ポンポン山(678.9m)
                     2016/7/20

「山歩き」の会の「ポンポン山」登山である
当初予定は「呉枯の峰」であったが、急遽「ポンポン山」に行き先変更となり、
7.25分 近鉄高の原をバスで出発



9.43分 高槻市の原立石バス停に到着。ここが出発点である
「日本最初毘沙門天神峰山寺道」の石碑ある
  
9.57分 鳥居につく。10.03分 
鳥居のそばに「牛地蔵」さんが安置されている。牛のお姿である。
かつて亀岡から原を経由して淀川へと通じた古道があり、原からも特産品である寒天や薪炭などが淀川を経て大阪へと運ばれていました。このあたりは、古道のなかでも京坂越と呼ばれる難所で、重い荷物を運んで行き来した牛を供養するために牛地蔵がまつられています。
勧請掛(縄に樒(しきみ)を結びつけたもので、聖地との境界を意味している)が見られる。
「勧請掛(かんじょうがけ) 縄に樒(しきみ)を結びつけたもので、聖地との境界を意味していますが、大阪商人らは、その長短などで米価や株価を占ったといわれています」
と書かれている。
   
10.14分 神峰寺の山門に着く
山門のそばに「神峰山寺」のついての案内板がある。

神峰山寺は、根本山と号して天台宗に属し、毘沙門天を本尊とする。
寺伝によれば、役行者小角が開山し、宝亀年間(770頃)に開成皇子が創建したという。
当時は仏教の聖地として、比叡山(京都府)や葛城山(奈良県)と並ぶ7高山のひとつに数えられ、
僧坊21・寺領1,300石に及んだ。
皇室の崇敬が厚く、また足利3代将軍義満や豊臣秀頼の生母淀殿らの寄進も多く、大いに栄えた。
秀頼も諸堂を造営したと伝えられる。
しかし、江戸時代中期の明和2年(1756)に火災で焼失し、安永6年(1777)に再建された。
現在は、宝塔院(本坊)と寂定院、龍光院の3院となっている。
本堂に安置されている阿弥陀如来座像は、寄木造りで平安時代後期、
また2体の聖観音立像は一木造りで同中期と後期の作とみられ、いずれも昭和25年8月に、
国の重要文化財に指定されている。

   
11.26分 本山寺に到着。ここで昼食。
「本山寺」の説明板が立てられている。ここには、

本山寺は、別名「霊雲院」ともいい、毘沙門天を本尊としています。役の行者が葛城山で修行中このあたりに五色の彩雲がたなびくのをみて、この地に来て行をし、毘沙門天の像を刻み、堂をかまえました。時は696年のことです。
本堂の中には、聖観音立像、御本尊毘沙門天・不動明王等が安置されています


  
11.59分 本山寺で記念写真

  
12.21分 天狗杉に到着。休憩。
   


12.58分 ポンポン山(678.9m)山頂に着く。休憩。
「ポンポン山」の説明がある。

この山は正しくは加茂勢山といいますが、標高679メートルの頂上に近づくにつれて足音がポンポンとひびくことから
通称ポンポン山と呼ばれています。
京都市の西橋にあたりますが、このすぐ東の地域は善峯寺・三鈷寺・光明寺などの古刹が多く、平安中期以来、仏教の
地としても重要な位置を占めています


山頂から京都市内、生駒山系の眺望である 




13.14分 記念写真を撮って、釈迦岳へ向かう。

13.43分 釈迦岳に到着。休憩。全然展望なし。
「釈迦岳」は

島本町で一番高い山で、標高は631.4mあります。重要な用水として利用されていた水無瀬川の最上流地で、お釈迦様が守っていたと云われており、万葉集にも数多くこの山が詠まれています。

という
  
14.00分 展望ポイントから生駒山方面が見られる

14.33分 善峰寺を望める展望所からの光景

善峰寺境内の有名な、「遊龍の松」が見られる。

「遊龍の松」
「遊龍」とは安政4年(1857)花山院右大臣家厚公 命名され
標石は明治26年鳥尾中将の揮毫なり。巨木にして整う姿は日本一と人口に膾炙されている。
五葉松 樹齢 六百年以上 全長五十余米 

という

14.44分 善峰寺への舗装道に出る。
 
14.57分 バス駐車場に到着

バスに乗る前に、店に入り、かき氷を食べて、歩き終わった一時を味わう

             ― おわり ―