俳句と仏教
 
                     専立寺住職 大 峯(おおみね)  顕(あきら)
1929年、奈良県生まれ。1953年、京都大学文学部宗教学科卒業、1959年、京都大学大学院文学研究科博士課程修了。1966年、大阪外国語大学助教授。1971年より1972年まで、文部省在外研究員としてハイデルベルク大学留学。1973年、大阪外国語大学教授。1980年、大阪大学教養部教授。1992年定年退官、大阪大学名誉教授、龍谷大学教授。浄土真宗教学研究所長。俳句は1950年、「ホトトギス」に投句し高浜虚子に師事。宇佐美魚目、岡井省二らと同人誌「晨」を創刊、代表同人。
                     き き て  金 光  寿郎
 
ナレーター:  今日は、奈良県吉野郡大淀町(おおよどちよう)の専立寺(せんりゆうじ)住職で大阪大学名誉教授の大峯顕さんに、「俳句と仏教」というテーマでお話頂きます。大峯さんは、昭和四年(一九二九年)に今のお住まいの専立寺に生まれて、お寺の後継者として育ち、旧制中学時代に結核になって休学した時の縁で俳句を学び始め、その後高浜虚子(たかはまきよし)(1874-1959)の指導を受けます。健康回復後は、京都大学宗教学科へ進み、宗教哲学を専攻して、西谷啓治(にしたにけいじ)(哲学者(宗教哲学)。京都学派に属する。京都大学文学部名誉教授:1900-1990)先生の薫陶を受け、一九八○年から大阪大学で、大阪大学定年後は龍谷大学で哲学や宗教学を教えた方です。一方、俳句の方では今年九冊目の句集『短夜(みじかよ)』で第四十九回飯田蛇笏(いいだだこつ)賞を受賞しておられます。聞き手は金光寿郎ディレクターです。
 

 
金光:  飯田蛇笏賞おめでとうございました。
 
大峯:  ありがとうございます。
 
金光:  何年前ぐらいから俳句はお作りになっておられるんですか?
 
大峯:  俳句は、一番最初は旧制中学校の三年の時に、肋膜炎をやりましてね。肋膜炎で学校を休学しておった時に、近所の寺の若い僧侶がちゅうど結核でおって、「病気を治すのには俳句なんかいいですよ。自然のものと親しむことはいいことだから如何ですか」と言われて、それでその人に手ほどきをして貰ったのが、昭和十七年ですから、十三ぐらいの時だと思います。それが一人でやっていたんですね。その方は間もなく亡くなったから、一生縁が切れて。それから大学に入って、京都大学に入った時から高浜虚子という先生に出会うことがあって、いろんな経緯があって、それで京大俳句会というのがあって、京大の若者と東京大学の青年たちとが、夏休みに虚子のところで句会をするんですね。八年間続きましてね。だから八年間虚子に俳句というものの一番根本を教えて貰ったのが、
 
金光:  もう七十年になりますね。
 
大峯:  そうですね。十二歳でしたからね。
 
金光:  もう一つ仏教の方は?
 
大峯:  仏教は、私のこの寺で生まれていますから、
 
金光:  ここで、
 
大峯:  ここで生まれまして。それでもまあ仏教は、寺に生まれただけで仏教がわかるわけじゃないですから。それで今度はそのうちに大学に入って、とにかく宗教というものをただお坊さんの説教を聞くだけでなくて、自分でいろいろ哲学の思想を勉強して、そういうことを解明することをやりたいと漠然とした思いがあって、宗教学に入ったんですね。そこで西谷啓治先生に出会ったんです。西谷啓治先生に出会ったということは、私にとって非常に―あの先生に出会わなかったら、私はダメだったろうと思いますね。それはずっと後ですが、四十前に死ぬことが非常に恐くなりましてね。死の不安ですね。ところがそれをどうしたらいいか聞こうにも、もう父は居なかったですし、この辺のお坊さんに聞いたって、教えてくれる人はいるとは思わないから、先生に聞くよりしょうがないと思って行って、これは僕の本にも書いてあるから公開してあるんですが、「死ぬことが恐いんです」と言っていったら、先生黙って、「それは夜だけだ」と先生言うんですね。僕の顔を見ないでね。夜になると恐いですから、それで暫くして「はい、そうです。夜だけです」と言ったら、「昼間もそれがくればもっといいんだ」と。
 
金光:  そうなんですか?
 
大峯:  そう言われたんです。「真っ昼間その不安がきて、夜も昼も不安、そういうふうになればいいんだ」と、それだけ言われて。それで答えは「こうしたらいい」と、実はおっしゃらない。そのことを言われた。私はそれは非常にありがたかったんですね。ノイローゼでないということを証明して貰ったんです。
 
金光:  なるほど。
 
大峯:  極めて健康な感覚性だという、人間にとってね。死が平気というのはおかしいんであって、死が恐いということはすこぶるノーマルな経験だということを証明してくださったように思いまして、もうそれで先生に聞く必要は無くなって、これはありがたかったです。私は、西谷先生のご自身の体験があったんだなと。〈俺も越えて来た。それでいいんだ〉と、そういうふうに言われたと思う。そう理解したんですよ。おそらく他の先生にお会いしたら、そうはいかなかったんじゃないかと思います。「気にするな」と多分そういう答えが返ってきたんだろうと。「ちょっと疲れていらっしゃるじゃないか」とか、そういう種類の答えが返ってこられたら、僕は大変だったですね。それで西谷先生が相手だったからもうありがたい。僕は西谷先生が善知識だと思っているんです。
 
金光:  あの方は北陸の
 
大峯:  能登です。
 
金光:  能登の方で。
 
大峯:  家は浄土真宗だったです。
 
金光:  そういう意味で禅も方も詳しいし、それからお念仏の方も随分詳しい方で、
 
大峯:  大体禅の仏教の方は、真宗のことを少し大衆的な教えだという。そういうふうに受け取って、禅の方が上だと思う人が多いんですけども、西田先生はそうでなかったですね。真宗のことに実に正しい理解を示しておられた。それはよかったです。
 
金光:  しかし、今は仏法の場合ですと、仏さまの教えと書きますが、やっぱりお釈迦様の流れを汲んでくるということになると、やっぱり真宗にしても禅宗にしても―宗を取ってもいいんですが―お念仏の世界も禅の世界もやっぱり自己というか、自分というのがこれ問題になるわけですね。
 
大峯:  自己の問題ですね。自己の問題。浄土真宗は、真宗教学者が語る場合は、自己の問題をあまり言わない。そこが僕は疑問だったんですね。ところが西谷先生の場合は、自己ということをおっしゃった。私は、西谷先生からフィヒテ(ドイツの政治思想家:1762-1814)の「自我の問題、自己の問題」を教わった時に、尚更仏教が自己の問題だということを確認・確信してきまして、私の浄土真宗の理解はやっぱりそういう西谷先生なんかの影響が大きいですね。阿弥陀様だけのことを言ってしまうんじゃなくて、「救われるのはお前だろう」という。「私が救われる、ということを抜きにして、救われることはない」という。「救ってくださるのは阿弥陀さんだけども、救われるのはお前だろう。お前の代わりをする人はいないんだ」という。そこをはっきりしないと、何かお伽噺のようになっちゃいますね、救済ということがね。だから西谷先生に教えて貰ったということは非常に幸運であったと思っております。
 
金光:  人間の性(さが)として、わかりたい、わかりたい、阿弥陀様はどういう方で、じゃ、阿弥陀様の教えをどう掴むのかという。自分で掴んだら阿弥陀様の世界ではなくて、自分の中に入っちゃうと、これまた質が変わるんじゃないかという気もするんですが。
 
大峯:  「自己」といっても、自己意識じゃないですね。自己意識からすると、もう主観主義になりまして、もう阿弥陀様の教えじゃなくなっちゃうんですけども。けどもその自己意識じゃない私というものがやっぱり阿弥陀様に救われていくと。やっぱり自己が本当の自己が、本当に阿弥陀様に抱かれている自己というものが幸いありますよね。その自己が大事であって、その自己も何もなくなったら、これは仏教ではない。いくら浄土宗は特別だと言ったって『阿弥陀寿経』という釈尊のやっぱりとなえたものの中にある教えですから、仏教でなくなるという危険がありますよね。
 
金光:  でも人間の能力として自分で自分を見ることができるかというと、自分という枠の中で自分を見たって、これはどうもダメですね。
 
大峯:  ダメですね。自己意識ですからね。けども、善導(ぜんどう)大師が、「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」という。これ自覚ですよね。自己意識が知った自己じゃない。それは阿弥陀の光に照らされてわかる自己というものだけども、しかしそれは自分の力で知った自分じゃなくて、阿弥陀に知らされた自己という。けども、それはあくまでも自己の姿だという。善導は、やっぱり「機が深信(じんしん)の方で、やっぱり自己というものに出会わなければダメだ」ということを言っていますね。そこは非常に善導は正しく言っている。そういうことが割とお寺の説教じゃあんまりそれを言わない。阿弥陀さん一人働きだと、そっちの方ばっかりいってしまって。それは大いに不満だった。そこへ西谷先生なんか徹底的にそこをやってくれましたからね、ありがたい。
 
金光:  やっぱり言葉としては、「法の深信(じんしん)」とか「機の深信(じんしん)」ということを言いますけれども、なかなか法の深信(じんしん)が何か、機の深信(じんしん)が何かという、この我が身でそれを感じられるということは、これはなかなか
 
大峯:  それは私はやっぱりただ思考だけでは無理で、私は内蔵の手術をしたことがあります。六十の時、胆嚢の―ガンじゃなかったんですけども―阪大で全身麻酔でね。その体験が非常にありがたく思っているんですよ。あれ手術で麻酔から覚めるでしょう。あれね医者が「目を覚ましてください。返事してください」と言わないと麻酔は覚めないんんですね。時間がきたら麻酔が覚めるんじゃなくて、外からの呼び掛けがないと麻酔から覚めることはないらしいんです。それで私、集中治療室で「はい」と返事をしたんですね。「はい」って。わかりますという。向こうの言葉を聞いたわけですね。けど、「私にまかせますか」と向こうが呼んだその問いは意識していなかったんです。それは私は意識できなかった。ただ「はい」と答えた。向こうが呼ぶんだから答えたんですね。そこ答えは意識していたんです。あれを思いましてね、ああそうか。私が「はい」という前に阿弥陀さんの方が先に呼んでいるな、と思いました。ああ、説教で言っていることはこういうことかと。本願招喚(ほんがんしようかん)の勅命(ちよくめい)(衆生に帰せよと命じる如来のよび声)だといって、「南無阿弥陀仏」をこっちからいう前に、向こうから言えと言っているし、やっぱり声が先にあるんだ。それをお説教でこれを聞いてきたんだけど、それは理屈として聞いているわけで、そのままその実感はいかんともし難い。あれが真宗体験の一番基本。それは六十ですね。六十歳にありました。あれはありがたい。そういうことをお説教で言おうとしておったのかと。
 
金光:  今の大峯先生のお話を聞いていても、受信機が問題で、自己意識というのがこれ問題で。
 
大峯:  自己意識があるのは自己に出会っていないのね。自己意識―ドイツ観念論のフィヒテ(ドイツ哲学者:1762-1814)も多少そういうところがあるんだけど、まだやっぱり自己意識ということでいって、心理学的には自己意識はないんですけれども、やっぱり自己がそれを知ると。これはフィヒテのしょうがないですね、キリスト教文化から出てきた。けれども、本当の自己の自覚というものは、やっぱり自分を知るんじゃなくて、真に現れてくると。真理の現前によって自己意識の自己は、やっぱり無になると。フィヒテは初期は絶対者なしで自己だけで生きるんですけども、晩年は絶対者が私に現れてくる時には、自己を否定されるという。その自己を否定されたということは、自己がなくなることじゃなくて、やっぱり本当の自己が目覚めるというか、そういうように浄土真の宗教学では、そこの論理化はしょうがないね。だからヨーロッパの場合は割と論理化は徹底している。そうすると結局自分を忘れるということは、何もなくなることではなくて、自己が目覚めることなんだと。道元が「自己を忘るるなり」という。
 
金光:  「自己を忘るるとか万法に証せられる」。外からくるんだ。
 
大峯:  そうそう。これ仏教徒が、禅とか真宗とかいうんじゃなくて、ただフィヒテの晩年でもなんか似たような行動があって、普遍的な真理だと思っていますね。
 
金光:  そういう意味で、そういう言葉が阿弥陀様の方から呼び掛けだとおっしゃるのと、それから俳句の方で自然を見て、ある感動を十七文字になさるんでしょうけれども、この俳句の場合の言葉の表現というのと、その辺の消息というのは共通するところもあるんですか?
 
大峯:  ありますね。それは私も若い時からやっていますが、今度は第九句集『短夜』ですけれども、やっとそうですね、今年八十六になるんですけれども、八十過ぎた頃から向こうがやって来て私を掴むと。間(はざま)俳句の本当のいい俳句は、こっちが掴むという限りダメなんだと。それまで一生懸命掴もうとしていろいろ悪戦苦闘しておるんですよ。だけども、悪戦苦闘のど真ん中でフッと自分を忘れる時がある。そういう時にたまたま向こうからきてね、その時できた句が割といいんですね。そういうことは、今まで理屈ではよくわかっておって、芭蕉さんもそのことも言っていることはわかったおったんだが実行できないですね。理屈はよくわかっている。「お前作ってみろ」「俳句でそれを示してみろ」と言われたら。ここ最近にそういうことが自分にはわからないけど、人が、「この句はいいね」と言ってくれたのは、その時はそういう仕方でできているんですね。だからそこは非常に似ていますね。
 
金光:  先生のお書きになったものを、今度来る前に拝見していましたら、芭蕉がおっしゃった言葉に「なる」句がいいんであって、「なす」句はダメだと。
 
大峯:  あれですね。「なそう」とするんですよ、みなね。自己意識でなそうとする。自己意識で掴まえようとするんだけども、みなダメだ、それは。「為そう」とする句をどっかこう同位していませんのかな、台風の目に入ったような状態かと思っているんですがね。するとなんか言葉がフッと出てきてね。その時のその言葉、これは向こうから来ているんですね。自分から作ったんじゃないんですね。どうも詩という領域には、そういうことは実際経験として行っているんだということを、私はそれは経験しなかったから、偉い詩人にはそういうことがあるかも知れなんが、僕らにはとってもそんなことはできないと、半ばあきらめてきたですね。ところが最近の自分の中に時々そういう作品ができてくるということは、芭蕉はいい加減なこと言っていないと。そういうことは納得できたですね。それは二十歳で高浜虚子に出会ったでしょう。あの人は滅多に俳句について説教しなかった人なんですよ。選(せん)をして、「私が選んだ選はいいんだ」と。何でいいかなんていうことは一切言わない。「おのおの自分でわかれ」という。ところがある時だけね、なんか相当機嫌が良かった時か、「何でも聞き給え」と。「今日は私は梵鐘になろう。誰か鐘木になれ」と。鐘を撞いたら音が出ると。自分は釣り鐘だと。君たち鐘を叩けと。そうすると高浜虚子の鐘がなるだろうという。答えが出るだろうということを言ってね、いろいろ聞いたんですけども。その機会に珍しく俳句の方法論の根本を、私が二十三歳の時の青年たちに、それはどういうことかと言ったら、「良い俳句というものは、自分の思っていることを正直に、ほんとに感じたことを正直に、しかも綺麗に言葉を飾り立てないで、素直にいうことだ」と。そういうことを教えてくれたですね。これは二十二歳の生意気盛りの哲学青年にすぐに納得できたんです。もっともっとそんな簡単なもんじゃないだろうと。
 
金光:  そうですよね。
 
大峯:  虚心が七十七ぐらいの時に出会っているんですよ、二十二歳でね。けども、今思いましたら、虚子は本当のことをいっておったな。だから私は、虚子先生が私に教えてくれたその言葉に添ってきていましたね。その虚子通りに作ればいいと。だから綺麗に上手く作ろうと思ったらダメだということは、これはありがたい。その時に我(が)が潰されていると思うですよ。そういう本当のものと出会っている時はね。それまで我があって、その我で向こうを掴まえようとして、いろいろ苦労して、もっともっと掴んでやろうとか、今思っていますが、それをやっているうちに、我(が)が破綻するんですね。そういう経験なんです。ちゃんと言葉は生まれてくるという経験は、我(が)が破綻ですね。それは今までそういうことは理屈でわかっておったんですけども、実際にそれが自分が実行するという、その瞬間はなかなか自覚できなかったんですけどね。この頃、あ、やっぱりそうだと。芭蕉の偉い人が、虚子のような偉い人が言っている通りの法則があるんだと。そうしないと本当の言葉は生まれないんだと。こさえあげた言葉はダメなんだという。そういうことはこの歳になって、やっとね。でもまたわかっているからと言って、いつも実行できるとは限らないんですよ。それは難しい。
 
金光:  それは念仏の方でも、親鸞さんは、「すぐに地獄は一定なり」と。自分のことを思い定めたというようなことをおっしゃっていますけども、あんな方がですね、自分は地獄行きに決まっているなんていう言葉が、どうして出てくるのかなというような気がするんですけれども。これはやっぱり自分の意識というのを覗いていると、ある体験を経てもやっぱりそういういろんな、いわゆる煩悩はこれはなくならないもんですか?
 
大峯:  無くならない。煩悩の真っ只中で救いがいくんですね。救われたからと言って、煩悩も一緒になくなるわけじゃないんで。そういうことは親鸞という人は、最後まで言っていますね。「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし」浄土真宗に入っても真実の心はないと。ああいうことを言った教祖はいないですよね。
 
金光:  そうですね。だから『歎異抄』の唯円(ゆいえん)さんが、「早く浄土へ往きたいというような気持ちが起こらん」と言ったら、「私もそうだった」とおっしゃっているんですものね。
 
大峯:  あんな教祖はいないでしょうね。「お前、そんなことで」と叱るでしょうけども、「私もそうだ。唯円もそうだったか」と。「でもここでよく考えろ。お浄土へ往きたくないというのは、お前の信心が足らんからじゃないんだ。煩悩が言わしているんだと。けども、その煩悩を助けようと言っているのは阿弥陀様だから、行きたくないという心があればあるだけ、いよいよお前は助かるんだ」と。あれは『歎異抄』の中の一番ピークですね。
 
金光:  私なんか頭は、「それだったら」と理屈でまたそこのところを、こねまわせばなんとかなるんじゃなかろうか、みたいな思いがもっと湧いてくるんですけれども、そこのところも、「それはそれとして」ということになればいいんでしょうけども。
 
大峯:  それは私も長い間ありました、けども、なんかいつの間にか「それでも」ということは言わなくなったんです。それは「それでも」という気持ちはっけっこうありました。阿弥陀の救いというのをとられたらその通り。「それでも」というそれがあったんですが、「それでも」というのは、なんか旦那さんを取り上げられているような、そういうことは昔と違ってきたんですね。それは自分の力と思わない。変化はあるということは、それは若い時は思いなかったですね。
 
金光:  それと「救われる」というか、「救い」という言葉について、これは先生のお書きになったものを拝見していて、「ああ、そういうことか」と思ったのは、普通頭で考えると極楽浄土みたいなことだとか、いい世界ですね、安楽な世界へ行って心配なしに生きられるのかなとか余計なことを考えるんですけれども、そうじゃなくて、「今このままでいいではないかと。このままで安心というのが救われる世界だ」と。
 
大峯:  そういうことですね。そんな安心な世界があるというのは、それは人間の幻想・空想でしょう。本当はそんな安楽浄土があるというのは、そういう空想というものが、阿弥陀仏されないとダメなんで。それとどこにあるか、今ここにあるんですね。安楽な世界が。煩悩の真っ只中にしかないという。この信心でいったと思いますね。だからやっぱり初心に返りますね。今は、結局若い時に聞いておって、それでもと思った心とちっとも変わらん心が今もあると。けれども、昔はあったそういうものがどうかなくなっておると。煩悩は同じだと。そういう変化と言いますかね、何歳ぐらいかわからんけれども、まあさっき言った外科の手術体験というような大きい体験、それともう一つ交通事故です。私、交通事故で正面衝突しているんですよ。それが面白い。外科医心臓移植の先生とタクシー−に乗っておったんです。北村惣一郎(きたむらそういちろう)(奈良県立医科大学第三外科教授(現:同医科大学名誉教授)という奈良医大の教授だったんです。北村さんは、その時に奈良医大に脳外科を作るために来ていた人で、その人と講演を頼まれて一緒に行って、帰りにタクシーに乗って帰って来たんですよ。それで奈良医大まで帰って、北村さんを降ろしてから、すぐ真面です。雨の晩でしたが、前から来た車と正面衝突したんです。それが普通のドライバーだったらちゃんと警察へ行きましたけどね、パニックになってね、こっちが。向こうはプロだから。流石にプロですね。きちっと停めたんですよ。それだから結局衝突したのは気絶しただけですよ。お念仏なんて出ないですよ。
 
金光:  それはそうですよね。そんなこと考える、
 
大峯:  ビックリするだけですよ。
 
金光:  それはそうでしょう。
 
大峯:  人間というのは、正念なんかでおれないと、その時ね。もう何もかも放り出しちゃうんですよ。お念仏なんかどっかへいっちゃって、ビックリするだけ。そういう人間のことを阿弥陀様は見通しおって。だから死ぬ時にいたってあるんじゃなくて、平生からあるそういうことを教えてくれた。両方とも経験ですね。手術も経験だし、事故も経験、そういう学び方ができましたですね。
 
金光:  そういう日常の中のいろんなハプニングがあるわけですけれども、仏法と俳句という関係は、その辺りはどうでしょう?
 
大峯:  仏教はやっぱり救いですけども、俳句は必ずしも救いではないですね。救いと直接関係ないんだけれども、今度の飯田蛇笏賞で、選者が、「僕の俳句は読んだら幸せをもたらすと、読んだ人に」そういうことを言われたんですね。「なんか世界を肯定しているような作品だ」と。みなさんが、「それが作品の特徴だ」と言われました。私の作品は肯定的なんです。世界に対する懐疑がない。
 
金光:  阿弥陀さんの世界というのは、いわば大肯定の世界でしょうから。
 
大峯:  大肯定ですね。
 
金光:  そういう本当の生きているという事実の中からそういう作品も生まれるし、それから生きていること自体の肯定も生まれる世界が、仏法の世界であり、大峯先生の俳句の世界であるというふうに伺いました。どうもありがとうございました。
 
     これは、平成二十七年九月二十日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである