信心への歩みー文字を知らない姑に導かれてー
 
                       元萩女子短期大学教授 河 村  とし子
            
          き き て            金 光  寿 郎
 
金光:   穏やかな春の日射しを浴びて、静かな佇まいを見せる山口県萩市、江戸時代には毛利氏三十六万石の城下町として栄えた町です。今日は萩市西部、三見(さんみ)というところの山間にお住まいの河村とし子さんをお訪ねします。河村さんは大正九年、兵庫県のお生まれで、東京女子大学を卒業後、結婚したご主人と一生東京で暮らす約束でした。しかし戦争が激しくなった為、やむなくこの地へ疎開しました。ここで姑の河村ふでさんと暮らすうち、仏教の教えに触れ、信心への道を歩み始めました。
 

 
金光:  この道は、それじゃ若い頃からは何回もお歩きになっていらっしゃるわけですね。
 
河村:  そうでございますね。ほんとに歩くしか仕方のないのところでございましたから。
 
金光:  萩市の三見の駅から歩かれて、どの位の時間でお出でになりますか。
河村:  そうでございますね。一時間以上は充分掛かると思います。
 
金光:  かかりますでしょうね。でも、若い時ですと、それも当然そんなに苦になさらない。
 
河村:  そうでございますね。初めは困っておりましたけど、直ぐ慣れまして。はい。
 
金光:  じゃ、この辺まで来ると、もう我が家も近くなったと思うと、ホッとなさることで。
 
河村:  そうでございます。ホッとしておりましたけど。
 
金光:  綺麗な水ですね。魚がいるみたいで。
 
河村:  それよりもウナギがよく。
 
金光:  そうですか。
 

 
金光:  八十年程前に建てられたというお家の庭を眺められるお座敷で河村さんの人生の歩み、心の歩みを語って頂きました。
このお宅にお住みになるようになったのはいつ頃のことでございますか。
 
河村:  昭和十九年の七月七日に疎開して、帰ってまいりました。
 
金光:  その時と、このお宅はそのままで。
河村:  そのままでございます。
 
金光:  こちらにお見えになった頃、ここのご両親、ご家族の生活ぶりというのは、どんな印象でございましたでしょうか。
 
河村:  そうでございますね。農家でございましたし、普通の生活でございましたけど、私が驚きましたのは、あそこにありますお仏壇でございます。私はキリスト教の家庭に育ったものでございますから、神棚だとか、お仏壇だとかは、偶像だと教えられておりましたので、あんな金ぴかの偶像を拝んでいる人たち、むしろ可哀想だと思いさえしたんでございます。
 
金光:  割に仏壇があるけれども、関心のないご家庭も結構あると思うんですが、こちらのお宅はそうではなかったわけですね。
 
河村:  もう朝晩にご本山のお朝事(あさじ)とお夕事(ゆうじ)にあわせて、隣というのも分家でございますから、みんな集まりまして、その頃勿論一緒におりましたけれども、一緒に御礼をあげておりました。
 
金光:  朝、晩ですか。
 
河村:  そうでございます。
 
金光:  そういうのをご覧に。別にそれに入れということではなかったわけですね。
 
河村:  それは私の結婚の動機が、ちょっと身の上話めきますけれども、私は一人娘でございましたので、殊に恋愛結婚で養子に来て貰うということで、婚約しておりました。ところがこの家の跡取りの兄が戦死致しまして、当然跡取りになった息子を出せないからというので、私が河村の方に入ることになりまして、その結婚に二つの条件がついたのです。もう東京に務めることになっておりましたから、跡取りになっても、こちらへは帰って来なくてもいいということを河村の家の方から言い出してくれまして、私は生涯クリスチャンで通させて貰う。河村のお宗旨がなんであろうと、私はそれを通させてもらうということを条件にしておりました。
 
金光:  そうですか。
 
河村:  ですから、みんなが御礼を上げておりましても、真似事にも後ろに座って、手を合わせようとも致しませんし、また両親も、「東京では兎も角も、こちらへ帰ったら周囲の手前があるから、真似事にでも手を合わせてくれ」とも、一言も申しませんでした。
 
金光:  何にもおっしゃらない。
 
河村:  ええ。何にも申しませんでした。
 
金光:  その様子を見て、自分は自分の生活だけすればいいやという感じで暮らされたんですか。その辺はどうなさったんでしょう。
 
河村:  はい。私はキリスト教で育ちましたので、こういう偶像をおがんで、何かわけの分からないお唱えごとをしている人は気の毒な人だと思いました。思いがけないところへ来たというのは、この人達にキリスト教を伝えよという神様の思し召しだと思い込んだものですから、まずそうすれば両親からと思いまして、毎晩のようにバイブル、聖書を持って両親の部屋に押し掛けまして、真っ先には、「何宗か知らないけど、あれは偶像ですよ」と、貶(けな)しておいて、「キリスト教を聞いて欲しい、聞いて欲しい」と桎梏(しつこく)せがんでおりました。
 
金光:  その聖書のお話何かも、「こういうことがありますよ」というようなことを。
 
河村:  私の素人なりに知っておりますことを話しまして、そしてちょっとでも機嫌の悪いふうを見せましたら、私だって多少遠慮したと思うんですけど、ちょっとも機嫌の悪い様子は無くって、むしろ、「ああ、そうか。そうか。」と、にこやかに聞いてくれるもんですから、この分だと、間もなく変わってくれるんじゃないかという期待をもったぐらいでございました。
 
金光:  それじゃ、一晩や二晩じゃなくて。
河村:  毎晩だったんです。
 
金光:  続けてお話をなさって、それでも嫌な顔をなさらない。
 
河村:  ちっとも嫌な顔を致しませんでした。
 
金光:  それでそれが河村先生のお話をニコニコ聞いていらっしゃる姑さんなんかが、キリスト教の方に信仰なさるというよりも、河村さんの方が姑さんの方に近付かれたようで。
 
河村:  そうなんですね。キリスト教に一生懸命引っ張ろうと思っております私の方に微妙な変化が起こって参りました。それは、まず第一が、舅姑(しゅうとしゅうとめ)というのは気の毒な老夫婦でございまして、人間として何が辛いと言いましても、逆縁に遭う、我が子に先立たれるというくらい辛いことはございませんのに、六人おりました息子や娘たちの中、四人まで、一人は戦死、
 
金光:  先程おっしゃいましたね。
 
河村:  一人は戦病死、後の二人も一人前にしてから、かりそめの病で亡くしているという、二人だけ残っている。そういう老夫婦でございましたから、私は東京におりました時には、おそらく毎日泣きの涙で暮らしているだろうと思っていたんです。ところが一緒に暮らして見ますと、そういう侘びしさ、悲しさ、ちっとも感じられません。それが不思議でございました。情がないのかしら、それとも見せかけの強がりなのかしらと、まず第一に不思議に思いました。二番目にはそういう我が儘しごくの嫁でございますから、習慣にも何にも合わそうとしない。その私に両親が非常に親切なんで、今は疎開だから暫くお客様扱いして貰っているんだと思っていましたけど、日が経っても、ちっとも変わらないんです。変わるどころか気が付きますと、周囲の人達に嫁の落ち度、欠点を見せないように、聞かせないように、どんなに心を砕いて庇ってくれているかということが、折に触れ事に付けて分かって来ました。何か胸の中にジーンとするものが入ってまいりました。そして河村の家の家訓と言いますか、みんな守って来ましたことは何かと言いますと、人間として一番大事なことはお寺へ参って仏教のお話をお聞きすること、いわゆるお聴聞(ちょうもん)することであって、仕事というものはお聴聞のあまりがけでいいんだというのが、家訓でございました。舅(ちち)が口癖のように「仕事はあまりがけ、あまりがけ」と言っておりました。
 
金光:  でも、それを疎開してきたお嫁さんには押しつけることはなかったわけですね。
 
河村:  それは全然ございませんで、ただ自分の檀那寺だけでなくって、歩いて行ける限りのお寺でご法座がありますと、打ち揃ってお参り致します。
 
金光:  別に、「一緒に行こう」ということもおっしゃらない。
 
河村:  ええ。それも諦めておりますから申しませんし、私も行こうともしないで、何時も一人留守番でございました。
 
金光:  それがこう続いたわけですね。
 
河村:  ええ。そうでございます。それが何故付いて行ったかと言いますと、あんまりイソイソと嬉しそうにお参りするんです。その様子を見ておりますと、お寺というところでどんないいことがあるんだ、よっぽどいいことがあるんだろうと思ったんでございます。ですから一度覗いて見てやりましょうという思いで。
 
金光:  ちょっと視察と言うか、見学してみようと考えて。
 
河村:  ええ。好奇心でございます。「今日は一度付いて行きます」と言いますと、両親は驚いたようですけど、「じゃ、一度でも」と言って、連れて参ってくれました。
 
金光:  皆さんと一緒に歩いていらっしゃったわけですね。
 
河村:  勿論、歩くしか手がございません。
 
金光:  それで最初にお参りになって聞かれた印象は如何でございますか。
 
河村:  それが殆どが田舎の農家のお爺ちゃん、お婆ちゃん、おじさん、おばさん方なんですね。これはその時にお聞かせ頂きましたのが、あの有名な『歎異抄(たんにしょう)』。私は勿論初めてだったんですが、その第三章のところでございます。
 
        善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。
 
というあそこだったんでございます。私はびっくりしてしまいまして、初めて参ったお寺で、ご講師様にお訊ねに行くというのは、勇気がいるんですけれども、勇気を出してお訊ねに参りました。そして正直に白状致しました。「今、疎開して帰っているクリスチャンで一生懸命キリスト教を説いて聞かせているんだ」ということ。「今日はこういうわけでお寺に参りました」ということも白状致しまして、「いまのお話はほんとに不思議な感じがするんですけれども、どなたがおっしゃったことで、何を見たらあるんですか」とお訊ね致しました。そしてそのご講師様によって家の宗旨が浄土真宗で、それをひらかれたのが親鸞聖人ということ、初めてお聞かせ頂きました。そのご講師様が、「これは親鸞聖人のお弟子の唯円(ゆいえん)房(ぼう)さんが聖人が亡くなられて二十年、二十五年と経つうちに、だんだんと自分のお聴かせ頂いた話と違ってくるので、異なるのを歎(なげ)くと書いてあるんだ」とおっしゃいまして、「ご自分が直(じか)にお聴かせ頂いたことをお書きになったのが、このご本なんです」って、意訳の付いた薄い小さいご本ですけれども、それを持って来て下さったのです。「それはここだよ」と、開けて見せて下さいました。「そんなに感動したんだったら、これを上げるから持って帰って読んでごらん」と下さったんです。別にそれについての説明は何にもなさらないで、「読んでごらん」と下さいまして。
 
金光:  河村先生はご専門は国文学ですから。
 
河村:  国文学でございますから。
 
金光:  読むことは当然お出来になるわけでしょう。
 
河村:  はい。古文は慣れてるつもりだったんです。ところが仏教が何か、浄土真宗が何か一切知りませんから、まず一頁を開けますと、「弥陀(みだ)の誓願(せいがん)不思議にたすけられまいらせて」と出てます。「弥陀」が何やら、「誓願」が一切分からないんですから、中身がわかりっこないんですけれども、繰り返して読ませて頂いておりますうちに、中身は分からないんですけれども、一人の人間親鸞という方のお心もち、お人柄、そういうものがジワジワと伝わって参りました。そして皆さんから、『ご開山様、ご開山様』と生き仏さまのように崇(あが)められていらしゃる、その方がほんとに勇敢に、赤裸々に、お腹を立ち割ってはらわたをえぐりだし、さらけ出すように煩悩というか、こういう浅ましい、ドロドロした根性をもっている私だとさらけ出して下さる。挙げくには、「地獄にしか行きようのない私だよ」とまでおっしゃって下さった。それが私、本当に嬉しゅうございました。ホッとするような思いが致しまして、非常に親鸞という方が慕わしい思いが湧いてまいりました。
 
金光:  河村先生の悩みと、そこに書かれていることが丁度ピッタリ合ったということでございますね。
 
河村:  ええ、そうだったんですね。そしてそれと同時にその親鸞聖人のみ教えを心の支えにしているらしい両親の日暮(ひぐらし)、人間として不思議なような安らかさ、立派さと言いますか、そういうものが裏表になりまして、どうしてももっと聴かして頂きたいという思いが湧いて参りました。
 
金光:  やっぱりもう一つ解り難いけれども、もう少し何とか聴こうという方向に進まれたわけでございますか。
 
河村:  そうでございますね。小さい時から握りしめてきたキリスト教が、グラグラと揺らぎ始めまして、その代わりがこれだということがはっきりと掴めない時は、丁度無信仰の状態と同じなんでございます。今から思いますと、私は無信仰のやるせなさ不安さというものをその時味わったと思います。今だったらノイローゼと名付けられるのかも知れませんけれども、ものものどを越さないような夜も眠れないような日が続きまして、とうとう両親に、「私はこの問題が、自分の信仰というものがしっかりしないうちは、家事も育児も何にも出来そうにありませんから、いっそ離婚して貰って、独り身になって求めたい」と願い出ました。両親にとっては、毎晩毎晩キリスト教を説きに来ていたクリスチャンの嫁が、「一度お寺を覗きに行く」と言って行った日から、プッツリとキリスト教のことを言わなくなりまして、そしてお寺へ参り始めたり、仏教の勉強をし始めたり、その変化を喜びながら、「何があんなに解らない解らない」と言っているのか、腑に落ちなかったようでございます。それでもこういって許し、励ましてくれました。「聴きたいという思いが湧いたというのは、もう御仏様のお手の中に抱かれている証拠だから、独り身になるの、離婚するのと、大仰に考えないで、子供のことも家事のことも私達に任せて、日本はおろか、どこまでも聴き抜いてくれるように」と励ましてくれました。
 
金光:  それでやっぱり聴くのを続けられたわけですね。
 
河村:  ええ。ほんとにお聴聞三昧をさせて頂いたんですけど、いくら聴いても解らないんです。お聴聞しましては、後、ご講師様に理屈ばっかりこねてお訊ねするんですけど、どんなにご親切に言って頂いても解りません。皆さん、「有り難い、有り難い」とおっしゃっても、何が有り難いのかさっぱり解らなかった。もうこんなことを続けても無駄だと思いまして、「もう止めます」と言いますと、両親が眼に涙を溜めて、私を拝むようにして、「そこで止めんでくれ。必ず、必ず、御仏様の方から届いて下さる時が来るから、それまで続けてくれ」と申します。私が聴く気になるまでは、一度も、「真似事にも手を合わせてくれ」とも言わなかった人達なんですけれども、私が聴く気になりましたら、「もう絶対に止めないで続けてくれ」と頼むように申します。あんなに頼まれては仕方がないというような不承不承の時もございました。
 
金光:  それで気が進まなくても、足をお寺に運ばれるというようなことが続いたわけですね。
 
河村:  そうでございます。そういう私がどうして得心(とくしん)させて頂いたかと言いますと、やはりここから一時間以上かかるところなんですけれども、「あそこでいいご縁があるから」というので参らせて頂きました。その時にまた相変わらず、あとご講師様にいろいろとお訊ねしておりまして、そのご講師様のお言葉で頷いたんじゃないんで、全く関係なく、それまで私自身は、自分で生きて、自分で求めて、自分で苦労しているんだと思っておりました。その私が自分で生きているんじゃなかった、ほんとに人間を超えた大きなお陰様で生かされている私だということを、フッと気付いた瞬間がございました。ほんとに瞬間だったんです。
 
金光:  それはそのお寺にお参りしてお話をなさってる最中、
 
河村:  お話をしている最中に。そのご講師様のお言葉とは関係ないんです。その時に私はそれだけ真宗を求め、親鸞聖人を崇拝しながらお念仏というのは大嫌いでございました。両親が常念仏(じょうねんぶつ)で何時も念仏申しております。それがうるさくって、うるさくって。
 
金光:  口に出して仕事をなさっていたわけですね。
 
河村:  ええ。私に聞けよとばっかりに。声に出して、お念仏しないで、心ですればいいのにと腹の立つような思いさえあったんでございます。その私がお念仏しようという意識なんかサラサラございませんのに、声に出して、「なんまんだぶ(南無阿弥陀仏)、なんまん(南無阿弥)だ(陀)ぶ(仏)」と言ってる、その声を聞いた時ぐらいの驚きはございませんでした。
 
金光:  そのご講師先生と話をしている時に関係なく、突如、自分の口から出ているのに気が付いた。
 
河村:  はい。そうなんです。
 
金光:  へえ。
 
河村:  その声を聞いた時には、やっぱりそうだった。それまでもお聴聞しておりますと、お念仏というのは自分の口で言っても、自分が言っているんじゃない、御仏様のお呼び声だよということは、もうしょっちゅう、またかと思う程お聞きしていたんですけど、大嫌いだったんです。そのお念仏が自分は意識していないのに声となって出て下さる。やっぱり呼ばれている身だった、願われている身だったということが、ズシンと響いてまいりました。それがよく言われる会心(えしん)の時と言いますか、御仏様とお出会させて頂いた時なんだと思います。
 
金光:  その時は解りたいとか、何とか、安心したいとか、自分で理解したいというような気持ちはもう全く湧いて来なくなっているわけですね。
 
河村:  不思議に、その時、そのご講師様にその心境を申し上げたか、どうか忘れたんでございますけれども、何時もかなり遠いところまで行って、泊まり掛けなんかでお参り致しますので、帰って参りますと、日が暮れますから、よく舅が提灯を持って、三見という小さな駅でございます。そこまで迎えに出てくれてる。「またお迎えだよ」と人が評判するようなことでございました。何時もションボリと帰って来ますので、まだお出会い出来ないんだなあと可哀想に思っていたようですけれど、その日はもう列車がホームに入りまして、デッキに立っている私を見た瞬間に、漸く御仏様とお出会いして帰ったなあということを、直感したぐらい晴れ晴れした顔をしていたそうでございます。
 
金光:  そうでございますか。
 
河村:  私も人目も構わず舅(ちち)のところへ飛び付くようにして参りまして、「お陰様でほんとに有り難うございました」とお礼も言いました。海添えですけれども、うねうねした山道でございますね。ここへ帰って参りますまで、本当のところ涙が止まりませんでした。そして待ってくれておりました姑(はは)と三人、あそこにまだ囲炉裏を切っている頃でございます。そして薪を焼(く)べ足し、焼べ足しながら、夜の明けるまでおさらいを、「こうだったんですね。こうだったんですね。」とおさらいをして貰う一(ひと)夜(よ)が明けました。両親はあんまり普段に世間話をしない人達で、もう話し合っていると思えば信仰の話、いわゆるご法義話をしている人達で、その中へすんなりと入れて貰える時が来たわけでございます。そして気付きましたのは、いろいろ疑問に思っておりましたことが、「解らない解らない」と言ってきたことが、御仏様とお出会いさせて頂いた後では、すんなり解けてくるわけなんでございますね。その日を限りに、それまでにお付き合いした人、出会った人、一人一人お詫びして参りたいような思いさえ致しました。
 
金光:  それは具体的には、お詫びして参りたい思いということは。
 
河村:  それ程私の人生が変わったと言いましょうか、考え方が変わったわけなんです。そうしますと、そんなことお聞き頂いたら、その日を限り私が有り難いものになったとお思いになるかもわかりませんけど、私というものはちっとも変わりません。むしろ歳月が経つにつれて、傲慢にも、気ままににもなって行く私に変わりはないんですけれども、その私の中に入り満ちて、お呼び声となって出て下さる、そのお念仏によって導かれて行く日々の温かいぬくもりというもの、本当に言いようのないものでございます。
 
金光:  そうしますと、それまでは自分自身のほんとの姿を自分で気が付いていないとこがあったのが、それからだんだんと自分の姿というものが、どういうものかというのを、自分に見せて貰えると言いますか、そういう感じでございますでしょうか。
 
河村:  そうでございますね。それから後というのは、腹を立てて喉元まで激しい言葉がこみ上げそうになっていましても、我慢せいよと飲み下さして頂く。道を間違いそうになったら、危ないよと引き戻して下さる。悲しみのドン底にある時には共に泣いている親があることを忘れるなよと慰め励まして頂ける。その御仏さまと共に話させて頂くという日々になりました。
 
金光:  そういう目で今度は一緒に皆様と暮らしていらっしゃった舅さん、姑さんですね、そのお二人の姿をご覧になると、どういうふうになりますでしょうか。
 
河村:  ある日、ある時にフッとそういう生かされている私だと思うようになったと申しましたけれども、後で振り返ってみますと、私の、殊に姑さんの、おばあちゃんと言わせて頂きますけれども、そのおばあちゃんは独り言、何時も独り言を言っている人でございました。今から考えましたら、そのおばあちゃんの独り言が私に染み込んで、ふとそういう思いにならせて貰ったんだなと思うことでございます。
 
金光:  後で気付かれると。
 
河村:  はい。
 
金光:  例えば、どういうことをおっしゃっていたんですか。
 
河村:  もう疎開して帰りまして、図らずも一緒に暮らすようになりました時、毎日、決まっているんです。目が覚めますと、「今日も目が見えて下さる。手をあげたら、手が上がって下さる。足が動いて下さる。お陰様じゃのう。有り難いことじゃのう」というのが毎日なんです。
 
金光:  声に出しておっしゃるんですか。
 
河村:  声に出して、私に言うんじゃないんです。自分の独り言で。その時は、このおばあちゃん、少しおかしいんじゃないかしら。こんな当たり前のことをさもさも有り難そうに言って、と思った時もありました。でもそれは決しておかしいどころじゃなくって、ほんとに心からそう思って、全てを拝んでいたおばあちゃんだったなと思います。
 
金光:  確かに自分の手を見て、手が動くのも、それは不思議と言えば不思議で、有り難いというふうに言われると、確かにそういう点があると思いますけれども、じゃ、そういう独り言はいろんな時に出て来るわけでございますか。
 
河村:  ええ。ほんとに一日中、呟(つぶや)いている人でございました。
 
金光:  例えば、他にはどんなことがございますか。
 
河村:  いろいろなことがございますけれども、何から申し上げていいか分かりませんけれども、いろんなことをよく言っておりました。殊に、全てをご恩でございますと拝んでいた人でございまして、お台所を這いずり回って、人が嫌がりますあのゴキブリですね。あのゴキブリにさえもご恩があると思っていた人なんです。
 
金光:  それはまたどういう意味で。
 
河村:  それはあのゴキブリさんでも、さんが付くんですよ。あのゴキブリさんでもああして、安心して息が出来るということを証明くれている。だから私達も安心して息がさせて貰えるんだというように拝んでいたようです。その時は何とも思わなかった。
 
金光:  ちょっと変わったことをいう方だということですね。
 
河村:  ええ。何とも思わなかったんですけど、後になりましてソ連のチェルノブイリの原発の事故で近いところだけじゃない、遠いところまで空気が汚染されて、息が出来なくなりました時に、あのゴキブリさんを拝んでいたおばあちゃんの姿を、言葉が思い出されることなんでございます。
 
金光:  やはり安心して息が出来ている証拠を、ゴキブリさんが生きていることによって、自分も改めて味わうことが出来るということですね。
 
河村:  そうでございますね。いろいろの意味でほんとに変わっていると言えば、変わっておりますかしら。
 
金光:  それで農作業なんかは普通に仕事をなさるわけでしょう。
 
河村:  はい。人一倍熱心にしておりました。ただ、小学校も行っておりませんので、ひらがなもカタカナも一字も読み書きも出来ない人でした。ですから、他の妙好人の方のように書き残したものも何にもなくって、私の心に残っているだけなんですけれども。
 
金光:  最初にこちらにいらっしゃった時に、六人のお子さんの中、四人亡くなられて、しかもそれがあんまり悲しそうでないように見えたという、その辺のところはどういうふうにお考えになりますか。
 
河村:  それは私もずうっと不思議に思っておりましたけれども、丁度、私が昭和五十年に主人が蜘蛛膜下出血で急逝致しました。五十八歳でございました。その悲しみのドン底に落ちた時に四人の我が子に先立たれ、もう既に連れ合いのお爺ちゃんも亡くなっておりました。おばあちゃんが言っておりました言葉が甦ってきました。それはこうなんですよ。「私達は」、私達はというのは、それは浄土真宗のご門徒である私達、「私達は、お念仏の中で、先立ってお浄土に帰らせて頂いた愛しい者たちと出会ったり、話したり出来るから幸せじゃのう」って、よく言っておりました。それが私も愛別離苦の苦しみを味わいました時に、甦って参り、成る程、お念仏が出て下さる時には、一緒に愛しいものの声も聞こえてくるんですね。そこで気が付きましたのは、四人もの成人した我が子に先立たれておりながら、この老夫婦はどうしてこんなに安らかそうで、幸せそうなのか不思議に思っておりましたけれども、そこだったんですね。ですから、お念仏の出て下さっている時、そのお念仏の中で四人の息子や娘達と出会い、語らいをしていたんだということがやっと分かりました。
 
金光:  死んでから先でというんじゃなくて、今娑婆世界にいる時に、もうちゃんとお念仏の中でお出会いをなさっていたという。そういうことなんでしょうね。
 
河村:  そうなんでございます。それがやっと分かったことでございます。私自身が後でおばあちゃんの独り言を味わってみて、「愛別離苦(あいべつりく)を超える道」というふうにこじつけたのかもしれませんが。四苦八苦というのがございますね。「生老病死(しょうろうびょうし)」にもう少し詳しく。
 
金光:  憎い人に会ったりね。
 
河村:  その次の「怨憎会苦(おんぞうえく)」ですね。よくおばあちゃんがこう言っておりました。「人間ちゅうもんは自分しか可愛ゆうないもんじゃからのう」と言っておりました。私の教え子なんかが、「先生」と言って泣きついてきますけれども、もの豊かなこの頃では、もの不足を言って泣いてくる子はおりません。みんな怨憎会苦、人間関係の難しさに泣いて来るわけでございます。
 
金光:  そうですね。殊に会いたくない人にしょっちゅう会うというのがありますから。
 
河村:  そうでございますね。それがおばあちゃんの口から言っておりました。「自分しか可愛ゆうない」それがよく分かるのは、集合写真でも写すと、真っ先に自分を探します。「そこででも分かる」とよく申しておりましたけど、そのことが「そういうもの同士が不思議なご縁で出会って一つ屋根の下に住んだり、お隣同士にになったりそれを拝み会う。それしかないんだ。」と言っておりました。
 
金光:  人の噂も喋ったりすることについてもその辺の心掛けは行き届いていらっしゃるわけでしょうか。
 
河村:  そうでございますね。自分では言いませんでしたけれども、ほんとにそれに対して腹を立てたりというふうなことは何にもございませんでした。
 
金光:  何か口から出る釘の話なんかなさっていたとか。
 
河村:  ああ、それはですね、私が萩の女子短期大学が創立しました時に、学訓ですね。校訓、大学だから学訓と申しますけど、それを「決めてくれ」と言われまして、「報恩感謝和顔愛語」という言葉を選びました。先生方役員方からも大反対に遭ったんですが。「そんな前世紀的な言葉は、今の学生に合わないよ」と言われたんですけれども、私はそのおばあちゃんの暮らしの中で教えられた全てをご恩として、それに感謝してお返しすることを考えると言うか、そして、「和顔愛語」というのも人様に言いますと、「そんなこと人間として出来る筈ない」とおっしゃるんですけれども、二十三年の間、おばあちゃんが和顔愛語でなかった日は一日もないんです。いつも笑顔で何時も嫌な言葉というのを言いませんで、でもそれなりに自分にいい聞かせていたようでございます。独り言で「顔ちゅうもんは自分の顔でも人様の方に向けておるもんじゃから気いつけんにやのう」とも言っておりましたし、それから、「言葉でも、自分の口から出る時には二分釘ぐらいでも、相手に突き刺さると、五寸釘にもなって消えんもんじゃから、言葉も気い付けんにやのう。」とよく言っておりましたから、自分に言い聞かせてたんだろうとも思いますけど、ほんとに一度も和顔愛語でない姿を見たこと、聞いたこともないんでございます。
 
金光:  確かにこんな短い釘でも、相手に突き刺さる時は五寸釘位の痛さになりますでしょうからね。その辺は非常に鋭いところを突いていらっしゃいますですね。
 
河村:  そうでございますね。
 
金光:  食事なんかでもそうしますと、いつも感謝で頂く。
 
河村:  それはもうほんとに丁寧に手を合わせて、「頂きます」と申しておりました。これは私が非常に親しくして頂いているお寺の保育園の園長さんにお聞きしたことなんですけれども、そこでは、「頂きます」というのを、いつも食事前にするように躾けていらっしゃる。ところが一人どうしても何時も知らん顔をしている子がありまして、先生が、「誰それちゃん、どうして頂きますとお手手を合わさんの」って、叱られましたら、プウッとほっぺたを膨らませて、口を尖らせて、「ぼく、それでも給食費払ろうとるんで」と言ったんだそうです。そこがやはり若いお母さんが、月々これこれ払ってるんだと教えていらっしゃるんです。私共がレストランなんかへ行って、お金を払って並べられたご馳走は、お金を払っているから当たり前だと思っていますけれども、当たり前じゃない。そのもののいのちには払っていない。人の手間賃、作って下さる方の手間賃なんですね。それでおばあちゃんは、「頂きます」というのは、誰でもなさる、当然なさるものと思っていたようですけれども。今の話のように若い核家族なんかの家庭では、それもしなくなったようでございますが。それで思い出したことなんですけれども、どの子だったか忘れましたけれども、まだ学校にも上がらない頃、私を見つけて向こうから息咳切って、「はあはあ」言いながら走ってきて、「おばあちゃんはね、おばあちゃんはね、嫌らしいよ」と言うんです。「何が嫌らしいの」と言いましたら、「お便所へ行ってウンチだの、オシッコだの、手を合わせて拝むというってよ」と。「ほんまに拝んでいるらしいよ」と言うんです。ところが、それはおばあちゃんに聞きますと、おばあちゃんなりに言い分がありまして、お食事の時に手を合わせて「頂きます」とお迎えして、で口から入って血となり肉となり、ほんとに私共に大きな働きをして、お帰りになる時には、やはり、「ご苦労さまでございました」「有り難うございました」と手を合わせてお見送りするのが、当然だとおばあちゃんは思っていたようでございます。
 
金光:  お世話になった後、後ろ姿を拝むわけですね。
 
河村:  そうなんです。私もそれを聞きまして、成る程と思いまして、お見送りをする習慣が付いたわけなんでございますけど。一事が万事そういうことでございました。先程、四苦八苦の「愛別離苦」、それから「怨憎会苦」、その次が「求不得苦(ぐふとくく)」がございます。
 
金光:  そうですね。求めても得られない苦しみ。
 
河村:  あれは言い換えますと、求めて得られない苦しみと字の通りではそうですけれども、得ても得ても、もっと欲しいもっと欲しいという人間の欲望ゆえの苦しみだと思います。それにつけましてはいろいろとありますおばあちゃんの独り言の中で、これが一番傑作だと思っている言葉がございます。おばあちゃんの言い方で言いますと、こうなんです。「ないもんを欲しがらんで、あるもんを喜ばしてもらおうよのう」ということでございます。
 
金光:  これは幸せの秘訣ですね。
 
河村:  私はほんとにそれが欲望を断ち切る秘訣だと。
 
金光:  「ないものを」、
 
河村:  「欲しがらずにあるものを喜ばしてもらおう」。ですから、私は短大の学生が卒業していきます時には、よく話したり、書いて上げたりするんです。「卒業して社会へ出たら、きっと辛いこと、苦しいこと、いろいろあるでしょう。時には死にたくなることもあるかも知れないけど、その時には、ちょっと目をつむってごらん、目をつむって、そして瞬間真っ暗になって、パッと開けると明るくなる。このままこの目が見えなかったらと思ったら、どれだけ目が見えて下さるということが有り難いことがわかるでしょう。もし不幸にして目のご不自由な方は、耳の聞こえることを喜ばして頂く」。その境遇につけ、自分の身体につけ、「あるものを喜ばしてもらおうよのう」というそのおばあちゃんの独り言を私は一番傑作だと思っております。
 
金光:  非常に我々の感覚とは違った自然に対する見方とかそういうものへの感じ方をお持ちだったんでしょうね。
 
河村:  そうでございますね。農家ですから草取りに参ります。私も片相手をして一緒に草を取っておりますと、とても暇がかかるんです。おばあちゃんの場合は、雑草一本一本抜きながら「すまんことよのう、人間の浅ましさよのう」と拝むようにして取りますので、暇がかかるわけなんです。それはやはり自分が作ろうと思っている作物、大根であれ、ほうれん草であれ、それが大事で、それを邪魔する雑草は憎らしいと普通は思うわけですね。よう生える。よう伸びる。それがやっぱり雑草の身になってみればいのちの限り伸びているんですから、それを、「むざむざと引く人間の浅ましさよのう」と詫びておりましたのを思い出すことでございます。
 
金光:  そういう生活をなさっていますと、とにかく毎日喜びに満ちた生活と言いますか、有り難くてしようがない生活ということになるわけでございましょう。
 
河村:  そうでございますね。私はほんとに、「口を開けば姑礼賛をする」と笑われるくらいなんですけれども、私に取りましては、生涯の一番大きな出会いは、この姑との出会いだと思っております。舅の方も提灯を持って迎えに出てくれる有り難い人でございましたけれども、三年位で早く亡くなりました。おばあちゃんの方とは二十三年一緒に暮らしたわけでございますけれども、そのおばあちゃんとの日暮しの中で、殊に、独り言で言っておりましたことが、私にとってはどれだけ大きな教えだったか分からないと思います。
 
金光:  お経の方にこういうことが書いてあるよとか、その『歎異抄』にこういうことが書いてあるよとか、蓮如様の『お文(ふみ)』だと、そんな話は、
 
河村:  一切致しません。
 
金光:  独り言ですね。
 
河村:  そうなんで、そういう説教じみたことは何にも申しませんし、そういう難しい言葉も使わないんですけれども、私から思いましたら全てが染み込んでおばあちゃんの独り言となって出てくれていたんだと思うことでございます。
 
金光:  やっぱりそうしますと、日常生活、例えば、お嫁さんに自分の生活ぶりを教えようとか、お孫さんに何かこういうことを教えようとか、あんまりそういう教えるという姿勢ではいらっしゃらなかったわけですね。
 
河村:  それはもう全然なかったと思います。私がやっとこの御法(おみのり)を喜ばして頂くようになってからのことですけれども、おばあちゃんに聞いたことがあります。「疎開して帰って当分ですね、毎晩のようにキリスト教を聞いてくれ、聞いてくれと、しつこく押し掛けていました時に、どんなに腹が立ったことでしょうに、悲しかったことでしょうに。よくあんなに嫌な顔をしないでニコニコしながら聞いて下さったもんですね。」と言ったことがございます。その時相変わらずニコニコしながらこう言いました。「いや、のう、ちょっとも腹も立たんし、悲しいとも思わなんだよ。こうして毎晩キリスト教を説きに来る嫁じゃけど、因縁があって家の嫁になった人じゃから、如来様に御仏様にお任せしときゃいいと、私は思っとった」と言うんですよ。私はそれを聞いて何にも言えません。それだけ全てのものをお任せ仕切るというその偉大さと言いますか、それに頭の下がる思いでございました。考えて見ましたらもう全てにお任せするというその思いの大きさを思うことでございます。
 
金光:  もうこうやっておりますと、ヨーロッパなんかにも全て神の御手にお任せする生き方の方もいらっしゃるようですから、そういう点では共通しているところがあるんでございましょうか。
 
河村:  ええ。非常に共通していると思います。私は不思議だと思うくらいお任せするという神の御手にというのと念仏というものと共通していると思います。ただ私に取りましては、いろいろお偉い先生方のお導き、素晴らしいご本、いろんなものを通してよりも、そのおばあちゃんの独り言を通したそれが私には一番大きな教えになっているものでございますから。
 
金光:  伺っておりますと、ほんとに珍しい方でございますね。
 
河村:  これは私の口から言うとおかしいんですけれども、やはりただなる人じゃなかった、私をご教化して下さる為に出て下さった御仏様という言い方、どうか分かりませんけど、そういう思いがしております。ですから、こんな不便でございますけど、ここへ来たから、こういうところへ参りましたこと、そのことが不思議なんですけれども、その出会いをさせて頂く為に、ここへ来させてもらったんだなあと思っております。
 
金光:  おばあちゃんのそういう生活ぶりというのは、やっぱり普通の人とはかなり抜きん出たところがおありのようですから、ご家族の、河村先生だけでなくて他の方も、やっぱりそういうことに気付いていらっしゃる方もお出ででございましょうか。
 
河村:  私は五人の息子の母親でございます。その三男、丁度真ん中の子ですけれども、大学の卒業式に出る為に私も上京しました。東京で息子の下宿で、枕を並べて寝物語をしておりました。明日は卒業式。そうしたら、その子がムクッと起きて座り直して、「お母さん、お母さん」と言うんですね。私も慌てて起きて、親子がお布団の上に向き合ってしました。わざわざ居住まい正して、何か告白でもあるのかとヒャッとしたんです。そうしたら、「僕たちの兄弟は、もう学校を終えて社会に出ているお兄さん達も、また学校にいる弟達も、皆さんに可愛がられて信頼されていて、幸せだと思うよ」と言うんですね。私は何を言うのかと、まあ明日卒業式だから居住まい正して、「お母さん、有り難う」と言う気なのかなあと思わずニヤニヤして、そうしたら次に、「これは全くおばあちゃんのお陰だと思うよ」と言うんですね。私はギャフンでございまして、皮肉を込めて「そうだろうね。お母さんは駄目だったけど、おばあちゃんのお陰だろうね」とその場を繕ったんですけど、それは通じていません。で家へ帰りましてから、一番下の子がまだ六年生くらい、末っ子というのは優しいと申しますが、私の家も末っ子が優しくって、「東京でこんなことを言われたんよ」と話しましたら、その優しい子ですから、「それはおばあちゃんのお陰ばっかりじゃない。お母さんのお陰もあるよ」と言ってくれるかと思いましたら、「僕もほんまそう思うよ」と言うんです。ですから、私はこの頃の生意気な、一応大学を終えた、成人したつもりの青年の孫が、心から一字の読み書きも出来ない、常識も何もないおばあちゃんに対して、心からそう思っているというところに、非常に大きなものを頂いたわけでございますけれども。私の亡くなりました主人にしてもそのおばあちゃんに対する尊敬の念というのは絶対でございました。もう私がだんだんとおばあちゃんの歳に近くなって来ましても、逆立ちしても真似も出来ないと、ほんとに恥ずかしく思っていることでございます。おばあちゃんのお念仏というのは御仏様との対話だったなあと思うことでございます。
 
金光:  なるほど。独り言と言いながら、その如来様との対話の中で、お声が自然に出て来たと。
 
河村:  そうだったんだと思うことでございますね。ですから、ほんとに疎開して、こちらへ来まして、そしてこのおばあちゃんとの出会いによって、キリスト教からの転向があったわけで、キリスト教を今でも尊敬は致します。殊にクリスチャンの方が、善を天国に積むというお考えでボランティア活動なんかなさっている方でも、圧倒的にクリスチャンが多うございまして、立派なことと思い、尊敬は致しますけど、私はやはりこのおばあちゃんとのご縁で、仏教に入れて頂いたんだなあと思うことでございます。
 
金光:  お爺ちゃん、舅さんはいつ、どういうことでお亡くなりになりましたか。
 
河村:  私が帰りましてから三年位でございましたけど、実は胃ガンで、もう手遅れで、手術は出来なかったんで、最後二十日間位はお水しか飲めませんで、ただその時に、もう別れの悲しみに涙しながら、その老夫婦の話し合っていることが、非常に私に大きなものを頂いたんです。もう死を覚悟しながら、帰らせて頂くお浄土があるんだという喜び、涙しながらお浄土で待っているぞということで、悲しみの中に喜び合っているその姿が思い出されまして、後に、私が昭和六十二年に胃ガンをして、胃を三分の二取りまして、二年経って、また大腸ガンで腸を五十センチ程取ったことがあるんですけど、その時も、家族よりも私に直(じか)に告知されたわけです。
 
金光:  その先生が。
 
河村:  そうなんです。今から考えましたら、あの時の舅の最後の時を思い、私自身も長い間のおばあちゃんとの暮らしの中から全てをお任せさせて頂くという思いをさせて頂いていたことが、胃ガンになり大腸ガンになりした時も、むしろ普段の喉の乾いた時には呑ませて頂く、お腹の空いた時は食べさせて頂く、点滴しか出来ない術後の時、それを喜ばして頂いたりしたのも、みんなおばあちゃんの教えのお陰だなあと思うことでございます。
 
金光:  やっぱり告知を受けられますと、不安になったり、恐ろしくなったりということはございませんでしたか。
 
河村:  それは不思議になかったんです。なんかこう取り繕っているようですけれども、ほんとにございませんでした。やはりその時に両親のその最後の会話のことも思い出しましたり、不思議と冷静でおれたのが、やっぱりお陰様だなあと思うことでございます。
 
金光:  やっぱりそういう亡くなられて大分年月が経った後で、そういうご病気の告知を受けられたわけですけれども、そこまで、その時のお気持ち雰囲気みたいなものが生きて伝わっているわけでございますね。
 
河村:  そうでございますね。
 
金光:  ほんとに現代には珍しい方の数々のお話ありがとうございました。
 
河村:  ええ。有り難うございました。私こそここに来させて貰ったからと、この家は私にとってほんとに懐かしい思い出の家でございます。有り難うございました。
 
 
     これは、平成九年四月二十七日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」に放映されたものである。