大峰南奥駈―行仙岳から熊野本宮を歩く―
                     2005/6/5〜6/7

第1日目(6/5)

大峰奥駈パートAの実施である。
第1日目 白谷トンネル登山口〜行仙宿山小屋泊まり
第2日目 行仙宿山小屋〜笠捨山〜地蔵岳〜香精山〜玉置山〜玉置山神社泊まり
第3日目 玉置山神社〜大森山〜五大尊岳〜大黒天神岳〜七越峰〜備崎橋〜熊野本宮

僕は、熊野本宮まで歩けば、吉野からの大峰奥駈の念願達成である。

もう少し詳細行程をご紹介しましょう。

内炭さんが起伏図を作成してくださったので、ちょっと編集してお見せしましょう。


橿原神宮前に11時15分に出発。
前回のメンバーに新たに矢田さんが参加された。矢田さんとは馬の鞍峰にご一緒させてもらったので顔なじみである。

北上山温泉のところで昼食する。
鈴木さんが昼食を温泉場の河原に下りてお弁当を食べ始めたのであるが、「一口食べたところで、突然後ろからトンビにお弁当をさらわれてしまった」という。トンビに油揚げという話があるが、美味しい油揚げでも詰まっていたのだろうか?、お弁当の中身は聞かなかったのだが・・・・そばのレストランに飛び込んで昼食している。
「山の中でなくって、よかったね」と慰められている・・・・「鈴木さん、トンビに弁当さらわれる」のお話である。

14.10分 白谷トンネルの登山口に到着。14.18分出立。
鉄製の階段を登るのだが、宮地さんと鈴木さんが「階段の数を数えよう」と言って登り始めている。
一番最後から、内炭さんの奥さんが重い荷物を担いでゆっくりゆっくり登っている。
行仙小屋での今夜の夕食と明日の朝食の料理の材料である・・・・ご苦労さん!
力持ちの奥さんもさすがにしんどそうである。

14.50分 休憩。
前回もここで眺めた景色なのだが、残念ながら峰の名前がわからなかったが、
今回、峰の名前を内炭さんからお聞きする。

休憩中に、内炭さんの講義である。
「歩くとき、足を下ろした時に、吐いて、自分のリズムをつかむといい。登る時は、膝をグンと伸ばすようにすると疲れが少ない」と教えて頂く。
僕も以前、松尾寺の松尾心空住職の『歩行禅』という本を読んだが、「三歩吸うて、六歩吐く。吐く息長く、吸う息短く、呼主吸従」と書かれていたので、試してみたこともある。平坦な道ならいいのだが、急な山道ではなかなか難しい。「登る時、膝を伸ばしきる」ということは、僕も今までの山歩きの経験でわかったので、心がけている一つである。

15.13分 「行仙岳」と「笠捨山」への分岐点に到着。
「行仙岳へ上ろう」と宮地さんが提案。前回、行仙岳に上っているが、時間も早いことだから、もう一度荷物を置いて上ろうというのだ。前回、体調不調の宮地さんは、休養よろしく、今回は鉄腕アトムならぬ「鉄人宮地」の復活である。

しばし行仙岳(1226.9m)での展望を楽しんだあと、今日の宿である「行仙小屋」へ向かう。
14.45分 途中から明日上る笠捨山(1352.3m)の山頂が雲にうっすら覆われている。

15.52分 「行仙宿山小屋」に着く。
三間X六間もある広い小屋である。小屋の中には竈まで設備され、トイレ設備もきちんとされている。
内炭さんは、「この山小屋は、”新宮山彦ぐるーぷ”が、1,800万円で建てられたものだ」と言われる。「新宮山彦ぐるーぷ」は大峰南奥駈道を整備された」という。たしかに前回から太古の辻から歩いた道には「第60次刈峰行 新宮山彦ぐるーぷ」と表示された表示板が立てられている。「第60次」以上のものも見かけるから、何年もかけ、大変な苦労をされて道を整備されたものであろう。ご苦労を思うと頭が下がる。
熊野本宮まで歩いて、あとからの印象であるが、南奥駈道は吉野から前鬼に比べれば歩く人も少なく、道が荒れていて、迷いやすい箇所が多いのではないかと思っていたが、かえって逆で、道がしっかりしていて、迷いやすい箇所は少ないように感じた。
  
側に「行者堂」が建てられている。

「行者堂」には、「新宮山彦ぐるーぷ」が「前田勇一翁を讃える」の額を掲げている。

前田翁(1913−1981)は田辺、万呂村に生まれ河内長野市に居を定められた。進行に篤く大峯熊野熊野の修験に深く帰依されて、明治以来さびれた南奥駈道の再興を日本古来の精神文明の見直しを目的に奥駈葉衣会を結成され、持経宿山小屋と十年来の不治の病の為、六十八才を一期として不帰の客となられた。新宮山彦ぐるーぷがその遺志を継承して南奥駈道を刈拓きこの地に行仙宿山小屋と行者堂を建てた。
今や、前田翁の先見の明は如実に結実して大峯修験は興隆の一途を辿っている。
平成十四年四月吉日 新宮山彦ぐるーぷ


山小屋は「佐田の辻」と呼ばれるところにある。
 
「行者堂」の前には、「世界文化遺産登録」を記念して、岐阜県の天然記念物にされている「荘川桜」の若木が植樹されている。鹿除けの緑のネットの中に植えられている。
 
説明版には次のように書かれている。

この桜は、岐阜県荘川村の御母衣ダム湖畔に移植された「荘川桜」の実生から育てたものです。「荘川桜」は昭和35年、電源開発株式会社の御母衣ダム建設によって湖底に沈む運命にあった樹齢400余年のアズマヒガンの巨桜2本を、同社高碕達之助総裁が、ふるさとを失う人々の心のよすがにとの思いから、桜博士笹部新太郎氏にお願いし、関係者の協力により世界の植樹史上例を見ない大移植を行い、奇跡的な再生を果たしたものです。岐阜県天然記念物に指定されています。また、この物語は水上勉の小説「櫻守」にも取り上げられました。

アズマヒガン
落葉高木。四国・九州の山地に自生。強健で長寿なので各地に古木や名木として残っている。早咲きで彼岸の頃咲くためこの名がある。花は一重で紅紫色から純白色まであり、葉が出る前に開花する。


内炭の奥さんがふうふう言って運び上げて頂いたビールで、早速宴会(ちょっと不適切な表現だが)である。
「山でビールが飲めるなんて、なんて幸せなんだろう!」と、満足感にひたっている奥村さんの顔である。
鈴木さんは、前回のネパールの焼酎は、評判よろしくなかったのを気にしてか、今回は「赤霧島」という鹿児島の芋焼酎を800mlほど持参している。宮地さんは、suntory製「彩食健美・体にやさしい赤ワイン・ほんのり甘くフルーティ」 紙パック 1000mlをご持参である。「2Lワインは色々あるのですが、やっと1L入りを見つけました」と方々探し回って手に入れたものである。飲み助の鈴木、宮地両氏は、「焼酎持ってくるんなら、水持ってこい」と内炭さんに前回言われながらも、先生の言うことを聞かず、焼酎とワインを持って来るところはあっぱれな生徒である。
矢田さんは和歌山のお酒を持参している。水以上に必携だと思っている面々である。
僕は軽い、軽いおつまみを持参である。勿論、先生のいうことを守って、重い水を担いできたのであるが、内炭の奥さんが水をたくさん担ぎ上げてくれているので、用なしである。

話はあっちこっちと飛び回って笑えが絶えないのであったが、うまいビール一本とほんの少し頂戴したワインやお酒で酔ってしまって、話の内容は断片的にしか思い起こせない。
 
宴会を始めていたら、「チリン、チリン」と鈴を鳴らしながら、金剛杖を持った若い白装束した行者(矢田さんは行者ではないと主張するのだが)が女性連れで入って来る。今夜、一緒の泊まりである。

ローソクの灯の中で、心づくしの寿司とわかめ汁の夕食をいただく。

明日は5時に出発ということで、就寝したのは7時45分である。


第2日目(6/6)

4時頃にはみな起きて、出立の準備である。僕は3時過ぎに起きて、みんなの起きるのを待つ。
朝食はうどんとコーヒーをいただく。山で食べるうどんは美味い。
矢田さんが、朝食しながら、「ネズミがでて、シュラフの中まで入ってきた。こんな小さなネズミが・・・」と手で示しながら、ネズミが騒ぎ回って熟睡できなかったようである。その側で奥村さんと僕は寝ていたのだが、矢田さんが夜中に起きて、ネズミ騒動しているとはつゆ知らず、すやすやと快適な睡眠だった。
小屋には毛布がたくさん備えてあったので、シュラフの下に敷き、もう一枚シュラフの上にかけて寒さしのぎする。持経の宿の時は少し寒い思いをしたが、今回は温かかった。

出発に先立ち、山小屋の前で記念写真をパチリ!

5.05分出発。
2−3分歩けば、「から池」の石碑がある。
大蛇が住んでいたという伝説の池であるが、
今は水一滴も見あたらない。

今日も山歩きには絶好の天気である。
朝明けと雲海の眺めは高い山ならでは、である。
 


5.14分 分岐点がある。
内炭さんが、「前に来たとき間違って右の方へ行った」と言われる。(資料では廃道と書かれている)
笠捨山へは左の道を登って行かなければならないのだ。
標識が十分でないので、木に括り付けられている標識に注意が必要である。
 
5.19分 大木の根もとに「大峯八大金剛」の石碑が見られる。
 
5.33分 目指す笠捨山がくっきり見える。

5.49分 休憩。
宮地さんは、内炭さんが作成された「起伏図」を取り出し、これから歩く行程の勉強である。

6.02分 笠捨山に設置された無線通信の反射板が白く見えてくる。

6.03分 行く右手に見られる雲海がまだ見られる。

道中にはシロヤシオの花びらが散乱しているが、花をつけている木は見当たらない。シャクナゲの花もすでに散ってしまって、ほとんど花をつけた木は見当たらない。
先日の太古の辻から持経の宿まで歩いた時見たシロヤシオとシャクナゲの花の見事さに比べれば、こんなに地域差があるのか、とビックリする。
6.29分 笠捨山の山頂に立つ。
 
山頂には「雷礎」と彫られ、その下に二体の像が彫られている石が屋根の下に安置されている。
説明版には「祭祀のこと」と説明文が書かれているが、読んでもとんとわからない。
「祭祀のこと」
この方祭るのは、真ん中に神の石鎮め、その後にひもろぎ、前の左右にひもろぎ、それが「あ」と「や」と「わ」ぞ。その後に三つ七五三とひもろぎ立てさすぞ。少し離れて四隅にイウエオの言霊石置いてくれよ。鳥居も注連もいらぬと申してあろがな、この事ぞ〉るこの神事をどう解釈するの かということになる訳ですが、私はこう語る神の言葉を、ユダヤの紋章の 六角形の星型として受け止めたのでありました。上昇型の善性ム(△)にはアヤワを当て、下降型ウ(▽)には悪性の七五を配置致しました。十津川村からの許可の都合で道祖神として祭祀する。御別称には、竜田大社、伊勢神宮風ノ宮、熊野、玉置神社、塞(賽)ノ神、山ノ神等有、修験道ご開祖の役ノ行者尊の遠祖と覚ゆ。  三重県 大宮町 和歌山県

地図を広げて「あれは行仙岳」「あれは釈迦ヶ岳」などと詮索しあっている。

今まで歩いて来た北方面の山頂からの展望である。
遠くの山々を見ながら、「よくもここまで歩いたものだなぁ」とひとりで感心している。「一寸坐れば一寸の仏」という言葉があるが、「一歩歩けば一歩づつ仏になる修行みたいなもんだなあlなんて思ったりする。

山頂からの西方面の展望である。

6.39分 記念写真を撮って出発する。

7.02分 笠捨山から下ってくると、「葛川辻」に着く。
上葛川への分岐点である。
笠捨山への登り口で、右が廃道になっているが、その廃道がこの葛川辻で合流していたのだが、今は「作業歩道」と木の幹にマジックで書かれている。
「水場 5分」とも表示されている。
  
7.15分 目の前に尖って見えるのが「地蔵岳」である。

7.15分 歩く右手には行仙岳にあるNTTの鉄塔がくっきり見える。頭上には送電線は走っている。

7.25分 今日一番の難所である地蔵岳に上る前の一休み。

7.35分 地蔵岳へ上り始まる。
岩場で鎖の設置箇所がある。
「鎖で身体のバランスをとるようにし、鎖だけに頼ってはならない。木の根をつかんで、笹は上を掴むのでなく下の方を掴むこと」と内炭さんが注意を与える。
 
7.39分 「槍ヶ嶽」の石碑がある。
ここに来るちょっと前に、内炭さんが、「奈良山岳会プレートをつけ回った時に、槍ヶ嶽の場所がよくわからなかった」と言われたが、この石碑の上の岩場の頂上を「槍ヶ嶽」なのであろうか。北アルプスの槍ヶ岳とはほど遠い形容である。
 
7.45分 地蔵岳のちょっと手前で、行者笠をかぶった行者風の一人に出会う。
今日はじめての出会いである。
内炭さんはこの人と言葉を交わしたあと、携帯電話をかけ始めた。
「無事に下りた? 今、どこ?」と、奥さんとの愛のラブコールである。
「まむし!まむし!」と矢田さんが叫ぶ。
内炭さんの足下の近くに、まむしがきばを向いて睨んでいるとも知らずに・・・である。
「二人は出発した?」と小屋に泊まった二人ずれのことも心配している。
こんなところでも携帯電話が通じるの? と、携帯電話の便利さを思う。
 
7.48分 「地蔵岳(1250m)」の山頂に着く。
狭くて視界もない。
奈良山岳会のプレートが落ちているのを見つけて、背の高い宮地さんが木に括り付けている。
  
山頂からの下りも鎖が張られた岩場である。
「ここが奥駈の全ルートで一番の難所だ」と、内炭さんはいう。
そこを宮地の奥さんは、幼稚園の遊び場みたいな感じで楽しんて下りた、というのだ。
「楽しかった」と、まだ少しもの足りぬという感想である。
「奥さんは身のこなしが柔らかい」と内炭さんがべたほめである。
危険なところも、歳をとれば、だいぶ神経も図太くなっている・・・・はっはっは・・・これは失礼。
 
8.08分 「水場へ15分」の表示がある。この下に下っていけば水場があるのだ。上葛川もここから行けそうである。
  
8.23分 「四阿宿跡(あずまやじゅく)」に到着。休憩。
内炭さんが「予定より早いペースで進んできている」と言えば、
「にんじんが目の前にぶら下がっているから・・・」なんて冗談を言い合っている。
「にんじん」とは勿論お酒のことである。
もう玉置山に着いて、宿坊には「お酒はあるが、ビールがない」と事前に聞かされている。
神社であるから、御神酒がたくさんあがってくるから、うまいお酒が飲めることはわかるが、
みんな「ビールが飲めるかどうか」が最大の関心事である。
「着いたら下までおりてビールを買って来て」とか「ネオンのあるところにくり出す」とかみな好き勝手に冗談言っては笑い合っているのだ。ビールの買い出しをする担当は今回復活の鉄人宮地で一決である。
  
このちょっと奥に「東屋岳(1230m)である。
この辺は視界が悪く、木々の合間からわずかに「地蔵岳」とその背後に「笠捨山」の姿が見られるのみである。
 
8.37分 「菊ヶ池」に着く。

8.38分 「拝返し」

8.46分 「檜之宿」
ここから5分で「上葛川」への分岐点に到達する。

8.53分 視界が開けたところでの展望

8.55分 送電線鉄塔がある、展望がひらけている。

9.09分 「香精(こうしょう)山(1122m)」に到着。
ここでも「玉置山へ早く着きそうだ」というので、その後の過ごし方に話が弾む。
内炭さんは、僕に「リーチだね」とか「さびしくなるね」と言われる。たしかに明日一日で熊野本宮までの念願が叶うのだが、「さびしい」という気持ちより、天気にずーっと恵まれ、明日も天気の中を歩けると思うと楽しい気持ちの方が強い。
 
香精山から視界はない。わずかに木の隙間から笠捨山、地蔵岳を望むことができた。

9.38分 大きな岩の前に「貝吹之野」と彫られた石碑がある。
  
9.43分 「貝吹金剛」に着き、休憩。上葛川への分岐点でもある。
  
10.13分 貝吹金剛からの道は樹林地帯で、わずかな隙間から遠くの山を望むのみだ。

10.17分 歩いているすぐ足下に、真っ白い可憐な小さな花が咲いている。
ギンリョウソウ(別名:ユウレイソウ)である。

左手に、上葛川の集落が見えてきた。
「こんな山奥に!」と感嘆の声。

右手には、「21世紀の森 森林植物公園」への看板と駐車場が下方に見える。
 
10.27分 上葛川への分岐点に着く。

10.29分 「古屋宿跡」に着く。

10.43分 この辺は樹林地帯でほとんど展望がないが、樹林の隙間から遠くに見られる山並みを眺めると何となく気持ちが晴れやかになる。

10.47分 「蜘蛛の口」に着く。
ここで昼食する。
内炭さんにお湯を沸かしてもらって、持ってきたとんこつカップラーメンとパンが僕の昼食である。
われわれが昼食していたら、行仙宿山小屋で一緒だった行者が鈴を鳴らしながら通り過ぎて行った。

昼食後、11.20分に出発する。
11.22分 「稚児之森」に着く。赤ん坊を抱いているような像が祀られている。

11.27分 国道425号線のそばを通っている。何回か国道に出たり入ったりしながら進む。
「世界遺産」の幡がところどころに掲げられている。「熊注意(鈴等携行)」の注意書きもある。
   
12.05分

12.09分 砂利道を横切って、「花折塚」の標識に沿って山道に入る。
  
12.12分 「花折塚(はなおれづか)」に到着。
僕らを追い越した行者が休んでいる。ここで休憩。
 

「花折塚」の説明版には次のように書かれている。

片岡八郎は、大和葛下郡片岡(今の王寺町)の人で、後醍醐天皇の元弘元年大塔の宮が賊をさけて山伏姿となり十津川に来られたときのお供9人の1人である。宮の玉置山で通過の際、玉置庄司の兵が道を塞したが八郎は矢田彦七と共に宮の迎えを伝えたが聞き入れずに反抗したので八郎は戦死し、彦七は、このことを宮に申し上げた(元弘2年4月中旬) 八郎の屍は、この所に葬り墓前を通る人々がよく花を供えたので、世にこれを花折塚と、となえた。大正5年正5位を贈られ、それよりさき明治15年十津川村は、この碑を建てた。
 
休憩後、出立したら、行者さんが僕らの後から鈴を鳴らしながらついてくる。
この行者さんは奈良市の人、僕と同じだ。「吉野から山上ヶ岳で泊まり、弥山小屋で泊まり、前鬼宿坊で泊まり、前鬼から行仙宿に泊まりながら歩いてきた」というのだ。「今日、5日目で玉置神社まで歩いて泊まり、明日、熊野本宮から那智大社まで歩き通すのだ」という。女性の方と一緒に来ながら、なぜか歩きは別々なのが気になる・・・・女性は前鬼から熊野までは何回か歩いているというのだが・・・・
舗装道に出て、展望台を目指して歩く。
 
12.40分 展望台から見た光景である。
眼下には北山村の集落が見られる。たぶん小森ダムの辺りであろう、と思う。
左の峯は蛇崩山(1172m)と思われる。

12.56分 「世界遺産」の記念碑の前で記念写真を撮る。
行者さんにシャッターを押してもらったのだ。
宮地の奥さんが「きしさん、うるさくない?」と聞かれる。
どうも僕以外は、後からついてくるこの行者の鈴の音がうるさくて、不興のようである。
矢田さんは「鈴の音で、ペースが速くなる」という。
僕はあまり気にならないが、「熊に注意」の看板が時たま見られるのだから、この行者さんは熊除けのために鳴らしながら歩いているのだろう。

12.58分 展望台からの眺望。
 
13.02分 「餓坂(かつえさか)」に到着。

13.15分 「玉置山(1076.4m)」山頂に着く。地蔵が祀られ、鐘も吊されている。宮地の奥さん、奥村さんが鐘を鳴らしている。
  
13.17分 記念写真撮る。

「宝冠の森」を望む。時間も早いからリックをここに置いて、宝冠の森に行くのかと思っていたら、内炭さんは下り始めた。あれ!行く気はないようである。70リッターの大きなリックが重そうで、さすがの内炭さんはお疲れのご様子である。

 13.27分 山頂から下ってくると、「玉石社」がある。御祭神は大国魂神(おおくにたまのかみ)と書かれている。
  
13.36分 ついに玉置神社に到着。お詣りしながら、境内を見て回る。
案内板には次のように書かれている。

「古誌によれば人皇第十代崇神天皇が社殿を創建されて以来、元禄年間に至るまで国費を以って社殿は御造営されたといわれている。
本殿は玉置三所権現と崇められ、天祖神である国常立尊、イザナギ尊、イザナミ尊の三柱であります。
明治六年には、天照大神、神武天皇を末社より本社に合祀されている。殊に中古以来、熊野三山の奥宮として上下の信仰が厚く、数々の行幸がありと伝えられている。右の石塔は 後白河院、和泉式部、参詣記念として建てられたものといわれる。」


 
境内の裏には、樹齢3000年といわれる「神大杉(じんだいすぎ)」がある。この境内には、全国に類例を見ないほどの杉の巨樹群が残っているという。
  
部屋に案内されたが、まだ時間が早い。風呂やトイレ、洗面のことなど案内され、説明がある。
お寺が狩野派一門が描いたというふすま絵が国の重要文化財になっている。
それを見ようというので神主が神社のいわれ、ふすま絵のことなど説明してくださる。
ふすまは紙ではなく、杉板一枚ものの上に描かれたもので、杉板一枚が幅約1mほどもある。
その杉板が歪みもなく残っている。色も薄れているところは杉板の木目が見えている。

2.30分 風呂に入る。小さい浴槽で、一人しか入れない。順番に入り、汗を流す。
さっぱりして心が洗われた感じになる。

3.15分 に行仙岳小屋で一緒だった女性が独りで無事に到着した。
北海道からお寺巡りをしているという若い女性2人が今日の泊まり客である。総勢11名である。

4.40分に早い夕食である。お弁当が出される。飲みたいビールがないのが残念である。お酒呑みの宮地、鈴木、矢田さんらはお酒を頼んで今日の疲れを癒している。ここではお酒を頼むのに、「お酒」と言ってはだめで、「御神酒と言いなさい」と注意された、というような話をしている。
「南奥駈が終わったら、北の方、吉野から前鬼の方を歩こう」と、僕に案内するように言われるが、「くたばっているかも知れないから」と断る。吉野から前鬼を歩こうと話が決まり、面倒見のいい鈴木さんが「班長さん」に決まった。計画は内炭さんにお願いしている。

今回の奥駈歩きは、雨に全然遭わず、明日も天気のようである。こんなに天気に恵まれるとはウソのようである。
「雨男」と自称する宮地さんの予定に合わせて組んだ日程であったのだ。宮地さんに感謝感激、というところである。
夕食後、6時にちょっと布団に入り、ちょっと横になって、みんなが揃ったら起きようと思っていたら、そのまま寝入ってしまった・・・・・・後は夢の中・・・・


第3日目(6/7)

早く寝てしまったので、夜中10時ごろ目は覚めてしまった。
ちょっと電灯の明かりがあるので、2日間のことをメモする。
ほんとうは歩きながら、すぐメモしておけばいいのだが、写真を撮ることが精一杯で、メモする時間はまったくない。
みんなの歩くペースに後から追いつくのがせいいっぱいである。
メモし始めたが、なかなかそう簡単には思い出せないのだ。あきらめてまた寝る。

今朝の出立は5時ということで、4時には起きて出立の準備をしたり、朝早いので前もって作っていただいた弁当を食べての出立である。昼はめはり寿司のお弁当が用意されている。

5.05分の出立。昨日と同じ時間である。
本殿にお詣りし、記念写真をパチリ!
  
「本宮辻」と書かれた表示に従って歩き始める。
5.17分 「犬吠坂」に着く。鳥居が見られる。
  
5.22分 車道に出る。鳥居があり、「平家一門供養塔」とかかれた木柱も立てられている。

しばらくここで玉置山や宝冠の森が朝日で白みかけた光景を眺めて立ち止まる。



車道を横切ったところに「本宮辻」と書かれ、「大森山」への表示がある。「本宮辻」は資料には「玉置辻」とも書かれている。
まっすぐ林道を行っていいのだが、僕らは右の細い道を行く。しかし、林道にまもなく合流する。

5.42分 玉置山の上のアンテナ鉄塔が眺められる。                          
 
6.28分 雲海の漂う光景を眺めながらひたすら歩く。

6.30分 「篠尾辻(ささびつじ)」に着く。標識はこのように朽ち果てていた。

6.34分 雲海の光景を眺める。

6.42分 「大森山(1045m)」に到着。記念写真を撮って出立。
 
7.26分 「切畑」「萩」への分岐点に着く。

何回も振り返って見るも、大森山はわずかに樹林の隙間に少し見えるだけである。

7.53分 「五大(ごだいそん)尊岳」に到着する。
山頂は人がすれ違うのにやっとという感じの狭いところである。
後で資料を見ていたら、左の写真の四角の台座の上に「不動明王像」が立っている写真を見た。
「あれ! 不動明王がない」。谷底に落とされてしまったのであろうか?
  
山頂からの展望。資料には「果無山脈や奥高野が眺められる」と書かれているから、たぶんこの光景ではないかと思う。

山頂で休憩していると、鈴をチンチンならした昨日の白装束の行者に追いつかれた。
女性のお連れさんとはまた別々の行動のようである。
鈴の音はみんな不興であるので、
「どうぞ、お先に行ってください」と先に進んでもらう。
これで鈴の音とはお別れである。
休んでいると独り登山客が上ってきた。
「これから切畑へ戻るのだ」という。
8.16分 記念写真を撮って出立。

山頂から下り始めていたら、さっき山頂で出会ったおじさんが追いついてきた。
反対方向から切畑へ下りるはずだったのに・・・・
僕らが歩いているのに、気が変わったようである。
「どちらから?」と尋ねれば、「三重県から車で、2日前に来て、昨日は玉置山にのぼって、神社に泊まった」という。「これから車の停めてある切畑まで大黒山を通って行く」というのだ。歳を聞けば、「68歳だ」という。
途中で僕らを追い越して下っていった。

9.14分 「金剛多知(こんごうたわ)」に着く。
 
休憩しながら、内炭さんが、靴を脱ぎ、講義である。
「履きっぱなしだと足の裏が熱をもって靴擦れの原因になるから脱いだほうがいい」というのである。
みんな靴を脱いでの休憩である。

9.52分 「大黒天神岳」に到着。
地図を出して、「もうすぐだなあ」「あと、どのくらいかなあ」なんての地図を見ながら話し合っている。
9.59分 記念写真を撮って出発。
 
10.08分 途中の眺望

10.13分 振り返って五大尊岳を眺める。

10.22分 十津川の流れと本宮方面が見えてきた。

10.38分 展望の開けたところに立ち止まっての眺めである。
真ん中に見える集落は本宮町の大居である。
 
10.46分 「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」に着く。役行者と宝篋印塔をまつる寺院跡である。
 
10.48分 本宮町の林道「小井谷山在線」に出る。「山在(さんざい)峠」と呼ばれるとこだ。
 
11.14分 「吹越宿」につく。
林道を横切り、「七越峠」に向かう。
 
12.02分 「七越峯」と刻まれた石碑がある。この辺りは広場で、遊技などの子供の施設も作られている。
  
12.06分 「七越峰(262m)」につく。天保年間に奉納された延命地蔵と西行法師の歌碑が立っている。
 
       西行法師の歌 
    たちのぼる月のあたりに雲きえて
       光かさぬる七越のみね


12.23分 眼下に「大斎原(おおゆのはら)」の鳥居が見えてきた。
 
12.50分 車のところに到着。
内炭さんは、リックを下ろし、ドカッと座りこむ。
もう車に乗り込むつもりだが、宮地さんが「熊野本宮まで歩こう」と促されて、ようよう歩き始める。
70リッターの重いリックを担いでさすがの内炭さんもグロッキーのようである。
僕も、「歩いて熊野本宮まで歩かなくっちゃ、最後の錦が飾れないよ」という思いである。
歩いて、熊野本宮をお詣りして、はじめて大峰奥駈の念願が成就するのだ。
荷物は車に載せて、身軽になって熊野本宮まで歩く。
  
13.05分 歩いて来た七越峯を眺めながら車道を熊野本宮へと歩く。

13.09分 「大斎原(おおゆのはら)」の鳥居に着く。
大斎原を見て、山の上から眺めた大鳥居をくぐって、熊野本宮に向かう。
 
13.23分 ついに熊野本宮に到着した。
まず、石段を上って、感謝のお詣りをする。
 
13.35分 「人生の出発の地」と書かれた幡のもとで記念写真。内炭さんはこの「人生の出発の地」という文句にすごく感動して、「ここで写真を撮ろう」という。
六十をとうに過ぎた僕には、「人生の出発」はあてはまらない、と思う。「人生の」なんと表現したらいいのだろう?
まあ元気に山歩きさせて頂いているだけで幸せである。

鳥居の前で、ビールをもらって、前鬼からの完歩を祝って記念写真を撮る。
僕は、「大峰奥駈道完歩」の念願成就のうれしさが湧いてくる。

渡瀬温泉に向かって、大露天風呂に入って汗を流す。
「温泉に入ってから昼食にしよう」と、昼食抜きで歩いてきたのだ。
もう2時である。
ここでビールと親子丼を頼んでの昼食。
ビールで乾杯しながら、みなさんにお礼を申し上げる。


私の大峰奥駈の念願成就できたことは、吉野から弥山までご一緒に歩いた”うっちゃん”はじめ、今回計画して頂いた内炭さんご夫婦、鈴木さん、宮地さんご夫婦、奥村さん、矢田さんに助けられ、ご一緒に歩いて頂いたお蔭であり、ここに深く感謝申し上げます。
ほんとうにありがとうございました。

       ― 大峰奥駈おわり ―