「熊野古道」旅物語 ―中辺路コース―  第1日目 
                     (2002/9/16)

  まえがき

熊野古道を歩こうと思ったきっかけは、平成11年12月12日に
松尾寺・松尾心空住職の「回生への祈り」と題するテレビ
の番組を見ていたとき、熊野古道を歩かれた話があり、
「僕も歩いてみたいなあ」と思ったのがきっかけである。
その時はまだ会社務めの身であったので、
歩く機会もなかったのだが、
退職して、昨年の五月に、「熊野古道ツーディーウオーク」の
観光ツアーがあり参加した。
一日目 小広王子から中辺路コースを熊野本宮大社まで18km、
二日目は小口から大雲取越コースを熊野那智大社までの15.8kmを
歩いたのが最初である。
 
熊野詣は延喜七年(907)の宇多上皇に始まったという。
その道は京都から船で淀川を下り、大阪の窪津王子から
陸路をとって、和歌山を通って東下し、田辺からは中辺路街道
を山中に入って熊野三山を巡拝したのである。
京都から熊野までの片道三百数十キロメートルを、
だいたい二十日前後で往復したという。
参詣者が陸続として列をなして行くさまを、
「蟻の熊野詣」と言って、たいへん賑わったとのことだ。
 
今回、「熊野古道旅物語」と銘打って、海南駅から
熊野那智大社までの約170kmを歩く計画である。
松尾心空住職は、熊野那智大社から
海南駅の近くにある紀三井寺まで8日間で歩いたという。
僕は、連日歩き続けることは宿泊せねばならず
費用がかさむので、山中に入る田辺ぐらいまでは
電車での日帰りで計画したいと思っている。
したがって、10日間くらいかかるのではと思うのだが・・・・・
 
この「熊野古道旅物語」には、ひとりの同伴者がいる。
同伴者の名前は、「内田英一」君である。
昨年、僕が「熊野古道を歩いて素晴らしかった。
もう一度歩いてみようと思っている」と言ったら、
「一緒に歩こう」と同調した男である。
 
内田君の愛称は、「うっちゃん」である。
この”うっちゃん”は、かつて同じ会社の同僚で、僕より4つほど若い。
風貌をみれば、誰も僕より4つも若い、と見るものはいない。
僕の方が10くらい若い、と誰しも思うのである。
おむつ(頭)を見ればすぐわかる。
彼はおむつ(頭)の薄いのを非常に気にしている。
しかし、これは彼がどんなに努力しても、悩んでも、いかんともし難いのだ。
こんな彼が、”うっちゃん”と呼ばれて愛されている
得な(徳なる)男である。
 
今年2月に、彼は晴れて定年を迎えた。
もう務めはサラサラする気もはないらしい。
彼は、ラグビーをやっていて、これが彼の大の趣味である。
彼は、齢(とし)が齢だから、選手として夢は
もうこれからの子供たちに託さざるをえないのだ。
定年後の余生は、子供たちのラグビーの指導をすることだ。
これが彼の生き甲斐である。
自分の出来なかったことを子どもたちに託そうと思うのは、
世の親の常である。彼もそのひとりだ。
彼の気持ちがよく分かる気がする。
去年はニュー・ジーランドまでラグビーの指導者の勉強に行ったのだが、
目的は果たしていないような話だった。
また行くと言って、英会話を特訓中のようだが・・・・・・
ラグビーの他には彼の趣味は野菜づくりである。
百姓出身の僕を掴まえて、野菜づくりの自慢話が得意である。
 
 
さあ、前書きが長くなってしまったが、これくらいにして、
「熊野古道」旅物語を始めよう。
 
一日目は、JR海南駅を出発して、藤白坂から拝ノ峠越えて、
JR紀伊宮原駅までの約14kmである。
地図で示そう


9/16 第1日目
 
今朝、目を覚ますと雨は降っていない
ほっとする
 
昨夜の7時の天気予報を聞いたら、
「和歌山は午前中雨、午後は晴れ」という予報だった。
「雨である」と分かっているのに出かけるのは嫌なことだ。
予報を聞いてからすぐに、内田君に、「延期しよう」と思って、
電話したら、彼は、「おお、明日だなあ」と、僕が用件をいうより
さきに元気な声でいう。
まったく天気など気にしていない。
僕は、「天気予報では明日の午前中雨だということだ」と言って、
「明日はやめようか」と言おうとしたら、
彼は、「雨であろうが、槍が降ろうが・・・」ってな調子で
雨など問題にしていない。
彼は、「雨で途中でへたばっても負ぶってやれないけどな、ハハハア」
などと豪快に笑って、僕のことを気にしてくれる。
まことに陽気である
僕は、彼に、「子どもを走らせているが、自分で走っていないので、
そちらこそ歩くのは大丈夫かなあと思っているんだが」と言い返す。
僕が、「雨だよ」と言えば、すぐ「そうか、それじゃ、やめるか」と
返事が返ってくるものと思ったのだが、なんのその雨なんかへえっちゃらだ。
蛙が雨に濡れるくらいにしか思っていない様子である。
「じゃ、雨具準備して、予定通り」と言って電話切ったのだ。
 
今朝、6時に家を出る。
7.27分にJR天王寺駅のホームで待ち合わせである。
 
予定通り、うっちゃんがやってきた。
「雨が降りそうもないなあ」と、言えば、
「僕が行くんだから、晴れさ」と、晴れ男で、
あたかも、自分が天気をよくしたように言う。
実に、薄日が差すような感じの天気だった。
とにかく、今日は雨の中を歩かなくても良さそうだ、
と内心シメシメと思う。
 
天王寺駅を7.27分の電車に乗る。
8.48分に海南駅に着く。
 
 
駅前に「熊野古道」の案内板が立っている。
道に沿って「熊野古道」と書かれた標識が我々を案内してくれる。
この標識に沿って歩き始める。

 
 
先ず我々の道順は、駅から歩いて、藤白王子社をめがけて歩く予定だ。
その途中に全国の鈴木姓の総本家である鈴木屋敷に寄る予定である。
この標識の道筋はあらかじめ調べておいた資料の道筋とはちょっと違っている。
まあ、この標識に従って元気に歩くことにする。
すぐに細い道に入っていく。車が通るのにやっとこさである。
この道は古(いにしえ)の人々が通った懐かしい道だ。
その道を、現代っ子の”うっちゃん”が通る。証拠の写真を撮っておこう。パチリ!
彼の風貌がこれでおわかりかなあ。
帽子を取らなきゃ、彼の真の素顔は分からぬのだがなあ・・・ハッハッハ。
 
 
少し行くと、道路の家沿えには、「熊野古道」と書かれたちょうちんがぶら下がっている。
実に熊野古道を歩く人の心を慰めてくれる。
 
 
また、「熊野古道」と書かれた立派な標石も建てられている。

 

目標の藤白神社をめざして歩いていると、
「熊野一の鳥居跡」という説明板が立っている。
 

少し行くと、祓戸王子跡との分岐点に着く。
400m先に祓戸王子跡がある。
祓戸王子跡へは、戻るコースになるので寄るよていではなかったのだが、
彼が、「祓戸王子跡に行ってみよう」という。
まったく予定外である。
やれやれ往復で800mも余計に歩かねばならぬのになあ、と内心思う。
 
 
祓戸への道は、高い木々の隙間からこぼれ日がさしこむ薄暗い細い山道だ。
道の脇には石像がたくさん据えられている。
「十一面観音」「聖観音」「千手観音」等々仏さんのお名前が刻まれている。
どうも先祖供養のために建てられたものらしい。
 


  
「祓戸神社之趾」の石碑と説明板が建てられている
 
 
9.30分に藤白神社に着く。
鳥居の右手に大きな楠が生えている。
 

下の写真が大きな楠(正面)である。
 

この楠の側には、「楠神社」が祀られている。
「古来「子守の宮」として広く信仰され・・・」と書かれ、また
「藤白の楠神(くすがみ)さんで知られている子守り子授け安産の神です」と
書かれた看板もある。
子どもの神様として名を知られ、古来畿内各地から子どもが生まれると、楠・藤・熊の名をつけると
長命し、出世するといって、この宮に祈願して名を受ける。南方熊楠翁もその一人である、という。
 
  
境内には、「御歌塔」と「聖皇三代重石」がある。


 
  
これで見終ったので、さあ、出かけよう。
 
鈴木屋敷に寄る予定だったが、標識に沿って歩いてきたら、
そんな標識が目に付かなかったので、通り過ぎてしまったことに気が付いた。 
 
『紀伊続風土記』に「藤が多く咲き、しかも花の白さは類なし」と
あることに由来して名付けられたという藤白神社を過ぎると、
坂道に差し掛かる。
ここに丁石(ちょうせき)地蔵が祀られている。
「丁石地蔵(1丁)」と書かれた標識と
地蔵さんに新しい生花が供えられている。
 
 
この丁石地蔵は、海南市の専念寺の住職(1688−1704)であった
全長上人が藤白坂の距離を正確にするとともに、
道中の安全を祈願するために地蔵を祀ったのが始まりである。
17体の地蔵を1丁ごとに安置されたという。
当時藤白坂には駕籠屋がおり、足腰の弱い旅人は駕籠を利用して
峠越えをしたのだが、駕籠屋はこの丁石地蔵のおかげで、いち早く料金をはじき出すことが
できたという。
 
 
この坂を登っていくと、視界が開け、和歌浦、海南港が見えてくる。
関電の海南発電所(白い煙突が2本見えるところ)、
住金の海南工場(関電の右手のところ)が見られる。
煙突の左側遠くには淡路島が見られるというが、かすんでよく分からなかった。
 

坂をどんどん登ると竹林がある。
10.20分だ。休憩しよう。
僕が持ってきたバナナを一本ずつ食べる。
休憩していると、下から2人が登ってきた。
熊野古道歩いている人に、初めて出逢った。
話を聞くと、「我々と同じ電車で、海南駅に下りたのだ」という。
「どこでウロチョロしていました」と訊けば、
「道に迷って、また駅まで引き返して、時間がかかってしまった」という。
さあ、バナナを食べた。出発しよう!
うっちゃんは、「バナナを食べたら、元気もりもりしてきた」という。
コマーシャルのオロナミンCを飲んだような言い方である。
ほどなく行くと、「投げ松」と「筆捨松」の由来記板が立てられている。
平安初期の画家・巨勢(こせ)金岡(かなおか)が熊野権現の化身である
童子と絵比べをして慢心を戒められ、絵筆を投げ捨てたという伝説の地である。
 
 
今は小さな松の木が植えられて、その場所を示している。
この坂を登りきると、そこが藤白峠である。
ここに、藤白塔下王子跡がある。
 
 
側に「峠の地蔵さん」と親しまれる地蔵峰寺(じぞうぶじ)が建っている。
堂内には日本最大といわれる一石造りの石地蔵が安置されている。
坐像の地蔵さんである。
 
 
ここからは下り坂である。坂道は細い。
側にはみかん畑が広がる。みかんの木には手が届く。
なんの柵もないので、ちょっと失敬する人もいるだろうに、と思うのだが・・・・・
僕も失敬したくなったが、残念ながらまだ青くて、食べられそうにない。
黄色くなるのがもうすこし先である。
みかん畑の道をくだる。
 
 
分岐点にでる。
標識通り歩いていると思うのだが、どうもおかしい。
間違った道を歩いているようだ。
近くのみかん作業をしている人に訊く。
やはり間違っていた。標識の立て方に問題がありそうだ。
みんな間違いなく歩いているのだろうか?
間違ったのは、標識の立て方が悪いのだ、と標識の立て方に文句をつける。
峠を下りきったところが、橘本(きつもと)の集落である。
加茂橋がかかっている。
 
 
古い町並みが続く。
この町並みの中に、橘本神社があり、そこに所坂(ところざか)王子跡がある。
 
 
橘(たちばな)は、今のミカンの原種で、垂仁天皇の時代、田道間守(たじまもり)が
常世(とこよ)の国から不老長寿の薬という「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」を持ち帰ったのが、
紀州ミカンの発祥とされている、とのことである。
下の写真が橘とのこと
 
 
 
うっちゃんは、ここで賽銭を入れて祈願する。何をお祈りしたかは彼の胸のうち。
僕は、今日も元気で勤めさせていただいていることに拍手して感謝を捧げる。
橘本神社をお参りした時には11.25分だった。
僕は、もうここで昼食と思ったが、
彼は、「まだ早い。12時まで歩く」という。
彼は思ったより元気である。
11.50分に山路(やまじ)王子神社に着く。ここに一壺(いちつぼ)王子跡がある。
 
 
ここから踏掛の地の坂道を登ることになる。
途中まで登ると、だんだん空の様子がおかしくなってきた。
雨が降りそうである。
もう12時になっている。
ご飯を食べるいいところを物色したが、あまりいいところがない。
坂道に木の葉が密生し、生い茂ったところがあったので、
その下で昼食することにした。
昼食を始めていたら、ポツポツと雨が降り始め、そのうちに大雨となる。
密生した木の葉のお陰で雨にうたれずにすむ。
昼食の間はそれほど濡れることもなく済んだ。
さあ、また元気にあるこう!
雨具を着て、傘をさして歩き始める。
昨夜は、「今日の午前中は雨に降られるかも知れない」と思っていたのだが、
思いがけず晴れていてよかったなあ、と思っていたのに、
午後は雨となってしまった。
「天気予報では午後の方が晴れ予報だったのに」と愚痴る。
うっちゃん曰く、
「天気予報なんか、競馬と同じだから」という。
午前中は晴れて、「俺は晴れ男」と言っていたうっちゃんが、
雨が降り始めると、今度は僕を雨男にして、
あたかも僕のせいだといわんばかりだ。
坂はけっこうきつくて、雨で靴が滑るくらいだ。
13.00に拝ノ峠に着く。
 
 
「熊野古道」の標識は割合あるのだが、
肝心な分岐点に標識がない。ここに標識が欲しいな、と思うとろに標識がないのだ。
拝ノ峠をちょっと過ぎたところに、長保寺、下津駅方面への分岐点がある。
我々は紀伊宮原駅方面に向けて歩く。
雨はまだ降っている。
これからは下り坂だ。蕪坂塔下(かぶらざかとうげ)王子趾に着く。
 
 
 
 
万葉集に、「木の国の昔弓雄(ゆみお)の鳴り矢もち鹿獲(と)りなべし坂の上にぞある」の碑がある。
蕪坂を過ぎて暫く行くと、次第に雨もやみ始める。
坂はけっこう急で、雨上がりの坂は滑りやすい。注意しながら歩く。
今日、最後の山口王子跡に着く。
 
 
ここからは平地である。車道が熊野古道である。
ここから紀伊宮原駅まで歩くことになる。
14.30分に駅に着く。
 
 
14.33分の電車があり、急いで電車に乗る。
うっちゃんは、予想以上に元気だった。
ラグビーで鍛えている体は、頑丈のようである。
今度、第2日目はこの紀伊宮原駅から22km歩く予定である。
 
天王寺に着いて、「熊野古道」旅物語の第1日目はこれでお終いである。
 
         ― 「熊野古道」旅物語 第1日目 おわり ―
 
 
ご覧頂きありがとうございました。引き続きご覧ください