:  「新到(しんとう)ぉ〜参堂(さんどう)ぉ〜」
 
ナレーター:  三人の紹介は、「新しい修行者が来た」という意味の一言で済まされた。経歴はおろか、名前すら告げられない。この寺には三十名ほどの雲水がいる。すでに十年近くここに留まっている古参もいる。他の僧堂から移ってきたもの、妻子のあるサラリーマン経験者や自衛隊出身者など、前歴もさまざまだ。しかし禅の修行では、「今この一時(いつとき)」こそが全てである。俗界での過去は問題にされない。禅では僧堂を林にたとえ、林の木は互いに競って素直に伸びていく。孤立した木は、ややもするとほしいままに枝を伸ばす。修行も同じことである。清浄な環境、良き仲間、厳しい師のあることが何よりも大切なのである。半月ほど後、三人の入門者は正眼僧堂の主(あるじ)・谷耕月(たにこうげつ)(和歌山県に生まれ。正眼寺専門道場師家、正眼寺住職、正眼短期大学学長。臨済宗妙心寺673世:1931-1994)老師と初めて師弟の挨拶を交わした。
谷老師:  縁があって掛塔を許されたからには、専心修行すること。この度諸々の縁、諸縁を放下して、この関山(かんざん)国師(関山慧玄(かんざんえげん):1277-1361)の古道場で修行を志したからには、驀直(まくじき)に「新到(しんとう)三年白歯(しらは)を見せず」という、古人は命がけで修行された。しっかりとこれからお願いいたします。はい。
 
ナレーター:  禅堂に与えられた畳一枚の場所が、これからの寝起きの場であり、坐禅三昧の天地である。坐禅こそ僧堂修行の本分である。身を正して坐を組む。浅く短くなりがちな息を深く長く調え、こうして心と体の統一を図り意識を集中させる。
 
わが国に伝わる禅は、曹洞宗(そうとうしゆう)、臨済宗(りんざいしゆう)、黄檗宗(おうばくしゆう)の三派に分かれた。臨済宗では、全国に三十九の僧堂があり、正眼僧堂もその一つである。臨済禅の特徴は、参禅と言う極めて特殊な教育のシステムを持つところにある。雲水はそれぞれ公案と呼ぶ問題を与えられていく。朝夕二回、弟子は老師の待つ部屋に入り、考えてきた答えを述べ、老師はそれを点検する。
 
 
 
 
 
 
 
 
弟子:  公案「隻手(せきしゆ)の音声(おんじよう)」
 
ナレーター:  新参者雲水に与えられた公案「隻手の音声」。つまり片手の打つ声を聞けという例でもうかがわれるように、公案は常識では解きようのない謎である。弟子はさまざまな工夫を凝らし答えを探す。しかし世俗の思慮分別で解こうとする限り、老師の拒絶に会うばかりだ。かくして修行者は窮地に追い込まれる。追い込まれ追い込まれ、混乱の果てに理屈や知識の無力さを思い知らされる。これが禅体験の第一歩なのである。
 
禅は真理への道を、経典の言葉や神仏の力の中に求めない。それは人と人とのふれあいを通して伝えられる。老師とは、釈迦牟尼と同じ悟りを手にした人、この道最高の先達である。修行の方向が正しいか否かを判定し、逸れていれば修正する。そのすべてが老師の力量にかかる。ここは第三者を厳しく隔てた密室であり、師弟といえども対等の一対一で激しい気迫がぶつかり合う場。何が出るか予断を許さぬ真剣勝負の場である。公案をめぐって、どのようなやりとりが交わされるのか。それは老師と弟子、二人だけの秘密であり、他人が窺え知ることはできない。
 
禅はインドで生まれ、中国で育ち、日本で完成した仏教である。僧堂の修行には、インドに源を持つものと、中国から学んだものが巧みに組み合わされている。托鉢は、出家者の生産活動を固く禁じた釈迦牟尼の教えを引く、インド以来の伝統的な乞食(こつじき)の行である。
 
托鉢にあたっては、村を残しても家を残すなという。貧富を差別せず、どの家にも同じように呼びかける。施しがなくても意にかけず、恵む人があれば丁寧に合唱して受ける。修行者は人々の恵みによって生かされていることを身をもって知る。人々には施すことの喜びを与える。そのために身を捨てて乞食となる行、それが托鉢である。
 
正眼僧堂の独特な行事に、クサギ(臭木:日当たりのよい原野などによく見られるシソ科の落葉小高木。葉に悪臭がある事からこの名がある)採りがある。クサギは、田のへりや道端に蔓延り、しかも嫌な臭いを持つので村人に嫌われる。その葉を摘み取り、湯がき、水にさらす。さらによく陽に干して保存食とする。人が見捨てて顧みないものをこのように手をかけ生かして使う。ここに僧堂修行の心がある。禅は中国にわたって労働の意味を見出した。「一日作(な)さざれば一日食(くら)わず」。わが国の僧堂でも労働を重んずる。それは単に自活への手段としてではない。坐禅とともに、あるいはそれ以上に有効な公案工夫の手段とされる。僧堂の生活は質素を旨とする。粥と漬物の朝食。飯と味噌汁と一菜のつく昼食。自らの労働と托鉢で得た米や野菜は、一粒一片たりとも無駄にできない。心を込めて調理される。夕食は、残り物の雑炊と漬物。もちろんすべて精進である。
 
僧堂生活は、半年単位に行われ、その間にはさまざまな行事が季節の移ろいに合わせて巧みに按配されている。
 
七月末日、修行期間前半の締め括りとして、雲水たちは引き続き、ここでの修行を続けるか否か問い質され、日頃の修行ぶりについて、先輩の役付の僧から注意を受ける。
 
役付僧:  まず見ますと、非常に着ているもの、自分の身の回り、いわゆる環境、非常に汚い。そんなことで修行者とはいえない。典座寮(てんぞりよう)が一番汚い。典座寮が一番修行できるとよく言われるけども、今の典座さんは、ほんとに三度三度の飯を炊くだけの飯当番に成り下がっている。どっかと座って、なお一層のご精進を願っておきます。はい。
 
役付僧:  これこれこうだと、ちょっと正論のようなことを吐けば、すぐにそれに乗って、いかにもらしいことを吹いて回るようですけども、そういうときにこそどっしり構えて、なぜそうなったか。なぜそうあるか。正しいからと言ってやりきれるかどうか。言葉じゃなしに、実参実究と言うんですから、その辺までしっかり見極めて、付和雷同せずに落ち着いて、その時にこそ腹の据わったところを、俗人とは一つは違う自分をしっかり持っていただきたいと思います。はい。
 
役付僧:  反省するところ多々あります。ミーハー的なところが随分あるからして、そういうところを取らねばいかん。言葉遣いひとつ。喋っている話の内容。とても雲水のものとは思えん。僧堂でも映える恰好マンというのは要りません。我々雲水にとって、 一番捨ててしまわないところを、後生大事に取っておる。その辺のところをよく考えて今後一層の精進をお願いしておきます。はい。
 
ナレーター:  僧堂生活には、長年にわたる型と習わしがある。しかしそれは正式に教えられるということはない。新参者は実施に当たって、先輩たちの立ち居振る舞いを見て、それを身につけていく。
 
役付僧:  一心に骨を折っておられるところはよく分かりますが、如何せん、修行とはいかなるものか。実参実悟―専門道場のあり方、そういうところあたりは全然分からずに、世間で練りあげた学問で自分で都合のいいように解釈して、必要でないところは切り捨てて、こぢんまりとまとめたもので良しとしているんだと思います。そういうものを一切なげうって、それから始まるんだ。今までのものを後生大事に持っておって、いくら精進努力したところで大したものに勿れ! いまでも賢いような面を下げて、垂れ済ましておったところが、碌なものはできないもんで、それで良しとしてしまうぞ。少なくともこの道場におる間は、真っ正直に、まくじきに修行して頂きますことを、くれぐれも願っておきます。はい。
 
ナレーター:  わずかな違反や怠慢も見逃されず、このような機会に鋭い叱責の的となる。ことが僧堂での教育の姿である。叱る方も、叱られる方も、緊張の汗を絞る。
 
里の灯を遠く臨む裏山に、坐禅に打ち込む姿がある。この一日の精進工夫に、尚納得のいかぬ雲水が、唯一の自由時間、消灯後の睡眠時間を割いて坐禅に当てるのである。夜坐(やざ)という。
 
 
 
 
 
 
一雨ごとに秋が深まって、僧堂にも冬の支度が始まる。一年分の漬物の準備、大根鉢(だいこんはつ)。僧堂で費やされる野菜、茶など、さまざまな品物がシーズンごとに決まって村々から供養される。僧堂はこのように長年にわたって培われた地域の善意と信仰に支えられてきたのである。
 
暮れも押し迫って、恒例の餅つき。自分たちの手で植え、収穫した餅米が、正月の餅となる。
 
年改まって一月十四日。正眼僧堂は、一年の修行の成果がかかる最大の山場、?八大接心(ろうはつおおぜつしん)を迎えようとしている。
 
谷師家:  いよいよお待ちかねの?八となりました。明日より一週間を一日にして坐り込んでいく。文字通り「命取りの大接心(おおぜつしん)」と言われておる。どうかその覚悟でもって、丹精を抜きん出て精進の上に精進を加え、しっかりお願いをいたします。はい。
 
ナレーター:  ?八大接心は、釈迦牟尼が菩提樹の下に坐り、瞑想を続けて七日目、明けの明星を見て悟りを開いたことにちなむ。通常では十二月の初めに行われるが、ここ正眼寺では、旧暦により一月十五日から七日間、ことさらに寒さの厳しい時期を選んで行われる。 全員が一同に会し、師弟ともに同じやかんの茶をすすって、修行を共にする一体感を確かめ合い、明日からの精進を誓う。
 
大接心に入ると、労働・托鉢など普段の行事を一切やめて、坐禅と参禅に打ち込む。夜の禅堂で、坐禅が続く。修行の深まりは、美しい坐相を作り出す。心中の迷い焦りは、そのままそのまま坐相に現れる。坐相の歪みを正すため警策(けいさく)が飛ぶ。警策を振るうのは、禅堂内の指揮をとる直日(じきじつ)である。警策は決してしごきの類では無い。僧堂の主・文殊菩薩になり代わって修行者の気合いを奮(ふる)い立たせる慈悲の棒である。礼に始まって礼に終わる。警策こそ僧堂生活のシンボルである。
 
禅は教える。仏は人それぞれの心の内にあって、心の外にはないと。禅の修行の目標は、自分のうちの仏、本来の自己に出会うことである。
 
僧:  公案「隻手の音声」
 
ナレーター:  私たちの心は、世俗の思慮分別に曇って、真の自己を見失っている。本来の自己に出会うためには、日常の意識を極限にまで問い詰め、それを突き破らねばならない。坐禅では、一人深く自己を掘り下げる。参禅ではそれを老師と共に点検する。日夜を分かたず、その繰り返しの中でいつか日常の分別心を振り落としていく。それが悟りへの第一歩である。
 
 
 
夜中の十二時、禅堂の明かりは消され、しばしの休息に入る。しかし、七日間を一日と見立てる?八大接心の間、横になることはできない。その場で坐ったままの姿勢で眠る。坐睡(ざすい)という。
 
 
 
 
全てが凍る深夜の二時半。洗面所の石盥(いしだらい)だけは並々と水が湛えられている。このような禅堂に籠もる修行者たちの世話役を侍者寮(じしやりよう)という。古参の先輩がその任に当たる。
 
寺中の食事を一手に賄う典座寮(てんぞりよう)。雲水殺しの異名をとる大接心。その過酷な試練も一方で、このような裏方の諸々の努力によって支えられていることを忘れてはならない。七日間に及ぶ大接心も大詰め近い。身心を極限にまで酷使して、いま雲水たちが掴み取ろうとしているものは何か。本来の自己との出会いといい、悟りと言う。しかしそれは決して神秘的な体験ではない。ましてやその瞬間から人間が変わってしまう、他人にない超能力を得るといったものではない。それは一生かかって、さらに深く掘り下げていかなければならない禅体験の一つの原点に過ぎない。
 
大接心最後の夜、十二時を回った頃、うどんがふるまわれる。修行の山場をついに超えた安堵の色が禅堂に漂う一時(ひととき)である。時代離れの質実な生活。厳格な規律を守る僧堂生活です。決して限界を無視した不合理な苦行を強いるものではない。そこには修行を支える温かい心遣いと合理的なリズムが認められる。
 
一月二十二日未明。?八大接心は終わった。老師は山内に咲き出した梅一枝を供えて、釈迦牟尼が悟りに達した日を記念して大接心の成果を仏前に伝える。
 
 
 
 
 
 
八日ぶりにひげを剃る。お互いに頭を剃りあい、マッサージをする。緊張仕切った心も体もほぐれていく。正眼僧堂は、徐々に普段の時間を取り戻していく。禅の修行には、長い年月がかかる。今日からまた新たな修行が始まるのだ。
 
正眼僧堂に再び春が巡ってきた。先人たちの知恵で形作られてきた僧堂修行の心と形は、こうして年年歳歳伝えられていく。
 
 
 
 
     これは、昭和六十一年に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである