残される者≠ノ寄り添う
 
             チャプレン兼カウンセラー 沼 野(ぬまの)  尚 美(なおみ)
一九五六年、大阪市生まれ。武庫川女子大学薬学部卒業。神戸ルーテル神学校修士課程修了。米国ゴンザガ大学宗教部宣教コース修了。ケンシントン大学大学院行動科学研究科修士課程修了(心理学・カウンセリング専攻)。病院薬剤師から病院チャプレンとカウンセラーに転職。チャプレンとしては淀川キリスト教病院、姫路聖マリア病院などに勤務の後、カウンセラーとしては日本バプテスト病院などを経て、現在、宝塚市立病院緩和ケア病棟、社会保険神戸中央病院、国保中央病院(奈良)緩和ケアホームにてチャプレンとカウンセラーを兼職。著書に、「生と死を抱きしめて ホスピスのがん患者さんが教えてくれた生きる意味」「いのちと家族の絆 がん家族のこころの風景」「共に生きる道 ホスピスチャプレン物語」「満足して死に逝く為にホスピスチャプレンが見た「老い」の叫び」ほか
 
ナレーター: 「宗教の時間」です。今日は、「残される者に寄り添う」と題して、チャプレン兼カウンセラーの沼野尚美さんにお話頂きます。チャプレンというのは、病院など教会以外の施設に居て、宗教の面から人々に奉仕する専門家のことです。沼野さんは、薬剤師として病院に勤めた後、緩和ケア病棟で末期癌患者などの心のケアに当たる今の仕事に変わりました。そして患者にとって大切な存在となる家族の心のケアにも力を入れています。沼野さんは、患者だけでなく、家族にも寄り添う大切さを考えるようになったのは、家族に捨てられたと感じ、孤独に苦しむ患者に出会ったことがきっかけでした。沼野尚美さんは、一九五六年(昭和三一年)、大阪市の生まれ。武庫川女子大学薬学部を卒業した後、神戸ルーテル神学校修士課程を修了しました。病院の薬剤師を経て、現在は兵庫県や奈良県などの緩和ケア病棟で活動しています。その中で沼野さんは、患者や家族に三つの心得を伝えています。それはどういうものでしょうか。「残される人に寄り添う」沼野尚美さんのお話です。
 

 
沼野: 私は、現在ホスピスでチャプレンとして働いております。専門的には、精神的援助と宗教的援助が私の仕事ですが、私は自分の働きを「心のケア」と平たく呼んでいます。末期癌患者さんとそのご家族、そしてホスピスで働くスタッフの心のケアを担当し、心の癒やし、魂の癒やしのお手伝いをさせて頂いているのです。チャプレンはまだ日本ではよく知られていない職種です。どの病院にも存在するわけではありません。しかし心の慰めや癒やしを必要とされている患者さんやご家族の方々に医療チームのメンバーとして独自の関わりを通して、ケアを提供することができる大切な仕事です。ホスピスにおられる末期状態の患者さん方に、ある時勇気をもってお尋ねをしてみました。「今のあなたの心の支えは何ですか? 一つ述べてください」と問うと、みんさん「家族です」と即答されました。人は一人では生きられません。そして家族でなければ、支えることのできないものがあります。人生の終わりに、傍に居てほしい人は、誰でもいいわけではありません。しかし家族の姿にもいろいろあります。必ずしも温かい家庭を築けたとは限りません。親が危篤状態になっても、子どもが来ない家もあります。家族の人間関係はいろいろあります。近年家族の絆は弱くなり、歪(いびつ)になっているように思います。つまり仲がよくない、わだかまりがある家庭が多いということです。私は、ホスピスで患者さんとご家族の方々に三つの大切な心得をお伝えしてまいりました。
一つ目は、私たちは許し許されて生きる必要があるということです。つまり「ごめんね」という言葉が人生の中で大切だということです。あの日あの時「ごめんね」という一言が言えていたら離婚しなくてすんだのに、兄弟とももっと仲良くできたのに、親を大切にできたはずだったのに、と思っておられた方、「ごめんね」と言う勇気がほしかったと、今思っておられる方も多いのではないでしょうか。人生をよりよく生きるために、私たちは家族を許すこと、家族から許されることの両方が必要です。『聖書』の中にこんな言葉があります。「エフェソ人への手紙」四章三十二節、
 
互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。
 
七十代の男性の患者さんの妻に、主治医が「会話ができる時間はここ一週間ばかりである」と伝えました。その時、妻は、病気の夫に謝ってほしいと思う出来事を思い出したのです。三十年前のこと、なんとなく日々が過ぎ、今や夫は自分だけを頼りにしている。病気になり、老いた夫を愛(いと)おしく思いながらも、きちんと謝ってほしいという思いが、妻の心にありました。そして話せるうちにと思って、ある日夫に謝ってほしいと攻め寄ったのです。夫は、「すまんかった」と小さな声で言い、妻は、「もうそのことはいいのよ」と夫に伝えました。きちんと謝ってもらうことで、許せる自分として生きるということは、残される家族にとってとても大事なことなのです。五十代の男性の患者さんは、旅立ちの日が近いことを悟って、初めて妻に思いを込めて問いました。「生まれ変わっても、僕と一緒になってくれるか?」と。妻は返事をされませんでした。やがて続く沈黙の中で、彼は反省を込めて、「お酒か? 酒が気にいらんかったんか?」と問いました。するとベッドサイドに坐っておられた妻は、思わず立ち上がり、「そうよ! そのお酒で私がどんなに苦労したと思っているの! だからあなたとは今回きりにしたいの!」。彼は妻からそう言われて、落ち込んでこの世を去って逝かれました。それから約三年経った頃、その妻は、「今だったら許せそうな気がする。あの人とまた一緒になってあげてもいいかな」と言われたのです。家族は、許すのに時間が必要です。許せなかった人を失った後、許せる気持ちになられることもあります。家族だから人生の最後に気持ちよく傍(そば)にいてくれるとは限りません。人生の終わりに傍に居てほしい人に、温かい気持ちで傍に来て貰えるように、絆を育てておかなければなりません。そのためには、人生の途上で家族の間で、許し許される経験が大切になってきます。
二つ目に大切なことは、きちんと自分も思い、愛を言葉で伝えるということです。「聖書は神さまからのラブレター」と言われています。『聖書』の言葉は、神さまから私たちへの裏切られない約束の言葉です。人間の力でどうしようもない時、神さまの言葉に励まされてきた人は多いのです。愛する掛け替えのない人を失う時、家族はこれから先、生きていけるかどうかと不安になります。心配も多い。そんな時、人間的な励ましだけでは心に届きません。『聖書』にこう約束されています。「コリント人への第一の手紙」十章十三節。
 
神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭(あ)わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
 
「イザヤ書」四十一章十節、
 
恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け
わたしの救いの右の手であなたを支える。
 
神さまが約束してくださっている言葉を、信頼できる人は、希望と安心をもつことができます。そしてわたしたちもまた、自分の思いや気持ちを家族に言葉に出して伝えることが大切です。わかってくれているから伝えなくてもいいのではなく、人はわかっていても伝えてほしい言葉があります。わかっていても、伝えなければならない言葉があります。それまで省いてしまってはいけません。二○○一年九月十一日、アメリカで同時多発テロ事件が起こりました。四機の飛行機が墜落しました。二十代のアメリカ人の男性は、墜落する前にお母さんに携帯で電話をしました。 「ハイジャックされた!」ということを伝えた後、彼はお母さんに、「今までありがとう」という言葉と「愛しているよ」という言葉を何度も伝えました。お母さんは、息子の無事を祈るような気持ちと共に、自分も大切な思いを今伝えるべきだと思い、お母さんも「あなたのことを愛しているよ」と伝えたのです。彼が人生の最期に耳にした言葉は、お母さんのこの言葉でした。後日、お母さんは、テレビの中で、こう言われました。「私と息子は、今まで何度も「I love you」と言い合ってきました。しかし最後に息子が届けてくれた「I love you」の言葉と息子の声は、生涯私の心から消えることはありません。そしてそれは今の私の心の支えとなっています。」愛する人を失った後、人はその人と交わしてきた言葉を思い出して生きるのです。五十代の男性の患者は、旅立つ前に遠方にいる息子を呼び寄せて、「君は父さんの誇りだ」と伝えました。「人間会って伝えなければ心に届かないものがある。」その患者さんは、確信をもってそう言われていました。気恥ずかしさを捨てて、自分の思いを互いに伝え合うことはとても大切です。「お母さん、生んでくれてありがとう」「お父さんの子で良かったよ」「あなたと結婚してよかった」「大好きよ。君はお母さんの宝だよ」。ここぞという大事な時、人は日頃使ってきた言葉しか言えません。家族から家族に感謝の言葉、思いやりのある言葉を日頃からきちんと言葉にして届けておきましょう。
三つ目は、苦しみの中で気づけること、悟れることを大切にするということをお話したいと思います。家族が癌になった時、本人のみならず、家族もどうしてうちの夫が、妻が、娘や息子が、病気になってしまったんだろうと悩みます。病気のその過程を見守りながらも、家族も心配をしたり、苦しんだりするのです。誰のせいでもないのに、傍にいてどうして気づいてあげられなかったのかと、自分を責めてみたり、家族の間で責め合うこともあって、家族の心も傷ついたり辛くなったり致します。夫が入院中、買い物に出かけた妻は、「元気な夫婦が、仲良く買い物に来ている姿を見て、とっても羨ましかった」と言われました。自分の夫は、末期癌患者で、妻は毎日毎日病院に見舞いに行く生活。普通に元気に生活しておる人が羨ましい。それは患者さんのみならず、家族ももつ思いです。何故こんな思いをしなければならないのか。ご家族のそんな思いにも寄り添ってきました。愛する夫や妻や子どもが、何故病気になったのか。その原因やその理由を追及するというより、家族としてその体験を生かして生きることを援助したいと思ってきました。人は苦しみを通してしか十分に理解できないものがあります。苦しい体験を通してのみ気づけるものがあります。苦しみだけに目がいき、心が疲れてしまわないように、気づけるもの、悟るものを引き出す援助をしてきました。七十代後半の男性の患者さんが、ある日こう言われました。「私ね、家内も娘も、そして孫まで先に亡くしてしまってね、一人ひとり大切な人を見送る度に、天国がどんどんこっちに近づいてくるような気がするんです。だからお蔭で自分が死ぬのはもう怖くありません。」三十代の娘が病気になり、クリスチャンの母親は、どうして娘は、こんな病気になってしまったのかしらと思って苦しんでおられました。ところがそう思っているうちに、「娘が病気になることで、神さまは私に何を教えようとされているのかと考えるようになりました」とおっしゃっておられました。家族が病気になり、家族を失ったからこそできる生き方を見つける方がいらっしゃいます。『聖書』にこんな言葉があります。「コリント人への第二の手紙」四章の十六節から十八節。
 
たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。わたしたちの一時(ひととき)の軽い艱難(かんなん)は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
 
愛する人を失って、目に見えない世界、信仰の世界に目覚める人、信仰を深める人がいます。同じような体験をしている人の力になりたいと、使命が与えられる人もいます。家族を失った病院で、ボランティアをされる人もいます。何故こんな人生をもってしまったのかと問い続けるのではなく、そうなってしまった現実を受け止めて、そこから歩むしかありません。そして癌になったからこそ、できる生きる生き方を探してみるのは、患者さんだけではないのです。家族もまた、癌患者を持ってしまったからこそ気づけること、悟れることを大切にして、人として成長して生きる道があることに気づいてほしいと願います。
最後にチャプレンとしての歩みに導かれた経緯(いきさつ)について、お話をさせて頂きたいと思います。高校生の頃は、病院で勤務する医療者になりたいという素朴な願いを持っていました。自分の適性も考えて、薬剤師という職業を選びましたが、今から考えてみると、薬剤師の仕事をよく知り得ていたわけではありませんでした。身近な人に医療者はおりませんでしたし、特に薬剤師とい職業に、思い入れがあったわけではありません。病院で働く職種の中で比較的地味な働きではありますが、使命感のあるコツコツと積み上げていける仕事のように思いました。薬剤師としての駆け出しの一年目は、ほとんど薬局に籠もって働く日々でした。二年目に入った時、病院長の方針で、薬剤師も直接患者さんを訪問し、薬の説明をさせて頂くことになりました。大部屋の病室を訪問していた時のことです。その日は地域のお祭りの日で、青年団の方々が御神輿(おみこし)を担いで、太鼓を叩きながら遠くから近づいて来る音が聞こえました。御神輿が病院の前の道を通って行くと思われた時、六人の女性の高齢者の患者さん方が、起き上がられて、ベッドの上にきちんと正座をされたのです。互いに声を掛け合うこともなく、ご自分の意志で一人ひとりが正座をされ、御神輿の方角に向かって手を合わせて、深々とお辞儀をされました。さまざまな地域から入院をされていたその病室の患者さん全員が、示し合わせたかのように無言で手を合わせられたそのお姿は、私には異様な光景に映りました。やがて御神輿が次の場所へと移動しているかのように、太鼓の音が遠ざかってゆくにつれて、患者さん方は、また元のように、一人ひとりが静かにベッドに横になっていかれました。傍におられた一人の患者さんにお声をかけてみたのです。「今、何をされていたのですか?」と問いかけてみると、その方は寂しそうな表情で、こう答えられました。「早う死んで月にならんといかん。だから早くお迎えが来るように拝んでいました。生きていても何の楽しみも希望もないんです。かえって周りのみんなに迷惑をかけるだけや。」私に訴えるように言われるその方のお言葉を聞いておられた他の患者さん方も、「あんたのいう通りや」と言い出され、それぞれにやるせない思いを、その日初めて語り出されたのです。私にとって、その日の患者さん方のお言葉は大変ショックでした。「生かされていることに喜びや希望が持てないのだ」と叫んでおられるように感じられました。一日でも長く生きて頂くための医療行為も必要ですが、病める方の希望をお支えする心のケアも必要ではないか。生かされている喜びを感じて頂く援助が必要ではないかと、小さな問いかけを心の内に持つようになっていきました。この出来事があってから、私は、患者さん方がどんな思い、どんなお気持ちで病床生活を送っておられるのか、無性に知りたくなりました。病棟勤務の看護師さんからこんな話もある日聞きました。八十代の男性の患者さんが、病室から外の風景を見ておられると、お嫁さんが歩いて来るのが見えました。長い間面会者のなかったこの患者さん、てっきり会いに来てくれると思って、嬉しくて浮き浮きしながら病室で待っておられたのです。ところが暫くしてその病室の窓から目にしたのは、お嫁さんの帰っていく後ろ姿でした。月々の支払いだけをされて、お嫁さんは見舞いに行かれなかったのです。その患者さんは、〈捨てられた〉と瞬間的に思われ、その日から精神状態がおかしくなりました。老いることの寂しさ、愛されていないと感じる時の堪らない辛さを、この話からしみじみと感じさせられました。その後患者さんの思いを、心のうちで大切にしながら、薬剤師としての仕事を暫く続けておりました。しかし私の心の中では、病める方が生かされていることに喜びを感じられるようお助けがしたい。病める方の心の援助をしたいという願いが、日毎に強くなっていきました。病院薬剤師の仕事は、自分に合っているやり甲斐のある仕事でしたので、転職への願いを持つこと自体に怖れがありましたし、心の援助なんて私にできるだろうかという不安もありました。しかし願いはどんどん心の内で大きくなっていきました。その後一年半、祈り、『聖書』の言葉「フィリピ人への手紙」二章十三節と十四節、
 
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい
 
という『聖書』に励まされて、とうとう人の心と向き合う職業を得て歩むことを決心したのです。二十五歳の誕生日の前日のことでした。チャプレンとして、今まで三千人以上の患者さんとお会いをしてまいりました。病める方々とそのご家族の心に寄り添う働きは、今の私にとっても容易ではありません。自分の未熟さに嘆くこともあります。時々私自身も関わりの中で傷つくこともあります。しかし転職を頂いたという確信と感謝をもって、これからも祈りつつこの働きを続けてまいりたいと思っています。
 
           これは、平成二十六年三月二十三日に、NHKラジオ第二の
          「宗教の時間」で放送されたものである