山上ヶ岳〜弥山を歩く
           (2004/7/26−28)

  
7/27

4時に起床。
出発の身支度をする。
4.50分に朝食。
南さんに、お会いして、「弥山に先に着いたら、僕たちが5時には間に合わない。6時過ぎるかも知れない。
しかし、食事の準備だけはお願いしたい、と伝えてほしい」とお願いする。
南さんは、「予約の時、5時と言われたが、5時に間に合わないので、6時にしている。
写真を撮りながらゆっくり行くので、先に着くかどうかわからないけど、
先に着いたら言いましょう」という。
東南院のおじさんも、「あとで電話で弥山に電話入れてあげますから」と言ってくれる。ありがたい。
東南院に祀られている役行者、蔵王権現さん、不動明王さんに、「山歩きの無事」をお願いして、5.45分 に出発する。

本堂への山門をくぐり、石段をあがる。









登り切ったところに本堂がある。
本堂の鍵を開けようとしているおじさんに、弥山への道を訊く。
「そこを行けばいい」と指さして教えてくれる。
「水は、小笹の宿と行者還の宿だ。そこを過ぎたらもう水はない」と、水飲み場まで教えてもらっった。
「弥山まで行くんだら、出発が遅すぎる。4時にはでかけなけらば」と言われた。





鉄製の大きな下駄が置かれた側に、
「柏木方面」の標識がある。




「大峯山史跡 投げ地蔵」と書かれた表示板が立てかけられている。










朝の清々しい空気の中を颯爽?と歩く。










6.32分 
「小笹の宿」に着く。
小屋が建てられている。
中を覗いてみなかったが、寝泊まりはできるようである。
側には水が流れており、自炊できる。





役行者像がある。












標識には「柏木道」とある。
「弥山」という標識はないが、
弥山へは「柏木道」の標識に従って行けばいいのだ。







7.20分 
「阿弥陀の森」に着く。
女人結界の門がある。

「柏木」方面は、ここで左の方に行く。
「弥山」は、右の方向である。




7.29分 
「脇宿跡」の標識がある。
「なるほど。宿場としてなんとなく面影があるようだなぁ」と
思わせるほど広々としたところである。







7.42分
シャクナゲの群生地がある。









8.34分
「小普賢岳」であろうか。
標識はないが高いところである。

此処から急な岩場の下りになっている。
赤い布に「危険」と書かれた表示が木に括り付けられている。




8.50分
「和佐叉」と「大普賢岳」との分岐点に着く。




「大普賢岳」に向けて上るのだが、
僕が、写真を撮っている間に、うっちゃんは先に歩いて行ってしまった。
「大普賢岳」へ上って行ったものと思って、急いだ上ったが、姿が見えないのだ。
リック置いて、「うっちゃん!おーい!うっちゃん!」と大声を張り上げて呼ぶ。
下へ下りてみる。
右手に道があるとは思わなかったのだが、
うっちゃんは、「道があったので行ったが、間違ったと思って引き返してきた」と戻ってきた。
やれやれ、ホッとする。

後で、地図を見てみると、大普賢岳の山腹を巻いて道がある。








9.08分
「大普賢岳(1,779m)の山頂に着く。

下の写真は、大普賢岳から北の方面を眺めたものである。
ハッキリと、山の名前がわからないのだが、
僕が「あれが山上ヶ岳かなぁ・・・」などと思って眺めた山に名前を附ってみた。
間違っていたら、ご容赦ください







「大普賢岳」から南のほうを眺めた風景である。
向こうに高い山並みが見えているが、「あれが弥山だろうか?」と思いながら眺める。



15分ほど休憩して、下る。









10.56分 
鎖を使って下る岩場がある。











11.01分 
眺めのいいところに出る。

左の高い山から、大普賢岳(1780m)、日本岳(1505m)、和佐叉山(1344m)であろうか?










11.33分 
「国見岳(1655m)」に着く。
ここで昼食にする。
出掛けに東南院で頂いた弁当を食べる。
弁当はご飯に塩気の強い昆布、漬け物、梅干しが付いているが、なかなか喉に通らない。
弁当を食べていると、5−6人のグループが後からやって来て、「どこまで?」と訊く。
「今朝、山上ヶ岳から、弥山まで」と応えると、「弥山!」と、ビックリしたように言う。
12.05分 出発する。



12.38分
「七曜岳」に着く。

「和佐叉ヒュッテから来た」という夫婦が、僕らを追い越していく。












12.45分















12.50分
「弥山」「大普賢岳」「和佐叉山」との分岐点に着く。
「無双洞分岐」である。
先ほどの夫婦は、「また和佐又に下る」と言っていたから、
和佐又山〜大普賢岳〜七曜岳〜和佐又山と
周遊コースになっているのだ。




14.09分
「安らかに眠りたまえ」と書かれた慰霊碑がある。
大阪工業大学体育会ワンダーフォーゲル部によって造られたものだ。
「みなきケルン」と刻まれている。
昭和40年に弥山方面に行く途中、疲労のため亡くなった人の霊を祀っている。




「みなきケルン」を過ぎて、暫く経つと、雷が鳴り始める。
「また、にわか雨が来そうだな」と思っていたら、
早くも雨はポツポツ落ちだしてきた。
昨日のにわか雨とはちょっと違う。
慌てて雨具を着る。雨具はリックの一番奥に入れてあるから、
取り出しに大変である。夏山では晴れていても、いつ雨に遭うかわからないのだから、
雨具の詰め方もちょっと考えておかないといかんなぁ、と思う。
今日のにわか雨は激しい。大降りになる。
坂道が水の流れ道に変わっている。
靴が水に埋まるほどになっている。
14.57分
「行者還の宿」に着く。
雨は小降りになっている。
今日のにわか雨は長く続いた。

「行者還の宿」には、大きな立派な建物が建てられている。
先を急いでいるので、中を覗かないで歩く。
此処から、予定では3時間かかることになっている。
「今、3時だから、予定では6時になるが、今のペースでは無理だ。何とか7時には着けるなぁ」と思う。

15.49分
雨も上がってきた。
樹の間からはるか遠くに見える山並みを眺めて、
「あれが弥山の方かな?」と思いながら進む。








うっちゃんの歩きをみていると、
「もう明日からの歩きは無理だ。明日は弥山から下山しよう」と思う。
うっちゃんに、「明日は弥山から下山しよう」と言って、
「何とか弥山まで頑張って」と、うっちゃんを励ましながら進む。


16.43分
「一のタワ」に着く。
「タワ」と書かれているが、漢字で「垰」と書く。
小屋は荒れ果てて、寝泊まりできない。

予定時間では、「一の垰から弥山まで、110分」である。
予定通り歩けたとしても、弥山に着くのは、夜7時になってしまう。



16.48分
「大普賢岳 4時間50分 弥山 2時間15分」と書かれた標識のところに来た。

さっき一の垰で、110分と思ったが、ここから2時間15分(135分)では、さらに遅れるな、と思う。








16.55分 
また標識が立っている。
これには、「弥山 3.5km 2時間30分」と書かれているのだ。
さっきの標識から13分も歩いてきたのに、さっき見てきた「2時間15分」より多い「2時間30分」と予定時間が増えているではないか。
うっちゃん、ガッカリして、ますます疲れが出てくるような様子である。




17.12分 
前方に遠く山並みが見える。
どうも一番遠くに見えるのが弥山のようである。










17.29分
「奥駈出合」の標識がある。
左に「行者還トンネル西口」、右に「奥駈本道 山上ヶ岳」と書かれている。
「弥山 2時間」の標識もある。



この辺りに来て、一番気になりだしたのが、
日が暮れて暗くなってしまうことだ。
ヘッドランプを持っているものの、道が分かり難くて間違っては? と気になりだした。
昨日、夜7時まで歩いているので、7時まではヘッドランプは不要だ、と思う。
雨が降っていないので・・・・


17.58分
「弁天の森」に着く。









18.37分
「聖宝の宿跡」に着く。
予定では、ここから50分とある。8時近くになる。
頑張って登ろう。

うっちゃんに声をかけながら上る。




19.10分
登る途中の木の間から、遠くに今日歩いて来た山上ヶ岳のほうを眺めて写真と撮る。
もう足下も暗くなり始めている。
何とか弥山小屋まで、足下が見えててほしいと願う。
ここからは、道に迷うことはなさそうだ。
と、思うとホッとする。

小屋はもうすぐそこだ、と思うのだが、
ついにヘッドランプを点けなければ歩けない暗さだ。
取り出して点ける。


弥山小屋に着いたのは、8.05分であった。
小屋のご主人に、遅くなったことのお詫びをする。
先に着いていた南さんも部屋から出て来て出迎えてくれる。
南さんが、「小屋の主人も心配していた。ひょっとしたら行者還の小屋で泊まったのかと思った」と言われる。
もう一人のお客さんも。
みな、心配してくれて、待っていて下さった。
ほんとに申し訳ない。
小屋の主人は、「明日は無理だから止めるように」と言われる。
僕も、「もうこれ以上無理だから、下山する」と決めているので、
「明日は下山します」とお応えする。
「9時に消灯だから、すぐ食事をするように」と言われて、
濡れたものを乾燥室に干したあと、食事する。
前もって、南さんと東南院から電話を入れてくださったので、食事の準備はして頂いてある。
食事後、「下山コースをどうしようか?」と考え、
「川合に下りるしかない。川合のコースを下りるのに、2コースある。
渓谷コースはきついので、山周りのコースで下りよう」と考えていたら、
南さんが、「栃尾辻から天の川温泉に下って、温泉に入って、民宿に泊まってゆっくり帰る」という。
川合に下る途中の栃尾辻から坪内に下れば、そこが天の川温泉である。
「それがいい。温泉に入って、身体を綺麗にして、帰ることにしよう」と
南さんと同じコースで下りることに決めた。
うっちゃんにとって、楽なコースであり、温泉に入れるので最良のコースに思えたからだ。
朝食は6時からだから、食べたらすぐ下れば、その日のうちに帰れる、と思う。

まもなく9時になって消灯された。
無事に歩いてこられたことを感謝して眠る

        ― 7/27 おわり ―


  
7/28

4時半に目を覚ます。
6時に朝食。
泊まり客は、僕らのほかに、東京から来た人と南さんの総勢4人である。
一緒に食事する。
東京の人は、若い頃、山登りをしていたが、定年後また山に登ろうと、
今、百名山を登っているんだ、という。
「今朝、4時45分に出発して、八経ヶ岳に登ってきた。往復45分位かかった」という。
「今回で、88の山を登っている」という。
すごいなぁ、と感心する。
6.50分 
小屋の主人に挨拶して、
弥山小屋を後にする。









弥山神社にお詣りして下山する。










神社から八経ヶ岳(1915m)を眺める。
















記念写真をパチリ! パチリ!












世界遺産の指定もあり、下り道は、新しい木道の階段が整備されている
 
狼平に着く。
新しい小屋が建てられている。
中を覗いてみたら、一人寝袋で泊まられていた。








10.28分
栃尾辻に着く。

この栃尾辻は、川合と坪内との分岐点である。
ここで、自炊ように持って来たバーナーで湯を居湧かし、コーヒーを飲むことにする。みそ汁も作って飲む。
このための水は、弥山小屋を出発するときに、用意してきたのだ。
お茶も湧かして、これから下る途中のお茶をボトルに詰めることにしよう。
手作りのトマトも用意してきたので、取り出し、塩をふって食べる。
「うま〜い!」
特別美味く感じる。
時間的に早いが、自炊ようにと準備してきたカレーライスを作って食べる。
もう下りの時間を気にすることはない。
ゆっくりお茶を飲みながら・・・・

11.30分 坪内に向けてスタートする。
早く温泉に入って、ビールが飲みたい!
うっちゃんの足は軽いようである・・・・上りはないから当然かも知れないが。

14時に下山した。
熊によるけが人発生 登山者は十分ご遠慮下さい」と書かれた看板がある。
幸い熊さんにはお目にかかることはなかった・・・・
下山口のそばにある神社にお詣りして、無事登山できたことを感謝する。
 
川では、子どもたちが楽しそうに泳いでいる。











「天の川温泉」に入り、スッキリしたところで、ビールをグッと飲んだことは言うまでもない。
お疲れさま〜


          ― おわり ―

山上ヶ岳〜弥山を歩き終えて

若い時に、川合から弥山〜山上ヶ岳を歩き洞川に下ったことがある。
この時は単独で、テントを担ぎ、渓谷コースを登り、弥山の手前でテントを張り、
翌日、弥山から山上ヶ岳に向かって歩き、途中で、小屋に泊り、
その翌日、小屋から山上ヶ岳を登り、洞川に下ったことがある。

この時の印象として、今に、記憶に残っていることは、
・テントを担いで、川合からの渓谷沿いに上るのが、北アルプスを登るより、「きついな」と思ったことだ。
 垂直に近いようなはしごを、次から次へと上らなければならなかったからだ。
・もう一つは、小屋に泊まった時、僕一人であったが、寝袋で寝ていると、ネズミが走り回って、
 顔だけ出している状態だが、なにか耳を囓られるのではないか、という
 真っ暗闇の中で、たった一匹のネズミに恐怖感を感じて眠れなかった。
この二つ以外は、歩いた道の印象とか、山の印象とか、身体の疲労度など、まったく記憶に残っていないのである。

今回、山上ヶ岳から弥山を歩きながら、宿跡の場所のこと、小屋のこと、歩いている道のこと、鎖のある岩場のこと、
山の頂上のこと、風景など、何か記憶が甦ることがあるかと思ったが、
「此処は歩いたことがある」とか、「此処に小屋があったな」とか、「あのとき此処で景色を見たな」というような記憶が
何一つ甦ることはなかった。
初めて歩いた時の新しい印象であった。

家に戻ってから、過去の記録と地図を捜してみた。残っていた。
その結果、次のことが分かったのだ。

歩いた年月日は、昭和39年7月27日から29日であった。
昭39/7/27: 川合〜河合小屋、此処でテントを張る。
     7/28: 河合小屋〜狼平〜弥山〜行者還(
泊まった小屋は、行者還の小屋であることが分かった。今回、大きく立派な小屋になっていたが、その時の小屋は小さく荒れていたように思う
     7/29: 行者還〜国見岳〜山上ヶ岳〜洞川

「北アルプスを歩くよりきついな」と思ったのは、前年の昭和38年8月に、単独で槍ヶ岳に登っている。この時と比較して、「弥山渓谷の登りがきつい」と思ったのだ。
テントを担いでいたので、その当時のテントは支柱も鉄製で、幕も厚い布製だから、テントだけでも相当の重さがあったように思う。

このようなことが、今回、分かったことである。


     ご覧頂きありがとうございました