弥山〜前鬼を歩く
                 (2004/9/23〜25)


9/24(第二日目) 楊子ヶ宿跡〜釈迦が岳〜前鬼を歩く

昨夜、寝る6時頃からは雨が降り出し、ガスがかかって、風の音もしていた。

愛媛からのお二人は、「明日は3時に出発するので、迷惑を掛けるかも知れないが・・・」と言われて寝られたのだ。
真っ暗な中をヘッドライトで歩き始めるというのだ。
僕は、明るくなってからと、5時半出発の予定だ。
僕は、初めてのコースをヘッドライトで歩くなんて、道を間違って終いそうで、危なくて歩く気になれない。
愛媛のお二人さんもこの大峯奥駈は初めて歩くのだが・・・・勇気があるな、と感心する。

僕は、3.50分に起きる。
お二人さんもつられて起きられた。
3時に出発すると言っていたが、雨と霧で歩けないので、出発を遅らせていたのだ。
お二人は、出発の準備をして、朝食は途中でされるようだ。
4.45分に出発して行かれた。

僕は、バーナーでお湯を沸かしたりして、朝食の準備をしたり、荷物の整理をしたりで、
出発はほぼ予定通りの5.35分である。

もう明るいので、ヘッドライトは必要ない。
小雨である。
雨対策は万全のつもりである。
霧は消えて、歩く見通しはよい。

小屋を出てすぐ倒木があり、進む道もはっきりしないのだ。
ちょっとまごつく。
こんなハッキリしない道を、お二人さんはヘッドライトで間違いなく行ったんだろうか?などと、他人様のことを心配する。
赤いテープが黄色のテープが木の枝に巻き付けられたりしているのが、
唯一の頼りである。
赤や黄色のテープを見つけては、
「OK!」「OK!」と声に出して確認して進む。
誰も居ないのだから、どんなに声を出しても笑われることもないからね。

今回は、ちっちゃなラジオを携帯したので、それを聞きながら歩いている・・・エアホーンなしに。
音を出していれば、まあ、熊除けにもなるかも知れないな、と思いながら・・・・。

「仏生ヶ岳 5分」の標識がある。6.30分である。
5分歩けば山頂に着くのか、と思っていたら、どんどん歩いても山頂には着かない。

倒木が多く、倒木を腰を屈めて通り抜けたり、跨いで通るのは、荷物が大きいのでやっかいである。
荷物も家を出るとき、13.8kgだった。
楊子ヶ宿で水を3g補給したので、今は、16〜17キロほどあるだろう。

「滑らないように注意!」と声を出して自分に言い聞かせながら進む・・・雨で滑りやすいからね。

7.23分
いつの間にか「孔雀岳」と書かれた標識のところに着く。
「仏生ヶ岳 60分」「釈迦ヶ岳 110分」と表示されている。
此処は孔雀岳(1779m)の山頂ではない。
この道は山頂を通らなくて、巻き込んでついているようだ。










7.53分
巨岩がある。ちょこんと小さなお像が安置されている。
このお像は「蔵王権現」さんであろうか?
不動明王さんにも見えるのだ。

雨でゆっくり出来ない。
写真を撮るにも雨で思うように撮ることができない。
カメラが濡れてしまうのだ。







7,58分 目の前に岩壁が見える。
ここが何というところであろうか?
資料でも見てみたいと思うけれども
雨で資料を広げることができないのだ。

写真もゆっくり撮りたいと思うのだが・・・それも雨で撮れない。
晴れていれば素晴らしい眺めだろうなあ、と思う。







これからさらに進んだところだったと思うが、
道は、右手に岩がそそり立って、岩石ゴロゴロの谷になっている。
赤いテープを確認して進んだのだが、次の赤か黄のテープが見当たらないのだ。
道は谷に向かっているように思う。ちょっとおかしいな、と思って進んだのだが、
赤や黄色のテープが見当たらない。おかしい。
赤いテープのところまで引き返し、次の赤いテープはどこか、と見回してみるのだが見付からない。
また進んで見ても見付からない。
戻って反対方向に歩いて行ってみると、やっとテープが見付かった。
ああ、助かった!
ここで10分以上ロスしてしまったのだろう。

鎖場がある。鎖をつたってを2〜3カ所?ほど下降したところで、
また進む方向を捜しているうちに、
もの凄いどしゃぶりの雨となってきた。
どこか雨宿りをする岩陰はないかと捜したが、まったくない。

このどしゃぶりの雨が過ぎてから歩こうと、どしゃぶりの中に、しばらく腰を下ろし休息する。
リックの中に、ポンチョも持ってきたのが入っているので、
それを被って雨をしのごうと思って、取り出そうとするも、
リックを開けることも出来ないのだ・・・雨が入り込むために。
ウエストポーチは上の雨具の中に隠したつもりだったのに、不十分だったらしくて、
開けたら、中は雨が入って水が溜まっている始末。
中に入れていたメモ帳や小物はびしょびしょ。
なんたることだ!

こんな時のために、リックの横に折りたたみの傘を括りつけていたのだが、
折りたたみ傘のことをまったく気が付かなかった。
下山して、傘を持ってきたことに気付いて、
なぜ、あの大雨の時に、この傘のことに気付かなかったのだろうか! と。
進みべき道のことや、これからの行動をどうしようかと、
一所懸命に思いめぐらせていて、こちらのほうに気がとられていたのだ。
何たることだ! 自分の愚かさにあきれはてる。

大雨もいつやむかわからないので、歩き出す・・・釈迦が岳を目指して。
坂道は雨で川の流れになっている。靴まで埋まってしまうような水の流れの中を歩く。
なんでこんな最悪な日に歩くのだろう!
9月初めに歩こうと思ったのだが、台風11号や18号が相次いでおそったので、
延び延びになっていた。週間予報を見て出発日を決めようと、インターネットで天川村の天気を取り出して
眺めていたが、週間予報がコロコロ変わってしまうのだ・・・・半日も経たないうちに。
これ以上遅れれば、今年は歩けないだろうと思って決断して出発してきたのだが・・・最悪である。

雨で濡れたこの岩場を滑り落ちれば、奈落の底だ。
晴れた日にこの辺から眺めれば、素晴らしい眺めだろうな、と思いながら・・・・まだ登る。

9.39分 
釈迦が岳(1799.6m)に着く。
名前の通り、大きな釈迦如来像が安置されている。
台座には「南無釈迦牟尼佛」と刻まれている。
















白い板に秘歌、古歌が書かれて錫杖に括り付けられている。

  秘歌
    杖捨を登りてみれば釈迦ヶ岳
       九品の浄土ここにこそあれ

  古歌
    正覚の峯に登りてながむれば
       五百羅漢は蓮台のした

雨の中なので、ゆっくりと休憩もできない。
お詣りして、先を急ぐ。


「深仙の宿」の小屋まで、何とか行こう。
後の行動は、それから決めよう、と思う。

9.56分 
「十津川村旭口」「前鬼」との分岐点に着く。
「釈迦ヶ岳 10分」「前鬼 140分」と書かれている。

熊野本宮まで歩く計画はここで中断して、
「前鬼」に下りて、宿に泊まろうと思う。

「前鬼 140分」とある、今、時間10時だから、遅くとも1時過ぎには着けるだろう。






10.28分
「深仙の小屋」が見えてきた。
小屋だと思ったのは、近付いて見れば、「大峯中臺八業深仙灌頂堂」の看板がかかっている。
戸を開けて、中を見れば、薄暗い中に、何体かのお像が安置されていた。

西行の歌として、
   深き山に澄みける月を見ざりせば
      思出もなき我身ならまし
と書かれた歌碑板が柱に打ち付けられている。

あとで、前鬼宿坊の主人から聞いた話だが、
「御像は昔は15体あったが、15体とも盗難に遭って、戻ってきたのは12体。
現在は、1−2体追加されて、13体か14体だろう」とのことだった。



「深仙の宿」の標識が立てられている。「釈迦が岳 50分」「大日岳 20分」と表示されている。

深仙灌頂堂から50mほど離れたところにある青い色の小屋が、「深仙の宿小屋」である。
小屋に近付くと、先に出発した愛媛のお二人の姿が見られた。
「心配していました」と若い斎藤さんが声をかけてくれる。
斎藤さんも「途中で一カ所ほど道が分かり難いところがあった」という。

真ん中に囲炉裏のように焚き火が出来るようになっている。
その周りに寝るスペースがある。
6畳近いスペースがあろうか。


「これからどうされか?」と訊かれたので、
「僕は前鬼の宿に下りる。熊野までは無理だから・・」と答える。
お二人は、「ここで泊まろうと思ったのだが、小屋の戸が壊れて閉まらないからね」という。
入り口の戸が壊れて閉まらないのだ。
「一緒に下ろう」ということで、
10分ほど休憩後一緒に出発する。
















11.06分 
「大日岳(行場)」を「太古の辻・前鬼」と書かれた分岐点に着く。
大日岳(1595m)には寄らないで、真っ直ぐ太古の辻に急ぐ。











11.14分 
「ここより大峯 南奥駈道」と書かれた標識がある太古の辻に着いた。
「持経の宿山小屋へ 8キロ 5時間」 「平治の小屋へ 9.7キロ 6時間」
「玉置へ 29キロ 16時間」 「本宮備崎へ 45キロ 24時間」と表示されている。
















太古の辻から前鬼に向かって下る。
お二人に、「先に行ってください」と言われて、一人で下る。
11.32分 谷川に出逢う。
今日の雨のせいであろうか、ごうごうと音を立てて急激に流れ落ちている。

鎖場もある。











 

12.01分 
「二つ石」に着く。
ガイドブックには、「約10メートルの岩柱で制多伽(せいたか)童子、衿羯羅(こんがら)童子といい、背後の千草岳とともに修験者の行場になっている」と書かれている。
















谷川を対岸に渡らなければならないところがある。
水の流れは急激で、岩が沈んでいるので、水の中に足を突っ込まなければ渡れない。
滑らないように注意しながら・・・靴の中は水でじゃぶじゃぶ。
こんな3−4カ所渡って、前鬼宿坊に近付く。
















もうすぐ宿坊に近いと思われる谷川で昼食を作って、食べ終えたら、後からきたお二人に追いつかれた。
また一緒に歩き出す。

13.42分 「五鬼童住居跡」の立て札がある。そのすぐ側に「xx住居跡」がある。
















13.45分 「小仲坊」に着く。その側に「行者堂」がある。役行者が祀られているという。
















宿泊所(小仲坊)に着くと、そばの畑を耕している人がいた。
この人が宿泊所の主人である。

五鬼助義之(ごきじょ よしゆき)さんというお名前であると、あとで知る。
その住居である。










宿坊(小仲坊)は誰でも素泊まりできるようになっている。
料金箱は設置されて、素泊まりした人は、4,000円入れるようになっている。

ご主人は此処で生まれ育ったのだが、今は大阪に住んでおられて、
毎週土、日曜日にこちらに帰られて、食事を用意したり、泊まり客の世話をされているのだ。
大阪から4時間ほどかかるという。
たまたまこの日は金曜日であったが、ご主人が帰られておられて、
「これからすぐ風呂を沸かす。食事を作るから、一緒に呑もう」と言ってくださる。

我々は、まず、荷物を宿泊所に広げ、濡れたものをすべて物干しに吊るし、乾かす作業だ。
着替えも濡れてしまった。
ビニール袋に詰めてきたのだが、口をしっかり縛っていなかったので、
雨が入り込んでしまっていた。
少し助かった下着類で過ごさねばならない。

風呂に入って、汗を流し、そのあとは布団にもぐって一眠りする。

「ご飯ができましたよ」と呼ばれて、一緒に食事する。ご主人の手作りだ。
奥さんも食事前には、大阪から来られていた。

食事をしながら、ご主人からいろいろ話をお聞きする。

役行者が大峯奥駈の修験道を拓かれたのは、1,300年前だという。その役行者に従って、役行者の前で
斧(おの)を持って道を切り開き・・・これを前鬼といい、役行者の後ろで、水を入れた壺を持って、料理をしたのが・・・後鬼(ごき)と言われて、
前鬼、後鬼は夫婦だった。夫婦に五人の子どもがいて・・・五鬼と言われている・・・1,300年前からこの地に住んでいたというのだ。
五鬼助(ごきじょ)は五人の子どもの一人だった。その末裔が、現在のご主人であるという。
明治の初期まで、ここに5軒の宿坊があったのだが、次々に廃業して、今はこの小仲坊一軒になってしまった。
伯父さん、弟が後を継いで護ってきたのだが、弟が止めたいというので、8年前からその後を継いで続けている。
この土地が好きだ。
この後は子どもが大阪にいるが、後を継ぐ意志がある、と言う。
今は、前鬼口のバス停から、此処まで車道が出来たが、昔は3時間ほどかけて荷物を担いで運んできたのだという。

電話線は此処まできているが、電力線はきていない。自家発電である。

夕食が終わって、布団に入って、ラジオを聞いていたが、いつの間にか寝込んでしまった。

9/25(第三日目)

朝食を6.30分に頂く。

前鬼口バス停から、八木方面へのバスは7.41分と10.38分の2本しかない。
バス停まで約3時間歩いてかかるというので、10.38分のバスに乗ることにする。
宿を7時に出発する。
歩き出すと、「前鬼山由緒」の説明板が立てられている。

村指定史蹟
前鬼山由緒
役の行者(小角)が大峯山を拓いた時(白鳳三年・676)その弟子、義寛と義賢の夫婦が修験道の行場守護の命を受け、
この地(前鬼)に住みついた(前鬼村誌)
この夫婦に五人の子(五鬼)があって五鬼熊(行者坊)・五鬼童(不動坊)・五鬼上(仲之坊)・五鬼助(小仲坊)・五鬼継(森本坊)と称し、代々館を構え、連綿として、この修験道の聖地を守護して来たが、時代の変遷と共に、明治の末期から、つぎつぎと姿を消し、今は、わずかに五鬼助(小仲坊)だけが法灯を護っている。
               下北山村教育委員会




宿坊から暫く行くと、舗装道が落石や土砂崩れで車は通れない状態である。
台風11号や18号が続いてきたので、崩れていまったのだろう。
昨日の雨で、道路がくぼんで水の流れになっている。
何百メートルとこんな状態が続いている。
復旧には大変な日時と費用がかかりそうだ。
















歩きながら、昨日下ってきた太古の辻のほうを振り返る。
左から、天狗山(1537m)、石楠花岳(1472m)であろう?
稜線のV字型にくぼんだところが、太古の辻であろうか?
今日は晴れ渡って、こんな日に歩けば気持がいいのにな、と思う。









落石の道を歩いて来ると、向こうから軽トラックが走ってきた。
落石のある道を上ってきたが、これ以上上れないので引き返すのだ。
そのおじさんが、「バス停まで載せてあげると」という。
乗せて貰いながら、雑談する。
「栃(トチ)の実を拾いにきた」というのだ・・トチ餅を作るために。
「トチの実は二十日間ほど水であく抜きをして、そのあと、灰汁であく抜きを三日間ほどして、
また川原の水であく抜きをする。時間がかかるのだ。川原であく抜きをしているのを盗まれることがある。
その時は堪らん。トチの実を拾いに行っているとき、何回も熊に遇ったことがある。その時は、ライターの火をつけるのだ。
そうすると、熊は逃げていく」という。
ライターの火で熊が逃げるとは初耳である。
これからの山登りには、百円ライターをポケットに入れておこうと思う・・・・僕はタバコは吸わないのだが・・・・100円ライターで熊除けができるとはねぇ。

前鬼口バス停に8.15分に着いた。
10.38分まで2時間以上ある。ラジオを聞いたり、
神戸から車でブラックバスを釣りに来た若者と話す。
この池原ダムは、日本有数のブラックバスの釣り場で、日本で69センチの最大のものが釣れたところだという。
ボートでこれから釣る、と言って去っていった。

池原ダムと大峯奥駈を眺める。

乗ったバスはガラガラ、僕一人である。
運転手は、「昨日8時から9時頃降った雨で、この169号線は、11時半から4時半まで通行止めになった」と話してくれた。
ダムには台風で流れついた材木でうめつくしているところが見られた。

杉の湯で八木行きに乗り換えて、近鉄上市駅まで行き、電車で帰宅する。
とにかく、無事に帰れたことが有り難いと思う。
  

お疲れさ〜ん!
今後は、釈迦が岳から熊野まで歩いてみたいなあ、と思う・・・・元気が続けばねぇ。


                      ― おわり ―