山上ヶ岳〜弥山を歩く
           
(2004/7/26−28)

はじめに

去年、熊野古道の小辺路コースを歩き終わった時から
「今年は、大峰奥駆けコースを歩くぞ!」と考えていた。

5/28 一昨年、熊野古道中辺路コース、昨年は小辺路コースを一緒に歩いた相棒、うっちゃんに電話する。
今回は、山岳コースなので、うっちゃんが歩き通せるかどうか、懸念がある。
出来れば山行きに慣れている相棒に声を掛けようと思ったのだが、
どうもうっちゃんに声をかけないわけにいかない。
取り敢えず、うっちゃんの意向を確かめてから、と思って電話する。

「うっちゃん、吉野から熊野本宮までの大峰奥駆けコースを歩く元気はあるか?
5泊6日の予定だが」と訊いてみた。
「おお、面白そうな企画だな」と、相変わらず元気な声が返ってきた。
「面白そうな企画だな」とは、なにかバスツアーで観光地を旅行するような軽い返事に思える。
「うっちゃん、2千メートルぐらいの山を歩くんだぞ」と言えば、
「へばったら、負ぶってやるから」と、僕がへたばるぐらいに軽くいう。
こちらは、うっちゃんが小辺路を足を引きずってようやく歩いていた姿を見て
うっちゃんの気力、体力があるかどうか、を心配して、
こちらが訊いているのに・・・・・陽気なものである。
あまり軽い気持では困るのだ。
真剣に検討してほしいので、
「今までの熊野古道と違って、2千メートル近い山岳地帯の山歩きだから、
それなりの心構えと万全の準備が必要だからな。小辺路のようなものではないんだ。
奥駆けを歩いた人の山日記をFAXするから、読んでみてくれ。
あとでもう一度電話するから、もう一度意向を聞かせてくれ」と、言って電話を切る。
FAXして、後でもう一度意向を確かめることにした。

山日記とは、ある人が、独りでテントを担ぎ、吉野から熊野本宮まで、
5日間で歩いて、「HiO花の果てを縦走する大峰奥駆、山行日記」と題して、
インターネットに載せられていた記録である。
時間や途中の状況が克明に記録されており、計画を立てるのに非常に参考になるものだ。

テントを持参する気はない。山小屋泊まりのつもりである。
途中、無人小屋となるので、自炊準備が必要である。

計画の素案を作成し、うっちゃんに電話し、再度歩くのかどうか、うっちゃんの意向を確かめる。
うっちゃんは、
「送ってくれた山行日記を真剣に読んだ」という。
読んでやっと今までの熊野古道歩きとは違うな、と気が引き締まった思いのようである。
しかし、「歩く」というのだ。
「それじゃ、自炊で荷物も10−15キロぐらいになると思うので、毎日平地でいいから、5キロ歩くように」
と、トレーニングを勧める。

ところで、
奥駈けというのは、那智山から本宮大社をへて、紀伊半島の尾根とも呼ばれる大峯山脈の尾根づたいに、桜の名所として知られる吉野山までの約140キロを踏破するものである。その奥駈け道は、伝説によれば修験道の開祖とされる役行者が開いたものといわれている。峯中には75番の靡(なびき)と称される行場がある。すなわち山頂や樹木や岩や滝など、大自然を象徴するような場所を神仏の依り代として拝するのである。あるいは神仙(じんせん)ノ宿、小篠(おざさ)ノ宿など宿(しゅく)と呼ばれる靡もあり、これは古代の行者が禅定にこもった所とされている。その靡毎に法螺貝を吹き、錫杖を鳴らしながら、お経や御真言の唱和によって勤行を行う。
と資料によれば書かれている。

この奥駈け道をお示ししましょう。



6/17 「大峰・台高・紀伊の山」というアルペンガイドブックに、
「大峰奥駆」のことが記載されているので手に入れた。
小屋のこと、水場、コース時間等詳細に記載されている。
非常に参考になる。これをもとに計画を作成した。

日程

7/26(月) 第1日目
吉野〜(バス)〜奥千本〜青根ヶ峰〜足摺茶屋跡〜四寸岩山〜五番関〜蛇腹〜洞辻茶屋〜山上ヶ岳(宿坊泊まり)

7/27(火) 第2日目
山上ヶ岳宿坊〜小笹ノ宿〜阿弥陀ヶ森〜大普賢岳〜七曜岳〜行者還岳ノ宿〜一の垰〜聖宝の宿跡〜弥山(弥山小屋泊まり)

7/28(水) 第3日目
弥山小屋〜八経ヶ岳〜舟の垰〜楊子ヶ宿跡〜孔雀岳〜両部分け〜釈迦ヶ岳〜深仙の宿〜大日岳〜太古ノ辻〜石楠花岳〜天狗山〜奥守岳〜嫁越峠〜地蔵岳〜般若岳〜滝川辻〜乾光門〜涅槃岳〜証誠無漏岳〜トサカ尾岩場〜阿須迦利岳〜持経の宿(無人小屋泊まり:自炊)

7/29(木) 第4日目
持経の宿〜平治の宿〜転法輪岳〜倶利迦羅岳〜怒田宿跡〜行仙岳〜佐田辻〜笠捨山〜葛川辻〜地蔵岳〜上葛川分岐〜四阿宿跡〜香精山〜貝吹金剛〜古屋宿跡〜岩ノ口〜花折塚〜カツエ坂〜玉置山〜玉置神社(泊まり)

7/30(金) 第5日目
玉置神社〜玉置辻〜水呑金剛分岐〜旧篠尾辻〜大森山〜大森南峰〜篠尾峠〜五大尊岳〜金剛多和ノ宿跡〜大黒天神岳〜山在峠〜吹越峠〜七越峠〜備崎橋〜熊野本宮(わたらせ温泉泊まり)

上記の計画では、第3日目、4日目が非常に厳しいと想像されるので、歩いた状況により、

7/28 弥山 〜 深仙の宿泊(無人小屋泊まり:自炊)
7/29 深仙の宿 〜 行仙宿山小屋(無人小屋泊まり:自炊)
7/30 行仙宿山小屋 〜 玉置神社(食事付き泊まり)

と、一日延ばして、弥山から玉置神社までを、3日間かけて歩く第2案を考えた。

うっちゃんに、この二つの案をFAXして、打ち合わせる。
僕は、うっちゃんの足を考えれば、
第2案の6泊7日が良いだろう、と考えていたが、
うっちゃんは、「第1案の5泊6日でやろう」という。
僕も初めてのコースのため、難易度が十分分からないので、
「じゃ、第1案でやることにし、歩いてみて、無理だと思ったら、第2案に切り替えることにしよう。
従って、食料など自炊の準備をしていこう」ということにした。

その後、うっちゃんと会って、計画の確認と、準備品リストを渡し、打ち合わせをする。
山岳のため特にしっかりした靴、ストック、リック、雨具などの準備をするように伝えていたので、
彼はこの辺の準備は終えていた。
トレーニングも新しい靴で、水10キロ、リックに詰めて、歩き始めていた。

出掛ける一週間ほど前に、彼の準備品に漏れがないか気になり、FAXしてもらった。
彼は、それにメッセージを書き添えている。
「暑い! 今回は大変厳しいコース故、事前のトレーニングを始めていましたが、
この猛暑。勿論小生はこの暑さにめげずハードトレーニングを敢行する気力は有り余るほどです。
しかし熱中症とかでダウンし、今回の計画を実施できなければ、きしさんにもうしわけないので、
したがって涙をのんでハードトレーニングをソフトトレーニングに替えています」と書いている。
準備項目はOKだった。

しかし、彼の荷物の重量が気になるので、電話で確かめてみた。
「13キロほどになる」という。
ビックリする。僕が自炊用のバーナー、鍋や食料を全部準備して、
約13.5キロほど(自炊用の水は山で補給するから含まれていない)である。
僕の経験では、彼の荷物は、8キロ位、多くて9キロにはおさまらなければならないはずである。
彼が、13キロの荷物を担いで歩けるわけがない。
「なんでそんなに重くなるんだ」と、聞き質す。
上着、下着、靴下など持ち物いっさいの個数などを聞けば、
上着、下着、靴下、パンツなど旅行にいくときのような考えである。
個数を最小限に減らさせる。

出掛けた時には、うっちゃんの荷物は、9キロであった。

まあ、前書きが長くなりましたが、さぁ、歩くことにしよう。

7/26


吉野駅で電車を降りたのは、我々二人とおばさん一人であった。
駅前には、7/1の世界遺産に指定によって、「世界遺産 吉野山」と書かれた真新しい表示板が立てられている。








 

吉野駅のすぐ近くから出るケーブルカーに乗ったのは、さきほどのおばさんと僕たちのたった3人だった。
と、思ったら、先に座席に蝉が一匹座っているのである。
「あ、吉野では蝉もお客さんだ!」と言って笑う。








ケーブルカーで降りた吉野山駅前から、奥千本行きのバスに乗るのだが、
始発が8.40分で、それまで待たねばならない。
うっちゃんは美味そうに愛用のタバコを吸っている。
僕が、「ストックは必ず用意するように」と言ってあったので、うっちゃんは買って用意していたのだが、
出掛けるときに、「忘れてきた」というのだ。しょうがない、途中でなんとかしよう。
 
バスに乗ったのは僕ら2人だけである。










9.01分に奥千本に着く。金峯神社の鳥居をくぐって歩き始める。

境内には、もう十数人の白装束のお詣りの人たちが来ている。
夏休みで子供たちも一緒だ。
「どこから来たの?」と訊けば、「愛知」という。








 
まっすぐ進めば、「西行庵」に行くのだが、「山上ヶ岳」は此処で左に曲がる。


「従是女人結界」の石碑が建てられ、その横にお地蔵さん?が安置されている。
「山上ヶ岳」は、右のほうに指示されているのだが、
左方向の「青根ヶ峰」を目指して登る。
青根ヶ峰から山上ヶ岳への道があるからだ。







9.25分 青根ヶ峰の頂上に着く。此処は4月に「山歩き」で来ているので、見覚えのある場所だ。
5分ほど休憩して、出発する。









青根ヶ峰を下ってくると、舗装道にでる。
「山上ヶ岳・四寸岩山」の標識に従って進む。

「人為至霊峰」と書かれた石碑を右手に見ながら歩く。







 
「吉野古道イラストマップ」の表示板が立てられている。
僕たちが歩く予定のコースが図示されている。黄色の線である。



















 
「オニヤンマだ!」とうっちゃんが大声を出す。
大きなオニヤンマが虫をしきりに食べている。近くでカメラを向けても逃げない。
 
舗装道から前方に見える山が四寸岩山かと思ったのだが、
どうも歩いて見て感じたことは、四寸岩山はもっと右手のほうのように感じた。

舗装道を5分ほど歩くと、「山上ヶ岳・四寸岩山」の標識があり、山道へ入る。







 

10.21分
心見茶谷跡に着く。








 
心見茶谷跡からちょっと上ったところで休憩する。
うっちゃんは豊中のラグビー教室のコーチをやっているのだ。
頭の汗を拭いた「TOYONAKA RUGBY SCHOOL」と書かれたタオルを広げて、
「法政で全日本に選ばれたのは、この豊中からでた。19歳で、大学生で全日本というのは今までにない」と話し始める。
「俺の教えた子が、今、高校で、二人が高校全日本の選手になっている。ニュージーランドでは、スタートコーチが評価されているんだ」という。
「スタートコーチとは、優秀な選手が一番最初についたコーチのことだ」という。
彼は、「スタートコーチとして、新聞に名が載るかも知れない・・・・ハッハッハ」と笑いながらいう。
 





11.13分 
「新茶屋分岐」に着く。









11.25分
「四寸岩山(1,236m)」に着く。

此処で昼食にする。
持参の弁当を広げて食べる。






四寸岩山からの眺めである


昼食を終えて、12時に出発。












「足摺の宿跡」に、12.15分に着く。









小屋の中には、祠が安置されている。「開眼供養之文」は掲げられている。これには、
謹み謹みて大峯金剛蔵王大権現大日大聖不動明王高祖神変大菩薩大峯満山護法善神万座一切三宝に向かいて言う・・・」から
始まって、細かい字で書かれているが、小さいので読めないし、時間もない。
蔵王大権現さん、不動明王さん、大峯を開いた役行者をお祀りしておられるようである。












12.20分 
苔むした岩の道を通る。
如何にも古道の面影を留めている。







 

12.45分 
前方に高い山が聳えて見える。
「あれが山上ヶ岳かも知れないな」と話し合う。
遙かに遠くに・・・・







12.58分 四寸岩山から下りきったところに、「吉野古道イラストマップ」が立てられている。
ここから大天井ヶ岳を越えて、山上ヶ岳ということになる。
うっちゃん曰く、「わぁ、急だなあ!」
イラストでは岩場をよじ登るようだ。
 

























「山上ヶ岳」への標識には、鯉のぼりが掲げられている。
 










13.15分
「百丁茶屋跡」に着く。
小屋が建てられている。ちょっと覗いて見ると、
ビックリするほど綺麗である。
真ん中に囲炉裏があり、時計と、簡単な寝具が二組ぐらい置かれている。
床はピカピカ光っている。立派なものである。





小屋の側には、不動明王が祀られている。











14時前から雷が鳴っていたが、次第に雷の音も大きくなり、ついに雨が降り始めた。
雨具をつける。
14.14分 水場ある。
顔を洗って、水の冷たさにホッとする。
水の補給もする。
うっちゃんは、「頭から冷房だ」と言って、頭に水をかけている。 
15.33分
「五番関」に着く。
30分ぐらいにわか雨が降ったが、五番関に着いた時には止んでいる。
雨具を脱ぐ。
「女人結界門」がある。その横に、大峯山寺からの「お知らせ」が書かれている。
平成9年10月に一部の報道機関等により大峯山の女人禁制が、然も解禁のごとく報道されましたが、この件につきましてはこれら報道関係の一方的な報道によるものであり、大峯山は今まで通り女人禁制でございますのでこの事も尊守されまして、ご参拝されますようお願い申し上げます」と書かれている。
10分ほど休憩して出発する。
 

「五番関」を出発すると、15.54分鎖場に出逢う。
鎖につかまって、進む。
ここで初めて上から下りてきた男の人に出会う。
「どちらからですか?」と言えば、「山上ヶ岳から」だという。





16.14分 「鍋冠行者堂」に着く。
お堂の横に貼り付けられた「鍋冠行者堂縁起」には、
天武天皇の御宇、修験道の開祖役の行者(神変大菩薩)が吉野熊野を結び大峯山中で衆生済度の為に修行中、この付近にさしかかった際、その修行を妨げようと大蛇が現れ、口から火を噴き、その火は火の玉となって行者に降りかかりました。行者は峯中での食事用に携帯していた鍋を被ってその難を避け、修行で身につけた呪術で、その大蛇を退治しました。その大蛇の頭は現在の大峯山寺本堂あたりに弾け飛んだので、本堂の内々陣は現在も辰の口と呼ばれています。また、その大蛇の尾は、遠く吉野さ山まで弾け飛び、その地は現在、辰の尾という地名になっています。その大蛇の腹部がよこたわっていたこの付近は蛇腹と呼ばれています。
このような故事にちなんで、古くからこの地には、ほかに顔を見ない鍋を被った役の行者尊が祀られるようになりました。

と書かれている。

お堂の側に「百五十五丁」の丁石があることに気がついた。
今の距離に換算すれば、約16kmである。
どこが起点になっているのだろうか?

丁石は上に行くほど、大きい数値になっているのだ。






16.35分
雨上がりの道はなかなか清々しい。








 

17時の雨上がりの景色である。
 










17.07分 鎖場を上る。













奈良地方気象台の「山上岳地域雨量観測所」を横に眺めながら進む。

うっちゃんも平坦な道で元気よく歩いている。









17.48分
此処が「洞辻茶屋」と呼ばれるところである。

大きな不動明王像がある。「円満不動明王」である。
そばに「皇太子殿下御立寄地」の石碑は立てられている。
熊野古道の中辺路コースにもいくつもあったが、
あちこち出掛けられているんだなぁ、と感心する。
 
「本堂まで約2km、 洞川まで約8km、 吉野まで約24km」と標識がある。
そうすると、今日、吉野から24km近く歩いて来たのであろうか?
あと、本堂まで2kmであるが、予定時間では、70分とある。
そんなにかかるのかなぁ? と思う。






茶屋の中で休憩する。両脇に店舗が並んでいるが、一つも店は開いていない。
休みでもなければ上ってくる人はいないんだろう。
今日、僕たちも一人しか出会っていないからね。
値段表が掲げてある。
コーヒーが300円、お茶が400円、・・・・
「あれ! お茶がコーヒーより高い!



 

18.10分に出発する。









18.34分
「お亀石」と呼ばれるところを通る。
   「お亀石ふむなたたくなつえつくな
      よけてとおれよ旅の新客」と詠われている。

途中から、平成新道を上る。材木で階段が造られ整備されている。
階段の連続で、けっこうきつい。
うっちゃんは、階段でだいぶこたえている。


18.37分
山門をくぐる。








 

18.44分 
目の前にようやく宿坊が見えてくる。









18.53分
「西の覗」と呼ばれるところが、ちょっと高いところにある。
リックを下ろして、写真を撮りによる。
こんな遅い時間だから、誰もいない。

 






 

「西の覗」からの日暮れの光景である。














よくテレビなどでこの岩から身を乗り出して下をのぞき込んでいるのが映されるが、
この場所からである。
身を綱で括り、鎖で落ちないように固定されるが、
その鎖が岩に埋め込まれている。









19.00分 
今日の宿坊である東南院に着く。
東南院に着いて、宿を頼むと、「今日は先に来ている一人だけで、あとは聞いていない」という。
一ヶ月以上前に予約してあるのに、何たることだ。
「時々、下の奥さんから、連絡が洩れることがある」と、
吉野の東南院から山のほうに連絡がきていないのだ。
しかし、「用意しましょう」と言って、準備にかかってくれる。
「風呂もありますから」と言う。
まさか風呂に入れるとは思ってもいなかったのだ。有り難いことである。
さっそく部屋に落ち着き、風呂に入る。
8時より食事する。
食事しながら、「明日はどちらへ?」と訊かれて、
「弥山」と答えれば、
おじさんが、「あそこは夕食が5時で、それより遅れると、食事が食べられないよ」という。
「まあ、食事が食べられるにしても文句を言われる。ちょっと偏屈な人のようだよ。
予め連絡しておいたほうがいい」と忠告してくれる。
今日の予定が、約8時間なのに、10時間もかかっているのだ。
「泊まっている南さんが、明日、同じ弥山まで行く」という。
「じゃ、その人に僕たちが6時過ぎると伝えてもらおう」と頼むことにする。
弥山小屋へ予約した時、「夕食は5時、朝食は6時」と言われていたが、
「朝5時過ぎに出発すれば、なんとか5時に入れるだろう」と考えていたのだが・・・・
今日のペースでは、とんでもない。10時間以上かかるな。着くのは6時過ぎるだろう、と思う。
明日は、5時に朝食して出掛けることにする。
うっちゃんは、足は痛くはないというが、洞辻茶屋からの最後の2kmに相当疲れ切っているようだ。
ビールで英気をつけ、8.45分就寝。

                  7/27日 山上ヶ岳〜弥山へつづく