東南アジアの生きた仏教
 
                  京都大学・地域研究統合情報センター教授 (はやし)  行 夫(ゆきお)
一九五五5年、大阪府生まれ。龍谷大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。学術博士(京都大学)。国立民族学博物館助手、京都大学東南アジア研究センター助教授、教授を経て、京都大学地域研究統合情報センター教授。文化人類学、宗教社会学専攻。
              き き て           金 光  寿 郎
                 
ナレーター:  今日は、「東南アジアの生きた仏教」というテーマで、長年東南アジアの仏教事情を調査・研究してきた京都大学・地域研究統合情報センター長で教授の林行夫さんにお話を頂きます。聞き手は金光寿郎ディレクターです。
 

 
金光:  林先生だけでなくて、いろんなみなさんが東南アジアを調査なさった結果を纏められた本なんか拝見しますと、「仏教が生きている」。例えばカンボジアにしましても、ポル・ポトの時代が済んだ後、あるいはラオスなんか社会主義時代には、おそらく仏教が弾圧されたと思うんですが、そういう弾圧されたところが、それが終わった後の復興ぶりといのは、何もないところから生きた仏教がもくもくと広がっている、再生しているというようなイメージを受けたんですが、そういう仏教が生きて、何もないところからもう一度再生する原動力になっているのは、仏教の教えのどんなところなんでしょうか?
 
林:  先ず彼らの仏教が、何故生き生きしているか。生き生きしているように見えるかと言いますと、生活と人生すべてに関わっているそういう宗教。あるいはもっと言いますと、宗教でない宗教。暮らしの中に当たり前のように行われているもの、あるいは風景。これがやっぱり東南アジアの仏教徒の社会を見ていきますと、そういうことが見えてくる。食べ物と同じように、そこに存在していないと困るもの。ですから弾圧の時代を中国もカンボジアも経験はしましたけれども、それが一旦パッと止んで復興できるといった時に、先ず真っ先にみんなが人が集まって仏教儀礼をする場を作る。そのためにお坊さんを再得度して貰うとか、ほんとにそのプロセス見ていきますと、経典(きようてん)とか経典(けいてん)とか、そういったものの復興より前に、みんながそういう功徳を積むための仏教儀礼。ですから生活の一部になっているその仏教の姿の裏には、もの凄く人々が―タイであれ、どこであれ、上座仏教の場合は、功徳を求めるというところで非常に共通している願いと言いますか、行いの仏教をするという願望というんですかね、これが弾圧されてもすぐに復活したという。私はそんなふうに見ています。日本仏教は、漢訳仏典―サンスクリットから始まった漢訳仏典をこうズーッと書いて写して継承していった。東南アジアの場合は、パーリ仏教という。これは書き留められない。書き留めても民族の言語・文字によって変わりますので、基本的に音によって伝えられてきた。こういう違いが一つありますが、それは継承の仕方の違いというものがあります。ただ、もっと決定的な違いは、簡単に言い換えると、上座仏教の人たち―仏教徒の人たちというのは、仏教のことを何と思っているかというと、自分で寺を建てて、自分で出家して、自分で守っていくと、そういうところが決定的に違う。それからもう一つは、男の子の場合なんですけども、ある十二歳ぐらいから見習僧として、十箇の戒律を貰って訓練すると言いますか、文字通り見習僧として―沙弥(しやみ)と言いますけど、サーマネーラですが、そういう訓育というか―得度じゃないですね―出家させてお寺に住まわせてやるということ、乃至二十歳を過ぎまして、二百二十七箇もある戒律を守って世間の活動・労働とかというものから全部外れて、離れて生活するという、こういうことが良いことだと。一生に一回は経験した方がいいんだという。このいわゆる出家して、もうしんどくなったら止めたらいい。ズッと居たかったら居たい。そのまま続けていったらいい。その世襲でない出家者のあり方。もっと言いますと、出家と在家ときっちり分かれているんですけども、その戒律を持つ、持たないでよりまして分かれるんですけれども、還俗(げんぞく)して、要するに世間にまた通常の人に戻っていって、また歳取って出家したいと思ったらできるわけですね。この出家と在家がパッと二つに分かれているように見えながら、同時に回っていると、グルグル。出家した人たちが、在家の長老となって、また仏教のことをみんなに話し合う、あるいは実践していくという。これが日本と、今言った二点ですね、そこが決定的に違う。だから寺というのはほんとにどんどん出来ていくんです。ある村が新しくできた。その時に、勿論自分の家を勿論建てますけど、農地を開墾して家を建てた、と、ほぼ同時に、そういう人々が集まって仏教儀礼―お坊さんをそこに住まわせて、修行するお坊さんをそこに呼んで、みんなが自分たちの仏教寺院を作っていくという。そこに出家するのは、自分たちの息子、あるいは余所から来る場合もありますけれども、とにかく生活世界を作っていくことと、寺院を作っていくことと、ほとんどパラレルと言いますかね、平行して行われている。それが私が言うところの「上座仏教とは何だ」と言ったら、自分で寺を建てて、自分で出家して、自分でそれを守っていく。これが決定的に違う。日本の仏教とは違う。出家と在家の流れみたいなものがあると。何故それを一生懸命みんな求めているかというと、大抵どこの地域に行って聞いても、「これは功徳を積むことになる」という答えがくるわけですね。その「功徳って何よ」と言ったら、みんな表向きの答えは、「善いことをする。善い行いをすると、これは生まれ変わって、あるいは来世ですか、今よりいい境遇に生まれ直すんだという。転生(てんせい)するんだ」と。一方そうやって喜捨(きしや)というんですか、一番に焚いたお米を托鉢する僧侶に食施(しよくせ)と言いますか、お布施をするということをやります。これやっぱりやった人が自分の功徳になると言われているわけですね。これが基本的には上座仏教徒の功徳の積み方の大基本なんですけど、これは仏典で言われている通りのこととなんら矛盾していない。
 
金光:  それで女の人は、その輪の中には入れない。原則としては入れないのが普通のようですけども、女性はその輪の中にはどういう関わりがあるんですか?
 
林:  女性は、仏門―いわゆるパーリ仏教の場合は、遮断されているように言われます。これは事実です。但し俗人の女性は、朝の托鉢、それから二週間に一回行われる瞑想とか、修行した後の功徳の転送ですね―回向(えこう)。年中行事の活動ですね。女性がほとんど功徳に関わって、特にそれを施餓鬼(せがき)のような形で転送していくのがほとんど女性なんです。よく繰り返される托鉢もそうなんですけれども、大体地方農村―お米を作っているような農村へ行きますと、お寺があって、大体一年に十二回ぐらい、平均して月一回ぐらいは、みんなが割に大きなたくさんの人が集まってやる儀礼があります。年中行事ですけども、ここで見ているとわかるんですけども、一生懸命自分が作ったお米をそこに寄進して、喜捨をして、あるいはお米以外にも自分たちが作れるものを持って、お寺にパッと集めていくわけですが、終わると自分が積んだ功徳を亡くなった人たちに転送すると言いますね―仏典の言葉では「回向(えこう)」という言葉がございますけど、まさにそれで、必ず自分の得た功徳を、そういう今居なくなってしまった人たちの霊なんかに手向(たむ)けるというのをやっています。これをひっきりなしに繰り返す。それこそ人生に一緒に暮らしてけどもよくわかっていない他の人たち、お世話になっているかも知れないけれども知らない人たち、そういう人たちに届くんだ、というふうな、私は上座仏教徒の功徳の考え方は非常に奥行きが深いなと。表向きだけをとると、そういう勉強の書かれたものだけを見ますと、他界霊に送っているという、その回向と終わっちゃうんですけども、実際にそれが行われている現場を見ますと、やはり生きている人、知らない人、他者、仏教徒でない人にまで功徳がいっちゃいという感じなんです。これはまさしく在俗、その俗人の人たちの模範的な仏教徒のあり方という点では、女性が一生に一回出家して、パアッと功徳を積む男性よりも、もう一生かかって、そういう托鉢毎日やるお坊さんにご飯を入れ、功徳を積んで、二週間に一回瞑想して、また功徳を転送し、一月に一回、またそういう大きな仏教儀礼で功徳を転送するという点では、女性の仏教徒と関わり方というのは、功徳のお話の主人公。彼女たちを欠いてはあり得ないという。よく考えてみましたら、ご飯を炊いて―男の人が炊くのもありますけれども―全部それを女性がやっているという。そして何よりも出家者はみんな男なわけですけども、その男を生み出すのは女性だし、自分たちがそういう仏教を支えているという、ほんとは経典には書かれていないことですけども、自分たち女性が仏教を全部養っていると言いますかね、そういう姿がありありと見えます。ですから生まれ変わるためには、あるいは涅槃に入るためには、一遍男に生まれ変わって、そして「坊さんに出家してやらないとダメなんだ」ということを書いているお経もありますし、説法でもあるんですが、実際には実生活の中では、功徳というのは善い行いなんだけども、悪い行いとの差し引きで生まれてくるものですから、女性の場合は、もうほんとに継続的に功徳を生むと同時に、一生こうやって自分で積んだ功徳を他界霊とかに送っていくという。お婆さんみたいな役割ですけども、こういうことをやっている。他方の男性は出家してドカンと大きな功徳を積みますけども、還俗者は酒もあるし、タバコもあるし、ということで、圧倒的に世間を生きていく上で、女性よりも男性の方が悪いことをしていると。そういう点で、女性は決して男性に生まれ変わることで功徳が多くなるというふうに思ってはいないよ、というふうなことも、特に面白いですけども、あんまり高学歴でない方たち、まあ小学校しか出ていない農家の人たち、女性ですね、これはもうほんとによく言われることで、私も驚きましたね。ですから功徳を積むという形で仏教と関わる。そして仏典の知識なんかは、どのように女性は接するかと言いますと、やはり息子とか、それからあるいはお寺、自分の村の中のお寺で住んでおられるお坊様が、必ずそういう二週間に一回の瞑想の修行をしたりして、お寺にお籠もりする時なんかには、お坊様がちゃんとそういう時には説法しますし、「こういう本もあるよ」とか、なんとか言って見せることもよくあります。ですから、そういう仏法の知識で、女性たちはその仏法の知識を一生懸命蓄えて、試験受けるわけではないですけども、自分の一番好きなそういうお経、最近タイではパーリ語の言葉の後に、タイ語訳が付いて、もう半世紀ぐらいになるんですけども、そういうものを覚えて、覚えることに無上の喜びをよく見せますよね。子どもも独立して家を出て行って孫も居ない。お父さん、旦那さんも死に別れた人がいまして、そのお婆さんなんかが、一人で夜寝るわけですね。農家ですからそう物騒なところはないんですけども、そのお婆さんたちが「独りで大変ですね。寂しいですね」というようなことを言うと、「お経を私覚えているから全然恐くない。寂しくない」と言って、自分の蚊帳の中に入って行く姿を何度も見たことがありますし、男性の辺りにも、経典というものは本の中にあるんじゃない。自分の先輩僧が居てですね、そういうパーリ語の呪文というか、説法文を聞いたり、そこから口移しなどで覚えていくものだと。そして抑揚の付け方とか、アクセントとか、こういうものを自分の身体の中に、僕はよく「埋め込む」というんですけども、自分の身体の中に流し込むようにして、もっと譬えが悪いんですけども、なんか臓器移植みたいな感じで、身体の中に入っちゃうんですね。最初はいわゆる先輩の責められる言葉が異物として入ってきますから、最初は凄く辛い、覚えられない。ところがある時、自分の中に入って、「ストンと落ちる」というような表現をしますけども、そんなふうにして継承していくと言いますかね。ちょうどこれ日本の例で言いますと、仏教よりも、むしろ落語の世界に近い。テープを聞いてやるだけではダメ。師匠の目の前でその空気を共有しながら自分のものにしていく。その意味も師匠は教えるけれども、最終的には自分の中の経験、そういったものを自分の経験に照らし合わせて、こういうふうなことを言っているんだなということがわかってくる。そうすると面白いことに、そういう形で仏典の知識を喋る人にはたくさんの在俗人が集まってくる。その人は「歩く仏典だと。ほんとに動く経典だ」という言い方されて、女性なんかは、そういう声の良いお坊さま、もっと言うと、そういうなんか難しい言葉をみんなに平易な言葉で、同じような経験をしているということを下敷きにしながらやっていく。そういう意味では地方語で喋るお坊様というのは強い人気があるという。非常に凄く面白いことに、ローカルな所では人気のあるお坊さま、決してバンコクとかプノンペンとか、大きなところでは有名になっているお坊さんもいますけれども、実は各地にそういうお坊様がいらっしゃるということが―そういう人たちももともとは出家者になろうと思っていた人はごく少なくて、「二十歳になったし、そろそろ出家しろよ」というような形で、「じゃ、一年だけやってみるか」ということで、いわゆる一年と言いますか、安居(あんご)期間のいうのがありまして、雨が降って、雨期が終わるまでの期間、一時出家するというのが盛んなんですけども、そのつもりでやっている人が、なかなか良いもんだと思って、二、三年とやっているうちに、五十歳になったという。
 
金光:  ご本を拝見していて、カンボジアにクメール語の経典がないというんで、日本のお坊さんたちが随分募金して送ったのが、ちゃんときちんとした綺麗な文庫の箱の中に納められていると。現実にはきちんと管理はしているんだけども、その仏法の伝授というか、それを伝えるのはむしろ口で覚えて、身体で消化して、それこそ身に付いたそれを相手に如何に伝えるか。やっぱり自分がそういう経験をされているお坊さんだと、相手の段階というか、それもわかるから、少しずつある程度ならという感じで、五、十年の間に次々と渡していかれる。これは凄いだろうなというのは、経典がなくたって身体の中に入っているわけですから。
 
林:  そういうことです。
 
金光:  だからお寺が壊されたって生きた人間の中に生きた経典があるんでしょうね。
 
林:  私たち、近現代の人間というのは、こう何でも書かれたものが残すことだというふうに思っていますよね。ところが一方で、インドのベーダなんかと考えなんかからズーッと続いているんですけども、書かれたものが焼かれたら終わりじゃないかと。そうではなくて、身体の中にしっかり記憶していくということになるんですけども、ただの記憶じゃないですよね。今いったように、自分の個々のお坊さまの身体を動かしたような、その身体というのは経験ですよね。それを濾過したものとしてもっていく。生きた言葉と言いましょうかね、生きた言葉というのが仏教移転であると。そしてそれがあってこそ生きた仏教の中核みたい、公案になっているように言います。ただちょっと誤解のないように申し上げますけども、ポル・ポトの時代で仏典がなくなった。私は初めてカンボジアに行きました時に、向こうの偉いお坊さんに言われたことが、パーリ語の仏法書がほしいとか、経典がほしいとか実はおっしゃるんです。ですから一方で学校なんかで、仏教学校なんかで養成されるそういう近現代の仏法授業のあり方というんですかね、もっというと仏教学的、そういう仏法のあり方も実は特にカンボジアなんかはフランスの植民地、あるいはビルマなんかはイギリスの植民地として新しい教育のシステムが入ってきておりますので、その人にはそういう偉い大坊さんにはそういう考えありますし、実際に経典をテキストとして読むと言いますか、教科書として使う方もいらっしゃいます。今まで申し上げてきたのは、ある意味で生き生きとした仏教を作っているのは、そういうところではなく、むしろそういう人の行いを通じて仏法にアクセスをし、自分たちの仏法のあり方を作っていくという。またそういうちょっと二つの知識の吸収の仕方、継承の仕方があるということをちょっと強調しておきたいですね。ですから一方で、ほんとに日本の仏教学とか、仏典の研究者のようにやる人たちもいます。しかしながら、それは学校の中の話というふうに一応理解して貰った方が誤解がないかなと思います。ミャンマーなんて今、日本の投資家がどんどん行って、これからどんどん工場が出来て、道路もできていくでしょうけれども、そして工業化されていって、タイに住んでいる学者でさえが、「もうタイは農業国ではない」ということを言っている人もいます。しかしながら、お米を作って、お米を食べ、そのお米を托鉢に供しているという、そういうあり方というのは地方農村、都会でももの凄く交通渋滞が激しいところでも、バンコクなんかでも托鉢やられているわけです。そういうところは一つ違う世界なんですけども、共通して持たれているものがやっぱりお米の国と言いますかね、農業国といいますか、基本的には自分の国で食べるものは自分で調達できるという。同じように仏教の間でも、地域毎、山地に住んでいる人もいますし、平地に住んで水田やっている人もいますよね。あるいは山間で焼き畑をやっておかぶを作っている人たちもいる。こういう人たちそれぞれの自分の生活のあり方、あるいは望ましい暮らしというものがあると思うんですが、なんかそれに添った形で仏教が作られていって、自分たちがその仏教を消費していく。なんか上手く言えないんですけども、地産地消の形みたいな、これが同じパーリ経典を使って、どこの国も同じだと言いながら、実は非常にその人々の暮らしに根差した、そういうまさに風景の一部になるような仏教の行いの仏教というものを作っているという言い方が、一つはできると思いますね。それと急いで付け加えますけども、女性がそういう功徳を作り運び分けるという話が、さっき申し上げましたけども、男性の場合、じゃ出家者として知識を自分の身体に一遍作り、そしてこれは新しい出家者に継承していく時も口伝でやっていく。なんかこの両者、こっちは知識で、こっちは功徳ということですけども、似たような、いわゆるバトンタッチをしている。これよくよく見ていくと、何が支えているかというと、やはりいのちというものは大きなルート、そのいわゆる連鎖の中で生まれ滅び死んでいくという、このサイクルの中にあるわけですね。つまりみんながその中の一つであると。自分のいのちも終わりがいずれ来る。だから不思議な言い方をしますけれども、親しい人がパッと亡くなっても、それほど上座仏教徒は嘆かわしげに見えないんですけど、僕は。むしろ女性なんかで、私、経験したことがあるんですけども、白衣を着て八つの戒律を守りながら死んでいったお婆さんがいるんですけども、その人が亡くなった時に、みんなは悲しむどころか羨ましがったんですよね。そういう形で死んでいったという。でももの凄く功徳を積んでいて、修行しながら在家者の身ですけども、死んで逝った。あるいは男性でも同じで、たくさん善行した人は、亡くなっても嘆き悲しむというよりは、ほんとにご苦労さまという形でやっていく。なんかそういう人々の反応を見ていると、いのちというものが、ほんとに彼らがやっている農業、お米が実をつけて、稲が実をつけて、そしてまた土に還って、新しい実をまた種籾からお米ができる。こういういわゆる生命の循環というんですかね、そういうことは実は都会の人よりも地方の人が、日々接している光景であろうという点でも、さっきから言っているそういう知識のあり方と功徳の女性が一生懸命みんなに繋いでいくというか、なんかそれは仏教の根本的な問題であるすべて無常であると。すべて生まれてきて死んでいくんだという。流れの中に、自分はその中で生きて今この現世にいると。それは現世というのは、ほんとに仏教と出会って、自分の考えで善い行いをし、唯一功徳を積むという、善い行いができる世界なんだという。だからこそ一方で経験だけ見ましたら、パーリ経典だけ見ていましたら、現世否定のすべて無常であると言うて、随分暗い仏教、救いの話しかないみたいなこと言っていますけど、そうじゃなくて、だからこそ現世を一生懸命享受し、同時に無常の中に置かれながら、人々をそこをみんなで楽しい生活繋いでいくんだよ。幸せを繋いでいくんだよ、ということを、そういう欲得から離れた存在である出家者を、日々毎日見ることによって、あるいは出家者に要求して、俗人の側が、そこで初めて現世のための仏教というのが支えられていると思うんですよね。なんか功徳というのは、ここまで見てきますとおわかりのように、決して亡くなった目に見えない人たちだけの存在を繋いでいるんじゃなくて、それこそ現世に一緒に暮らしているけども、よくわかっていない他人の人、他の人たち、お世話になっているかも知れないけども知らない人たち、そういう人たちに届くんだというふうな、私は上座仏教徒の功徳の考え方は非常に奥行きが深いなと。表向きだけを取ると、勉強の書かれたものだけを読みますと、他界霊に送っているという回向ですけども、実際それが行われている現場を見ますと、やはり生きている人、知らない人、他者、仏教徒でない人にまで功徳がいっちゃうという感じなんですね。 
 
金光:  今までのお話を伺っていますと、それこそ時間的にも、空間的にももう凄く視野が広がって、尽十方無碍光如来さんの世界の話を聞いているような気がしながら伺って、東南アジアの仏教が生きている原動力というのはその辺にあるだろうと思いながら聞かせて頂きました。どうも有り難うございました。
 
     これは、平成二十七年八月三十日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである